1607–1676
北アメリカ東部のイギリス植民地形成
ジェームズタウン、プリマス、先住民との関係と奴隷制
北アメリカ東部のイギリス植民地形成 — ジェームズタウン、プリマス、先住民との関係と奴隷制
1607年、イギリスの入植者は現在のヴァージニア州にジェームズタウンを建設しました。1620年には別の集団が、現在のマサチューセッツ州にプリマスの植民地を築きます。現在のアメリカ合衆国の歴史を説明するとき、こうした出来事はしばしば「国の始まり」のように描かれます。しかし当時、独立したアメリカ合衆国は存在せず、入植者はイギリス王権のもとで植民地を建設していました。
しかも、ジェームズタウンもプリマスも無人の土地ではありません。前者はポウハタンの政治圏、後者はワンパノアグの故地と関わっていました。入植者の生存には先住民との交易や知識が欠かせず、その一方で土地の拡大や戦争によって先住民社会に重大な被害が生じました。植民地の成立を、ヨーロッパ人の成功だけで語ることはできません。
また1619年、奴隷化されたアフリカ人がイギリス領ヴァージニアに連れてこられます。この出来事の意味を理解するには、それ以前のスペイン領でのアフリカ人の存在と、後にヴァージニアで世襲的な奴隷制が法制化される過程を区別しなければなりません。移民、年季奉公人、奴隷化された人々は同じ条件で大西洋を渡ったわけではありません。
目次
1.ジェームズタウンは何のために建設されたのか
イギリス王の特許を受けたヴァージニア会社は、1606年に北アメリカでの植民事業を計画し、1607年にジェームズ川沿いへ入植者を送りました。会社が期待したのは、資源獲得や交易などによる収益でした。しかし移住後の現実は厳しく、食料不足、汚染された飲料水、病気、統治上の対立などによって、多くの入植者が命を落としました。
入植地は航行や防御の観点で選ばれましたが、飲料水、食料生産、病気に関する問題が深刻でした。イギリス側の入植者の間にも労働や統治をめぐる対立があり、生存には周辺の先住民社会との交易や食料供給が大きく関わりました。
2.そこにはポウハタンの政治世界があった
ジェームズタウン周辺には、ポウハタンとして知られる有力指導者を中心とした諸共同体の政治的ネットワークが存在しました。入植者は誰も住んでいない土地に来たのではなく、パスパヘグなどの先住民社会の領域に拠点を築いたのです。
初期の関係は単純な友好でも、絶え間ない全面戦争でもありませんでした。交換や外交を通じて互いの意図を探る一方、植民地が継続するにつれて食料や土地をめぐる対立が深まりました。イギリス側の記録では先住民の行動がしばしば植民者への「攻撃」と描かれますが、土地への侵入に対する抵抗という側面も確認する必要があります。
ポウハタンは個々の共同体を単に「部族」として束ねた一人の王というより、複数の共同体にまたがる関係を統率する指導者でした。パスパヘグなどの地域社会には固有の利害と土地利用があり、植民者との交易や衝突をめぐる判断も一様ではありませんでした。
3.タバコと土地 — 植民地が拡大する経済的理由
ジェームズタウンの経済は初めから安定していたわけではありません。1610年代にタバコ栽培が重要な輸出事業となると、イギリスの需要に向けた土地開発が進みました。タバコは収穫後の処理、輸送、販売も必要とする商品であり、土地と労働力への需要を高めました。
土地を広げることは、すでにそこにいた先住民の耕作地や狩猟地と衝突することでもありました。ヨーロッパ市場の需要が大きくなるほど、植民地内部の土地を求める圧力も増しました。この商品作物中心の仕組みが、後の奴隷制拡大を理解する鍵となります。
4.イギリス人はどのように海を渡り、働いたのか
植民地へ来た人々には会社関係者、技能職人、農民、宗教的な目的を持つ家族などがいました。渡航費を自分で負担できず、一定期間働く契約を結んで移住する年季奉公人も重要でした。年季奉公は期間や契約があり、世襲的な奴隷制とは法的に異なりますが、現実には過酷な労働や虐待もありました。
植民地を支えたのは自由に事業を始めた入植者だけではありません。家族、女性、奉公人、アフリカ出身者、先住民との交易や協力関係がありました。移住の動機と移住後の地位を一つにまとめず、誰がどのような条件で移動したかを区別する必要があります。
5.1619年に何が起きたのか — アフリカ人の到着
1619年8月、奴隷化されたアフリカ出身者がイギリス領ヴァージニアのポイント・コンフォート(現在のオールド・ポイント・コンフォート)へ連行されました。彼らは現在のアンゴラにあたる地域から強制的に移送され、スペイン領アメリカへ向かう船に乗せられていました。海上で私掠船に奪われ、その一部がイギリス領で取引されたのです。自発的な「移民」として来た人々ではありませんでした。
この出来事は、イギリス領北アメリカ本土におけるアフリカ人の強制労働の歴史を考える重要な節目です。ただし、現在の米国に当たる土地にアフリカ人が初めて来た年ではありません。また、当時のヴァージニアではのちのような世襲的奴隷制の法律がまだ整備されておらず、到着者一人ひとりの法的地位や生涯を一様に説明することはできません。
「まだ法律がなかった」ということは、彼らが自由意思で渡航したという意味ではありません。本人たちは奴隷化され、売買の対象とされた人々でした。個人の行動や文化、農業などの技術も植民地社会に影響を与えました。
1619年は、イギリス領ヴァージニアにおける奴隷化されたアフリカ人の到着を示す重要な史料上の節目です。しかしスペイン領フロリダなどではアフリカ人の歴史が先行しており、またヴァージニアの人種に基づく世襲奴隷制はその後の法律と慣行を通じて強化されます。この三つの時点を同じ「始まり」として扱わないことが重要です。
6.1620年のプリマス — 宗教的移住とワンパノアグ
1620年、メイフラワー号の乗船者たちはプリマスに入植しました。宗教上の信念は渡航の重要な動機でしたが、その土地にはもともとワンパノアグの人々が暮らし、交易や農耕、外交を営んでいました。イギリス人が定住した場所は、1616〜1620年頃の大きな疫病で深刻な被害を受けたパタクセットの故地でした。
彼らが居住したパタクセットには、ワンパノアグの人々が暮らしていました。1616〜1620年頃に北東部で大きな疫病が流行し、地域の共同体は深刻な被害を受けていました。1621年、ワンパノアグの指導者ウサメクインは植民者との相互援助の関係を結び、双方の安全保障上の思惑が交わりました。後世の「最初の感謝祭」の物語に表れるような単純で永続的な友情とは異なります。
1621年の両者の関係は、ワンパノアグ側にも防衛や外交上の目的があったことから説明されます。「最初の感謝祭」という後世に広まった物語だけを強調すると、先住民が政治的に判断した主体であったことと、その後の土地をめぐる対立が見えなくなります。
7.ニューイングランドでの移住拡大と戦争
1630年代にはマサチューセッツ湾植民地を中心にイギリス人の家族移住が増え、町、教会、農地が拡大しました。一方で、入植地の増加は先住民の土地利用と政治的な独立を圧迫しました。異なる共同体との間で交渉、契約、同盟が結ばれる一方、戦争や追放、強制移動が起きました。
1675〜1676年のメタコメットの戦争(キング・フィリップ戦争)は、ニューイングランドにおける重大な転換でした。ワンパノアグなどの諸勢力が植民者へ抵抗し、双方に大きな被害が出ました。この戦争の背景に、増大する植民地の土地要求と先住民の自立をめぐる深い対立がありました。
8.奴隷制はどのように制度化されたのか
17世紀半ば以降、ヴァージニアなどではアフリカ系住民の拘束を生涯にわたるものとし、次世代にも受け継がせる法律が整えられていきました。1662年のヴァージニア法は子の自由・不自由の地位を母親の状態によって定め、奴隷制の世襲化を支えました。
この制度は最初から完成していたわけではありません。植民地の経済成長、土地保有者の利益、労働力確保、ヨーロッパからの移住と結びついて法が積み上げられました。植民地が「自由を求めた人々の土地」でもある一方、他人の自由を奪う仕組みを形成していったという矛盾は、後のアメリカ合衆国の成立にも引き継がれます。
子どもの地位を母親の状態に従わせる1662年のヴァージニア法は、奴隷制の次世代への継承を制度化するうえで重要な転換点でした。この時代の法律は一度に完成したのではなく、植民地ごとに異なる形で成立しました。
9.主な出来事
- 1607年 イギリス人入植者がジェームズタウンを建設。
- 1610年代 ヴァージニアでタバコの輸出向け栽培が発展。
- 1619年 ヴァージニアに奴隷化されたアフリカ人が記録上到着。代表議会も開かれる。
- 1620年 メイフラワー号の入植者がプリマスに到着。
- 1621年 ワンパノアグの指導者とプリマス植民者が相互援助の関係を結ぶ。
- 1622年 ヴァージニアで先住民勢力とイギリス人植民者の大規模な戦闘が起こる。
- 1630年代 マサチューセッツ湾植民地を中心に移住が拡大。
- 1662年 ヴァージニアで奴隷の地位の母系継承を定める法律が成立。
- 1675–1676年 ニューイングランドでメタコメットの戦争が起こる。
10.この時代をどう理解するか
この時期の北アメリカ植民地は、イギリス人の努力のみで成立したわけではありません。先住民との関係、アフリカ人の強制労働、会社による投資、宗教的移住などが絡み合い、地域ごとに異なる社会が生まれました。次の時代には、これらの植民地が大西洋交易の中でさらに成長し、奴隷制と土地拡大を制度化していきます。
参考資料
- Library of Congress, The English Establish a Foothold at Jamestown
- Library of Congress, Evolution of the Virginia Colony, 1611–1624
- Library of Congress, Virginia’s Early Relations with Native Americans
- National Park Service, Arrival of the First Africans in 1619
- Smithsonian NMAI, The “First Thanksgiving”: Timeline
- National Park Service, Rise of the Colonial Plantation System
- Library of Congress, Colonial Settlement, 1600s–1763: Overview
- National Park Service, 400 Years of African American History
資料確認日:2026年10月8日 / ART LIBRARY