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World History

1994–2000

アメリカ|政治再編と文化をめぐる対立

中間選挙、福祉改革、中絶、LGBTQ、宗教と政治

1990年代後半のアメリカ政治では、財政、犯罪、福祉、家族、性、宗教をめぐる争点が同じ政治空間の中で強く結びつくようになりました。1994年の中間選挙で共和党は40年ぶりに上下両院を同時に掌握し、Bill Clinton政権との間で予算、福祉、規制、税制をめぐる対立が激しくなります。同じ時期、中絶とLGBTQをめぐる問題も、裁判所、連邦議会、州政府、教会、社会運動を横断する主要な政治争点になっていきました。

ここで重要なのは、中絶やLGBTQをめぐる対立と「キリスト教」の関係を単純化しないことです。1990年代のアメリカでは、白人福音派プロテスタントの一部が中絶反対や同性婚反対を強く掲げ、Christian Coalitionなどを通じて共和党政治への影響力を高めました。カトリック教会の公式教説も中絶に強く反対していました。一方、主流派プロテスタントには中絶の合法性を支持する人が多く、カトリック信徒の意見も分かれていました。黒人教会では、公民権、貧困、医療、福祉を重視する政治的傾向と、同性婚や中絶に慎重な宗教的傾向が同時に存在していました。

つまり「キリスト教徒だから保守」「宗教を持つから共和党」という一対一の関係ではありません。宗派、人種、地域、礼拝への参加頻度、聖書理解、家族観、社会正義への考え方によって政治姿勢は異なります。それでも1990年代には、とくに白人福音派の宗教保守層が共和党の重要な支持基盤として組織化され、中絶や同性関係、学校での祈り、家族政策などを政治の中心へ押し上げたことは、この時代を理解するうえで欠かせません。

この時期に起きたのは、単なる「保守化」でも「宗教と世俗の戦争」でもありません。政治政党の再編、裁判所による権利判断、社会運動、教会組織、メディア、州レベルの住民投票が相互に作用し、何を個人の権利として扱い、何を共同体の道徳的規範として扱うのかが繰り返し争われました。

CONTENTS

  1. 1994年中間選挙 — 40年ぶりの議会多数派交代
  2. 「Contract with America」と政治再編
  3. 1994年選挙を宗教右派だけで説明しない
  4. Christian Coalitionと宗教保守の組織化
  5. Pat RobertsonとRalph Reed
  6. 教会と政治参加
  7. キリスト教は一枚岩ではない
  8. 白人福音派プロテスタント
  9. カトリック教会と信徒の違い
  10. 主流派プロテスタント
  11. 黒人教会の複合的な政治
  12. 宗派だけでなく信仰の強さも重要
  13. 1994年犯罪対策法
  14. 政府の役割をめぐる対立
  15. 1995–1996年政府機関閉鎖
  16. 1996年福祉改革
  17. AFDCからTANFへ
  18. 就労要件と給付期間
  19. 宗教は福祉政策では一方向に働かない
  20. 中絶 — なぜ宗教争点になったのか
  21. 1992年Casey判決が残した枠組み
  22. 『生命の神聖さ』というキリスト教的論理
  23. カトリック教会の中絶反対
  24. 福音派・南部バプテストの中絶反対
  25. 中絶合法性を支持するキリスト教徒もいる
  26. 中絶クリニックをめぐる衝突
  27. 1994年FACE法
  28. 妊娠後期の中絶をめぐる議会対立
  29. Clintonの拒否権
  30. 2000年Stenberg v. Carhart
  31. 中絶をめぐる宗教差をどう読むか
  32. LGBTQ — なぜ宗教と結びついたのか
  33. 家族と結婚の定義
  34. 聖書解釈と同性関係
  35. キリスト教徒すべてが同じ立場ではない
  36. Colorado Amendment 2
  37. 1996年Romer v. Evans
  38. 同性婚をめぐる争点の拡大
  39. 1996年DOMA
  40. Clinton政権の立場
  41. 雇用差別禁止法案は1票差で否決
  42. 1996年世論調査に見る宗教との関係
  43. 宗教の自由と平等権
  44. 『文化をめぐる対立』とは何だったのか
  45. 1998–1999年大統領弾劾
  46. 公職者の私生活と道徳
  47. 弾劾を宗教問題だけにしない
  48. 2000年時点で残った対立
  49. 1994–2000年に何が変わったのか
  50. 1994–2000年の主な出来事
  51. 次の記事へ
  52. 参考資料・出典

1994年中間選挙 — 40年ぶりの議会多数派交代

1994年11月の中間選挙で共和党は下院230議席を獲得し、民主党204議席、無所属1議席となりました。上院でも共和党が多数派となり、共和党が上下両院を同時に支配するのは40年ぶりでした。

下院ではNewt Gingrichが中心となり、減税、規制改革、福祉制度の見直し、議会改革などをまとめた「Contract with America」を掲げました。

この選挙はClinton政権前半への反発、医療保険改革案の失敗、財政・政府規模への不満、南部で進んでいた長期的な政党再編など複数の要因が重なった結果でした。

「Contract with America」と政治再編

Contract with Americaは、共和党候補が選挙後に下院で審議すると約束する政策項目を明文化した文書でした。

その政治的意味は個別政策だけでなく、連邦政府の規模、福祉制度、税負担、規制、刑事政策を一つの『政府改革』の物語としてまとめた点にありました。

1995年以後、共和党議会とClinton政権は協調する法案も持ちながら、予算と福祉をめぐって激しく対立することになります。

1994年選挙を宗教右派だけで説明しない

1994年の共和党勝利では宗教保守の動員が重要でしたが、選挙結果のすべてを中絶や同性関係だけで説明することはできません。

経済、税制、犯罪、医療改革、議会不信、南部での長期的な共和党化など、投票行動には多くの要因がありました。

宗教右派の重要性は、選挙全体を一つの争点で決めたことより、共和党の候補者選定、地方組織、政策綱領、投票参加へ継続的に関与する組織基盤を作ったことにあります。

Christian Coalitionと宗教保守の組織化

1990年代の宗教保守を代表する団体の一つがChristian Coalitionでした。1989年にPat RobertsonとRalph Reedらによって組織され、キリスト教保守層へ政策情報を配布し、地方・州・連邦政治への参加を促しました。

団体は中絶、学校での祈り、家族政策、同性関係、税制などを扱い、教会周辺の人的ネットワークを政治参加へ接続しました。

重要なのは、Christian Coalitionが『アメリカのキリスト教を代表した』わけではなく、主として福音派を中心とする特定の政治運動だったことです。

Pat RobertsonとRalph Reed

宗教放送で知られたPat Robertsonは1988年に共和党大統領候補指名争いへ参加し、その後の支持者ネットワークがChristian Coalition形成の基礎となりました。

Ralph Reedは1990年代前半に団体の実務を担い、全国選挙だけでなく州・地方の共和党組織へ宗教保守層が継続的に参加する戦略を進めました。

歴史研究では、この時期の宗教右派が大規模集会だけでなく、有権者名簿、教会周辺の配布物、地方選挙など日常的な組織活動を重視したことが指摘されています。

教会と政治参加

1996年のPew Research Center調査では、宗教が政治的意見形成へ大きな影響を持つことが確認されました。

教会へ通う回答者の60%が聖職者から中絶について聞いたと答え、白人福音派では中絶だけでなく学校での祈りや同性関係をめぐる法律についても説教で取り上げられる割合が高くなっていました。

ただし宗教施設での政治的話題は宗教保守だけに限られません。黒人教会では医療改革、貧困、人種問題なども頻繁に扱われ、政治参加の方向性は宗教集団によって異なっていました。

キリスト教は一枚岩ではない

アメリカのキリスト教には、福音派、主流派プロテスタント、黒人プロテスタント、カトリック、正教会など異なる伝統があります。同じ宗派名の内部でも信仰の実践度、聖書理解、地域、世代によって政治意識は異なります。

中絶や同性関係の問題で宗教保守が目立つため、『キリスト教=共和党保守』と見えやすいのですが、1990年代の調査でもその図式は成り立ちません。

とくにカトリックと黒人キリスト教徒では、教会の教説や社会道徳では保守的な要素を持ちながら、経済政策、福祉、公民権、政党支持では異なる傾向を示すことがありました。

白人福音派プロテスタント

1996年Pew調査では、白人福音派プロテスタントは中絶、同性婚、学校での祈りなどで他の主要な白人キリスト教集団より保守的な傾向を示しました。

同調査では白人福音派が登録有権者の24%を占め、1987年の19%から増えていました。共和党支持層の中でもその比率が高まっていました。

このため1990年代は、白人福音派が『個人の信仰集団』であるだけでなく、政党政治に継続的に参加する有権者集団として可視化された時期でした。

カトリック教会と信徒の違い

カトリック教会の公式教説は中絶に明確に反対しています。アメリカのカトリック司教団は1998年の《Living the Gospel of Life》で、中絶を人間の生命と尊厳への重大な脅威として位置づけ、政治・社会で生命保護を求めました。

しかし信徒の政治意識は教会教説と完全には一致しません。1996年Pew調査では、自らを『progressive』とする白人カトリックと『traditionalist』とする白人カトリックの間で、中絶や同性婚をめぐる意見に大きな差がありました。

したがって『カトリック教会は中絶反対』という制度的事実と、『カトリック信徒が全員同じ政策を支持する』という主張は区別する必要があります。

主流派プロテスタント

Methodist、Presbyterian、Episcopal、Lutheranなどの主流派プロテスタントには、福音派より中絶の合法性を広く認める人々が多くいました。

1996年Pew調査では主流派プロテスタントの多くが中絶を一定範囲で合法とする立場を取り、同性婚については当時反対が多数だったものの、白人福音派ほど強い反対ではありませんでした。

つまり同じプロテスタントでも、聖書の解釈、教会制度、社会倫理の伝統によって政治的結論は大きく異なりました。

黒人教会の複合的な政治

黒人教会は公民権運動以来、投票参加、人種的平等、貧困、医療、教育をめぐる政治参加の重要な拠点でした。

1996年Pew調査では、黒人キリスト教徒は政府による困窮者支援や医療改革に比較的積極的である一方、同性婚には慎重で、中絶についても白人主流派プロテスタントより保守的な傾向が確認されています。

そのため『宗教的に保守なら共和党』『経済政策で政府支援を重視するなら宗教的にリベラル』という単純な分類では黒人教会の政治を説明できません。

宗派だけでなく信仰の強さも重要

宗教政治を理解する際には所属宗派だけでなく、礼拝参加頻度や宗教が生活でどれほど重要かも大きな意味を持ちます。

1996年Pew調査では、同じ白人福音派でも宗教的関与が強い人ほど中絶や同性婚へ保守的な立場を取る傾向が強くなっていました。

後の調査でも、福音派、カトリック、主流派、黒人教会など複数のキリスト教伝統で、礼拝参加頻度が高い人ほど中絶の制限を支持しやすい傾向が確認されています。

1994年犯罪対策法

1994年9月、Violent Crime Control and Law Enforcement Actが成立しました。

同法は警察官増員への連邦支援、刑務所建設、暴力犯罪、銃規制、女性に対する暴力への対策、青少年犯罪予防などを含む大規模な法案でした。

1990年代前半の高い犯罪率への対応として成立しましたが、後には大量収監との関係や刑事政策の長期的影響が批判的に検討されることになります。

政府の役割をめぐる対立

1994年以後の政治対立の中心には、連邦政府がどこまで福祉、医療、犯罪対策、規制へ関与すべきかという問題がありました。

共和党議会は政府規模と歳出の縮小を重視し、Clinton政権も従来型の大規模福祉国家をそのまま維持する立場ではなく、就労重視や財政規律を取り入れました。

その結果、この時期の政策は単純な『大きな政府対小さな政府』ではなく、政府支援をどの条件で、どの主体を通じて行うかをめぐる再設計になりました。

1995–1996年政府機関閉鎖

1995年末から1996年初頭、Clinton政権と共和党議会は予算削減と均衡財政への道筋をめぐって合意できず、連邦政府機関の一部が二度にわたって閉鎖されました。

下院史料は、104th Congressでの予算対立が二度のgovernment shutdownへつながったと記録しています。

この対立は、1994年選挙で生まれた共和党多数派が大統領とどこまで政策転換を実現できるかを試す最初の大きな局面でした。

1996年福祉改革

1996年8月22日、ClintonはPersonal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Actへ署名しました。

法律は従来のAid to Families with Dependent Children、AFDCを廃止し、Temporary Assistance for Needy Families、TANFへ置き換えました。

現金扶助を連邦の個人資格制度として扱う仕組みから、州へ包括補助金を与え、就労と給付期間の条件を強める制度へ大きく転換しました。

AFDCからTANFへ

AFDCでは連邦法の資格要件を満たす家庭が給付を受ける仕組みでしたが、TANFでは州が連邦から一定額の資金を受け、制度設計へより大きな裁量を持つようになりました。

州ごとに就労支援、制裁、給付水準、家族政策の違いが広がることになります。

福祉改革は連邦政府の責任をなくしたわけではなく、資金提供の形と州・個人への条件設定を変えた制度改革でした。

就労要件と給付期間

1996年法は成人受給者の就労参加を強く求め、連邦資金による現金扶助には原則として生涯60か月の上限を設けました。

Clintonは署名時に、制度を『work, responsibility, and family』を重視するものへ変えると説明しました。

支持者は長期依存を減らし就労へ移す改革と評価し、批判者は低賃金労働、育児、景気後退時の安全網、子どもの貧困を十分に支えられるかを問題にしました。

宗教は福祉政策では一方向に働かない

中絶や同性婚では宗教的関与の強さと保守的立場の結びつきが目立ちますが、福祉政策では同じ関係がそのまま当てはまりません。

1996年Pew調査では、福祉への意見を宗教的信念から形成していると答えた人は、他の理由を挙げた人より困窮者への政府支援を増やすことに積極的でした。

キリスト教には個人責任を重視する伝統と、貧困者への扶助、社会正義、共同体責任を重視する伝統がともに存在します。そのため宗教が政治へ与える影響は争点ごとに方向が異なります。

中絶 — なぜ宗教争点になったのか

中絶がキリスト教と強く結びつく最大の理由は、妊娠中の胎児をどの段階から道徳的・宗教的に保護される生命とみなすかという問いが、生命観と深く関係するためです。

カトリック教会や多くの福音派では、人間の生命は受精の初期段階から神によって与えられた価値を持つという理解が強く、中絶を単なる医療選択ではなく生命倫理の問題として捉えます。

一方、中絶の合法性を支持するキリスト教徒は、女性の良心、健康、家族状況、国家による強制の限界を重視し、すべての道徳判断を刑法で禁止すべきではないと考える場合があります。

1992年Casey判決が残した枠組み

1990年代の中絶法制は1992年のPlanned Parenthood v. Casey判決を前提に進みました。

最高裁はRoe v. Wadeが認めた妊娠中絶を選択する中心的権利を維持しつつ、Roeの厳格な三期区分を退けました。

胎児が子宮外で生存可能になる前でも州は女性の選択へ『undue burden』、すなわち実質的な障害を置かない範囲で中絶を規制できるという基準を採用しました。

『生命の神聖さ』というキリスト教的論理

中絶反対運動で繰り返し使われた宗教的言葉の一つが『sanctity of life』、生命の神聖さです。

この考えでは生命は国家や親が価値を与える以前に神から与えられたものであり、胎児も人間の尊厳の対象とされます。

ただし『生命の神聖さ』から導く政治政策はキリスト教徒の間でも同じではありません。死刑、戦争、貧困、医療を同じ生命倫理の中に置く立場もあり、中絶だけを最優先する立場と幅があります。

カトリック教会の中絶反対

アメリカのカトリック司教団は長期にわたり中絶へ反対してきました。

1998年の《Living the Gospel of Life》では、中絶と安楽死を人間の生命と尊厳への重大な脅威として位置づけ、公職者を含むカトリック信徒へ生命保護を政治・社会の中で実践するよう求めました。

しかし同じカトリック社会教説は、貧困、移民、死刑、戦争、社会保障などにも強い関心を持っており、カトリック政治を中絶だけに還元することはできません。

福音派・南部バプテストの中絶反対

福音派の中でも大きな宗派であるSouthern Baptist Conventionは1990年代に中絶反対を明確に打ち出しました。

1996年大会では、妊娠後期の特定の中絶手技を禁止する連邦法案を支持し、Clintonの拒否権を批判する決議を採択しました。

同年には同性婚の法制化へ反対する決議も採択しており、中絶と同性婚をともに聖書的な生命観・家族観の問題として位置づけていました。

中絶合法性を支持するキリスト教徒もいる

一方、1996年Pew調査では主流派プロテスタントの多数と、自らをprogressiveとする白人カトリックの多数が、中絶を一般的に利用可能または比較的少ない制限のもとで利用可能とする立場でした。

その人々が必ずしも中絶を道徳的に肯定していたという意味ではありません。個人の道徳判断と、国家が一律に刑罰や禁止を課すかどうかを分けて考える立場もあります。

したがって『中絶反対=キリスト教、中絶合法化支持=非宗教』という対立図式は、1990年代の実際の世論を正確には表していません。

中絶クリニックをめぐる衝突

1990年代前半には中絶を行う医療施設の前で大規模な抗議、封鎖、患者への接近が行われ、暴力事件も発生しました。

多くの中絶反対運動は合法的なデモ、祈り、選挙活動として行われましたが、一部では医師や職員への脅迫、放火、殺人に至る事件も起きました。

宗教的反対運動と違法な暴力行為を同一視するべきではありませんが、医療施設への安全なアクセスが連邦法の問題になるほど対立が深刻化しました。

1994年FACE法

1994年5月、Freedom of Access to Clinic Entrances Act、FACE法が成立しました。

同法はforce、threat of force、physical obstructionによってreproductive health servicesを受ける人や提供する人を故意に妨害する行為へ、連邦刑事罰と民事上の救済を設けました。

同法は同時に、宗教施設で信教の自由を行使する人へのforceやthreatによる妨害も対象としています。中絶問題に対応しながら、表現・宗教活動そのものを禁止するのではなく、暴力・脅迫・物理的妨害を規制する構造でした。

妊娠後期の中絶をめぐる議会対立

1990年代半ばには、反対派が『partial-birth abortion』と呼んだ特定の中絶手技を禁止する法案が連邦議会で大きな争点となりました。

支持者は胎児生命の保護と手技の残酷さを理由に禁止を求め、反対側は法律の定義が広すぎることや、女性の健康を守る例外が不十分であることを問題にしました。

この争点は医学的手技の定義、胎児生命、女性の健康、連邦政府の規制権限を一つの法案に集中させました。

Clintonの拒否権

Clintonは1996年にこの禁止法案へ拒否権を行使し、1997年の類似法案にも拒否権方針を示しました。

政権側は、女性の生命だけでなく深刻な健康被害を避けるための例外が必要だと主張しました。

Southern Baptist Conventionやカトリック教会などはこの拒否権を強く批判し、同じ政策争点が大統領、議会、宗教団体を直接結ぶ形になりました。

2000年Stenberg v. Carhart

2000年、最高裁はStenberg v. CarhartでNebraska州のいわゆるpartial-birth abortion禁止法を違憲と判断しました。

裁判所は、法律の定義が広く一般的な中絶手技にも及ぶ可能性があり、女性の健康を守る例外を欠いていることなどから、Casey判決のundue burden基準に反するとしました。

この判決によって1990年代の議会対立は終わらず、中絶手技の規制は2000年代にも続く政治・司法争点となります。

中絶をめぐる宗教差をどう読むか

1996年Pew調査では、白人福音派の約3分の2が中絶を禁止または強く制限する立場で、宗教的関与が強い福音派ではその割合がさらに高くなっていました。

同じ調査で主流派プロテスタントとprogressive Catholicsはより中絶合法性を支持する傾向がありました。

つまり中絶は『宗教対非宗教』というより、どの宗教伝統に属し、どのような信仰理解を持ち、どの程度宗教生活へ参加しているかによって意見が分かれる争点でした。

LGBTQ — なぜ宗教と結びついたのか

LGBTQをめぐる問題がキリスト教と強く結びついたのは、同性関係を個人の性的指向や差別禁止の問題として見る立場と、結婚・性・家族を宗教的道徳規範の問題として見る立場が衝突したためです。

保守的なキリスト教では、結婚を男性と女性の結合として聖書的・神学的に理解し、同性の性的関係を認めない教会が多くありました。

一方、LGBTQを受け入れる教会や聖職者は、聖書の歴史的解釈、人間の尊厳、隣人愛、差別の禁止を重視し、同性関係をめぐる伝統的理解を再検討していきました。

家族と結婚の定義

1990年代の同性婚論争は、単に性的行為をどう評価するかではなく、『国家が結婚を何として定義するか』という制度問題でした。

宗教保守は、異性婚が子育てと社会秩序の基本単位であり、国家がその定義を維持すべきだと主張しました。

LGBTQ rights advocatesは、civil marriageは宗教儀礼とは異なる国家の法制度であり、同性coupleを排除することは法的平等や家族保護の問題だと主張しました。

聖書解釈と同性関係

同性関係へ反対する福音派や保守的プロテスタントは、旧約・新約の複数箇所を男女間の結婚と同性間の性的関係を区別する根拠として用いました。

一方、受容的なキリスト教徒は、それらの聖書箇所が現代の相互的で継続的な同性coupleを直接扱ったものではないと解釈したり、聖書全体の中心を愛、正義、排除からの解放に置いたりしました。

したがって対立は『聖書を信じる人と信じない人』ではなく、聖書をどう読み、古代の文脈を現代の法律へどこまで直接適用するかという神学的対立でもありました。

キリスト教徒すべてが同じ立場ではない

1996年時点では同性婚への反対がアメリカ社会全体で多数でしたが、その強さは宗教集団によって異なりました。

Pew調査では白人福音派の反対が特に強く、traditional Catholicsも強く反対していました。一方、progressive Catholicsでは支持がより広く、無宗教層では賛否がほぼ拮抗していました。

主流派プロテスタントや一部の教会では、同性関係を受容する神学的議論がすでに始まっており、後の宗派分裂や教会方針変更へつながります。

Colorado Amendment 2

1992年、Colorado州の有権者は州憲法Amendment 2を可決しました。

この修正条項は、州や地方自治体がsexual orientationにもとづく差別を禁止する法律・条例・政策を作ることを広く禁止する内容でした。

Denver、Boulderなどが採用していた差別禁止措置を取り消し、将来の同種保護も制限するため、LGBTQ rightsをめぐる全国的な司法争点になりました。

1996年Romer v. Evans

1996年5月、最高裁はRomer v. EvansでColorado Amendment 2を違憲と判断しました。

多数意見は、同修正がgay and lesbian peopleを広範に一つの集団として法的保護から外し、Fourteenth AmendmentのEqual Protection Clauseに反するとしました。

この判決は同性婚を認めたものではありませんが、sexual orientationを理由に一群の市民を通常の法的保護から排除する州制度へ重要な憲法上の限界を示しました。

同性婚をめぐる争点の拡大

1990年代半ば、Hawaiiでの訴訟などをきっかけに、一つの州が同性婚を認めた場合に他州がそれを承認しなければならないのかという議論が連邦議会で強まりました。

当時、同性婚は全国で一般的に認められていた制度ではなく、将来の州裁判所判断を見越した予防的な立法論争として連邦政治へ入りました。

この問題は宗教的な結婚観と、州間の法的承認、連邦給付、税制などの世俗的な制度を同時に扱う必要がありました。

1996年DOMA

1996年9月21日、Defense of Marriage Act、DOMAが成立しました。

同法は一つの州が同性の二人を結婚として扱っても、他州にその婚姻を承認する義務を課さないとし、連邦法上の『marriage』を一人の男性と一人の女性の法的結合、『spouse』を異性の配偶者として定義しました。

この連邦定義は税、社会保障、移民、各種給付など多数の連邦制度に影響する仕組みでした。

Clinton政権の立場

ClintonはDOMAへ署名しました。

署名声明では、自分はgovernmental recognition of same-gender marriageに反対してきたと述べる一方、gay and lesbian Americansへの差別にも反対するとし、雇用差別禁止法案の成立を求めました。

この立場は1990年代の民主党政権がLGBTQの差別禁止を一定範囲で支持しながら、同性婚の法的承認にはまだ踏み込んでいなかったことを示します。

雇用差別禁止法案は1票差で否決

DOMAを上院が可決した翌日程の1996年9月10日、Employment Non-Discrimination Act、ENDAも上院で採決されました。

この法案はsexual orientationを理由とする雇用差別を禁止する内容でしたが、賛成49、反対50、欠席1で否決されました。

同じ議会で同性婚を連邦法上認めない法律が大差で可決される一方、雇用差別禁止法案は1票差だったことは、当時のLGBTQ政策が争点ごとに異なる支持構造を持っていたことを示します。

1996年世論調査に見る宗教との関係

1996年Pew調査では、同性婚へ反対する回答者の半数以上が、自分の宗教的信念がその意見へ最も大きな影響を与えていると答えました。

白人福音派では同性婚反対が特に強く、宗教的関与が高い人ほど反対が強まりました。

同時に、カトリック内部やプロテスタント内部にも差があり、『キリスト教徒』という一つのカテゴリーだけでは政策態度を十分に説明できませんでした。

宗教の自由と平等権

LGBTQをめぐる対立では、二つの権利概念がしばしば衝突しました。

一方ではsexual orientationにもとづく差別を受けず、同じ市民的制度へ参加する権利が主張されました。他方では、教会や宗教者が自らの信仰に反する結婚観や性倫理を国家から強制されない権利が主張されました。

1990年代にはこの対立はまだ現在ほど法制度化されていませんでしたが、後の同性婚、宗教団体、学校、企業をめぐる訴訟の基本構図がすでに形成されていました。

『文化をめぐる対立』とは何だったのか

1990年代によく使われたculture warsという表現は、芸術や娯楽の好みだけではなく、家族、性、宗教、学校、生命倫理、銃、国家の役割など『どの価値観を公共制度が支えるのか』をめぐる対立を指しました。

中絶では胎児生命と女性の自由、LGBTQでは伝統的結婚観と平等権、福祉では個人責任と社会的扶助が対立軸になりました。

ただし実際の市民の意見は二陣営へ完全には分かれません。中絶には慎重だが福祉拡大を支持する人、同性婚には反対だが雇用差別禁止を支持する人など、多くの組み合わせが存在しました。

1998–1999年大統領弾劾

1998年12月19日、下院はPresident Bill Clintonを偽証と司法妨害の二条項で弾劾しました。

問題はMonica Lewinskyとの関係そのものを処罰することではなく、Clintonが宣誓下の証言や司法手続で虚偽の説明をしたか、司法を妨害したかという憲法上・刑事手続上の責任でした。

1999年1月に上院trialが始まり、2月12日の採決で二条項とも有罪に必要な3分の2へ届かず、Clintonは無罪となりました。

公職者の私生活と道徳

弾劾をめぐる議論では、法的責任と同時に大統領の個人的道徳性が強く論じられました。

宗教保守の一部はClintonの行動を家族価値や公職者の品位に反するものとして強く批判しました。一方、反対側には私生活上の不道徳と大統領職からの罷免に値する憲法上の犯罪は区別すべきだという議論がありました。

このため弾劾は、1990年代の『道徳と政治をどこまで結びつけるか』という対立を象徴する出来事にもなりました。

弾劾を宗教問題だけにしない

ただしClinton弾劾を宗教右派だけが作った事件として説明するのは不正確です。

独立検察官の捜査、宣誓証言、下院司法委員会、政党対立、1998年中間選挙など、制度的・法的過程がありました。

宗教や家族価値の言葉は政治的解釈に影響しましたが、上院の最終判断は憲法が定めるimpeachment trialの手続によって行われました。

2000年時点で残った対立

2000年までに中絶やLGBTQをめぐる争点は解決していませんでした。

最高裁はStenberg判決で中絶規制へ限界を示し、Romer判決ではgay and lesbian peopleを広範に法的保護から排除する州制度を退けました。一方、DOMAは連邦法上の異性婚定義を維持し、同性婚自体は全国的な権利として認められていませんでした。

宗教保守は共和党内で継続的な影響力を持ち、LGBTQ rights groupsと中絶権支持運動も裁判・議会・州政治で組織力を高めました。対立は21世紀へそのまま引き継がれます。

1994–2000年に何が変わったのか

第一に、1994年中間選挙で共和党が上下両院を掌握し、連邦政府の規模、福祉、税制、規制をめぐる政治対立が再編されました。

第二に、Christian Coalitionなどを通じ白人福音派を中心とする宗教保守が共和党政治へ継続的に参加する組織基盤を強めました。

第三に、キリスト教と政治の関係が中絶や同性婚だけでは説明できないことも明確になりました。カトリック、主流派プロテスタント、黒人教会、福音派では社会政策への姿勢が異なり、宗派内部にも大きな差がありました。

第四に、1996年福祉改革によって連邦現金扶助はAFDCからTANFへ移り、就労要件と期間制限を中心とする制度へ大きく変わりました。

第五に、中絶ではCasey判決のundue burden基準のもとで州規制と連邦立法が拡大し、FACE法、妊娠後期の中絶をめぐる法案、Stenberg判決が続きました。

第六に、LGBTQではRomer v. Evansが差別禁止措置を全面的に封じる州憲法規定を退ける一方、DOMAは連邦法上の結婚を異性間へ限定しました。

第七に、1996年上院ではDOMAが大差で可決される一方、性的指向にもとづく雇用差別を禁止するENDAは49対50で否決されました。同じ『LGBTQ問題』でも政策によって社会的合意の範囲が違っていました。

第八に、1998–99年のClinton弾劾は、法的責任と個人的道徳をどこまで結びつけるかという問題を全国政治へ持ち込みました。

1994–2000年のアメリカは、宗教が政治を支配した時代でも、宗教が衰退した時代でもありません。特定の宗教集団が組織的な政治参加を強める一方、同じキリスト教内部で生命、家族、貧困、差別、国家の役割をめぐる異なる解釈が並存し、それらが政党政治と法制度へ新しい形で接続した時代でした。

1994–2000年の主な出来事

  • 1994年5月26日 — Freedom of Access to Clinic Entrances Act(FACE法)成立。
  • 1994年9月13日 — Violent Crime Control and Law Enforcement Act成立。
  • 1994年11月 — 中間選挙で共和党が下院230議席を獲得し、上下両院を40年ぶりに同時掌握。
  • 1995年 — Newt Gingrichが下院議長へ。Contract with Americaを軸に共和党議会が政策転換を進める。
  • 1995年11月 — 予算対立による最初の政府機関閉鎖。
  • 1995年12月–1996年1月 — 二度目の政府機関閉鎖。
  • 1996年4月10日 — Clintonが妊娠後期の特定中絶手技を禁じる法案へ拒否権。
  • 1996年5月20日 — 最高裁がRomer v. EvansでColorado Amendment 2を違憲と判断。
  • 1996年8月22日 — Personal Responsibility and Work Opportunity Reconciliation Act成立。AFDCからTANFへ。
  • 1996年9月10日 — 上院がDOMAを85対14で可決。同日ENDAは49対50で否決。
  • 1996年9月21日 — Defense of Marriage Act(DOMA)成立。
  • 1996年 — Pew調査で宗教、とくに白人福音派の中絶・同性婚への強い影響が確認される。
  • 1997年 — 妊娠後期の特定中絶手技をめぐる連邦法案が再び大きな政治争点となる。
  • 1998年 — 米カトリック司教団が《Living the Gospel of Life》を発表。
  • 1998年12月19日 — 下院がBill Clintonを偽証・司法妨害の二条項で弾劾。
  • 1999年1月14日 — 上院でClinton弾劾trial開始。
  • 1999年2月12日 — 上院が両条項でClintonを無罪と判断。
  • 2000年6月28日 — 最高裁がStenberg v. CarhartでNebraska州の中絶禁止法を違憲と判断。

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1990年代末までにアメリカでは、経済のデジタル化、宗教と文化をめぐる政治対立、連邦政府と州の役割をめぐる争いが並行して進んでいました。その直後、2001年9月11日の同時多発テロによって、政治の中心には安全保障、監視、移民、軍事介入という新しい問題が加わります。

次の記事は、2001–2008|アメリカ|9月11日と安全保障国家 — 同時多発テロ、愛国者法、国土安全保障省、Afghanistan、Iraqとして、国内制度の変化と対外戦争を分けながら扱います。

参考資料・出典

本ページはU.S. House of Representatives History, Art & Archives、U.S. Senate、U.S. Supreme Court、U.S. Department of Justice、GovInfo、Clinton Presidential Materials、Pew Research Center、United States Conference of Catholic Bishops、Southern Baptist Convention、Oxford Academicなどの一次資料・研究資料を中心に参照し、ART LIBRARYが独自に構成・執筆しています。中絶とLGBTQを『キリスト教対非宗教』へ単純化せず、白人福音派、カトリック、主流派プロテスタント、黒人教会の違いと、それぞれの内部差を明記しています。政治的評価は特定の立場を支持するものではなく、制度・世論・宗教組織の関係を歴史的に整理しています。

資料確認日:2026年10月2日 / ART LIBRARY