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Philosophy

1921

言葉で説明できないことは存在しないのか

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

1921年、第一次世界大戦を終えたヨーロッパは、国境も政治体制も大きく変わった社会に向き合っていました。オーストリア=ハンガリー帝国は1918年に崩壊し、かつて帝国の中心だったウィーンは、新しい共和国の首都となっています。食料や住まいをめぐる困難が残る都市では、芸術家、科学者、思想家が、戦争前から続く価値観を問い直していました。ドイツ語圏の大学では、数学の証明や科学の説明を成り立たせる論理の研究も発展していました。

この時代、ある文章が何を意味し、何を正しく述べられるのかという問題は、哲学の中心的な課題になりつつありました。数式の証明では記号を厳密に使う必要があり、物理学では観察された出来事を確かめられる形で記述します。日常会話では、同じ言葉が場面によって異なる意味を持つこともあります。言葉と世界の関係を明らかにできれば、哲学で繰り返されてきた難問を整理できるのではないか。そう考えた若い哲学者がいました。

オーストリア生まれのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889–1951)です。彼は工学を学んだ後、英国ケンブリッジで論理学を研究し、第一次世界大戦ではオーストリア=ハンガリー軍に従軍しました。その経験の中でまとめた思索が、1921年にドイツ語で初めて公刊され、翌1922年には『論理哲学論考』という題で独英対訳版になります。短い番号付きの文章が連なるこの本は、「世界」「事実」「思考」「言葉」の関係を順番に考え、最後に「語りえないこと」へ到達します。

「言葉で説明できないことは存在しないのか」という問いは、この著作を読むうえで大切な入口です。たとえば、雨が降っているかは窓の外を確かめられます。人生の意味や、ある音楽がもたらす深い経験については、同じ方法で答えを調べられるでしょうか。ウィトゲンシュタインは、言葉で事実を述べる仕組みを厳しく考えたうえで、その仕組みの限界に目を向けました。何を語れるのか、語ることと示されることはどう違うのかを、著作に記された命題に沿って読み解きます。

CONTENTS

  1. 第一次世界大戦後のヨーロッパで何が変わったか
  2. ウィーンとケンブリッジにどんな知的な背景があったか
  3. フレーゲとラッセルは何を問い直したか
  4. ウィトゲンシュタインはどのように哲学へ進んだか
  5. 第一次世界大戦は執筆にどう関わったか
  6. 1921年の刊行にはどんな経緯があったか
  7. 七つの命題で何を説明しようとしたのか
  8. 「世界は事実の総体」とはどういう意味か
  9. 事実と事態はどう違うのか
  10. 現実に起こっていないことも考えられるのか
  11. 命題2の「像」はどんな働きをするのか
  12. 像と現実は何を共有しているのか
  13. 思考と言葉は世界とどうつながるのか
  14. 意味のある文はどのように真偽を持つのか
  15. 一つの言葉は単独で意味を持つのか
  16. 自然科学の文章は何を説明できるのか
  17. 複雑な文章はどこまで分析できるのか
  18. 命題5の「真理関数」は何を意味するのか
  19. 論理的に必ず正しい文章は何を述べるか
  20. 論理そのものを文章で説明できるのか
  21. 「語ること」と「示すこと」はどう違うのか
  22. 「語りえないもの」は何を意味するのか
  23. 「私の言語の限界は私の世界の限界」とはどういうことか
  24. 「私」と世界の関係はどう考えられたか
  25. 倫理の善悪を事実として記述できるのか
  26. 美しさを言葉で説明すると何が残るのか
  27. 人生の意味は科学によって答えられるのか
  28. 神秘的なものは何を指しているのか
  29. 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」の意味
  30. なぜ最後に「梯子を捨てる」と書いたのか
  31. 哲学は何をする仕事だと考えたのか
  32. 1920年代のウィーン学団はどう読んだか
  33. 後期ウィトゲンシュタインは何を問い直したか
  34. 言葉で説明できないことは存在しないのか
  35. 略年表|『論理哲学論考』の成立と受容
  36. まとめ|言葉で説明できないことは存在しないのか
  37. 参考資料・出典

第一次世界大戦後のヨーロッパで何が変わったか

帝国の崩壊とウィーンの新しい生活

1918年に第一次世界大戦が終わると、オーストリア=ハンガリー帝国は解体されました。多民族国家の中心として栄えたウィーンは、新しいオーストリア共和国の首都となり、経済や社会の仕組みを組み立て直すことになります。

戦争が残した経験は、政治にとどまらず、人間が何を確かだと信じるかにも影響しました。この時代の思想を理解するには、秩序が変わる社会で、知識や判断の根拠が問い直されていたことを知る必要があります。(参照:マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯)

科学と数学が求めた厳密な説明

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、数学者たちは証明を支える基本的な規則を研究しました。数学の文章は何を述べ、証明はどのような手順で成り立つのか。記号を用いて考える論理学が、哲学とも深く関わるようになりました。

ウィトゲンシュタインが考えた言語の問題は、この研究の流れと結びついています。世界について正しい説明を行う際に、文章の形や記号の働きがどこまで重要なのかが問われました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ゴットロープ・フレーゲ/スタンフォード哲学百科事典|『プリンキピア・マテマティカ』)

言葉の意味が哲学の問題になる

私たちは「机の上に本がある」という文章を聞くと、ある状況を思い浮かべます。その文章が正しいかを確かめるには、机と本の位置を見ればよいでしょう。言葉には、世界のあり方を記述する働きがあります。

「時間は本当に存在するか」「善とは何か」といった哲学の問いにも、同じ働きがあるのでしょうか。『論理哲学論考』は、こうした問いをいったん言語の構造から調べ直そうとする著作でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文)

ウィーンとケンブリッジにどんな知的な背景があったか

芸術と科学が交わるウィーン

世紀転換期のウィーンでは、音楽、建築、絵画、文学と自然科学が活発に発展しました。ウィトゲンシュタインは、工業事業で財を築いた家庭で育ち、音楽を身近に感じる環境で生活しています。

後に彼が美や倫理について記す短い命題を読む際には、論理学だけを学んできた人物という理解から少し視野を広げる必要があります。芸術と精神生活への関心も、その人生に深く関わっていました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|人物と作品/インターネット哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯と思想)

英国の大学で盛んになった論理学

英国ケンブリッジ大学では、哲学者や数学者が論理の基礎を研究していました。数学を明確な原則によって支える試みは、世界を表す文章がどのような構造を持つのかという疑問へつながります。

ウィトゲンシュタインはこの環境に入り、バートランド・ラッセルと議論を重ねました。大陸ヨーロッパと英国の研究が行き交う場で、彼の思索は形を得ていきます。(参照:マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|『プリンキピア・マテマティカ』)

数学の正確さを日常の言葉へ応用できるか

数学では、同じ記号を同じ意味で使うことが証明を理解する助けになります。日常の言葉は柔軟で、同じ語が場面ごとに異なる働きを持つこともあります。そのため、文章の表面だけから論理の形を読み取るのは簡単ではありません。

『論理哲学論考』は、文章の外見の奥に、世界を表すための論理的な構造があると考えます。言語を調べることが、世界について語れる範囲を明らかにする研究になるという発想です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文)

フレーゲとラッセルは何を問い直したか

フレーゲが開いた新しい記号論理

ドイツの論理学者・数学者ゴットロープ・フレーゲ(1848–1925)は、1879年の『概念記法』で、文の論理的な関係を記号によって表す方法を提案しました。主語と述語を並べる伝統的な文法よりも複雑な推論を表現できる仕組みです。

言葉の意味を考えるとき、文の文法と論理の形を区別する必要があるという発想が、後の研究に大きな影響を与えました。ウィトゲンシュタインも、その問題を引き継いでいます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ゴットロープ・フレーゲ/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

ラッセルが数学の基礎を探る

英国の哲学者バートランド・ラッセル(1872–1970)は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861–1947)とともに、1910年から『プリンキピア・マテマティカ』を刊行し、数学を論理から組み立てる研究に取り組みました。

この研究には、どんな記号の組み合わせが正しい推論になるかを明確にする目的がありました。ウィトゲンシュタインは、ラッセルの研究の先にある問題へ入り込み、論理と言語の関係を根本から考えようとします。(参照:スタンフォード哲学百科事典|『プリンキピア・マテマティカ』/マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン)

二人の研究とウィトゲンシュタインの問い

フレーゲとラッセルは、数学と論理を結びつけることで、推論の根拠を明らかにしようとしました。ウィトゲンシュタインは、さらに「そもそも文が世界を表せるのはなぜか」という問いを追いかけます。

文が正しいか間違っているかを判断する以前に、文が何らかの状況を表していることが必要です。その表現の条件を探るところから、『論理哲学論考』の中心問題が生まれました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|ゴットロープ・フレーゲ/スタンフォード哲学百科事典|『プリンキピア・マテマティカ』)

ウィトゲンシュタインはどのように哲学へ進んだか

工学を学んだ青年

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年、ウィーンに生まれました。若いころは技術や機械に関心を持ち、ベルリンで工学を学んだ後、1908年に英国マンチェスターで航空工学の研究を始めます。

機械の構造を考える仕事は、数学による説明を必要とします。彼は研究を進める中で数学の基礎そのものに関心を移し、哲学と論理学へ向かいました。(参照:マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯)

1911年にケンブリッジへ向かう

ウィトゲンシュタインはフレーゲの助言も受けて、1911年にケンブリッジへ行き、ラッセルと出会いました。間もなく哲学の研究に取り組むようになり、推論と言語について議論を重ねます。

大学の研究室で扱われていた問題は、後に『論理哲学論考』の中心となります。世界について何かを言うには、文章の論理がどのような働きをするのかを明らかにする必要があると考えたのです。(参照:マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

ノルウェーでの思索と戦争前の研究

ケンブリッジでの研究の後、ウィトゲンシュタインはノルウェーの静かな土地でも思索を進めました。1914年の戦争が始まる前から、論理学上の問題を短い文章に書き留める方法を用いています。

『論理哲学論考』は、突然ひらめいた一つの答えを記した本ではありません。フレーゲやラッセルとの対話と、長い期間の思考の積み重ねを背景に成立しました。(参照:ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館|遺稿の電子版/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

第一次世界大戦は執筆にどう関わったか

オーストリア=ハンガリー軍への従軍

1914年に戦争が始まると、ウィトゲンシュタインはオーストリア=ハンガリー軍に志願しました。軍務に就きながらノートを携え、論理や世界についての考えを書き続けます。

戦争での生活は、死や不安、人生の意味について考える経験にもなりました。論理学の研究と、倫理や生き方への関心が同じ時期のノートに記されていることは、著作の理解に欠かせません。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯/ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館|遺稿の電子版)

1914年から1916年のノート

ウィトゲンシュタインの遺稿には、第一次世界大戦中の思索を記したノートが残されています。後に『論理哲学論考』で発表される命題の多くは、こうした草稿を通じて形を整えていきました。

ベルゲン大学の文書館では、草稿やタイプ原稿の資料が整理されています。刊行された短い命題の背景に、書き直しと検討を重ねた長い制作過程があったことがわかります。(参照:ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館|遺稿の電子版/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

1918年の原稿完成から公刊まで

『論理哲学論考』の原稿は1918年にまとまりました。同じ年、戦争末期のウィトゲンシュタインはイタリア軍の捕虜となり、戦後に帰国します。完成した考えを出版するまでには、原稿の取り扱いや出版社との交渉をめぐる困難もありました。

彼の研究は、戦争中に書き上げられ、戦後のヨーロッパで読まれることになります。書かれた時期と刊行された時期を区別しておくと、その思想が広まった道筋を理解できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯)

1921年の刊行にはどんな経緯があったか

最初のドイツ語版

1921年、ウィトゲンシュタインの著作は『論理哲学論考』に相当するドイツ語の表題『論理哲学論文』で、ヴィルヘルム・オストヴァルトが編集する雑誌『自然哲学年報』に掲載されました。

著者はその版の校訂に満足していませんでした。書き上げられた原稿が初めて広く読める形になったのは、この雑誌掲載によってです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

1922年の独英対訳版

翌1922年には、ドイツ語と英語を見開きに置いた書籍版が英国で刊行されました。現在広く知られるラテン語風の題名『Tractatus Logico-Philosophicus』は、この版に使われています。

英訳の成立にはC・K・オグデン(1889–1957)や若い研究者フランク・ラムゼイ(1903–1930)が関わり、ラッセルが序文を寄せました。著作はこうして英語圏の哲学者たちにも届きます。(参照:マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料/プロジェクト・グーテンベルク|『論理哲学論考』1922年版/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

本文と解説を分けて読む

1922年版にはラッセルの序文が付いており、当時の読者が難解な本文を理解する助けになりました。序文はラッセルによる紹介であり、ウィトゲンシュタインの言葉そのものとは区別して読む必要があります。

この著作は後年、いくつもの解釈を生みました。本文の命題番号に沿って確かめることが、著者の主張と研究者の説明を整理する方法になります。(参照:マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

七つの命題で何を説明しようとしたのか

1から7までを骨格とする構成

『論理哲学論考』は、1から7までの七つの基本命題と、それに付く小数番号の命題から構成されます。1.1や2.01といった番号は、前の命題を詳しく説明する関係を示しています。

最初に世界がどのようなものかを考え、そこから像、思考、命題、論理へ進み、最後に言語の限界を問う構造です。番号の仕組みそのものが、議論の関係を読み取る手がかりになります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

見た目の短さと内容の密度

一つの命題が一行程度で終わる箇所もあります。短い文の背後には、世界についての考えや論理学の問題が重ねられています。文章を一つずつ単独で読むと、前後の関係が見えにくくなります。

たとえば最終命題の「沈黙」は、前半で説明された言語の働きから導かれます。はじめの命題へ戻りながら読むことで、終わりの言葉が持つ意味が変わってきます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

世界・思考・言葉をつなぐ道筋

世界には事実があり、私たちはその事実のあり方を考え、文章によって表そうとします。文が何かを伝えるためには、世界の可能な状況と対応できる構造が必要だというのが、著作前半の基本的な発想です。

この道筋をたどると、言語をめぐる議論が単なる文章の書き方の話ではないことがわかります。何を考えられるか、何を世界の出来事として述べられるかにまで及ぶ哲学です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「世界は事実の総体」とはどういう意味か

命題1が述べる世界

著作は命題1で、世界を成立している事柄の全体として捉えます。続く1.1では、世界は事実の総体であると説明します。重要なのは、世界を物の名前の一覧として考える場合と、物がどのような関係にあるかから考える場合の違いです。

「本」「机」「窓」を挙げても、いまどんな状況が起きているかはわかりません。「本が机の上にある」と述べると、物の配置について一つの事実を表すことができます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

物の集まりと事実の集まり

ある部屋に椅子と机が置かれているとします。二つの物を移動させずに一覧へ書き出せば、部屋にある物はわかります。けれども、椅子が机の右側か左側かは、その一覧からは決まりません。

世界を記述するには、物と物の関係がどのように成立しているかを表す必要があります。「世界は事実の総体である」という有名な命題は、この考え方を示しています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

世界を記述するという目標

科学の観察記録では、何を見つけたかとともに、いつ、どこで、何が起きたかを書きます。温度が上がったことや物体が移動したことは、事実として記述できます。

『論理哲学論考』は、このように世界について述べることができる文章の条件を探ります。物の存在についての問いが、物同士の関係と、その関係を表す命題の問題へつながっていきます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

事実と事態はどう違うのか

成立していることと成立しうること

「窓が開いている」という文を考えます。実際に窓が開いていれば、文が述べる状況は成立しています。閉じていれば、その文が表す状況は現実には成立していません。

ウィトゲンシュタインは、成立している事実と、成立する可能性のある事態を区別して考えます。何かが起こりうると考えられるからこそ、それが現実に起きたかを確かめられます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

対象が組み合わさって事態を作る

著作では、対象が一定の関係で結びついたものとして事態が考えられます。対象は、この分析において基本的な要素として働きます。日常の椅子や机が、そのまま理論上の単純な対象と一致するとは限りません。

椅子と机の例は関係の仕組みをイメージするためのものです。ウィトゲンシュタインの「対象」が厳密には何を指すかは、解釈の議論も残されています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題2を読むための準備

事実が世界を成り立たせると考えた後、著作は、その世界を私たちがどのように表せるのかを問います。現実の事実と、まだ起きていないが起こりうる事態を区別したことで、文が真にも偽にもなれる理由を説明する道が開かれます。

世界を表す文は、実際の状態について正しいことも、間違っていることもあります。正誤を判断できるのは、現実と照らし合わせられる可能な状況を文が示しているからです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

現実に起こっていないことも考えられるのか

想像できる部屋の別の配置

机の右側に椅子がある部屋を見て、椅子が左側に置かれた姿を想像することはできます。今は成立していない配置も、可能な状況として考えられます。

『論理哲学論考』の「論理空間」という考えは、こうした可能性の範囲を理解する助けになります。ある事実が成り立つとき、それ以外の事態が論理的にどのようにありうるかも考えられます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

正しい予測と間違った予測

天気予報が「明日は雨が降る」と言うとき、その文には、雨が降る場合と降らない場合の両方を考えられる形があります。予報の内容は、明日になってから現実と照らし合わせられます。

ここで注目するのは、当たり外れが生じる文章の仕組みです。事実を述べる文は、真か偽かを問うことのできる内容を持ちます。予報という日常的な例からも、その構造を考えられます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

論理的な可能性と物理的な予測

ある文章が矛盾なく考えられることと、その出来事が自然の法則のもとで実際に起きる見込みとは、別の問題です。論理は何を矛盾なく考えられるかを扱い、科学は実際の世界の規則や条件を調べます。

ウィトゲンシュタインは、言語の論理を明らかにすることで、世界についてのさまざまな記述がどのように可能になるかを考えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題2の「像」はどんな働きをするのか

図面や地図を考える

建物の見取り図には部屋や通路が記されます。実物の建物をすべて持ち運ばなくても、図に示された位置関係から、どこに何があるかを知ることができます。

ウィトゲンシュタインは、私たちが事実について「像」を作ると考えました。ここでいう像は、目に見える絵画や写真に限らず、何かの関係を一定の構造によって表すものです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

おもちゃの車で交通事故を再現する

交通事故の状況を小さな模型の車で再現すると、車体の大きさや素材が実物と同じでなくても、どの車がどこから来たかを示せます。対応する物とその配置が決まっているからです。

模型が示しているのは、現実に起きた出来事の一つの可能な構造です。『論理哲学論考』の「像理論」は、この対応の仕組みを手がかりとして理解できます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

文章も像として働く

「赤い車が青い車の前にある」という文章は、赤と青の実物を目の前に置かなくても、車の位置関係を伝えます。言葉が表すものと、その組み合わせが決まることで、ある状況を示せるからです。

文章が世界の像になるという発想は、言葉が物の形に似ているという意味ではありません。記号の結びつきが、現実の可能な関係を表せることが重要です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

像と現実は何を共有しているのか

見た目の似かよりを超えた関係

地図上の小さな線は、現実の道路の色や幅を忠実に再現していないことがあります。それでも、線のつながりから道を進む方向を知ることができます。

地図と道路が共有するのは、一定の関係を表せる構造です。ウィトゲンシュタインは、像が現実を表すために必要な共通性を「論理形式」という問題として考えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

命題2.18の論理形式

命題2.18では、どのような像も現実を正しく、あるいは誤って表すためには、現実と論理形式を共有する必要があると論じられます。表現の内容より前に、表すことを可能にする枠組みが問われています。

同じ地図を見て道順を理解できるのは、記号の位置関係と現実の道筋が対応できるからです。対応が成り立つ条件が、像理論の重要な部分になります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

記号を読むための取り決め

地図では、青い線が川を、黒い線が鉄道を示すと決められている場合があります。記号の意味を知らなければ、そこに表された場所を十分に読み取れません。

命題2.1514は、像の要素と事物との対応関係を問題にします。言葉の表現を理解するには、その要素が何を指すかという関係も必要になります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

思考と言葉は世界とどうつながるのか

命題3の「思考は論理的な像」

ウィトゲンシュタインは命題3で、思考を事実の論理的な像と考えます。私たちは目の前にない出来事や、これから起きることについても考えることができます。思考が可能な状況の構造を持つためです。

ここでの思考は、頭の中に小さな写真が浮かぶことだけを意味しません。どのような事態が成り立ちうるかを理解する論理的な働きが中心です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

頭の中の考えが文章になる

友人が「電車はすでに駅を出た」と言えば、私たちは駅と電車の状況を考えます。言葉を聞いた瞬間に現場を見ていなくても、伝えられた事態を理解できます。

言語は、このような考えを人と共有する方法です。『論理哲学論考』は、思考と文章が可能な世界のあり方を表す構造を持つと考えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題4の「思考が意味を持つ文になる」

命題4は、思考と文の関係を説明します。私たちが意味のある文を使うとき、記号を並べるだけでなく、ある事態がどう成り立つかを表しています。

この考えは、論理学を人間の思考や会話の条件と結びつけます。文章が何を語れるのかという問題は、何を考えることができるかという問題にも関わります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

意味のある文はどのように真偽を持つのか

「雨が降っている」という文

「今、雨が降っている」という文が述べるのは、ある時点の天候です。その文が正しいかは、外の状況を調べることで確かめられます。雨が降っている場合と、降っていない場合の両方を考えられるからです。

ウィトゲンシュタインの像理論では、文が意味を持つために、現実と比較できる可能な状況を表していることが大切になります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

真であることと意味があること

天気予報が外れたとしても、その予報が何を述べていたかは理解できます。間違った文にも、確かめる対象となる内容があります。

意味のある文と、真である文を区別すると、論理的な表現の仕組みが明確になります。意味を理解したうえで、事実と照らして真偽を判断できるという順序です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

矛盾した形の文には何が起きるか

「窓は開いており、同時に同じ意味で開いていない」という文には、普通の事実を述べる文とは異なる問題があります。同じ条件で肯定と否定を同時に主張すると、矛盾が生じます。

論理を調べることは、文章がどのような場合に真になり、どのような場合に偽になるかを見通す助けになります。その分析が、命題5以降の議論へつながります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

一つの言葉は単独で意味を持つのか

名前が何を指すか

「赤い」「机」「右側」といった言葉を一つずつ聞いても、何が起きているかは定まりません。それらが一定の関係で結びつくと、「赤い机が右側にある」という状況を述べられます。

命題3.3では、名前は命題の文脈の中で意味を持つと述べられます。言葉を単なる見出しの一覧として理解する場合と、意味のある文の中で理解する場合を区別する考えです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

名前と対象の関係

誰かの名前を聞いたとき、私たちはその名前が指す人を思い浮かべます。文の中で名前が使われると、誰が何をしたのかという関係まで理解できます。

『論理哲学論考』の厳密な「名前」は、論理分析で到達する基本的な記号です。日常の人名や物の呼び名は説明の入口として役立ちますが、理論上の単純な名前の例としてそのまま確定できるものではありません。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

文脈によって文の意味を理解する

言葉は文の中で何かについて語る働きを持ちます。記号が何を指し、どのような関係を表すかが決まれば、文の内容を理解できます。

ウィトゲンシュタインは、言葉と対象を一対一で並べるだけで意味を説明する考えを超えて、文全体の論理構造へ注目しました。名前と文脈の関係は、彼の言語観の基本的な部分です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

自然科学の文章は何を説明できるのか

観察と検証のための言葉

物理学で「水は一定の圧力のもとで、この温度で沸騰する」と述べるとき、その文には実験によって確かめる方法があります。観察する条件をそろえ、結果が合うかを調べることができます。

『論理哲学論考』では、自然科学の命題が事実を表す言語の主要な例として扱われます。科学が世界について述べることができるのは、観察可能な事態を記述するからです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題4.11が述べる科学の領域

命題4.11は、真である命題の総体を自然科学の全体に関係づけます。これは、世界にどんな事実が成立しているかという問題を、言語を通じて扱うための考え方です。

科学が発達すれば新しい事実が見つかります。どの科学的な文が真かは研究によって変化します。論理学が問うのは、それらの文が真偽を持つために必要な一般的な形です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

説明が進んでも残る問い

ある病気の原因を科学によって説明できるようになっても、その経験を生きる人にとって何が大切かという問いは残ります。宇宙の歴史を詳しく記述できても、なぜ私たちが世界の存在を驚きとともに感じるかは、同じ方法で答えにくい問題です。

ウィトゲンシュタインは、科学の説明が届く範囲を考えた先で、人生の意味や倫理へ視線を向けます。科学的な知識の価値と、それによって扱う問いの種類を分けて考えることが重要です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

複雑な文章はどこまで分析できるのか

「窓が開き、風が入る」という文章

「窓が開いていて、風が部屋に入っている」という文は、二つの内容を組み合わせています。窓が開いていることと、風が入っていることをそれぞれ確かめ、その組み合わせ全体が正しいかを判断できます。

一つの長い文章が複数の文の論理的な結びつきによって成り立つと考えると、文章の真偽を細かく分析する方法が見えてきます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

要素命題という考え

ウィトゲンシュタインは、複雑な命題を分析していくと、さらに分けられない基本的な命題へ到達すると考えました。これらは「要素命題」と呼ばれます。

著作では、要素命題の具体的な形をさらに探る問題が残ります。中心となるのは、複雑な文を基本的な文の組み合わせとして理解できるという論理の仕組みです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

分析によって何が明らかになるか

長い文章を読んで内容が混乱するとき、どの部分がどの部分を前提にしているかを調べると、議論の筋道が見えてきます。論理的な分析にも、文の構造を明確にする働きがあります。

『論理哲学論考』の分析は、日常の文章を読みやすく書き直す作業にとどまらず、文が世界の可能な状況を表す最も基本的な条件を明らかにしようとするものでした。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題5の「真理関数」は何を意味するのか

二つの文を「そして」で結ぶ

「今日は晴れている」と「風が強い」という二つの文を「そして」で結ぶと、どちらも正しい場合に、組み合わされた文が正しくなります。いずれかが間違っていれば、文全体は間違いです。

このように、いくつかの文の真偽によって別の文の真偽が決まる関係を考えると、文の内容の組み立て方を形式的に捉えられます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「または」と「否定」も分析する

「雨が降るか、雪が降る」という文では、どの条件で全体が正しいかが「または」の解釈によって決まります。また、「雨が降っていない」という否定文は、もとの「雨が降っている」という文と真偽の関係を持ちます。

ウィトゲンシュタインは、このような文同士の真偽の関係から複雑な命題を理解しようとしました。命題5は、命題が要素命題の真理関数であると述べています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

真理表を使う理由

二つの文がそれぞれ真か偽かを取りうるなら、組み合わせには四通りの場合があります。表にして並べると、文章の中で使われた「そして」「または」などの働きが明確になります。

このような真理表の考え方は、フレーゲやラッセルから続く論理学の研究と深く関わります。ウィトゲンシュタインは、文の真偽が持つ構造を明らかにする方法として用いました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|『プリンキピア・マテマティカ』)

論理的に必ず正しい文章は何を述べるか

「雨か、雨ではないか」という文

「雨が降っているか、降っていないかのどちらかだ」という文章は、実際の天候を確認する前から成立します。晴れていても雨でも、この文が正しいという関係は変わりません。

論理学では、このようにあらゆる場合に真となる式をトートロジー(恒真式)と呼びます。文が持つ真偽の形から、その性質を調べることができます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

論理の真理と世界の事実

「雨が降っている」という文が真なら、今日の天候について何かを知ることができます。「雨か、雨ではないか」という恒真式からは、今日の天候がどちらなのかはわかりません。

ウィトゲンシュタインは、論理的に必ず真となる式を、世界の特定の事実を表す文と区別します。論理の規則は、個別の出来事についての観察結果を伝えるものとは異なる働きを持ちます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

いつも偽となる矛盾式

「今日は雨であり、同じ条件では雨でない」という主張は、同時に真になる条件を持ちません。形式的には、あらゆる場合に偽となる矛盾式として考えられます。

恒真式と矛盾式は、論理的な可能性の両端を示します。現実に何が起きたかを知らせる文章と区別することで、言語の構造を理解する助けになります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

論理そのものを文章で説明できるのか

論理の規則が現れる場所

「雨が降っていて、しかも降っていない」という文を矛盾として理解するために、私たちはすでに論理の規則を使っています。何かの文章を理解しようとするとき、その構造の中に論理が働いています。

ウィトゲンシュタインは、論理を世界に並ぶ物の一つとして考えるより、世界を表す文に共通する条件として捉えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題4.12と4.121の議論

命題4.12以降では、文が現実を表すために必要な論理形式を、文の外に出してさらに表現することの難しさが論じられます。ある図の構造を説明するために、もう一つ図を描いても、その図にも表現の仕組みが必要です。

文が表現できるのは、一定の構造を通じて示される事態です。その構造の条件そのものを、同じ仕方で世界の事実として語ろうとすると、問題が生まれます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題4.1212の「示すこと」

命題4.1212では、示すことのできるものは、命題によって語ることができないと論じられます。言語の論理形式は、それを用いている文章の構造に現れます。

この区別が、後に倫理や美、人生の意味を考える場面にもつながります。「語る」と「示す」は、著作全体を通じた重要な対になっています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「語ること」と「示すこと」はどう違うのか

事実を語る文章

「この花瓶は机の上にある」と言えば、花瓶と机の位置関係について一つの事実を述べます。現実と照らし合わせれば、正しいか間違っているかを確かめられます。

ウィトゲンシュタインが「語る」と考えるのは、こうした可能な事態を意味のある命題として表す働きです。文が世界についての内容を伝える仕組みが中心になります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

図の構造が示される場合

建物の見取り図を読むと、部屋がどのような関係にあるかがわかります。図が建物を表せる条件は、その図を読む働きの中に現れます。

『論理哲学論考』では、文も同じように、ある論理的な構造を使って事態を表します。言語の働きそのものを成立させる形式は、文の中に示されると考えられます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「示される」を日常の感覚と混同しない

誰かが微笑んで気持ちを示すという日常的な意味と、『論理哲学論考』で論理形式が示されるという意味は、同じ言葉で表されても扱う問題が異なります。

著作での区別は、言語が世界の事実を述べる条件をめぐる哲学的な議論です。倫理や美について述べる箇所も、まずこの論理的な枠組みとの関係で読むと筋道が明確になります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「語りえないもの」は何を意味するのか

言葉の限界を設ける理由

事実を表す文には、成り立ちうる状況を示し、その状況と現実を比較する働きがあります。言語をそのように捉えると、同じ方法では扱いにくい問いが生まれます。

「世界がなぜ存在するのか」「善そのものをどこに置けるのか」といった問いは、机や花瓶の位置のように、世界内の一つの事態として示すことが難しい問題です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

語りにくさと価値の違い

自分の人生にとって大切なことを、観察できる物の一覧へ置き換えるのは難しい場合があります。その経験を軽く扱うために、ウィトゲンシュタインが言語の限界を論じたと読むのは正確ではありません。

彼は、どのような文章が事実を語れるかを明確にし、その範囲から外れるものをめぐって倫理や美、神秘的なものについても考えます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

存在についての結論を急がない

「言葉で説明できないから存在しない」と考えると、意味のある文を作れる条件についての議論を、そのまま存在の有無の判断へ移すことになります。『論理哲学論考』の論点は、そうした短い結論では捉えきれません。

ウィトゲンシュタインは、何を事実として語れるかを調べるとともに、語ることの限界が私たちに何を示すのかを考えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「私の言語の限界は私の世界の限界」とはどういうことか

命題5.6の意味

命題5.6には、自分の言語の限界が自分の世界の限界を意味するという考えが示されています。よく引用される言葉ですが、著作では論理と言語の範囲を説明する議論の中に置かれています。

世界について意味を持って語れることと、言語の論理的な可能性がどのように関わるかが問題です。外国語を覚えた数や語彙の豊富さを比べる話として読むと、重要な部分が見えにくくなります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

知らない言葉がある場合との違い

知らない植物の名前を学べば、その植物について詳しく話せるようになります。これは知識や語彙が増えることで世界の理解が広がる例です。

ウィトゲンシュタインが考えた限界は、単に知っている単語の数を指すものより根本的です。事実を表す文章がそもそもどのように成立するかという条件に関わります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

言語の外側から世界を眺められるか

世界のすべてを表す言語の限界を調べるには、言語の外側に立って全体を見ることができるのでしょうか。何かを説明しようとすると、その説明自体にも言語が使われます。

『論理哲学論考』は、この難しさを繰り返し問題にします。境界の外から境界そのものを描くような説明の困難が、最終的な沈黙の命題にもつながっていきます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「私」と世界の関係はどう考えられたか

目で見ることと視野の限界

私たちは目を通して世界を見ます。視野に入る物を次々に説明できても、見るという働きがどのように世界を捉えているのかを、物を見るのと同じ方法で観察できるでしょうか。

ウィトゲンシュタインは、眼と視野の関係を手がかりに、世界を経験する主体の位置について考えます。主体が世界の内部にある物の一つとして数えられるのかという問題です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題5.632と主体の位置

命題5.632は、主体を世界の境界という問題に結びつけて述べます。椅子や木のように世界の中へ並べることができる物と、世界を経験する主体を、同じように扱えるかが問われます。

ここでの主体は、心理学で調べる個人の感情や性格を、そのまま指すものとは異なります。世界が「私にとっての世界」として現れる条件を考える問題です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

独我論という難しい問題

自分が世界について経験できるのは、自分の視点からの経験です。このことを極端に考えると、世界がすべて自分の意識の中にあるように感じられるかもしれません。哲学では、こうした問題を独我論として扱ってきました。

ウィトゲンシュタインは命題5.6以降で独我論にも触れ、何を語れて、何が示されるかという区別から捉え直そうとします。複雑な問題ですが、言語の限界を自分の経験の条件へ広げていることがわかります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

倫理の善悪を事実として記述できるのか

「約束を守るべきだ」という言葉

「昨日、友人と会う約束をした」という文は、出来事についての説明です。「約束を守るべきだ」と言うときには、私たちは何を望ましいと考えるかを示しています。

どちらも日常で使う大切な文章です。ウィトゲンシュタインが考えた問題は、事実についての記述と、善悪や価値の判断を、同じ論理的な形で扱えるかということでした。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.4以降の価値の問題

命題6.4以降でウィトゲンシュタインは、世界について述べる命題と価値の関係を論じます。世界の中で起きる出来事は、どのような事実が成立しているかとして記述できます。善悪の価値を、その事実の中へ同じ仕方で配置することには難しさがあります。

価値が重要であるからこそ、どのような言語がそれを扱えるのかが問われます。彼の倫理に関する言葉は、科学による観察とは異なる問題を見つめています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.421の倫理

命題6.421では、倫理は命題によって表現できず、超越論的なものだと述べられます。ここでいう超越論的という語は、何か神秘的な物体が別世界にあると主張するものとして理解するより、世界内の事実を記述する条件や限界との関係で読む必要があります。

他人を大切にすることや、自分の行為に責任を持つことは、人間の生活に深く関わります。ウィトゲンシュタインは、その価値を物理的な出来事の一覧に収める方法の限界を考えたのです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

美しさを言葉で説明すると何が残るのか

音楽を聴く経験を例に

ある曲について「速い旋律が繰り返される」「金管楽器が加わる」と説明することはできます。こうした記述は、音楽の構造や演奏について聞き手へ具体的な情報を伝えます。

その曲を聞いて胸がいっぱいになった経験や、なぜ強く心を動かされたのかを話そうとすると、説明の性質が変わります。私たちは音楽の出来事を述べると同時に、それに与えた意味を語ろうとしています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.421における美学

ウィトゲンシュタインは命題6.421で、倫理と美学を結びつけて述べます。美をめぐる問いを、単に物の特徴の一覧として扱うことから距離を置きます。

画面の色や形、楽曲の長さは記述できます。美の価値そのものについて語るとき、私たちはそうした事実の記述を超える問題に触れます。この著作では、美をめぐる議論が言語の限界と関わっています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

作品への感動が消えるという意味か

絵画の前に立って何も言えなくなることがあります。感動を上手に言語化できるかどうかは、その経験が自分にとって大切かを決める唯一の基準ではありません。

著作が考える「語りえないもの」は、感想を言うのが難しいという心理的な経験だけに重なりません。事実を表す言語が持つ論理的な働きから見た、美や価値の位置が問われています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

人生の意味は科学によって答えられるのか

できごとを知ることと生きること

科学は、病気の原因や星の運動、地球の歴史について多くの知識をもたらします。それらの説明が精密になるほど、世界で何が起こっているかを詳しく知ることができます。

それでも、「自分はどのように生きたいか」という問いは別の形で残ります。事実についての知識と、自分の人生に与える意味がどのようにつながるかは、人間にとって深い問題です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.52が示す問題

命題6.52では、科学上のあらゆる問題に答えられたとしても、人生の問題には触れられていないという考えが述べられます。科学の説明を広げるだけでは、人生に関わる問いを同じ方法で扱うことが難しいと示しています。

科学的な知識と人生の意味を切り離して対立させる必要はありません。ウィトゲンシュタインが問題にするのは、科学の文章が語る内容と、人生について私たちが求めるものの種類です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

答えが消えるという命題6.521

命題6.521では、人生の問題の解決は、その問題が消えることに見られると論じられます。これは、人生の意味を一つの短い文章で示すという方法から考えを移す言葉です。

人が生き方について深く考え、あるとき問題の捉え方そのものが変わる経験に近いものがあるでしょう。著作はその変化を、事実の説明を積み重ねる作業とは異なるものとして考えています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

神秘的なものは何を指しているのか

世界が存在することへの驚き

私たちは世界の中で起こる出来事を次々に説明できます。空に雲ができる仕組みや、生物が成長する過程について知識を深めることもできます。

「世界にはなぜそもそも何かがあるのか」という問いは、どの一つの出来事の説明にも収まりにくい問題です。ウィトゲンシュタインは、世界がどのようにあるかと、世界があるということをめぐる経験を区別して考えます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.44の世界の存在

命題6.44では、神秘的なのは世界がどのようにあるかということより、世界が存在するということだと述べられます。人間が世界を前にして持つ根本的な驚きに関わる言葉です。

この命題を、科学的な知識を放棄する宣言として読むと、著作前半からの流れが見えにくくなります。ウィトゲンシュタインは、事実の記述が可能な範囲を探った先に、世界の存在そのものという問いを置きました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

命題6.522の「表しえないもの」

命題6.522は、言葉で表しえないものがあり、それが示されるという考えを述べ、それを神秘的なものと呼びます。事実として正誤を確かめる文章の形式を超えた問題が、ここで明示されます。

この命題を前半の論理形式の議論と合わせて読むと、「語れること」と「示されること」の区別が単なる沈黙の勧めで終わらない理由がわかります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」の意味

最後の命題7

『論理哲学論考』は命題7で、語ることのできないものについては沈黙しなければならないと述べて終わります。短い一文が長い議論の最後に置かれているため、独立した格言として広く知られてきました。

この一文を理解するには、世界の事実を描く文の条件、論理形式が示される仕組み、倫理や美についての問題をたどることが大切です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

沈黙は何を守ろうとしているのか

どのような問いにも一つの説明文を用意すれば、すべてが理解できるのでしょうか。ウィトゲンシュタインは、文によって事実を語る仕組みに限界を認めます。

命題7の沈黙は、考えることをやめる命令として単純化できません。語る条件を明らかにした後、その条件が届く範囲を見定めることに関わっています。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

日常の会話をやめるという意味か

私たちは日常生活で「その絵が好きです」「今日はつらい」と話します。こうした会話は、感想を伝え、他人と経験を分かち合うために使われています。

著作が問題にしたのは、哲学において命題がどのような内容を事実として語れるかです。身近な気持ちを伝えることや、芸術について会話することと、言語の論理的な限界をめぐる研究は、区別して理解できます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

なぜ最後に「梯子を捨てる」と書いたのか

命題6.54の梯子の比喩

命題6.54では、著作に書かれた命題を理解した人は、それらを乗り越えた後、梯子を登り切った人が梯子を捨てるように考えると述べられます。

『論理哲学論考』は、言葉の限界について説明するために、多くの哲学的な命題を述べています。では、その命題自体が言語の限界を越えている場合、どう扱えばよいのでしょうか。梯子の比喩は、その難問へ読者を向かわせます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

自分の説明にも限界がある

「言語で語れる範囲はここまでだ」と述べるためには、言語の全体を外側から眺めているようにも見えます。著作自身が用いる文章も、その説明の限界に触れることになります。

ウィトゲンシュタインは、読者が自分の命題を最終的に乗り越えるよう促します。この自己言及的な構造が、著作の解釈を難しくしてきた理由の一つです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

研究者の間で続く解釈の違い

ある解釈では、命題が世界について重要なことを示しながら、厳密には語れない事柄を指し示すと考えます。別の解釈では、命題を乗り越えることで、哲学的な混乱から離れる働きが重視されます。

どのように梯子を理解するかによって、「語りえないもの」をめぐる著作全体の読み方が変わります。現在も議論が続く問題です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文)

哲学は何をする仕事だと考えたのか

命題4.112の哲学

命題4.112では、哲学の目的は思考を論理的に明らかにすることだと述べられます。哲学を、世界について新しい事実を発見する自然科学と同じ活動として考えることから、方法を分けています。

言葉が何を意味し、どのように論理的に結びついているかを調べることで、長く続いてきた哲学上の混乱を整理できるという発想です。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

難問が生まれる言葉の使い方

「赤い」「重い」といった言葉は、物の性質を記述するときに使います。「善」「存在」「世界」という言葉にも、同じ方法で何かの性質を示しているかのように考えると、問いがかえって複雑になることがあります。

哲学は、言葉が使われる構造とその限界を調べ、問題の立て方自体を見直す役割を持ちます。ウィトゲンシュタインは、この明晰化を哲学の中心に置きました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

哲学的な答えの形が変わる

哲学の問いに対し、新しい事実を付け加える代わりに、何を問うことができるかを明確にするという方法があります。問いの構造が見えると、求めていた答えの種類そのものが変わることもあります。

『論理哲学論考』が20世紀の哲学に残した重要な仕事は、言語の分析を通じて哲学の方法を問い直したことです。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

1920年代のウィーン学団はどう読んだか

科学的な知識を重視する哲学者たち

1920年代のウィーンでは、哲学者や科学者が集まり、論理学と科学の方法を重視する研究を進めました。この集まりは後に「ウィーン学団」と呼ばれ、論理実証主義や論理経験主義の歴史で重要になります。

彼らは、哲学の文章が何を意味するのかを明確にするため、言語の分析を重視しました。『論理哲学論考』は、その議論に強い刺激を与えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリッツ・シュリックとウィーン学団/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

シュリックらが受けた影響

ドイツ生まれの哲学者モーリッツ・シュリック(1882–1936)は、ウィーン学団の中心人物となり、1927年にはウィトゲンシュタインと会いました。学団では『論理哲学論考』が熱心に読まれます。

文章の意味を明確にし、科学の記述との関係から哲学を考えるという方向は、著作の一部と重なっています。ウィトゲンシュタインと学団の人々には、倫理や神秘的なものをめぐって解釈の違いもありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリッツ・シュリックとウィーン学団/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

著作が異なる目的に読まれる

ある読者は、命題の論理形式や真偽を確かめる方法に注目します。別の読者は、言語の限界へ至った先に倫理や人生の意味の問題があることを重く受け止めます。

『論理哲学論考』が20世紀の哲学に広く影響を及ぼした理由には、このように一つの著作から異なる問題が読み取られたことも関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|モーリッツ・シュリックとウィーン学団)

後期ウィトゲンシュタインは何を問い直したか

1929年にケンブリッジへ戻る

戦後、ウィトゲンシュタインはオーストリアの小学校で教え、建築などにも関わりました。1929年にケンブリッジへ戻り、再び哲学の研究に取り組みます。

その後の研究では、言葉が実際の生活でどのように使われているかへ関心を広げていきました。初期の『論理哲学論考』に示された、あらゆる意味のある文に共通する論理構造を探す方法も問い直されます。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

1953年『哲学探究』につながる考え

ウィトゲンシュタインの死後、1953年に『哲学探究』が刊行されました。そこでは言葉の意味を、実際の使い方や人々の活動との関係で考える方法が発展しています。

初期と後期の思想を比べると、言語について考える問いは続きながら、問題へ近づく方法が変わったことがわかります。後期の言語ゲームをめぐる議論は、別の記事で詳しく扱います。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|ウィトゲンシュタインと後期哲学の転回)

初期の著作を後からどう読むか

1921年の著作が示した世界と言語の対応、論理形式、語ることと示すことの区別は、現在も研究者が議論する主題です。後年の思索と照らし合わせることで、その問題がどのように変化したかも見えてきます。

『論理哲学論考』を当時の問題へ位置づけて理解し、その後の再検討も知ることで、哲学の考え方が変化していく過程をたどることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館|遺稿の電子版)

言葉で説明できないことは存在しないのか

存在を調べる問いと表現の問い

世界について「何があるか」と尋ねるとき、私たちは存在の問題を考えています。「そのことをどのような文で言えるか」と尋ねるとき、言語の働きを調べています。『論理哲学論考』は、世界のあり方を語るための論理的な条件を明らかにしようとしました。

言語の条件を考えることは、存在するものを一つずつ数える作業とは異なります。著作は、世界の事実を語れる範囲を明確にすることで、哲学が扱う問いの形を変えました。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

倫理と美が残す問題

誰かを大切にしたいという気持ち、ある絵画に心を動かされる経験、生きる意味を探すこと。こうした問題は、事実の説明とつながりながら、数値や観察記録だけで完結するものではありません。

ウィトゲンシュタインは、倫理や美をめぐる問いを、言語の限界に関わるものとして考えました。命題6.421や6.522を読むと、彼が語りえないものへ深い関心を向けていたことがわかります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

最後の沈黙から考え始める

『論理哲学論考』は、世界の事実、文の構造、論理の規則をたどり、最後に語りえないものへの沈黙を置きました。この道筋は、言葉を使うことの力を明らかにするとともに、言葉に何を求めるかを問い返します。

「言葉で説明できないことは存在しないのか」という問いへの答えを考えるには、まず「説明する」とは何をすることかを確かめる必要があります。ウィトゲンシュタインの著作は、その問いを読者自身の思考へ返してくれます。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)

略年表|『論理哲学論考』の成立と受容

  • 1848年|ゴットロープ・フレーゲが生まれる
  • 1872年|バートランド・ラッセルが生まれる
  • 1879年|フレーゲ『概念記法』刊行。記号論理学の発展に重要な役割を果たす
  • 1882年|モーリッツ・シュリックが生まれる
  • 1889年4月26日|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがウィーンで生まれる
  • 1908年|ウィトゲンシュタインが英国マンチェスターで航空工学を研究し始める
  • 1910年|ラッセルとホワイトヘッドによる『プリンキピア・マテマティカ』第1巻刊行
  • 1911年|ウィトゲンシュタインがケンブリッジでラッセルと出会う
  • 1913年|ウィトゲンシュタインがノルウェーでも論理学の思索を進める
  • 1914年7月|第一次世界大戦が始まる
  • 1914年|ウィトゲンシュタインがオーストリア=ハンガリー軍へ志願する
  • 1914–1916年|従軍しながら哲学的なノートを記す
  • 1918年|『論理哲学論考』につながる原稿がまとまる
  • 1918年|第一次世界大戦が終結し、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する
  • 1918年末|ウィトゲンシュタインがイタリア軍の捕虜となる
  • 1919年|ウィトゲンシュタインが捕虜生活を終え、故郷へ戻る
  • 1920年|ウィトゲンシュタインがオーストリアで小学校教師として働き始める
  • 1921年|『論理哲学論文』がドイツ語で『自然哲学年報』に掲載される
  • 1922年|『論理哲学論考』の独英対訳版が刊行される
  • 1927年|シュリックらとウィトゲンシュタインの哲学的な対話が行われる
  • 1929年|ウィトゲンシュタインがケンブリッジへ戻り、哲学研究を再開する
  • 1930年代|日常の言葉の使い方を重視する後期の思索が進む
  • 1951年4月29日|ウィトゲンシュタインがケンブリッジで死去する
  • 1953年|遺稿をもとに『哲学探究』が刊行される

略年表はマンチェスター大学の大学史資料、ラウトレッジ哲学百科事典、ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館の草稿情報、および1921年・1922年の刊行記録を照合して作成しました。戦時中の執筆年と刊行年を区別して記載しています。(参照:マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/ラウトレッジ哲学百科事典|ウィトゲンシュタインの生涯/ベルゲン大学ウィトゲンシュタイン文書館|遺稿の電子版/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/マサチューセッツ大学|『論理哲学論考』独語・英訳対照資料)

まとめ|言葉で説明できないことは存在しないのか

1921年、第一次世界大戦後のヨーロッパで公刊されたウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、数学の論理をめぐるフレーゲとラッセルの研究を受け継ぎながら、言語と世界の関係を根本から考えた著作です。ウィトゲンシュタインはマンチェスターで工学を学び、1911年にケンブリッジでラッセルと出会い、戦時中のノートを通じて思索を重ねました。1918年に原稿をまとめ、1921年のドイツ語版、1922年の独英対訳版を経て、その考えが広まりました。

著作は、世界を事実の総体として考えるところから始まります。像理論では、文が現実の可能な状況と対応する論理的な構造を持つことで、意味のあることを語れると考えます。命題が真であるか偽であるかを判断できるのは、文が表す状況と現実を照らし合わせられるからです。真理関数や論理的な恒真式の議論は、言語の構造と世界の事実を区別するために重要な役割を担います。

論理形式がどのように示されるかを論じた後、著作は言語の限界へ進みます。倫理、美、人生の意味は、事実を表す文章と同じ仕方で扱えるのでしょうか。命題6.421は倫理と美学を、命題6.52は科学の説明と人生の問題を、命題6.522は言葉に表しえないものを取り上げます。最後の命題7による沈黙も、こうした道筋の中で読むことで、その哲学的な意味が見えてきます。

命題6.54の梯子の比喩は、言語の限界について語ろうとする著作自身の難しさを読者へ突きつけました。その後、『論理哲学論考』はウィーン学団をはじめ多くの研究者に読まれ、ウィトゲンシュタイン自身も言語を考える方法を問い直していきます。言葉で説明できないことの存在を一言で決めるより、何を事実として述べられるのか、どのようなことが示されるのかを慎重に考える。その探求が『論理哲学論考』の中心にあります。(参照:ウィトゲンシュタイン・プロジェクト|『論理哲学論考』1922年英訳全文/スタンフォード哲学百科事典|ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/マンチェスター大学|第一次世界大戦とウィトゲンシュタイン/スタンフォード哲学百科事典|モーリッツ・シュリックとウィーン学団)

参考資料・出典

本文の命題番号はウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』独語原文と1922年の英訳版を対照して確認しました。哲学的な解釈はスタンフォード哲学百科事典を参照し、生涯と執筆経緯についてはマンチェスター大学、ベルゲン大学文書館などの資料を照合しています。ウィーン学団による受容と後期哲学への変化は、当時の思想と後世の研究を区別して記述しました。各小節末尾に対応する参照リンクを付しています。