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Philosophy

1200年代

理性で神の存在を説明できるのか

トマス・アクィナスとスコラ哲学

十三世紀のパリでは、セーヌ川の南側に集まる学校がヨーロッパ各地から学生を引き寄せていました。学生は聖職者としての身分を持つことが多く、教師とともにラテン語で書物を読み、講義を聴き、公開の討論に参加しました。大学は教師と学生が組織する共同体として形を整えつつあり、学芸を学ぶ学生は論理学や自然学を修め、その先に神学、法学、医学などの専門的な教育がありました。王権と教会の権限が重なる都市の中で、学問の内容は生活や職業、宗教上の判断とも結びついていました。

この学校に新しい課題をもたらしたのは、古代ギリシアのアリストテレスの著作でした。論理学に加え、自然界の運動、生命、魂、世界の成り立ちについて論じた書物がラテン語で広く読まれるようになります。アラビア語圏で活動したイブン・シーナーやイブン・ルシュドの著作も翻訳され、学生たちは聖書の教えと異なる結論を含む精密な説明に出会いました。大学で教える人は、推論から得られた結論をどこまで受け入れ、キリスト教の信仰をどのように説明するかを問われたのです。

イタリアに生まれたドミニコ会士トマス・アクィナス(1225年頃〜1274年)は、このパリ大学で学び、教えた神学者でした。『神学大全』で彼は「神は存在するか」と問い、日常に見られる変化や原因から五つの論証を提示します。その試みは、信仰に関する言葉を論理的に整理するスコラ哲学の方法を象徴します。神の存在を理性によって考えるとは、何を根拠に、どこまで言えることなのでしょうか。アクィナスの議論を理解するには、十三世紀の教室、翻訳された書物、そして実際の論争を一緒にたどる必要があります。

十三世紀のパリ大学では、何をどう学んでいたのか

教師と学生の共同体が、学問の場をつくった

十二世紀末から十三世紀初めにかけて、ノートルダム大聖堂の聖堂学校やパリの諸学校は、教師と学生の結びつきを基礎に大学へ発展しました。大学という名称は、当初、校舎を指すというより権利と規則を共有する教員・学生の団体を意味しました。教える資格や学問上の地位は大学と教会の制度の中で定められます。国外から来た学生にとって、同じ規則のもとで学ぶ集団に入ることは、都市で暮らし勉強するための支えになりました。

授業は、教師が定評ある書物の文を読み、語句を説明し、筋道を解き明かす講義を中心に営まれました。学生は手書きの書物を利用し、論理学によって主張と反論の関係を学びます。学芸学部はより上級の神学教育へ進む基盤でもあり、教師になるためには長い修学と試験が必要でした。アクィナスが活動する時代には、哲学が大学の公的な課程に組み込まれ、聖書を教える神学者も哲学的な知識を前提に議論するようになっていました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|中世哲学/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学の著述形式/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

アリストテレスの書物が、教室の問いを変えた

アリストテレス(紀元前四世紀、アテネなどで活動した哲学者)は、物体の変化、知識、倫理を体系的に考察しました。その著作は古代末期以来さまざまな言語で読まれ、十二〜十三世紀にはギリシア語・アラビア語からのラテン語訳が増えます。初期の大学では自然学や形而上学の扱いをめぐって制約もありました。十三世紀半ばには学芸学部の課程が大きく変わり、1255年のパリの規則はアリストテレスの広範な著作を必修の学習対象としました。

例えば石が落ちる理由を考える際、聖書に出来事の意味を求める問いと、石の性質や運動の原因を探る問いでは、説明の材料が異なります。アリストテレスの書物は、自然界について理由を積み重ねるための体系を学生へ示しました。神学者は、その体系が宇宙の永遠性や魂の性質について示す結論も検討します。何を証明と認めるか、どの学問の結論にどこまで権威があるかが、教室での実際の争点になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学)

修道会と司教は、教える人々とどう関わったか

十三世紀に広がったドミニコ会とフランシスコ会は、都市で説教し学ぶことを重視する托鉢修道会でした。修道士たちは私有財産を離れて共同生活を営み、都市の人々に説教し、信仰を教えるために学問を修めます。両修道会はパリ大学でも教師を育て、聖書の解釈や哲学の使い方をめぐって議論しました。アクィナスはドミニコ会に属し、同じ大学ではフランシスコ会の神学者たちも独自の思想を展開していました。

大学の学問は自由な討論を含みながら、司教や教皇の権威と接する制度の中にありました。講義で教えてよい主張をめぐり、学芸学部と神学者、教会当局との間で緊張が生じます。大学には専門的な訓練を受けて議論する場が生まれ、同時に公の教育が宗教共同体へ及ぼす影響を問う仕組みもありました。アクィナスが哲学と神学の境界を詳しく論じた背景には、こうした教育の具体的な運営と対立があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学/スタンフォード哲学百科事典|1277年の学説禁止令)

トマス・アクィナスは、どこで学び、何を書いたのか

南イタリアの貴族の子が、ドミニコ会へ入った

トマス・アクィナスは1225年頃、イタリア中南部のアクィノ近郊にある有力な家に生まれました。幼少期にモンテ・カッシーノ修道院で教育を受け、若い頃にはナポリで学びます。ナポリには新しい大学が設けられ、彼はそこですでに活動していたドミニコ会士と出会いました。家族は伝統ある修道院での道を望みましたが、トマスは説教と研究を重んじるドミニコ会へ入ることを選びます。家族による拘束を経て、その志を貫きました。

その選択は、中世の学問が修道院の静かな読書だけで完結していなかったことを示します。ドミニコ会は都市での教育と説教を活動の柱にし、会員を学びに送り出しました。トマスにとって哲学は、聖書の意味を教えるという仕事を深めるための学問でした。信仰と学習を生活の中で結びつけた人物であり、彼の著作には大学で議論する教師と、宗教共同体の教育を担う修道士という両方の立場が反映されています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学)

アルベルトゥス・マグヌスから、何を学んだか

トマスはパリで学んだ後、1248年にケルンへ移り、ドミニコ会の学者アルベルトゥス・マグヌス(1200年頃〜1280年)に学びました。アルベルトゥスはドイツやフランスで活動した神学者・自然哲学者で、アリストテレスの著作を広く解説し、イスラーム哲学の議論にも目を向けていた人物です。神学を教える人が自然界についての古代の学説を詳しく理解することには、当時の学問の新しい可能性がありました。

アルベルトゥスのもとで、トマスは自然と人間を説明する哲学の概念を、信仰に関する議論へ丁寧に結びつける姿勢を磨きます。1252年には師の推薦でパリへ戻り、神学の上級課程へ進みました。1256年から1259年にかけて神学教授として講義と討論を主宰し、のちにはイタリアで教育に携わります。1268年には再びパリで教壇に立ち、1272年にナポリへ戻りました。学問上の論争が激しい場所へ繰り返し身を置いたことが、彼の著作の具体的な課題を形づくります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス)

『神学大全』は、どんな読者のための書物か

トマスは『対異教徒大全』やアリストテレス注釈、論争問題集を書き、1260年代半ばから未完の大著『神学大全』の執筆を進めました。『神学大全』は神、被造世界、人間の行為や徳、キリストと秘跡を順に扱う神学の体系です。序文でトマスは、学び始める人にふさわしい順序で教えを整理する意図を述べています。神の存在を論じる短い箇所も、その大きな教育課程の入口に置かれた文章でした。

彼は1274年に亡くなるまで執筆を続け、多数の著作を残しました。『神学大全』は本人によって最後まで完成されず、後に弟子たちが既存の文章に基づく補遺を整えています。トマスの業績は一つの標語で説明できるほど狭いものではありません。自然学、認識、倫理、法、宗教上の教えが互いに関わる体系であり、神の存在をめぐる論証も、その後に神の性質や人間の生き方を問うために用意されたものでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格)

スコラ哲学では、どのように議論を進めたのか

一つの問いに、まず反対する理由を並べる

スコラ哲学とは、学校という意味の言葉に由来し、中世の教育現場で育った論証と読解の方法を指します。『神学大全』の小さな項目は「神は存在するか」のような問いで始まり、最初に複数の反対意見を挙げます。次にそれと異なる立場を示す典拠が置かれ、トマス自身の答えが詳しく述べられた後、最初の反論に一つずつ返答します。この形式は大学で行われた討論の手順を文章へ取り込んだものです。

例えば「世界に苦しみや悪があるなら、完全に善なる神は存在するのか」という反論は、『神学大全』第一部第2問題で最初に提示されます。トマスはその難しさを論証の出発点として受け止め、神の存在を示そうとする別の筋道を展開し、最後に悪の問題へ答えます。反対意見が最初にあるのは、教師が自分の結論だけを告げる方法より、どこに疑問が生じるかを学ぶためです。これがスコラ哲学の読書を論理の訓練にしている理由です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学の著述形式/アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在)

著者の権威と論理の力は、どう関係したか

中世の神学者は、聖書、アウグスティヌス(354〜430年、ローマ帝国領北アフリカで活動し、キリスト教の信仰と人間の知性を論じた思想家)などの教父、古代哲学者、先行する教師の文章を詳しく読みました。十二世紀のパリで活動した神学者ペトルス・ロンバルドゥス(1100年頃〜1160年)は、諸権威の見解を題目ごとに集めた『命題集』を著し、十三世紀の神学教育に大きな影響を与えました。トマスも若い頃、その文章を講義で解説します。複数の権威ある文章の間に緊張があるとき、学者は意味を分け、根拠を吟味する必要がありました。

たとえば同じ「よい」という言葉でも、人格の善さと食物のよさは意味が異なります。聖書の文を読むときにも、言葉が使われる対象と目的を確かめることが欠かせません。スコラ哲学は引用を集めるだけの作業から、相手の主張を正確に理解し、区別と推論によって答える技法を磨きました。権威ある古典の尊重と、そこで述べられた意味を論理的に検討する仕事が、同じ授業の中で進められていたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学の著述形式)

「学問」と呼ぶためには、何が必要だったのか

アリストテレスは、学問的な知識を原因や根拠から説明できる理解と結びつけました。十三世紀の神学者は、神についての教えも秩序立った知識として扱えるかを考えます。『神学大全』冒頭でトマスは、聖なる教えを、神によって知られる真理を出発点とする学問として位置づけます。人が自力で確かめる論証と、信仰によって受け入れる真理では、出発点を得る仕組みが違うと説明しました。

数学では定義や公理を前提として証明を進めます。トマスの議論を理解するうえでも、どの前提を使い、結論がそこからどのように導かれるかを見分けることが大切です。神学の場合、前提の一部は啓示によって与えられると考えられました。彼はその違いを意識しながら、教えの内側に論理的な秩序があることを示そうとします。理性と信仰の関係は、学問にとってどのような根拠がありうるかという問題へつながっていました。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学の著述形式)

信仰と理性は、どのように役割を分けられたのか

理性で知る真理と、啓示から知る真理

トマスは、人間が観察や推論によって理解できる事柄と、神からの啓示によって知る事柄を区別しました。自然界に変化と原因があることを考え、世界の第一原因を探すのは理性の仕事です。キリスト教の三位一体や受肉については、信仰によって伝えられた内容を出発点とします。『神学大全』第一部第1問題は、理性による哲学とは別に、啓示に基づく教えを学ぶ必要を論じています。

ここでの違いは、学ぶ人が賢いかどうかという話ではありません。同じ人間が、根拠の種類に応じて異なる知り方を使うという考えです。例えば地図を読んで町までの距離を推定するのと、実際に訪れた人の証言を聞くのとでは、知るための道筋が異なります。トマスにとって、自然の原因を探す知性の働きと、信頼する啓示を受け入れる働きは、互いに意味のある知的な活動でした。問題はそれぞれの到達点をどう確かめるかにあります。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

同じ真理について、異なる方法が使えるのか

トマスは、神の存在など、哲学的な議論を通じて知られる真理があると考えました。宗教教育を受けた人は、同じ内容を聖書の教えとして信じることもできます。理性の論証は学ぶ時間と訓練を求め、誰もが同じだけ学習できる社会ではありませんでした。トマスは、すべての人が信仰に関わる根本的な真理を知るためにも、啓示の教えが必要だと説明します。

ある人が確かな計算から答えを導き、別の人が信頼する教師から同じ答えを学ぶ場面を考えてみましょう。結論は同じでも、理解と同意に至る道筋が違います。トマスが考えたのは、真理そのものが二つに割れるという図式ではなく、人間の知識の得られ方と限界です。この説明は、哲学の論証を学ぶ意義を認めつつ、教会が広く教えを伝える理由を説明するものでもありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格)

哲学を使う神学には、どんな危険と可能性があったか

アリストテレスの書物には、世界の運動や魂についてキリスト教の教義と緊張する考えが含まれていました。神学者がその学問を利用するとき、用語を借りるだけでなく、どの推論が妥当であるかを確かめる必要があります。トマスは哲学が神学を助けると考え、アリストテレスを詳しく読みながら、意見が合わない箇所では論証と解釈を検討しました。ある古代哲学者の権威よりも、その結論がどんな理由に支えられているかが問われます。

大学の教室で「論理的に証明できる」と主張することには責任がありました。十分な根拠があるときにはそれを示し、まだ証明が完成していないときには議論の範囲を見極めるという姿勢です。トマスは信仰を説くために哲学を使い、同時に不確かな論証を確実なものとして提示することを批判しました。信仰と理性の関係をめぐる彼の独自性は、両者の位置を具体的な問題ごとに判断する方法に現れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格/アクィナス『神学大全』第一部・第46問題|被造物の時間的始まり)

神の存在を示す「五つの道」は、何を考えているのか

変化するものには、何が働いているのか

『神学大全』第一部第2問題第3項で、トマスは神の存在を示す五つの道を簡潔に提示します。第一の道は変化や運動から始まります。木が育ち、水が温まるとき、ある可能性が現実になります。トマスは、可能な状態から現実の状態への移行を生じさせる働きに注目し、変化が起きるために働いている現実的な原因を考えます。ここから、ほかのものを動かすために自ら動かされる必要のない第一の動者へ議論を進めました。

身近な例でいえば、冷たい鍋が火で温まる場面があります。鍋は温まりうる状態にあり、火の熱によって実際に温かくなります。では、変化を生じさせる働きそのものは、何によって成り立っているのでしょう。トマスの問いは、最初に誰が鍋を置いたかという過去の順番から、いま変化を成立させる条件へ深まります。五つの道のうち第一の道は、世界の変化を一連の依存関係として考える哲学的な試みです。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス)

原因の連鎖は、どこに支えられているのか

第二の道は作用原因から始まります。木を切る鋸は人の手によって動き、手の動きには筋肉の働きがあります。こうした関係を考えると、原因として働くもの自身が、別の働きに支えられている場合があります。トマスは、原因としての力を他から受け取るものをどこまでも積み重ねる説明を検討し、原因の系列を支える第一原因を考えました。結論は、ほかの原因を通じて世界の働きを成立させる根源が必要だというものです。

この論証の焦点は、宇宙の時間的な第一日を特定することではありません。現在の世界で原因が働く仕組みを説明するとき、それらが何に依存しているのかが問われています。数珠つなぎになった出来事を単純に過去へさかのぼる議論と、原因の力の依存関係を考える議論は異なります。トマスの第二の道は後者を中心に理解され、研究者もそのような因果関係の性格を論じています。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

存在するものは、存在しなくなる可能性を持つ

第三の道は、存在することが可能であり、存在しなくなることも可能なものから始まります。植物は芽を出し、成長し、枯れます。家も建てられ、時間がたてば壊れることがあります。トマスは、こうした生滅するものと、存在するために別のものへ依存しない必然的な存在を区別しました。彼は、すべてが存在しなくなりうるなら、何もなかった時点を想定することになり、何もなければ新しい存在も生じないと論じて、必然的な存在の根拠を求めます。

私たちは目の前の机について、木材を加工した人や机を支える構造を説明できます。机が存在する理由をたどると、材料と原因の関係が次々に見つかります。第三の道は、個々の物についてのこのような説明から、存在するもの一般がどんな根拠で成り立つかを問う方向へ進みます。個々のものが消滅しうることから、すべてが同時に存在しなくなる事態を導けるのかという点は、論証を検討する際の重要な争点です。トマスは存在の依存関係を支える根本の必要性を主張したのです。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

残る二つの道は、価値や自然の秩序をどう説明するのか

「よりよい」という比較は、何を基準にしているか

第四の道でトマスは、物事に善さや真実らしさ、優れたあり方の程度があることに注目します。ある行為がより善い、ある判断がより正しいと言うとき、私たちは何らかの基準を前提に比較しています。彼はこうした性質の程度から、それらを最も完全な形で持つものを考え、存在と善の究極の源として神を位置づけました。この議論は、紀元前五〜四世紀のアテネで普遍的な善と知識を問うた哲学者プラトンや、アリストテレス以来の形而上学の問題を受け継いでいます。

例えば授業で二つの解答を比べる場合、教師は正しい答えの条件に照らして判断します。第四の道は、そのような比較の仕組みを存在全体へ広げる試みです。比較できることから完全な基準の実在が必ず導けるのかという問題は、後世の哲学でも検討されています。トマスの論点は、個別の物に見られる性質を、それらがどこから成り立つかという根源的な説明と結びつけたところにあります。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

自然の働きに見られる方向性とは何か

第五の道は、知性を持たない自然物が一定の結果へ向かうように働くことから始まります。種子は適切な条件で芽を出し、目は光を受け取るための器官として働きます。トマスは、自然物の働きが一定の目的や結果へ向かっているというアリストテレス以来の考えを受け取り、その方向づけには知性的な根源が必要だと論じます。自然の目的論を、神の存在を考える理由へ結びつけたのです。

時計の針が時刻を示すのは、人が部品を特定の関係に組み立てたからだと説明できます。トマスが考えた自然物は、それ自身の性質に応じて働くものであり、人工の時計とは成り立ちが異なります。第五の道では、自然に内在する秩序を生み出す根源を問いかけます。今日の自然科学は生物の形や機能を進化や物理的な過程から研究します。十三世紀のトマスは、自然の原因論と目的論を神の存在の論証へ結びつけていました。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス)

五つの道は、神についてどこまで語っているか

五つの道は運動、作用原因、偶然と必然、性質の程度、自然の目的という異なる入口を使います。それぞれの結論で、トマスはその根源を人々が神と呼ぶものへ結びつけます。議論の最初の段階で示そうとするのは、世界の変化と存在を支える根本原因です。キリスト教で語られる神の具体的な性質については、五つの道の後に続く問題で順に検討されていきます。

だからこそ『神学大全』では、そのすぐ後に神が物体か、変化する存在か、どのような意味で善いと言えるかが検討されます。五つの道は完成した神学の全体というより、理性で神について語り始めるための入口です。読者にとっての哲学的な問いは、身の回りの世界から、世界全体の存在理由をどこまでたどれるのかという点にあります。推論を一歩ずつ確認することで、トマスが何を証明しようとしたかが見えてきます。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/アクィナス『神学大全』第一部・第3問題|神の単純性/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

「存在する」と「何である」は、同じことなのか

ものの本質を知ることと、実在を確かめること

「竜とはどんな生き物か」と問われれば、架空の物語の中の姿や特徴を説明できます。説明ができても、現実に竜が生きているかどうかは別に確かめる必要があります。トマスは、ものが「何であるか」という本質と、そのものが実際に「ある」という存在を区別し、被造物の存在はほかの根拠に依存すると考えました。この区別には、先行するイスラーム哲学者イブン・シーナーの存在論との深い関係があります。

イブン・シーナー(980〜1037年、中央アジアとイランで活動した哲学者・医師)は、存在するものの原因と、必然的に存在するものの関係を体系的に論じました。十三世紀のラテン語世界ではその著作が翻訳され、トマスも思想を検討しています。何かの性質を詳しく知ることと、そのものが現実に存在することがどう結びつくかを問う議論は、神の存在について言葉を尽くす際にも基礎となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/アクィナス『神学大全』第一部・第3問題|神の単純性)

神は「存在そのもの」とは、どういう意味か

トマスは、木や人間などの被造物が存在を受け取る存在であると考えました。それぞれには固有の性質があり、その性質を持つものが実際に存在するための根拠が必要です。これに対して神については、本質と存在が一致するという特別な理解を示します。神が何であるかを問うことが、神が存在するという根本的なあり方と切り離せないという議論です。神はほかのものと同列に並ぶ物の一つとして捉えられていません。

例えば電灯が点くには電源との関係が要ります。電灯の形を説明することと、光っている理由を説明することは別の課題です。この例は存在の依存関係を思い浮かべるための理解補助になります。トマスが論じる神は、電源のように物体の中の一つの装置ではありません。あらゆる被造物が現実に存在する根拠を問うことで、本質と存在の関係を考え直します。その問いが、古代の形而上学をキリスト教神学へ取り込む際の核心になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第3問題|神の単純性/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響)

神の「善さ」を、人間の善さとどう区別するか

私たちは「善い人」とも「善い食事」とも言います。その二つの善さには共通する評価の方向があり、意味の違いもあります。トマスは神を「善い」と呼ぶ言葉について、人間や物について使う場合との関係を考えました。神と被造物がまったく同じ仕方で善を持つと考えると、神を有限な存在へ縮めることになります。語の意味が完全に無関係なら、神について言葉で理解を伝えることも難しくなります。

彼が重んじたのは類比という考え方です。被造物で経験する善さは、神の善さに由来すると理解されますが、そのあり方は人間の尺度と一致しません。例えば親切な人の行為から善さを知るとき、私たちは具体的な経験を通じて意味を学んでいます。トマスは、その経験の言葉を使いながら、神の善さについても正しい内容を語る可能性を探りました。神が存在すると主張することから、神をどう語れるかという言語の哲学へ議論が進むのです。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第13問題|神の名/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第3問題|神の単純性)

世界はいつ始まったのか、理性だけで答えられるのか

創造とは、世界が存在する理由を問うこと

キリスト教の『創世記』は、神による天地の創造を語ります。トマスにとって創造とは、すでにある材料を職人が加工することより根本的な働きです。世界に存在するものが、その存在全体を神に依存するという意味を持ちます。自然の中で木が育ったり石が割れたりするのは、存在する材料が別の状態へ変わる出来事です。神の創造を考える問いは、材料を含む世界全体がなぜ存在するのかへ向かいます。

例えば陶工が器をつくるとき、土や水といった材料がすでにあります。作るという日常の言葉は、もとの物に新しい形を与える行為を指します。トマスは、神による創造をこのような変化の一種として扱うことから、世界が存在する根本原因を考える方向へ進めました。世界の存在そのものを説明するという点で、創造論は形而上学上の議論にもなります。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第44問題|被造物の第一原因/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

時間的な始まりの証明は、なぜ難しいのか

アリストテレスは宇宙の運動を永遠の秩序として考えました。これに対して十三世紀のキリスト教神学者には、世界に時間的な始まりがあることを哲学的に証明しようとする人々もいました。トマスは『神学大全』第一部第46問題や『世界の永遠性について』で、この争点を検討します。彼は世界に始まりがあることを信仰として受け入れ、理性の論証からその時間的な始まりを証明する道には限界があると考えました。

もし世界に過去から果てしなく続く時間があったなら、神に依存して創造された世界という考えと矛盾するのでしょうか。トマスは、永遠に存在する被造世界を神が成立させることが論理的に可能かどうかを考えました。存在の根拠を与えることと、時間の最初の瞬間を示すことは異なる問いです。この区別によって、宇宙の始まりに関する信仰上の教えと、自然哲学の証明能力を別々に評価しました。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第46問題|被造物の時間的始まり/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス)

イブン・ルシュドから届いた難問

イブン・ルシュド(1126〜1198年、アンダルスで活動したイスラームの法官・哲学者)は、アリストテレスへの詳細な注釈を書き、世界の永遠性を擁護しました。ラテン語に訳された彼の著作は十三世紀の大学で広く読まれ、自然界と神の関係を議論する際の主要な資料となります。トマスはイブン・ルシュドの解釈を学び、受け継げる論点と再検討すべき論点を選り分けました。

この論争は宗教の違いによって単純に分かれるものではありませんでした。世界の時間的始まりについては、キリスト教の神学者たちの間にも論証の可能性をめぐる意見の違いがありました。トマスは、哲学が確実に示せることを広げようとしながら、その力でまだ決着できない問題を区別します。前の時代にイスラーム哲学で練られた世界論が、パリ大学ではキリスト教内部の新しい論争として展開したのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・ルシュド/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第46問題|被造物の時間的始まり)

人は身体で考えるのか、魂だけで考えるのか

感覚から知識へ、どんな段階があるか

私たちは木を見るとき、その色や形を目で捉え、複数の木を見比べるうちに「木」という共通の特徴を理解します。トマスは、アリストテレスの魂論を受け継ぎ、人間の知識が感覚経験を出発点として形成されると考えました。目の前の個別のものを感じる働きと、そこから共通する性質を理解する知性の働きを区別します。人間がどのように世界を知るのかという問いは、魂と身体の関係に直結していました。

例えば一つの三角形を紙に描くと、辺の長さも線の太さも個別のものになります。数学では、それらの違いを越えて三角形一般の性質を考えます。トマスの認識論は、このように個々の感覚対象から普遍的な内容を理解する過程を説明しようとしました。頭の中に普遍的な概念が成立することと、現実の身体を通じて学ぶことを一つの理論の中で結びつけようとした点に特徴があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第76問題|魂と身体の結合)

魂は身体の「形相」であるという考え

アリストテレスは生き物の魂を、身体を生きた存在として成り立たせる形相として考えました。トマスはこの考えを受け継ぎ、人間の魂を身体から離れた操縦者のように理解する方法を批判しました。魂は生きた人間の身体をその人の身体として成り立たせる原理です。人が見る、歩く、知るといった働きは、身体と魂が一体になった人間の活動として説明されます。

身体が傷めば感覚が変わり、目を閉じれば視覚情報は少なくなります。私たちの思考は、このような身体の条件と日常的に関わっています。トマスはその事実を重視し、同時に知性的な働きの独特さから魂の非物質的な側面も論じました。人間を身体と魂が結びついた一つの実体として捉えながら、死後の魂や復活の問題を考えるため、アリストテレスの概念を神学の中で作り変えていきます。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第76問題|魂と身体の結合/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス)

知性が一つなら、誰が考えたことになるか

イブン・ルシュドの知性論は、知性の一部が個々の人間を越えた共通の原理とどのように関わるかを問い、ラテン語の読者に大きな影響を与えました。十三世紀のパリでは、すべての人に一つの知性があるという解釈が論争を生みます。トマスは『知性の単一性について』などで、個々の人間がそれぞれ理解するという経験と、アリストテレスの文章の読み方を根拠に、その立場を批判しました。

二人が同じ文章を読み、異なる理解に至る場面を考えてみましょう。それぞれが学び、誤りを改め、責任を負うことと、知性の根本的な働きが共有されることとはどう関係するのでしょう。トマスにとって、理解する主体がその人自身であることは、知識だけでなく自由な行為と道徳上の責任にも関わりました。個人の魂と知性をめぐる議論は、神学、認識論、倫理学が出会う争点になっていたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|イブン・ルシュド/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/アクィナス『神学大全』第一部・第76問題|魂と身体の結合)

人間の自由と幸福は、どこから考えられたのか

人は理由を考えて行為を選ぶ

夕方に友人との約束へ向かうか、目の前の仕事を終わらせるか迷うとき、人はどちらがよいかを考えます。トマスは人間の意志を、知性が善いと理解したものへ向かう能力として説明しました。知性は行為の選択肢を示し、意志はその中から選ぶ働きに関わります。個々の行為で何を選ぶかが定まるまでには、目的、手段、状況についての判断があると考えられました。

この議論は、人の行為が完全に外部の力で決まっているとすれば、責任や努力をどう理解するかという問いに関係します。トマスは『神学大全』で自由意志を論じ、人間の選択を知性と意志の結びつきから説明します。神が世界の根本原因であるという考えと、人間が自ら行為を選ぶという考えを両立させようとしたのです。人間の内側で何が起きるかを調べる哲学は、善悪を判断する学問の基礎になります。(参照:アクィナス『神学大全』第一部・第83問題|自由意志/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

徳とは、よい行為を繰り返す力か

アリストテレスの倫理学は、人間の幸福と習慣によって育つ徳を重視しました。トマスはこの考えを学び、勇気、節制、正義、思慮といった徳を、人が適切に判断し行動するための安定した性質として整理します。困っている人を助けるか迷う場面でも、知識だけで行為が決まるとは限りません。何を大切にしてきたか、普段どんな選択をしてきたかが、その人の判断に関わります。

トマスの倫理学では、徳は善い行為のたびに育つ人間的な能力であり、信仰、希望、愛という神学的な徳も位置づけられます。自然の中で培われる徳と、神の恵みに結びつく徳の関係を考えることで、人が努力によって変わりうる範囲と、救済という宗教的な目標が整理されます。幸福についての議論は、何を手に入れれば満足かという問いから、人生全体をどのような善に向けるかという問いへ進みました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想)

幸福の完成を、なぜ神との関係に求めたのか

人は学習を通じて真理を知り、友人との関係で喜びを得て、社会の役割を果たすことに充実を感じます。トマスは、こうした自然な活動によって得られる幸福を認めながら、人間の最終的な目的を神との完全な関係に求めました。『神学大全』では、完全な至福は神を見ることに関わり、人間の努力による到達には限界があると説かれます。哲学の倫理学と、救いを扱う神学が交わるところです。

身近な達成を積み重ねても、人はさらに深く知りたい、よりよく生きたいと望むことがあります。トマスは、人間がどんな善を求める性質を持つかを考え、その欲求の完成を神のうちに位置づけました。この答えを受け入れるかどうかとは別に、幸福を一時の気分より広い人間の生の目的として問う方法は、今日の倫理学にもつながります。信仰に属する結論と、実際の選択についての合理的な考察とがここで接しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想/アクィナス『神学大全』第一部・第1問題|聖なる教えの性格)

法律は、誰の利益のためにあるのか

自然法は、人間が善を考える力に関わる

「善を行い、追求し、悪を避ける」という原則は、トマスの自然法論の出発点です。『神学大全』第二部第一部第94問題で、彼は人間が理性によって行為の基本的な善を理解すると考えました。命を守ること、子どもを育てること、真理を求めること、人々と社会をつくって生きることなどが、人間の傾向と結びつけて論じられます。自然法は、為政者がその時々に命令する法律の背後で、行為の善し悪しを考える基準となるものです。

例えば市場で計量器をごまかして商品を売れば、当面の利益を得ても取引の信頼が損なわれます。人々が安心して物を交換するには、共通の規則と公正さへの理解が求められます。トマスは、そうした日常の判断を人間の理性と社会生活から考え、具体的な法がどのような善を目指すべきかを論じました。善の原則をどう知り、個々の事件へどう適用するかという点が、道徳哲学から法の哲学へつながります。(参照:アクィナス『神学大全』第二部第一部・第94問題|自然法/スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想)

法律が正当なのは、どんな条件のもとか

トマスは法律を、共同体を世話する権限を持つ者が共通善のために定め、公に知らせる理性的な規則として考えました。『神学大全』第二部第一部第90問題には、理性、共通善、正当な制定権限、公示という要素が現れます。法が人々を導く力を持つためには、命令を出す人の強さに加え、その内容が共同体の善とどう関わるかが問われるのです。

町の水源を共同で管理する規則を考えてみましょう。ある人だけが自由に水を使えば、ほかの住民が困ることがあります。利用の順序や負担を決めることには、各人の利益と町全体の生活の関係が現れます。トマスの法論は、人々が共に暮らすための判断を理性で説明しようとしました。十三世紀の神学者が法を論じたことは、信仰が個人の心の問題から、公的な制度の正当性へ広がる問いでもあったことを示します。(参照:アクィナス『神学大全』第二部第一部・第90問題|法の本質/スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想)

不正な命令に従うべきかという問い

為政者が出した命令の中には、特定の集団を不当に扱い、共通善を損なうものもあります。トマスは法の正当性を理性と正義に結びつけたため、権力者が命令したという事実だけで法の善さが完成するとは考えませんでした。不正な法への服従をどう判断するかは、社会秩序を守る必要と、悪に加担しない責任をともに考える難しい問題です。彼は状況に応じた慎重な判断の重要性を論じました。

例えば共同体の一部にだけ過大な負担を求める規則があるとき、その規則が誰のために作られ、どんな害を生むかを調べることができます。トマスの考え方では、行為の正しさを問う作業に理性が深く関わります。法は市民を治めるための技術であるとともに、人間がどんな善を共有するかという倫理上の問いを担います。彼の自然法論が後世の政治哲学や法思想で議論され続けるのは、こうした根本的な問題を提示したためです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想/アクィナス『神学大全』第二部第一部・第90問題|法の本質/アクィナス『神学大全』第二部第一部・第94問題|自然法)

パリ大学では、何が論争の的になったのか

シゲル・ド・ブラバンと、アリストテレスの読み方

十三世紀後半のパリの学芸学部では、アリストテレスの文章をどこまで忠実に解釈するかが問題になりました。シゲル・ド・ブラバン(十三世紀後半、パリで活動した学芸教師)は、イブン・ルシュドの知性論を含む論点を詳しく検討した人物です。キリスト教の教義と緊張する哲学上の主張を学芸学部で教えることについて、神学者たちは批判を向けました。何を哲学の研究対象と認めるかが、大学の中の学問の境界をめぐる問題になったのです。

トマスはこうした議論の中で、アリストテレスの解釈と真理の問題を切り離して放置する姿勢を批判しました。特に人間の知性の単一性について、著作の意味を詳細に検討し、個々の人が知るという考えを擁護します。対立する学者たちも同じ書物を読み、異なる結論を導きました。十三世紀のスコラ哲学は、教師同士が同意する答えを集める営みというより、一つの文章からどの主張を導けるかをめぐる激しい討論の場でもありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|1277年の学説禁止令/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響)

1270年と1277年の禁止令は、何を示すか

1270年、パリ司教エティエンヌ・タンピエは、知性や自由意志などに関わる学説を問題視し、特定の命題の教示を禁じました。1277年3月7日には、哲学と神学について219の命題を対象とする大きな禁止令を出します。後者はアクィナスの死から三年後の出来事です。学芸学部の教師らが、異教の哲学者の議論を根拠に教義と緊張する主張を示しているという問題意識が背景にありました。

その219命題の出所と対象人物は、現在も研究上の検討を要します。イブン・ルシュドに影響された学者へ向けた規制という面と、当時の複数の神学的・哲学的立場を含んだ面があり、トマス自身の見解に関わる項目も指摘されています。十三世紀の学問の自由と権威を考えるとき、禁止令は単純な思想の勝敗を表す事件ではありません。誰がどの場で何を教える権限を持つかが、大学制度の中で争われた出来事でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|1277年の学説禁止令/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

トマスの思想への批判と、後の継承

アクィナスは生前から高い評価を受け、その形相論や知性論を含む見解は学者たちの間で活発な議論を生みました。フランシスコ会の論者による批判もあり、ドミニコ会の弟子たちはトマスの文章を擁護します。大学ではさまざまな立場が競い合い、トマスの思想をめぐっても新しい著作と反論が続きました。学問の中心人物が現れたことは、議論が完成したことより、新たな争点が共有されることにつながりました。

トマスは1323年に列聖され、その後、教会の学問で広く参照される人物になりました。十四世紀には、パリやオックスフォードで活動したフランシスコ会の哲学者ドゥンス・スコトゥス(1266年頃〜1308年)と、論理学や普遍論争で知られるオッカム(1287年頃〜1347年)が、別の問題意識から議論を進め、スコラ哲学には複数の系譜が生まれます。後世のトマス主義は彼の著作を体系として読み継ぎました。五つの道は原因や存在、論証の条件をめぐる問題を豊かに含み、繰り返し検討されてきたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|1277年の学説禁止令/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学)

十三世紀のスコラ哲学は、何を後世へ残したのか

イスラーム世界での読書が、ラテン語の哲学を変えた

アクィナスが読んだアリストテレスは、ギリシア語の著作だけを通じて届いたものではありませんでした。ラテン語に翻訳されたイブン・シーナーの形而上学、イブン・ルシュドの注釈、古代末期の哲学的な文章が、大学の学生や教師に新しい問いを与えます。イブン・シーナーの存在論は、ものの本質と存在の関係を考えるうえで重要な材料となり、イブン・ルシュドの知性論と世界論は激しい論争の対象になりました。

十三世紀にはギリシア語からの直接訳も広がり、異なる翻訳を照合してアリストテレスを読む可能性が増しました。トマスは先行する学者を批判的に読みながら、自らの説明を組み立てます。中世の哲学は、キリスト教世界の内側だけで完結する知識の集積ではありませんでした。ギリシア語、アラビア語、ラテン語を通じて伝わる議論が、パリやイタリアの教室で新しい構成を得たことが、その歴史の重要な特徴です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/スタンフォード哲学百科事典|アリストテレス著作の伝承/スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス)

理性による説明は、どこまで進められるか

トマスは、神の存在について論証できると考え、五つの道を提示しました。第一原因や存在の根拠を考える推論は、身の回りの変化を観察するところから始まります。同時に、三位一体や受肉は啓示に基づく真理として位置づけ、世界の時間的始まりも理性による証明から区別しました。哲学の能力を広く信頼しながら、問いごとに根拠の種類と論証の範囲を確かめたことに彼の方法の特色があります。

たとえば私たちが「理由がわかった」と言うとき、それは現象が起きる仕組みを知ったことなのか、ものが存在する根拠まで説明したことなのかを考えられます。トマスの神の存在論は、まさに説明の深さと届く範囲を問います。五つの道が説得的かどうかを考える際にも、どの前提が必要で、結論がどこまで述べているかを確かめることができます。結論に賛成するか否かにかかわらず、その吟味は現在の哲学的な思考にもつながっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在/アクィナス『神学大全』第一部・第46問題|被造物の時間的始まり)

大学の議論の形式は、どう受け継がれたか

スコラ哲学は、ある問いについて反対意見を十分に理解し、自説の根拠を述べ、最後に反論へ答える書き方を発達させました。『神学大全』の項目を読むと、短い文章の中に論争のいくつもの立場が組み込まれていることがわかります。学生や教師は、誰の言葉か、どの前提から結論が導かれるかを区別する訓練を受けました。この方法は長い間ヨーロッパの大学教育の一部となり、後の学者たちもその形式を用いて議論しました。

十三世紀の哲学を振り返ると、神の存在をめぐる問いは、大学の教育、翻訳と文化の交流、宗教的な権威、自然を説明する学問、人間の自由や法の正しさとつながっています。トマスは、日常の世界の原因を問うところから神について考え、そこから人間が何を知り、どのように生きるかへと論点を広げました。理性によって神の存在を説明できるのかという問いは、何をもって「説明できた」と判断するかを、私たちにも問い続けています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学の著述形式)

略年表|トマス・アクィナスと十三世紀の大学

  • 12世紀後半|アリストテレスやアラビア語哲学の著作がラテン語へ次第に翻訳され、パリの諸学校でも研究が進む
  • 1200年頃|パリの諸学校が大学として組織されていく
  • 1210年|パリでアリストテレスの自然哲学書をめぐる教育上の禁止が出される
  • 1215年|パリ大学の教育規則で学習内容や教師の資格が定められる
  • 1225年頃|トマス・アクィナスが南イタリアのアクィノ近郊に生まれる
  • 1230年代〜1240年代前半|トマスがナポリで学び、ドミニコ会に入る
  • 1240年代半ば|トマスがパリで学ぶ。家族との対立を経て修道会での活動を続ける
  • 1248年|トマスがケルンへ移り、アルベルトゥス・マグヌスのもとで学ぶ
  • 1252年|トマスがパリへ戻り、神学の上級課程で教える
  • 1255年|パリ大学学芸学部の規則でアリストテレスの広い範囲の著作が履修対象になる
  • 1256年|トマスがパリ大学の神学教授となり、討論と講義を主宰する
  • 1259年|トマスがイタリアへ戻り、修道会の教育に携わる
  • 1259〜1265年頃|トマスが『対異教徒大全』の主要部分を執筆する
  • 1265年頃|トマスが『神学大全』の執筆を始める
  • 1268年|トマスが再びパリ大学の神学教授となる
  • 1270年|パリ司教タンピエが知性論などに関係する特定の学説の教示を禁じる
  • 1270年頃|トマスが『知性の単一性について』で議論を展開する
  • 1272年|トマスがナポリへ戻り、教育と執筆を続ける
  • 1273年|トマスが『神学大全』の執筆を中止し、著作は未完となる
  • 1274年3月7日|トマスがフォッサノーヴァ修道院で死去する
  • 1277年3月7日|パリ司教タンピエが219の哲学・神学上の命題を対象とする禁止令を出す
  • 1323年|トマス・アクィナスが列聖される

執筆年代や大学の制度の形成には研究上の年代幅があります。確認できる史料の精度に応じて年と概年を区別しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|中世哲学/スタンフォード哲学百科事典|1277年の学説禁止令)

まとめ|神の存在を説明する理性の力と、その範囲

十三世紀のパリ大学では、翻訳によって広まったアリストテレスとアラビア語哲学の学説が、新しい学問の課題を生みました。ドミニコ会士トマス・アクィナスは、教師が反論を示し、論理的に答えるスコラ哲学の方法を用い、自然についての理性的な探究とキリスト教神学を結びつけます。『神学大全』の五つの道は、運動、原因、偶然性、程度、自然の目的を手がかりに、世界の存在を支える根源へ議論を進める試みです。

彼は神の存在を理性で論証できると考え、三位一体などの教えは啓示に基づく知識として扱いました。また世界の時間的始まりの証明に限界を認め、身体と魂、自由意志、徳、自然法についても詳しく論じています。パリ大学では知性論や世界論をめぐって論争が続き、1277年には学説の禁止令も出されました。トマスの思想が残したのは、神が存在するという結論に加え、どの前提を使い、どのような理由で、どこまで説明できるかを吟味する方法でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・アクィナス/スタンフォード哲学百科事典|アクィナスの倫理・政治・法思想/アクィナス『神学大全』第一部・第2問題|神の存在)

参考資料・出典

トマス・アクィナス『神学大全』の主要問題、アリストテレスとアラビア語哲学のラテン語受容、十三世紀の大学制度、パリの学説禁止令に関する専門研究を参照しました。五つの道の原文と現代研究の解釈、世界の永遠性と知性論の論争、死後の受容をそれぞれの資料に照合しています。