Art Library
Philosophy

1980

【美術と哲学】ある写真が忘れられなくなるのはなぜか

バルト『明るい部屋』

1980年のフランスでは、新聞や週刊誌に世界各地の写真が掲載され、家庭では旅行や祝い事を撮った写真がアルバムに収められていました。写真は事件を伝える報道の手段であると同時に、家族の顔や過ぎた日の姿を残す身近なものです。雑誌の一枚は読み終わると忘れてしまうのに、古い家族写真の小さな表情や服のしわが、思いがけず長く心に残ることがあります。そこには、撮影技術の優劣だけでは説明しきれない違いがあります。

フランスではヴァレリー・ジスカールデスタン政権の下、テレビ放送と新聞・雑誌が公共の出来事を伝え、美術館や写真展も写真を芸術として紹介していました。カメラの普及は、特別な肖像画を注文する人だけでなく、一般の人々が自分の姿を残す機会を広げました。撮影された顔は本人の手元を離れ、家族、記者、読者、見知らぬ鑑賞者のあいだを移動します。誰が写り、誰が見るかによって、同じ写真の意味が変わります。

フランスの批評家ロラン・バルト(1915–1980)は、広告や文学を記号として読む研究で知られ、1970年代には著者や読者の関係にも深く関心を寄せていました。1977年10月に長く暮らした母アンリエットを亡くし、思い出の写真を見返すなかで、写真に向き合う自分の経験を哲学の問いとして考え始めます。1979年に書き進めた『明るい部屋――写真についての覚書』は、1980年にパリで刊行されました。

一枚の写真が私たちに何を知らせるかは、写っている人物や場所について調べれば、ある程度わかります。では、見る人を突然立ち止まらせるものは、どこから来るのでしょうか。そして、すでに亡くなった人の写真を見るとき、なぜ「いま目の前にいるようだ」と感じながら、同時にその人がもういないことを知るのでしょうか。バルトは写真の細部への個人的な反応から出発し、写真と過去、身体、喪失の関係へ進んでいきました。

CONTENTS

  1. 1980年、写真は人々の生活にどう入り込んでいたのか
  2. ロラン・バルトはどのような研究から写真へ向かったのか
  3. 1980年の『明るい部屋』はどのような本なのか
  4. 写真の独特な性質をどう探せばよいのか
  5. 撮る人、写る人、見る人はどのように関わるのか
  6. 撮影されるとき、私たちは自分をどう変えるのか
  7. 「ストゥディウム」は写真の何を理解する働きなのか
  8. 「プンクトゥム」はなぜ見る人を刺すのか
  9. クーン・ヴェッシングのニカラグア写真に何が起きたのか
  10. ヴァン・ダー・ジーの家族写真で何が記憶を呼び起こしたのか
  11. ケルテスの《盲目の音楽家》はどこを見せたのか
  12. プンクトゥムは見た後で気づくこともあるのか
  13. 「写真の外側」に何が見えてくるのか
  14. 母の写真を探すとき、バルトは何を求めたのか
  15. なぜ「冬の庭」の写真は本に載っていないのか
  16. 亡くなった人の姿はなぜ写真の中に残るのか
  17. 「それはかつてあった」とはどういう意味なのか
  18. 写真の光と材料はどのように過去を残すのか
  19. ガードナーのルイス・ペイン像で時間はどう見えるのか
  20. 写真に写った瞬間はなぜ現在にならないのか
  21. 肖像写真は「その人らしさ」を伝えられるのか
  22. 写真の中の視線は見る人へ何を返すのか
  23. 写真は個人的な思い出であり、公共の記録でもある
  24. 写真の歴史とバルトの議論はどこで交わるのか
  25. 写真と映画は時間をどのように違って経験させるのか
  26. 写真の意味は見る人によってどこまで変わるのか
  27. スーザン・ソンタグの写真論と何が違うのか
  28. 『明るい部屋』に研究者はどんな疑問を向けたのか
  29. 「冬の庭」の写真を見せない選択はどう研究されたのか
  30. デジタル写真の時代にも「かつてあった」は成り立つのか
  31. なぜ一枚の写真は長く忘れられないのか
  32. 略年表|写真術の歴史とバルトの思想
  33. まとめ|ある写真が忘れられなくなるのはなぜか
  34. 参考資料・出典

1980年、写真は人々の生活にどう入り込んでいたのか

雑誌の報道写真と家庭のアルバム

1970年代の新聞や写真雑誌には、戦争、選挙、日常の出来事を伝える画像が多数掲載されていました。写真家の名前を知る前に、私たちは紙面の中の人の表情や事件を見ます。同じ時代、家庭用のカメラは旅行、結婚式、子どもの成長などを繰り返し記録し、撮影された写真は家族の手元に蓄積されていました。

報道の写真は見知らぬ社会の現実を伝え、家族写真は知っている人々の過去を呼び戻します。画像を見た人が感じることは、撮影者の意図や写された出来事だけでは決まりません。バルトが写真を論じた背景には、社会に広く行き渡る写真と、それを誰もが異なる仕方で見る状況がありました。(参照:ル・モンド紙|1980年2月刊行時のバルト『明るい部屋』評/メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化)

写真は作品であり、記録でもあった

20世紀には写真を展覧会で鑑賞する機会が広がり、美術館は撮影技法や作者の表現を評価するようになりました。歴史資料として利用される写真は、撮影時の場所や日付を確認するためにも保存されます。作品を眺める態度と史料を調べる態度は、同じ紙の上の写真へ向けられています。

写真家の表現力を評価する場合には構図や現像の工夫が問題になり、歴史家が写真を扱う場合には撮影された事実の確認が問題になります。バルトの関心はさらに、こうした評価を行う前に一枚が私たちに与える独特の衝撃へ向かいました。(参照:メトロポリタン美術館|写真黎明期の肖像制作と社会的役割/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

無数の写真の中で一枚だけが残る

新聞をめくると、技術的に鮮明で構図も整った写真を何枚も見ることができます。ところが数日後に思い出すのは、写真の片隅にいた子どもの顔や、何気ない手の動きだったりします。写真家が最も大切に考えた部分と、見る人が忘れられない部分が一致するとは限りません。

この経験から生まれる問いは、好みの違いを数えるだけで終わりません。写真の情報を理解することと、写真に心をつかまれることはどのように違うのでしょうか。バルトは写真を見る自分の感情を出発点にし、その違いを言葉で捉えようとしました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

ロラン・バルトはどのような研究から写真へ向かったのか

文学や広告を読む記号論の仕事

ロラン・バルトはフランスで活動した批評家・思想家です。1957年の『現代社会の神話』では、広告や日常の文化にどんな価値観が入り込んでいるかを論じました。食べ物の写真や映画のスターの姿は、物を写すだけでなく、社会が共有する意味を伝えることがあります。

1960年代のバルトは言語学に着想を得て、画像の中の色や配置、文章との組み合わせが意味を生む仕組みも分析しました。写真に対する関心は突然現れたものではなく、日常に流通する画像を読む長年の研究を経て、1970年代末に一人の鑑賞者の経験へ深く向かったのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/ル・モンド紙|1980年2月刊行時のバルト『明るい部屋』評)

「作者の死」から読者の経験へ

1967年に発表された「作者の死」で、バルトは文章の意味を作者の意図一つに還元する考えを問い直しました。言葉は社会の中で使われてきた表現と結びつき、読む人がさまざまな関係を発見します。作者を知れば作品の意味がすべて決まるという理解へ疑問を向けた論考です。

『明るい部屋』では、写真家が何を狙ったかよりも、鑑賞者であるバルト自身に何が起きるかが重視されます。文学を読む人への関心と、写真を見る人への関心がつながる一方、写真では過去に実在した身体との関係という別の問題が加わりました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

記号の分析から失われた人への思いへ

バルトの母アンリエットは1977年10月25日に亡くなりました。彼は翌日から喪失についての日記をつけ、長年一緒に暮らした人がいない日常を記録しています。『喪の日記』は本人の死後長く経た2009年に公刊されたため、1980年の読者が同じ形で参照できた資料ではありません。

母の死に続く時間のなかで、バルトは以前の写真論とは違う問いに向かいます。社会で共有される記号を読むだけで、亡くなった人が写真の中に残っているという経験を理解できるのか。個人的な喪失が、写真の性質を考えるための切実な理由となりました。(参照:スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌/フランス国立図書館|『明るい部屋』1980年初版の書誌)

1980年の『明るい部屋』はどのような本なのか

1979年の執筆と1980年の刊行

『明るい部屋』の原題は『La Chambre claire: Note sur la photographie』です。本文末尾には1979年4月15日から6月3日までの執筆期間が記されています。1980年のフランス語初版は『カイエ・デュ・シネマ』関連のシリーズとして、ガリマール、スイユとともに刊行されました。

二部構成で、各部に24の短い節が並びます。最初の部分では心を動かす写真の細部に言葉を与え、後半では母の写真に向き合う経験から、写真が過去の存在を伝える力について考えます。断片を読み進めるうちに、最初の問いの意味も変化していきます。(参照:フランス国立図書館|『明るい部屋』1980年初版の書誌/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

哲学書として独特な語り方

バルトは、写真家を時代順に並べて技法の歴史を作る代わりに、自分の前である写真が特別になる瞬間を追いました。ある写真に心を引かれたという感情を隠さず、同じ写真を後から思い返すことで、なぜ引かれたのかをさらに考えます。

主観的な感想をそのまま結論にするのではありません。感情が生じる場所を調べることで、写真という媒体に共通する条件へ進もうとします。この方法が、現象学や記号論と接しながらも、個人の喪失を離れずに書かれた本の特徴です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

邦題『明るい部屋』と写真の道具

原題の「明るい部屋」は、カメラ・ルシダという描画補助装置を思わせる言葉です。光学装置を使って景色を見ながら紙へ線を写す仕組みは、画像を見ることと描くことを結びつけます。19世紀にはタルボットらも光学的な描画補助の経験から写真術の研究へ進みました。

日本語版『明るい部屋――写真についての覚書』は花輪光訳で1985年にみすず書房から刊行され、1997年には新装版が出ました。1980年の原著、1985年の翻訳、後の再刊を区別しておくと、フランスでの初出と日本での受容の時差がわかります。(参照:メトロポリタン美術館|タルボットと写真の発明/国立国会図書館|花輪光訳『明るい部屋』1985年初版/みすず書房|バルト『明るい部屋』日本語版の書誌と紹介)

写真の独特な性質をどう探せばよいのか

風景写真や肖像写真という分類を越えて

写真を風景、肖像、報道、広告に分けると、撮影対象や使い道は整理できます。人物写真と風景写真では鑑賞するときの関心も異なります。それでも、何が写っていても写真が写真であることに変わりはありません。バルトは、その共通する性質を探そうとしました。

一枚の写真を「美しい構図だからよい写真だ」と評することと、「どうしてこれは写真なのか」と問うことは別です。後者は、美的な評価より前に、この媒体が現実の事物とどのような関係で成立するかを考えます。バルトの出発点には、分類を越えて写真そのものを理解したいという欲求がありました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験)

写真はいつも何かが写っている

写真を見るときには、紙の表面の模様に加え、そこに写った人物や建物をほぼ同時に見ています。バルトは写真と被写体が密接に結びつき、写真から写されたものを切り離して考えにくいことに注目しました。

描かれた絵なら、画家が頭の中の想像から風景を作る場合もあります。通常の光学写真には、その光景が撮影時にレンズの前に存在したという生成の条件があります。バルトはこの違いを、美術の優劣を決める基準ではなく、写真の存在の仕方を考える入口にしました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ダゲールと写真術の誕生)

知識より先に来る感情を手がかりにする

写真家の技法や歴史的な背景を知らなくても、一枚を見て胸が詰まることがあります。逆に有名な作品について多くの知識を持っていても、それが自分を強く動かすとは限りません。バルトはこの経験の差を認め、自分が何に引かれ、何を見過ごすかを観察しました。

ここから哲学の問題になるのは、感情が人によって違うという事実を超えて、見る経験がどんな条件で成り立つかを問うからです。写真の情報を解読する働きと、見る人の身体や記憶に生じる反応を区別することで、知覚と意味の関係を考えられます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

撮る人、写る人、見る人はどのように関わるのか

撮影者・被写体・鑑賞者という三つの位置

バルトは写真に関わる立場を、撮る人である「オペレーター」、写される対象である「スペクトル」、写真を見る「スペクテーター」に分けています。写真家がカメラを向けるときと、写真を見返すときでは、同じ画像に向かう立場が違います。

撮影者が画面に収めたいものを選び、被写体は撮影の場に置かれ、鑑賞者は出来上がった画像に出会います。三つの役割を分けることで、作者の意図だけで写真の経験を説明しようとする考えから離れ、見る人が写真にどのような働きを加えるかを問えるようになります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験)

「スペクトル」という言葉に重なる影

スペクトルは、撮られる対象を表すためにバルトが選んだ語です。そこには、見える姿や幽霊を思わせる語感も重なっています。過去の人物が写真の中に現れているとき、見ているのはかつてそこにいた人の姿であり、同時にその瞬間が過ぎ去った証拠でもあります。

写真の人物が生きているか亡くなっているかに関係なく、写された瞬間はすでに失われています。被写体の影のような姿を見る経験に、時間の隔たりが入り込む。この考えが後半の死と写真をめぐる議論へつながります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

バルトは見る人の側から書く

写真家の技術を判断するためには、撮影機材や現像工程について知ることが役立ちます。バルトはそれを中心の方法にせず、自分が写真を見る場面を詳しく記述します。どこへ視線が向かい、どの部分に気づき、見終わってから何を思い返すかが検討の対象です。

この方法は、撮影の技術が重要でないという意味ではありません。技術を研究する問いと、出来上がった写真が見る人へどう働きかけるかという問いを分けたのです。両者を区別することによって、同じ写真が見る人によって違う経験となる理由を探ります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験)

撮影されるとき、私たちは自分をどう変えるのか

レンズを向けられた瞬間の身ぶり

普段話しているところにカメラを向けられると、笑顔を作ったり、姿勢を整えたりすることがあります。バルトも、撮られると知った瞬間に身体のあり方が変わり、自分を一枚の像として意識してしまう経験を記しました。

被写体は自分らしく写りたいと願いながら、写真家がどう撮るか、後で誰が見るかを完全には決められません。「私であること」と「私の写真として他人に見られること」の間に、距離が生まれます。肖像写真を考えるときの身体的な問題がここにあります。(参照:コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

自分の顔と写真の顔が一致しない

証明写真の仕上がりを見て、こんな顔をしていたのかと戸惑う経験があります。写っているのは自分の顔であっても、鏡の前で表情を動かすときに感じる自分とは違って見えることがあります。写真は身体の動きを止め、他人が繰り返し見ることのできる像にします。

バルトは、写真家が考える自分、他人に示したい自分、実際に写った自分が重なりながら食い違うと論じました。肖像写真は見た目を保存するだけでなく、自分と自分の像の関係を変える出来事にもなるのです。(参照:コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

ウォーカー・エヴァンズの地下鉄写真を考える

米国の写真家ウォーカー・エヴァンズ(1903–1975)は、1938年から1941年にかけてニューヨークの地下鉄で乗客を撮りました。カメラを上着に隠して撮影し、乗客がレンズを意識しない姿を収めた写真群です。ニューヨーク近代美術館は、その撮影方法と乗客の自然な表情を記録しています。

エヴァンズの作品は『明るい部屋』で展開された肖像の問題を考えるための比較例になります。カメラを意識して姿勢を整える人物と、撮られていると知らない人物では、身体のふるまいも写真を見る側の受け止めも変わります。撮影への同意や公共空間での視線という、倫理的な問題もここから生まれます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ウォーカー・エヴァンズ《地下鉄の肖像》と撮影方法/コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験)

「ストゥディウム」は写真の何を理解する働きなのか

歴史や社会への関心によって読む

ストゥディウムは、写真を文化的な知識や関心を通じて理解する働きを表すバルトの語です。例えば古い街の写真を見れば、建物の形、服装、交通の様子から時代や地域を考えられます。写っている人物が何をしているかを知ろうとすることも、この関心に含まれます。

情報が得られる写真を見て満足したり、政治的な出来事に共感したりすることは、写真を見る大切な経験です。ストゥディウムは無感情な事実確認だけではなく、社会の中で学んだ価値観や好奇心を使って画像へ向かう態度として理解できます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

写真の構図や意図を読み取る

報道写真の中央に抗議する人々が写り、周囲の看板や建物が見えれば、撮影者が何を伝えようとしたのかを考えられます。私たちは写真が掲載された新聞の説明や、自分の持つ歴史の知識を使って写真の場面を解読します。

この読解が可能なのは、撮影者と鑑賞者がある程度共通する文化的な記号を使っているからです。バルトはその理解の広がりをストゥディウムとして説明しました。写真に「何が写っているのか」を答えるだけでなく、社会的にどのように読まれるかが問題になっています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/ル・モンド紙|1980年2月刊行時のバルト『明るい部屋』評)

勉強になる写真と忘れられない写真

歴史の教科書にある古い人物写真は、服装や身分、撮影年代を知る貴重な資料です。研究に役立つ写真であっても、それを見た人がいつまでも思い出すとは限りません。興味深い情報と個人的な衝撃は、同じ写真の中で別の働きをします。

バルトはストゥディウムを軽蔑して捨てようとしたのではなく、それだけでは説明できない写真との出会いに注目しました。写真を十分に理解したつもりでも、ある細部が心に入り込む理由が残る。この残り方から、もう一つの概念が生まれます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

「プンクトゥム」はなぜ見る人を刺すのか

思いがけない細部が急に目に入る

プンクトゥムは、写真の中から不意にこちらへ飛び出すように感じられ、見る人を刺したり傷つけたりする細部を指します。バルトはラテン語の語感を利用して、点、刺し傷、偶然の小さな出来事という意味を重ねました。

写真の主題が立派であることや、撮影技術が優れていることと、プンクトゥムの有無は一対一に対応しません。特別な意味を持たないように見える指先や靴が、ある人の記憶を揺さぶることがあります。写真のどこが人を動かすのかという問いが、作品への評価を越えて広がります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

どんな鑑賞者にも同じ細部が刺さるのか

集団写真を見て、ある人は顔の表情に引かれ、別の人は壁際に置かれた椅子を思い出すことがあります。どちらも写真の中に見えるものですが、見た人がそこにどんな経験を持つかは違います。プンクトゥムは万人共通の「正解」を指す言葉としては使いにくい概念です。

バルトが説明したのは、鑑賞者の側から突然生まれる関係です。写真家が人を感動させようと意図して描写した部分が、かえって作為的に感じられる場合もあります。見る人の生きてきた時間が、一枚の細部に思いがけず重なるのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

写真家が意図した効果との違い

広告写真では、視線を集めるために色や光が計算され、商品が目立つ位置に置かれます。見る人はその工夫を理解し、商品に興味を持つことができます。写真に対する反応が、企画された効果の通りに生じる場面です。

バルトが重視したプンクトゥムは、そうした意図的な説得とは異なるところから起きることが多いと考えられました。計画された美しい顔より、端に写った靴のひもがなぜか忘れられない。意図と経験のすれ違いが、写真を見ることの自由と不思議さを示します。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022))

クーン・ヴェッシングのニカラグア写真に何が起きたのか

1978年の反乱を撮った報道写真

オランダの写真家クーン・ヴェッシング(1942–2011)は、1978年のニカラグアでの武力衝突を撮影し、写真集『Nicaragua ’78』を刊行しました。バルトが論じた一枚には、破壊された街路を進む武装した人々と、その後方にいる修道女たちが写っています。

ニカラグアではソモサ政権への抵抗が激化し、1979年にサンディニスタ民族解放戦線が勝利します。バルトが写真に見たのは、この政治史を知ることによる関心だけでなく、兵士と修道女という異質な二つの姿が同じ場面に存在することでした。写真集の刊行年と撮影年は区別して考えられます。(参照:ライデン大学|クーン・ヴェッシングのニカラグア写真と制作年/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

兵士と修道女が同じ画面に現れる

写真を政治報道として見れば、武装した人の服装や街の被害を調べられます。修道女たちの姿にも気づくと、暴力が行われる場所に宗教生活を営む人が歩いているという別の現実が同時に立ち上がります。

バルトは、同じ場面で異なる世界が重なって見えることから、写真への自分の引かれ方を考え始めました。この例は、原著の中でプンクトゥムを考える最初の重要な契機です。被写体の置かれた政治的な状況を理解することと、一瞬の共存に突然気づくことを行き来しています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/ライデン大学|クーン・ヴェッシングのニカラグア写真と制作年)

出来事の記録と見る人の衝撃

ニカラグアの写真は戦闘や市民の被害を伝える資料でもあります。撮影者がどこにいて、誰が被害を受けたかを調べることは、画像を歴史の証拠として扱うために必要です。バルトは同じ連作の中でも、特定の組み合わせや人物の姿に強く引かれました。

一連の報道写真をすべて同じ調子で読むより、ある一枚に立ち止まるときに何が生じるかが問われています。鑑賞者自身の反応へ注意を向けることは、事件の背景を調べる仕事とは別の入口を写真に開きます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/ライデン大学|クーン・ヴェッシングのニカラグア写真と制作年)

ヴァン・ダー・ジーの家族写真で何が記憶を呼び起こしたのか

1926年、米国で撮影された家族の肖像

米国の写真家ジェームズ・ヴァン・ダー・ジー(1886–1983)は、ニューヨークのハーレムで黒人市民の肖像を数多く制作した人物です。バルトが取り上げた1926年の《家族写真》には、改まった服装で写る大人たちの姿があり、靴や装身具などの細部がよく見えます。

近年の研究では、被写体は撮影者の親族であるオスターハウト家の人々とされています。記念写真に写る人物たちの関係を確かめることは重要ですが、バルトがこの写真から受け取った意味は、被写体の家族史を完全に知っていたことによって生まれたわけではありません。(参照:デューク大学出版局|ヴァン・ダー・ジー《家族写真》と被写体の再研究/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

靴の細部から金のネックレスへ

バルトは当初、この家族写真に写る女性の留め具のある靴に強く引かれたと記しました。後で写真を思い返したとき、本当に心を動かしていたのは別の細部、女性が身につけた細いネックレスではないかと考え直しています。

その装身具はバルトの家族にいた人物が身につけていた品を思い起こさせました。写真の中の物を見た瞬間の反応が、記憶の中の別の物へ移るのです。プンクトゥムは写真から固定的に取り出せる記号というより、鑑賞者の記憶の働きとともに変化する経験として描かれています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

写真の細部を誰の経験として読むか

ヴァン・ダー・ジーの家族写真には、写された黒人市民の生活、服装、家族関係という歴史があります。バルトの感情を中心に読むとき、被写体たちの人生が鑑賞者の個人的な記憶のために背景へ退く危険もあります。

写真史家マーガレット・オーリンは2002年、バルトの細部の認識や被写体への同一化を検討し、プンクトゥムが写真の物理的な痕跡だけでなく鑑賞者の関係から生じる点を指摘しました。見る人の記憶に注目することと、写された人の歴史を調べることの双方が必要になります。(参照:カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002)/デューク大学出版局|ヴァン・ダー・ジー《家族写真》と被写体の再研究/e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022))

ケルテスの《盲目の音楽家》はどこを見せたのか

1921年、ハンガリーの道を歩く人々

ハンガリー出身の写真家アンドレ・ケルテス(1894–1985)は、1921年に《盲目の音楽家》を撮影しました。盲目のヴァイオリン奏者が少年に導かれ、道を進む姿を収めた作品です。ニューヨーク近代美術館が所蔵するゼラチン・シルバー・プリントは約41.6×34.4センチメートルで、1921年の制作年が確認できます。

被写体の事情や撮影場所を知れば、20世紀初頭の中欧での生活を考えられます。バルトはその歴史的な関心に加え、写真に写った道の表面へ強く引きつけられました。人の顔より足元の土の道が記憶を動かすところに、この例の特徴があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ケルテス《盲目の音楽家》(1921)/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

土の道の感触が過去の旅へつながる

バルトは《盲目の音楽家》を見て、道の土や凹凸の質感に注目し、かつて自分がハンガリーやルーマニアを旅した経験を思い起こしました。画面に写る道は撮影された土地の一部ですが、見る人の身体の記憶へ広がる働きをしています。

写真に触れているのは目であっても、思い浮かぶのは足で歩いた感覚や、かつて通過した土地の空気です。バルトが描いたプンクトゥムは小さな細部から広い時間や空間へ展開します。この写真は、視覚と身体の記憶の結びつきを考える具体的な例です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/ニューヨーク近代美術館|ケルテス《盲目の音楽家》(1921))

絵の中の物と自分の経験が結びつく

例えば旅先の石畳を写した写真を見て、そこに自分が歩いた別の街の足音を感じることがあります。写っている物がどの国の道かという事実とは別に、見ている人の記憶が写真へ入り込む経験です。

ケルテスの写真に関するバルトの記述を読むと、プンクトゥムは単に「どの細部が一番目立つか」を競う問題から離れます。写真が外の世界を見せると同時に、見る人の内部の経験を動かすことが問題になります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

プンクトゥムは見た後で気づくこともあるのか

写真が目の前からなくなった後の反応

展覧会で見た写真を家に帰ってから思い返し、展示室では気づかなかった部分が心に残っていることがあります。バルトは、写真を見ている最中よりも、後で思い出したときにプンクトゥムがはっきりする場合があると書きました。

ヴァン・ダー・ジーの靴からネックレスへという認識の変化は、その具体例です。写真を見る経験は、視線を向けている数秒で完了しません。記憶の中でその写真が働き続ける時間も、写真との出会いの一部になります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

説明できる細部と説明しにくい感情

なぜある細部に引かれたかを問われれば、色や形を説明することはできます。それでも、見た瞬間に生まれた感情の全体が言葉だけで伝わるとは限りません。写真の中に確認できる特徴と、そこから鑑賞者に生じる経験の間には距離があります。

バルトはこの距離を隠さず書き、簡単に意味へ置き換えられないものを大切にしました。だからこそ、プンクトゥムを「家族を思い出させる写真なら必ず生じる反応」といった一般的な公式にしてしまうと、彼の文章の面白さが失われます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

見ている瞬間と記憶の時間をつなぐ

写真を見終えた後で、そこに写った人の視線や道の形が頭の中に残っているとします。実物の紙が見えないところでも、写真は意識の中で働いています。その後の経験や思い出が、写真の見え方を更新することもあります。

写真が忘れられない理由を、撮影時の構図や明るさだけで説明できないのは、この時間的な広がりのためです。バルトは画像と鑑賞者の関係が後から変わり得ることを、いくつかの写真の読み直しによって示しました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

「写真の外側」に何が見えてくるのか

画面の外にいる人を想像する

人物写真を見て、視線が画面の横へ向いていることに気づくと、写真に写っていない相手の存在を考えることがあります。撮影された範囲には姿がなくても、被写体の身ぶりが画面の外の空間を思わせます。バルトはプンクトゥムに関わる経験を説明する際、写真の外へ想像が広がる「盲域」にも目を向けました。

視線が画面の外を指すことは、写真の内部に新たな人物が実際に写っているという意味ではありません。見える部分から見えない部分を思い描く鑑賞者の働きが加わっています。写真は四角い範囲で世界を切り取りながら、その外へ思考を運ぶことがあります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

小さな仕草から生活の続きを思う

家族の集合写真で、誰かが隣の人へ手を伸ばしているとします。その手は写真の中で動きを止めていますが、直前にどんな会話があったのか、撮影後にどんな時間が続いたのかを想像させます。

バルトが考える写真の経験には、像の中に見える形を読む行為と、その形から過去の生活を感じ取る行為が重なっています。もっとも、写真から想像した出来事を史実だと断定することはできません。画面が示すことと、見る人が加えることを区別することで、写真の力をより正確に捉えられます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

一枚を越えて広がる視線

旅先の古い店を撮った写真に、扉の奥へ続く暗い通路が写っていたとします。扉の奥が見えなくても、そこに生活が続いていたことを想像できます。自分の知らないものへ関心が向かうのは、写真を理解する経験の一部です。

写真の外を思い浮かべることは、すべての画像で同じように生じるわけではありません。バルトは、ある細部が自分を強く動かした場合に、静止した枠の外へ時間や空間が広がることを記述しました。写真を一枚の平らな表面だけで説明するのが難しい理由がここにあります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

母の写真を探すとき、バルトは何を求めたのか

母の死後に見返された古い写真

母アンリエットの死後、バルトは彼女の写真を一枚ずつ見返しました。若い頃の顔、服装、撮影された場所を確かめることはできます。それでも写真を見て、「これが私の知っている母だ」と深く感じられるかどうかは、肖像の似かたとは別の問題でした。

バルトが探したのは、生涯をともにした人の表情や存在の独特なあり方です。生没年や居住地を記録する写真でも、本人をよく知る者の記憶の深さを自動的に取り戻せるわけではありません。写真を見つめる行為が、失われた人を探す作業にもなっていました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌)

似ている顔と、その人らしい姿の違い

ある人の子ども時代の写真を見て、顔の形は今と違っていても、目の向け方や姿勢に見覚えを感じることがあります。写真を本人と結びつける経験には、特徴の一致だけでなく、その人との長い関係が含まれています。

バルトは、母の写真を見て彼女を識別することと、彼女の存在を深く感じ取ることを区別しました。肖像の「似ている」という判断を越えて、自分が愛した人の何を見いだすのか。この個人的な問いは、写真が記憶や関係をどのように支えるかという一般的な問題へつながります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

見つかった「冬の庭」の写真

バルトが最も深く心を動かされたのは、母が幼い頃、兄とともに冬の庭で撮影された一枚でした。彼自身は母の幼少期を見ていないのに、その写真の中に自分が知る母の存在の本質を感じたと述べています。

ここでは、写真に写った少女についての外部情報が決定的なのではありません。長年母を知っていたバルトにとって、その姿が母の「その人らしさ」を突然示したことが重要です。本の後半は、この一枚との出会いによって問いの方向を変えます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

なぜ「冬の庭」の写真は本に載っていないのか

読者には見せられない一枚

『明るい部屋』には複数の写真が掲載されていますが、中心となる「冬の庭」の写真は掲載されていません。バルトはその理由を、読者にとってはありふれた古い家族写真にしか見えず、自分が受けた深い衝撃を同じように示せないからだと説明しました。

この選択によって、読者はバルトが見た細部を確かめる代わりに、彼が写真について書く言葉をたどります。見えるものの研究についての本が、最も重要な写真を見せない。そこに、写真を共有することと感情を共有することの違いが表れています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

写真を見れば同じ気持ちになれるのか

例えば、知らない家族の幼い子の写真が見せられても、姿を知ることはできても、その家族が重ねた年月を同じ深さでは感じられません。見る側が持つ記憶の違いが、同じ写真を別の経験へ変えます。

「冬の庭」の写真を非公開にした判断は、誰もが同じ視覚情報を持てば同じ感情を得るという考えに疑問を投げかけます。写真を見ることは、画像そのものと、その画像を見る人の時間とが出会う出来事だからです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

本当に存在した写真なのかという研究上の問い

「冬の庭」の写真は本文中で詳しく語られながら、実物が公刊されていません。後の研究者は、その写真がどのような物であり、なぜ見せられなかったのかを検討してきました。文学的な構成や記憶の働きに注目し、写真の実在をめぐる疑問を提起する研究もあります。

2008年前後のジェフリー・バッチェンによる議論や、2023年の写真研究は、読者が実物を確認できないことを重要な論点としています。バルトが一枚を見つけたと語る事実と、その写真の物質的な姿を後世の研究者が確認できる範囲は分けて考える必要があります。(参照:学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023)/ペンシルベニア大学|「冬の庭」写真とクリスチャン・ボルタンスキーの写真作品/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

亡くなった人の姿はなぜ写真の中に残るのか

見ることと会えないことが同時に起きる

亡くなった家族の写真を取り出すと、そこには以前と変わらない笑顔が写っています。見ている人は、その瞬間に笑っていたという事実を感じ取る一方で、現在は同じように会うことができないと知っています。

バルトが写真に見いだした力は、この二つの経験が重なるところにあります。過去に存在した姿が現在の目の前へ届くことは、失われた時間そのものが戻ることとは違います。像が残るからこそ、戻らない時間も強く意識されるのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌)

喪失の記録としての『喪の日記』

バルトは1977年10月26日から1979年9月15日まで、母を失った日々について断片的に記しました。2009年に刊行された『喪の日記』は、母との生活を失った経験が彼の思考にどのように続いていたかを示す資料です。

この日記を読むと、『明るい部屋』の写真論が、抽象的な問いだけから生まれたものではないと理解できます。それでも日記の記述と1980年の著書に記された議論は、それぞれの形で読まれる必要があります。個人の悲しみを語ることと、写真の共通する性質を考えることが、本の中で交差しています。(参照:スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

その人の存在がほかの人には見えないとき

友人が持つ家族写真を見て、こちらは人物の服装に興味を持ち、友人はその顔の一瞬の表情を見つめ続けることがあります。相手が何を感じるかを聞くことで、写真だけを見たときには知らなかった関係が少しわかります。

写真を共有できても、その写真の意味を支える生活のすべてが共有されるわけではありません。バルトが母の写真をめぐって書いたことは、見ることと他人の経験を理解することの間にある距離も示しています。(参照:Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

「それはかつてあった」とはどういう意味なのか

写真と写された物の過去の関係

バルトは写真の特質を「それはかつてあった」(フランス語でça a été)という表現で捉えました。通常の光学写真では、撮影された人物や物から届く光が感光材料に作用します。写真に現れた姿は、撮影時にそのような状態の対象がレンズの前にあったことへ結びついています。

この言葉は、写真が伝える話のすべてが真実だという意味ではありません。撮影時の被写体と画像がつながっていることを指しています。過去に存在したものの痕跡を、今ここで見ることができる。その時間的な関係が、バルトの写真論の中心へ移ります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ダゲールと写真術の誕生)

描かれた王の肖像との違い

古い時代の王を描いた絵を見ると、衣装や顔立ちが伝わってきます。その絵が本人をよく似せて描いたかどうかは、画家の技術、制作の事情、残された別の資料を確かめる必要があります。想像を交えて描かれた部分もあるでしょう。

光学写真では、被写体からの光が画像の形成に直接関わります。バルトが絵画との差を考えるのは、この生成の条件によって、写真が過去の現実を特殊な仕方で示すからです。絵画が劣った再現だという比較ではなく、二つの媒体がどのように像を作るかを区別しています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化)

情報の正しさと過去の存在は別の問題

報道写真に「昨日の出来事」と説明が付いていても、実際には別の日に撮影された画像である可能性があります。過去にその人物がその場所にいたということと、写真に付された日付や説明が正しいということは別です。

バルトの「かつてあった」を考えるには、写真の物質的な生成、写された場面についての記述、鑑賞者の解釈を分けるとわかりやすくなります。写真が過去の世界と結びつく力と、写真を史料として正しく使うための調査とは、互いに関係しながら異なる役割を持っています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002)/メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化)

写真の光と材料はどのように過去を残すのか

1839年に公表されたダゲレオタイプ

写真術の歴史では、1839年のダゲレオタイプの公表が大きな節目となりました。フランスのルイ・ダゲール(1787–1851)は、磨いた銀メッキ銅板に光による像を形成する技法を広めました。一枚ごとの金属板が独特の画像となり、初期の肖像写真では長い露光に耐えて姿勢を保つ必要がありました。

撮影機材と化学処理の違いを知ると、写真に姿が残ることが、単なる魔法のような複製ではなく物質的な工程によって成立しているとわかります。バルトの「かつてあった」は、この歴史的な工程と結びつく哲学的な言葉でもあります。(参照:メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化/メトロポリタン美術館|ダゲールと写真術の誕生)

ネガとプリントが結びつける時間

英国の研究者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800–1877)は、感光紙に像を記録し、ネガからポジを得る方法を発展させました。像は別の紙に複製され、見る人の手に渡ります。複数のプリントが存在する場合にも、撮影時の一つの場面に由来するという関係が保たれます。

プリントは別の日に作られ、修整や拡大を施されることもあります。撮影した日、現像した日、私たちが見る日は一致しません。写真の物質的な製作工程を分けて考えることで、画像が過去の時間を現在に運ぶ仕組みと、その間に加わる作業の両方が理解できます。(参照:メトロポリタン美術館|タルボットと写真の発明/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

ガラス乾板からできた1865年の肖像

アレクサンダー・ガードナーの1865年の肖像写真には、ガラスネガを元にした鶏卵紙プリントが残されています。写真の細部は感光と現像によって生まれ、現代の美術館は紙の大きさ、材料、撮影の状況を記録しています。

画像の成立を確かめることは、バルトのいう「過去に存在した」という判断を考えるための手がかりになります。同時に、その画像がどんな出来事の証拠となるかを判断するには、いつ誰がなぜ撮影したかを別途調べなければなりません。(参照:メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865)/メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化)

ガードナーのルイス・ペイン像で時間はどう見えるのか

1865年4月27日の拘束された青年

米国の写真家アレクサンダー・ガードナー(1821–1882)は、1865年4月27日にルイス・パウエル、別名ルイス・ペインを撮影しました。パウエルはリンカーン大統領暗殺に関わる陰謀の一員として、国務長官ウィリアム・スワード襲撃に加わった人物です。

メトロポリタン美術館が所蔵する肖像は、ガラスネガから作られた鶏卵紙プリントで、寸法は約22.4×17.4センチメートルです。この写真が記録した青年の姿を、バルトは撮影後の運命を知っている立場から見つめました。(参照:メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865)/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

写真の中では生き、歴史の中では死んでいる

パウエルは1865年7月に処刑されました。写真が撮られた4月には、彼はまだ生きています。私たちがその写真を今見るとき、撮影された時点と、その後に起きた出来事を同時に知ることができます。

バルトはこの写真から、「彼はこれから死ぬ」と「彼はすでに死んだ」という二つの時間が一度に現れる経験を論じました。写真の中の顔が変わらないまま、鑑賞者だけがその後の歴史を知っています。過去の時間が一枚の写真へ重なって見えるところに、独特の衝撃があります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865))

プンクトゥムは細部から時間へ移る

前半でバルトが述べたプンクトゥムは、靴や道の質感のような小さな細部に現れました。ガードナーの写真では、ひとつの物体の形よりも、写された人物の命が将来失われるという時間そのものが見る人を動かします。

この変化が『明るい部屋』の重要な展開です。何気ない部分に不意に引かれる経験から、写真を見ている人自身が命の時間を感じる経験へ進む。写真の存在論と個人の感情が、ここで深く結びつきます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865))

写真に写った瞬間はなぜ現在にならないのか

昨日撮った写真もすでに過去である

昨日撮った自分の写真を今日見返すと、画面の中の自分は昨日の姿のままです。服装や髪型が変わらなくても、同じ瞬間にもう一度戻ることはできません。写真は出来事を保存しながら、その出来事が過ぎたことを示します。

バルトが写真の時間を重視した理由は、特別な歴史写真だけが持つ性質ではないからです。何気ない家族写真も、撮影された一瞬について「これはあった」と語ります。見る人にとって写真が身近であるほど、その過去性が切実になる場合があります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

静止している像と流れている時間

映画を見ると、登場人物が動き、画面の中の時間が連続しているように感じられます。写真では、一本の時間の流れから切り取られた状態が続きます。画像を眺めているあいだも、写っている人物の身ぶりは同じ位置に保たれています。

バルトは写真の静止と時間の関係を考え、過去に起きた一瞬が現在へ差し出される経験を描きました。映画と写真には撮影技術上のつながりがありますが、鑑賞者が時間を受け取る仕方は同じではありません。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

写真が未来の死を知らせること

生まれたばかりの子どもの古い写真を見ても、見る側はその子がやがて年を重ねることを知っています。写真に写る誰の姿にも、撮影後の時間がすでに重なっています。歴史上の人物の肖像では、その後の人生を知ることが写真の受け止め方を変えます。

バルトは、写真の時間に死の予感が含まれることを強く意識しました。これは写真を見れば必ず悲しい気分になるという法則ではありません。写真に写った瞬間が二度と戻らないという条件に、私たち自身の有限な時間を重ねることができるという議論です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865))

肖像写真は「その人らしさ」を伝えられるのか

容貌を識別することと人を感じること

身分証明書の写真は、人物を特定できるように顔の特徴を示します。その働きは実用上重要ですが、その人の笑い方や他者への接し方までわかるとは限りません。顔の細部を正確に記録することと、長く知る相手の存在を感じることの間には違いがあります。

バルトは母の写真について、この違いに繰り返し向き合いました。誰が写っているかを識別できても、その顔から自分が愛した人の姿が現れない場合があります。肖像の本当らしさを、似ているという判断だけで測ることが難しいのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

顔つきや身ぶりから感じる「エール」

バルトは、写真からその人固有の存在が立ち上がることを、「エール」(air)という語で考えました。単なる顔の形や個々の性格の特徴を超えて、姿に現れる雰囲気や存在の仕方を指そうとする言葉です。

例えば、家族が何気ない姿勢で写る写真が、改まった記念写真よりもその人らしいと感じられる場合があります。それがなぜかを説明しようとしても、顔の特徴を並べるだけでは届かない。バルトのエールは、他人の存在を写真の中に見いだす経験へ言葉を与えようとしています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

「そっくり」でも感動しない写真がある

写真がその人に似ていることを確認できても、そこに生き生きした姿が感じられない場合があります。逆にあまり鮮明でない古い写真の中に、何気ない表情を通して知っていた相手の気配を感じることがあります。

ここでの違いは、写真をうまく撮ったかどうかという評価だけではありません。写真を見る人が、写された相手とどのような年月を生きたかという関係が影響します。バルトが探した母の「真実」は、そうした個人の歴史と分かちがたく結びついていました。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

写真の中の視線は見る人へ何を返すのか

カメラを見つめる人の写真

肖像写真の中の人物がまっすぐレンズを見ていると、鑑賞者はその人物から見返されているように感じることがあります。人物が実際に見ていたのは撮影時のカメラであり、後年の鑑賞者ではありません。それでも視線が同じ方向へ向いていることで、特別な対面の感覚が生まれます。

写真の視線は時間を越えるように見えて、撮影時の状況に属しています。バルトは、写真に写る眼差しに立ち止まり、そこにある人の存在が現在へ働きかけることを考えました。視線の感覚と過去の現実との関係が、写真の時間の問題を深めます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

不意に目が合うと感じる理由

駅に貼られた昔の人物写真を眺めていて、ふと目が合ったように感じたとします。写真の人物が今こちらを認識しているわけではありません。過去の撮影に向けられた視線を、鑑賞者が現在の自分への働きかけのように受け取ることで、その感覚が生まれます。

写真を見ることは、形を確認する行為であるとともに、他者とどのように関わるかを考える機会にもなります。視線に心を動かされるとき、画像の生成の歴史と見る側の想像は重なりますが、それらの役割を区別することも必要です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

肖像を見つめ続けることの限界

古い家族写真を拡大すると、顔の細部や紙の傷が新しく見えることがあります。どれほど長く見つめても、その写真だけではその人の声や、撮影された日のすべての出来事を知ることはできません。写真が保存するのは時間の断片です。

バルトは、写真を細かく見ることと、愛した人の存在をそのまま取り戻すことの差に向き合いました。写真の鮮明さが増すほど、失われた人へ確実に近づけるとは限らない。その経験が、記録の豊かさと喪失の深さを同時に考えさせます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌)

写真は個人的な思い出であり、公共の記録でもある

アルバムの一枚が史料になるとき

家族のアルバムにあった集合写真が、何十年も後に地域の歴史を調べる資料となることがあります。写真を持つ人にとっては親しい顔を思い出す品物であり、研究者にとっては建物や服装を知る記録です。同じ画像が複数の役割を持ちます。

バルトが母の写真を考えた経験には、この個人と公共の違いが深く関わっています。外の人に伝えられる情報が多い写真でも、家族の長い生活を知らなければ受け取れない意味があります。写真を残すことの社会的な価値と、その人にしか持てない感情は重なりつつ分かれています。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

知らない人物を資料として見ること

博物館に収蔵された家族写真を見ると、撮影年代や家の所在地について学ぶことができます。被写体の名前と生活史が判明すれば、画像を歴史の中に置くことも可能です。それでも他人が写真に感じる親密さを、そのまま再現することはできません。

美術館が写真を収蔵し研究する際には、被写体の来歴を丁寧に調べる仕事が欠かせません。バルトのプンクトゥムの考えを利用するなら、見る人の個人的な反応がどこから来るのかを自覚し、写された人々の歴史的な存在との違いを確認することが重要です。(参照:デューク大学出版局|ヴァン・ダー・ジー《家族写真》と被写体の再研究/e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022))

写真が公開されると何が変わるか

写真を自宅の引き出しから美術館の展示室へ移すと、鑑賞者の数も写真の説明の仕方も変わります。家族が知っていた呼び名に代わり、撮影年代や作家名を示すラベルが付くことがあります。

公開によって写真の価値が広がる一方、被写体にとって親密だった場面が他人に見られることにもなります。作品を自由に見る人の関心と、写された人の尊厳や意思は、どのように両立するのでしょうか。『明るい部屋』の視線論は、写真を公開する制度の倫理へも問いを開きます。(参照:e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022)/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

写真の歴史とバルトの議論はどこで交わるのか

肖像を残すための撮影室

19世紀に写真術が広がると、都市には肖像を撮影するスタジオが増えました。家族や職業、社会的な立場を伝えるために写真を撮る人々が現れます。撮影には装置、光、姿勢を保つ時間が必要で、写真家は被写体を配置して画像を作りました。

この歴史からは、人々が自分の姿を残す目的に応じて撮影方法を選び、写真を制作してきたことがわかります。バルトが撮影される自分の姿について抱いた不安も、肖像という社会的な慣習の中で考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化/コーネル大学|『Camera Lucida』抜粋・撮影される人と視覚体験)

芸術写真と日常の記念写真

美術館に展示される写真は、作者の選択や制作方法について説明されることが多くあります。家庭で飾る記念写真は、誰が写っているかという関係が重要になる場合があります。二つの領域の境界は固定的ではなく、古い家族写真が美術史上の関心を集めることもあります。

バルトは有名な写真家の作品と個人的な家族写真を行き来します。美術としての評価だけでは、その一枚が誰に何をもたらすかを説明できないと感じていたからです。写真史の研究と個人的な鑑賞の経験を分けて考えることが、本の読み方を豊かにします。(参照:メトロポリタン美術館|写真黎明期の肖像制作と社会的役割/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

写真は世界を保存するだけでなく変えてきた

人は写真を使って事件を伝え、都市を記録し、遠くにいる家族へ肖像を送りました。写真を持つ習慣は、誰に自分の姿を示すか、何を記念として残すかという社会の行為にも影響を与えています。

写真が現実と物理的につながるというバルトの議論に、写真が人々の生活をどのように変えたかという歴史的な視点を重ねると、媒体の二つの側面が見えてきます。写真は過去を示す痕跡であると同時に、新しい人間関係を作る物でもあります。(参照:メトロポリタン美術館|写真黎明期の肖像制作と社会的役割/メトロポリタン美術館|1839年以降の写真技術と肖像文化)

写真と映画は時間をどのように違って経験させるのか

静止した一枚から出来事を考える

写真に写る人物の動きは、一瞬の姿として固定されています。写真を見る人は、そこに至る動作や後に続く場面を想像します。撮影時に何が起きたかを確かめられる場合もありますが、静止した画像の中で動作が再び始まることはありません。

バルトが『明るい部屋』で重視したのは、その止まった瞬間が過去の現実とつながっていることです。写真の一枚がいつまでも変わらないために、鑑賞者の側で時間の隔たりが鮮明になります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

映画で動きを追う経験

映画館では次々に現れる画像が人物の運動を作り、観客はその流れに沿って物語や行為を追います。映画と写真は光による記録という技術を共有しながら、鑑賞者が像と向き合う時間を異なる形で組み立てます。

バルトは写真を映画から区別し、自分が一枚を止めて見続けられる条件を重視しました。映画にも静止画面や過去を示す場面があります。ここでの区別は両者の優劣を決めるためではなく、一枚の写真がなぜ特別な時間の感覚を生むかを説明するためにあります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

古い動画を止めて見ると何が変わるか

家族を写した動画を再生すると、声や身ぶりの連続からその場の様子を感じられます。同じ動画を停止して一枚の画面として眺めると、顔の表情や手の位置が前面に現れます。再生中には気づかなかった細部が、停止したときに見えてくることがあります。

この比較は、バルトの書いた時代とは異なる今日の理解を助ける例です。静止させる行為が何を可能にし、動きを見る行為が何を可能にするかを考えると、写真の時間がどのように特徴づけられるかをより具体的に考えられます。(参照:学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023)/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

写真の意味は見る人によってどこまで変わるのか

歴史的な事実と個人的な感情

一枚の写真について、撮影日や写された建物を確認できることがあります。別の鑑賞者がその写真に思いがけない記憶を重ねても、記録された撮影日が自動的に変わるわけではありません。写真を調べる事実の問題と、見る人が感じる経験の問題は区別できます。

バルトの議論は後者を重視する一方で、写真が過去にあった対象に由来するという点を強く打ち出します。写真の意味が人によって違うことと、写真がどんな現実から作られたかという問いを両立させようとしたのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

プンクトゥムを測ることが難しい理由

同じ写真を十人に見せ、誰が何に引かれたかを尋ねれば、複数の回答を集めることができます。それでも写真を見た後にその人が何を思い出すか、何年も後にどんな感情が残るかまで、一回の質問で把握することは難しいでしょう。

バルトが語るプンクトゥムには、測定可能な反応を超えて時間の中で変わる部分があります。そのため写真の品質検査のようにプンクトゥムの数を数える使い方は、原著が捉えた経験から離れます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

写真の読み方に唯一の正解はあるのか

歴史写真を扱うときには、撮影された事実や人物の特定に正誤があります。写真の細部が誰を思い出させるかという問いには、鑑賞者の生活によって違う答えが生まれます。二つの問題を区別すれば、正確さを守りながら個人的な経験も大切にできます。

バルトの文章は、どんな説明も同じように真実だと主張するためのものではありません。自分が感じたことを記述しながら、写真そのものが過去の事物と結びついている条件を考えています。意味の多様さと根拠の吟味が同じ研究の中に存在するのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

スーザン・ソンタグの写真論と何が違うのか

1977年の『写真論』が問う社会の視線

米国の批評家スーザン・ソンタグ(1933–2004)は、1977年に『写真論』(On Photography)を刊行しました。撮影が他者を見る行為であること、写真が現実の受け止め方や社会の記憶を変えることに注目し、報道、観光、写真の消費を批判的に検討した著作です。

ソンタグの問題意識は、写真を使う現代社会の制度や行動に向かいます。バルトも報道写真に触れていますが、『明るい部屋』では一人の鑑賞者の心を揺さぶる出来事から、写真の時間と存在を考えようとしました。二人は重なる主題を別の入口から探究しました。(参照:ファラー・ストラウス&ジルー社|ソンタグ『写真論』1977年刊の書誌/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カナダ建築センター|論文集『Photography Degree Zero』書誌と写真論の受容)

写真を撮る側と写真を見る側

他人を撮影する人には、何を記録するか選び、撮った画像を公開する力があります。ソンタグはその行為が持つ文化的・倫理的な側面を重視しました。バルトは、公開された画像に向き合う鑑賞者がどうして特定の細部に心を奪われるかを追いました。

例えば報道写真について、撮影と公開の経緯を調べることと、写真を見る自分の反応を吟味することは、どちらも必要な作業です。二人の著作を比較すると、写真が持つ力は撮影者、写された人、見る人の関係のどこに注目するかによって異なる形で現れます。(参照:ファラー・ストラウス&ジルー社|ソンタグ『写真論』1977年刊の書誌/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022))

写真への愛着と公共の責任

家族を亡くした人にとって、古い写真はかけがえのない品物です。同時に、戦争や災害を写した写真は、被害を受けた人々の歴史を他者へ伝える記録になります。個人の感情と公共の責任は、一枚の写真の中に同時に存在します。

バルトの問いをソンタグの議論と結びつけると、自分の心に刺さる写真がある理由だけでなく、写真を流通させる仕組みを誰が決めるかという問題も見えてきます。感情の強さと社会的な正当性を区別して考えることが、写真への理解を広げます。(参照:ファラー・ストラウス&ジルー社|ソンタグ『写真論』1977年刊の書誌/e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022))

『明るい部屋』に研究者はどんな疑問を向けたのか

マーガレット・オーリンの2002年の批判

美術史研究者マーガレット・オーリンは、2002年に発表した論文で、バルトが写真の人物や細部を読み取る際の誤認や、写真を見る自分の感情への依存を検討しました。特にヴァン・ダー・ジーの家族写真の読みを通じ、写真の物質的な対象との関係だけでは説明できない鑑賞者の働きを指摘します。

この研究は、バルトのプンクトゥムが他人の人生への想像や鑑賞者自身の記憶から強い影響を受けることを示します。写真に心を動かされる経験は事実ですが、その経験を説明する言葉が被写体の歴史を正確に伝えているかどうかは、別に吟味する必要があるのです。(参照:カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002)/デューク大学出版局|ヴァン・ダー・ジー《家族写真》と被写体の再研究)

見る側だけを中心に置くことへの異論

写真の中の黒人家族の服装に、鑑賞者が自分の家族の記憶を重ねるとします。それはその人の実際の経験を示しますが、写された家族の社会的な立場や願いを説明し終えたことにはなりません。

2022年の『e-flux Journal』に掲載された批判的論考も、バルトが写された人々をどう記述したかに注目しています。プンクトゥムという概念を使うときには、誰の感情が中心に置かれ、誰の声が聞こえなくなるかを考える視点が必要です。(参照:e-flux Journal|『明るい部屋』の写真の読みと被写体をめぐる批判(2022)/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

家族写真をめぐる後世の読み直し

文学・写真研究者マリアンヌ・ハーシュは、家族写真を通して、記憶が世代の間でどのように伝わるかを考えてきました。『明るい部屋』の「冬の庭」の写真をめぐる議論は、画像の中の人物と後年の見る人がどのように関係するかという研究にもつながります。

家族写真を見ている人の経験には、直接にともに暮らした記憶も、他者から聞いた話を受け継いだ記憶もあります。バルトの個人的な喪失を出発点にしながら、写真と世代、記憶の伝達を考える議論が広がりました。(参照:Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究/メトロポリタン美術館|ヴァン・ダー・ジーの写真アーカイブ)

「冬の庭」の写真を見せない選択はどう研究されたのか

個人的な写真を共有することの難しさ

一枚の家族写真を見せながら、写っている人物の大切さを説明することはできます。それでも相手がその写真から同じ感情を受け取るとは限りません。バルトが母の写真を本に載せなかった判断は、写真に見えるものと見る人の記憶の関係を強く意識した選択として読まれてきました。

「冬の庭」の写真が見えないため、読者はバルトがそこに見いだしたものを、彼自身の記述から理解することになります。写真の不在が文章の中心にあるという構成は、この書物を単なる写真図版集から分ける特徴です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

ジェフリー・バッチェンが注目した本の構成

写真史研究者ジェフリー・バッチェンは『明るい部屋』の版面や構成にも注目しました。48の短い節を二部に分けた本には、前半と後半の反転や、図版の見せ方を通じて意味を作る工夫があります。

本の冒頭にはダニエル・ブーディネの1979年のカラー・ポラロイド写真が置かれています。この写真はバルトの本文で詳しく説明されない一方、母の「冬の庭」の写真は言葉で語られても示されません。何を見せ、何を見せないかという編集上の選択も、写真論の内容と深く結びついています。(参照:Cabinet誌|バッチェン『明るい部屋』の構成とブーディネの口絵/ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成)

実在の証明を求めることと本を読むこと

研究者が「冬の庭」の写真の実物を探すことには史料上の意味があります。バルトの文章が語る写真は、その実物を読者が確認できないため、記述と記憶の関係を再検討する余地も残しています。

本の議論を理解するには、写真があったというバルトの証言、実物に関して研究者が確認できる情報、作品としての文章がどのような効果を持つかを区別することが有益です。『明るい部屋』をめぐる議論は、この三つをどのように結びつけるかという問いを今も残しています。(参照:学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023)/ペンシルベニア大学|「冬の庭」写真とクリスチャン・ボルタンスキーの写真作品)

デジタル写真の時代にも「かつてあった」は成り立つのか

フィルムから電子的な記録へ

現在のカメラでは、レンズを通った光が撮像素子に届き、電子的な情報として画像が記録されます。フィルムの銀粒子を使う技法とは異なりますが、通常の撮影では外の場面から来た光によって画像が生成されるという点が共通します。

バルトが1980年に書いたのは主にフィルム写真についての経験です。デジタル撮影について本人が論じたとするのは年代上適切ではありません。それでも「撮影時に対象が存在した」という問題は、写真の形式が変わった現在にも検討できます。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

画像を加工したとき何が残るのか

写真の明るさや色を変えることは、フィルムの暗室でもデジタル画像でも行われてきました。複数の場面を合成した場合には、完成した画像全体が同じ時刻・場所に存在したと考えることが難しくなります。

写真の一部分が実在の物から得られた光に基づいていても、画像全体の説明が事実を表すかどうかは別です。バルトの議論を現在へ応用する際には、画像がどのように生成されたか、どの部分が加工されたかという制作の条件を確かめる必要があります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

生成画像と写真を区別する視点

言葉の指示から人工的に作られた画像は、実在しなかった場面を写真に似せて見せることができます。その画像を見て現実の記録だと思っても、過去に同じ場面がレンズの前にあったとは言えません。

バルトの「かつてあった」は、画像の見た目が写真らしいという判断より、画像の生成の条件へ注意を向けさせます。同時に、光学写真であっても切り取り方や説明文によって誤解は生じます。現代の画像を読むには、制作工程と記述内容の両方を吟味することが重要です。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/学術誌Arts|「冬の庭」写真、静止画・動画と初期写真の時間(2023))

なぜ一枚の写真は長く忘れられないのか

写真の細部が個人の記憶へ届く

ヴァン・ダー・ジーの家族写真でバルトが靴やネックレスに反応したように、ある細部は、別の人には何でもないものとして見過ごされます。ケルテスの《盲目の音楽家》の道は、バルト自身の旅の記憶と重なりました。

二つの例は、写真に心を動かされる理由が、撮影された物の大きさや写真の美しさだけで決まらないことを示します。見る側がそれまで生きてきた時間が細部を特別なものへ変えるのです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002)/ニューヨーク近代美術館|ケルテス《盲目の音楽家》(1921))

写真は過ぎた時間を目の前へ運ぶ

ガードナーのルイス・ペイン像は、1865年の一瞬を現在まで伝えます。バルトは、その後に死んだ青年が写真の中では生きているという時間の重なりに強く動かされました。

同じことは私たちの家庭のアルバムにも起こります。誰かがまだ生きていた頃の姿や、子どもの頃の自分が写っている写真は、過去の存在を目の前で見せます。写真が忘れられなくなる経験には、個人的な記憶だけでなく、過去に実際にあった瞬間が残っているという感覚が深く関わります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/メトロポリタン美術館|ガードナー《ルイス・パウエル(ルイス・ペイン)》(1865))

写真を見つめる人の人生もそこにある

母の「冬の庭」の写真を探したバルトは、自分の人生の中でともに暮らした人を、撮影された幼い姿の中に感じ取ろうとしました。写真には少女の過去の姿があり、そこを見るバルトには後年の数十年の生活があります。

写真の経験を成り立たせるのは、写された一瞬だけではありません。見る人がその写真に出会うまでに経験した時間も重なります。『明るい部屋』が伝えるのは、一枚の記録が記憶と喪失に触れ、過去と現在を同時に感じさせるという写真固有の強さです。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/スイユ出版社|バルト『喪の日記』(1977–79年)の書誌/Taylor & Francis|バルトと家族写真・ポストメモリーの研究)

略年表|写真術の歴史とバルトの思想

  • 1800年|ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが生まれる。
  • 1821年|アレクサンダー・ガードナーが生まれる。
  • 1839年|パリでダゲレオタイプの製法が公開され、写真術が広まる。
  • 1840年代|ヨーロッパや米国で肖像写真の営業が広がる。
  • 1865年4月27日|ガードナーがルイス・パウエル(別名ルイス・ペイン)を撮影する。
  • 1865年7月|パウエルがリンカーン暗殺関連の陰謀の一員として処刑される。
  • 1886年|ジェームズ・ヴァン・ダー・ジーが生まれる。
  • 1894年|アンドレ・ケルテスが生まれる。
  • 1915年|11月12日、ロラン・バルトがシェルブールに生まれる。
  • 1921年|ケルテスがハンガリーで《盲目の音楽家》を撮影する。
  • 1926年|ヴァン・ダー・ジーが後に《家族写真》と呼ばれる肖像を撮影する。
  • 1938–1941年|ウォーカー・エヴァンズがニューヨークの地下鉄乗客を撮影する。
  • 1957年|バルト『現代社会の神話』が刊行される。
  • 1960年代|バルトが文学・広告・画像の意味を扱う記号論の仕事を進める。
  • 1967年|バルトの論考「作者の死」が英語で初出する。
  • 1970年|バルト『S/Z』が刊行される。
  • 1973年|ソンタグによる写真論の論考群の発表が進む。
  • 1977年|ソンタグ『写真論』が刊行される。
  • 1977年10月25日|バルトの母アンリエットが死去する。
  • 1977年10月26日|バルトが後に『喪の日記』として刊行される記録を書き始める。
  • 1978年|クーン・ヴェッシングがニカラグアの武力衝突を取材・撮影する。
  • 1979年|ヴェッシングのニカラグア写真が国際的に紹介される。
  • 1979年4月15日–6月3日|バルトが『明るい部屋』を執筆する。
  • 1979年|ダニエル・ブーディネのポラロイド写真が『明るい部屋』の口絵に選ばれる。
  • 1980年|『La Chambre claire: Note sur la photographie』がフランスで刊行される。
  • 1980年2月|エルヴェ・ギベールが『ル・モンド』紙で刊行されたばかりの本を紹介する。
  • 1980年3月26日|ロラン・バルトがパリで死去する。
  • 1981年|リチャード・ハワード訳『Camera Lucida』が米国で刊行される。
  • 1985年|花輪光訳『明るい部屋』がみすず書房から刊行される。
  • 1997年|みすず書房から『明るい部屋』の新装版が刊行される。
  • 2002年|マーガレット・オーリンが写真の読みと誤認をめぐる論文を発表する。
  • 2009年|バルトの『喪の日記』が死後に編集・刊行される。
  • 2021年|メトロポリタン美術館などがヴァン・ダー・ジーの写真資料を保存・調査する共同事業を発表する。
  • 2023年|ヴァン・ダー・ジーの写真と「冬の庭」の写真について新たな専門研究が刊行される。

まとめ|ある写真が忘れられなくなるのはなぜか

バルトの『明るい部屋』は、写真がなぜ人を動かすのかという問いを、文化的な理解と個人的な衝撃の違いから考えました。ストゥディウムは写真を歴史や社会の知識によって読む働きであり、プンクトゥムは見た人の記憶や身体に不意に触れる細部です。ヴェッシングのニカラグア写真で並ぶ兵士と修道女、ヴァン・ダー・ジーの家族写真の靴とネックレス、ケルテス《盲目の音楽家》の土の道は、写真の何が心に残るかを具体的に示しています。

後半でバルトが考えたのは、写真の細部を越える時間そのものです。母アンリエットを失って見返した「冬の庭」の写真は、本に掲載されていません。バルトだけが知っていた母との生活の記憶を、読者が画像からそのまま受け取ることはできないからです。写真の意味は写された姿と見る人の経験の間に生まれます。同時に写真には、写された対象が撮影時に存在したという「それはかつてあった」の性質があります。

ガードナーが1865年に撮ったルイス・ペイン像を見れば、写真の中で生きている青年と、その後に処刑された人物とが同時に意識されます。写真はかつて存在した瞬間を現在に運び、失われた時間をも感じさせます。オーリンらの後世の研究は、写真を見る側の感情が被写体の歴史を覆ってしまう危険も問い直しました。忘れられない一枚について考えることは、写真の光学的な痕跡、写された人の人生、見る人自身の記憶を区別し、互いの関係を理解することにつながります。(参照:ニューヨーク市立大学|バルト『Camera Lucida』英語訳と章構成/カリフォルニア大学出版局|マーガレット・オーリン「写真に触れる――バルトの誤認」(2002))

参考資料・出典