1966
【美術と哲学】彫刻を見るのになぜ歩き回る必要があるのか
ロバート・モリスと現象学
1966年のニューヨークでは、絵画や彫刻を紹介する画廊が新しい作家たちの活動を支え、美術館も同時代の作品を大規模な展覧会で紹介していました。同年春、ユダヤ博物館で開かれた「プライマリー・ストラクチャーズ」展には、直線や幾何学的な形を用いる若い作家たちの彫刻が並びました。平らな床の上に大きな箱が置かれたり、光を発する構造物が壁に設置されたりする光景は、近代彫刻の見方を変えようとしていました。
アメリカでは公民権運動が続き、ベトナム戦争をめぐる社会的な対立も深まっていました。大学や美術館、画廊、実験的な舞踊の場では、個人が社会や空間にどのように参加するのかが、異なる形で問われていました。ニューヨークの前衛芸術には、舞踊家や美術家が協力して日常の身体の動きを作品にする活動もありました。そこで使われた大きな板や箱は、美術館で展示される彫刻へと姿を変えていきます。
ロバート・モリス(1931–2018)は、こうした環境で彫刻を制作しながら、作品を見る人の身体と空間との関係を考えたアメリカの美術家です。1966年に発表した「彫刻についての覚書」では、簡潔な立体が、かえって豊かな経験をもたらす理由を説明しました。大きな箱やL字形の彫刻は、同じ位置から見続けるより、少し歩いてみることでその性格が鮮明になります。
なぜ彫刻を見るために歩くことが重要なのでしょうか。形の寸法を知っているのに、別の場所から見ると違うもののように感じられるのはなぜでしょうか。モリスの作品と同時代の批評をたどると、彫刻についての問いが、身体を通じて世界をどう経験するかという現象学の問題へつながっていきます。
CONTENTS
- 1966年のニューヨークで、彫刻はどう変わっていたのか
- ロバート・モリスはどのような作家だったのか
- なぜ「彫刻を見ること」が哲学の問いになるのか
- 「彫刻についての覚書」は何を論じたのか
- ゲシュタルトとは何を意味するのか
- 《無題(3つのL字形)》は何を見せるのか
- 見る位置によって形が変わるとはどういうことか
- 彫刻の尺度を決めるのは何か
- 床と壁が彫刻に入り込むとき
- 素材と色はどう働いているのか
- 鏡の立方体は何を映し出すのか
- 現象学は見ることをどう考えたのか
- モリスとメルロ=ポンティはどうつながるのか
- 同時代のジャッドは何を考えたのか
- 絵画の見る経験とはどこが違うのか
- 彫刻が置かれた場所は作品の一部なのか
- 舞台芸術はモリスの彫刻に何をもたらしたのか
- 「作品と観客が同じ空間にいる」とはどういうことか
- ロザリンド・クラウスは彫刻をどう読み直したのか
- マイケル・フリードは何を批判したのか
- ミニマリズムへの批判は何を示したのか
- モリスはなぜフェルトへ向かったのか
- 彫刻と建築はどこでつながるのか
- 後の体験型作品へどのようにつながったのか
- 再制作できる彫刻は何を保っているのか
- 彫刻を見るのになぜ歩き回る必要があるのか
- 略年表|モリスと現象学、ミニマル彫刻の展開
- まとめ|彫刻を見るのになぜ歩き回る必要があるのか
- 参考資料・出典
1966年のニューヨークで、彫刻はどう変わっていたのか
絵画と美術館が集まる都市
1966年のニューヨークには、大規模な美術館と、同時代の新作を素早く紹介する画廊が並んでいました。美術館は購入・収蔵・企画展によって評価を形成し、画廊は作家を展示しながら新しい作品を売り出します。作品がどのような場所に置かれるかは、芸術の受け止められ方と密接につながっていました。
1940年代以降に注目されたアメリカの抽象絵画は、描き手の身体的な筆跡や画面の広がりを印象づけました。1960年代には、床や壁、天井に近い場所へ直接配置する立体作品が増え、部屋の中で作品と対面する行為が議論の対象になりました。(参照:ユダヤ博物館|1966年「プライマリー・ストラクチャーズ」展の歴史)
市民権運動、戦争と文化の場
1960年代のアメリカ社会では、人種差別の撤廃を求める運動とベトナム戦争への反対が広がっていました。1964年の公民権法と1965年の投票権法は、公共生活における権利と参加の仕組みを変えました。こうした社会変化と並行して、芸術の観客をどう捉えるかについても、新しい実験が始まります。
芸術作品に身体を近づけ、歩き、位置を変える行為に注目することは、鑑賞者を静止した視線として扱ってきた議論の前提を問い直しました。社会運動が彫刻の形式を直接生み出したという単純な因果関係ではなく、1960年代の都市の中で、参加と経験の問題がさまざまな領域に現れた歴史として理解できます。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
1966年の展覧会「プライマリー・ストラクチャーズ」
ニューヨークのユダヤ博物館では、1966年4月27日から6月12日まで「プライマリー・ストラクチャーズ:若いアメリカとイギリスの彫刻家たち」展が開かれました。企画した学芸員キナストン・マクシャインは、簡潔な幾何学形態を用いる若手作家を集め、当時の新しい彫刻の姿を観客に示しました。
参加者にはモリスのほか、工業素材を使った立体を探究していたアメリカの美術家ドナルド・ジャッド(1928–1994)、蛍光灯による作品を制作したダン・フレイヴィン(1933–1996)、塗装した柱状の立体で知られるアン・トゥルイット(1921–2004)らがいました。この展覧会は後に「ミニマリズム」を広く紹介した節目と評価されます。参加者の表現には違いも多く、同じ造形理念を共有する統一集団と見るより、複数の実験が出会う場だったことが重要です。(参照:ユダヤ博物館|1966年「プライマリー・ストラクチャーズ」展の歴史)
ロバート・モリスはどのような作家だったのか
絵画から彫刻、そして文章へ
ロバート・モリス(1931–2018)はアメリカのカンザスシティに生まれ、1960年代のニューヨークで活動した美術家です。絵画、彫刻、舞台上の行為、文章を横断し、見る人の身体と作品の関係を繰り返し問題にしました。1961年頃から立体作品に重点を移し、大きく単純な形を床や壁に置く試みを進めます。
モリスは自身の制作を支える理論も発表しました。1966年の「彫刻についての覚書」は、新しい立体作品を実際に見ると何が起きるのかを論じた文章です。造形の単純さと、鑑賞体験の複雑さを区別する考え方は、作品のかたちがなぜ身体の動きと結びつくのかを理解する出発点になります。(参照:ホイットニー美術館|ロバート・モリスの作家解説)
舞踊と舞台で学んだ物体の重さ
モリスは1960年代初め、ニューヨークの実験的な舞踊の場で活動し、演者の動きや道具の移動によって舞台の見え方を変えていました。身体が大きな板を運ぶと、観客は板の寸法を理解するだけでなく、重さや運ぶ時間、演者との距離も感じ取ります。
舞踊に関わった経験は、幾何学的な彫刻の成立に深く関わりました。ディア美術財団は、舞台の道具として作られた簡素な構造物から、身体による知覚を重視する彫刻へと制作が展開したことを説明しています。立体物が「使われる」「置かれる」「近づかれる」経験が、造形上の問いへつながったのです。(参照:ディア美術財団|ロバート・モリスの1964年の展示と作品)
1964年のグリーン・ギャラリー個展
1964年12月、モリスはニューヨークのグリーン・ギャラリーで、灰色に塗った合板製の大きな多面体を展示しました。台座の上に小さな作品を並べる方式と異なり、床や壁、部屋の角を活用して立体を配置しました。観客は作品を見ながら、同時に展示室の境界を意識することになります。
ディア美術財団によると、1962年から1964年に制作された七つの立体のうち、六つが同展で発表され、完成が間に合わなかった《ウォール・フロア・スラブ》は翌1965年1月の別展覧会に出品されました。作品の制作年と展示された時期を分けてたどると、1966年の理論が、先行する制作実験から生まれたことがわかります。(参照:ディア美術財団|モリス作品群収蔵とグリーン・ギャラリー展の記録)
なぜ「彫刻を見ること」が哲学の問いになるのか
同じ物が近くと遠くで違って見える
大きな箱を遠くから見ると、小さな灰色の四角形に感じられることがあります。数歩進むと高さが自分の肩に近くなり、さらに近づくと箱の向こう側が視界から隠れます。形そのものの寸法が変わらなくても、見る経験は次々に変化します。
私たちは普段「物はそこにあり、目で確かめる」と考えます。モリスの彫刻は、物がどのように見えるかが、身体の位置、照明、周囲の空間、これまでの記憶と結びつくことをあらわにします。ものを知るとはどんな経験なのかという認識の問いが、展示室の中で具体的になります。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
一枚の写真と実際の展示室
作品写真には構図があり、撮影者が選んだ一つの位置から立体が写ります。実物の前では、立ち止まる場所を変えられます。作品の後ろを回り込んだとき、写真からは予想できなかった空隙や別の輪郭に出会うこともあります。
ここで問題になるのは、写真が劣っているかどうかという優劣ではありません。静止画像が示す関係と、身体が時間をかけて経験する関係を区別することです。モリスの彫刻は、後者を作品が成立する条件へ組み込みました。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
形式から知覚の条件へ
伝統的な作品論では、作品内部の線、形、構図がどのような調和をつくるかに注意が向けられてきました。モリスは、立体と観客の距離、床との接触、部屋の大きさといった作品の外側の条件も、鑑賞の質を左右すると考えました。
1966年の論考は、単純な立体が置かれた場面を分析して、知覚が時間と場所に依存することを示します。これは視覚がどう働くかという心理学的な研究と、人間が世界をどのように経験するかという哲学的な問いが交差する地点です。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
「彫刻についての覚書」は何を論じたのか
1966年2月と10月の二つの文章
モリスの「彫刻についての覚書」第1部は、1966年2月の『アートフォーラム』に掲載され、第2部は同年10月に続きました。第1部は絵画と彫刻の問題を区別し、単純な全体形と知覚の関係を論じます。第2部では物体の大きさ、鑑賞者との距離、光や展示室の影響が詳しく取り上げられました。
後に続く第3部は1967年、第4部は1969年の発表です。1966年の段階ですでに、幾何学的な物体を超えて鑑賞の状況全体を捉える議論が始まっていました。版や再録を読む際には、論考の各部分がいつ発表されたかを確かめることで、制作方法の変化と理論の展開を混同せずに理解できます。(参照:アメリカ美術アーカイブ|1966年ロバート・モリス「彫刻についての覚書」をめぐる研究資料)
絵画と彫刻を区別する理由
モリスは第1部で、絵画と彫刻には異なる歴史的な課題があると述べます。絵画は平面の支持体と視覚的な表現との関係を問うてきました。彫刻は空間、光、材質が実際の三次元の事実として働く分野であり、その性質を独自に考える必要があるという立場です。
こうした区別は、絵画と彫刻に共通する様式を探す美術史の説明を問い直します。具体的な作品の経験に注目するなら、画面の色を見ることと、大きな立体の隣に立つことを同じモデルで説明できるのか。モリスの答えは、立体の経験から彫刻の価値を考えるという方法でした。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
最初に見える全体と、その後の経験
簡潔な立方体を見ると、人は見えている面が二、三面でも、箱全体を一つの物として捉えます。モリスはこの全体としてまとまる知覚を論じ、単純な形がかえって周囲の条件を意識させると考えました。
作品の大枠を理解するまでにかかる時間は短くても、そこから後の経験には長さがあります。横から見る、遠ざかる、別の箱との間に入る。初めに把握した形が安定しているほど、身体が動くたびに生じる見え方の差が目立ってくるのです。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
ゲシュタルトとは何を意味するのか
部分を集めた以上の全体の見え方
ゲシュタルトとは、知覚の中で形や配置がまとまりとして現れることを説明する概念です。20世紀前半のドイツ語圏で発展したゲシュタルト心理学は、個々の線や色を独立して足し合わせる説明から、図と地、まとまり、配置の働きを重視する研究を進めました。
例えば隣り合う三本の線は、位置によって一本ずつにも三角形の輪郭にも見えます。線の数は同じでも、全体としての見え方が変化するのです。モリスはこの問題を彫刻に持ち込み、簡潔な立体が一つのまとまりとして強く現れることに注目しました。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
単純な立方体を一つの形として理解する
立方体の正面と側面が見えているとき、裏側の面を目で確かめなくても、私たちは完全な箱を思い浮かべます。過去に触れたり動かしたりした箱の経験が、その判断を支えています。モリスは、こうした形の恒常性を利用すると、見る人の位置によって変わる輪郭と、頭の中で安定している形との違いがはっきりすると考えました。
そのため、単純な彫刻を鑑賞するときには、形を見抜いた瞬間で経験が終わりません。一定の形を理解しているからこそ、照明による陰影や見える面の増減を、作品の新たな経験として受け取ることができます。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
単純であるほど経験が豊かになる可能性
飾りの多い像では、顔や衣服や手先などが鑑賞者の注意を引きます。灰色の立方体では、細部の解釈に使う手がかりが少なく、物全体と自分の関係を意識しやすくなります。モリスが言う「形の単純さ」と「経験の単純さ」の違いはここにあります。
何も描かれていないように見える箱の前で、私たちはどの距離が見やすいかを選び、自分より大きい面と向き合います。作品の意味を複雑な図像の中に見つける習慣から、見る行為そのものに注目する態度へ移るのです。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
《無題(3つのL字形)》は何を見せるのか
三つの同じL字形を異なる向きに置く
《無題(3つのL字形)》は1965年に制作された作品で、同形のL字形を三つ、異なる向きに配置します。ホイットニー美術館所蔵の例は、1970年に再制作されたステンレス鋼製の版で、作品記録には「1965年、1970年再制作」と明記されています。制作年と現在の物体が作られた年を分けて理解する必要があります。
三つの単位は、立てる、横に寝かせる、斜めに支えるという配置をとり、同じ構造であると知っていても別々の形のように感じられます。原型の設計と向き、重力の受け止められ方が、鑑賞者の経験を変えるところに作品の中心があります。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
大きさを自分の身体で確かめる
ホイットニー美術館の音声解説によれば、三つのL字形の辺の長さは約8フィート、約2.4メートルです。扉ほどの高さがあるため、私たちはそれを小さな模型としてではなく、自分の背丈と比較できる物体として経験します。横に倒れたL字形では、その長さが床を占める距離として現れます。
近づいて角の部分を見上げると、立体の陰影や、奥にある展示室の見え方も変化します。大きさを数値で知ることと、自分の身体で「大きい」と感じることは、重なりつつ違う経験です。この差が彫刻を歩いて見る理由になります。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
形は等しいのに、見え方は等しくない
横に寝た形は地面の方向へ沈み込むように見え、立った形は空間へ伸び上がる印象を生みます。斜めに支えた形では、二つの角と床との関係が強調されます。三つの物体は同じ寸法でも、重力、床、視線がつくる関係によって異なる姿で経験されます。
ニューヨークを拠点に活動し、早くからモリスの作品を評価した美術評論家アネット・マイケルソン(1922–2018)は、ホイットニー美術館の解説で、鑑賞者と彫刻が同じ空間を共有する点を強調しています。作品を一周すると、同じ形のはずの三つが絶えず違う姿を示し、私たちが「同じもの」と判断すること自体が問いになります。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
見る位置によって形が変わるとはどういうことか
遠近法が働く身体の位置
立体を斜めから見ると、正面に見えていた長方形が台形のような輪郭へ変わります。低い位置から見上げれば上面が隠れ、高い位置から見下ろせば床との接点がわかります。これらは錯覚というより、立体と視点の位置関係に応じた知覚の通常の働きです。
モリスは、既知の安定した形と、その時々の可変的な見え方を区別しました。彫刻が一つの形を維持することと、鑑賞者が見る像が常に変化することは両立します。その二重性に注意を向けると、視覚には身体と空間との関係が織り込まれているとわかります。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
全体を知ることと、今見ていること
誰かから「この三つは同じ寸法です」と教われば、その事実を知識として理解できます。目の前に立つと、横倒しのL字形は低く、立つL字形は高く感じられます。知識による同一性と、瞬間ごとの感覚的な違いは、同時に成立しています。
モリスの彫刻は、作品を正しく理解した後に感覚的な差が消えることを求めません。一定の形を知りながら違って見えること自体が経験の豊かさになります。これは「知っている」と「目の前に現れる」をどう結びつけるかという認識論的な問いです。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
歩く時間が作品の一部になる
展示室の入口からL字形を見ること、間を通ること、反対側の壁から振り返ることは、同時にはできません。人は歩いて場所を移し、以前の見え方を記憶しながら新しい像を比べます。作品の鑑賞には必ず一定の時間がかかります。
「彫刻についての覚書」第2部は、こうした鑑賞を時間の中で展開する経験として論じています。目に見える一瞬の輪郭より、位置の変化に伴って何が変わり、何が同じであり続けるのかを知る過程が問題になるのです。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
彫刻の尺度を決めるのは何か
センチメートルとスケールの違い
同じ高さ2メートルの箱も、広い倉庫と小さな部屋では印象が違います。寸法は物理的な測定値ですが、スケールは人間の身体や場所との比較から生まれる経験です。モリスは、人間の身長が物の大きさを判断する基準として働くことに注目しました。
作品が身体より大きくなると、その前に立つ感覚は手で持てる置物とは変わります。どこまで近づけるか、全体を見るために何歩下がるかといった行動が変わるからです。この比較の仕組みを意識させることが、大きな単純形を選ぶ理由の一つでした。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
親密な物と公共的な物
モリスは1966年の第2部で、身体より小さな物に対する親密な経験と、大きな物に対する公共的な経験を論じました。掌に載る物なら触れて回すことを想像できます。自分を超える立体は、距離を取り、位置を変えながら、外側から全体を確かめる対象になります。
この違いは、物に固定された象徴や物語から生まれるものではありません。身体との大きさの関係が、どのような姿勢を取り、どんな距離を選ぶかに影響するのです。観客を作品の寸法の中へ引き込む方法として、モリスは尺度の問題を提起しました。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
大きければ大きいほどよいのか
作品の巨大さが強くなりすぎると、空間との微妙な関係より圧倒される感覚が前面に出ます。モリス自身も、寸法を単純に増やすことを肯定したわけではありません。第2部には、大きくしすぎると作品の扱う問題が「巨視的な記念碑性」へ傾くという議論があります。
体と作品の比率、展示室の面積、近くにある別の物との関係を考えてこそ、尺度は造形上の働きを持ちます。大きな箱を作ること自体を目的にせず、人がその横に立ったときにどんな関係が生まれるかを選ぶ判断が必要になるのです。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
床と壁が彫刻に入り込むとき
台座を離れた作品との対面
伝統的な彫刻には、台座で作品の領域を展示室の床から区切る方法が多くありました。モリスの大きな幾何学形態は、床に直接置かれ、建物の壁や角と近い関係を持ちます。作品が占める空間は、観客が歩く空間と連続しています。
足元から立ち上がる灰色の形を見ると、人は自分がすでに立っている床を意識し始めます。作品が作品だけの別世界をつくるという印象から、同じ部屋にある物と身体が向き合う経験へ焦点が移ります。(参照:グッゲンハイム美術館|モリスの制作史と彫刻)
《コーナー・ピース》と部屋の角
モリスの《無題(コーナー・ピース)》は1964年の構想で、灰色に塗装された合板の立体です。グッゲンハイム美術館の作品記録では、2013~14年に再制作された個体の大きさを約198.1×274.3×193.1センチメートルと示しています。部屋の隅を活用する形は、普段あまり注目しない二枚の壁の交点を強く意識させます。
展示室の角は、壁面と床面を含む三つの方向から決まります。そこに大きな立体を入れると、角の広がりや奥行きが作品の存在によって感じられます。作品に触れなくても、空間の見方そのものが変わるのです。(参照:グッゲンハイム美術館|《無題(コーナー・ピース)》作品記録)
《クラウド》《コーナー・ビーム》が変える部屋
ディア美術財団が保存・再制作するグリーン・ギャラリー期の作品には、天井と床の間を意識させる《クラウド》(1962年)や、建築の角を横切る《コーナー・ビーム》(1964年)があります。どちらも、彫刻の輪郭が建物の構造をどのように際立たせるかを試みています。
見る人は立体を回り込むだけでなく、それを囲む壁と天井との距離にも気づきます。同じ立体物でも置かれた部屋が変われば感じられる関係は変わるため、展示の方法は作品の理解に欠かせない条件になります。(参照:ディア美術財団|モリス作品群収蔵とグリーン・ギャラリー展の記録)
素材と色はどう働いているのか
灰色に塗られた合板の効果
初期のモリスの立体は、建築資材として身近な合板を組み立て、灰色に塗装したものです。強い筆跡や細かな彫刻的な表面処理が少ないため、見る人の注意は材の細部より、形の輪郭と全体の大きさ、床との関係へ向かいます。
モリスが重視したのは、物体の表面を情報で満たすことから、物全体の姿を強く感じさせる方法への転換です。均一な色は「何もない」状態をつくるためでなく、形を一体として見せる条件の一つとして機能していました。(参照:グッゲンハイム美術館|モリスの制作史と彫刻)
色をめぐる絵画との違い
モリスは第1部で、絵画における色彩の視覚的な働きと、彫刻の形・質量・比率が身体に関わる働きの違いを論じています。鮮やかな色は、見る人の注意をそれ自体へ引き寄せやすく、立体全体の形や大きさの経験を変えてしまうことがあります。
この指摘は、色の豊かな彫刻すべてを否定する一般原則ではありません。1960年代半ばのモリスが、特定の効果を得るためにどんな判断をしていたかを示します。灰色の立体にも光の当たり方によって明暗が生まれ、表面が視覚の条件から切り離されることはありません。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
鉄、アルミニウム、合板の意味
1960年代後半のモリスは、合板のほか、アルミニウム、ガラス繊維、金属網などの素材にも取り組みました。近代建築や工業で使われる材料は、手で粘土を造形する伝統と異なる制作工程をもたらします。寸法を指定し、材料を加工し、組み立てるという方法が、作品の考え方を支えました。
現在美術館で見る彫刻には、初期に作られたものと、のちに作者の指示や承認に基づいて再制作されたものがあります。物の材料、寸法、展示の指示が何を同一の作品として保つのかという問題も、この制作方法から生まれます。(参照:グッゲンハイム美術館|パンザ・コレクションのモリス作品と再制作)
鏡の立方体は何を映し出すのか
1965年《無題(鏡の立方体)》
モリスの《無題(鏡の立方体)》は1965年の作品です。マイアミのペレス美術館は、木材に鏡を貼った一辺約61センチメートルの立方体四つが周囲の空間を映し返し、観客自身の身体と展示室の関係を意識させることを解説しています。反射面には、壁や照明、人の移動に伴う像が現れます。
形としては規則的な立方体でも、映り込む光景は設置された場所によって大きく変化します。美術館で同じ作品を見る人同士でも、それぞれの立つ位置によって体験する映像は異なります。幾何学的な物体が、周囲の世界を取り込む装置となるのです。(参照:ペレス美術館マイアミ|モリス《鏡の立方体》(1965年))
鏡に映る鑑賞者の身体
鏡面に映る自分を見ようとすると、体の向きや距離を調整します。歩くと、こちらの身体も像も動き、立方体の角で映り込みが途切れたりつながったりします。反射を観察する行為は、自分がこの部屋の一部であることを知る経験でもあります。
通常は作品の外側にいるつもりの鑑賞者が、鏡に映るという形で視覚的な出来事の内部に現れます。ここでは作品と観客の関係が直接見えます。移動と知覚のつながりが、立体の輪郭を見る場面とは違った仕方で経験できるのです。(参照:ペレス美術館マイアミ|モリス《鏡の立方体》(1965年))
反射の変化と立体の一定した形
鏡の立方体そのものは一定の寸法を保っていても、表面に現れる景色は絶えず変化します。外の光が変われば映像の明るさも変わり、観客が立ち去れば自分の姿も消えます。この変化は、物体が置かれた場所との相互作用に由来します。
《鏡の立方体》は、作品を一つの固定した外観として捉える見方を揺さぶります。経験する像が変わり続けることは、外界が不安定だからというより、見る身体と周囲の条件が絶えず変わりうるためです。(参照:ペレス美術館マイアミ|モリス《鏡の立方体》(1965年))
現象学は見ることをどう考えたのか
フッサールから始まる経験の記述
現象学は、20世紀初頭のドイツでエトムント・フッサール(1859–1938)が体系的に展開した哲学の方法です。人が物事をどのように経験しているかを、経験の成立の仕組みから記述しようとします。見えている対象を説明するとき、その対象へ向かう意識の働きにも目を向けます。
彫刻を見る場面なら、「そこに灰色の箱がある」という判断が、どの位置からの眺めや周囲の文脈に支えられているかを問います。対象を捉える際の条件を探るという点で、モリスの作品を考える方法と接点が生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティの知覚と身体論)
メルロ=ポンティと身体の知覚
フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908–1961)は、フッサールの現象学を受け継ぎ、身体を通して世界が経験される仕組みを考えました。1945年の『知覚の現象学』では、私たちの身体が空間の中で行動しながら対象へ向かうことを、知覚の根本的な特徴として説明しています。
例えば家具を避けながら歩くとき、私たちは毎回、家具の位置を数値で計算してから動くわけではありません。長年の習慣や身体の動きが、空間を使いこなすことを可能にしています。この視点は、大きな彫刻の近くを歩くときに自分の身体が果たす役割を理解する助けになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティの知覚と身体論)
身体は鑑賞の外に置けるのか
彫刻の周囲を一周する間、視界に入る物の配置は変わります。頭を動かし、足を運び、距離を保つという身体の活動と、作品の見え方が結びついています。メルロ=ポンティの現象学では、知覚する身体は、物の世界の中にすでに位置を占める存在として考えられます。
モリスの彫刻では、この身体的な関係が作品の重要な経験になります。目で見ることと、移動することを別々の活動として切り離すと、作品がどのように現れるのかを十分に説明できません。経験の記述という哲学上の方法が、立体の鑑賞へ結びつくのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティの知覚と身体論)
モリスとメルロ=ポンティはどうつながるのか
1966年に交差する芸術論と現象学
モリスが1966年に発表した「彫刻についての覚書」では、形のまとまりと鑑賞者の移動が重要な問題になります。これらはメルロ=ポンティが論じた身体と知覚にも通じます。1960年代の美術批評では、現象学の概念が立体作品を解釈するために使われるようになりました。
実際の関係を調べると、作家の文章に現象学の考えが直接引用されているか、後世の批評家が二つを結びつけているかを区別する必要があります。内容上の親近性と思想の直接的な継承は、異なる種類の歴史的な関係だからです。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
ロザリンド・クラウスの1966年の批評
アメリカの美術批評家ロザリンド・クラウス(1940年生まれ)は、1960年代のミニマル彫刻を理解するため、鑑賞者の身体と視点の問題を重視しました。1966年5月にジャッドの作品について発表した論考では、メルロ=ポンティの現象学を参照しています。
この批評は、作品の見え方を単なる光学的な現象へ還元せず、身体の位置によって成立する経験として読む道を開きました。モリスの第2部が発表される1966年10月より前に、現象学と新しい立体作品を結びつける議論が流通していた点は重要です。(参照:ブルゴーニュ大学学術誌|1960年代の美術批評と現象学)
直接の影響について研究は何を述べるか
美術史家カー・ヒューストンは2019年の『鑑賞者の位置』で、1966年前半のモリスの議論にメルロ=ポンティの明示的な引用が見られないことと、同時期のクラウスの批評を通じた現象学の受容を区別して検討しました。思想と作品が似た問題を扱うことだけから、読書や直接の影響を断定することはできません。
美術史上確かなのは、モリスの作品と論考が、知覚する身体をめぐる哲学的な読みを促したことです。その接点は、1960年代の批評家の文章と、のちの専門研究によって検討され続けています。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
同時代のジャッドは何を考えたのか
「特定の物体」が示した立体の自由
ドナルド・ジャッド(1928–1994)は、アメリカで活動した美術家・批評家です。1965年に刊行された論考「特定の物体」で、近年の優れた制作の中には、絵画にも伝統的な彫刻にも収まりにくい三次元作品があると論じました。壁面や台座の慣習から離れ、物体としての構造や配置を探る試みを説明しています。
ジャッドとモリスは、立体が持つ独自の可能性を重視した点で接しています。ジャッドの文章は多様な新作を説明するもので、一人の作家や単一の様式を規定する宣言として理解すると、原著の複雑さが見えにくくなります。(参照:ドナルド・ジャッド財団|「特定の物体」と1960年代の批評)
物体が一つのまとまりになる
ジャッドの制作では、反復する箱や規則的な部材が、個々の装飾より全体の構造を強く感じさせます。部材の数や間隔、壁と床との関係は、鑑賞者がどの位置から見るかにも影響されます。1960年代の作家たちが共有したのは、平面上の描写だけでは得られない空間的な問題への関心でした。
モリスはその中でも、見る人が全体の形を一度に把握した後、周囲の条件によって経験が変わることを詳しく論じました。ジャッドの物体の制作原理と、モリスの知覚の記述を並べると、同じ時代に異なる理論上の重点が存在したことがわかります。(参照:ドナルド・ジャッド|「特定の物体」(1965年)の原文再録)
「ミニマリズム」という言葉の幅
簡潔な形態、工業的な素材、反復する構造は、しばしばミニマリズムの特徴として説明されます。1966年の展覧会に参加した作家には、同じ視覚語彙を使いながら異なる動機で制作した人々もいました。ジャッド自身も、新しい三次元作品を一つの運動や流派へ限定することに慎重でした。
美術史の分類名は作品を比較するうえで便利です。モリスの具体的な論考を読むと、分類名の奥に、作品をどのように見るか、鑑賞者の身体をどのように考えるかという固有の議論が見えてきます。(参照:ドナルド・ジャッド|「特定の物体」(1965年)の原文再録)
絵画の見る経験とはどこが違うのか
平面の前に立つことと立体の間へ入ること
絵画の前でも人は歩き、離れ、細部を見るために近づきます。彫刻の特徴は、絵画の周囲と鑑賞者の関係以上に、立体そのものが展示室の床を占め、観客の通り道や視線を変えることにあります。物体が自分の行動する空間に入り込むため、歩く経験が際立ちます。
モリスの理論が対象とするのは、視覚を身体の活動とつなぐ彫刻固有の条件です。立体の奥に回ること、角を避けること、二つの物の間に立つことが、鑑賞者の経験に新しい局面をつくります。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
キュビスムの多視点との関係
20世紀初頭のキュビスムでは、対象の異なる側面を一枚の画面へ組み合わせる表現が発展しました。観客は描かれた断片を比べながら、複数の視点を視覚的に経験します。モリスは、この問題と新しい彫刻の経験を区別しています。
新しい彫刻では、さまざまな眺めが画面上へ同時に組み込まれる代わりに、観客が実際に位置を変え、その順序を時間の中で経験します。作品の前での身体運動が、視点の違いを生み出す仕組みです。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
写真で作品を再現すると何が残るか
作品の写真は、形態、材料、展示された姿を記録し、後から研究する手がかりになります。美術館の作品記録には、別の機会に再制作された物体や異なる配置の写真も含まれます。写真を見ることで、実際には訪れられない展覧会を理解する可能性が広がります。
作品を歩いて経験するときには、移動によって変わった距離感や、隣の壁の圧迫感も関わります。記録を通して知ることと、実物の前で確かめることを結びつけることで、モリスが探究した彫刻の固有性を具体的に考えられます。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
彫刻が置かれた場所は作品の一部なのか
展示室が変わると同じ立体も変わる
同じ大きさのL字形を、窓から日光が入る広い部屋と、天井の低い人工照明の部屋に置いたとします。形の寸法は同じでも、陰影、周囲との距離、壁の見え方は異なります。モリスは1966年の論考で、こうした変化を造形の外にある偶然として片づけず、作品の経験を成立させる条件として考えました。
さらに観客の身体の高さや歩く速度も異なります。作品は物として一定の輪郭を持ちながら、経験としては多様な姿を示します。展示室の配置が単なる背景で終わらないことが、モリスの問題提起の核心です。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
配置を決めることが制作になる
モリスの《3つのL字形》は、所蔵館によると展示空間に応じて三つの単位の配置を変えることが認められています。作品の同一性を保ちつつ、何を手前に置き、どれほど間隔を空けるかという選択によって、観客の動きや視線を変えることができます。
従来なら完成後の実務と考えられがちな設置も、作品の経験をつくる重要な決定となります。作家の指示、美術館の空間、鑑賞者の行動が、立体の意味の現れ方に影響します。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
設置場所と「場に固有」の作品
モリスの作品では、建物の角や床の広がりを活用する方法が早くから試みられました。後世の美術史では、このような制作が展示場所の条件へ注意を向けた重要な転換として論じられます。作品が特定の場所に適応する度合いには幅があり、移設・再制作できるものと、場所に強く依存するものを区別できます。
展示室との結びつきが深いからといって、すべての作品が一度しか設置できないわけではありません。モリスは同じ作品を別の環境で再制作する可能性も探っています。そのとき何を保ち、何を変えてよいかが、保存と展示をめぐる問題として残ります。(参照:グッゲンハイム美術館|パンザ・コレクションのモリス作品と再制作)
舞台芸術はモリスの彫刻に何をもたらしたのか
ジャドソン・ダンス・シアターと身体
1962年に活動を始めたジャドソン・ダンス・シアターは、ニューヨークの前衛的な舞踊の場でした。高度な舞踊技術に限定されない日常の身ぶりや、物の操作を取り入れ、演者の身体そのものを新しい仕方で見せました。モリスはこうした実験に関わった美術家の一人です。
演者が大きな板を運ぶ姿を見れば、観客はその板を一つの形として認識すると同時に、運ぶ人の体勢や所要時間を感じ取ります。物と身体の関係を扱う感覚は、グリーン・ギャラリー期の立体作品にも続いていました。(参照:グッゲンハイム美術館|モリスの制作史と彫刻)
《サイト》における板の移動
モリスの舞台作品《サイト》(1964年)には、美術家キャロリー・シュニーマン(1939–2019)が参加しました。舞台上でモリスが合板を移動させ、横たわるシュニーマンの姿を隠したり現したりする構成です。彼女の姿勢は19世紀フランスの画家エドゥアール・マネ(1832–1883)の《オランピア》(1863年)を参照しており、歴史的な絵画と実際の身体が舞台で関係づけられています。
板は背景を作る道具であると同時に、観客がその大きさや動きを追う物体でもあります。舞台の上で形が現れたり消えたりする経験が、後に動かない彫刻を観客が歩いて見るという問題へつながっていきます。(参照:ヴァリアブル・メディア・ネットワーク|モリス《サイト》(1964年))
時間をかけて構成される視覚体験
舞台では、物体の位置が時間とともに変わり、観客はその順序を受け取ります。床に置かれた彫刻では、物体の配置が変わらなくても、観客の方が移動します。どちらの経験でも、身体と物体の相対的な位置が、見える世界を変化させます。
モリスの作品を舞踊と切り離さずに見ると、静止した形がなぜ時間を伴う経験になるのかを理解できます。観客が自分の身体を動かすことが、見るための条件をつくるのです。(参照:ディア美術財団|ロバート・モリスの1964年の展示と作品)
「作品と観客が同じ空間にいる」とはどういうことか
鑑賞者を目に見えない基準にする
絵の構図を考えるとき、画面の中の線の交差や色の位置は、紙や布の枠内で検討できます。モリスの大きな立体では、観客がどこに立つかによって床に占められる空間の感じ方が変わります。作品の外にいる人が、作品の経験を生み出す関係の中に組み込まれます。
モリスは、対象を見る人の身体を尺度や視点の基準として扱いました。作品を測る物差しとしての身体だけでなく、物を避けたり向きを変えたりする活動そのものが、鑑賞の条件になります。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
近くを通るときに何を感じるか
大きな立体と壁の間に、人が通れるほどの隙間があるとします。実際にそこを歩けば、立体の面を近くに感じ、壁と物との関係を全身で理解します。入口から眺めていたときには見えなかった空間の性質が、移動によって現れます。
モリスの作品は、見る人を必ず特定の経路へ誘導する仕掛けと同じではありません。配置がいくつかの選択を生み、観客が自ら距離や角度を変えながら確かめることに重きが置かれています。(参照:ディア美術財団|モリス作品群収蔵とグリーン・ギャラリー展の記録)
身体的な知覚がもつ個人差
背丈が違えば、立体を見上げる角度も変わります。歩行速度や視力、車いすで移動する人の視線の高さによっても、経験は異なります。モリスの文章は一定の身体尺度を前提として説明していますが、実際の鑑賞は一人ひとりの身体的な条件に結びついています。
この点を考えると、鑑賞者を作品の中心に置く美術は、観客の多様さをどう捉えるかという問題にもつながります。美術館の通路や展示方法を検討する現在の議論でも、身体と空間の関係が重要です。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
ロザリンド・クラウスは彫刻をどう読み直したのか
作品の内部から鑑賞者の経験へ
クラウスはアメリカの美術批評・美術史研究で活動し、1960年代後半から彫刻と知覚の関係について論じました。抽象的な形を「何の象徴か」と読むだけでは捉えきれない経験として、鑑賞者が身体を動かすことで得られる視覚の変化を重視しました。
メルロ=ポンティの現象学を手がかりにする批評では、対象を離れた視点から完璧に理解することより、特定の位置から現れる経験を分析します。この視点は、モリスの作品の前で歩くことに哲学的な意味を与えました。(参照:ブルゴーニュ大学学術誌|1960年代の美術批評と現象学)
ゲシュタルトから移動する視点へ
1966年のモリスの第1部には、単純な形をまとまりとして把握するゲシュタルトの議論が中心にあります。第2部では、そのまとまりが安定しているからこそ、見る人の移動による見え方の変化を意識できるという論理が詳しくなります。
美術史の研究では、この展開が現象学的な鑑賞論を強めた過程として説明されます。初めに形を知り、次に変化を経験するという順序をたどると、二つの論考がどのようにつながっているかがわかります。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
批評が作品の意味を広げるとき
モリスは制作と文章によって、新しい彫刻を考えるための言葉を提出しました。同時代の批評家は、それを現象学や美術史の別の議論と結びつけ、新たな解釈を行いました。作品を実際に見た経験と、哲学書の概念を照らし合わせる研究は、その後も続いています。
現象学を用いた説明は、彫刻の経験を理解する一つの方法として役立ちます。作品の制作に直接使われた概念と、後に研究者が適用した概念を資料に沿って分けることで、思想と美術の関係をより正確に捉えられます。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
マイケル・フリードは何を批判したのか
1967年「芸術と物体性」の登場
アメリカの美術批評家・美術史家マイケル・フリード(1939年生まれ)は、1967年に「芸術と物体性」を『アートフォーラム』に発表しました。フリードは、作品と観客が同じ空間で向き合う状態を前面に出す新しい立体作品を批判し、その経験を「演劇性」という概念によって論じました。
モリスが作品と観客の相互関係を新たな価値として扱ったのに対し、フリードは、鑑賞者の存在と時間に依存することが芸術の自律性を損なうと考えました。これは1960年代の美術批評で大きな対立となりました。(参照:芸術史映像資料アーカイブ|マイケル・フリード「芸術と物体性」書誌)
演劇性とは観客を必要とすること
演劇では、舞台上の出来事は時間の中で進み、観客がその場にいることを前提とします。フリードは、ミニマルな立体が観客との遭遇の状況を強調することを、演劇に近い状態と捉えました。作品の物体性と、見る人が参加する経験との関係が批判の対象です。
ここで対立しているのは、作品の形の好みだけではありません。芸術はどのような仕方で経験されるべきかという規範そのものです。フリードの批判を読むことで、モリスが重視した観客の移動が、当時どれほど論争的だったか理解できます。(参照:テイラー&フランシス|フリード「芸術と物体性」の研究史と初出)
「作品が完結する」とはどういう意味か
モリスの立体は、鑑賞者が歩くたびに違う姿を見せます。フリードは、作品が観客との関係によって成り立つことを重視する方向に強い疑念を示しました。鑑賞の状況に左右されるという性質を、芸術にとってどのように評価するかが争われたのです。
この論争に単一の決着がついたわけではありません。作品の独立した構造を評価する考え方と、鑑賞者の身体や時間を重視する考え方は、その後の美術批評でもさまざまな形で発展しました。(参照:芸術史映像資料アーカイブ|マイケル・フリード「芸術と物体性」書誌)
ミニマリズムへの批判は何を示したのか
身体を基準にすることの強みと限界
人間の身長を基準にして彫刻の大きさを考える方法は、作品と自分の関係を直感的に理解させます。見上げる、通り抜ける、遠ざかるという行為が、造形の一部になります。
同時に、標準的な身体を暗黙の基準にすると、鑑賞者の違いが十分に説明されない場合があります。現代の美術史は、鑑賞者の身体に注目する議論を受け継ぎながら、身体の多様性や、誰が展示空間へアクセスできるかという問題も検討しています。(参照:ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年))
白い展示室は中立なのか
1960年代のモリスは、展示室の床や壁を造形の条件として捉えました。美術館の空間は、照明、動線、作品間の距離によって経験を変えます。白く均質に見える空間にも、作品を置くための制度的な選択や建築上の条件があります。
作品の経験に展示室を含めることは、美術館そのものを検討するきっかけにもなります。見える形だけを記録する方法から、どのような環境で誰が鑑賞できたかをたどる美術史へと関心が広がりました。(参照:ユダヤ博物館|1966年の彫刻展とその国際的再検討)
1966年の展覧会を国際的に見直す
2014年、ユダヤ博物館は「アザー・プライマリー・ストラクチャーズ」展を開き、1966年の展覧会が主にアメリカとイギリスの作家を対象としていたことを再検討しました。アジア、南米、アフリカ、中東、東欧で同時期に行われた立体の実験も紹介しています。
幾何学的な立体や空間への関心は、1960年代のニューヨークだけに存在した現象ではありません。同時代の別の地域にも独自の歴史があり、近似した形態の作品であっても制作の目的や背景が違うことがわかります。(参照:ユダヤ博物館|1966年の彫刻展とその国際的再検討)
モリスはなぜフェルトへ向かったのか
1960年代後半の柔らかい物体
モリスは1960年代後半、硬い幾何学形態に加えて、フェルトや布の切れ端、土などを用いる制作へ広がりました。物体を置いたとき、材料が重力によって垂れたり広がったりする性質が作品の姿を決めます。作品があらかじめ定めた図面どおりの形に収まるという制作の考え方が変化していきました。
この展開は、1966年の理論を放棄した単純な断絶としては説明できません。作品の形をつくるものが何なのかを探る関心が、観客の視点から、材料が受ける力や時間の作用へと広がったのです。(参照:ニューヨーク近代美術館|モリス《無題》(1968年)と素材の実験)
1968年《無題》の素材の集積
ニューヨーク近代美術館所蔵の1968年《無題》には、フェルトや繊維くず、アスファルト、鏡、木、銅管、鋼索、鉛などが使われています。大きさは設置方法によって変わり、まとまった一つの幾何学形態から離れた物体の集まりとして現れます。
同館は、この作品でモリスが素材の偶然的な働きや不確定性を積極的に受け入れたことを説明しています。材料をどのように置くかという行為と、時間を経て素材がどんな姿を取るかとの関係が、新たな制作上の問題になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|モリス《無題》(1968年)と素材の実験)
1968年の「アンチ・フォーム」
モリスは1968年の論考「アンチ・フォーム」で、硬い形を最初から完成図として規定することへの問いを深めました。切ったフェルトを吊す、落とす、積み重ねると、重力や材質が結果を左右します。作者は条件をつくり、その条件の中で物が形になる過程を受け止めます。
この時期の作品では、観客が周囲を歩いて知ることに加え、素材がどのように姿を変えたかを理解することが重要になります。1966年の立体と比べることで、モリスの関心が鑑賞の条件から制作の過程へ広がった歴史をたどれます。(参照:ニューヨーク近代美術館|モリス《無題》(1969年)の展示解説)
彫刻と建築はどこでつながるのか
部屋を見せる立体
《コーナー・ピース》や《クラウド》を見ていると、私たちは物体だけでなく、天井の高さや壁の角度を意識します。作品の形が単純なほど、周囲の建築が持つ方向や境界が目立ちます。
彫刻と建築の関係を考えるとき、作品が建物の装飾であるかどうかより、空間の経験をどう変えるかが問題になります。モリスは、床、壁、天井という日常的な環境を、造形の重要な条件として扱ったのです。(参照:ディア美術財団|ロバート・モリスの1964年の展示と作品)
観客の通り道と彫刻の配置
大きな立体を展示室の中央に置けば、その周囲に歩くための動線が生まれます。同じ立体を壁のすぐ近くに置けば、間を通れなくなることがあります。物体の表面が変わらなくても、観客の動きと空間の感じ方は変化します。
展示計画には安全性や作品の保存、ほかの観客との距離など現実の条件もあります。モリスの問題提起は、彫刻の外側にあるこうした環境を、見ることの条件として理解する方向へ進みました。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
屋外へ向かう可能性
モリスは1966年の第2部で、建築の内部にある展示空間から、屋外へ彫刻を移す可能性にも言及しています。外では天井や壁が背景となる代わりに、地面の起伏、空の広がり、歩く距離や自然光が強く働きます。
この考えは後年のランド・アートに関連して読まれてきました。1960年代後半のモリス自身も土や環境を取り入れる制作へ進み、彫刻の経験が展示室の外側へ広がっていきます。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
後の体験型作品へどのようにつながったのか
1971年のテート・ギャラリー展
モリスは1971年、ロンドンのテート・ギャラリーで、観客が実際に身体を使う展示を行いました。斜面、重り、ロープなどが置かれ、観客は物に接触しながら動くことができました。展示は安全上の問題を受けて開幕から四日で閉鎖され、鑑賞への参加が伴う現実的な条件を浮かび上がらせました。
1966年の大きな箱の周囲を歩く経験と、1971年の物を使う経験には違いがあります。モリスは、鑑賞者の身体が関わる度合いを変えながら、空間や物体の経験がどのように生まれるかを試み続けました。(参照:スマートヒストリー|モリス《身体・空間・運動・物》(1971/2009年))
2009年の再構成と鑑賞の変化
2009年、テート・モダンでは1971年の展示に関わる構造を「身体・空間・運動・物」として再構成しました。安全性を考慮した素材や運営のもと、観客が坂や物体の上で動く体験を改めて提供しました。展示の制度と観客の振る舞いは、約40年の間に変化しています。
同じ構想を再び提示するとき、物体の形だけでなく、参加の方法や規則をどのように決めるかが課題となります。身体的な経験を作品と考えることは、保存し再展示する方法にも新しい問いをもたらしました。(参照:スマートヒストリー|モリス《身体・空間・運動・物》(1971/2009年))
身体参加と見ることの違いを保つ
観客が作品へ触れることを認めるかどうかは、作家や展覧会によって異なります。1960年代半ばのモリスの大きな立体では、主に周囲を移動し、見る身体の位置を意識することが中心でした。1971年の体験型展示では、物体に触れて身体を動かす仕組みがより前面に出ました。
それぞれの制作時期に何が認められ、何を観客に求めたかを区別することで、身体を重視する美術を単一の「参加型」という言葉でまとめずに理解できます。(参照:スマートヒストリー|モリス《身体・空間・運動・物》(1971/2009年))
再制作できる彫刻は何を保っているのか
作品の寸法と制作指示
モリスの初期の合板彫刻には、制作時の物体を常にそのまま保存する方法と、仕様に基づいて後に再制作する方法が関わっています。グッゲンハイム美術館は《コーナー・ピース》について、展示に際して再制作できる性質を説明しています。形状や色、配置の条件が作品を同定する根拠となります。
こうした作品では、一つの物体の素材が古くなることと、作品という構想が継続することを区別できます。作品をどのような条件で作り直せるかという判断は、作家の意図と美術館の保存研究の双方に関わります。(参照:グッゲンハイム美術館|《無題(コーナー・ピース)》作品記録)
ホイットニーのL字形は1970年に再制作
ホイットニー美術館の《3つのL字形》は1965年の作品で、同館が記録する所蔵品は1970年に再制作されたステンレス鋼製の版です。「1965年の作品」と表すことと、「1965年に現在の物質を組み立てた」と記述することは、同じ意味ではありません。
作品の同一性を支えるものとして、形態の規則、三つの同じ単位、異なる置き方、鑑賞者が歩いて経験する関係があります。素材や再制作の履歴を踏まえることで、作品の歴史をより正確に理解できます。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
変わる設置と変わらない構想
物体の配置を変えると観客の動線が変わり、作品の印象も変化します。モリスの立体は、一定の造形上の条件を維持しながら、展示のたびに異なる場所との関係を生み出せます。作品を固定した姿で記録することと、経験を保存することの間には複数の方法があります。
彫刻における真正性を素材の古さだけで判断する考え方は、ここで再検討されます。どんな仕様と設置条件が作品を成立させるのかは、個々の作品記録に沿って判断する必要があります。(参照:グッゲンハイム美術館|パンザ・コレクションのモリス作品と再制作)
彫刻を見るのになぜ歩き回る必要があるのか
止まっている形と動く身体
立体の周囲を歩くと、物体の寸法は変わらなくても、見える面、陰影、壁との距離が変わります。歩く前と歩いた後の見え方を比べることで、私たちは立体を一つの固定した物として理解すると同時に、変化する経験として受け取ります。モリスの1966年の論考は、この二つの関係を彫刻の固有な問題に据えました。
身体を移動させることは、隠れている裏面を確認するためだけの作業に収まりません。ものを見る条件がどう変わるのかを知る過程になり、作品と自分が同じ空間にいることを実感させます。(参照:ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録))
L字形から学べる知覚の仕組み
三つのL字形は同じ形なのに、立て方によって違う印象を与えます。自分より高いものを見上げる感覚、床の近くを横に広がる形を見る感覚、斜めの単位が空間を分ける感覚はそれぞれ異なります。数学的な同一性を知った後も、この違いは消えません。
作品を歩いて見ると、知識だけでは捉えきれない身体的な経験が重なります。その結果、見ることは受け身の観察に加えて、位置を選び、動きながら世界を知る営みとして現れます。(参照:ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説)
世界の中で見ることを引き受ける
メルロ=ポンティの現象学は、人間が自分の身体を通して世界を経験することを明らかにしようとしました。モリスの彫刻は、立体と部屋、見る人の身体が関係し合う場面を具体的な作品によって生み出しました。両者を結びつけると、知覚には場所と時間と身体が伴うことがわかります。
彫刻を見るために歩き回る理由は、作品の正解を探すためだけではありません。歩くことで、それまで気づかなかった空間の関係が現れ、見る人自身がその経験の成立に関わっていることを理解できるからです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティの知覚と身体論)
略年表|モリスと現象学、ミニマル彫刻の展開
- 1859年|エトムント・フッサール誕生
- 1908年|モーリス・メルロ=ポンティ誕生
- 1931年|ロバート・モリス、アメリカのカンザスシティに誕生
- 1938年|フッサール死去
- 1945年|メルロ=ポンティ『知覚の現象学』刊行
- 1961年|モリスが彫刻へ制作の重点を移す。同年メルロ=ポンティ死去
- 1962年|ジャドソン・ダンス・シアターの活動がニューヨークで始まる
- 1962年|モリス《無題(クラウド)》の制作年
- 1964年|モリス《サイト》上演、キャロリー・シュニーマンが出演
- 1964年|モリスがグリーン・ギャラリーで幾何学形態の個展を開催
- 1964年|アメリカで公民権法が成立
- 1965年|ジャッド「特定の物体」刊行
- 1965年|モリス《無題(3つのL字形)》《無題(鏡の立方体)》制作
- 1965年|アメリカで投票権法が成立
- 1966年2月|モリス「彫刻についての覚書」第1部掲載
- 1966年4月27日|ニューヨークのユダヤ博物館で「プライマリー・ストラクチャーズ」展開幕
- 1966年5月|クラウスがジャッド作品について現象学を参照する論考を発表
- 1966年6月12日|「プライマリー・ストラクチャーズ」展閉幕
- 1966年10月|モリス「彫刻についての覚書」第2部掲載
- 1967年|フリード「芸術と物体性」、モリス「彫刻についての覚書」第3部掲載
- 1968年|モリス「アンチ・フォーム」を発表。素材の偶然性を探る制作が展開
- 1969年|モリス「彫刻についての覚書」第4部掲載
- 1970年|ホイットニー美術館所蔵の《無題(3つのL字形)》の版が再制作される
- 1971年|ロンドンのテート・ギャラリーで参加型のモリス展が四日で閉鎖
- 1993年|MIT Pressからモリスの論考集『継続的に日々変えられるプロジェクト』刊行
- 2009年|テート・モダンで《身体・空間・運動・物》を再構成
- 2014年|ユダヤ博物館が1966年展を国際的に再検討する展覧会を開催
- 2016年|ディア美術財団がグリーン・ギャラリー期の作品群の収蔵・再展示を発表
- 2018年|ロバート・モリス死去
- 2019年|カー・ヒューストンが『鑑賞者の位置』を刊行
まとめ|彫刻を見るのになぜ歩き回る必要があるのか
モリスの《3つのL字形》は、同じ形を三つの異なる向きに置き、知識としての「同一の形」と、見ているときの「異なる姿」を重ね合わせます。作品の周囲を歩くと、輪郭と大きさの印象が変わり、床や壁、隣の立体との距離も新しく感じられます。その経験は、彫刻が単なる固定した物体として成立するだけでなく、見る人の身体と空間の関係において現れることを示しています。
1966年の「彫刻についての覚書」第1部では全体の形を捉える知覚が、第2部では身体の尺度、移動、光や展示室の条件が重視されました。こうした問題は、メルロ=ポンティの現象学が論じた身体的な知覚と結びつけて考えられ、同時代のクラウスの批評や後の美術史研究によって発展しました。思想上の近さと直接の影響は区別して検討されています。
見る人と作品が同じ空間を共有するという考え方は、1967年のフリードの「演劇性」批判を呼び起こし、作品の自律性と鑑賞の時間をめぐる論争につながりました。モリス自身は1960年代後半にフェルトや土などの素材へ向かい、形を決める条件をさらに探りました。彫刻を見るために歩くのは、隠れた側面を探すためであると同時に、見ることそのものが身体の活動であると確かめるためでもあります。
参考資料・出典
- ロバート・モリス|「彫刻についての覚書」第1・2部(1966年原論考の再録)
- ホイットニー美術館|モリス《無題(3つのL字形)》の作品記録・解説
- ホイットニー美術館|ロバート・モリスの作家解説
- ディア美術財団|ロバート・モリスの1964年の展示と作品
- ディア美術財団|モリス作品群収蔵とグリーン・ギャラリー展の記録
- グッゲンハイム美術館|《無題(コーナー・ピース)》作品記録
- グッゲンハイム美術館|モリスの制作史と彫刻
- グッゲンハイム美術館|パンザ・コレクションのモリス作品と再制作
- ユダヤ博物館|1966年「プライマリー・ストラクチャーズ」展の歴史
- ユダヤ博物館|1966年の彫刻展とその国際的再検討
- ドナルド・ジャッド財団|「特定の物体」と1960年代の批評
- ドナルド・ジャッド|「特定の物体」(1965年)の原文再録
- スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティの知覚と身体論
- ブルゴーニュ大学学術誌|1960年代の美術批評と現象学
- ブリル社|カー・ヒューストン『鑑賞者の位置』(2019年)
- マインツ大学|ロバート・モリスのゲシュタルト概念をめぐる研究講演
- ヴァリアブル・メディア・ネットワーク|モリス《サイト》(1964年)
- ペレス美術館マイアミ|モリス《鏡の立方体》(1965年)
- ニューヨーク近代美術館|ロバート・モリスの作品群
- ニューヨーク近代美術館|モリス《無題》(1968年)と素材の実験
- ニューヨーク近代美術館|モリス《無題》(1969年)の展示解説
- ワシントン・ナショナル・ギャラリー|モリス作品と身体的な鑑賞
- スミソニアン・アメリカ美術公文書館|モリスの1968年オーラルヒストリー
- 芸術史映像資料アーカイブ|マイケル・フリード「芸術と物体性」書誌
- テイラー&フランシス|フリード「芸術と物体性」の研究史と初出
- アン・トゥルイット財団|1966年「プライマリー・ストラクチャーズ」展示記録
- アメリカ美術アーカイブ|1966年ロバート・モリス「彫刻についての覚書」をめぐる研究資料
- スマートヒストリー|モリス《身体・空間・運動・物》(1971/2009年)