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Philosophy

1961

【美術と哲学】画家は世界をどのように見ているのか

メルロ=ポンティ『眼と精神』

1961年、フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908–1961)の論考『眼と精神』(L’Œil et l’esprit)が発表されました。そこでは、画家が風景や人物を見つめ、筆を動かす行為から、人間が世界を見ることの意味を問い直しています。絵画を描くとき、画家は対象の形を目で測り、頭で理解してから画面へ写しているのでしょうか。メルロ=ポンティは、見る人の身体そのものが世界の内側にあり、光や色、奥行きに包まれながら絵画が生まれる過程に目を向けました。

この論考には、セザンヌの風景、クレーの線、マティスの素描、ジャコメッティの言葉、ロダンの運動論など、近代美術の多様な実例が登場します。画家が重視する奥行きや輪郭は、物体を正確に記録するための技術にとどまりません。私たちが何かを見た瞬間に、そのものが遠くにあること、手前の物が奥の物を隠していること、光が物の表面で変化していることをどう経験するのか。絵画は、普段意識せずに受け取っている世界の現れ方を探る仕事になります。

メルロ=ポンティは1945年の『知覚の現象学』で身体を通した経験を論じ、同じ年に発表した『セザンヌの懐疑』で画家の制作と思考を結びつけました。『眼と精神』ではさらに、見る人と見られる世界がどのような関係にあるのかという根本的な問題へ進んでいます。鏡に映る自分の身体や、プールの底のタイルを水の揺らぎ越しに見る経験は、その関係を身近な形で示す例です。世界を見ることは、世界から働きかけを受けることでもあります。

『眼と精神』は1960年夏、セザンヌゆかりの南仏ル・トロネで執筆されました。翌1961年に雑誌『Art de France』で発表され、著者の死後、1964年に単行本として刊行されています。晩年のメルロ=ポンティが絵画に託した問いを、思想の歩みと作品の具体的な見え方に沿って読み進めましょう。人は世界のどこから見ているのか、絵を描くことで初めて見えてくるものがあるのか。その問いが本書の中心にあります。

1961年|画家の視線から哲学を考える

『眼と精神』が問いかけたこと

人が山を眺めるとき、目に届くのは光です。山は遠くにあり、空気の厚みや時間帯によって色が変わります。画家はその見え方を画面へ移そうとし、絵の具という別の物質から山の姿を立ち上げます。なぜ平らな画面に置かれた色から、見る人は空間の広がりや山の存在を感じられるのでしょうか。

メルロ=ポンティは、この素朴な不思議を哲学の入口としました。彼が重視したのは、眼球が光を受け取る仕組みの説明から、絵画の経験へと問いを進めることです。見ることと描くことの関係をたどれば、人が物の世界に属しながら、その世界を理解していく過程が見えてくると考えました。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

美術の技法が哲学の問題になる

絵画には、遠近法、明暗、色彩、構図、筆触など多くの技法があります。画家はそれらを使って、見えているものを一枚の画面へ組み立てます。どのように線を引き、どこに色を置くかという選択は、対象をどう理解するかと深く関わっています。技法の歴史には、人が世界を空間として捉えてきた歴史も刻まれています。

技法をめぐる問題は、作品の巧拙を超えて、見ることのあり方を考える問いへとつながります。画家が奥行きや動きを表そうと苦心する場所には、見るという行為の謎が露わになると考えました。絵画に向き合うことは、哲学者自身が慣れた説明の枠を離れ、経験の出発点へ戻る試みでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

最後の完成した論考という位置

『眼と精神』は、メルロ=ポンティが生前に完成させた最後の重要な論考として知られています。文章は1960年夏に書かれ、1961年に発表されました。その年の5月3日、哲学者は52歳で亡くなります。1964年に刊行されたガリマール社の単行本によって、本書は広い読者に読まれるようになりました。

同じ1964年には、執筆途中だった『見えるものと見えないもの』も遺稿として刊行されます。両者には、身体と世界の関係を従来の主観と客観という区分から考え直す共通の問題があります。『眼と精神』は、その晩年の思考が絵画の経験を通して集中的に表された文章なのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

身体から考え始めた哲学者

1908年の誕生と戦前の研究

メルロ=ポンティは1908年、フランスのロシュフォール=シュル=メールに生まれました。パリの高等師範学校で学び、1930年代には哲学の研究と教育に携わります。当時のフランスでは、ドイツで生まれた現象学が注目され始めていました。人が世界をどのように経験するかを詳しく記述する方法が、伝統的な哲学に新しい方向を開いていた時代です。

彼の研究は、心理学や神経学の成果にも向けられました。人が手を伸ばす、道を歩く、物の位置を感じるといった行為は、頭の中にある地図を読み取る作業として尽くせるのでしょうか。身体が周囲の状況に応じて動く事実に着目することから、後の絵画論につながる問題が育っていきました。(参照:インターネット哲学百科事典|メルロ=ポンティ)

1942年『行動の構造』から1945年へ

1942年に刊行した『行動の構造』で、メルロ=ポンティは生物と環境の関係を検討しました。人間や動物の動きを、外から与えられた刺激に対する機械的な反応として説明する見方を批判し、行動が全体的な意味を持つことを論じます。物の形や位置は、身体がどう働けるかという状況と結びついて現れます。

1945年の『知覚の現象学』では、この考えが私たち自身の経験の記述へ進みました。遠くの物に近づく、障害物をよける、慣れた道具を使うといった行為には、考えを文章にするより早く働く身体の理解があります。こうした研究の延長に、画家がキャンバスの前で行う仕事への関心が位置づけられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

絵画が思想の中心へ近づく

第二次世界大戦後、メルロ=ポンティは哲学と政治をめぐる文章を発表するとともに、文学、言語、映画、美術についても考察しました。絵画は人間の知覚を説明するための挿話から、創造的な表現の働きを考える重要な対象へと変わっていきます。芸術作品には、すでに知っている意味を伝えることを超えた力があると考えたからです。

色や線を結びつけることによって、画家は見慣れた風景に新しい意味を生じさせます。鑑賞者も作品を見るうちに、以前とは違う形で世界を受け取るようになります。作品が新しい見方を開くという問題は、戦後の言語論や表現論を経て、『眼と精神』の中心的な問いとなりました。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

1945年|セザンヌとの最初の対話

『セザンヌの懐疑』で考えた制作

1945年の論考『セザンヌの懐疑』で、メルロ=ポンティはポール・セザンヌの絵画制作を詳しく考えました。セザンヌは、見たものを描くために同じ対象を長く観察し、色や形を繰り返し検討した画家です。作品に現れる輪郭のずれや、不思議な奥行きは、目の前の世界を一つの決まった形に収めることの難しさを示しています。

メルロ=ポンティはこの画家の仕事を、知覚が形を成す瞬間へ近づく試みとして読みました。人が物を見るとき、すでに名前のついた物体をただ確認しているのではなく、色や形のまとまりが見えてくる過程があります。絵画の制作は、その過程を画面に残す可能性を持っています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

生涯の事情と作品の関係を考える

『セザンヌの懐疑』では、画家の性格や生涯も検討されます。セザンヌは制作に苦心し、作品を何度も見直しました。画家の生い立ちや心理を知れば、表現のある側面は理解できます。作品が持つ豊かさは、個人史と制作上の選択が結びつくところに生じると、メルロ=ポンティは考えました。

描き始める前から完成した絵の意味が決まっているとすれば、創作は計画の実行だけになります。画家は描きながら、初めには見えていなかった関係を発見します。この制作過程の重要性が、後に『眼と精神』で論じられる、身体を世界に貸し与えるという発想を準備しました。(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)

初期論考から晩年の問題へ

1945年の文章では、セザンヌがどのように世界を経験し、その経験を絵画にしようとしたかが中心でした。1960年に書かれた『眼と精神』は、見ることが可能になる条件へと問いを深めています。眼前の山が見えるとはどういうことか、画家の身体と山はどのような世界を共有しているのかという問題です。

この変化は、知覚の現象学から存在そのものを考える思索へ進む過程と重なります。セザンヌは引き続き重要な存在です。新しい論考では、クレー、マティス、ロダン、ジャコメッティらも加わり、具体的な絵画制作を通して、見える世界のあり方が多面的に探られます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

1950年代|表現と言語をめぐる探究

言葉が新しい意味を生むとき

メルロ=ポンティは戦後、表現するという行為を深く考えるようになります。言葉は、既に出来上がった考えを運ぶ道具として使われます。詩や小説を読むと、語の組み合わせによって、それまでうまく言えなかった感覚が形になることがあります。表現は、意味を伝えると同時に、新しい意味を生み出す営みでもあります。

絵画にもよく似た働きがあります。画家が色の関係を変えると、風景の中で今まで目立たなかったものが見えてきます。線の引き方によって、顔の印象や身体の動きも変わります。こうした表現の創造性を考えることは、制作する人と作品を見る人の経験を結びつけるための重要な手がかりでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

1952年「間接的な言語と沈黙の声」

メルロ=ポンティは1952年の論考「間接的な言語と沈黙の声」で、絵画と言語、芸術の歴史について論じました。そこではアンドレ・マルローの美術論などと対話し、作品の意味が他の作品との関係の中で育つことを考えます。画家は先人の表現を受け継ぎながら、同じ技法を異なる仕方で働かせます。

たとえば遠近法を用いる画家と、その遠近法を組み替える画家は、共に見える世界へ向き合っています。新しい作品が現れると、古い作品の見え方まで変わることがあります。絵画史を完成済みの技術が順番に並ぶ記録として捉えるよりも、作品が次の表現を呼び起こす歴史として考える道が開かれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

1952年の教授就任と晩年の構想

1952年、メルロ=ポンティはコレージュ・ド・フランスの哲学教授に選ばれました。翌1953年の就任講義は『哲学をたたえて』として刊行されます。その後も自然、言語、歴史、知覚について講義を重ね、経験に先立つ世界の存在をどのように考えるかという問いを深めていきました。

講義と執筆を通じて関心は、見えている物と、それを見えるようにしている関係の全体へと向かいます。『眼と精神』に出てくる奥行き、光、色、身体という言葉は、それぞれ独立した美術技法を示すだけでなく、世界に属する者が世界を見るという根本的な問題を担っています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

1960年夏|セザンヌの山を望む場所で

南仏ル・トロネで書かれた文章

『眼と精神』の末尾には、1960年7月から8月にかけてル・トロネで書かれたことが記されています。この場所は南仏エクス=アン=プロヴァンス近郊にあり、セザンヌが繰り返し描いたサント=ヴィクトワール山の風景とつながっています。メルロ=ポンティは夏の滞在中、絵画と世界の関係について文章をまとめました。

当時の住まいは画家フランシス・タイユーの家で、山を望む土地にありました。山の色や輪郭は、朝夕の光や距離によって変わります。哲学者が書いている場所そのものに、セザンヌの問いが息づいていました。論考の成立を知ると、そこで論じられる風景や奥行きの問題を、より具体的な経験として理解できます。(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)

美術史家アンドレ・シャステルの依頼

『眼と精神』は、フランスの美術史家アンドレ・シャステルが関わる美術雑誌『Art de France』のために構想されました。セザンヌ研究との関係をたどった美術史研究によれば、創刊号に向けた依頼が、メルロ=ポンティに絵画と晩年の哲学を結びつけて考える契機を与えました。

文章は1960年夏に成立し、1961年に発表されます。美術の専門的な読者も想定した論考として、哲学用語だけで議論を進めるのではなく、鏡、写真、水、色、線、運動など、作品に触れる人が経験できる事例を挙げている点が特徴です。絵画に問いかけられる哲学として読むことができます。(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)

1961年の発表と1964年の単行本

1961年に公表された『眼と精神』は、1964年にガリマール社から独立した小さな書物として刊行されました。現在知られる五つの節からなる構成をたどると、科学の見方への問いから始まり、身体、鏡、デカルトの光学、近代絵画の奥行きと線、絵画史へと話が進みます。哲学的な議論が具体的な視覚経験を通して組み立てられています。

1964年版の収録図版には、ジャコメッティの素描、セザンヌの水彩、ニコラ・ド・スタール、マティス、クレー、ジェルメーヌ・リシエ、ロダンの作品が挙げられています。文章に登場する作家の広がりは、この論考が近代絵画の一つの流派を説明するために書かれたものではないことを示しています。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|『眼と精神』書誌と収録図版)

第Ⅰ節|科学は世界をどう捉えるのか

数値と模型で考えることの力

近代科学は、物の運動や光の働きを測定し、観察できる事実を整理することで発展しました。複雑な出来事を数量や関係式で表せるようになると、現象の予測や技術への応用が可能になります。メルロ=ポンティも、科学が世界を扱う驚くべき力を持つことを認めています。その力は、現代の暮らしを支える重要なものです。

彼が疑問を投げかけたのは、数式や模型によって説明できる世界だけが、世界のすべてであると見なす考え方です。研究の対象として眺めた水と、泳ぐ身体に触れ、光を反射し、底の見え方を変える水には、異なる経験の厚みがあります。科学のモデルと私たちが生きる現実の間に、改めて注意を向けました。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

世界を「操作する」思考への問い

『眼と精神』の冒頭は、科学が物を操作し、その内側で生きることを忘れるという強い指摘から始まります。ある対象を変数や測定値として扱うと、観察者自身がその対象とどのように関わっているかは背後へ退きます。橋の強度を計算することと、そこに立ち風を受けながら遠くを眺めることは、共に世界に向き合う行為です。

メルロ=ポンティは、計算の正しさを争うことよりも、私たちが世界に住んでいるという事実を哲学の出発点へ戻そうとしました。人は研究対象を外から眺めるだけの存在でなく、重さを感じ、動き、光の中で物を見る身体を持っています。この具体的な経験が失われると、世界の姿は過度に単純化されてしまいます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

画家の仕事が別の入口を開く

画家は、測定器の代わりに身体と視線を使って風景へ向かいます。建物の長さを知らなくても、遠くへ延びる道の奥行きや、雨上がりの地面の輝きを見て描くことができます。描くときには、絵の具の性質や筆の動きも関係します。世界への関わりが、身体の行為として画面に残っていきます。

絵画には、科学による測定と並んで、世界へ向かう独自の方法があります。科学が対象を測定する仕方と並んで、画家は物がどのように姿を現すかを探ります。メルロ=ポンティは、絵画の中に、世界の生きられた姿に近づく可能性を見つけました。見ることと描くことを通じて、哲学に別の問いが生まれます。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

第Ⅱ節|画家の身体が世界に触れる

目で見ながら手を動かすという行為

画家が筆を動かすとき、視線は対象と描きかけの画面の間を行き来しています。描きかけの画面も見つめ、絵の具の濃さや筆の跡を確かめます。肩や腕の動き、キャンバスとの距離も、その都度変わります。描き進めるうちに新しい形の関係が現れ、最初に考えた構図が変わることもあります。

メルロ=ポンティにとって、身体は意識が使う単なる道具以上の存在です。視線と手の動きは互いに影響し合い、描き進めるうちに見え方も変わっていきます。画家は対象に近づいたり離れたりしながら、色のまとまりや空間の関係を探ります。そこで起こっているのは、身体を通した世界との往復です。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

身体を世界へ貸し与えるという考え

『眼と精神』では、画家が自分の身体を世界へ差し出すことで、世界を絵画へ変えるという考えが語られます。この表現の要点は、描く人自身も見る対象と同じ世界の中にいるということです。身体は光を受け、物に近づくことができ、絵の具を動かし、その跡を自分の目で確かめられます。

画家の仕事は、目の前に現れる風景を身体の動きと結びつける営みです。絵画は世界から離れた場所で作られる観念の産物ではなく、世界の中で起こる出来事でもあります。見ることが描くことへ移る過程には、身体が経験と表現をつなぐ働きが現れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

描く人も見える存在である

私たちは自分の手を見ながら物に触れます。手は物を確かめる側であると同時に、他人や自分の目から見える物でもあります。身体には、この二重の立場があります。画家がモデルを見るとき、モデルからも画家の姿が見えます。景色の一部に自分の身体が含まれているという事実は、描くことの条件を変えます。

メルロ=ポンティは、見る人が世界の外側から支配的に眺める存在だという見方を問い直しました。見る身体もまた見られる世界に属しています。画家の視線にも、身体の位置や動きが深く関わっています。この往復関係が、後に論じられる鏡や、見えるものと見えないものの問題へつながります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

見る身体と見られる身体が重なる

自分の手に触れるという経験

右手で左手に触れるとき、右手には触れている感覚があり、左手には触れられている感覚があります。意識を向ける先が変われば、左手が触れる側になることもできます。身体は、物を知覚する働きを持ちながら、同じ知覚の世界にある物としても経験されます。この単純な出来事が、メルロ=ポンティの身体論では大切な意味を持ちます。

見ることにも似た関係があります。私の目は周囲の人を見ることができ、周囲の人は私を見ます。身体が世界に姿を現す以上、知覚を行う人と知覚される物との間には共通の場があります。世界とのかかわりには、見る働きと見られる働きが重なっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

見えるものと見る者の交差

窓の前に立つと、私たちは外の景色を見ます。窓ガラスには自分の姿がかすかに映ることもあります。外を見ていたはずの視線が、同じ場所で自分の姿を捉える。この経験は、見ている人の身体が、見える世界の一部であることを気づかせます。対象を眺める位置と、対象として現れる位置が重なっています。

メルロ=ポンティは、この関係を、見る者と見えるものの絡み合いとして考えました。見る人の身体が世界に置かれているからこそ、遠くの景色にも向き合うことができます。画家の視線は、この絡み合いを画面上で明らかにする一つの営みだと捉えられます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

「肉」という言葉が示す世界との関係

晩年のメルロ=ポンティは、身体と世界の共有する関係を考えるために「肉」(chair)という言葉を用いました。ここでの肉は、筋肉や皮膚だけを指す日常的な意味よりも広く、感じる身体と感じられる世界が交わる場を示しています。物の色が見えることと、私の身体が光を受け取れることは、同じ世界で成立する関係です。

『眼と精神』の画家も、その関係の内側で仕事をしています。画面に現れる色と、風景の中で見える色は、それぞれ異なる物質的な条件を持ちます。両方が目に働きかけ、身体に見え方を生じさせることによって、絵画の経験が成り立ちます。肉という概念は、この共有される感覚の地平を捉えるためのものです。(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)

鏡に映った自分はどこにいるのか

鏡を前にすると見えてくる二重性

鏡に顔を向けると、自分の姿が眼前に現れます。鏡の奥にあるように見える顔は、同じ瞬間にこちらで動かしている身体の顔です。手を動かせば映った手も動き、視線を変えれば見える範囲も変わります。鏡は、普段は内側から経験している身体を、外から見える存在として確かめさせます。

『眼と精神』で鏡が重要なのは、見る身体が同時に見える身体でもあることを際立たせるからです。自分は世界を見ているつもりでいても、世界の中に姿を持っています。画家が自画像を描いたり、鏡越しの場面を描いたりするとき、この二重性は作品の構造にも現れます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

反射が身体の感覚を広げる

メルロ=ポンティは、身体像の研究者パウル・シルダーに言及し、鏡に映った自分の手へ身体感覚が重なる事例を紹介します。物に触れている現実の手と、鏡の中で見える手の関係は、視覚と触覚が生活の中で結びついていることを示します。反射像は平らな表面に現れますが、見ている人にとっては身体の経験と切り離せません。

画家が鏡に関心を寄せてきた理由も、こうした視覚の働きから考えられます。鏡は景色を折り返して見せ、自分の姿と周囲の物を同じ面へ重ねることがあります。絵画は、このような見え方の転換をさらに自由に探ることができます。身体と像の関係が、絵画の中で新しい形を取ります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

マティスの自画像と制作の姿

『眼と精神』では、マティスの素描にも触れながら、画家が制作中の自分を描くことの意味が示されます。描く画家は目の前の対象を見ていると同時に、その場で自分も見られうる存在です。制作する手や姿が絵の中に現れると、描く人を含めた空間の関係が、鑑賞者にも開かれます。

絵を見ている私たちも、作品の前に立ち、画面との距離や姿勢を変えます。鏡と絵画は、見えるものの配置を組み替え、見る者の位置を意識させることがあります。メルロ=ポンティが鏡を考察したのは、視覚を単純な情報の受け渡しとして捉えた場合に見落とす経験を示すためでした。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

画像を見ているときに起こること

洞窟の動物は壁の中にどう現れるか

『眼と精神』では、ラスコー洞窟に描かれた動物の像が例に挙げられます。洞窟の壁は岩石であり、絵はその表面に描かれた色の跡です。絵を見ている人には、岩肌の模様とともに生命を持つ動物の気配が現れます。そこに動物の姿を認め、描かれた身体の存在を感じます。岩の起伏も、像が現れるための条件になっています。

メルロ=ポンティは、絵の中の動物が壁そのものの一部分として存在しながら、壁の単なる物理的な特徴へ収まらないことを考えました。描かれた像は、現実の動物と絵の具という二つの物体を並べるだけでは説明しきれない経験をもたらします。見る人は、画像を通して目の前にいないものへと向かいます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

画面に生まれる「もう一つの見えるもの」

白い紙に一本の線を引くと、線はインクの物質的な跡として残ります。同じ線が、見る人には顔の輪郭や地平線として現れることもあります。絵画における見えるものは、紙とインクの状態を知ることに加えて、そこに姿を現すものを受け取ることから成立します。画面の物質と、そこで経験する像は深く結びついています。

『眼と精神』では絵画を、見えるものがもう一度見える形になった存在として考えます。画家の身体が経験した光や奥行きは、色や線として人の目へ届くようになります。鑑賞者はその跡をたどることで、見えている世界への新しい関わりを得ます。作品の意味は、像に向かう具体的な視線の動きの中でも育ちます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

複製と原物の関係をどう捉えるか

絵を見て人物を理解するとき、私たちは色や線のまとまりから顔や姿勢を捉えています。顔を認めるきっかけになる色や形は、実際の人物の皮膚や輪郭と完全に一致していなくても働きます。デフォルメされた素描でも、ある人らしさが鮮やかに感じられることがあります。

この働きから考えると、絵画の像は現実の物を縮小して運ぶ容器として尽くせません。鑑賞者は絵の表面と関わりながら、そこに現れる世界へ入り込むように見ます。絵画が新たな経験を開ける理由は、現実の姿を置き換えること以上に、どのように見えるかという関係を作り出す点にあります。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

見えている世界には見えないものも含まれる

机の背面は見えなくても存在する

机を見るとき、一度に見えるのは手前の面や脚の一部です。裏側や背面は視界から隠れています。それでも私たちは机を、見えている部分だけを寄せ集めた平面の模様として経験しません。手を回せば別の面に触れられ、位置を変えれば新しい姿が見える物として受け取っています。

この経験は、世界を見ることが、目の前で直接確認できる色の集合以上の働きを持つことを示します。見える面と隠れた裏側は、ひとつの物についての連続した経験につながっています。いま見えている姿の内側に、別の位置から見える可能性が含まれています。絵画は、こうした奥行きと隠れた面の関係を一枚の画面で考える仕事になります。(参照:インターネット哲学百科事典|メルロ=ポンティ)

見えないものを感じさせる輪郭

人物の肩を一本の線で描けば、その線の向こうには画面に表されていない背中があるように感じられます。輪郭は物の外形を示すと同時に、その向こうへ続く形を示唆します。色面の境界や陰影の途切れにも、いま見える部分から見えない部分へと経験を導く働きがあります。

メルロ=ポンティは、世界を見る経験の広がりを捉えるために、見えるものと見えないものを結びつけました。世界を見ることが、常に視界の外へ続く広がりを持つという事実を考えるためです。画家が扱う余白や重なり、遠ざかる面は、その広がりを画面上で感じさせる方法となります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

未完成のまま開かれる知覚

部屋に入ったとき、まず窓や机、椅子などが目に入り、視線はそこから動いていきます。窓の外が気になれば近づき、椅子の後ろを確かめたければ回り込みます。見えるものは、身体を動かし、時間をかけて関わることで変化していきます。世界を経験する過程は、つねに次に見える可能性を含んでいます。

画家も同じように、ひとつの対象へ繰り返し目を向けます。別の角度や時間帯から見た記憶が、いま目の前の形の理解へ入り込むことがあります。こうした知覚の開かれた性質は、作品が一つの固定的な結論だけに収まらず、見るたびに異なる姿を現す理由の一部を説明します。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

第Ⅲ節|デカルトの光学を読み直す

1637年『屈折光学』と近代的な視覚論

メルロ=ポンティは『眼と精神』の第Ⅲ節で、17世紀の哲学者ルネ・デカルトを取り上げます。1637年に『方法序説』とともに公刊された『屈折光学』(La Dioptrique)は、光と視覚の働きを考えた著作です。そこでは光の伝わり方や目の仕組みが検討され、知覚を説明するために機械的な模型や幾何学的な考えが用いられました。

デカルトの仕事は近代科学と哲学の発展にとって重要でした。メルロ=ポンティが見直したのは、視覚を物理的な刺激と精神の判断へ分けて考える枠組みです。視覚を客観的な関係として整理することによって何が明らかになり、現にものを見ている身体の経験のうち何が残るのかを問いかけました。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

杖を持った人の比喩

デカルトの光学では、目の見えない人が杖を使って周囲の物を確かめる例が論じられます。杖の先端が物に当たると、その働きが手へ伝わり、手元から離れた場所の状態を知ることができます。光と視覚の関係を考える際にも、離れた場所からの作用を伝える仕組みが重視されました。

メルロ=ポンティは、この比喩によって視覚が接触に近い形で説明されることに注目します。実際の視覚では、遠くの山を見たり、空の広がりを感じたりする経験そのものが重要です。身体の延長として杖を扱うことと、遠方から光が届く空間を見渡すこととの違いが、奥行きを考える入口になります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

見ることを心の判断として理解するとき

ある物の影が目に届いたとき、それが何を意味するかを考える働きがあります。デカルトの視覚論は、物理的な刺激が精神にとって理解可能なものとなる過程を重要な問題としました。この考え方を徹底すると、目が捉える像を精神が読み解くという二段階の構図が前面に出てきます。

メルロ=ポンティは、その構図の中で、すでに世界の中にいる身体がどう扱われるかを問題にしました。遠いものを遠いものとして見る経験は、数値を読んで距離を計算する以前から成立しています。見える世界へ身体が開かれている事実を、哲学の説明に再び組み込もうとしたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

遠近法は奥行きをどう表すのか

一点透視図法が開いた表現

ルネサンス期の画家たちは、遠ざかる平行線を画面上で収束させ、建物や道路の奥行きを表す遠近法を発展させました。観察する位置を定め、画面と空間の関係を幾何学的に組み立てることで、平面の中に統一された空間が現れます。この仕組みは西洋絵画の歴史に大きな役割を果たしました。

メルロ=ポンティは、遠近法の成立を人間の視覚が持つ可能性の一つとして捉えました。画家は視線の位置を選び、画面上の線を調整して、見る人が奥行きを感じる条件を作ります。透視図法は画面に空間を成立させる有力な方法であり、その歴史的な性格を理解することで、ほかの描き方が持つ可能性も見えてきます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

見える奥行きと測れる距離

二つの建物の間が十メートルだとわかっても、その空間が実際にどのように見えるかまでは決まりません。視線の高さ、周囲の光、建物の重なり、通路の暗さによって、同じ距離が異なる広がりとして経験されます。計測できる奥行きと、生きられた奥行きには、関係し合いながら異なる側面があります。

メルロ=ポンティは、奥行きに、縦と横の寸法を測ることからさらに広がる経験を見いだしました。私たちは遠くの物を、自分の身体から隔たった場所にあるものとして見ています。奥行きは、見る人が世界の中の特定の場所にいることを示す経験です。その事実を絵画がどのように表せるかが問われます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

近代絵画が遠近法を組み替える

19世紀後半から20世紀にかけて、画家たちは古典的な遠近法とは異なる空間表現を試みました。複数の面が同時に見えるような描き方、色の差によって奥行きを生む描き方、輪郭をずらして形を現す描き方が生まれます。こうした試みは、画面上の秩序を組み直して見る経験を問い直す方法でもありました。

『眼と精神』は、この変化を絵画が物の姿をまねる仕事から解放された歴史として単純にまとめません。画家たちは、奥行きや色が私たちへどのように現れるかを、新たな方法で追究してきたのです。技法の変化が、世界を見ることの理解にまで関わるという視点が重要です。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

第Ⅳ節|セザンヌは山の何を描いたのか

何度も描かれたサント=ヴィクトワール山

セザンヌは生地エクス=アン=プロヴァンス近郊のサント=ヴィクトワール山を繰り返し描きました。同じ山でも、木々の位置、見晴らし、季節、光の状態が変われば、画面に現れる色と形は違ってきます。描くたびに新しい問いが生まれ、山の姿は一度きりの制作で尽くされることがありませんでした。

メトロポリタン美術館の《サント=ヴィクトワール山》(1902–1906年頃)では、空の青、山の面、麓の緑が、筆触の集まりによって関係づけられています。画面の遠くと近くは、緻密な輪郭線だけに頼らず生まれます。セザンヌの仕事は、見えている風景の関係を色で作り直す試みとして考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》(1902–1906年頃))

山を見つめる画家と山の存在

『眼と精神』の中で、メルロ=ポンティは山が画家へ姿を現し、画家が視線を通じて山へ問いを向ける場面を考えます。この言い方は、風景を物言わぬ材料として扱う発想から少し離れています。山は光を受け、陰を落とし、見る位置によって異なる輪郭を示します。画家はその現れ方に応じて筆を動かします。

セザンヌが山の本質を一つの輪郭へ閉じ込めようとしたと考えるよりも、山が見える条件を何度も探っていたと捉えると、制作の繰り返しが理解できます。視覚は一瞬で完結する働きではなく、対象に向き合い、経験を深める中で展開していきます。山の絵は、見るという行為の持続を伝えます。(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)

色の筆触が空間を作る

セザンヌの絵を近くで見ると、緑や青、黄土色などの筆触が、それぞれ画面の表面に置かれていることがわかります。離れて眺めると、色の集まりが森や山の斜面、空気の広がりとして立ち上がります。色は物の表面を塗り分ける役割を果たすと同時に、画面の中で空間を成り立たせています。

絵画の奥行きは、消失点による構成に加え、色の隣接や重なり、明るさの差からも生まれます。色の隣接や重なり、明るさの差によっても成立します。こうした描き方を通して、セザンヌは、見る人が風景のどこにいて、対象がどのように現れるかという問題を探りました。『眼と精神』が重視するのは、その探究の根本にある視覚の働きです。(参照:フィラデルフィア美術館|セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》(1902–1906年))

奥行きは身体から始まる

遠さは目の前の感覚として現れる

遠くの山がどこにあるのかを調べるには、地図と測量が役立ちます。私たちが山を遠いと感じる瞬間には、身体から離れた位置に見えているという経験がすでにあります。手を伸ばしても届かず、歩けば近づけるかもしれないという身体の可能性とともに、遠さは感じられます。

『眼と精神』では奥行きが、物と物の間隔を外から数える座標だけに収まらないものとして扱われます。奥行きのある世界では、見る人自身が特定の位置を占め、対象によって視界が開かれたり遮られたりします。画家は、その立ち位置から生じる空間の経験を色や線で探ります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

手前と奥は互いに関係する

木の枝越しに建物を見るとき、枝が手前にあり、建物が奥にあることを私たちはすぐに理解します。枝に隠れた建物の一部は、その場で見ることができません。それでも建物は、枝の向こうに続いているものとして経験されます。手前の枝と奥の建物は、互いの位置を示すひとつの風景として経験されます。

絵画では、色面の重なりや輪郭の切れ目が、この経験を作ります。画面上でどちらが前にあり、どちらが後ろへ続くのかは、線と色の関係によって決まります。奥行きを描く行為には、見えるもの同士を関係づけ、隠れたものを感じさせる働きが含まれています。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

ジャコメッティが語ったセザンヌの探究

『眼と精神』では、アルベルト・ジャコメッティがセザンヌについて、彼が生涯にわたり奥行きを求めていたと述べた言葉が紹介されます。ジャコメッティ自身も人物像を描き、彫刻しながら、対象が目の前に現れる姿を繰り返し探りました。二人の活動は媒体も時代も異なりますが、見ることの難しさに向き合っていた点で響き合います。

奥行きは、見る人が対象とどのような位置関係にあるかを伝える、絵画の根本的な問題です。物が離れた位置に現れ、視線の動きに応じて姿を変えるという、世界の見え方そのものに関わります。メルロ=ポンティはセザンヌとジャコメッティを結びつけることで、その問題が近代美術の重要な探究であったことを示しました。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

色が物の存在を立ち上げる

青い空と緑の木は独立して見えるか

風景を眺めるとき、空の青さは隣にある雲や木々の色によって違って見えます。緑の葉も、日陰では冷たく、夕日を受けると暖かい色に感じられます。一つの物の色を決まった数値で表すことはできますが、目の前でその色がどのように現れるかは、周囲の光や色との関係から生まれます。

メルロ=ポンティは色を、物の表面にあとから付けられる飾りとして扱いません。色が現れることを通して、物の位置や重さ、空間の広がりまで感じられる場合があります。画家が色の配置を変えると、同じ対象の存在感が変わるのは、そのような働きがあるからです。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

ロベール・ドローネーと色彩の関係

フランスの画家ロベール・ドローネーは、色の対比や同時的な作用を探る作品を制作しました。画面の中で異なる色が隣り合うと、色が互いを際立たせ、見る人に動きや奥行きの印象を与えることがあります。物の輪郭を忠実になぞらなくても、色同士の関係から空間の経験が生まれます。

『眼と精神』ではドローネーの言葉も参照され、奥行きや同時性が検討されます。画家の色彩研究は、世界が固定された形の集合として現れるという見方を揺さぶります。色は物のあり方を伝えると同時に、見る人の経験を変える働きを持つのです。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

色を塗る作業から色で考える作業へ

人物を描くとき、肌の色を一種類決めて全体に塗れば、そこに一人の人物がいることを示せます。画家はさらに、顔の向き、周囲の光、背景との関係に応じて色を変えます。色を重ねる過程では、表したい顔の印象自体が変わることもあります。描く人は色を使って形を作ると同時に、形が見える理由を探っています。

このような仕事において、色と形を完全に分けることはできません。色の差が境界を作り、境界のあり方が色の働きを変えます。メルロ=ポンティは近代絵画の実践から、色を使うことが世界の現れ方について考える行為にもなると捉えました。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

パウル・クレー|線が世界を生み出す

輪郭をなぞる線から生まれる線へ

リンゴの輪郭を鉛筆で写すとき、線は対象の外形に沿って進むものとして考えられます。パウル・クレーの作品では、線が自ら進む方向を変え、曲がり、重なりながら、画面の中に形を生み出すことがあります。線がどこへ進むかを追っているうちに、見る人はまだ名前のない空間や生物のような姿に出会います。

メルロ=ポンティは、クレーの仕事を通して、線が物の境目を写すだけの手段ではないと考えました。ひとつの線を引くことが、画面上に新しい関係を開く場合があります。線は形が完成する以前から働き始め、見る人の目を動かす力を持ちます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

クレーの色と構成が示す生成

メトロポリタン美術館所蔵のクレー《神殿の庭》では、形の配置と色の重なりが、植物や建築を思わせる独特の空間を作っています。見る人は何が描かれているかを探しながら、線と色がどのように関係しているかにも目を向けます。作品の中では、形が意味を持ち始める過程そのものを感じ取ることができます。

メルロ=ポンティがクレーに注目した理由は、このような生成の働きにあります。絵画には、外の物の姿を示すと同時に、新しい線の関係を画面の中で生む働きがあります。新たな線の関係によって、見える世界の別の可能性を開くことができます。(参照:メトロポリタン美術館|パウル・クレー《神殿の庭》)

抽象絵画が可視化するもの

抽象的な画面の中には、はっきりした人物や風景がなくても、遠近、緊張、流れ、重さのような感覚が生まれることがあります。クレーの《赤緑と紫黄のリズム》では、色の連続と差異が画面の秩序を形づくっています。見る人は、そこに描かれた特定の物を探すと同時に、色の関係そのものを経験します。

『眼と精神』が重視するのは、具象と抽象のそれぞれが開く、新しい見る経験です。物が見えるようになる条件を、画面上で新たに示す力です。クレーの絵画は、線や色が見えるものの誕生に関わることを考える具体的な手がかりとなっています。(参照:メトロポリタン美術館|クレー《赤緑と紫黄のリズム》)

マティス|輪郭が人を見せる

少ない線から人物が現れる

アンリ・マティスの素描には、少数の滑らかな線で人物や身体の姿を示す作品があります。線が途中で途切れていても、見る人はその先へ形が続くことを感じ取ります。線の方向や緩急によって、人物の姿勢や柔らかさが現れます。形の説明に必要な情報を増やすほど、姿が生き生きと感じられるとは限りません。

『眼と精神』では、マティスの輪郭線が、物理的な外形をなぞる以上の働きを持つものとして考えられます。人物の身体が持つ緊張や弛緩、動こうとする力が、線の方向を通して感じられます。少ない線が豊かな経験を生む理由は、描かれた形と見る人の身体感覚が結びつくからです。(参照:メトロポリタン美術館|マティス《片腕をついて休む裸婦》)

線と紙の余白がつくる身体

マティスのインクによる裸体素描では、紙の白い部分が身体の広がりを支えることがあります。線は物を塗りつぶすための境界というより、余白に変化を与える働きを持ちます。線の曲がり方が変わると、同じ白い場所が肩にも、腰にも、人物の周囲の空間にも感じられます。

このとき絵画の像は、描かれた線と、それを取り囲む紙の白さとの関係から成り立っています。線の間の空白や、視線が補いながら追う形が、人物の存在感を作ります。マティスの仕事を通して、メルロ=ポンティが論じる線の生成的な力が理解しやすくなります。(参照:メトロポリタン美術館|マティス《裸体》素描)

クレーとの違いから見える共通性

クレーは線を動かしながら、見慣れた物の形から離れた姿を生み出すことがあります。マティスの素描では、一本の線から人物らしさが鮮やかに現れます。制作の方向は異なりますが、どちらも輪郭を単なる物の縁の写しとして扱う考えから、線の持つ独自の働きを探っています。

メルロ=ポンティは二人を並べ、抽象と具象の異なる方法に共通する線の働きを考えました。世界が見えるようになる仕方には、複数の可能性があることを示すためです。線は、それぞれの作品の中で固有の秩序を作り、鑑賞者の視線を導きます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

ニコラ・ド・スタールと絵画の厚み

色面が風景の感覚を生む

ニコラ・ド・スタールは、絵の具の厚みを感じさせる色面を用いながら、風景、人物、静物などを制作した画家です。作品では、ひとつの色面が物の輪郭を示すと同時に、隣接する色との関係によって奥行きや重さを感じさせます。画面には描いた手の働きや絵の具の物質感も残り、見る人はその表面と風景のような広がりを同時に受け取ります。

『眼と精神』の単行本に収録された図版には、ド・スタールの《アトリエの片隅》(1954年)が含まれます。メルロ=ポンティにとって重要だったのは、絵画の表面が一枚の平面でありながら、そこから世界の存在感が現れてくることです。色面が何に見えるかという問いと、色面そのものの働きへの関心が重なります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|『眼と精神』書誌と収録図版)

厚く塗られた色と空間の関係

キャンバス上に厚く置かれた絵の具には、側面や凹凸ができます。光が当たると、盛り上がった部分に明るさが生じ、筆やナイフの動きが見えてきます。見る人は物質としての絵の具を感じながら、同じ画面の中に家や空、光景のようなまとまりを見出すことがあります。絵の具と像の二つの経験は、同じ視線の中で結びつきます。

このような絵画を考えると、作品の意味を描かれた題材の名前だけで説明することは難しくなります。どのような表面から、どのように空間が立ち上がるかが重要です。メルロ=ポンティの議論は、素材の厚さを含む画面そのものを、見える世界を成立させる場として理解する手がかりになります。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

抽象と具象が接する場所

ド・スタールの色面は、見る人に特定の風景を連想させることも、色と形の組み合わせとして受け取られることもあります。そこでは、何かを描いているかという問いと、画面がどのような視覚経験を生むかという問いが重なっています。具象的な手がかりが少なくても、色の広がりや重なりが見る人を空間へ導く場合があります。

『眼と精神』は、具象画の価値と抽象画の価値を別々の尺度で決めることを目指していません。画家たちは異なる方法で、世界が見えることの不思議を掘り下げます。ド・スタールの仕事は、その多様さを示す例です。何が描かれているかと同じくらい、それがどのように見えるのかが問われます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

水面を通してプールの底を見る

底のタイルは水と反射を通して見える

『眼と精神』の中で印象的なのが、プールの底のタイルを見下ろす場面です。水面は揺れ、陽光が反射し、底の模様は場所によって屈折して見えます。私たちは水の表面を透かしてタイルを見ながら、同時に、そこに水が満ちていることも見ています。水を取り去った透明な幾何学的図形を頭に浮かべているのとは異なる経験です。

メルロ=ポンティは、光の縞や揺らぎがタイルを見る妨げになっているとは考えません。まさにそれらを通して、水の底にタイルがあることがわかります。水の厚みや反射によって変化した模様が、その場所での世界の現れ方を作っています。私たちは変化した光景を通して、物の位置を感じ取ります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

反射は水面の外へ広がる

プールの脇に木が立っているとき、水面で反射した光が木の幹や周囲の壁に揺れる模様を作ることがあります。水の存在は、反射を通じてプールの周囲にまで広がって感じられます。反射光の動きによって、水がそこにあることが周辺の景色にも現れます。水は一つの容器に収まった物でありながら、視覚経験の中では周囲へ働きかけます。

『眼と精神』では、水とイトスギの反射の関係も論じられます。この描写は、物が空間に孤立して並んでいるという見方を揺さぶります。ひとつのものの見え方が別のものの見え方を変え、景色全体に関係が広がります。画家は、その相互の働きを色や形の関係として掬い取ろうとします。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

水の厚みから考える見える世界

水の屈折や反射を光学で説明することはできます。タイルの形がどのように歪んで見えるかも、物理学の言葉で考えられます。メルロ=ポンティが見つめたのは、そうした現象が日常の視覚の中ではひとまとまりの風景として経験されることです。水、底の模様、光、周囲の木が、互いに関わって現れています。

この例には、絵画の問題も凝縮されています。画家は形を正しく測ることに加えて、どのような光や色の関係を描けば、見る人にその場の空間が立ち上がるかを考えます。水面の揺らぎは、目の前の世界がそのように現れている条件そのものです。『眼と精神』の視覚論を理解するための具体的な入口となります。(参照:ポンピドゥー・センター|『眼と精神』を参照した美術史教育資料)

影と光が「そこにあるもの」を見せる

光を描くことは物を描くこととつながる

机に置かれた白い器を見るとき、私たちは器の白さと、表面を滑る光や陰影を同時に経験します。器の形は輪郭線に加えて、表面を滑る明るさと陰影の変化からもわかります。明るい面と暗い面のつながりによって、器の丸みや置かれた位置が伝わります。光と影は、物の姿を受け取る経験の中で働いています。

『眼と精神』は、こうした日常の視覚の働きを、画家が意識的に探る対象として考えます。光は画面に色として表されます。物に当たった光をどう描くかによって、同じ器が厚みを持って見えることも、薄い色面の集まりとして見えることもあります。その選択は、物の存在をどう示すかという問題です。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

影は見えるものの関係を変える

夕方の長い影は、地面を横切って物の位置や高さを感じさせます。影がなければ気づきにくい地面の起伏が、影によって鮮やかに現れることもあります。影は暗い部分として切り取れる一方、周囲の光や物の配置と切り離して経験されることはありません。見る人の視線は、影からそれを生む物へ移動します。

画家が影を描くとき、暗い色を置くという操作は、光と空間の関係を表す行為にもなります。メルロ=ポンティは、こうした関係の網の目を、世界が現れる条件として重視しました。画面上の一つの色が周囲の色を変えて見せることは、光景全体が相互に結びついていることを教えてくれます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

絵画は見慣れたものを見直させる

日常では、器を見たときに器の用途や名前をすぐに思い浮かべます。そのため、どのような陰影から丸さを感じたのか、どの程度の光を受けて白く見えているのかには、あまり注意を向けません。絵画を前にすると、塗られた色や筆触を追ううちに、物の見え方をあらためて考えることがあります。

メルロ=ポンティが絵画を哲学の手がかりとしたのは、このような経験があるからです。知っている物の名前から少し距離を取り、光や色がどのように現れているかに目を向ける。絵画は、見慣れた世界を新しく見るきっかけとなります。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|メルロ=ポンティと絵画)

運動は一枚の絵にどう現れるのか

写真が捉える一瞬と絵画の時間

疾走する馬を高速で撮影すると、普段の目では見分けにくい脚の位置が記録されます。写真技術は、動きの途中にある一瞬を取り出して調べることを可能にしました。19世紀の連続写真は、馬の歩き方や走り方について新しい知識を与えました。動きの仕組みを知るために、写真は重要な役割を果たしました。

メルロ=ポンティが考えたのは、写真が捉えた姿と、私たちが動きを見る経験との関係です。高速撮影では走行中の馬が宙で止まったように見えることがあります。人が実際に馬を眺めるときには、身体が前へ進んでいく力や、これから足を踏み出す動きも感じられます。運動を見せることには、一瞬の姿の記録とは異なる問題があります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

ロダンが語った運動の表現

彫刻家オーギュスト・ロダンは、運動の表現について、身体の各部分が必ずしも同一の瞬間に属さない姿を示すことができると考えました。頭、胴、腕、脚の動きには時間のずれがあります。それらを一つの彫刻にまとめると、見る人は静止した作品から身体の動く方向や持続を感じ取ることがあります。

『眼と精神』はこの議論を取り上げ、運動の表現に含まれる時間の問題を考えます。実際には一瞬で同時に生じなかった身体の姿勢を組み合わせることで、動きの連続を感じられる場合があります。彫刻や絵画は、時の流れを止めるだけでなく、そこに持続を現す力を持っています。(参照:ロダン美術館|ロダンと写真、運動表現をめぐる発言)

ジェリコー《エプソムの競馬》の馬たち

テオドール・ジェリコーの《エプソムの競馬》(1821年)では、馬たちが疾走する姿が画面いっぱいに広がっています。脚の形は、近代の写真技術によって知られる実際の疾走姿勢と一致しない部分があります。それでも見る人は、馬が地面を蹴って進む勢いを強く感じます。画面上の姿勢は、身体の力と運動の方向を示しています。

メルロ=ポンティはこの作品を参照し、運動が各瞬間の位置を寄せ集めるだけで説明できないことを論じました。馬がどこから来てどこへ向かうか、身体の重さがどの方向へ移っていくかを、私たちは一つの姿から感じ取ります。絵画が時間を表す方法を考えるうえで重要な例です。(参照:ルーヴル美術館|ジェリコー《エプソムの競馬》(1821年))

絵画は時間の流れをどう伝えるのか

動きの途中を描くという選択

人が歩く姿を描くとき、片方の足が前に出ていて、腕が逆方向へ動いている様子を描くことがあります。見る人はその姿から、足が地面を離れ、次の一歩が続くことを感じます。絵画は一つの平面として静止していても、描かれた身体がその先へ動く可能性を示すことがあります。

この働きを考えるためには、位置の違いを数字で表すだけでなく、身体のまとまりを考える必要があります。足と腕の動きは、ひとりの身体が前へ進むという全体の運動へ結びついています。画家はそのまとまりを、輪郭の傾きや重心、画面の配置を使って示します。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

スローモーションが教えること

動きをゆっくり再生すると、普段は見えにくい身体の動作が観察できます。映像を止めれば、さらに細かな位置関係を調べられます。メルロ=ポンティは、こうした分析によって捉えられる姿と、生きた運動そのものを感じる経験との違いに注目しました。私たちが走る人を見るとき、身体の各部分はまとまった運動として経験されます。

走るという出来事は、移動する方向、速度、姿勢の変化をひとまとまりとして受け取る経験です。絵画や彫刻は、ある瞬間に複数の時間の兆しを重ねて見せることができます。作品に刻まれた身体の姿が、見る人の中で運動として立ち上がります。(参照:ポンピドゥー・センター|『眼と精神』を参照した美術史教育資料)

見える姿の中に過去と未来がある

投げられた球を目で追うとき、現在の位置とともに、その進む方向や速さを感じています。どこから飛んできて、どこへ向かうかを感じています。現在の動きには、直前の状態と次に起こる状態が関わっています。知覚は、時間を切れ目なく経験する働きでもあります。

『眼と精神』の運動論は、絵画がその時間の厚みを表すことができると考えます。静止した馬の絵から疾走を感じるのは、姿の中に身体の動きの方向と持続が示されているからです。画家は瞬間の形を手がかりにしながら、見る人が時間を感じられる関係を組み立てています。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

ドローネー|同じ画面に広がる時間と空間

複数の色が同時に働く

ロベール・ドローネーの絵画では、色面が隣り合い、互いの明るさや強さを変えて見せます。赤の隣に置かれた緑と、青の隣に置かれた緑は、画面の中で異なる働きを持ちます。見る人の目は色と色の間を移りながら、全体のリズムを感じ取ります。ひとつの色は、画面を構成するほかの色との関係によって現れています。

メルロ=ポンティがドローネーを参照したのは、色彩が同時的な関係を作ることを考えるためです。世界の中で物は互いに離れていますが、ひとつの視界の中に同時に現れます。色と空間の関係を探る画家の仕事は、その不思議を画面に示すことができます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

線路が遠くで交わって見えること

平行な鉄道のレールを遠くへ眺めると、二本の線がしだいに接近し、地平線の近くで重なるように見えます。私たちは線路が実際には平行に延びていると知りながら、そのような姿を見ています。見える世界は、私たちが物の距離や配置について持つ知識と、独特の関係を結んでいます。

『眼と精神』はドローネーの線路に関する言葉を参照し、遠近法と同時性の問題へつなげています。線路は遠くで近づいて見え、同時に離れたまま続いています。この経験は矛盾した二つの知識を足し合わせたものというより、身体のある位置から世界を見ていることの具体的な姿です。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

物と物の隔たりがつくる世界

建物と木、空と地面は互いに異なるものです。視界の中では、それぞれの境界が隣り合い、ひとつの風景を形づくります。離れている物が同じ視界の中に現れることによって、私たちは空間の広がりを感じます。物の間に空間があること自体も、見るという経験の重要な一部です。

メルロ=ポンティが同時性を論じるとき、異なるものがともに現れるという問題が中心にあります。画家は色の隣接や形の配置を用いて、その関係を新たに経験させます。ドローネーの色彩の研究は、世界が一つのまとまりとして見えることについて考える入口となります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

第Ⅴ節|絵画に終わりはあるのか

一つの発見が次の制作を呼ぶ

ある画家が、長い時間をかけて色の扱い方を見いだしたとします。新しい色彩表現を使えるようになると、今度は形の問題が別の姿で現れることがあります。手に入れた技法が新しい課題を生み、制作はそこから先へ進みます。画家の探究は、ひとつの答えを得ればすべてが終わる仕組みにはなっていません。

『眼と精神』の最終節では、絵画の問題が互いに結びついていることが論じられます。奥行きを考えることは色を考えることでもあり、線を変えることは空間を変えることでもあります。一つの問題を深く探れば、ほかの問題も新しい形で開かれます。絵画が歴史の中で繰り返し更新される理由がここにあります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

過去の技法が新たな形で戻る

芸術の歴史には、いったん離れた描き方が後の時代に新しく現れることがあります。輪郭線を重視する表現が再び注目されても、それは以前とまったく同じ働きをするとは限りません。異なる画家の手に移れば、線の使い方は変わります。既にある技法も、新しい作品の中で新たな意味を帯びます。

メルロ=ポンティは、アングルとルオーの輪郭線の違いにも触れています。同じ輪郭という言葉で呼べるものが、制作された作品の中では異なる経験を生みます。絵画の歴史は一つの技術が完成へ近づくだけの道筋ではなく、表現が何度も組み替えられる場として理解できます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

完成された「最後の絵画」は考えられるか

遠近法、色彩、線、動きの問題がすべて解決された絵画を想像してみます。その絵は、あらゆる画家が以後描く必要のなくなる最終的な作品なのでしょうか。実際の制作では、ある技法の完成が、別の仕方で世界を見る可能性を閉ざすことにはつながりません。新しい作品が現れると、絵画の問題そのものが変わることもあります。

『眼と精神』の結論は、絵画を尽くしうる作業として捉える考えを問い直します。画家の探究は世界の現れ方に向き合うため、ひとつの技法や時代の到達点ですべてを言い終えることができません。絵画が続くことは、見ることについて問いが続くことでもあります。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

具象か抽象かという問いを越えて

見慣れた物を描くことの新しさ

画家がリンゴを描くとき、その絵がどれほど実物に似ているかを判断できます。リンゴをどのような色や線の関係として描いたかも重要です。非常に写実的な作品であっても、明暗や表面の扱い方によって、私たちの見え方を変えることがあります。画面には描く人が見いだした独自の秩序が現れます。

メルロ=ポンティの議論は、写実画に対して新しい絵画が進歩してきたという一方向の物語にとどまりません。近代絵画が探ってきたのは、見ることの条件を新しく経験させる方法です。具象的な作品にも、世界の見え方を探る深い仕事が含まれます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

抽象的な色や線は何を示すか

画面に色の帯が重なっているとき、見る人はそこに風景や人物の輪郭を探すことがあります。特定の物として受け取る前に、色の重さや距離、線の速さのような感覚を得る場合もあります。抽象的な作品は、物の名前に収まる前の視覚的な関係を、強く意識させることがあります。

『眼と精神』では、抽象絵画も世界の存在との関係を持つものとして考えられます。色や線は目に届き、身体を持つ鑑賞者に空間や運動の経験を生みます。物を直接描くかどうかという違いを超えて、作品が見えるものの働きをどのように変えるかが問われます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

絵画の問題を固定した分類から考え直す

具象画と抽象画、線の絵と色の絵、平面的な絵と奥行きのある絵という分類は、作品を整理するときに役立ちます。制作の現場では、同じ作品の中で線が形を生み、色が奥行きを作り、平面の上で立体感が現れます。どこから問題を捉えるかによって、画家が扱っているものの見え方も変わります。

メルロ=ポンティが重視したのは、こうした問題同士のつながりです。絵画は一つの技法だけを選び取る作業として完結しません。画家が見える世界に向き合うとき、線や色、動き、空間は複数の仕方で関係し合います。その働きを丁寧に見ることが、作品理解を豊かにします。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

「見ること」の哲学が残したもの

身体の経験から世界の存在へ

メルロ=ポンティの哲学は、身体を通して世界を経験するという問題から、見る人と見える世界がどのように結びついているかという問題へ展開しました。『眼と精神』はその歩みの中で、画家の仕事を重要な手がかりとした論考です。作品に色や線を置く行為は、世界を感じる身体が世界の中で行うこととして捉えられます。

この視点に立つと、絵画は描く人の内面だけを示すものとして説明しきれません。画家の経験は、自分の周囲にある光、場所、物、人との関係の中で形になります。絵画の表面には、世界に属している身体の働きが残されていると考えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

1964年『見えるものと見えないもの』との関係

1961年にメルロ=ポンティが亡くなった後、遺稿の『見えるものと見えないもの』が1964年に刊行されました。そこでは、知覚を行う主体と知覚される対象がどのように関係するかが、さらに根本的に問われています。「肉」や「可逆性」といった概念は、身体が見る側にも見られる側にもなる事実を考えるために用いられました。

『眼と精神』は、この晩年の思想を絵画から理解するための重要な入口になります。鏡に映る姿、風景の奥行き、水面の屈折、描かれた線の働きが、哲学の問いを具体的にしてくれます。二つの著作は互いに関係しますが、『眼と精神』には絵画に固有の経験を出発点とする鮮明さがあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

作品を見る私たちへの問い

美術館で一枚の絵の前に立つと、私たちはまず題名や画家の名前を確かめることがあります。少し長く見ていると、色の重なり、輪郭のわずかなずれ、画面の奥行きが気になってくるかもしれません。自分がどう立ち、どの距離から見ているかによって、作品の印象も変わります。絵を見る経験には、身体と時間が深く関わります。

『眼と精神』が読者へ残すのは、作品を見るたびに新たに確かめられる問いです。自分の目が何を見て、何を見落とし、どのように空間を感じているかを考える問いです。画家の制作と鑑賞者の経験を通じて、見るという日常の行為が、世界の中にいる私たち自身のあり方へ結びついていきます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))

略年表|『眼と精神』へ至る思想と美術の歩み

  • 1637年|デカルトが『方法序説』とともに『屈折光学』を公刊し、光と視覚の問題を論じる
  • 1821年|ジェリコーが《エプソムの競馬》を制作する
  • 1839年|ポール・セザンヌがエクス=アン=プロヴァンスに生まれる
  • 1840年|オーギュスト・ロダンがパリに生まれる
  • 1869年|アンリ・マティスが生まれる
  • 1878年|マイブリッジの馬の連続写真が、疾走の姿勢を捉える新たな資料となる
  • 1879年|パウル・クレーがスイスに生まれる
  • 1885年|ロベール・ドローネーが生まれる
  • 1902年|セザンヌが晩年の《サント=ヴィクトワール山》の連作に取り組む時期に入る
  • 1906年|セザンヌがエクス=アン=プロヴァンスで死去する
  • 1908年3月14日|モーリス・メルロ=ポンティがフランスで生まれる
  • 1911年|ロダンとポール・グセルの対話をまとめた『芸術』が刊行される
  • 1913年|ドローネーが色彩と同時性を探る抽象的な構成を進める
  • 1920年|クレーがミュンヘンで作品展を開き、独自の絵画表現を示す
  • 1924年|クレーがイエナで近代美術について講演する
  • 1930年|メルロ=ポンティが哲学教授資格試験に合格する
  • 1933年|クレーがナチス政権成立後にドイツを離れ、スイスへ移る
  • 1935年|メルロ=ポンティがロンドン滞在中にセザンヌ作品に触れる
  • 1936年|パリのオランジュリー美術館でセザンヌの大規模回顧展が開催される
  • 1940年|クレーが死去する
  • 1942年|メルロ=ポンティ『行動の構造』が刊行される
  • 1945年|メルロ=ポンティ『知覚の現象学』が刊行される
  • 1945年|メルロ=ポンティが「セザンヌの懐疑」を発表する
  • 1948年|論集『意味と無意味』に「セザンヌの懐疑」が収められる
  • 1949年|メルロ=ポンティがパリ大学で児童心理学と教育学を教え始める
  • 1952年|メルロ=ポンティが「間接的な言語と沈黙の声」を発表する
  • 1952年|メルロ=ポンティがコレージュ・ド・フランスの哲学教授に選出される
  • 1953年|就任講義『哲学をたたえて』が刊行される
  • 1954年|ニコラ・ド・スタールが《アトリエの片隅》を制作する
  • 1955年|メルロ=ポンティ『弁証法の冒険』が刊行される
  • 1957年|ドローネーの文章を集めた『キュビスムから抽象芸術へ』が刊行される
  • 1959年|メルロ=ポンティが参照するクレーの日記のフランス語訳が刊行される
  • 1960年|メルロ=ポンティの論集『シーニュ』が刊行される
  • 1960年7月|メルロ=ポンティが南仏ル・トロネで『眼と精神』を執筆し始める
  • 1960年8月|メルロ=ポンティがル・トロネで『眼と精神』の原稿をまとめる
  • 1961年|『眼と精神』が美術雑誌『Art de France』に発表される
  • 1961年5月3日|メルロ=ポンティが52歳で死去する
  • 1964年|ガリマール社から『眼と精神』の単行本が刊行される
  • 1964年|未完の草稿『見えるものと見えないもの』が死後刊行される
  • 1969年|未刊行だった『世界の散文』が死後刊行される

著作の成立と章の内容は1964年版の原著、経歴は哲学百科事典、セザンヌとの関係は美術史研究、作品の制作年と所蔵は各美術館の資料から確認できます。(参照:ケベック大学社会科学古典文庫|メルロ=ポンティ『眼と精神』原著(1964年版))(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)(参照:セザンヌ協会|エリーズ・マルク=ベカム「メルロ=ポンティの哲学におけるセザンヌ」)(参照:メトロポリタン美術館|セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》(1902–1906年頃))(参照:ルーヴル美術館|ジェリコー《エプソムの競馬》(1821年))

まとめ|絵画を通して見ることを考える

1961年に発表されたメルロ=ポンティの『眼と精神』は、画家が世界を見て描くという経験から、見ることの意味を問い直した論考です。1908年に生まれた哲学者は、行動の研究、1945年の『知覚の現象学』、セザンヌについての考察を経て、身体と世界がどのように結びついているかという問題を深めました。1960年夏にセザンヌゆかりのル・トロネで書かれた文章は、その思索の重要な到達点となりました。

論考の冒頭では、科学が物を模型や数値として扱うことと、私たちが実際に世界の中で生きることの関係が問われます。画家は光を受け、遠さを感じ、身体を動かしながら対象を見つめます。その身体自体も、世界の中で見える存在です。鏡に映る姿や、触れる手と触れられる手を考えると、見る人と見られる世界が共通の場に属していることがわかります。ここからメルロ=ポンティは、身体と世界の「肉」という関係へ思索を進めました。

絵画の像は、色と線が付いた物質的な表面に現れます。ラスコー洞窟の動物像を眺めるとき、私たちは壁の岩とそこに描かれた姿を一つの経験として受け取ります。作品を見ることは、目の前にある表面から、そこに現れるものへ向かうことでもあります。絵画は、すでに見たものを繰り返し示すだけでなく、物がどのように見えるかについて新しい経験を作り出します。

デカルトの光学を検討する第Ⅲ節から、近代絵画の実例を論じる第Ⅳ節へ進むと、奥行き、色彩、輪郭、運動が重要な問題となります。セザンヌの《サント=ヴィクトワール山》では、色の筆触から空間が生まれます。クレーの線は画面に新しい形を成立させ、マティスの素描は少ない輪郭から人物の身体を感じさせます。ドローネーの色彩やド・スタールの色面も、見える世界が成り立つ複数の仕方を教えてくれます。

プールの底を見下ろす場面では、水の揺らぎや反射を通じてタイルが見える経験が取り上げられます。私たちは、水の厚みや光の変化を通して、そこにあるものを見ています。また、ロダンの彫刻やジェリコーの競走馬の絵は、静止した形が運動の持続を伝えられることを示します。画家は形を正確に記録する課題に加え、その形が生きた経験の中でどう現れるかを探っているのです。

最終節でメルロ=ポンティは、絵画の問題が互いに結びつき、ひとつの解決から次の問いが生じることを論じました。具象と抽象、線と色という区分を超え、それぞれの作品がどのような見え方を開くかが重要になります。『眼と精神』は、絵画そのものの経験を通して哲学を進める著作です。絵画に向き合うことを通して、私たち自身が世界のどこに立ち、何を見ているのかを考えるための著作です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|モーリス・メルロ=ポンティ)

参考資料・出典