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Philosophy

1968

【美術と哲学】絵画は現実をどのように表しているのか

グッドマン『芸術の言語』

1968年のアメリカでは、大学や美術館が専門的な研究と芸術文化を広げる場所になっていました。1965年には連邦政府の芸術・人文学支援制度が創設され、文化と教育を公的にも支える枠組みが整います。同じ社会でベトナム戦争と人種差別をめぐる抗議も強まり、1968年4月にはニューヨークのコロンビア大学で学生が大学の軍事研究との関係や地域開発計画に抗議して建物を占拠しました。大学は学ぶ場であると同時に、社会の権力や文化のあり方を議論する場にもなっていたのです。

戦後の高等教育の拡大を背景に、大学では論理学、心理学、言語学などの研究が進み、美術館では抽象表現主義の大画面と、日用品や文字を使った新しい作品が紹介されていました。1960年代には美術家たちが、キャンバス上の形だけでなく、写真、指示文、工業製品、展示空間を使って何が芸術になりうるかを問いました。

作品の変化は、鑑賞者が「絵を見る」ときに何をしているのかという問題を生みました。肖像画が人物を表すことと、地図が町を示すことには、どんな共通点があるのでしょうか。現実の物を描かない抽象画には、何を理解する価値があるのでしょうか。同じ絵の写真複製を見たとき、原画を見たのと同じ作品を経験したことになるのでしょうか。

アメリカの哲学者ネルソン・グッドマン(1906–1998)は、画廊運営の経験を持ち、大学では知識と記号の問題を研究してきました。1967年にはハーバード大学で芸術教育の研究計画「プロジェクト・ゼロ」を立ち上げ、翌1968年に『芸術の言語』を刊行します。彼は絵画、文章、図、音楽の楽譜が、どのような規則で何かを示すのかを分析しました。

似ているだけで絵になるのでしょうか。画面の色や線は、何も描いていなくても意味を持つのでしょうか。グッドマンの答えをたどると、芸術は現実を写し取る手段であるとともに、世界を見分け、理解する方法として働くことが見えてきます。

CONTENTS

  1. 1968年、アメリカでは芸術と知識がどのように変化していたのか
  2. ネルソン・グッドマンは何を問う哲学者だったのか
  3. 1968年の『芸術の言語』は何を提案したのか
  4. 絵が実物に似ているとはどういうことなのか
  5. 「指示する」とは絵画で何が起こることなのか
  6. 存在しないものを描く絵はどう考えればよいのか
  7. 遠近法はなぜ「自然な見え方」と思われるのか
  8. 絵画の中では、どんな違いが意味を持つのか
  9. 図、地図、グラフと絵画は何が異なるのか
  10. モンドリアンの絵画は何を「表して」いるのか
  11. 布見本を手にすると「例示」がわかる
  12. ロスコの抽象画はどのような性質を示しているのか
  13. 「悲しい絵」はなぜ悲しみを伝えられるのか
  14. ポロックの絵画は「動き」をどう伝えるのか
  15. マグリットの絵は像と言葉をどうずらすのか
  16. 「写実的」という評価は何によって変わるのか
  17. 絵画の記号体系は文字のように決められるのか
  18. 原画と完全な複製はなぜ同じ作品にならないのか
  19. 楽譜と小説では作品の同一性をどう考えるのか
  20. 偽作と真正性はどのように美的経験へ関わるのか
  21. 1960年代のコンセプチュアル・アートと記号の問題
  22. バルデッサリの《絵画とは何か》は何を示すのか
  23. 芸術は科学と同じように知識を生み出せるのか
  24. 「芸術的な働き」を見分ける目印はあるのか
  25. グッドマンの描写論にはどんな批判があるのか
  26. 例示や表現にも研究上の難しさが残る
  27. 1970年代以降、芸術と知識の関係はどう受け継がれたのか
  28. 現代の画像を読むとき、グッドマンの問いはどう生きるのか
  29. 絵画は現実をどのように表しているのか
  30. 略年表|グッドマンと芸術の記号理論
  31. まとめ|絵画は現実をどのように表しているのか
  32. 参考資料・出典

1968年、アメリカでは芸術と知識がどのように変化していたのか

戦後の大学と美術館が育てた議論

1968年のアメリカでは、戦後に拡大した大学教育と研究機関が、科学・論理学・言語学を専門的に研究する拠点になっていました。美術館では抽象表現主義の巨大な絵画が紹介され、ポップアートやミニマル・アートも作品の形と鑑賞方法を変えていました。絵画の中に描かれる主題、画材そのものの働き、鑑賞者の経験を同じ「芸術」の問題として説明する方法が求められた時代です。

美術の動きは作品の分類にも影響しました。写真、商品の箱、文字だけの画面、床に置かれた立体が展示されるなかで、実物によく似た絵だけを表現の基準にすることは難しくなります。絵画と記号との関係に注目した哲学者ネルソン・グッドマンの仕事は、こうした美術上の問いと交差するものでした。(参照:ニューヨーク近代美術館|コンセプチュアル・アート/ロサンゼルス現代美術館|1958–68年のミニマル・アート)

公的な美術制度と新たな観客

1965年、ジョンソン政権は芸術・人文学支援法を成立させ、連邦政府が芸術活動や研究に助成する全米芸術基金と全米人文学基金が創設されました。美術の発表や学習を、公共機関も支える制度が整っていきます。作品を目にする人の経験も、画廊で買い手が一点の絵を鑑賞する場合から、学生が写真複製を比較し、美術館で抽象画と日用品を同時に見る場合まで多様になっていました。

芸術への公的支援と、政治的対立が大学へ入り込む状況は並行して進んでいました。グッドマンの著作がこうした政治的事件に直接応答して書かれたと断定できる資料はありません。哲学と美術の双方で、ものを理解する規則や作品の枠組みが吟味されていたのです。この環境では、一枚の絵を「何が描いてあるか」で説明するだけでは足りません。画面上のわずかな色の違い、絵画が置かれた文脈、作者が選んだ記号も、何を理解するかを左右します。グッドマンが問い直したのは、そうした違いを正確に記述できる哲学の言葉でした。(参照:全米芸術基金|1965年の芸術・人文学支援法/コロンビア大学|1968年の学生運動と大学の歴史/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

美術と科学を同じ知識の問いから考える

地図は道や町を示し、グラフは数値の推移を示します。絵画は風景や人物を示すこともあれば、形や色の組み合わせを観客へ提示することもあります。いずれも紙や画面にある印が、そこにないものや性質に関わる活動です。

グッドマンはこうした働きを「記号」の問題として考えました。科学の図表が知識を整理するように、芸術も世界を区分し、見方をつくり直すのではないか。これは美を感じる仕組みを越えて、私たちがどのように知識を得るかを問う哲学的な出発点でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

ネルソン・グッドマンは何を問う哲学者だったのか

ボストンの画廊からハーバード大学へ

ネルソン・グッドマン(1906–1998)はアメリカの哲学者です。1929年から1941年までボストンで画廊を共同運営し、美術家や作品と接する経験を積みました。1941年にハーバード大学で哲学博士号を取得し、その後はペンシルベニア大学、ブランダイス大学などで教え、1967年からハーバード大学で研究と教育に携わりました。

論理学と知識論を研究しながら絵を収集し、美術を単なる趣味の題材として扱わなかった点に特色があります。画廊で作品を見る経験と、知識を記号によって整理する研究が、一つの哲学的な問いへ結びつきました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

知識は世界をどう分類するか

グッドマンは1951年の『現れの構造』で、経験をどのような概念や記号で整理できるかを検討しました。1954年の『事実・虚構・予測』では、過去の観察から未来について推論するとき、どのような分類を信頼してよいのかという問題を論じています。

たとえば青と緑という区別を知っている人は、物の色をその分類で説明できます。異なる分類を学べば、同じ対象を別の仕方で整理することも可能です。私たちがどんな記号を使うかという問題が、美術を見る方法にも関わるとグッドマンは考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

1967年に始まったプロジェクト・ゼロ

グッドマンは1967年、ハーバード大学教育大学院で芸術と教育の学際的研究計画「プロジェクト・ゼロ」を立ち上げました。芸術の理解や学習を、哲学だけで完結する問題から、教育研究を含む共同の探究へ広げる活動です。

作品が何を示すかを分析することと、鑑賞者がその働きを読み取れるようになる過程はつながっています。『芸術の言語』の議論が学校教育や鑑賞教育でも参照されてきた背景には、こうした研究の方向があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

1968年の『芸術の言語』は何を提案したのか

初版と第二版の書誌

『芸術の言語』は1968年、アメリカのボブズ=メリル社から刊行されました。原題は『Languages of Art: An Approach to a Theory of Symbols』で、芸術のさまざまな「言語」を記号理論から考えるという目的を示しています。1976年にはハケット社から第二版が刊行され、広く参照されています。

著作は絵画の描写から始まり、例示、比喩、作品の真正性、記譜、芸術と認識へ展開します。第二版の目次やページ番号を初版の文章へそのまま当てはめず、刊行時期と改訂版の区別を意識して読むことが大切です。(参照:WorldCat|『芸術の言語』1968年初版書誌/Google Books|『芸術の言語』1976年第二版目次)

芸術作品が働く仕組みを問う

同じ風景でも、写真、油彩画、地図、文章には異なる情報が現れます。写真の構図は光の状態を記録し、地図は道路や地名を選んで示し、文章は言葉を順序立てます。そこで問われるのは、どれが一番忠実かという評価以前に、それぞれが何をどのような仕組みで示すかという問題です。

グッドマンは芸術作品を、何かを指し示したり、性質を例として示したりする記号として分析しました。芸術を科学や日常生活から完全に切り離さず、世界を理解する一つの営みとして考えることが、この著作の革新でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/Google Books|『芸術の言語』1976年第二版目次)

「絵画は現実の写し」という見方への問い

人物画を見ると、モデルによく似ているからその人物を表していると思うかもしれません。では同じ顔を鏡で見た像と、似顔絵と、証明写真は同じ理由で人物を表しているのでしょうか。姿の似ている程度だけでは、それぞれが何のために使われ、誰を指すのかまで説明できません。

グッドマンは表現を理解する際に、似ているという感覚と、何を示すものとして使われているかを分けました。この区別によって、実物を描く絵、架空の動物を描く絵、色だけで構成された抽象画を、それぞれに合った仕組みで考えられるようになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

絵が実物に似ているとはどういうことなのか

似ていることには向きがない

そっくりな二人の兄弟は互いによく似ています。絵画とモデルについても、色や形の近さという意味では互いに似ていると言えるでしょう。似ているという関係にはこのような対称性があります。

絵画がモデルを描いている関係は向きが決まっています。肖像画は人物を表しますが、人物のほうが肖像画を表しているとは通常言いません。グッドマンは『芸術の言語』冒頭で、この性質の違いから、類似だけで絵の表現を定義する説明を批判しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

何かが自分自身に最も似ているという逆説

見慣れた机は、ほかのどんな机より自分自身に似ています。ところが、その机はただ置かれているだけで、自分自身の肖像画になるわけではありません。似ている程度を増せば増すほど表現に近づく、という考え方にはここで限界が生じます。

表現には、その印が何かを指し示すものとして機能する条件が必要になります。絵の制作と受容の習慣、題名、使われる記号体系などが、その条件に関わります。これは、絵が何を描いているかを知る行為を、単純な物理的類似の観察から区別する考え方です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

複製画とモデルでは、何が最も近いのか

一枚の肖像画を精巧に複製すると、複製は描かれた人物よりも元の絵によく似ていることがあります。複製した結果が元の絵に似ているからといって、そこに描かれている人物が自動的に元の絵へ置き換わるわけではありません。

この例は、何に似ているかと何を描写しているかが別々の関係であることを明確にします。グッドマンが探したのは、絵を絵として理解するとき、外見の類似以外にどんな参照の働きが必要かという説明でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

「指示する」とは絵画で何が起こることなのか

言葉が人を指すように絵も対象を指す

「あの建物」という言葉で一つの建物を示すことができます。住所や地図の記号も、同じ建物を別の方法で示せます。グッドマンは、絵が人物や物を表す関係も、こうした「指示(denotation)」として扱いました。

特定の人物を描いた肖像画では、画面に描かれた形がその人物を指していると考えます。肖像画と言語の表現は同じ見た目を持ちませんが、対象を指し示すという関係で比べられるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

対象の名前と絵の違い

ある人の名前を紙に記せば、普通は筆跡が少し違っていても同じ人物を指します。人物画では、輪郭の角度や光の置き方が変わると、表現の内容や個性まで変化することがあります。指示という働きが共通でも、その記号が用いる仕組みは異なります。

グッドマンは、言葉の体系と絵の体系を一つに還元することを目指しませんでした。指示の共通性を確かめた後で、線や色の細かな差が意味を持つ絵の固有性を記述しようとしました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

一般的な動物画は何を指すのか

図鑑に描かれた「ワシ」の図は、特定の一羽の肖像である必要はありません。翼やくちばしの特徴を示すことで、その種類の鳥を理解するために使われます。絵は個体を指すことも、種類全体について働くこともあります。

絵画が示す対象には、このような幅があります。個人を描いた肖像、動物図鑑の図解、特定の町を示す風景画を同じ一つの基準で扱わず、どんな対象への指示が成立しているかを確かめる必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

存在しないものを描く絵はどう考えればよいのか

一角獣の絵は何を指しているか

想像上の一角獣を描いた絵は、一角獣らしい姿を持っています。私たちはその絵を見て、描かれた動物の種類を理解します。現実の世界にその動物の個体が存在しないことは、絵が一角獣の絵として成立することと両立します。

グッドマンは、この場合の直接の指示先が存在しないことと、「一角獣の絵」という種類に分類できることを区別しました。絵が何を指すかという問いと、どんな種類の絵かという問いが分かれるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

架空の人物と名前の働き

小説の登場人物の名前を聞いて、読者は物語の中の人物像を想像できます。その名前が現実に生きる一人の人物を指しているかどうかは別の問題です。架空の人物を描いた挿絵にも似た事情があります。

絵を理解できるためには、実在するモデルが必ず必要だという説明は、この例を扱いにくくします。グッドマンの理論では、何を指示するかという関係と、記号を分類する仕組みを併せて考えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

抽象画との境界を慎重に見る

一角獣の絵は架空の動物の姿を思わせ、抽象画は幾何学的な形や色だけで構成されることがあります。両者が実在の個体を直接指さない場合でも、画面に現れているものを同じ方法で理解できるとは限りません。

何かを描いていると見なせる絵と、物の姿を示す目的を持たない抽象画を区別し、そのそれぞれがどのように参照や例示を行うのかを調べます。この区別は、美術の種類を増やすためではなく、作品ごとの働きを正確に捉えるために役立ちます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

遠近法はなぜ「自然な見え方」と思われるのか

透視図法は画面をどのように組み立てるか

遠くの建物を小さく描き、平行な道路の線を一点へ向かわせると、平らな紙に奥行きを感じられます。線遠近法は、一定の観察位置から空間を投影する規則を使い、三次元の配置を二次元の画面へ変換する方法です。

その規則を知った鑑賞者には空間が自然に見えます。グッドマンは、何を「写実的」と感じるかに、慣れ親しんだ描写体系が影響すると考えました。自然な表現と呼ばれるものにも、歴史の中で学ばれた約束事が含まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

複数の描き方が同じ町を示す

観光地の地図では、建物の正面と道路の向きが一枚の画面で整理されることがあります。線遠近法で描いた都市景観とは見た目が違っても、どこに建物があるかを示す機能を持っています。

ある体系が対象をわかりやすく示すのは、求める情報と読み手の習慣が合っているからです。写実性を単なる画像の鮮明さと同一視すると、地図が役立つ理由や、異なる絵画表現が経験を整理する仕方を説明しにくくなります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

学習された自然さと知覚の働き

私たちは日常生活で遠近感や陰影を経験し、その経験に基づいて絵を読みます。線や色の読み方には学習された習慣も含まれます。グッドマンが強調したのは、絵が現実に「似る」ことを判定する物差しが、どの描写体系を前提としているかによって変わるという点でした。

この慣習重視の立場に対して、後の研究者たちは、知覚が絵の中に奥行きや形を認める仕組み自体も説明しなければならないと批判しました。歴史的な規則と身体的な知覚をどう結びつけるかは、現在まで続く論争の一つです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

絵画の中では、どんな違いが意味を持つのか

印刷された文字と絵の線を比べる

手書きの「あ」という文字は、少し丸く書いても角張っていても、通常は同じ文字として読まれます。画面に描かれた人物の口元の線は、わずかな角度の差で表情が変わって見えることがあります。

記号の細かな外見の違いを、同じものとして扱えるかどうかが異なるのです。グッドマンは、この違いを記号体系の構造から説明しました。美術をただ曖昧な言語と呼ぶ方法より、精密な比較ができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

密度という概念が説明すること

絵の輪郭をほんの少し動かしても、その間にさらに多くの異なる位置を考えられます。色の濃淡にも連続した変化があります。このように細部の間へ別の違いが入り込める構造を、グッドマンは「密度」と呼びました。

文字のように、どの記号に当たるかを明確に判定できる体系と比べると、絵画では判定の細かさ自体が変わります。線や濃淡の違いが新しい表現上の違いになりうることが、絵の重要な特色です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

同じ内容を表す場合にも表面は変わる

同じ机を描いた二枚のスケッチでは、木目を細かく描くか、輪郭だけを描くかで、鑑賞者が注目する点が異なります。どちらも机を示しているとしても、線の本数や濃淡が鑑賞の経験を変えます。

絵の働きを理解するときには、何を指すかという情報だけでなく、どんな印がどのように配置されているかを確かめる必要があります。この視点は、抽象絵画や図表との違いを整理する際にも役立ちます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

図、地図、グラフと絵画は何が異なるのか

数値を示すグラフの線

売上を示す折れ線グラフでは、縦軸と横軸の単位を読むことで、線が何を表すか理解できます。赤く印刷しても青く印刷しても、数値の関係が変わらない場合があります。情報として必要な印の特徴が、使われ方によって選ばれているのです。

絵画でも線の位置に注目しますが、色の重なりや線の質感そのものが重要なことがあります。グッドマンは、表面のどの特徴が参照に関わるかを、記号体系の違いとして考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

道路地図と都市の絵

道路地図は、駅、道、地名を目立たせ、建物の外壁の色や雲の形を省略することがあります。街路を描いた絵では、同じ場所を示しながら、雨の光や人の動きが鑑賞の中心になる場合があります。

この違いを、地図が正確で絵が感覚的だという二分で整理することはできません。地図も独自の目的に対して正確さを追求し、絵も視覚情報を組み立てます。何を重要な情報として選び取るかが異なっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

表面の特徴がどれほど意味に参加するか

記号の機能によって、記号の形の細部を読む必要性が違います。グッドマンは芸術的な記号にしばしば見られる特徴として、色や線や質感など、多くの側面が意味に関わる「相対的な充満性」に注目しました。

図の線では軸との交点を読み取れば目的を果たすことがあります。絵画を見るときには、線が途中で揺れることや、同じ色が少しずつ変化すること自体が鑑賞の手がかりになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

モンドリアンの絵画は何を「表して」いるのか

《ブロードウェイ・ブギウギ》の色と構造

オランダ生まれの画家ピート・モンドリアン(1872–1944)は、20世紀前半に直線と色面を組み合わせる抽象絵画を発展させました。ニューヨーク移住後の《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942–43年、ニューヨーク近代美術館)は127センチ四方の油彩画で、黄、赤、青などの小さな色面が縦横に連なります。

題名にはニューヨークの街路と音楽が重なります。画面に道路の建物が写実的に描かれているわけではありません。縦横の反復、色の切り替わり、目の移動が、都市や音楽を考える経験と結びつきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|モンドリアン《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942–43))

対象を描かなくても関係が生まれる

《ブロードウェイ・ブギウギ》の画面で、小さな黄色の四角を一つ消したと想像してください。道路らしい格子の読みやすさだけでなく、周囲の色とのリズムも変わるでしょう。個々の色は何か特定の物を描いているというより、関係の中で働いています。

グッドマンの考え方では、こうした画面を「何も意味しない」と結論づける必要はありません。画面が持つ特徴を前面に示す例示や、比喩的な性質の表現を通じて、抽象画にも参照の働きを考えられます。これは作品への哲学的な応用であり、モンドリアンがグッドマンの理論を用いて描いたという意味ではありません。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|モンドリアン《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942–43))

都市の図解と絵画の距離

格子状の構造だけに注目すれば、この作品をニューヨークの道路網に見立てることができます。実際の道路の長さや交差点の位置を測ろうとすると、作品の目的と読者の期待がずれます。

題名と画面との関係を踏まえながらも、作品が選んだ色彩の配置に注目すると、地図とは異なる意味の働きが見えてきます。表現は対象を細部まで写し取ることだけで成立するのではなく、作品固有の組み立てを通じて経験を整理する行為でもあります。(参照:ニューヨーク近代美術館|モンドリアン《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942–43)/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

布見本を手にすると「例示」がわかる

小さな布が何を示すのか

服を注文するとき、仕立て屋から小さな布見本を渡されることがあります。実際に触れば、色と手触りを確かめられます。布見本は目の前にある一片の布でありながら、選べる生地の性質を示すためにも使われています。

グッドマンはこのような働きを「例示(exemplification)」と呼びました。布がその性質を持ち、さらにその性質へ注意を向ける役割を担うことが重要です。芸術作品も、自身の色や質感をこのように示すことがあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

布のすべての性質が見本になるわけではない

小さな布には長さ、幅、重さ、切り口の形など多くの性質があります。仕立て屋がその布で示したいのは、通常は色や風合いです。見本が偶然三角形に切られていたとしても、その形が注文する服の形を指定するとは限りません。

何を例示しているかは、物が持つ性質の一覧から機械的に決まるわけではありません。どんな目的で提示され、どの性質に注意が向けられているかが関わります。作品を見るときにも、画面に存在するすべての特徴を同じ重みで読むことには慎重さが必要です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

指示と例示の向きの違い

「青い」という言葉は、青いものに当てはめることができます。青い布見本は、その色を実際に持ちながら、「青さ」という性質を見せる役割を担います。言葉が物を分類する方向と、見本が自身の性質を指し返す方向を比べると、例示の特徴がわかります。

グッドマンの理論では、指示と例示を分けることで、何かを描写する絵だけでなく、抽象画が自身の色や線を示す働きも説明できます。美術の意味を作品の外にある対象だけから考える習慣を広げる議論です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

ロスコの抽象画はどのような性質を示しているのか

《No. 10》の色面を具体的に見る

ラトビアに生まれアメリカで活動した画家マーク・ロスコ(1903–1970)は、戦後のニューヨークで、大きな色面を重ねた抽象絵画を制作しました。《No. 10》(1950年、ニューヨーク近代美術館)には、黄色や青、白、灰色などの領域が柔らかく重なり、隣り合う部分の境界で光のような揺れが生じています。

この作品の前で「何の風景か」と考えても、山や海を一つの対象として見つけることは難しいでしょう。色が広がること、境界がぼやけること、画面の大きさに包まれるような感覚は、作品自身の特徴に目を向けさせます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ロスコ《No. 10》(1950))

色と輪郭は例示になりうる

たとえば《No. 10》の青みを帯びた部分を見て、その色の深さが絵の重要な特徴だと感じたとします。絵は物の色を説明しているのではなく、自分が持つ色彩の性質を鑑賞者に示しています。

グッドマンの「例示」は、作品を何かの図解として読む以外の道を開きます。画面が備える特徴のうち、鑑賞に関わるものが選び取られ、参照の働きを担います。どこに注目するかは作品の構成と鑑賞者の経験の双方に支えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|ロスコ《No. 10》(1950))

ロスコの目標と哲学者の説明を区別する

ロスコは作品によって人間の深い感情を喚起することを重視しました。ニューヨーク近代美術館も、彼の色面が鑑賞者へ強い感情的経験をもたらすことを目指したと解説しています。

グッドマンの例示論は、そのような絵を考える際に役立つ分析方法です。美術家の発言から確認できる意図と、後に哲学の概念を使って鑑賞する説明とを区別することで、作品独自の狙いも理論の射程も明確になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|ロスコ《No. 10》(1950)/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

「悲しい絵」はなぜ悲しみを伝えられるのか

絵具は人間の感情を持たない

薄暗い色調の絵を見て「悲しい」と感じることがあります。絵具とキャンバスに人間の心があるという意味ではなく、私たちは画面の構成を感情の言葉で捉えています。そこでは、絵に備わる色や形から、作品の雰囲気についての判断が生まれます。

グッドマンは、美術における感情の表現を、作品が比喩的にある性質を示す働きとして説明しました。単に作者の感情が画面に流れ込むと考えるより、「悲しさ」という言葉がどのような対象へ用いられ、作品がそれをどう示すかに注目します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

比喩的な例示という説明

「重い空気」という言葉は、実際に空気の重量を測っているわけではありません。会話の中で、息苦しさや緊張を感じる状況を示す比喩として働きます。絵画を「重苦しい」と呼ぶときも、物理的な重量とは異なる性質が問題になっています。

グッドマンは、こうして通常とは別の領域へ適用される性質の言葉を「比喩」として分析しました。作品がその性質を比喩的に持ち、それを示す場合が、彼のいう「表現(expression)」です。感情を語る鑑賞が、まったく説明不能な私的感覚にとどまらない理由を考えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/シェフィールド・ハラム大学|隠喩的例示をめぐる批判研究)

作者の気持ちと作品が表す性質

明るい気分で描かれた絵が、完成後には寂しさを感じさせる場合があります。また、つらい経験をした作者が描いた作品でも、観客には陽気な画面として受け止められることがあります。制作中の感情と作品が表現する性質は、必ずしも一致しません。

グッドマンの理論は、完成した作品が持つ比喩的な働きを分析します。作者の証言や制作過程を調べる美術史的な方法と組み合わせることで、誰の感情を説明しているのか、作品のどの特徴に根拠を求めているのかを吟味できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/シェフィールド・ハラム大学|隠喩的例示をめぐる批判研究)

ポロックの絵画は「動き」をどう伝えるのか

《One: Number 31, 1950》の大きさと材料

アメリカの画家ジャクソン・ポロック(1912–1956)は、1940年代後半から床に広げたキャンバスへ塗料を流し、滴らせる方法を発展させました。《One: Number 31, 1950》(1950年、ニューヨーク近代美術館)は約269.5×530.8センチの大画面に、油彩とエナメル塗料の線や飛沫が交錯する作品です。

画面に直接立っている人物や走る動物が描かれているわけではありません。細い塗料の軌跡、方向の違う線、たまりになった部分をたどると、制作時の運動を思い浮かべられます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ポロック《One: Number 31, 1950》)

線は自分自身の性質を示す

ポロックの画面に落ちた塗料は、粘度や落下速度によって広がり方が変わります。線が太くなる場所や細い糸のように走る部分を眺めると、塗料の物理的な働きが目に入ります。

グッドマンの枠組みでは、こうした特徴を作品が例示していると考えられます。画面の線を「勢いがある」と捉える場合は、運動の性質を比喩的に表すという説明にも進めます。実際の塗料の痕跡と、鑑賞者がそこに読み取る感覚がつながっているのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|ポロック《One: Number 31, 1950》)

制作記録が示すものと鑑賞の意味

美術館の解説によれば、ポロックは容器から塗料を流したり、棒や硬い筆を用いて絵具を散らしたりしました。作品の表面にある線から、どのような手の動きが関わったかを考えるとき、この制作資料は具体的な根拠になります。

一枚の絵がどんな経験を伝えるかという問いは、制作方法の記録だけで終わりません。観客が線の密度や配置をどう読むかによって、作品の表現の理解が深まります。グッドマンの分析は、この鑑賞の側の働きを言葉にする方法です。(参照:ニューヨーク近代美術館|ポロック《One: Number 31, 1950》/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

マグリットの絵は像と言葉をどうずらすのか

《偽りの鏡》に描かれた巨大な目

ベルギーの画家ルネ・マグリット(1898–1967)は、ありふれた物を不思議な関係で描くシュルレアリスムの画家です。《偽りの鏡》(1929年、ニューヨーク近代美術館)は、約54×80.9センチの油彩画で、大きな目の虹彩の部分に青空と白い雲が描かれています。中心には黒い円があり、空と目が同じ画面で重なります。

絵を見た人は、目を見ているのか、目を通して空を見ているのか、二つの読み方を行き来します。題名も、視覚が現実をどのように映すかという問題を浮かび上がらせます。(参照:ニューヨーク近代美術館|マグリット《偽りの鏡》(1929))

指す対象と画面の構造が重なる

目は身体の器官として認識でき、虹彩の中の空も雲として読み取れます。絵は実在の一つの大きな目を記録しているというより、目と空という異なる図像を組み合わせて働かせています。

グッドマンの観点から考えると、何が描かれているかという分類と、その絵の配置が見る経験をどう変えるかを分けて問えます。マグリットがグッドマンの理論を参照した史実はここで前提にせず、二つの異なる活動を作品の分析によって結びつけて考えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|マグリット《偽りの鏡》(1929))

絵が「本当らしい」と感じられる条件

マグリットは目の肌や輪郭を丁寧に描き、視覚的な説得力を持たせています。同時に虹彩の空は、普通の目の見え方とは違います。描写の一部が現実的であることが、全体の奇妙さをかえって強めています。

こうした作品では、写実的な描写の規則を知っている鑑賞者が、その規則の変形を感じ取ります。絵画が意味を生むには、写された対象と描き方の双方に目を向ける必要があるとわかります。(参照:ニューヨーク近代美術館|マグリット《偽りの鏡》(1929)/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

「写実的」という評価は何によって変わるのか

最も写実的な絵がいつも最も似るとは限らない

ある人物の外見を知りたい人には、正面と横顔の写真が役立つことがあります。顔の特徴を覚えたい人には、目立つ特徴を強調した似顔絵が役立つ場合もあります。どの表現が「本物に近い」と感じられるかには、何を知りたいかという目的が関わります。

グッドマンが述べる写実性は、見た目の似ている量を単純に計算して決まるものではありません。どんな描写体系が習慣として確立しているか、読み手がその体系にどれほど慣れているかが判断に影響します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

慣れた様式が自然に感じられる理由

ある文化で写真に近い陰影表現を頻繁に見ていれば、そのような描き方は理解しやすくなります。異なる表現習慣の中で作られた絵は、最初は奇妙に見えても、作品を見比べるうちに形の読み方が身につくことがあります。

この学習の過程を踏まえると、ある時代の絵を別の時代の写実の尺度だけで判定することの難しさが理解できます。グッドマンの問題提起は、絵の自然さを歴史や慣習と結びつけて考える道を広げました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

描写は慣習だけで成立するのか

絵に奥行きを感じる経験には、目や身体が形を捉える仕組みも関わります。完全に初めて見る図像でも、輪郭や重なりから物の形を予想できる場合があります。グッドマンの強い慣習重視の説明が、この知覚の働きを十分に説明しているかは議論になりました。

研究者たちは、表現の習慣と、鑑賞者が像の中に立体を認める経験との関係を引き続き検討しています。絵は習慣によって読まれるという発見を保ちながら、見ることに備わる心理的・知覚的な側面も確かめる必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

絵画の記号体系は文字のように決められるのか

同じ文字を何通りに書いても読める

「山」という漢字は、筆で書いた場合とパソコンで表示した場合で形が少し異なります。それでも同じ文字として判別でき、辞書の中でも同じ項目に結びつきます。文字の体系では、どの形を同じ記号として数えるかという規則があります。

絵画では、ある輪郭を一ミリ動かせば表情や奥行きが変わる場合があります。記号を同一と見なす境界の決め方が異なるため、絵画の体系を文字のような有限個の記号の組み合わせとして考えることには難しさがあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

楽譜は演奏をどう指定するのか

西洋の五線譜では、音の高さや長さが記号として表され、演奏者はその規則を読んで曲を演奏します。同じ曲を異なる人が演奏しても、指定された音の順序を共有できることが楽譜の役割です。

グッドマンは、楽譜を作品の同一性を考えるための重要な例にしました。楽譜は絵よりも明確な記号の区切りを持ち、規則に従って演奏の集合を指定できる仕組みを備えています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/Google Books|『芸術の言語』1976年第二版目次)

「記譜体系」という厳密な条件

グッドマンは、個々の記号を区別できることに加え、どの記号がどの対象や演奏へ対応するかを明確に判定できることを「記譜体系」の条件として考えました。文字が読めることと、言葉の意味まで必ず一つに決まることは、ここでは別の問題です。

日常言語は同じ語が複数の意味を持つことがあり、厳密な意味での記譜体系とは異なる働きをします。絵画は記号の外見の細部と示す内容の双方に連続した違いがあり、さらに別の構造を持ちます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

原画と完全な複製はなぜ同じ作品にならないのか

原画を見ることに特別な意味がある

ある絵画を非常に精巧な印刷で複製したとします。画面上の色と形がほとんど区別できなくても、美術館で原画を前にする経験は、印刷物を見る経験と同じものとは言い切れません。絵具の厚みや支持体の状態に加え、誰がいつ制作した物かという履歴が異なります。

グッドマンは、作品の同一性を考える際に、制作の歴史を外せない芸術形式があると論じました。絵画では作者が実際に作った対象であることが、作品の同一性に関わります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

自筆的芸術とはどのようなものか

グッドマンは、極めて精巧に見分けがつかない複製でも、真正な作品と複製を区別する意義がある芸術を「自筆的(autographic)」と呼びました。油彩画はその代表例です。作者の手が直接触れたかという単純な基準ではなく、制作史に結びついた真正性が重要になります。

版画のように正規の版から複数枚刷られる芸術でも、原版と制作手順に基づく真正な作品と後の模造を区別できます。作品が一つだけ存在することと、自筆的な芸術であることは同じ条件ではありません。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

鑑賞の価値と同一性の条件を分ける

複製画を美しいと感じたり、細部を学ぶために役立てたりすることは十分にできます。原画と複製を区別することは、複製を見る経験の価値を無条件に否定する議論ではありません。

グッドマンが説明しようとしたのは、どのような条件を満たせば同一の芸術作品と数えられるかです。その条件と、作品をどれほど面白く感じたかという評価を分けることで、複製技術や展示方法の問題も整理できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

楽譜と小説では作品の同一性をどう考えるのか

同じ楽曲を別の演奏会で聴く

ある作曲家の交響曲を別々の楽団が演奏しても、私たちは同じ曲の演奏として聴けます。速さや音色に違いがあっても、一定の楽譜と演奏の規則によって、作品との関係が成り立っています。

グッドマンは、こうした芸術を自筆的芸術と区別し、「他筆的(allographic)」な芸術として論じました。作品の同一性が、原物の制作履歴そのものよりも、一定の記号的な規則によって定められる場合です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

書き写された小説を読む

ある小説が初版本でも新しい版でも同じ本文であれば、読者は同じ文学作品を読んでいると理解できます。本の紙質や印刷のにじみが違っていても、文章の順序と文字の同一性が保存されれば、作品の識別を支えることができます。

グッドマンは小説などについて、作品をテキストの記号的な同一性と結びつけて考えました。朗読や上演を必要とする芸術では条件が変わるため、すべての芸術に同じ「原本」の考え方を当てはめません。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

演奏の誤りをどう扱うかという難問

楽譜にない音を一つ鳴らした演奏でも、聴衆はその交響曲を聴いたと感じるでしょう。グッドマンの厳密な記譜理論では、その誤りをどう扱うかが作品の同一性を判定する際の難問になります。

後の研究者たちは、演奏がどの作品の実例に当たるかという厳密な条件と、音楽家や聴衆が曲を認識する実際の方法との隔たりを論じてきました。理論によって分類が明確になることと、演奏文化の全体を説明できることは、別々に確かめる課題です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

偽作と真正性はどのように美的経験へ関わるのか

見分けられない二つの絵を考える

目の前に二枚の絵があり、一方は著名な画家が制作した原画、もう一方は後の画家による精巧な模造だとします。形と色を見比べても違いを見つけられないとき、どこに作品の違いがあるのでしょうか。

グッドマンは、絵画における真正性が見た目の差だけで決まるものではないことを論じました。物の制作履歴が、どの作品として鑑賞しているかを左右するのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

制作時代を知ると何が変わるか

同じ技法のように見える画面でも、ある表現が最初に成立した時代に制作されたのか、後から模倣されたのかによって、美術史上の意味は変わります。先行作品との関係、当時の技術、作者の試行錯誤を知ることが、見えている部分への関心を変えるからです。

真正性の問題は、鑑賞者が物の表面に隠された秘密を探す楽しみだけではありません。制作の履歴を作品理解の一部として考えることにより、美術史と美学の問いが結びつきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

精巧な複製は何を教えるのか

写真や複製画で細部を繰り返し見れば、原画の構図や色の使い方を学べます。資料の精度が高いほど、制作技法や構成を比べる助けにもなります。

原画と複製は、鑑賞教育では協力し合う資料にもなります。グッドマンが区別したのは、複製の学習上の有用性と、その物を元の作品そのものと数える条件です。美術館で作品の来歴が重視される理由を、作品同一性の問題として捉え直せます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

1960年代のコンセプチュアル・アートと記号の問題

《一つと三つの椅子》にある三つの示し方

アメリカの美術家ジョセフ・コスース(1945年生まれ)は、1965年に《一つと三つの椅子》を制作しました。ニューヨーク近代美術館の作品記録では、折りたたみ椅子の実物、その椅子の写真、「椅子」という語の辞書的な定義を拡大したパネルが並びます。

椅子は座れる物として存在し、写真は特定の椅子の姿を示し、定義文は椅子という種類を言葉で説明します。ひとつの対象について、物、像、言葉が違う方法で関わることを、一つの場所で比べられる作品です。(参照:ニューヨーク近代美術館|コスース《一つと三つの椅子》(1965))

作品を読むことと原著の議論の接点

《一つと三つの椅子》は1968年の『芸術の言語』より前に制作されています。両者には、記号が何をどのように示すかという共通の問題があります。椅子の写真が実物に似ているという説明だけでは、辞書の文章との違いを十分に捉えられません。

グッドマンの指示や記号体系の理論を使うと、写真と文字がそれぞれどのような規則で対象に関わるかを考えられます。二人の関係を直接の影響として述べるためには、作家の証言など別の資料が必要です。ここで確かめられるのは、同時代の美術作品と哲学が共有していた問いです。(参照:ニューヨーク近代美術館|コスース《一つと三つの椅子》(1965)/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

絵画という分類も問い直される

コンセプチュアル・アートの作家たちは、言葉や指示、記録写真などを作品へ取り入れました。物をどう制作したかに加え、作品が何を考えさせ、どのように読まれるかが前面に出ています。

これはグッドマンの記号理論そのものを実践した運動という意味ではありません。作品の形式が多様化した1960年代に、芸術を表面の見た目だけで分類する説明が揺さぶられていたことを、両方の領域から理解できます。(参照:ニューヨーク近代美術館|コンセプチュアル・アート/ニューヨーク近代美術館|コスース《一つと三つの椅子》(1965))

バルデッサリの《絵画とは何か》は何を示すのか

画面に文字を描いた絵画

アメリカ西海岸で活動した美術家ジョン・バルデッサリ(1931–2020)の《絵画とは何か》(1966–68年)は、約172.1×144.1センチのキャンバスに、絵画について語る文章を描いた作品です。ニューヨーク近代美術館の記録によれば、文章は美術鑑賞の本から選ばれ、文字を書く作業は商業看板の職人に依頼されました。

キャンバスと絵具から成る絵画を見ながら、私たちはそこに書かれた言葉を読みます。「見る」と「読む」という行為が同じ画面で重なり、絵画の定義そのものが鑑賞の主題になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|バルデッサリ《絵画とは何か》(1966–68))

文字の意味と絵具の表面

画面の文章だけを別の紙に印刷すれば、言葉としての内容はある程度保てます。実際の作品では、文字が大きなキャンバスの上に配置され、余白や全体の寸法も目に入ります。

グッドマンの理論から考えると、文章が指示する内容と、画面が例示する配置や質感を区別して検討できます。作品は「何が書いてあるか」と「どのような物として作られているか」の両方を鑑賞者へ示しているのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|バルデッサリ《絵画とは何か》(1966–68))

作者の手と作品の意味

バルデッサリは文字を書き入れる作業をほかの人に依頼しました。作品の発想、文章の選択、材料の指示と、実際の筆記作業とが分かれていることは、絵画の作者をどう考えるかという問題も生みます。

この作品がどのように成立したかを知ると、筆跡の特徴だけから作者を決める考え方では整理しきれないことがわかります。記号を選び、何を読ませるかを決める行為が作品を形づくるという点で、記号理論との接点があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|バルデッサリ《絵画とは何か》(1966–68)/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

芸術は科学と同じように知識を生み出せるのか

地図の理解と絵画の鑑賞

知らない町を歩くとき、地図によって道のつながりや距離を理解できます。人物画からは顔の特徴を知り、抽象画からは色が隣り合うことで生まれる違いを経験できます。使われる記号も得られる理解も異なります。

グッドマンは、美術を理解する活動にも認識的な働きがあると考えました。作品を解釈する人は、形や性質を識別し、新しい関係を見つけ、世界を分類し直します。この意味で美学を知識論と結びつけました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

芸術の価値を快さだけで測らない

ある作品を見て心地よいと感じることがあります。複雑で不穏な絵を見て、困惑しながらも、その色や表現について多くを学ぶこともあります。グッドマンの説明では、芸術を経験する価値は快い感覚の有無だけで決まりません。

何を指し、どんな性質を例示し、どういう仕組みで理解を変えるかを読み取ることが、芸術の認識的な価値につながります。鑑賞が能動的な学習になりうる理由を、具体的な記号の働きから説明する立場です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

見ることは学ぶことにもなる

最初は色が並ぶだけに見えた絵でも、作品を何度か見ているうちに、境界の揺れや反復の間隔が目に入ることがあります。鑑賞者が何を区別し、どこを注目点とするかが変わっていきます。

この変化は、作品をよく知るほど新たな情報が現れる経験です。グッドマンの思想では、芸術の理解が知識と切り離された特別な感覚に閉じず、ものを見る能力を育てる活動として捉えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

「芸術的な働き」を見分ける目印はあるのか

美的な記号にしばしば見られる特徴

グッドマンは、芸術的な記号が働く際にしばしば見られる特徴として、記号の細部の違いが重要になること、色や形など多くの側面が働きに加わること、例示や複雑な参照が用いられることなどを挙げました。これらは芸術作品を読むための観察点として役立ちます。

一枚の絵を眺めるときにも、何が描かれたか、表面のどの部分が意味に参加するか、どんな感情の言葉が用いられるかを別々に問えます。目印を使うことで、曖昧な印象を検討できるようになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/Google Books|『芸術の言語』1976年第二版目次)

目印と判定基準の違い

科学の図や美しい書体にも、線や色の細部が重要な場合があります。美術の特別さを一点の性質だけで言い当てようとすると、ほかの領域との重なりを説明することが難しくなります。

グッドマンの提示した特徴は、すべてがそろえば必ず芸術となるという簡単な判定表として読むより、記号が美的に働く場面を分析する方法として捉えられます。ある作品がどの特徴を通じて理解を生むかを、一つずつ確かめられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

作品の内容と評価は同じ問いではない

一枚の絵について「これは悲しみを表している」と説明できたとしても、それだけで優れた作品だと判定できるわけではありません。表現の仕組みを説明することと、芸術的な出来栄えを評価することには違いがあります。

グッドマンの記号理論は、作品が意味を持つ過程を詳しく分析します。その分析を土台として、どんな発見があり、どのような表現上の判断が成功しているのかを論じることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

グッドマンの描写論にはどんな批判があるのか

類似を退ける議論の射程

グッドマンは「似ている」という関係だけで、何かを描写することは説明できないと論じました。この批判は、類似が描写に無関係だとすべての場面で示したことを意味しません。実際、肖像画のモデルを認識できる理由には、顔の輪郭や特徴の類似も関わります。

後の研究では、類似が描写の十分条件になるかという問いと、類似が視覚表現の理解でどのような役割を果たすかという問いを区別しました。前者への批判が、後者についての研究を促したのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

絵の中に物を見るという説明

英国の哲学者リチャード・ウォルハイム(1923–2003)は、美術と知覚の関係を研究し、画面という物理的な表面を見ながら、そこに人物や物を見いだす経験を重視しました。グッドマンの記号体系中心の説明と比べると、鑑賞時の見え方そのものに強く注目した立場です。

たとえば一枚の肖像画を見るとき、絵具の層を認識すると同時に、その中に人物の顔を見ている感覚があります。この経験をどう説明できるかは、記号の規則だけで尽くせるのかという議論につながりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

ケンダル・ウォルトンによる想像の説明

アメリカの哲学者ケンダル・ウォルトン(1939年生まれ)は、1990年の『ごっこ遊びとしてのミメーシス』などで、絵を見る経験と想像する活動との関係を論じました。肖像画を見ている人が、実際にはそこにいない人物について想像する仕組みを考える方向です。

これらの研究は、グッドマンが精密に説明した参照の構造に加えて、鑑賞者が像を経験する心理的な過程を問い直しています。絵画を理解する哲学は、記号の規則と見る人の経験をめぐる複数の理論へ発展しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

例示や表現にも研究上の難しさが残る

何を例示するかは誰が決めるのか

布見本が色を示すことは、仕立て屋と顧客の間で目的が共有されているために理解できます。抽象絵画を見る人が、色、線、厚み、画面の大きさのうち何を重要と考えるかは、より複雑です。

グッドマンの理論は、例示が実際に備わる性質と、その性質への参照を含むと説明します。では、作品がどの性質を選んで示しているのかを、どこまで記号体系から決められるでしょうか。研究者は、作家の意図、制作環境、鑑賞の習慣の役割を問い直しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/シェフィールド・ハラム大学|隠喩的例示をめぐる批判研究)

「悲しさ」の表現をどう確かめるか

ある色面を悲しいと呼ぶ人もいれば、静かだと呼ぶ人もいます。二つの説明のどちらが説得力を持つかを考えるには、画面の形と色の関係、過去の作品の用例、鑑賞者が使う言葉の歴史を検討する必要があります。

隠喩的な例示というグッドマンの説明は、この問題を整理する概念を与えます。作品がどの性質を比喩的に備えると考えられるかは、理論的にも争われています。表現を分析する際には、言葉を当てはめる根拠を具体的な作品から示すことが大切です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/シェフィールド・ハラム大学|隠喩的例示をめぐる批判研究)

記号理論で説明できる範囲

芸術作品には、制作の労働、身体の動き、素材の変化、社会との関係など、多くの側面があります。それらをどのような記号的な関係に整理できるかは、作品によって違います。

マーケット大学に提出された研究論文などでは、グッドマンの例示概念が芸術一般を説明するのに十分かが批判的に検討されました。彼の理論は美術の理解を広げたと評価されながら、すべての経験を参照という関係で説明できるかという問題を残しています。(参照:マーケット大学|グッドマンの芸術記号論に関する研究/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

1970年代以降、芸術と知識の関係はどう受け継がれたのか

1976年第二版と議論の広がり

『芸術の言語』は1976年に第二版が刊行されました。初版から参照の構造をめぐる議論が広がり、描写、例示、音楽作品の同一性、偽作の問題などが、その後の分析美学で検討されました。

絵画だけを対象にするのではなく、文学、音楽、建築、舞踊などの違いを記号体系の構造から考える提案は、多くの領域の研究に接点を持ちました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/Google Books|『芸術の言語』1976年第二版目次)

1978年の『世界制作の方法』へ

グッドマンは1978年の『世界制作の方法』で、私たちが複数の記述や記号体系を通じて世界を理解し組み立てるという考えをさらに展開しました。絵画が表す対象についての問いは、人が何を世界として認識するかという広い問いへつながります。

1968年の議論と1978年の著作は、同じ思想家の連続した仕事です。後年の「世界制作」という表現を、そのまま1968年の本の結論として扱うと、議論の発展が見えにくくなります。記号が参照する仕組みから、知識の構成へ向かう時間的な順序に注目できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

芸術教育への継承

1967年に始まったプロジェクト・ゼロでは、芸術を学ぶことを知識や理解の形成と結びつけて考える研究が育ちました。作品の技法を覚えるだけでなく、形を読み取り、自分の見方を説明することも学習に関わります。

グッドマンの活動は、芸術が感覚の享受にとどまらず、記号を扱う知的な営みであるという考えと結びついています。鑑賞教育で観察と説明を往復する方法を考える際に、現在も参照できる思想です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

現代の画像を読むとき、グッドマンの問いはどう生きるのか

写真と絵と図の役割を比べる

同じ建物について、写真、案内地図、設計図、絵画があるとします。どれが正確かを一言で答える前に、写真はその時点の光景、案内図は移動に必要な関係、設計図は寸法や構造を示すことがわかります。

グッドマンの枠組みでは、各画像が何を指し、どんな規則で読まれ、どの特徴を示しているかを問えます。「絵は現実に似ているほどよい」という単純な序列から離れ、目的に応じた読み方を組み立てられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

画像を複製すると何が移り、何が残るか

絵画を撮影した画像は、構図や色彩の関係を遠くの人へ伝えることができます。拡大によって原画では見過ごしがちな細部が見える場合もあります。原画の表面の厚み、実際の大きさ、制作の来歴は、画面を見ることとは別の情報として残ります。

同じ像がどの媒体で現れ、どの対象を参照し、何が同じ作品として保存されるかを考える際に、指示、例示、真正性という区別が役立ちます。記録画像と美術作品を比較するための実践的な視点になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

画像の意味を検討するための三つの問い

ある画像を見たとき、最初に何が描かれているかを確かめます。次に、その画像自身の線、色、配置や質感が、何を強調しているかを考えます。さらに、それがどのような規則や場面で使われ、なぜその表現だと理解できるのかをたどります。

この順序はグッドマンの議論を日常の鑑賞へ引き寄せた応用です。作品の意味を一つの心理や象徴へ急いで置き換えるより、見ることがどんな知識を生むのかを具体的に検討できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

絵画は現実をどのように表しているのか

似ていることから参照の働きへ

肖像画は人物を指し、地図は場所を示し、図解は種類の特徴を整理します。現実を示す仕組みは、それぞれの記号体系によって異なります。グッドマンは、絵が物を描写する中心に、外見の類似だけでは説明できない指示の関係を見いだしました。

この考え方では、描かれた対象が何かを知ることと、どのような描き方が使われているかを理解することが重なります。絵を読む人は、対象の認識と記号の規則の両方に関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|絵画による描写)

表すことは対象を写すことより広い

モンドリアンの色面、ロスコのゆるやかな境界、ポロックの塗料の軌跡を比べると、絵画が自身の特徴を示し、感情や運動を比喩的に伝える多様な方法が見えてきます。外の物を描写することは、その中の一つの働きです。

グッドマンは指示、例示、表現を区別しながら、絵画が理解に参加する仕組みを示しました。鑑賞者は、何がそこに描かれたかと同時に、どんな性質がどんな方法で意味を担うかを考えることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/ニューヨーク近代美術館|モンドリアン《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942–43)/ニューヨーク近代美術館|ポロック《One: Number 31, 1950》)

作品と世界の関係を考える

絵画は世界のある面を選び、線や色の配置によって経験を組み立てます。現実をそっくり写すことに優れた絵もあれば、抽象的な形の関係によって、普段は気づかなかった性質を示す絵もあります。

グッドマンが1968年に開いた問いは、作品を通じて私たちがどのような区別を学び、どのように世界を理解し直すかという問題へつながっています。絵画を前にして何を見ているのかを考えること自体が、知識のあり方を探る哲学的な経験になるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学/スタンフォード哲学百科事典|グッドマンの美学)

略年表|グッドマンと芸術の記号理論

  • 1906年|ネルソン・グッドマンがアメリカのマサチューセッツ州で生まれる
  • 1929年|グッドマンがボストンで画廊の運営を始める。マグリットが《偽りの鏡》を制作
  • 1941年|グッドマンがハーバード大学で哲学博士号を取得
  • 1942–1943年|モンドリアンが《ブロードウェイ・ブギウギ》を制作
  • 1945–1946年|グッドマンがタフツ大学で教える
  • 1946年|グッドマンがペンシルベニア大学で教え始める
  • 1950年|ポロックが《One: Number 31, 1950》を、ロスコが《No. 10》を制作
  • 1951年|グッドマン『現れの構造』刊行
  • 1954年|グッドマン『事実・虚構・予測』刊行
  • 1960年|エルンスト・ゴンブリッチ『芸術と錯覚』刊行
  • 1964年|グッドマンがブランダイス大学で教え始める
  • 1965年|ジョセフ・コスースが《一つと三つの椅子》を制作。米国で芸術・人文学支援法が成立し全米芸術基金が創設される
  • 1966–1968年|ジョン・バルデッサリが《絵画とは何か》を制作
  • 1967年|グッドマンがハーバード大学に移り、プロジェクト・ゼロを創設
  • 1967年|ソル・ルウィットがコンセプチュアル・アートに関する論考を発表
  • 1968年4月|コロンビア大学でベトナム戦争への関与や地域開発問題をめぐる学生の建物占拠が起こる
  • 1968年|グッドマン『芸術の言語』初版がボブズ=メリル社から刊行される
  • 1968年|リチャード・ウォルハイム『芸術とその対象』刊行
  • 1968年|サム・ギリアムが《Bow Form Construction》を制作
  • 1976年|『芸術の言語』第二版がハケット社から刊行される
  • 1978年|グッドマン『世界制作の方法』刊行
  • 1988年|グッドマンとキャサリン・エルギンの共著『再構想』刊行
  • 1990年|ケンダル・ウォルトン『ごっこ遊びとしてのミメーシス』刊行
  • 1998年|グッドマン死去

まとめ|絵画は現実をどのように表しているのか

『芸術の言語』が問い直したのは、絵画の働きを実物にどれほど似ているかで測る習慣でした。肖像画が人物を表している関係は、形の似方だけでは決まりません。何を指示し、どのような記号の体系で読まれるかが、作品を理解する条件になります。

布見本のように自分の性質を示す「例示」と、悲しさや運動などを比喩的に示す「表現」を区別すると、抽象画も別の仕組みで理解できます。モンドリアンの反復、ロスコの色面、ポロックの絵具の軌跡は、描かれた物の名前を探す鑑賞だけでは捉えきれない特徴を持っています。

真正な原画と精巧な複製の関係、同じ楽曲を異なる演奏会で聴く経験、写真と辞書の定義を並べたコスースの作品は、芸術の形式によって記号の規則と作品の同一性が変わることを示します。グッドマンが提案した記号理論は、後の知覚論や美学の研究で批判と修正を受けながら、芸術を理解する方法を広げました。

絵画は、世界の中の対象を指し示し、画面自身の性質を示し、比喩によって新しい関係を生み出します。グッドマンにとって、作品を読むことは世界をどう分類し理解するかを学ぶ活動でもありました。絵を見るときの問いは、現実の見え方や知識の仕組みを考える問いへつながっています。

参考資料・出典