Art Library
Philosophy

1934

【美術と哲学】芸術は美術館の外にも存在するのか

デューイ『経験としての芸術』

1934年のアメリカ合衆国では、大恐慌が人々の暮らしを大きく変えていました。1929年の株価暴落に続いて銀行や企業が倒産し、失業者が増え、仕事を求める人々が都市を行き交っていました。1933年に大統領となったフランクリン・D・ルーズヴェルトは、政府が雇用や金融、公共事業に積極的に関わるニューディール政策を進めます。美術の仕事もこの変化に組み込まれました。1933年末からは失業中の芸術家を雇う公共美術事業が始まり、1934年には財務省が連邦政府の建物に絵画や彫刻を設置するための委嘱制度を発足させました。郵便局や官庁に飾られる壁画が、政府と芸術の関係を新たに考えさせる時代でした。

同じ頃、ニューヨークでは美術館の役割も広がっていました。1929年にはニューヨーク近代美術館が誕生し、1931年には生きているアメリカの作家の作品を集めるホイットニー美術館が開館します。都市の人々は展覧会を訪れ、映画館や劇場へ出かけ、家庭ではラジオを聴きました。公立学校や大学では美術と教育の関係が探究され、教会の礼拝や地域の祭りにも歌や装飾が使われていました。絵画が収蔵庫や展示室で大切に守られることと、音楽や建物や身近な手仕事が日々の生活を形づくることは、ひとつの社会の中で同時に起きていました。

この年、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859–1952)は『経験としての芸術』を出版します。教育、民主主義、人間の知識の成り立ちを長く考えてきたデューイは、芸術を理解するために美術館の名作から出発することそのものを問い直しました。作品の前でじっと立つときも、歌に合わせて身体を動かすときも、何かをつくりながら材料の抵抗を感じるときも、人間は周囲の世界と関わりながら経験しています。その経験が、どんな条件で深くまとまり、私たちの感じ方を変えるのでしょうか。

デューイが示したのは、芸術の価値を認める場所や肩書きの問題を越えて、芸術を成り立たせる経験そのものに目を向ける方法でした。そこには、作品をつくる人と見る人、感情と知性、美術館と街の生活を結び直す哲学的な問いがありました。

CONTENTS

  1. 大恐慌のアメリカで、芸術はどこに置かれていたのか
  2. ジョン・デューイは、なぜ芸術の哲学に向かったのか
  3. 『作品があること』と『芸術を経験すること』はどう違うのか
  4. なぜ『美術館的な芸術観』が生まれたのか
  5. 美的な経験は、日々の行為からどう生まれるのか
  6. 『ひとつの経験』とは、どんな経験なのか
  7. 人は『すること』と『受けること』を通じてどう学ぶのか
  8. 感情は、どのように芸術の表現へ変わるのか
  9. 絵の具や音は、どのように『表現の媒体』になるのか
  10. 作品の形式は、どこから生まれるのか
  11. 音楽のリズムは、なぜ絵画や建築にもあるのか
  12. 芸術ごとの違いを、共通する経験から考える
  13. 作品を見るとは、具体的に何をすることなのか
  14. 美術批評は、どのような役割を担うのか
  15. バーンズ財団は、どのような美術教育を試みたのか
  16. マティスの《ダンス》は、空間と制作をどう結びつけたのか
  17. 芸術は、どのように人々の共同生活へ関わるのか
  18. デューイの美学は、従来の芸術論と何を変えたのか
  19. 教育のなかで芸術を経験するとはどういうことか
  20. 『経験としての芸術』は、どのような批判を受けたのか
  21. デューイの考えは、後の芸術論へどう受け継がれたのか
  22. 芸術は、美術館の外にどのように存在するのか
  23. 略年表|デューイと『経験としての芸術』をめぐる出来事
  24. まとめ|芸術は美術館の外にも存在するのか
  25. 参考資料・出典

大恐慌のアメリカで、芸術はどこに置かれていたのか

政府が芸術家に仕事を依頼し始めた時代

1933年末に始まった公共美術事業は、失業した画家や彫刻家に制作の仕事を与える仕組みでした。道路や公共建築に資金を投じる政策と並んで、芸術家の労働も社会を支える仕事として認められたのです。1934年10月には財務省内に「絵画彫刻部門」が置かれ、公共建築の装飾を競争審査によって委嘱する制度が始まります。後の1935年に発足した公共事業促進局の連邦美術計画とは、成立年も仕組みも異なります。

郵便局の壁に大きな絵を描くとき、作家はそこで手紙を出す人、働く人、地域の歴史や風景を意識することになります。鑑賞者の生活空間に作品が入り込む事業は、芸術の社会的な働きを考える好例です。デューイの著作がこれらの制度を直接生んだという記録はありません。1930年代の社会で、美術を特定の収集家だけのものにとどめない取り組みが進んでいたことが、彼の問いの歴史的な背景になります。(参照:米国財務省|ニューディール期の美術事業)

近代美術館と、展示される作品の新しい価値

1929年に設立されたニューヨーク近代美術館は、現代の作家を調査して作品を紹介するために生まれました。美術館は作品を保存する場所であると同時に、どの作品を重要な美術とみなすかを社会へ示す教育・研究の機関にもなります。初期から絵画や彫刻だけに収集の関心を限らず、後年は写真、映画、建築、デザインを扱う活動も展開しました。

美術館で作品を見ると、照明、展示順、壁の色、作品名の表示が鑑賞の仕方に影響します。作品が日常の用途から切り離され、じっくり観察される時間が生まれます。その制度には保存や公開の価値があります。デューイが問うたのは、そこで得られる経験を、作品が置かれた特別な空間だけから説明できるのか、ということでした。(参照:ニューヨーク近代美術館|設立の歴史)

同時代のアメリカ作家を紹介するホイットニー美術館

ホイットニー美術館は美術家でもあったガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー(1875–1942)の収集と支援活動から生まれ、1931年にニューヨークで開館しました。1930年の設立時から、存命のアメリカ作家を重視したことが特徴です。開館時には彼女が集めたおよそ600点の作品が基礎となり、アメリカの日常風景を描いた画家エドワード・ホッパー(1882–1967)や、ニューヨークの都市生活を題材とした画家ジョン・スローン(1871–1951)らの作品も紹介されました。

当時、美術館に収められるべき作品の範囲は一つに定まっていませんでした。ヨーロッパの名画を中心に学ぶ伝統と、同時代のアメリカの都市や労働を描く絵画を評価する動きが共存していたのです。美術館が新しい作品に場を与えることと、美術館という制度の外にある美的な経験を考えることは、互いに結びつく問いになります。(参照:ホイットニー美術館|美術館の歴史)

芸術が暮らしのなかで担っていた役割

街路には看板や広告があり、家庭にはラジオがあり、映画館では多くの人が同じ映像を見ていました。食卓の器、衣服の模様、仕事場の道具にも、人の手による形や色の工夫があります。これらは制作目的も受け手も異なり、美術館で鑑賞される絵画とはそれぞれ違った価値や働きを持っています。

人が音や色や動きに心を動かされる経験は、日常のさまざまな場所で生まれます。デューイは、その連続性を手がかりに、なぜある体験が強く心に残り、別の体験が散漫に流れていくのかを考えます。美術館での鑑賞と生活の楽しみの双方を説明できる理論が、彼にとっての美学の課題でした。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

ジョン・デューイは、なぜ芸術の哲学に向かったのか

プラグマティズムが問う『経験』

デューイは19世紀末から20世紀前半のアメリカで活躍した哲学者・教育思想家です。チャールズ・サンダース・パース(1839–1914)が探究と概念の実際的な意味を論じ、ウィリアム・ジェームズ(1842–1910)が信念と経験の多様性を考えたプラグマティズムの伝統を受け継ぎました。デューイは、知識や価値が人間の活動のなかでどのように生まれ、実際の問題を解く過程でどう変わるかを研究しました。

例えば、知らない道を歩く人は、地図の記号を読むと同時に実際の角を曲がり、行き止まりに出会えば道順を考え直します。知ることは、頭のなかに情報を保存する作業と環境への働きかけが結びつく営みです。芸術についても、作品をすでに完成した対象として分類するだけで、その価値を十分に説明できるのでしょうか。デューイは、つくることと受け取ることを含む経験の過程に焦点を当てました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|プラグマティズム)

シカゴ大学での教育実験と生活の学び

デューイは1894年にシカゴ大学へ赴任し、心理学と哲学、教育研究を結びつけました。1896年には大学附属の実験学校が始まり、子どもが料理、工作、観察などを通じて、知識を実際の行為と結びつけながら学ぶ教育を試みました。教師が知識を一方向に伝える教室から、子どもの働きかけと反応を生かす学習へと関心を向けたのです。

木片を組み立てる児童は、手触りや重さを感じ、形が合わなければ切り方を調整します。寸法を測る知識、材料を扱う技術、完成を思い描く想像が同じ活動に入ります。これはデューイが後に美術について論じた、行為と受容を通じて経験が組み立てられるという考え方を理解する助けになります。実験学校の活動をそのまま『経験としての芸術』の実例とみなすよりも、両者に一貫する人間観を読み取ることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ジョン・デューイ)

『民主主義と教育』から『経験と自然』へ

1904年にコロンビア大学へ移ったデューイは、1916年の『民主主義と教育』で、教育を社会的な経験の再構成として捉えました。知識を一度覚えて終わりにする学習より、人々が共同で問題に取り組み、次の経験に生かす過程に価値を置きます。1925年の『経験と自然』では、人間の経験を自然の働きから切り離さず、生物と環境が関係を結ぶ過程として考える立場をいっそう詳しく示しました。

芸術の理論は、この哲学の中心に位置しています。人が環境に働きかけ、環境から影響を受け、関係を調整する過程が充実するとき、経験はまとまりのあるものになります。絵画や音楽はその可能性を強く示すため、芸術を考えることは、人間が世界をどう経験し、どのように成長するのかという哲学の根本へ進むことでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

1934年の著作は何を目指したのか

『経験としての芸術』(Art as Experience)は1934年に出版されました。ハーバード大学で行ったウィリアム・ジェームズ記念講義を基礎に、芸術の制作、形式、鑑賞、批評、文明との関係を全14章で論じる著作です。第1章「生きた存在」から第14章「芸術と文明」まで議論が続き、絵画、音楽、建築、文学などを横断して考察します。

本書の出発点は、芸術作品が優れた物としてすでに存在していることを認めたうえで、その作品が人間の経験のなかで何を成し遂げるのかと問うことです。一本の筆線を描くとき、観客が絵の構図を見つけるとき、どのような感覚と行為の連関が起きるのでしょうか。作品を評価する基準の根拠を、経験が形づくられる条件から考え直すところに新しさがありました。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

『作品があること』と『芸術を経験すること』はどう違うのか

美術館に置かれた物と、経験される作品

絵画は、人が展示室を出た後もキャンバスや絵の具として残ります。その物質的な存在は、美術館が作品を保存し、修復し、次の世代へ伝えるために欠かせません。デューイは『経験としての芸術』第1章で、こうした物としての芸術品と、それが実際の経験のなかで働くことを区別します。作品の芸術的な意味は、見る人の知覚や感情と関わることで具体的に生じると考えました。

例えば、展示室で絵に視線を向けずに通り過ぎる人と、画面の色の変化を追い、構図の緊張を感じ取る人では、同じ物を前にしていても経験の内容が違います。この違いは作品を消し去る主観主義を意味しません。作品の色、形、材料は経験を導く具体的な条件です。哲学の焦点が、物の所有から、物と人との関わりへ移るのです。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

古代のパルテノン神殿をどう理解するか

デューイは第1章で、古代アテネのパルテノン神殿を例に挙げます。紀元前5世紀のアテネの市民が建てたこの神殿は、現代では西洋建築の傑作として扱われます。元の時代には、都市の守護神アテナに関わる宗教的・公共的な営みと結びつく建物でした。建築が置かれた生活の背景を離れて形の美しさだけを見ても、当時それが人々の経験のなかで果たした働きは理解しにくくなります。

古代の神殿を鑑賞する現代人は、当時の市民とは違う時代の経験を持っています。社会が違えば建物の用途も受け止め方も変わります。芸術の哲学が作品の形式に加えて、人が何を必要とし、何を祝福し、どのように関わったかを調べる理由が、ここにあります。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

生活道具が美術館に収められるとき

デューイは敷物、壺、器、武具、住まいの調度など、かつて生活のなかで使われた品々が、後に美術館で大切な作品として展示されることに注目しました。つくり手が材料を選び、使いやすさや見た目を整える努力は、日々の行為と結びついています。後世の鑑賞者は、それらを壁越しや展示ケース越しに見て、形の豊かさを新しく発見します。

例えば古い器を見て、口縁の曲がり方や釉薬の色に惹かれたとします。そこから、どのような飲食の場で使われ、誰が手に持ち、何を盛ったのかを想像すると、器の形は生活の動作とつながって見えてきます。美術館の展示と生活上の働きは、同じ物についての異なる経験を生み出します。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

芸術の価値を考える哲学的な転換

もし芸術を美術館に収められた物の共通点として定義しようとすると、絵画、建築、演奏、舞踊に共通する特徴を探さなければなりません。さらに、同じ楽譜を違う演奏家が奏でることや、神殿が異なる時代に鑑賞されることをどう説明するかという問題が生まれます。デューイは、芸術的な経験がどのように生まれるかを調べることで、この多様な対象を結ぶ基礎を見つけようとしました。

その問いは、作品の種類を分類する作業を越えています。何が人間の注意を引きつけ、感情や理解を動かし、経験を一つの充実した全体にするのでしょうか。デューイは、生活と芸術が共有する仕組みを明らかにすることで、美学が扱う現実の範囲を広げました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

なぜ『美術館的な芸術観』が生まれたのか

美術館の名作が日常から遠く感じられる理由

デューイのいう「美術館的な芸術観」は、絵画や彫刻を生活から独立した高級な領域へ押し上げる考え方を指します。名画の歴史や権威だけを最初に学ぶと、見る人は作品の前で何を感じたかより、正しい評価を述べられるかに気を取られることがあります。作品が過去の人々の暮らしのなかで生まれたことや、今日も見る人に働きかけることが見えにくくなるのです。

デューイは、美術館での鑑賞を豊かにすることにも関心を向けていました。問題にしたのは、経験の源泉を高尚な物として隔離し、誰もが日常で経験する色彩や動き、感情との連続性を忘れることでした。鑑賞を生きた経験として回復するには、作品と人が出会う具体的な条件をたどる必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

国民国家と収集、作品の権威

『経験としての芸術』第1章でデューイは、美術館の成立と、国民国家の威信や資本主義社会での収集の価値を結びつけて論じました。王侯の所有物や征服によって集められた美術品が公的な展示の対象となり、国家は文化的な豊かさを示すために収蔵品を誇ります。富を持つ人々は、希少な作品を買い集めることで趣味や地位を表すこともできました。

作品を集める行為には、保存、研究、一般公開という公共的な働きがあります。デューイの関心は、売買価格や所有者の威信が芸術の価値を測るもののように受け止められると、作品をつくり楽しむ人間の経験が背景に退く点にありました。芸術の価値を社会的な制度の成り立ちから問い直すことは、美学が政治や経済ともつながることを示しています。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

『純粋芸術』と実用品の区別が強くなる

18世紀のヨーロッパでは、芸術を学問や実用的な技術から区別して、絵画、彫刻、音楽、詩などを「美術」としてまとめる考え方が発達しました。フランスの思想家シャルル・バトゥー(1713–1780)は1746年の著作で諸芸術を一つの原理の下に整理しようとしました。作品の内側に固有の価値を求める発想は、その後の美学や美術制度にも影響を与えます。

デューイは、日常的な目的を持つ手工芸や建築にも、美的な経験を生み出す形と技術があることに注目しました。道具が役に立つことと、その形や素材を楽しむことは、実際の経験ではしばしば結びつきます。「何に使うか」を考えるところから「どう感じられるか」へ注意が移る過程にも、芸術の仕組みを探る材料があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

美術館の教育的な可能性

美術館では作品を保存し、調査し、多くの人に見せることができます。専門家が制作時代を調べ、絵の具の層や制作技法を説明すれば、観客は作品の形をより深く経験するための知識を得られます。デューイは美術館のこうした教育的な役割にも関わり、コレクションを用いて見る力を育てる実践に協力しました。

美術教育研究者トレイシー・E・コスタンティーノは2004年の論文で、デューイが富裕層の収集品を隔離する美術館のあり方を批判しつつ、鑑賞を学ぶ場としての可能性を重視したことを整理しています。美術館と生活のつながりをどうつくるかという問いは、作品の保存と市民の経験を両立させる制度設計の問題でもありました。(参照:Educational Theory|美術館教育におけるデューイの美学)

美的な経験は、日々の行為からどう生まれるのか

第1章『生きた存在』が出発点にしたもの

デューイは、美学の説明を有名な絵画の形式から始めず、人間が生き物として周囲の環境と関わる姿から始めます。人は空腹を感じれば食べ物を探し、寒ければ身を守り、障害があれば動きを変えます。その過程で、環境は人へ刺激を与え、人は環境へ働きかけます。こうしたやり取りが生活の基本的な形です。

『経験としての芸術』の第1章には、火を眺める人や、スポーツの選手に見入る観衆、庭の植物を世話する人が登場します。彼らは何かの用事をしているだけのように見えて、動きの変化や色や出来事の進み方に喜びを感じています。デューイは、そこに芸術的な経験へ発展する条件があると考えました。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

消防車、作業機械、球技を観る楽しさ

原著の第1章でデューイは、街を急ぐ消防車、地面を掘る機械、高い所で作業する職人、球技の選手の動きを目で追う人々を取り上げます。消防車が通る音と速さには緊張があり、選手の一連の動作には勢いと間があります。目の前の出来事が次にどう変わるかという期待が、見る人の注意を引きつけるのです。

これらの場面は、芸術作品を成立させる経験の源泉として示されています。芸術を理解する手がかりとなるのは、出来事の推移に引き込まれ、身体や想像力が働く経験です。美術を考える入口を普段の経験まで広げると、美術作品の魅力も具体的な感覚の働きから説明できます。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

生き物と環境の関係から感情を考える

空腹が満たされたり、難しい仕事が終わったりするとき、私たちはそれまでの緊張がほぐれるのを感じます。デューイは、生き物が周囲と不均衡な状態に入り、それを調整して落ち着きを取り戻す過程に注目しました。経験は、刺激を受けて終わる一回限りの反応より、働きかけと結果の連続として成り立ちます。

例えば植物を育てるとき、土の乾き具合を見て水を与え、葉の変化を見て手入れの方法を変えます。手で行うことと、植物から知らせを受け取ることが循環しています。デューイが芸術で重視する「すること」と「受けること」は、こうした関係から理解できます。感情も、その関係のなかで物事の重要さを感じ取る働きとして現れます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

経験を豊かにするという哲学の目的

ある出来事が美しく感じられる理由を、個人の気分や物の性質だけで説明できるでしょうか。たとえば波の動きを見るとき、光の反射や水の勢いがあり、それを見る人の注意と過去の記憶も働きます。デューイの理論は、感じる人を自然から切り離さず、その相互作用のなかに経験の質が生まれると考えます。

この発想によって、美学は美術館の名作だけを分類する学問から、人間が世界と関わる仕方を研究する哲学へ広がります。芸術が生活に役立つかという問いにも、新しい答えが生まれます。生活を便利にする道具の働きに加え、経験そのものを深くする働きを、芸術の価値として考えられるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

『ひとつの経験』とは、どんな経験なのか

一日が流れることと、ひとつの出来事を生きること

朝から夜まで、私たちは膨大な出来事を経験します。電車に乗り、仕事をし、食事をし、画面を眺めているうちに、一日の細部が曖昧になることもあります。そのなかで、友人との忘れがたい会話や、苦労して仕上げた制作の時間は、始まりから終わりまで一つのまとまった出来事として記憶されます。

『経験としての芸術』第3章でデューイが「ひとつの経験」と呼ぶのは、出来事の各段階がつながり、全体として感じ取れる経験です。たくさんの刺激を受けることよりも、それらが互いに意味を持ちながら進み、まとまった形に至ることが大切になります。日常のなかにも、このような経験のまとまりが生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

始まり、展開、完結が感じられるとき

手紙を書き始めるとき、伝えたいことがまだ曖昧な場合があります。文章を組み替え、相手の立場を考え、言葉を選ぶうちに内容が定まり、書き終えるときには一つの考えが形になっています。デューイが重視したのは、こうした過程の各段階が最後の到達点と関係し、進むにつれて経験の内容が豊かになることです。

この完結を「充足」や「成就」と説明できます。単に作業が停止したという意味ではなく、その経験にふさわしい終わり方が感じられることです。演奏の最後の和音が、それ以前の旋律との関係のなかで響くように、終わりはそれまでの出来事を一つにまとめます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

退屈な反復と、生き生きとしたリズム

同じ動作を繰り返していても、それがどんな結果へ向かっているかを感じられなければ、時間は単調に流れます。逆に、陶器を回しながら手の圧力を少しずつ調整するときには、似た動作の反復が器の形の変化と結びつきます。繰り返すことが次の段階への期待を生み、活動のまとまりを支えるのです。

デューイは経験を断片的にする状態として、散漫さや惰性に注意を向けました。仕事の途中で気が散り続けることや、結末だけを急いで途中の変化を感じ取らないことは、経験の充実を妨げます。美的な質は、活動の強さそのものより、各段階を結びつける動きのなかに現れます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

美的な経験を、日常から考える意味

デューイにとって、美的な経験は会話、調理、探究、制作などの活動にも生まれます。感情と理解と行為がまとまりをもって進むとき、こうした活動も美的な質を帯びます。この考えは、絵画を鑑賞するときの充実も、生活で経験した構造の延長で説明できることを示します。

そのため、芸術と日常をつなぐ際には、ある経験がどのように展開し、なぜ人の注意を支え、どこで充足を迎えるかという条件を見極めることが大切になります。デューイは、芸術作品がこうした経験を意識的に強め、練り上げる場になると考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

人は『すること』と『受けること』を通じてどう学ぶのか

手を動かすことと、材料から教わること

粘土をこねる人は、思い描いた形に向けて指を動かします。粘土はその力に応じて変形し、ときには予想と違う方向へ曲がります。その抵抗を感じることで力を弱めたり、回す速度を変えたりできます。つくる人は自分の意図だけを作品へ押しつけているのではなく、材料の変化を感じ取って応じています。

デューイはこの関係を「すること」と「受けること」の結びつきとして考えました。外へ働きかける行為は、結果を引き受ける受容とともに進みます。何かをつくる能力とは、意図を持つことと環境からの反応に注意することが育ち合う能力なのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

ただ眺めるだけの鑑賞から、能動的な知覚へ

大きな絵を見て、最初に画面全体の暗さに気づいたとします。視線を移すと、手前の明るい部分が奥の暗さをいっそう強く感じさせ、人物の向きや構図の傾きが見えてきます。作品を知覚する過程では、最初の印象が次の観察を促し、新しく見えた部分が全体の理解を変えます。

デューイは、鑑賞者が完成した意味を機械的に受け取るという説明を退けました。人は見ながら関係を選び、記憶し、比較し、経験のなかで作品を組み立て直します。芸術を経験することには、制作者の仕事に対応する能動的な働きが含まれています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

作り手と見る人に共通する想像力

画家は一本の線を引いた後、その線が隣の色や空白とどう関わるかを見て、次の手を考えます。鑑賞者は既に置かれた線をたどり、絵のどこに注意を向けるかを少しずつ決めます。両者の活動には、知覚して、感じて、次の段階を見通すという共通点があります。

デューイは、鑑賞を作品の再創造に近い働きとして説明しました。鑑賞者は作品の形と材料に応じて、自分自身の経験を積み重ね、描き手が選び取った関係を新たに感じ取ります。制作者と鑑賞者がその経験を通じて関係を結ぶからこそ、芸術は人と人の間に働くことができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

経験には受け取る時間が必要になる

音楽を聴いている最中に、旋律を先へ進めることはできません。演奏の変化を待ちながら、前の音と今の音との関係を感じることが求められます。絵画をつくる際も、描き手は少し離れて画面を眺め、すでにできた形から次の動作の方向を受け取ります。手を休める時間にも、制作上の判断が進むのです。

デューイが重視する受容は、無関心な受け身とは違う活動です。対象に注意を向け、その影響を引き受けることによって、次にできることが変わります。芸術は、この応答の繰り返しを際立った形で経験できる領域なのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

感情は、どのように芸術の表現へ変わるのか

怒りをぶつけることと、怒りを表現すること

強い怒りを覚えた人が思わず叫ぶとき、その声は感情の直接的な発散となります。画家が怒りを題材に絵を描くときには、画面の広さ、色の配置、筆の速さを選び、何度も描き直すことがあります。感じた瞬間と、作品として形づくる過程には大きな違いがあります。

デューイは『経験としての芸術』第4章で、感情を外へ放出することと、材料を組織して表現することを区別しました。表現には、最初の感情を一つの経験へ育て、他人が感じ取りうる形にする働きが含まれます。芸術作品の感情は、制作中の選択によって新しい姿を得るのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

衝き動かされる状態から、形が生まれる

デューイは、身体全体が何かを求めて動き始める状態を、表現の出発点として考えました。必要なものが見つからないとき、人は周りを探し、手段を試し、行き詰まれば考え直します。芸術制作でも、まだ形にならない感情や関心が、材料との出会いを通じて方向を見つけます。

例えば、街の騒がしさに心を動かされて撮影を始めた人は、シャッターを押しながら何が自分を引きつけたのかに気づくかもしれません。これは原著の特定の撮影事例を再現した話ではなく、デューイの方法を考えるための身近な例です。何を表現したいのかという理解は、制作の前に完全な形でそろうより、行為のなかで育つことがあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

感情は経験全体をまとめる質になる

映画を見終わって、細かい場面を忘れても、全体に漂う切なさや緊迫感が残ることがあります。作品の感情的な質は、一か所に入れられた特定の情報より、場面の移り変わりや音の響き、登場人物の行為の関係から生じます。デューイは、感情を経験全体をまとめる質として理解しようとしました。

その観点からは、「悲しい話を扱ったから悲しい作品だ」と決めるだけでは不十分です。どのような間やリズムがあり、視覚的・聴覚的な要素がどう関わったのかを考える必要があります。感情は内容の説明文に先立って、形式そのものを感じさせる働きを持つのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

表現は作り手自身を変える

作品をつくる前に何を感じていたかを、完成後に振り返ると、最初の気持ちとは少し違って見えることがあります。曖昧な違和感が特定の形となり、予想外の色の組み合わせが新しい方向を示すからです。表現の活動には、自分の感情を詳しく理解し直す過程が含まれています。

デューイは、感情を絵の具の中へそのまま移すという考え方より、制作を通じて感情の内容が形づくられることを重視しました。作品は制作前の心を記録する容器に収まりません。感覚、材料、判断の関係が進むなかで、つくり手もそれまで持っていなかった経験へ導かれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

絵の具や音は、どのように『表現の媒体』になるのか

材料は使い方によって表現の媒体になる

絵の具は、容器に入っている段階では色のついた材料です。画家が塗り重ね、隣の色との距離を調整し、画面全体の働きに参加させると、その色は作品の意味や感情を運ぶ媒体となります。粘土、石、音、言葉も、それぞれ物質や感覚に固有の条件を持っています。

デューイは、材料が何であるかと、それが表現のためにどう使われるかを結びつけて考えました。同じ赤でも、周囲の色、面積、重なり方によって怒りにも喜びにも関わる違う経験を生みます。表現は、材料同士の関係をつくり出す仕事として捉えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

ゴッホが絵画に託した感情

デューイは『経験としての芸術』で、19世紀後半にオランダとフランスで活動した画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853–1890)を例に、強い感情が絵画の材料を通じて形になることを論じています。ゴッホの絵では、線の方向、絵の具の厚み、色の衝突が画面の感じ方を大きく左右します。感情を表すために、画家は材料を選び、組織しなければなりません。

ゴッホが1888年に描いた油彩画《アルルの寝室》には、木製のベッドや椅子、壁に掛けられた絵が、強い色彩で描かれています。ゴッホ自身はこの明るい色の組み合わせによって休息や眠りを表そうとしました。ここで紹介する《アルルの寝室》は、デューイが本書で具体的に取り上げた絵としてではなく、色や形の選択から感情的な質を考えるための作品例です。作者が何を感じたかという記録と、画面の色彩が見る人に与える経験を照らし合わせると、素材を通じた表現の働きが具体的に見えてきます。(参照:ファン・ゴッホ美術館所蔵品記録|《アルルの寝室》)

同じ主題でも媒体が変われば経験は変わる

嵐を絵に描くとき、画家は静止した画面に風の動きや光の緊張を込めます。音楽家ならば、音量と速度の変化によって嵐の推移を感じさせるかもしれません。小説家は、時間の経過や人物の記憶を言葉で組み立てます。どの媒体も、異なる感覚や想像力に働きかけます。

デューイは第9章と第10章で、芸術に共通する経験の構造と、芸術ごとに違う媒体の働きを考えました。共通するのは、素材を関係づけて経験を豊かにすることです。個々の作品の力は、絵画の色、音楽の音、文学の言葉が持つ固有の可能性をどう生かしたかから理解できます。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

表現された作品は、見る人に新しい経験を開く

描き手がどれほど強い感情を抱いていても、鑑賞者が画面で出会うのは色、線、形、表面の変化です。それらの関係が鑑賞者の知覚を導くとき、作品はつくり手の個人的な体験を越えて働きます。作品の経験は、制作者の記憶と鑑賞者の経験が出会う場所で生じます。

芸術を伝達の方法として考えると、言葉で説明し終えられる情報とは別の働きが見えてきます。旋律の進み方や色同士の緊張は、文章に置き換えると多くが抜け落ちます。デューイが芸術表現を重視したのは、人が感じる意味を感覚的な形で共有できるからでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

作品の形式は、どこから生まれるのか

形式は内容を包む外側の形なのか

絵を見て「何が描かれているか」と尋ねると、人物、山、建物などの答えが返ってきます。続いて「どのように描かれているか」と尋ねると、線、色、構図、筆触が話題になります。美術の学習では、こうした内容と形式を区別すると整理しやすくなります。

デューイは、作品が実際に経験される場面で、両者がどう結びついているかに注目しました。人物の苦しさを感じさせる画面では、暗い色や強い傾きが感情的な内容を構成しています。形式はすでに存在する意味を単に入れておく枠ではなく、内容が経験可能なものになる働きです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

部分同士の関係が、全体の質をつくる

一つの画面に三つの色面があるとします。赤、青、黄という名前を覚えても、その絵の魅力がわかったことにはなりません。赤が画面の端にあるのか中央にあるのか、青が広く静かに広がるのか、黄色が小さく鋭く現れるのかによって、見る経験は変わります。

デューイは『経験としての芸術』第7章で、形式を部分の動的な関係として説明しました。要素が互いに緊張し、支え合い、進行を生み、全体にひとつの質を与えることが重要です。形式の分析は、形の名前を列挙することから、形同士が見る人の経験にどのような変化を生むかを調べる仕事へ進みます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

緊張や抵抗が作品を成長させる

一枚の絵で、明るい色が多すぎて視線の行き先が定まらないとき、描き手は暗い部分を加えたり、色面の大きさを変えたりします。画面の問題が新たな判断を呼び、作品の関係が変わっていきます。このような抵抗は、制作の障害であると同時に、形式を育てる条件でもあります。

デューイは、緊張のない平坦な流れでは、展開や充足を感じにくいと論じました。形式には、蓄積、予期、持続、対立、解決といった時間的な動きが含まれます。静止した画面の経験にも、その動きが成立します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

形式が経験を支える客観的な条件

デューイの理論では、鑑賞者がどのように感じたかが重視されます。同時に、作品の側にも、その経験を生み出す条件があります。視線を導く線や色の対比、材料の重なり、音の持続や休止は、作品の構成に属しています。見る人の気分が変わっても、作品が提供する関係は経験の重要な手がかりになります。

これによって、芸術の評価が単なる気まぐれな好き嫌いに収まることを防げます。ある構図がどう働くか、どの材料の選択が表現を強めるかを、具体的な作品を見ながら議論できるのです。デューイは経験を出発点としながら、形式の研究を美学の中心に置きました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

音楽のリズムは、なぜ絵画や建築にもあるのか

リズムは、同じ音の繰り返しから生まれるのか

時計の針が等間隔で刻む音は、一定の時間を知らせます。音楽では同じ拍が続いていても、強調や休止によって次に何が起こるかを予期できます。デューイは、第8章でリズムを単なる等間隔の反復として考える説明を批判し、力が蓄積され、解放され、次の展開へ向かう構造として捉えました。

波紋が広がる水面、風で動く枝、鳥の羽ばたきなどの自然現象も彼の考察に登場します。動きは前の段階を引き受けながら次へ移り、同じことの繰り返しに変化を与えます。この働きが、美的な経験を時間のなかで組織します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

画面の中を視線が進むとき

大きな抽象画では、画面の端から端へ視線を移すうちに、反復する線が少しずつ変化していることに気づく場合があります。最初の形を覚えているからこそ、次に見た形の違いが生きてきます。画面が静止していても、見る経験には前後の順序と時間が含まれます。

デューイは、絵画や彫刻のリズムを音楽の比喩として片づけませんでした。見つめることのなかに実際の時間的な展開があるためです。鑑賞は、一瞬の網膜像を受け取って終わる動作から、記憶と予期を含む過程へと広がります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

建築は歩きながら経験する

大きな建物へ入るとき、まず外観を見て、その後に入口をくぐり、階段を上り、窓の光が変わるのを感じます。外で抱いた印象は室内の広がりによって変わり、振り返って初めてわかる形もあります。建築の経験は、一枚の正面写真で尽くすことができません。

デューイは、建築を見るには身体を動かし、繰り返し訪れ、異なる光や気分のもとで空間を経験する必要があると述べました。建築は空間を占める芸術であると同時に、時間をかけて経験される芸術です。この考えは、実際の場所で身体がどのように動くかを、美学の重要な問題にします。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

静止した作品と時間の流れる芸術を結ぶ

音楽、演劇、舞踊は時間に沿って進み、絵画や彫刻は一定の位置にあります。こうした分類は、それぞれの媒体の違いを理解するのに役立ちます。デューイはさらに、鑑賞者がどのように経験を積み重ねるかという共通の条件を探りました。

短い歌に耳を傾けることにも、一点の彫刻を回り込んで見ることにも、前に見聞きしたものを保ちながら新しい変化へ進む動きがあります。その過程に緊張や充足が生じるとき、芸術の形式は見る人や聴く人の時間のなかで生きた働きを示します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

芸術ごとの違いを、共通する経験から考える

絵画は色と面をどう働かせるか

絵画では、顔料の色や絵の具の厚み、支持体の大きさ、光の当たり方が経験を左右します。画面の中の線と色は同時に存在しているように見えても、鑑賞者は部分から部分へ注意を移しながらその関係を感じ取ります。色は形を強め、形の配置は色の印象を変えます。

デューイにとって、絵画の意味は、描かれたものと描き方が鑑賞の経験の中で結びつくことで現れます。具体的な色と面の働きをたどることが、その絵の表現へ近づく道になります。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

彫刻は量感や触覚をどう呼び起こすか

彫刻は、石や木、金属の量感と形を通じて空間に置かれます。見る人は表面の光を見ながら、硬さや重さを想像し、作品の周りを歩くことで立体の関係を確かめます。実際に触れられなくても、視覚を通して触覚的な感覚が働く場合があります。

デューイが多様な芸術に共通するものを探したとき、個々の感覚を一種類へまとめようとはしませんでした。材料の固有の性質が、どのような経験を可能にするかを重視しています。石に刻まれた曲面や金属の反射は、それぞれの物質が持つ条件と、人がそれを経験する仕方を結びつけます。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

音楽は音の連続からまとまりをつくる

音楽の旋律は、前の音が消えた後にも聴き手の記憶のなかに残ります。新しい音が鳴ると、前に聞いた音の意味が変わることもあります。速さ、強弱、音色、沈黙が相互に働き、一つのまとまった経験が形づくられます。

デューイは、こうした時間を通じた関係を芸術経験の典型として重視しました。演奏を聞く人が先の展開を予期し、その予期が裏切られたり満たされたりすると、音楽の緊張と解放が感じられます。同じ原理は、作品の中の要素が相互に関わる他の芸術にも見いだされます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

文学は言葉を読む時間のなかで働く

小説は出来事を文章で伝えます。読者は人物の声を想像し、前に読んだ場面を覚えながら次の文章へ進みます。言葉の意味だけでなく、文の長さ、響き、繰り返し、語りの間が経験を形づくります。詩であれば、一語の位置が全体の調子を変えることもあります。

デューイの理論は、文学を抽象的な思想の容器として読む習慣にも問いを向けます。何を言ったかに加えて、どのような言葉の働きによってその意味が感じられるようになったかを考えるからです。作品の内容と形式が結びつく姿を、言語の芸術でも具体的に確かめられます。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

作品を見るとは、具体的に何をすることなのか

名画の名前を知ることと、絵の中を見ていくこと

美術館で有名な絵画の前に立つと、作者名や歴史的な評判がすぐに目に入ります。その知識は作品に近づく助けになることもあります。実際の鑑賞では、画面を見つめる時間のなかで、はじめて知識が色や形との関係を持ちます。名前を知っていた作品が、思っていた以上に小さいことや、表面に厚い絵の具が残ることに驚く場合もあるでしょう。

デューイは、鑑賞を受け取るだけの感覚から、注意を働かせて経験を組み立てる過程として説明しました。評価を先に決めてしまうと、作品が実際に何を見せているのかに気づきにくくなります。作品の細部が全体の理解を変えるとき、鑑賞者の知覚も育っていきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

何度も見ることで変わる絵画の印象

例えば、最初は明るい絵だと思った作品を見続けるうち、隅に暗い色が重ねられていることに気づいたとします。その色があることで、中心の明るさが別の印象に変わります。見る行為は、小さな発見を積み重ねて全体の経験を組み直します。だからこそ、同じ作品に戻ると新しい関係が見えてくることがあります。

デューイの理論では、芸術的な意味は鑑賞の一瞬に完成する情報として渡されません。色や形の関係に繰り返し応じることによって、経験が展開します。目の前の作品の実際の条件に注意するほど、解釈は具体的になっていきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

感情と知識は、鑑賞のどこで交わるのか

ある風景画を見て懐かしさを覚えるとき、その感情は自分の記憶と深く関わっているかもしれません。次に作品が描かれた場所や年代を知ると、同じ色や形が別の意味を持ち始めます。知識が感情を消すのではなく、対象との関係を変えて経験を深めることがあります。

デューイは、美的な経験のなかで実践的な働き、知的な働き、感情的な働きが結びつくと考えました。鑑賞中に感じたことを言葉で確かめたり、描かれたものの歴史を調べたりする活動も、経験の広がりに関わります。絵画を理解することと絵画を楽しむことは、相互に育つ可能性を持っています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

自分の好みを越えて作品と向き合う

好きな色が多い絵を見れば、最初から親しみを感じることがあります。知らない形が多い作品には、どう見てよいか迷うかもしれません。その迷いのなかで、形の反復を探したり、展示されている位置を変えて見たりすると、それまで見えなかった関係に気づきます。

デューイの考え方では、鑑賞者が作品の実際の関係を受け取り、それに応じて自分の注意を動かすことが求められます。芸術を見る力は、経験を重ねて育てられる能力なのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

美術批評は、どのような役割を担うのか

『好き』『嫌い』から形式を説明する言葉へ

展覧会を見た後、「美しかった」「わからなかった」と言うことがあります。その感想は鑑賞者にとって大切です。さらに、どの色の関係が印象に残り、どんな動きに目を奪われ、どこで戸惑ったのかを説明すると、他人と作品について話し合えるようになります。

デューイは『経験としての芸術』第13章で、批評が鑑賞者の知覚を導く働きを重視しました。批評家の判断は作品の前での経験に結びついてこそ意味を持ちます。評価を一方的に命じる言葉より、見る人が何に注意すればよいかを示す具体的な説明に、美術批評の教育的な力があります。(参照:Penguin Books/Google ブックス|ジョン・デューイ『Art as Experience』)

批評家が作品の代わりに判断する危うさ

有名な批評家が高く評価した作品の前では、観客が自分の目を使う前に結論を受け入れてしまうことがあります。美術の歴史や専門用語を知る人の説明は有益であり、見えにくい制作上の工夫を知らせてくれます。その知識が実際の作品へ戻る道を開くかどうかが重要です。

デューイの批評観は、批評を鑑賞者の代用品とする発想に距離を取ります。色彩の働き、画面の緊張、材料の扱いなどを指し示すことで、他人の経験が深まるように助けるのが批評の役割です。批評家と観客の関係にも、民主的な学びの考え方が流れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

歴史的な知識は、作品を見る助けになる

パルテノン神殿の柱や彫刻を見るとき、古代アテネの宗教行事や市民生活を知れば、建物が担った役割への理解が変わります。宗教的な意味と建築の美しさは、別々の資料で知った後に、実際の作品の経験のなかで結びつけて考えられます。

批評や美術史の説明が役立つのは、作品に関する情報を増やすだけでなく、目の前のものから何を見出せるかを広げるからです。デューイは、対象に即した経験が批評の基礎になると考えました。歴史の知識が作品から注意をそらすのではなく、作品が生まれ、機能した社会へ鑑賞を深める働きを持つのです。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

批評を通して、見る人同士の対話が生まれる

同じ展示を見た二人が、片方は色の響きを、もう片方は画面の構成を強く感じたとします。それぞれが具体的な場所を指し示し、どのように見たかを話すと、相手が気づいたものを自分も見つけられることがあります。こうした対話は、ひとりの感想の言い換えにとどまらず、作品の経験を豊かにします。

デューイの美学では、芸術は人々の間で意味を伝える営みでもあります。批評もその伝達を支える活動です。多くの人が同じ判断をすることを目指すより、作品を共有しながら多様な経験を深めることができる点に、批評の公共的な価値があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

バーンズ財団は、どのような美術教育を試みたのか

アルバート・バーンズとの交流

アルバート・C・バーンズ(1872–1951)は、アメリカの実業家・美術収集家で、フィラデルフィア近郊にバーンズ財団を設立した人物です。1920年代には美術作品の鑑賞を通じて知覚を鍛える教育を重視し、デューイと長く交流しました。デューイは財団の教育活動に関わり、『経験としての芸術』をバーンズに献呈しています。

財団の教育では、絵画を歴史的な名声で先に分類するより、色、線、光、空間の関係を実際に見ることが重視されました。デューイの哲学とバーンズの実践は、芸術を知識の暗記から生きた経験へ近づけるという点で深く関わっています。研究者のジョージ・ハインは2011年に、この交流がデューイの美学に与えた影響を詳しく論じています。(参照:バーンズ財団|アルバート・バーンズと教育の実験)

作品を並べることで見えてくる関係

バーンズ財団の展示には、時代や作家名だけで作品を分類する展示とは違う特徴があります。色、形、線の響き合いを考えて作品を隣り合わせに置き、観客が視覚的な関係を発見できるようにしたのです。絵画の周囲に置かれた金属製品や家具など、生活の中で使われた物にも鑑賞の眼差しが向かいます。

例えば、二枚の絵を並べると、それぞれを単独で見たときには気づかなかった色の違いや形の共通点が浮かび上がります。作品についての知識に加え、どこを見ると何がわかるかを経験する学習です。デューイが重視する鑑賞者の能動的な知覚が、美術館の教育方法として具体化されています。(参照:バーンズ財団|財団の理念と歴史)

教育の対象と、芸術の民主化

バーンズ財団の初期の教育活動では、工場で働く人々や黒人の労働者にも学びの機会が与えられ、作品をよく見ることが知的な訓練として捉えられました。美術の専門教育を受けた人々の外にも鑑賞の機会を広げようとしたのです。バーンズとデューイの協働を扱う研究では、収集家の事業と労働者教育が同じ財団の中で結びついた経緯が検討されています。

芸術に触れる力が訓練によって育つなら、その学びを誰が受けられるかは社会的な問題になります。デューイが教育と民主主義を深く結びつけた理由も、経験の可能性が人々の生活条件によって左右されるからでした。バーンズ財団は、その理念を美術作品の前で試す具体的な場所となりました。(参照:Journal of Aesthetic Education/ERIC|デューイとバーンズ財団の教育実践)

美術館の中で、日常との連続性をつくる

バーンズ財団は、収集された名画を展示しながら、そこから鑑賞者が実際に何を学べるかを重視しました。作品を目の前にして考え、比較し、自分の言葉で話すことによって、見る力が育っていきます。これはデューイが批判した、作品の権威を受け入れるだけの鑑賞と異なる経験です。

哲学者が美術館の役割を問い直すとき、美術館を使って教育を実践することも可能になります。バーンズ財団との協働は、デューイが美術館をどのように活用しようとしたのかを教えてくれます。展示室の中でも、芸術を生活と結ぶ経験はつくれるのです。(参照:Educational Theory|美術館教育におけるデューイの美学)

マティスの《ダンス》は、空間と制作をどう結びつけたのか

1930年の壁画依頼と、部屋のための絵画

20世紀前半にフランスを中心に活動した画家アンリ・マティス(1869–1954)は、色彩と簡潔な形の大胆な構成によって近代絵画を変えた作家です。バーンズは1930年、財団の主展示室の壁を横断する壁画をマティスに依頼しました。作品は《ダンス》(1932–1933年)として完成し、建築の壁面と一体となって鑑賞される大規模な仕事になりました。

この絵画は三つのキャンバスに油彩で描かれ、壁面の三つのアーチと関わるように配置されています。踊る人体の動きと広い色面が大きな壁の形に応じて組み合わされ、見る人は部屋全体との関係を感じます。通常の額縁の絵とは、制作の条件も経験の仕方も異なります。デューイの美学に照らすと、作品の意味が置かれる環境とどのように結びつくかを考える具体的な事例になります。(参照:バーンズ財団所蔵品記録|マティス《ダンス》)

寸法を間違えたことから、制作がやり直された

バーンズ財団に残る1932年2月の往復書簡は、壁画の寸法の誤りによってマティスが制作をやり直すことになった経緯を伝えます。壁の湾曲や区切りに合わせた測定を進めたものの、紙の型の一部を計算から落とし、ほとんど完成していた画面の寸法が合わなくなったのです。マティスは問題を認め、改めて新しい画面に取り組みました。

この出来事では、作品を完成させたいという意図と、建築の現実の寸法が正面からぶつかっています。材料や場所の条件が制作の方向を変える様子は、デューイの「すること」と「受けること」の関係を考える助けになります。二人の交流と作品の記録を重ねて読めば、芸術が頭の中の構想だけで完成する過程でないことが具体的に見えてきます。(参照:バーンズ財団|マティスとバーンズの往復書簡)

鑑賞者の立つ位置まで考えた壁画

1932年12月にマティスがバーンズへ送った手紙には、鑑賞者が展示室のどの位置に立つかによって見える画面が変わることへの関心が記されています。左右の壁面がどこまで見えるのかを確かめるため、立つ位置ごとの見え方を図で示すよう求めていたのです。壁画のリズムを、実際にそこへ入る人の視線から検討した記録です。

美術館の外で制作された画面も、設置される建築と鑑賞者の動きによって経験されます。デューイが建築の経験に時間と身体の移動を重視したことと、マティスが壁画の見え方を調整した実務は、別々の文脈で生まれながら共通の問題を示しています。この作品がデューイの理論を図解するためにつくられたという関係を想定する必要はありません。(参照:バーンズ財団|マティスとバーンズの往復書簡)

画家と哲学者が同じ交流圏にいた証拠

マティスが1930年12月23日にバーンズへ送った書簡には、デューイの家で時間を過ごしたことへの言及があります。1932年12月の別の書簡では、版画の展覧会へ招待するためにデューイの住所を尋ねています。さらに1933年の手紙には、デューイの肖像版画に触れた記述もあります。二人がバーンズを介した交流圏にいたことは、こうした同時代の書簡で確かめられます。

人間の経験から芸術を考える哲学者と、壁面の条件を引き受けながら制作する画家が、同じ美術教育の場をめぐって関わっていたのです。この関係から『経験としての芸術』の具体的な個所がマティスの制作を直接指示したと結論づけることはできません。書簡が裏づける交流と、作品から考えられる哲学的な問題を分けて捉えることで、両者の意味がいっそう鮮明になります。(参照:バーンズ財団|マティスとバーンズの往復書簡)

芸術は、どのように人々の共同生活へ関わるのか

祭り、儀礼、踊りに結びつく美的な経験

多くの社会では、歌や踊り、身にまとう飾り、建築の装飾が、宗教儀礼や季節の祭り、人々の集まりのなかで用いられてきました。参加者は同じリズムを聞き、身体を動かし、特別な時間をともに過ごします。こうした経験では、実用的な役割、社会的な結びつき、感覚的な楽しみが互いに関わります。

デューイは『経験としての芸術』最終章で、芸術が社会生活に根ざしていた歴史的な形に注目しました。作品を孤立した天才の産物として見るだけでなく、どのような共同生活の中で必要とされ、どう受け取られてきたかを考えるのです。芸術は人間が経験を共有する方法の一つになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

芸術によって他人の感じ方へ近づく

自分と異なる時代や文化の作品を見ると、見慣れない形や音に出会うことがあります。その違いに驚き、なぜその形が生まれたかを知ろうとすると、自分の経験の範囲が少し広がります。デューイは芸術を、隔たりのある人々が経験の質を伝え合う重要な手段として考えました。

作品を手がかりに他人の暮らしへ近づくとき、歴史的な知識や文化の内部にある多様性も、十分に調べる必要があります。作品に注意を向ける経験が、その探究へ向かう入口になることをデューイは評価しました。芸術の社会的な価値を、心を動かす経験と結びつけて考えたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

作品を共有することと民主主義

民主主義を選挙の制度だけで考えると、人々が日常にどのような関係をつくるかという問題が見えにくくなります。デューイは、共同で経験をつくり、互いの立場を学び、問題を話し合う生活のあり方を民主主義の基礎として重視しました。教育や公共的な討論に加えて、芸術も他人の感じ方を知る場になります。

展覧会で同じ作品を見て感想を交換すると、見る人は自分とは異なる注意の向け方を知ります。人々が経験を共有し、そこから新しい判断へ進めることが、デューイのいう民主的な生活とつながります。芸術を公共の生活に開くという問題は、入場料や所蔵の制度に加え、鑑賞に参加し、話し合う機会の問題でもあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ジョン・デューイ)

郵便局の壁画は何を公共へ伝えたのか

ニューディール期のアメリカでは、連邦政府の建物に美術を導入する事業が進みました。財務省が1934年に始めた美術委嘱事業は、絵画や彫刻を競争審査で選び、各地の公共建築に設置していきます。作品は専門美術館だけでなく、郵便局や裁判所の壁面を通して人々の日常と出会いました。

これらの壁画の美的・政治的な価値は作品ごとに考える必要があります。政府が芸術を支援すれば直ちに民主的な芸術になるという単純な関係は成り立ちません。地域の歴史をどう描き、誰の生活を見えるものにし、どのような鑑賞の場を生んだのかが問われます。デューイの議論は、その公共性を経験の側から検討する視点を与えます。(参照:スミソニアン協会|1934年設立の美術委嘱事業記録)

デューイの美学は、従来の芸術論と何を変えたのか

カントの美の判断から何を受け継ぎ、何を問い直すか

18世紀後半のドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724–1804)は、1790年の『判断力批判』で、美しいと感じる判断の特徴を考えました。個人的な好みを越えて他人にも同意を求める美の判断に注目し、所有欲や実用上の目的とは異なる喜びのあり方を論じました。その議論は、近代美学に大きな影響を与えます。

デューイは、美しい経験を実際の生活の中で考え直します。美的な経験に実用的な活動や知的な探究が組み込まれることを重視し、行為する人と環境の関係を出発点にしました。カントが美の判断に共通する性格を解明しようとしたのに対して、デューイは美的な経験が時間の中でどのようにつくられるかを詳しく調べたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論)

クライヴ・ベルの『意味ある形式』との違い

20世紀初頭のイギリスで活動した批評家クライヴ・ベル(1881–1964)は、1914年の『芸術』で、線や色の組み合わせが特別な美的感情を呼び起こす「意味ある形式」を重視しました。ポスト印象派の絵画を評価するなかで、絵の題材についての物語や知識から離れ、画面の形式を直接感じることを強調したのです。

デューイも色や線の関係を詳しく分析します。その形式がどのような生活経験から生まれ、どのような受け取り方を通じて働くかまで調べる点に特徴があります。形式を鑑賞する経験は、感情や材料、歴史的な環境とつながるのです。二人を比べると、作品の中の関係を重視する姿勢が共通しながら、美学の対象の広さが異なることがわかります。(参照:インターネット哲学百科事典|美的形式主義)

クローチェの表現論と材料の問題

イタリアの哲学者ベネデット・クローチェ(1866–1952)は、20世紀前半に観念論の立場から芸術と表現を深く論じました。芸術を精神の直観や表現の働きとして捉え、内面的な活動へ強い重点を置いた人物です。デューイも作品を感情の表現として捉えたため、両者の理論には共通する部分があります。

デューイが大切にしたのは、絵の具、石、音、言葉などの外的な材料が、表現に不可欠な役割を果たすことでした。制作の途中で材料が予想外の反応を示し、表現の方向が変わるという経験は、この立場から理解できます。クローチェとの共通性と相違は、後年に両者の美学をめぐる議論の題材にもなりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

『芸術とは何か』から『芸術は何をするか』へ

ある絵画が芸術作品かどうかを判定するには、制作の意図、形式、社会的な制度など、さまざまな基準が考えられます。デューイは、分類の問題に加えて、人がその絵画と関わるとき何が起こり、経験の質がどう変わるかを問いました。芸術を享受することの意味が、作品の名前や資格から、経験の内容へ向けられます。

この転換は、哲学の仕事そのものにも関わります。概念によって芸術を分類することと、人がより豊かな美的な経験を得られる条件を探ることでは、関心の向きが違います。デューイは後者を重視し、芸術の価値を生活の改善と結びつけました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|プラグマティズム)

教育のなかで芸術を経験するとはどういうことか

技法を教わることと、経験から発見すること

絵画教室で遠近法を習うと、物の大きさや線の集まり方を説明できるようになります。実際に描くときには、紙の上で線を動かし、思った位置に収まらなければ描き直す必要があります。説明として知ることと、手で確かめることが組み合わさることで、技法は自分の経験になります。

デューイの教育論は、知識を実践と切り離して教える方法を問い直しました。美術教育でも、決められた手順を守ることに加え、なぜその形を選ぶのか、材料がどう反応するのかを考えられることが大切です。創造する力と判断する力は、活動と経験を通じて育つと考えられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ジョン・デューイ)

子どもの表現から、制作を考え直す

子どもが絵を描くとき、目の前の色と線を使い、描いているものが何かを話しながら画面を変えることがあります。大人が完成形の正確さだけを評価すると、制作の途中で起こった発見が見落とされます。何を感じ、どこを工夫し、どのような手順で絵が変わったのかに目を向けると、学習の別の姿が見えてきます。

デューイの考え方を美術教育へ生かすなら、子どもの自由に任せることと、作品づくりを通じて力を育てることの両方を考える必要があります。材料の使い方を示し、作品を見ながら問いを投げかける教師の役割も重要です。経験を重視する教育は、作業の結果へ向けて環境を整える工夫を求めます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

見る力を育てる美術館での学習

バーンズ財団の教育では、作品を並べて実際に見ながら、色や線の関係を考えることが重視されました。作者の名声を先に暗記するだけの学びから、鑑賞者自身が対象の関係を発見する学びへと進みます。鑑賞の技術は、繰り返す観察と対話を通じて育つと捉えられました。

この方法では、歴史の知識が不要になるということはありません。例えば作品をじっくり見て構造を知った後に制作の背景を学べば、知識は具体的な作品と結びつきます。デューイの哲学は、美術館を教育の場とするための方法を考える基礎になりました。(参照:バーンズ財団|財団の理念と歴史)

芸術を学ぶ機会と、社会的な条件

楽器を練習したくても、音を出せる場所がなければ十分な経験を積めません。絵画を学ぶ機会も、画材の費用、学校での教育、身近な美術施設によって変わります。デューイは、美的な経験が人間の生活の一部であると考えるからこそ、その機会を社会全体でどう支えるかという問題を重視しました。

芸術に触れる機会を広げることは、作品を多く配ることに加え、受け手が自分の経験を深める条件を整える仕事でもあります。学べる時間、作品に近づく場所、気づいたことを話せる人間関係が、その条件に含まれます。教育と芸術が結びつく理由が、ここにあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ジョン・デューイ)

『経験としての芸術』は、どのような批判を受けたのか

1930年代から始まった反論

デューイが芸術を生活の経験と結びつけたことは、刊行後の美学者たちからも検討されました。アメリカの論者エドナ・シアラーは1935年の批評で、芸術経験と実用的な活動を近づけるデューイの発想が、芸術の固有の価値を十分に説明できるかを問い直しました。芸術の喜びが、実用上の目標を果たす活動と同じ仕組みで理解できるのかという問題です。

この批判は、デューイが経験の完成や充足を重視する理由を改めて考えさせます。人が絵を描く喜びは目的へ進む途中だけに生じるのでしょうか。目標を定めず色を試す遊びにも芸術的な価値があるとすれば、理論はその自由な行為をどう説明すべきでしょうか。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

スティーヴン・ペッパーとの論争

アメリカの哲学者スティーヴン・C・ペッパー(1891–1972)は、1939年の論考でデューイの美学を批判し、経験の統一や調和を重視する説明には、デューイ自身のプラグマティズムを越えた観念論的な性格が残っているのではないかと問いました。デューイは同年に応答し、作品経験のまとまりは世界全体の完全な調和を意味するものではないと説明しました。

論点は、美的な経験がまとまるとはどの範囲の出来事について言えるのかという点です。ある演奏が充足して終わることと、人生や社会全体が調和していることは別の問題になります。デューイの理論が経験の具体的な場面から出発していることを確かめるうえで、この論争は重要です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

断片的な現代美術をどう考えるか

20世紀後半以降の美術には、結末を曖昧にする作品や、長い沈黙や偶然を組み込む作品も数多く現れました。アメリカの哲学者ノエル・キャロル(1947年生まれ)は、2001年の議論で、デューイが求める経験の統一と完結が現代芸術のすべてに当てはまるのかを問い、作曲家ジョン・ケージ(1912–1992)の《4分33秒》(1952年)などを検討しました。

芸術経験がいつも明確な始まりと終わりを持つと考えるなら、観客が何を聴くかによって内容が変わる作品はどのように位置づけられるのでしょうか。別の研究者は、経験のまとまりを物としての作品に一対一で求める必要はないとしてデューイを擁護しました。芸術の多様性が、美学の理論をさらに検討させる契機となっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

芸術の境界をどう定めるかという残る問い

自然の夕焼けを見て心が強く動いた経験と、画家がつくった絵画の経験には共通する性質があります。デューイは、その連続性を美学の重要な出発点としました。それでも、夕焼けそのものを人間が制作した芸術作品と呼ぶかどうかは、別の議論になります。

後の哲学者たちは、芸術の分類と、美的な経験の内容を区別する必要を繰り返し論じました。デューイの理論は、芸術作品と美的な経験がどのように重なるかを明らかにする豊かな道筋を開くとともに、両者の境界をどう考えるかという問題を残しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|美的経験)

デューイの考えは、後の芸術論へどう受け継がれたのか

リチャード・シュスターマンとポピュラー文化

アメリカの哲学者リチャード・シュスターマン(1949年生まれ)は、1992年の『プラグマティズムの美学』でデューイの芸術論を読み直しました。彼はポピュラー音楽やラップにも深い芸術的な経験が生まれることを論じ、伝統的な高級芸術に限定されていた美学の対象を広げました。

シュスターマンは、芸術を日常と結ぶデューイの発想を継承しながら、身体を通じて経験を育てる「身体美学」も発展させます。どのように聴き、動き、感じるかという問題を、芸術と生活の両方で考える方向です。デューイの著作が後の時代にも読まれ続けた理由の一つは、このように新しい文化へ問いを開く力にありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

日常の美学という研究分野

現代の美学では、街の景観、食事の体験、住まいの空間、身体の動きなど、日常の経験を扱う研究が広がっています。研究者たちは、デューイが芸術と日常の連続性を重視したことを重要な先例として挙げます。何を美しいと感じるかが、習慣や環境、社会的な選択とどう結びつくかを考えるのです。

現代の日常美学には、デューイのいう充足した経験に加え、退屈や単調さ、不快さのような日々の質も研究すべきだという議論があります。何気ない経験を注意深く調べるというデューイの問いが、研究の中でさらに広がっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|日常の美学)

鑑賞の教育と美術館の新しい実践

作品の前で観客が話し合い、何が見えるかを自分の言葉で説明するプログラムは、現在も美術教育で行われています。デューイとバーンズの協働は、美術館が来館者の知覚を育てる場になりうることを示した歴史的な例として研究されています。

デューイの美学から生まれた実践を考える際には、各館や教育者が具体的に何を取り入れたかを確認する必要があります。直接の影響が資料でわかるバーンズ財団の活動と、思想的な共通点が後に指摘される教育方法は、別々に捉えるべきです。その区別を保つと、芸術教育の歴史と哲学の関係が明確になります。(参照:Educational Theory|美術館教育におけるデューイの美学)

観客が参加する芸術をどう理解するか

20世紀後半以降、観客の移動や参加によって経験が変わる作品が広がりました。観客が会場で歩き、ほかの人の動きに反応し、作品の展開に関わるとき、鑑賞と行為の境界を考える必要が生まれます。デューイが重視した「すること」と「受けること」の関係は、こうした作品の経験を分析する視点として用いることができます。

個々の作家がデューイを読んだかどうかは、作品の特徴だけから決められません。哲学と作品の間には直接の継承と、後世の研究者による解釈があります。デューイの概念が現在も有効なのは、作品の新しい種類が現れるたびに、鑑賞者の活動や経験の質を問い直せるためです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

芸術は、美術館の外にどのように存在するのか

一本の道を歩くときに気づく美的な経験

同じ道を毎日歩いていても、季節によって木の葉の色が変わり、夕方には建物の影が長く伸びます。ある日、その変化に目を奪われ、景色の色と光のまとまりが忘れがたい経験になることがあります。絵画に描かれた風景を眺めるときにも、感覚と記憶と注意が関わります。

デューイの答えは、この二つの経験に共通する条件を考えることでした。芸術作品は、その条件を素材と形式によって意識的に豊かにする営みです。美術館の外でも美的な経験が生まれることは、芸術の価値を軽くする理由にはなりません。芸術が人間の生活のどこから生まれるかを理解する理由になります。(参照:バウハウス大学ヴァイマル|デューイ『経験としての芸術』第1章原文)

つくることと暮らすことがつながる場所

食器をつくる職人は、使う人の手の大きさを想像しながら形を整えます。庭を手入れする人は、季節の変化や植物の育ち方に応じて配置を変えます。どちらの行為にも、材料や環境を受け取り、自分の働きかけを調整する過程があります。そこにリズムやまとまりが生じると、経験は美的な質を帯びます。

デューイは、日常の仕事と芸術を経験の連続性から考えました。器が美術館に収められるときには別の鑑賞の条件が加わります。制作と使用と鑑賞のそれぞれを通じて、人と物との関係は変わっていくのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

美術館が生み出せる充実した経験

美術館で作品をじっくり見て、初めて理解できた色の響きや、遠くから近づいて初めて見えた表面の変化に心を動かされることがあります。その経験は展示室という特別な場所で生まれます。作品を保存し、人々が何度も向き合える環境を用意する美術館には、固有の価値があります。

デューイの批判が向けられたのは、美術館の存在そのものより、芸術を生活から切り離して考える態度でした。美術館も、その内部での鑑賞が人の経験として豊かに展開するなら、芸術と生活を結びつける場所となります。(参照:Educational Theory|美術館教育におけるデューイの美学)

芸術はどこに存在するのかという問いへの答え

一本の絵は、キャンバスと絵の具として物質的に存在します。演奏は楽器と奏者の働きによってその場に現れます。デューイが問うた芸術の核心は、それらの物が人の知覚や感情と関わり、つくることと受け取ることの連続を通じて、一つの充実した経験を生み出すところにあります。

美術館の中の名画、街にある壁画、暮らしで使う器、音楽を聴く時間は、それぞれ異なる条件を持ちます。芸術が生活の中から生まれ、人の経験を豊かにする働きは、展示室の境界を越えて理解できます。『経験としての芸術』は、芸術をより深く見るために、私たちがすでに生きている世界へ目を向けることを求めた著作でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

略年表|デューイと『経験としての芸術』をめぐる出来事

  • 1859年|10月20日、ジョン・デューイがアメリカ合衆国ヴァーモント州バーリントンに生まれる
  • 1894年|デューイがシカゴ大学へ移り、哲学・心理学・教育を結ぶ研究を進める
  • 1896年|シカゴ大学でデューイらによる実験学校が始まる
  • 1904年|デューイがニューヨークのコロンビア大学へ赴任する
  • 1914年|イギリスの批評家クライヴ・ベルが『芸術』を出版する
  • 1916年|デューイが『民主主義と教育』を出版する
  • 1922年|アルバート・C・バーンズがバーンズ財団を設立する
  • 1924年|バーンズ財団で美術教育の実践が始まり、デューイとの協働が進む
  • 1925年|デューイが『経験と自然』を出版し、バーンズ財団の教育活動に深く関わる
  • 1929年|10月にニューヨーク株式市場で株価が暴落する。同年にニューヨーク近代美術館が設立される
  • 1930年|ホイットニー美術館が設立される。バーンズがマティスへ財団展示室の壁画を依頼する
  • 1931年|ホイットニー美術館がニューヨークで開館する
  • 1932年|マティスが壁画の寸法の問題に直面し、構成をつくり直す
  • 1933年|3月にルーズヴェルト政権が発足する。マティスの《ダンス》が設置され、12月には公共美術事業が始まる
  • 1934年|デューイが『経験としての芸術』を出版する。10月に米国財務省の絵画彫刻部門が発足する
  • 1935年|連邦美術計画が始まる。エドナ・シアラーがデューイ美学を批評する
  • 1939年|スティーヴン・ペッパーがデューイの美学を批判し、デューイが応答する
  • 1952年|6月1日、ジョン・デューイがニューヨークで死去する
  • 1992年|リチャード・シュスターマンが『プラグマティズムの美学』を刊行する
  • 2001年|ノエル・キャロルが現代芸術の事例からデューイ美学を検討する
  • 2004年|トレイシー・E・コスタンティーノがデューイと美術館教育に関する論文を発表する

出版・教育活動の年代はデューイ研究、公共美術事業の成立年は米国財務省の記録に基づきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ジョン・デューイ)

まとめ|芸術は美術館の外にも存在するのか

デューイが1934年の『経験としての芸術』で考え直したのは、芸術の価値がどこから生まれるかという問いでした。絵画や彫刻は物として保存され、博物館や美術館で受け継がれます。その作品が人間の経験のなかでどのように働くかを調べると、色や形の関係が見る人の注意を引きつけ、感情や理解を変える過程が見えてきます。古代のパルテノン神殿も、生活道具も、現代の壁画も、人が暮らし、働き、他者と関わる世界の中で意味を持ってきました。

デューイは、美的な経験を、生き物が環境と関わる基本的な仕組みから考えました。人が行為し、環境から反応を受け、次の行為を調整するうちに、経験の各段階が結びついて一つのまとまりへ育ちます。芸術制作ではその動きが材料の選択や形式の構成として現れ、鑑賞では見る人の注意や想像力を通して展開します。美術作品の魅力は、完成した物の権威に加えて、私たちがそこで実際に経験する内容から理解できるのです。

美術館を批判しながら、デューイ自身はバーンズ財団での美術教育に関わりました。マティスが財団の壁面のために《ダンス》を制作した記録は、作品、建築、鑑賞者の位置が具体的な関係を持つことを示しています。同じ1930年代のアメリカで、政府は公共建築の美術制作を支援し、街と芸術の関係が新しい形で問われていました。デューイの美学は、この社会的な問題を経験の質という観点から考える方法を与えました。

「芸術は美術館の外にも存在するのか」という問いに、デューイの考え方から答えるなら、芸術を成り立たせる経験の源は日常の生活と連続しています。作品をつくること、音楽を聴くこと、建築を歩いて経験すること、形や色の関係に心を動かされることは、私たちが世界と関わる営みの中にあります。美術館はその経験を深めるための大切な場所の一つです。芸術の意味は、人が素材や作品と出会い、そこで経験を豊かに組み立てていくことの中に生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|デューイの美学)

参考資料・出典