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Philosophy

1979

なぜ私たちは大きな物語を信じなくなったのか

リオタールとポストモダン

1979年のフランスでは、大学や研究所が、大型コンピューターを使う新しい情報処理の可能性に向き合っていました。大学の講義室では専門知識を教え、研究者は論文を発表し、政府や企業は研究に投資します。蓄積される情報が増えるにつれ、どの分野に予算を配分し、誰に情報を利用させ、何を有用な知識と呼ぶのかが現実の政治的な課題になっていました。

こうした変化の背後には、戦後の経済復興から高度成長へ進んだ社会が経験した揺らぎがありました。1968年にはフランスで学生と労働者の大規模な抗議が広がり、大学の教育や社会の権威が問い直されます。1973年の石油危機以後は経済成長の先行きも不透明になり、科学技術が進歩すれば社会全体が自然に幸福へ向かうという説明を、以前と同じ確信で語りにくくなっていました。

フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール(1924–1998)は、1979年に『ポスト・モダンの条件――知・社会・言語ゲーム』(原題『La Condition postmoderne: Rapport sur le savoir』)を刊行しました。その出発点は、カナダのケベック州で大学に関わる機関から依頼された、発展した社会における知識の状態についての報告書でした。彼は知識が正しいと認められる仕組みと、知識を社会が必要とする理由との間にある問題を調べます。

人類の理性は歴史を進歩させ、科学と教育は人間を解放し、異なる分野の知識はいつか一つの真理へまとまる。近代には、学問や制度の価値を説明するこうした大きな構想がありました。リオタールは、それらを「大きな物語」と呼んで、その信頼が揺らぐ状況をポストモダンと捉えます。何も信じられないという宣言なのか、それとも知識を正当化する方法が変化したという診断なのか。大学の教室、情報の流通、科学の発見という具体的な場面から考えることができます。

CONTENTS

  1. 1979年の社会では知識の何が変わっていたのか
  2. リオタールはどのような経験からこの問いに向かったのか
  3. 1979年の『ポスト・モダンの条件』はどういう本なのか
  4. そもそも「正しい知識」は誰が認めるのか
  5. 「大きな物語」とはどのような説明なのか
  6. 人間の解放という物語は何を約束したのか
  7. 精神と理性が完成するという物語は何を説明したのか
  8. なぜ大きな物語への信頼が揺らいだのか
  9. 「ポストモダン」は近代が終わったという宣言なのか
  10. コンピューターは知識のあり方をどう変えるのか
  11. 知識が商品になるとはどういうことか
  12. ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」はなぜ登場するのか
  13. 事実・命令・約束はなぜ別の判断を必要とするのか
  14. 言葉のやり取りが社会をつくるとはどういうことか
  15. 物語による知識は何を伝えるのか
  16. 科学による知識はどのような約束で成り立つのか
  17. 科学と物語の間にどのような緊張が生まれるのか
  18. 何のために知識を得るのかという問いはどう変わるのか
  19. 研究費と科学の発見はどんな関係にあるのか
  20. 大学教育はどのように評価されるようになったのか
  21. 科学に新しい発見が生まれるのはどのようなときか
  22. 「パラロジー」はどのように知識を変えるのか
  23. 「みんなが同じ結論に達すること」は正義なのか
  24. 合意をめぐってハーバーマスと何が対立したのか
  25. ポストモダンを批判した研究者は何を問題にしたのか
  26. ポストモダンは「何を言ってもよい」という思想なのか
  27. 芸術におけるポストモダンは同じ意味なのか
  28. 1980年代にリオタールは何をさらに考えたのか
  29. 情報があふれる社会で何を問い続けられるのか
  30. 略年表|大きな物語と知識をめぐる思想史
  31. まとめ|なぜ私たちは大きな物語を信じなくなったのか
  32. 参考資料・出典

1979年の社会では知識の何が変わっていたのか

大学で生まれる知識と、その利用を決める人々

戦後の西欧諸国では、大学や国立研究機関が専門家を育成し、自然科学、社会科学、人文学の研究を進めました。研究者は学会や専門誌を通じて成果の妥当性を確認し、学生は資格や学位を取得して社会のさまざまな職業へ進みます。大学の知識には、真理を探す営みと社会の制度を支える役割が重なっていました。

研究費を出す政府や企業は、科学技術を産業や行政へどう活用するかにも関心を持ちます。どんな研究が優先されるかは、研究者同士の学問的評価だけで決まるとは限りません。知識の評価と予算の決定が交差する場所に、リオタールの出発点となる問題がありました。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

1968年の学生運動が投げかけた疑問

1968年5月のフランスでは、大学をめぐる学生の抗議が労働者のストライキと結びつき、教育制度、雇用、政治権力を広く問い直す動きとなりました。大学の運営や授業の仕組みが、公的な議論の対象となる経験です。リオタール自身も当時の政治的活動に関わっていました。

大学で教えられていることは、どんな根拠によって価値があると認められるのでしょうか。講義の内容を専門家が決めること、国家が資格制度を設けること、学生が教育の意味を問い直すことは、それぞれ異なる立場からこの疑問に関わっています。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

経済の変調と新しい技術への期待

1973年の石油危機以降、先進工業国では経済成長の持続や産業の仕組みについての見通しが揺らぎました。同じ時期、情報処理や通信、研究開発を経済の重要な資源と見る考え方が強まります。経済成長だけを目標とする社会像とは別の将来を、研究者たちも考えるようになりました。

社会学者ダニエル・ベル(1919–2011)は米国で活動し、1973年の『脱工業社会の到来』で、サービスと専門知識が大きな役割を担う社会を論じました。リオタールはこのような社会変化の議論を背景に、発達する情報技術が知識の意味そのものをどう変えるかを問いました。(参照:CiNii Books|ダニエル・ベル『脱工業社会の到来』原著1973年/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

リオタールはどのような経験からこの問いに向かったのか

アルジェリアで教え、植民地支配を考えた哲学者

ジャン=フランソワ・リオタールは1924年、フランスのヴァンセンヌに生まれました。若い頃から哲学を学び、1950年代初頭には当時フランスの植民地支配下にあったアルジェリアで教職を経験しました。現地での政治的状況との接触は、彼が歴史や解放を語る理論を考える際の重要な背景になります。

その後、フランス本土の大学で教え、哲学、政治、芸術について著作を重ねました。1960年代末の大学改革にも関わり、政治的な理想と現実の社会運動との距離を身近に経験した思想家です。彼の「大きな物語」への疑問を、政治の経験から完全に切り離して理解することはできません。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

「社会主義か野蛮か」での活動と離脱

1950年代から1960年代にかけて、リオタールはフランスの急進的な政治集団「社会主義か野蛮か」の活動に参加しました。集団は資本主義だけでなく、ソ連型の官僚制を含む支配の仕組みを批判し、労働者自身による社会の変革を議論していました。

リオタールは政治運動の中で、歴史が必然的に社会主義へ進むという説明の限界を考えるようになります。1964年の分裂後は「労働者の権力」へ参加し、1966年に離れました。後年の著作で革命の物語に慎重になったことには、この集団での実践と思想的な転換が関わっています。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

芸術と欲望をめぐる1970年代の仕事

リオタールは1971年に『言説、図像』、1974年に『リビドー経済』を刊行し、言葉による説明では捉えきれない感覚、欲望、表現について考えました。1977年の『デュシャンの変換装置』では、前衛芸術家マルセル・デュシャン(1887–1968)の作品を対象としています。

したがって1979年の著作は、哲学者が初めて社会を論じた本でも、芸術への関心を捨てた本でもありません。言葉と制度の秩序からこぼれる出来事を考えてきた問題意識が、科学知識や教育の仕組みという具体的な制度へ向かった転機でした。(参照:ミニュイ出版社|リオタールの著作一覧と刊行年/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの言説・図像・芸術論)

1979年の『ポスト・モダンの条件』はどういう本なのか

ケベック州の大学評議会から依頼された報告

『ポスト・モダンの条件』の副題は「知識についての報告」です。元になった仕事は、カナダ・ケベック州政府の大学評議会から依頼された、発展した社会における知識の問題を扱う報告書でした。フランス語圏の高等教育に関わる制度的な問いが、哲学書の形で公表されたのです。

研究室の内側だけでなく、大学の予算、学習内容、情報へのアクセスを考えるための文章である点が特徴です。知識を生み出す機関の運営を議論する場から、「知識であることを誰が決めるか」という哲学上の問題が立ち上がっています。(参照:WorldCat|ケベック州大学評議会の報告書に由来する1979年原著の書誌/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

1979年のフランス語初版とその後の翻訳

フランス語の原著『La Condition postmoderne: Rapport sur le savoir』は1979年、パリのミニュイ出版社から刊行されました。英語版『The Postmodern Condition: A Report on Knowledge』は1984年刊で、ジェフリー・ベニントンとブライアン・マスミの訳によって広く読まれます。

日本語版は小林康夫訳『ポスト・モダンの条件――知・社会・言語ゲーム』として1986年に初版が刊行されました。出版・翻訳の年を確認しておくと、1979年のフランスでの問題提起と、1980年代に英語圏や日本へ広まった「ポストモダン」という言葉の受容とを区別できます。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/国立国会図書館|『ポスト・モダンの条件』1986年日本語版)

十四の章がたどる知識の問題

本は「情報化された社会における知」「正当化の問題」「言語ゲームという方法」から始まり、物語による知識と科学による知識、研究と教育の効率、最後に「パラロジーによる正当化」へ進む構成です。個々の学問の内容を分類する百科事典ではなく、知識が社会で承認される条件を順に検討しています。

この章の並びを追うと、大きな物語への不信が単なる時代の気分を描く言葉ではないことがわかります。大学が何を教えるか、科学が何を証明できるか、違う発言をどんな規則で評価するかという制度的な問題と、歴史を一つの目的へまとめる物語への疑問が結びついているのです。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

そもそも「正しい知識」は誰が認めるのか

事実を確かめることと、知識を認めること

「この薬は特定の症状に有効だ」という主張が科学的に受け入れられるには、観察、実験、結果の検討が必要です。専門家が根拠を確かめる方法と、社会がその研究に予算を配分する理由は、互いに関わりながら異なる問題を扱っています。

リオタールが「正当化」と呼ぶ問題は、ある発言を正しいと認める基準だけに収まりません。そもそも何が知識と呼ぶにふさわしく、その知識を研究し、教えることがなぜ正当なのかという問いへ広がります。学問の判断規則と、その規則を社会が支える根拠を一緒に考えるのです。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

研究の真偽と大学の予算配分

大学の研究室に複数の計画が集まり、予算が一つしか認められない場面を考えてみます。すぐに役立つ装置を開発する研究と、未知の理論を検証する基礎研究では、成果の出方も期間も違います。資金配分を決める人は、何をもって「よい研究」と呼ぶのでしょうか。

実験の正確さ、将来の発見の可能性、経済的な効果は、それぞれ別の判断基準です。社会にとって必要だという説明と、学問的に正しいという説明を同じ言葉で済ませると、研究の多様な目的が見えにくくなります。リオタールはこれを知識と権力の問題として捉えました。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

知ることと決定することが重なる場所

行政官は統計を読み、医師は検査結果を評価し、研究者は論文を審査します。各人の判断には専門知識が関わりますが、誰が決定権を持つかは制度で決められています。知識を所有する人と、何を実行するか決める人との関係は単純ではありません。

リオタールは、誰が何を知識と認め、何を決めるべきかを誰が知っているのかと問いかけます。数字がそろっていることと、その数字を使って正しい政策を決められることの間には、目的や価値の選択があります。知識の問題が政治の問題になるのはこの地点です。(参照:ミニュイ出版社|『ポストモダンの条件』概要と全章目次/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

「大きな物語」とはどのような説明なのか

多くの出来事を一つの目的へ結びつける筋書き

ある学校の改革が「人間を自由にする歴史の一段階だ」と説明されるとき、その政策は日々の教室で生じる効果より大きな目的から正当化されています。歴史の出来事を一つの方向へ並べ、その進行が私たちの行為を意味づける。リオタールがいう「大きな物語」は、このような説明の仕組みを指します。

大切なのは物語の長さや登場人物の多さではありません。さまざまな学問や制度がなぜ価値を持つのかについて、全体を貫く根拠を与える働きです。個人の思い出や地域の昔話と、知識全体の正当化を目指す物語は、役割が異なります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

「メタ物語」と普通の物語の違い

家族や地域に伝わる昔話は、過去の出来事や価値観を次の世代へ伝えます。リオタールのいう「メタ物語」は、そうした個別の語りを上から位置づけ、科学や政治や教育までを包む説明の枠組みです。歴史の進歩や理性の完成などが、その例として挙げられます。

個別の経験が一つの普遍的な目的に結びつけられると、語りの内部では理解しやすい一貫性が生まれます。その一貫性のために、異なる経緯を持つ人や集団の経験が、枝葉の出来事として扱われる可能性も生まれます。リオタールは、全体の説明が何を認め、何を押しのけるかに関心を向けました。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

誰もが物語を嫌うようになったという意味か

リオタールは、社会に暮らす人が一斉に昔話や歴史書を読まなくなったと調査したわけではありません。著作の中心は、科学や制度を正当化する普遍的な筋書きへの信頼が揺らぎ、知識の扱い方が変化するという時代診断です。

特定の国家や集団が一つの未来を信じ続けることと、その未来が知識全体を正当化できるかとは別の問題です。社会には近代的な進歩の理想が残りながら、異なる基準で動く活動が同時に存在します。「信じなくなった」という言葉を一人ひとりの感情だけで捉えると、この制度的な議論が見えなくなります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

人間の解放という物語は何を約束したのか

教育によって自由になるという構想

18世紀のヨーロッパ啓蒙思想では、教育と理性を通じて偏見や支配から人が自由になるという構想が力を持ちました。人々が根拠を示して考え、知識を共有することで社会を改革できるという期待です。こうした理想は、近代の学校や政治改革を語る際の重要な背景になりました。

学ぶことが自由へつながるという説明では、学校の授業や科学の研究が、社会全体の解放という目的に位置づけられます。リオタールは、この「自由になる人間」の物語を、近代の知識を正当化してきた大きな筋書きの一つとして分析します。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

政治的な主体としての市民と知識

市民が政治の判断へ参加するには、法律や経済の仕組みを理解する知識が必要だと考えられてきました。誰かの権威をただ受け入れるのではなく、理由を確かめ、自分で判断できる人間を育てることが教育の目的になります。

この考え方において知識は単に高収入の職業に就くための商品ではありません。社会の構成員が自治や自由を担う力として価値を持っています。学問が社会にとって必要な理由を問うとき、人間の解放という大きな目的が一つの答えを与えてきたのです。(参照:インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

解放の目的が新しい抑圧になるとき

歴史は最終的に人間の自由を実現すると語る理論が、ある集団の現在の苦しみを、未来の大きな勝利のために必要な犠牲と考えることがあります。理想の社会が来るという確信は、異論を認める判断を弱める場合があります。

リオタールは実際の政治運動に関わり、社会の変革を説明する一つの理論が、複雑な現実を十分に語れないことを経験しました。彼が問い直したのは自由そのものの価値というより、すべての人の歩みを一つの解放の筋書きに収めることの正当性でした。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

精神と理性が完成するという物語は何を説明したのか

ヘーゲルが描いた知識の歴史

ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770–1831)は、知識や社会の歴史を、精神が自分自身を理解していく過程として論じました。1807年の『精神現象学』では、意識がさまざまな経験を経て理解を変えていく道筋が扱われます。

リオタールは、異なる分野の知識が精神のより大きな自己理解のうちに結びつくという構想を、「思弁的」な正当化の物語として捉えます。研究者が一つの問題を解く行為にも、知識全体の発展という意味が与えられる仕組みです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

大学が諸学問を一つに結びつける

大学には数学、歴史、文学、医学など異なる学部があります。これらを単なる職業訓練の寄せ集めではなく、知識を総合的に追究する共同体として考えると、それぞれの研究が大きな学問の秩序に属することになります。

リオタールはドイツの大学の思想史に触れ、近代の知識をまとめる原理がどのように構想されたかを論じます。一つの大学の制度から、知識全体の価値を示そうとする野心が生まれたことを考えると、「大きな物語」は抽象的な哲学語で終わりません。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

すべての研究に共通の終着点はあるのか

医療の研究と古い文献の解読は、求める証拠も成果の評価も異なります。双方を学問と呼べることと、両者が同じ最終目的に向かっていると断定できることは別です。ある分野の発見が他の分野にどんな意味を持つのかも、その都度考える必要があります。

リオタールは、諸学問を一つの歴史へ統合する大きな語りの力が弱まる状況を描きます。そのとき、大学に分野の違いを超えた一つの使命を与えることが難しくなる一方、個々の研究が固有の問いから価値を生み出す可能性も見えてきます。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

なぜ大きな物語への信頼が揺らいだのか

近代の理想と戦争の歴史がぶつかる

20世紀のヨーロッパでは、学問や工業技術が発展した時代に、二度の世界大戦、ナチスによる大量虐殺、核兵器の開発と使用が起きました。理性と技術の進歩が必ず人間の幸福を保証するという説明に、歴史的な疑問が投げかけられます。

こうした出来事が「1979年に全員が進歩を信じなくなった」という直接の原因だったと考える必要はありません。リオタールの議論は、近代の目標を正当化の根拠として使うことの困難と、情報化された制度の実際の変化を一緒に捉えようとします。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

革命を目指した理論と実際の権力

労働者の解放を掲げる政治運動にも、政党組織の強い統制や官僚制度の問題がありました。社会の最終的な解放を約束する理論が、現在の集団内の力関係をどう説明し、どう批判できるかが問われました。

リオタールはマルクス主義の伝統と向き合いながら、革命を必然的な歴史の結末として説明することを疑問視します。これは不平等を批判することをやめる決意とは異なります。具体的な支配を調べるためには、あらゆる時代を一つの図式で語る方法を検討し直す必要があったのです。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

情報化が知識の価値を測る基準を変える

新しい情報技術は、研究の内容を保存、検索、交換しやすい形へ変換する動きを促しました。政府や企業がデータの処理能力や流通経路を持つことで、知識を使って判断する仕組みにも変化が生じます。

大きな理想への疑問だけでは、リオタールのポストモダン論は説明し尽くせません。知識が情報として扱われ、教育が職業上の能力や効率の観点から評価される具体的な変化が、本の中心的な分析対象です。物語への不信と知識の管理の変化が、同じ歴史の中で進んでいます。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

「ポストモダン」は近代が終わったという宣言なのか

「モダン」の後という言葉の曖昧さ

ポストモダンという言葉を直訳すると「近代の後」を思わせます。建築、文学、哲学では使われ方が異なり、1979年以前から美術や文化をめぐる議論で用いられていました。リオタールが哲学で注目したのは、近代の大きな物語が知識を正当化する力を弱めた状態です。

社会の制度がある年を境に全面的に変わったという歴史年表よりも、知識がどのような根拠で語られるかを示す言葉として読むと、著作の狙いがつかめます。近代に始まった科学や大学の制度は続き、その正当化の仕方が問い直されているのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

「不信」は個人の好みより社会的な条件を示す

科学のデータを信用する人が、大学の研究費配分を決める説明には疑問を持つことがあります。正しいと思う個々の事実と、社会全体が一つの未来へ向かって進むという構想への信頼は、異なる次元にあります。

リオタールがいう大きな物語への「不信」は、真実や正義に関わるあらゆる発言を同じように疑う態度ではありません。どのような大義によって、互いに異なる知識や制度を一括して正当化するのかという問いに向かっています。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

近代の制度が残る社会で変化を考える

1979年にも国家の学校制度、企業の研究開発、専門家の資格制度は機能していました。これらは近代に発展した制度であり、リオタールのいう変化は、制度が突然消えたという説明ではありません。

変わり始めるのは、それらの制度が何のためにあると答えるときの言葉です。人間の解放のため、精神の自己理解のため、と説明されてきた大学の仕事が、雇用や情報の効率という基準でも評価されていきます。変化する評価の仕組みを追うのが、この時代の哲学的な課題でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

コンピューターは知識のあり方をどう変えるのか

読める文章から処理できる情報へ

大学の図書館にある一冊の研究書は、読者が文章を読み、文脈をたどりながら理解するものです。研究成果が電子的な記録として保存されると、分類や検索の条件に合わせて情報を取り出すことも可能になります。1970年代に情報処理の発展を見たリオタールは、この変化が知識の形を左右すると考えました。

コンピューターを通じて交換するには、知識を機械が扱える形式へ記述する必要があります。形式化しやすい情報と、経験や判断の背景を伴う知識との扱われ方が違ってくる。この点に、単なる記録媒体の新旧を超えた問題が含まれています。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

データベースへのアクセスを誰が持つのか

研究所が集めた大量の情報を、大学、企業、政府がそれぞれ必要とする場面を考えてみます。情報を検索できる人とできない人では、判断に使える材料が異なります。どの項目を記録し、何を公開するかを決める人にも力が生じます。

リオタールは情報が蓄積される社会で、情報の流通経路を誰が所有し、誰が利用できるのかを問いました。1979年当時の主題は主として大型計算機や情報ネットワークの将来像であり、今日のスマートフォンや検索サービスをそのまま予言したものとして読む必要はありません。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

通信網と企業の力に向けられた問い

リオタールは著作で、巨大企業が衛星通信やデータバンクを支配する場合を想定し、情報へのアクセスを誰が決めるのかと問いかけました。ここには、技術の所有と知識の配分が政治的な支配へつながり得るという問題があります。

情報を集める装置の能力が高いだけでは、収集の目的も、利用者の権利も決まりません。知識を広める技術と、その技術の運用を正当化するルールとは異なる種類の判断を必要とします。この違いが、後に言語ゲームを使って考える理由になります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ミニュイ出版社|『ポストモダンの条件』概要と全章目次)

知識が商品になるとはどういうことか

知ることが交換される価値を持つ

専門家が得た知識は、論文として公開されることも、企業の技術として利用されることもあります。情報を蓄積し、必要とする人へ提供する仕組みが発展すれば、知識そのものが売買や投資の対象になっていきます。リオタールはこれを、知識が商品に近づいていく変化として捉えました。

商品としての情報には、誰にどのような利益をもたらすかという評価が伴います。知識を持つ人がものごとを深く理解したかという問いと、その知識がどの市場で役立つかという問いは、同じ答えに収まりません。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

学位と職業能力をめぐる判断

大学で学ぶ学生が、将来の仕事に必要な技能を身につけることには具体的な価値があります。科学技術者の養成、管理職の研修、医療の専門教育などでは、学んだことが仕事へつながることが重視されます。

リオタールは、教育の目的が専門的な能力の提供へ傾く場合、知識を自分自身で考える人を育てるという古い大学の理想との関係が変わると論じます。能力を身につけること自体の価値と、どの能力だけを教育するかという制度の選択を分けて考えられます。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

買える情報が知識を独占する場合

企業のデータベースに蓄積された情報が特定の契約者にだけ利用できる場合、公共の研究機関や一般市民は同じ材料を使えません。知識の内容が正確であっても、利用できる条件の違いによって社会的な効果は変わります。

情報の価値を決める主体が、研究者の共同体から資金力や技術力を持つ組織へ移る可能性を、リオタールは警戒しました。どれだけ多くの情報を持つかという量の問題に、誰に知る権利があるかという政治的な問いが重なるからです。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」はなぜ登場するのか

言葉は場面によって異なる役割を担う

オーストリア生まれの哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889–1951)は、英国ケンブリッジで活動し、晩年の『哲学探究』で、言葉の意味を実際の使われ方から考えました。物の名前を言う、質問する、命じる、冗談を言うといった行為には、それぞれ異なる規則と目的があります。

リオタールはこの「言語ゲーム」の考え方を、知識が社会でどう認められるかを調べる方法として利用します。科学論文と裁判所の判決と日常の約束では、言葉が正しく働く条件が違います。異なる活動を一つの説明規則でまとめることの難しさが見えてきます。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

約束と実験結果を同じ尺度で測れるか

「明日は手伝います」という約束と、「水は一定の条件で沸騰する」という説明は、同じ日本語の文でも役割が異なります。約束は相手との関係や行為の責任を生み、実験結果を述べる文は観察や測定によって吟味されます。

約束を実験室の測定で証明することも、温度の記録を善意だけで正しいと保証することも適切ではありません。発言がどんな行為に属するかによって、判断に必要な理由が変わる。リオタールが言語ゲームを使うのは、知識をめぐるこうした多様な規則を捉えるためです。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

ゲームの規則と参加者の関係

将棋では駒ごとに動き方が決まり、サッカーでは手を使う行為に特別な規則があります。遊びの目的が違えば、同じ身体の動きにも異なる意味が与えられます。言葉を使う場面にも、当事者の間で認められる規則が働いています。

リオタールは発言をゲームの一手として捉え、規則は参加者の関係から維持され、変更もされ得ると考えます。社会の中で私たちは、学問、職場、政治、家族など複数の場面を行き来します。そのとき一つの規則だけで全員を評価することが、どのような困難を生むかが問題になります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

事実・命令・約束はなぜ別の判断を必要とするのか

科学の発言は何を主張するのか

研究者が「この物質は加熱すると膨張する」と報告するとき、発言は確かめられる事実について述べています。その主張が受け入れられるかどうかは、観測方法や実験条件、他の研究者の検証に左右されます。

リオタールがいう指示的な発言は、このように何が起きているかを説明する役割を持ちます。学問の世界ではその妥当性を吟味する手続きが発達しています。社会で用いられるあらゆる発言に、この科学的な方法をそのまま使えるかどうかは別の問題です。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

命令の力はどこから来るのか

教師が教室で「静かにしてください」と呼びかける場合、その発言は教室での行動を求めるものです。研究論文のように観察の真偽を報告しているのではなく、その場にいる人の行為へ働きかけます。

命令を受け入れる理由には、緊急性、共同の規則、相手の立場などが関わります。科学的に正しい事実を知っている人が、いつでも他人へ命令する資格を持つことにはなりません。知識の権威と政治的な決定権を結びつけるには、別の説明が必要なのです。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

発言が行為になる場面

式典で権限のある人がある決定を宣言すると、その言葉によって制度上の行為が成立することがあります。この種の発言は、言葉が実際の行為として働く「行為遂行的」な側面を考えさせます。

リオタールは言語ゲームに複数の種類があることを示し、それぞれの発言の働きを検討します。ここでの行為遂行的な発言と、後に出てくる社会制度の効率を意味する「パフォーマティヴィティ」は、訳語が似ていても議論上の役割が違います。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

言葉のやり取りが社会をつくるとはどういうことか

社会を一つの機械として見る方法

社会を巨大な機械にたとえると、学校は人材を育て、工場は物を生産し、行政は全体の秩序を維持する部分として説明できます。社会学には、こうした機能や安定を重視する分析の伝統があります。

リオタールは、社会が一つの調和した全体として働くという模型を吟味します。誰が機械全体の目的を決めるかという問いを置き去りにすると、異なる目的を持つ人々の対立や変化が、うまく機能しない部品として扱われる可能性があるからです。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

階級対立だけで社会を説明する方法

別の見方では、社会の主要な動きを資本家と労働者のような対立する階級から理解します。この模型は所有や賃金をめぐる不平等を明らかにする力があります。リオタール自身も、そのような問題を考える政治運動に関わってきました。

それでも一人の人間は、職場では雇われる側、大学では学生、家庭では親、地域では住民と、異なる関係に参加します。ある対立だけですべての発言の意味を説明することは難しい。リオタールは社会の多様な結びつきを言語ゲームの交差として考えます。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

人は複数の言葉の関係に置かれる

研究者が講義をするとき、その人は知識を説明する側にいます。研究費の審査を受けるときには、別の機関から評価される側です。同じ人物でも、発言する場所と役割が変われば、相手に説明すべきことが変わります。

リオタールは社会の結びつきを、複数の言語ゲームが入り組む関係として捉えました。個人が社会の外から一つの意味を自由に選ぶという構図より、すでにある関係に参加し、新しい発言で規則を動かす可能性を考えるのです。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

物語による知識は何を伝えるのか

世代を越えて受け継がれる話

地域の歴史を伝える人が、土地の由来や共同体の規範について語る場面を考えてみます。聞く人は出来事の説明だけでなく、どのようにふるまうべきか、誰がその話を次に伝えられるかという関係も学びます。

リオタールが考える物語的な知識は、個々の事実の記録だけを指しません。語る人、聞く人、登場人物の関係を通じて、生活の方法や価値の基準が伝えられるという特徴があります。こうした知識の正当性を、科学の実験結果と同じ方法だけで測ることは難しくなります。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

語る資格と聞き手の役割

ある地域に伝わる物語を語るとき、誰がその内容を受け継ぎ、どんな場で伝えるのかが大切になる場合があります。年長者から聞いた話を、若い世代が次の人々へ伝えること自体が共同体の慣習を形づくります。

リオタールは、知識が語りの形式の中で自分の伝達方法を支えている場合に注目しました。科学者が外部の証拠を示して真偽を議論することとは、別の規則が働いています。個別の文化の実際をすべてこの模型で言い尽くせるという意味ではなく、知識の多様さを検討するための区別です。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

物語の役割は真偽の判定だけなのか

祖父母から聞いた話を思い出すとき、その人は土地や家族についての情報だけでなく、誰から何を聞いたかという関係を受け継いでいます。物語は共同生活の行動や記憶を結ぶ働きも持ちます。

リオタールは物語的な知識に、行動すること、語ること、聞くことを含む複数の能力が関わると考えました。知識の形が違えば、それを尊重し批判する仕方も考え直されます。物語の中身をすべて事実として採用することと、その文化的な働きを理解することは区別できます。(参照:インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

科学による知識はどのような約束で成り立つのか

実験結果を他人が確かめられること

科学者が新しい結果を発表する際、使用した装置や測定方法、データを説明し、他の研究者の批判を受ける仕組みがあります。観測を共有し、同じ条件で確かめられるかを問い直すことが、科学知識の信頼性を支えています。

この方法は、ある地域の伝承をそのまま次世代へ語り継ぐ行為とは違います。誰が発言したかという地位だけでなく、証拠を示して反論に応えられることが重視されます。科学には科学としての厳密な規則があり、その規則の価値を認めることと、他の知識を軽視することは同じではありません。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

科学者の発言にはなぜ審査が必要なのか

新しい仮説が提出されても、学問の共同体は直ちにすべてを受け入れません。研究手法、推論の妥当性、既存の結果との関係を検証し、論争や修正を通じて知識を育てます。

リオタールが問題にするのは、科学がその規則のもとで正しい発言を生み出すことに加え、その営みそのものが社会でどう正当化されるかです。実験室の手続きと、国家が研究へ資金を出す根拠を結びつけるには、科学の方法を説明するだけでは足りません。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

科学の進歩を語る物語が必要になるとき

政府が大規模な研究事業を支援するとき、「この研究は未来の社会を豊かにする」という言葉が使われることがあります。研究費を正当化する場面では、科学の測定結果とは別の、望ましい未来についての説明が求められます。

リオタールは、科学が物語的な知識から自分を区別しながらも、科学全体の価値を説明するために大きな物語へ依存してきたことを分析します。知識を作る規則と、知識を社会が支える理由の差がはっきりすると、正当化をめぐる問題がよく理解できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

科学と物語の間にどのような緊張が生まれるのか

事実の検証と共同体の規範

共同体の歴史を語る話には、過去の出来事についての言明と、現在どのように生きるべきかという規範が含まれることがあります。科学者がその出来事の証拠を調べても、規範の価値を同じ実験によって決定できるとは限りません。

一つの発言をどの言語ゲームで扱うかが変われば、問える内容が変わります。リオタールは、物語による知識と科学による知識の違いを、正確さの競争としてだけ捉える代わりに、社会の中で働く規則の違いとして考えました。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

科学が他の知識を評価するとき

科学的な検証は、病気の原因や物質の性質を調べる場面で重要です。ところが誰かの儀礼や共同体の記憶を、測定可能な事実だけへ置き換えると、語ること自体が担っていた役割が残りにくくなります。

ここで問われているのは科学的な方法を捨てることではありません。科学で答えられる問いを明確にし、その方法とは異なる種類の判断が必要な場面を確認することです。異なる方法を使うことと、どの主張でも同じように認めることは分けて考えられます。(参照:インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史/科学哲学誌『Studies in History and Philosophy of Science』|リオタールの科学観への批判(2003))

知識を一つの尺度で測ることの難しさ

医療の統計、裁判の証言、詩の朗読は、それぞれ別の仕方で人間の生活に関わります。数字の精度、証言の信頼性、表現としての力を一つの点数にまとめようとすると、何を評価しているのかが曖昧になる場合があります。

リオタールが多様な言語ゲームに目を向けるのは、社会の多様な活動がそれぞれに持つ判断基準を調べるためです。個々の実践を尊重しながら、どのように議論し合うことが可能なのかという問いが、ここから残ります。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

何のために知識を得るのかという問いはどう変わるのか

解放の物語から成果の計算へ

研究費を申請するとき、「人類の理性を発展させるため」という大きな理想より、何年以内にどんな成果を出せるかを求められることがあります。研究計画の意義が、予算と成果を比較する説明へ移っていく場面です。

リオタールは、科学と大学の活動が「効率」や「成果」の基準によって正当化される動きを分析しました。これは研究者が完全に理想を失ったという心理的な説明ではありません。制度が資源を配分し、成果を評価する仕方の変化を捉えた議論です。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

効率という言葉の具体的な意味

ある計算機が少ない電力で同じ処理をこなせれば、技術上は効率が高いと評価できます。教育や研究も、投じた費用に対してどれだけの成果を出したかで測られる場合があります。

そのような計算が役立つ場面はあります。リオタールが問題にしたのは、知識の価値全体を入出力の比率によって決めることです。数字で比較しやすい成果ばかりを優先すれば、研究の途中で生まれる予想外の発見や、すぐには役立たない学問の価値を見落とします。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

誰が成果の尺度を決めるのか

「卒業生の就職率を高めること」を大学の主要な目標に定めると、授業の改善や資格取得へ予算が集まるかもしれません。その指標は一定の情報を与えますが、学生が考える力や長期にわたる研究の質をどこまで表すのかという疑問も生まれます。

評価の尺度を選ぶ人には、大学の活動を方向づける力があります。成果の数字が客観的に見えるときほど、何を数え、何を数えないことにしたかを考える必要があります。リオタールの哲学は、数字を作る行為の背後にある制度的な判断へ目を向けます。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

研究費と科学の発見はどんな関係にあるのか

実験装置に必要な資金

現代の自然科学では、高度な装置や計算資源を必要とする研究があります。装置が高価になるほど、研究者は研究機関や国家、企業による投資を受けなければ計画を進めにくくなります。設備を持つ組織の判断が、科学で何を調べられるかに影響します。

リオタールは科学の証拠を生み出す過程が、技術と資金の条件に結びついていることを重視しました。観測するための装置を改良すれば、研究で利用できる証拠は増えます。その装置へ誰が投資するかが、科学の方向に関わる問題になります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

収益の見込みと未知の発見

事業計画には、目標の製品、予算、完成の時期を示すことが求められます。科学の研究では、最初に立てた仮説が否定された結果から、別の理論が生まれることがあります。何が見つかるかわからない実験へ資金を出す価値を、完成品の予想だけで測ることは難しいのです。

リオタールは、科学が既存の法則をうまく利用する営みに加え、予想そのものを変える発見を生むことに目を向けました。すでに認められた成果の尺度だけで研究を選べば、尺度を更新する研究が初めから低く評価される危険があります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/科学哲学誌『Studies in History and Philosophy of Science』|リオタールの科学観への批判(2003))

証明の技術が進歩すると何が変わるか

より精密な観測装置ができれば、従来は調べられなかった現象を検討できます。科学者は、測定の誤差や装置の仕組みを吟味しながら、新しい仮説を生み出します。知識の正確さを支える技術と、研究の可能性を広げる技術が結びついています。

技術が高度になるほど、資金を提供する組織の決定も重要になります。リオタールは科学の実践を抽象的な理性の働きとしてだけ描かず、装置、投資、評価の制度が科学知識の生産を形づくることを論じたのです。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979))

大学教育はどのように評価されるようになったのか

専門職を育てる授業

工学部で設計を学ぶ学生、医学部で診断を学ぶ学生は、専門的な知識を仕事に活用することを期待されています。社会の制度は、特定の職務を担うための技能を大学に求めます。

リオタールは、知識が情報として扱われる社会では、教育がシステムに必要な能力を持つ人材の養成として説明されやすくなると考えました。学問の歴史を深く読むことと、今すぐ利用できる情報を探すこととの関係が、大学の中で変化します。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

学問の正当化を学ぶ教室

哲学や歴史を学ぶ授業では、「なぜその考え方が生まれたのか」「どんな根拠から結論に至ったか」を時間をかけて考えます。学習の結果は、単一の技能試験だけでは測りにくい場合があります。

大学の価値を即時に役立つ能力の提供に限定すると、考え方の前提を問い直す授業は評価されにくくなるでしょう。リオタールは、教育を効率で評価する方向が知識の社会的な正当化をどう変えるかを問題にしました。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

情報を見つけることと考え方を作ること

資料を検索すれば、これまで他人が得た研究結果にたどり着くことができます。その情報を自分の疑問に合わせて組み替え、既存の説明にない問いを見つけることは、別の活動です。

リオタールは情報の利用能力が高まることを認めつつ、知識を生み出す新しい一手の価値を考えました。記憶した内容を素早く取り出せることと、異なる理論を結びつけて思いがけない問題を見つけることを区別すると、教育の目的が複数あるとわかります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

科学に新しい発見が生まれるのはどのようなときか

既存の規則に合わない結果が出る

科学者が長年使ってきた理論に従って実験し、予測と違う結果を得たとします。観測の誤りを調べた後にも結果が残るなら、理論の適用範囲を考え直す必要があります。発見とは、すでに決まった規則をうまく利用することに加え、規則のあり方を変える出来事でもあります。

リオタールは、科学を安定した知識が増えるだけの体系として見る発想に疑問を向けました。新しい理論が生まれるときには、以前なら正しい問いと認められなかったことが、研究の中心になる場合があります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

不安定な現象の研究が持つ意味

20世紀の自然科学と数学には、複雑な系の急激な変化や、不規則に見える形の構造を調べる研究が発展しました。フランスの数学者ルネ・トム(1923–2002)は破局理論を、フランスで活動した数学者ブノワ・マンデルブロ(1924–2010)はフラクタル幾何学を発展させました。

リオタールはこうした研究を、予測できる安定した法則を使うだけでは理解しにくい科学の例として挙げています。具体的な科学上の成果を哲学へ直接置き換えるより、科学の中に新しい問いを生み出す動きがあることに注目する議論です。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌)

科学の新しさを成果の点数だけで測れるか

既存の理論を使って計算を速める技術も研究の成果です。同時に、以前の理論が通用する条件を限定し、別の見方を示す成果も重要です。二つは研究の方向と評価する時間の長さが異なります。

リオタールにとって、科学の新しさは結果の増加だけでなく、何を問題にできるかが変わることにもありました。効率を基準にした管理と、まだ成果を予想できない探究との間の緊張が、研究機関での正当化の問題を深めます。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/科学哲学誌『Studies in History and Philosophy of Science』|リオタールの科学観への批判(2003))

「パラロジー」はどのように知識を変えるのか

すでに決まった結論へ進む議論との違い

会議で全員が既存の規則に従うなら、議論は定められた手順で結論を出せます。新しい問題が生まれ、今までの規則では対応できないとわかったときには、結論へ進む方法そのものを考え直さなければなりません。

リオタールが「パラロジー」と呼ぶのは、知識の世界で既存の規則に揺さぶりを与え、新しい考え方を生み出す働きです。論理を放棄して好き勝手なことを言うという意味ではありません。何がよい根拠であり、どの問いが考えられるかという規則を創り変える可能性が焦点です。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

研究者の予想を変える新しい問い

ある研究者が長く調べてきた現象を、別の分野の方法で捉え直すと、以前には思いつかなかった実験を設計できるかもしれません。新しい問いは既存の知識をすべて捨てるところから生じるわけではなく、その限界を理解したところから生まれることがあります。

リオタールは『ポスト・モダンの条件』の最後で、科学を正当化する手段としてパラロジーを論じました。専門家が一致することだけより、異なる見方が生じる可能性を守ることに、知識の創造性を見いだしたのです。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

合意を得ることと新しい発言を生むこと

学会の討論には、研究者の間で論点を確かめ、一定の合意へ進む役割があります。しかし新しい仮説は、最初に多くの人から異議を受けることもあります。合意の強さだけを研究の価値の尺度にすれば、未経験の問題を考える意義を測れなくなるでしょう。

リオタールは、合意が研究で果たす役割を認めながら、それをあらゆる知識の最終的な正当化とすることに疑問を向けました。既存の合意を問い直せる条件があるかどうか。これがパラロジーを研究の制度と結びつける理由です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

「みんなが同じ結論に達すること」は正義なのか

合意はなぜ求められるのか

大学の委員会がカリキュラムを決める場面では、教員と学生が異なる意見を持つことがあります。話し合いによって合意を得られれば、共同の行動へ進みやすくなります。公共の制度が動くためには、一定の決定方法が必要です。

リオタールが疑問視するのは、合意の存在そのものというより、合意に達したことだけで判断が公正になったと考える場合です。発言の規則を決める側が一方の集団に偏っていれば、別の立場の人が問題を適切に語れないこともあるからです。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

少数の発言が聞かれない場合

全員で一つの目標を決める会議で、ある参加者の経験を表す言葉が議題に存在しなかったとします。多数決で結論を出しても、その人の経験は議論の材料になりません。発言の機会があることと、自分の問題を言葉にできることには差があります。

リオタールの関心は、複数の言語ゲームを一つの判断基準に従わせることで生じる排除にあります。その問題を考えると、公正さは単に多数派が正しく手続きを守ることでは足りず、異なる意見がどのように現れるかにも関わります。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

違う規則を持つ活動をどう尊重するか

科学的な研究の場では証拠を検証する規則が必要で、政策を決める場では影響を受ける人々の利益や権利を考える規則が必要です。両方が重要でも、その目的は一致しません。

リオタールは、どんな場面にも通用する一つの最高の規則を先に置くことへ慎重でした。共通の問題を話し合うためには、互いに違う発言の役割を理解し、その違いを消さない仕方で関係をつくることが課題として残ります。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

合意をめぐってハーバーマスと何が対立したのか

討議によって社会の理性を育てる立場

ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマス(1929–2026)は、戦後ドイツで社会批判と民主主義を研究し、人々が理由を述べ合う討議の可能性を重視しました。権力や金銭的な利害による圧力を減らし、互いの主張を検討する公共の対話に、社会を改善する道を見いだします。

この立場では、異なる人が共に納得できる理由を探すことが、政治や倫理の重要な条件になります。リオタールの言語ゲーム論は、そのような合意の目標自体が一つの規則を特権化する場合を問題にしました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/ユルゲン・ハーバーマス|「近代―未完のプロジェクト」(1980)『ディー・ツァイト』/マックス・プランク協会|ユルゲン・ハーバーマス(1929–2026)の追悼記事)

1980年「近代―未完のプロジェクト」

ハーバーマスは1980年、近代の文化や理性の可能性を擁護する講演「近代―未完のプロジェクト」を行い、同年9月には関連文章がドイツの『ディー・ツァイト』紙に掲載されました。彼は近代を単に乗り越えると宣言する動きに疑問を示しました。

ハーバーマスにとって、近代の理性の問題点は、対話や自己批判を通じて改められるものです。リオタールの立場では、異なる言語ゲームを一つの合意の目的へまとめようとすることが、新たな排除を生み得ます。両者の緊張は、対話を重視することと多様な発言の違いを守ることをどう両立させるかにあります。(参照:ユルゲン・ハーバーマス|「近代―未完のプロジェクト」(1980)『ディー・ツァイト』/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

人々が理解し合うための条件

討論の参加者が互いの理由を確かめ、公正な手続きで決めることには現実の価値があります。他方、使える言葉や立証の方法がそもそも違う場合には、同じ手続きに参加するだけで問題が解決するとは限りません。

ハーバーマスの議論とリオタールの議論は、どちらも権力によって発言が抑えられる状況を考えています。違いは、共通の規則と合意を理想に据えるか、異なる規則のあいだに残る対立と新しい発言の可能性を重視するかという点です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

ポストモダンを批判した研究者は何を問題にしたのか

政治を変えるための共通の基準

不平等な労働条件を批判するとき、どの雇用形態にも共通する公正の基準があると主張する方が、制度の変更を求めやすい場合があります。あらゆる全体的な説明に警戒する姿勢は、広範囲の不平等をどう説明するかという難しい問いを残します。

リオタールの思想に対する批判の一つは、支配の多様な形をよく見えるようにしても、それらを結びつけて制度改革を進める基盤が十分に示されているかという点です。知識の多様さを尊重することと、共同の政治的な目標を築くことの関係が問われます。(参照:Theory, Culture & Society|フレイザーとニコルソンのフェミニズムからの批判(1988)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

フレイザーとニコルソンによる1988年の再検討

米国で活動する哲学者ナンシー・フレイザー(1947– )と哲学者リンダ・ニコルソンは、1988年の共同論文「哲学なき社会批判」で、フェミニズムとポストモダニズムの関係を論じました。二人は普遍的な人間像を批判する利点を認め、同時に社会の抑圧を分析する方法を問い直しました。

女性の経験も階級、地域、歴史によって異なります。多様性を認めることは重要ですが、賃金や法制度の差別を変えるには、具体的な社会の構造を説明する必要があります。二人の批判は、ポストモダンの発想を用いながら、歴史的で検証可能な社会批判を組み立てる方向を示しました。(参照:Theory, Culture & Society|フレイザーとニコルソンのフェミニズムからの批判(1988)/ケンブリッジ大学出版局|フレイザーとニコルソンの論考と社会批評)

科学の正当化は本当に物語に頼るのか

科学哲学の研究では、ある理論が正しいと認められる根拠を、実験や推論の方法から検討します。科学全体の社会的な意義を説明する物語と、個々の科学的主張を検証する根拠が同じだとすると、議論に混乱が生じる可能性があります。

科学哲学者ロバート・ノラとギュロル・イルジクは、2003年の論文「リオタールへの不信」で科学の認識上の正当化と社会政治的な正当化を区別し、リオタールの推論とパラロジーの説明に批判を向けました。リオタールの診断は大きな影響を持ちながら、その哲学的な根拠には今も検討すべき論点が残っています。(参照:科学哲学誌『Studies in History and Philosophy of Science』|リオタールの科学観への批判(2003)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

ポストモダンは「何を言ってもよい」という思想なのか

違う意見があることと、根拠が不要なこと

医学の研究者がある治療の効果を主張し、別の研究者が反対の結果を出したとします。双方に異なる意見があるからといって、どちらの証拠も調べなくてよいことにはなりません。科学の言語ゲームでは、測定や再検証の規則が働いています。

リオタールが問題にしたのは、こうした科学の規則を取り払うことではなく、科学を含む社会の活動全体に一つの正当化の筋書きを求めることです。「大きな物語への不信」を「事実への不信」と同一視すると、原著が分析した科学の具体的な規則を見落とします。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

小さな物語を語ることの意味

ある地域で教育の機会に差があることを調べるには、地域の学校、通学の条件、学費、家庭の収入など具体的な資料が必要です。地域ごとに事情が異なれば、それぞれの条件を調べた説明が求められます。

リオタールのいう「小さな物語」は、こうした個別の経験や発明を説明する一つの考え方です。どんな話も無条件に正しいという意味ではなく、一つの総合的な物語へあらかじめ押し込めることなしに、個々の問題から新しい問いを生み出せる可能性を示しています。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

事実の争いと価値の争いを区別する

ある学校の生徒数が何人かは、記録を調べて確かめられます。その学校にいくら予算を配分するのが公正かは、地域の需要、税金、教育の目的なども検討する必要があります。双方の問題は関係していますが、判断の仕組みが同じではありません。

リオタールの知識論は、事実を知ることと、何をすべきかを決めることの違いを考えるために役立ちます。科学的な根拠を重視しながら、社会の判断には複数の価値と立場が関わることを認められるのです。(参照:インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史/科学哲学誌『Studies in History and Philosophy of Science』|リオタールの科学観への批判(2003))

芸術におけるポストモダンは同じ意味なのか

美術の様式と知識の社会を区別する

20世紀後半の美術や建築では、既存の様式を組み合わせ、引用や装飾を用いて近代主義の規範を問い直す作品が登場しました。これらを「ポストモダン」と呼ぶ議論と、リオタールが1979年に調べた知識の社会的な条件は、重なりながらも異なる対象を扱います。

リオタール自身も前衛芸術へ強い関心を持ちました。そのため、彼のポストモダン論を美術から完全に切り離すことはできません。けれども建築の装飾が増えたことから科学の正当化が変わったと説明するなら、二つの問題の間を結ぶ根拠が必要です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの言説・図像・芸術論)

描けないものを描こうとする前衛芸術

リオタールは後の芸術論で、私たちの理解や表現を超えるものが存在すると感じながら、それを提示しようとする前衛芸術の試みを重視しました。そこでは18世紀の哲学者カントの「崇高」の問題が参照されます。

1979年の知識論で語られたパラロジーと、前衛芸術における新しい表現への挑戦には接点があります。既存の規則に沿って上手に作ることより、何を表現と呼ぶかという規則を変える可能性を考える点です。この美学的な展開は、主に1980年代の文章と区別して理解できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

1985年「非物質的なもの」展で何を試したのか

1985年、パリのポンピドゥー・センターでは、リオタールとデザイン研究者ティエリ・シャピュが企画した「非物質的なもの」(Les Immatériaux)展が開かれました。展示は、美術と科学技術に関わる資料や表現を交差させ、来場者が空間を移動しながら新しい情報環境を経験する構成でした。

館はこの催しを従来の美術展から区別するため、特に「マニフェスタシオン」という呼び方を用いたと説明しています。知識が情報へ変わる社会を論じた哲学者が、のちに展示空間そのものを使って問題を提示した事例として重要です。1979年の本がこの展覧会を論じていたわけではありません。(参照:ポンピドゥー・センター|1985年「非物質的なもの」展とリオタール/ラウトレッジ哲学百科事典|リオタールの生涯・美学・政治哲学)

1980年代にリオタールは何をさらに考えたのか

一つの裁定規則では解決できない争い

裁判で認められる証拠の形式が一方の当事者に不利な場合、被害を受けた人がその経験を適切な言葉で示せないことがあります。相手の規則を使わない限り発言として認められないという事態です。

リオタールは1983年初版の『ル・ディフェラン』で、異なる言葉の規則がぶつかり、公正な判断の共通基準が見つからない状況を深く検討しました。これは1979年の言語ゲームと正義の問いを、さらに厳しく追究した著作です。(参照:Google Books/ミニュイ出版社|『ル・ディフェラン』1983年初版の書誌/インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール)

1984年の英語版と広がる論争

1984年の英語版『The Postmodern Condition』は、リオタールの議論を英語圏へ広く伝えました。社会理論や文学研究、美術批評でも「大きな物語」や「ポストモダン」という言葉が参照されるようになります。

英語版には米国の批評家フレドリック・ジェイムソン(1934–2024)による序文が付きます。ジェイムソンはマルクス主義的な文化批評からポストモダンを論じた人物で、社会全体の経済的な構造をどう説明するかという問題を前面に出しました。彼の立場とリオタールの立場の違いは、受容史の重要な争点です。(参照:マンチェスター大学出版局|『The Postmodern Condition』英語版の構成と書誌/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

小さな物語と歴史全体を描く仕事

一つの地域の労働条件を詳しく調べる研究と、資本主義社会の変化を広く描く研究は、それぞれ異なる問いに答えます。後者がすべての地域を一つの運命へ従わせると考える必要はなく、前者にも広い制度との関係が含まれます。

リオタール以後の思想史では、大きな物語を批判しながら、社会構造の説明をどのように組み立てるかが重要な課題になりました。多様性を尊重することと、共有できる公共の課題を見いだすことの間に、今も検討の余地が残っています。(参照:ケンブリッジ大学出版局|フレイザーとニコルソンの論考と社会批評/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

情報があふれる社会で何を問い続けられるのか

検索結果を使う前に考えること

現代の検索サービスに質問を入力すれば、多くの文章や統計へすぐにアクセスできます。知識を利用する速度は上がりましたが、何を検索すべきか、どの資料を信頼できるかは、使う人が判断しなければなりません。

この身近な経験には、1979年のリオタールが扱った知識と情報の違いを考える接点があります。利用できる情報が多いほど、その情報を集める目的、並べる規則、アクセスの条件を考える価値が増します。彼の議論をそのまま現代の技術の説明とせず、問いの形を引き継ぐことができます。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/インターネット哲学百科事典|ポストモダニズムの思想史)

違う立場を尊重しながら事実を確かめる

同じ政策を評価する人々は、費用、生活上の影響、将来の危険など異なる点を重視します。まず確かめられる事実を調べ、次に何を大切にするかについて議論すれば、意見が違う理由を具体的に理解できます。

リオタールは、さまざまな立場を一つの目的のために消し去ることへ警戒を示しました。その考え方を生かすには、互いの違いを放置するより、どんな規則で発言し、何を根拠に判断しているかを確かめることが重要です。(参照:インターネット哲学百科事典|ジャン=フランソワ・リオタール/Theory, Culture & Society|フレイザーとニコルソンのフェミニズムからの批判(1988))

新しい疑問を提出できる社会

学問の世界で既存の方法と異なる仮説を提出できること、社会の中で従来の制度では表せなかった経験を言葉にできることには、共通する側面があります。すでに承認された規則が、将来も最良とは限らないからです。

リオタールがパラロジーの価値を強調した理由は、知識を増やすとともに、知識を生み出す規則を問い直せるようにするためでした。大きな物語への不信の先には、異なる立場の存在を認めながら、次の問いを立て続けるという積極的な課題があります。(参照:ミニュイ出版社|リオタール『ポストモダンの条件』(1979)/スタンフォード哲学百科事典|ポストモダニズムとリオタールの知識論)

略年表|大きな物語と知識をめぐる思想史

  • 1770年|ヘーゲルが生まれる。
  • 1807年|ヘーゲル『精神現象学』が刊行される。
  • 1889年|ウィトゲンシュタインが生まれる。
  • 1924年|8月10日、ジャン=フランソワ・リオタールがヴァンセンヌに生まれる。
  • 1945年|第二次世界大戦が終結し、戦後の経済復興と大学制度の再編が進む。
  • 1951年|ウィトゲンシュタインが死去する。
  • 1953年|ウィトゲンシュタイン『哲学探究』が死後刊行される。
  • 1950年代|リオタールがアルジェリアで教え、政治的問題への関心を深める。
  • 1954年|リオタール『現象学』が刊行される。
  • 1954年頃|リオタールが「社会主義か野蛮か」の活動に関わる。
  • 1964年|「社会主義か野蛮か」の分裂に伴い、リオタールが別グループで活動を続ける。
  • 1966年|リオタールが政治集団「労働者の権力」から離れる。
  • 1968年|フランスの五月危機で学生運動と大規模なストライキが起きる。
  • 1971年|リオタール『言説、図像』が刊行される。
  • 1973年|石油危機が起き、ダニエル・ベル『脱工業社会の到来』が刊行される。
  • 1974年|リオタール『リビドー経済』が刊行される。
  • 1977年|リオタール『デュシャンの変換装置』が刊行される。
  • 1979年|ケベック州大学評議会向けの報告を起点として『ポスト・モダンの条件』が刊行される。
  • 1980年|ハーバーマスが「近代―未完のプロジェクト」を発表する。
  • 1983年|リオタール『ル・ディフェラン』初版が刊行される。
  • 1984年|ベニントンとマスミの訳による『ポストモダンの条件』英語版が刊行される。
  • 1985年|ポンピドゥー・センターでリオタールら企画の「非物質的なもの」展が開かれる。
  • 1986年|小林康夫訳『ポスト・モダンの条件』日本語版が刊行される。
  • 1988年|フレイザーとニコルソンが「哲学なき社会批判」を発表する。
  • 1998年|リオタールが死去する。
  • 2003年|リオタールの科学観と正当化論への批判的な哲学研究が公表される。

まとめ|なぜ私たちは大きな物語を信じなくなったのか

リオタールが1979年に語った「大きな物語への不信」は、近代社会で科学や教育を正当化してきた説明の変化を指しています。人間は理性と教育によって自由になり、学問の進歩は精神の自己理解を完成させる。こうした筋書きは個々の研究に広い意味を与えてきました。『ポスト・モダンの条件』は、情報化と社会制度の変化の中で、その説明だけでは学問の活動をまとめきれなくなっていることを論じました。

大学の研究費配分では実験の正確さとは別に成果や利用価値が問われ、教育では学位や資格を職業能力へ結びつける要求が強まります。コンピューターに蓄積された情報は、誰が管理し、誰が利用できるかによって働き方が変わります。リオタールはこうした場面から、「何が正しい知識か」と「何のために知識を支えるか」を区別し、知識を一律に効率で測ることの限界を示しました。

ウィトゲンシュタインから引き継いだ言語ゲームの考え方は、科学の証拠、政治の決定、約束や物語がそれぞれ異なる規則を持つことを説明します。リオタールが重視したパラロジーは、既存の規則の中で合意を得ることに加え、問いの立て方そのものを変える発見の可能性でした。ハーバーマスは公共的な合意の価値を擁護し、フレイザーとニコルソンらは社会を批判する基盤の問題を提起しています。大きな物語を疑うことの到達点は、あらゆる判断を放棄することではなく、異なる根拠を確かめながら新しい問いを立てられる社会の条件を考えることにあります。

参考資料・出典