1800–1810
自然と人間の精神はつながっているのか
シェリングとドイツ観念論
1800年頃、ドイツの大学都市イェーナでは、自然を調べることと人間の意識を考えることが、哲学の大きな問題として結びついていました。磁石が引き合い、植物が成長し、人が風景に心を動かされるとき、その背後では何が働いているのでしょうか。自然は観察できる物質の集まりとして説明できるのでしょうか。それとも、私たちが考えたり作ったりする働きと深くつながっているのでしょうか。
こうした問いに取り組んだのが、哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・シェリング(1775–1854)です。若くして哲学の世界で注目を集めたシェリングは、1797年の『自然哲学の理念』から自然の働きを考察し、1800年の『超越論的観念論の体系』では、人間の自己意識が成立する過程を論じました。そこでは芸術が思いがけない重要性を与えられ、芸術作品の制作に自然と精神の関係を読み解く手がかりが見いだされます。
本稿では、カントとフィヒテが残した問題から出発し、シェリングの自然哲学、意識と無意識、芸術の制作、1801年の同一哲学、1809年の自由論へと進みます。さらに、同時代の画家フィリップ・オットー・ルンゲやカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品を見ながら、自然が単なる背景以上の意味を帯びた時代を考察します。哲学書に記された理論と、実際の絵画に見られる表現を区別しつつ、両者がどのような問題を共有していたかをたどります。
CONTENTS
- 1800年、自然を考え直した哲学者たち
- シェリングの生涯とドイツ観念論
- カントは自然をどう理解したのか
- フィヒテの「自我」とシェリングの出発点
- スピノザと「ひとつの世界」の問題
- 1797年『自然哲学の理念』で始まった探究
- 磁気と電気に見た対立する力
- 生命とは何か――有機体という問題
- 自然は完成した物か、生み出す働きか
- 自然と精神のつながりをどう説明するか
- 超越論的哲学は反対側から始まる
- 1800年『超越論的観念論の体系』
- 自己意識には歴史があるという考え
- 意識して作ることと、意識の及ばない働き
- 芸術はなぜ哲学の「オルガノン」なのか
- 知的直観と美的直観の違い
- 芸術作品の「無限性」はどこにあるか
- 1801年、自然と精神の共通の根拠を探す
- 同一哲学はどこまで自然を説明できるか
- 1802–1803年『芸術の哲学』の講義
- ルンゲ《一日の四つの時》と自然の循環
- フリードリヒ《山上の十字架》と風景の意味
- 1809年、人間の自由と悪をめぐる問い
- 自然哲学の成果と科学的な限界
- シェリングが芸術と哲学へ残した問い
- 略年表|シェリングの自然哲学とドイツ観念論
- まとめ|自然と精神、芸術の制作を結ぶ問い
- 参考資料・出典
1800年、自然を考え直した哲学者たち
イェーナという知的な都市
18世紀末から19世紀初頭にかけて、テューリンゲン地方のイェーナは哲学と文学の活発な拠点になっていました。大学の講義室ではカントの批判哲学を引き継ぐ方法が議論され、作家や批評家たちは詩と哲学がどのように関わるかを話し合いました。学生や教員が雑誌を読み、手紙を通じて遠くの思想家へ意見を送ることも、学問の営みの一部でした。
シェリングは1798年、23歳でイェーナ大学の教員となります。フィヒテ、ヘーゲル、シュレーゲル兄弟などが活動したこの時代の知的な環境では、自然科学の進展と、芸術や宗教への関心とが近い場所に存在しました。自然を観察し、その背後にある仕組みを考えることは、人間の知識そのものを問い直すことにもつながります。シェリングの初期哲学は、そのような議論の中から発展しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/バイエルン科学アカデミー|シェリングの生涯と研究)
自然はなぜ哲学の問題になったのか
自然を研究する人々は、光、電気、磁気、化学反応、動植物の成長など、さまざまな現象を調べていました。ある物体がどう動くかを数式で記述する研究が進むと同時に、生き物の器官が全体とどのように関わるかという問題にも関心が集まります。自然に規則性があることを認めながら、その規則性をどのような体系として理解すべきかは、容易に答えられる問いではありませんでした。
シェリングは、自然の研究を個々の事実の列挙にとどめず、変化や生成をもたらす働きから考えようとします。樹木の成長を見ると、根、葉、幹は別々に存在しているだけでなく、互いの働きによって生きています。こうした相互の関係に着目し、自然を統一的に捉えることが彼の目標でした。当時の自然科学と哲学を横断する意欲が、自然哲学を生み出す力になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著)
芸術が同じ問いに結びつく理由
芸術家は、自然の形や色、光を観察し、その経験から作品を生み出します。絵画は観察した風景を描くこともありますが、何を選び、どのように配置するかには作者の判断が働きます。画家が意図した構図と、制作の途中で現れた思いがけない効果が、ひとつの画面の中で共存することもあります。その作品がなぜひとつのまとまりとして成立するのかは、創作の重要な問いです。
シェリングは、芸術の制作過程に、意識して行う活動と意識の及ばない働きとが結びつく現象を見いだしました。自然が形を生み出すことと、人間が形を作ることとには、どのような関係があるのでしょうか。1800年の彼は、芸術を通してこの問題に取り組みます。自然と精神を考える哲学が、絵画や詩についても語ることになった背景はここにあります。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/インターネット哲学百科事典|シェリング)
シェリングの生涯とドイツ観念論
1775年、神学を学ぶ家庭に生まれる
シェリングは1775年、ドイツ南西部のレオンベルクに生まれました。父親は聖職者で、学問にも関わる人物でした。早くから学問の才能を示したシェリングは、1790年にテュービンゲンの神学校へ進学し、神学と古典語に加え、当時の新しい哲学を学びます。青年期にはフランス革命の動きやカントの著作を知り、人間の自由と理性をめぐる議論へ関心を深めました。
テュービンゲンでは、のちに哲学者となるゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、詩人フリードリヒ・ヘルダーリンと親交を結びました。三人は後に異なる道を歩みますが、宗教、自由、自然、古代ギリシアへの関心を共有しています。若いシェリングにとって哲学は、授業の中だけで完結する学問ではありませんでした。社会や芸術の変化と結びついた問いだったのです。(参照:バイエルン科学アカデミー|シェリングの生涯と研究/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
フィヒテとの接近から独自の道へ
シェリングは1790年代半ば、フィヒテの哲学から強い刺激を受けました。フィヒテは人間の自我がどのように経験や知識の世界を成り立たせるかを考え、カント以後の哲学を大きく動かしました。シェリングも最初はその問題設定を学び、主体の活動を哲学の出発点とする立場を検討します。二人の交流は、初期ドイツ観念論を理解する上で重要です。
やがてシェリングは、人間が意識する以前から自然が存在し、複雑な形を生み出してきたことへ目を向けます。主体の成立条件を考える哲学に、自然そのものの生成を考える哲学を加える必要があると感じたのです。その探究はフィヒテとの思想上の距離を次第に広げ、1800年前後の論争へつながります。この転換によってシェリング独自の自然哲学が形づくられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
イェーナからヴュルツブルク、ミュンヘンへ
シェリングはイェーナで自然哲学と超越論的哲学を講義し、1803年にはヴュルツブルクへ移りました。1806年以降はミュンヘンを中心に活動し、哲学の体系をさらに展開します。彼の思索は短い期間に多くの変化を示しました。1797年、1800年、1801年、1809年の主要著作を並べると、同じ哲学者が繰り返し問いを立て直していたことが見えてきます。
1800年の芸術論を読む際には、後年のシェリングが同じ説明を守り続けたと考えないことが大切です。自然と精神の関係を説明する方法も、自由を捉える方法も変化していきます。ある時期の概念を他の時期へそのまま当てはめると、彼の思想が持つ動きが見えにくくなります。本稿では1800–1810年に焦点を置き、必要に応じて前後の著作との関係を確認します。(参照:バイエルン科学アカデミー|シェリングの生涯と研究/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
カントは自然をどう理解したのか
経験を成り立たせる人間の認識能力
イマヌエル・カントは、私たちが自然を知るとき、感覚を受け取るだけでは知識にならないと考えました。時間や空間の形式、原因と結果を捉える悟性の働きによって、経験は秩序を持つものとして成立します。落ちる石を観察して因果関係を考えられるのは、人間の認識に一定の構造があるからです。カントの問いは、知識が成立する条件を問うところに特徴があります。
この考えは、自然をどのように知ることができるかを厳密に考える道を開きました。同時に、認識できる対象と、認識の条件を超えるものとを区別する問題も残します。自然が人間の経験に現れる仕方を説明できても、自然そのものがどのように働き、なぜ統一を持つのかという問いは続きます。シェリングはこの問題を引き継ぎながら、生成する自然へ研究の視線を移しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
生物を機械だけで説明できるのか
1790年の『判断力批判』でカントは、有機体を考える際の特徴的な判断を論じました。時計の部品は職人が組み立てます。植物や動物では各部分が全体を維持し、全体の構造が各部分の働きを支えます。根が養分を吸い、葉が光を受け、樹木全体が成長する過程には、相互に関連する組織が見られます。こうした生物の働きを理解するには、目的にかなった構造として考える判断が役立つとされました。
カントは、この目的論的な捉え方を人間の判断力の働きとして慎重に位置づけました。観察した生物が本当に外部の設計者によって作られたと証明する理論ではありません。シェリングは、そこからさらに自然そのものが形を生み出す活動を考えようとします。二人の差は、自然における目的や統一をどこまで積極的に論じるかという点に現れました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
自然美と芸術美が示すつながり
カントは美についての判断と、生物の目的にかなった構造を考える判断を、一冊の『判断力批判』で扱いました。花を美しいと感じるとき、人はその花を何かに利用する計画を持たなくても、形や色のまとまりに心を動かされます。芸術作品を鑑賞する場合にも、概念によって正解を言い当てる作業とは異なる判断が生まれます。
この美の議論は、自然と精神が互いに切り離された世界ではないと考える手がかりを、後の思想家へ与えました。シラーは美的教育を論じ、シェリングは芸術を哲学の中核へ置こうとします。両者の理論には違いがありますが、人間が美を経験する際の働きから自由や世界との関係を考える点で、カントの批判哲学を重要な出発点にしていました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論/スタンフォード哲学百科事典|観念論)
フィヒテの「自我」とシェリングの出発点
自分が意識していることをどう説明するか
フィヒテは1794年以降の『全知識学の基礎』で、経験が成り立つ根拠を自我の働きから考えました。私たちは物を見たり、何かを望んだりするとき、自分がその経験をしているという関係の中にいます。そのような自己意識を哲学の出発点とすれば、知識の成立を受け身の感覚だけに頼らずに考えられます。自我はただ置かれた物体ではなく、自分自身と関わる活動として捉えられます。
ここで言う自我は、特定の個人が好き勝手に世界を作り出すという意味ではありません。フィヒテが問うのは、誰もが経験する対象世界と自己意識との関係を、哲学的にどのように説明するかという問題です。対象を認識するときには、対象を自分から区別する働きも含まれます。自我と非我をめぐる議論は、この関係を考察するために設けられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/スタンフォード哲学百科事典|観念論)
非我と抵抗の経験
私たちが物を動かそうとして動かなかったとき、そこには自分の意志に対する抵抗があります。歩こうとすれば足元の地面があり、仕事をすれば素材の硬さや重さがあります。フィヒテの哲学では、自我の活動とそれを制限するものとの関係が重要になります。経験の世界は主体が何も妨げられずに動ける場所ではなく、抵抗や制約と関わりながら成立するものとして考えられます。
シェリングはその説明を受け止めたうえで、さらに問いを進めました。人間がまだ自分の行為を理解していない段階でも自然は働き、生物が育ち、地形が変わります。そうした自然の活動には、主体の認識条件を問う方法とは別の考察が必要だと感じたのです。ここから自然の側を起点に世界を捉える試みが強まります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
自然に独自の働きを認める
シェリングが自然に注目したのは、山や森の風景を賞賛するためだけではありません。自然の中で生じる運動、衝突、成長、変化を、自ら形を生み出す働きとして説明しようとしました。磁石や植物などの具体的な現象を見ながら、それらに共通する生成の仕組みがあるかを探ります。自然の成り立ちを主体の認識と結びつけつつ、自然の生産的な活動そのものへ視線を向けた点が特徴です。
この出発点を理解すると、シェリングの哲学が知識についての議論と自然そのものについての議論を往復していることが見えてきます。人間は自然を知る存在であり、同時に自然の中から生まれた存在でもあります。両方の事実をひとつの体系で考えることが、1790年代末の彼にとって主要な課題でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著)
スピノザと「ひとつの世界」の問題
物質と精神を別々に考えた先で
近代哲学では、人間の思考と物体の広がりをどのように関係づけるかが大きな問題でした。考える心と、空間の中に存在する物体を区別することには明確さがあります。現実には人間の身体と意識は関わり合い、感じたことが動作へつながり、身体の状態が気分にも影響します。世界が二つの独立した領域に分かれているとすると、この関係をどう説明するかが問われます。
17世紀の哲学者スピノザは、精神と物体を含む世界を、ひとつの実在の異なる現れとして考えました。彼の思想は18世紀後半のドイツ語圏で改めて注目され、自然と神、人間の自由をめぐる議論の中心になっていきます。若いシェリングもこの一元的な世界観から刺激を受け、自然と精神に共通の基礎があるという考えを深めました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|バールーフ・スピノザ/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
自然の統一と個々の存在
森の中には異なる植物や動物があり、それぞれが別の形を持って生きています。それらをすべて一種類の物質に還元してしまえば、なぜこれほど多様な形が現れるのかという問題が残ります。シェリングは自然の統一を考えながら、個々の存在や変化の豊かさを説明する必要を感じていました。統一と多様性の両方を捉える方法が求められたのです。
スピノザの思想が示したのは、世界の背後に断絶のない基礎を求める可能性でした。シェリングの自然哲学では、そこへ生成や対立する力の働きが加わります。自然がひとつの根拠から理解されるとしても、現実には異なる現象が絶えず生まれます。その運動を哲学の中へどう組み込むかが、彼独自の関心となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|バールーフ・スピノザ/スタンフォード哲学百科事典|ヘルダーの思想と自然哲学)
自由は自然の中で可能なのか
自然に原因と結果の関係があるなら、人間の意志もその関係の中で決まるのでしょうか。自由な行為を、自然法則から切り離された特別な出来事として考えることには困難があります。人が決断するとき、身体、記憶、環境、他者の言葉が関わるからです。それでも私たちは自分で選ぶことに責任を感じます。自然と自由を同じ世界の中で考えることが大きな哲学的課題になりました。
シェリングは初期の自然哲学を経て、1809年には人間の自由と悪の可能性を正面から論じます。初期の体系から後年の自由論へ至る過程は一直線の完成ではなく、問いの組み替えを含んでいました。自然の統一を認めながら自由を説明する難しさは、シェリングの思索を長く動かし続けた問題だったのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』)
1797年『自然哲学の理念』で始まった探究
経験的な研究から哲学へ
1797年、シェリングは『自然哲学の理念』を刊行しました。題名が示すように、この著作は自然についての研究を哲学の視点から考えるための導入として構想されています。彼は自然科学で扱われる現象に関心を向け、物体の性質や運動がどのような全体的な関係から理解できるかを探りました。カントとフィヒテから学んだ認識の問題を、自然そのものの生成を考える問題へ結びつけようとした著作です。
この時代の科学には、現代の物理学や化学とは異なる概念が用いられていました。シェリングは当時知られていた実験や理論を参照しながら、自然の諸現象を統一的に説明しようとします。自然について哲学的に考えることが、観察を不要にするという発想ではありません。個々の観察事実をどのような世界観の中で理解するかが、彼の主な関心でした。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
自然を受動的な物体の集積と見ない
机の上の石を眺めると、ひとつの物体がそこに置かれているように見えます。そこに至るまでには地質学的な時間があり、内部ではさまざまな結びつきが働いています。植物に目を移せば、形を保つために水分や養分が取り込まれ、成長と衰えが続きます。シェリングはこうした変化を重視し、自然をできあがった物の集合として考える視点に疑問を向けました。
物の形を観察するだけでは、その形がどのように生まれたのかを説明しきれません。シェリングは自然を自ら産出する活動として捉え、その働きが一定の形や秩序を作ると考えます。自然の中に生産的な力を見いだすことは、神秘的な言葉を添えるだけの試みではありませんでした。現象が成立する仕組みを、個別の物体よりも広い連関の中で考えることを目指していました。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
自然哲学が投げかけた新しい問い
植物が種子から芽を出すとき、根や葉は成長の中で少しずつ現れ、周囲との関係によって姿を変えます。完成した木の形を知っている人も、実際の成長の過程を観察すれば、変化が形を作り出していると気づくでしょう。シェリングは自然を理解する手がかりを、固定した状態から生成の過程へ移しました。
この視点は、芸術作品について考える際にも重要になります。画家の絵が下描きから完成へ至る過程にも、素材を扱いながら新しい形が現れる時間があります。自然の生成と芸術の制作は同じ出来事ではありません。そこには意識的な判断の有無などの違いがあります。それでも形がどのように生じるかを考える問いが、両者を近づけました。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版)
磁気と電気に見た対立する力
磁石の両極から何を考えたのか
磁石には互いに引き合う向きと反発する向きがあり、片方の極だけを切り離した普通の磁石を作ることはできません。18世紀末の研究者たちは、磁気や電気の現象をさまざまな方法で実験し、その性質を理解しようとしていました。シェリングも磁気を自然の働きの例として取り上げ、対立する力の相互関係に注目します。ひとつの現象を成立させるのに複数の働きが関わることへ、彼は哲学的な意味を見いだしました。
引力だけを考えても、磁石の性質を十分には説明できません。反発や極性など、相互に関係する作用を考える必要があります。シェリングはその関係を自然全体の生成へ広げて捉え、自然が対立する働きを通じて形を作ると考えました。これは当時の自然観に関わる大胆な仮説です。現代の電磁気学の正しい説明を、先取りして完成させたという意味ではありません。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版)
化学反応と変化の仕組み
化学の研究では、物質が結びついたり分解されたりする変化が重要な観察対象でした。外見が異なる物質へ変わる過程は、自然の中で新しい性質が現れることを示します。シェリングは化学反応も、自然が固定した物体のまま存在するだけではないことを示す事例として扱いました。変化が起こる条件に目を向けることで、形の背後にある働きを考えようとしたのです。
彼が語る自然の段階や力の配置は、18世紀末の知識を背景にした哲学的な構成でした。後の科学が明らかにした原子構造や電磁気の法則とは、説明の方法も証拠の水準も異なります。歴史的に重要なのは、化学や物理学で観察される変化を、自然の自己形成という広い問いの中へ位置づけようとした試みです。実験事実と哲学的な解釈を区別して読む必要があります。(参照:スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
自然の「力」は何を説明する概念か
私たちは風が枝を揺らすのを見ても、風の力そのものを直接見ることはできません。見えているのは枝の運動であり、力はその運動を説明するために考えられる関係です。シェリングが自然の力について論じたときも、観察できる現象から、それを成り立たせる仕組みを考えようとしていました。自然は多様な作用が結びつく場として捉えられます。
彼の議論では、対立する働きが緊張を生み、その相互作用によって一時的な安定が現れると考えられます。完成した物の静止した輪郭より、形が維持される過程が重要になります。こうした思考は自然科学の実験結果にそのまま置き換えられるものではありません。自然を見る際に、表面へ現れた状態と、そこへ至る活動とを区別する新しい視点を与えました。(参照:ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学/スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版)
生命とは何か――有機体という問題
生き物の部分は全体の中で働く
植物の葉は光を受け、根は水や養分を吸い、幹はその間を結びつけます。いずれも独立した部品のように見えますが、実際には全体の生存と関わりながら働きます。カントは有機体を考える際、各部分が全体を支え、全体が各部分の働きを可能にしていると説明しました。シェリングはこの問題に強く関心を持ち、生命のあり方を自然全体の形成作用から理解しようとしました。
時計の部品がひとつ欠ければ修理によって元に戻せる場合があります。生物の場合、損傷した組織の修復や成長が身体の内部から起こることがあります。こうした相違は、生命が外部から組み立てられた機構とどのように異なるかを考える契機でした。自然哲学は生物の働きを物理的な因果関係と切り離して済ませる議論というより、その固有の組織化を理解しようとする探究でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
成長は完成品へ向かう直線なのか
種子が芽を出すとき、そこで生じる形は周囲の光や水分、温度に影響されます。植物の成長は、あらかじめ決まった図面をそのまま実現するだけの過程として捉えにくいものです。ひとつの生命は外部の条件を受け取り、それに応じて働き方を変えます。シェリングはこのような生成を、自然の生産的な力が具体的な形を取る過程として考えました。
生命をめぐる当時の説明には、機械論、生命力を重視する考え、目的論など複数の立場がありました。シェリングの議論もそうした論争の中に位置づけられます。現代生物学の遺伝や進化の知識が確立される以前の思想として読むことが重要です。その意味を理解する手がかりは、生命の形を静止した完成品としてではなく、環境との関係において変化する過程として考えた点にあります。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/スタンフォード哲学百科事典|ヘルダーの思想と自然哲学)
身体を持つ人間も自然の中にいる
自然の中で生物が形成されるという視点は、人間の位置にも関わります。人間は考える存在でありながら、成長し、疲れ、呼吸し、周囲の環境から影響を受ける身体を持っています。自分の意識について考えるとき、意識の働きが具体的な身体の経験と結びついている事実を無視することはできません。シェリングは自然と精神を切り離さずに考えることで、この関係を理解しようとしました。
人間の精神を自然の中に位置づけることは、人間の思考を物質の単純な作用へ還元することと同じではありません。意識を持つ人間が自然からどのように現れるのかを問うことには、生命の形成と自己意識の成立とのつながりを考える意味があります。自然哲学が主体の哲学へ向かう入口は、人間自身が自然に属するという事実でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/インターネット哲学百科事典|シェリング)
自然は完成した物か、生み出す働きか
産物としての自然と生産としての自然
シェリングの自然哲学では、目の前に存在する自然物と、それを生み出す働きを区別する考えが重要になります。石、葉、雲、動物の身体は、観察できる形を持つ産物です。そこへ至るには物質の移動や変化、生物の成長などの過程があります。自然が今ある形を持つという事実と、その形が生じたという事実を、ともに考える必要があるのです。
彼は自然の生産的な働きを、できあがった産物の背後にある重要なものとして扱いました。流れの中に渦が生まれ、しばらく形を保ってから消える様子を思い浮かべると、その発想を理解しやすくなります。渦の輪郭を描くことはできますが、渦が存在する理由は水の流れによって説明されます。自然の形も、生成を続ける働きとの関係で考えられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
変化の中で保たれる形
川の流れは絶えず変わっていても、同じ場所に似た渦が現れ続けることがあります。植物の葉も時間の中で成長し、やがて枯れますが、その間は一定の構造を保っています。シェリングが重視したのは、このように変化と持続とが結びつく自然のあり方です。安定した形は動きの反対として存在するのではなく、動きの中で成立するものとして捉えられます。
物を観察するとき、私たちはその時点の姿を記録できます。その記録には価値があります。シェリングはさらに、その姿がどのような対立や均衡を通じて現れたかを考えようとします。自然物の輪郭を記述する仕事と、自然が形を生み出す仕組みを解明する仕事とを結びつける点に、彼の自然哲学の特徴がありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版)
自然を「生きている」と呼ぶ意味
自然を生きているものとして語る言葉は、当時の文学にも哲学にも見られます。シェリングの自然哲学では、自然のすべての物体に人間と同じ意識があると主張することが目的ではありません。生成し、形を変え、相互に働きかける活動を、自然の基本的な性格として考えることに意味があります。生物の組織化を考えるための概念が、自然全体を説明する視野へ拡張されました。
この発想は、人間が自然をどのような態度で眺めるかにも影響を与えます。森や山を固定した舞台装置として見るのか、長い変化の中で形づくられた存在として見るのかによって、風景の意味は異なってきます。同時代の自然表現を考える際には、風景をどう捉えるかという思想上の背景が見えてきます。画家たちはその背景に加え、固有の制作上の問題にも取り組んでいました。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/インターネット哲学百科事典|シェリング)
自然と精神のつながりをどう説明するか
「見える精神」と「見えない自然」
シェリングの初期自然哲学は、自然を目に見える精神、精神を目に見えない自然として捉える言葉によってしばしば紹介されます。この表現が示すのは、自然と精神に完全な断絶を置かず、両者に通じる働きを探る姿勢です。私たちが自然を見るとき、そこには感覚と判断が働いています。その判断を行う私たちの身体や感覚器官も、自然の中で成立したものです。
自然と精神がつながっているという主張は、川や石が人間と同じ考えを持つという意味ではありません。自然に見られる生成と、人間の精神に見られる活動を、共通の根拠から理解できるかが問題になります。その関係を比喩だけで済ませず、哲学の体系として説明しようとしたところに、シェリングの試みの独自性があります。(参照:Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
自然の中から自己意識が現れる
自然の過程を考えると、石や植物、動物、人間の間にはさまざまな違いがあります。人間は自分が何を感じ、何を考えているかを反省することができます。シェリングは、この自己意識が自然の中でどのような位置を持つかを考えました。自然と精神を別の世界へ分ければ説明は単純に見えますが、その間を結ぶ道筋が分からなくなります。
彼の哲学では、自然の生成と精神の成立を互いに無関係な出来事として扱わず、共通する活動から捉えようとします。人間の意識が成立した後になって初めて自然が存在するという話ではありません。意識へ至るまでの自然の働きを考えることによって、自己意識を世界の中へ位置づけようとしたのです。こうして自然哲学は、精神の成立を問う哲学と接近しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
自然と人間をつなぐ問いの難しさ
動植物の生命活動を観察することと、人が自分自身を意識する経験を説明することは、方法の異なる仕事です。自然科学は測定できる現象から規則性を探り、意識についての哲学は経験の成立条件を問いかけます。シェリングはこの二つを結びつけるために、多くの概念を組み替えました。ひとつの視点だけで世界全体を捉える難しさを、彼は繰り返し経験します。
自然と精神のつながりについて、彼が1800年に出した答えは、その後も変わらず守られた最終結論ではありません。1801年の同一哲学や1809年の自由論へ進む中で、説明するための枠組みも変化します。問いを立てる意義は、自然と人間の共通性を一言で宣言することより、両者の違いを保ちながら連関を理解しようとしたところにあります。(参照:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|シェリング1800–1801年の思想転換に関する研究/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
超越論的哲学は反対側から始まる
自然から意識へ、意識から自然へ
シェリングは自然哲学と超越論的哲学を、互いに補い合う二つの探究として構想しました。自然哲学では、自然に見られる現象や生成から出発し、どのように精神の働きまで考えられるかを問います。超越論的哲学では、自己意識が成り立つことから出発し、そこから対象世界をどのように理解できるかを考えます。出発点の向きが異なることで、見えてくる問題も変わります。
窓の外の樹木を研究する人は、その成長に注目するかもしれません。同じ樹木を知覚している自分の経験を考える人は、認識が成立する仕組みへ注目します。シェリングはこの二つの問いを切り離してしまうと、自然と自己意識の関係を十分に捉えられないと考えました。双方から探究を進めることで、世界を統一的に考える道を探したのです。(参照:大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
主体が世界を知るとはどういうことか
人は目を開けば色や形を見ますが、自分が見ているという事実も、後から考えることができます。知覚の対象と知覚している主体には関係があります。超越論的哲学は、この関係がどのような働きを通じて成立しているかを明らかにしようとします。対象がただ目の前にあると受け止める段階から、対象について知る自分の働きへ視線を戻すのです。
シェリングは主体を固定した容器として考えるのではなく、自分と対象を区別し、さらにその区別を反省する活動として捉えました。この方法はフィヒテからの影響を受けながら、自然哲学との接点を新たに求めていきます。主体がどのように自分の世界を経験するのかを考えることは、芸術家が作品を意識的に作る過程を説明する準備にもなりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版)
二つの研究を結びつける問題
自然から出発すると、人間の意識がどのように現れるかが問題になります。主体から出発すると、意識とは独立しているように見える対象世界がどのように成立するかが問題になります。シェリングはこの二方向をそれぞれ進めながら、双方の探究がひとつの根拠へ向かう可能性を考えました。その結びつきを説明する方法が、1800年の著作で重要になります。
この構想は、自然科学の成果を主観的な思い込みへ還元するためのものではありません。人間が知ることも、自然が存在することも、同じ世界の出来事として理解したいという課題に応じたものです。自然の働きと人間の活動の間にどのような連続性や違いがあるかを明らかにするため、シェリングは芸術の制作へ独特の期待を寄せました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋)
1800年『超越論的観念論の体系』
自然哲学に続く新しい体系
シェリングは1800年、『超越論的観念論の体系』を刊行しました。1797年の自然哲学では自然の働きから出発した彼が、この著作では自己意識を中心に置き、人間が世界を知り、自由に行動することがどのように成立するかを論じます。知覚や知識の問題だけでなく、意志、歴史、芸術にまで議論を広げたことが特徴です。自然と精神の関係を、もうひとつの方向から探る著作といえます。
題名にある「超越論的」は、日常経験の外にある神秘的な世界を指す言葉ではありません。人間が何かを経験し、知識を持つために必要な条件を考えるという、カント以来の哲学的な意味で使われています。シェリングは主体の成立を段階的に説明し、最後に芸術を重要な位置へ置きました。この結びつきは、当時の哲学と美学の関係を考える上で大きな転換点になりました。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/ヴァージニア大学出版局|『超越論的観念論の体系』英語版)
経験を成立させる活動の探究
普段私たちは、椅子を見るとき椅子そのものに注意を向けます。椅子を知覚するために、感覚や注意、対象を区別する働きがどのように関わったかを細かく考えることは多くありません。シェリングはその当たり前に思える経験を問い直し、主体の働きが対象世界とどのように結びつくかを論じます。自己意識は、ただ自分の内側を眺めている状態よりも複雑なものとして説明されます。
自分が何かを知っていると理解するとき、対象についての知識と、それを知っている自分への関係が重なります。シェリングはこの反省の過程を追いながら、自由な行為へ至る道筋を描きました。作品を作る芸術家は、材料や対象を意識しながら自分の行為も調整します。そこで働く二重の関係が、後に芸術論を考える鍵となっていきます。(参照:大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋/スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ)
芸術を最後に置いた構成
この体系の終盤に芸術を置く理由は、単に高尚な文化を褒めたかったからではありません。シェリングは、人間の意識的な活動だけでは説明しきれないものが、実際の芸術制作で現れると考えました。作品には作家の意志と技術が必要ですが、完成した作品の効果は作家があらかじめ計算したことを超える場合があります。彼はこの現象に、精神と自然の根本的な関係を考える手がかりを見ました。
芸術作品が出来上がると、鑑賞者は作者の計画を知らなくてもひとつの形として経験できます。そこでは意図と予想外の結果が、互いに分離できないかたちで結びついています。シェリングはこの統一を重視し、芸術の働きに特別な哲学的役割を与えました。芸術を体系の付録ではなく、探究の重要な到達点にしたところに1800年の著作の特色があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版)
自己意識には歴史があるという考え
自分を知ることも活動である
机や本を眺めるときと、自分がそれを見ていることに気づくときには、異なる働きがあります。何かを見つめ、考え、選ぶ自分を理解するには、その行為を振り返る必要があります。シェリングは自己意識を、最初から内容のすべてが明らかなものとして扱いませんでした。活動を通じて自分と世界との関係を意識していく過程が重要になります。
幼い子どもが物に触れ、失敗し、周囲の人と関わりながら経験を広げる姿を考えると、意識が深まる過程を想像できます。シェリングの議論は子どもの発達段階を記述した心理学ではありません。自己意識の成立条件を哲学的に再構成する試みです。その意味で、著作の中の「歴史」は主体の働きがどのように展開すると考えられるかを示すものです。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/ヴァージニア大学出版局|『超越論的観念論の体系』英語版)
対象との関係によって自分を知る
人が何かを作るとき、自分の考えは材料との関係の中で具体的になります。紙へ線を引いて初めて、思い描いた形と実際の形の違いに気づくことがあります。対象へ向かう活動を通じて、主体は自分の力と限界を知るのです。シェリングが自己意識を活動として捉えたことは、このような経験を考えるための哲学的な背景になります。
自分がある対象を理解することと、対象を変えることは異なる働きですが、どちらも自分と世界との関係を含みます。シェリングは知識を成立させる問題から自由な行為の問題へ進み、主体が世界の中でどう活動するかを考えます。芸術の制作は、その両面が具体的に現れる場として重要になりました。(参照:大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋/スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ)
理論的な知と実践的な行為
理論的な知は、何が起きているかを理解しようとします。実践的な行為では、人が自分の目的に従って世界へ働きかけます。自然を観察することと道具を作ることには違いがありますが、実際の生活では両方が関わり合います。シェリングは『超越論的観念論の体系』で、知る働きから意志や自由へと議論を進めました。主体の活動が複数の形で現れることを示そうとしたのです。
芸術家は作品の素材や性質を理解しながら、どのような形を作るかを選びます。そこで知識と実践がひとつの仕事へ結びつきます。さらに作品が完成すると、そこには制作中に気づかなかった意味や効果も現れます。シェリングは、知ることと作ることが交差する芸術の場で、主体の活動の複雑さを考察しました。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/インターネット哲学百科事典|シェリング)
意識して作ることと、意識の及ばない働き
制作の前に決められること
画家は絵の大きさや使用する材料を選び、構図を考え、下描きを行うことができます。彫刻家も石や木の性質を確かめ、どの面から形を削り出すかを計画します。作品の制作には、意識的な目的や技術が欠かせません。シェリングはその働きを重視し、芸術を偶然の産物として扱いませんでした。人間が自由に何かを作ろうとする活動が、芸術の重要な要素です。
目的を持って作るという点では、芸術とほかの制作活動には共通するところがあります。家具を作る職人も材料を選び、決めた寸法へ仕上げます。シェリングが芸術に特別な意味を認めたのは、計画して作るという事実に加え、完成した作品に作家の計画へ還元しきれない働きが現れると考えたからでした。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/インターネット哲学百科事典|シェリング)
手を動かして初めて現れる形
絵の具が紙に触れたとき、色が想像よりも大きく広がることがあります。素材の凹凸や水分の量によって、線の形が変わることもあります。作家はその変化に応じて新しい判断を重ね、最初の計画を修正します。完成後に振り返ると、最初から明確に思い描けていなかった形が現れているかもしれません。制作にはこうした予測の届かない過程が含まれます。
シェリングが論じた意識の及ばない働きは、単純に作家が無自覚であるという意味ではありません。意識的な制作を続けている中で、意志だけでは尽くせないものが形として現れることに注目しています。作品が作家自身へ驚きを与えるという経験は、この考えを身近に理解する助けになります。ここで述べた絵の具の例は、原著の具体的な記述を再現したものではなく、概念を説明するための例です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋)
才能や霊感という言葉の先に
芸術家の能力を説明するとき、才能や霊感という言葉が使われることがあります。そのような言葉は制作の特別な感覚を伝えますが、何が起きているのかを十分に説明できないこともあります。シェリングは芸術を、意識的な活動と意識の届かない働きとの結びつきから考えました。作品の成立をひとつの神秘的な瞬間に帰するより、異なる活動の統一を理解しようとしたのです。
この考えでは、芸術家が学んだ技術や努力が軽視されることはありません。材料を扱えるようになるまでには経験の蓄積が必要です。その技術が働く中で、自分でも十分には説明できない創造的な結果が生じることがあります。シェリングの関心は、意志と必然、自由と生成が同時に現れる芸術の構造へ向けられました。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究)
芸術はなぜ哲学の「オルガノン」なのか
哲学の道具であり証しであるという意味
シェリングは1800年の著作で、芸術を哲学の「オルガノン」であり「文書」でもあると評価しました。「オルガノン」はここでは思考を助ける道具や方法という意味を持ちます。自然と精神が共通する根拠から理解できるとしても、その統一を理論の言葉だけで捉えることは難しいと考えられました。芸術作品は、異なる働きがひとつの具体的な形に結びついたものとして現れます。
芸術は哲学を飾る挿絵という位置づけを超えて、哲学が解明しようとする関係を示す役割を与えられました。作品を前にすると、作者の意図と意図を超えて現れた結果とが切り離せない形で経験されます。シェリングはそこに、意識と無意識、自由と必然の統一を考える手がかりを見ました。哲学が概念で探る問題に、作品が別の仕方で関わるという考えです。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究)
哲学で説明できないものを作品が示す
一枚の絵を言葉で解説するとき、作者の技法や時代背景、色彩の関係を説明できます。説明は作品の理解を深めますが、作品が与える経験のすべてを言葉へ置き換えられるとは限りません。シェリングはこうした差を重要なものとして考え、芸術が哲学的な概念の届きにくい統一を示す可能性を論じました。作品には、知識として説明することと実際に経験することとの関係が現れます。
この考えは、芸術がどのような作品でも難しい哲学を自動的に証明するという意味ではありません。シェリングの体系の中で、芸術的な制作が特定の働きの統一を示すという論点が重要です。作品の中にある形式や効果を考察しながら、それがどのような経験を可能にするのかを問う必要があります。哲学と芸術は異なる方法を持ちながら、共通の問題へ近づくと考えられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/インターネット哲学百科事典|シェリング)
制作された一つの物として現れる統一
人が言葉で自由と必然の関係を論じるとき、二つの概念を区別して説明します。芸術作品では、意図した構成と予測できなかった効果がひとつの物として成立し、鑑賞者の前に現れます。例えば絵画の線や色を、どこからが意識的な決定でどこからが偶然の結果かと完全に分割することは難しいものです。作品はそのような複雑な関係を具体的に示します。
シェリングが芸術へ与えた位置づけは、当時の美学が哲学の中で担う役割を大きく広げました。美しいものをどう評価するかという問いに加え、芸術を作る活動が世界の理解へ何を与えるかが問題となります。その後のドイツ観念論やロマン主義において、芸術が思想の中心的な主題として論じられる背景には、この転換がありました。(参照:大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋/ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史)
知的直観と美的直観の違い
自分の活動を内側から捉える
「直観」は普段、瞬間的に何かを感じ取ることを意味します。ドイツ観念論で使われる「知的直観」は、もう少し特別な概念です。シェリングが考えたのは、主体が自分の活動を対象のように外から眺めるのではなく、その活動の中で捉える可能性でした。自己意識がどのように成立するかを問うとき、考えている自分をさらに考えるという反省の問題が生じます。
知的直観をめぐる議論はフィヒテにも見られ、カントの哲学との関係でも論争を呼びました。人間が普段の感覚を使わず世界の本質を直接見通せるという単純な能力として理解すると、議論の狙いが失われます。ここでは主体の活動とその自己理解をどのように結びつけるかという問題として読む必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
作品を通じて経験する美的直観
芸術作品を鑑賞するとき、鑑賞者は作家が制作中に行った一つひとつの判断を再現できません。それでも画面の中にまとまりや緊張、動きを経験できます。シェリングは、美的直観が、意識的な活動と意識の及ばない働きの統一を外に現れた形で捉えることに関わると考えました。作品は作者から独立した物として存在し、複数の人が向き合えるものになります。
哲学的な思考で内側から捉えようとする活動が、芸術では具体的な作品として示されます。この違いが、知的直観と美的直観を考える重要な点です。シェリングは作品の経験を、自分の心にただ思い浮かぶ印象と同じものとして扱いませんでした。描かれた線や形を持つ作品が存在することで、統一が感覚的に経験できるようになります。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究)
哲学と鑑賞を混同しないために
絵を見て美しいと感じることと、その経験を哲学の概念によって説明することは異なる行為です。シェリングの議論では、鑑賞者が作品を経験することと、哲学者がその経験の構造を考えることが、それぞれ固有の役割を持っています。両者の結びつきを重視しながら、作品を味わう活動そのものにも意味を認める考え方です。
この区別を保つと、芸術作品の魅力を哲学の例証へ無理に変換せずに済みます。作品は視覚や聴覚、身体の感覚を通じて経験され、解説とは異なる豊かさを持っています。シェリングの芸術論は、その経験が哲学へ問いを返す可能性を考えたものです。芸術と哲学の間にある距離を認めることで、両者を結びつける意味が見えてきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/インターネット哲学百科事典|シェリング)
芸術作品の「無限性」はどこにあるか
作者がすべてを言い尽くせるのか
完成した作品について作者が説明しても、鑑賞者がそこに感じることのすべてを言い尽くせるとは限りません。線の重なり、光の効果、人物の表情は、時代や鑑賞する人によって異なる関係を作ります。作品は作者の意図に支えられながら、完成後も新しい解釈を生み出します。シェリングは芸術作品が持つこの開かれた性格を、制作における意識と無意識の結びつきから考えました。
ひとつの作品には目に見える輪郭があります。それでも作品の意味が、作者の指示書のようにひとつへ閉じられるとは限りません。シェリングが論じる芸術の豊かさは、作品に明確な形があることと、その形から生じる意味の可能性とが両立する点にあります。作品の具体性が、鑑賞の可能性を支えます。(参照:大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
計画の外側へ広がる完成の意味
画家がある色を置いたとき、隣り合う色との関係によって予想外の響きが生まれることがあります。作家はそこから新しい構図を見つけ、さらに制作を進めます。その結果、完成した作品には初期の計画を超えるまとまりが生まれます。シェリングの理論を手がかりにすれば、制作の結果が計画の単純な実行に尽きないことが理解できます。
この説明で重要なのは、偶然があれば必ず優れた芸術になるという主張ではないことです。素材の変化を見極め、判断し、形を成立させる技術と、予測の届かない出来事との関係が問題になります。シェリングは芸術に、自由な活動と自分では完全に支配できない力との統一が現れると考えました。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究)
鑑賞者へ開かれる作品
絵画は作者の手を離れた後も、展示され、移動し、さまざまな人に見られます。鑑賞者は自分の記憶や関心を持って作品へ向き合うため、同じ絵を見ても経験は異なります。作品が感覚的な物として存在することによって、こうした複数の経験が可能になります。シェリングの美学は直接的な受容理論ではありませんが、作品の意味を作者の明示的な意図だけで捉えきれない理由を考える手がかりになります。
芸術を哲学の中で重要視した背景には、説明できることと、実際に経験されることとの距離があります。その距離は作品の欠陥を意味しません。作品は一定の形を持ちながら、別の経験を呼び起こし続けます。シェリングの議論を読むと、鑑賞者が作品の前に立つ出来事にも、哲学的に考える価値があると分かります。(参照:インターネット哲学百科事典|シェリング/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版)
1801年、自然と精神の共通の根拠を探す
『私の哲学体系の叙述』での転換
1801年、シェリングは『私の哲学体系の叙述』を発表し、同一哲学と呼ばれる方向へ進みました。1800年の体系では自己意識から議論を組み立てましたが、その翌年には、主体と客体の区別そのものがどのような根拠から成り立つかを、さらに考えようとします。自然と精神を別々のものとして出発させ、その後で橋を架けるだけでは根本的な説明にならないと考えたのです。
同一哲学では、精神と自然を共通する絶対的な根拠から理解することが目指されます。シェリングは同じ世界が自然として現れる側面と、精神の活動として現れる側面とをどう考えられるかを探りました。この立場はフィヒテの哲学から離れる重要な転換点であり、自然哲学と超越論的哲学の関係も新たに位置づけることになります。(参照:ドイツ・デジタル図書館|1801年『私の哲学体系の叙述』書誌/ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|シェリング1800–1801年の思想転換に関する研究)
主観と客観の区別を超えるとは
人間が樹木を見るとき、樹木は知覚の対象であり、見ている人は主体です。この区別は経験を考える際に役立ちます。けれども私たちの身体も自然の中にあり、樹木と無関係な場所から眺めているわけではありません。シェリングは、主体と対象を区別できるという事実を認めながら、両者の区別が成立する以前の共通する基礎を考えようとしました。
同一という言葉を、樹木と人間の意識がまったく同じ物質だという意味で受け取ると、彼の問題設定が見えにくくなります。ここで問われるのは、異なるものとして現れている自然と精神が、根本においてどのように結びついているかという問題です。区別を保ちながら統一を考える必要があるため、同一哲学は概念的にも難しい試みになりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|シェリング1800–1801年の思想転換に関する研究)
1800年の芸術論との違い
1800年の『超越論的観念論の体系』では、芸術作品に意識と無意識の統一が具体的に現れるとされました。1801年の同一哲学では、その統一を可能にする根拠を、主体の外にも広がる絶対者の問題として考えます。芸術の役割を理解する際にも、自然と精神を同じ根拠から捉えるという見方が強くなります。シェリングの思想は、初期の芸術論を含みながら新しい方向へ進みました。
この変化を踏まえると、シェリングの芸術論を一つの固定した主張へまとめることの難しさが分かります。1800年には制作の過程が中心にあり、1802年以降の講義では芸術の体系的な位置づけがさらに論じられます。彼自身が理論を組み替え続けたことは、芸術をめぐる考えの豊かさと複雑さの両方につながっています。(参照:インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義)
同一哲学はどこまで自然を説明できるか
ひとつの根拠と多様な形
同じ世界の中には岩石も生物も人間も存在し、それぞれ異なる性質を持っています。あらゆる存在に共通の根拠があると考えるなら、同時にその多様な違いを説明しなければなりません。シェリングは、自然と精神が異なる仕方で現れることを認めながら、その根拠を統一的に捉えようとしました。統一の概念が具体的な現象の説明へどうつながるかが、同一哲学の難しい課題になります。
例えば同じ自然の中にある樹木と石では、成長や組織のあり方が異なります。人間の自己意識には、さらに固有の問題があります。それらの差を消してしまえば、現実の世界を理解することにはなりません。シェリングは自然哲学で培った生成の考えを背景に、統一と差異がどのように共存するかを探っていきます。(参照:ドイツ・デジタル図書館|1801年『私の哲学体系の叙述』書誌/インターネット哲学百科事典|シェリング)
フィヒテとの論争が示す違い
フィヒテは自我の活動を哲学的な根拠から考える方向を深めました。シェリングは自然に独自の生産的な働きを認め、その根拠を主体と客体の区別より深いところへ求めます。二人はカントを引き継ぐという共通点を持ちながら、哲学の最初の原理をどこに置くかで異なる答えに進みました。学問の方法をめぐる相違は、思想上の対立として次第に明確になっていきます。
この論争を、フィヒテが自然を無視し、シェリングだけが自然を発見したという単純な図式で捉えるのは正確ではありません。フィヒテにも自然を扱う議論があり、シェリングも主体の活動を重視していました。両者の差は、自然と自己意識の関係をどの原理から説明するかという哲学的な構成にあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
ヘーゲルとの共同研究と別々の歩み
ヘーゲルはシェリングと親交を保ち、1801年には二人の哲学的な立場の近さが際立つ時期がありました。1802年からは共同で哲学雑誌の編集にも関わり、カント以後の思想をめぐる批判や論争を行います。自然と精神をどのように体系へ位置づけるかは、二人にとって共通の課題でした。その議論がドイツ観念論をさらに展開させる力になりました。
1807年のヘーゲル『精神現象学』の刊行を経て、両者の哲学は大きく異なる方向へ進みます。のちのヘーゲルの思想をシェリングの同一哲学と同じものとして説明すると、論争の意味が失われます。同じ問題を共有した思想家たちが異なる答えを求めたことに、1800年前後の哲学の活発さが表れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史)
1802–1803年『芸術の哲学』の講義
芸術全体を体系として論じる
シェリングは1802–1803年のイェーナで『芸術の哲学』を講義し、後にヴュルツブルクでも関連する講義を行いました。講義の原稿は後年に刊行され、現在では歴史批判版によって研究が進められています。1800年の体系では芸術制作の働きが重要でしたが、この時期には芸術の種類や歴史的な形態を広く考える試みが強まります。哲学から芸術を捉える視野が拡大したのです。
詩、音楽、造形芸術などは、使用する材料も鑑賞の方法も異なります。シェリングはそれぞれを単独で評価するだけでなく、芸術全体に共通する根拠を考えようとしました。個々のジャンルには独自の表現方法があり、その違いをどのような関係として理解するかが問題になります。芸術の体系を考えることは、個々の作品の成立と哲学的な世界理解とを結びつける新しい課題になりました。(参照:フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義/TextGrid学術テキスト集|シェリング『芸術の哲学』原文)
古典的な芸術と近代の芸術
この講義では、古代の芸術と近代の芸術の違いも重要な主題になります。古代ギリシアの彫刻や神話を考えると、神々や人間の姿が具体的な形として表現されています。近代ヨーロッパの芸術では、キリスト教の歴史や個人の内面、無限への憧れなどがさまざまな作品へ現れました。シェリングはそれぞれの文化的な背景と、芸術が何をどのように形にするかとの関係を考えました。
古典とロマン的な芸術を比べる議論は、単純に古い作品の方が優れているという順位づけに尽きません。作品が形として現れる条件や、表現しようとする内容が歴史的にどう異なるかを考えることが重視されます。シェリングの芸術論は、個々の作品の美しさだけでなく、歴史の中で芸術がどのような役割を担うのかを哲学的に考察する方向へ進みました。(参照:フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義/ヴッパータール大学|1802–03年『芸術の哲学』講義資料)
作品と神話を一緒に考える理由
古代の神話は、詩や彫刻、建築などに共通する物語や形象を与えてきました。ある神の姿を彫刻に表すとき、作品には物語の記憶や共同体の信仰が関わります。シェリングは神話と芸術の関係にも関心を持ち、作品を個人の技術だけで説明する方法を越えて考えようとしました。芸術が文化全体の世界観と結びつくことが重要だったのです。
この視点から見ると、芸術家は完全に孤立した場所で形を考えているわけではありません。使用する言葉や素材、過去から受け継がれた物語が制作を支えます。シェリングの芸術哲学では、その歴史的な条件を踏まえながら、芸術作品が持つ普遍的な意味を考える試みが行われます。作品そのものの観察と、作品が生まれた文化的な背景の理解とが結びつきます。(参照:TextGrid学術テキスト集|シェリング『芸術の哲学』原文/フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義)
ルンゲ《一日の四つの時》と自然の循環
一日を四つの版画へ表す
ドイツの画家フィリップ・オットー・ルンゲは、1805年に《一日の四つの時》の版画を発表しました。「朝」「昼」「夕」「夜」からなる構想には、植物の形や人物、光を思わせる表現が組み込まれ、一日の移り変わりが象徴的な世界として示されています。画家は自然の観察を、単なる風景の再現にとどめず、成長や衰えといった時間の循環を視覚化するために使いました。
ゲティ研究所が所蔵するこの版画群からは、複数の形が相互に結びついてひとつの画面を構成している様子が確認できます。個々の植物や人物は独立した装飾であると同時に、時間の変化を示す大きな構造の一部でもあります。自然の生命と象徴的な意味が結びつく作品は、当時のドイツ・ロマン主義が持っていた自然観を考える上で重要です。(参照:ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》)
植物の形と生まれ変わる時間
芽が伸び、花が開き、やがて夜になるという一日の循環は、植物の成長と人間の生の時間を重ね合わせる表現としても受け取れます。ルンゲの版画では、自然の形が画面を秩序づける要素になり、植物の曲線や人物の配置が全体の印象を作ります。自然を描く行為によって、目に見える物以上の関係を示そうとする姿勢が表れています。
ここでシェリングとの共通点として考えられるのは、自然を静止した物の集合ではなく、時間の中で形を変えながら意味を生むものとして捉える視線です。画家の図像をシェリングの理論から一対一で解読することは適切ではありません。両者が同じ時代に、自然の生成や統一という問題に関わる表現を模索していた点に注目すると、思想と美術の関係を考えやすくなります。(参照:ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
哲学と作品の関係をどう見るか
ルンゲの版画には、宗教的な象徴や独自の色彩理論への関心など、画家自身の制作上の問題が含まれています。作品が成立した背景を理解するには、芸術家の構想と作品そのものの形を確かめる必要があります。同じ時代の哲学に似た問題があっても、それだけで画家が特定の哲学書を直接参照したと断定することはできません。歴史的なつながりには資料に基づく確認が必要です。
《一日の四つの時》を見ると、自然の形を借りて見えない時間の循環を感じさせることが、美術にとって重要な課題だったと分かります。シェリングは哲学の言葉によって生成と統一を考え、ルンゲは線と形によって独自の世界を構成しました。二つの営みを並べることで、同じ時代に異なる表現手段が何を問題にしていたかが見えてきます。(参照:ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》/シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究)
フリードリヒ《山上の十字架》と風景の意味
1808年、山上に立つ十字架
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの《山上の十字架》は1808年の作品で、「テッチェン祭壇画」とも呼ばれます。山の上に十字架が立ち、樹木や岩肌、空の光が画面を構成しています。伝統的な祭壇画で中心に描かれる人物像とは異なり、風景そのものが宗教的な意味を担う構成が特徴です。この作品はドレスデン国立美術館の所蔵資料でも確認できます。
岩山や樹木は、宗教的な主題を取り巻く単なる背景として置かれているだけではありません。光がどこから差し、十字架が自然の中でどのように見えるかによって、作品の印象が生まれます。自然を見つめる経験と、見えないものを思う経験とが結びつきます。19世紀初頭のドイツ美術では、風景を重要な精神的な表現の場とする試みが広がりました。(参照:ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料)
風景の中に現れる宗教的な意味
自然の山や森を描くことは、長く絵画の重要な仕事でした。フリードリヒの作品では、風景の描写が宗教的な思索と強く結びついています。画面を見る人は岩山や木々の形を追ううちに、十字架の位置や光の方向へ注意を向けます。視覚的な構成を通じて、自然を見ることから別の意味を考える経験へ導かれるのです。
シェリングが自然と精神の連関を哲学的に問うた時代に、画家は風景を通して同様に複雑な問題へ関わっていました。それでもフリードリヒの作品は固有の宗教的・芸術的な文脈から生まれています。彼をシェリング哲学の説明者として位置づけるより、自然が精神的な意味を帯びるという同時代の広い関心を示す作家として見ることが適切です。(参照:ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
鑑賞者が画面の前で経験すること
《山上の十字架》の前に立つ鑑賞者は、岩山の奥行きや樹木の輪郭を眺めながら、光の向かう先を意識するかもしれません。絵画は視覚に与えられた具体的な形を通じて、鑑賞者の思考を動かします。言葉で説明し尽くせない効果が絵の構成から生まれるという点では、シェリングが芸術の働きに着目した理由を考える助けにもなります。
作品が意味を生み出す過程には、画面の形、制作された時代の宗教観、鑑賞者の経験が関わっています。この複数の層を考えることで、芸術と哲学の接点が見えてきます。自然に何を見いだすかという問題は、哲学書の中だけでなく、風景画の具体的な表現の中でも問われていました。(参照:ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料/フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義)
1809年、人間の自由と悪をめぐる問い
『人間的自由の本質について』
シェリングは1809年、『人間的自由の本質についての哲学的研究』を発表しました。自然と精神の統一を考えるだけでなく、人間が善を行うことも悪を行うこともできるという問題を正面から扱います。人間を世界の調和の中へ位置づける理論は、自由な決断とその責任をどう説明できるのでしょうか。初期から続く自由の問題が、新たな重みを持って現れました。
この著作でシェリングは、存在の根拠と、現実の存在がどのように区別されるかを論じます。自由は何でも思いどおりにできる状態として説明されるのではありません。人間が自分の行為を選び、その選択に関わる善悪の可能性を持つことが問題です。自然と精神の結びつきを考えてきた哲学者は、世界の中で自由がどのように成立するかをさらに問い直しました。(参照:ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
調和の思想へ加わる緊張
自然と精神に共通の根拠があるとしても、人間は対立を生み出し、時には悪を選ぶ可能性があります。私たちは他人を傷つける行動をとることも、自分の望みと正しいと考えることとの間で迷うこともあります。シェリングの1809年の議論は、そのような現実の問題を哲学の中心へ置きました。世界の統一を語る理論は、対立や悪の可能性も考慮する必要があります。
芸術作品に見られる意識と無意識の統一を論じた1800年のシェリングと、自由の可能性を論じた1809年のシェリングには連続した問題があります。同時に、両者の主張を同じ一つの答えとして並べることはできません。後の著作では意志や人格、善悪の問題が強まり、体系の構成も変わります。シェリングの思想が発展の途中にあったことを理解する必要があります。(参照:ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』/スタンフォード哲学百科事典|シェリング)
自由な人間を自然の中で考える
人間が自然の一部であるという考えと、自分の行為に責任を負う存在であるという考えは、どちらも重要です。身体や環境から影響を受けながら、何をするかを考えて選ぶという経験があります。シェリングは、自由を自然からの単純な脱出として考えることに満足せず、存在全体の問題として捉えようとしました。
その試みは、初期の自然哲学が持っていた統一への期待をさらに難しい問題へ導きます。世界が統一を持つことと、個々の人間が自由に行動することとの関係は、容易に一つの公式へまとめられません。1809年の自由論は、シェリングの哲学が自然から芸術を経て、人格と倫理の問題へ広がったことを示しています。(参照:ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』/ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史)
自然哲学の成果と科学的な限界
18世紀末の科学を背景にした仮説
シェリングが論じた磁気、電気、化学、生物の形成は、当時の研究状況を背景にしています。自然のさまざまな現象を結びつけて説明しようとする姿勢には、科学と哲学を横断する強い意欲がありました。磁気の極性を自然の根本原理として扱うなど、一般化の仕方には大胆な部分もあります。個々の現象から自然全体の仕組みへ進む際には、実験による裏づけが十分ではない仮説も含まれていました。
現代の物理学や生物学は、測定や実験、数理的なモデルによって自然現象を検証します。シェリングの自然に関する説明には、現在の科学的知見とは異なる仮説が含まれています。歴史的な価値を考える際には、自然の諸現象を統一的な視点で捉えようとした哲学的な課題と、個々の自然科学上の説明の正確さを分ける必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版)
統一を求める構想の魅力と難しさ
自然の中に共通の働きを探すことには魅力があります。生命、物質、光、人間の意識を完全に無関係な出来事として扱えば、世界全体をどう理解するかという問いが残るからです。シェリングは、それぞれの現象に関わる力を統一的な枠組みへ位置づけようとしました。そのために幅広い事例を参照し、大きな構想を描きました。
統一的な説明は、個々の現象の違いを十分に確かめなければ抽象的な図式になってしまう危険もあります。自然科学の研究が進むにつれて、哲学の体系だけで具体的な現象を説明することには限界が明らかになります。それでも自然を成り立ちの過程から見る方法や、複数の学問の関係を考える問いは、歴史的に重要な意味を持ち続けました。(参照:インターネット哲学百科事典|シェリング/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学)
哲学史として何が残ったのか
自然を自ら形を生み出す活動として捉えることは、18世紀末の自然研究と哲学が交差する独特の試みでした。現象を固定した分類へ収めるだけでなく、変化を生む関係を考える視点は、後の思想史を理解する上でも重要です。自然を研究するときには個々の事実を確かめる作業が必要であり、その事実がどのような意味を持つかを考える作業もあります。
シェリングの業績を今日評価する場合、自然科学への直接的な貢献と、自然の理解に関わる哲学的な問題提起とを慎重に区別することが求められます。科学的な仮説の一部が後の研究によって支持されなかったとしても、哲学上の問いが消えるわけではありません。知る人間と知られる自然をどう結びつけるかという問題は、今も異なる分野で考えられています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史)
シェリングが芸術と哲学へ残した問い
ヘーゲルとその後のドイツ観念論
シェリングとヘーゲルは若い頃に多くの問題を共有していました。自然、精神、芸術、歴史をどうひとつの哲学として考えるかは、二人に共通する課題です。ヘーゲルは後に独自の体系を築き、芸術を精神の歴史の中へ位置づけていきます。シェリングも1809年以後さらに議論を変え、自由や存在の問題に取り組みました。どちらもカント以後の思想の展開に大きな役割を果たしました。
19世紀の哲学をひとつの結論へ進む一本道として捉えると、こうした思想家たちの違いが見えにくくなります。自然から出発する方法、主体から出発する方法、歴史を重視する方法など、複数の探究が交差していました。シェリングの哲学は、自然と精神を結びつける方法が一通りではないことを示す重要な事例です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史)
ロマン主義の美術をどう読み直すか
ルンゲやフリードリヒの作品には、自然の形を通じて時間や宗教的な意味を示そうとする工夫があります。これらの作品をシェリングの思想と並べると、自然を何らかの背景として扱うことから、精神的な経験と関わる主題として捉えることへの関心が見えてきます。自然がどのように形を生み、作品がどのように意味を生むのかという問いが、哲学と芸術の両方に現れました。
個々の画家の表現は、その画家の実践や宗教観、視覚的な発見から生まれています。哲学によって絵画の意味を一義的に決めてしまえば、作品の独自性を見失います。シェリングを読むことは、作品を見るときの一つの視野を広げます。自然の形の中にどのような働きや関係が現れるか、画面が鑑賞者へ何を経験させるかという問いを持てるからです。(参照:ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》/ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料/フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義)
自然と人間の精神はつながっているのか
シェリングは、自然の中で物が生まれ変化することと、人間が知り、考え、作ることを、共通する世界の働きとして考えようとしました。1797年の自然哲学は生成する自然へ目を向け、1800年の体系は自己意識と芸術の制作を論じます。1801年の同一哲学は両者の根拠を探り、1809年の自由論は人間の選択と責任をさらに問い直しました。一連の著作は、同じ問いへの答えを繰り返し組み替えた軌跡です。
私たちは自然を眺める存在であるとともに、自然の中で身体を持って生きる存在でもあります。作品を作るときには自分の意図が働き、その結果には予測を超えるものが含まれます。シェリングの哲学は、こうした経験を通じて自然と精神の関係を考え直す手がかりを与えます。自然をどのように知り、世界の中で何を作ることができるのか。1800年前後に立てられた問いは、現代の芸術や哲学へも続いています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』)
略年表|シェリングの自然哲学とドイツ観念論
- 1632年|バールーフ・スピノザが生まれる。後の自然と精神の統一をめぐる議論へ影響を与える
- 1724年|イマヌエル・カントが生まれる
- 1762年|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテが生まれる
- 1770年|ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルとフリードリヒ・ヘルダーリンが生まれる
- 1775年|フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・シェリングがレオンベルクに生まれる
- 1781年|カント『純粋理性批判』初版刊行
- 1785年|ドイツ語圏でスピノザの思想をめぐる論争が広がる
- 1787年|カント『純粋理性批判』第2版刊行
- 1788年|カント『実践理性批判』刊行
- 1789年|フランス革命が始まる
- 1790年|カント『判断力批判』刊行。美と有機体の問題を扱う
- 1790年|シェリングがテュービンゲンの神学校へ入学する
- 1794年|フィヒテがイェーナ大学で教授となり、知識学を展開する
- 1794–1795年|フィヒテ『全知識学の基礎』が刊行される
- 1795年|シェリングが『自我について』を発表する
- 1796年|シェリングが自然をめぐる哲学研究を深める
- 1797年|シェリング『自然哲学の理念』刊行
- 1798年|シェリング『世界霊について』刊行
- 1798年|シェリングがイェーナ大学の教員となる
- 1799年|シェリング『自然哲学体系の第一草案』刊行
- 1800年|シェリング『超越論的観念論の体系』刊行。芸術を哲学のオルガノンと位置づける
- 1801年|シェリング『私の哲学体系の叙述』発表。同一哲学を展開する
- 1801年|ヘーゲルがイェーナへ移り、シェリングと交流を深める
- 1802年|シェリングとヘーゲルが哲学雑誌の共同編集を始める
- 1802–1803年|シェリングがイェーナで『芸術の哲学』を講義する
- 1803年|シェリングがヴュルツブルクへ移る
- 1804–1805年|シェリングがヴュルツブルクで芸術哲学の講義を行う
- 1805年|ルンゲが版画《一日の四つの時》を発表する
- 1806年|シェリングがミュンヘンで活動を始める
- 1807年|ヘーゲル『精神現象学』刊行
- 1808年|フリードリヒが《山上の十字架》を制作する
- 1809年|シェリング『人間的自由の本質についての哲学的研究』刊行
- 1810年|シェリングが自然、自由、精神をめぐる探究を継続する
- 1818年|ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』初版刊行
- 1841年|シェリングがベルリンで講義を始める
- 1854年|シェリングがバート・ラガッツで死去する
- 1859年|シェリングの『芸術の哲学』が遺稿から刊行される
- 20世紀|自然哲学、芸術哲学、自由論をめぐるシェリング研究が広がる
- 21世紀|シェリングの著作の歴史批判版と学術研究が進む
年譜はシェリングの著作とバイエルン科学アカデミーの研究資料、哲学事典、作品所蔵館の情報をもとに整理しました。(参照:バイエルン科学アカデミー|シェリングの生涯と研究/スタンフォード哲学百科事典|シェリング/フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義/ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》/ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料)
まとめ|自然と精神、芸術の制作を結ぶ問い
1790年代末のシェリングは、カントが示した認識の問題とフィヒテの自我の哲学を引き継ぎ、自然そのものが形を生み出す働きを考え始めました。1797年『自然哲学の理念』と1799年『自然哲学体系の第一草案』では、自然の現象を固定した物体の集まりとして捉える視点から、相互に働く力と生成の過程へ視線を移します。生物の形成や物質の変化を考える中で、人間の精神も自然の中で成立するものとして理解する道を探りました。
1800年『超越論的観念論の体系』では、自己意識の成立を問う哲学が芸術の制作へつながります。作家が意識的に形を作る活動の中には、計画だけで説明しきれない働きがあります。シェリングは芸術作品に意識と無意識、自由と必然の統一が現れると考え、芸術を哲学の「オルガノン」と位置づけました。1801年の同一哲学では自然と精神の共通の根拠を探り、1802–1803年の『芸術の哲学』では芸術の種類や歴史的な形態を体系的に論じています。
ルンゲ《一日の四つの時》やフリードリヒ《山上の十字架》からは、自然の形を通じて時間や宗教的な意味を表現しようとした同時代の美術の動きを読み取れます。シェリングの著作をそれらの作品の直接的な設計図として扱うことはできません。哲学と絵画がそれぞれの方法によって、自然の生成や人間の経験に関わる問題を考えた点が重要です。1809年の自由論へ至る変化も含め、シェリングの思想は自然と精神がどのようにつながるかという問いを繰り返し掘り下げた軌跡として理解できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シェリング/ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学/インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版/ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』)
参考資料・出典
1797年『自然哲学の理念』、1799年『自然哲学体系の第一草案』、1800年『超越論的観念論の体系』の書誌と原著を基礎資料にしました。思想上の論点はスタンフォード哲学百科事典、インターネット哲学百科事典、ラウトレッジ哲学百科事典などの研究で照合しています。1802–1803年の芸術哲学講義は歴史批判版の資料を参照しました。ルンゲとフリードリヒの作品についてはゲティ研究所およびドレスデン国立美術館の所蔵情報に基づき、哲学的な共通点と歴史的な直接影響を区別して説明しています。
- スタンフォード哲学百科事典|シェリング
- インターネット哲学百科事典|シェリング
- スタンフォード哲学百科事典|ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
- スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論
- スタンフォード哲学百科事典|バールーフ・スピノザ
- スタンフォード哲学百科事典|観念論
- スタンフォード哲学百科事典|ヘルダーの思想と自然哲学
- ラウトレッジ哲学百科事典|1795–1800年の超越論的哲学と自然哲学
- バイエルン科学アカデミー|シェリングの生涯と研究
- Google Books|1797年『自然哲学の理念』原著
- スイス電子貴重書アーカイブ|1799年『自然哲学体系の第一草案』初版
- インターネット・アーカイブ/バイエルン州立図書館|1800年『超越論的観念論の体系』初版
- 大学系公開原典資料|1800年『超越論的観念論の体系』抜粋
- ドイツ・デジタル図書館|1801年『私の哲学体系の叙述』書誌
- フロマン=ホルツボーク出版社|『芸術の哲学』歴史批判版と1802–05年講義
- TextGrid学術テキスト集|シェリング『芸術の哲学』原文
- ニューヨーク州立大学出版局|1809年『人間的自由の本質について』
- ヴァージニア大学出版局|『超越論的観念論の体系』英語版
- シェリング年報/J-STAGE|「芸術は哲学のオルガノン」をめぐる研究
- ゲティ研究所|フィリップ・オットー・ルンゲ《一日の四つの時》
- ドレスデン国立美術館|フリードリヒ《山上の十字架》収蔵資料
- ヴッパータール大学|1802–03年『芸術の哲学』講義資料
- ケンブリッジ大学出版局|ドイツ観念論の思想史
- ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン|シェリング1800–1801年の思想転換に関する研究
- ドイツ・デジタル図書館|1799年『自然哲学体系の第一草案』