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Philosophy

1990

「男らしさ」「女らしさ」はどう作られるのか

ジュディス・バトラーとジェンダー

1980年代のアメリカでは、女性の働く場所や家族のあり方をめぐる対立が、議会や裁判所、大学、街頭に広がっていました。連邦憲法に性による平等を明記しようとした平等権修正条項は、州の批准が必要数に届かず1982年に期限を迎えます。職場での差別、妊娠中絶をめぐる法的争い、家庭で誰がどの役割を担うかという問題は、個人の生活と政治制度の両方に関わっていました。

大学の女性学や哲学の教室では、長く男性を中心に書かれてきた思想を読み直し、女性の経験を学問の言葉で説明する試みが進みました。芸術の場でも、映画や広告に繰り返し現れる女性像を写真によって演じ直すシンディ・シャーマンや、身体をめぐる政治的な主張をポスターにしたバーバラ・クルーガーが活動していました。街で見かける服装や身振り、テレビの登場人物が何を「女性らしい」「男性らしい」と感じさせるのかが、文化を考える問いになっていたのです。

同じ時期、AIDS危機のなかで性的少数者への偏見と差別が可視化され、1987年に結成されたACT UPなどによる抗議運動が展開しました。レズビアンやゲイのコミュニティでも、どのような装い、関係、身体表現が認められるのかをめぐって議論が続いています。「女性」という言葉が運動の連帯を生むとき、その呼び名からこぼれ落ちる人々の経験をどう扱うのかという問題も生じました。

1990年、アメリカの哲学者ジュディス・バトラー(1956年生まれ)は『ジェンダー・トラブル』を刊行し、性別らしさを人の内側にある性質が外へ現れたものと考える見方を問い直しました。服装、話し方、姿勢、他者からの呼びかけといった行為が繰り返されるなかで、何が自然に見えるようになるのでしょうか。バトラーの答えは、個人の経験だけでなく、社会の規範が身体を通して維持され、変わっていく仕組みへ向かいます。

CONTENTS

  1. 1980年代のアメリカ|性別をめぐる議論はどこで起きたのか
  2. ジュディス・バトラーは何を問い直したのか
  3. 性別らしさはどのように身につくのか
  4. 「セックス」と「ジェンダー」を分ける考え方
  5. ボーヴォワールの問いをどう受け継いだのか
  6. フーコーの権力論は何を変えたのか
  7. 1988年の論文|行為が主体を作るという発想
  8. パフォーマティヴィティとは何を意味するのか
  9. 言葉は何を「実行」するのか
  10. 性別の規範は誰を「普通」と見なすのか
  11. 精神分析と親族関係の理論をなぜ読み直したのか
  12. モニック・ウィティッグは「女」という分類をどう批判したのか
  13. ジュリア・クリステヴァと身体をめぐる議論
  14. ドラァグやパロディは何を明らかにするのか
  15. フェミニズムは「女性」をどう代表するのか
  16. 黒人フェミニズムが示したもう一つの問題
  17. シンディ・シャーマンの写真|女性像は誰が作るのか
  18. バーバラ・クルーガーのポスター|身体と政治
  19. ゲリラ・ガールズ|美術館は誰を見せてきたのか
  20. エイドリアン・パイパー|身体が受ける視線を変える
  21. ロレイン・オグレイディ|美術制度へ入り込む別の人物
  22. ローナ・シンプソン|写真に重ねた言葉が変える身体の見方
  23. 『パリ、夜は眠らない』とボール文化
  24. 1993年『問題=物質となる身体』で何が変わったのか
  25. バトラーの議論にはどんな批判があるのか
  26. 1999年の序文|著者自身は何を説明し直したのか
  27. 2004年以降|認められる生をめぐる問い
  28. 「男らしさ」「女らしさ」を考え直すと何が見えるのか
  29. 略年表|ジェンダー論と身体表現の歩み
  30. まとめ|性別らしさはどのように作られるのか
  31. 参考資料・出典

1980年代のアメリカ|性別をめぐる議論はどこで起きたのか

平等権修正条項をめぐる政治の対立

1972年、アメリカ連邦議会は、法の下の平等を性別によって制限しないと定める平等権修正条項(ERA)を可決し、各州に批准を求めました。憲法の改正には全50州のうち38州の承認が必要です。1977年に35州へ到達した後、批准は停滞し、連邦議会が延長した1982年6月30日の期限にも、必要数へ3州届きませんでした。賛成する全米女性機構(NOW)などの団体と、反対運動を展開した保守派の間では、雇用上の平等だけでなく、兵役、離婚、家族の役割をめぐる対立が続きました。

「女性のための権利」を求める運動が広がるほど、誰の経験がその要求を代表しているのかという問題も鮮明になります。性差別の形は、仕事、所得、人種、家族構成によって違うからです。バトラーは、女性たちの連帯を支える言葉がどのような人々を含み、誰を周辺へ追いやるのかを問いました。政治的に「女性」を代表するという行為そのものが、ジェンダーをめぐる哲学の問題になったのです。(参照:ケンブリッジ大学出版|1980年代の全米女性機構とアメリカ政治/米国国立公文書館|平等権修正条項と1982年の批准期限)

大学で発展した女性学と哲学

1970年代以降のアメリカの大学では、女性学の講座、研究会、専門誌が増え、哲学の伝統的な議論と女性の社会的経験を結びつける仕事が蓄積されました。身体の経験を説明する現象学、言語が社会の意味を作るという哲学、権力が人を分類する仕組みを論じる研究が互いに参照されました。

1980年代には、女性同士であっても生活条件や性的指向が違うことをどう理論に反映させるかが重要になります。バトラーが1988年の学術論文を演劇研究誌『Theatre Journal』に発表したことも、身体、行為、社会生活を一つの問いとして扱う学際的な状況を示しています。(参照:JSTOR Daily|バトラーの初期論考と現象学の研究史/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

AIDS危機と性的少数者の公共的な発言

1980年代のアメリカではHIV感染とAIDSによる死が増え、同性愛者への偏見と公的支援の不足をめぐる抗議が広がりました。1987年にはACT UPがニューヨークで結成され、医療政策や製薬会社への批判を直接行動に変えます。病気の問題が、誰の生が守られ、誰の身体が危険視されるかという問題と結びつきました。

バトラーの議論は、レズビアンやゲイをめぐるフェミニズム内部の論争からも生まれています。同性同士の関係で男性的・女性的な装いを用いることを、古い役割の単純な模倣と見るのか、既成の意味を変える行為と見るのか。1990年の著作が問うのは、その判断を支える「元の性別らしさ」の根拠です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

ジュディス・バトラーは何を問い直したのか

1990年の『ジェンダー・トラブル』

バトラーは1956年にアメリカで生まれ、現代ヨーロッパ哲学とフェミニズムを研究してきた哲学者です。1990年にラウトレッジから刊行された『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』は、女性を一つの集団として定義する考え方から出発し、身体、言語、欲望、異性愛の規範へ議論を広げました。

この本が与えた問いは身近です。ある服装や仕草を見て「女性らしい」「男性らしい」と判断するとき、私たちは何を基準にしているのでしょう。その基準が繰り返し教えられてきたものだとすれば、性別の「らしさ」は人の内面にある固定的な本質より、行為を評価する社会の仕組みから理解できます。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

三つの章を通じて変わる問い

原著の第1章は性・ジェンダー・欲望の関係と、フェミニズムが前提とする「女性」の主体を問い、第2章は精神分析や親族関係の理論が異性愛をどう中心に置くかを検討します。第3章では身体表現、性別の扮装、反復を通じて規範が攪乱される可能性を探ります。

一般に知られる「ジェンダーは演じられる」という言葉は、第3章だけを読むと好みの服を着る自由の話に見えます。バトラーが重視するのは第1章から続く、誰が「女性」として社会的に認められ、誰が説明しにくい存在とされるのかという問いです。言葉による分類が生の条件を変えるため、これは哲学であり政治の問題でもあります。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

問いの新しさは何にあったのか

女性の役割が社会によって形作られるという指摘は、1990年より前のフェミニズムでも広く論じられていました。バトラーはさらに一歩進め、社会的役割を身につける「もともとの女性」とは何か、その主体を作り上げている条件も考えます。外側に規則があって内側に本来の自分があるという図式自体が検討の対象となりました。

人が社会の規範の中で自分を理解し、他者から呼ばれて生きるとすれば、変化をもたらすのも同じ社会的行為の中です。バトラーの哲学は、固定された本質を発見する代わりに、本質に見えるものがどう成立するかを説明しようとする点で、従来のジェンダー役割論を変えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

性別らしさはどのように身につくのか

服装と身振りから考える

例えば、学校や職場で服装の色、髪型、座り方、声の高さについて異なる期待をかけられた人は、周囲の反応を読みながら振る舞いを調整します。褒められる仕草、笑われる仕草、注意される服装を経験するうちに、決まりを毎回意識しなくても身体がそれに応えるようになります。

この例で不思議なのは、人が「自分らしく」振る舞っていると感じる場面にも、長い学習と反復が含まれていることです。バトラーは、こうした習慣を単なる表面の飾りとして扱いません。行為が繰り返される過程で、安定した性別のあり方があるように経験されることを説明しようとします。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

「内面が先か、行為が先か」という哲学の問い

私たちはしばしば「勇気がある人だから勇敢に振る舞う」「優しい人だから世話をする」と説明します。同じように「女性だからこう振る舞う」とも言われます。ところが、特定の仕草が何度も繰り返され、それを周囲が性別の証拠として読み取るなら、内面とされるものの説明順序が逆転します。

バトラーが問い直すのは、目に見える行為の背後に、性別の変わらない核があると考える理由です。人は過去の規則を引用する形で行為し、その反復が「核がある」という確信を支える。ここで哲学は、行為と主体のどちらが説明の基礎になるかという存在論の問題へ進みます。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

「自然に見える」ことの成立

ある服装が長い時間をかけて定着すると、誰がいつそれを決めたのか意識されにくくなります。地域や世代が変われば同じ衣服の性別の意味が変わることもあります。繰り返される慣習が歴史を見えにくくするという特徴は、身近な例から確かめられます。

バトラーは、性別をめぐる分類もこのようにして自然化されると考えました。重要なのは、すべての人が同じ行為を選ぶという意味ではなく、違いを抱えた人々が一定の範囲の振る舞いを期待されるという点です。その期待そのものを問うことによって、自然に見えるものの歴史が開かれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

「セックス」と「ジェンダー」を分ける考え方

生物学的区分と社会的役割

20世紀後半のフェミニズムでは、身体の特徴を指すセックスと、社会が期待する役割や意味を指すジェンダーを分ける説明が力を持ちました。例えば妊娠に関わる身体の機能と、子育ては女性だけの仕事だという社会的期待を分ければ、生物学的な違いから家事の分担を直接導く議論を検討できます。

この区別は、雇用・教育・家庭生活の不平等を自然の必然として正当化する考え方への強い反論となりました。哲学的には、身体に関する事実から、どう振る舞うべきかという規則を導くことができるのかを問うものです。バトラーもその批判を受け継ぎながら、区別の境界をさらに問い直します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

「身体の事実」を語る言葉も歴史を持つ

バトラーの1990年の提案では、生物学的な性別を説明する言葉も、どの身体的特徴を重視するかという分類の実践を通じて成立します。身体が存在することと、身体を二つの固定的な集団へ整理して意味づけることは同じ作業ではありません。身体の説明にも、知識や制度の歴史が関わります。

例えば医学がある特徴を診断名にまとめると、その名によって行政手続きや医療へのアクセスが変わる場合があります。これは身体を作り話に変えるという主張ではなく、身体をどう理解し扱うかを決める言葉に実際の効果があるということです。バトラーは、生物学と文化を完全に分離する考え方が隠してきたその働きに目を向けました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

身体の現実と分類の規範

身体には成長、痛み、疲労、生殖、病気など、個人の意思だけで左右できない条件があります。1988年のバトラーは身体の物質的な側面を明示的に認めながら、その条件がどのような文化的意味を帯びるかを問題にしました。1990年の著作では、身体について語る際の区分そのものも吟味されます。

身体的な特徴を測定することと、その特徴から人生の役割や欲望を決めることの間には、大きな論理的な隔たりがあります。バトラーの論点は、この隔たりを社会がどのような制度と反復によって埋めているかという問いにあります。後年の1993年の議論は、身体の物質性と規範の関係をさらに詳しく扱うことになります。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

ボーヴォワールの問いをどう受け継いだのか

1949年の『第二の性』が変えた見方

フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908–1986)は、1949年の『第二の性』で、女性が社会や教育の中でどのような立場に置かれるかを分析しました。彼女は女性を生物学的な特徴だけから説明するのではなく、歴史や経済、家族生活、人間関係の中で形作られる存在として考えました。

バトラーは1986年にボーヴォワールの性差論を論じ、1988年の論文でも重要な出発点に据えています。「女になる」という発想は、人が時間と社会の中で身体を生きるという問いへつながります。バトラーは、この過程でいったい誰が「女になる」のかをさらに考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|シモーヌ・ド・ボーヴォワール/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

「なる」という動詞に含まれる時間

役割は生まれた瞬間に完成しているのではなく、長い時間をかけて身につきます。ボーヴォワールの思想には、成長や経験によって生き方が変化するという、実存主義と現象学の問題が重なっています。バトラーがそこから引き出したのは、性別のあり方が時間の中で作られ、続けられるという点でした。

衣服を身につける行為なら一回で終わりますが、性別らしさを周囲に理解してもらう行為は毎日の生活で反復されます。反復が続くからこそ安定して見え、その形式を変えることも可能になります。ボーヴォワールからバトラーへの変化は、個人が形成される時間を、社会の規則が再生産される時間として読み直すことにあります。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/スタンフォード哲学百科事典|シモーヌ・ド・ボーヴォワール)

誰が「女になる」のか

「女になる」という表現は、最初から存在する主体が一つの属性を獲得する話として読むこともできます。バトラーは、その主体自体が性別をめぐる文化的な区分の中で見えるようになると考えます。どの経験を女性の経験と呼ぶかという選択には、すでに歴史と政治が入り込んでいます。

ここでフェミニズムの連帯に別の問題が現れます。「すべての女性に共通する経験」を出発点にすると、その説明に合わない女性の経験が周辺へ押しやられる場合があります。バトラーが求めるのは、共通の政治課題を持ちながら、その名前の意味を変化に開いておく方法でした。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

フーコーの権力論は何を変えたのか

権力は分類を通して人を作る

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926–1984)は、監獄、病院、学校、医学的な知識などを通じて、人が社会からどのように観察され分類されるかを研究しました。1976年の『性の歴史』第1巻では、性をめぐる知識と告白の仕組みが近代社会で発達したことを論じています。

学校や医療の記録に分類名が書かれると、人はその区分で理解され、期待される振る舞いも変わります。バトラーがフーコーから受け取ったのは、権力が外から自由な個人を押さえつけるだけでなく、個人がどのような存在として認められるかを形作るという発想でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコーと『性の歴史』/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

禁止する権力と生み出す権力

ある行為を禁止する規則は、「その行為をした人」を分類する言葉や監視の場を作り出します。権力は、許されることを制限すると同時に、人が自分を何者と理解するかにも影響します。フーコーの説明に従えば、性をめぐる知識は欲望について説明するだけでなく、その欲望を持つ主体のあり方をも整えます。

バトラーはこの点をジェンダーの規範に結びつけました。人を「女」「男」と呼び分け、結びつくはずの欲望や役割を教える社会では、分類と経験が繰り返し支え合います。何が禁止されるかだけを調べても、この仕組みの全体像は見えてきません。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコーと『性の歴史』/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

規範に従う人が規範を変える

同じ言葉が使われても、誰が、どんな場で、どのように言うかによって意味が変わります。ある呼び名が侮辱として使われてきたとしても、当事者が自分たちの名として引き受ければ、別の政治的な働きが生まれる場合があります。このような意味の変化は、社会の規則が人々の反復によって維持されることを示しています。

バトラーは権力の外側に完全に独立した自由を探すのではなく、規範を実行する行為の中に異なる反復が生まれる可能性を見ました。人が規範に従わざるを得ない場面と、その規範を少しずつ変える場面が、同じ社会生活の中にあるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコーと『性の歴史』/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

1988年の論文|行為が主体を作るという発想

『遂行的行為とジェンダーの構成』

1988年12月、バトラーは米国の学術誌『Theatre Journal』第40巻第4号(519〜531頁)に「Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory」を発表しました。当時、バトラーはジョージ・ワシントン大学で哲学を教えていました。論文の出発点は、身体の動作が単なる個人の性質の表現とされるとき、その「性質」自体は何によって確認されるのか、という問いです。フランスの現象学とボーヴォワールの議論を通じて、性別の自己像が繰り返される身体の行為によって成立する過程を考えました。

論文の冒頭でバトラーは、性別のアイデンティティが時間の中で様式化された行為の反復によって成立すると論じています。身振り、動き、身体を使った日々の表現が重なることで、人にも周囲にも一貫した「女性らしさ」「男性らしさ」があるように感じられます。社会的な制裁や禁忌はその反復を促す力として明記されており、1990年の議論へ続く核心がすでに示されています。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

現象学が考えた「生きられた身体」

20世紀フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908–1961)は、1945年の『知覚の現象学』で、身体を外から観察する物体としてだけでなく、世界に働きかけ経験を作る主体として考えました。バトラーは1988年の論文でこの議論に触れ、身体を歴史的な状況の中で行為する存在として捉えています。

同じ座る動作でも、狭い場所を避けるときと堂々と空間を占めるときでは身体の経験が異なります。何が許され、どう見られると感じているかが姿勢に反映されます。バトラーは、その差を個人の心理に還元せず、社会の規範を身体が受け取り実現する過程として考えました。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/JSTOR Daily|バトラーの初期論考と現象学の研究史)

制裁によって支えられる反復

1988年の論文は、性別の規範に沿わない人が社会的な罰を受けることを明確に論じています。嘲笑、排除、権利の制限、暴力への恐れがあれば、人は周囲の期待に合わせた振る舞いを選びやすくなります。社会が許容する幅は、誰にでも同じように与えられているわけではありません。

バトラーの行為論では、自由な俳優が舞台の衣装を選ぶことと、日常生活で身体の表現を続けることが区別されます。後者には生活の安全や社会的な承認がかかっています。この制約を説明したうえで、反復のしかたを変える余地がどこにあるかを問うところに論文の政治的な意味があります。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

パフォーマティヴィティとは何を意味するのか

演技と「行為によって成立すること」の違い

日常語の「演技」には、舞台に立つ前から役を選ぶ役者がいるという意味があります。バトラーの「パフォーマティヴィティ」は、行為が繰り返されることによって、その行為をする主体の輪郭まで作られるという考え方です。衣装の下に本当の性別らしさが隠れていて、それを上手に演じるという説明とは順序が異なります。

例えば一人の人が「男性らしく振る舞う」と評価されるたび、周囲はその評価を支える行為をさらに期待します。評価を受ける人も、その期待を知りながら行為を続けます。こうして反復が行為の背後に一貫した性別の本質があるかのような印象を生みます。これがバトラーの答えの核心です。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

反復するからこそ変化が起こる

挨拶の仕方や敬語の使い方は繰り返しによって身につきます。全員が同じ場面で完全に同じ言葉を選ぶわけではなく、新しい慣用表現が少しずつ広がることもあります。社会的な規範も行為の反復によって維持される以上、異なる反復の中で意味が変わる可能性を含みます。

バトラーは1990年の原著で、パロディや性別の扮装を既成の区分を揺さぶる実践として検討します。成功する反復もあれば、かえって固定観念を強める反復もあります。変化の可能性は行為が社会的に読み取られる仕組みから生まれるため、行為する人の意思だけで結果が決まるという考え方にはなりません。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

行為の連続が「私」を生む

人は自分の行動について説明するとき、「私はこういう人間だからこうした」と語ります。こうした説明は、過去の経験を一つの人物の歩みとして理解するために役立ちます。バトラーが問うのは、その一貫した「私」という感覚が、どのような社会的承認と反復に支えられているかということです。

生きている人の経験を幻だと言うのではありません。性別を持つ人として扱われ、名前を呼ばれ、期待を受け、時には抵抗することが、実際にその人の生活を形作ります。内面を表す行為という説明から、行為を通して内面の輪郭ができるという説明への変更が、バトラーの存在論的な提案です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

言葉は何を「実行」するのか

約束と宣言が生む現実

イギリスの哲学者J・L・オースティン(1911–1960)は、20世紀半ばに言語の働きを研究し、発言が事実を報告するだけでなく、一定の制度の中で行為を成立させることに注目しました。例えば正式な場で「約束します」と言えば、話し手には他者に対する責任が生まれます。

バトラーは、身体の行為を考える際にもこの言語哲学に通じる問いを扱います。誰かに「女性らしい」と繰り返し言い、その期待を学校や家庭や職場で共有すると、その言葉は人物を説明する以上の働きを持ちます。言葉が行為を導き、社会的な関係を変えるという点が問題になるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|言語行為論とオースティン/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

呼び名に含まれる社会的な期待

新生児に対して性別を告げる場面は、その後の服装や教育、登録上の扱いと結びつくことがあります。スタンフォード哲学百科事典は、バトラーの議論を説明する際、この呼びかけがすでに存在する事実を報告するだけでなく、社会的に性別を割り当てる働きを持つ例として取り上げています。

生まれた子どもが名前を理解する前から、周囲の人々はある期待に沿って準備を進めます。言葉が社会の行為を連鎖させる仕組みは、性別の規範が人の意識の外でも働くことを示しています。この例は、身体の事実とそれを分類して扱う制度の働きを分けて考えるために役立ちます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|言語行為論とオースティン/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

一度の発言よりも反復の蓄積

「女性らしい」という言葉が一度使われただけで、その人の将来がすべて決まるわけではありません。同様の判断が学校、家庭、職場、法律、娯楽の中で繰り返されると、そこから外れる人は何度も説明を求められるようになります。言葉は、複数の人と制度に支えられて社会的な力を持ちます。

バトラーがパフォーマティヴィティを理解する際に強調するのは、この規範の反復可能性です。繰り返されるからこそ力を持ち、異なる場面へ持ち込まれたときには意味がずれることもあります。人が言葉を使うだけでなく、言葉によって人の社会的な位置が作られるという問いがここにあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|言語行為論とオースティン/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

性別の規範は誰を「普通」と見なすのか

性・ジェンダー・欲望を一直線につなぐ発想

性別についての社会的な期待には、身体を女性・男性へ分類すること、その分類に合う服装や性格を求めること、相手の性別が異なる恋愛や結婚を当然とすることが結びついています。バトラーは1990年の第1章で、この連鎖を検討し、異性愛を当然視する仕組みが性別のあり方まで整えていると論じました。

例えば男性的な服装をする女性に対し、周囲が性的指向を勝手に推測する場合があります。服装と欲望は異なることなのに、一つの連続した性別像にまとめて理解されるからです。バトラーが問うのは、どのような社会的な決まりが、その推測を自然で正しい判断のように感じさせるのかということです。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

「異性愛のマトリクス」という概念

バトラーのいう「異性愛のマトリクス」は、身体的な性別、男性らしさ・女性らしさ、異性愛の欲望を互いに対応させる社会的な枠組みを指します。人々はその対応関係を前提に他者を理解し、相手が期待から外れると、説明しにくい存在だと感じることがあります。

この概念は、誰が誰を愛するかという個人の事実だけを扱うものではありません。何を自然な家族と呼ぶか、どんな言葉で他者を呼ぶか、誰が公共空間で安全に振る舞えるかという幅広い問題につながります。複数の規範が相互に支え合うことを示す点に、この概念の説明力があります。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

規範から外れる経験と承認

学校や職場で、服装や声の出し方を理由にからかわれる人がいるとすれば、その行為は「ここで認められる性別の表現は何か」を周囲へ示します。差別の経験は個人同士の好き嫌いにとどまらず、社会で許される身体のあり方を管理する働きを持つことがあります。

バトラーにとって承認とは、ただ褒められることではなく、ある人の生活が理解され、社会に存在することを認められる条件です。誰が説明可能な人間として扱われるかを検討することが、1990年のジェンダー論から後年の倫理や政治の議論へ続いていきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

精神分析と親族関係の理論をなぜ読み直したのか

結婚と親族を説明する理論の前提

1975年、アメリカのフェミニスト人類学者ゲイル・ルービンは「The Traffic in Women(女性の交換)」で、婚姻と親族の制度が身体にどのような社会的意味を与えるかを論じ、「セックス/ジェンダー・システム」という概念を提示しました。ルービンが検討したのは、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908–2009)の親族構造論や、精神分析における欲望の形成です。バトラーは1990年の第2章で、こうした先行研究と、言語と欲望を論じたフランスの精神分析家ジャック・ラカン(1901–1981)を批判的に読み直しました。

家族を構成する規則を、女性と男性の異性愛的な結合を中心に説明すれば、親族関係に別のあり方が生まれる条件は捉えにくくなります。バトラーは、親族関係の理論が男女の区分と欲望の方向を当然の前提としていないかを問い、家族や社会の秩序を記述する説明に含まれた規範を明らかにしようとしました。誰と誰が結びつくのかを説明する学問が、どんな関係を理解できるものとして扱うのか。その問いが哲学的な検討へ発展しました。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/デューク大学出版局|ゲイル・ルービン「女性の交換」(1975年)収録書)

禁止が欲望を形作るという発想

精神分析では、家族関係の中で何が許され、何が禁じられるかによって欲望が形成されると説明されることがあります。バトラーは、禁止が欲望を抑え込むだけでなく、どのような欲望が成立し得るかという条件にも関わると考えました。この論点にはフーコーの権力論と親族構造についての先行研究が交差しています。

何かを禁じるためには、その行為を名指しし、想像できる形にする必要があります。すると禁止は、存在しなかった選択肢を見えるようにする働きも持ちます。こうした複雑な関係をたどることで、バトラーは異性愛を歴史の外にある唯一の自然な形と考える説明を問い直しました。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

第2章は自由な選択の話なのか

バトラーが精神分析を読み直した理由は、好きな欲望を選べば規範から自由になれると述べるためではありません。社会の中で認められる関係や役割には歴史があり、人々はそれを通して自分の望みを理解していきます。そこには権利や安全をめぐる具体的な条件が関わります。

だからこそ、行為の意味は社会的な関係の中で変化します。ある共同体で繰り返される装いや言葉が、別の共同体では異なる意味を持つこともあります。バトラーは欲望の内側に最初から決まった意味を探す代わりに、その意味を成立させる制度と実践を詳しく考えました。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

モニック・ウィティッグは「女」という分類をどう批判したのか

レズビアン・フェミニズムからの問い

フランスの作家・思想家モニック・ウィティッグ(1935–2003)は、1960年代末から小説と政治的な論考を通じて、異性愛を中心とした社会が女性と男性をどう区分するかを批判しました。バトラーは『ジェンダー・トラブル』の第3章でウィティッグの思想を重要な検討対象とします。

ウィティッグの議論では、「女性」という言葉が単なる中立的な身体の説明ではなく、社会的な関係を前提とした分類として検討されます。バトラーはこの問題提起を受け止めながら、分類を拒否する運動が新たな境界を作らないかという問いも考えました。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

分類を超える言葉はあり得るのか

言葉は仲間を集め、集団が受ける不平等を訴えるために役立ちます。同時に、その名前に該当しないと感じる人や、複数の立場を生きる人の経験がこぼれ落ちることがあります。ウィティッグの分類批判は、連帯の名前を誰がどう決めるかという実践的な問題を浮かび上がらせます。

バトラーは女性を一つの同質的な集団として固定することに慎重でした。差別を告発するときの「女性」という言葉を捨てるというより、その意味を議論と行動の中で開いておくことを求めました。ここには言語の哲学と社会運動が密接につながっています。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

ジュリア・クリステヴァと身体をめぐる議論

言語と身体の境界を研究した思想家

ブルガリアに生まれフランスで活動した思想家ジュリア・クリステヴァ(1941年生まれ)は、1960年代以降、言語、文学、精神分析と主体の関係を研究しました。バトラーは1990年の原著で、クリステヴァの身体論が母性や身体の働きをどのような言語で語っているかを批判的に検討しています。

身体の経験を伝える言葉は、既存の文法や社会的な分類を用います。その言葉からこぼれ落ちる感覚をどう理解するかは、クリステヴァが追究した問題の一つでした。バトラーはそこから、身体を社会的な規範の外にある純粋な基盤として想定できるのかを考えます。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

「女性的なもの」は誰の経験か

「母性的なもの」「女性的な言葉」という表現は、それまで重視されてこなかった身体の経験に注目する契機になります。ところが、それを女性全体の共通の特徴とすると、妊娠・出産を経験しない人や異なる身体の経験を持つ人は、自分をその言葉に重ねにくくなります。

バトラーは、女性の身体から女性的な性質を直接導く議論を批判しました。何を共通の経験として選び、どこまで一般化するのかという問いは、哲学上の普遍性の問題です。1980年代のフェミニズムは、この普遍性をさまざまな立場から問い直していました。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

ドラァグやパロディは何を明らかにするのか

装いを変えると見える規範

ドラァグでは、衣装、髪型、声、身のこなしを工夫して性別の記号を強調したり組み替えたりします。例えば強調された化粧と大きな身振りは、人々がどの特徴を女性らしいと認識するかを、通常より目立つ形で示します。バトラーは1990年の第3章で、こうした表現が既成の性別観を揺さぶる仕組みを論じました。

重要なのは、男性的・女性的な表現が、もともとある性別の忠実な再現だと考えられていることです。ドラァグはその模倣という仕組みを前面に出し、「元の性別らしさ」は何によって保証されているのかという問いを生みます。自然な本質が行為へ流れ出るという説明と異なる見方がここから現れます。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

パロディには多様な結果がある

誇張された表現は、見慣れた規範を滑稽に見せることがあります。また、観客が固定観念をそのまま楽しめば、古い役割の期待が強まることもあります。バトラーの議論を、ドラァグなら必ず社会を変革すると考えるものとして読むと、この複雑さが失われます。

どのような場で、誰が誰に向けて演じ、どんな関係を作ったのかが、表現の政治的な働きを左右します。1990年の議論の意義は、既存の規範を繰り返す行為の中に、異なる意味を持たせる可能性を示したことです。その可能性が実現する条件は、作品や実践ごとの歴史から確かめる必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

舞台と日常生活を同じにしない

1988年の論文でバトラーは、同じ性別の扮装であっても、劇場での上演と公共のバスで隣席に座る場面とでは、周囲の反応が大きく変わりうると説明しました。観客が舞台の扮装を役柄として楽しむとき、その行為には上演を囲む慣習があります。バスや路上では、同じ表現が偏見や怒り、暴力の対象になることさえあると指摘しています。

この対照は、パフォーマンスとパフォーマティヴィティの距離をよく示しています。人が自由に役を選んで演じる舞台と、周囲の判断が住居、職場、身体の安全にまで及ぶ生活とでは、行為の条件が異なります。バトラーは、規範を繰り返し実行する社会生活の中に変化の可能性を見いだし、その変化を制約する制裁の仕組みまで検討しました。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

フェミニズムは「女性」をどう代表するのか

一つの名前で連帯する力

選挙、雇用、教育、暴力防止などの運動では、「女性」という集団名が共通の目標を作る力を持ちます。法改正を求めるとき、誰がどの不平等に直面しているかを明らかにするためにも分類が必要です。こうした実践は、1980年代のアメリカで現実の政策と生活を変えるために続けられてきました。

バトラーはその必要性を認めながら、代表されるはずの集団の境界を問いました。たとえば結婚した異性愛者の女性を基準に制度を整えると、独身者や性的少数者の経験が後回しになるかもしれません。誰を代表しているかを自問することは、運動を弱くするためではなく、参加の幅を広げるための政治的な営みになります。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/ケンブリッジ大学出版|1980年代の全米女性機構とアメリカ政治)

集団の内部にも違いがある

所得、人種、階級、障害、国籍、性的指向によって、不平等の形は変わります。女性一般についての説明が都市の大学教育を受けた人の経験だけに基づいている場合、別の条件で生きる人の困難は描きにくくなります。バトラーが論じた代表性の問題は、こうした違いを政治の中心にどう置くかという問いにつながります。

実際の連帯には共通の目標を決める作業が必要です。バトラーの批判は、どんな集団名も永久に固定された本質として扱うことへの警戒だと読むことができます。政治的な名前を使いながら、その意味を当事者の行動や議論によって変えていく可能性を残します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

「誰が話せるのか」は哲学の問題になる

運動の会議で話す資格を持つ人が限られれば、そこで採用される経験の説明も偏ります。ある人の生活が「女性の問題」として理解されるかどうかは、どの言葉が公式の議論へ入るかという制度の問題でもあります。代表する主体をあらかじめ決めてしまうと、この条件自体が見えにくくなります。

バトラーの問いは、誰も代表できないという結論に向かうものではありません。人々が自分たちをどう名乗り、何を共通の課題として選び、別の声によってその選択を変えられるかを考えます。政治の実践が成立する条件を哲学的に検討することが、アイデンティティの批判の意味です。(参照:ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

黒人フェミニズムが示したもう一つの問題

クレンショーの1989年の論考

アメリカの法学者キンバリー・クレンショー(1959年生まれ)は、1989年にシカゴ大学『Legal Forum』で、性差別と人種差別を別々に扱う法制度が黒人女性の経験を捉え損ねる問題を論じました。職場差別などの事例で、黒人男性と白人女性を別々の基準にすると、黒人女性が受ける複合的な不利益が見えにくくなります。

クレンショーが論じた「交差性」は、バトラーのアイデンティティ批判と同じ時代に発展した独自の研究です。社会にある区分がどう働くかを問い、分類の重なりが新たな不利益を生むことを具体的な法的事例で示しています。二人を一つの理論にまとめず、それぞれの問題設定と根拠を区別する必要があります。(参照:シカゴ大学法学部|クレンショー「人種と性の交差点を周縁化すること」(1989年))

「女性一般」の像は誰を中心にしているか

雇用の男女差を白人女性と白人男性の比較だけで分析すると、人種による違いが隠れる場合があります。黒人男性と白人男性の比較だけで人種差別を分析すれば、黒人女性の状況を説明する材料が不足します。クレンショーは、制度の分類の仕方が救済から特定の人々をこぼれ落とすことを問題にしました。

バトラーは、女性という政治的な名が誰を含むかを問います。クレンショーは、交差する不平等を制度がどう扱い損ねるかを示します。両者を並べると、言葉の境界を変える作業と、法律や職場の具体的な仕組みを改革する作業が、異なる方向から支え合うことがわかります。(参照:シカゴ大学法学部|クレンショー「人種と性の交差点を周縁化すること」(1989年)/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

同じ年代の複数のフェミニズムを読む

1980年代末のフェミニズムには、黒人女性の法的経験に根ざす研究、レズビアン・フェミニズム、精神分析の批判、身体の現象学など多様な仕事がありました。バトラーの1990年の著作は、それらすべてを代表する唯一の立場ではなく、同時代の論争へ加わる一冊でした。

多様な研究を一つの「新しい理論」の成功物語へまとめると、具体的な運動と差別の歴史が薄まります。それぞれがどの問題を、誰の経験から、どの制度に向けて論じたのかを読むことで、バトラーの思想が何に答え、どの問いを残したかも見えやすくなります。(参照:シカゴ大学法学部|クレンショー「人種と性の交差点を周縁化すること」(1989年)/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

シンディ・シャーマンの写真|女性像は誰が作るのか

《Untitled Film Still #21》の街角

アメリカの美術家シンディ・シャーマン(1954年生まれ)は、1977〜80年に白黒写真の連作《Untitled Film Stills》を制作しました。1978年の《#21》には、帽子とスーツを身につけた若い女性が都市の建物を背に立っています。ニューヨーク近代美術館所蔵の印画はゼラチン・シルバー・プリントで、19.1×24.1センチメートルです。

画面の登場人物は映画の宣伝写真に見えますが、特定の映画の一場面を再現したわけではありません。身体の向き、視線、衣装、カメラの角度が「都会で働き始めた女性」という既知の物語を呼び起こします。観客が背景を知らなくても人物像を読み取れることが、文化に蓄積された女性の役柄の強さを示しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン《Untitled Film Still #21》(1978年))

一人の作家がさまざまな女性を演じる

シャーマンは連作の中で、髪型、化粧、衣装、場所を変え、女優、主婦、働く女性など異なる役柄を作り出しました。『Untitled Film Stills』は1977年から1980年の作品で、モノクロの映画的な画面が共通する一方、人物の物語を決めきれない余白が残ります。

この作品はバトラーの1990年の著作より前に成立しています。シャーマンがパフォーマティヴィティ理論を採用して制作したという説明にはなりません。後から両者を読み合わせると、人物の内面が画面に直接写るのではなく、衣装や仕草と鑑賞者の記憶によって「女性像」が成立する仕組みを具体的に考えられます。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン《Untitled Film Still #21》(1978年)/ロサンゼルス現代美術館|シャーマン《Untitled Film Still #65》(1980年))

写真を見る観客も役割を作っている

同じ《#21》を、ある人は希望に満ちた就職初日の女性と見なし、別の人は街で不安を覚える人物と読み取るかもしれません。写真がそのどちらかの物語を明言しているわけではなく、映画や広告で見慣れた画面の型が、鑑賞者の推測を動かしています。

シャーマンの写真は、被写体の衣装だけで女性像が作られるのではなく、それを見て理解する文化の習慣も働くことを示します。バトラーの議論との接点は、行為と意味が社会の中で成立するという点です。作品は一つの哲学的命題の挿絵ではなく、観客の読み方自体を揺さぶる造形の実験として成立しています。(参照:メトロポリタン美術館|シャーマン《Untitled Film Still #21》作品記録/メトロポリタン美術館|「ピクチャーズ・ジェネレーション」展の作品資料)

バーバラ・クルーガーのポスター|身体と政治

1989年の《Your body is a battleground》

アメリカの美術家バーバラ・クルーガー(1945年生まれ)は、広告的な文字と写真を組み合わせる作品で知られます。1989年の《Untitled (Your body is a battleground)》は、女性の顔の正像とネガ像を左右に分け、その上に大きな文字を重ねた図像です。ザ・ブロード所蔵の作品は、ビニール地に写真をシルクスクリーン印刷した一辺約284.5センチメートルの正方形です。

この図像は1989年、人工妊娠中絶の権利を守るためワシントンで行われた女性たちの行進に向けて制作されました。赤い文字の「YOUR BODY IS A BATTLEGROUND」は、当時の政治的な対立が実際の身体や医療へのアクセスに及んでいることを、広告のような強さで告げています。正像とネガ像に分割された顔は、身体の自己決定をめぐる争いを一つの画面で可視化します。観客へ「あなた」と呼びかける言葉が、見る人を作品の政治的な問いに引き込みます。(参照:ザ・ブロード|クルーガー《Untitled (Your body is a battleground)》(1989年))

広告の言語を逆向きに使う

商品広告では、理想の身体を提示して消費者の欲望を誘います。クルーガーは雑誌や街頭で見慣れた構図を借りながら、誰が身体に対する決定権を持つのかという政治的な問いを投げかけます。大きな文字が顔を覆うことで、身体をどんな言葉で説明するかが視覚的にも問題になります。

バトラーの『ジェンダー・トラブル』が刊行されたのは翌1990年です。両者を読み合わせれば、身体が社会的な言葉と制度を通じて意味づけられる問題を考えられます。クルーガーの制作を動かした具体的な政治状況は、1989年の人工妊娠中絶の権利をめぐる運動でした。写真を左右へ切り分け、大文字の言葉を重ねる造形は、広告の説得力を政治的な抗議へ転用しています。(参照:ザ・ブロード|クルーガー《Untitled (Your body is a battleground)》(1989年))

観客は「あなた」と呼びかけられる

ポスターの文字は、特定の個人名を使わずに観客へ直接呼びかけます。誰がその「あなた」に含まれるかによって、同じ作品への反応は変わります。ある人には自分の身体の問題として響き、別の人には政治的な意見を求められる場面となります。

この呼びかけは、言葉が説明にとどまらず人と社会の関係を作るという問題へつながります。バトラーのパフォーマティヴィティと重ねて読む場合も、クルーガーの作品が示す広告の形式、写真の切断、大型の文字という具体的な造形が、見る人にどのような位置を与えるかを確かめることが出発点です。(参照:ザ・ブロード|クルーガー《Untitled (Your body is a battleground)》(1989年)/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

ゲリラ・ガールズ|美術館は誰を見せてきたのか

1989年の黄色いポスター

ゲリラ・ガールズは1985年にニューヨークで結成された匿名のフェミニスト美術家集団です。1989年の《Do Women Have To Be Naked To Get Into the Met. Museum?》では、明るい黄色の横長の画面に、古典的な裸婦像と大きな黒い文字が並びます。裸体の図像には、アングルが1814年に描いた《グランド・オダリスク》を用い、その頭部をゴリラの仮面へ置き換えました。印刷された統計と挑発的な問いが、美術館で描かれる女性と作品を制作する女性の扱いの違いを示します。

1989年にニューヨークのパブリック・アート・ファンドが屋外広告を依頼したことが制作のきっかけです。同団体は完成した案の掲出を見送り、ゲリラ・ガールズは市バスを使って公共空間へ広めました。メトロポリタン美術館が所蔵する1989年版はオフセット印刷で、27.9×71.1センチメートル。美術館の展示構成を調べた統計を、通行人にも届く広告の言葉へ作り変えたところに、この作品の発表方法の特徴があります。(参照:メトロポリタン美術館|ゲリラ・ガールズ《美術館に入るには裸にならなければならないの?》(1989年))

描かれる女性と作る女性の違い

西洋絵画の歴史では、女性の裸身が頻繁に描かれてきました。ゲリラ・ガールズが問題にしたのは、描かれる対象として女性が見える一方、作家や展示の主体としての女性が十分に評価されていないことです。表象される身体と発言の機会の不均衡が、同じ展示室の中にありました。

バトラーは「女性」という集団の境界を考えました。ゲリラ・ガールズは美術制度が女性と呼ばれる作家をどのように扱ってきたかを具体的な数字で批判しました。問いの方向は異なりますが、分類が制度の中で人の扱いを決めるという点で、美術館の現実と哲学の議論が結びつきます。(参照:メトロポリタン美術館|ゲリラ・ガールズ《美術館に入るには裸にならなければならないの?》(1989年)/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

匿名性が変える発言の形

ゲリラ・ガールズはゴリラの仮面を着用し、個々の作家名より集団の声を前面に出しました。仮面と匿名性には、どの女性作家が代表者として注目されるかという美術界の習慣をずらす働きもあります。個人の肖像に注目が集まる代わりに、ポスターの言葉と数字が観客へ届きます。

仮面をつけた人物が誰なのかを隠す行為は、言葉を発する主体を消すことと同じではありません。誰が話すと権威が生まれるのかという制度的な条件を表面化させます。バトラーの代表性批判と比較すると、運動が一つの名前を使うことと、その名前の中身を問い直すことの両方を考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|ゲリラ・ガールズ《美術館に入るには裸にならなければならないの?》(1989年)/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

エイドリアン・パイパー|身体が受ける視線を変える

1973年に始まった《The Mythic Being》

アメリカの哲学者で美術家のエイドリアン・パイパー(1948年生まれ)は、1973年から75年にかけて《The Mythic Being》を制作しました。新聞の広告欄に、黒髪と口ひげを備えた男性的な人物像として現れ、思春期の日記の文章を吹き出しに入れています。ニューヨーク近代美術館には17点の新聞広告が収蔵され、一点の紙面は約43.2×35.6センチメートルです。

パイパーは人種、性別、社会階層によって他者の反応が変わることを作品の中で実験しました。男性的な扮装は、街で遭遇する人々の視線を変えます。新聞広告、写真、街頭での行為が一つの作品群を構成し、観客は人物像を生み出す手がかりそのものを意識するようになります。(参照:ニューヨーク近代美術館|エイドリアン・パイパー《The Mythic Being》(1973–75年))

同じ人物が別の社会的な位置へ移る

人が見た目を変えると、周囲は年齢や階層、性別を違うものと推測することがあります。パイパーの行為は、その推測が人との距離や接し方にどう影響するかを問いかけます。視覚的な特徴だけでなく、観客自身が持つ分類の習慣が作品の一部になるのです。

この活動は1990年のバトラーの著作より十年以上前に展開しました。両者の比較で見えてくるのは、外見が既成の役割をどう呼び出すかという共通の問題です。パイパーには人種と個人の社会的な位置を探る独自の文脈があり、その全体をジェンダーの例へ縮小せずに読む必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|エイドリアン・パイパー《The Mythic Being》(1973–75年)/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

哲学と美術を往復する作家

パイパーは哲学研究と美術制作を並行して行い、身体を使った行為が他者の判断に与える影響を繰り返し調べました。美術作品の中で人が哲学的な問いを考えることには、文章で概念を定義するときとは異なる働きがあります。観客自身の反応が、問いを考える具体的な材料となるからです。

《The Mythic Being》に出会った人は、作家が何を意図したかを知る前から、その人物が誰かを推測しています。作品は、その判断が起こる瞬間と判断を支える社会的な慣習を表面化させます。バトラーと並べて考える際にも、哲学の理論を先に当てはめるのではなく、作品が現実に生んだ視線の変化から始めることができます。(参照:ニューヨーク近代美術館|エイドリアン・パイパー《The Mythic Being》(1973–75年))

ロレイン・オグレイディ|美術制度へ入り込む別の人物

180組の白い手袋で作った衣装

アメリカの美術家ロレイン・オグレイディ(1934–2024)は、1980年から83年にかけて《Mlle Bourgeoise Noire》を演じ、美術界の人種と階級の境界を批判しました。マンハッタンの古着店で集めた180組の白い手袋を衣装に縫い合わせ、白い花を飾った鞭のような小道具を携えて展示会場に現れました。

最初の舞台となったのは、ニューヨークの黒人美術家を支援したギャラリー、ジャスト・アバヴ・ミッドタウンです。作品は、豪華な正装が示す社会階級と、それを身につけた黒人女性作家の発言をぶつけます。身体を使った登場と会場での発言が、展示空間の権威や観客の期待を揺さぶりました。(参照:ロレイン・オグレイディ公式資料|《Mlle Bourgeoise Noire》(1980–83年))

1981年のニュー・ミュージアムでの介入

オグレイディは1981年、ニュー・ミュージアムの「Persona」展の開幕の場にも《Mlle Bourgeoise Noire》の姿で現れました。作家の公式年譜によると、この介入の後、美術館側は教育プログラムに関わる予定を取り消しました。作品がその場にある制度との摩擦を実際に引き起こしたことがわかります。

演じられた「黒人ブルジョワの令嬢」は、性別、階級、人種、芸術家の社会的位置を一つの身体へ重ねています。バトラーの思想との比較には、人格の演技が制度の期待を可視化するという接点があります。オグレイディが直接批判したのは、ニューヨークの黒人美術家と白人中心の美術制度をめぐる現実でした。(参照:ロレイン・オグレイディ公式資料|活動年譜/ロレイン・オグレイディ公式資料|《Mlle Bourgeoise Noire》(1980–83年))

身体を使うことで誰が発言できるかが見える

普通の来場者なら静かに作品を見ると期待される美術館で、オグレイディは衣装と声によって自分の役柄を強く提示しました。その行為は、誰が会場で話し、どのような振る舞いが礼儀とされるかという暗黙の決まりを示します。視覚的な派手さと制度批判が同時に働く作品です。

このような実践は、1990年に理論が書かれる以前から美術の場に存在していました。バトラーの著作を読んだ後に作品を見直すと、社会的な役割は衣装だけに宿るのではなく、観客や制度の反応によって現実の力を持つことが具体的に理解できます。(参照:ロレイン・オグレイディ公式資料|《Mlle Bourgeoise Noire》(1980–83年))

ローナ・シンプソン|写真に重ねた言葉が変える身体の見方

《Guarded Conditions》の反復

アメリカの美術家ローナ・シンプソン(1960年生まれ)は、1980年代後半から黒人女性の身体を撮影し、そこへ言葉を組み合わせる作品を制作しました。1989年の《Guarded Conditions》は、後ろ姿の人物が繰り返される18枚のカラー・ポラロイド写真、文字を刻んだ21枚のプラスチック板、17個の文字から構成されます。全体は高さ約214センチメートル、幅約376.6センチメートルに達し、観客の前に反復する身体の列を作ります。

シンプソンが示す人物は白い服をまとい、腕の位置を変えながら並びます。顔を見せない構図は、個人の表情から感情を読み取ろうとする鑑賞者の習慣を遮ります。反復する写真には監視、検査、奴隷売買の歴史を思わせる読み方も重なり、添えられた言葉が身体への視線を変えます。写真の連続と文字の配置そのものが、誰の身体がどのように管理されてきたかを問う作品になっています。(参照:ローナ・シンプソン公式スタジオ|1989年の写真と言葉の作品)

《Untitled (2 Necklines)》の首元

同じ1989年の《Untitled (2 Necklines)》は、二つの円形のゼラチン・シルバー・プリントと、文字を刻んだ11枚の板からなる作品です。二枚の写真は同一の黒人女性の口元、首、鎖骨、衣服の襟ぐりを写し、中央に並ぶ黒い板には「ring」「lasso」「noose」「collar」など十の語が置かれ、下部の赤い板には足元の地面が滑り落ちる感覚を告げる言葉が記されています。作品全体は174×177.8センチメートルです。

首を囲むものを表す語は、装飾にも拘束にも結びつきます。その中に置かれた「noose(首を絞める輪)」という言葉は、アメリカで黒人が受けてきたリンチの暴力を呼び起こします。同じ静かな身体の写真が、言葉を読んだ後では別の歴史的な重みを帯びます。シンプソンは身体の一部を切り取る写真の形式と、連なる文字の力を組み合わせ、見るという行為に社会の記憶が入り込む場面を作りました。(参照:ナショナル・ギャラリー・オブ・アート|シンプソン《Untitled (2 Necklines)》)

人種とジェンダーを分離しない表現

シンプソンの作品が示すのは、黒人女性の身体が単に「女性の身体」として見られるわけではないという問題です。写真が見せる部分と見せない部分、付け加えられる文字、連続する形式が、人種化された視線と性別化された視線の重なりを強く意識させます。

クレンショーの1989年の研究が法制度で見落とされる経験を示したのに対し、シンプソンは写真と言葉の配置から、何が身体へ読み込まれるかを考えさせます。両者に共通する問いはありますが、前者は法の分析、後者は美術の造形的な実践です。それぞれの方法の違いが、問題の輪郭を豊かにしています。(参照:ローナ・シンプソン公式スタジオ|1989年の写真と言葉の作品/シカゴ大学法学部|クレンショー「人種と性の交差点を周縁化すること」(1989年))

『パリ、夜は眠らない』とボール文化

ニューヨークのボールに集まる人々

ジェニー・リヴィングストン監督の記録映画『Paris Is Burning(パリ、夜は眠らない)』は、ニューヨークの黒人やラテン系の性的少数者が育んできたボール文化を記録しました。出場者は衣装と歩き方、姿勢を工夫し、さまざまなカテゴリーで競います。映画は1991年のサンダンス映画祭で上映され、審査員大賞を受賞しました。

ボールで求められる「本物らしさ」は、単なる見た目の完成度を超えています。社会で地位や安全を持つ人々の服装、仕事、階層の記号を自分の身体に重ねることには、日常の外で別の可能性を形にする意味があります。誰が社会で自然に認められるかという問題が、パフォーマンスのカテゴリーとして現れています。(参照:サンダンス・インスティテュート|映画『パリ、夜は眠らない』と1991年映画祭)

社会的な承認を競うことの複雑さ

ボールに参加する人々の装いは、社会で評価される仕事や階層の規範を借りていることがあります。その規範を自分のものとして堂々と演じれば、普段は閉ざされた役割が手の届くものとして示されます。同時に、既存の階層や成功のイメージを再び持ち込むことにもなります。

バトラーの議論を手がかりにすると、模倣を通じて元の「自然さ」を問い直せる理由が理解できます。さらに、実際のボール文化は人種差別、貧困、HIV/AIDS、家族からの排除などと結びついていました。その歴史を離れ、ドラァグを抽象的な自由の象徴として描くと、表現を支えた社会的な条件が見えなくなります。(参照:サンダンス・インスティテュート|映画『パリ、夜は眠らない』と1991年映画祭/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

1993年にバトラー自身が読み直した映画

バトラーは1993年の『問題=物質となる身体』の中で、『Paris Is Burning』を扱う章「ジェンダーは燃えている」を書きました。そこで問われたのは、模倣が常に既存の権力を揺さぶるのか、社会で認められる人を演じることが規範の権威をどう変えるのかという問題です。

映画の制作者や出演者、1993年のバトラーによる解釈は別の主体による仕事です。作品の記録としての価値を先に確認したうえで哲学的な読解を置くと、理論によって当事者の経験を一つの例に押し込めることを避けられます。映画に映る人々の社会的な状況が、パフォーマティヴィティの議論の限界も問いかけています。(参照:サンダンス・インスティテュート|映画『パリ、夜は眠らない』と1991年映画祭/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

1993年『問題=物質となる身体』で何が変わったのか

身体の物質性をめぐる応答

1990年の『ジェンダー・トラブル』は、身体の物質性まで言葉の働きへ還元しているのかという批判を招きました。バトラーは1993年、『問題=物質となる身体――「セックス」の言説的境界について』で、この問題を詳しく論じます。原題の「Matter」には、物質であることと問題になることの両方の意味があります。問いの中心は、身体が存在するかどうかという二者択一から、どの身体が社会的に意味を持ち、認められるかという条件へ移りました。

原著は、身体の物質性をめぐる議論から出発し、精神分析、規範の引用、ジェニー・リヴィングストンの映画『Paris Is Burning』の読解へ進みます。身体が傷つき、病気になり、他者の支援を必要とする現実と、医療や法律がその身体をどの区分で扱うかは密接につながっています。バトラーは、権力が何を生きられる身体として理解可能にするのか、身体の実在性と規範の関係を通じて考えました。(参照:ワールドキャット|バトラー『問題=物質となる身体』1993年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『問題=物質となる身体』内容紹介/以文社|『問題=物質となる身体』邦訳2021年版/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

「引用」が規範を維持し変える

1993年の著作では、既存の規則を繰り返し用いる「引用」の働きが重要になります。法律や社会的な呼び名が繰り返し使用されると、そこに権威があるように見えます。同じ言葉が別の人によって使われ、違う意味へ向けられることもあります。

バトラーはこの反復を、個人の意思で何でも実現できるという力として扱いません。人が既にある言葉や規範の中で自分を表現し、その意味を変える可能性を考えるのです。1990年のパフォーマティヴィティが、身体の物質性と言葉の権威をめぐる議論へ広げられました。(参照:ワールドキャット|バトラー『問題=物質となる身体』1993年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『問題=物質となる身体』内容紹介/以文社|『問題=物質となる身体』邦訳2021年版/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

1990年の問いから、身体をめぐる新しい議論へ

1988年の論文では身体の行為と社会的な制裁、1990年の『ジェンダー・トラブル』では政治的な「女性」の定義と異性愛の規範が中心に置かれました。1993年の『問題=物質となる身体』は、この二つの論点を受け継ぎながら、性別の分類が身体の物質的な理解に及ぼす働きと、規範を繰り返し引用する行為の政治性を詳しく検討しています。

例えば「正常な身体」という呼び名を公的な制度が繰り返し使うと、治療、記録、生活上の判断にもその区分が反映されます。バトラーが問題にするのは、この言葉が権威を持つ仕組みと、そこから外れる身体が経験する現実です。時期の異なる著作をたどると、性別らしさをめぐる反復の哲学が、より具体的な身体の条件と結びついていったことがわかります。(参照:ワールドキャット|バトラー『問題=物質となる身体』1993年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『問題=物質となる身体』内容紹介/以文社|『問題=物質となる身体』邦訳2021年版/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

バトラーの議論にはどんな批判があるのか

ヌスバウムによる1999年の批判

アメリカの哲学者マーサ・ヌスバウム(1947年生まれ)は、倫理学と政治哲学の立場から人間の尊厳や生活条件を研究してきました。1999年2月22日、雑誌『The New Republic』に「The Professor of Parody(パロディの教授)」を発表し、バトラーの思想が言語や表象の変化を重視するあまり、差別を防ぐ法律や福祉制度の改革を十分に説明していないと批判しました。ヌスバウムが具体的に挙げたのは、女性への暴力、教育、雇用、妊娠に関する権利などの問題です。

ヌスバウムによれば、生活を変えるには公的制度を動かす政治が不可欠です。表現を変えることが、どのように安全な住居、差別からの救済、働く条件の改善へ結びつくのかを問いました。この批判にはバトラーの文章が難解で議論を追いにくいという指摘も含まれます。言葉の規範を問い直す哲学と、被害を受ける人の生活を支える制度改革との関係が、1999年の論争の中心にあります。(参照:マーサ・ヌスバウム|「パロディの教授」(1999年))

バトラーは政治を捨てたのか

『ジェンダー・トラブル』の議論は、社会で認められない人々を生み出す規範そのものを変える可能性を探るものでした。1999年の序文でバトラーは、著作が大学だけでなくレズビアンやゲイのコミュニティの経験から生まれたことを説明しています。社会的な規範によって周辺化された人々の生活を政治がどう認めるかが重要な問題として残されています。

それでも、規範が変わるまでの過程をどのように制度改革へつなげるかという問いは続きます。法律を変える運動にとって必要な集団名と、その集団名を固定しないという批判は、実際の政治で緊張することがあります。ヌスバウムの批判を読む意義は、この緊張を具体的に考えられることです。(参照:マーサ・ヌスバウム|「パロディの教授」(1999年)/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

トリル・モイが求めた身体と経験の説明

ノルウェー出身でアメリカの大学でも研究してきた文学研究者トリル・モイ(1953年生まれ)は、ボーヴォワールの思想とフェミニズム理論を専門としてきました。1999年の『What Is a Woman?』で、性を身体的なもの、ジェンダーを社会的なものへ分ける区別が、女性の経験を考える際に最も適切な枠組みなのかと問い直しました。モイは、バトラーを含むポスト構造主義の論者が区別を作り変えようとする方法も検討しています。

モイが提案したのは、ボーヴォワールの「状況としての身体」に立ち戻り、人がどんな身体で、誰と関わり、どのような社会条件を生きるかから記述する方法です。身体をめぐる事実と社会的な意味の区別は、目的によっては有効に働きます。モイは、その二分法そのものに議論を閉じ込めると、歴史の中で経験される身体の具体性が見えにくくなると考えました。ヌスバウムの制度改革をめぐる批判とは異なる、哲学の方法をめぐる争点です。(参照:オックスフォード大学出版書誌|トリル・モイ『What Is a Woman?』(1999年)/スタンフォード哲学百科事典|シモーヌ・ド・ボーヴォワール/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/香港大学公開資料|トリル・モイ『What Is a Woman?』(1999年)原文)

理論が難解であることの問題

バトラーの文章は、哲学の専門用語や複雑な構文を用いることがあります。議論の難しさは、内面、身体、言葉、規範を単純な原因と結果に分けられない問題の性質とも関わっています。学術用語によって新しい区別を考えられる場合もあれば、読者が政治的な争点へたどり着きにくくなる場合もあります。

理解を助けるには、概念を短い標語に置き換えるより、誰が何を期待され、どんな行為が繰り返され、誰が不利益を受けるかという過程を具体的にたどることが有効です。1988年の論文にある反復と制裁の説明は、1990年の理論をそのように読むための基礎となります。(参照:スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年)/マーサ・ヌスバウム|「パロディの教授」(1999年))

1999年の序文|著者自身は何を説明し直したのか

レズビアン・ゲイのコミュニティとの関係

バトラーは『ジェンダー・トラブル』1999年版の序文で、この本が大学の研究だけで生まれたわけではなく、アメリカ東海岸のレズビアンやゲイの人々と過ごした経験に深く関わると振り返りました。集会、行進、身近な人との関係を通じて、既存の性別の言葉では説明しにくい生活を多く見たと述べています。

この回想を1990年の刊行と分けて読むと、難解な理論がどの現実から生まれたのかが伝わります。バトラーの批判の対象は、自分のあり方を周囲へ説明しようとする人々を「理解できない」と退ける規範でした。哲学の専門的な議論と日常の承認が、同じ問題の異なる側面になっています。(参照:ラウトレッジ|『ジェンダー・トラブル』1999年序文・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

ドラァグを万能の政治運動にしない

1999年版の序文でバトラーは、ドラァグを政治的変革の手本とする読み方について説明を加えました。ドラァグが明らかにするのは、ある装いを「本物の女らしさ」や「男らしさ」と判断し、別の装いを模倣や偽物と見なす基準が、すでに社会の規範から生まれていることです。既存の性別の分類を揺さぶる表現は、その基準を観客に意識させる場合があります。

バトラーは、どのドラァグも直ちに政治的な変化を起こすとは述べていません。1999年の説明では、社会が現実と認める性別の範囲そのものを問い、さまざまな生き方が存在できる条件を広げることが重要になります。変化が実際に起きるかどうかには、表現が行われる場所、観客、制度の反応が関わります。この観点は、1993年に『Paris Is Burning』を読み直した議論ともつながっています。(参照:ラウトレッジ|『ジェンダー・トラブル』1999年序文・目次/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

理論は批判を受けながら変わる

バトラーは1999年の序文で、初版の議論を受けて自分の考えを修正してきたことを述べています。とくに普遍性について、ただ排除を生む語として捉えるだけでなく、まだ実現していない権利を要求するための開かれた言葉として考える方向が現れました。

社会運動がすべての人の権利を訴えるとき、まだ同じ権利を得ていない人をその要求の中に含めることができます。こうした発言には、これまで存在しなかった社会的な承認を作ろうとする働きがあります。バトラーの思想が批判への応答と政治参加によって変化した過程は、哲学が書物の中だけで完成する営みではないことを示します。(参照:ラウトレッジ|『ジェンダー・トラブル』1999年序文・目次/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次/ラウトレッジ|バトラー『ジェンダーをほどく』内容紹介)

2004年以降|認められる生をめぐる問い

『ジェンダーをほどく』と生きられる条件

2004年の『ジェンダーをほどく』で、バトラーは性別の規範とトランスジェンダー、インターセックス、親族関係、医療的な診断などの問題をさらに検討しました。出版者の説明には、人が社会で理解可能な存在として扱われる条件と、生き続けるために必要な制度について考える著作だと記されています。

何を女性または男性と呼ぶかという問いは、本人の希望、医療上の手続き、家族制度、公的な記録に結びつきます。バトラーの議論は、性別がどう成立するかという1990年の問いから、その規範の下でどのような生活が実際に可能になるかという倫理と政治の問いへ広がりました。(参照:ワールドキャット|バトラー『ジェンダーをほどく』2004年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『ジェンダーをほどく』内容紹介/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学/スタンフォード哲学百科事典|トランスジェンダーをめぐるフェミニズム哲学)

権利をめぐる議論と個人の経験

権利について法律で考えるときには、保護の対象となる集団を特定する必要があります。社会に存在する多様な経験を考えるときには、その区分からこぼれる人がいないかを確かめる必要があります。双方を同時に満たすことは、制度を設計する上で難しい課題です。

バトラーの議論は、何を名付ければ保護できるか、どの名付け方が新たな排除を作るかを考える視点を与えます。固定された分類を作る作業と、それを変更できるようにしておく作業は、現実の法制度では繰り返し調整を求められます。政治の問題が哲学へ返ってくるのです。(参照:ワールドキャット|バトラー『ジェンダーをほどく』2004年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『ジェンダーをほどく』内容紹介/スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学)

美術の場へ返る「誰が見えるか」という問い

現代美術では、作品を作る人、写真に写る人、美術館で説明される人の関係がたびたび問われます。シャーマンが映画的な女性像を組み直し、ゲリラ・ガールズが展示作家の不均衡を数え、オグレイディが展示室に入り込んだ行為は、それぞれ別の方法でその関係を可視化しました。

バトラーの思想が理解を助けるのは、どの作品も同じ理論を証明するからではありません。作品の材料、制作の時期、観客や制度との関係を見れば、人が社会の中でどのような存在として見えるかを、言葉だけでは捉えきれない形で考えられます。(参照:ワールドキャット|バトラー『ジェンダーをほどく』2004年版書誌/ラウトレッジ|バトラー『ジェンダーをほどく』内容紹介/ニューヨーク近代美術館|シャーマン《Untitled Film Still #21》(1978年)/メトロポリタン美術館|ゲリラ・ガールズ《美術館に入るには裸にならなければならないの?》(1989年)/ロレイン・オグレイディ公式資料|《Mlle Bourgeoise Noire》(1980–83年))

「男らしさ」「女らしさ」を考え直すと何が見えるのか

日常の判断をそのまま見直す

日常で「男らしい」「女らしい」と感じた場面を思い返すと、その判断を支える手がかりには服装、声、言葉遣い、姿勢、仕事の役割などが含まれています。どの手がかりが重視されるかは、地域、世代、制度によって変わります。そう考えると、無意識の判断にも歴史があることに気づきます。

バトラーの考え方は、目の前の人を既存の分類へ当てはめるだけで理解したつもりになっていないかを問います。その人がどう生きたいかという声、どのような社会的制約を経験しているかという事情は、服装や表情だけではわかりません。性別らしさという評価が、誰の生活を理解しやすくし、誰に負担を与えるかを考えることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|身体についてのフェミニズム哲学/ラウトレッジ|ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』書誌・目次)

一つの規則を守ることと人を認めること

学校や職場では、集団が協力して生活するための規則が設けられます。それらの規則が男女という区分へ一律に結びつくと、個人の能力や希望よりも分類が先に判断される場合があります。規則は誰の安全や働きやすさを守るためにあり、何を不必要に制限しているのでしょう。

ここから、身体の経験と制度の関係を具体的に考えられます。バトラーが1990年に提示した問いは、性別を語る言葉をただ増やすことではなく、どのような分類が人の行為と承認を可能にしているかを見直すことでした。制度を設計する人も、日常の言葉を使う人も、その反復に関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|性とジェンダーをめぐるフェミニズム哲学/スタンフォード大学公開資料|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」(1988年))

芸術作品が示す異なる問い

シャーマンの映画的な女性像は、鑑賞者がすでに知っている人物の型を呼び出します。クルーガーの大型ポスターは、女性の顔と政治的な言葉をぶつけます。ゲリラ・ガールズの統計は、美術館が作品を見せる制度を問い、オグレイディは美術館の入口と展示会場に自分の身体で介入しました。

それぞれの作品の造形と歴史から見えるのは、性別らしさがどこで作られ、誰が誰に意味を与えているかという複数の問題です。バトラーの哲学は、この違いを消して一つの答えへまとめるより、行為と反復、社会の承認という共通の問いから比較するために役立ちます。(参照:ニューヨーク近代美術館|シャーマン《Untitled Film Still #21》(1978年)/ザ・ブロード|クルーガー《Untitled (Your body is a battleground)》(1989年)/メトロポリタン美術館|ゲリラ・ガールズ《美術館に入るには裸にならなければならないの?》(1989年)/ロレイン・オグレイディ公式資料|《Mlle Bourgeoise Noire》(1980–83年))

略年表|ジェンダー論と身体表現の歩み

  • 1908年|シモーヌ・ド・ボーヴォワールがパリに生まれる
  • 1911年|言語哲学者J・L・オースティンが生まれる
  • 1926年|ミシェル・フーコーが生まれる
  • 1935年|モニック・ウィティッグが生まれる
  • 1941年|ジュリア・クリステヴァが生まれる
  • 1945年|メルロ=ポンティ『知覚の現象学』刊行
  • 1949年|ボーヴォワール『第二の性』刊行
  • 1954年|シンディ・シャーマンが生まれる
  • 1956年|ジュディス・バトラーが生まれる
  • 1960年|ローナ・シンプソンが生まれる
  • 1962年|オースティンの講義をまとめた『言語と行為』が没後刊行される
  • 1964年|米国で公民権法が成立し、雇用における性差別の禁止が規定される
  • 1969年|ウィティッグ『女ゲリラたち』刊行
  • 1973年|パイパーが《The Mythic Being》の制作を始める
  • 1976年|フーコー『性の歴史』第1巻刊行
  • 1977年|シャーマンが《Untitled Film Stills》連作を開始
  • 1978年|シャーマン《Untitled Film Still #21》制作
  • 1980年|シャーマンの《Untitled Film Stills》連作が終わる。オグレイディが《Mlle Bourgeoise Noire》を開始
  • 1981年|オグレイディがニュー・ミュージアムで《Mlle Bourgeoise Noire》の姿で介入
  • 1982年|アメリカの平等権修正条項が必要数の州批准を得られず期限を迎える
  • 1985年|ゲリラ・ガールズがニューヨークで活動を開始
  • 1986年|バトラーがボーヴォワールの性とジェンダーについて論文を発表
  • 1987年|ニューヨークでACT UPが結成される
  • 1988年12月|バトラー「遂行的行為とジェンダーの構成」発表
  • 1989年|クレンショーが交差性の論考を発表。クルーガー、ゲリラ・ガールズ、シンプソンが重要作品を制作
  • 1990年|バトラー『ジェンダー・トラブル』初版刊行
  • 1991年|『Paris Is Burning』がサンダンス映画祭で上映される
  • 1993年|バトラー『問題=物質となる身体』初版刊行
  • 1999年|『ジェンダー・トラブル』新版にバトラーの新しい序文が加わる。ヌスバウムとモイの批判が発表される
  • 1999年4月|『ジェンダー・トラブル』竹村和子訳が青土社から刊行
  • 2004年|バトラー『ジェンダーをほどく』刊行

まとめ|性別らしさはどのように作られるのか

1988年の論文と1990年の『ジェンダー・トラブル』で、バトラーは、性別を持つ主体がどのように社会の中で成り立つかを問い直しました。衣服や身振り、他者からの呼び名は、繰り返しによって自然な「男らしさ」「女らしさ」と感じられるようになります。その反復には、学校、家庭、医療、法律の規範と、逸脱した人が受ける制裁が関わります。ここに、自由に役を選んで演じるという話を超えたパフォーマティヴィティの意味があります。

ボーヴォワールが示した「女になる」という時間の問題、フーコーの権力による主体の形成、ウィティッグの分類批判を受け継ぎながら、バトラーはフェミニズムの「女性」という政治的な呼び名も問い直しました。同時代にクレンショーが法制度の交差する差別を分析し、シャーマンが映画的な女性像を撮影し、クルーガーやゲリラ・ガールズが広告の言葉で社会へ訴えたことは、この時代に身体と表象がさまざまな場所で問われていたことを示しています。

1993年には、身体の物質性と言葉の引用による規範の力を詳しく論じ、1999年の序文ではドラァグをめぐる誤解と批判へ説明を加えました。2004年以降は、性別の分類が人々の生活や安全、社会的な承認にどのように関わるかが重要な問いとなります。「男らしさ」「女らしさ」を使って誰かを理解するとき、その分類が誰の行動を可能にし、誰に制約を課すのかを考えることが、バトラーの哲学から続いている問題です。

クレンショーの交差性論は、性差別と人種差別が重なる経験を法的な事例から示しました。ヌスバウムやモイによる1999年の批判は、言葉の規範を問い直すことと、法律・労働・医療・身体の経験を具体的に説明することの関係を考えさせます。バトラー自身も1993年、1999年、2004年に議論を修正し、より生きやすい社会を作る条件へ問いを広げました。

「男らしさ」「女らしさ」を考えるとき、私たちは見慣れた特徴を挙げることができます。それが誰にどのような振る舞いを求め、どのような経験を見えにくくしているかまで問うと、当たり前だった分類の働きが現れます。バトラーの思想が残したのは、性別の言葉をなくすという単純な答えより、分類を使う社会の中で、より多くの人の生が認められる条件を考え続けるという問いです。

参考資料・出典