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Philosophy

400年頃

神を信じながら、なぜ哲学するのか

アウグスティヌスとキリスト教思想

西暦400年頃、ローマ帝国領の北アフリカには、地中海の交易を担う港町と、ラテン語で教育を行う都市がありました。帝国の役人や土地所有者、商人、農民、職人、奴隷などが暮らし、都市では法廷での弁論や学校での朗読が重んじられていました。同じ地域のキリスト教会では、司教と聖職者が礼拝や聖書の朗読、困窮者への支援、信徒同士の争いの調停に携わっていました。

313年に皇帝コンスタンティヌスらがキリスト教信仰を認める政策を示し、380年には皇帝テオドシウス1世らがニカイア派のキリスト教を帝国の正統な信仰として支持する勅令を出しました。それでも、帝国の住民が一斉に同じ信仰を持ったわけではありません。キリスト教内部にも教義や教会の正統性をめぐる対立があり、ギリシア哲学やローマの古い宗教文化も人々の知的生活に残っていました。

この時代、北アフリカの都市ヒッポの司教だったアウグスティヌス(354〜430年)は、神を信じる立場から、なぜ悪が存在するのか、正しいと分かっていても人はなぜ過ちを犯すのか、時間や記憶とは何かを問い続けました。彼にとって信仰は考えることの終わりではなく、理解を深めるための出発点にもなりました。哲学で培った問いの立て方を、キリスト教の聖書と自身の経験の読み直しへどう結びつけたのでしょうか。

帝国と教会の時代に、哲学はどこで生きていたのか

皇帝の宗教政策が変わり、教会が公共生活の場になる

三世紀まで、ローマ帝国の各地ではキリスト教徒が当局の迫害を受ける時期がありました。313年、皇帝コンスタンティヌスとリキニウスの宗教政策によってキリスト教への制限が緩み、教会は公然と土地や建物を持ち、礼拝と共同体の活動を広げやすくなりました。四世紀には皇帝による教会への支援も進み、キリスト教の司教が都市社会で人々の相談を受ける立場になっていきます。

380年のテサロニケ勅令では、テオドシウス1世らがニカイア信条に沿う信仰を重視しました。これは教義をめぐる争いが帝国の政治とも結びついたことを示します。人々は洗礼を受けるかどうか、どの教会で礼拝するか、聖書をどう理解するかを具体的な選択として経験しました。信仰が公的な制度に関わる時代ほど、「何を信じ、どんな理由で正しいと判断するのか」という問いは日常に近くなりました。(参照:EBSCO Research|テオドシウス帝の勅令とキリスト教の公認/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

学校で学ぶ言葉の技術と、聖書を読む技術

ローマ帝国のラテン語教育では、読み書きを学んだ後、古典の詩や散文を読み、弁論術を修める道がありました。法廷や行政、都市の有力者の活動には、人前で筋道立てて説得する力が役立ちます。この高度な教育を受ける機会は主として家計に余裕のある人々に開かれ、女性や奴隷、農村の住民が同じように学校へ進めたわけではありません。アウグスティヌスも修辞学の教師として働いた人物でした。

キリスト教の聖書は、ラテン語の翻訳で読まれる一方、もとのヘブライ語やギリシア語、文章の比喩的な意味をめぐる検討も必要とされました。弁論で用いられる言葉が、聖書を人々へ伝える説教にも使われたのです。文を読むとき、字面の意味と語り手が伝えたい意味をどう区別するか。教育で身につけた解釈の力は、やがてアウグスティヌスの哲学と聖書研究を結ぶ道具になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『キリスト教の教え』全体の案内|New Advent)

司教は祈るだけでなく、説教し、裁き、困窮者を支えた

ヒッポ・レギウスは、現在のアルジェリア北東部に位置する地中海沿岸の都市です。アウグスティヌスは391年にこの町で司祭となり、395〜396年頃に司教を務め始めました。司教は礼拝の主宰者であるだけでなく、信徒への説教、聖職者の指導、地域の教会との連絡、異なる立場の人々との議論にも多くの時間を使いました。人々が持ち込む争いの解決を求められることもありました。

司教が扱うのは、目に見えない神のことだけではありません。財産をめぐる相談、他者への責任、信仰の違いによる対立など、誰が何を善いと判断するかが試される場面です。彼が悪、自由意志、愛、正義について論じたことは、机上の思索であると同時に、具体的な共同体で生きる人の問題でもありました。思想書と司教の仕事を併せてみると、その問いの実際的な重みが伝わります。(参照:ケンブリッジ大学出版局の研究|ヒッポの司教としてのアウグスティヌス/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

神を信じるなら、なぜさらに考える必要があるのか

信仰と理性は、問いの違う入口を持つ

友人から「この道を行けば町に着く」と教えられたとき、私たちはまず言葉を信頼し、その後で標識や景色を確かめることがあります。先に受け入れたことを、自分の理解によって確かめ直す過程です。アウグスティヌスも、人間が何かを知る際には、証人や教師を信頼する局面と、自ら考えて理由を理解する局面の両方があることに注目しました。

キリスト教の教えを聞いて神を信じることと、その神が善であるなら悪をどう説明するのかを考えることは、彼の中でつながっています。信じた内容を明確に理解しようとすると、言葉の意味や判断の根拠を吟味する必要が生まれるからです。信仰と理性を完全に別々の分野へ分ける今日の発想とは違い、彼は神、魂、知識、生き方を連続した探究として扱いました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

権威を信じることも、理由を考えることも、人間の知の一部

遠い国の歴史や自分の生まれる前の出来事は、すべてを直接見て確認できません。私たちは他者の証言や記録を比較し、どこまで信用できるかを判断します。アウグスティヌスは、信頼できる権威から学ぶことを、知識を求める人間の自然な営みの一つとして考えました。そこには、何でも無条件に受け入れるのではなく、どのような証言に耳を傾けるべきかという判断が伴います。

彼は若い頃、さまざまな思想を信じ、疑い、考え直しました。その経験があるため、確信はどこから来るのかという問題を抽象的な問いとしてだけ扱えませんでした。教会と聖書の権威を重視するようになっても、難しい箇所を読むこと、誤った理解を正すこと、他者の質問に説明することは残ります。理解を求める営みの中で、推論や議論には積極的な役割が与えられたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『キリスト教の教え』全体の案内|New Advent)

プラトン派の哲学を取り入れ、独自の答えへ進む

前の時代に、プロティノス(204/205年頃〜270年)は古代ローマで哲学を教え、善なる根源と知性、魂の関係を考えました。アウグスティヌスは四世紀のラテン語訳を通じて、プロティノスらに関わるプラトン派の著作に触れました。両者は同じ時代の知人ではなく、書物を通して続いた思索の関係です。感覚で見える物から、変わらない真理の根拠へ思考を進める方法を学びました。

プラトン派の議論は、物質的な姿を持たない実在や善を考える助けになりました。アウグスティヌスはそこから、世界が善なる神に創造されたこと、キリストが人間として生きたこと、人が自分の力だけでは変われず神の恩恵を必要とすることへ進みます。先行する哲学をそのままキリスト教の言葉に置き換えたのではなく、受け取った概念によって聖書を考え、聖書の問題から概念を作り直したのです。(参照:アウグスティヌス『告白』第7巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|新プラトン主義/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

若いアウグスティヌスは、何を求めて考えを変えたのか

北アフリカの学生が、哲学への憧れを抱く

アウグスティヌスは354年、北アフリカ内陸のタガステに生まれました。母モニカはキリスト教徒、父パトリキウスは地方都市の有力者でした。カルタゴなどでラテン語文学と弁論術を学び、若くして修辞学を教える仕事へ進みます。十八歳頃に読んだ、ローマの政治家・弁論家キケロ(紀元前106〜43年)の著作『ホルテンシウス』は、知恵そのものを求める生活への憧れを強めたと『告白』に記されています。この書物の全体は現存していません。

議論で相手を説得する能力と、何を真実として信じるべきかを知る能力は同じなのでしょうか。修辞学の学生だった彼には、この差が切実でした。すぐれた言葉で人を動かせても、その言葉が真実かどうかは別の問いだからです。古典教育を受けた人物が、名声の得られる職業と、人生をどう生きるかという問題との間で揺れたところに、哲学へ向かった具体的な動機が見えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『告白』全13巻|キリスト教古典電子図書館)

マニ教の善悪二元論は、悪を説明してくれた

アウグスティヌスは若い時期、およそ九年間マニ教の教えに接しました。マニ教は三世紀のペルシアに生まれた宗教で、光と闇、善と悪の対立を世界の説明に組み込みました。彼がとくに悩んだのは、善い神が世界の根源なら、なぜ人間は苦しみ、残酷な行為も生まれるのかという問題です。対立する二つの原理を想定する説明には、悪の由来を理解できるという魅力がありました。

けれども、悪に独立した根源を認めると、善と悪はどのような関係を持ち、なぜ世界は一つの秩序として成り立つのかという問題が続きます。のちのアウグスティヌスは、悪を善と並ぶ実体として考える見方から離れました。この変化は宗教上の所属の変更にとどまらず、存在するものは何によって存在し、損なわれた状態をどう説明するかという哲学的な問題の組み替えでした。(参照:アウグスティヌス『告白』第7巻|New Advent/アウグスティヌス『善の本性について』|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

ミラノで聞いた説教と、プラトン派の書物

383年にローマへ移った彼は、翌384年に西方帝国の宮廷が置かれたミラノで修辞学を教えるようになります。そこで出会った司教アンブロシウス(339年頃〜397年)は、教会の指導者として説教を行い、聖書の文章に比喩や象徴が使われていることを説きました。アウグスティヌスはそれまで理解できなかった旧約聖書の表現を、別の角度から読む可能性に触れます。

さらに386年頃、ラテン語に訳されたプラトン派の著作を読み、神や魂を物質的な大きさで考えなくてもよいことに気づいたと『告白』第7巻で振り返っています。一方、『告白』は、プラトン派の哲学だけではキリストの受肉やへりくだりの意味には届かなかったとも述べます。聖書の読み方を変えた説教と、存在についての考えを変えた哲学書が重なり、彼の探究は新しい方向へ進みました。(参照:アウグスティヌス『告白』第7巻|New Advent/アウグスティヌス『告白』全13巻|キリスト教古典電子図書館/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

私たちは、何を根拠に「本当に知った」と言えるのか

感覚や議論が誤るなら、確かなことは残るのか

水に差し込んだまっすぐな棒が曲がって見えることがあります。目で見た印象と、触って確かめた形は違います。さらに人の議論には、もっともらしく聞こえても誤りを含むものがあります。アウグスティヌスが若い時期に向き合った「アカデメイア派の懐疑」は、古代のプラトンの学園に連なる人々が発展させた、知識の確実性を吟味する立場でした。すべての判断が揺らぐなら、人は何を頼りに生きればよいのでしょうか。

彼は386年頃の対話篇『アカデメイア派駁論』などで、真理を探す営みそのものに意味があることを論じました。後年の『神の国』第11巻では、もし自分が欺かれていたとしても、欺かれる自分が存在することは否定できないという議論を示します。この後年の論点を、若年期にすでに完成していた体系として読む必要はありません。長年にわたって、誤りの可能性と確かな自己認識の関係を考え続けたことが分かります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『神の国』第11巻|New Advent)

変わらない真理を知る心を、光になぞらえる

二つと三つを足せば五つになるという判断は、昨日と今日で変わりません。紙に書いた数字は消せても、数の関係が成り立つかどうかは人の好みだけでは決まりません。アウグスティヌスは、こうした変わらない真理を人間が理解できることを重視しました。私たちの心は時間の中で変わるのに、なぜそれより安定した基準に触れることができるのでしょうか。

彼は、神的な真理を知る働きを、物を見るときに光が必要であることになぞらえました。後世「神的照明」と呼ばれる考えです。光は目に見える対象を見えるようにしますが、見たものの違いを実際に判断するのは人間の知性です。同じように、神が真理の究極の根拠だとしても、考え、比較し、理解する営みは省略されません。この説明は、知識の確かさを個人の気分にも感覚的な事物の変化にも還元しない試みでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

言葉を聞くことと、本当に理解することの違い

「木」という語を初めて聞いた人に、その音だけを何度繰り返してもらっても、木が何かをすぐ理解できるとは限りません。実物を指し示したり、すでに知っている言葉と結びつけたりすると、その人は意味を確かめられます。アウグスティヌスが389年頃に書いた対話篇『教師について』では、息子アデオダトゥスと語り合い、言葉が何かを指し示す働きと、理解そのものが生まれる条件を探っています。

この対話は、言葉を教える人の仕事が無意味だという結論には進みません。言葉は学ぶきっかけや手がかりになり、最終的には学ぶ本人が何を真実として理解したのかを確かめる必要がある、という問いを深めます。アウグスティヌスは真理を悟らせる「内なる教師」をキリストに結びつけました。言葉の伝達と理解の成立を分けた議論は、のちの教育や認識の哲学でも繰り返し考えられる主題です。(参照:アウグスティヌス『教師について』の作品紹介|Augustinian Research/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

善い神が世界を造ったのに、悪が存在するのはなぜか

悪を独立した「もの」と考えると、どんな難問が生まれるか

誰かが他人を傷つけたり、病気で苦しんだりする場面に出会うと、悪はとても強い現実性を持ちます。そこから、善い力とは別に、悪いものを生み出す根源があるのではないかと考えることもできます。若いアウグスティヌスが惹かれたマニ教の二元論は、この問題へ一つの答えを与えていました。善い神からすべてが生まれたのなら、その世界で起きる害をどう説明できるのでしょうか。

後に彼は、プラトン派の哲学を学びながら、存在するものは善い神から存在を与えられる以上、存在しているという点では善を備えていると考えました。悪を善と同じ種類の独立した実体にすると、世界を一つの創造の秩序として理解することが難しくなります。問うべきなのは「悪という物質はどこにあるか」から、「善い存在がどのように損なわれるか」へ変わりました。(参照:アウグスティヌス『告白』第7巻|New Advent/アウグスティヌス『善の本性について』|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

悪を善の欠如とみなす「欠如説」

よい楽器でも弦が切れれば、整った音を出せません。壊れた弦は実際に存在し、聞き苦しい音も現実に響きます。それでも、楽器の内部に「悪という新しい物質」が流れ込んだと説明する必要はありません。楽器が本来備えていた調和が損なわれたと説明できます。これは現代の身近な例ですが、アウグスティヌスの「悪は善の欠如・腐敗である」という考えを理解する助けになります。

『善の本性について』では、存在するものが秩序、形、程度といった善い性質を持ち、それが損なわれることを悪として論じます。この見方は病気や不正を現実ではないと言い切る立場ではありません。苦しみは確かにあり、何かが傷ついています。その傷を、独立した悪の実体として扱わず、損なわれた善との関係から説明する点に特徴があります。なぜその損傷が起きるのかという別の問題も残ります。(参照:アウグスティヌス『善の本性について』|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

人が悪を行うとき、意志は何を選んでいるのか

利益を得るために嘘をついた人は、嘘そのものの醜さを愛していたのでしょうか。それとも、賞賛や金銭を望み、そのために守るべき約束を犠牲にしたのでしょうか。アウグスティヌスは、人が本来よいものである利益、快楽、友人との結びつきなどを、適切な順序から外して求めることによって悪い行為へ進む場合を考えました。善いものがあることと、それをどんな仕方で愛するかは別の問題です。

彼の初期の『自由意志論』は、神が善い世界を造ったという前提を守りながら、なぜ人間に責任が帰せられるのかを探りました。人に選ぶ力があるため、その向け方が倫理的な問題になります。物や欲望がそれ自体で独立した悪の源なのではなく、意志がより大切な善から離れ、劣った対象にとらわれることを問いにしたのです。ここに、存在の哲学と責任をめぐる倫理学が結びつきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『善の本性について』|New Advent)

善いと分かっているのに、なぜその通り行動できないのか

決意だけでは変われない、分裂した意志

夜更かしをやめようと決めたのに、明日からにしようと思ってしまう。身近なこの例では、何がよいかを知らないことよりも、知っている自分がどうして別の行動を選ぶのかが問題になります。アウグスティヌスも『告白』第8巻で、キリスト教に従う生き方を望みながら、長年の習慣や欲望を手放せない自分を描きました。理性が理由を理解すれば、そのまま意志が従うという単純な筋道は成り立ちません。

彼は自分の中に二つの独立した魂が戦っていると説明するのではなく、一人の人間の意志が定まりきらず、異なる方向を求めていると考えました。悪の原因を外部の闇の物質へ求めた若い時期の見方と比べると、問題の中心が行為者の内側へ移っています。人は自分の決断に責任を持つ一方、自分が願った通りに簡単には変われない。その緊張が、自由と恩恵の問いを生みました。(参照:アウグスティヌス『告白』第8巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

庭で聞いた言葉と、回心を語る『告白』

386年のミラノでの出来事として、『告白』は庭で苦しんでいたアウグスティヌスが、子どもの声のような「取って読め」という言葉を聞き、使徒パウロの書簡の一節に目を向けたと語ります。彼はこの経験を通じて、それまで決断できなかった生き方へ踏み出せたと振り返ります。翌387年の復活祭には、友人アリピウスや息子アデオダトゥスとともにアンブロシウスから洗礼を受けました。

この場面は、事件をその場で記録した日記ではなく、のちの司教が自分の人生を神への語りかけとして書き直した文章です。転機の事実を考えると同時に、著者がなぜそのような言葉と場面で経験を意味づけたのかを読む必要があります。彼にとって回心は、知識が一つ増えるだけの出来事ではありませんでした。何を愛し、どう生きるかという判断の向きが変わる経験だったのです。(参照:アウグスティヌス『告白』第8巻|New Advent/アウグスティヌス『告白』第9巻|New Advent/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

自由に選ぶ力と、神の恩恵をどう両立させるか

『自由意志論』などの初期の著作では、悪い行為を人間の選択へ結びつけることが重視されました。そう考えなければ、行為に責任を問うことが難しくなります。一方、自分が決断しようとしてもできなかった経験を振り返ると、人は意志だけで善くなれるのかという別の問いが現れます。アウグスティヌスは後年、神の助け、すなわち「恩恵」が信仰や善い行為へどう関わるかを詳しく論じるようになりました。

人が善いことを選ぶ責任を持つのなら、神の恩恵は何をしているのでしょうか。神の働きが先にあるのなら、人の努力はどのような意味を持つのでしょうか。彼自身の考えは数十年間の執筆と論争を通じて変化しました。400年頃の時点に、後年の恩恵論や予定論のすべてが出来上がっていたと考えるのは適切ではありません。思想の変化そのものが、自由を考えるための重要な資料です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/アウグスティヌス『キリストの恩恵と原罪について』第1巻|New Advent)

『告白』は、なぜ自分の人生を哲学の材料にしたのか

神へ語りかける文章の中で、過去の自分を読み直す

『告白』は396年から400年頃にかけて書かれたとされる、全十三巻の著作です。前半では子ども時代、学業、友人、仕事、信仰の変化が語られ、後半は記憶、時間、創造と聖書の解釈へ進みます。「告白」は過ちを認める意味と、神を賛美する意味を併せ持ちます。読者に向けて成功や失敗を並べる現代の自伝とは違い、神に語りかける形で、自分の経験に何が起きていたのかを考え直す書物です。

人は過去の出来事を覚えていても、その出来事をどう評価するかは年月とともに変わります。若い頃に誇らしかった成功が、後から振り返ると虚栄心の表れに見えることもあります。アウグスティヌスは、人生を振り返る語り方の中に、自分が何を愛し、何を見失ったかという問いを置きました。思い出の叙述が、認識と欲望、自己理解の哲学へ広がっていくのです。(参照:アウグスティヌス『告白』全13巻|キリスト教古典電子図書館/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

盗んだ梨は欲しかったのか、それとも仲間と悪さをしたかったのか

『告白』第2巻には、少年時代に仲間と梨を盗んだ話があります。アウグスティヌスは、空腹を満たすためでも梨の味が格別だったからでもなく、友人たちと悪い行為をすることに引かれたのだと書きます。梨を手に入れるという利益だけでは、その行為の理由を説明しきれません。なぜ本人は、望んでいないはずの悪いことをしたのでしょうか。

この逸話を読むと、行為の理由は一つではないことが分かります。仲間に認められたい気持ち、禁じられたことの興奮、善いことから背く感覚が重なっているかもしれません。著者は自分の罪を強調する目的でこの過去を取り上げており、現代の心理学的な実験記録とは性格が異なります。その点を踏まえても、外から見える行為と本人が内面で望んでいたことの違いを考えさせる、哲学的に豊かな一節です。(参照:アウグスティヌス『告白』第2巻|New Advent/アウグスティヌス『告白』全13巻|キリスト教古典電子図書館/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

記憶の広大さは、自分を知る難しさを示す

懐かしい町の名前を忘れていたのに、匂いや音をきっかけに急に思い出すことがあります。思い出は、いつでも目の前に並べて確認できる物ではありません。『告白』第10巻でアウグスティヌスは、記憶の中にある感覚の像、学んだこと、感情、経験をたどり、心がどれほど広大で捉えがたいかを考えます。自分に最も近いはずの心の働きが、自分にとって謎になるのです。

彼は記憶を単なる倉庫として説明するだけではありません。思い出している自分と、思い出す対象との関係、幸福を求める心が何を探しているのかを問います。人は自分を完全に透明な存在として把握できないのに、自分が何を望むのかを考え続けられます。『告白』の内面への視線は、自己を理解するために経験の表面から心の働きへ進む探究として読むことができます。(参照:アウグスティヌス『告白』第10巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

神が世界を創造したのなら、時間はいつ始まったのか

「世界の前に何をしていたか」という問いを組み替える

ある職人が家を建てたなら、建て始める前に何をしていたかを尋ねられます。職人は時間の流れの中で仕事をしています。では、神が世界を造ったとすると、造る前の時間にも神は何かをしていたのでしょうか。『告白』第11巻でアウグスティヌスは、世界の創造を語る聖書の言葉から、この難問に取り組みます。時間そのものを世界の外から与えられたものと考えたら、質問の仕方が変わります。

彼の答えでは、神は時間の中で何年か待ってから世界を造った存在ではありません。世界とともに時間が成り立つのなら、創造以前の何年という期間もありません。これは宇宙がいつ何秒目に始まったかを測定する自然科学の理論ではなく、変化する世界と、変わらない神との関係を考える議論です。時間に属する存在へ当てはまる「前」と「後」を、神の永遠にそのまま適用できるのかを問う点に特徴があります。(参照:アウグスティヌス『告白』第11巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

過去と未来はどこにあり、「今」はどう広がるか

昨日の約束を覚え、明日の予定を待ち、今日の会話を聞いているとき、私たちは過去・未来・現在を区別しています。けれども過去はすでに過ぎ、未来はまだ到来していません。現在の瞬間はたちまち過去になります。『告白』第11巻は、この日常的で不思議な状況を掘り下げました。過去や未来が目の前に存在しないのに、なぜ私たちは時間が長い、短いと判断できるのでしょうか。

アウグスティヌスは、過去については記憶、現在については注意、未来については期待という心の働きを挙げます。昨日の約束がいま確かめられるのは、記憶として心にあるからです。明日の予定がいま気になるのは、期待があるからです。この議論は時間を単なる主観的な幻想にするものではなく、時間について私たちが測り、語る活動に、心がどのように関与しているかを調べるものです。(参照:アウグスティヌス『告白』第11巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

歌を歌い終えるまでの時間から、心の働きを考える

知っている歌を最初から最後まで歌う場面を思い浮かべてください。歌い始める前には曲全体を見通し、歌い進むと、歌い終えた部分が記憶へ移り、まだ歌っていない部分が期待として残ります。歌っている瞬間には注意が働き、次々と音が過去へ変わります。アウグスティヌスはこのような歌の例を『告白』第11巻で用い、時間を経験する人の心の伸び広がりを考えました。

歌の長さは音の連なりとして聞かれますが、すでに終わった音とまだ鳴らない音を比べるには記憶と期待が必要です。「時間を測る」とは、時計の数字を見ることだけでなく、変化をあるまとまりとして経験することとも関係します。彼が「心の伸張」と呼んだ論点は、時間が世界の中で経過することと、心がその経過を捉えることを結ぶ問いとして、後の哲学にも影響を与えました。(参照:アウグスティヌス『告白』第11巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

愛と聖書の解釈は、共同体をどう変えるのか

どのようなものを、どのような順序で愛するか

友人、仕事、家族、名誉などを大切にすることは、人が生きるうえで自然な営みです。困るのは、ある一つを大切にするあまり、別の人の尊厳や約束を踏みにじる場合です。アウグスティヌスは、何を愛するかだけでなく、異なる善いものをどんな順序で求めるかを考えました。有限なものを無限の幸福の源として扱うと、望みが乱れてしまうという理解です。

『キリスト教の教え』第1巻で彼は、神を愛することと隣人を愛することを、聖書を理解する重要な基準として示しました。物や他者をどう用いるかという言い方には、現代の読者が疑問を抱く点もあります。実際に他者を単なる手段として扱ってよいという結論ではなく、愛を自己利益へ閉じず、神と隣人との関係へ開くように求める議論です。何を最も大切にするかが、日々の行為の形を変えると考えたのです。(参照:アウグスティヌス『キリスト教の教え』第1巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

比喩をどう読むかで、人の行動が変わる

聖書に強い表現や一見すると矛盾する指示があるとき、読み手はそれをどのように理解すればよいのでしょうか。アウグスティヌスは『キリスト教の教え』で、文字通りの意味、比喩、言葉が示す事柄を区別して読む方法を論じました。意味の分からない語を調べ、翻訳を比べ、文脈を考える作業も勧めます。信仰する書物だからこそ、言語の検討と注意深い解釈が必要になるという立場でした。

彼は解釈が神と隣人への愛を育てるかどうかを重視しました。人を傷つける目的で文章を切り取り、自分の正しさの証明に使ってしまうなら、その読み方自体が問い直されます。この著作は390年代後半に着手され、完成は420年代まで及びました。したがって、今ある全巻を400年頃にすでに公刊された一冊として扱うことはできません。長期間の聖書研究と司教の実務が交差する著作です。(参照:アウグスティヌス『キリスト教の教え』第1巻|New Advent/アウグスティヌス『キリスト教の教え』全体の案内|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

教会の一致を求めるとき、信仰の違いをどう扱うか

北アフリカのキリスト教会では、かつての迫害時代に信仰をどう守ったかをめぐり、ドナトゥス派と呼ばれる諸教会と、アウグスティヌスの属する教会との対立が続いていました。争点には、聖職者が過去にどんな行動を取ったかによって、洗礼などの儀礼の有効性が変わるのかという問題がありました。信仰の正しさを何で判断し、共同体の境界をどこに引くかが、地域の人々に関わる争いでした。

アウグスティヌスは、儀礼の意味を執行する人個人の道徳的な完璧さだけに委ねない立場を取り、教会の一致を求めました。後年には分裂した教会に対する国家の強制力の行使を容認する議論も展開しました。そこには統一を望む目的と、信仰の自由や権力の使い方をめぐる難問が並びます。彼の思想を学ぶときは、愛と一致を説いた言葉だけでなく、それを社会の中で実行する際に生じた緊張も考える必要があります。(参照:ケンブリッジ大学出版局の研究|ヒッポの司教としてのアウグスティヌス/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

アウグスティヌスの哲学は、後世へ何を残したのか

一人の心から、三位一体についてどこまで考えられるか

人は自分の過去を記憶し、いまある事柄を理解し、大切なものを意志によって求めます。これらは同じ人の心の働きでありながら、異なる面を持っています。アウグスティヌスはのちに『三位一体論』で、こうした心の働きを手がかりに、父・子・聖霊が一つの神であるというキリスト教の教えを考察しました。複数のはたらきの違いを認めながら、一つであるとはどういう意味なのかを探ったのです。

この類比は、記憶が父、理解が子、意志が聖霊にそのまま等しいという図式ではありません。人間の心の構造を通して、神について語れることと語り尽くせないことを考える試みです。『三位一体論』の執筆は400年前後に始まったとされ、完成まで長い年月を要しました。神を理解するために自己認識を掘り下げる方法は、古代哲学の「自分の魂を知る」という課題を別の場面へ結びつけました。(参照:アウグスティヌス『三位一体論』第1巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス)

ペラギウスとの論争は、意志と恩恵をどう変えたか

五世紀の初め、ローマなどで活動したキリスト教の禁欲的な教師ペラギウス(四世紀後半〜五世紀前半の人物)は、人間が神の命令に従って生きる責任と努力を強調しました。アウグスティヌスは410年代以降に、ペラギウスとその立場に連なる人々の考えに反論し、神の恩恵が善い行為だけでなく、信仰へ向かう意志にも関わることを強く論じました。ここで自由と恩恵の関係が、初期よりも鋭い争点になります。

この論争は、人に善いことを命じる意味は何か、人が自力では十分に善くなれないのなら責任をどう考えるかという問いを残しました。アウグスティヌスの答えは西方キリスト教の後世の議論に大きく影響しましたが、自由意志と恩恵の両立をめぐる理解は、その後も一様ではありません。400年頃の記事でこの論争に触れるのは、すでに生まれていた問いが晩年にどう展開したかを確かめるためです。(参照:アウグスティヌス『キリストの恩恵と原罪について』第1巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

ローマの危機の後、「神の国」と地上の国を考える

410年、ゴート人の軍がローマ市を襲い、帝国の象徴である都市の危機に大きな衝撃が広がりました。キリスト教を受け入れたことがローマの衰退を招いたのではないかという批判も生まれます。アウグスティヌスはその後、413年頃から『神の国』を書き、都市や帝国の成功と、人が最終的な幸福を求めることとの関係を考えました。この著作は400年頃より後の時代の仕事です。

彼が語る二つの「国」は、地図に描かれた二つの国家や、教会とローマ帝国の単純な区分ではありません。何を最終的な愛の対象とするかによって異なる人間共同体の方向を考える枠組みです。地上の平和や政治秩序にも価値を認めつつ、それらは変化と争いを免れないと論じました。430年、アウグスティヌスはヒッポがヴァンダル人に包囲されるさなかに亡くなります。帝国の制度を越えて善、時間、自由、愛を問い続けた著作は、その後の中世哲学に読み継がれました。(参照:アウグスティヌス『神の国』第11巻|New Advent/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想)

略年表|アウグスティヌスとローマ帝国のキリスト教

  • 313年|コンスタンティヌスとリキニウスの宗教政策により、帝国内でキリスト教の信仰が公認される
  • 354年|アウグスティヌスが北アフリカのタガステで生まれる
  • 370年代初め|カルタゴで修辞学を学び、キケロ『ホルテンシウス』を読む
  • 370年代〜380年代初め|マニ教へ接近し、善と悪の問題を考える
  • 380年|テオドシウス1世らがニカイア派のキリスト教を支持する勅令を出す
  • 383〜384年|ローマを経てミラノへ移り、修辞学を教える
  • 386年|プラトン派の書物を読み、ミラノでキリスト教への転機を経験する
  • 387年|アンブロシウスから洗礼を受ける
  • 388〜391年頃|『自由意志論』『教師について』など、初期の哲学的著作を執筆する
  • 391年|北アフリカのヒッポで司祭となる
  • 395〜396年頃|ヒッポの司教となる
  • 396〜400年頃|『告白』を執筆し、『キリスト教の教え』に着手する
  • 410年|ローマ市がゴート人によって襲撃される
  • 413年頃〜426年|『神の国』を執筆し、地上の共同体と究極の幸福を論じる
  • 410〜420年代|ペラギウスらとの論争を通じ、恩恵と自由意志の問題を掘り下げる
  • 430年|ヴァンダル人が包囲するヒッポで亡くなる

著作の執筆時期や司教就任年は概年を含みます。400年頃の思想と、410年代以降に展開した論争・著作の区別に留意しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/インターネット哲学百科事典|アウグスティヌスの生涯と思想/ケンブリッジ大学出版局の研究|ヒッポの司教としてのアウグスティヌス)

まとめ|信じることは、問い続けることでもある

400年頃のローマ帝国では、キリスト教会が礼拝と教義の場であると同時に、説教や救済、争いの調停に関わる公共生活の場となっていました。修辞学の教師から司教になったアウグスティヌスは、この社会で神を信じることと理由を考えることを結びつけます。プラトン派の思想から真理や魂を考える道を学びながら、キリスト教の創造と恩恵の教えによって独自の答えを作りました。悪を善の損傷として捉えた説明、善を知りながら行動できない分裂した意志の議論は、その代表です。

『告白』では自分の人生や記憶を問い直し、時間の長さを記憶・注意・期待から考えました。さらに聖書を言語と比喩の問題として読み、愛の向け方が共同体の行動に関わると論じました。彼の後年の恩恵論や『神の国』まで見渡すと、信仰が哲学を終わらせたのではなく、新しい問いを次々と生んだことが分かります。ある考えを信じるとき、その意味をどこまで自分の言葉で説明できるのか。アウグスティヌスの仕事は、今も考えるための入口を残しています。(参照:アウグスティヌス『告白』全13巻|キリスト教古典電子図書館/スタンフォード哲学百科事典|アウグスティヌス/アウグスティヌス『キリスト教の教え』第1巻|New Advent)

参考資料・出典

『告白』『善の本性について』『キリスト教の教え』『三位一体論』『神の国』などの原典と、専門的な哲学事典・歴史研究を参照しました。後年の著作を紹介する場合は成立時期を示し、400年頃の考えと区別しています。