Art Library
Philosophy

1966

時代によって「正しい知識」が変わるのはなぜか

フーコー『言葉と物』

1966年のフランスでは、シャルル・ド・ゴール大統領のもとで第五共和政が続いていました。1958年の憲法によって大統領と政府の権限が再編され、国民議会では選挙で選ばれた議員が法律を審議していました。大学や研究機関では、哲学、心理学、言語学、歴史学、社会学をめぐる議論が活発でした。戦後の経済成長によって高等教育への進学が広がり、社会を科学的に研究する学問への期待も高まっていました。

当時の知的世界では、人間は自分の意識や自由な選択によって世界に意味を与える存在なのか、それとも個人の意識に先立つ言語や文化の仕組みの中で考えているのかが問われていました。ジャン=ポール・サルトルが主体の自由を論じ、クロード・レヴィ=ストロースが親族関係や神話の構造を研究した時代です。心理学者が人間の行動を調べ、言語学者が言葉の規則を分析するなかで、「人間について正しく知る」とは何を意味するのかという問題が現れていました。

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926–1984)は、1966年に『言葉と物――人文科学の考古学』を刊行しました。フーコーが問うたのは、昔の人々が何を知っていたかということに加え、ある時代の人が何を知識として認め、どのような順序で世界を分類できたのかという問題です。植物の分類、言葉の研究、富と労働を考える学問を並べてみると、時代によって「知る」という行為の土台が変わってきたことが浮かび上がります。

目の前にある同じものを見ても、何を似ていると判断し、どんな特徴を調べ、どの言葉で説明するかは歴史の中で組み替えられます。『言葉と物』はその変化を、ルネサンスから近代までのヨーロッパの学問と、一枚の絵画から読み解きました。とりわけベラスケスの《ラス・メニーナス》をめぐる考察は、何かを「見る」ことと「知る」ことがどのように結びつくのかを考える入口になります。

CONTENTS

  1. 1966年のフランスで、人間の知識はどう考えられていたのか
  2. フーコーはどのように『言葉と物』へたどり着いたのか
  3. 『言葉と物』は何を問い直したのか
  4. ものを分類する基準はどこから来るのか
  5. エピステーメーとは何を意味するのか
  6. 「知の考古学」は過去をどう調べるのか
  7. ルネサンスの学問では何が似ていると考えられたのか
  8. 『ドン・キホーテ』はなぜ登場するのか
  9. ベラスケス《ラス・メニーナス》には何が描かれているのか
  10. フーコーは《ラス・メニーナス》から何を考えたのか
  11. 17〜18世紀には、知識の基準がどう変わったのか
  12. 自然誌はなぜ植物や動物を表に並べたのか
  13. 言語を知るとは、言葉をどのように並べることだったのか
  14. 富や貨幣も、なぜ分類の問題になるのか
  15. カントによって「知ること」はどう変わったのか
  16. 19世紀の生物学は、何を研究対象にしたのか
  17. 経済学は、なぜ労働の歴史を考えるようになったのか
  18. 言語学は、なぜ言葉の過去を調べ始めたのか
  19. 生命・労働・言語が並ぶことには何の意味があるのか
  20. 「人間が生まれた」とはどういうことなのか
  21. 「有限性」は近代の知識とどう結びつくのか
  22. 人文科学は人間をどう説明しようとするのか
  23. 精神分析と民族学が持つ特別な役割とは
  24. 「人間の終焉」という言葉は何を意味するのか
  25. 構造主義とフーコーはどう関係するのか
  26. サルトルはなぜ『言葉と物』に反論したのか
  27. 『言葉と物』の歴史研究にはどんな批判があるのか
  28. カンギレムたちはどう応答したのか
  29. フーコーの考えは1969年以降どう展開したのか
  30. 時代によって「正しい知識」が変わるとはどういうことか
  31. 略年表|フーコーと知識の歴史
  32. まとめ|時代によって「正しい知識」が変わるのはなぜか
  33. 参考資料・出典

1966年のフランスで、人間の知識はどう考えられていたのか

第五共和政の政治と研究機関

1958年に発足した第五共和政は、大統領、首相、国民議会の役割を憲法で定めました。1966年の大統領はド・ゴール、首相はジョルジュ・ポンピドゥーでした。行政機構が政策を進めるのと同時に、議会では法律や政府に関する審議が行われました。大学教育、精神医療、人口や労働の統計なども、社会の運営と結びついていました。

戦後のフランスでは、公的な制度が「人間」をどのように捉えるのかが現実の問題でした。学生の能力を測り、病院で症状を分類し、経済政策のために労働を計算する。それぞれの仕事には専門的な方法があります。フーコーは、その方法が成り立つ歴史的条件そのものを問いに変えました。(参照:フランス国立公文書|第五共和政憲法の成立/フランス国民議会|1958年以降の政治制度と政権)

実存主義から構造主義へと広がる議論

第二次世界大戦後のパリでは、ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)が、自由と責任を中心に据える実存主義の代表者として知られていました。サルトルの著作は、個人が置かれた状況と、その中で自らの生き方を選ぶ問題を深く掘り下げました。1960年代になると、個人の決断を越えて文化や言語の仕組みを調べる方法にも関心が集まります。

構造人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908–2009)は、親族制度や神話を比較し、そこに働く関係の体系を考えました。思想の出発点を個人の内面だけに置く方法とは異なり、人々がすでに参加している規則や差異の関係から理解を進めます。フーコーの『言葉と物』も同じ知的な空気の中で読まれ、ほどなく鋭い論争を呼びました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争)

哲学が「知るための条件」を問うとき

生物学者がある植物を調べるとき、普通は葉や花の特徴、成長や遺伝に注目します。哲学者はそこで、なぜその特徴を研究対象として取り上げるのか、どのような証拠があれば正しい説明と認められるのかを問い直せます。人間が世界を理解する際に用いる枠組みそのものが、哲学の問題になります。

フーコーはさらに、その枠組みに歴史があると考えました。古い分類法を、現在の分類法より情報が少ない未熟な段階として並べると、その時代に独自の仕方で何が研究可能だったのかが見えにくくなります。『言葉と物』は、知識が成立する条件を時代ごとに調べる点で、哲学と歴史研究を結びつけた著作でした。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

フーコーはどのように『言葉と物』へたどり着いたのか

心理学と哲学を学んだ学生時代

ミシェル・フーコーは1926年、フランス西部のポワティエに生まれました。1946年にパリの高等師範学校へ進み、哲学と心理学を学びます。ここは大学教員や研究者を育てる高等教育機関で、専門的な授業や研究活動とともに、思想家同士の議論が盛んな場でした。

若いフーコーは、身体を通して世界を経験することを考えた哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908–1961)の講義に接しました。精神疾患や心理学についての勉強も重ね、人間がどのように理解され、治療や研究の対象になってきたかに関心を深めていきます。その問いが、後の精神医学の歴史研究へ向かいました。(参照:コレージュ・ド・フランス|ミシェル・フーコーの経歴/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

『狂気の歴史』と『臨床医学の誕生』

1961年の『狂気の歴史』では、ヨーロッパ社会が狂気をどう捉え、施設への収容や医学的な説明を通じてどのように扱ってきたかを探りました。フーコーは、病気の名前や治療方法が変わる背後に、正常と異常を分ける考え方や社会的実践の歴史を見ました。

1963年の『臨床医学の誕生』では、病人の身体を見る医師の方法が歴史の中でどう変わったかを研究します。同じ身体を前にしていても、どの徴候を病気の手がかりとし、臓器や組織をどのように結びつけるかで、医学的な知識の組み立て方が違ってきます。1966年の著作は、この関心を言語、生命、経済の研究へ広げました。(参照:コレージュ・ド・フランス|フーコーの著作と職歴/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

カンギレムから受け継いだ科学史の視点

ジョルジュ・カンギレム(1904–1995)は、20世紀フランスで医学と生物学の概念の歴史を研究した哲学者です。フーコーの博士論文を支えた人物でもあり、科学的な概念が過去から現在へ変わる過程を調べる姿勢に影響を与えました。フーコーは科学史の研究を通じ、現在の学問で常識となった考え方にも成立した時期があることを学びました。

カンギレムの背後には、ガストン・バシュラール(1884–1962)による科学史・科学哲学の研究もありました。科学の変化を単なる知識の累積として捉えるより、概念の組み替えや断絶に着目する伝統です。フーコーはこの方法を受け継ぎつつ、異なる学問分野に共通する知の条件を調べました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/コレージュ・ド・フランス|ミシェル・フーコーの経歴)

『言葉と物』は何を問い直したのか

1966年刊行の著作と副題

『言葉と物』の原題は Les Mots et les Choses で、副題は「人文科学の考古学」です。1966年にパリのガリマール社から刊行されました。人文科学という言葉には、人間の行動や社会、心理や文化を研究する学問が関わります。フーコーは、それらの学問が成り立つ以前から「人間」が今と同じ意味で研究対象だったのかを問い直しました。

原著は序文に続き、ベラスケスの絵画、ルネサンスの類似、古典主義時代の表象と分類、近代の生命・労働・言語、そして人間についての諸科学へ進みます。扱う材料は多岐にわたりますが、中心には「何を知識として語れるかを可能にする秩序はどうできたのか」という一つの問題があります。(参照:フランス国立図書館|『言葉と物』1966年初版の書誌/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

「知っていること」と「知ることの条件」

ある図鑑に、鳥は羽の形やくちばしの特徴ごとに並んでいるとします。別の本では、生息地や人間との関わりによって並んでいるかもしれません。どちらの本にも同じ鳥が登場します。違うのは、似ていると判断する基準と、何を説明できれば十分と考えるかです。

フーコーが調べたのは、個々の著者の好みを越えて、ある時代の研究者が共通して利用できる分類や説明の仕組みです。正しさを確かめる試験や観察は学問によって異なり、その基準を作る概念にも歴史があります。この問題を明らかにすることは、知識をどのように批判し、どんな根拠を求めるかという哲学の営みに直結します。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

科学の進歩をどう読み直したのか

研究が進むと、観測器具の精度が上がり、古い説明が新しい証拠によって訂正されることがあります。それは科学の歴史の大切な側面です。フーコーが注目したのは、観測の結果以前に、研究者がどんな種類の問いを立てられたかという変化でした。

同じ生き物を調べても、表に特徴を並べることが中心となる時代と、器官の働きや発生の歴史を調べることが中心となる時代では、研究の対象が別の仕方で構成されます。フーコーは、正確さの向上とは別の層で生じるこの変化を、知識の歴史として記述しようとしました。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

ものを分類する基準はどこから来るのか

ボルヘスの奇妙な動物分類

『言葉と物』の序文は、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899–1986)が書いた文章への驚きから始まります。そこには、動物を皇帝の所有物、飼い慣らされたもの、伝説上のものなど、互いに性質の異なる区分へ並べる架空の「中国の百科事典」が登場します。

この事典は歴史上の中国の分類制度を説明する一次資料として示されたものではなく、ボルヘスが文学的に提示した架空の列挙です。フーコーは、異なる基準が一つの表に並ぶと、私たちが当然と考える分類の場所そのものが揺らぐことに注目しました。なぜこの項目は同じ種類として並べられるのでしょうか。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

分類表が成り立つための共通の場所

図書館で本を並べる場面を考えると、著者順、刊行年順、主題順のどれを選ぶかによって本の配置は変わります。どの順序にも、何を比較可能な項目として扱うかという決まりがあります。ボルヘスの例が奇妙なのは、同じ表の中で比較する基準そのものが次々に入れ替わるからです。

フーコーはこの違和感から、分類する行為を支える目に見えない秩序へ向かいます。知識は、個別のものを知ることに加えて、もの同士をどこに置き、どう関係づけるかという働きを含んでいます。序文の文学的な場面は、その土台を読者自身が疑う入口になっています。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

「自然な分類」にも歴史がある

動物を分類するときに形の似たものを集めるのか、共通の祖先を調べるのかでは、研究の進め方が変わります。今日の生物学の系統分類には遺伝情報や進化の研究が関わります。過去の自然誌で用いられた分類表には、形態を見分け、命名し、一覧へ配置することに重きが置かれたものがありました。

この違いは、どちらの時代の人が賢かったかという問題に還元できません。何を比較する基準とし、どんな関係を事実として説明しようとしたかが違うのです。フーコーはそうした転換を複数の学問にまたがって調べ、知識が可能になる歴史的な条件を探りました。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

エピステーメーとは何を意味するのか

一つの時代の知識を支える共通の条件

フーコーは、知識の可能性を形づくる歴史的な配置を「エピステーメー」と呼びました。これはその時代に生きた人々が同じ意見を持っていたという意味ではありません。異なる学問が論争していても、何を対象にし、どう並べ、どのような証明を考えられるかを支える関係があるという発想です。

たとえば自然を分類する学問と言語の構造を考える学問が、直接の研究対象を共有していなくても、要素を区別して表の中に配置するという似た方法を持つ場合があります。フーコーは、この同時代的な関係に目を向けました。個人の思想家の影響関係を追うだけでは捉えきれない規則性が、研究対象となります。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

「歴史的アプリオリ」という発想

アプリオリは、哲学で経験的な観察に先立つ条件を考える際に使われる言葉です。フーコーのいう「歴史的アプリオリ」は、実際の時代において、どんな言明や研究が成立しうるかを支える条件を指します。生まれながらの人間の能力の一覧ではなく、歴史資料の中から探るものです。

たとえばある年代の医学書を読むと、病気を分類する名前の一覧、医師が記録する症状、身体のどこを調べるかに一定のまとまりが見えることがあります。こうした資料を照合し、その時代の研究を可能にした規則を探る。そこに「歴史的」と呼ばれる理由があります。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

思想家の意見と知識の配置を分ける

一人の哲学者が「世界はこうできている」と論じても、同じ時代の別の哲学者は反論するでしょう。エピステーメーを探る仕事では、その対立を可能にしている概念や問いの仕方にも関心を向けます。争っている両者が、似た種類の証明を求めたり、同じ分け方で対象を記述していたりするかを調べます。

この方法は、時代の人々を完全に一つの考えへまとめることを意味しません。フーコーが後に『知の考古学』で方法を精密化した際には、1966年の議論が文化全体の統一的な説明に見える危険について、自ら振り返っています。したがって各時代の内部の差異も、実際の史料によって検討する必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/フーコー『知の考古学』|序論(英訳公開テキスト))

「知の考古学」は過去をどう調べるのか

遺跡を掘ることになぞらえた方法

考古学者は地中の層や遺物の配置から、過去の生活の成り立ちを調べます。フーコーの「考古学」は、この比喩を思想史に用いた方法です。古い学術書、分類表、文献の用語や研究対象を照らし合わせ、知識の内部で何が可能だったかを再構成します。

そこでは偉大な学者が何を発見したかに加え、無名の著述家も使った分類の習慣や記述の規則が重要になります。個人の思想の連続だけで歴史を説明する方法から、ある時代に広がっていた知識の構成へ視点を移すところに新しさがあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

原典を読む際にどこを見るのか

古い自然誌の書物を読むとき、そこに現在の学名がいくつ載っているかを数える方法があります。考古学的な読み方では、章立て、比較に使う特徴、何を証拠として示すか、同じ名前がどの種類の対象に使われるかを調べます。

一冊の本だけから時代全体を結論づけることはできません。異なる作者、異なる分野の文献を比較し、繰り返し現れる配置を検討する必要があります。フーコーの議論の説得力は、個々の史料がこうした関係をどれほど裏づけるかにかかっています。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

大きな断絶をどのように捉えるのか

フーコーは序文で、ヨーロッパの知に二つの大きな転換があったと述べました。17世紀半ば頃にはルネサンス的な類似の秩序から古典主義時代の表象へ移り、18世紀末から19世紀初めにかけて、生命・労働・言語の歴史性を重んじる近代の配置が現れます。

年代の境目は、ある年の元日に思想が一斉に交替したという意味ではありません。複数分野で研究対象の組み立て方が変わったという仮説です。転換の原因や、異なる地域でどの程度同時に変わったかは研究上の検討課題となり、後年のフーコー自身も方法の修正へ進みました。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

ルネサンスの学問では何が似ていると考えられたのか

類似をたどって世界を理解する

フーコーは、16世紀のヨーロッパにおける知の配置を「類似」を手がかりに説明します。ものが形や性質によって互いに呼び合い、似たものの関係をたどることで世界の意味を読もうとする姿勢です。植物、星、人間の身体、言葉などの間に対応を求める知識の伝統がありました。

当時の著述家すべてが同じ理論を受け入れたという話ではありません。フーコーが問題にするのは、幅広い分野の知をつなぐ類似や対応という発想の位置です。現在なら別々に研究する現象が、似ているという理由から結びつけられうる知識の空間を考えます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

署名やしるしを読み取るという考え

ルネサンスの自然についての文章では、外見に現れた特徴が隠れた関係のしるしになると考える場合がありました。フーコーは、そうした「署名」やしるしを読み取る方法を、類似の世界観と結びつけて説明します。知る人は物の表面を見て、別の物との対応を探るのです。

たとえば葉の形が身体のある部分に似ているとき、その対応から効能を推測するという説明がありえます。現代の薬効研究なら、実際の成分や臨床的な効果を検査します。ここで比較するのは、何を根拠として関係を見いだすのかという、知識の組み立て方そのものです。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

言葉と物が近づいていた世界

この時代の言語の捉え方について、フーコーは言葉が世界に重ねられた単なる透明な名称ではなく、自然のしるしを読み解く営みに参加していたと考えます。書かれた文字や名前も、ほかのものとの類似や対応の連鎖に位置づけられました。

言葉と物の関係を調べると、何が「意味のある符合」と考えられたかが変わることに気づきます。別々の対象の間に見いだす類似が、知識を広げる働きを持った時代から、同一性と差異によって正確に分類する時代への移行が、原著の次の論点になります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

『ドン・キホーテ』はなぜ登場するのか

騎士物語を信じて世界を見る人物

スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテス(1547–1616)は、1605年に『ドン・キホーテ』前編を刊行し、1615年に後編を発表しました。主人公は読んできた騎士物語に強く影響され、目の前のものを物語の登場物になぞらえて理解しようとします。フーコーはこの人物を、類似による世界の読み方が変化する節目の象徴として論じました。

読んだ物語を現実に重ねたとき、主人公が期待した対応はしばしば崩れます。ものの姿と物語の言葉を当然のように結びつけてよいのかという問題が、文学の中で笑いや痛みとして現れます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

風車が巨人に見えるときのずれ

主人公が風車を巨人と思い込む場面は、作品の有名な例です。風車がそこにあるという目の前の状況と、騎士物語から持ち込まれた言葉の意味が重なり、やがてぶつかります。フーコーは、文学のこのずれを単なる主人公の失敗として眺めるだけでは終えません。

「似ている」ことを頼りに世界の真理へ到達できると考えていたとしたら、似ているように見えるのに結びつかない経験は、知識の根拠を揺るがします。言葉が物をどのように代表し、区別しうるのかという新しい問いへ、文学の例から進むことができます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

文学を学問の歴史と並べる理由

フーコーの原著には学者の論文だけでなく、絵画や小説も登場します。文学作品が当時の学問を直接原因として生み出したと説明しているわけではありません。同じ時代に、世界の何が確かめられ、何が奇妙に思われたかを示す文化の資料として読むのです。

『ドン・キホーテ』を手がかりにすれば、記号と現実の結びつきを考える問題が、哲学者だけの机上の議論ではなかったことがわかります。読者も登場人物の誤認を通して、知識が成立する仕組みについて考えられるようになります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

ベラスケス《ラス・メニーナス》には何が描かれているのか

王女と侍女を取り巻く宮廷の一室

スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス(1599–1660)は、1656年に《ラス・メニーナス》を描きました。プラド美術館の所蔵記録によると、油彩・カンヴァス、縦320.3センチ、横279.1センチという大作です。画面中央には王女マルガリータが立ち、左右に侍女たちが付き添います。犬、宮廷に仕えた人物、奥の戸口に立つ男性も描かれています。

部屋の左側には、制作中の画家自身が大きなカンヴァスの前に立っています。人物の配置や奥行きが精密に組み合わされ、どこからこの場面を見ているのかが気になってきます。フーコーは原著の第1章を、この絵を丁寧に見ることから始めました。(参照:プラド美術館|ベラスケス《ラス・メニーナス》/ミネソタ大学出版局|『絵画を論じるフーコー』の研究)

奥の鏡と、画面の外にいる国王夫妻

部屋の奥にある鏡には、国王フェリペ4世と王妃マリアナの姿が映っています。二人の姿は画面の中央に直接描かれる代わりに、小さな反射像として現れます。絵を鑑賞する人は、王と王妃が自分の立っている側にいるのではないかと想像します。

鏡がなければ、画家や侍女たちが誰を見つめているのかはわかりにくくなるでしょう。反射像によって、描かれた空間と鑑賞者の立つ空間が結びつきます。プラド美術館も、鏡が見ること、表象、鑑賞者の位置を考えさせる仕組みになっていると説明しています。(参照:プラド美術館|ベラスケス《ラス・メニーナス》/シカゴ大学出版局「Critical Inquiry」|《ラス・メニーナス》解釈の研究)

描いているキャンバスの裏側

画面左の大きなカンヴァスは、私たちに裏側を向けています。ベラスケスが何を描いているのか、表面を直接見ることはできません。画家の視線は画面のこちら側へ向かっています。私たちは絵の中の画家に見られている位置に立ちながら、その画家が実際に見ているものを確定しようとします。

この仕掛けによって、画面の外にあるものが、絵の中の配置を決める大きな働きを持ちます。鑑賞者の立つ場所、描かれた人物の視線、鏡像、裏返されたカンヴァスが、一つの複雑な関係を生み出しています。フーコーはそこに、表象が成立する構造を読み取りました。(参照:プラド美術館|ベラスケス《ラス・メニーナス》/ミネソタ大学出版局|『絵画を論じるフーコー』の研究)

フーコーは《ラス・メニーナス》から何を考えたのか

見る人と見られる人が入れ替わる

絵画を鑑賞するとき、ふつうは自分が絵を見ていると考えます。《ラス・メニーナス》では、絵の中のベラスケスがこちらを見ることで、鑑賞者もまた「見られる位置」に立たされます。画面の中と外を結ぶ視線は、一方向の観察では捉えにくい関係を作っています。

フーコーが注目するのは、絵の題材を言葉で説明するだけで作品の働きが尽くされるのかという問題です。王女や侍女の名前を知れば史実はわかります。その情報を得ても、絵が鑑賞者をどこへ置き、どの姿を見せないのかという仕組みは、なお考えるべき問題として残ります。(参照:プラド美術館|ベラスケス《ラス・メニーナス》/シカゴ大学出版局「Critical Inquiry」|《ラス・メニーナス》解釈の研究)

表象が自分自身を示す構造

フーコーにとって、この絵は誰かの姿を写していると同時に、そもそも姿を写すとはどういうことかを示しています。画家、鑑賞者、対象、鏡像の関係が一つの画面に組み込まれ、描くという行為自体が見える形になっています。

この点が、知識を考える議論に結びつきます。何かを知るとき、知る人は対象を考えの中で表し、その表し方によって対象を把握します。17世紀以降の「表象」を中心にした知の秩序を読み解くために、フーコーは《ラス・メニーナス》の画面を手がかりにしました。(参照:シカゴ大学出版局「Critical Inquiry」|《ラス・メニーナス》解釈の研究/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

絵画の解釈と作品の史実はどう違うのか

この作品はスペイン宮廷の具体的な政治と身分制度の中で制作されました。王女を囲む侍女、宮廷の仕事、国王夫妻の存在は、制作の背景を知るための重要な情報です。作品の制作年、技法、登場人物についてはプラド美術館の調査によって確認できます。

フーコーの読みは、その歴史的事実を踏まえながら、視線と表象の仕組みを哲学的に分析するものです。宮廷における肖像画の役割や、画家の職業的地位を重視する美術史研究とは焦点が違います。作品は一つでも、何を証拠としてどんな問いを立てるかによって、異なる知識が生まれることを、この二つの研究は示しています。(参照:プラド美術館|ベラスケス《ラス・メニーナス》/ミネソタ大学出版局|『絵画を論じるフーコー』の研究)

17〜18世紀には、知識の基準がどう変わったのか

類似から同一性と差異の比較へ

フーコーが「古典主義時代」と呼ぶのは、主として17世紀半ば頃から18世紀末までのヨーロッパの知の配置です。この時期には、もの同士が似ているという関係を連ねる方法から、特徴をはっきり区別し、同じものと異なるものを表の中で比較する方法へ重点が移ったと説明されます。

たとえば植物を整理するとき、ある葉が動物の身体に似ているという対応を探す代わりに、観察できる特徴を項目に分けます。その特徴が一致するか、どこで違うかを決めれば、ほかの植物とも比較できます。知ることは、あらかじめ決まった項目で表せる秩序を作ることに強く結びつきました。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

デカルトにおける明晰な観念

17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596–1650)は、感覚や伝聞に頼る判断を吟味し、明晰で判明な認識によって確実な知識を求めました。フーコーは、デカルトからカントまでの近代初期の哲学を、観念が対象をどのように表すかという関心の中で読み直します。

対象について考える際に、その対象を観念として捉える。この表象の仕組みが知識を考える出発点になります。フーコーの説明に沿えば、観念が何をどのように代表するのかを確かめる方法は、言葉と物の間を類似で結びつけるルネサンスの説明とは異なる知的な秩序を示しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

表によって世界を見渡すという理想

地図の道路は実際の道路と同じ幅ではなく、線の長さも地上の距離をそのまま写してはいません。それでも、交差点や道路相互の位置関係を保つことで、移動のための有効な知識になります。表象が成立するには、表すものと表されるものの関係を秩序立てる仕組みが必要です。

古典主義時代の知識にとって、名づけ、区別し、配置することは重要な営みでした。フーコーは、言語の研究、自然誌、富の分析を並べ、学問ごとに扱う対象は違っても、秩序を作るという働きに共通性があると考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

自然誌はなぜ植物や動物を表に並べたのか

リンネが行った分類と命名

スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(1707–1778)は、18世紀に生物の分類と命名の方法を体系化した人物です。1735年に『自然の体系』の初版を刊行し、その後も分類体系を改訂しました。生物を特徴によって区別し、一定の規則に従って名前を与える研究は、異なる土地の研究者が対象を照合する助けになりました。

フーコーはリンネの研究を、古典主義時代の自然誌がものを見分けて配列する方法の例として取り上げます。特徴をあらかじめ決め、それに従って対象を表に置くことが研究の中心になります。その仕組みによって、互いに遠く離れた土地の植物も同じ分類上の位置から比較できるようになります。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

特徴を選ぶことも研究の判断になる

庭に咲いている複数の花を分類するとき、花弁の枚数、雄しべの数、葉の形など、選ぶ特徴によってグループが変わります。研究者は観察するだけでなく、どの特徴が比較に役立つかを決めています。その選択が変わると、似ていると見なす対象の組み合わせも変化します。

フーコーがいう古典主義時代の自然誌では、観察結果を比較可能な記号として配置する方法が中心的です。そこでは生物の歴史的な変化より、今見える特徴を整然と記述することに知識の重点が置かれます。現在の進化論に基づく分類とは、何を説明しようとするかが違います。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

自然誌と生物学の間にある変化

18世紀の自然誌では、外から観察できる形や特徴に基づく分類が大きな位置を占めました。19世紀には、器官がどう働き、生物がどんな組織によって生きているかという問題が強くなります。見た目が似たものを同じ行に並べるだけでは説明できない、生物の内部の構造が問われるようになりました。

フーコーはこの変化を、古い自然誌が完成してそのまま生物学になったという一本線の成長として描きません。何を「生命」と呼び、どんな根拠から生物を考えるかという新しい対象が現れたことに注目します。この違いが19世紀の知の配置を考える入口になります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

言語を知るとは、言葉をどのように並べることだったのか

ポール・ロワイヤルの文法と論理

17世紀フランスでは、アントワーヌ・アルノー(1612–1694)とクロード・ランスロ(1615–1695)が、1660年に『一般・理性文法』を刊行しました。両者はポール・ロワイヤルの教育・知的活動と関わり、言語の構造を思考や判断の働きと結びつけて説明しました。

フーコーはこの種の一般文法を、古典主義時代の言語観の代表的な資料として読みます。言葉を研究することは、観念がどのように表され、文章の各部分がどの関係を持つかを分析することでした。文法の仕組みは、ものを正しく名づけ、判断を伝える秩序に関わっていたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

名前を付けることと判断を伝えること

「赤い花が咲く」という文を読むと、「花」という名詞が対象を指し、「赤い」という言葉が性質を示し、「咲く」が状態を述べます。文は単語をただ並べたものではなく、何について何を言っているのかという関係を表しています。古典主義時代の一般文法は、こうした思考と文の組み立てを結びつけて分析しました。

フーコーの議論では、言語は観念を表すための道具として捉えられる傾向を持ちます。言語それ自体の歴史を独立した対象として追究する19世紀の研究と比べると、何が言語学の中心課題だったのかが違って見えてきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

辞書や分類表が支える知識

辞書では、言葉を一定の規則で並べ、その意味を別の言葉で説明します。分類表では、対象の名前を定めて、同じ種類のものと異なる種類のものを区別します。二つは別々の道具であっても、ものの違いを言語によって安定して伝えるという役割を共有します。

フーコーは、言語の研究と自然誌の間にこうした秩序の共通性を探しました。言葉がものをどう代表するかという問題は、知識を公に伝え、検証できる形へ整える問題でもあります。これが『言葉と物』という題名の背景にある問いの一つです。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

富や貨幣も、なぜ分類の問題になるのか

富を表す尺度と交換の仕組み

商品の値段は、品物そのものの形からすぐに見えるわけではありません。別々の物が貨幣を通じて比較され、交換できるようになると、それらを共通の尺度に置くことができます。フーコーは17〜18世紀の富についての議論を、ものの価値を分析し、交換の秩序に位置づける試みとして論じます。

当時の経済思想家は富、貨幣、価格、流通について議論しました。その関心には、何を単位として物の価値を示せるかという問題があります。自然誌が形の特徴を使って対象を並べたように、富の分析も、ものの関係を秩序ある形で表そうとしていました。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

アダム・スミスが労働に向けた関心

スコットランドの道徳哲学者・経済思想家アダム・スミス(1723–1790)は、1776年に『国富論』を刊行しました。分業、交換、労働、価格などを論じ、富の成り立ちを考える研究に大きな影響を残しました。フーコーは、古典主義時代の富の分析と近代の労働概念との転換を考える中でスミスを取り上げます。

スミスの議論では、商品が交換される仕組みだけでなく、労働が富の形成とどう関わるかが重要になります。そこから19世紀の政治経済学へ続く問題が現れます。フーコーが注目するのは、経済学が何を対象として説明できるようになったかという、学問の構造上の変化です。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

言葉・自然・富が同じ時代に並ぶ意味

一般文法、自然誌、富の分析は、研究者も資料も異なる学問でした。フーコーは、それぞれが対象の同一性と差異を整理し、名づけと比較によって秩序を構成することに目を向けます。同じ観念を互いに借用したという単純な影響関係より、考える方法の同時代的な配置を探っているのです。

この比較が『言葉と物』の大きな特色です。言語学の歴史だけ、経済学の歴史だけを読んだときには気づきにくい共通の仕組みが見えてきます。どの分野が正しい答えを持っているかを判定する以前に、答えをどのような形で語れる時代だったのかを問う方法です。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

カントによって「知ること」はどう変わったのか

表象はどうして対象に当てはまるのか

ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724–1804)は、1781年に『純粋理性批判』を刊行しました。カントは、人間が対象について確かな知識を持つには、感覚によって与えられるものと、それを経験としてまとめる認識の条件を考える必要があると論じました。

フーコーの描く転換では、観念が対象を表すという仕組みが当然視される時代から、その仕組み自体がどうして可能なのかを問う時代へ移ります。表象の成り立ちに問いを向けることが、後の哲学と人文科学の構成を変える重要な契機になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

観察する人も知識の問題になる

望遠鏡を通して天体を観察したとします。観測結果について議論するとき、何を見たのか、器具は正確か、測定方法に誤りがないかを調べます。さらに、その観測を時間と空間の中の出来事として理解できるのはなぜかという問題も考えられます。カントの哲学は、こうした経験を可能にする認識の条件へ問いを向けました。

フーコーが注目したのは、知識を作る主体自身が、哲学の重要な問題として現れる変化です。世界について知る人間は、どのような能力と限界を持つのでしょうか。19世紀の諸科学は、この問いに新しい資料と説明方法を与えることになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

知識の条件を歴史からも問う

カントは、認識が可能になる普遍的な条件を批判哲学の中心問題としました。フーコーは、その問いを受け継ぎながら、ある時代にどんな知識が可能かという条件が歴史的に変わることを調べます。両者の問いには、私たちの判断の根拠を自明なものとして済ませないという共通性があります。

フーコーの考古学では、現在の学問で不可欠と思われる概念についても、過去の文献と比べることで成立時期と変化を問います。カントが知識の成立条件を哲学の中心に据えたあと、その条件の歴史まで考察することが、フーコーの独自の仕事となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

19世紀の生物学は、何を研究対象にしたのか

生物の内部の構造を調べる

フランスの博物学者ジョルジュ・キュヴィエ(1769–1832)は、動物の解剖と比較研究を発展させた人物です。1817年に『動物界』を刊行し、身体の器官がどのように組み合わされて働くかを重視しました。フーコーは、近代において「生命」が研究の中心となった転換を説明する際にキュヴィエの仕事を取り上げます。

動物を外見から並べるだけなら、よく似た形を比較することができます。骨格や器官の働きを調べると、その動物がどのような身体の仕組みによって生きているのかを考える必要が生まれます。ここで知識の対象は、観察された特徴の並びから、生き物の内部の組織へと深まっていきます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

同じ形が違う働きを持つこと

見た目が似ている器官でも、ある動物と別の動物とでは働き方が違う場合があります。逆に、外見は異なっても、生存に関わる共通の働きが見つかることがあります。生物を理解するには、個々の部分を身体全体との関係で考える視点が必要になります。

フーコーがここで取り出すのは、器官の機能と生物の組織を通して生命を考える近代的な仕組みです。分類表の同じ欄に収まるかという問いだけでは、身体の働きや生存の条件について十分に説明できません。研究対象の構成そのものが変わったというのが彼の見方です。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

進化の研究と近代の生命概念

19世紀の生物学では、発生、構造、機能、歴史の問題が幅広く論じられました。1859年には英国の博物学者チャールズ・ダーウィン(1809–1882)が『種の起源』を刊行し、種が歴史の中で変化する仕組みを自然選択から説明しました。ダーウィンとキュヴィエの学説は同じものではありません。

フーコーの中心的な関心は、それぞれの科学的主張の正否を一括して裁定することより、生命という対象がどのような条件で語れるようになったかにあります。生き物が自らの組織と歴史を持つものとして研究されるようになった変化は、19世紀の知の特徴を示しています。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

経済学は、なぜ労働の歴史を考えるようになったのか

リカードの政治経済学

英国の経済思想家デイヴィッド・リカード(1772–1823)は、1817年に『経済学および課税の原理』を刊行しました。商品の価値、賃金、利潤、地代、分配などを分析し、19世紀の政治経済学に重要な影響を与えました。フーコーはリカードの理論を、富の表象から労働の生産条件へ研究が進む転換の中に位置づけます。

商品の交換価格を比較することは、経済現象を調べる一つの方法です。リカードのような政治経済学では、商品がどのように生産され、労働が分配や価値とどんな関係を持つのかが中心になります。経済が独自の条件と変化を持つ過程として考えられるようになったのです。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

働く身体と時間が価値に関わる

同じ商品でも、作るのに必要な仕事の時間や材料、技術的な条件が異なります。市場で交換される量を調べることに加え、生産という過程を考えると、労働する人、道具、時間、分業などが分析の対象になります。

フーコーが捉える近代の経済学では、富が人間の労働という有限な条件と結びつきます。人は時間と身体に限りを持ち、その条件の中で働き生活します。経済を語る言葉が変わることは、人間がどんな存在として研究されるかの変化にも関わっていました。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

マルクスと歴史をめぐる問題

19世紀ドイツの思想家カール・マルクス(1818–1883)は、資本主義社会を生産関係や階級対立から分析し、1867年に『資本論』第1巻を刊行しました。労働と歴史を中心とする問題設定は、近代の政治経済学の議論と密接に結びついています。フーコーは『言葉と物』で、マルクス主義も歴史的な知の配置の中に位置づけました。

この位置づけは、歴史の変化を人間の労働や実践から説明しようとする立場にとって、強い論争点になりました。人間の行為によって社会が変わることを重視する研究と、何が考えられるかを規定する歴史的条件の研究とでは、歴史の説明の出発点が異なります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争)

言語学は、なぜ言葉の過去を調べ始めたのか

比較文法とボップの研究

ドイツの言語学者フランツ・ボップ(1791–1867)は、1816年にサンスクリット語の動詞活用を比較する研究を発表しました。ヨーロッパと南アジアの言語の関係を、語形の変化や文法の対応から調べる比較言語学の発展に貢献した人物です。

フーコーは、このような研究が、言葉を思考の内容を表す手段として見るだけでなく、言語それ自体の歴史を調べる方向へ進んだことに注目しました。異なる言語の規則的な変化を比較すると、現在の単語の意味だけではわからない過去の関係が見えてきます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

言葉は時間の中で姿を変える

同じ意味に近い言葉が、異なる言語では別の音と綴りを持つことがあります。言語の歴史研究では、語尾や音の変化を調べ、どのような歴史的な関係を持つかを考えます。単語を辞書の表に並べる方法に加え、時間の中で生じた変化を説明する方法が必要になります。

フーコーのいう近代の知では、言語は意味を伝える透明な道具としての役割を超え、独自の構造と歴史を持つ研究対象になります。この転換を説明するうえで、一般文法から比較文法への動きが重要な材料となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

ソシュールとの時代の隔たり

スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857–1913)は、言語を記号の関係の体系として考える方法に大きな影響を与えました。講義をもとに編集された『一般言語学講義』は1916年に刊行され、20世紀の構造主義にとって重要な著作になります。

フーコーの『言葉と物』が19世紀の比較言語学を調べるのは、20世紀の記号論を単純に過去へさかのぼらせるためではありません。言語の歴史を探る研究と、言語を関係の体系として捉える研究との連続性や差異を検討するため、言語がどのような対象として成立してきたかをたどっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

生命・労働・言語が並ぶことには何の意味があるのか

19世紀に現れた三つの独立した領域

フーコーの分析では、19世紀初頭頃に生命、労働、言語が、それぞれ独自の法則や歴史を持つ研究対象として現れます。生き物は身体の組織と生存の条件から、経済は生産と労働の条件から、言葉は歴史的な変化の規則から説明されるようになります。

これら三つを並べることで、フーコーは個々の学問の発展を越えた知の転換を示そうとします。比較できる特徴を表に並べる古典主義時代の秩序から、対象の内部にある働きや時間の厚みを調べる秩序へ、知識の基礎が移ったと考えるのです。(参照:ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

時間が知識の内部へ入り込む

歴史とは、単にいつ出来事が起きたかを年表に書くことだけではありません。あるものがどのような過程で成立し、変化してきたかを説明する方法でもあります。19世紀の知の配置では、生命や言語や生産が、それぞれ固有の時間の中で成り立つものとして考えられました。

植物を見て特徴を描き出すことと、その植物がどんな系統で生まれてきたのかを調べることは、同じ生物に向き合う異なる方法です。対象の現在の姿と、それを作り上げた経過を結びつけると、説明できる内容が変わってきます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

なぜ三つとも「人間」に関係するのか

人間は生き物として身体を持ち、生活のために働き、言語を使って他者と関係します。19世紀に生命、労働、言語が研究の中心となることで、人間自身もこれらの条件のもとで研究される対象として現れます。生きて働き、言葉を話す存在が、それぞれの科学の知識に関わり始めたのです。

フーコーの議論では、ここから「人間」の誕生という独特な主張へ進みます。人間という生物が初めて地上に現れたという話ではありません。知識の対象でありながら、その知識を作る主体でもあるという近代的な「人間」の捉え方が生まれた、という哲学的な議論です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

「人間が生まれた」とはどういうことなのか

人間を研究する学問の成立

心理学は人間の感じ方や行動を調べ、社会学は集団や制度を研究します。これらの学問では、人間が一つの研究対象になります。フーコーは、こうした人文科学を支える近代的な知の配置を、19世紀以降に形成されたものとして分析しました。

以前にも人間についての議論や記録は存在しました。古代の哲学、宗教の教え、医学や政治論にも人間の姿は登場します。フーコーが「近代の発明」と呼ぶのは、生命・労働・言語の諸条件の中で人間を対象化し、同じ人間を知識の根拠としても位置づける特殊な構成です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討)

知る主体と知られる対象になる

自分の記憶を研究する人を想像してください。その人は、記憶について調べる主体です。同時に、自分自身の記憶や判断も研究の対象になりえます。人間を研究するときには、研究する者と研究される者が重なるという問題が生まれます。

フーコーがいう近代の「人間」は、この二重性を持っています。人間は世界の中にあるものとして調べられ、同時に世界の知識を組み立てる立場でもあります。この関係をどう説明するのかが、近代哲学と人文科学の大きな問題となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

「経験的であると同時に超越論的」という二重性

フーコーは近代の人間について、経験的でありながら超越論的でもあるという二重性を論じました。身体や行動を観察される存在としては、人間は経験的な対象です。知識がどうして可能なのかを考えるときには、その条件を問う主体として現れます。

この二つの役割が重なると、人間について調べた事実を、人間が知ることそのものの基礎として扱ってよいのかが問題になります。心理学で明らかになった記憶の特徴と、記憶についての研究が知識として成立する条件は、どのような関係にあるのでしょうか。フーコーはこの緊張を近代思想の核心として捉えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

「有限性」は近代の知識とどう結びつくのか

生きること、働くこと、話すことの制約

人間の身体には寿命があり、働くための時間と能力にも限界があります。生まれたときから言語を自由に選べる人もいません。人間はすでに歴史を持つ言語や社会の中で生活します。フーコーは、こうした制約を近代の人間理解の中心にある「有限性」と結びつけて論じます。

人間の知識は、身体や生活、言語の条件から離れて成立するわけではありません。研究を進める人も、研究の対象と同じ有限な生き物です。そこには、知識を可能にする存在が、自分の全条件を透明に把握できるのかという問いが生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

人間が自分の条件をすべて把握できるか

言葉を使って自分の考えを説明するとき、私たちは長い歴史の中で作られた語彙や文法を利用します。そのすべての歴史を理解してから話し始めるわけではありません。自分が使っている言語に、今の自分が直接確かめていない過去の働きが含まれています。

フーコーが問題にしたのは、人間が自分について知ろうとするとき、その知識の条件の一部が自分の意識の外側にあるという事態です。生物学、経済学、言語学が示す制約は、人間の知識にとって外から付け加えられた事情以上の意味を持ちます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

起源を求めてもさらに過去が現れる

人間の言語の起源を問うと、現在の言葉より古い形や、さらに遠い関係へ研究が進みます。働く社会の起源を問えば、制度や技術の変化へさかのぼります。人間はすでに長い歴史の中に生まれ、その条件を後から理解しようとします。

フーコーはこうした関係を、近代思想が抱える起源と歴史の難しさとして論じました。人間の知識が現在成立している条件を探るほど、本人が始めたわけではない過去へ向かうことになります。有限な存在が自分の根拠を探すという問題が、哲学の中心に置かれています。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

人文科学は人間をどう説明しようとするのか

心理学と社会学が考える対象

心理学者は、記憶、感情、判断、学習などについて調査します。社会学者は、家族、制度、職業、集団の行動などを研究します。フーコーは人文科学について、これらを学問として成立させる歴史的な条件を分析しました。

心理や社会について研究する際、何を観察の単位とし、どの行動を意味ある結果と捉えるかは、理論によって異なります。人間の経験を知識へ変える方法を作ることも、これらの学問の大切な仕事です。フーコーは、その仕事を可能にする概念の配置を問いました。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

機能、規範、意味、制度を調べる

ある学校で児童の行動を調べる場合、身体的な発達を調べる研究と、学校の規則が行動にどう関わるかを調べる研究では、問いの立て方が違います。誰の行動を正常と呼ぶのか、何が規範として機能するのかも、資料をもとに考える必要があります。

フーコーが人文科学を扱う際には、人間の生物学的な条件、社会的な労働、言語による意味の働きが交差する場が問題になります。何を人間についての「事実」として記述できるかが、個別の学問の内部だけで完結しないことを示そうとしました。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

人文科学と自然科学を同一視できるか

生物学には生物学の方法があり、政治経済学には経済を分析する理論があります。心理学や社会学も、独自の対象と方法を発展させてきました。フーコーは、こうした学問を一つの尺度で並べて点数を付けるより、近代の知の中でそれぞれがどこに位置づけられるかを調べます。

哲学者ヴァンサン・デコンブは2016年の研究で、『言葉と物』が扱う諸学問の区別に注目しました。フーコーが生物学・経済学・言語学と、心理学・社会学、さらに構造的な研究を同じ意味の「人文科学」として扱っているわけではないことを指摘しています。この区別を保つことで、原著の複雑な構図が見えてきます。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

精神分析と民族学が持つ特別な役割とは

無意識を調べる精神分析

オーストリアで活動した医師ジークムント・フロイト(1856–1939)は、夢、症状、記憶、欲望を手がかりに精神分析を発展させました。人間が自分の心の働きをすべて意識できるという前提を揺さぶった思想家です。フーコーは、精神分析を人文科学の境界を問い直す特別な研究として取り上げます。

自分のことを語っているつもりでも、言葉の選択や繰り返される症状に、自分が十分に理解していない関係が表れることがあります。精神分析は、意識的に説明される内容の背後にある働きを問題にします。主体が自分を透明に理解できるという考え方に、新しい問いを投げかけるのです。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

他の文化の規則を調べる民族学

民族学や文化人類学は、異なる社会で親族関係や慣習、神話がどのように成り立っているかを研究します。20世紀のレヴィ=ストロースは、文化的な違いの背後にある関係の体系を比較する方法を展開しました。個々の当事者が自分で説明する意図を越えた規則性を問う点で、フーコーの関心と接点があります。

ある社会で自然に感じられる親族の呼び方も、別の社会では異なる関係で組み立てられることがあります。そうした差をたどると、人間の生活を一つの普遍的な常識で理解することが難しくなります。人間の知識を歴史や文化の条件から問い直す方法が現れます。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

人間を中心とする考えを揺さぶる研究

精神分析と民族学は、それぞれ異なる研究方法を持ちます。フーコーにとって重要なのは、両者が人間を自分自身の意味の完全な主人として扱う考え方を揺さぶる点です。無意識や文化の規則へ目を向けると、人間の意識が説明の最後の根拠になるとは言い切れなくなります。

このような学問をフーコーは、人文科学の輪郭そのものを問い直すものとして扱いました。人間の心理や文化を詳しく説明するほど、研究する人間がすべてを自ら統制しているという像が揺らぎます。近代の「人間」の位置がどう変わりうるかという、原著の結末へつながる議論です。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

「人間の終焉」という言葉は何を意味するのか

浜辺の砂に描かれた顔という比喩

『言葉と物』の末尾では、現在の知の配置が変わるなら、人間という像が海辺の砂に描かれた顔のように消える可能性が語られます。これは、社会から人々がいなくなるという予告ではありません。人間が知識の中心的な根拠を担うという、近代固有の考え方が歴史的に変わりうるという主張です。

砂に描かれた顔は、そこに実際に描かれた像です。波や風によって形が失われても、砂浜そのものが消えるわけではありません。この比喩から考えると、ある時代の中心に見えた概念も、別の仕組みの中では同じ役割を持たなくなる可能性があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『人間の誕生と終焉』)

人間の尊厳をめぐる議論との違い

フーコーの主張が大きな反響を呼んだのは、「人間の終焉」という表現が、戦争後のフランスで重視された人間の自由や尊厳への関心に強く響いたからです。サルトルに代表される実存主義の議論では、自ら行動する人間の自由が哲学と政治の大きな問題でした。

フーコーは、人間の権利を否定するためにこの言葉を掲げたのではありません。人間についての知識を支える概念が歴史の中で形成されたことを示し、絶対的な出発点としての「人間」を批判しました。その哲学的な論点と、同時代にどのように受け取られたかを分けて考える必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争)

人間についての知識を批判的に捉える

人間についての科学が増えるほど、「人間とはこういう存在だ」という説明も増えていきます。その説明には経験的に確かめられる部分があり、歴史的な分類や制度に結びついた部分もあります。フーコーは、この混ざり合いを読み分ける方法を示そうとしました。

何を人間の普遍的な性質と呼び、何を時代に固有の考え方と判断するのか。『言葉と物』の最後の問いは、私たちが人間について知るときに、どんな種類の根拠を求めるべきかという問題に戻ってきます。これは現代の読者にとっても考える余地のある問いです。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

構造主義とフーコーはどう関係するのか

言語と文化の関係から考える

構造主義は、個々の要素の意味が、その要素だけで決まるのではなく、全体の関係の中で成立することに注目します。ソシュールの言語学とレヴィ=ストロースの人類学は、この発想を20世紀に広めた重要な流れでした。フーコーの考古学も、個人の意識より広い規則を調べる点で近い問題を持ちます。

たとえば一つの言葉の意味は、辞書に書かれた説明だけでなく、ほかの言葉との差異や使われる場面によって理解されます。何が考えられるかを関係の体系から説明する方法は、知識の歴史を扱うフーコーにも刺激を与えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討)

フーコーの考古学が歴史を扱う理由

言語の構造をある時点で調べる方法と、時代が変わるにつれて学問の対象や規則がどう変わるかを調べる方法は、問いの向きが異なります。フーコーの考古学は、同時代の知識の配置を調べながら、その配置そのものが歴史の中で変わることを中心に据えています。

そのためフーコーを単に構造主義の説明者と呼ぶと、彼の歴史研究の意義が見えにくくなります。『言葉と物』は、類似、表象、生命・労働・言語の歴史的な配置を比較することで、知の土台が変化する可能性を示した著作です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|フーコーと歴史的断絶に関する近年の研究)

思想家自身も規則の中で考えている

大きな発見をした研究者でも、どの問いを研究価値のあるものと判断するかは、教育、既存の学問、資料のあり方に関わります。フーコーは偉大な個人の発想だけで知識の歴史を説明する代わりに、その発想が可能だった条件を探りました。

ここで個人の努力が無意味になるわけではありません。研究者の独創性も、利用できる概念や問題の中で生まれます。個人の判断と、それに先立つ知の規則との関係を考えることが、フーコーの方法に含まれています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

サルトルはなぜ『言葉と物』に反論したのか

自由と実践から歴史を理解する立場

サルトルは1943年の『存在と無』で人間の自由と自己理解を論じ、1960年の『弁証法的理性批判』では個人の行為と社会の歴史的な関係を考えました。人間は与えられた条件の中で行動し、他者との関係を通じて社会を変える存在だという問題意識があります。

『言葉と物』は、主体の意識や実践より、知識を可能にする歴史的な配置に重きを置きました。サルトルの視点から見ると、その方法で人間が社会を変える行為を十分に説明できるのかという疑問が生じます。両者は、歴史を何から理解するかという点で対立しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争)

1966年に起きた公開の論争

『言葉と物』が1966年に刊行されると、サルトルとの立場の違いが雑誌の批評やインタビューを通じて注目されました。サルトルは、知識の構造を重視する議論が歴史を動かす人間の実践を捉えにくくしていると考えました。フーコーも同年の発言で、自分の方法が実存主義の主体中心の見方と異なることを明確にしました。

ここでは二人の哲学者が単に好き嫌いを争ったのではなく、歴史の説明に何が必要かをめぐって議論していました。主体の行為を出発点にすることと、主体が考えられる条件を探ること。この違いが、1960年代のフランス思想で重要な争点になりました。(参照:査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争/専門研究|カンギレムの1967年批評の書誌と検討)

歴史の変化を何によって説明するか

政治運動が起きた理由を調べるなら、参加した人々の判断や組織、経済状況、制度の変化を分析する必要があります。学問上の考え方が変わった理由を調べるなら、議論に使える概念や知識の仕組みも検討しなければなりません。二つの説明はどこで結びつくのでしょうか。

フーコーの考古学が歴史の断絶をうまく描いても、その転換がなぜ起こったかを説明しきれていないという批判は、この問題に関わります。歴史家ルカ・ペルドリサの2021年の研究は、1966年の論争を、歴史の方法と断絶の位置づけをめぐる対立として検討しています。(参照:査読誌「Práticas da História」|サルトルとフーコーの歴史論争/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

『言葉と物』の歴史研究にはどんな批判があるのか

時代の境界をはっきり引けるのか

フーコーの大きな仮説は、知の配置がルネサンス、古典主義時代、近代という異なる構成を持っていたというものです。研究者は、その説明を検討する際に、移行期の資料や地域差、同じ時代の内部で並存した研究方法を調べる必要があります。

ある時代に分類表が重要だったとしても、ほかの方法が消えたとは限りません。古い方法が長く残る場合も、新しい研究が早く現れる場合もあります。どの資料から時代の大きな特徴を取り出すかという選択は、フーコーの考古学そのものへの重要な批判的問いになります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究/ケンブリッジ大学出版局|フーコーと歴史的断絶に関する近年の研究)

断絶が起きた理由を説明できるか

異なる時代の書物を比較し、その説明方法が大きく変わったと示すことはできます。その次には、教育制度、研究技術、経済や社会の変化が、どのように新しい知識を生んだのかという問いが現れます。歴史を研究するには、状態の比較と変化の過程の説明をどう結ぶかが問題になります。

スタンフォード哲学百科事典も、フーコーの考古学が知識の配置を比較する強みを持ちながら、変化の原因を十分に説明する点では限界があったと整理しています。フーコーが後に制度や権力の働きを調べる方法へ進む理由の一つは、この問題と関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/米国哲学会誌|考古学的方法への批判と再評価)

自然科学と人文科学の違いをどう扱うか

数学の証明、臨床試験、歴史文書の読解は、証拠の示し方も間違いの訂正方法も異なります。エピステーメーという大きな概念で複数の研究をまとめるときには、個別分野の実験や論証の成果が十分に説明されているかを確かめる必要があります。

フーコーの知識論は、すべての科学的な答えを同じ程度に任意だと結論づけるものではありません。彼の主張を検討するには、研究が何を問えるかという歴史的な条件と、実際の主張がどのような証拠によって支持されるかを区別することが大切です。この区別によって批判も具体的になります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』/学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討)

カンギレムたちはどう応答したのか

1967年の「人間の死か、コギトの疲弊か」

フーコーの先行研究を支えた哲学者カンギレムは、1967年に「人間の死か、コギトの疲弊か」と題する批評を発表しました。『言葉と物』が提示した「人間の終焉」をめぐる問題を、哲学の歴史と認識の条件から考察した文章です。師の立場にいた人物も、フーコーの議論を公に検討する議論の中へ加わりました。

この批評の存在は、1966年の著作が単なる流行語で終わらず、科学史や哲学史の研究者が取り組む問題を生んだことを示しています。原著が問いかけた人間の知識の根拠と、歴史的に変わる条件との関係は、その後の研究でも繰り返し検討されました。(参照:専門研究|カンギレムの1967年批評の書誌と検討/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

デコンブが問い直した人文科学の範囲

フランスの哲学者ヴァンサン・デコンブは、2016年の論文「『言葉と物』は何の考古学なのか」で、フーコーがどの分野を「人文科学」として扱ったのかを問い直しました。生物学、経済学、言語学、心理学、社会学、精神分析や民族学の関係は、原著の議論を理解するための重要な争点です。

この区別が曖昧になると、『言葉と物』がなぜ生命、労働、言語の三分野をたどってから人文科学へ進むのかがわかりにくくなります。デコンブの検討は、近代の「人間」という概念がどんな学問の配置の中で成立するのかを、改めて考えさせます。(参照:学術誌「History and Theory」|デコンブの『言葉と物』再検討/ガリマール刊原著|『言葉と物』書誌・原著概要)

現代の研究が断絶を再検討する

近年の思想史研究でも、フーコーが描いた知の断絶をどのように理解するかが論じられています。ある時代の知識の配置は急激に変わったのか、複数の速度の変化が重なっていたのか。研究者は実際の文献の比較を通じ、この歴史像を検討しています。

『言葉と物』の方法を批判的に受け継ぐことは、時代区分をそのまま暗記することとは違います。どの資料が大きな転換を示し、どの資料が連続性や地域差を示すのかを調べることが、フーコーの問いを歴史研究として深める方法になります。(参照:ケンブリッジ大学出版局|フーコーと歴史的断絶に関する近年の研究/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

フーコーの考えは1969年以降どう展開したのか

『知の考古学』で方法を明確にする

フーコーは1969年に『知の考古学』を刊行し、以前の研究で用いてきた方法を詳しく説明しました。そこで取り組まれるのは、ある言明がどの条件で成立し、ほかの言明とどう関係し、研究の対象を形づくるのかという問題です。1966年の『言葉と物』より、分析の水準を精密に区別しようとしています。

『知の考古学』の序論では、フーコー自身が先の著作にあった問題点を振り返っています。『言葉と物』については、方法の説明が十分でなかったために文化全体の統一的な分析であるかのような印象を与えたことを認めています。後の仕事を知ると、彼の方法が変化し続けたことがわかります。(参照:フーコー『知の考古学』|序論(英訳公開テキスト)/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

『監獄の誕生』で制度と権力を分析する

1975年の『監獄の誕生』では、処罰の制度、身体の訓練、監視の方法などを通じて近代社会の権力を分析しました。学校、軍隊、工場、監獄などで人の行動をどのように観察し、記録し、規律を作るのかという問題が中心になります。

この研究では、知識が成立する条件と、社会の具体的な制度の働きが結びついてきます。人間を分類し、記録し、評価する知識は、その知識が使われる場所の仕組みとも関係します。1966年の人文科学についての問いは、社会制度と権力の研究へつながっていきました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/コレージュ・ド・フランス|ミシェル・フーコーの経歴)

性の歴史と、主体の形成をめぐる探究

フーコーは1976年に『性の歴史』第1巻『知への意志』を刊行しました。性について人々が何を語り、どのように分類し、どんな制度の中で自分自身を理解してきたのかを検討します。晩年には、古代の倫理や自己への関わり方にも研究を広げました。

初期の考古学から晩年の研究までを結ぶのは、人間が自分自身をどのような知識の対象とし、どのような実践の中で生き方を形づくってきたかという問いです。方法や対象を変えながら、フーコーは「人間」についての常識がどのように成り立つのかを考え続けました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/コレージュ・ド・フランス|ミシェル・フーコーの経歴)

時代によって「正しい知識」が変わるとはどういうことか

同じ対象にも異なる問いが向けられる

一本の木を前にして、画家は光と色を観察し、植物学者は葉の構造を調べ、歴史家は土地の利用記録を読むことができます。対象は同じ木でも、何を知ろうとするかによって使う方法と説明は異なります。この身近な違いを歴史の規模に広げると、問いの立て方そのものが時代によって変わってきたことが問題になります。

フーコーは、ものを類似で結びつける方法、表で分類する方法、生命や言語の歴史を調べる方法が、異なる知の条件を持つことを描きました。人間が何を根拠として真理を語れるかという仕組みには、歴史的な形成と変化があります。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/ケンブリッジ大学出版局|ギャリー・ガッティング『類似から表象へ』)

正しさを確かめる方法と、知の条件

ある説明が正しいかどうかは、観察や論証、資料との照合によって確かめられます。同時に、どんなものが観察の対象として選ばれ、どの種類の証拠が有効とされるかにも歴史があります。フーコーの問いは、この二つ目の層を明らかにすることでした。

したがって「昔は昔の正しさ、今は今の正しさだから何でも同じ」という結論には進みません。現在の知識も、具体的な証拠によって検討されます。その検討の基準自体もどのように作られてきたのかを問うことで、知識への批判はさらに深まります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト))

知識の歴史が私たちに残す問い

今日の心理学や医学、経済学で当然に使われている分類も、それがどのように生まれたかを調べることができます。分類の歴史を知ると、説明できる対象が増えた理由だけでなく、別の分け方が見過ごしていた事実や、ある方法が見えにくくした経験にも気づけます。

フーコーが1966年に提示した答えは、知識の正しさを判断するための条件そのものが歴史の中で組み替えられるということです。だからこそ、現在の知識を使って世界を理解するときにも、その知識が何を見せ、何を見えにくくしているかを考える余地が生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー/ケンブリッジ大学出版局|知の考古学と時代転換の研究)

略年表|フーコーと知識の歴史

  • 1605年|セルバンテス『ドン・キホーテ』前編が刊行される
  • 1615年|『ドン・キホーテ』後編が刊行される
  • 1656年|ベラスケスが宮廷の情景を描いた《ラス・メニーナス》を制作する
  • 1660年|アルノーとランスロの『一般・理性文法』が刊行される
  • 1735年|リンネ『自然の体系』初版が刊行される
  • 1776年|アダム・スミス『国富論』が刊行される
  • 1781年|カント『純粋理性批判』初版が刊行される
  • 1816年|ボップがサンスクリット語の動詞活用の比較研究を発表する
  • 1817年|キュヴィエ『動物界』とリカード『経済学および課税の原理』が刊行される
  • 1859年|ダーウィン『種の起源』が刊行される
  • 1867年|マルクス『資本論』第1巻が刊行される
  • 1916年|ソシュールの講義をもとに『一般言語学講義』が刊行される
  • 1926年|ミシェル・フーコーがポワティエに生まれる
  • 1943年|サルトル『存在と無』が刊行される
  • 1946年|フーコーがパリの高等師範学校に入学する
  • 1958年|フランスで第五共和政憲法が公布される
  • 1960年|サルトル『弁証法的理性批判』が刊行される
  • 1961年|フーコー『狂気の歴史』が刊行される
  • 1962年|フーコーがクレルモン=フェラン大学の哲学教授となる
  • 1963年|フーコー『臨床医学の誕生』が刊行される
  • 1966年|フーコー『言葉と物――人文科学の考古学』がガリマール社から刊行される
  • 1966年|サルトルらとフーコーの間で歴史の方法をめぐる論争が起きる
  • 1967年|カンギレムが「人間の死か、コギトの疲弊か」を発表する
  • 1969年|フーコー『知の考古学』が刊行される
  • 1970年|フーコーがコレージュ・ド・フランスで「思考体系の歴史」の講義を始める
  • 1975年|フーコー『監獄の誕生』が刊行される
  • 1976年|フーコー『性の歴史』第1巻『知への意志』が刊行される
  • 1984年|フーコーがパリで死去する
  • 2016年|デコンブが『言葉と物』の人文科学概念を検討する論文を公表する

まとめ|時代によって「正しい知識」が変わるのはなぜか

フーコーの『言葉と物』は、人間が過去に何を知っていたかを並べることから、どんな条件で知識が成立するかを調べることへ視点を移しました。ルネサンスの類似、17〜18世紀の表象と分類、19世紀の生命・労働・言語という三つの配置をたどることで、学問の対象と説明の方法がともに歴史を持つと考えました。

ベラスケスの《ラス・メニーナス》における視線、鏡、描かれたカンヴァスの関係は、表すものと表されるものがどのように結びつくかを考える手がかりになります。リンネの自然誌、一般文法、富の分析から、キュヴィエ、リカード、ボップの研究への変化は、学問の歴史が単なる情報の追加としては捉えきれないことを示しています。

その変化の中で近代の人文科学が成立し、「人間」は世界を知る主体であると同時に、研究される対象ともなりました。「人間の終焉」という言葉は、この近代的な構成も変わりうるという哲学的な主張です。フーコーの歴史像には大きな断絶をどこまで立証できるかという批判があり、彼自身も1969年以降に方法を組み直しました。

時代によって正しい知識が変わるのは、資料や発見が積み重なることに加え、何を対象として認め、どんな問いを立て、何を根拠とするかが変わるからです。この問題を考えるとき、私たちは現在の学問を使いながら、その学問の条件も検討できます。(参照:フーコー『言葉と物』|序文(英訳公開テキスト)/スタンフォード哲学百科事典|ミシェル・フーコー)

参考資料・出典

刊行年・著作の構成は国立図書館の書誌と原著序文、作品の制作情報は所蔵館資料、解釈と論争は哲学研究・学術論文を参照しました。