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Philosophy

1900–1913

私たちは物事を本当にそのまま見ているのか

フッサールと現象学の成立

1900年前後のドイツ語圏では、大学で数学、物理学、心理学を専門的に学ぶ仕組みが発展していました。各大学には研究室や講義が設けられ、学者たちは論文や専門誌を通じて議論を重ねます。ドイツのゲッティンゲン大学では、数学者ダフィット・ヒルベルト(1862–1943)が1899年に『幾何学の基礎』を刊行し、数学がどのような原理から成り立つかを問い直していました。1900年にはパリの国際数学者会議で、将来の研究課題となる問題群を発表します。数学の計算方法が発達するほど、その正しさを何によって保証できるのかという問いも切実になっていた時代でした。

同じころ、心理学では人間の感覚や判断を実験によって研究する動きが広がっていました。人が色をどう見分け、音をどう感じ、記憶をどうたどるのか。観察と実験は、心について多くの新しい知識をもたらします。その中で、ある疑問が浮かびます。人間が実際にどのように考えるかを調べれば、「正しい推論とは何か」という論理学の問題にも答えられるのでしょうか。人間がそう考えたという事実と、その考えが正しいということには、どのような関係があるのでしょうか。

この問題に取り組んだのが、数学を学んで哲学へ転じたエトムント・フッサール(1859–1938)です。現在のチェコにあたるモラヴィアで生まれ、ウィーンやハレで学問に携わった彼は、1900年から1901年にかけて『論理学研究』を刊行しました。そこで探ったのは、論理的な真理の成り立ちと、その真理を理解する人間の意識との関係です。この研究から、私たちが物や意味をどのように経験しているかを丁寧に記述する「現象学」という哲学が発展していきます。

机に置かれた一つのコップを見るとき、私たちの目に入るのは、ある角度から見える側面です。裏側は直接見えていなくても、一つのコップがそこにあると自然に理解しています。友人の声を聞き、明日の約束を思い出すときにも、意識は何かに向かって働いています。フッサールは、こうした身近な経験を通じて、物が私たちに現れるとはどういうことかを考えました。1913年の『純粋現象学および現象学的哲学のための諸構想』第1巻、一般に『イデーンⅠ』と呼ばれる著作では、その探求をさらに深め、世界を経験する仕組みを哲学の中心問題に据えています。

CONTENTS

  1. 数学と実験心理学が発展したヨーロッパ
  2. ゲッティンゲンの数学者が基礎を問い直した
  3. 数学者フッサールはどのように哲学へ進んだのか
  4. ブレンターノは「意識が対象へ向かう」と考えた
  5. 1891年『算術の哲学』が抱えた難問
  6. フレーゲの批判は何を問題にしたのか
  7. 論理学を心理学へ還元する「心理主義」とは
  8. 1900–1901年『論理学研究』の全体像
  9. 論理的な真理は誰の心にも同じように成り立つか
  10. 同じ言葉を違う人が理解できるのはなぜか
  11. 意味は個人の頭の中の像と同じものか
  12. 現象学でいう「志向性」は何を意味するか
  13. 存在しないものを考えられるのはなぜか
  14. 目の前のコップはなぜ一つの物に見えるのか
  15. 見えない裏側を私たちはどう理解しているか
  16. 意味することと実際に確かめること
  17. 部分と全体の関係はどう理解できるか
  18. 関係や判断を「見る」とはどういうことか
  19. 知覚、記憶、想像は同じ仕組みなのか
  20. ゲッティンゲンで現象学の研究が広がる
  21. 1905年、時間意識についての講義
  22. 今この瞬間は過去と未来に開かれている
  23. 1907年、現象学の方法が新たな段階へ進む
  24. 日常生活を支える「自然的態度」とは何か
  25. エポケーは何を「括弧に入れる」のか
  26. 現象学的還元が開く研究の場所
  27. 同じ物が現れ続ける仕組みをたどる
  28. 1913年『イデーンⅠ』で方法を体系化する
  29. ノエシスとノエマは何を区別しているか
  30. 本質直観は何を確かめようとするか
  31. 「確かに見えた」という明証性の問題
  32. 世界の意味はどのように成立するのか
  33. 他者も世界を経験しているという問題
  34. 自然科学と哲学は何を調べるのか
  35. 1913年の転回が引き起こした議論
  36. 現象学の問いは20世紀にどう受け継がれたか
  37. 「見ること」の研究は芸術へもつながるか
  38. 私たちは物事をそのまま見ているのか
  39. 略年表|フッサールと現象学の成立
  40. まとめ|見ることと意味の成立を問い直す
  41. 参考資料・出典

数学と実験心理学が発展したヨーロッパ

計算の正しさを基礎から確かめる時代

19世紀後半の数学では、微積分、幾何学、数の理論について、何を前提に証明を進められるかが大きな問題になっていました。長く自明だと考えられてきた原理についても、定義や公理を明らかにする仕事が進みます。厳密な証明を求める姿勢は、数学を教える大学や専門的な研究者の間で共有されるようになりました。

この時期の哲学者には、数学が確実である理由を考えるという課題がありました。人が数える行為を心理学で説明することと、数についての定理が正しい理由を説明することは、どのようにつながるのでしょうか。フッサールが最初に向き合ったのは、この数学と認識の関係でした。(参照:セント・アンドルーズ大学数学史資料|ダフィット・ヒルベルト/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

心理学が実験室で研究されるようになる

ドイツの心理学者ヴィルヘルム・ヴント(1832–1920)は、1879年にライプツィヒ大学で実験心理学の研究施設を開きました。感覚や反応時間などを測定し、心の働きを一定の条件のもとで調べる方法が発達します。心理学が独立した研究領域として制度化されていく転換期でした。

実験は、特定の刺激を受けた人がいつ、どのように反応するかを調べます。その成果は心についての理解を深めました。フッサールが関心を持ったのは、測定された心の反応を説明することと、真理や意味が成立する条件を考えることの関係です。ここから、心理主義をめぐる論争へ議論が進みます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|心理主義)

研究大学が生み出した学問の交流

19世紀のドイツの大学では、教授の講義を聞き、研究成果を論文として提出し、研究者の資格を得る制度が整っていました。研究者は大学を移りながら新しい講座へ参加し、数学、哲学、心理学の間で知識を交換します。フッサールもライプツィヒ、ベルリン、ウィーン、ハレを経て学問の道を歩みました。

このような環境では、ある分野の方法を別の分野へ応用できるかが問題になります。心理学が論理学の基礎になるという考えも、その交流の中で議論されました。フッサールの現象学は、専門分野の境界が動いていた学術文化を背景に誕生します。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

ゲッティンゲンの数学者が基礎を問い直した

ヒルベルト『幾何学の基礎』1899年

ゲッティンゲン大学の数学者ダフィット・ヒルベルトは、1899年に『幾何学の基礎』を刊行しました。幾何学を成り立たせる公理を明確にし、その関係を厳密に検討する仕事です。直感的に図形を思い浮かべるだけでなく、どの前提から何が導けるかを明らかにしようとしました。

この研究は、数学的な証明における形式と意味を問い直す時代の動向を示しています。数学を専門としてきたフッサールにとっても、数や論理の成立条件は大切な課題でした。同じ時期にゲッティンゲンで活動した数学者たちの問題意識は、彼の仕事が置かれた知的な環境を理解する助けになります。(参照:セント・アンドルーズ大学数学史資料|ダフィット・ヒルベルト/ヒルベルト「数学の諸問題」1900年講演原典)

1900年の数学者会議で示された問題群

ヒルベルトは1900年8月、パリの国際数学者会議で数学の将来に関わる問題を提示しました。後に23の問題として知られる課題群です。数学者が取り組むべき具体的な問題を示すとともに、数学の方法や原理をさらに深めようとする姿勢を表しています。

この時期の学術的な関心は、知識を積み重ねることと、その知識がどのような根拠を持つかを調べることを同時に求めていました。フッサールも、数学的な真理を人間がどう理解するかという問題を通じて、認識の基礎を探る方向へ進みました。(参照:ヒルベルト「数学の諸問題」1900年講演原典/セント・アンドルーズ大学数学史資料|ダフィット・ヒルベルト)

数学の問題から知覚の問題へつながる道

三角形についての定理を理解するとき、人は紙に描いた一つの図を見て考えます。その図には線の太さや大きさがあります。定理が扱うのは、紙の上の特定の線だけに当てはまる関係でしょうか。それとも多くの図形に共通する関係でしょうか。

フッサールの研究は、このような理想的な意味と、具体的に考える経験との関係を問い続けました。やがてその問いは、そもそも私たちは一つの物をどのように同じ物として経験するのか、という知覚の問題へ広がります。数学から現象学への道を理解するための重要な接点です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報)

数学者フッサールはどのように哲学へ進んだのか

1859年モラヴィアに生まれる

エトムント・フッサールは1859年、当時のオーストリア帝国に属したモラヴィアのプロスニッツ、現在のチェコのプロスチェヨフに生まれました。ユダヤ人の家庭に育ち、大学進学後は数学や物理学を学びます。彼は19世紀の帝国とドイツ語圏の大学文化を往来しながら、研究者としての道を探りました。

出生地と学問の活動場所が異なることは、当時の中央ヨーロッパの学術環境を理解するうえで大切です。政治的な国境を越えた研究者の交流があり、フッサールも複数の大学で学び、のちにドイツの大学で教えるようになります。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

ベルリンで数学を学び、ウィーンで博士号を得る

フッサールは1870年代後半にライプツィヒやベルリンで学び、数学者カール・ワイエルシュトラス(1815–1897)らの厳密な数学研究に触れました。ウィーン大学では変分法に関する研究に取り組み、1882年に数学の博士号を取得します。

数学の方法を身につけた経験は、彼がその後も論理と認識の確かさを求め続けた背景の一つでした。心についての哲学へ進んだ後も、日常の直感だけで結論を出さず、何を根拠に説明できるかを丁寧に調べようとします。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

ブレンターノの講義が転機になる

フッサールは1884年からウィーンで哲学者フランツ・ブレンターノ(1838–1917)の講義を受けます。ブレンターノは、心の働きが何かの対象へ向かうという特徴を重視し、心理現象を研究していました。フッサールにとって、数学の問題を心の働きと結びつけて考える重要なきっかけとなります。

ブレンターノのもとで学んだのち、フッサールは1886年にハレへ移り、ブレンターノの弟子だったカール・シュトゥンプフ(1848–1936)のもとで研究を進めます。1887年に大学教授資格を得て、数や論理の基礎に関する問題を講じ始めました。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

ブレンターノは「意識が対象へ向かう」と考えた

何かを考えるという心の特徴

ブレンターノが重要視したのは、心の活動には何かが関わっているという特徴です。物を見ているときには見ている物があり、誰かを思い出すときには思い出している人がいます。将来を心配するときには、まだ起きていない出来事が心配の対象になります。

この「何かについての経験である」という性格は、後に志向性と呼ばれる議論の中心になります。フッサールはブレンターノの着想を受け継ぎ、対象が意識にどのように現れ、同じ意味を保つのかを詳しく調べるようになりました。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

志向性は「目的を持つこと」とどう違うか

日本語の「志向」という言葉には、何かを目指すという響きがあります。哲学でいう志向性は、意識が意図的な目標を設定していることに限られません。急に聞こえた音に驚くときも、昔の景色を思い浮かべるときも、経験は何かについての経験として成立しています。

意識の対象は、現在目の前にある物にも、過去の出来事にも、空想上の人物にもなります。フッサールは、この幅広い性格から、見ること、思い出すこと、想像することの違いを分析する道を開きました。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

教師の発想を受け継いで作り直す

ブレンターノは心理学の方法から心の活動を考えました。フッサールはその着想を受け止めながら、経験の構造を哲学的に調べるための方法へ発展させていきます。人がある対象をどのように意識するかと、その対象についての判断が正しいかを分けて考えることが重要でした。

そのため、フッサールの志向性論は、師が提出した問題を詳しく分析すると同時に、意味や真理についての研究へと結びついていきます。ここから、意識を記述する現象学と、論理学の基礎を考える仕事がつながります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容)

1891年『算術の哲学』が抱えた難問

数える行為から数を理解しようとした

1891年、フッサールは『算術の哲学』を刊行しました。人間が物をまとめて数え、数についての考えを形成する過程を、心理学的な観点も使って説明しようとする著作です。数えるという身近な行為から、数学の抽象的な対象へ向かう道を探ろうとしました。

三個の石と三本の鉛筆は、それぞれ異なる具体的な物です。両方について「三」という数を理解できる理由を、心理的な経験だけで説明できるかが問題になります。フッサールはこの課題と向き合い、数学の基礎と心の関係を考え続けました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

経験の説明と真理の根拠が交わる

子どもが初めて数を学ぶとき、指を使って一、二、三と数えるかもしれません。その学習過程を調べることは、教育や心理学にとって重要です。そこから「二に一を加えると三になる」という関係がなぜ正しいのかを説明するには、別の考察が必要になります。

フッサールの初期の仕事には、こうした二種類の問いが重なっていました。人が数を理解する仕組みと、数の関係が人によらず正しいことをどう説明するか。その違いを明確にする過程が、彼の思想の転換へつながっていきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

数学への関心が哲学の方向を決める

数についての問いは、数字という記号の使い方、数学的な対象のあり方、人が意味を理解する働きへ広がります。フッサールは数学の研究から出発したため、推論の正しさをめぐる問題を避けて通れませんでした。

この背景を知ると、彼の現象学が感覚を丁寧に眺めるという直感だけから生まれたのではないことがわかります。数学や論理についての厳密な問いが、知覚と意識の分析へ進む出発点でした。(参照:フッサール『論理学研究』第1巻・純粋論理学序説の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

フレーゲの批判は何を問題にしたのか

論理学者フレーゲの1894年書評

ドイツの数学者・論理学者ゴットロープ・フレーゲ(1848–1925)は、1894年にフッサールの『算術の哲学』を批判的に論評しました。問題の一つは、数や概念についての説明が、人間の心に生じる表象や心理的な過程と混同されていないかという点でした。

人が「三」という数を思い浮かべるとき、指や点の図を想像するかもしれません。その心の像と、数三の意味は同じものなのか。フレーゲの批判は、数学的な対象を心理的な出来事へまとめてしまう説明への重要な問いになりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義とフレーゲの1894年書評/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

同じ意味を違う人が理解できる理由

一人は三個の点を思い浮かべ、別の人は数字の「3」を目に浮かべる場合があります。二人の心の中の像は違っていても、同じ数について話し合えます。意味が個人的な心理的印象だけから成るとすれば、この共有を説明するのが難しくなります。

フッサールは、意味が個人の心で生じる経験とどのような関係にあるのかを、より厳密に問うようになります。『論理学研究』で扱う理想的な意味や論理の妥当性には、こうした問題が深く関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報)

批判だけを思想転換の原因としない

フレーゲの書評は、フッサールの初期の立場を考えるうえで重要な史料です。フッサールはその前後にも数学や論理についての研究を続け、長い時間をかけて『論理学研究』をまとめました。思想の変化には、数学の基礎、認識論、哲学的な先行研究についての検討が関わっています。

ある一つの批判によって突然考え方が変わったという説明より、どの問いが解き残され、どのような著作へつながったのかを時系列で追うと、現象学が形成された過程を具体的に理解できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|心理主義とフレーゲの1894年書評)

論理学を心理学へ還元する「心理主義」とは

人がどう考えるかと、何が正しいか

心理主義とは、論理的な規則や意味の成立を、人間の心理的な働きに基づいて説明しようとする立場の総称です。人間の思考についての実験や観察から、正しい推論の規則も導けると考える場合があります。19世紀末の哲学では、これが重要な論争の対象でした。

多くの人がある結論を正しいと思っていることは、その考え方の広がりを示します。結論の妥当性を証明するには、前提から何が導かれるかを検討する必要があります。フッサールは、この二つの問題を分けることで、論理学の独自の役割を明らかにしようとしました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

心理法則は経験から調べられる

人が複雑な計算をするとき、どのような間違いをしやすいかは心理学の研究対象になります。疲労や注意の向け方によって誤りが増えることも考えられます。こうした研究で得られる説明は、特定の条件における人間の行動についての経験的な法則です。

論理学が問うのは、ある前提を認めたとき、どの結論を正しく導けるかという規則です。フッサールは、心理学の観察成果と、論理的な妥当性の基礎とを区別する必要があると論じました。この区別から『論理学研究』が始まります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/フッサール『論理学研究』第1巻・純粋論理学序説の原典・版情報)

誤った推論が行われても、規則は変わらない

ある人が計算で間違えた場合、なぜその間違いをしたかを調べることができます。誤りの原因がわかっても、計算の答え自体がその人の心理状態によって変わることはありません。フッサールは、論理の正しさを心理的な事実に依存させる説明の難点をこの方向から考えました。

この問題は、知識を共有する人々の間で、どのような基準によって議論を進められるかにも関わります。フッサールの主張は、正しさを説明する仕事に、経験的な心理研究とは異なる方法が必要だというものでした。(参照:フッサール『論理学研究』第1巻・純粋論理学序説の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|心理主義)

1900–1901年『論理学研究』の全体像

第1巻で純粋論理学の必要を論じる

『論理学研究』は1900年と1901年に二つの巻として刊行されました。1900年の第1巻には、純粋論理学のための序説が収められています。そこでは心理主義を批判し、推論の正しさや科学の基礎を考えるための論理学の役割を論じました。

フッサールは、科学が何かを証明するには、論理的に正しい関係を用いる必要があると考えました。その関係自体の妥当性を理解することが、個々の学問を支える基礎の研究になります。(参照:フッサール『論理学研究』第1巻・純粋論理学序説の原典・版情報/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報)

第2巻の六つの研究が意味と経験を調べる

1901年の第2巻には、意味の表現、普遍的な対象、部分と全体、意味の組み合わせ、志向的な経験、認識の成立をめぐる六つの研究が収められました。第1巻で論理的な正しさを問題にしたあと、第2巻では、その正しさを人が理解する経験を詳しく分析します。

ここに現象学への道があります。ある意味を理解するとはどういうことか。ある対象を考えるとき、心には何が起きているのか。フッサールは、論理学の基礎を確かめるために、経験そのものの構造を記述し始めました。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料)

「事象そのものへ」という姿勢

現象学の出発点を表す言葉として、フッサールの「事象そのものへ」が知られています。ある概念を最初から正しいと決めることなく、何がどのように与えられているかを丁寧に確かめるという研究姿勢です。

実際に見ること、思い出すこと、想像することを混同せず、それぞれの経験がどのように成立するかを調べます。経験から始めるという発想は、数学的な真理や意味を明らかにしようとする彼の方法と結びついていました。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

論理的な真理は誰の心にも同じように成り立つか

他の人が考えても同じ推論になる

「すべての人間は死すべきものである」「ソクラテスは人間である」という二つの前提から、「ソクラテスは死すべきものである」という結論を導きます。読む人の感情や疲労の程度にかかわらず、推論の形には同じ妥当性が認められます。

フッサールが探ったのは、そのような論理的な正しさをどう理解するかという問題です。個人の思考は時間の中で生じます。論理的な関係は、異なる人が異なる時期に考えても、共通の内容として取り上げることができます。(参照:フッサール『論理学研究』第1巻・純粋論理学序説の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|心理主義)

推論する行為と推論の内容を分ける

紙に数式を書いて考えるとき、鉛筆を動かす行為や注意を集中させる経験は、その場で起きる具体的な出来事です。数式が表す関係は、別の紙や別の人の説明でも同じ内容として理解されます。フッサールは、この行為と意味の違いを研究しました。

この区別によって、知識が個人の経験を通じて得られながら、多くの人によって共有できることを考えやすくなります。現象学は、共有できる意味が経験の中でどのように理解されるかという問題に進みます。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容)

正しさを確かめることと、正しさを感じること

難しい問題を解き終えたとき、正しくできたと感じることがあります。その安心感は心の経験です。答えが正しいかどうかを確かめるには、計算や証明の手順を調べます。感情としての確信と、根拠を持った判断との関係が問題になるのです。

フッサールは、確信がどのように生じるかを調べながら、その確信を支える証拠の与えられ方を分析しました。この問題が、後の「明証性」や「充実」をめぐる現象学的な議論へつながっていきます。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

同じ言葉を違う人が理解できるのはなぜか

文字や音は変わっても意味が共有される

「三角形」という言葉を小声で言う人と、大きな文字で書く人がいるとします。声の高さや文字の形は違います。それでも、双方が同じ幾何学的な概念について話すことができます。フッサールは、この意味の同一性を考えるため、表現と意味との関係を調べました。

言葉を発する行為は特定の場所と時間に起こります。そこで表された意味は、時間や場所を越えて別の人にも理解されるものとして扱われます。この特徴が、会話や学問の成立条件になります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料)

同じ言葉でも何を意味するかが変わる

「ここ」「あの人」という表現は、誰がどこで使うかによって指す対象が変わります。言葉の意味を理解するとき、発話された状況にも注意を向ける必要があります。フッサールは、言語表現の働きと、それによって意識が何を対象としているかを詳しく調べました。

言葉の形だけを見ても、話している人の意識がどのような対象へ向かっているかは十分にわかりません。意味がどのような経験によって成立するかを考えることが、言語から意識の分析へ進む道になります。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報)

意味を理解する経験を調べる

未知の言語を聞いているとき、音は耳に入っても意味を理解できないことがあります。同じ音を学習して理解できるようになれば、経験のあり方が変わります。フッサールは、単なる音の感覚と、ある意味を理解する意識の働きを区別しました。

この違いは、私たちが言葉を用いて知識を共有できる理由を考えるための手がかりです。意味を理解するとき、意識は聞こえた音を超えて何かについて考えています。その働きが志向性の分析へつながります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容)

意味は個人の頭の中の像と同じものか

三角形を思い浮かべるとき

三角形を思い浮かべてくださいと言われると、白い紙に黒い線で描いた図を想像する人がいるでしょう。別の人は赤い三角形を思い浮かべるかもしれません。心の中の像には色、大きさ、向きなど個人的な特徴があります。

幾何学で三角形という意味を使うとき、色や大きさが異なるさまざまな三角形を同じ概念で考えられます。フッサールは、具体的な表象と、それを通じて理解される意味を分けて考えました。これは論理学の普遍性を説明するためにも重要です。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|心理主義)

意味が一人の経験を越えて通用する

授業で一つの定理を証明すると、異なる学生がその内容を理解できます。各人が経験する驚きや理解の速さは違います。定理の内容は、多くの人が検討できるものとして残ります。フッサールは、意味の理想的な同一性をこの種の問題から考えました。

意味が共有できるという事実を、心の中に同じ絵が生じることとして説明するのは難しいでしょう。意味を理解する経験と、その経験で理解される対象の関係を丁寧に分析することが求められます。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

記号だけから知識は生まれるか

数式や文章を読むとき、記号の並びを覚えただけで内容を理解したと思う場合があります。フッサールは、言葉や記号が何かを意味することと、実際にその対象が与えられて理解が深まることの違いを重視しました。

ここから、単に「意味する」働きと、経験によって意味が確かめられる「充実」の働きが問題になります。論理学の基礎を探っていた研究が、具体的な知覚と認識の経験へつながる場面です。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

現象学でいう「志向性」は何を意味するか

見る、考える、望むには対象がある

窓の外を見るとき、目に映る風景があります。明日の予定を考えるとき、まだ来ていない出来事が思考の対象になります。友人に会いたいと望むとき、その友人が望みの対象です。フッサールは、経験が何かについての経験であるという特徴を「志向性」として考えました。

同じ対象について考えていても、見ること、思い出すこと、望むことでは経験の仕方が違います。意識が何へ向かうかと、どのような仕方で向かうかを合わせて考えることで、心の働きの構造を記述できます。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

心の中の絵を眺めているという説明の限界

目の前にある木を見るとき、私たちは普通、頭の中にある木の画像を見ているとは考えません。外にある一本の木を見ていると感じます。フッサールは、意識がまず内部の画像だけを見て、その画像を通じて外界へ向かうとする説明を批判的に検討しました。

この点が、経験を心の中の表象の集まりとして説明する立場との重要な違いになります。意識の向かう先としての木が、どのように経験に現れているかを調べることが現象学の課題です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容)

意図していなくても志向性はある

遠くで大きな音がすると、考えるより先に振り向くことがあります。その驚きは、自分が計画して選んだ行為ではなくても、ある音についての経験です。志向性は、意志による決意のような狭い意味に限定されません。

意識が何かに向かうという特徴を基本にすると、知覚、感情、記憶、願望を共通の観点から調べられます。フッサールが求めたのは、経験の内容が異なっても、そこにどのような構造があるかを記述する方法でした。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

存在しないものを考えられるのはなぜか

空想上の人物を思い浮かべる

物語に登場する架空の人物を思い浮かべるとき、私たちは想像上の人物について考えています。その人物の性格を説明し、物語の中で何をしたかを語ることもできます。意識は、目の前の実物だけでなく、想像上の対象にも向かいます。

フッサールは、対象が現実にあるかどうかとは別に、その対象がどのように意識されているかを分析しました。この違いを明確にすると、現実の知覚と、空想や物語の経験を同じ枠組みで比較できます。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

思い出すことと今見ることの違い

昨日訪れた公園を思い出すとき、その景色は現在の視界にありません。それでも、思い出している対象として公園があります。今その場に立って公園を見る経験とは、対象の現れ方が違います。

フッサールは、このような経験の性格を区別し、記憶、想像、知覚がそれぞれどのように対象を与えるかを考えました。「何を経験しているか」とともに、「どんな仕方で経験しているか」が分析の対象になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容)

対象が与えられる仕方を比べる

机の上の本を実際に見ることと、その本を帰宅後に思い出すことでは、本について考えているという共通点があります。最初の経験では視界に本が現れ、後の経験では過去の本が記憶として現れます。

この違いを具体的に記述すると、意識が対象に向かう仕方には種類があることがわかります。フッサールは、その種類の違いを手がかりに、経験の成立条件を明らかにしようとしました。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

目の前のコップはなぜ一つの物に見えるのか

見えているのはいつも一つの側面

机の上にコップを置いて横から見ると、見えるのは取っ手や縁の一部、ガラスの反射など、ある角度からの姿です。裏側や底面はその瞬間の視界には入りません。それでも私たちは、目の前に一つのコップがあると理解しています。

フッサールが注目したのは、この経験の仕組みです。実際に視界へ現れている部分と、見えていない部分も含めて理解されている一つの物との関係を考えます。これは、知覚の「与えられ方」を調べる現象学の代表的な問いです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

少し動くと見える姿が変わる

コップの周囲を歩くと、取っ手の見え方が変わり、先ほど隠れていた側面が見えるようになります。見る位置が変わるたびに、新しい色や形のまとまりが視界に現れます。私たちはその変化を、同じ一つのコップを別の角度から見ている経験として受け取ります。

フッサールは、異なる視点からの現れがどのように一つの対象へ結びつくかを考えました。経験の連続の中で物の同一性が成り立つという問題は、知覚を単なる感覚の断片の集まりとして説明するときに残る難問です。(参照:フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

物の同一性はどのように保たれるか

机からコップを手に取っても、角度や光の条件が変わっても、私たちは同じ物を持っていると理解しています。見える色や輪郭が変わり続ける中でも、一つの物としての理解は保たれます。知覚には、変化する姿を同じ対象へ結びつける働きがあります。

フッサールは、物の同一性が経験の中でどのように成立するかを詳しく記述しました。「本当にそのまま見る」とは、ある瞬間の像だけを見ることなのか。視点を変えても同じ物に出会っているという理解は、どのように生まれるのか。こうした疑問が現象学の中心にあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer)

見えない裏側を私たちはどう理解しているか

裏側には何かが続いていると予期する

コップの正面だけを見ているときも、裏側に面が続いていると期待します。回してみれば今とは違う面が現れるだろうと、特に考え込むことなく理解しています。フッサールは、こうした予期が知覚の経験に含まれていることに注目しました。

見えている部分だけでなく、これから見られるはずの部分も一つの対象の理解に関わります。知覚は、今ここに現れているものと、経験が続くことで明らかになるものとの関係を含んでいると考えられました。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

対象の周りには経験の広がりがある

机の上のコップを見るとき、机や部屋も視野の周囲に広がっています。必要なら目を移して別のものを見ることができます。フッサールは、意識の中心にある対象の周囲にも、関連する経験の可能性が広がっていると考えました。

このような広がりを表す概念として、現象学では「地平」が重要になります。地平は遠くの景色を区切る線という日常的な意味から出発し、見えている物を取り巻く見え方の可能性を説明する言葉になります。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

期待が外れると知覚が変わる

白い陶器のように見えたコップに手を触れると、軽いプラスチック製だとわかるかもしれません。最初の見え方から抱いていた予期が、別の感覚を通じて修正されます。知覚には、すでにわかっていると思っていたことが経験によって変わる可能性があります。

フッサールは、経験の進行によって対象の理解が確かめられたり修正されたりする過程に関心を向けました。一つの物を経験することは、固定した画像を受け取るだけで終わる行為ではないという考えにつながります。(参照:フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

意味することと実際に確かめること

言葉を聞いただけの段階

友人から「机の上に赤いコップがある」と聞いたとします。その場にいなくても、何について話しているかを理解できます。赤いコップがどこにあるかを意味として捉えている状態です。フッサールは、このように何かを意味している経験を分析しました。

言葉だけで対象を思い浮かべるとき、形や光沢などの細部はまだわかりません。意味は理解できても、対象が十分に与えられている状態とは異なります。この差が、現象学で「充実」と呼ばれる問題へつながります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

実際に見たときの経験

後からその部屋へ入って赤いコップを見ると、友人の言葉が指していた物を確認できます。言葉で意味していた対象が、知覚の経験によって具体的に与えられます。フッサールは、このような意味の意図と、その充実の関係を研究しました。

理解したつもりだった言葉が、実際に見たり触れたりすることで新しい内容を得ることがあります。言葉と知覚がどのように関わって、対象についての知識が生まれるかを調べるための重要な例です。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料)

確信が強くなることと根拠が得られること

何度も同じ話を聞くと、実際には見ていないことでも確かだと感じるかもしれません。フッサールは、確信という心理状態の強さと、対象がどのように与えられたかを区別して考えました。意味の充実という概念は、経験を通じた確認の構造に関わります。

この分析によって、論理の正しさを心の反応へまとめることなく、人間がどのように真理を理解し、確かめるかを問う道が開かれました。論理学と知覚の問題が、一つの研究として結びつく理由がここにあります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

部分と全体の関係はどう理解できるか

色と広がりはどのようにつながるか

赤い布を見るとき、その赤さは布の広がりとともに経験されます。赤い色を思い浮かべることはできても、何の広がりも持たない赤い色を視覚的な対象として経験するのは難しいでしょう。フッサールは、こうした特徴を手がかりに、経験の中で部分同士がどのように依存し合うかを考えました。

『論理学研究』第3研究では、部分と全体、依存と独立の関係が詳しく論じられます。ある要素が別の要素と結びついて初めて具体的に成立する場合があります。その結びつき方を理解することが、知覚される物や複雑な意味の構造を考える助けになります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料)

メロディーを音の集まり以上のものとして聞く

いくつかの音が続いて聞こえると、私たちはメロディーを聞いたと感じます。同じ音を別の順序で並べると、聞こえてくるまとまりは変わります。音の一つひとつについて知ることと、音が結びついて生まれる全体を経験することには、違う問題があります。

全体の中で各部分がどのような役割を持つかを調べることは、フッサールの論理学にも知覚論にも関わります。あとに考える時間意識の分析では、すでに鳴り終わった音が今の音の経験にどう残るかが、重要な問いになります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

物を細かく分けても関係は残る

家を考えるとき、壁、屋根、窓などの部分を挙げられます。さらに材料を細かく分けることもできます。その際、屋根が家の中で果たす役割や、壁と窓との関係をどう説明するかが問題になります。部分を切り離して考えるだけでは把握しにくい関係があるのです。

フッサールは、部分と全体の間に成り立つ形式的な関係を分析しました。この研究は、対象を経験するときに意識が単なる要素の一覧を受け取っているのか、それとも組織されたまとまりとして理解しているのかを問う土台になります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

関係や判断を「見る」とはどういうことか

白い紙を見ることと「紙は白い」と判断すること

白い紙を見て「この紙は白い」と判断する場合、目に入るのは紙の形や明るさ、色合いです。「紙は白い」という判断には、紙と白さを結びつける働きも含まれています。フッサールは、感覚によって与えられる対象と、判断の中で理解される関係について考えました。

『論理学研究』第6研究で重要になるのが「範疇的直観」です。私たちは、ある物を感覚的に捉えるだけでなく、物同士の関係や「何かが何かである」という事態を理解することがあります。そのような理解がどの経験によって確かめられるかが問題になります。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料)

「ある」「そして」「すべて」はどこに現れるか

「机の上に本と鉛筆がある」と言うとき、目には本や鉛筆、机の形が現れます。言葉の中にある「と」や「ある」は、本や鉛筆と同じ色や輪郭を持つ物ではありません。それでも、私たちは物が並んで存在する状況を理解できます。

フッサールは、このような関係を理解する働きにも直観の問題があると考えました。経験の中で物とその関係がどのように与えられるかを問うことで、論理的な表現と具体的な知覚との間にある距離を埋めようとします。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

抽象的な関係が確かめられる条件

二つの線が交わっている図を見たとき、どこに線があるかを認め、交点という関係も理解します。図を眺めるだけの段階から、「この二本はここで交わる」と明確に確かめる段階へ進むことがあります。そこには、感覚と判断が結びつく過程があります。

範疇的直観は、抽象的な概念を何でも目で見られるという意味ではありません。どのような経験によって判断の内容が与えられるのかを分析する試みです。この研究は後の哲学者にも大きな影響を与えました。(参照:フッサール『論理学研究』英訳全編・原典資料/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

知覚、記憶、想像は同じ仕組みなのか

目の前にある物を知覚する

目の前の花瓶を見るとき、私たちはその花瓶が今ここにあるものとして経験します。光の反射や見る位置によって姿が変わっても、知覚には対象が現在の場で現れるという特徴があります。この「今ここ」という性格も、フッサールの分析では重要です。

知覚される花瓶は、一度にすべての面を見せません。正面からの姿が与えられ、背面はこれから見られる可能性として理解されます。知覚の現在性と、見えない面まで含んだ対象理解が組み合わさっています。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

昨日見た花瓶を思い出す

昨日見た花瓶を思い出すとき、今の視界に花瓶が現れている必要はありません。記憶の中で花瓶の色や置かれていた場所がよみがえります。その経験は、過去に見たことを現在思い出しているという性格を持ちます。

フッサールは、何についての意識かに加えて、それがどのような仕方で意識されているかを区別しました。同じ対象が、現在知覚するものとしても、過去に経験したものとしても意識されます。対象への関わり方を詳しく見る必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

見たことのない花瓶を想像する

まだ見たことのない青い花瓶を思い浮かべることもできます。想像では、そこに対象が実在するかどうかを決めなくても、形や色を考えられます。経験は何かへ向かっていますが、その対象が与えられる仕方は知覚と異なります。

知覚、記憶、想像の違いをたどると、意識に何らかの像が浮かぶことだけでは説明しきれない豊かさが見えてきます。フッサールにとって重要なのは、対象がどのような意味と確かさを伴って現れるかということでした。(参照:哲学インターネット百科事典|フッサールの志向性と志向的内容/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

ゲッティンゲンで現象学の研究が広がる

1901年にハレからゲッティンゲンへ移る

フッサールは1901年、ハレ大学からゲッティンゲン大学へ移りました。ゲッティンゲンは数学をはじめ複数の分野で研究活動が盛んな大学都市でした。彼は講義と研究を続け、1906年に正教授となります。『論理学研究』を読んで関心を持った若い研究者たちも集まりました。

現象学の研究は、大学での講義、学生との討論、研究グループの活動を通じても広がりました。経験を厳密に記述する方法が研究者の間で共有され、検討されていきます。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

弟子たちは知覚と実在の問題を議論した

ゲッティンゲンの現象学には、アドルフ・ライナッハ(1883–1917)や、後にフッサールの研究に深く関わるエーディト・シュタイン(1891–1942)らが参加しました。哲学者たちは、物の存在や認識、他者との関係について、それぞれ異なる問題を考えます。

この集まりには、一人の教師の説明をそのまま受け入れるという以上の議論がありました。『論理学研究』の立場を重視する学生もいれば、後に展開される超越論的現象学について慎重な意見を持つ人も現れます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

研究者の交流が新しい学問を形づくる

現象学の研究は、講義室や読書会で具体的な経験の例を検討する作業として進みました。何かを知覚するとき何が与えられるか、価値や他者をどう理解するかを、研究者たちは互いに問いかけました。

新しい哲学の方法が形成される過程では、共通の問いから異なる答えが生まれます。1913年以降の現象学内部の議論を理解するには、こうしたゲッティンゲン時代の共同研究の環境を押さえることが大切です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ケルン大学フッサール文庫|生涯と主要著作)

1905年、時間意識についての講義

鳴り終わった音がメロディーの中に残る

短いメロディーを聞いているとき、最初の音は次の音が鳴るころには消えています。それでも私たちは、音がばらばらに現れて消えるだけの経験として聞いていません。前の音とのつながりを保ちながら、続きの音を聞いています。

フッサールは1905年、内的時間意識について講義しました。そこでは、連続した音の経験などを手がかりに、意識にとって時間の流れがどのように成り立つかが問われます。後にこの講義の内容は整理され、1928年に刊行されました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

時計で測る時間と経験される時間

時計の針で一分を測ることと、一分間の音楽を聞くことは異なる問題を含みます。時計は経過した長さを数で表します。音楽を聞く経験では、前の音がまだつながって感じられ、次の音が来ることを予期する働きがあります。

フッサールが調べたのは、経験そのものが時間的な広がりをどのように持つかという問題でした。自然科学による時間の測定を踏まえたうえで、測定する人間にとって時間が現れる構造を問います。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

講義と後年の刊行を区別する

時間意識の分析は、1905年に行われた講義を重要な出発点とします。関連する草稿はその後も書き直され、1928年の出版では後年の編集作業が加わりました。1905年の講義と、現在読まれている刊本には、成立の時間差があります。

この点を意識すると、1900年の『論理学研究』から1913年の『イデーンⅠ』へ進む途中で、フッサールが知覚や時間についての考察を深めていたことがわかります。現象学は、十数年をかけて方法を練り直した研究でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

今この瞬間は過去と未来に開かれている

保持は直前の音をつなぎとめる

一つの音が鳴り終わった直後、私たちはその音が今しがた鳴っていたという感覚を持っています。音を改めて探して思い出すよりも前に、直前の音が今の聞こえ方へ結びついています。フッサールは、この働きを「保持」と呼んで分析しました。

保持によって、意識の現在は一瞬の点のようには経験されません。鳴り終わった音が直前の過去として残り、今鳴っている音とつながります。メロディーのまとまりを聞き取れる条件の一つです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

予持は次に来るものへの開かれ方

よく知っている歌を聞くとき、次の音が来ることを自然に待っています。初めて聞く歌でも、拍子や音の流れに沿って、何かが続くと予期することがあります。現象学は、このような未来へ向けた経験の働きを「予持」として考えます。

保持と予持は、今の音に付け足される特別な思考ではありません。意識が時間の流れを経験する構造に関わります。過去を引き継ぎ、これからの展開に開かれながら、私たちは一つの連続した出来事を聞いています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

思い出すことと直前を保持すること

先週聞いた歌を今思い出すとき、過去の歌をあらためて意識へ呼び戻しています。今流れている歌の直前の音が残っている経験とは、その働きが異なります。フッサールは、過去を現在に呼び戻す記憶と、今の経験が直前の過去を含むことを区別しました。

こうして時間意識は、すべての知覚が生じる基盤として考えられるようになります。物が角度を変えて現れる経験も、複数の見え方を時間の流れの中で結びつける働きを含んでいます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

1907年、現象学の方法が新たな段階へ進む

『現象学の理念』講義で問われたこと

フッサールは1907年、ゲッティンゲンで一連の講義を行い、後に『現象学の理念』と呼ばれる内容を論じました。そこでは、私たちが対象を認識できるのはどのようにしてかという問いが、方法の問題として掘り下げられます。

物が存在することについて日常では疑問を抱かなくても、認識がその物へ届くことを哲学として説明しようとすると難しさが生まれます。フッサールは、経験のあり方を明らかにするため、普段の判断をいったん留保して調べるという方向へ進みました。(参照:フッサール『現象学の理念』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

『物と空間』講義で知覚の具体例を扱う

同じ1907年には、物と空間についての講義も行われました。物を一つの方向から見ると、輪郭や表面の一部が現れます。見る位置を変えると別の姿が現れます。それらを一つの立体的な物として理解する仕組みが検討されました。

物の見え方が変化することは、私たちの日常にありふれた経験です。フッサールは、その身近な出来事を詳しく記述することで、知覚がどのように物の同一性へ向かうかを探りました。(参照:フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

後年刊行された講義から研究の進み方を知る

1907年の講義の内容は、現在、後年に整えられた刊本から読むことができます。講義の時点での議論と、1913年の『イデーンⅠ』で体系的に示された方法を区別すると、哲学の発展過程がわかりやすくなります。

フッサールは、はじめから一つの完成した方法を提示したのではありません。論理、知覚、時間、認識の問題を重ねながら、何をどの順序で調べるべきかを探っていきました。(参照:フッサール『現象学の理念』1907年講義・書誌情報|Springer/フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

日常生活を支える「自然的態度」とは何か

朝起きれば世界があると思っている

朝、部屋の窓を開けると、建物や通り、空が広がっています。私たちはその景色を、実際に存在する世界の一部として受け取っています。昨日見た建物は今日もそこにあり、ほかの人も同じ建物に出会えると考えています。

フッサールは、こうした日常の基本的な構えを「自然的態度」と呼びました。私たちは世界の中で暮らし、物に触れ、人と話し、その存在を前提として判断や行動を重ねています。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

科学の研究も世界を前提に進む

物理学者が物の落下を測るとき、測定装置や落ちる物が実際にあることを前提としています。生物学者が細胞を調べるときも、観察の対象が世界の一部であるという理解のもとで研究します。自然科学は、その前提の中で精密な知識を築いていきます。

フッサールは、その前提が経験の中でどのように成立しているのかを哲学の問題にしました。科学の成果を学ぶことと、科学が扱う世界がどのように意識へ現れるかを考えることは、互いに関係する研究です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

問いの出発点を変えてみる

同じ机を見る場合でも、材料、重さ、製造方法を調べることができます。別の仕方として、机が今自分にどのように見え、同じ机として理解されているかを確かめることもできます。後者の問いは、経験の側から対象の現れをたどります。

現象学は、日常の中で自然に受け入れている世界への構えそのものを研究の対象にします。自明に思える経験へ立ち返ることで、私たちが知ることの成り立ちを明らかにしようとしました。(参照:哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

エポケーは何を「括弧に入れる」のか

世界が存在するという判断を留保する

フッサールは、世界の存在を当然のものとして受け入れる判断をいったん「括弧に入れる」方法を考えました。これは「エポケー」と呼ばれます。世界についての普段の確信をそのまま研究の前提にせず、経験に現れるあり方へ注意を向けます。

窓の外の木を見ているとき、木が実際に存在するという判断をいったん脇に置きます。すると、木がどのような姿で現れ、何によって一つの木として理解されるのかを分析できます。木があるという日常の確信は、ここでは研究の対象になります。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

存在を否定する懐疑論とはどう違うか

エポケーを行う人は、目の前の木が幻だと宣言しているのではありません。木の存在を肯定する判断も否定する判断も、方法上いったん使わずに研究を進めます。そのようにすることで、木についての経験の成立を調べます。

フッサールは、外界が存在しないと結論づけるためにエポケーを用いたのではありません。存在の判断を留保したときにも、木を見ている経験がどのように与えられているかを記述できることが重要でした。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

経験の記述へ集中するための手続き

たとえば水面に映った建物を見て、建物そのものを見ているのか、反射した像を見ているのかを確かめる場面があります。観察する際には、どのように見え、何を建物だと理解したのかを区別できます。現象学のエポケーは、そのような経験の特徴を徹底して検討するための方法です。

判断を括弧に入れることによって、普段は素早く通り過ぎる知覚の仕組みへ目が向きます。どの経験がどの意味を持つかを、可能なかぎり丁寧に調べる姿勢が求められます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

現象学的還元が開く研究の場所

経験がどのように与えられるかへ戻る

木を見る経験では、緑の葉、幹の形、風による揺れが現れます。見えている部分が変わる中でも、同じ木を見ていると理解します。フッサールは、このような対象の現れと、それを経験する意識の働きを結びつけて考えました。

現象学的還元は、自然的態度で置かれていた前提からいったん距離をとり、意識と対象の現れの相関関係を明らかにしようとする方法です。研究の焦点は、世界が経験の中でどのように意味を持つかという問題へ移ります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

「超越論的」という言葉が指す問題

フッサールが1913年の体系で重視したのは、経験される世界の意味と妥当性が成り立つ条件です。この条件を問う考察を「超越論的」と呼びます。目の前の物について知るという出来事を可能にしている意識の働きへ注意を向けます。

ここでいう超越論的とは、経験の外側にある神秘的な世界を意味する言葉ではありません。物が私たちに現れ、同じ物について判断し、互いに確かめ合えるという経験の条件を問うための概念です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

心理学的な自分の心と問いの範囲が変わる

ある人が机を見たときの脳の反応や記憶を測定する研究は、経験的な心理学の仕事です。フッサールの超越論的現象学は、机を机として経験することそのものの構造を明らかにしようとします。

フッサールは、意識を一人の人間に生じた心理的な出来事として扱う枠組みを離れ、あらゆる対象の現れがどのように可能かを調べようとしました。これが1901年ごろの研究から1913年へかけて生じた重要な展開です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

同じ物が現れ続ける仕組みをたどる

別々の見え方が一つの対象を指す

机を正面から見たときと横から見たときでは、天板の輪郭や脚の重なり方が変わります。それでも、私たちは一つの机を見続けていると理解します。複数の現れが同じ対象へ向かう働きは、知覚の分析で欠かせません。

フッサールは、意識が経験を通じて同一の対象を把握する仕組みを考えました。視点ごとの印象が変わっても、対象の意味が一定のまとまりとして続くことが問題になります。(参照:フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

見えなかった面が見えると理解が更新される

机の裏側へ回り込むと、先ほど見えなかった引き出しの取っ手や支えが見えることがあります。そこで以前の理解は、新しい情報を含むものへ更新されます。同じ机という理解を保ちながら、知っている内容は増えていきます。

この経験では、見える部分と予期される部分が結びついています。対象が一度にすべて与えられなくても、知覚の進行によってその同一性を確かめていくことができます。現象学では、こうしたまとまりの成立を分析します。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

経験の連なりを「総合」として考える

連続した見え方を一つの机の経験として受け取るとき、異なる経験が結びついています。フッサールは、その働きを「総合」という概念で分析しました。見る場所を変えること、確かめること、思い出すことも、対象を同じものとして理解することへ関わります。

総合という言葉は、頭の中で意識的に情報を寄せ集める作業だけを意味しません。私たちが普段何気なく物を見ているときにも、経験を結びつける働きが進んでいると考えられます。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

1913年『イデーンⅠ』で方法を体系化する

『論理学研究』から十年以上の研究を経て

1900年から1901年の『論理学研究』で、フッサールは意味、判断、対象の認識を詳しく分析しました。その後、ゲッティンゲンでの講義や時間意識、空間的な物の知覚の研究を重ねます。1913年には『イデーンⅠ』を発表し、現象学の方法と対象を体系的に説明しました。

『イデーンⅠ』では、自然的態度、エポケー、現象学的還元、純粋意識の研究などが中心に置かれます。初期の現象学で扱った具体的な経験を、より広い哲学的な方法のもとで理解しようとした著作です。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

『イデーンⅠ』の出版と新しい学術誌

1913年、『イデーンⅠ』は現象学の研究を担う専門誌『哲学および現象学研究年報』の第1巻に掲載されました。現象学を一つの哲学運動として発展させようとする動きが、出版活動にも表れています。

著作と学術誌は、フッサールが議論を多くの研究者へ届けるための場になりました。彼の方法を支持する人も、疑問を示す人も、共通の言葉を使って論点を確かめられるようになります。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/フライブルク大学学術公開|『イデーンⅠ』1913年初版本文/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

1913年に明確になった超越論的な方向

『論理学研究』では、志向性や意味の分析が中心でした。1913年の『イデーンⅠ』は、それらの成果を受けながら、現象学的還元を通じて超越論的な意識の領域を考察します。両著作には連続性と重要な方法上の展開があります。

この方向転換を理解することは、後の現象学の多様な立場を考える手がかりになります。世界が経験の中でどのように現れるかを調べるという共通の問いから、実在と意識の関係をめぐる複数の考え方が生まれました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

ノエシスとノエマは何を区別しているか

見ることの働きへ注意を向ける

花瓶を見ているとき、意識には花瓶が現れています。同時に私たちは、今その花瓶を知覚しているという特定の仕方で対象へ関わっています。フッサールは、経験する働きの側面を分析するために「ノエシス」という概念を用いました。

花瓶を見ている場合と想像している場合では、同じ花瓶が話題になっていても経験の仕方が異なります。ノエシスに注目することで、何かを知覚する、思い出す、判断するという意識の働きの違いが見えてきます。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

経験において「何として」現れているか

花瓶を「母から贈られた花瓶」として見ることも、「青い陶器」として見ることもできます。対象には、経験の中で理解される意味があります。フッサールは、志向的な経験における対象の意味や、対象が現れるあり方を分析するため「ノエマ」という概念を用いました。

ノエマについては、後の研究者たちの間でも解釈が分かれています。少なくとも『イデーンⅠ』では、経験が何をどのように対象としているかを説明するために重要な概念です。実際の花瓶そのものと、経験の中で花瓶が持つ意味の関係を丁寧に扱う必要があります。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

意識の働きと対象の意味を一緒に調べる

暗い部屋で何かを見つけ、「人が立っている」と思った後で、洋服を掛けた椅子だと気づく場合があります。経験の途中で、同じ視野の中の形が異なる意味を持つようになります。どのように判断し、何として対象を理解したかが変わります。

ノエシスとノエマを区別することで、経験の働きと経験における対象の意味を関連づけて調べられます。フッサールの関心は、意識と物の間に二つの世界を作ることよりも、対象が意味を伴って現れる仕組みを記述することにありました。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

本質直観は何を確かめようとするか

一つの実例から共通の構造へ進む

赤い花瓶、青い花瓶、大きい花瓶、小さい花瓶を思い浮かべることができます。色や大きさを変えても、何かを一つの立体的な物として知覚することには共通した特徴が残ります。フッサールは、個々の事実を超えて経験の構造を考える方法を重視しました。

彼は、このような普遍的な構造を捉えることを「本質直観」と結びつけて論じます。一つの対象についての観察を出発点に、経験の中で何が変えられ、何がその経験にとって必要なのかを考えます。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

想像の中で条件を変えてみる

一つの三角形を思い浮かべて、辺の長さや角度を変えてみます。色や大きさが変わっても三角形であり続ける場合があります。辺の数を変えると、もはや三角形という理解は保てません。このように想像の中で条件を変えることは、共通する特徴を調べる助けになります。

フッサールの現象学では、こうした想像的な変更を通じて本質を調べる考察が発展します。対象の種類によって適切な分析は異なりますが、偶然の特徴と、その経験が成立するために必要な特徴を区別しようとする点が重要です。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

統計的な共通点との違い

多くの人に同じ質問をして、ある答えが頻繁に現れることを確かめる研究があります。これは経験的な調査によって、どの反応がどれほど多いかを明らかにします。フッサールが本質を問うときは、反応の頻度に加えて、そもそも経験の種類を成り立たせる構造が何かを考えます。

たとえば「思い出す」という経験では、対象が過去に属するものとして意識されるという特徴が重要です。本質についての考察は、その特徴の意味を確かめるための哲学的な方法として構想されました。(参照:哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

「確かに見えた」という明証性の問題

対象が直接与えられるという経験

誰かから「庭に木がある」と聞くことと、窓からその木を見ることでは、対象を確かめる方法が異なります。フッサールは、経験の中で対象がそれ自身として与えられることを、認識の根拠を考えるうえで重視しました。

この問題は「明証性」という概念に関わります。フッサールが問うのは、何となく確かだと感じる強い気持ちだけではありません。対象がどのように与えられ、その判断を支える経験が何かを考えます。(参照:フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

知覚には確かめきれない部分もある

木を正面から見たとき、裏側の枝ぶりまでは見えていません。近づいて新しい角度から見ることで、最初に思っていた姿と違うことがわかるかもしれません。直接知覚している経験にも、まだ与えられていない側面があります。

フッサールは、対象が与えられる程度や仕方の違いに注目しました。経験を確かめることには段階があり、いま見えている部分と、これから見られる部分を区別しながら理解を深められます。(参照:フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

「直観に立ち返る」という標語の意味

フッサールは、概念について語るときに、その内容が経験の中でどのように与えられるかへ立ち返ることを求めました。言葉の定義を覚えるだけで満足せず、何がその意味を支えているかを確かめる姿勢です。

この方法は、目に見える物だけを研究するという意味には収まりません。判断や関係、時間の経験などについても、それらが意識にどのように現れるかを丁寧に調べようとします。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報)

世界の意味はどのように成立するのか

机を「机」として経験する

部屋の片隅にある木製の物を、私たちは机として理解しています。木の板や脚の組み合わせを見ると同時に、本を置いたり文字を書いたりする物として経験します。対象の物理的な特徴と、生活の中で持つ意味は結びついています。

フッサールは、対象が経験の中でどのような意味を持つようになるかを問いました。私たちが物を見ているとき、色や形に加えて、すでに何かとして理解された対象に出会っていることが重要です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

構成という概念が表すもの

一つの机は、近づいて見たり、手で触れたり、別の角度から確かめたりする経験の中で理解されます。異なる経験を通じて、同じ机という対象の意味が成立します。現象学では、こうした意味の成立を「構成」という概念で考えます。

構成は、見る人が物を物理的に作り出すという説明とは異なります。経験の中で対象の同一性や意味、確かさがどのように成り立つかを分析するための概念です。(参照:フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

物があることと物を知ることの関係

遠くの山を眺めると、まずその輪郭や色が見えます。地図で場所を確かめ、実際に登り、別の季節に見ることで、同じ山についての理解を深められます。その一連の経験の中で「同じ山」という意味が保たれます。

フッサールの超越論的現象学は、私たちにとって世界が知られ、確かめられる条件を問い続けます。世界の存在に関する議論を経験の分析から考え直すことが、哲学上の大きな課題になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

他者も世界を経験しているという問題

自分の経験から他者へ目を向ける

友人と向かい合って同じ絵を見るとき、私たちはその絵について話せます。友人が見ている色や形を、私自身が友人の目で直接見ることはできません。それでも友人も何かを経験していると理解しています。

意識の経験を詳しく調べる現象学では、このような他者の理解が重要な問題になります。自分に与えられている経験から、他者が存在し、同じ世界を経験しているという理解へどう進むかが問われます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

他者の存在を前提にした日常の世界

駅の時刻表を見れば、そこに書かれた列車がほかの人にも利用されるものだと理解します。道を渡るときには、別の人も同じ信号を見て行動すると期待します。私たちが暮らす世界は、初めから多くの人と共有されるものとして経験されています。

フッサールは、こうした共有される世界と、各人の意識の経験との関係を探りました。他者との関係は、1913年を過ぎてからも彼が長く取り組み続けた重要な課題です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

後の共感と間主観性の研究へ

エーディト・シュタインはゲッティンゲンで現象学を学び、のちに共感の問題を博士論文で研究しました。1916年に博士号を取得し、論文は1917年に刊行されます。経験を持つ他者をどのように理解するかという問いは、現象学の研究者に受け継がれました。

フッサール自身も後年、他者と共有される世界がどのように成立するかを詳しく論じます。1913年の『イデーンⅠ』を、一人の意識の分析から他者や共同の世界へ問題が広がっていく過程の一つとして位置づけられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

自然科学と哲学は何を調べるのか

1911年「厳密な学としての哲学」

フッサールは1911年、「厳密な学としての哲学」と題する論文を発表しました。哲学が印象や時代の流行に流されず、確かな根拠を持つ研究として進むには何が必要かを論じています。その背景には、19世紀後半から専門分化した学問の発展がありました。

数学で培った厳密さへの関心は、フッサールの哲学の全体に続いています。彼にとって哲学は、先人の見解を覚えるだけの営みではありません。自分の問いについて、経験のどの部分を根拠にできるかを丁寧に検討する仕事でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績)

心理学は心の働きをどう調べるか

実験心理学は、同じ刺激に対してどんな反応が起きるかを観察し、条件を変えて比較します。視覚や記憶の研究から、人間の行動や心の働きについて知識が増えていきます。フッサールもこうした研究の重要性を知っていました。

現象学が追究するのは、対象を見る、思い出す、判断するという経験がそれぞれどんな構造を持つかという問題です。実験で調べられる個人差や反応の頻度に加えて、そもそも知覚や判断が意味を持つ条件を考えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|心理主義/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

哲学の厳密さとは具体的に調べること

ある概念を定義しただけでは、実際の経験のどこにその特徴が現れるかがわからない場合があります。フッサールは、経験へ立ち返り、どこまで確かめられるかを一つずつ調べる姿勢を求めました。身近な知覚も、緻密な研究の対象になるのです。

哲学を厳密にするという目標は、数学の記号や実験器具をそのまま哲学へ持ち込むことを意味しません。問いの内容に応じて根拠を示し、曖昧な思い込みを検討できる方法を整えることが目指されました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

1913年の転回が引き起こした議論

初期の研究者たちは実在をどう考えたか

『論理学研究』に惹かれた研究者の中には、経験を丁寧に記述する方法が、現実に存在する物や関係のあり方を明らかにすると考える人々がいました。物の実在をめぐる考え方は、初期の現象学の内部でも一様ではありませんでした。

フッサールが『イデーンⅠ』で超越論的現象学を体系的に示すと、意識と実在の関係をどう理解するかが新たな論争になりました。著作を共有する研究者同士でも、現象学が進むべき方向について意見が分かれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/ケルン大学フッサール文庫|生涯と主要著作)

ゲッティンゲンの弟子との見解の違い

アドルフ・ライナッハらを中心とするゲッティンゲンの研究者たちは、対象の本質や実在に関する分析を進めました。フッサールの超越論的な方向をめぐっては、研究者の間に異なる受け止め方が生まれます。初期の現象学とその後の現象学を同一の立場として捉えると、こうした議論が見えにくくなります。

この違いは、現象学が経験に立ち返る方法を共有しながら、多様な問いを生み出してきたことを示しています。どのような問題を中心に置くかによって、現象学の研究の方向は変わっていきました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

方法そのものが検討の対象になる

経験を調べるために世界の存在判断を留保するとき、研究者はどこまで判断を留保できるのでしょうか。見ることを分析する自分自身も世界の中で生きています。その自分が、どのように経験の条件を調べられるかという問題が残ります。

こうした問いは、現象学への重要な批判や発展につながりました。フッサールの思想の価値を考える際には、示された解答とともに、その方法が後の哲学者に新しい問題を生み出したことにも目を向けられます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

現象学の問いは20世紀にどう受け継がれたか

ハイデガーは人間の存在へ向かった

マルティン・ハイデガー(1889–1976)は、フッサールの現象学に学び、後に1927年の『存在と時間』で人間の存在の問題を展開しました。世界の中で活動し、人と関わりながら生きている存在を、哲学の中心へ据えます。

フッサールが意識と対象の現れの相関を緻密に分析したことは、後の哲学に新しい問いを開きました。ハイデガーはその方法から学びながら、日常生活の中で人が世界をどう理解しているかを別の仕方で探りました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

サルトルとメルロ=ポンティの研究

ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)は意識と自由の問題を論じ、1943年に『存在と無』を刊行しました。モーリス・メルロ=ポンティ(1908–1961)は、1945年の『知覚の現象学』で、身体を通じて世界を経験することを詳しく考察します。

これらの哲学者は、知覚、身体、他者、行為など、異なる問題を中心に研究を進めました。フッサールの現象学は、物がどのように現れるかという問いを通じて、20世紀の多くの哲学者に受け継がれました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

フッサール自身も研究を続けた

フッサールは1916年にフライブルク大学へ移り、意識と時間、他者、学問の意味について研究を続けました。後年にはヨーロッパの科学と生活世界をめぐる問題にも取り組みます。1913年の『イデーンⅠ』は、その長い研究の重要な節目でした。

現在の現象学を理解するには、『論理学研究』の志向性論、『イデーンⅠ』の方法、後年の研究を区別しながら読む必要があります。彼の思想は、同じ問いを繰り返し練り直していく中で広がっていきました。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

「見ること」の研究は芸術へもつながるか

同じ絵を見ても気づくことが変わる

美術館で一枚の絵を見て、初めは大きな色面に注目し、しばらくして細い線や絵の具の重なりに気づくことがあります。同じ作品を見続けていても、対象として何を捉えているかは変化します。見る位置や距離が変われば、表面の光の反射も違って現れます。

この経験には、物が部分的な姿を通じて与えられるという現象学の問いを重ねられます。フッサールの分析は、芸術作品を説明するために作られた理論というより、見る経験そのものを理解する手がかりになります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

鑑賞者は時間の中で作品を経験する

絵の前に立って最初の印象を受け、その後に構図や描かれた人物の表情を読み取る場合があります。先ほど見た箇所を覚えながら別の部分を見るため、一枚の絵の理解も時間の中で深まります。音楽なら、前の音を引き継いで次の音を聞きます。

保持や予持、対象の同一性をめぐる現象学の概念は、こうした鑑賞体験を考える際にも応用できます。作品の解釈を一つに決める前に、鑑賞者に何がどのように現れているかを確かめる視点を与えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

哲学の問いと芸術の表現を区別して考える

20世紀の絵画や彫刻には、複数の視点、物の表面、身体と空間の関係を扱う作品が数多くあります。鑑賞者の経験について考えるとき、現象学の概念と響き合うところを見つけられます。

具体的な作家がフッサールの著作から影響を受けたと判断するには、作品や発言の資料が必要です。現象学を通じて芸術を見ることと、芸術家自身の制作意図を確かめることを区別すれば、知覚の問題をより豊かに考察できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|現象学/哲学インターネット百科事典|エトムント・フッサール)

私たちは物事をそのまま見ているのか

目に入るものと理解しているもの

コップを見ているとき、目に現れているのはある角度からの側面です。私たちは、見えない裏側や持ち上げたときの感触も含め、一つのコップとして理解しています。視界に直接現れていることと、対象について理解していることは緊密に結びついています。

フッサールは、こうした経験を「現実を正確に見られるか」という一つの問いへ閉じ込めず、物が私たちに現れる条件を調べました。何が与えられ、何が予期され、どのように同じ物として理解されるかを、経験に沿って記述します。(参照:フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳)/フッサール『物と空間』1907年講義・書誌情報|Springer)

「自明なこと」を調べる方法

朝、部屋を出て街を歩くとき、見ることの仕組みをいちいち考えることはありません。道や建物、通り過ぎる人を自然に理解しています。フッサールは、ふだん説明を求められないこの経験に、哲学が取り組むべき問題を見いだしました。

現象学は、当たり前の経験の中で起きていることを丁寧に言葉にする試みです。志向性、地平、時間意識、エポケー、還元といった概念は、それぞれ経験の異なる側面を調べるために考えられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/スタンフォード哲学百科事典|現象学)

1900年から1913年へ続く探求

フッサールは数学と論理の基礎を問い、『論理学研究』で意味と意識の関係を分析しました。ゲッティンゲンで時間や空間的な物の知覚を研究し、『イデーンⅠ』で超越論的現象学の方法を体系化します。十数年にわたる研究の主題は、知るという経験をどう理解するかでした。

私たちは一つの物を見ながら、直接見えている姿を超えて、その物について多くのことを理解しています。その理解は経験の中で確かめられ、ときには修正されます。物事を「そのまま見る」とは何かという問いは、見ることがすでに意味を伴っているという発見から、さらに考え始めることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ)

略年表|フッサールと現象学の成立

  • 1838年|フランツ・ブレンターノが生まれる。のちにフッサールの哲学上の師となる
  • 1848年|カール・シュトゥンプフが生まれる。フッサールをハレで指導する
  • 1859年|エトムント・フッサールがオーストリア帝国領モラヴィアのプロスニッツに生まれる
  • 1879年|ヴィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学に実験心理学の研究施設を設ける
  • 1882年|フッサールがウィーン大学で数学の博士号を取得する
  • 1884年|フッサールがウィーンでフランツ・ブレンターノの講義を受け始める
  • 1886年|フッサールがハレへ移り、カール・シュトゥンプフのもとで研究する
  • 1887年|フッサールが大学教授資格を取得し、ハレで教え始める
  • 1891年|フッサール『算術の哲学』刊行
  • 1894年|ゴットロープ・フレーゲが『算術の哲学』について批判的な書評を発表する
  • 1899年|ダフィット・ヒルベルト『幾何学の基礎』刊行
  • 1900年|フッサール『論理学研究』第1巻刊行。心理主義を批判し、純粋論理学の基礎を論じる
  • 1900年8月|ヒルベルトがパリの国際数学者会議で数学の将来の問題群を提示する
  • 1901年|『論理学研究』第2巻刊行。志向性、意味、部分と全体、範疇的直観などを論じる
  • 1901年|フッサールがハレからゲッティンゲン大学へ移る
  • 1905年|フッサールが内的時間意識について講義する
  • 1906年|フッサールがゲッティンゲン大学の正教授となる
  • 1907年|フッサールが『現象学の理念』『物と空間』として後に刊行される講義を行う
  • 1911年|フッサール「厳密な学としての哲学」発表
  • 1913年|『イデーンⅠ』刊行。自然的態度、エポケー、現象学的還元、ノエシスとノエマを体系的に論じる
  • 1913年|『哲学および現象学研究年報』第1巻が刊行される
  • 1914年|第一次世界大戦が始まる。現象学の研究者たちも戦争の影響を受ける
  • 1916年|フッサールがフライブルク大学へ移る。エーディト・シュタインが博士号を取得する
  • 1917年|アドルフ・ライナッハが第一次世界大戦で戦死する。シュタインの共感論の博士論文が刊行される
  • 1927年|マルティン・ハイデガー『存在と時間』刊行
  • 1928年|フッサールの時間意識についての講義が編集され刊行される
  • 1936年|フッサールの後期著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の一部が公刊される
  • 1938年|フッサールがフライブルクで死去する
  • 1943年|ジャン=ポール・サルトル『存在と無』刊行
  • 1945年|モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』刊行

略年表はフライブルク大学、ルーヴェン・カトリック大学、ケルン大学のフッサール文庫と哲学百科事典の記述に基づきました。1900年と1901年の『論理学研究』、1905年の講義と1928年の編集刊行、1913年の『イデーンⅠ』の刊行を区別しています。(参照:フライブルク大学フッサール文庫|フッサールの略年譜/ルーヴェン・カトリック大学|フッサールの生涯と業績/ケルン大学フッサール文庫|生涯と主要著作/スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

まとめ|見ることと意味の成立を問い直す

19世紀末のドイツ語圏では、数学の基礎を厳密に考え直す研究と、心の働きを実験によって調べる心理学が発展していました。数学者として学んだフッサールは、数や論理の真理を人が理解する経験と、論理的な真理そのものの根拠をどう結びつけるかを考えます。1891年の『算術の哲学』から、1900–1901年の『論理学研究』へ進む過程で、この問いは現象学の出発点となりました。

『論理学研究』でフッサールは、論理の正しさを人間の心理的な反応へ還元する心理主義を批判しました。意識が何かについての経験であるという「志向性」をもとに、意味の同一性、判断の充実、部分と全体の関係、範疇的直観を分析します。目の前の物は一度にすべての面を現さず、私たちは見えていない面も含めて一つの物として理解しています。こうした知覚の構造が重要な研究対象になりました。

ゲッティンゲンでの講義と研究を通じて、フッサールは1905年に時間意識、1907年に知覚と認識の方法を詳しく考えました。メロディーを聞くとき、直前の音が「保持」され、次の音への「予持」が働くため、私たちは時間の流れを一つの経験として受け取ります。1913年の『イデーンⅠ』では、日常の世界についての存在判断をいったん留保する「エポケー」と、経験の成立へ立ち返る「現象学的還元」が、超越論的現象学の方法として体系化されました。

1913年の方法の展開は、初期の現象学を受け継いだ研究者たちの間に新しい議論を生みました。その後のハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティらも、それぞれ異なる方向から現象学を発展させます。フッサールが残した中心的な問いは、私たちが物事を経験するとき、目に現れる姿と、その物を一つの対象として理解する働きがどのように結びついているのか、ということです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール/フッサール『論理学研究』第2巻・六つの研究の原典・版情報/フッサール『イデーンⅠ』原典・刊行情報|現象学文献アーカイブ/フッサール『イデーンⅠ』英訳本文(原典に基づく翻訳))

参考資料・出典

『論理学研究』と『イデーンⅠ』については原典の刊行情報、翻訳本文、哲学百科事典を照合しました。1907年の講義は後年の刊本の書誌情報で確認し、1913年の方法を1901年の段階へそのまま遡らせないようにしています。数学史と大学制度に関する背景は大学・研究機関の資料に基づきます。各小節の末尾にも参照資料へのリンクを付しています。資料確認:2026年10月20日。