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Philosophy

1927

「存在する」とはどういうことなのか

ハイデガー『存在と時間』

1927年のドイツは、第一次世界大戦の敗戦から九年を経たヴァイマル共和政の時代にありました。1918年に帝政が崩壊し、1919年の憲法によって選挙で選ばれた国会を中心とする共和政が成立していました。女性を含む成人の男女が国会選挙に参加し、複数の政党が議席を争い、内閣の運営には議会内の連携が必要でした。1923年の激しいインフレーションの後、通貨改革と海外からの融資によって経済は比較的安定し、1927年には国会が失業保険制度を成立させました。政治の新しい仕組みや社会保障が整えられる時期にも、敗戦の記憶、失業、政治的な対立は人々の生活から消えていませんでした。

大学では、哲学がどのような学問であるべきかをめぐる議論が続いていました。自然科学の発展を踏まえて認識の条件を探る新カント派、意識の経験そのものを精密に記述しようとする現象学、人間の歴史的・宗教的な生を考える潮流が併存していました。南西ドイツのフライブルク大学で現象学を学んだマルティン・ハイデガー(1889–1976)は、1923年から中部ドイツのマールブルク大学で教え、古代ギリシア哲学や人間の日常生活を読み解く講義によって学生たちを引きつけていました。

そのハイデガーが1927年に刊行した『存在と時間』は、驚くほど基本的な疑問から始まります。机がある、友人がいる、自分がここにいる。私たちは何のためらいもなく「ある」という言葉を使います。それぞれ何があるのかは説明できても、そもそも「ある」とはどういう意味なのかと問われると、言葉が止まってしまいます。

ハイデガーは、この問いに近づくため、私たち自身がどうやって物事に出会い、他人と暮らし、将来に向かって行動し、自分の死を理解しているかを調べました。世界に生きる人間の姿を具体的に探ることが、「存在」の意味を問う手がかりになると考えたのです。

1927年のドイツで、なぜ人間の存在が問われたのか

戦後の共和国と、新しい時代を生きる人々

1919年のヴァイマル憲法は、成人男女による普通選挙と比例代表制のもとで国会を組織し、大統領、内閣、国会がそれぞれの権限を持つ体制を定めました。政党は議会で連立を組み、政府の政策を支えたり批判したりしました。比例代表制によって少数の政治的立場も議席に反映され、政治的な意見の違いが国会の構成に現れました。帝政の時代から共和政へと制度が変わるなかで、人々は公共生活への参加や国家との関係を新しく経験していました。

1923年の通貨危機が収束すると、都市では映画、ラジオ、新聞、芸術の活動が広がりました。1927年7月、国会は失業者を対象とする保険制度の導入を決定しました。この出来事は、仕事と生活の不安を国家の制度で支えようとする試みでもありました。戦争や社会変動が直接『存在と時間』の議論を生んだと断定する根拠はありません。1920年代の知的な風景を理解するうえでは、個人の生活をどう考えるかという問いが、政治、宗教、文化、学問のそれぞれで別の形を取っていたことが重要です。(参照:ドイツ歴史博物館|ヴァイマル共和国の内政)

大学で教えられていた新カント派と現象学

ドイツの大学では、講義と演習、学位論文、大学教授になるための資格論文が哲学研究を支えていました。マールブルク大学には、19世紀末から20世紀初頭にかけてヘルマン・コーエン(1842–1918)とパウル・ナトルプ(1854–1924)が築いた新カント派の伝統がありました。彼らは18世紀のドイツで人間の認識が成立する条件を考えた哲学者イマヌエル・カント(1724–1804)の認識論を受け継ぎ、数学や自然科学の知識がどのように成立するのかを探究しました。そこから学んだエルンスト・カッシーラー(1874–1945)は、ドイツで言語や神話、芸術などを人間の文化の象徴形式として研究しました。マールブルクの新カント派で重視されたのは、経験を知識として説明するための論理的な条件でした。

これに対して現象学は、何かを見たり、思い出したり、望んだりするとき、対象がどのように経験に現れているかを丁寧に記述します。1910年代以降、大学の哲学講義では、新カント派による学問の基礎づけと、現象学による経験の分析が異なる方法として議論されました。ハイデガーの問いは、この両方を知ったうえで、知識を獲得する以前から人間が生きている世界の成り立ちを探る方向に進みました。(参照:マールブルク大学哲学研究所|研究所の歴史)

フライブルクからマールブルクへ

ハイデガーは南西ドイツのメスキルヒに生まれ、カトリックの宗教的な環境で育ちました。1909年にフライブルク大学へ入り、神学や自然科学を学んだ後に哲学へ進みます。1913年に学位を得て、1915年には13~14世紀のスコットランド出身の神学者・哲学者ドゥンス・スコトゥスに帰されていた中世文献を扱う研究によって大学教員資格を取得しました。この経歴は、彼が近代の認識論に加えて、古代・中世の存在論や宗教的な生の問いにも親しんでいたことを示しています。

1919年以降はフライブルクで意識と経験の成り立ちを研究した現象学の創始者エトムント・フッサール(1859–1938)と研究上の関わりを深め、1923年にマールブルク大学の員外教授として赴任しました。マールブルクの講義では紀元前4世紀に古代ギリシアで存在や論理、倫理を研究したアリストテレスや、カントの哲学、真理、時間を扱いました。のちにドイツで解釈学を展開するハンス=ゲオルク・ガダマー(1900–2002)、ドイツ生まれで米国に渡り政治哲学を発展させるハンナ・アーレント(1906–1975)、生命と倫理の問題を研究するハンス・ヨナス(1903–1993)らが講義で学びました。1927年に『存在と時間』が刊行されたとき、ハイデガーはマールブルクで教えており、フライブルクでフッサールの後任教授となるのは翌1928年です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

神学、歴史、哲学の問いが交わる場所

マールブルクでハイデガーは、新約聖書を歴史批判的に解釈した神学者ルドルフ・ブルトマン(1884–1976)とも交流しました。ブルトマンは信仰の言葉を古い物語として整理するだけでなく、そこに人間の生き方への呼びかけがどのように含まれるかを考えていました。ハイデガーが講義で扱ったアリストテレスの実践的な生や、初期キリスト教の時間経験も、人間が状況のなかで自分の生を理解するという問題につながります。

『存在と時間』に登場する良心、不安、罪責などの語は、宗教や倫理の伝統でも使われてきました。ハイデガーは、それらの言葉を日常的な道徳判断から少し離し、人間が自分の存在をどのように引き受けるかを記述するために用います。宗教的な背景を知ると、彼がなぜ抽象的な知識の問題にとどまらず、生の時間性や有限性に強い関心を持ったのかが理解しやすくなります。(参照:インターネット哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

『存在と時間』は何を目指して刊行されたのか

1927年に出版された本の形

『存在と時間』は1927年、フッサールが主宰する『哲学および現象学研究年報』第8巻に発表され、同年に単行本としても刊行されました。フランス国立図書館の書誌記録は、年報への掲載と単行本刊行の両方を確認しています。序論でハイデガーは、古代以来の「存在への問い」を明確な形で再び立て直そうとします。読者に求めたのは、何か特別な対象の存在証明より前に、さまざまな対象を「存在している」と捉える理解の仕方を考えることでした。

本書の冒頭にはフッサールへの献辞が置かれています。師から継承した現象学的方法を、新しい存在論の探究へ用いるという意味でも重要な位置づけでした。『存在と時間』は刊行直後から大きな反響を呼び、ハイデガーは同年マールブルクで正教授となります。著作の思想的な重要性と、そこに残された未完の部分は、区別して読む必要があります。(参照:フランス国立図書館|『存在と時間』書誌記録)

存在論という古い学問への新しい問い

存在論とは、ものが存在するとはどういうことか、その最も基本的な成り立ちを考える哲学の分野です。古代ギリシアのアリストテレスは、多様なものを個別に調べる学問とは別に、存在するものを存在するものとして考える探究を行いました。近代の哲学では、人間がどのように対象を知りうるかという認識論が大きな位置を占めるようになります。ハイデガーはこの長い議論を踏まえ、存在そのものの意味を理解する条件に焦点を当てました。

机、岩、数、他人、自分は、それぞれ異なるあり方で私たちの前に現れます。私たちはそれらをすべて同じ手順で理解しているのでしょうか。ハイデガーが目指したのは、対象を一つ増やして調べる研究ではなく、そもそも対象が理解可能になる土台を明らかにする探究でした。この方向転換によって、道具を使うこと、他者と話すこと、未来を考えることが、存在論の重要な資料になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

全体の構想と、実際に刊行された部分

ハイデガーが当初計画した本書は、二部構成でした。第1部では現存在の分析を通じて時間が存在理解の地平となることを示し、第2部ではカント、デカルト、アリストテレスを中心に存在論の歴史を検討する予定でした。実際に刊行されたのは第1部の第1編と第2編で、人間の世界内存在と時間性の分析が中心をなしています。第1部の予定された第3編と第2部は公刊されませんでした。

そのため『存在と時間』で詳細に示されるのは、存在を理解する人間のあり方と、その時間的な構造です。「存在一般の意味」が時間によってどのように基礎づけられるかという最終的な証明は、当初の設計どおりの形では完成していません。読者が人間の生き方を扱う箇所に強く引き込まれるのも事実であり、それを通じた根本の目標を見失うと、書物全体の問いが人生論へ狭められてしまいます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

研究の方法はなぜ現象学と呼ばれるのか

哲学は、世界を説明するときにすでに使っている概念を、もう一度検討できます。例えば「対象」「事実」「自分」という言葉が、経験のなかで何を指しているのかを確かめる仕事です。現象学の方法は、物事が経験のなかでどのように現れるかに立ち返り、慣れ親しんだ学説をいったん吟味する姿勢を持ちます。ハイデガーも、存在に関する定義を外から当てはめる前に、日常の経験からその構造を見つけようとしました。

作業中には気づかなかった道具が、壊れた瞬間に視線を引く。人混みのなかでは周囲の振る舞いに自然と合わせる。将来の約束を持つ人にとって、今日の数時間には特定の意味がある。こうした普通の経験を丁寧に考えることが、存在についての哲学的な問いに結びつくのです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

フッサールの現象学を、どう受け継ぎ変えたのか

フッサールは何を研究しようとしたのか

エトムント・フッサール(1859–1938)は、オーストリア帝国で生まれ、ゲッティンゲンやフライブルクで教えた哲学者です。数学の研究から出発し、論理や認識の基礎を探究するなかで現象学を築きました。何かを考えたり、望んだり、恐れたりする意識は、常に何かについての意識であるという「志向性」が重要な主題です。例えば同じ木でも、植物学者が分類するときと、木陰で休む人が眺めるときとでは、対象は異なる意味を持って現れます。

フッサールは対象が意識に現れる仕方を精密に記述し、経験を支える構造を明らかにしようとしました。彼の現象学は、個々人の心理状態を調査する心理学と学問的な目的を区別し、知識や意味の成立条件を探る哲学の方法として展開されました。ハイデガーが受け継いだのは、まず経験に立ち返って問いを立てるこの姿勢でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

判断を保留するという方法の意味

フッサールの現象学には、外界が本当に存在するかといった通常の判断をいったん保留し、物事が経験の中でどう与えられるかを調べる「エポケー」や現象学的還元があります。これは日常生活を疑い続けるという指示ではなく、経験が成立する構造を調べるための方法です。彼はこの方法を通じて、主観と対象の関係を吟味し、意識の構成の働きを探究しました。

ハイデガーは、現象を丁寧に見極める方法を大切にしながら、どのように意識が対象を構成するかという問題に加えて、そもそも人間が世界の中で生きているという事実から出発します。経験の分析を存在論へ向けることによって、見る主体と見られる対象を別々に置く見方そのものを再検討したのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エトムント・フッサール)

現象を解釈するという方法

ハイデガーにとって、人間の生は、いつもすでに自分や世界について一定の理解を持っています。家や学校や仕事場で、私たちは意味のある言葉を使い、何をすべきかをある程度知っています。こうした先行する理解を手がかりに現存在の構造を明らかにする試みを、初期のハイデガーは「事実性の解釈学」として発展させました。1923年の講義『事実性の解釈学』は、その形成過程を知る重要な資料です。

解釈学は、古くは聖書や法律文書の意味を読み解く方法として発展し、19世紀には人文科学の理解をめぐる哲学となりました。ハイデガーは理解の問題を、テキストを読むときの技術から、人間がそもそも世界を理解しながら存在していることへ広げました。後のガダマーの哲学にもつながる転換です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|解釈学)

現象学と存在論が交わるところ

『存在と時間』第7節は、現象学の方法を説明する重要な箇所です。そこでハイデガーは、現象が示しているものを、それが自ら示す仕方に即して見極めようとします。人間の日常生活は、すでに意味あるものとして経験されています。その意味はしばしば慣れによって覆われ、明らかなものとして取り上げられていません。

例えば私たちが道具を使うとき、道具の働きを理解していることは日常ではほとんど意識されません。経験のなかで見落としている構造を明らかにする現象学は、存在者がどのように存在しているかを問う存在論と結びつきます。ハイデガーが現象学を継承すると同時に、その探究の中心を現存在へ移した意味がここにあります。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

「存在者」と「存在」はどう違うのか

目の前にあるものを数えるだけでは届かない問い

本を開いたとき、紙や印刷された文字を見たり、ページをめくったりできます。紙の材質や印刷の技術を調べることも可能です。そこで調べている本、紙、文字は、ハイデガーの言葉では「存在者」です。存在者とは、物体だけでなく、人、出来事、数など、何らかの仕方であると捉えられるものを広く指します。

ここで「この本があるとは、どういうことか」と問うと、調べる対象が変わります。本が利用できるものとして現れること、一定の場所を占める物として観察されること、誰かの文章を読むためのものとして理解されることが問題になります。ハイデガーは、存在者がどのようなあり方で理解されるかという問いを「存在」の問いとして立てました。存在者と存在の区別は「存在論的差異」と呼ばれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

「ある」という言葉を知っているのに説明できない

私たちは「雨が降っている」「会議がある」「友人がいる」「二は偶数である」という文章の違いを理解しています。「ある」や「である」を使うたび、その言葉について哲学的な定義を考えることは通常ありません。それでも、何が現実の物で、何が約束や出来事で、何が数学的な関係なのかは、使い分けています。

ハイデガーが注目したのは、この身についた理解です。「ある」という言葉が曖昧だから辞書を作ろうとしたのではありません。何があるかをすでに理解しながら生きている私たちが、いったい何を理解しているのか。それを明らかにすることが問いでした。存在の意味は、単一の物質や目に見えない別の物を見つければ済む問題とは違う形をしています。(参照:インターネット哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

なぜこの問いが哲学史を変えたのか

フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596–1650)は、確実な知識を求めて自分の思考を吟味し、考える主体と空間を占める物体を区別しました。近代の認識論では、主体が外界の物体をどのように知るかという問題が大きな役割を持つようになります。ハイデガーは、私たちが何かを観察して知識を得る前から、働き、話し、行動する世界に親しんでいることを出発点に据えました。

例えば、仕事場で椅子を引いて座るとき、まず自分の意識の内部で椅子の表象を確認し、次に外界の存在を証明するわけではありません。椅子を使うという一連の行為がすでに進んでいます。ハイデガーの新しさは、この実践的な世界との結びつきを、人間の存在の根本構造として調べたところにあります。物理学や心理学が説明する事実を排するのではなく、それらの学問が成り立つ前提を問い直したのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

同じ存在という言葉に、異なるあり方が含まれる

使い込んだ靴、目の前の岩、研究で扱う数式、約束を交わす友人は、それぞれ異なる仕方で出会われます。靴には歩くという用事のなかで出会い、岩には道をふさぐものとして気づくことがあり、数式は証明の規則に従って理解され、友人には話し合いのできる他者として向き合います。こうした違いは、個々の存在者の性質と、人間がそれらに関わる仕方の両方に関係しています。

『存在と時間』では特に、道具が使用のなかで現れるあり方、観察の対象として現れるあり方、そして人間自身が可能性を生きるあり方が詳しく分析されます。それらを一つの分類表に押し込めることより、何が何として理解されているかという経験の構造を見極めることが重要でした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

人間を「現存在」と呼ぶのはなぜか

現存在は人間のどこに注目する概念なのか

ハイデガーは存在を問うために、まずその問いを立てられる人間自身を調べます。私たちは、自分が何をしているかをある程度理解し、自分の生き方を気にかけ、将来を見通すことができます。「現存在」(Dasein)は、こうした存在理解を持つ私たち自身を指すための言葉です。普通のドイツ語でDaseinは「存在」や「そこにあること」を意味しますが、『存在と時間』では特別な哲学上の役割を持たせています。

現存在を考えるとき、身体の重さ、性格の型、知能検査の結果だけでは問いが尽くされません。人間は、今どこにいて、何が大切で、次に何をしようとするかという関係のなかで、自分のあり方を理解しています。ハイデガーはこの点に注目し、人間の存在の構造を「実存論的」に分析しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

自分のあり方が自分にとって問題になる

机は自分が机としてどう生きるべきかを考えません。人間は、今日の仕事に向かうか、別の仕事を選ぶか、誰と関わり、何に時間を使うかを考えます。周囲の事情で選択肢が限られることもあります。それでも、自分の人生の方向が自分に関わる問題として現れるところに、現存在の特徴があります。

ハイデガーは現存在の「本質はその実存にある」という考え方を述べます。これは人間に生物学的な共通性が存在しないという主張ではありません。人間のあり方を、与えられた性質の一覧よりも、自分がどのような可能性を生きているかという観点で分析することです。後のフランスの実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)がこれを別の仕方で発展させる理由も、この可能性への着目にあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|実存主義)

世界内存在とは、どこかに入っていることなのか

水がコップに入っていることと、人が世界の中にいることは、同じ関係でしょうか。ハイデガーが「世界内存在」と呼ぶのは、物体が容器に収まるような位置関係よりも、人がすでに意味のある生活の場で働き、他者と接し、物事に取り組んでいるという全体的なあり方です。家、駅、職場などは単なる座標の集合ではなく、何をする場所かという理解を伴って経験されます。

たとえば、慣れた駅では標識を一つずつ理論的に解読する前に、乗り換え口へ向かって歩けます。改札、時刻表、列車の動き、他の乗客、目的地が互いに結びついています。この「わかって行動できる」状態が、世界への親しみを示します。世界内存在とは、こうした人間と世界の不可分な関係を表す言葉です。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

意識の内と外を分ける前にある経験

デカルト以来の哲学で繰り返されてきた問いの一つに、私の意識の外に世界が本当に存在するとどう証明できるか、という問題があります。ハイデガーは、まず意識を内部に閉じたものと考えるところから始めると、普段の経験を捉え損ねると考えました。私たちはすでに道具を使い、人と約束し、出来事に巻き込まれています。その関わりは、後から外界へ橋を架けて初めて成立するものとして経験されていません。

この考え方は、外の世界の物質的な事実を人間の気持ちで作り出すという意味ではありません。世界の物事がどのような意味で現れ、扱われるかを解明するため、すでに世界と関係している人間の生を調べるのです。現存在の分析が存在への問いの入口となるのは、この理由によります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

ハンマーを使うとき、道具はどう存在しているのか

ハンマーは、釘を打つ仕事のなかで現れる

『存在と時間』第15節でハイデガーが考える代表的な例は、道具としてのハンマーです。大工が板をつないでいるとき、ハンマーは重さや長さを観察するために目の前に置かれた物体というより、釘を打つために使われています。手を動かす熟練のなかでは、作業の目的や板と釘の状態に注意が向き、道具そのものをいちいち見つめ続ける必要はありません。

ここには不思議なことがあります。仕事に深く関わっているハンマーほど、その物体としての姿が意識の中心から退くのです。ハイデガーは、道具が使用のなかで適切に現れるあり方を「手許性」(Zuhandenheit)と呼びます。ものに出会う基本的な仕方の一つは、ただ外から見ることよりも先に、何かをする際にそれを扱っていることです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

道具は他の道具や目的とつながっている

ハンマーが役に立つのは、それ一つが孤立しているからではありません。釘、板、作業台、家を建てる計画、そこで暮らす人など、使用の場面には多くの関係があります。釘は板を固定するために、板は家の一部をつくるために扱われます。道具はこの「何かのために」という結びつきのなかで、その役割を持ちます。

ハイデガーは、こうしたつながりを道具連関として捉えます。例えば修理途中の椅子では、工具箱の中身や床の養生、修理後に座るという目的までが互いに関わっています。道具は機能的な全体のなかで理解されるので、どれか一つの物の説明から、生活を営む世界全体のあり方へ問いが広がります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

使い慣れた道具が壊れると何が起こるか

作業中にハンマーの柄が折れたと想像してみてください。それまで滑らかに続いていた動作が止まり、手元の道具に注意が集まります。壊れた理由や交換の必要を考えると、ハンマーの材料、構造、寸法が問題になります。普段は背景に退いていた道具が、扱いにくい物として前面に現れ、同時に進めていた仕事のつながりも見えてきます。

『存在と時間』第16節は、道具の故障、見つからない道具、邪魔になるものなどを通じて、この変化を考察します。ハンマーの破損は単なる失敗談ではなく、道具が活動のなかで意味を持つ仕組みを知らせてくれる経験です。使えることが当たり前だったときには意識されにくい道具連関が、滞りによって明らかになるのです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

眼前性は科学的な観察とどう関わるか

ハンマーを持って釘を打つ手を止め、秤に載せて重さを調べるとします。ここでは道具を作業に使うことより、測定できる性質を持つ対象として捉えています。ハイデガーが「眼前性」(Vorhandenheit)と呼ぶあり方は、このように対象が観察や説明のもとに現れることと深く関わります。自然科学は、こうした対象の性質や因果関係を精密に探究する優れた方法を発達させてきました。

ハイデガーが問題にしたのは、ものが存在する仕方を眼前性だけで説明し尽くそうとする傾向です。手許性は心のなかの主観的な印象に縮められず、道具が実際の活動でどのような存在の仕方をしているかを示します。両者の違いを考えると、「世界にものがある」という普通の言い方にも複数の意味が重なっていることがわかります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

「見る」と「使う」はどんな関係にあるか

使い慣れた台所では、料理をしながら包丁、まな板、鍋の場所を自然に把握できます。手順の途中で必要なものに気づく眼差しを、ハイデガーは道具の扱いに即した「配視」として考えます。これは対象を凝視して性質を列挙する観察とは違い、周囲の状況を行為に合わせて見渡す仕方です。

道具が壊れた経験から、ものを観察対象として取り出せることがわかります。科学的な知識も、生活世界の関わりから生まれる問いに応じて発展します。哲学的に問われているのは、どちらが日常生活で多いかという頻度の問題を越えて、人間と世界が出会う仕方を一種類に限定してよいのかという点です。(参照:インターネット哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

人間は他者とどのように存在しているのか

誰もいない部屋にも他者との関係がある

一人で机に向かって文章を書いていても、書かれた言葉は誰かに読まれることを見込んでいます。机や本は別の誰かが製作し、習った言葉や仕事の決まりは人々の間で受け渡されてきました。ハイデガーが「共同存在」(Mitsein)と呼ぶのは、他者と同じ場所に並んでいる瞬間だけでなく、人間の世界内存在がもともと他者との関係を含むという構造です。

友人のいない時間も、友人に連絡する可能性や約束の記憶によって形づくられています。他者が実際にそこにいるかどうかで、この基本的な構造が始まったり消えたりするわけではありません。世界内存在の分析が個人の内面を調べるだけで終わらないのは、人間の実践と意味が最初から社会的な広がりを持つためです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

他人に配慮する仕方にも違いがある

ハイデガーは、道具に関わる仕事上の気遣いと、人間同士の配慮を区別して考えます。人が困っているとき、相手の仕事を代わりにすべて済ませることもできますし、相手が自分で取り組めるように支えることもできます。『存在と時間』第26節は、相手の気遣いを肩代わりする仕方と、相手自身の可能性を開く仕方を対照的に述べています。

この区別から、人間同士の関わりは単に親切か不親切かで分類されるより複雑だとわかります。相手を助けるつもりの行為が、その人自身の選択を弱める場合もあります。共同存在は、他者の存在を知的に推測して証明する問題より、実際に共に生きながら関わりを調整する問題として現れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

世人(das Man)は誰のことなのか

服装、言葉遣い、進学、仕事の選択について、「普通はこうする」「みんながそう言う」と考えることがあります。特定の誰かが命じているわけでも、完全に自分で考え出したわけでもない決まりごとが、私たちの日常を方向づけています。ハイデガーが「世人」(das Man)と呼んだのは、この匿名の「人は普通こうする」という基準です。

世人の働きによって、人は毎回ゼロから行動の仕方を決めずに済みます。交通の決まり、会話の慣例、共通の期待は協力を可能にします。同時に、自分にとって本当に重要な選択まで世間の平均的な判断に任せることが起こります。ハイデガーは世人を特定の階層や集団の名として示したのではなく、私たち自身が日常で生きている匿名の仕方として分析しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

日常性は哲学の出発点になる

仕事へ行き、用事を済ませ、誰かと話し、家に帰る。こうした当たり前の生活は、哲学の対象として軽く扱われることがありました。ハイデガーは、非日常的な危機より先に、平均的な日常性のなかに現存在の基本的な構造が表れていると考えました。世人の基準で生きることも、現存在の現実的なあり方の一つです。

たとえば、新しい職場で周囲の手順を見習うことは、環境に馴染むための合理的な方法です。その慣れが深まったとき、自分は何を望み、何を引き受けているのかが見えにくくなることがあります。普通の生活から出発することで、社会的な規範と自分の可能性の関係が哲学的な問いとして姿を現します。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

気分と理解は、世界の経験をどう形づくるのか

気分はものの見え方を先に変えている

不安な気分で仕事の連絡を読むと、何気ない文章が気にかかることがあります。楽しい予定を待っているときは、同じ道がいつもより短く感じられるかもしれません。これは経験を理解するための身近な例であり、感情の測定結果から哲学的な結論を直接導くためのものではありません。ハイデガーは、私たちが常に何らかの気分のなかで世界に開かれていることに注目しました。

『存在と時間』第29節の「情態性」(Befindlichkeit)は、個々の気分の背後にある基本構造です。恐れや喜びといった気分は、物事が自分にとってどのような関わりを持つかを現します。気分が先に世界を価値づけ、後から理性が情報を処理するという単純な順序ではなく、人間の理解には最初から気分を伴うという見方です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

被投性とは、すでに始まっている人生を生きること

私たちは、生まれる時代、母語、家族関係、身体の条件を、何もない場所から自由に選んで始めたわけではありません。気づいたときには、ある地域で暮らし、誰かとの関係を持ち、一定の過去を引き受けています。ハイデガーは、この「すでにそのような状況に置かれている」あり方を「被投性」(Geworfenheit)と呼びます。

被投性の分析は、個人の選択が無意味だと語るために置かれていません。選択は常に、すでに受け取った言葉、環境、能力、歴史のなかで行われます。気分は、私たちが自分の置かれた状況を理論的に調査する前から、その状況が自分にとって切実であることを知らせます。被投性と気分は、現存在の事実的なあり方を理解するために結びついています。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

理解は知識の蓄積よりも、可能性に関わる

ハイデガーが「理解」(Verstehen)と呼ぶものは、試験問題を解いて正答する能力だけを指しません。木工を習う人は、道具を使いながら次に何ができるかを少しずつ身につけます。仕事を選ぶ人は、将来どのような生活ができるかを見通します。人間は、まだ実現していない可能性を捉えることを通じて、現在の状況を理解しています。

このように可能性へ向かって自分を開く構造を「投企」(Entwurf)と呼びます。設計図を頭に描くという狭い意味よりも、自分をある可能性に向けて生きるという意味が中心です。被投性によってすでに条件を持つ私たちが、その条件のなかで何をできるかを理解して生きています。気分、被投性、理解、投企がつながると、現存在が固定された性質の集まりとして描けない理由が具体的になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

解釈は、すでにわかっていることを働かせる

知らない料理を作るときにも、包丁の扱い方や材料の名前など、すでにある理解を使って新しい手順を読んでいます。文を理解する際にも、言葉や状況に関する一定の予想が先に働いています。ハイデガーは、第32節で解釈の「先行構造」に注目し、理解が完全な白紙から始まるという考えを問い直しました。

解釈学では、全体についての予想が部分の読み方を導き、部分の理解がまた全体像を変えるという循環が重視されます。ハイデガーはこの循環を、文献を読む技術だけでなく、世界を理解する人間の存在の構造へと深めました。循環そのものを取り除くことより、何を前提に理解しているかを吟味し、対象が実際に示すものによって理解を修正することが大切になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|解釈学)

語りは、すでに意味を持つ世界を分節する

友人と仕事の相談をするとき、私たちは日々の用事や人間関係を言葉によって区切り、何が問題なのかを共有します。ハイデガーが「語り」(Rede)と呼ぶのは、こうした言語活動のさらに基礎にある、物事を意味ある形に分節する働きです。『存在と時間』第34節では、気分と理解と語りが、世界内存在を構成する根本的な要素として考えられています。

例えば、相手の沈黙や身振りも、その場の関係を理解するうえで意味を持つことがあります。語りは発声した文だけに尽くされません。ハイデガーの分析では、私たちが世界を理解していることと、その理解を何らかの仕方で示し分けることが結びついています。言語は、世界から切り離された頭の中の記号操作として考えられていないのです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

なぜ私たちは日常に埋没するのか

頽落とは、身近なものに吸い寄せられるあり方

仕事の連絡、買い物、ニュース、周囲の評判に追われていると、自分が何に時間を使いたかったかを見失うことがあります。ハイデガーは、日常的な関心事のなかに埋没する傾向を「頽落」(Verfallen)と呼びます。この言葉には宗教的な堕落を思わせる響きがありますが、彼は人間の世界内存在に現れる日常の構造として分析しています。

頽落は人がいつも不幸であることを意味しません。生活を円滑に進める働きのなかに、自分の可能性を世人の基準で理解する傾向が組み込まれているということです。だからこそ、日常に埋没している状態を「悪い性格」と裁くことより、その状態がどう成り立つかを理解する必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

空談は、話題の共有をどう変えてしまうか

誰かが読んだという本の評判を、内容に触れないまま繰り返すことがあります。ニュースの見出しだけで事情を理解した気分になる場合もあります。『存在と時間』第35節の「空談」(Gerede)は、言葉が人々の間を流通するなかで、何を語っているのかを自分で確かめる関係が薄くなる現象を示します。

空談は会話が無意味だという断定ではありません。言葉が社会に共有されるからこそ、人は多くのことをすぐに学べます。共有された説明に安住すると、自分の経験や判断を働かせる機会が小さくなります。ここでも焦点は、言葉が多いか少ないかという量より、物事そのものとの関係をどのように保っているかにあります。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

好奇心と曖昧さは何を示すか

次々に新しい話題へ目を向けると、多くのことを知っている気持ちになることがあります。ハイデガーは第36節の「好奇心」で、目新しいものへ移動し続け、ある対象に落ち着いて向き合うことが難しくなる状態を分析します。さらに第37節の「曖昧さ」では、人々が誰もが何かを理解しているように振る舞い、実際に何を理解したかが不明瞭になる状況を考えました。

こうした分析は、1920年代の新聞や大衆文化を背景に読まれることがあります。その具体的なメディアの評価をハイデガーの哲学全体に機械的に当てはめることはできません。焦点は、人が共同生活の中で情報を受け取り、語り、振る舞う際、世界への関わり方がどのように形成されるかです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

気遣いは現存在の構造を一つにまとめる

ここまでの議論には、気分、理解、被投性、投企、他者との関係、日常への埋没など多くの要素が現れました。ハイデガーはそれらを人間の性質として横に並べるだけで終えず、第41節で「気遣い」(Sorge)という統一的な構造を示します。現存在は、すでに世界に置かれ、何らかの可能性に先立って向かい、身近なものや他者に関わりながら存在しています。

例えば将来の転職を考える人は、これまでの経験と今の生活条件を背負い、これからの可能性を見通し、今日の仕事や家族との関係に取り組んでいます。過去の条件、未来へ向かう理解、現在の関わりは切り離して説明しにくいものです。このまとまりが、気遣いという考え方から見えてきます。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

恐れと不安は、何が違うのか

恐れには、何か恐ろしい対象がある

暗い道で大きな犬が走ってくるとき、人はその犬を怖がります。体調の悪化を告げる知らせ、仕事を失うかもしれない状況なども、何が危険なのかをある程度指し示せる恐れの対象になります。『存在と時間』第30節では、恐れを、世界の中の何かが自分や大切なものを脅かす経験として分析します。脅威が迫る距離や可能性に応じて、身体や行動の仕方も変わります。

この恐れの分析は、感情を心の内部に閉じ込めて考えると見えにくくなる点を示します。怖いものは、世界の中で自分に危害を及ぼしうるものとして現れます。気分は対象との関係を開き、周囲の物事が自分にとってどんな意味を持つかを知らせています。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

不安になると、なぜ世界全体が遠のくのか

はっきりした危険が見当たらないのに、いつもの生活が急に頼りなく感じられることがあります。身近な例では、予定や役割に忙しくしていた人が、ふと自分の暮らし全体の意味を問い始める瞬間を想像できます。ハイデガーが第40節で分析した「不安」(Angst)は、特定の存在者を恐れる感情とは違い、世界にあるものが普段どおりの意味を持たなくなる経験に関わります。

仕事、知人、道具、街路は目の前から消えるわけではありません。それらに支えられていた「普通にこうすればよい」という方向づけが揺らぎます。ここで露わになるのは、日々の行為を意味あるものとして成り立たせる世界内存在そのものです。不安は、現存在が自分の存在を問題にすることへ向かう、特別な開示の経験として考えられました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

不気味さは、親しんだ世界で居場所を失うこと

慣れた家の中でも、急に落ち着く場所がなくなったように感じる場合があります。ハイデガーが「不気味さ」(Unheimlichkeit)と呼ぶのは、幽霊や怪物におびえる意味よりも、世界の中で普段感じていた居心地のよさが崩れることに関わります。ドイツ語の語感には「家にいるように親しい」という意味が揺らぐ響きがあります。

日常の役割や世人の判断に支えられていた自分が、そこから距離を取ると、何を頼りに生きるかという問いが現れます。ハイデガーにとって、不安や不気味さは人間の状態を病気として診断するための概念ではありません。日常の慣れに覆われていた存在の構造を考えるための現象です。(参照:インターネット哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

不安の経験をどう解釈するかは議論されている

不安が世界の意味の崩れを示すという説明について、研究者は具体的にどんな経験を指すのかを議論しています。例えば21世紀の英国で現象学や精神医学の哲学を研究するマシュー・ラトクリフは、日常の世界との関わりを支える経験全体に注目し、ハイデガーの不安には微妙に異なる経験が含まれると論じています。米国でハイデガーの時間論を研究してきたウィリアム・ブラットナーは、彼が不安と呼ぶ現象の中心部分に、現代のうつ状態と重なる特徴を認めています。これらは同じ哲学的記述を異なる経験から理解しようとする研究上の試みです。

ここから考えられるのは、感情を説明するときに、何を感じたかという主観的な報告と、世界の中で何が意味を持つかという関係を両方吟味する必要があることです。不安の分析は、現存在がいつもすでに何かを大切なこととして生きているという気遣いの構造へ戻っていきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

死を考えることが、なぜ生き方の問いになるのか

他人の死と、自分の死との距離

誰かの死を知った人は、その人を失った悲しみを経験し、葬儀や手続きに関わることがあります。人間が死に直面する具体的な経験は、他者との関係に深く結びついています。ハイデガーは『存在と時間』第47節以降で、他人の死を経験することから、自分自身の死をどのように理解できるかへ問いを進めます。

他人の仕事を引き受けたり、生活を支えたりすることはできます。自分の人生が終わるという可能性は、別の誰かに代わりに経験してもらうことができません。死は現存在が自分自身で関わらざるを得ない可能性として、その固有性を明らかにします。ここで問われているのは亡くなる直前の心理だけでなく、私たちが生きている間から自分の終わりを理解しているということです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

死への存在は、何を「先取り」するのか

私たちは将来の予定を立て、老後の暮らしを思い描きます。どの予定も、時間と条件が整えば実現する可能性があります。死は、そうした可能性を実現し続ける自分の生が終わるという、特別な可能性です。ハイデガーは死を、現存在のそれ以上先に進めない可能性として捉え、そこへ向かっているあり方を「死への存在」と呼びました。

「先駆」とは、死ぬ出来事を早める行動や死後の状態を詳しく想像することを指しません。自分の生の可能性が有限であることを、先に向かって引き受ける態度です。未来にどれだけ時間が残っているかを正確に知ることができないからこそ、今日の選択は自分の生に関わるものとして現れます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

死は確実であり、その時期は不確かである

人は自分もいつか死ぬことを一般的な知識として持っています。世人の言葉で「誰もがいつか死ぬ」と語れば、その事実は自分から遠い出来事のようにも感じられます。『存在と時間』は、死が確実であることと、いつそれが起こるか確定しないことを結びつけます。死への存在を理解するうえでは、この不確かさが切実な意味を持ちます。

例えば、大切な仕事をいつか始めようと考えている人は、その「いつか」が無限に続くかのように暮らすことがあります。自分の時間が限られていると理解すると、予定の優先順位や他者との約束の意味が変わるかもしれません。この例から導かれるのは、特定の生き方を命じる結論よりも、自分の可能性を有限なものとして捉える視点です。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

生物学的な死の説明と何が異なるのか

医学や生物学は、身体の機能が失われる過程や死亡を判定する基準を詳しく研究します。ハイデガーはその種の研究を否定するために死を論じたのではありません。彼が探ったのは、終わりのある存在として生きることが、人間にとってどのような構造を持つかです。臓器の働きが停止するという説明と、死が自分の生の可能性にどう関わるかという説明は、問う内容が異なります。

両者の区別の妥当性には批判もあります。例えば20世紀末にハイデガーを批判的に研究したオランダの哲学者ヘルマン・フィリップセは、現存在の死と通常の死亡を厳密に切り分けることの哲学的な意義に疑問を呈しています。死の分析を読む際には、人間の有限性について何が説明されたのか、そのために特別な概念がどこまで必要なのかを確かめることが大切です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

良心の呼び声と本来性は、何を意味するのか

良心は何を命令する声なのか

何となく周囲の期待に合わせて進めてきたことについて、急に「自分はこれでよいのか」と感じることがあります。ハイデガーは『存在と時間』第54節以降で、こうした自分への呼びかけを「良心の呼び声」として分析します。ここでの良心は、具体的な善悪の一覧を教えたり、他人から与えられた規則を繰り返したりする声として説明されません。

良心の呼び声は、世人のなかに紛れていた自分を、自分自身の可能性へ呼び戻すと考えられます。原著の記述では、この呼び声は多くを語らず、沈黙という性格を持ちます。何を選ぶべきかという内容を一律に告げるより、自分で引き受けるというあり方を知らせるのです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

罪責は、なぜ犯罪や過失に限られないのか

通常「罪責」といえば、法律違反や人を傷つけた行為に責任があることを思い浮かべます。ハイデガーの「負い目」や「罪責」(Schuld)は、こうした具体的な非難の問題を考える前に、私たちが自分の存在の根拠を完全には自分で作れず、選択に際して他の可能性を引き受けきれないことに関わります。

一つの仕事を選べば、別の仕事に同じ時間を使うことはできません。生まれる環境を自分で決めたわけでもありません。可能性を引き受ける行為は、実現されなかった可能性を残します。ハイデガーは、こうした有限な存在の構造を通じて罪責の問題を考えました。これによって、道徳上の具体的な責任や不正が軽くなるという結論は出ません。日常の罪責とは区別された存在論的な分析です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

決意性とは、何かを固く決めることなのか

ハイデガーの「決意性」(Entschlossenheit)は、単に意志を強く持つ性格や、いったん決めたことを変えない頑固さとは違います。世人の判断に任せきりになっていた自分の可能性を、具体的な状況のなかで引き受けるあり方です。職場や家庭の状況を無視して自分だけの計画を貫くというより、現にある条件と他者との関係を理解しながら行動することに関わります。

例えば、周囲から勧められた進路について、評判に従う理由と自分がそれを選ぶ理由を考え直す場面があります。決意性は「最も立派な職業」を一つ指定しません。自分がどのような可能性を生きているかを、逃れがたい責任として引き受けることが主題です。良心の呼び声と死への先駆は、この姿勢へ至る道筋として結びつけられます。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

本来性は、隠れた本当の自分を発見することか

「本来性」(Eigentlichkeit)は、自分自身の生を自分のものとして引き受けることに関わる概念です。日常で他者の基準に従う人が、内面に埋もれていた変わらない本当の人格を発掘するという意味には収まりません。現存在は常に他者との関係のなかにあり、受け取った言語や習慣を使って生きています。その条件を自分の可能性として選び直す仕方が問題です。

20世紀後半から21世紀にかけて、主に英語圏の哲学研究者たちは本来性について多様な解釈を示しました。米国の哲学者ヒューバート・ドレイファスは具体的な状況に適切に応じる実践的な知恵を重視し、同じく米国のチャールズ・ギニョンは過去と現在を一つの人生の物語として生きる統一性を論じました。スティーヴン・クロウェルらは、判断に従う理由や規範の引き受けを重視します。どの解釈でも、本来性が具体的な政治的・道徳的行為を自動的に正当化する基準になるわけではないことが重要な論点として残ります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|本来性)

先駆的決意性は時間性へどうつながるか

自分がいつか死ぬことを知り、今の状況に置かれた自分を引き受け、これからの可能性を選ぶ。ハイデガーは、死への先駆と良心に応じた決意性を結びつけて考えました。私たちは将来の可能性を理解することから現在の行為を選び、すでに受け継いだ状況のなかでその行為を実行します。

この構造は、未来・過去・現在が人間の生でどう結びついているかという問いへ進みます。死や良心の章が独立した人生訓として終わらず、時間の問題につながる理由はここにあります。現存在が可能性を生きること自体に、時間が深く関わっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

時間は、時計が刻むものだけなのか

約束の時間は、なぜ特別な意味を持つのか

同じ一時間でも、大切な約束の前と、何も予定のない休日では経験のされ方が違います。私たちは時計の針を読むだけで時間を生きているのではありません。これまでの経緯を覚え、これからの出来事を待ち、そのために今できることを行います。約束の場所へ出発する時刻には、相手と会うことや交通手段を使うことなど、具体的な意味があります。

ハイデガーが『存在と時間』第65節で論じる「時間性」(Zeitlichkeit)は、人間の存在そのものがこのような時間的なまとまりを持つという考えです。時計が測る時間は生活に必要であり、その利用の仕方を解明するには、時間を計り、待ち、予定を立てる私たちの世界内存在を考える必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

将来・既往・現在はどう結びつくのか

何かを学ぼうとするとき、将来できるようになりたいことが現在の練習に意味を与えます。これまでの経験が、何を理解でき、何に苦労するかを形づくっています。今の練習も、未来に向けた見通しと過去から受け継いだ条件に支えられています。時間性において、将来・既往・現在は別々の箱に入れられた時点というより、同時に働く関係です。

ハイデガーは、まだ来ていない可能性に先立って向かう「将来」、すでに存在していた仕方を引き受ける「既往」、物事に関わって現在を生きる「現在」を区別しました。日常語の「過去」と比べて「既往」を用いるのは、済んだ事実を保管するだけでなく、今の存在がすでに生きてきた時間を背負っていることを表すためです。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

脱自的な時間性とは何か

ハイデガーは、現存在の時間性を「脱自的」と表現します。人間は今の瞬間の内側に閉じこもり、未来や過去を後から付け足すというより、常に将来へ向かい、すでにあった状況から自分を理解し、今の世界へ関わっています。時間性の三つの契機が相互に開かれているという意味で、この言葉が使われています。

例えば話を聞くとき、人は直前の言葉を保持し、次に何が語られるかを待ち、今耳に入る言葉を理解しています。瞬間ごとの音をばらばらに受け取ってから足し算する経験ではありません。時間のつながりがあるからこそ、言葉や行為は一つの意味を持ちます。ハイデガーはこの深い時間構造を、現存在が存在者を理解するための基盤と考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

公共の時間と日常の時計

列車の出発時刻や大学の授業時間は、多くの人が共有できる時間の目印です。「昼食の後」「授業が終わるまで」「仕事を始める前」といった言い方には、生活の行為と出来事が結びついています。ハイデガーは、こうした時間を「世界時間」として考え、日付を定められ、幅を持ち、他者と共有され、何かをするのにふさわしいという性格を分析しました。

時計の数字は、この共有された時間を調整するための強力な道具です。時間を均一な瞬間の連続として測ることが可能になっても、私たちがその時刻に何をしようとしているかという意味は残ります。『存在と時間』は、時計による測定を否定するより、時計で測れる時間が人間の生にとってどのように理解可能になるかを問うています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

時間性から存在一般へ進む難しさ

『存在と時間』で詳しく展開された時間性の分析は、現存在が可能性を生き、ものや他者と関わる構造を明らかにします。ハイデガーの大きな構想では、さらに時間が存在一般を理解する地平であることを示す必要がありました。人間が時間的な存在であるということから、道具、自然物、数などの存在の意味がどのように説明できるかが次の課題になります。

この論証は当初予定された形では完成しませんでした。研究者ウィリアム・ブラットナーは、根源的な時間性から日常の時間の連続性を十分に導けるかに疑問を示しています。時間を生きる経験と、時間を測る公共的な秩序の関係は、『存在と時間』が残した重要な哲学的課題です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

個人の時間は、歴史や世代とどうつながるのか

自分の可能性は、過去から受け継いでいる

どんな言葉を使い、どのような仕事を選び、何を大切にするかには、自分が育った地域や世代の歴史が関わります。『存在と時間』第72節以降でハイデガーが考える「歴史性」は、過去の事件を並べることより、人間の存在が歴史的な継承のなかにあるという構造を指します。被投性によってすでに受け継いだ条件を持つ人間が、将来へ向けてその可能性を生きています。

例えば、家族が長く続けてきた仕事を引き継ぐ人は、先人から技術や道具、顧客との関係を受け取ります。その仕事を続けるか変えるかという判断は、受け取った過去とこれからの可能性の両方に関わります。歴史は昔の出来事だけに属するものではなく、今の行為にも働いています。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

反復とは、過去と同じことを繰り返すことか

ハイデガーは、受け継いだ可能性を新たに引き受けることを「反復」(Wiederholung)として論じます。過去の制度や習慣をそのまま再現するという意味より、先人から渡された生の可能性に、現在の状況で自分なりに応じることが問題です。昔の哲学書を読む人も、その内容を暗記するだけでなく、今自分が抱える問題に照らして新しく考えることができます。

この考え方は、歴史をただ終わったものとして眺める理解と、現在を生きるために受け取る理解との関係を示しています。何を引き継ぐべきかを選ぶ際には、事実についての知識と、現在の人々への責任を問い直す作業が必要になります。『存在と時間』にとって、過去への関わりは将来へ向かう決意性と結びついています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

共同の歴史は、現存在の個人的な選択を越える

人が歴史的に生きるということは、自分だけの人生の物語を持つことに尽くされません。言葉、仕事、制度、記憶を他者と共有することで、世代や共同体の歴史が成立します。ハイデガーは、個人の「運命」とともに、共同的な歴史に関わる語を用いました。この集団的な歴史の記述は、後年の政治的言説との関係も含めて研究者が注意深く議論している箇所です。

共同の歴史を語るときには、誰がその共同体に属するのか、どの歴史が語られ、誰の経験が排除されるのかという問いが生まれます。1927年の歴史性の分析は、その後の政治哲学的な研究に多様な解釈を促しました。現存在の有限な生と歴史的世界との結びつきは、本書の重要な到達点の一つです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

歴史学の前提としての歴史性

歴史学は、文書や遺物を調べ、出来事の年代と因果関係を再構成します。ハイデガーはその学問の価値を否定するより、なぜ人間は過去の出来事を自分たちの歴史として問題にできるのかを問いました。私たち自身がすでに歴史的な存在だからこそ、古い手紙や建築を意味のある資料として理解できるという考えです。

ここでは、哲学による歴史性の分析と、史料を検証する歴史学とが区別されます。歴史性という言葉だけで特定の事件について何が起こったかを決めることはできません。過去への関わり方を考える哲学と、具体的な事実を明らかにする研究が異なる役割を果たすことがわかります。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

真理や現実を、なぜ世界内存在から考えるのか

真理は、正しい文章を作ることだけなのか

「雨が降っている」という文章が正しいかどうかは、実際の天気を確かめれば判断できます。ハイデガーは、このような命題の正しさが成立する前に、雨や空や周囲の状況が私たちに明らかになっていることへ目を向けました。『存在と時間』第44節では、真理を、対象が隠れた状態から明らかになるという「開示」や「発見」の問題として考えます。

文章の正しさを調べるには、そもそも何について語っているかを理解し、調べる対象に出会えている必要があります。ハイデガーはこの基礎的な開かれを明らかにしようとしました。後の研究では、物事が明らかになることと、正しい・誤っていると評価できることをどこまで同じ「真理」と呼べるかが論争になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

ギリシア語の「隠れなさ」をどう理解したか

ハイデガーは古代ギリシア語のアレーテイアという語に注目し、「隠れなさ」としての真理を考察しました。人が対象を何かとして理解するには、対象が世界のなかで何らかの仕方で現れている必要があります。ハンマーは作業で使えるものとして、岩は観察対象として、他人は共に生きる者として開かれます。

その古代語解釈には重要な批判があります。20世紀のドイツで古代ギリシアの哲学を研究した古典学者パウル・フリートレンダーは1954年の著作で、古代ギリシアにおける真理の意味が「隠れなさ」から「命題の正しさ」へ突然置き換わったという歴史像に疑問を呈しました。ハイデガーも後年、古い語の解釈について説明を修正しています。経験の開示をどう考えるかという哲学の主張と、古代語の語義が歴史的にどう変わったかという研究上の主張は、別々に検証できます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

外界の実在についての議論をどう変えたか

机や山や星が本当に存在することを、自分の意識からどう証明するか。近代哲学ではこの問いが繰り返されました。ハイデガーは、まず内側の主観と外側の物体を分離する前提から始めるために、その問題が深刻になると考えました。世界内存在の分析では、私たちはすでに物事と関わり、行為のなかでそれを見いだしています。

この議論から、「人間が見ていなければ自然物は存在しない」という結論が直ちに導かれるわけではありません。21世紀に英語圏で存在論を研究する哲学者テレンス・マクダニエルや、現象学の研究者デイヴィッド・サーボーンらも、存在の理解が人間に関わるという主張と、物理的な対象が人間から独立して存在するという主張をどう両立させるかを検討しています。ハイデガーの存在論は、私たちが世界をどのような意味で理解できるかという問題を新しく形づくりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

『存在と時間』は、その後の哲学をどう変えたのか

未完の著作が残した二つの方向

『存在と時間』の当初の構想では、人間の時間性を明らかにする作業から、存在一般の意味を時間によって解く研究へ進み、さらに存在論の歴史を批判的に読み直す予定でした。未刊となった第1部第3編「時間と存在」は、本書の構想の中心にあった部分です。その後ハイデガーは技術、芸術、言語、存在の歴史といった問題へ研究を広げ、初期の構想を別の仕方で考え続けました。

後続の思想家たちは、すでに刊行された現存在の分析から多くを学びました。世界に置かれた人間が可能性を生きること、身体を通して世界に関わること、理解には歴史性があることなどは、20世紀の哲学に新しい方向を開きました。そこにはハイデガー自身が行わなかった発展や批判も含まれています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

サルトルは可能性と自由をどう受け継いだのか

フランスの哲学者・小説家ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)は、第二次世界大戦期から戦後にかけて実存主義を広く展開しました。1943年の『存在と無』では、人間が自らのあり方を選び、社会のなかで自由と責任を引き受ける問題を論じます。サルトルはハイデガーの現存在や本来性の分析から大きな影響を受けました。

サルトルが語る「実存は本質に先立つ」という定式は、ハイデガーの「現存在の本質はその実存にある」という表現と関係します。サルトルはそれを人間の自由と選択の議論へ強く引き寄せました。ハイデガー自身は、存在の意味への問いを人間中心の実存主義的な説明にまとめることへ距離を置きました。両者の違いを知ると、影響が単純な継承に収まらないことがわかります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|実存主義)

ガダマーは解釈の歴史性をどう深めたのか

ドイツの哲学者ハンス=ゲオルク・ガダマー(1900–2002)は、マールブルクでハイデガーの講義に学び、1960年の『真理と方法』で哲学的解釈学を展開しました。私たちが文書や芸術作品を理解するときには、すでに持っている言葉や歴史的な経験が働いています。理解する人と理解されるものは、歴史から切り離された中立な場所で出会うわけではありません。

ガダマーはこの経験を、伝統との対話や解釈の歴史性の問題として詳しく論じました。ハイデガーが現存在の構造として考えた理解と解釈の問題が、人文科学や芸術を読む営みへと広がったのです。文化や過去を理解する際に、先入見をすべて消去するより、その働きを吟味し、対象との対話のなかで変化させることが重要になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|解釈学)

メルロ=ポンティは身体の経験をどう加えたのか

フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(1908–1961)は、1945年の『知覚の現象学』で、身体を通して世界を経験する人間のあり方を論じました。彼はフッサールとハイデガーの現象学を学び、知覚や運動を通じた世界への関わりを深く考察しました。机に向かい、物に手を伸ばし、歩くという行為では、身体の技能と空間の経験が結びついています。

ハイデガーの道具と世界内存在の分析は、実践的な関わりを理解する重要な出発点でした。メルロ=ポンティは、そこで十分に展開されていない身体の役割を精密に研究しました。世界がどう意味を持って現れるかという問いは、身体の運動、知覚、他者との関係へと受け継がれています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|メルロ=ポンティ)

本来性や死の分析にはどんな批判があるか

本来性については、自分の生を引き受けるという考え方が具体的な行動の価値をどのように判断できるかが問題になります。どれほど強く決意していても、その選択が他者を傷つける場合があります。また、死への存在を個人の固有な可能性として捉える説明が、他者の死や共同の悲しみを十分に理解できるかについても異なる見解があります。

現存在の分析が身体、性差、階級、政治制度の具体的な不平等をどこまで説明するかも、後の哲学者たちによって問われました。『存在と時間』は幅広い研究を刺激したため、多くの重要な修正や対立を生みました。その影響力は、議論が完成して疑問が消えたという状態より、問いを別の方向へ広げた歴史に表れています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|本来性)

ハイデガーの政治的行動をどう検証するのか

1927年の著作と1933年の政治参加

『存在と時間』が刊行された1927年には、ドイツは議会制を持つヴァイマル共和国でした。1933年1月、アドルフ・ヒトラー(1889–1945)を首相とする政権が成立し、ナチスは法律と暴力を用いて民主的な制度を解体しました。ハイデガーは1933年4月にフライブルク大学総長へ選ばれ、5月1日にナチ党へ入党しました。総長として大学をナチスの政策に合わせる動きに加担し、1934年4月に総長を辞任しました。

辞任後もハイデガーはナチ党員であり続け、政権が終わる1945年まで離党しませんでした。これらは研究上確認されている歴史的事実です。1927年の本の刊行と、1933年以降の政治的行動の年代を区別するとともに、思想家が現実の政治にどのような立場を取り、何を行ったかを検証する必要があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

総長としての発言と大学での責任

ドイツの大学では、教授や学生の人事、研究、教育の運営が政治権力によって変えられていきました。ハイデガーは総長としてナチスの大学政策への同調を表明し、大学を政治的な新体制に従わせる動きに関与しました。この事実を、政権から圧力を受けて形式的に役職に就いただけだったという説明で済ませることはできません。

マールブルク大学の哲学研究所の公式な歴史紹介も、ハイデガーが1933~34年のフライブルク大学総長時代にナチスの権力掌握を支持したことを記しています。同研究所の歴史は、ユダヤ人であったカール・レーヴィットらが亡命へ追い込まれたことにも触れます。思想の評価は、具体的な人事や制度の変更、排除された人々の歴史と切り離して考えることができません。(参照:マールブルク大学哲学研究所|研究所の歴史)

「黒いノート」は何を明らかにしたのか

ハイデガーの私的な思索を書き留めた、いわゆる「黒いノート」の公刊は、彼の反ユダヤ主義をめぐる研究に大きな影響を与えました。1930年代以降の記述には、ユダヤ人や「世界ユダヤ」という観念を哲学的・歴史的な言説と結びつける文章が含まれています。これは、単に個人的な偏見が存在したかどうかを越えて、思想の語り方に反ユダヤ主義がどの程度入り込んでいたかを問う資料となりました。

2017年に刊行された研究論集『ハイデガーの黒いノート』では、研究者たちがこれらの記述と存在論、近代批判、政治思想との関係を異なる視点から検討しています。ノートの後年の記述をそのまま1927年の文章へ投影することは、年代の区別を曖昧にします。両者を照らし合わせ、どの概念、表現、歴史観に連続が認められるかを個別に検証することが必要です。(参照:コロンビア大学出版局|『ハイデガーの黒いノート』研究論集)

思想とナチズムの関係にはどんな議論があるか

研究者の間では、ハイデガーの哲学とナチズムの関係をどのように理解するかについて見解が分かれています。英語圏でハイデガーを研究した哲学者ジュリアン・ヤングは哲学的な著作とナチズムの本質的な結びつきを切り離す立場を示し、フランスの哲学研究者エマニュエル・ファイらは思想の中に政治的な危険を強く認めてきました。オーストラリアの哲学者ジェフ・マルパスらは「黒いノート」の歴史的な文脈を検討し、ハイデガーがナチズムへの関心をどう変化させたかを追っています。

現在の研究では、ハイデガーがナチズムを積極的に支持したことと、反ユダヤ主義的な文章を書いたことは十分に立証されています。争点は、その政治的な関与が1927年の現存在・共同存在・歴史性の分析、さらに後年の存在の歴史についての議論とどのような関係を持つかです。この問題に向き合うことは、著作を読む際の具体的な概念の検証にもつながります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

戦後の研究と責任の問題

1945年の敗戦後、ハイデガーは非ナチ化の審査を受け、大学での教育活動を禁じられました。のちに教育活動を再開できるようになりましたが、ナチズムへの関与について公に明確な決別を表明したとは評価されていません。ホロコーストへの発言や戦後の自己弁護についても、研究者から厳しい批判があります。

『存在と時間』がその後の哲学へ及ぼした影響と、著者が果たした政治的な役割は、どちらも歴史に属する事実です。哲学者の主張を読む際には、その理論が何を説明するかと、実際の社会でその人物が何を支持し行ったかを具体的に調べ、必要な関係を考えることができます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

結局、「存在する」とはどういうことなのか

ものが「ある」と理解できる背景

ハイデガーの問いに答えるため、最初の本とハンマーの例を振り返ってみましょう。ある本は読まれるものとして、机は使われるものとして、友人は共に関わる相手として、出来事は前後関係を持つものとして現れます。私たちがそれらを何かとして理解できるのは、すでに生活の目的、実践、言葉、他者との関係を持つ世界で生きているからです。

『存在と時間』は、存在者が理解可能になるあり方を問うことから始まりました。その答えへの第一歩は、人間を世界から離れた観察者として扱うより、世界に関わり続ける存在として考えることでした。手許性、眼前性、共同存在、気遣いは、それぞれ異なる存在の理解を考える具体的な入口になっています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

私たちは有限な時間の中で存在を理解する

現存在は、すでに与えられた状況を背負い、これからの可能性へ向かい、今の世界で行動しています。将来、既往、現在が結びつく時間性は、何が重要で、何を実行でき、どのような人間として生きるかを理解する基盤です。死への存在を通じて、自分の可能性が有限であることも明らかになります。

ここで「存在するとはどういうことか」という問いは、単に「物が存在しているという事実」を数える問題から、私たちがどうして物や他者や自分自身を存在するものとして理解できるのかという問題へ深まります。ハイデガーは、その理解が時間的に形づくられていることを示そうとしました。(参照:Google ブックス|1927年『哲学・現象学研究年報』第8巻・『存在と時間』原典)

『存在と時間』が与えた答えと、開いたままの問い

『存在と時間』が具体的に説明したのは、世界の中で他者と関わり、状況に置かれ、可能性を生き、死を見通す人間の存在が、時間性によってまとまっているということです。私たちが「ある」という言葉を理解する土台には、このような生活と時間の構造が働いています。

存在一般の意味がどのように時間によって可能になるかを示す当初の論証は、刊行された部分では完結しませんでした。残された問いは、自然物、道具、人間、数などの異なるあり方を、時間の地平からどこまで理解できるかというものです。自分の日常を見つめ直すことが、存在という最も広い哲学の問いにつながる。そこに『存在と時間』が開いた重要な道があります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

略年表|ハイデガーと『存在と時間』をめぐる出来事

  • 1889年|9月26日、マルティン・ハイデガーがドイツ南西部メスキルヒに生まれる
  • 1900–1901年|フッサールの『論理学研究』が刊行され、現象学の展開を促す
  • 1909年|ハイデガーがフライブルク大学に入り、神学などを学び始める
  • 1913年|ハイデガーが哲学の博士号を取得する
  • 1915年|ハイデガーが教授資格論文を完成させる
  • 1916年|フッサールがゲッティンゲンからフライブルク大学へ移る
  • 1918年|第一次世界大戦が終わり、ドイツ帝政が崩壊する
  • 1919年|ヴァイマル憲法が成立し、ハイデガーはフッサールの助手となる
  • 1923年|ハイデガーがマールブルク大学へ赴任する。ドイツでは通貨危機が起こる
  • 1927年|『存在と時間』が現象学研究年報第8巻と単行本として刊行される
  • 1927年7月|ドイツ国会が失業保険制度を導入する法律を可決する
  • 1928年|ハイデガーがフライブルク大学でフッサールの後任教授となる
  • 1929年|スイスのダヴォスでハイデガーとエルンスト・カッシーラーがカント哲学をめぐり討論する
  • 1933年1月|ヒトラーがドイツ首相に任命される
  • 1933年4月|ハイデガーがフライブルク大学総長に選ばれる
  • 1933年5月|ハイデガーがナチ党に入党する
  • 1934年4月|ハイデガーがフライブルク大学総長を辞任する
  • 1943年|サルトルが『存在と無』を刊行する
  • 1945年|メルロ=ポンティが『知覚の現象学』を刊行する。ドイツの敗戦後、ハイデガーは大学での教育活動を制限される
  • 1960年|ガダマーが『真理と方法』を刊行する
  • 1976年|5月26日、ハイデガーがフライブルクで死去する
  • 2014年|ハイデガーの『黒いノート』の最初の3巻が刊行され、反ユダヤ主義と思想の関係をめぐる研究が進む

著作の刊行については1927年の書誌記録、大学と政治上の出来事については大学の歴史資料を踏まえています。(参照:フランス国立図書館|『存在と時間』書誌記録)

まとめ|「存在する」とはどういうことなのか

ハイデガーが『存在と時間』で問い直したのは、私たちが何のためらいもなく使っている「ある」という理解です。机やハンマーは使うものとして、岩は観察の対象として、他人は共に生きる者として現れます。これらを理解する私たちは、すでに世界の中で生活し、気分を持ち、他者と関わっています。存在者が何かとして意味を持つ仕方を調べることで、彼は存在そのものへの問いを立て直そうとしました。

現存在の分析は、道具を使うこと、世人の基準に従うこと、可能性を投企すること、有限な死へ向かうことを一つの流れに結びつけます。すでに生きてきた状況を背負い、将来の可能性へ向かい、今の世界に関わるという時間性が、現存在の存在を形づくります。ハイデガーが時間を重視したのは、人間の生涯が限られているからという理由だけではありません。存在者を何かとして理解できる地平自体が、時間的に開かれていると考えたからです。

1927年に刊行された部分は、この根本的な問いへ向かう大きな歩みを示しました。存在一般を時間から解明する当初の構想は未完成であり、その後の哲学者たちは世界内存在、解釈、身体、歴史性の論点をさまざまに発展させました。1933年以降のナチズムへの積極的な関与と反ユダヤ主義の問題は、著作を読む際にも検証すべき歴史的な事実として残っています。

「存在する」とは、何かがただそこに置かれているという一つの姿に尽くされません。人間は、他者と世界に関わり、すでに受け取った過去から将来の可能性へ向かいながら、ものや自分自身を「ある」ものとして理解しています。ハイデガーの試みは、この理解の条件を明らかにすることを通じて、存在そのものの意味を問い直す道を開いたのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|マルティン・ハイデガー)

参考資料・出典