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Philosophy

1981

【美術と哲学】フランシス・ベーコンの絵画は何を伝えるのか

ドゥルーズ『感覚の論理』

1981年のパリでは、1977年に開館したポンピドゥー・センターに絵画や映像を見に行く人々が集まり、戦後美術をめぐる論争が続いていました。この施設は国の文化政策によって設けられ、美術館、公共図書館、音楽研究機関などが集まる場所でした。美術館の作品を見るだけでなく、読書や音楽、公開行事にも人々が参加できました。抽象絵画、コンセプチュアル・アート、写真や映像の実験が並ぶ時代に、ロンドンを拠点とする画家フランシス・ベーコン(1909–1992)は、歪んだ人体や叫ぶ顔を油絵具で描き続けていました。見る者を不安にさせる姿なのに、筆触や色彩には強い魅力がある。この絵画の力は、何から生まれるのでしょうか。

1945年に第二次世界大戦が終わってから、ヨーロッパの美術館は戦争を経験した世代の作品を収集し、新しい美術を評価する場となりました。ベーコンは1962年にロンドンのテート美術館、1971年にパリのグラン・パレで大規模な回顧展を開いています。彼の絵にはベラスケスの肖像画、写真、映画、肉の塊、友人の顔がさまざまな仕方で取り入れられていました。実在する人物を描いた作品も、顔の輪郭が押しつぶされ、身体の一部が別の形へ移るように見えます。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925–1995)は、1981年に『フランシス・ベーコン――感覚の論理』を出版しました。ドゥルーズは、画家がどれほど強い恐怖や苦痛を表そうとしたかという心理の推測から出発しません。描かれた身体と周囲の色面、線のゆがみ、絵具の偶然の跡が、見る人の感覚にどう働きかけるかを追究します。そこから、そもそも絵画とは何をするものなのかという哲学の問いを立てました。

たとえば、口を開けた人物の絵を見れば「叫んでいる」と説明できます。それでも、絵に引きつけられるのは叫びという出来事の意味を理解したからだけでしょうか。薄い線と厚い塗り、閉じられた空間と身体のねじれ、突然塗り重ねられた色が、言葉になる前に目や身体へ及ぼす作用があります。ドゥルーズが「感覚」と呼んだものを、ベーコンの個々の作品を見ながらたどっていきます。

CONTENTS

  1. 1981年の美術と哲学は何を問い直していたのか
  2. フランシス・ベーコンはどのような画家だったのか
  3. ジル・ドゥルーズはなぜ絵画を哲学の問題にしたのか
  4. 『フランシス・ベーコン――感覚の論理』はどのような本か
  5. 「感覚」は絵の中でどのように生まれるのか
  6. 「フィギュール」と「具象」は何が違うのか
  7. 1944年の三連作では何が起きているのか
  8. 人物を囲む円や椅子にはどんな働きがあるのか
  9. 身体が収縮し、広がる運動をどう読むのか
  10. 人間と動物の境目はどこへ行くのか
  11. 「肉」と「顔」はなぜ大切な問題になるのか
  12. 「器官なき身体」は何を意味するのか
  13. 教皇像はどうして叫ぶ顔へ変わったのか
  14. 絵画は見えない力をどう見せるのか
  15. 1953年《犬と男》は何を見せているのか
  16. 二人の身体が重なる絵に何が起きるのか
  17. 三連画はどのような時間とリズムを生むのか
  18. 1972年の黒い三連画は何を伝えるのか
  19. 1973年の三連画は失われた時間をどう扱うのか
  20. 画面には描く前から何が存在するのか
  21. 偶然の跡はなぜ絵を変えるのか
  22. 「ダイアグラム」は構図の設計図とどう違うのか
  23. ダイアグラムはどこまで偶然に任せられるのか
  24. 色彩は身体にどのように作用するのか
  25. 目で見ることと触れる感覚はどうつながるのか
  26. 絵具の物質はどんな役割を持っているのか
  27. 写真と映画はベーコンの制作をどう変えたのか
  28. ベーコンは過去の絵画とどう対話したのか
  29. ドゥルーズの「ヒステリー」はどう理解すればよいのか
  30. 「感覚の論理」にはどのような批判があるのか
  31. 『感覚の論理』はその後どう読まれたのか
  32. 略年表|『感覚の論理』成立までの歴史
  33. まとめ|ベーコンの絵画は何を伝えるのか
  34. 参考資料・出典

1981年の美術と哲学は何を問い直していたのか

多様な美術が並んだ時代の具象絵画

1970年代末のヨーロッパでは、絵画のほかに写真、映像、行為を記録した作品、言葉による作品などが美術館へ集まっていました。画面に何かの姿を描くこと自体が、さまざまな選択肢の一つになっていたのです。そんな時代にもベーコンは、人間の顔や身体へ繰り返し向き合いました。

彼が画面に戻したのは、古典的な理想の人体ではありません。横に引き延ばされた口、溶けるような頬、身体の前後が見分けにくい姿が現れます。ドゥルーズはこうした絵を、具象への懐古と見る代わりに、絵画だけにできる仕事を考える資料としました。(参照:ニューヨーク近代美術館|フランシス・ベーコンの略歴と収蔵作品/フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/ポンピドゥー・センター|1977年の開館と複数の芸術を集めた施設)

美術館が過去と現在を結びつける

戦後の大規模回顧展では、作家の若い時期の絵と後年の絵を同じ会場で比較できるようになりました。ベーコンは1962年にテート美術館、1971年にグラン・パレで作品をまとめて紹介しています。作品は絵画史の中に置かれ、批評家や鑑賞者が変化を見比べる対象になりました。

1953年の叫ぶ教皇像と1970年代の三連画を見ると、同じ人物の歪みでも、背景色、空間の囲い方、絵具の動きが変わっています。画家の人生だけでなく、画面の構成の変化をたどることが作品理解に必要になります。(参照:フランシス・ベーコン財団|テート美術館の生誕100年展と作品リスト/フランシス・ベーコン財団|1970年代の活動・回顧展とジョージ・ダイアー)

フランスの哲学者が英国の画家を論じる理由

1981年、パリ第8大学で哲学を教えていたドゥルーズは、哲学の仕事を既存の観念を整理すること以上に、新しい概念を作る営みとして考えていました。彼が教えたパリ第8大学は、1968年の学生・社会運動を経て1969年に設立された実験的な大学を起源とし、1980年にサン=ドニへ移転しています。彼は文学、映画、音楽などにも関心を寄せ、芸術の固有の働きから哲学の問題を考えます。

ベーコンの絵について問うとき、ドゥルーズは画家の言葉をそのまま理論に置き換えてはいません。色面、輪郭、人体、制作行為を丹念に区別しながら、絵が見る人へ届く過程を説明する概念を組み立てていきます。(参照:フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/パリ第8大学|1969年の創設、1980年の移転、ドゥルーズの教育活動)

フランシス・ベーコンはどのような画家だったのか

ダブリンからロンドンへ

フランシス・ベーコンは1909年、アイルランドのダブリンに生まれ、英国で主に活動した画家です。若い頃には家具や室内装飾の仕事にも関わり、正規の美術学校で長期間の訓練を受けるより、自分で絵画に取り組みました。1930年代から制作を続け、第二次世界大戦末期に独特の人体表現を明確にします。

1944年の三連作は、ベーコンの成熟した作品群をたどる際の重要な出発点になりました。生涯に多くの絵を破棄した画家でもあり、現存作には彼が残すと選んだ作品の偏りがあります。作品史を考えるときには、制作年と現在残る作品を区別する必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|フランシス・ベーコンの略歴と収蔵作品/フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944))

実在の人間と見知らぬ生物のあいだ

ベーコンは友人の顔や、自分の身体をもとにした肖像を描きました。ある作品では目や鼻の位置がずれ、別の作品では人間の胴体に動物のような形が重なります。人物を知っている観客も、肖像から安定した顔の形を取り出すのに時間がかかります。

この歪みを人物への嫌悪と直結させると、筆触が描いている動きや肉体の存在感を見失います。ドゥルーズは、ベーコンの絵が人間の姿を認めながら、その形の中に別の力や動きが現れるところに注目しました。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三つの頭部の習作》(1962)/フランシス・ベーコン財団|《ヒヒの習作》(1953)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

絵画史の作品と写真から学んだ方法

ベーコンは17世紀スペインの画家ベラスケスによる教皇の肖像画や、19世紀のファン・ゴッホの作品を描き直しました。人物や動物の写真、映画の一場面も制作の素材となり、同じ元画像が複数の絵へ展開します。

実物を前にした写生だけが制作の出発点ではありませんでした。複製を見て考え、絵具の上で形を変える過程そのものに、別の絵が現れる余地があったのです。引用元と完成作品の距離を見ることが、絵の固有の働きを考える手がかりになります。(参照:ヴァチカン美術館|《ベラスケスの教皇像による習作II》(1961)/フランシス・ベーコン財団|《ファン・ゴッホ肖像の習作VI》(1957)/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

ジル・ドゥルーズはなぜ絵画を哲学の問題にしたのか

哲学者としての出発点

ジル・ドゥルーズは1925年にパリで生まれ、ニーチェ、スピノザ、ベルクソンなどの哲学者を研究しました。1968年の『差異と反復』では、同じものを分類する考えだけでなく、違いが新しく生じる過程を探究しています。1970年代にはフランスで活動した精神分析家・思想家フェリックス・ガタリ(1930–1992)とともに、精神分析や政治の問題について著作を執筆しました。

1980年に二人が公刊した『千のプラトー』には、身体や生成を固定的な形から捉え直す議論が見られます。翌1981年のベーコン論は、絵画の具体的な色や線を手がかりにして、そうした思想を別の方向へ展開する著作です。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/フランス国立図書館|ドゥルーズ『差異と反復』1968年初版)

解釈より前に絵の働きを考える

絵を見て「これは恐怖を意味する」と説明すると、描かれた出来事と感情に名前を与えられます。そこからさらに、口の周囲がなぜ引き延ばされているのか、背景がなぜ平たく塗られているのか、という画面の問題が残ります。

ドゥルーズはこの残された問題を重視しました。哲学は絵の隠された答えを当てる作業ではなく、絵が視覚と身体に及ぼす働きから、新しい問いを立てることもできます。ここが、美術を一つの思想の単純な例へする解説との違いです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

芸術家の考えと哲学者の解釈

ベーコンは絵画についてのインタビューで、写真を使う理由や、絵具の偶然の効果について語っています。ドゥルーズはこうした発言を参照しながらも、「感覚の論理」「器官なき身体」「ダイアグラム」といった自身の概念を構成しました。

画家自身がドゥルーズの用語に従って制作していたと考える根拠はありません。両者の関係を正確に捉えるには、制作時の記録と1981年に出版された哲学的読解を分け、その接点を確かめることが大切です。(参照:Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

『フランシス・ベーコン――感覚の論理』はどのような本か

1981年初版の成立

『フランシス・ベーコン――感覚の論理』は1981年、エディシオン・ド・ラ・ディフェランスから刊行されました。ベーコン財団の書誌には、本文と図版を収める全二巻、本文112ページという初版の構成が記録されています。作品を実際に見ながら文章を読むことを想定した形です。

現在流通するフランス語版には2002年のスイユ社版などがあり、英訳はダニエル・W・スミスによって2003年に出版されました。著者が1981年に書いた議論と、後年の訳者による解説は分けて読めます。(参照:フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

全17章がたどる観察の順序

原著の全17章は、円や輪による空間の分離から始まり、具象表現との違い、身体、肉、感覚、力、三連画、制作前の画面、ダイアグラム、色、目と手の関係へ進みます。章はベーコンの作品を同じ一つの意味へまとめるのではなく、画面の要素を少しずつ検討する形で並んでいます。

例えば「肉体」について述べる章と、「図形の偶然的な変化」について述べる章は、観察対象が違います。描かれた身体、背景の色、制作する手、鑑賞者の目を一つずつ追うことで、画面全体の力が浮かび上がります。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

1981年の絵画講義との関係

ドゥルーズは1981年春、大学で「絵画と概念の問題」を講義しました。3月31日の記録には、カンディンスキー、クレー、セザンヌ、ベーコンを比較しながら、既成のイメージを取り払い、新しい形を生み出す「ダイアグラム」を論じる様子が残っています。

講義は著書の内容を説明するだけの場ではなく、画家ごとの違いを考える試みでした。原著の章立てと講義の発言を照合すると、ドゥルーズが絵画を観察しながら概念を調整していたことがわかります。(参照:パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」/Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌)

「感覚」は絵の中でどのように生まれるのか

物語の説明と身体が受ける衝撃

椅子に座った人物の絵を前にすると、誰が座り、何をしているかを考えられます。ベーコンの絵では、それより先に、ねじれた胴体と周囲の空間の狭さが身体へ迫ってくることがあります。絵が伝える内容と、絵を見るときに受ける強さは、別々の問いになります。

ドゥルーズが「感覚」と呼ぶのは、単に画家の気持ちを知ることではありません。目に見える線と色が、見る人の身体へ直接働く経験を、絵画の構成と一緒に考えるための言葉です。そこで色の広がりや輪郭の乱れも、出来事を語ることと同じくらい重要になります。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

感覚の複数の水準

一枚の作品では、皮膚の色、筋肉の動き、床へかかる重さなど、異なる身体の経験が重なり得ます。ベーコンの身体は、一つの定まった姿勢に落ち着かず、押されたり曲げられたりする動きの途中にあるように描かれます。

ドゥルーズは、これらを一つの心理状態の説明へ縮めず、異なる感覚の水準が同時に働くこととして論じました。鑑賞者が線の動きと背景の色を行き来することも、その経験の一部です。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

画面の強さを言葉にする難しさ

人の顔を写実的に描いた肖像と、輪郭の崩れたベーコンの肖像を並べると、後者の方が人間の生々しさを感じさせる場合があります。顔の各部が正確な位置にあることと、そこに生命を感じることが常に一致するとは限らないからです。

この不思議を「美しい」「怖い」と評するだけで終えると、絵がどのような操作によってその経験を生んだのかが残ります。ドゥルーズは、絵の材料と形の組み合わせを考えることで、説明しにくい感覚の生じ方に接近しました。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三つの頭部の習作》(1962)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

「フィギュール」と「具象」は何が違うのか

誰かを描いた絵と、出来事を説明する絵

人物を描いた絵は、その人の外見や人生の出来事を説明することができます。ドゥルーズは、物語を伝えるように姿を再現する「具象化」と、身体の力を直接見せる「フィギュール」を区別しました。後者はベーコンの絵の中心にある、強い存在感を持つ形を考える用語です。

フィギュールをただ「抽象的なもの」と訳してしまうと、人物の姿が残ることの意味を見落とします。胴体も頭も描かれているのに、その輪郭が物語を整える前に見る人を動かすという両面が重要なのです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

画面から人物を切り離す円や輪郭

ベーコンは人物を円形の床や丸い囲いの中に置くことがあります。背景が大きな色面で処理され、身体の周囲に明快な境界があると、日常の部屋の細部から離れて、人物そのものへ視線が集まります。

ドゥルーズはこの構成を、人物を物語からいったん切り離す仕組みとして考えました。何をしている人物かという説明が弱まるほど、身体の重さや伸びが強く感じられる場合があります。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《犬と男》(1953))

形が崩れても身体が消えない

《三つの頭部の習作》(1962年、ニューヨーク近代美術館)は、一枚35.5×30.5センチメートルの三つの画面に顔を描いた小さな三連作です。顔の色と形が変わり、特徴が安定しにくくなっています。

見る人は、鼻や口がどこへ移ったのかを確かめながら、頭部全体の強さを受け取ります。顔の崩れが人物の存在を消す代わりに、表情の変化を一つの造形として際立たせています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三つの頭部の習作》(1962)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

1944年の三連作では何が起きているのか

橙色の背景と三つの異形

《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944年、テート美術館)は、各画面約94×74センチメートルの三連作です。ファイバーボードへ油絵具とパステルで、濃い橙色の背景と灰色がかった奇妙な生物を描いています。三つの存在はそれぞれ台や地面のようなものに置かれ、互いに完全にはつながりません。

遠くから見ると背景色が三画面を結び、近づくと首、口、脚を思わせる形の違いが目に入ります。古典的な磔刑図の人物配置を思わせる題名を持ちながら、中心となる十字架の場面は描かれていません。三つの身体をどう見るかが画面に委ねられています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944)/テート美術館|1944年の三連作と制作材料)

神話に由来する人物と生き物の形

この三連作の異形の存在には、古代ギリシアの悲劇で語られる復讐の女神たちとの関係が指摘されてきました。長い首、細い脚、開いた口などは、人間の身体の断片を含みながら、一種類の生物としてまとめにくい姿をしています。

神話の登場人物を知ると画題への理解は深まります。その上で、何よりも強く見えるのは、橙色の平面から身体が浮き上がり、声が聞こえそうな口が形として突き出すことです。ドゥルーズが感覚を論じる際の問題と、ここで具体的につながります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

三つの画面がつくる共通の力

三連作では、左・中央・右の順に視線を動かすことができます。三体はそれぞれ違う姿勢を持ち、単一の物語へ整列していません。橙色の広がりと反復する灰色の身体が、ばらばらの姿を一つの作品として結びます。

ドゥルーズが後に三連画を論じる際に問うのは、三つの画面が物語の「始まり・中間・終わり」を示すこととは異なる、リズムと感覚の結びつきです。この作品でも、三体の違いを保ちながら同じ色が全体を貫いています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

人物を囲む円や椅子にはどんな働きがあるのか

背景の色面をまず見る

ベーコンの画面には、広い単色の領域と、その前に浮かぶ身体がしばしば現れます。背景は細部まで描かれた室内の説明に徹するより、人物の輪郭を際立たせる役割を担います。ドゥルーズは、背景の平たい色面を単なる空白として扱わず、絵の独立した構成要素として論じました。

身体の肌色が強く見えるのは、周囲の大きな色との関係によっても変わります。背景が静かであればあるほど、人物のねじれが目立つことがあります。描かれたものを数えるだけでは、色面の働きは説明できません。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》(1972))

円い場所と人物の境界

いくつかのベーコン作品では、円形や楕円形の床が身体を受け止めています。ドゥルーズは「輪」や「円形の領域」によって、人物が背景の広がりから切り出されると考えました。床の形は日常の室内を正確に示すためだけでなく、視線を身体へ集める働きを持っています。

たとえば競技場の一角や舞台のスポットライトを思い浮かべると、囲いの中にあるものだけが強く見える仕組みを理解できます。ベーコンの画面では、その集中が観客に物語を説明するより、体がそこに置かれている感覚を強めます。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1972))

椅子・ベッド・台は身体をどう支えるか

座る人物、横たわる身体、台の上の異形を描くベーコンの作品では、支持物と肉体が密接に結びついています。椅子は体を載せる物として描かれながら、頭や胴が押しつけられる方向を見せる線にもなります。

ドゥルーズがこうした配置に注目するのは、人物の筋肉や骨が単独で見えるのではなく、周囲の形との接触によって身体の状態が現れるからです。台、床、輪郭を身体と一緒に見ると、姿勢の意味がより具体的になります。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944))

身体が収縮し、広がる運動をどう読むのか

静止した絵が動いて感じられる理由

ベーコンの人物は実際には動かない画面に描かれています。それでも、身体を折り曲げ、頭を引き延ばし、口をねじる形を見ると、いま力がかかっているように感じられます。運動の前後の場面を並べなくても、姿勢そのものが動きを含むことがあります。

ドゥルーズはこうした働きを、身体が周囲へ向かう運動や、形から抜け出そうとする運動として読んでいます。絵の人物の人生を想像する前に、画面の中で方向や圧力がどう作られるかを考えるわけです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1976))

《動きの中の人物》に現れる形

1976年の《動きの中の人物》は、縦198×横147.5センチメートルの大画面に描かれた作品で、油絵具に転写文字も用いられています。顔や身体の輪郭は流れ、画面の中で人物の姿がいくつもの方向へ引かれているように見えます。

身体の動きが写真の連続コマのように順序立てて説明されているのではありません。絵具のこすれや線の重なりによって、一つの身体にさまざまな姿勢が重なって感じられます。ドゥルーズのいう感覚の複数性を考えるための具体例です。(参照:フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1976)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

競技のように強い身体の動き

原著の第3章には「運動競技」にあたる題名が置かれています。ドゥルーズは、ベーコンの身体に激しい緊張や伸縮を見るとき、何かの競技を描いた物語ではなく、筋肉が力を出し、体がある位置から別の状態へ移ろうとする様子を考えています。

観客がその圧力を感じるためには、筋肉を解剖学的に正確に描くことが必須とはいえません。輪郭を歪め、床や台へ押しつけた姿の方が、その力を明瞭に伝える場合があります。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1976))

人間と動物の境目はどこへ行くのか

顔の一部が獣の形に近づく

ベーコンの人物像には、人間だとわかる目や口が残りながら、首や頬が動物の輪郭へ近づくものがあります。ドゥルーズはこうした混ざり合いを、動物を人間へ見立てる寓話とは違う造形上の変化として考えました。

人間と動物をあらかじめ別の箱に分ける代わりに、肉や姿勢、口の開きといった身体の共通する側面が画面へ現れます。そこで重要なのは「どちらの種類か」という分類より、身体が何を感じさせる形へ移っているかです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《ヒヒの習作》(1953))

《ヒヒの習作》で動物を描く

《ヒヒの習作》(1953年、ニューヨーク近代美術館)は、油彩で描かれた約198×137センチメートルの大きな作品です。人間の肖像ではなく動物を描く場合にも、ベーコンは輪郭と背景の関係を歪め、動物の生きた気配を強めました。

動物を細かく描写して種類を知る図鑑とは、画面の仕事が異なります。視線や身のこなし、強い色のぶつかり方が、動物の存在感を生み出します。ドゥルーズの「動物になること」を読むうえでも、実際の動物の姿から考えを始められます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ヒヒの習作》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

人間と獣を同じ肉体から考える

肉を持ち、動き、負傷し、老いることは、人間と動物に共通する経験です。ベーコンの絵に現れる身体は、この共通性を手触りのある形で示します。ドゥルーズは絵の人物を特定の動物に同定するより、身体が人間と動物の仕切りを揺らすところに目を向けました。

「動物になる」は、画家や鑑賞者が実際に動物へ姿を変えるという意味ではありません。身体の可能性が人間についての固定的な見方から開かれていくことを、哲学の言葉として表しています。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《二人の人物》(1953))

「肉」と「顔」はなぜ大切な問題になるのか

肉は身体の内側を現す

人物の肖像画は、ふつう顔の皮膚や服装を中心に外見を示します。ベーコンの絵では、皮膚の色と肉の色が混じるように塗られ、頬が切り開かれたように見えることがあります。ドゥルーズは、この「肉」を単なる暴力の象徴として片づけず、生きて感じる身体の素材として論じます。

画面に肉を描くことで、人間が体を持っている事実が目の前に現れます。顔を同定するための特徴が崩れたところにも、人の身体が残っている。その二重性が、ベーコンの人物像を強く感じさせます。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946))

《絵画》(1946)の肉と人物

《絵画》(1946年、ニューヨーク近代美術館)は、約197.8×132.1センチメートルのリネンに油彩とパステルで描かれています。傘の下に暗い服を着た人物がおり、その背後には肉の塊が吊るされています。人物の顔は強くゆがみ、周囲の物が不穏に見える構成です。

この作品は戦後の権力や暴力と結びつけて読まれてきました。政治的な連想が生じる一方、傘の暗い形、肉の赤、人物の口が互いに響き、観客の目を引きつけます。物語としての解釈と色・形の働きが重なっているところに注目できます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946)/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

肉体が傷つく可能性を感じる

健康な身体を描いた絵も、傷ついた身体を描いた絵も、見る人は自分の皮膚や筋肉の経験を重ねられます。ベーコンの肉体は、どこまでが顔で、どこからが身体の断片かを曖昧にすることで、私たちの身体の脆さを思わせます。

ドゥルーズの議論では、この反応は絵に現れる形と見る人の感覚の関係から考えられます。残酷な場面を説明する言葉より先に肉の色や線が作用するという点が、「感覚」の問いに直結します。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《磔刑のための三習作》(1962))

「器官なき身体」は何を意味するのか

身体の各部分が固定された役割を越える

私たちは口を話す場所、目を見る場所、脚を歩く場所として理解しています。ベーコンの絵では、口が顔から突出した穴のように描かれ、胴体が別の方向へ引かれることがあります。ドゥルーズはこの形から、器官の機能による整理が解ける身体を考えました。

「器官なき身体」は、心臓や肺のない人体を医学的に描写する言葉ではありません。決められた役割や統一された姿を越えて、身体がさまざまな強さや動きを受け止めるあり方を表す哲学的概念です。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

口が叫びを越えた形になるとき

叫ぶ人物の口は、声が出る場所として理解できます。ベーコンの教皇像では、口が黒く広い形となり、顔のほかの部分を圧倒します。見ている人は、何を叫んでいるかという意味より先に、口が開いたときの身体の緊張を感じ取ることがあります。

ドゥルーズは、この口を器官の名前によって安定したものとせず、さまざまな力が身体を通過する場所として読んでいます。口の造形を直接見ることが、概念を理解する入口になります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

概念の由来とベーコンの作品

ドゥルーズが用いる「器官なき身体」という表現には、フランスの詩人・演劇家アントナン・アルトー(1896–1948)の身体への問いが関わります。アルトーは20世紀前半に、言葉や社会的な規範によって整理された身体の経験を揺さぶる表現を探りました。

ドゥルーズはこの問題意識を発展させ、ベーコンの人体表現と結びつけています。詩人の発言、ドゥルーズの哲学、画家の制作はそれぞれ別の営みであり、同じ語を使うからといって直接の制作指示のように扱うことはできません。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

教皇像はどうして叫ぶ顔へ変わったのか

ベラスケスの原像とベーコンの変形

17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス(1599–1660)は、1650年にローマ教皇インノケンティウス10世の肖像を描きました。着座した教皇の威厳や衣服の質感を描いたこの作品は、後にベーコンが繰り返し参照する絵画となります。

ベーコンの1953年の《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》は、縦153×横118センチメートルの油彩画です。紫色の衣と暗い縦線の中で、教皇の口が大きく開き、顔が叫びに近い姿へ変わっています。両作品の違いは、感情の表情だけでなく、画面の空間と絵具の働きにも表れています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953)/ヴァチカン美術館|《ベラスケスの教皇像による習作II》(1961))

教皇像を写真の複製から見る

ヴァチカン美術館の解説によれば、ベーコンはベラスケスの原画を直接見ながら描いたのではなく、写真の複製を通してその像を研究していました。1961年の《ベラスケスの教皇像による習作II》では、元作品の落ち着いた構えを残しつつ、背景を黒く整理しています。

同じ教皇像を出発点にしても、1953年と1961年で異なる絵が生まれています。元の姿をどれほど再現したかだけで優劣をつけると、形の変化に伴う新しい感覚の発生を見落とします。ドゥルーズは、過去の絵画との関係をこうした変化の場として捉えました。(参照:ヴァチカン美術館|《ベラスケスの教皇像による習作II》(1961)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

叫びの音を描くことはできるか

叫ぶ声は空気を震わせ、耳に届くものです。絵画は音そのものを発しません。それなのに、ベーコンの口の開きや頭の歪みを見て、声の激しさまで感じられることがあります。視覚と聴覚の境を越えるような経験が、静止した絵の中で生じるのです。

ドゥルーズはこの経験を、見えない「力」を色と形で感じ取らせる絵画の問題として論じます。絵は叫びの原因を説明するより、叫びによって身体に起きることを見える形にする。この区別が教皇像の中心的な読み方になります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

絵画は見えない力をどう見せるのか

力そのものを描く難しさ

風で曲がる樹木を描くとき、私たちは空気そのものを直接見ているわけではありません。葉や枝が押される姿を通して、風の強さを感じています。ドゥルーズは「力を描く」という問題を、ベーコンの人物像から考えました。

絵に人の筋肉が引きつったような線があれば、押しつけ、引き伸ばし、回転といった見えない働きを感じることがあります。その力を目に見える形へ変えることが、単なる外見の再現とは異なる絵画の仕事になります。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

身体に加わる圧力の方向

ベーコンの作品では、頭が一方向へ流れ、肩が別の方向へ押されているように見えることがあります。こうした歪みには、画面の中で何かが身体に作用しているような方向性があります。観客は何が押したのか知らなくても、押されている感じを受け取れます。

ドゥルーズは、物語の登場人物や原因を補うより、変形が示す圧力へ注目します。頭部の輪郭が伸びる線、身体を囲う円、背景の色を一緒に見ると、その力の構造が立ち上がります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1976)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

静止した形の中に時間がある

《動きの中の人物》(1972年)では、油絵具と転写文字が重なり、身体が一つの位置に固定されない感覚があります。完成した画面は動かなくても、形がどのように変化したかを想像させる痕跡が残ります。

一枚の絵の中には、制作中の手の動きと、描かれた身体の動きの両方が入り込むことがあります。ドゥルーズはこの二つを区別しながら、見る人が画面から受け取る時間的な強さを考えました。(参照:フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1972)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

1953年《犬と男》は何を見せているのか

人と犬の関係を最小限にする画面

《犬と男》(1953年、旧オルブライト=ノックス美術館所蔵)は、約152×117センチメートルの油彩画です。ベーコン財団の記録では1953年6月制作とされます。犬と男の姿は、具体的な物語を説明するための風景ではなく、床と光の中に離れて置かれているように見えます。

人物も動物も、輪郭が不安定で、どこへ向かっているかを一つの場面から言い切れません。それでも身体が動く方向や距離を感じます。画面から説明的な背景を削ることで、存在の間隔や緊張が際立ちます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《犬と男》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

暗い床と身体の輪郭

犬が床を歩いているように見える場面では、脚と影の形が身体を支えています。ドゥルーズのいう色面とフィギュールの関係を、この絵に重ねて考えると、地面が単なる背景以上の役割を持つとわかります。

犬の姿を認識した後、画面の広い部分へ目を移すと、身体がそこに置かれた不安定さが強まります。人物の視線や犬の習性を説明する代わりに、床の色と輪郭を観察することが、もう一つの読みを開きます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《犬と男》(1953)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

遠近感より空間の圧力

ベーコンの室内や地面は、古典的な遠近法による整った空間とは違って見えることがあります。人物の周囲だけに線が走り、別の部分は広い色のまま残されます。見る人は奥行きを計算する前に、身体がある場所へ押し込められた感じを受け取ります。

《犬と男》は、複数の身体を描きながら視線の方向を簡単には定めさせません。ドゥルーズの考える感覚の空間は、物が正確に配置された三次元図より、こうした画面の働きに近いのです。(参照:フランシス・ベーコン財団|《犬と男》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

二人の身体が重なる絵に何が起きるのか

1953年《二人の人物》の接触

《二人の人物》(1953年)は、縦約152.5×横116.5センチメートルの油彩画で、現在は個人蔵です。二つの身体がベッドの上で重なり、両者の腕や脚を一度に見分けることが難しい姿になっています。

この絵を単に二人の関係の物語として解釈すると、輪郭の交差や体重の移動が生む強さを見落とす場合があります。ドゥルーズが注意を向けるのは、身体が重なり、個別の形の境目が揺れるところです。(参照:フランシス・ベーコン財団|《二人の人物》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

愛情と暴力を一つの意味に固定できるか

互いの身体を強く押しつける姿は、親密さにも緊張にも見えることがあります。どちらの解釈にも関係する歴史的資料や画家の生活はありますが、画面上では胴体の重みや絵具の動きが先に目に入ります。

ドゥルーズの読みは、作品から個人的な関係や性的な意味を排除することではありません。絵の力を一つの心理的説明に閉じ込めず、身体そのものの形と色から考える方向を示しています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《二人の人物》(1953)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

二体の輪郭が一つの流れになる

二人の人物が接触すると、片方の腕ともう片方の脚が一続きに見えることがあります。輪郭を追う視線は、ひとつの身体にとどまらず、別の身体へ移っていきます。

ドゥルーズにとって、こうした視線の移動は画面の中の強さを理解する手がかりです。人物の数を数える以上に、複数の形がどう連続し、離れるかを見れば、絵が固有のリズムを作っていることがわかります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《二人の人物》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

三連画はどのような時間とリズムを生むのか

三枚を一つの物語として読む習慣

三連画は、中世の祭壇画などで長い歴史を持つ形式です。三つの場面を横に並べると、鑑賞者は左から右へ物語が進むように読みたくなります。ベーコンも三連画を繰り返し制作しましたが、各画面は必ずしも同じ出来事を順序立てて示してはいません。

ドゥルーズが「三連画とは何か」と問うとき、各部分に起承転結を与えるより、異なる身体や色が一つの絵としてどう響き合うかを考えています。三つの画面を行き来する経験そのものが、鑑賞の重要な部分です。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑のための三習作》(1962)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

1962年《磔刑のための三習作》の大きさ

1962年の《磔刑のための三習作》は、各画面が約198.1×144.8センチメートルの油彩三連作で、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に所蔵されています。画面には引き裂かれたような身体や、室内にある物が現れ、三枚を通して肉体の激しい変形を感じさせます。

鑑賞者は一度に三枚全体を眺めた後、個々の画面の細部へ目を移せます。体の位置も背景の色も変わる中で、共通する緊張が残ります。ドゥルーズのいうリズムは、ここで形の反復と違いを通して経験できます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑のための三習作》(1962)/グッゲンハイム・ビルバオ美術館|1962年《磔刑のための三習作》解説)

繰り返しと変化が同時に起きる

同じ大きさの三画面が並んでいることは、一定の拍子を感じさせます。その中で身体の動きや色の重なりが変わると、見る人は似たものを探しながら違いへ気づきます。時間の長さを時計で測らずとも、見る順序と強さの変化が生じます。

ドゥルーズは三連画を、複数の感覚が互いを高める構成として解説します。三枚のうち一つだけを切り離して鑑賞する場合と、全体を往復して見る場合では、受け取る経験が変わるのです。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/フランシス・ベーコン財団|《磔刑のための三習作》(1962))

1972年の黒い三連画は何を伝えるのか

ジョージ・ダイアーの死と制作

ベーコンと長く関わりのあったジョージ・ダイアーは、1971年のパリで、画家のグラン・パレ回顧展が開かれる時期に亡くなりました。ベーコンはその後、喪失に関係する三連作を制作します。制作の背景となった出来事を知ることは、画面に現れる姿と時間を理解するために役立ちます。

《三連画、1972年8月》は、各画面が約198×147.5センチメートルの油絵具と砂を用いた作品で、テート美術館が所蔵しています。強い黒と周囲の色の関係、身体の姿の変化が、三枚を通して重なります。(参照:フランシス・ベーコン財団|1970年代の活動・回顧展とジョージ・ダイアー/フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》(1972))

三つの場面と黒の広がり

《三連画、1972年8月》では、人物や身体の暗い形が画面に現れ、広い背景色の中で不安定に感じられます。三枚は一つの人間の人生を順番に説明する図として固定しにくく、見るたびに異なる部分が強く目に入ります。

ドゥルーズの議論に従えば、この作品の暗さは「悲しみ」という言葉の代用品以上の働きを持ちます。色面の境界、黒い形、姿勢の違いが視線を動かすからです。伝記的な事情を知ることと、絵を直接見ることが相互に理解を深めます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》(1972)/フランシス・ベーコン財団|1970年代の活動・回顧展とジョージ・ダイアー)

制作日と題名を正確に読む

作品名には「1972年8月」とありますが、ベーコン財団の作品総目録に基づく調査では、三枚は1972年7月中に制作されたと記録されています。題名の月と絵の完成日にずれがある点は、作品を年代順に整理するときの大切な事実です。

ベーコンの題名はしばしば作品を説明する手掛かりになりますが、題名だけから出来事の正確な日付を読み取ることはできません。画家の制作記録と絵の表現を分けて確かめることが、哲学的な解釈の基礎となります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》の制作日と表面材料/フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》(1972))

1973年の三連画は失われた時間をどう扱うのか

《三連画、1973年5〜6月》の画面

《三連画、1973年5〜6月》は、各画面が約198×147.5センチメートルの油彩画で、現在は個人蔵です。ジョージ・ダイアーの死に関わる一連の作品の中でも、暗い空間と身体の姿が強く結びついています。

黒い開口部や壁の色の広がりが、人間の姿を狭い場所へ閉じ込めているように見えます。三枚を見渡すと、身体が違う位置にあるにもかかわらず、画面に残る重さや緊張が反復しています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三連画、1973年5〜6月》(1973)/フランシス・ベーコン財団|1970年代の活動・回顧展とジョージ・ダイアー)

出来事の再現と絵の時間

この作品を画家の実生活と結びつければ、ダイアーの最期を思わせる場面として読むことができます。伝記を知ることで、絵の中の身体が持つ切実さは変化するでしょう。

それでも、三枚の間に厳密な撮影時刻のような順序を付けることはできません。ドゥルーズの枠組みでは、身体の向き、色の反復、暗い場所がつくるリズムを通じて、絵画独特の時間を考えられます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三連画、1973年5〜6月》(1973)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

個人的な悲しみだけで閉じない

作家の人生を作品の唯一の答えにすると、鑑賞者は事件を知った時点で絵を読み終えたように感じる場合があります。《三連画、1973年5〜6月》では、人物と壁の接し方や、黒い色の位置を見直すたびに別の視覚的な問題が現れます。

ドゥルーズの解釈は、喪失の経験を消すより、それが画面のどんな力として現れたかを問うものです。出来事と絵具の働きを同じものにせず、両方を考えられる余地が残されています。(参照:フランシス・ベーコン財団|《三連画、1973年5〜6月》(1973)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

画面には描く前から何が存在するのか

白いキャンバスは本当に空白か

真っ白なキャンバスを前にすると、何を描けばよいのか迷うことがあります。画家の頭には、これまで見た風景や、上手に描かれた肖像画の型など、多くのイメージがすでにあります。ドゥルーズは、描く前の画面が心理的にも文化的にも空白ではないと考えました。

目を描こうとすると似た輪郭が浮かび、風景を描こうとするとよく知られた構図が先に現れます。絵を作るには、そのような慣れ親しんだ型とどう向き合うかが問題になります。(参照:パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

写真やポスターに囲まれた絵画制作

20世紀の画家は新聞、広告、写真、映画など、日常に大量の画像がある環境で制作してきました。ベーコンも写真の複製を多く参照し、人物を描くときに元の写真の姿をそのまま移す以外の方法を探りました。

ドゥルーズは、画面へ入り込もうとする決まりきったイメージを「クリシェ」と呼んで問題にします。絵画の新しさは、珍しい題材を選ぶだけでなく、そのイメージの型をどう変えるかにも関わるのです。(参照:ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

消すことと描くことは連続している

ベーコンは描き進めた像を拭い、こすり、新しい線を重ねることがありました。完成像を最初から正確に写すのではなく、途中で生じた形へ対応しながら画面を変えていきます。

ドゥルーズの1981年講義では、既存のクリシェを拭い去り、新しいフィギュールが現れる場を作る操作が重要になります。描くとは形を加えることだけではなく、既存の形を壊し、その残りから別の形を生むことでもあります。(参照:Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

偶然の跡はなぜ絵を変えるのか

狙いと異なる筆触が生まれる

絵具をキャンバスへ強く擦ると、予定した線より広い跡が残ることがあります。筆に含まれる絵具の量、下地の凹凸、手の速度によって結果が変わるからです。画家は、その跡を失敗として消すことも、新しい形の出発点として使うこともできます。

ベーコンはインタビューで制作中の偶然を重視し、予定外の跡から別の画面へ進む経験を語りました。ドゥルーズはその働きを、画面が定型的な像から抜け出すための方法として考えています。(参照:ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

《絵画》(1946)へのX線調査

ニューヨーク近代美術館の保存修復部は2015年、《絵画》(1946)にX線調査を行いました。ベーコンはもともと草地へ降りる鳥を描くつもりだったと回想し、予想外の線の変化によって別の像に進んだと語っています。修復研究は、こうした制作の証言と実物に残る痕跡を照合しようとしたものです。

制作を偶然の一語で説明するより、画家がどんな材料を使い、変化した痕跡をどのように選び直したかを見ることが大切です。偶然が形を与え、画家がその形に応答する過程が、絵の成立に関わっています。(参照:ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946))

予想外の結果を残すという判断

絵具が思いがけずに広がっても、それを作品として残すには作者の判断が必要です。ベーコンの絵は完全な無作為の産物として生まれたのではなく、予定外の跡と、その跡を使う意思が重なることで成立しました。

ドゥルーズの「ダイアグラム」は、この偶然の働きを漠然と褒める言葉ではありません。既成のイメージを揺さぶりながら、その混乱から見える形を生み出す段階を指しています。(参照:Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

「ダイアグラム」は構図の設計図とどう違うのか

絵を崩しながら新しい形を生む

設計図は完成形をあらかじめ決め、その通りに作るために使われます。ドゥルーズのいう「ダイアグラム」は、絵画の中に予定しきれない跡を生じさせ、既に決まった形を崩す働きを持ちます。

ダイアグラムによって、人物の頬や肩の線が予想外の方向へ動き、背景色との関係が変わることがあります。絵が混乱したままで終わるのではなく、その変化から別の強い形が生まれるところが重要です。(参照:パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

混乱と新しい形の両方を見る

ドゥルーズは1981年3月31日の講義で、ダイアグラムを「混乱」と「種子」が結びつくような過程として論じました。絵の中に突然の崩れが起き、そこから次の形が育つという理解です。

何かを壊すことが常に優れた絵画を生むわけではありません。形が消え去れば何も見えなくなる場合もあります。ドゥルーズは、崩れた跡の中からフィギュールが生きて現れることを重要な条件として考えました。(参照:Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

ベーコンの方法と別の画家の方法

同じ講義では、ドゥルーズはセザンヌ、クレー、ファン・ゴッホなどにも触れ、画家ごとに異なるダイアグラムを持つと考えました。誰もが同じ偶然の技法を使えばよいという議論ではありません。

ベーコンにはベーコンの、セザンヌにはセザンヌの、既存のイメージを崩し、新しい形を見つける方法があります。絵の違いを生み出す制作過程そのものが、作風を理解する材料になるのです。(参照:Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義/フランシス・ベーコン財団|《ファン・ゴッホ肖像の習作VI》(1957))

ダイアグラムはどこまで偶然に任せられるのか

制御しすぎると形は変わらない

描き始める前の構図をすべて守ろうとすると、最初から考えていた通りの絵が完成することがあります。その方法にも優れた作品はありますが、ドゥルーズがベーコンで注目したのは、画家の計画を超える変化が描く途中で現れることです。

筆の跡をある程度自由に動かし、形のゆがみを受け入れることで、既成の描き方を揺さぶれます。何を残し、何を描き直すかの判断が、その変化を絵画へ結びつけます。(参照:パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

崩しすぎると形が失われる

画面が不規則な跡だけで埋まれば、身体の緊張や背景との関係を読み取れない場合があります。偶然を極端に増やすだけでは、ベーコンの画面にある人物の存在感へ届きません。

ドゥルーズのダイアグラムの議論には、型の再現へ戻る危険と、形を完全に崩してしまう危険の両方が含まれます。感覚が強く現れるためには、混乱から何らかの形が立ち上がる必要があるのです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義)

作者の手が偶然の跡へ応答する

制作中に偶然にできた跡が人物の頬に見えれば、画家は別の線を加えるかもしれません。思わぬ色の濁りが生じた場合も、周囲の色を塗り替えることで画面全体が変化することがあります。

ベーコンの作品にある強い表情は、このような描くことと見ることの往復を経て生まれました。ドゥルーズは最後の章で目と手の関係を論じ、手の動きが視覚に新たな可能性を与える仕組みへ戻っていきます。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

色彩は身体にどのように作用するのか

平らな色面とゆがんだ身体

ベーコンの画面では、肌の色が重なった頭部と、広く平たく塗られた背景とが鋭く分かれます。背景に大きな赤や橙色が広がると、人物の灰色や桃色の変化が強く感じられることがあります。色彩は何かの物を説明するだけでなく、隣り合う色との関係から目に働きます。

ドゥルーズは、こうした平面の広がりを人物を囲む構成として考えました。濃く塗られた色が身体の外側から圧力をかけるように感じられる場合、色は背景の飾り以上の働きを持っています。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944))

セザンヌと感覚をめぐる比較

フランスの画家ポール・セザンヌ(1839–1906)は、南仏の山や果物などを描きながら、色と形が一体となって世界の厚みを生み出す表現を探究しました。ドゥルーズはベーコンの絵画を考える際にも、セザンヌと色彩の問題を比較します。

二人の絵は同じ見た目ではありません。静物や風景を描くセザンヌと、ねじれた人間を描くベーコンは、違う対象と方法から、色を通して何かを感じさせるという問題に向かいました。比較によって「感覚の論理」が一人の作家の感情以上の問いだとわかります。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

色が変わると同じ形も違って見える

《磔刑の基部の人物のための三習作》の橙色を、仮に落ち着いた灰色へ置き換えたとしたら、三体の見え方は大きく変わるでしょう。身体の輪郭をそのまま残しても、色の強さによって画面全体の緊張が変わるからです。

これは作品の改変を勧める話ではありません。色が単なる背景情報ではなく、フィギュールの感じられ方を作っていることを考えるための例です。ドゥルーズが原著の後半を色彩の問題へ割いている理由も、ここから理解できます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

目で見ることと触れる感覚はどうつながるのか

目だけで質感を感じる

厚く盛り上がった油絵具の表面を見ると、実際に触れなくても、ざらつきや重さを想像できることがあります。反対に薄く塗られた領域では、支持体に色が広がる感じが伝わります。見ることの中には、手で触れるときの経験に近い働きも含まれています。

ドゥルーズは原著の最終章で「目と手」を扱い、絵画を単なる視覚情報の伝達から考え直します。線を描く手と画面を見る目が関わり合うだけでなく、見る人も絵具の触覚的な強さを受け取ります。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

触覚的な視覚とは何か

美術史や哲学では、目で見ながら触れるように形を感じる働きを「触覚的な視覚」と呼ぶことがあります。輪郭を目でなぞり、厚みや重さを感じるとき、見ることは遠くから対象を確認する行為だけにとどまりません。

ドゥルーズの議論では、この働きが絵画の固有の力を考える場所となります。鑑賞者が作品に実際に手を触れる必要はなく、画面の色や線から触れることに近い経験が生じる点が問題なのです。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

筆を動かす手が目を驚かせる

画家がキャンバスをこすった後、少し離れて見ると、近くで描いていたときには気づかなかった形が現れることがあります。手の速さや圧力が、視線の予測を超えた跡を生み出すからです。

ドゥルーズは目と手の関係を、あらかじめ決めた形を目が命令して手が実行するだけの流れとして捉えません。手の動きから生じた偶然の形が目を変え、さらに描く行為を動かす循環に注目しています。(参照:パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

絵具の物質はどんな役割を持っているのか

油彩・パステル・砂の違い

ベーコンは油絵具だけに材料を限っていません。1944年の三連作には油彩とパステルが使われ、1972年の三連作には油彩と砂が用いられています。粗さや粉の質感は、色の見え方や筆触の残り方に関わります。

例えば砂を含んだ絵具では、光が表面へ当たるときの見え方が変化します。ドゥルーズのいう感覚を考えるには、絵に何が描かれたかと併せて、どんな物質がどのような表面になっているかを見る必要があります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944)/フランシス・ベーコン財団|《三連画、1972年8月》(1972))

《絵画》(1946)の表面の変化

ニューヨーク近代美術館の保存修復調査は、《絵画》(1946)の背景に用いられたパステルや顔料が光の影響で退色したことを報告しています。現在の背景色は、制作当時に意図された鮮やかな色から変化している可能性があります。

この事実は作品をめぐる二つの問題を示します。絵の色と感覚は物質的な支持体に依存し、年月とともに変化します。また、現在の写真や実物から感じる色を、そのまま1946年の状態へさかのぼって考えることにも慎重さが求められます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946)/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)の退色・材料調査(2015))

保存修復研究が哲学の議論へ加える事実

《絵画》(1946)の材料調査では、背景の鮮やかさと表面の脆さが関連していることが示されています。画家が求めた色と、実際に使用できた材料との間には、制作上の制約があったのです。

ドゥルーズの文章を読むと、色が鑑賞者へどう働くかという問いが立ち上がります。保存修復研究は、その色が顔料の選択や経年変化によって成立しているという別の事実を与えます。二つの視点は互いを具体的にする関係にあります。(参照:ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946)/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)の退色・材料調査(2015))

写真と映画はベーコンの制作をどう変えたのか

複製された肖像から別の肖像へ

ベーコンはベラスケスの教皇像を写真の複製を通じて知り、別の画面へ描き直しました。写真は元の像の輪郭を一定の形で残しますが、ベーコンの手に渡ると、顔の暗さや口の開き、背景の縦線が新しい構成になります。

写真が利用されたという事実から、完成した絵が元画像の単なる拡大だとはいえません。ドゥルーズの立場では、写真から受け取った形をどう崩し、肉体を感じさせる新しい形にしたかが問題になります。(参照:ヴァチカン美術館|《ベラスケスの教皇像による習作II》(1961)/フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953))

動きを切り取る写真の働き

人物や動物の動きを切り取った写真では、一瞬の姿勢を静止画として繰り返し見ることができます。ベーコンは写真のこうした働きに関心を寄せました。写真に残った身体の位置をそのまま写す代わりに、輪郭をずらし、動きの激しさを別の形に変えます。

絵と写真の違いを考えるとき、どちらが現実に近いかという序列だけでは、制作の特徴を捉えにくくなります。写真によって見えた身体が、絵具の上で別の感覚の働きを持つようになることが、この問題の中心にあります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《動きの中の人物》(1976)/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

映画の一場面と叫ぶ口

20世紀の映画には、動く顔の一瞬を切り取り、観客へ強い印象を残す場面があります。ベーコンは映画の静止画像を含む多様な複製を制作資料として使いました。

ドゥルーズはこうした視覚資料との関係を踏まえつつ、絵画が一枚の静止した画面で身体の力をどう生み出すかを考えます。映画と絵の間には直接の参照関係が生じることもありますが、同じ画像から受ける感覚が媒体によって変化する点も重要です。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953))

ベーコンは過去の絵画とどう対話したのか

ファン・ゴッホの絵を描き直す

ベーコンの《ファン・ゴッホ肖像の習作VI》(1957年)は、縦202.5×横142センチメートルの油彩画です。題名が示すように19世紀末の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853–1890)のイメージを出発点としています。

同じ人物やモチーフを描いても、絵具の使い方が変われば色の強さや身体の印象も変わります。ドゥルーズの講義ではファン・ゴッホ独自の筆触を「ダイアグラム」の例として論じており、そこからベーコンとの違いも考えられます。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ファン・ゴッホ肖像の習作VI》(1957)/Webdeleuze|1981年3月31日、絵画のダイアグラムをめぐる講義)

セザンヌと色による形の成立

ドゥルーズはベーコンの制作を論じながら、セザンヌを参照しました。セザンヌの色面は、遠近法の線であらかじめ決まった形を塗るだけでなく、隣接する色の関係から物の厚みや奥行きを成立させます。

ベーコンは人間の体を別の方向で変形しましたが、色が形を生むという問題を共有しています。歴史上の二人が同じ技法を使ったということではなく、絵画が見る経験をどのように作るかという哲学的な比較です。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

古典絵画への尊敬と変形の自由

ベラスケスの教皇像は、権威ある人物を強い存在感で描きました。ベーコンがその絵を繰り返し変形したことは、過去の画家への関心と、元の像へ従わない姿勢が同時にあったことを示します。

絵画史の参照は、同じ姿を繰り返し守るためだけのものではありません。別の時代の作家が元作品の形へ働きかけ、新しい人物の姿を生むことがあります。ドゥルーズはこうした変化を、絵画が自分の歴史を引き受ける仕方として読みました。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

ドゥルーズの「ヒステリー」はどう理解すればよいのか

医学の診断名として読まない

原著には「ヒステリー」という題の章があります。この語には19世紀以降の精神医学の歴史があり、使われ方によって偏見を伴ってきました。ドゥルーズが絵画を論じるときには、ベーコンの人物や画家自身を特定の精神疾患と診断する目的で使われていません。

彼が考えるのは、身体の反応や感覚の強さが目に見える形へ現れることです。医学の用語と哲学の比喩的・概念的な用法を区別すると、絵画についての論点をより正確に理解できます。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

形の崩れと感覚の高まり

ベーコンの顔が歪み、身体の一部が引き延ばされるとき、見る人は異常な姿に驚くと同時に、形へ加わる圧力を感じます。ドゥルーズはこの身体の緊張を、固定した人体像が崩れる経験として論じました。

その概念が有効なのは、激しい感情を表す絵を分類するときより、描かれた線と肉体の関係を詳しく説明するときです。画家の心理状態を勝手に推測する代わりに、画面で何が起きているかを読むことができます。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《三つの頭部の習作》(1962))

視覚が身体の感覚へ広がる

叫ぶ顔の絵を見たとき、観客は音が聞こえなくても、首の緊張や喉の開きを感じる場合があります。描かれた形から、視覚の外にある身体の経験が呼び起こされます。

ドゥルーズがこの章で追ったのは、まさに見ることが神経や身体へ働く過程です。現代の読者には医学的な説明と混同しやすい語だからこそ、その議論を作品に即して読む必要があります。(参照:フランシス・ベーコン財団|《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》(1953)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

「感覚の論理」にはどのような批判があるのか

形の分析と描かれた内容の関係

ドゥルーズの読みでは、絵の物語や図像が後ろへ退き、肉体の形、色、筆の動きが中心になります。その方法によって作品の見え方を詳しく説明できますが、題名やモデルの人生、当時の社会をどこまで考慮するかという問いも残ります。

例えば《絵画》(1946年)は、ニューヨーク近代美術館によって戦後の政治的暴力を連想させる作品として解説されています。色や筆触に注目する解釈と、権力の表象を考える研究は、異なる側面に光を当てています。(参照:ニューヨーク近代美術館|ベーコン《絵画》(1946)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

表象を捨てると作品の意味も失われるのか

2016年、哲学研究者ヘンリー・サマーズ=ホールは、ドゥルーズの絵画論に対するクリスチャン・ロッツの批判を検討しました。ロッツは、表象を退ける説明では芸術と装飾を区別する根拠が弱くなると主張しています。

サマーズ=ホールは、ドゥルーズの哲学で現実に見える形と潜在的な可能性が結びついていることを踏まえ、この批判は議論の全体を十分に捉えていないと反論しました。感覚と表象をどう両立して考えるかは、現在も哲学的な争点です。(参照:ロイヤル・ホロウェイ大学|サマーズ=ホール「表象と感覚――ドゥルーズ絵画論の擁護」(2016)/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説)

美術史と哲学が互いに補うもの

作品総目録は制作年、材質、寸法、展示の経緯を記録します。保存修復は絵具の層や退色を調べます。ドゥルーズの哲学は、その実物が鑑賞者にどんな感覚を生むかという問いを深めます。

これらを一つの方法で置き換えることはできません。《絵画》(1946年)の顔料の劣化を確かめる仕事と、肉体の不穏さを哲学的に説明する仕事は、それぞれ異なる根拠を持っています。両方の知識を合わせることで、絵画をより深く見ることができます。(参照:ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

『感覚の論理』はその後どう読まれたのか

2003年の英訳と新しい読者

ドゥルーズのベーコン論は1981年にフランス語で出版され、英語圏では2003年のダニエル・W・スミスによる英訳が重要な役割を果たしました。訳者は序論で、感覚と絵画をめぐる哲学的な概念を、ドゥルーズの他の著作との関係から解説しています。

翻訳と研究の広がりによって、ベーコンの絵は美術史だけでなく、身体論や知覚を考える哲学の授業でも扱われるようになりました。作品そのものの歴史と、1981年の著作の受容史は、それぞれの年代を分けて考えられます。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題)

現代美術の制作にどうつながるか

制作中に偶然生じる形、画面へ残る痕跡、観客の身体に届く色の強さは、具象絵画以外の表現でも考えることができます。抽象絵画、写真、映像の作品を観察するときにも、材料が作者の計画と異なる結果を生み出すことがあります。

こうした共通点からドゥルーズの概念を応用して読むことはできます。個々の現代作家がこの本を読んで制作したかどうかは別の史料を必要とするため、後年の批評としての利用と実際の影響関係は区別して考えられます。(参照:ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/パデュー大学・ドゥルーズ講義アーカイブ|1981年3月31日「絵画と概念の問題」)

絵を見る経験は結局どこへ残るのか

人物の口が開いていることを知るのと、その黒い形に強く引きつけられることは違います。絵を見終わってからも、背景色と輪郭の関係を思い出すことがあります。ドゥルーズが言葉にしようとしたのは、そうした視覚と身体の経験でした。

ベーコンの絵には実在の人物、歴史の引用、絵具の材料、画家の手の動きが重なっています。それらが一つの画面でどのように働き、何が見る人の感覚へ届くか。この問いは、絵画を前にしたときに繰り返し開かれます。(参照:ブルームズベリー社|『感覚の論理』解説と各章の主題/フランシス・ベーコン財団|《磔刑の基部の人物のための三習作》(1944))

略年表|『感覚の論理』成立までの歴史

  • 1650年|ベラスケスが教皇インノケンティウス10世の肖像を制作。後にベーコンが繰り返し参照する。
  • 1906年|セザンヌが死去。色彩と形の関係をめぐる探究が後世の画家や思想家に受け継がれる。
  • 1909年|フランシス・ベーコンがダブリンに生まれる。
  • 1925年|ジル・ドゥルーズがパリに生まれる。
  • 1933年|ベーコンの《磔刑》が制作され、ハーバート・リードの美術書に図版が掲載される。
  • 1944年|ベーコンが《磔刑の基部の人物のための三習作》を制作する。
  • 1945年|ロンドンのルフェーヴル画廊で1944年の三連作が展示される。
  • 1946年|ベーコンが《絵画》を制作する。油彩とパステルが使われる。
  • 1948年|ニューヨーク近代美術館が《絵画》(1946)を購入する。
  • 1953年|ベーコンが《ベラスケスのインノケンティウス10世像による習作》《ヒヒの習作》《犬と男》《二人の人物》を制作する。
  • 1957年|ベーコンが《ファン・ゴッホ肖像の習作VI》を制作する。
  • 1961年|ベーコンが《ベラスケスの教皇像による習作II》を制作する。
  • 1962年|テート美術館でベーコンの回顧展。ベーコンが《磔刑のための三習作》《三つの頭部の習作》を制作する。
  • 1968年|ドゥルーズの『差異と反復』がフランス大学出版局から刊行される。
  • 1969年|ドゥルーズの『意味の論理』が刊行される。
  • 1969年|パリ第8大学の前身であるヴァンセンヌ実験大学センターが成立する。
  • 1971年|パリのグラン・パレでベーコンの回顧展が開催され、ジョージ・ダイアーが同時期に死去する。
  • 1972年|ベーコンが《三連画、1972年8月》を制作。ドゥルーズとガタリが『アンチ・オイディプス』を刊行する。
  • 1973年|ベーコンが《三連画、1973年5〜6月》を制作する。
  • 1976年|ベーコンが《動きの中の人物》を制作する。
  • 1977年|パリにポンピドゥー・センターが開館する。
  • 1980年|ドゥルーズとガタリが『千のプラトー』を刊行する。パリ第8大学がサン=ドニに移転する。
  • 1981年3月31日|ドゥルーズが「絵画と概念の問題」の講義でダイアグラムを論じる。
  • 1981年|ドゥルーズが『フランシス・ベーコン――感覚の論理』を全二巻で刊行する。
  • 1983年|ベーコンの作品展が東京国立近代美術館・京都国立近代美術館などを巡回する。
  • 1992年|フランシス・ベーコンが死去する。
  • 1995年|ジル・ドゥルーズが死去する。
  • 2002年|『感覚の論理』のフランス語スイユ社版が刊行される。
  • 2003年|ダニエル・W・スミス訳による『感覚の論理』英語版が刊行される。
  • 2015年|ニューヨーク近代美術館が《絵画》(1946)の保存修復・材料研究を公表する。
  • 2016年|ベーコンの作品総目録が刊行され、サマーズ=ホールがドゥルーズの絵画論への批判を再検討する。

まとめ|ベーコンの絵画は何を伝えるのか

ベーコンの《磔刑の基部の人物のための三習作》では、橙色の広い背景から灰色の生物が浮き上がり、三体の異なる姿勢が同じ強さを帯びています。1953年の教皇像では、ベラスケスの肖像に由来する人物が叫ぶ口と縦線によって変形され、絵画の歴史に残された人物像が新しい身体へ変わりました。ドゥルーズは、これらをひとつの物語へ還元せず、色、線、輪郭、空間が生む「感覚」として説明しました。

《絵画》(1946)の予想外の筆触、円や輪によって切り出される身体、1962年と1970年代の三連画の反復には、作品が制作され、鑑賞される独特の時間が現れています。ドゥルーズが「ダイアグラム」と呼んだのは、描く前からある既成のイメージを変え、新たな形が現れる道を開く働きです。画家の手と鑑賞者の目が絵の出来事へ参加することで、表面に残った物質が強い感覚へ変わります。

哲学はこの働きを明らかにする一方、作品の意味を一つに決める最終的な答えではありません。ダイアーの死と三連画の関係、戦後政治と《絵画》(1946)の関係、保存修復で判明した顔料の退色は、それぞれ異なる資料によって理解が深まります。ベーコンの絵を見たときに感じる重さ、運動、色彩の強さが、どのような画面の操作から生まれているのか。ドゥルーズの1981年の議論は、見ることと描くことを考えるための具体的な問いを残しました。(参照:フランシス・ベーコン財団|ドゥルーズ『感覚の論理』1981年初版の書誌/ミネソタ大学出版局|『感覚の論理』英語版の章立てと哲学的概説/ロイヤル・ホロウェイ大学|サマーズ=ホール「表象と感覚――ドゥルーズ絵画論の擁護」(2016)/ニューヨーク近代美術館保存修復部|《絵画》(1946)のX線調査と偶然の痕跡)

参考資料・出典