1757
怖い景色をなぜ美しいと感じるのか
バークの崇高論
雷雨、星空、広大な砂漠、海、氷冠など、自然の雄大な事物には特別な喜びがあります。この喜びを分析した哲学者の一人、エドマンド・バークは、この感覚に言葉を与え、なぜそれが心地よいのかを理論化しました。彼は「崇高」という概念を私たちに与えたのです。
18世紀半ばのアイルランドの首都ダブリンには、王室と結びついたアイルランド議会、法廷、大学、出版業者が集まっていました。アイルランドはまだ1801年の合同より前で、独自の議会を持ちながら、政治権力はイングランド国教会と近いプロテスタント層に偏っていました。カトリック教徒には議会への参加や土地所有などで厳しい制限があり、同じ都市の住民でも学びと政治に関われる機会が異なります。知識人にとって、人間の判断や感情をどのように理解するかという問いは、宗教、法律、教育、社会秩序の問題とも隣り合っていました。
当時のロンドンでは書店が出版を支え、コーヒーハウスや雑誌で演劇、詩、旅の記録などが話題になっていました。自然に対する感動の語り方も変化します。穏やかな庭園や整った建物の美しさに加え、険しい岩山、荒れた海、底の見えない断崖の前で覚える強い感情が、文学と哲学の関心を集めていました。人は危険を想像して胸がすくむのに、壮大な景色へ目を向け続けることがあります。そこで生まれる感動は、花や静かな風景を眺める楽しさと同じなのでしょうか。
ダブリン出身の思想家エドマンド・バーク(1729/30–1797)は、1757年に『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』を出版し、この違いを人間の感情と身体の働きから説明しました。怖さを伴う壮大な経験を「崇高」、穏やかな愛情や喜びを呼び起こす経験を「美」として区別したのです。遠くで光る稲妻を安全な場所から眺めるとき、なぜ怖さと感動が同時に生まれるのか。バークの哲学はその身近な疑問から、人間の想像力と芸術表現の問題へ進みます。
CONTENTS
- 18世紀のダブリン――宗教、議会、大学のある社会
- ロンドンの出版文化と壮大な自然への関心
- エドマンド・バークは誰で、何を考えたのか
- 「崇高」と「美」はどのように違うのか
- 崇高という言葉は以前から何を意味していたか
- アディソンとホガースが準備した問い
- 1757年『哲学的探究』は何を調べる本だったか
- 快と痛みはどう違うのか
- 危険から距離を取ると何が起こるのか
- 自己保存と社会性が生む二種類の感情
- 崇高の中心にある驚愕という感情
- 暗闇と曖昧さが恐れを強める理由
- 巨大さ、果てしなさ、奥行きがもたらすもの
- 力、孤独、沈黙が生む壮大な印象
- 音、光、反復はどのように心を動かすか
- 美はなぜ小ささと柔らかさに結びつくのか
- 比例や実用性は美の理由になるのか
- 感情は身体の中でどう生じるのか
- 詩は姿をはっきり見せなくても心を動かせるか
- 絵画は崇高をどのように伝えるか
- 19世紀の風景画へ広がった崇高
- 崇高論に残る社会的な偏り
- カントとピクチャレスク、今日の鑑賞へ
- 略年表|バークの生涯と崇高論の広がり
- まとめ|恐れを伴う感動をどう理解するか
- 参考資料・出典
18世紀のダブリン――宗教、議会、大学のある社会
アイルランド議会は誰の政治を担ったのか
1750年代のアイルランドにはダブリンを中心とする独自の議会がありました。イングランドと同じ君主の下に置かれ、政治的な権限には制約がありました。議会を動かす有力者にはアイルランド国教会に属するプロテスタント地主や法律家が多く、一般の住民の声を等しく代表する仕組みにはなっていませんでした。
議会、法廷、法律家の仕事は社会の秩序を形づくり、何を公共の利益と考えるかをめぐる議論が起こりました。バークの父は法律に携わる人物です。政治と法律の言葉が身近な家庭で育ったことは、彼が後に哲学と政治の双方で人間の感情や判断へ関心を向ける背景になります。(参照:アイルランド人名事典|エドマンド・バーク/アルスター歴史財団|18世紀アイルランド議会と宗教上の制限法)
宗教により学びと権利が違った
17世紀末から18世紀にかけてのアイルランドには、カトリック教徒の政治参加や土地に関わる権利を制限する法律がありました。こうした制度は、プロテスタント地主層の政治的な優位を守る役割を果たします。家庭の宗派や経済的な立場によって、教育を受ける経路にも違いがありました。
権利や宗教をめぐる緊張の中で、人々が共通の判断を持つには何が必要かという問題が生じます。バークが1757年に出版した本は直接の宗教制度論ではありませんが、人が喜び、恐れ、他人に引きつけられる仕組みを調べたものでした。人間の社会性と自己保存の働きが、哲学の分析対象として取り上げられます。(参照:アルスター歴史財団|18世紀アイルランド議会と宗教上の制限法/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
トリニティ・カレッジでの議論と読書
ダブリンのトリニティ・カレッジは1592年に設立された大学で、古典語や修辞学、哲学を学ぶ場所でした。バークは1744年に入学し、文学や演劇への関心を深め、学生同士の討論にも参加しました。ここでは筋道の立った議論だけでなく、人の心を動かす言葉の選び方も重要な訓練でした。
例えば同じ問題について意見を述べるとき、事実を整然と並べる話し方と、聞き手に危機感を感じさせる話し方では反応が変わります。その差を理解するには、言葉が心へ及ぼす働きを考える必要があります。若いバークの修辞学と文学への関心は、のちに詩や壮大な描写が感情を動かす理由を考える土台になりました。(参照:アイルランド人名事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
ロンドンの出版文化と壮大な自然への関心
1750年、バークが移った大都市
バークは1750年にダブリンからロンドンへ移り、当初は法学を学ぶためミドル・テンプルに入りました。ミドル・テンプルは、イングランドで法律家を養成する法曹学院の一つです。ロンドンでは書店、劇場、雑誌、政治の討論が結びつき、著述家が広い読者へ意見を届ける機会がありました。バークも法律研究から著述へ関心を広げます。
新しい考えを知らせるには本を出版し、その内容が批評や会話で取り上げられる必要があります。芸術の感じ方を論じる哲学書も、大学の講義だけで終わるものではありませんでした。どのような作品が人の心を動かすかを、書店から世の中へ発信できる社会が、彼の仕事の舞台となります。(参照:アイルランド人名事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/英国歴史研究所|18世紀ロンドンのコーヒーハウス文化)
コーヒーハウスと読者の議論
18世紀ロンドンのコーヒーハウスは、新聞や刊行物を読み、商売や政治や文学について話す場所でした。そこへ集まる人々の顔ぶれは場所によって異なり、職業や階層の区別も残ります。刊行された詩や演劇は、作者の周りの人だけでなく、読者が広く批評する対象になりました。
ある人が大きな岩山の描写に感動し、別の人が庭園の優美さを好むとき、なぜ別の感情が生まれるかを説明できれば議論が進みます。芸術作品の価値を語る言葉には、それぞれの感情を理解する理論が求められました。バークの崇高論は、こうした公的な批評文化と深く関わる題材を扱っています。(参照:英国歴史研究所|18世紀ロンドンのコーヒーハウス文化/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
旅の景色と想像力を結ぶ文化
18世紀には旅の記録や風景描写が読まれ、山岳、海、廃墟などが人間の想像力を刺激する題材になりました。遠い場所の様子を文章で知る読者にとって、巨大な岩や暗い洞窟は、実際に訪れたことがなくても強い感情を呼ぶものです。言葉や絵が、見る人の前にない自然の力をどう伝えられるかという問題も広がりました。
例えば旅人が「嵐が近づく海岸」と記すと、読み手は空の暗さや波の音を思い浮かべます。想像するだけでも身体が緊張する場合があります。壮大な景色を実際に見る経験と、その景色を言葉から思い描く経験がつながるところに、バークの美学の重要な問いがありました。(参照:アディソン『スペクテイター』1712年第412号原典|Jack Lynch/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/MIT Press|崇高概念の歴史と近代美術)
エドマンド・バークは誰で、何を考えたのか
ダブリンに生まれた思想家
エドマンド・バークは1729年頃、ダブリンで生まれた著述家・政治思想家です。生年月日には当時の暦の扱いによる違いがあり、資料によって1729年または1730年と記されます。後にはイギリス下院議員として北米植民地、インド、フランス革命などを論じたことで知られます。若い頃の彼は、人間の感情と想像力の研究にも深い関心を持っていました。
政治思想家としての評判だけを知ると、壮大な風景や詩を扱う著作は意外に感じられるかもしれません。バークにとって、言葉が人間の行動を動かし、恐れや愛情が判断に関わることは、哲学と公共生活をつなぐ重要な問題でした。1757年の著書は、その関心を感情の成り立ちから調べた初期の仕事です。(参照:アイルランド人名事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
1756年の風刺作品と1757年の哲学書
バークは1756年に『自然社会の擁護』を刊行しました。政治や宗教の理性主義的な批判を、あえて極端な論理へ押し進める風刺作品です。続く1757年には『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』を発表し、人の心を強く動かす経験を細かく分類しました。二つの著作は、議論の仕組みと心の働きを探る若い著述家の試みとして位置づけられます。
哲学書では、何かを美しいと感じる原因を権威ある人の好みから決めるより、人間がどんな対象にどう反応するかを調べます。壮大な景色を見てなぜ言葉を失うのか、優しい形を見てなぜ愛情がわくのか。経験の違いを人間の心理と身体から説明しようとする点に特徴がありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/アイルランド人名事典|エドマンド・バーク)
政治家となった後も残った感情への関心
1765年、バークは下院議員となり、その後およそ30年にわたり政治の議論へ関わりました。1790年の『フランス革命の省察』は、急激な制度変革と継承されてきた政治的な慣習をめぐる著作として知られます。後年の文章にも、人間の行動や共同生活が抽象的な原理だけで説明しきれないという問題意識が見られます。
1757年の崇高論を、後年のすべての政治的主張の原因として読むと話が単純になります。初期の研究が示すのは、心の感情が知識や判断や表現と結びつくことへの継続した関心です。彼の政治的な活動を知ると、哲学と公共の言葉が一人の著述家の仕事の中で接していたことが分かります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/アイルランド人名事典|エドマンド・バーク)
「崇高」と「美」はどのように違うのか
荒海を前にしたときの感動
遠くから見える荒れた海を想像してみましょう。大きな波が岩に砕け、空の色が暗く変わっていきます。海岸に立ってその力を眺めると、怖さと同時に視線を奪われることがあります。安全な場所から見ている人が、危険な波へ強く心を引きつけられる。その感情をバークは「崇高」という言葉で考えました。
同じ海でも、静かな湾に朝日が差し、穏やかな波が岸に寄せていれば、心に生じる感情は変わります。こちらは親しみや穏やかな喜びを感じる場面です。同じ自然を見ているのに、何が感情の違いを生むのでしょうか。バークは、対象の性質と心に働く情念を分けて調べました。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
崇高は恐怖を伴う圧倒的な感情
バークのいう崇高は、人が危険や苦痛を連想する対象に向き合ったとき生じる強い感情です。巨大な崖、深い暗闇、激しい嵐、何があるか分からない場所などが、その働きを示す例として挙げられます。ここでの感動には、恐れと驚き、心が対象へ奪われるような感覚が含まれます。
例えば高い塔の上から下を見ると、足元の危険を意識して身体が緊張します。十分に安全な場所にいて景色を眺める場合には、驚きと感動が経験として残ることがあります。バークは、この強い感覚が穏やかな美への好感とは異なる仕組みで生じると考えました。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
美は愛情や穏やかな喜びを呼ぶ
バークにとって美は、見た人に穏やかな喜びや愛情を生むものと関わります。小さく柔らかな形、滑らかな表面、緩やかな曲線、明るく澄んだ色などが、彼の挙げる美の特徴です。壮大さによって心が圧倒される場合とは違い、対象へ近づきたい、親しみたいという気持ちが働きます。
例えば手のひらに収まる花を見て、花びらの柔らかい曲線に惹かれることがあります。切り立った断崖を見て言葉を失う経験と比べると、身体の緊張や感情の向かう方向が違います。日常語ではどちらも「美しい景色」と表現される場合がありますが、バークはその内部の違いを「崇高」と「美」に分けて説明しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/スタンフォード哲学百科事典|美)
崇高という言葉は以前から何を意味していたか
古代の「崇高について」と雄弁の力
古代の修辞学には、聞く人を圧倒する偉大な表現を「崇高」と呼ぶ伝統がありました。著者を通称ロンギノスと呼ぶ『崇高について』は、優れた言葉が聞き手の心を引き上げ、驚きを与える仕組みを論じた古代の著作です。実際の著者は確定しておらず、成立時期はおおむね紀元1世紀頃と考えられています。
この段階の崇高は、主に詩や雄弁が持つ表現の力を説明する概念でした。聞き手が言葉に強く動かされることを考える点でバークにつながります。バークの独自性は、その経験の原因を文学表現からさらに広げ、自然物や人間の身体的な恐れとの関係から研究したところにあります。(参照:オックスフォード古典事典|『崇高について』と通称ロンギノス/MIT Press|崇高概念の歴史と近代美術)
1674年のフランス語訳が広めた考え
フランスの詩人・批評家ニコラ・ボワロー(1636–1711)は、1674年に『崇高について』をフランス語へ翻訳しました。この翻訳によって、古代の崇高論が近代ヨーロッパで広く読まれるようになります。詩や演劇で人の心を動かす高い表現について、批評家たちが共通の言葉を持つようになりました。
例えば一人の勇気を語る演説が、言葉の力によって大勢の聞き手へ強い印象を残す場合があります。どのような表現が心を打つかを考える修辞学の問いが、後の自然景観の崇高へつながっていきます。バークの理論は、長く蓄積されたこの議論を受け取り、人間が恐れを感じる条件へ注目を移しました。(参照:オックスフォード古典事典|『崇高について』と通称ロンギノス/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
自然の恐ろしさが美学の題材になる
古い修辞学では、優れた詩人や雄弁家の表現が崇高の中心的な例でした。18世紀の議論では、山、海、空、暗闇のような自然の対象にも崇高が認められるようになります。自然そのものが人へ強い感情を与え、それを文学や絵画がどのように伝えるかという問いが生まれます。
例えば空一面に広がる雷雲は、誰かが詩を朗読していなくても見る人を圧倒します。同じ風景を詩人が描けば、読者の想像の中にも強い感情が起こるでしょう。直接見る経験と作品を通して感じる経験の両方を説明する必要が出てきます。バークはこの共通する人間の反応を考えました。(参照:オックスフォード古典事典|『崇高について』と通称ロンギノス/アディソン『スペクテイター』1712年第412号原典|Jack Lynch/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
アディソンとホガースが準備した問い
1712年、アディソンが語った想像力の楽しみ
イングランドの随筆家ジョゼフ・アディソン(1672–1719)は、1712年に雑誌『スペクテイター』で「想像力の喜び」を論じました。彼は大きなもの、珍しいもの、美しいものがそれぞれ感動を生むことに注目します。巨大な山、広大な海、果てしない土地などは、姿を見るだけで人の想像力を広げます。
例えば平らな土地の向こうに山々が延々と続く景色を見ると、視線が遠くまで導かれます。その広がりに心が惹かれるのは、目の前にあるものの大きさを一度に捉える経験と関わっています。アディソンはその楽しさを想像力から説明し、バークは後に恐れや自己保存の情念へ分析を深めました。(参照:アディソン『スペクテイター』1712年第412号原典|Jack Lynch/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
ホガースの美の分析と曲線
ロンドンで活動した画家・版画家ウィリアム・ホガース(1697–1764)は、1753年に『美の分析』を刊行しました。彼は曲線や形の変化といった視覚的な特徴を手がかりに、美しさをどのように感じるかを考えます。絵画を制作する立場から形態を検討した本で、18世紀に美を分析する関心が広がっていたことを示します。
例えばまっすぐな線だけで作られた装飾と、緩やかにうねる曲線を組み合わせた装飾とでは、目が形をたどる動きも変わります。ホガースは形の工夫から美を考え、バークは感情や身体への作用から研究しました。同じ美の問題へ、異なる道から近づく試みでした。(参照:メトロポリタン美術館|ホガース『美の分析』1753年初版/ケンブリッジ大学出版局|Hogarth, Burke, and Gerard)
ヒュームとバークは何を別々に問うたか
同じ1757年、スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711–1776)は「趣味の基準について」を『四論集』に収めました。ヒュームが重視したのは、人によって好みが異なる中で、経験豊かな批評家の判断をどう信頼できるかという問題です。バークは、崇高と美を感じる心の働きそのものを分類し、経験の違いを生む原因を探りました。
例えば同じ風景画を高く評価できるかを話し合うことと、その画面がなぜ恐れや愛情を生むかを説明することは、互いに関係しながらも問いの焦点が違います。前者では判断する能力を、後者では感情を生み出す仕組みを調べます。二人の研究は18世紀美学の異なる課題を示しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
1757年『哲学的探究』は何を調べる本だったか
崇高と美の「起源」を問う書物
バークの著作の正式な主題は、私たちが持つ「崇高」と「美」の観念がどこから生まれるかを哲学的に探究することでした。誰が最も美しい作品を選ぶかという順位付けより、何を経験したときに人が感情を動かされるかを分析します。恐怖、快、痛み、愛情、視覚、聴覚、言葉など、多くの題材をつなげて説明しました。
例えば雷の音を聞いて身をすくめる反応と、花を眺めて穏やかな気持ちになる反応を比較すると、身体の緊張、対象へ向かう気持ち、想像することに違いがあります。その差を一つずつ調べれば、崇高と美の区別を単なる言葉の好みより深い問題として考えられます。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
五部構成に沿って議論が進む
1757年初版の『哲学的探究』は五部で構成されます。第1部で快と痛み、社会性と自己保存を整理し、第2部で崇高を生む対象の特徴を検討し、第3部で美の特徴を論じます。第4部では身体と感情の関係を説明し、第5部で言葉が心へ及ぼす作用を調べました。
この順序は、先に人の感情の基本的な仕組みを考え、そこから自然や芸術の経験へ進む道筋を示します。恐ろしいと感じる対象の一覧を作るだけの本ではありません。なぜ似た対象が共通する感情を生み、言葉による表現がさらに感情を動かせるかを、一連の問いとして扱っています。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
1759年の改訂で何が加わったのか
『哲学的探究』の初版は1757年にロンドンで刊行され、1759年の第2版では「趣味について」の序論などが加えられました。現在読める電子テキストには後年の改訂版を底本とするものもあります。出版された当時の文章を確認する際には、1757年の初版と1759年以降の増補を区別することが役立ちます。
趣味についての追加の議論は、人間の感覚や理解力に共通する働きがあることを考え、なぜ鑑賞の評価について語り合えるかという問題へつながります。1757年の中心的な崇高と美の区別は、その後も大きな影響を持ちました。刊行と改訂の時期を分けることで、著作の成立過程を具体的にたどれます。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年第2版|東京経済大学所蔵書誌/ケンブリッジ大学出版局|バーク『哲学的探究』1759年版書誌/ケンブリッジ大学出版局|Hogarth, Burke, and Gerard)
快と痛みはどう違うのか
痛みが消えるときの喜びに注目する
バークは、人間の経験を考えるうえで、快と痛みを簡単な一続きの尺度に置く考えを吟味しました。深い痛みがある状態、その痛みが消えた状態、積極的に楽しいことが起こる状態は、心の中で異なる経験になります。痛みが取り除かれたときの独特な安堵を、彼は崇高の喜びを考えるための重要な要素としました。
例えば激しい雨に遭い、屋根のある場所へ避難できたとします。身体が冷えていた恐怖と、雨から守られた瞬間の安堵は、温かい飲み物をゆっくり味わう喜びと同じ経験でしょうか。バークはこの違いに注目し、痛みや危険からの解放を、積極的な快とは別の感情として考えます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
積極的な快と「ディライト」の違い
バークは、食べ物のおいしさや心地よい対象が与える積極的な快と、痛みや危険が遠のく際に生じる安堵に近い「ディライト」を区別しました。日本語ではどちらも喜びと言えますが、起こる理由が違います。崇高を経験するときに感じられる喜びには、危険の意識から離れることが関わると考えたのです。
例えば嵐の映像を見て胸がどきどきしても、画面の外で自分が安全だと分かっていれば、その強い経験を最後まで見届けられます。危険が現実に迫っている場合は身を守ることが先になります。バークの区別を通じて、なぜ恐ろしい題材を見て楽しめることがあるのかを説明できます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
人の感情を一つの尺度で測る難しさ
同じ刺激の強さを持つ出来事でも、それが何を意味するかによって人の反応は変わります。大きな音に驚いた直後、それが祝いの花火だと気づく場合と、事故の音だと分かる場合では、続いて生じる感情が違います。音の大きさだけから、快や痛みの感じ方が決まることはありません。
バークが快と痛みの違いを細かく考えたのは、崇高の感動を単純な楽しさへまとめると、その中にある恐れと安堵の働きが消えてしまうからです。感情を生む条件を分けて見ることで、なぜ同じ対象へ複雑な反応を持つかという哲学の問いを考えられます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
危険から距離を取ると何が起こるのか
本当に危ないときの恐怖
激しい雷雨の中で避難する必要があるとき、私たちはまず身を守る方法を探します。足場の不安定な崖を歩いているときも、景色を味わう余裕より安全の確保が優先されるでしょう。バークは、痛みや危険が実際に近くまで迫る状態では、恐怖そのものが人を支配すると考えました。
この点は、崇高を単に恐怖の強さで説明することが難しい理由になります。怖ければ怖いほど鑑賞が楽しくなるという関係ではありません。危険から十分に離れ、対象が持つ力を経験として受け取れる状況で、恐れが独特な感動へ変化します。バークはその距離の働きへ注目したのです。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
安全な場所から眺める嵐
例えば堅牢な建物の窓越しに夜の雷雨を眺める場面を考えましょう。暗い雲の奥で稲妻が光り、少し遅れて大きな音が響きます。窓の内側にいて身を守られていると分かるからこそ、その力の大きさを見つめ続けられる場合があります。恐れと安堵が同時に経験へ含まれます。
この場面で人を惹きつけるのは、雨や雷が役に立つからという理由だけではありません。自然の力が自分を圧倒しうると感じながら、実際には目の前でその力を観察できることが、特別な心の動きを生むのです。バークの崇高は、危険を認識する能力と、それを安全に経験できる条件の関係から考えられます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
恐怖映画や乗り物で考える
現代の例として、恐怖映画や遊園地の急降下する乗り物を考えることができます。見る人や乗る人は、怖い場面が訪れると分かっていても体験へ向かいます。物語であることや安全装置の存在が、その体験を選び取る条件となります。驚き、身体の緊張、安堵を含む経験という点で、バークの崇高論と比べられます。
実際の事故や災害では安全が失われ、喜びを感じる条件そのものが変わります。自然災害を経験した人には、映像を見るだけでも切実な恐怖がよみがえる場合があります。崇高をめぐる議論では、危険に対する個々人の状況や距離を考えることが欠かせません。バークの理論を日常の経験へ応用する際も、この違いを忘れずに考える必要があります。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
自己保存と社会性が生む二種類の感情
人は危険から自分を守ろうとする
バークは人間の情念を、生命を守ろうとする自己保存と、他人と結びつこうとする社会性に関わるものとして整理しました。自己保存に関わる感情は、痛みや危険を避けようとする働きに強く結びつきます。恐ろしい対象は、今すぐに危険が迫っているかどうかを確かめるように、注意を集中させるのです。
例えば暗い道で大きな物音がすれば、その音の出どころを確かめるまで周囲へ敏感になります。気づく力が鋭くなるのは、身を守るための反応です。バークはその強い情念が、一定の距離や条件のもとでは壮大な感動のもとになると考えました。自然の景色への反応を、人間の生活を支える基本的な働きから説明しようとしたのです。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
社会性は他人への愛情と親しみにつながる
人間は誰かと親しくなり、他人の喜びや悲しみへ反応することもあります。バークは社会性に関わる情念として、愛情、共感、模倣などを考えました。美への好感は、近づきたい、親しみたいと感じる心の動きへ結びつきます。自己保存の恐怖に比べると、心を穏やかに開く働きとして捉えられました。
例えば幼い動物が柔らかな毛並みで身を寄せる姿を見ると、保護したい気持ちが生じることがあります。目の前の対象の力へ圧倒される経験とは異なる方向へ心が動いています。この二種類の情念から、バークは美と崇高をそれぞれ説明しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
なぜ一つの対象に両方を感じられるのか
バークは美と崇高の根本に異なる情念があると考えました。現実の鑑賞では、大きな木を見てその力強い幹へ圧倒され、同時に柔らかな葉の姿を美しいと感じる場合があります。一つの対象に複数の特徴があり、見る人の注意も移り変わるからです。
この経験は、区別の意義を失わせるものではありません。幹の大きさに圧倒された理由と、葉の形を心地よく感じた理由を分けて考えられます。バークの理論を使うと、一つの作品や風景を単一の形容詞で済ませず、感情を生む性質を具体的に見つめられます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/スタンフォード哲学百科事典|美)
崇高の中心にある驚愕という感情
心が対象に奪われる瞬間
バークは崇高によって生じる強い情念を「驚愕」と呼びました。巨大なものや恐ろしいものに直面し、心がその対象でいっぱいになり、しばらくほかのことを考えられなくなる状態です。驚きの中には恐れや畏れが含まれ、穏やかな喜びとは違う力で人を捉えます。
例えば山道を抜けた瞬間、眼前に巨大な断崖と深い谷が広がるとします。思わず足が止まり、言葉が出てこないほど景色へ意識が集中する場合があります。バークが注目したのは、雄大さを頭の中で分析した後の感想より、その瞬間に心全体が動かされる経験でした。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
驚愕と驚きの違いを考える
小さな贈り物を突然受け取ることも驚きです。そこには喜びや意外さが生まれます。崇高の驚愕では、対象の力や大きさを前にして、自分の意思で心の動きを進められないような強さが現れます。単に予想外のことが起きる場合と、圧倒されて心が止まるように感じる場合の差です。
例えば物語の意外な結末と、果てしない宇宙を想像して言葉を失う経験とを比べると、驚きの方向が違います。後者では自分の尺度を超えるものに向き合っている感覚があります。バークはこのような強い経験の原因を、恐れを生む対象の性質から説明しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
畏れと敬意はどのようにつながるか
大きな力を持つものに対して、人は恐怖だけでなく、畏れや敬意に近い感情を抱くことがあります。バークの崇高論では、強大な力が人に与える印象と、そこで心が圧倒される仕組みに注目します。宗教的な対象が崇高と結びつけられる場合にも、人間の力を越える存在をどう感じるかが問われます。
例えば嵐の中で鳴り続ける鐘を聞くとき、音の力と周囲の暗さが合わさり、日常とは違う感覚が生じることがあります。そうした場面は信仰や文化によっても意味が変わります。バークは人間の共通する情念を探りながら、当時の宗教的な想像力と結びつく例も使って崇高を論じました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
暗闇と曖昧さが恐れを強める理由
見えないものは想像の中で大きくなる
バークは恐怖を生む条件として暗さや不明瞭さを重視しました。物の姿がはっきり見えないと、何がそこにあるかを確かめられず、心は危険の可能性へ向かいます。明るい場所で輪郭を捉えたときと、暗い場所で物音だけを聞いたときでは、想像力の働き方が変わります。
例えば誰もいない建物の廊下で、奥の部屋から音が聞こえるとします。物音の原因が分からない間は、実際の危険以上に身構えるかもしれません。照明をつけて風で動く扉だと分かれば、反応は変化します。バークは、見えなさが恐れを増し、崇高に特有の強さを生むことがあると考えました。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
明確な説明と強い感動は一致するのか
1757年初版の第2部でバークは、対象を明確に理解させることと、想像力へ強く働きかけることを区別しました。建物の形や周囲の景色を正確に示した絵は、多くの情報を伝えます。言葉による描写は輪郭を曖昧に残すことがありますが、その曖昧さによって強い感情が生まれる場合もあります。
例えば「扉の向こうに、正体の分からない巨大なものがいる」と書かれた物語では、姿を詳しく説明する前の時間に緊張が高まります。読者は自分の経験や想像を使って、その存在を思い描きます。バークはこのような想像力の働きを、崇高の経験を理解する手がかりとして考えました。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
曖昧さが効果を持つ範囲
何も見えず、何も分からない状態は、日常の活動では不安を増すことがあります。芸術では、対象の正体を少しずつ明かす表現によって、読む人や見る人の注意を引きつけられます。バークが称えたのは、必要な情報を一律に隠す技法というより、未知の部分が感情を動かす働きです。
例えば暗い絵画の中で、一点だけ光る窓があれば、その窓の向こうへ視線が集中するでしょう。暗さは画面の中にある関係を変え、見る人に続きを想像させます。崇高を絵画へ応用する場合には、何を隠し、何を見せるかという構成を考えることができます。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高)
巨大さ、果てしなさ、奥行きがもたらすもの
人間の身体よりはるかに大きな対象
バークは崇高を生む性質として、大きさや広がりを挙げました。高い崖、巨大な建物、広い海などは、人間の身体が普段使う尺度から大きく外れます。目で全体を捉えようとしても、一度では把握しきれないような広がりが、心へ強い印象を与えます。
例えば古い石造建築の正面に立ち、入口を見上げるとします。人間が通るための扉が、自分の身長の何倍もある場合、その建物は身体との比較で大きく感じられます。大きさは単なる数字ではなく、見る人自身の位置や身体を通して経験されます。バークはこうした圧倒的な広がりを崇高の原因として考えました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
終わりを見通せないものの力
水平線まで続く海を眺めると、視界の向こうにも海が広がっていると想像できます。バークは、無限や果てしなさが人間へ強い印象を与えることを論じました。実際に無限の対象を見ているかどうかより、心が終わりのない広がりを思い描く働きへ目を向けています。
例えば長い列柱が奥まで続く廊下では、柱が繰り返されることで、視線が遠くへ導かれます。実際の廊下には終わりがあっても、繰り返す形はさらに続くような印象を与えます。バークの議論は、巨大な自然だけでなく、建築における反復や奥行きにもつながります。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
高い場所と深い場所では何が違うか
高い塔や山を見上げることと、深い谷を見下ろすことは、身体へ異なる緊張を生む場合があります。バークは、大きさだけでなく高さや深さが印象を変えることを考えました。崖の縁から下を見たときには、空間の広がりと落下の危険が結びついて感じられるでしょう。
高い山を遠くから見る人には、頂へ届かない距離が大きさとして現れます。深い谷では、足元の向こうに続く空間を想像することができます。どちらも一つの数値で測ることができますが、見る人の身体と危険への意識が、その数値を特別な経験に変えます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
力、孤独、沈黙が生む壮大な印象
圧倒的な力を持つもの
バークは、崇高の原因として強大な力を重視しました。大きな滝の水量、暴風の勢い、巨大な動物の動きなどは、人間が簡単には制御できない力を感じさせます。力そのものが危険と結びついて思い浮かべられるとき、見る人の自己保存に関わる情念が働きます。
例えば遠くから巨大な滝を見ると、水が絶えず落ち続ける勢いへ圧倒される場合があります。水音や飛沫がその力を具体的に示します。安全な観覧場所に立っていれば、危険を意識しながらその力を見つめられます。ここでも対象の性質と見る人の状況が一緒に経験を作っています。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
空虚、暗闇、孤独、沈黙
バークは、空虚、暗闇、孤独、沈黙など、何かが欠けている状態も崇高に関わると考えました。普段はそこにあるはずの光や人の気配や音が失われると、周囲がどうなっているか確かめにくくなります。見慣れた世界が急に未知のものへ変わることがあります。
例えば人の多い街から離れ、誰もいない広い場所に立ったとします。遠くで風が吹く音しか聞こえないと、空間の大きさを強く感じる場合があります。沈黙は何も起こっていないだけの状態から、未知の広がりを意識させる働きへ変わります。バークはこうした欠如の感覚を、崇高の性質として分析しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
権力を感じるときの恐れと敬意
巨大な自然の力と同じように、人は自分をはるかに超える権力に対しても恐れや敬意を抱くことがあります。バークは、力が弱い人へ及ぼしうる危険を崇高と関係づけて論じました。ここでは、美学の対象が自然物だけでなく、人間社会で力を経験することへも広がります。
例えば壮大な建物の入り口が非常に高く、重い扉の前に立つ人を小さく感じさせる場合があります。その印象は建物の寸法によって生じるとともに、何のために建てられ、誰が使うかという社会的な意味も帯びます。バークの理論を読むと、感情を動かす表現と権力の関係を問い直す材料が見えてきます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学)
音、光、反復はどのように心を動かすか
大きな音や突然の音への反応
バークは崇高を視覚の経験に限って考えませんでした。大きな音、突然の音、低い響きなども、人の心を動かすものとして論じています。雷鳴や砲声のように強い音は、目で原因を確かめる前から身体を緊張させることがあります。耳から届く刺激にも、危険と関わる情念を動かす力があるのです。
例えば静かな室内で突然大きな音が鳴ると、反射的に肩がすくみます。音が安全な演出だと分かれば、続いて驚きや興奮を体験として受け取れます。音の強さ、現れるタイミング、周囲の静けさが、心の反応を変えることを理解できます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
強い光と闇の対比
光も感情のあり方を変えます。穏やかな明るさの中では物の輪郭がよく分かり、突然の閃光では何が起こったのか判断する前に注意が奪われます。バークは暗さが持つ力とともに、強い光が目に与える印象も考察しました。視覚の条件そのものが、経験の強さへ影響するのです。
例えば暗い劇場で舞台の奥から鋭い光が現れると、観客は一瞬その場所へ視線を向けます。舞台装置の物理的な変化は単純でも、闇との対比によって効果が大きくなります。こうした現代の例からも、崇高の理論が感覚の働きと表現の工夫を結びつけていることが分かります。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学)
繰り返しと一様さが生む果てしなさ
並んだ柱や繰り返す音は、一定の規則に従って続くことで、見る人や聞く人へ奥行きや広がりを感じさせます。バークは反復と一様さにも崇高を生む可能性を見ました。繰り返される部分をたどるうち、心がその先までつながる全体を想像するからです。
例えば同じ間隔で並ぶ街灯を夜に見たとき、視線は遠い暗がりへ延びていきます。光の列がどこまで続くかを確かめにくいと、実際より長く感じるかもしれません。感覚の条件と想像力の働きを組み合わせて、空間の広がりが経験されるのです。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
美はなぜ小ささと柔らかさに結びつくのか
小さく穏やかな対象への親しみ
バークは美の特徴として、比較的小さな大きさや穏やかな印象を挙げました。人は巨大なものへ畏れを感じる場合があります。小さな花や軽やかな装飾を見たときには、もっと近くで見たい、触れてみたいという親しみが生まれることがあります。バークは後者の心の動きを、愛情と結びつく美の経験として考えます。
例えば掌に載る貝殻を見ると、色の移り変わりや細かな模様をゆっくり追えます。その大きさは、手元で近しく扱えるという感覚を与えます。崇高の広がりを眺める場合と違い、対象へ近づこうとする動きが生じます。この差が、バークの美と崇高の対比を分かりやすく示します。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
滑らかさと緩やかな曲線
バークは、滑らかな表面、輪郭のゆるやかな変化、柔らかな曲線を美の性質として論じました。急な角や切り立った輪郭が強い印象を生む場合と比べ、滑らかな形は見る人へ穏やかな心地よさを与えることがあります。形の特徴と情念の関係を、具体的な例を通して整理しました。
例えば丸みのある陶器を手にしたとき、表面を指先でなぞる動きは滑らかにつながります。細かく角張った石の表面とは違う触覚の経験です。バークはこうした穏やかな形の連なりを美へ結びつけました。絵画だけでなく、身体が物に触れる経験も、美の分析に関わります。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/ケンブリッジ大学出版局|Hogarth, Burke, and Gerard)
繊細さと淡い色の働き
バークは美しい対象の特徴に、繊細さや柔らかさ、鮮やかすぎない色合いなども挙げます。美を経験するとき、色や形の刺激が強さで人を圧倒するより、穏やかに惹きつけることを重視しました。こうした特徴は、崇高の暗さや巨大さと対照を成します。
例えば薄い花びらに光が透ける様子を眺めると、壊れやすそうな質感や色の移り変わりへ注意が向かいます。そこから親しみや愛情が生じる場合があります。現実の花には多様な色や形がありますが、バークの説明は、どんな感覚的な性質が穏やかな好感を生むかを考える方法を示しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
比例や実用性は美の理由になるのか
整った比率だけで美しさを説明できるか
古くから建物や彫刻の美しさは、部分の比率や全体の均衡に結びつけて説明されてきました。バークは『哲学的探究』第3部で、この説明を厳しく検討します。人が美しいと感じるものには非常に異なる比率のものがあり、一定の数の関係を見つけるだけでは、好感の原因を説明できないと考えたのです。美しさを目で測る作業と、美しいと感じる感情は同じ働きではありません。
例えば花びらが五枚の花にも、多くの細い花びらを持つ花にも、人はそれぞれ美しさを感じます。建物にも左右が整った姿だけでなく、曲線が続く形があります。一定の比率を共有しない対象に美しさが生じるなら、比率だけを唯一の原因とする説明には無理が出ます。バークは実際に感じられる好感へ目を向け、その原因を改めて探しました。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
役に立つものはすべて美しいのか
物の形は用途によって決まる場合があります。椅子は座るために、橋は人や荷物を運ぶために作られます。バークは機能への適合、すなわち目的によく合っていることと、対象そのものへ感じる美しさを区別しました。人は巧みに設計された道具を評価できますが、その評価が必ず滑らかな形や穏やかな色から生まれる愛情と同じになるとは限りません。
頑丈な工具の形に感心するときには、どこに力がかかるかを理解している場合があります。小さなガラス器へ惹かれるときには、用途を知らなくても光の透け方や曲線に喜びを感じられるでしょう。役に立つという判断と、見ただけで惹かれる感情が重なることはあります。バークが問うたのは、その重なりを理由に二つを同一視してよいかという問題でした。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|美)
ホガースの曲線論との接点と差
1753年に『美の分析』を刊行したウィリアム・ホガースは、変化に富んだ曲線や視線を導く形を美と結びつけました。バークも美しい対象の滑らかさや輪郭の穏やかな変化を重視したため、両者の関心には接点があります。その背景には、古典的な規則を繰り返すだけでは説明しきれない鑑賞経験を分析しようとする18世紀の探究がありました。
ホガースの議論は形が視線へ与える動きに注目し、バークの議論は形が愛情や身体的な心地よさを引き出す原因へ焦点を当てます。同じ曲線を見ても、何を説明したいかによって理論の組み立ては変わります。こうした違いを知ると、18世紀の美学が共通の答えを持つ一つの学説ではなく、競い合う多くの説明から育ったことが見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|ホガース『美の分析』1753年初版/ケンブリッジ大学出版局|Hogarth, Burke, and Gerard/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
感情は身体の中でどう生じるのか
恐れに伴う緊張を手がかりにする
『哲学的探究』第4部でバークは、感情を心の中だけの出来事として扱いません。恐れを感じると身体が固くなり、筋肉や神経が緊張するという経験を、美と崇高の原因を考える手がかりにしました。強い危険を感じたときの身体の状態が、危険を表す景色や言葉への反応にもつながると考えたのです。
暗い廊下で突然音がしたとき、音の正体を確かめる前に手が止まったり、呼吸が浅くなったりすることがあります。その後に安全だと分かれば、緊張はしだいにほどけます。このように感情と身体が一緒に変わる経験は、バークの説明を理解する例になります。彼の論点は、鑑賞者が頭で対象を評価する前にも、身体が働いているということでした。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
緊張がほどける快と、美の穏やかさ
バークは強い緊張を伴う崇高と、身体が穏やかに緩むような美の経験とを区別しました。崇高が自分を守ろうとする感情と関係するのに対して、美は親しみや愛情を生む社会的な情念と関わります。心が動く方向だけでなく、身体へ感じられる強さや柔らかさまでを説明しようとしました。
例えば緊張感のある舞台を見終えた後のほっとした気持ちと、静かな旋律を聴きながら感じる穏やかな喜びは、どちらも快い経験になりえます。それでも快の種類は同じではありません。強い恐れに続いて生まれる安堵と、初めから親しみを感じている状態を分けると、バークの美と崇高の区別が感覚に即して理解できます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/スタンフォード哲学百科事典|美)
18世紀の生理学として読む必要
バークは筋肉の収縮や神経の働きを使って芸術経験を説明しました。その記述は、感覚や感情を身体のしくみに結びつけようとする18世紀の自然哲学に属します。現代の脳科学がその説明の細部をすべて立証したという意味ではありません。観察できる反応から原因を推測する当時の試みとして読むことが大切です。
現代でも、作品を見る人の視線、呼吸、緊張を調べることで鑑賞の過程を考えられます。バークの発想は、作品の意味を解釈する仕事と、感情が身体に現れる過程を理解する仕事を結びつけます。歴史的な仮説の限界を踏まえることで、人間の感じ方を自然の働きと文化の経験の両方から考える問いが、よりはっきり見えてきます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
詩は姿をはっきり見せなくても心を動かせるか
言葉がすべてを描かないことの力
バークは1757年初版の第2部で、暗く曖昧な表現が崇高に役立つ場合を論じました。対象の姿が完全に分かると、何を恐れるべきかを確かめやすくなります。姿が定まらないと、聞き手は言葉の向こうにある巨大な存在や危険を想像します。輪郭の明瞭さだけでは、強い感動の理由を説明しきれないという指摘です。
例えば「山の向こうから何か大きなものの音が近づく」とだけ語られた場合、聞き手は姿を知らないまま次の展開を待ちます。「高さ十メートルの機械がゆっくり進む」と形を決めれば、場面は理解しやすくなります。語りが与える情報の量によって、心の中に広がる恐れや予感が変わることを、バークは崇高の重要な仕組みと考えました。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
ミルトンの『失楽園』が示す暗い壮大さ
バークはジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』(1667年)を、崇高な詩の力を考える際に取り上げました。作品ではサタンや地獄、巨大な存在が描かれます。言葉がすべての輪郭を明晰な図として示さないため、読者は見えない広がりや恐るべき存在を想像することになります。崇高さは対象を正確に写すことだけから生まれるのではありません。
例えば暗い場所に立つ巨大な人物を詩が描くとき、その背丈や表情が細かく説明されなくても、周囲の物や光との関係から圧倒的な印象を受けることがあります。バークはこうした詩の表現力を、視覚的な明確さとの違いから論じました。言葉は、目で見える図像を作る手段であると同時に、強い感情を直接呼び起こす手段でもあるのです。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
「自由」や「徳」という言葉も感情を動かす
『哲学的探究』第5部では、言葉の働きがさらに検討されます。人は「自由」「徳」といった抽象的な言葉を聞いたとき、目の前に一つの鮮明な絵を思い浮かべなくても感情を動かされます。バークは、言葉の効果を単に心の中へ画像を再現する仕組みに還元する説明へ疑問を向けました。
演説を聞いて人々が希望や恐れを感じるとき、聞き手全員が同じ場面を思い浮かべる必要はありません。言葉の響き、習慣的な連想、ほかの感情とのつながりが働いています。詩や雄弁が絵画と異なる方法で人を強く動かすことを、バークはこの分析から説明しました。古代の崇高論が扱った言葉の力へ、感情の研究という道筋から立ち返ったともいえます。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/オックスフォード古典事典|『崇高について』と通称ロンギノス/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
絵画は崇高をどのように伝えるか
姿を見せる絵画が持つ難しさ
詩は言葉によって巨大なものを想像させられます。絵画は目に見える色と形を画面へ示すため、対象の輪郭を具体化する仕事を担います。バークは、描写が明瞭になりすぎると、詩が与える曖昧な恐れが失われる場合を指摘しました。この比較は、絵画に崇高を表す力がないという結論ではありません。各芸術が感情を動かす方法の違いを考える問題です。
例えば遠くの山を細部まで正確に描けば、地形や距離を理解しやすくなります。山の上部が雲に隠れた画面では、その向こうに続く高さを鑑賞者が想像する余地が生まれます。視覚的な情報を選び取って示すことで、絵画もまた未知の広がりを作れます。バークの議論は、画家が何を見せ、何を見せずに残すかを考える視点を与えます。(参照:バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高)
小さな人物と巨大な自然の関係
絵の中に大きな山や嵐の海を描くだけでは、実際の大きさが伝わらない場合があります。そこで画家は、見慣れた人間や舟や建物を小さく置き、周囲の自然との比率を示すことがあります。鑑賞者はその比較から、自分の身体がそこにあったらどう感じるかを想像します。力や大きさが人間の経験と結びつくところに、崇高な画面の働きが見られます。
例えば波に揺れる小舟と、その背後の黒い雲が描かれた場面では、船の小ささが海と空の広がりを際立たせます。観客は実際に濡れたり危険にさらされたりせず、画面を前にして力の差を感じられます。現実の危険から距離を取ったうえで強い感情が生じるというバークの考え方を、絵画の構図からも読み取れます。(参照:アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
色と輪郭が隠すもの
暗い空、霧、飛沫、逆光は、絵画の中で物の境界をあいまいにします。画家が何も描いていないのではなく、細かな情報を見分けにくくする効果を意識的に使っています。突然の光や画面を横切る激しい動きも、落ち着いて対象を観察する感覚を揺さぶります。崇高を視覚的な表現へ変えるための方法です。
近づいて筆の跡を調べると画面が絵具からできていることに気づきます。少し離れると、波や雲の大きな動きが現れます。鑑賞する距離によって見え方が変わることも、絵画ならではの経験です。バークが考えた感情と感覚の関係を知ると、画面の暗さや省略が、単なる描写の不足ではなく積極的な表現になる理由を考えられます。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg)
19世紀の風景画へ広がった崇高
ジョージ・バレットの嵐の風景
アイルランド出身の画家ジョージ・バレット(1728年頃–1784年)は、18世紀の風景画に嵐や険しい自然の印象を取り入れました。アイルランド国立美術館が紹介する1760年頃の《嵐の風景》では、穏やかな庭園とは異なる自然の力が鑑賞の対象になります。バークと近い時代の画家の仕事から、恐れを伴う景色への関心が美術にも広がっていたことが分かります。
当時の人々が壮大な自然を好むようになった理由を、一冊の哲学書だけに求めることはできません。旅行記、詩、舞台芸術、風景画の制作が互いに影響しながら、感動を語る言葉が育ちました。バークの『哲学的探究』は、その文化の中で経験を分類し、なぜ心が動くかを説明する強い枠組みを与えたのです。(参照:アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学)
ターナーが描いた海と嵐
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775–1851)は、海、嵐、山岳の力を絵画の中心的な題材としました。1842年の《吹雪――港の沖の蒸気船》では、風と波と光が渦を巻くように重なり、船の輪郭を見つけることさえ容易ではありません。見る人は船と周囲の力の大きさを比べ、何が起こっているかを想像しながら画面と向き合います。
バークが重視した暗さ、力、曖昧さを、ターナーの画面を読むための言葉として用いることができます。彼の絵画がバークの理論をそのまま図解しているという意味ではありません。ロマン主義の時代には、光や色を独自に研究する画家の実験も進みました。理論と絵画の関係は、共有された問いと異なる表現の選択を照らし合わせることで豊かになります。(参照:アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/ケンブリッジ大学出版局|バークの崇高論とターナーの風景画/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高)
灯台、山、海を描く画家たち
アイルランド国立美術館はアンドリュー・ニコル(1804–1886)の《嵐の中のベイリー灯台、ダブリン県ホウス》(1835年)なども、崇高を考える風景画として紹介しています。暗い海や激しい天候の中で、灯台は人間が作った小さな光として現れます。自然に対する人の弱さと、危険に向き合う営みを一つの画面で見ることができます。
ドイツのカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774–1840)の風景画も、山や霧、孤独な人間の姿を通して壮大な経験を考える例になります。地域や作家によって宗教的な意味、自然観、絵画の目的は異なります。それでも、自然を前にする身体の小ささ、向こうが見えない空間、言葉にしがたい感情という問いは、多くの作品の間を行き来しています。(参照:アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高/MIT Press|崇高概念の歴史と近代美術)
崇高論に残る社会的な偏り
美を女性らしさと結びつける説明
バークは美しいものを繊細さや小ささと結びつけ、その例の一つに女性の身体を挙げました。また、強さや力を備える崇高と、愛情を誘う美を対比しています。この分類は当時の性別役割の見方と切り離せません。人がどんな姿を美しいと感じるかを説明しているように見えて、社会が女性と男性に期待していた特徴を理論へ取り込んでいる部分があります。
例えば強い自然へ向き合う主体を暗黙に男性とし、穏やかに眺められる存在を女性とみなすなら、女性自身が大きな力を感じ、恐れや驚きを表現する可能性が見えにくくなります。崇高という感情の分析には重要な発見があると同時に、誰が鑑賞者として想定され、誰が眺められる対象になっているかを問う必要があります。(参照:バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
鑑賞者の経験は誰にとって共通なのか
バークは人間に広く共有される感情の働きを探そうとしました。その説明に使われる経験は、18世紀の欧州社会で権利と教育へ近づきやすかった人々の立場から選ばれた面があります。宗教、身分、性別、植民地支配の差の中で、何を恐れ、何へ安心を感じるかは同じではありません。例えば同じ強大な建造物も、支配する側と支配される側では異なる意味を帯びます。
崇高を自然の巨大さや危険への感情と結びつけるときには、自然だけが経験を決めているのかを問い直せます。誰が安全な場所から眺めることができるのか、誰にとって危険は現在進行中の現実なのか。距離を取れることが崇高の喜びに重要だとすれば、その距離を可能にする社会的な条件も鑑賞の一部となります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
後の女性思想家たちによる問い直し
1792年に『女性の権利の擁護』を刊行したメアリ・ウルストンクラフトは、女性を優美さや従順さに閉じ込める教育と社会的な期待を批判しました。バークの美と崇高の説明を今日読む際にも、女性の理性や勇気を小さな美の枠へ限定しない観点が必要です。後のフェミニズム美学は、崇高の議論で誰の身体や声が中心に置かれてきたかを検討しています。
風景の前で強い感動を覚える経験は、性別によって一つの型へ決められるものではありません。ある人には恐れを生む景色が、別の人には故郷や日常の仕事を思い出させる場合もあります。バークの理論は感情の違いを注意深く分析する助けになります。その方法を受け継ぎながら、どの人の経験も最初から外さずに考えることが、現在の美学には求められます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学/カリフォルニア大学出版局|The Feminine Sublime研究紹介/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
カントとピクチャレスク、今日の鑑賞へ
カントは崇高を理性との関係から考えた
イマヌエル・カント(1724–1804)は1764年に『美と崇高の感情に関する観察』を刊行し、1790年の『判断力批判』では崇高をさらに異なる哲学的枠組みで論じました。バークが恐れや身体への作用を主な手がかりとしたのに対し、1790年のカントは、想像力が把握しきれない大きさや力を前にして、理性が自らの働きを意識することを重視しました。
カントは果てしない大きさに関わる「数学的崇高」と、自然の強大な力に関わる「力学的崇高」を区別します。巨大な山を見たときの想像力の限界、嵐の力を安全な場所から眺めたときの自由と理性の感覚を考えました。安全な距離を必要とする点にはバークとの接点がありますが、感情が生まれる最終的な説明は異なります。二人を比べると、崇高が心理の研究から判断の哲学へも広がったことが分かります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク)
粗く不規則な「ピクチャレスク」の登場
18世紀末のイギリスでは、美と崇高のほかに、絵になりそうな景色を表す「ピクチャレスク」という語が盛んに論じられました。ウィリアム・ギルピン(1724–1804)は旅の景色を画面の構図として見る方法を広め、ユヴデイル・プライス(1747–1829)は1794年の『ピクチャレスク論』で粗さや不規則さの価値を考えました。なめらかな美、圧倒的な崇高、変化に富んだ景観の面白さを区別する試みです。
例えば古い石橋と曲がった木々のある道は、恐ろしい巨大さも完璧な滑らかさも持たないかもしれません。それでも、画面の中で見たいような趣を感じさせます。絵画と旅の経験が結びつき、何を景色として好むかを説明する言葉が増えました。バークの二つの分類は、その後の理論を刺激しながら、さまざまな経験に応じて検討されていったのです。(参照:ケンブリッジ大学出版局|ユヴデイル・プライス「ピクチャレスク論」/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高)
怖い景色を「美しい」と呼ぶとき
私たちは嵐の映像、山上からの眺め、巨大な建築、宇宙の写真などを見て「美しい」と口にすることがあります。その言葉には、優しい形への親しみと、圧倒されるような強い感動が混ざっています。バークの崇高論を知ると、同じ「美しい」という一語の内側に異なる経験があることへ気づけます。なぜ目を離せないのかを、恐れ、距離、想像力、身体の反応に分けて考えられるからです。
危険な景色を楽しめるのは、恐ろしさが完全に消えたからとは限りません。自分の身の危険から十分に離れた場所で、自然や表現の力を感じるとき、恐れに近い緊張が特別な喜びへ変わることがあります。バークが「崇高」と名づけたのは、そのような経験を穏やかな美から見分けるためでした。感動の種類を言葉にすることは、作品と風景をより細やかに鑑賞する第一歩になります。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
略年表|バークの生涯と崇高論の広がり
- 紀元1世紀頃|通称ロンギノスの『崇高について』が著され、雄弁と詩の圧倒的な表現力を論じる
- 1667年|ジョン・ミルトンが叙事詩『失楽園』を刊行する
- 1674年|ニコラ・ボワローが『崇高について』のフランス語訳を刊行し、欧州での受容が広がる
- 1688〜1689年|イングランドで名誉革命が起こり、王権と議会の関係が改められる
- 1690年|ジョン・ロック『人間知性論』が刊行され、経験と観念の成り立ちが議論される
- 1690年代以降|アイルランドでカトリック教徒の権利を制限する諸法が整えられる
- 1712年6月|ジョゼフ・アディソンが『スペクテイター』第412号で想像力の快を論じる
- 1724年|イマヌエル・カントがケーニヒスベルクに生まれる
- 1725年|フランシス・ハチソンが美と徳についての探究を刊行する
- 1729/30年|エドマンド・バークがアイルランドのダブリンに生まれる
- 1744年|バークがダブリンのトリニティ・カレッジへ入学する
- 1748年|バークがトリニティ・カレッジを卒業する
- 1750年|バークがロンドンへ移り、法律研究と著述を始める
- 1753年|ウィリアム・ホガースが『美の分析』を刊行する
- 1756年|バークが風刺著作『自然社会の擁護』を刊行する
- 1756年|七年戦争が始まり、欧州と海外の政治的・軍事的な対立が拡大する
- 1757年|バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』初版が刊行される
- 1757年|デイヴィッド・ヒュームが「趣味の標準について」を公刊する
- 1758年|バークが『アニュアル・レジスター』の編集に携わる
- 1759年|バーク『哲学的探究』第2版が増補・改訂されて刊行される
- 1759年|アレグザンダー・ジェラードが『趣味論』を刊行する
- 1760年頃|ジョージ・バレットが嵐の風景を描き、壮大な自然の表現を発展させる
- 1764年|カント『美と崇高の感情に関する観察』が刊行される
- 1765年|バークがイギリス下院議員となる
- 1775年|後に嵐や海を描く画家となるJ・M・W・ターナーが生まれる
- 1781年|カント『純粋理性批判』が刊行される
- 1789年|フランス革命が始まる
- 1790年|バーク『フランス革命の省察』が刊行される
- 1790年|カント『判断力批判』が刊行され、数学的崇高と力学的崇高が論じられる
- 1792年|メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』が刊行される
- 1794年|ユヴデイル・プライスが『ピクチャレスク論』を刊行する
- 1797年|バークが亡くなる
- 1801年|グレートブリテンとアイルランドが合同し、連合王国が成立する
- 1810年代|ターナーが山岳や海の崇高を追究する風景画を発表する
- 1835年|アンドリュー・ニコルがアイルランドの海と灯台を題材とした風景を描く
- 1842年|ターナー《吹雪――港の沖の蒸気船》がロイヤル・アカデミーに出品される
年譜は1757年初版と1759年第2版の刊行記録、バークの伝記、18世紀美学の研究、および風景画の美術館資料を参照しました。出生年には当時の暦の違いによる表記の揺れがあるため、1729/30年と記載しています。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年第2版|東京経済大学所蔵書誌/アイルランド人名事典|エドマンド・バーク/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画)
まとめ|恐れを伴う感動をどう理解するか
1757年、ダブリン出身のエドマンド・バークは、人間が何を美しいと感じるのかという問いを、恐れと愛情の違いから考えました。荒海や巨大な崖を前にして感じる圧倒的な感動を「崇高」と呼び、穏やかな曲線や繊細なものへ向かう親しみを「美」と呼んだのです。崇高には自己保存に関わる危険と痛みの観念が働き、危険から離れているときに独特の喜びが生まれます。暗闇、曖昧さ、巨大さ、力、沈黙、大きな音などは、その感情を起こしうる性質として分析されました。バークはまた、恐れと美しさを頭の中の判断だけでなく、身体の緊張と緩みへ結びつけて説明しようとしました。
この理論は古代以来の雄弁論を受け継ぎ、詩が姿を明瞭に描かなくても人を動かす理由を説明しました。風景画では嵐や広大な自然と小さな人間の対比を読む言葉となり、カントの崇高論やピクチャレスクの議論へつながる18世紀美学の主要な出発点の一つとなりました。そこには美を女性らしさや弱さに結びつける時代の偏りもあり、現在は鑑賞者の多様な立場から読み直す必要があります。怖い景色を「美しい」と感じるとき、私たちは穏やかな美と異なる、危険の予感と安全な距離、想像力が生む強い感動を経験しているのかもしれません。バークがその経験に与えた「崇高」という名前は、感動を一つの言葉で終わらせず、その内側を考えるために役立ちます。(参照:バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館/バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg/スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学/アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画/スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学)
参考資料・出典
1757年刊の初版本文と書誌を出発点に、1759年増補改訂版の本文、18世紀美学を扱う学術研究、アイルランドの歴史・美術館資料を照合しました。初版と改訂版の記述が一致しない場合には刊行年を分けて扱い、古代の「ロンギノス」については著者が確定していないことを明示しました。現代の風景、映画、建築を用いた鑑賞例は理解のための補足で、バークの原文からの引用とは区別しています。
- バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版|Internet Archive・カリフォルニア大学図書館
- バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的探究』1757年初版本文・書誌|ミシガン大学図書館
- バーク『哲学的探究』1757年初版第2部第4・5節|ヴッパータール大学
- バーク『哲学的探究』1759年以降の改訂本文|Project Gutenberg
- バーク『哲学的探究』1759年第2版|東京経済大学所蔵書誌
- エリザベス・モンタギュー書簡研究|1757年『哲学的探究』初版書誌
- スタンフォード哲学百科事典|エドマンド・バーク
- スタンフォード哲学百科事典|18世紀イギリス美学
- スタンフォード哲学百科事典|美
- スタンフォード哲学百科事典|フェミニズム美学
- スタンフォード哲学百科事典|カントの美学と目的論
- アイルランド人名事典|エドマンド・バーク
- アルスター歴史財団|18世紀アイルランド議会と宗教上の制限法
- 英国歴史研究所|18世紀ロンドンのコーヒーハウス文化
- オックスフォード古典事典|『崇高について』と通称ロンギノス
- アディソン『スペクテイター』1712年第412号原典|Jack Lynch
- メトロポリタン美術館|ホガース『美の分析』1753年初版
- アイルランド国立美術館|バークの崇高論と風景画
- ケンブリッジ大学出版局|Hogarth, Burke, and Gerard
- ケンブリッジ大学出版局|バーク『哲学的探究』1759年版書誌
- ケンブリッジ大学出版局|バークの崇高論とターナーの風景画
- ケンブリッジ大学出版局|ロマン主義絵画における崇高
- ケンブリッジ大学出版局|ユヴデイル・プライス「ピクチャレスク論」
- MIT Press|崇高概念の歴史と近代美術
- カリフォルニア大学出版局|The Feminine Sublime研究紹介