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Philosophy

1967

作品の意味は作者が決めるものなのか

ロラン・バルト「作者の死」

1967年のフランスでは、第五共和政のもとで経済成長と教育の拡大が進み、パリの大学や出版社では文学をどのように研究するかをめぐる議論が続いていました。学校では古典作品の語句や成立事情を学び、大学では作家の伝記や文献資料を用いた研究が積み重ねられていました。そこへ言語学、人類学、精神分析の成果を取り入れ、物語や社会の意味の仕組みを調べる新しい研究者たちが現れます。

批評の方法が変わると、作品を理解するうえで誰が権威を持つのかも変わります。書いた本人の説明が最も確かな答えになるのでしょうか。あるいは、書き手が意識していなかった言葉のつながりや、読者が本文から発見する意味も、作品の重要な一部になるのでしょうか。1960年代半ばのフランスでは、この問いが大学の教室から新聞や文学雑誌へ広がる論争となりました。

フランスの批評家ロラン・バルト(1915–1980)は、広告や写真、大衆文化を含めて、社会が意味をつくる仕組みを考えていました。1967年に発表した「作者の死」では、バルザックの小説の一文を手がかりに、文章に現れる声を作者一人へ結びつける読み方へ疑問を投げかけます。小説を書いた人の存在と、出来上がった文章がどのように意味を持つかを区別し、読者の役割を考え直したのです。

この短い論考は、フランスより先にアメリカの実験的な箱入り雑誌『Aspen』で英語によって刊行されました。文学、絵画、音楽、映像が同じ箱に収められ、読む人が自ら組み合わせを選ぶ媒体です。掲載の事情も含めてたどると、「作者の死」という強い言葉が、作品をつくる人と受け取る人の関係をどのように組み替えようとしたのかが見えてきます。

CONTENTS

  1. 1967年のフランスで文学の読み方が揺れていた理由
  2. 「作者の死」は何を問い直したのか
  3. バルザック『サラジーヌ』の一節が開いた問い
  4. 作家の人生を作品の答えにする読み方はどこから来たのか
  5. ロラン・バルトはどのような研究を積み重ねていたのか
  6. 言葉はなぜ書き手一人のものにならないのか
  7. 『神話作用』から「作者の死」へつながる問題
  8. ラシーヌをめぐる論争で何が争われたのか
  9. 1967年の『Aspen』はどんな雑誌だったのか
  10. 「作者の死」が1967年に英語で公表された経緯
  11. 文章の中で「誰が話している」のか
  12. マラルメはなぜ「言語が語る」と考えられたのか
  13. ヴァレリー、プルースト、シュルレアリスムの試み
  14. 作者は文章に先立って意味を完成させているのか
  15. 「文章は引用の織物である」とはどういうことか
  16. 意味がひとつに決まると何が失われるのか
  17. 「読者の誕生」はどのような意味を持つのか
  18. 身近な文章では誰が意味を決めているのか
  19. どんな解釈でも正しいと言えるのか
  20. 1946年の「意図の誤謬」とはどこが違うのか
  21. 1969年にフーコーは「作者とは何か」と問い直した
  22. 1970年の『S/Z』は読書をどう実践したのか
  23. 1971年の「作品からテクストへ」が広げた視点
  24. 『Aspen』の作品は「作者の死」をどう見せていたのか
  25. 1968年の政治的変動と「作者の死」の受け止め方
  26. 作者の歴史や立場は読解から消えるのか
  27. 「作者の死」はどのような批判を受け、受け継がれたのか
  28. 作品の意味は作者が決めるものなのか
  29. 略年表|「作者の死」の成立と読書論の展開
  30. まとめ|作品の意味は作者が決めるものなのか
  31. 参考資料・出典

1967年のフランスで文学の読み方が揺れていた理由

第五共和政と変わる大学の風景

1967年のフランスは、1958年の憲法によって成立した第五共和政の時代でした。シャルル・ド・ゴール大統領のもとで行政権が強い政治制度が続き、国民議会の議員は選挙で選ばれ、法律と予算を審議していました。戦後生まれの世代が大学に進学し、文学を教える教育の場も拡大していました。

ソルボンヌを中心とする伝統的な文学研究では、作品の成立史、文献、作家の生涯を調べる方法が重んじられてきました。その隣で、言語学、民族学、精神分析を用いて小説や文化を読み直す研究が育っていました。何を証拠に作品の意味を語れるのかという争点は、大学での教育と批評の権威に直結していました。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

活字の批評と新しい研究者の読者

出版社は新しい文芸批評の本を刊行し、新聞や文化雑誌は学問内部の論争を一般読者にも伝えていました。1966年にはロラン・バルトの『批評と真実』が刊行され、文学の研究方法をめぐる衝突は、大学の教室の外でも知られるようになりました。

ある作品の正しい解説を、作家の伝記に詳しい研究者が最終的に決めるのか。あるいは文章そのものの言葉の働きから複数の読みを組み立てられるのか。文学研究の方法をめぐる争いが、知識は誰の権威によって認められるのかという哲学の問題へ広がりました。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/ロラン・バルト|『批評と真実』(1966年刊行書誌))

1967年に現れた短い挑発的な論考

フランスの批評家ロラン・バルト(1915–1980)は、文学や日常の広告、写真、流行を、社会が意味をつくる仕組みから考えた研究者です。彼が1967年に発表した「作者の死」は、作品を理解する際に作者の意図を絶対的な答えとする習慣に疑問を投げかけました。

この論考は、書き手が何を考えて書いたかという問いを消すために書かれたわけではありません。小説の言葉には、作中人物の声、社会に共有された価値観、以前の文学から受け継いだ表現などが重なります。その多様な声を、作者一人の告白として読めるのか。ここに「作者の死」の出発点がありました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

「作者の死」は何を問い直したのか

ひとつの物語を複数人が違って読む

同じ小説を読んでも、ある人は恋愛の物語として受け止め、別の人は階級や家族の支配を描いた作品として理解することがあります。その差は読書の経験や、言葉を何と結びつけて考えるかによって生まれます。文章の中には、一回の読書で取り出しきれない関係が含まれています。

作者に「この作品の本当の意味は何ですか」と尋ねれば、一つの解説が得られるかもしれません。それでも文章の比喩や矛盾、読者が発見した対比が消えるわけではありません。バルトは、書かれた文章が多様な文化と言葉から成立することを、意味の問題の中心に置こうとしました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

作者の意図と読まれた意味の関係

作家は主題を選び、文章を推敲し、出版のために作品を完成させます。その行為には目的や意図があります。読者が読むときには、完成した文章を相手に、語り手の信頼性、言葉の選択、出来事の前後関係などを確かめます。書いたときの意図と、読まれた文章の働きは、同じ作品に関わる別の問いです。

バルトが批判したのは、書き手の内面を知れば作品全体を説明できるという考え方でした。彼は、文学の意味を作者という一つの出発点に固定することで、言語の豊かさを閉ざしてしまうと考えました。問いを「作者は何を言いたかったのか」から「どのような言葉が、どこで、どう働いているか」へ移したのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

なぜこの問題が哲学になるのか

一つの文章の意味は、書いた人の頭の中にすでに完成した形で存在するのでしょうか。それとも、社会が共有する言語の規則や、読む人が言葉をつなぎ直す経験によって成立するのでしょうか。ここでは、意味の根拠と、誰が解釈する権利を持つのかが問われます。

この問いは文学にとどまりません。法律の条文、歴史資料、手紙、写真の説明文でも、制作者の意図と受け手の理解が一致するとは限りません。バルトの新しさは、作者を説明の最後の権威とする批評を退け、作品を成り立たせている言葉と読者へ目を向けたことにありました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系)

バルザック『サラジーヌ』の一節が開いた問い

1830年の物語から始める理由

バルトは論考の冒頭で、19世紀フランスの小説家オノレ・ド・バルザック(1799–1850)が1830年に発表した物語『サラジーヌ』を引きます。芸術家と、女性と誤認された去勢歌手をめぐる作品の中で、女性について一般化した説明が語られる場面です。

バルトは、その言葉が何を述べているかに加え、誰の声として語られているかを問い始めます。小説の登場人物が抱く幻想なのでしょうか。物語の語り手による説明でしょうか。それとも当時の社会に広まっていた女性像が小説の中に入り込んでいるのでしょうか。冒頭の一例から、文章の声を一人に結びつける難しさを示します。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

語り手、人物、時代の常識が重なる

物語で誰かの考えが描かれるとき、書き手はその考えに賛成しているとは限りません。人物の誤解を読者に見せるため、登場人物が信じている社会常識をあえて語らせる場合もあります。『サラジーヌ』の引用部分にも、女性像をめぐる複数の立場が重なっています。

バルトは個々の候補を並べたうえで、どれか一人の声が唯一の起源だと決める読み方を疑いました。女性をめぐる19世紀の表現や恋愛小説の言い回しが、文章に集まっているからです。作品に書かれた一文を読むことは、人物の心理を当てることに加え、その時代の言葉の組み立てを読むことでもあります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

作者を知ることだけでは解けない問題

バルザック自身の生涯や交友関係を研究すれば、当時の文学界や創作上の考えを詳しく知ることができます。資料によって作者が使っていた表現の由来を説明できる場合もあります。その情報があっても、小説内で発せられる一文の役割は、物語の構成と切り離して決められません。

読者は前後の出来事を読み、誰が誰をどう誤解しているのかを確かめます。バルトは、その読書の中に成立する多様な意味へ注意を向けました。批評の課題は作者の本音を探し当てる作業から、文章の声が何層にも重なる仕組みを考える作業へ移ります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/学術誌『Langue française』|1970年『S/Z』書評)

作家の人生を作品の答えにする読み方はどこから来たのか

近代文学と個人の才能という価値

バルトは「作者」を、近代社会で大きな権威を獲得した存在として描きます。印刷物、文学市場、個人の才能に注目する文化が発展する中で、作品を一人の独創的な人物の表現として紹介する慣習が強まりました。作家の名前は本の表紙だけでなく、評論や伝記、学校の文学史の中心にも置かれました。

彼の議論には、個人を重視する近代思想と資本主義の文化への批判も含まれています。文学を読むときに「この作品は作者の生い立ちを映している」と説明する方法は便利です。その便利さが、言葉の形式や当時の社会に共有された表現を読み落とす原因にもなるとバルトは考えました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

サント=ブーヴから伝記的な文学批評へ

19世紀フランスの文芸批評家シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804–1869)は、作家の性格、交友、生活を調べる方法で知られます。文学作品とその作者を結びつける研究には歴史的に長い蓄積があり、作家の資料を通して制作環境を具体化する成果もありました。

問題になるのは、伝記が作品の唯一の解答として扱われる場合です。作品の言葉の働きより作者の性格を重く見れば、文章にある皮肉や矛盾が、単なる作者の心理へ還元されかねません。バルトはこうした文学史と批評の慣行を相手に、意味の説明の仕方を問いました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争)

本を読む前に作者像が届く

書店の紹介文で「失恋した作家が自らの悲しみを描いた作品」と説明されていると、読者は悲しい出来事を探しながら本を開くかもしれません。この紹介は制作背景を知る入口になります。やがて作品の陽気な場面も、作家の傷を隠す表現だと決めつけてしまうことがあります。

バルトは、作者を説明の中心に置く習慣が読書の範囲を狭めることを問題にしました。紹介文を読んだ後でも、語りの視点や場面の変化を確かめれば、当初の予想とは違う関係に気づけます。文章を読む力を、事前に与えられた作者像から少し離して考えることが重要になりました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

ロラン・バルトはどのような研究を積み重ねていたのか

古典語の研究から記号を考える仕事へ

1915年にシェルブールで生まれたバルトは、パリ大学で古典文学を学び、戦後は海外のフランス文化機関や研究組織で活動しました。1950年代には国立科学研究センター(CNRS)で研究を進め、1960年から高等研究実習院で教え、1962年には研究指導に携わる地位に就きました。

高等研究実習院は専門研究を行う場であり、文学だけを古い作品の年代順に並べる教育とは異なる方法を試せました。バルトは言語学や人類学、文学作品の分析を横断し、人々が何を意味あるものとして認めるのかを研究しました。この歩みが、1967年の短い論考の背景にあります。(参照:コレージュ・ド・フランス|ロラン・バルトの経歴と著作/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

1953年『零度のエクリチュール』

バルトの1953年の著作『零度のエクリチュール』は、文学の書き方を作家の個性だけで決める考え方を揺さぶりました。言葉の選択や文章の調子には、文学上の慣習と社会の歴史が関わります。作家はすでに存在する表現の中で、自らの書き方を選んでいるのです。

そこから、作者がどの程度自由に言語を操れるのかという疑問が生まれます。自分の言葉だと思って書いていても、使う文法や比喩の多くは以前から社会に存在します。1967年の「作者の死」は、この問題を作品の意味と読者との関係へ大きく広げるものでした。(参照:ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評/コレージュ・ド・フランス|ロラン・バルトの経歴と著作)

1957年『神話作用』の日常文化分析

1957年の『神話作用』では、バルトは日常の広告や大衆文化の表現を読み解きました。商品や写真につけられた意味が自然な常識に見えるとき、その背後には歴史的・社会的な価値観が働きます。文学作品を越えて意味の仕組みを探る研究でした。

例えば広告で笑顔の家族と商品が並ぶと、商品を買うことと幸福が結びついた印象が生まれます。それは写真に写る物だけで生じる理解でしょうか。それとも広告を見る人が社会で覚えた約束事が関わるのでしょうか。バルトは、このような問いを通して意味が文化の中で成立する仕組みを考えました。(参照:フランス国立図書館|バルト『神話作用』書誌/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

言葉はなぜ書き手一人のものにならないのか

ソシュールが考えた言語の仕組み

スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857–1913)は、19世紀末から20世紀初頭にジュネーヴを中心に活動し、言葉の意味を社会に共有された体系から考えました。彼の講義をもとにした『一般言語学講義』は1916年に死後刊行され、20世紀の構造主義に強い影響を与えました。

ソシュールの考えでは、ある言葉が意味を持つのは、他の言葉との差異や社会的な約束事があるためです。例えば「家」という語を読む人は、それを「部屋」「学校」「家族」などと区別しながら理解します。書き手が一から意味を発明しているのではなく、共有された言語を用いて文章を作ることが、バルトの議論を理解する前提になります。(参照:Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

記号としての言葉が意味を生む

ソシュールは、言語記号を音のイメージにあたる「能記」と概念にあたる「所記」の関係から説明しました。語音そのものと意味との結びつきには社会的な慣習が働きます。別の言語では、同じ対象を違う音や文字で表していることが、この仕組みを身近に示しています。

文章でも、ある単語は隣の単語と結びついて特定の働きを持ちます。「静かな家」が安心を感じさせる場合も、孤独を感じさせる場合もあるでしょう。その違いは、使われる場面、前後の文章、読者の経験によって現れます。バルトは言語の関係性を、文学の意味を一人の作者へ還元しにくい理由へつなげました。(参照:Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系/ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳))

構造を調べることと作者を問うこと

構造主義は、個々の文化現象の背後で働く関係や規則を調べる方法として広がりました。物語を読むなら、人物の役割、対立、出来事の並びを調べることで、作者の心理とは別の説明ができます。バルトも1960年代に物語を分析する方法を積み重ねました。

1967年の論考は、構造の研究を経て得られた問いをさらに押し広げます。物語の意味を成立させる声が複数あるなら、分析した構造にもただ一つの最終的な意味があるとは言い切れません。文学の言語をどのように開かれたものとして扱うかが、次の問題になりました。(参照:ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評/ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳))

『神話作用』から「作者の死」へつながる問題

広告や写真も意味を組み立てている

『神話作用』が対象にしたのは、物語や詩だけではありません。広告、日用品、スポーツ、雑誌の写真も、社会の価値観を人々に伝える表現として読むことができます。写っている人物の服装や見出しの語調が、見る人にある生活像を感じさせるのです。

こうした意味は広告を作る担当者の意図と結びつくことがあります。実際の受け手が何を読み取るかは、文化や時代によっても変わります。作る人の計画と、完成した表現が社会で働くことの関係を考える土台は、すでにこの時期のバルトの研究にありました。(参照:フランス国立図書館|バルト『神話作用』書誌/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

文化の約束事が「自然」に見えるとき

ある広告で食卓を囲む家族が理想の暮らしとして描かれると、特定の社会や時代の生活様式が普遍的な幸福のように感じられます。バルトは、歴史的に作られた価値観が自然に見える過程を批判的に読み解きました。

この視点を文学へ向けると、小説の登場人物が当然のように使う言葉にも、社会の常識が入り込んでいることに気づきます。バルザックの引用の中で、女性に関する思い込みを誰が語っているのかという問いは、作品と社会で共有される言葉の境界を揺さぶります。(参照:フランス国立図書館|バルト『神話作用』書誌/ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳))

作者の告白という説明の限界

読者がある作品を「作家の本心が語られた文章」と受け止めるとき、その説明自体も文化的な習慣に支えられています。近代の文学市場では、作家の個性や経験が本の価値を示す目印として使われてきました。

バルトが批判した作者中心の読み方は、文学研究の方法であると同時に、出版と批評に共有された価値観でした。作品の中身を作者の伝記へ回収する習慣から離れると、読むことは、言語や文化の多くの関係を発見する活動へと変わります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

ラシーヌをめぐる論争で何が争われたのか

17世紀の劇作家を20世紀にどう読むか

17世紀フランスで宮廷や劇場を舞台に悲劇を書いたジャン・ラシーヌ(1639–1699)は、古典文学教育の重要な作家でした。バルトは1963年の『ラシーヌ論』で、その作品を精神分析などの視点も用いて読み直しました。

古典作品の研究には、上演された時代、人物関係、当時の語法を調べる仕事が不可欠です。バルトが踏み込んだのは、それらの資料を踏まえたうえで、20世紀の理論によって新しい解釈を組み立てることが許されるかという領域でした。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/ロラン・バルト|『批評と真実』(1966年刊行書誌))

レーモン・ピカールによる批判

ソルボンヌでフランス文学を研究したレーモン・ピカール(1917–1975)は、1965年に『新しい批評か、新しい詐欺か』を刊行し、バルトのラシーヌ解釈を厳しく批判しました。言葉の曖昧さや理論の恣意的な使い方が、作品の検証可能な理解を損なうと考えたのです。

この批判には、研究が読者へどのような根拠を示すべきかという実質的な問題が含まれます。作品の表現を読み解く自由が広がるほど、解釈と証拠の対応をどう確かめるかが重要になります。バルトとピカールの対立は、文学批評の公的な方法をめぐる議論となりました。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/レヴュー・ロマーヌ|1966年刊『批評と真実』書評)

1966年『批評と真実』で示した立場

バルトは1966年の『批評と真実』で、自分の方法を擁護し、批評が作品について別の言葉を用いて意味を生み出す仕事でもあることを論じました。批評は作品を読んだ結果を、文章として他者に示す活動です。

この段階から1967年の「作者の死」へ進むと、意味を最終的に決める権威そのものが問われたことがわかります。作品の意味が作者の心理に閉じているなら、新しい読みは作者の意図に合うかどうかで評価されます。バルトは批評の可能性を、本文に現れる言葉の複数性へ求めました。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/ロラン・バルト|『批評と真実』(1966年刊行書誌))

1967年の『Aspen』はどんな雑誌だったのか

紙の束ではなく箱に収められた雑誌

「作者の死」が最初に発表されたのは、フランスの文学研究誌ではなく、アメリカの実験的な雑誌『Aspen』第5・6合併号でした。1967年に刊行されたこの号は、箱の中に小冊子、印刷物、レコード、楽譜、映像などの要素を収めていました。

読者は箱を開けてどの資料を先に見るかを選び、音を聴き、別の資料と並べて作品を経験しました。雑誌のページ順に従うだけでは得られない関係が生まれます。作品を受け取る人の役割を考えるバルトの論考が、このような媒体に掲載されたことは重要です。(参照:ウォーカー・アート・センター|『Aspen』第5・6合併号(1967年)/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

編集したブライアン・オドハーティ

アイルランド生まれでニューヨークを拠点に活動した美術家・批評家ブライアン・オドハーティ(1928–2022)は、『Aspen』第5・6合併号を編集した人物です。彼は紙、音、映像など異なる表現を一つの箱へ収め、読者が自分で関係を発見する「小さな美術館」のような雑誌を構想しました。

箱にはスーザン・ソンタグやジョージ・クブラーの論考のほか、ジョン・ケージらの音楽、ロバート・モリスの映像なども含まれていました。『Aspen』の構成は、文章の意味を固定した順序に閉じ込めず、受け手の行為によって結びつきを変える実験でした。(参照:ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者/セントローレンス大学図書館|『Aspen』第5・6合併号収録資料目録)

美術と文学が同じ箱に収まった意義

1960年代のアメリカでは、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートが、作品と鑑賞者の関係を問い直していました。『Aspen』も、読む人が印刷物をどのように扱うかを作品の経験に組み込んでいます。

米国の修辞学研究者ジョン・ロギーが2013年に発表した研究は、「作者の死」を1968年の政治運動の象徴としてだけ読むと、1967年の実験的な芸術媒体との結びつきが見えにくくなると指摘しました。発表された場所を知ることで、文章を読む行為そのものを考え直す論考の歴史的な位置が鮮明になります。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

「作者の死」が1967年に英語で公表された経緯

1967年の英語初出と1968年のフランス語版

「作者の死」の初掲載は1967年の『Aspen』第5・6合併号です。リチャード・ハワードの英語訳として公表され、1968年にはフランス語版が雑誌『Mantéia』第5号に掲載されました。よく知られるフランスの理論家が、まずアメリカの実験雑誌で英語の読者に届いた点に、この論考特有の出版史があります。

フランス語で書かれた著作が外国で先に発表された場合、執筆、翻訳、掲載、再録という時間を分けて理解する必要があります。バルトの原論考は1977年の英語版論集『Image–Music–Text』にも収められ、別の翻訳を通して広く読まれていきました。(参照:学術誌『Communications』|バルト著作年譜と初出記録/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

翻訳の違いが解釈に関わる

バルトの議論では「書くこと」「文章」「作者」「読者」を表す言葉の選択が重要です。英訳の違いは、言語活動そのものを論じる文章の読まれ方にも影響します。初期のハワード訳と、1977年のスティーヴン・ヒース訳は区別できます。

一つの言葉を日本語に移すときにも、作者という人間の存在、批評が作り上げた権威としての「作者」、文章を書く活動の違いを意識したいところです。翻訳を読む経験自体が、意味は一人の書き手からそのまま届くのかという問いと結びついています。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

五月革命以前の思想として読む

1968年5月、フランスでは学生と労働者による大規模な抗議運動が起こりました。「作者の死」の初出はその前年であり、当時の文学・芸術・批評の制度をめぐる問いの中で成立しています。

1968年以降の政治文化との共鳴を考えることには意味があります。成立の直接の事情を見れば、最初の読者が出会ったのは文学理論の標語だけでなく、箱入り雑誌の音や映像と並べられた文章でした。後の受容が与えた意味と、1967年の掲載環境を分けて考えることが必要になります。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

文章の中で「誰が話している」のか

一人称の「私」は作家本人なのか

小説の第一行に「私はもうこの町に戻らない」と書かれていたとします。その「私」は文を執筆した人物と同じとは限りません。語り手が作中人物であれば、作者の生活とは異なる人生や価値観を持つことがあります。

小説で直接「私」と言われても、読む人は場面や前後の記述をもとに発話者を理解します。バルトが『サラジーヌ』の一文から始めたのは、誰の声が語られているかを確かめる作業が、簡単には終わらないからでした。作者の伝記を知ることと、文章内の発話の位置を見極めることは別の問題です。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

皮肉は文字どおりの意味とずれる

ある登場人物が失敗した相手に「本当に見事な判断だ」と言ったら、称賛ではなく皮肉かもしれません。文面の言葉だけを拾えば褒めているように見えます。人物同士の関係や出来事の結果を読むと、その言葉が反対の働きを持つことがわかります。

文学では、言葉を誰が、どの状況で使ったかによって意味が変化します。その場面を構成した作家の意図を推測する前に、語り手と登場人物の距離を確かめることができます。バルトの問いは、文章の意味がどこで生まれるのかを実際の言葉の使われ方から考える方法につながります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系)

社会にある決まり文句も声を持つ

恋愛小説の中で「運命の出会い」という言葉が使われたら、読者は他の小説や映画、歌で聞いた表現を思い出すでしょう。物語に登場する一文には、その作者が書く以前から文化の中にあった言い回しが含まれています。

バルトは、文章が異なる文化から来た多くの言葉を重ね合わせていると考えました。誰かが書いた文でも、その文を成り立たせる言語は個人の所有物ではありません。作品を読むことは、ひとつの声を探し当てる作業から、声同士の関係を聴き取る作業へ広がります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

マラルメはなぜ「言語が語る」と考えられたのか

19世紀の詩人が示した先行例

バルトは、19世紀後半にフランスで活動した詩人ステファヌ・マラルメ(1842–1898)を、作者の権威を揺さぶった重要人物として紹介します。マラルメは詩の響きや配置、語と語の関係を精密に考え、詩を単純な感情の告白から遠ざけようとしました。

バルトの読みでは、マラルメが強調したのは、作者の人格を超えて言語が働くことでした。詩の言葉は辞書的な意味だけで終わらず、音の響きや反復、別の行との関係から多くの印象を生み出します。書いた人がどんな気分だったかを知るだけでは、その働きのすべてを説明しきれません。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

言葉を選ぶ手と、言葉が働く場

詩を書く人は、どの語を何行目に置くかを選びます。その選択には技術と労力が必要です。文章が完成すると、同じ音が前後で響き合い、作者の計画より多くの連想を生む場合があります。書く手と、書かれた言葉が読者の中で働くことは一つの行為の前後にあります。

バルトにとって「言語が語る」という発想は、誰が書いたかを忘れる合図ではなく、作品を構成する言語の仕組みへ批評を向ける合図でした。マラルメの詩を通して、意味の研究を作者の心理から文の形へ移す道筋が見えてきます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系)

『Aspen』がマラルメへ献じられた理由

『Aspen』第5・6合併号はマラルメに献じられ、箱に収められた要素を読者が組み合わせる構成を取りました。詩の言葉同士の関係を重視した先行者と、雑誌を読む人の選択を重視した実験が同じ出版物に重なっています。

当時の編集者たちは、詩、音、彫刻、映像を一つの定型的な読み方へ統一しませんでした。バルトの論考を、箱の中の一つの声として読むこともできたのです。掲載媒体そのものが、意味は作者の所有する説明だけで決まるのかという問題を読者へ差し出していました。(参照:ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

ヴァレリー、プルースト、シュルレアリスムの試み

ヴァレリーは書くという活動をどう見たか

20世紀前半にフランスで詩と散文を発表したポール・ヴァレリー(1871–1945)は、詩を生む言葉の働き、推敲、形式について詳しく考察しました。バルトは彼を、作家の内面だけから文学を説明する見方を疑った先行者として紹介しています。

詩の一節がどんな意味を持つかは、書き手が体験した出来事と一対一に対応するとは限りません。語と語の関係や韻律から、予想外の連想が生まれるからです。バルトは、ヴァレリーの言語への関心を、作者の神話を疑う文学史の一部として捉えました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

プルーストの語り手と実際の作家

フランスの小説家マルセル・プルースト(1871–1922)は、『失われた時を求めて』で記憶や時間をめぐる長い物語を書きました。バルトは、この小説の語り手が書くことを目指す存在であり、作品が生まれる過程そのものを主題にしている点に注目します。

作家の人生を小説に移したという単純な図式では、語り手の仕事が十分に見えません。プルーストの小説では、書くことへの願いと、書くことがようやく可能になる経験が物語を動かします。バルトは、この構造を通して作者の生涯と小説内の声の関係を複雑なものとして読んだのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

シュルレアリスムの自動記述と共同制作

1920年代にフランスで成立したシュルレアリスムでは、アンドレ・ブルトン(1896–1966)らが夢や無意識への関心から自動記述や共同制作を試みました。書く人が最初から全体を設計する方法を揺さぶり、予想外の言葉や形の出会いを作品へ組み込みました。

バルトはシュルレアリスムを、既存の言語の規則を揺さぶろうとした運動として挙げています。言葉が自由に生成されるときにも、社会で共有される記号の仕組みは関わります。複数の書き手が参加する実験は、作者の意図が作品のすべてを統制するという見方へ疑問を投げかけました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

作者は文章に先立って意味を完成させているのか

「作者」と「書く人」を分けて考える

バルトは、文章を生み出す人間が実際にいることを認めたうえで、文学批評が神格化した「作者」を問い直します。従来の批評では、作者は作品の前に存在し、頭の中に完成した意味を持ち、文章はその考えを表すものとして理解されがちでした。

彼は、書くという行為に目を向ければ、意味はその活動の中で形づくられると考えます。「作者の死」は、生身の書き手が消滅するという主張ではなく、作品の意味を先に所有する特権的な存在としての作者を、説明の中心から外すという提案なのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

文章を書く現在と語られる時間

物語の書き手が「昔、ある村に住んでいた」と書くとき、文章の中には過去の出来事が現れます。書く行為そのものは、読者に向けて言葉を配列する現在の出来事です。物語の中の時間と、書くという言語活動の時間が同一である必要はありません。

バルトは、文章を書く人を、作品の意味を過去から運んでくる創造主のように扱う考え方を批判しました。原論考では、書くことと同時に成立する主体を「スクリプトール」と呼び、作品より先に意味を完成させた作者という図式を揺さぶります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

推敲する作者の仕事をどう位置づけるか

詩人は語を選び直し、小説家は人物の設定を変えることがあります。制作過程の判断は文章の形に影響します。その事実を踏まえても、完成した作品の意味が判断の記録だけからすべて導けるとは限りません。

どの語を使ったかは原稿や書簡から調べられます。どう読まれるかは、本文にある別の語、作品のジャンル、読む人が持つ知識との関係へ広がります。作者の制作研究と、テクストの意味の研究を分けて組み立てることが、バルトの挑発から得られる大切な視点です。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

「文章は引用の織物である」とはどういうことか

すでに存在する言葉で新しい物語を書く

新しい小説を書いても、そこで使う日本語の語順や比喩の多くは、書く以前から社会に存在しています。「朝日が昇る」「胸が痛む」といった表現は、毎回一人の作家が作り出すものではありません。文章を読む人も、以前に出会った文章や歌と結びつけながら理解します。

バルトは、テクストを異なる文化から来た引用の織物として説明します。ここでの引用は、書名を挙げて他の本の一文を借りることだけを指しません。文章に入り込む慣用句、ジャンルの決まり、以前の文学の言い回しが、気づかないうちに結びついている状態を含みます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系)

一つの言葉から別の物語へつながる

小説に「青い鳥」という語が現れたら、実際の鳥、幸福を求める寓話、童話の題名などを連想する読者がいるでしょう。前後の文章を読むことで、どの連想が関係を持つかが変わります。言葉は多くの文化的な記憶と結びついています。

バルトは、作品の中にある複数の文化の声が対話し、互いをまね、時には争うと考えました。書き手の意図を一つに絞っても、そのような関係はすべて消えてしまうわけではありません。文章はほかの文章との関係の中で、読むたびに新たな結びつきを生む可能性があります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

独創性を問い直すこと

作品の中に以前の言葉が含まれているなら、創作とは何でしょうか。バルトの視点から考えると、新しい書き方は、既存の表現をどのように組み合わせ、ずらし、別の声へ変えるかという行為にも現れます。

作家が長い時間をかけて生み出した形式や表現は、作品固有の成果として研究できます。バルトが疑ったのは、作品を「作者の内側から出てきた唯一の思想」とみなして終わる説明です。言語の歴史と個々の創作との関係を見れば、独創性は孤立した天才というイメージより複雑なものになります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

意味がひとつに決まると何が失われるのか

作者の正解を探して読む習慣

学校で詩を読み、最後に「作者の気持ち」を一つの文で答える場面を考えてみましょう。授業には、文の意味や構成を学ぶ大切な目的があります。詩の中の複数の比喩が、一つの模範解答へまとめられると、ほかの行との対比を考える機会が減ることもあります。

バルトは、作者を作品の最終的な意味の保証人にすることで、文章へ結論を固定する批評を問題にしました。何を意味するかをすぐ決めるのではなく、言葉が別の文とどのような関係を結び、読者にどんな疑問を生むかをたどることができるのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

意味を固定する「最後の言葉」

物語の結末を知ると、最初の場面を別の意味で読めることがあります。人物の発言が嘘だったと分かった後では、同じ一文が皮肉として響くかもしれません。意味を考えるには物語全体の構成が関わり、一か所の説明で解釈が終わるとは限りません。

バルトは「作者」を作品に与えることが、最終的な意味をあらかじめ与えてしまうことになりやすいと批判しました。その考えは、解釈を急いで閉じる批評への異議です。読むことは、文章の部分と全体を往復して関係を組み立てる活動になります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

複数の意味が共存する理由

ある人物の沈黙が、相手への拒絶を示す場面があるとします。同時に、その人物が言葉を探している時間として読むこともできるでしょう。前後に現れる行動や台詞を確かめれば、両方の読みがどこまで支えられるかを考えられます。

意味の複数性は、作品に印刷された言葉から出発して議論できます。解釈が分かれたときに、本文へ戻って根拠を示すことが重要です。バルトは、作品の豊かさをただ一つの答えへ縮める批評から、読む人が複数の関係を見出す批評へ道を開こうとしました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/学術誌『Langue française』|1970年『S/Z』書評)

「読者の誕生」はどのような意味を持つのか

読者は意味の受け取り手を超える

バルトの論考は、文章を構成する多くの声が読者のもとで結びつくという結論へ進みます。読者は、作者が隠した答えを見つける係ではありません。文章に含まれる表現のつながりを読み、互いに矛盾する声も同じ場で理解しようとする存在です。

この意味で読者は、意味を成立させる働きの一部になります。一冊の本が複数の時代や言語で読まれるとき、その本の言葉が受け取られる文脈も変わります。バルトは文章の統一を、その出発点である作者よりも、異なる声が出会う読書の場から考えました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

バルトが考えた読者はどんな存在か

原論考の終盤でバルトは、読者を個人の詳しい伝記や心理によって定義していません。彼にとって読者は、作品を構成するさまざまな引用が集まる場所として描かれています。読む側の一人ひとりの好き嫌いを、すべての意味の唯一の根拠にする説明とは距離があります。

現実の読者は年齢、言語、経験によって異なる読み方をします。バルトが強調したのは、その差を生む個人の内面を調べること以上に、作品が多様な文化の言葉を読み手へ開いているという構造でした。「読者の誕生」は、作者の専権を取り払ったあとの文学の成立条件を表す言葉です。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

ギリシア悲劇の二重の意味

バルトは原論考の終盤で、ギリシア悲劇に見られる言葉の二重の意味を引きます。物語の登場人物は自分の状況から一つの意味で言葉を理解していても、全体を見通す観客には別の意味も聞こえます。すれ違いそのものが悲劇の構造をつくるのです。

この例では、観客が複数の立場を同じ場所で受け止めます。バルトはそこに、文章が多くの声から成り、受け手がその関係を理解するという仕組みを見ました。作品の意味が生きる場所を、作家の頭の中から読者の経験へ移す説明になっています。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

身近な文章では誰が意味を決めているのか

手紙の一文から考える

「帰ってきてくれてよかった」という短い文を受け取ったとします。書き手は喜んでいるのかもしれません。長い不在に対して責める気持ちが含まれていると感じる場合もあるでしょう。どちらを考えるかは、前後の文章と二人の関係に左右されます。

読む人は何でも好きに意味を付けるわけではありません。句読点や表現、直前の会話などを根拠に解釈します。作者が意図を明確に伝えたなら、その情報も意味を確かめる材料になります。バルトの問いからは、書いた人の説明と、文章に現れる手がかりをどう組み合わせるかが見えてきます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/Encyclopedia.com|ソシュールの記号論と言語体系)

日記の「私」と公開された文章

日記は自分に向けて書いた言葉として始まる場合があります。その日記が出版されると、会ったことのない読者が人物像や時代背景を読み取ります。読者にとっては、書き手の個人的な記録が歴史や社会を考える資料にもなります。

作者本人の事情を知ることは資料の理解に役立ちます。同時に、記された言葉がその時代にどのような意味を持ったのかという問いも生まれます。バルトが文学で示した方法は、誰のために書かれたかという出発点から、文章がどのように読まれるかへ注意を広げます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

作品解説の一文が見方を変える

美術館で絵を見る前に「作家が母の死を悼んで描いた」と説明を読んだら、その後の色彩や人物の姿を悲しみと結びつけるでしょう。制作事情が事実なら、その説明は大切な資料になります。

説明をいったん脇に置いて構図や色の働きを見ると、悲しみという言葉からは見えにくかった形が見つかるかもしれません。作品の解釈で作者をどう扱うかという問題は、美術にも関わります。文学の意味をめぐる議論を、美術館の説明が鑑賞者の経験へ与える作用から考えることができます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/オープン大学|文学の作者と作品の意味をめぐる研究)

どんな解釈でも正しいと言えるのか

自由な読みと文章の手がかり

一つの文章から複数の意味が生まれるとしても、言葉の順序や出来事の記述を確認する仕事がなくなるわけではありません。物語の人物が死んだと書かれていれば、その場面を読んだ解釈は、その事実をどう扱ったか説明する必要があります。

バルトの議論は、恣意的な想像だけを競う方法として読むと重要な点を失います。彼が問題にしたのは、意味を作者の意図だけで最終決定する制度です。異なる読みが成立する条件を、テクストにある表現と文化の関係から検討する方向へ批評を移しました。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/学術誌『Langue française』|1970年『S/Z』書評)

誤読をどう話し合うか

ある読者が結末を見落として「主人公は故郷へ戻った」と言い、別の読者が帰郷を否定する文章を示したとします。議論する人たちは、解釈の印象を語るだけでなく、本文の具体的な箇所を確認できます。読解には話し合える根拠があります。

文学を読む方法が複数あることと、どの読みも等しく裏づけられることは別です。文章の細部を証拠として扱う限り、読者同士は解釈の理由を比較できます。バルトの論考は、その実践を作者の意図だけへ収束させないことを求めるものでした。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/レヴュー・ロマーヌ|1966年刊『批評と真実』書評)

読む人の社会的な位置による違い

ある時代に自然とされた家族像が、別の時代の読者には厳しい性別役割に見える場合があります。歴史上の文脈と読者の現在の経験が出会うところで、新しい問題が見つかります。

後世の批評では、誰が読むのか、性別や階級、植民地支配の経験が解釈にどう関わるかも問われました。バルトの「読者」は個人の属性を消して説明されます。現実の読書を研究する際には、異なる立場や資料の条件も重ねて考えられています。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/英国オープン大学|フーコーの「作者機能」を解説)

1946年の「意図の誤謬」とはどこが違うのか

アメリカの批評が問うた作者の意図

アメリカの文学研究者W・K・ウィムザット(1907–1975)と哲学者モンロー・ビアズリー(1915–1985)は、1946年に論文「意図の誤謬」を発表しました。詩の評価や意味を決める際に、作者が何を意図したかを直接の基準にすることの難しさを論じています。

例えば、詩人が作品を「勇気について書いた」と説明しても、読者は詩の言葉や構成に照らしてその理解を考えます。意図の証言を作品そのものの分析に置き換えることへの疑問は、1967年のバルトと共通する部分があります。(参照:ジョンズ・ホプキンズ大学出版局|「意図の誤謬」(1946年)掲載記録/ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳))

作品の内部とテクストの複数性

ウィムザットとビアズリーの論考は、作品内部で確かめられる証拠を重視する批評と結びつきます。詩の語句や構成が読者の議論の基礎になるという方向です。

バルトは、作品の言葉が文化のさまざまな声と結びつき、読者のもとで交差することを強調しました。両者は作者の意図を絶対視しない点で近いものの、解釈を説明する枠組みは異なります。バルトを意図の誤謬論の単純な繰り返しとして扱うと、文化や引用の多層性という主題が見えなくなります。(参照:ジョンズ・ホプキンズ大学出版局|「意図の誤謬」(1946年)掲載記録/ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳))

作品の外部をどう読むか

一編の詩について、制作時の書簡や出版契約を調べれば、書かれた事情が明確になる場合があります。歴史を研究する仕事と、詩の意味を考える仕事は互いに助け合うことができます。どの資料がどの問いの答えになるかを区別することが重要です。

作者の意図を調べる研究は、作品の成立を理解するために続けられています。バルトの提案は、その研究成果を文章の最終的な意味として独占させないための挑戦でした。言語の働きを分析する方法と、歴史資料を使う方法をどう結びつけるかという課題が後世にも残りました。(参照:ジョンズ・ホプキンズ大学出版局|「意図の誤謬」(1946年)掲載記録/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

1969年にフーコーは「作者とは何か」と問い直した

「作者機能」という新しい問い

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926–1984)は、知識や制度が歴史の中でどう成立するかを研究し、1966年に『言葉と物』を刊行しました。1969年の講演「作者とは何か」では、作者の名前が文章の分類や評価にどのように働くかを考えました。

「ある作品は有名作家の未発表原稿だ」と聞くと、読む人の期待や作品の評価は変わるでしょう。フーコーは、作者の名が作品の価値や帰属、真偽の判断に関わる社会的な働きを「作者機能」として分析しました。これは作者の権威を疑う議論を、出版や知識の制度へ広げた問題です。(参照:フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明/英国オープン大学|フーコーの「作者機能」を解説)

法律、分類、書誌に関わる作者名

図書館では著者名で本を探すことができ、出版社は作者名を本の識別や販売に用います。著作権や責任の帰属にも、誰が書いたかという問いが必要です。フーコーは、作者の名前が社会の中で具体的に働く仕組みへ注目しました。

この視点では、作品の意味を一人の意思に固定することを批判しながら、作者の名前が持つ制度的な効力を研究できます。作家が歴史上存在したことと、作者が文章を整理する機能として使われることが、同じ社会の中で結びついているのです。(参照:フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明/オープン大学|文学の作者と作品の意味をめぐる研究)

バルトへの応答としての距離

バルトが文章の中の多くの声と読者に焦点を当てたのに対し、フーコーは、作者の名を利用して社会が文章を分類し、扱いを変える方法を検討しました。1969年の講演は、1967年の問いと共通する問題を別の側面から深めています。

二つの論考を読むと、作者の意図だけで意味を決める方法から離れた後にも、誰が何をどの場所で発表したかという事実が重要であり続けることがわかります。作者という観念をめぐる歴史、制度、法律の検討が、文学の読解と並んで必要になりました。(参照:フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明/英国オープン大学|フーコーの「作者機能」を解説)

1970年の『S/Z』は読書をどう実践したのか

同じ『サラジーヌ』を一行ずつ読む

バルトは1970年に『S/Z』を刊行し、「作者の死」の冒頭で挙げたバルザックの『サラジーヌ』を詳しく読み解きました。短い部分ごとに文章を分けて、そこに現れる人物の行動、謎、文化的な知識や象徴などを分析しました。

この研究では、物語全体に一つの解答を付ける代わりに、各部分がどのような意味を生み出すかをたどります。ある言葉が後で起こる事件を予告したり、別の言葉が社会的な常識を呼び込んだりする働きを見つける方法です。(参照:フランス国立図書館|バルト『S/Z』(1970年)書誌/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

五つのコードが示した複数のつながり

『S/Z』は、解かれるべき謎、人物の行為、意味の特徴、象徴的な関係、文化的な知識といった五つのコードを用いて文章を分析しました。ひとつの文が複数のコードへ関わることもあります。

例えば「扉が開いた」という一文は出来事の進行を示すと同時に、隠されていた秘密を知らせる合図になるかもしれません。本文の細部がいくつもの役割を持つことを確かめると、一つの意味だけを取り出す読み方の限界が見えてきます。(参照:みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』/学術誌『Langue française』|1970年『S/Z』書評)

古い作品から新しい読みが生まれる

『サラジーヌ』は19世紀の作品です。バルトは1970年の研究で、その文章が20世紀の読者にどのような関係を発見させるのかを考えました。作品の歴史的な成立と、後の読者による細部の分析が出会う実践です。

この方法は「作者の死」を具体化しています。作者の生涯へ意味を集約するのではなく、本文に入り込む複数の声を追い、読む行為の中でどんな関係が現れるかを示したからです。1967年の短い宣言的な論考が、後年の綿密な読解へつながったことがわかります。(参照:フランス国立図書館|バルト『S/Z』(1970年)書誌/学術誌『Langue française』|1970年『S/Z』書評)

1971年の「作品からテクストへ」が広げた視点

本という物と、読まれて働く文章

バルトは1971年の論考「作品からテクストへ」で、手に取れる本などの「作品」と、言語や文化の関係の中で働く「テクスト」を考え分けました。作品は書棚に並べられます。テクストは、それを読む、引用する、ほかの文章と結びつける行為の中で活動します。

一冊の小説を読んで昔の詩を思い出し、別の作品に同じ比喩を見つけることがあります。そのつながりは本の厚さや物理的な境界だけでは決まりません。「作者の死」で語られた複数の文化の声を、読書の経験としてさらに深める考え方です。(参照:研究者向けバルト書誌|「作品からテクストへ」(1971年)/ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評)

読むことは作ることに近づく

文章に傍線を引き、繰り返し現れる言葉を確かめ、作品同士を比べると、読者は自分で関係を組み立てます。その経験は、書かれた情報を受け取るだけの行為よりも積極的です。

バルトは後年、読み手が意味の生産に参加することへ関心を深めました。読書は完成品の中に埋められた答えを掘り出す作業から、言葉を相互に関連づける活動へ広がっていきます。この方向が、1967年の読者の誕生という主張を具体化しました。(参照:研究者向けバルト書誌|「作品からテクストへ」(1971年)/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

1973年『テクストの快楽』への展開

1973年の『テクストの快楽』では、バルトは読書の身体的な喜びや、読者が文章の中で経験する揺れにも関心を向けます。記号の規則を説明する研究から、書かれたものを読むときの感覚へと視点が広がりました。

読書には、語の意味を理解する作業と、文章の響きや予想外の展開を楽しむ経験が伴います。バルトの後年の仕事では、読む人の能動性が理論だけでなく、その経験の豊かさとしても論じられました。(参照:ラルース百科事典|ロラン・バルトの思想と批評/コレージュ・ド・フランス|ロラン・バルトの経歴と著作)

『Aspen』の作品は「作者の死」をどう見せていたのか

デュシャンの「創造的行為」への接点

フランス生まれでアメリカでも活動した美術家マルセル・デュシャン(1887–1968)は、1957年の講演「創造的行為」で、制作の意図と鑑賞者の受け取る経験の関係を考えました。作者の意図が作品へすべて移されるとは限らず、観客も作品の成立に関わるという発想です。

『Aspen』第5・6合併号には、デュシャンの発言を収めた録音も含まれていました。バルトの「作者の死」とデュシャンの議論は、同じ雑誌の中で鑑賞者や読者の役割を考える二つの材料になりました。思想の内容に接点がありながら、二人の議論の成立事情はそれぞれ異なります。(参照:ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者/美術研究誌Tout-Fait|デュシャン「創造的行為」と『Aspen』)

音楽や映像を受け手がつなぐ

『Aspen』の箱には、ジョン・ケージらの楽譜、音楽、映像の記録も収められていました。読者は、資料をどの順番で手に取り、何を聴き、映像をいつ見るか選べます。最初から固定された紙面の順番が体験のすべてを決める構造ではありません。

この雑誌を読む行為は、まさに複数の表現が読者のもとで出会う経験です。バルトの文章を読んだ後に音を聴く場合と、先に映像を見る場合では、連想の方向が変わるでしょう。『Aspen』は思想の説明を超え、受け手が関係を組み立てる場を実際につくりました。(参照:ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者/ウォーカー・アート・センター|『Aspen』第5・6合併号(1967年))

美術への応用で区別したいこと

美術作品も、その作家の言葉だけでは意味を説明しきれない場合があります。素材の表面、置かれた空間、鑑賞者が歩く経路によって印象が変わるからです。1960年代には、その経験を重視する美術が活発になりました。

「作者の死」は文学の論考として成立しました。彫刻や映像をこれと結びつける際は、掲載媒体での直接的な接点と、後世の美術史家による応用を区別できます。『Aspen』という具体的な雑誌の存在は、文学理論と視覚芸術が同時代にどのように交流していたかを示しています。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

1968年の政治的変動と「作者の死」の受け止め方

1967年の思想と1968年の出来事を分ける

1968年5月のフランスでは、大学生の抗議行動が広がり、労働者のストライキと結びつきました。学校や職場で誰が発言する権利を持つのかという問題が、公の場で強く問われました。

バルトの論考が最初に発表されたのはその前年です。後年、作者の権威を揺さぶる文章は、社会的な権威への批判と結びつけて読まれてきました。ロギーの2013年の研究は、最初の掲載がアメリカの実験的な芸術雑誌だったことに注意を促し、1968年の政治運動を執筆の直接的な原因とみなす説明を再検討しています。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/ウォーカー・アート・センター|箱入り雑誌『Aspen』の制作と読者)

権威を疑うことの社会的な意味

文学の意味を、著名な研究者や作家の説明だけで決める慣習が揺らぐと、読者も議論へ参加できるようになります。批評の権威は、決まった地位を持つ人物より、テクストの根拠を使った議論へ広がっていきます。

この変化は、大学での教育や作品を紹介する制度とも関わります。どの読みを学ぶべきかという問いには、教師と学生、研究者と一般読者との関係が表れます。バルトが文学の言葉へ向けた批判は、文化の中で権威を考え直すための素材にもなりました。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

革命的な標語として読むことの限界

「作者の死」という題名は強烈で、作家という存在を退場させる革命的な宣言のように聞こえます。原論考を読むと、その議論はバルザックの一文、言語の働き、文学の先行者、そして読者へと丁寧につながっています。

政治的な意味を考えるときにも、原著の言葉の論理を確かめれば、作者の死が何を指すのか明確になります。1967年の実験的な掲載、1968年のフランス語版、後年の批評理論での受容には、それぞれ異なる歴史的な位置があります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

作者の歴史や立場は読解から消えるのか

制作事情が実際に教えてくれること

ある小説が検閲の厳しい時代に書かれたと知ると、直接言えない内容を比喩で表した理由が理解できる場合があります。作家の手紙や草稿、出版社とのやり取りは、その作品が作られた事情を知る資料になります。

こうした歴史研究は、作品の言葉を検証するうえで大切です。バルトが「作者の死」で批判したのは、制作事情の研究から得た説明を作品全体の最終的な意味に置き換える方法でした。資料を読む目的をはっきりさせれば、歴史的背景とテクストの多義性を併せて考えられます。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明)

誰が語れるかという権利の問題

作品の作者を特定することは、とりわけ社会から発言の機会を奪われてきた人々にとって重要な場合があります。女性の執筆活動や植民地支配下の文学などでは、誰がどの名義で出版できたかという歴史が、作品を考えるうえで欠かせません。

作者中心の批評を批判することと、現実の執筆者の存在や仕事を記録することは別です。後の批評は、作者の権威から読者を自由にする議論を受け止めながら、歴史上の不平等や作品の帰属をどのように扱うかも検討しました。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明)

著作権や責任との関係

小説の意味を作者が一人で決められるかという哲学上の問題と、著作権を誰が持ち、発言に誰が責任を負うかという制度上の問題は、考えるための材料が異なります。法律では作者の特定が必要になることがあります。

フーコーは1969年に、作者の名が法と出版、文章の分類に関わることを分析しました。バルトの1967年の問いから出発しても、社会から作者名をなくすという結論を導く必要はありません。読解の自由、歴史の記録、法律上の責任をそれぞれの問題として考えることができます。(参照:フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

「作者の死」はどのような批判を受け、受け継がれたのか

解釈の広がりと根拠の問題

バルトが読者へ与えた役割は、作品の意味を作者へ一元化する批評への批判として力を持ちました。文学作品の細部を自由に読み直せるという利点がある反面、どんな解釈をどの証拠で支えるかという問題も生じます。

レーモン・ピカールとの論争を振り返れば、批評の検証可能性は1967年以前から問題にされていました。読者が積極的に読むという立場でも、本文との対応、歴史資料の扱い、推論の手順を示す仕事が残ります。意味の複数性は、その仕事を放棄する理由にはなりません。(参照:コレージュ・ド・フランス|バルトとレーモン・ピカールの論争/レヴュー・ロマーヌ|1966年刊『批評と真実』書評)

読者の自由を誰の経験から考えるか

読者が作品を理解するとき、学んだ言語、社会的な背景、これまでに読んだ本はさまざまです。バルトは原論考で読者を多くの引用が集まる場所として描きました。後の文学研究では、読者がどの社会に生き、どの立場から読むのかという問題も深められています。

バルトの議論が女性学や文化研究など多様な領域で参照されたことは、ロギーの2013年の研究でも指摘されています。その広がりの中で、読書は文章の構造だけを調べる活動から、歴史と社会の中で誰が読めるのかを問う仕事へ発展していきました。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/英国オープン大学|フーコーの「作者機能」を解説)

作者、読者、社会を併せて見る批評へ

作品の意味が一人の作者の心だけに由来するという考え方は、バルトによって強く問い直されました。その後の研究では、作者の執筆行為、出版制度、文章の形式、読者の経験を関連づけて考える議論も広がりました。

「作者の死」を読んだ後に作品を開くと、書いた人物への興味が残っていても、登場人物の声や文化的な決まり文句、思いがけない比喩へ新しく注意を向けることができます。その読みの幅こそが、この論考が文学批評にもたらした変化のひとつです。(参照:ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究/フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明)

作品の意味は作者が決めるものなのか

作者の意図は作品を生む重要な条件

作者は作品の形をつくり、推敲して発表します。何を伝えたかったのかという証言には、制作上の判断を知る価値があります。作家の伝記や書簡を読むことで、作品に含まれる時代の事情も理解できます。

そのうえでバルトは、作者が語った意図を作品の唯一の意味とする読み方を問い直しました。読者が出会うのは、書き手の内面そのものではなく、完成した文章です。そこには言語の規則や社会の表現、以前の文学の記憶などが重なっています。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ジョン・ロギー(2013年)|「作者の死」の1967年初出をめぐる研究)

作品の意味は読む行為で複数の関係を持つ

バルザックの『サラジーヌ』で誰の声が話しているかを確かめると、登場人物、語り手、社会の常識が交差していることがわかります。その交差を一人の作者の思いへ縮めると、物語の形式が持つ豊かな働きを見失います。

読者は、言葉の並び、皮肉や比喩、作品の時代背景を確かめながら解釈を組み立てます。意味が読者によって発見されるということは、本文を根拠に言葉を読み直す仕事を引き受けることでもあります。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/みすず書房|バルト『S/Z』とバルザック『サラジーヌ』)

「作者の死」が残した具体的な答え

作品の意味について、作者は大切な当事者です。作品として公表された言葉は、作者の意図より広い文化の中で働き、読む人のもとで多くの関係を結びます。だから作者の説明が、その作品について考えられることをすべて決めるわけではありません。

バルトの答えは、作品の意味を一人の権威に閉じず、文章の中に交わる声と、読者による能動的な理解へ開くことでした。作品を読むときに「作者は何を言いたかったのか」と考えることもできます。そこへ「この言葉は誰の声として語られ、ほかの言葉とどう響き合うのか」という問いが加わったのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/ミシガン工科大学|『Image–Music–Text』所収「作者の死」)

略年表|「作者の死」の成立と読書論の展開

  • 1830年|バルザックが小説『サラジーヌ』を発表する
  • 1842年|マラルメが生まれる
  • 1857年|ソシュールが生まれる
  • 1871年|ヴァレリーとプルーストが生まれる
  • 1913年|ソシュールが没する
  • 1915年|ロラン・バルトがフランスのシェルブールで生まれる
  • 1916年|ソシュールの講義に基づく『一般言語学講義』が死後刊行される
  • 1924年|ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表する
  • 1946年|ウィムザットとビアズリーが「意図の誤謬」を発表する
  • 1953年|バルトが『零度のエクリチュール』を刊行する
  • 1957年|バルトが『神話作用』を刊行し、デュシャンが「創造的行為」を講演する
  • 1960年|バルトが高等研究実習院で研究・教育に携わる
  • 1962年|バルトが高等研究実習院で研究指導に携わる
  • 1963年|バルトが『ラシーヌ論』を刊行する
  • 1965年|ピカールが『新しい批評か、新しい詐欺か』を刊行する
  • 1966年|バルトが『批評と真実』を刊行する
  • 1967年|バルト「作者の死」が『Aspen』第5・6合併号に英語で初掲載される
  • 1968年|「作者の死」フランス語版が雑誌『Mantéia』に掲載される
  • 1968年5月|フランスで学生と労働者の抗議運動が広がる
  • 1969年|フーコーが「作者とは何か」を講演する
  • 1970年|バルトがバルザック『サラジーヌ』を分析した『S/Z』を刊行する
  • 1971年|バルトが「作品からテクストへ」を発表する
  • 1973年|バルトが『テクストの快楽』を刊行する
  • 1977年|バルトがコレージュ・ド・フランスの教授に就任する
  • 1977年|英語版論集『Image–Music–Text』に「作者の死」が収録される
  • 1980年|バルトがパリで没する
  • 2013年|ジョン・ロギーが『Aspen』での1967年初出を再検討した研究を発表する

まとめ|作品の意味は作者が決めるものなのか

1967年の「作者の死」でロラン・バルトが問うたのは、作家の意図が作品の最終的な意味を決めるのかという問題でした。バルザック『サラジーヌ』の一文には登場人物、語り手、社会が共有する女性像などの声が重なります。作者の伝記を知ることには意味があります。そこから作品の解釈を一つに決める習慣を見直すことで、文章の中で働く複数の声が見えてきます。

バルトが重視したのは、言葉が以前の文学や社会の慣習と結びつき、読者のもとで新しい関係を生むことです。「作者の死」は生身の書き手が消えるという意味ではありません。文章が作者一人の内面を伝える容器として扱われることを批判し、読者が言葉のつながりを発見する仕事へ目を向けました。

バルトの問題提起は、1969年のフーコーによる「作者機能」の分析、1970年の『S/Z』における綿密な読解、1971年の「作品からテクストへ」へ受け継がれました。実際の読書では、作者の意図、作品の言葉、歴史的な事情、読者が見つける関係を、それぞれ根拠に即して考えることができます。作品の意味について作者は重要な証言者であり、その作品は読者へ届くことで、さらに多くの意味の可能性を持つのです。(参照:ペンシルベニア大学|バルト「作者の死」原論考(英訳)/フーコー原論考|「作者とは何か」作者機能の説明)

参考資料・出典