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Philosophy

1000年頃

「存在する」とはどういうことか

イブン・シーナーと存在論

アヴィセンナ(イブン・シーナー)が残した感動の物語(英雄たちのストーリー)

西暦1000年頃、中央アジアのブハラは、サーマーン朝が宮廷を置いてきた都市でした。現在のウズベキスタンにあたるこの地域では、商人たちが遠くの町との交易を行い、役人が税や土地に関する文書を扱いました。モスクでは礼拝が営まれ、法学者や宗教学者がアラビア語の聖典を読み、宮廷の医師や書記も学問に携わります。日常の会話にはペルシア語などが使われ、哲学、医学、数学ではアラビア語が地域を越える共通の学術言語となっていました。

ブハラ近郊で育ったイブン・シーナー(980年頃〜1037年)は、若くして医学と哲学を学び、サーマーン朝の君主の病を診たと伝えられます。その経験によって宮廷の蔵書に触れたことも、自らの生涯を語る記録に残っています。ところが999年、王朝の首都はカラハン朝に占領され、彼はその後、中央アジアからイラン各地の宮廷を移り歩くことになります。医師として人の身体を診ながら、膨大な哲学書を執筆する生活は、変動する政治と学問を支える宮廷文化の中で営まれました。

イブン・シーナーが哲学の中心に据えたのは、一見すると単純な問いです。私たちは「三角形とは何か」を説明できますが、説明した三角形が目の前に実在するかは別に確かめます。「それが何であるか」と「それが存在すること」は、どのようにつながるのでしょう。さらに、ある物が存在するには原因が必要だとしたら、世界全体の存在は何に支えられているのでしょう。彼はギリシア哲学を受け継ぎながら、本質・存在・可能性・必然性を結びつける体系的な答えを作り上げました。

十一世紀初めの世界では、学者はどこで生きたのか

ブハラの宮廷を支えた行政、交易、宗教と学問

九〜十世紀のサーマーン朝は、ブハラを中心に中央アジアとイラン東部の広い地域を統治した王朝です。各地からの交易品と税収が宮廷の財政を支え、君主は官僚や軍人を用いて都市と地方を治めました。君主の周囲には書記、詩人、学者、医師が集まり、彼らは報酬や役職と引き換えに専門的な技能を提供します。宮廷が保有する書庫は、書物を集めて学ぶ人にとって貴重な環境でした。

学問の場は宮廷に限られません。モスクや師弟の学習関係では、聖典の解釈、法の議論、言語の研究が続けられました。古代ギリシアの著作から発展した哲学や医学もアラビア語で読まれ、ペルシア語を話す地域の知識人が利用しました。医師には病を説明する理論が、行政官には計算と判断の能力が求められます。学問を深めることと、君主の統治を支える仕事とが、同じ人物の生涯で結びついていました。(参照:イラン百科事典|イブン・シーナーの伝記/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/セント・アンドルーズ大学数学史資料|イブン・シーナーの生涯)

バグダードのカリフと、各地で強まる地方政権

八世紀半ばに成立したアッバース朝は、バグダードを拠点に広いイスラーム世界を統治してきました。十世紀以降、政治的な実権を握る勢力は地域ごとに分かれ、ブハラのサーマーン朝やイランのブワイフ朝などの宮廷が学者の活動を支えます。カリフの宗教的権威と、地域の君主が担う軍事・行政は、異なる形で社会に作用していました。学問を求める人は、都市を移ることで新しい職と保護者を得ることがありました。

九九九年にカラハン朝がブハラを占領すると、サーマーン朝の支配は終わりを迎えます。宮廷と関係の深かったイブン・シーナーの人生も、この政治的変化の影響を受けました。彼はその後、ホラズム、ジュルジャーン、レイ、ハマダーン、イスファハーンへと活動の場を移します。都市を渡る知識人は、書物や議論の方法も別の宮廷へ運びました。彼の哲学の成立を理解するには、地理的に広がる学術文化と、その職業の不安定さを知ることが大切です。(参照:イラン百科事典|イブン・シーナーの伝記/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/セント・アンドルーズ大学数学史資料|イブン・シーナーの生涯)

翻訳運動が残したアラビア語の哲学教育

八〜十世紀には、ギリシア語とシリア語の医学書、数学書、論理学書がアラビア語へ訳されました。アリストテレス(紀元前四世紀のギリシアで活動した哲学者)は推論、自然の変化、存在の原理を論じ、後世の注釈者たちはその著作を解説しました。イブン・シーナーが学んだのは、この長い受容を経た哲学でした。原典と注釈、翻訳者が整えた語彙が、一つの教育課程として利用できる時代になっていたのです。

先行するファーラービー(870年頃〜950年頃)は、バグダードなどで活動した哲学者で、論理学、自然学、形而上学、政治を関連づけて考えました。イブン・シーナーはこの学問の枠組みを受け継ぎ、アリストテレスの議論を検証しながら自らの体系を築きます。古い著作を読むたびに、そこに置かれた前提と、前提から結論が導かれる道筋を自分で確かめました。論証が成り立つ理由を理解してから議論を進める姿勢が、彼の学問全体を支えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学におけるギリシア語文献/スタンフォード哲学百科事典|ファーラービーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

イブン・シーナーは、どんな学問と人生を歩んだのか

イブンスィーナー イスラーム東方哲学の完成【ゆっくり解説 倫理】(公民ちゃんねる)

宮廷の医師となった青年は、何を学んだのか

イブン・シーナーはブハラ近郊のアフシャナに生まれ、サーマーン朝の役人だった父のもとで教育を受けました。アラビア語の論理学や数学、自然学を学び、医学にも取り組みます。本人の語りを含む伝記によれば、若い頃にサーマーン朝の君主ヌーフ二世の病を診て、その後、宮廷の蔵書に接する機会を得ました。学術書を手に入れ、その内容を読み比べられた経験は、独自の哲学を形成する条件となりました。

彼の生涯を知る主な資料は、本人が語り、弟子のジュズジャーニー(十一世紀の学者で秘書・伝記編纂者)が後半を書き継いだ伝記です。そこには早い学習の達成や、移動の最中にも書き続けた姿が描かれます。著述家自身の自己理解と、弟子による記録が合わさった資料として読むと、医師と行政官の仕事に携わりながら、学問の原理を一貫して考えようとした人物像が見えてきます。(参照:イラン百科事典|イブン・シーナーの伝記/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/インターネット哲学百科事典|イブン・シーナー)

『治癒の書』は医学書なのか、それとも哲学書なのか

彼の大著『治癒の書』(キターブ・アル=シファー)は、論理学、自然学、数学、形而上学を体系的に整理する哲学・学術の著作です。題名の「治癒」は学問によって知性の問題を解くことに関わり、病気の治療法を並べた医学書とは区別されます。形而上学の部分では、物が何であるかと、現実に存在することとの関係を考え、世界の存在を支える原理へ議論を進めます。

本の構成にも意味があります。推論の仕方を学び、身体や運動を扱う自然学、数の関係を扱う数学へ進んだうえで、どの分野にも共通する「存在」を調べます。例えば医学は人体を対象にし、天文学は天体を対象にします。では、人体にも星にも共通する「存在する」という事実を、どの学問が説明するのでしょう。『治癒の書』の形而上学は、この問いを独立した探究として引き受けました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

『医学典範』と行政の仕事を並行して進めた

イブン・シーナーの『医学典範』(アル=カーヌーン・フィッティッブ)は、医学の基礎、薬物、身体の各部位の病気、全身に関わる病気、複合薬などを五部に整理した書物です。古代の医師ガレノスらに由来する知識を吸収し、当時の医学を体系的に教えるための構成にしました。後世にはアラビア語世界やラテン語世界で広く読まれ、実際に写された多くの写本が残っています。

彼はハマダーンの宮廷で医師として仕え、政治上の職務も担いました。イスファハーンでは君主の庇護を受けて著述を続けます。患者を診ることには観察の積み重ねが必要です。行政には、人と物資の動き、君主の意思決定への関与が伴います。自然を知る方法と、人々の行為を判断する方法を考えた哲学者が、こうした具体的な仕事の中で生きていた点は、著作が取り組んだ問題の広さを理解する助けになります。(参照:米国議会図書館|イブン・シーナー『医学典範』の写本資料/イラン百科事典|イブン・シーナーの伝記/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

「それは何か」と「それは存在するか」は、どう違うのか

三角形の意味を知っていても、その図形を見たとは限らない

三角形は、三本の辺で囲まれた平面図形です。その定義を聞けば、手元に紙も鉛筆もなくても、どんな形を指しているか理解できます。これに対して「机の上に三角形を描いた紙がある」という主張には、実際に確かめる余地があります。前者はそのものが何であるかを述べ、後者はそれが現にあるかを述べています。イブン・シーナーは『治癒の書』形而上学第一巻で、こうした違いをあらゆる存在へ広げて考えました。

例えばある建築物の設計図が完全に書かれていても、建物が建っているとは言えません。設計図に示された大きさや構造から「どのような建物か」はわかります。存在するためには材料と施工などの条件が必要です。ここから、一つの物の性質を明らかにすることと、その物が現実に成り立つ理由を明らかにすることとを分けられます。イブン・シーナーは、この違いが世界を構成するあらゆる物を考えるための出発点になると論じました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

「本質」は、そのものを何として理解するかを示す

イブン・シーナーは、あるものが「何であるか」を表す概念を、本質や「何性」(マーヒーヤ)という言葉で論じました。馬とはどんな生き物か、三角形とはどんな図形か、という問いは、それらを他のものから区別して捉えるための問いです。たくさんの馬が異なる毛色や体格をしていても、「馬である」という共通した特徴を理解できます。そこで個別の違いと、何の一例なのかを区別して説明することが可能になります。

一頭の馬の形や動きは感覚で知ることができます。その馬の本質について考えると、個体が異なっても共通する性質をどう知るかという問題へ移ります。古代ギリシアのアリストテレスも定義と存在の問題を考えました。イブン・シーナーが展開した特徴は、本質を理解することと、ある物が存在することとの関係を、知識の問題から世界そのものの成り立ちを説明する問題へつなげた点にあります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学)

存在は、定義に書き加える性質と同じなのか

紙に三角形を描いてから消すと、紙の上の図形はなくなります。三角形の定義は、紙に描く前も、消した後も同じです。「三角形であること」の内容を考えた時点では、現実の紙に三角形があるかどうかは決まりません。イブン・シーナーはこの違いから、私たちが物の本質を把握することと、それが存在するという事実を確かめることを区別します。

存在が本質に対して「付随する」と述べられる箇所もあります。この関係を、物体に新しい色を塗るように「存在」という性質が後から加わる出来事だと想像すると、議論を取り違えます。争点は、何であるかという説明だけから、そこに現実の存在があると結論できるかということです。本質と存在の区別が現実の構造について何を意味するかは、後世の哲学者たちが詳しく議論した中心的な問題になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

存在を考えるとき、心の中と世界の中はどう関係するのか

心で理解することと、外に実在すること

まだ建てられていない塔を想像すると、その高さや形を心の中に描けます。塔について考えることはできますが、町を歩いてもその塔が見つかるとは限りません。イブン・シーナーは、知性が把握するもののあり方と、外の世界に具体的に存在するあり方を区別しました。同じ「塔」を指す言葉でも、心にある概念を語る場面と、実際の建築物を語る場面とでは、確かめるべき内容が異なります。

こうした区別は、存在について何を知ったと言えるかという哲学の問題を明確にします。私たちは考えられるものをいくつも挙げられます。その概念が整理されていても、目の前に実物があるとまでは証明されません。何かを理解できることと、それが現実に存在することの間をどう説明するか。イブン・シーナーは、知識の成り立ちと世界の存在を、一つの枠組みで扱う道を開きました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

「馬であること」は一頭の馬と同じか

牧場にいる一頭の馬には、特定の色、体の大きさ、年齢があります。別の馬にも共通する性質があるので、私たちはどちらも馬と呼べます。ここで共通の「馬であること」は、どこにあるのでしょう。イブン・シーナーは、ある本質をそれ自体として考えるとき、それが一つであるか多数であるか、心にあるか外の世界にあるかという条件をいったん分けて捉えます。

例えば「人間」という本質を考えるとき、「一人の人間」という個体や「人間全体」という複数の集まりをまだ指定していません。実際の世界では本質は個体の中で成り立ち、知性の中では複数の個体に共通する概念として理解されます。この考え方により、共通の本質を論じながら、抽象概念が個別の物体と同じ形で独立して並ぶという説明を避けられます。普遍的な知識をどう得られるかという問いが、存在のあり方と結びつきます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学)

「ある」「一つ」「必要」といった基本の概念

何かを教えようとするとき、私たちはすでに「ある」「一つ」「もの」といった言葉を使っています。これらを別の言葉だけで定義しようとしても、説明のどこかで存在や同一性を前提にしなければなりません。『治癒の書』形而上学第一巻第五章で、イブン・シーナーは「存在するもの」「もの」「必然」など、知性がまず把握する基本的な概念を論じます。哲学の説明は、その出発点自体を明らかにしようとするのです。

この議論には、物を数えることや名前を付けることにも関係があります。「一頭の馬」というときの一と、「世界に唯一の第一原因」というときの一は、どこまで同じでしょう。数の一は集まりの中で数えられ、存在の根源としての一は別の問いを生みます。言葉が日常的に通じるからこそ、哲学はその言葉が何を前提としているかを検討します。この基礎的な吟味が、後に必然的存在者を論じるための準備となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

存在するものは、なぜ「可能」と「必然」に分けられるのか

「存在しているが、存在しなくてもよかった」という考え

庭の木は現に存在しています。その木は種が育ち、水や光を得て大きくなりました。種が芽を出さなかった場合には、その木の成長は起こらなかったでしょう。木が現実にあることと、木の性質を考えるだけで存在が決まることは異なります。イブン・シーナーは、存在そのものが本質から必然的に導かれるものと、存在が他の条件に依存するものを区別しました。

彼が「それ自体では可能な存在者」と呼ぶのは、自分の本質だけを考えたとき、存在が必ず成り立つとは言えないものです。家、人、星といった具体的な存在も、その存在には原因が関わります。日常語で「実現しそうだ」と言う確率の話とは少し違い、存在を支える条件への依存が中心です。今ある物がなぜあるのかを問うことで、存在の理由がその物自身の内部にあるのか、外に求められるのかを調べます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論)

原因によって存在が定まると、「他による必然」が生まれる

種、土、水、光などの条件が整ったことで、木が育ったとします。必要な原因がそろって効果が生じるとき、その結果は原因との関係において定まります。イブン・シーナーは、ある物がその本質では可能な存在者であっても、適切な原因によって現実にあるなら「他のものによって必然となる」と考えました。存在することの可能性と、実際に存在する理由とを二つの段階で説明するのです。

例えば器が割れた原因をたどると、落下したこと、ぶつかった床の硬さ、器の材質などが関わります。この例から、なぜ実際に一つの結果が起こったかを考えられます。イブン・シーナーの哲学では、原因は出来事の時系列を語るものに加え、ある物が存在することを支える関係でもあります。何に依存して存在しているかを調べるため、現在ある物同士の関係そのものが哲学の対象になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

「それ自体で必然的に存在するもの」とは何か

木には成長の条件があり、家には建築の条件があります。その存在を支える原因についても「なぜその原因はあるのか」と尋ねられます。こうして依存関係を追い続けたとき、最後までどこか別の存在に支えられなければ、何も存在し得ないのでしょうか。イブン・シーナーは、それ自体では原因を必要とせず、存在が必然である第一の存在者を考えます。

「必然的存在者」という表現は、最初から神という名を貼り付けるための用語ではありません。ほかのものによって存在するという関係を分析し、根本にあるものの条件を言葉にしたものです。もし第一の存在者が外部の原因に依存していれば、その存在もさらに説明される対象になります。そこで彼は、原因を必要とする存在者と、原因のいらない存在者を厳密に分けました。この区別が、後の神の存在論証を支えます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

原因をたどると、必然的存在者へ到達できるのか

一つの物の存在を、他の原因で説明する

目の前に一冊の本があるとします。その本には印刷や製本に関わる人、紙を作る人、材料を供給する人が関わりました。原因をさかのぼるほど、存在を成り立たせる条件の広がりが見えてきます。イブン・シーナーの関心は、特定の本がいつ作られたかという歴史を越えます。現に存在しているものを考えたとき、その存在を他の原因に頼るものだけで最終的に説明できるのかを問いました。

『治癒の書』形而上学では、存在するものを、それ自体で必然なものか、それ自体では可能なものかに分けます。可能なものが現実に存在するなら、それを存在させる原因が必要です。原因そのものが別の原因に依存するなら、問いはさらに進みます。この推論は、最初の一日を探すための年代調査と異なり、どの時点にも当てはまる存在の依存関係を調べています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

依存するものを集めても、依存は消えない

例えば一人ひとりがお金を借りて暮らす集団を想像してください。借り手を何人集めても、どこからその資金が出ているのかという問題は残ります。借り手全員がお互いに依存しているという説明で、集団全体の資金源まで理解できるでしょうか。この比喩は、外からの根拠を必要とするものの集まりには、なぜその集まりが存在するのかという問いが残ることを示します。

イブン・シーナーの論証では、可能な存在者からなる全体は、その外にある原因を要します。構成する個々の物が別のものから存在を得るだけなら、それらを合わせたこと自体が自立した存在の根拠にはなりません。そこから、他に依存する存在者を説明するためには、それ自体で存在が必然であるものを認めるという結論へ進みます。すべてを可能なものだけで説明できるか、という点が論証の中心です。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論)

宇宙の始まりを証明しなくても、第一の根拠を問える

九世紀の哲学者キンディーは、アッバース朝の宮廷でギリシア語の思想を受け継ぎ、世界に時間上の始まりがあることを論じました。イブン・シーナーは存在の依存を別の角度から考え、宇宙がいつ始まったかに先立って、なぜそれが存在するのかを問いました。例えば過去がどれほど長く続いたとしても、現にある世界の存在が何によって支えられるかという問題は残ります。

この論証で導かれるものを、彼は「それ自体で必然的な存在者」と呼び、神と結びつけます。根拠は、自然の特定の動きや観測結果から得るというより、存在と原因の関係を分析することにあります。そうした理由から、彼の議論は後に自然界の出来事を手掛かりに神を探る議論と区別して論じられました。問われているのは、すべての存在が他に支えられているなら、その依存をどこで説明できるかということです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論)

必然的存在者は、なぜ一つで単純なのか

部分を持つものは、何によって一つになっているか

机は天板と脚から成り、人体は多くの器官から成り立っています。それらは部分が結びつくことで一つの物になります。では、すべての存在の根拠となるものにも、複数の部分があるのでしょうか。イブン・シーナーは、組み合わせを必要とするものには、それを成り立たせる説明が必要だと考えました。究極の根拠を他の要素へ分けてしまうと、今度はその要素がどう結びついたかを問うことになります。

必然的存在者は、他の存在へ依存しないものとして導かれました。そのあり方が部分の結合に頼るなら、第一の存在者という説明と緊張が生まれます。彼はこの論理から、第一の存在者に身体のような構成を認めず、根本的な単純性を考えます。これは神がどこかにある非常に大きな物だという想像とは違います。存在が何にも依存しないという条件を徹底すると、どのような性質を第一原理へ帰せるのかを論じることになるのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

二つの必然的存在者は区別できるのか

もし必然的存在者が二つあるとしたら、二つをどのように区別すればよいでしょう。片方にだけ特別な性質があるなら、その違いがどこから生まれるのかを説明する必要があります。数で区別できる物は、何らかの違いを持ち、同じ種類のものとして数えられる場合があります。イブン・シーナーは、こうした区別に伴う構成や依存を検討し、必然的存在者の唯一性を論じました。

この議論は、イスラームの神学が大切にする神の唯一性と接するものです。イブン・シーナーにとって大きな課題は、唯一であると信じる内容が、存在の原理からどのように説明できるかということでした。部分や差異を認めることで第一原理の説明がさらに必要になるなら、第一原理はそれらを越えた単一の存在でなければなりません。論証から神の性質を導くという方法が、ここで形を取ります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

神の本質と存在を分けると、何が起きるか

家や木については、それが何であるかを説明した後に、なぜ実際に存在するかを問えます。必然的存在者にも同じ区別を当てはめ、まず神の本質があって、そこへ存在が加わると考えたらどうなるでしょう。その本質が現実にあるには、存在を与える原因が必要になるはずです。すると自分自身によって存在するという最初の条件が揺らぎます。

イブン・シーナーは、第一の存在者には存在と別個の本質を認められないと論じました。存在の根拠を自分の外にも内にも追加する必要がない、という考えです。この命題は後世の哲学で大きな論争を引き起こします。「神は純粋な存在である」と理解することと、私たちが知る個々の存在者の存在とをどう区別するのか。彼が導いた結論は、神の単一性を説明するとともに、「存在」という語そのものの意味をさらに考えさせるものでした。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

世界は始まったのか、それとも永遠に存在するのか

第一の原因から世界の多様さが生まれる仕組み

世界には星や地上の物、植物、人間など多様な存在があります。最も単一な第一の存在者から、どうしてこれほど異なるものが生じるのでしょう。イブン・シーナーは、古代のアリストテレスや新プラトン主義の哲学から受け継いだ宇宙論を利用し、第一原理から知性や天体の秩序が段階的に生まれる関係を論じました。単一な原因と、多様な結果をつなぐために、複数の段階を持つ存在の秩序を考えたのです。

この説明は、星を見たときに知る天体の動きと、宇宙の存在を支える根拠とを結びつけます。天体の配置を計算する天文学の方法に加え、世界がなぜそのような秩序を持って存在するかを形而上学で説明する試みです。現在の宇宙観から見ると彼の天体論には時代の制約があります。それでも第一の存在者の単一性と、経験する世界の多様性を両立させようとした論証の構造は、その後の哲学的な検討を呼びました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

「創造」は時間の最初の瞬間だけを意味するのか

私たちは、家が建てられた日や木が芽を出した時期を尋ねることで、物の始まりを知ろうとします。神が世界を創造したという主張も、世界がいつ始まったかという問いで理解されがちです。イブン・シーナーは、第一の原因と世界との関係を、時間的な前後に加えて、存在の根拠として考えました。原因に依存する世界は、たとえ時間の中で最初の瞬間を定めなくても、その原因によって存在すると説明できます。

この立場では、第一原因が永遠であるなら、その原因に支えられた宇宙も永遠に存在し得ます。世界が神に依存することと、宇宙の時間が始まりを持つことは、別の命題として検討されます。イブン・シーナーは古代の永遠宇宙論を受け継ぎながら、存在の必然性を使って神と世界の関係を説明しました。神による創造を語る宗教的な解釈との違いは、後の神学者が彼の哲学を批判する大きな争点となります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム思想の因果論)

宗教の神と哲学の第一原理は、どこまで重なるか

イスラームの信仰では、神が世界を創造し、人間へ啓示を伝え、正義を示すことが重んじられます。イブン・シーナーは必然的存在者の論証を通じて、神の唯一性と世界の根拠を説明しようとしました。さらに神の知性と宇宙の秩序、人間が知識を得る働き、預言者の認識を結びつけて考えました。哲学の言葉で神を論じることは、宗教的な主張の内容をどんな推論で説明できるかを調べる仕事でもありました。

世界の永遠性や神の知り方について、聖典の解釈と形而上学の結論は緊張する場合があります。重要なのは、どこで論点が生まれるかです。神がすべてを知るなら、刻々と変わる個々の出来事をどう知るのか。永遠の第一原因から変化する世界が成り立つとき、その原因と出来事の関係はどうなるのか。イブン・シーナーの答えは、彼以後の哲学者や神学者が自分の立場を詳しく示すための共通の議論の材料となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|ガザーリー)

人間は何を根拠に「知っている」と言えるのか

概念を理解することと、判断を正当化すること

「火は熱い」という文を理解するには、火と熱さという概念を知る必要があります。さらに、この文を正しいと認めるには、なぜそう言えるかを確かめます。イブン・シーナーは論理学において、概念を形成する働きと、命題が真であると判断する働きを区別しました。言葉の意味を理解しただけで、そこに述べられた関係をすべて証明したことにはなりません。知識の二つの段階を明確にしたのです。

この考え方は、存在論と直接つながります。「三角形」の意味を理解することは、そのような図形が何かという説明です。「この図形が存在する」と判断するなら、実際の存在を認める理由が必要になります。何であるかを知ることと、何が真であるかを認めることは違う作業です。イブン・シーナーは、それぞれにどのような定義や論証が求められるかを詳しく考えることで、確かな知識の成立を説明しました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学)

なぜ結論が出るのかを示す「中項」

「すべての人間は死ぬ」「ザイドは人間である」という二つの前提から、「ザイドは死ぬ」という結論が導かれます。そこで「人間である」という共通する語句が、個別のザイドについての判断と、一般的な命題を結びつけています。アリストテレスの三段論法では、この関係を担うものを「中項」と呼びます。イブン・シーナーは、学問的な説明でこの結びつきを見いだすことを重んじました。

例えば「ある金属が熱で膨張する」という現象を見たとして、なぜそうなるかを説明するには、その金属の性質と熱の働きを結ぶ理由が必要です。結果を述べるだけの文章と、結果が生まれる根拠を示す説明には違いがあります。イブン・シーナーは、先行者から受け継いだ論理学を発展させ、原因と結論の関係を知るために、どのような推論が確かさを与えるかを考えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

感覚と知性は、互いに何を助け合うのか

子どもが何種類もの木を見て、葉や幹、成長の特徴を覚えたとします。一つひとつの木は違いますが、それらを「木」という共通の概念で理解できるようになります。イブン・シーナーは、人間の知識が感覚を通じて個別の物を経験することから始まり、知性が共通する内容を把握する過程を論じました。視覚や聴覚による情報、記憶、想像、判断は、知性が学ぶための働きとして位置づけられます。

古い哲学では、目に映るものが変化し続けるのに、普遍的な知識をどのように得るのかが議論されてきました。イブン・シーナーはアリストテレスの認識論を受け継ぎ、感覚による経験と論証による理解を体系的に結びつけます。人がなぜある証明を理解できるか、知性が働く条件は何かという問題は、魂の仕組みを考える自然哲学へも広がりました。存在を調べる学問と、そこへ到達するための知識の学問がつながります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学)

身体を感じなくても、「自分がいる」とわかるのか

宙に浮かぶ人の思考実験

イブン・シーナーの「宙に浮かぶ人」と呼ばれる思考実験では、成熟した身体を持つ一人の人が突然生み出され、空中に浮かび、手足が互いに触れず、外のものも見聞きできない状態を想像します。身体からの感覚が届かず、自分の手や足があることさえ意識しないとき、その人は自分が存在するということを知るでしょうか。彼は、その人も自分自身の存在を意識すると考えました。

私たちはふだん、目に見える身体や物に触れる感覚を通じて、自分がここにいることを感じています。この実験はそうした感覚をすべて取り除いても、自己への気づきが残るとしたら何がわかるかを問いかけます。実際に人を浮かべて確かめる実験ではなく、身体に関する情報と「私がいる」という意識を分けて考えるための思考実験です。自分を知るという経験から、魂のあり方を論じる入口になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の心の理論/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

自己意識と身体の性質を区別する理由

人は手の大きさや体重を知らなくても、自分の意識があると感じられます。イブン・シーナーは、この違いから、自己意識が身体の特定の部分を意識することと同じ働きではないと論じました。身体がどんな形をしているかという知識がなくても、自分自身の存在を把握できるという点が、魂と身体を分けて考える根拠になります。

ここから「考える私」と「身体」は、どのような関係なのかという問いが生まれます。イブン・シーナーは、魂を単に身体の部分が集まったものとして捉える説明を退け、理性的な魂の独自性を擁護しました。さらに彼は、身体と魂の働きや理性の普遍的な理解を論じることで、魂の性質と持続を説明します。自己への気づきを存在の手がかりとする発想は、後世の心の哲学にも比較の対象を与えました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の心の理論/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学)

記憶、想像、知性が一人の人間で働く

ある犬を見て以前の経験を思い出し、今度はその犬が危険かどうかを判断するとします。見えている形、過去の記憶、相手についての評価は同じものではありません。イブン・シーナーは外の五感に加えて、感覚をまとめる働き、像を保つ記憶、想像、感覚から直接は見えない意味を判断する働きなど、複数の「内的感覚」を区別しました。動物や人間が周囲の世界へ適切に反応する仕組みを説明しようとしたのです。

その上で理性的な知性は、個別の体験から普遍的な内容を把握します。目に映るもの、思い出す像、概念として理解することの間には、段階があります。身体を通じて情報を得ることと、身体の働きだけでは捉えきれない自己意識や普遍的な認識を考えることが、彼の哲学で結びつきました。魂の議論は、存在論から離れた話題というより、私たち自身がどのように存在し、どのように知るかを考える探究だったのです。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の心の理論/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの自然哲学)

医学、哲学、神学の問いは、どこで交わったのか

診療の経験と、原因を説明する学問

『医学典範』は、人体の基本的な仕組み、病気の種類、薬物と治療について、当時の医学知識を整理した著作です。医師は患者の症状を調べ、体調や病歴を聞き、治療を選びます。どの観察が原因の説明に役立つかを考えることは、医学を単なる経験の集まりから、理由を示す学問へ整えていく作業です。イブン・シーナーは医療に携わりながら、論理学では何を根拠に判断できるかを探究しました。

例えば熱が下がった患者について、「飲んだ薬のために治った」とすぐ結論してよいでしょうか。症状の経過や他の条件を考えることで、結果と原因を区別しようとできます。十一世紀の医学では、ガレノス以来の体液説などを使って病気の原因を説明しました。その医学の枠組みと、一般にどうすれば確かな原因を知ることができるかという哲学の問いが、彼の学問の中で接していたのです。(参照:米国議会図書館|イブン・シーナー『医学典範』の写本資料/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの論理学/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

知性による理解と、宗教的な啓示の関係

イブン・シーナーは、人間の知性が知識を得る働きと、預言者が宗教的な教えを受ける働きを一つの心理学の中で説明しようとしました。人間の知性が潜在的な能力から実際の理解へ進む過程には、より高次の知性との関係があると考えます。預言者には、真理を把握する特別な知性の能力と、それを人々へ伝わる像や言葉で示す優れた想像力があると説明しました。

宗教的な教えは多くの人に届き、共同体での行動を導きます。哲学的な証明は、論証の前提を学び、結論を理解する作業を必要とします。イブン・シーナーは、この二つが人間の知識と社会にどのような役割を果たすかを考えました。預言を超自然的な言葉だけで片づけず、人間の知性や想像力の仕組みと結びつけて説明する試みは、哲学と宗教の関係を論じる新しい焦点になりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の心の理論/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

神学者は、世界の永遠性と神の知識を問い直した

イブン・シーナーの宇宙論は、神が第一原因であることと、世界が永遠にその原因に依存することを結びつけました。こうした議論は、神による創造をどのように理解するかという神学的な問いを鋭くしました。世界に時間上の始まりを認める立場からは、原因が永遠なら世界の存在も必然的に定まるという説明に疑問が向けられました。

十一〜十二世紀に活動した神学者ガザーリー(1058年頃〜1111年)は、『哲学者の自己矛盾』で、世界の永遠性、神が個別の出来事を知るあり方、復活の問題などについて哲学者たちを批判しました。彼は哲学で発展した論理学や説明方法も理解し、自分の議論に取り入れています。対立が生じたのは、神と世界の関係について具体的な命題が食い違うところでした。イブン・シーナーの著作は、それらを問い直すための共通の参照点になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ガザーリー/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学)

イブン・シーナーの存在論は、その後どう読まれたのか

後のイスラーム世界では、批判する人も議論を継いだ

十二〜十三世紀に活動したファフルッディーン・ラーズィー(1149年頃〜1210年)は、神学、哲学、聖典解釈を論じた学者です。イブン・シーナーの体系的な著作を詳しく検討し、本質と存在の区別や、必然的存在者の性質をめぐる問題を新たに論じました。後世の学者にとって、イブン・シーナーを読むことは、その結論を受け入れることだけを意味しません。論証の前提を洗い直し、別の答えを示す仕事でもありました。

「何であるか」と「あること」を分けて考えるなら、二つの違いは心の中の区別でしょうか。それとも実在そのものに違いがあるのでしょうか。彼の議論はこの問いを残しました。ラーズィーを含む後続の哲学者・神学者たちは、存在するものの説明に本質がどのように関わるかを細かく検討します。そのため本質と存在の区別は、一人の思想家の結論から、世代を越えて論証の方法を磨く主題となりました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ファフルッディーン・ラーズィー/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学)

ラテン語に訳された形而上学は、ヨーロッパへ渡った

十二世紀には、イベリア半島のトレドなどでアラビア語からラテン語への翻訳が進みました。イブン・シーナーの『治癒の書』の形而上学もラテン語世界へ伝わり、存在と本質の区別、第一原因、知性と魂をめぐる議論の資料になります。ヨーロッパの学者たちは古代アリストテレスの著作も直接・間接に読みながら、アラビア語で発展した哲学の論点を自分たちの言葉へ取り込みました。

十三世紀の神学者トマス・アクィナス(1225〜1274年)は、イタリアとパリなどで活動し、存在と本質の関係や神の存在を論じました。イブン・シーナーの著作は、その思考の重要な対話相手の一つでした。ラテン語で受け取られた学説はさらに解釈され、論者によって異なる結論へ進みます。イスラーム世界とヨーロッパの間には、翻訳者、写本、教育の場を通じた具体的な知識の往来がありました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在)

私たちが「ある」と言うとき、何を理解しているか

目の前の木について、種類や樹齢を説明することができます。さらに、その木がなぜこの場所に存在するのかを問えば、種や環境、育てた人々の行為に話が広がります。世界全体に対して同じ問いを向けるなら、あるものの性質を説明することと、存在そのものの根拠を考えることとの違いが現れます。イブン・シーナーは、存在するという事実を、あらゆる学問を貫く哲学の対象として考えました。

彼が残したのは、「存在」という一語の定義以上の仕事です。本質を理解しても存在が決まらないという問いから、原因への依存、必然的存在者、宇宙の秩序、人間の自己意識へ進みました。世界を知る方法そのものを吟味する姿勢は、医学や論理学の著作ともつながります。説明できることと実在することの違いに気づいたとき、当たり前に見えていた「ある」という事実が、改めて考えるべき問題になります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー)

略年表|イブン・シーナーの生涯と存在論の継承

  • 750年|アッバース朝が成立し、後にアラビア語の翻訳文化が発展する
  • 9〜10世紀|サーマーン朝がブハラを中心とする宮廷文化を育てる
  • 950年頃|ファーラービーが生涯を終え、論理学・形而上学の研究を残す
  • 980年頃|イブン・シーナーがブハラ近郊のアフシャナに生まれる
  • 990年代頃|若いイブン・シーナーが医学と哲学を学び、サーマーン朝の宮廷で医師を務める
  • 999年|カラハン朝がブハラを占領し、サーマーン朝の統治が終わる
  • 1000年前後|イブン・シーナーがブハラを離れ、各地の宮廷を渡る時期に入る
  • 1010年代前半|ジュルジャーン、レイなどで活動し、弟子ジュズジャーニーと出会う
  • 1010年代後半〜1020年代|ハマダーンの宮廷で医療・行政の仕事と著述を続ける
  • 1020年代以降|イスファハーンで君主の保護を受け、哲学的な著作を完成させていく
  • 1020年代を中心に|『治癒の書』で論理学・自然学・数学・形而上学を体系化する
  • 1020年代頃|『医学典範』で医学知識を五部に整理する
  • 1037年|イブン・シーナーがハマダーンで死去する
  • 11世紀末|ガザーリーが哲学者の宇宙論・神学的命題を批判する
  • 12世紀|『治癒の書』の形而上学などがラテン語に翻訳され、欧州の学問へ伝わる
  • 12〜13世紀|ラーズィーらが本質と存在、必然的存在者の議論を継ぐ
  • 13世紀|トマス・アクィナスらが存在と本質の問題をラテン語で論じる

イブン・シーナーの生年や宮廷間の移動時期には伝記資料による推定の幅があるため、概年・年代幅を用いて示しています。(参照:イラン百科事典|イブン・シーナーの伝記/スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナー/セント・アンドルーズ大学数学史資料|イブン・シーナーの生涯)

まとめ|本質を知ることと、存在を説明すること

十一世紀初めの中央アジアとイランでは、各地の宮廷が医師や学者を雇い、アラビア語で学問を進める環境がありました。イブン・シーナーは政治的に変動する時代に医療と行政の仕事を担いながら、『治癒の書』で論理学から形而上学に至る知識を体系化しました。彼の出発点は、ものが「何であるか」という本質を理解しても、それが現実に「ある」とは決まらないという区別です。実在するものは、その本質によって存在が必然なのか、外の原因に依存するのかという問いから、可能な存在者と必然的存在者が論じられました。

イブン・シーナーは、他に依存するものの存在を説明するため、それ自体で必然的な第一の存在者を導き、その単一性や世界との関係を論じました。時間上の始まりを問うことと、世界がなぜ存在するかを問うことの違いは、後世の哲学と神学を長く動かします。知識の根拠を調べる論理学、宙に浮かぶ人の自己意識を考える魂の研究、医学の体系化も、彼の広い学問の中で結びついていました。本質と存在の区別はラーズィーらの批判を受けつつ継承され、ラテン語世界にも伝わり、「存在する」とは何を意味するかという問いを繰り返し生み出しています。(参照:スタンフォード哲学百科事典|イブン・シーナーの形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の本質と存在/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学の形而上学/スタンフォード哲学百科事典|アラビア語・イスラーム哲学のラテン世界への影響)

参考資料・出典

イブン・シーナーの自伝を含む生涯の研究、『治癒の書』形而上学・論理学・魂論の解説、本質と存在をめぐる研究史、『医学典範』の現存資料、後世のイスラーム世界およびラテン語世界での受容に関する研究を参照しました。概念を理解するための身近な例と、原著の論証の内容を分けて説明しています。