1651
人間はなぜ国家を必要とするのか
ホッブズ『リヴァイアサン』
17世紀半ばのイングランド王国では、国王が議会を招集し、貴族院と庶民院で法律や課税をめぐる議論が行われていました。地方では治安判事や裁判所が紛争を扱い、教区教会が礼拝や貧しい人々への援助に関わります。農村では土地の所有や利用をめぐる関係が暮らしを左右し、ロンドンでは職人や商人、印刷業者が集まっていました。市民は日常の取引や裁判を通じて一定の秩序を経験しながら、誰が税を課し、兵を集め、宗教を定める権限を持つのかという政治的な争いに直面していました。
国王チャールズ1世(1600–1649)は1629年から約11年間議会を開かずに統治し、課税と宗教政策への反発が強まりました。スコットランドでの戦争を経て議会が再び開かれ、1642年には王党派と議会派の武力衝突が始まります。両陣営の内部にも意見の違いがあり、イングランド、スコットランド、アイルランドの政治と宗教が複雑に結びつきました。1649年には国王が裁判を受けて処刑され、王政と貴族院の廃止、共和政の成立へ進みます。かつて政治の中心だった王の権威そのものが失われ、人々は秩序の根拠を問い直す時代に生きていました。
この混乱の中で、イングランド出身の哲学者トマス・ホッブズ(1588–1679)はフランスへ渡り、1651年に『リヴァイアサン』を刊行しました。人は自分の生命を守ろうとし、自由に判断する能力を持っています。それなのに、なぜ他人が作る法律に従い、税を納め、国家の命令を受け入れるのでしょうか。ホッブズは共通の権威がない場合の危険を考え、人々が相互に約束して主権者を立てる理論を示します。国家を自然に存在するものとして受け取るのではなく、人間が平和と安全のために作る制度として説明したところに、この著作の大きな特色があります。
CONTENTS
- 国家は何のために存在するのか
- 内戦前のイングランドは、どんな社会だったのか
- 1642年からの内戦は、何を崩したのか
- ホッブズは何を学び、なぜ政治を考えたのか
- 1651年の『リヴァイアサン』はどんな本か
- 人間の行動は、何によって動かされるのか
- 人間は平等だからこそ争うのか
- 「万人の万人に対する戦い」はどうして起こるのか
- 自然状態とは、実際に存在した時代なのか
- 自然権とは、何をしてよい自由なのか
- 自然法はなぜ平和を求めよと命じるのか
- 約束だけで平和を守れるのか
- 社会契約で国家はどのように生まれるのか
- 主権とは、誰のどんな力なのか
- 法律と正義は、国家によってどう変わるのか
- 強い国家のもとで、人はどこまで自由なのか
- 国家は人々の暮らしに何をしなければならないのか
- なぜ『リヴァイアサン』は宗教を長く論じるのか
- 強い主権と自由の緊張をどう考えるか
- 後の政治哲学へ何を残したのか
- 略年表|イングランド内戦とホッブズの著作
- まとめ|安全のために国家を作るという考え
- 参考資料・出典
国家は何のために存在するのか
生活の安全を誰が守っているか
夜道で助けを求められること、店で代金を払えば品物を受け取れること、約束が破られたとき裁判所で争えること。こうした日常の安心には、警察や裁判、法律を実際に動かす仕組みが関わっています。私たちはそれらがある環境に慣れているため、制度が一斉に働かなくなった状況を想像する機会は少ないかもしれません。
ホッブズは、社会の安全がどんな条件で成り立つかを問い直しました。隣人と意見が食い違ったとき、双方が自分を正しいと考え、決着をつける共通の権威がなければどうなるでしょう。国家の存在理由を考えるには、法律の条文が立派かどうかに加え、人々のあいだの争いを誰が止めるかという問題を見る必要があります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
自由に生きたい人が、なぜ命令に従うのか
私たちは自分の時間や身体を自分で使いたいと思います。その自由を制限する法律や税金を、なぜ受け入れるのでしょうか。国家が個人の自由を狭めるだけなら、誰にも従わない方が楽に感じられます。ところが、互いに好きなだけ力を使える社会では、弱い立場の人ほど他人の行動を恐れ、安心して将来を計画できなくなります。
ホッブズは、各人が生き延びる自由を持つことから出発し、共通の権力に従う方が自分を守れる条件を考えました。国家の命令が正当だと言える理由を、王の血筋の神聖さだけに求めず、個人の安全と結びつけます。自由な人が権威を作るという逆説的な構図を理解すると、社会契約の問題が具体的になってきます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
人間が国家を作るという発想の新しさ
古代ギリシアの哲学者アリストテレス(紀元前384–322)は、人間を共同体の中で生きる政治的な動物として論じました。中世や近世のヨーロッパには、君主の統治権を神から与えられた秩序と結びつける考え方もありました。ホッブズはそうした伝統を知りながら、互いを恐れ、自分の命を守ろうとする人々の行動から政治秩序の成立を説明します。
国家を大きな共同体としてほめたたえるだけで、そこで生じる服従の義務を説明することはできません。ホッブズは人々が相互に約束し、一つの代表する権力を作る過程を理論化しました。誰が権力を持つべきかという争いのただ中で、そもそも統治する権限がどう成立するのかを問う。これは近代政治哲学を形づくる重要な問題設定になりました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第16章「人格・著者・代理」/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』研究入門)
内戦前のイングランドは、どんな社会だったのか
国王・議会・地方の裁判所
17世紀のイングランドでは、国王は行政と軍事に強い権限を持ち、議会は課税や法律の制定をめぐる重要な場でした。議会は世襲貴族や高位聖職者を中心とする貴族院と、地域・都市などから選ばれた代表が集まる庶民院から成ります。現在の選挙制度と比べれば、政治に直接参加できる人々は限られていました。
地方の日常生活では、治安判事や裁判所が財産や契約の争いを扱い、共同体内の秩序を保つ役目を担っていました。国の最高権力をめぐる争いが深まると、地方の役人や住民も誰の命令に従うかを選ばなければなりません。抽象的に見える主権の問題は、徴税や兵員の動員、裁判の効力を通じて暮らしへ入ってきました。(参照:英国議会史|イングランド内戦と議会の変化/英国議会史|チャールズ1世の親政と対立/イングリッシュ・ヘリテージ|イングランド内戦の歴史)
教区の礼拝と宗教的な対立
イングランド国教会は16世紀の宗教改革以降、君主と結びつく教会制度を築いてきました。17世紀には国教会の司教制を維持したい人々と、教会をさらに改革し長老による統治を重んじる人々などの間で争いが起こります。スコットランドの長老派教会や、各地の独立派の集団も政治に影響しました。
日曜日の礼拝、説教、教区の運営は人々の生活に密着していました。どの教えを公のものとするかという争いは、家庭の信仰だけでなく、学校や教会の職務、国王と議会の権限にも関わります。ホッブズが後に『リヴァイアサン』の多くを聖書解釈と教会の権力に割いたのは、宗教的な権威をめぐる衝突が政治の平和を左右すると考えたためです。(参照:英国議会史|チャールズ1世の親政と対立/ホッブズ『リヴァイアサン』第42章「教会の権力」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
税と軍隊をめぐる争いが生活を動かす
チャールズ1世は1629年から1640年まで議会を召集せずに統治し、財政を補うため議会の承認をめぐって争いになる徴税方法を使いました。スコットランドでの宗教政策をめぐる戦争は軍事費の問題を深め、国王は1640年に議会を再召集します。王の命令、議会の権利、軍を動かす権限がどこにあるかが争点になりました。
税を集め、兵を動かす者が誰なのかによって、村の暮らしや都市の商取引にも影響が及びます。どの機関の判決や法律を信頼してよいかわからなくなると、人々は相手の行動を警戒します。ホッブズの思想が国家の実効的な力に注目する背景には、権威の分裂が現実の混乱を生み得るという経験がありました。(参照:英国議会史|チャールズ1世の親政と対立/英国議会史|1640〜1660年の主要年表/ラウトレッジ哲学百科事典|ホッブズの政治著作と思想的背景)
1642年からの内戦は、何を崩したのか
国王派と議会派の対立が武力へ変わる
1642年、チャールズ1世が議会の議員を拘束しようとした事件などを経て、国王派と議会派の間で戦争が始まりました。貴族、地主、都市、村落にはそれぞれ異なる政治的・宗教的な利害があり、単純な二つの陣営だけで人々の立場を説明することはできません。戦闘が起これば、食糧の調達や財産の保護も軍隊の動きに左右されます。
人々が以前は共有していた政治の手続きが失われると、命令の根拠がいくつも並び立ちます。国王からの徴発を受け入れるべきか、議会側の軍を支えるべきかという選択は、地域の安全そのものに関わりました。ホッブズは、国内の争いを裁く共通権力が崩れたときに起こる不安を、後に自然状態という思考実験の中で考え直します。(参照:英国議会史|イングランド内戦と議会の変化/イングリッシュ・ヘリテージ|イングランド内戦の歴史/ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」)
1649年、国王が処刑される
議会側の軍が優勢となり、1645年には新模範軍が組織されました。戦争と和平交渉を繰り返した後、1648年の軍による議会粛清を経て、チャールズ1世は翌1649年1月に裁判を受け、処刑されます。同年、王政と貴族院が廃止され、イングランドは共和政を宣言しました。国王を失った政治体制は、新たな統治の仕組みを探り続けます。
この事件が問いかけたのは、統治する権利はどこから来るのかということでした。王が消えた後も人々は安全を必要とし、議会も軍も権力の正当性を説明しなければなりません。ホッブズは王の権力を擁護する文章を書いてきた人物でしたが、『リヴァイアサン』では支配者の個人名を越え、権威の成立条件を抽象的に論じようとします。(参照:英国議会史|1648年のプライドの粛清と国王の処刑/英国議会史|1640〜1660年の主要年表/オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯)
1651年、王政のない時代に国家を論じる
『リヴァイアサン』が刊行された1651年、イングランドでは共和政下の議会と軍が政治を担い、スコットランドなどで戦闘が続いていました。オリバー・クロムウェル(1599–1658)が護国卿に就くのは1653年のことです。1651年当時の状況と、その後の政治体制を区別することが、出版の意味を理解する上で役立ちます。
彼の中心的な問いは、国王の処刑を評価することより、人々がどの権威へ服従すれば平和を確保できるかという点にありました。内戦を通じて統治者が変わり、支配の形が変わるとき、個人の服従義務はどうなるのでしょうか。国家の保護する力が実際に残っているかという問題は、政体の名前だけでは解決しません。著作末尾の結論にも、保護する力と服従の関係が現れます。(参照:英国議会史|1640〜1660年の主要年表/ホッブズ『リヴァイアサン』「再検討と結論」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
ホッブズは何を学び、なぜ政治を考えたのか
オックスフォードから貴族の家庭教師へ
トマス・ホッブズは1588年、イングランド南西部ウィルトシャーのマームズベリーに生まれました。オックスフォードのマグダレン・ホールで学んだ後、1608年に有力貴族キャヴェンディッシュ家の家庭教師となります。この家との長い関係により、書物を読み、ヨーロッパ各地を旅し、学者と交わる機会を得ました。貴族の庇護は当時の知識人が研究を続けるための重要な仕組みでした。
ホッブズはギリシア語・ラテン語の古典を学び、1629年には古代アテネの歴史家トゥキュディデス(紀元前460頃–400頃)による『ペロポネソス戦争史』を英訳しました。戦争によって都市の政治と人々の判断がどのように変わるかを記した古典です。後年のイングランド内戦を経験する前から、恐れ、言葉、権力、戦争が人間の共同生活をどう動かすかに関心を深めていました。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯/ラウトレッジ哲学百科事典|ホッブズの政治著作と思想的背景)
科学と数学から受けた影響
ホッブズは貴族に仕える仕事でヨーロッパを訪れ、フランスの修道士・数学者マラン・メルセンヌ(1588–1648)らと交流しました。1630年代には数学や運動の研究に関心を深めます。人間の知覚や情念にも自然の働きがあると考え、物体の運動を説明する方法を政治の問題へ広げようとしました。
デカルト(1596–1650)が疑いの中から考える主体の確実性を探したのに対し、ホッブズは感覚や思考を物体の運動と結びつける自然主義的な説明を試みます。二人は1641年の『省察』への反論を通じても意見を交わしました。同じ17世紀の科学的な探究が、精神の独自性を論じる方向と、人間の活動を自然の因果から考える方向へ分かれていったことがわかります。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/ホッブズ『リヴァイアサン』第5章「理性と学問」/ホッブズ『リヴァイアサン』第6章「情念」)
パリでの亡命と『市民論』
政治的緊張が高まった1640年、ホッブズはイングランドを離れてパリへ移り、約11年間を過ごします。その頃には政治思想をまとめた『法の原理』の草稿が流通していました。1642年にはラテン語で『市民論』(De Cive)を刊行し、自然状態と市民社会の成立を論じています。1651年に突然社会契約の考えを思いついたという経緯ではありません。
パリには王党派の亡命者が集まり、ホッブズはのちの国王チャールズ2世(1630–1685)の家庭教師も務めました。宗教者や王党派との間でも意見が対立し、『リヴァイアサン』刊行後には帰国へ向かいます。王政を支持する人々の集団に属しながら、統治を神学や世襲の権威だけで支える立場に批判的だったという複雑な位置を押さえると、思想の独自性が見えてきます。(参照:オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯/スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/ラウトレッジ哲学百科事典|ホッブズの政治著作と思想的背景)
1651年の『リヴァイアサン』はどんな本か
聖書の怪物が国家の名前になる
1651年にロンドンで刊行された著作の正式題名は、『教会的および市民的国家の素材、形態、権力についてのリヴァイアサン』という趣旨のものです。「リヴァイアサン」は旧約聖書『ヨブ記』に現れる巨大で恐ろしい生き物を指します。ホッブズはこの名を、個々の人より大きな力を持つ国家を表すために使いました。
強大な怪物の名を借りることには、国家の力が恐るべきものであるという感覚も含まれます。人々が作った国家は、そこに暮らす一人ひとりよりも強力に行動できる存在になります。その力は内戦を抑え、外部からの攻撃に備える目的を持つものです。国家をなぜそれほど強くする必要があるのかという問題が、題名の時点から読者に示されています。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』1651年初版の転写|ウィキソース/ホッブズ『リヴァイアサン』序説|1651年版に基づく英語原典/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』研究入門)
多数の人からできた巨大な人間の扉絵
有名な初版の扉絵には、山や町の上に巨大な冠をかぶった人の姿が立ち、その胴体が小さな人間たちによって構成されています。右手には剣、左手には司教杖があり、下部には城、教会、武器、宗教的な道具などが対になって描かれます。図像を制作したのは版画家アブラハム・ボス(1602–1676)とされ、政治的な力と宗教的な力の結びつきを視覚化しています。
ここで巨大な身体を一つにしているのは、その内部に描かれた多くの人々です。国家を支える者と、国家によって守られる者の関係が同じ画面に表れています。著作の序説でも、国家を人間の技術が作り出した「人工の人間」にたとえ、主権を魂、役人を関節、賞罰を神経のように説明します。扉絵はその比喩を一目で伝える仕組みになっています。(参照:エモリー大学神学図書館|1651年版『リヴァイアサン』扉絵/ホッブズ『リヴァイアサン』序説|1651年版に基づく英語原典/大英図書館|『リヴァイアサン』手稿と扉絵の書誌)
人間・国家・キリスト教国家・暗闇の王国
『リヴァイアサン』は全四部から成ります。第一部「人間」は感覚、言語、理性、情念、自然状態を扱い、第二部「国家」は契約、主権、法律、臣民の自由を論じます。第三部「キリスト教国家」と第四部「暗闇の王国」では、聖書の読み方と教会の権威、宗教的な教えがもたらす政治的な混乱を調べます。
自然状態と契約を説明する第13〜18章は特に有名です。この数章に注目するだけでは、本の大きな部分を占める宗教論の意味が見えにくくなります。ホッブズにとって、法律に従うべきか宗教的な命令に従うべきかが争いになることも、国家の安定を脅かす重要な問題でした。四部を一つの構想として読むと、内戦を止める理論の広がりが理解できます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』初版目次と各章|ウィキソース/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
人間の行動は、何によって動かされるのか
感じることと身体の動き
『リヴァイアサン』第一部は、いきなり王や議会の話を始めるのではなく、人間がどのように感じ、考え、動くのかを調べます。ホッブズは感覚を外部の物体の働きに結びつけ、心に生じる像や想像にも身体の運動と関係する原因があると考えました。政治の制度は人間によって作られる以上、人間が何を求め、何を恐れるかを知ることが必要なのです。
例えば食べ物の匂いを嗅ぐと、食べたいという気持ちが生じます。突然大きな音を聞けば、安全な場所へ移ろうとするかもしれません。こうした反応は、抽象的な道徳の規則を考える前にも起こります。ホッブズは人間の活動を、感覚や欲求、回避しようとする気持ちのつながりとして説明し、その上で共同生活を考えようとしました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第1章「感覚」/ホッブズ『リヴァイアサン』第6章「情念」/スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ)
欲望と恐れは争いにも平和にもつながる
ホッブズは、人が好ましいものへ向かう欲望と、害になるものを避ける気持ちに注目します。誰かが欲しいものを別の人も欲しがれば競争が生まれます。相手の力を恐れれば、先に攻撃した方が安全だと判断することもあるでしょう。同じ恐れは、争いを終わらせて安定した生活を手に入れたいという願いにもつながります。
第13章の末尾で、平和へ人を向かわせる動機として、死への恐れ、生活を便利にするものへの欲求、働いてそれらを得られるという希望が挙げられます。恐れを持つ人間を単に臆病だと評価する議論ではありません。恐れは人を攻撃へ駆り立てる場合もあれば、互いに約束を結ぶ理由にもなります。こうした二面性を考えることが国家の成立につながります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第6章「情念」/ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
理性は計算する働きと考えられる
ホッブズは理性を、言葉の意味を確かめ、事柄の関係を加えたり差し引いたりして結論へ進む働きとして説明しました。たとえば共同で橋を造るなら、費用と労力を分担し、何をすれば完成するかを計算します。危険が続く社会を終わらせる場合も、自分の目的を実現するために必要な条件を考えられるとしました。
ここで理性が示すのは、すべての人が自然に善良になるという予測より、どんな行動が安全な生活へ向かうかという筋道です。人はそれぞれ異なる欲望を持ちながら、共通の平和が利益になると理解できます。情念と理性を別々の敵として描かず、人が何を欲し、その実現のためにどの方法を選ぶかという連続した説明に置く点がホッブズの特色です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第4章「言語」/ホッブズ『リヴァイアサン』第5章「理性と学問」/スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ)
人間は平等だからこそ争うのか
強さに差があっても無敵の人はいない
第13章でホッブズは、人間は身体と精神の能力においておおむね平等だという議論から始めます。腕力の強い人も眠っている間は無防備になり、弱い人が工夫したり仲間を得たりすれば強い人を打ち負かすことがあります。誰かが他人を完全に制圧し続けるという保証はありません。
現代の平等観と同じ意味で、権利や機会がすでに社会制度上平等だと言っているのではありません。相手を傷つける可能性と、自分も傷つけられる可能性が広く共有されている点に注目した議論です。どれほど裕福な人も、周囲の人の信頼や協力なしに一生安全を保つのは難しい。互いの脆さが、恐れと交渉の両方を生みます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
同じものを欲しいと思う
二人が同じ土地を使いたいと望み、両方がそこで暮らすことはできないとします。使い方を決める共通の制度があれば、売買や賃貸、裁判によって争いを調整できます。権利を裁く仕組みがない場合、どちらも自分が手に入れるべきだと考え、相手に先を越されることを恐れるかもしれません。
ホッブズは、目的を達成する可能性が互いに似ている人々には、同じ利益を望む理由が生じると考えます。平等であるという条件は、相手にも自分と同じ希望があり、それを実現する力もあるという認識を生みます。人間の能力の平等から、争いの可能性までを論理的につないで考える点が第13章の重要な一歩です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
平等という出発点と当時の身分社会
ホッブズの生きたイングランドには、世襲貴族、地主、職人、奉公人などの身分や財産の違いがありました。政治上の発言力はごく限られた層に集中していました。彼が自然状態を考える際に置いた平等は、制度が与える地位ではなく、他人に支配されたり生命を奪われたりする可能性に関わる平等です。
研究では、ホッブズが女性にも自然な自由と同意の能力を認めた点が注目されています。家族や父権を論じる後半の文章には、当時の家父長的な言い方も残ります。人間を平等な契約の主体として考える発想がどこまで及んだのかは、本文の複数の箇所を照らして検討できます。政治制度の成立を個人の位置から問うという意味で、平等という発想が大きな役割を果たしました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ホッブズ『リヴァイアサン』第20章「父権と征服による支配」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
「万人の万人に対する戦い」はどうして起こるのか
競争・不信・名誉への欲求
ホッブズは人々が争う主な理由として、競争、不信、名誉や評判を求める気持ちを挙げます。欲しい財産を得るための競争、相手に攻撃されないための先制的な行動、軽んじられたと感じたときの反発です。いずれも自分には理由があると思える行動が、ほかの人からは脅威に見えてしまいます。
相手の意図を知ることができず、身を守る公の制度もないとき、警戒は新たな警戒を生みます。まだ攻撃されていなくても相手が武器を準備すれば、自分も備えようとするでしょう。ホッブズが分析したのは、悪意を持つ一人が争いを始めるという説明より、互いの安全を求める判断が戦争を生む可能性でした。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
戦争は、常に戦闘が起きている状態か
第13章では戦争を、実際に剣を振るっている時間だけに限定しません。争う意志が知られており、相手の出方がわからず、平和への保証もない間は戦争の状態が続くと考えます。天候が悪いという言葉が一瞬の雨粒ではなく一定期間の様子を表すように、戦争も危険な関係が続く状態を指すのです。
今は静かな場所でも、隣人が突然奪いに来ると恐れ、落ち着いて種をまいたり家を建てたりできないとしたら、生活の質は大きく変わります。働いた成果が守られる見通しがないため、長期的な協力や生産の意欲も弱まります。ホッブズの戦争論が示す不幸は、死傷だけでなく、将来を見通すことができない生活そのものに及びます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
安全を求める行動が危険を増やす逆説
一人が身を守るため武器を持つと、隣の人はその武器に脅威を感じ、自分も備えます。最初の人から見れば、隣人の準備は自分を攻撃する意思の表れに見えるかもしれません。どちらも安全を求めて始めた行動なのに、互いに恐れが増していきます。争いの原因が相手の性格だけにあるなら、このような循環を説明しきれません。
ホッブズはすべての人が絶えず暴力を好むと証明しようとしたのではありません。自分の生活を守ろうとする普通の判断が、共通の決まりを執行する権威のない場所では衝突し得ると示しました。だからこそ政治の問題は、善人を増やせば解決すると考える段階から、人々が安心して協力できる条件を整える問題へ移ります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
自然状態とは、実際に存在した時代なのか
国家がない場面を想像する
自然状態とは、共通の政治権力が人々の争いを決着させる仕組みのない状態です。歴史のどこかにすべての人類が同じ条件で暮らした時代があり、その記録をホッブズが見つけたという意味ではありません。国家の必要性を説明するため、判断と強制の最終的な権威を取り去って考える理論的な場面です。
たとえば二つの家族が境界の土地について争ったとき、それを裁く機関を一つずつ取り去っていくと、どこで決着をつけられるでしょうか。自然状態という設定により、平和を維持するために何が必要かが見えます。制度の理由を調べるために、その制度が働かない条件を考える。これは現代の読者も自分の身近な社会について試せる思考方法です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
内戦と国家どうしの関係を手がかりにする
ホッブズは自然状態を考える材料として、政府が崩れて内戦となった社会や、互いに共通の支配者を持たない国家どうしの関係を挙げます。国内に裁判所があっても、国家と国家を必ず従わせる最終的な権威はありません。周辺国が軍を準備すれば自国も備え、平和の保証を求める緊張が続きます。
内戦を生きた人々には、誰が法を執行するかが争われた経験がありました。その経験は自然状態の危険を想像するための強い素材になりました。個人の争いと国家間の戦争には違いがありますが、共通の権威が欠けたとき安全が揺らぐという点を比較できます。ホッブズはこの構造を理論化して、人々が統治を必要とする理由を考えました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/英国議会史|イングランド内戦と議会の変化)
新大陸の人々についての記述をどう読むか
第13章には、当時のヨーロッパ人がアメリカ大陸の人々について抱いていた見方を用い、一部の社会を自然状態に近いものとして紹介する箇所があります。17世紀の植民地支配や伝聞の中で作られた見方であり、現地の政治制度や多様な文化を十分に捉えた観察として扱うことには慎重さが必要です。
自然状態の説明で中心となるのは、人々が互いを裁く共通の権威を持つかという理論上の条件です。実在した社会を単純に無秩序と決めつけることとは区別できます。現代の研究では、自然状態を孤立した個人だけの集まりと想定できるか、家族や友情の関係をどう扱うかも議論されています。そうした検討を通じて、思考実験の力と歴史的な記述の限界をともに理解できます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
自然権とは、何をしてよい自由なのか
自分の生命を守るための自由
第14章でホッブズは「自然権」を、各人が自分の生命を保つため、自分の力を判断に従って使う自由として説明します。誰かが襲ってくると考えるとき、身を守るために逃げたり抵抗したりする自由を持つということです。自然状態では、この自由を裁く共通の法律と執行機関が存在しません。
この権利は、現代の法廷で国家に対して主張する権利の制度と同じ形をしていません。国家以前の条件で、自分の保存を目指して行動することが許されるという出発点です。その自由が各人に認められると、相手も自分の保存を理由に同じ資源を求めることがあります。自然権を広く理解するほど、他人との衝突をどう防ぐかが次の課題になります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
すべてのものに権利を持つと何が起こるか
生き延びるために必要だと自分が判断する手段を使えるなら、危険な場合には他人の物を奪うことさえ正当化されるかもしれません。ホッブズは自然状態では各人が事実上あらゆるものに権利を主張することになると論じました。そこで二人が同じ食料を必要とすれば、どちらの行動を止めるべきかを決める共通の権威がありません。
自由の大きさがそのまま生活の豊かさになるとは限らないことが、ここで明らかになります。誰にも制限されない代わりに、誰かを制限する仕組みも使えないためです。人が安心して財産を保有し、翌年も使えると期待するには、単に「自由だ」と宣言する以上の条件が必要です。ホッブズの議論は権利と安全の緊張を示します。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/オックスフォード大学出版局|ホッブズにおける平和と正義)
自然権と自然法は何が違うのか
ホッブズは自然権と自然法を明確に区別します。自然権は行動する自由に関わり、自然法は理性によって見いだす行動の規則です。命を守る自由があっても、互いの安全を損なう状況を続けるのは、長い目で見れば不利益になります。そこで理性は、平和を求めることを勧めるのです。
この区別によって、「できること」と「するべきこと」が分かれます。他人より先に行動する能力があるとしても、協力した方が安全であれば、その条件を探る理由があります。ホッブズの政治哲学は自然な欲望と自己防衛の自由から出発し、同じ人間の理性によって平和への規則を考えるところへ進みます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第15章「その他の自然法」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
自然法はなぜ平和を求めよと命じるのか
第一の自然法は平和を追求すること
第14章でホッブズは、平和を得られる見込みがある限り平和を求め、得られないなら自分を守るための手段を用いるという基本的な自然法を論じます。たとえば争う隣人と境界を決める合意ができるなら、攻撃を続けるより安全な生活を期待できます。理性が求めるのは、生命を守るという目的にかなった方法です。
平和を求めることは、誰にも抵抗せず危険を受け入れることとは異なります。ホッブズは自己保存の必要性を残しながら、互いに恐れ合う状態を終わらせる方法を探します。人間の行動を利害から説明した後で、共同の安全に向かう規則が生じるところに思想の力があります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
互いに自由を制限する第二の自然法
相手が武器を置き、自分も武器を置けば、双方が安心できるかもしれません。一人だけが武器を置き、他方が攻撃する用意を続ければ、危険は増してしまいます。ホッブズは、平和のために必要で他人も同じように応じるなら、各人が持つ広い自由の一部を手放すことに同意すべきだと考えました。
共同生活の安定には、誰か一人の善意より相互性が大きな役割を果たします。各人が同じ制限を受け入れ、相手もそれを守ると期待できる環境が必要です。ここで自然法は契約という行動の形へつながります。何を手放し、何を残すかという判断から、政治権力の成立を説明する道筋が始まるのです。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第15章「その他の自然法」)
約束を守るという第三の自然法
第15章では、有効に成立した契約を守ることが自然法として示されます。約束を交換するだけで、それぞれが自由に約束を破れるなら、協力の計画を立てられません。今日働いた分を明日支払うという約束でも、互いに守る見込みがなければ仕事は成立しにくくなります。
ホッブズは正義の問題を、この約束の履行と結びつけました。契約を安全に守れる条件ができて初めて、何が不正な約束違反かを社会の中で確かめられます。自然法は個々人の理性が見いだす平和への規則であり、その規則を実際に守れるようにする仕組みが、次に考える主権と国家の問題です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第15章「その他の自然法」/ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/オックスフォード大学出版局|ホッブズにおける平和と正義)
約束だけで平和を守れるのか
信じたいのに信じられない場面
二つの集団が争いをやめ、互いに武器を使わないと約束したとします。どちらも約束を守れば安全に暮らせます。相手だけが約束を破れば、自分たちは大きな危険にさらされます。互いの意図を知る方法がなく、違反を止める権威もない場合、先に武器を手放す決断が難しくなります。
ホッブズは、相互の信頼に頼る契約が、危険の大きい自然状態では十分な保証を持てないことを論じました。両者が正直であっても、相手の将来の行動に確信を持てないという問題が残ります。平和を望む気持ちと、それを実現できる制度の違いがここに現れます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
「剣のない契約」はなぜ弱いのか
第17章でホッブズは、契約を強制する共通の力がなければ言葉だけでは安全を保証できないという考えを示しました。「剣」は実際の武器だけを指す語というより、違反が起きたときに公的な判断と処罰を行える力を表します。約束を破る方が得だと思える状況を変える必要があるのです。
たとえば市場で買い手と売り手が遠方から取引するとき、契約違反が起これば裁判に訴えられると知っていれば、互いに安心して行動できます。契約そのものと、それを履行させる公の制度をつなげる発想です。ホッブズが強い国家を求めた理由は、約束の価値を実際の生活の中で支えることにありました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第26章「市民法」/オックスフォード大学出版局|ホッブズの政治的義務)
合意と実効的な権力の結びつき
約束を守る意欲は、違反した人が一方的に利益を得る社会では弱まりやすくなります。そこでホッブズは、みなが共通の権威に力を集め、その権威が約束の履行を支える仕組みを考えました。安全への期待が共有されれば、個々人は長期的な仕事や取引を計画できます。
共通権力が必要だという主張は、統治者がどんな命令を出しても善い結果になるという保証にはなりません。ホッブズは国家の強制力を、危険を避けるための制度的な条件として位置づけます。この条件が本当にどこまでの権限を必要とするかは、後の政治思想家たちが強く争う論点になりました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
社会契約で国家はどのように生まれるのか
一人ひとりが互いに約束する
ホッブズの国家成立論では、人々がそれぞれ他の人々に向かって、共通の権威を認め、その判断に従うと約束します。たとえば多くの住民が「みなが同じようにするなら、この人物または会議体の決定に従う」と相互に同意するような構造です。こうしてばらばらだった個人が、一つの政治的なまとまりになります。
この契約は、歴史上のある日に全国民が一枚の文書へ署名したという出来事として示されているのではありません。統治の権限をどう説明できるかという論理的な構成です。国家がすでに存在するという事実から議論を始めず、自由な人々がなぜ共通の判断に従うべきかという理由を、相互の約束から導こうとしました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第16章「人格・著者・代理」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
主権者と契約するのか、人々同士が契約するのか
ホッブズの議論で重要なのは、基本的な契約の相手が将来の主権者そのものではなく、人々の相互の間にある点です。人々は共通の代表者の行為を自分たちの行為として認めると約束します。その代表者が個人の君主である場合も、人々の集まる会議体である場合も、構造は同じです。
主権者がほかの契約当事者と同じように違反を責められる契約を結んだとすると、誰がその違反を裁くのかという問いが再び現れます。ホッブズは統治権を最終的なものとして位置づけるため、主権者を相互契約の外に置きました。主権者への抵抗が厳しく制限される仕組みも、この契約の構成から説明されます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/オックスフォード大学出版局|『リヴァイアサン』の授権と代表)
「著者」と「行為者」に分けて考える
第16章でホッブズは、ある行動を自分のものとして認める人を「著者」、その人の名で実際に行動する人を「行為者」として考えました。たとえば代理人が本人から権限を与えられ、本人の名義で契約を結ぶとき、代理の行為とそれを認める人を区別できます。この関係が国家を説明する重要な材料になります。
多くの人々は共通の代表者を授権し、その代表者の決定を公の行為として認めます。人々の集まりが政治的な「一つの人格」として行動できるのは、この代表という仕組みによります。社会契約を単に自由と引き換えに安全を買う取引と考えるより、人々の行為を一つの国家の行為として成立させる仕組みだと理解すると、ホッブズの説明の精密さが見えてきます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第16章「人格・著者・代理」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/オックスフォード大学出版局|『リヴァイアサン』の授権と代表)
主権とは、誰のどんな力なのか
主権者が最後の決定を行う
国家を成立させた人々は、争いを収める共通の判断を主権者に委ねます。主権者は戦争と平和、法律の制定、裁判官や役人の任命などを担う存在です。第18章では、いくつもの主権的な権限が示されます。互いに対立する命令が最終的に並び立つなら、争いを止めるという国家の目的が揺らぐとホッブズは考えました。
学校や会社などの組織にも責任者はいます。意見が割れたとき、最終的に誰が決めるかを定めておくことで活動が続きます。国家の場合は人々の生命、財産、戦争に関わるため、決定権の重みが大きくなります。ホッブズはこの最終的な権威を「主権」として捉え、国が一つの行為者として動く条件を説明しました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/オックスフォード大学出版局|『リヴァイアサン』の授権と代表)
主権を分割したらどうなるのか
もし軍を動かす権限は国王、戦争を決める権限は別の会議体にあり、双方が互いの決定を認めなければ、兵士は誰に従うべきでしょう。ホッブズは、最終的な権威がいくつにも分かれ、その間を調停する上位の力がない状態を危険視しました。イングランド内戦の経験と結びついた問題です。
ホッブズにとって主権の統一は、特定の官職へすべての事務を集中することとは別です。行政を担う役人や裁判官は存在し、それぞれに仕事を分担できます。大切なのは、その権限が共通の主権から与えられ、衝突が起きたとき最終的な決定へ戻れることです。現代の権力分立の理論との違いは、この最終権威の扱いに現れます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/ホッブズ『リヴァイアサン』第23章「公職の担い手」/ホッブズ『リヴァイアサン』第29章「国家を弱めるもの」)
君主・貴族・民主政のいずれも考えられる
第19章では、主権の担い手が一人なら君主政、少数の集団なら貴族政、広い集会なら民主政となることが論じられます。ホッブズは君主政が平和を維持する上で有利だと考えました。会議体の中の派閥や議論の競合が、統一した判断を難しくすると見たためです。
ここで国家が成立するという原理と、どの統治形態が最も望ましいかという評価を分けられます。社会契約によって主権者が立てられるという仕組みは、必ず一人の王だけを想定するものではありません。ホッブズ自身の君主政への選好を理解するには、国家に求めた第一の役割が内戦を防ぐことであった点を踏まえる必要があります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第19章「国家の諸形態」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/オックスフォード大学出版局|『ホッブズ・ハンドブック』)
法律と正義は、国家によってどう変わるのか
決まりを誰が定めるのか
二人が同じ土地を自分のものだと主張するとき、話し合いだけで結論が出ない場合があります。法律があれば所有や相続、境界の決め方を調べ、裁判によって判断できます。ホッブズは市民法を主権者の命令と結びつけ、どの規則が公に通用するかを定める権威を重視しました。
第26章では法律の意味や解釈、自然法との関係が詳しく論じられます。人々の異なる価値判断をそのまま争わせるより、公の規則と裁判を通じて紛争を処理することを目指します。法律の必要性は、禁止や処罰のためだけではなく、互いが予想を持って取引し、生活を続けられるようにする働きから説明できます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第26章「市民法」/ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/オックスフォード大学出版局|ホッブズにおける平和と正義)
約束と正義が結びつく条件
第15章でホッブズは、契約を守ることを正義の基本に置きます。互いに約束を交わしたのに、一方がそれを破れば相手の協力は損なわれます。国家が契約の履行を支える環境では、人々は約束が実際に守られると期待できます。こうして正義は個々人の善意だけに依存せず、社会の中の安定した判断へつながります。
自然状態での広い自由は、共通の法律と確かな所有制度を伴っていません。ホッブズが国家の成立と正義の成立を強く結びつけるのは、違反を裁き、その判断を実行する力が必要だからです。正義という言葉の意味を定義するだけでは、争いの当事者が互いに納得して行動する条件まで説明できません。そこで制度の働きが重要になります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第15章「その他の自然法」/ホッブズ『リヴァイアサン』第26章「市民法」/オックスフォード大学出版局|ホッブズにおける平和と正義)
罪と刑罰の扱い
刑罰は国家が法律を守らせるために用いる力の一つです。ホッブズは第27章で犯罪の成立を論じ、第28章では刑罰と報償を扱います。誰かが不快だと感じる行為と、法律に反して処罰の対象となる行為とを区別する必要があります。公の基準があることで、私的な復讐に頼る危険を抑えられます。
刑罰の力が無制限に賞賛されていると読むと、この仕組みの目的が見えにくくなります。ホッブズは市民の安全と平和の維持を国家の中心的な役割としました。違反を防ぐ力が必要だと考えるときにも、どのような罰がその目的に関わるのかという問題が残ります。国家の力は法を守る条件を作るとともに、常に人々の生活へ大きな影響を及ぼすのです。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第27章「犯罪」/ホッブズ『リヴァイアサン』第28章「刑罰と報償」/ホッブズ『リヴァイアサン』第30章「主権者の責務」)
強い国家のもとで、人はどこまで自由なのか
自由とは何に妨げられないことか
第21章でホッブズは、自由を外部からの妨害がないこととして説明します。鍵のかかっていない扉から外へ出られる人には、その行動を妨げる物理的な障害がありません。国家が人々へ多くの規則を課していても、法律が定めていない範囲で各人が選んで行動できる余地は残ります。
ホッブズの自由の説明は、心の中で望んだことを何でも実現できる能力と同じものではありません。また、何が善い人生かを一つに決める説明でもありません。何によって行動が妨げられ、何が可能な状態なのかに注目することで、国家の命令と個人の行動の関係を分析します。統治の権力が強いことと、個々人がまったく動けなくなることを同一視せずに考えられます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
命を守る権利は手放せるのか
国家が成立すると、人々は多くの行動について主権者の命令に従う義務を負います。第21章では、本人が自分の生命を奪うことに同意する契約を有効に結べるかという問題が扱われます。ホッブズは自己保存の自由を、政治的な約束によって完全には手放せないものとして考えました。
自分が直接殺されそうになったとき、身を守ろうと抵抗する自由が残るという考え方です。これは国家のあらゆる法律に反してよいという一般的な権利の主張とは異なります。強い主権を擁護した同じ著者が、臣民の自己防衛の自由を認めた点が議論を難しくしています。人の服従義務と生命の保持という目的との関係が、ここで改めて問われます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/オックスフォード大学出版局|ホッブズの政治的義務)
守られなくなった人の服従義務
ホッブズの理論で人々が国家に従う大きな理由は、国家が安全を提供できることです。著作末尾の議論では、守る力が失われた場合に以前の服従義務がどうなるかが検討されます。内戦で支配者が交代するとき、誰に従えば生命を守れるかは抽象的な問いにとどまりません。
この議論の境界には研究上の論争があります。個人が危険を判断する権利を強く認めれば、主権者の命令を支える力が弱まるかもしれません。逆に服従を無制限に求めれば、自己保存のために国家を作ったという出発点と緊張します。ここで問うべきなのは、服従の範囲をどこまで広げられるか、そして服従が本来の目的である安全にどう結びつくかということです。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/ホッブズ『リヴァイアサン』「再検討と結論」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
国家は人々の暮らしに何をしなければならないのか
平和を守るのは主権者の責務
第30章でホッブズは、主権者の務めを人々の安全の確保に結びつけます。国家が大きな権力を持つ理由は、支配者自身の満足を増やすことより、住民が恐れずに暮らす条件を維持することにあります。軍や裁判所を動かす力は、外敵や国内の暴力から人々を保護する働きと結びついています。
安全という言葉は、生き残ることだけを意味するのでしょうか。ホッブズは第17章で、より満足できる生活を望むことも国家の成立理由に挙げます。安心して働き、家族を養い、将来を計画できることまで視野に入っています。主権を絶対的と呼ぶ議論の中にも、その権力をなぜ作ったのかという目的を見いだせます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第30章「主権者の責務」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
財政や財産の制度を整える
国家の仕組みを維持するには、役人や軍、裁判の費用が必要です。『リヴァイアサン』第24章では、国家の財産や財政を、人工の身体が栄養を得て活動を続ける仕組みとして論じます。共通の安全を確保するため、個々人が負担することや財の配分をどう定めるかという問題があります。
商人が遠方と取引し、農民が来年の作物を育てるには、所有と契約を予測できる環境が必要です。法律、徴税、財政は人々の暮らしから離れた別の世界の技術ではありません。ホッブズの国家論は、軍事や主権の話に加えて、経済活動が続けられる条件を制度の中で説明しようとするものでもあります。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第24章「国家の維持・財政」/ホッブズ『リヴァイアサン』第26章「市民法」/ホッブズ『リヴァイアサン』第30章「主権者の責務」)
教育と公の議論をどう扱うのか
ホッブズは国家の安定を壊す原因の一つとして、主権をめぐって相容れない教えが人々に広がることを挙げます。第29章では政治体を弱らせる考えや分裂を論じ、第30章では主権者が人々へ統治の理由を教えることを重視しました。人がなぜ法律に従うべきかを理解している方が、恐れだけに頼る社会より安定すると考えたのです。
この発想は、教育を通じた公共秩序の形成という面を持つとともに、表現や批判を統治権力が強く管理する危険にもつながります。ホッブズにとって異なる権威の競合は内戦を生む重大な要因でした。今日の読者は、平和を守るための共通の教育がどこまで必要で、自由な批判をどこまで確保すべきかという問いを、この部分から考えられます。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第29章「国家を弱めるもの」/ホッブズ『リヴァイアサン』第30章「主権者の責務」/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
なぜ『リヴァイアサン』は宗教を長く論じるのか
聖書の解釈が国家の命令と衝突する
17世紀のイングランドでは、礼拝の方法や教会を誰が統治するかが政治的な争いに深く関わっていました。国王が命じたことと、聖職者が神の名で命じたことが食い違うとき、人々はどちらに従うべきでしょうか。宗教の権威をめぐる争いが武力衝突へつながった経験は、ホッブズにとって重大でした。
『リヴァイアサン』第三部は、聖書の権威、預言、教会、宗教的な統治を詳しく論じます。宗教を本から取り除けば、国家の安定を脅かす権威の競合を十分に説明できません。ホッブズはキリスト教の語彙を使いながら、宗教の公的な判断がどのように市民的な権力と結びつくべきかを論証しました。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第32章「キリスト教政治の原理」/ホッブズ『リヴァイアサン』第33章「聖書の権威と解釈」/ホッブズ『リヴァイアサン』第42章「教会の権力」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
教会に独立した統治権はあるか
第39章では教会とはどのような集まりかが検討され、第42章では教会の権力が詳しく扱われます。ホッブズは国家に属する人々を拘束する宗教的な規則や公的な命令について、主権者から独立した最終権威を認めることを危険視しました。国の中に互いに服従を求める二つの最高権力が生じるからです。
教会が信仰の場であることと、政治権力として国民の行動を強制できることを区別する必要があります。ホッブズは宗教的な組織が政治的な服従を要求するとき、主権との関係を明確にしようとしました。こうした議論は、現代の政教分離と同じ制度をそのまま提唱したものではなく、宗教と統治の権限を一つの秩序に収めようとする試みです。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第39章「教会の意味」/ホッブズ『リヴァイアサン』第42章「教会の権力」/オックスフォード大学出版局|ホッブズの教会・国家同一論)
「暗闇の王国」が批判するもの
第四部の「暗闇の王国」は、聖書の誤った解釈や迷信、哲学の言葉を使った権威づけなどを検討します。ホッブズは、第44章以降で人々を恐れさせたり従わせたりする宗教的な教えの仕組みを批判しました。見えない世界に関する主張が、人間の政治的な行動にどのような力を持つかを調べたのです。
この宗教論を、ホッブズが信仰を単純に否定した証拠として読むか、キリスト教的な政治秩序を再構成したと読むかについて、研究者の意見は分かれています。本文には信仰と統治の結びつきをめぐる複数の論点があります。確かなのは、宗教的な権威をめぐる争いが、人々の生命と安全を左右する政治的な問題だったという点です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第44章「聖書解釈と霊的な闇」/ホッブズ『リヴァイアサン』第46章「空虚な哲学と伝承」/ホッブズ『リヴァイアサン』第47章「誤った権威の利益」/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』における教会と宗教)
強い主権と自由の緊張をどう考えるか
内戦を避ける力は、どこまで強くあるべきか
ホッブズは一つの共通権力に最終的な判断を委ねることが、国内の平和に必要だと考えました。法律があるだけで、それを執行する機関が分裂していれば、最終的な争いを止められません。主権の力を強くまとめようとしたのは、内戦によって失われる生活の安全を重く見たためです。
それでも、国家が人々の言論や生活を広く統制できるなら、その力が濫用される危険も考えなければなりません。ホッブズの主権論の評価が分かれるのは、秩序が必要であることと、その秩序を守るための権限をどの程度まで集中すべきかという問題が重なるからです。彼の議論は強制力の意義を明確にすると同時に、強制力を評価する難しい問いを残します。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/ホッブズ『リヴァイアサン』第29章「国家を弱めるもの」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
同意の理論と、服従の範囲
ホッブズは人々が互いに約束して代表者を授権すると説明します。国家が自由な個人の行動から成立するという発想は、政治的な権威の根拠を説明する強い方法でした。ところが、その後に主権者への広い服従が要求されるため、最初の同意がどれほど長く、どれほど多くの命令を正当化するのかが問題になります。
第21章の自己防衛の自由や、保護する力が失われた場合の服従義務を考えると、ホッブズの国家論にも重要な境界が見えます。この境界を広く読む研究と、主権の強さを中心に読む研究では、彼の思想から得られる答えが変わります。原典の議論を比べながら、何を守るために何を約束したのかを問い直すことが大切です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/オックスフォード大学出版局|『リヴァイアサン』の授権と代表/オックスフォード大学出版局|ホッブズの政治的義務)
社会を一つの身体に見立てる利点と問題
扉絵の巨大な人間の身体は、多くの個人が一つの国家を作るという思想を視覚的に示しています。人々が一つの目標のために協力する姿を理解しやすい比喩です。脳や手足のように異なる役目を担う機関が活動し、それらが一つの政治的な人格として行動するという説明につながります。
同じ比喩は、人々の異なる意見や利害を一つの意思へまとめることの難しさも示します。身体の細胞のように命令に従うだけの存在として人々を考えれば、批判や異議を表明する自由は見えにくくなります。ホッブズの扉絵を読むことは、政治共同体の統一と、そこに含まれる個人の多様さの両方を考える機会になります。(参照:エモリー大学神学図書館|1651年版『リヴァイアサン』扉絵/ホッブズ『リヴァイアサン』序説|1651年版に基づく英語原典/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
後の政治哲学へ何を残したのか
王政復古の後も続く評価と批判
1651年に『リヴァイアサン』を刊行した後、ホッブズはイングランドへ戻りました。1660年にはチャールズ2世が王位に復帰し、王政復古が実現します。ホッブズは宮廷とつながりを持ちながら、宗教的な議論や国家権力についての著述で激しい批判を受けました。1668年には『リヴァイアサン』のラテン語版も刊行されています。
王党派の中にも議会支持者の中にも、彼の思想に反発する人々がいました。王を支持することと、統治の正当性を人々の授権で説明することは、必ずしも同じではありません。教会の権威を強く制限する議論も、当時の宗教的な人々から批判を受けました。ホッブズは1679年に没し、その著作への反論と再評価は後世へ続きます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
ロックは国家をどう考え直したか
ホッブズより若いイングランドの哲学者ジョン・ロック(1632–1704)は、後に『統治二論』を通じて自然状態と政治的な権威を論じました。ロックも個人の権利や同意を政治の出発点として考えます。国民の権利を守る政府の役割と、政府の権力が正当な目的から外れた場合の抵抗権を、ホッブズとは異なる形で強調しました。
両者を並べると、政治秩序の根拠を個人から考え始めても、統治権力の範囲について違う結論へ進むことがわかります。ホッブズは内戦による破壊を重く見て統一された主権を論じ、ロックは政府による権利の保護と権力の制限を深めました。社会契約という共通の発想の中にも、国家の目的と個人の権利をどう結びつけるかによって異なる政治思想が生まれます。(参照:スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学/オックスフォード大学出版局|『ホッブズ・ハンドブック』/ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集)
国家が必要な理由を、もう一度考える
ホッブズの出発点は、自分の生命を守ろうとする個人の自由でした。その自由が万人に認められているからこそ、互いに相手を恐れて危険が広がる場合がある。平和を実現するため、人々は相互に約束し、共通の代表者へ主権を与える。この連続した議論によって、国家がなぜ必要なのかという問いに一つの答えを示しました。
『リヴァイアサン』を読み終えたとき、読者には新たな問いが残ります。安全のために人々はどこまで自由を制限できるか。誰が権力の逸脱を止めるのか。国家が人々を守れなくなったら何が起きるのか。1651年の内戦期に生まれた議論は、国家の必要性とその権力の正当性を分けて考えるための材料を、現在にも提供しています。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
略年表|イングランド内戦とホッブズの著作
- 1588年4月|トマス・ホッブズがイングランドのマームズベリーに生まれる
- 1602〜1603年頃|ホッブズがオックスフォードのマグダレン・ホールで学び始める
- 1603年|エリザベス1世の死後、ジェームズ1世がイングランド王となる
- 1608年|ホッブズが大学を終え、キャヴェンディッシュ家の家庭教師になる
- 1620年頃|ホッブズが哲学者フランシス・ベーコンの仕事を手伝う
- 1625年|チャールズ1世がイングランド王位に就く
- 1629年|ホッブズがトゥキュディデス『ペロポネソス戦争史』の英訳を刊行する
- 1629年|チャールズ1世が議会を召集しない親政を始める
- 1630年代|ホッブズがヨーロッパ旅行を通じて科学と数学の研究者たちと交流する
- 1640年4月|国王が短期議会を召集するが、短期間で解散する
- 1640年11月|長期議会が開かれ、国王の権限をめぐる対立が深まる
- 1640年|ホッブズの『法の原理』草稿が政治関係者の間で流通する
- 1640年末|ホッブズがパリへ渡り、亡命生活を始める
- 1642年1月|チャールズ1世が議員の逮捕を試み、政治的緊張が高まる
- 1642年8月|チャールズ1世がノッティンガムで旗を掲げ、国王派と議会派の戦争が本格化する
- 1642年|ホッブズがラテン語『市民論』を刊行する
- 1645年|議会が新模範軍を組織し、国王派への軍事的優位を強める
- 1646年|国王側が劣勢となり、第一次内戦が終わる
- 1647年|ホッブズが亡命中の王太子チャールズの家庭教師を務める
- 1648年12月|軍の介入によるプライドの粛清で議会の構成が大きく変わる
- 1649年1月|チャールズ1世が裁判の後に処刑される
- 1649年5月|同年春の王政・貴族院廃止を経て、イングランド共和国が宣言される
- 1650年|『法の原理』の一部が『人間本性』『政治体論』として刊行される
- 1651年|『リヴァイアサン』がロンドンで英語出版される
- 1651年|ホッブズが約11年間のフランス滞在を終えてイングランドへ戻る
- 1653年12月|オリバー・クロムウェルが護国卿となる
- 1655年|ホッブズ『物体論』が刊行される
- 1658年|ホッブズ『人間論』が刊行される
- 1660年|チャールズ2世が王位に復帰し、王政復古が実現する
- 1668年|ホッブズが『リヴァイアサン』ラテン語版を刊行する
- 1679年12月|ホッブズが91歳で没する
- 1689年|ロック『統治二論』が刊行され、権力制限と政治的な同意を論じる
内戦の各段階と共和国の成立、ホッブズのパリ滞在、1651年初版と1668年ラテン語版の違いを区別して記載しました。英国議会の年表、オックスフォード大学の伝記資料、原典と研究書に照合しています。(参照:英国議会史|1640〜1660年の主要年表/オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯/スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
まとめ|安全のために国家を作るという考え
1651年の『リヴァイアサン』は、イングランド内戦、国王チャールズ1世の処刑、共和政の成立を背景に書かれました。ホッブズはまず感覚、言語、欲望、恐れ、理性を調べ、人間が自分の生命を守ろうとすることから出発します。人々が互いにほぼ等しく相手を傷つけ得る自然状態では、競争と不信が戦争の可能性を高めます。そこで理性は平和の自然法を示し、人々は約束によって自由の一部を制限し、共通の力を持つ国家を作ろうとします。国家が存在する理由は、人々が安全に働き、契約を守り、将来を計画できる条件を確保することにありました。
ホッブズは人々が互いに代表者を授権することで政治的な一人格を作ると論じ、強く統一された主権を擁護しました。法律、財政、教育、宗教的な権威の扱いまで論じたのは、国内に競合する最高権力が生まれることを内戦の原因と見たためです。臣民には自己保存の自由が残り、国家の保護が失われた場合の服従義務にも境界が示されます。強い主権と個人の安全の関係には今も論争があります。『リヴァイアサン』が残したのは、国家の力を当然のものとして受け取る前に、その力を人々がなぜ作り、何のために維持するのかを自分で考えるための方法です。(参照:ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」/ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」/ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」/ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」/ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」/スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学)
参考資料・出典
1651年版の原文を第1〜4部と結論にわたって確認し、同時代のイングランド政治史を英国議会の一次的な公的資料と照らし合わせました。初版の扉絵はエモリー大学の所蔵資料を参照し、社会契約・主権・自己保存・宗教論はスタンフォード哲学百科事典、大学出版局の研究で補いました。原著の論証、歴史的な事実、後世の評価を分けて記述しています。
- ホッブズ『リヴァイアサン』序説|1651年版に基づく英語原典
- ホッブズ『リヴァイアサン』第1章「感覚」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第4章「言語」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第5章「理性と学問」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第6章「情念」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第11章「人々の性向」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第12章「宗教」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第13章「人間の自然状態」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第14章「自然権・自然法・契約」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第15章「その他の自然法」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第16章「人格・著者・代理」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第17章「国家の成立と定義」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第18章「主権者の権利」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第19章「国家の諸形態」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第20章「父権と征服による支配」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第21章「臣民の自由」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第23章「公職の担い手」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第24章「国家の維持・財政」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第26章「市民法」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第27章「犯罪」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第28章「刑罰と報償」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第29章「国家を弱めるもの」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第30章「主権者の責務」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第32章「キリスト教政治の原理」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第33章「聖書の権威と解釈」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第39章「教会の意味」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第42章「教会の権力」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第44章「聖書解釈と霊的な闇」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第46章「空虚な哲学と伝承」
- ホッブズ『リヴァイアサン』第47章「誤った権威の利益」
- ホッブズ『リヴァイアサン』「再検討と結論」
- ホッブズ『リヴァイアサン』1651年初版の転写|ウィキソース
- ホッブズ『リヴァイアサン』初版目次と各章|ウィキソース
- スタンフォード哲学百科事典|トマス・ホッブズ
- スタンフォード哲学百科事典|ホッブズの道徳・政治哲学
- オックスフォード大学ハートフォード・カレッジ|トマス・ホッブズの生涯
- ラウトレッジ哲学百科事典|ホッブズの政治著作と思想的背景
- 英国議会史|イングランド内戦と議会の変化
- 英国議会史|1640〜1660年の主要年表
- 英国議会史|1648年のプライドの粛清と国王の処刑
- 英国議会史|チャールズ1世の親政と対立
- イングリッシュ・ヘリテージ|イングランド内戦の歴史
- エモリー大学神学図書館|1651年版『リヴァイアサン』扉絵
- 大英図書館|『リヴァイアサン』手稿と扉絵の書誌
- ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン必携』研究論集
- ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』研究入門
- ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』における教会と宗教
- ケンブリッジ大学出版局|『リヴァイアサン』と良心・宗教的独立
- オックスフォード大学出版局|『ホッブズ・ハンドブック』
- オックスフォード大学出版局|『リヴァイアサン』の授権と代表
- オックスフォード大学出版局|ホッブズの政治的義務
- オックスフォード大学出版局|ホッブズにおける平和と正義
- オックスフォード大学出版局|ホッブズの教会・国家同一論