Neo-Concrete
新具体主義(ネオ・コンクレティズム)のアーティスト
ネオ・コンクレティズムは1950年代末のブラジルで、幾何学的抽象を固定された視覚体系から解放し、身体、時間、参加、触覚を作品へ導入した運動です。
Artists
2 ARTISTS新具体主義(ネオ・コンクレティズム)について
OVERVIEW新具体主義(ネオ・コンクレティズム/Neoconcretismo)は、1959年から1961年頃にかけてブラジル、主にリオデジャネイロで展開した前衛芸術運動です。リジア・クラーク、リジア・パペ、アミルカル・デ・カストロ、フランツ・ヴァイスマン、ウィリス・デ・カストロ、エリオ・オイチシカらが関連し、詩人・批評家フェレイラ・グラールが理論形成に大きな役割を果たしました。
ネオ・コンクレティズムは、1950年代ブラジルで発展したコンクリート・アートの幾何学的抽象を出発点としながら、作品を数学的に設計された視覚構造だけとして捉えることに反発しました。形、色、面を「客観的な秩序」として固定するのではなく、身体で触れること、作品の周囲を移動すること、時間の中で形が変化すること、鑑賞者が参加することを重視します。
日本語では「新具体主義」と訳されますが、日本の具体美術協会とは別の運動です。ブラジルの「Neo-Concrete」は、Concrete Art(コンクリート・アート)に対する「Neo」であり、日本の「具体」を更新したという意味ではありません。活動期間は短いものの、作品を「見る対象」から「身体的に経験する出来事」へ変えたことで、後の参加型芸術、パフォーマンス・アート、インスタレーション・アートを考える上でも重要な位置を占めています。
1950年代ブラジルと幾何学的抽象
ネオ・コンクレティズムを理解するには、その前段階となった1950年代ブラジルのコンクリート・アートを見る必要があります。第二次世界大戦後、サンパウロやリオデジャネイロでは美術館、国際展、デザイン教育が整備され、幾何学的抽象が急速に受容されました。
1951年の第1回サンパウロ・ビエンナーレでは、スイスのマックス・ビルが彫刻《三つの部分からなるユニット》で大きな注目を集めました。ICAAの資料では、この受賞がブラジルにおけるコンクリート・アートの発展を強く刺激した出来事として位置づけられています。
ここで重視されたのは、個人的な感情や自然の模倣ではなく、線、色、比率、反復、数学的秩序によって自律した視覚構造を作ることでした。急速な工業化と都市化、建築やグラフィックデザインの発展とも結びつき、幾何学的抽象は「近代的なブラジル」を表す言語の一つとなりました。
サンパウロのGrupo RupturaとリオのGrupo Frente
1950年代のブラジルでは、サンパウロのGrupo RupturaとリオデジャネイロのGrupo Frenteが、幾何学的抽象をめぐる重要な拠点となりました。Grupo Rupturaは1952年にヴァルデマール・コルデイロらによって形成され、理論的に明確なコンクリート・アートを推進しました。
一方、Grupo Frenteは1954年頃にイヴァン・セルパを中心にリオで形成され、リジア・クラーク、リジア・パペ、エリオ・オイチシカ、フランツ・ヴァイスマンらが関わりました。MoMAは、Grupo FrenteがGrupo Rupturaほど統一された宣言や厳格な原則を持たず、メンバーがより個別の実験を行った点を指摘しています。
両地域の違いは、1956年にサンパウロ、1957年にリオで開催された第1回全国コンクリート・アート展でより鮮明になりました。幾何学という共通言語を使いながら、「作品は合理的な視覚構造なのか、それとも身体や感覚と関係する存在なのか」という問題が次第に表面化していきます。
1959年・ネオ・コンクリート宣言
1959年3月、リオデジャネイロ近代美術館(MAM Rio)で第1回ネオ・コンクリート展が開催され、それに合わせて「Manifesto Neoconcreto(ネオ・コンクリート宣言)」が発表されました。
MAM Rioの記録によれば、宣言に署名したのはアミルカル・デ・カストロ、フェレイラ・グラール、フランツ・ヴァイスマン、リジア・クラーク、リジア・パペ、レイナルド・ジャルディム、テオン・スパヌディスです。宣言は、コンクリート・アートにおける「危険な合理主義の行き過ぎ」を批判しました。
重要なのは、幾何学を放棄したわけではないことです。正方形、線、面、色といった幾何学的要素を残しながら、それを計算可能な視覚システムだけに還元することを拒否しました。形は身体で経験され、時間の中で変化し、鑑賞者との関係によって意味を持つと考えられたのです。
フェレイラ・グラール — 作品を「準身体」と考える
詩人・批評家フェレイラ・グラールは、ネオ・コンクレティズムの理論形成で中心的な役割を果たしました。1959年の宣言では、作品を単なる機械や客観的な物体としてではなく、「quasi-corpus(準身体)」として捉える考えが示されました。
この言葉が重要なのは、作品が作者によって完成され、その後は変化しない物体だという考えを揺さぶるからです。作品は鑑賞者の身体と出会い、触れられ、動かされ、周囲を歩かれることで初めて十分に成立します。
MoMAも、ネオ・コンクレティズムの特徴として、作品と鑑賞者のより能動的で参加的な関係を挙げています。ここでは「見る人」は作品の外側にいる受動的な観客ではなく、作品の経験を作る一部になります。
「非物体」 — 絵画でも彫刻でもないもの
グラールは1959年に「非物体の理論」を発表し、既存の絵画や彫刻のカテゴリーでは説明しにくい作品を考えるために「非物体」という概念を提示しました。
これは「何も存在しない」という意味ではありません。絵画なら壁に掛けられた平面、彫刻なら独立した立体という既存の分類を越え、鑑賞者との経験によって成立する新しい存在を指します。
ネオ・コンクレティズムでは、支持体、外枠、台座といった美術作品を囲む境界が次々と疑われました。その結果、作品は壁から空間へ、固定された形から可動する構造へ、視覚から触覚へと広がっていきます。
リジア・クラーク — 平面を壊して空間へ出る
リジア・クラークは、ネオ・コンクレティズムを代表する作家です。初期には幾何学的抽象絵画を制作していましたが、次第にキャンバスの縁、額縁、絵画と壁の境界そのものへ関心を移しました。
1958年頃の《Counter Relief》では、平面の一部が壁から前方へ突出し、絵画がすでに完全な二次元ではなくなっています。MoMAは、クラークが1959年の宣言への参加を通じて、作品を空間と時間の中で経験される身体的存在へ変えていったと説明しています。
この変化は「絵画から彫刻へ」という単純なジャンル移動ではありません。平面そのものが折れ、開き、鑑賞者のいる空間へ進出する過程でした。
《Bichos》 — 鑑賞者が形を変える
1960年頃からクラークは《Bichos(ビショス/生き物)》シリーズを制作しました。複数の金属板を蝶番で接続した作品で、鑑賞者が手で動かすことによって形が変化します。
MoMAの《Sundial》などの作品では、金属板は固定された正面を持たず、平面に近い状態から立体へとさまざまに変形できます。作品に唯一の「正しい完成形」はありません。
ここでは鑑賞者が作品を壊すのではなく、触れることが作品の本来の経験になります。作者と鑑賞者の役割分担が変化し、作品は完成した形ではなく、操作によって何度も新しい状態を生み出す関係になります。
リジア・パペ — 版画から「読む身体」へ
リジア・パペも、幾何学を身体的・時間的な経験へ変換した重要な作家です。《Tecelares(織物)》と呼ばれる木版画では、精密な幾何学形態を使いながら、木版の素材感や微妙なずれを画面に残しました。
幾何学を完全に機械的・非個人的な構造とするのではなく、版木を彫り、刷る身体的な行為が作品に残ります。秩序と手仕事が対立せず、一つの画面に共存します。
その後パペは、書物、映画、身体的な共同作品などへ展開し、作品を固定した視覚対象から、時間をかけて経験する構造へ変えていきました。
《創造の書》 — 鑑賞者が物語を作る
パペの《Livro da Criação(創造の書)》は1959〜60年に制作された、ネオ・コンクリートを代表する作品です。MoMAによれば、複数の独立した厚紙の「ページ」からなり、切り込み、折り、色面、紐などによって世界の創造を抽象的に構成しています。
通常の本のように文章を順番に読むのではなく、各ページの形を見て、触れ、動かしながら鑑賞者自身が意味を組み立てます。特定の創世神話を一方的に説明するのではありません。
本という媒体は、ページをめくる時間と身体の操作を必要とします。その構造を利用することで、パペは幾何学形態を静止した画面から時間的な経験へ変えました。
エリオ・オイチシカ — 色を壁から解放する
エリオ・オイチシカはGrupo Frenteで幾何学的抽象を制作し、《Metaesquemas》では小さな色面を平面上に配置していました。しかし1959年前後から、色面を壁から切り離し、現実空間へ展開していきます。
《Bilaterals》や《Spatial Reliefs》では、彩色された板が天井から吊られ、鑑賞者がその周囲を歩くことで色と形の見え方が変化します。MoMAのネオ・コンクリートの項目でも、1960年の《Neoconcrete Relief》が代表作の一つとして挙げられています。
ここでは色は「平面に塗られた属性」ではなく、鑑賞者の身体が移動する空間の一部になります。色を見ることが、時間と運動を伴う行為へ変わっていきました。
オイチシカのその後 — 環境と身体へ
ネオ・コンクレティズムの組織的活動が終わった後も、オイチシカはその問題をさらに拡張しました。《Núcleos》では複数の色面の間を歩き、《Penetráveis》では鑑賞者が構造の内部へ入り、1960年代半ばの《Parangolés》では布やケープを身体にまとって動くことが作品になります。
これらは1959〜61年というネオ・コンクレティズムの狭い活動期間を越えた作品ですが、「色や形を身体で経験する」という問題がどこまで発展し得たかを示しています。
固定された作品から参加型の環境へ向かうこの展開は、後のインスタレーション・アートやパフォーマンス・アートと比較されます。ただし、それらの後代のジャンルを単純に先取りしたと見るより、ブラジル独自の社会・文化環境の中から生まれた実践として理解する必要があります。
アミルカル・デ・カストロ — 鉄を切り、折る
アミルカル・デ・カストロは、鉄板を切断し、折り曲げることで立体を作りました。素材を溶接して複雑な構造へ組み立てるより、一枚の鉄板に最小限の操作を加え、平面から立体が生まれる過程を見せます。
切断された線は単なる輪郭ではなく、鉄板を実際に開き、空間を発生させます。紙の折り目のような単純な操作が、重い工業素材によって強い身体的スケールを持ちます。
クラークとは方法が異なりますが、平面と立体を固定された別ジャンルとして考えず、一つがもう一つへ変化する状態を扱った点でネオ・コンクリート的な問題を共有しています。
フランツ・ヴァイスマンと空間の彫刻
フランツ・ヴァイスマンは、金属板や棒材を使い、幾何学形態と周囲の空間を同時に構成しました。彫刻を内部まで詰まった塊として作るのではなく、空洞や開口部を積極的に利用します。
その結果、作品の「内側」と「外側」が連続し、鑑賞者が移動すると形態の重なりや空間の見え方が変化します。
ネオ・コンクレティズムにおいて空間は、作品の外にある背景ではありません。形態と空洞、物質と周囲の空間が一つの経験を作るという考えが重要でした。
ウィリス・デ・カストロ《Active Object》
ウィリス・デ・カストロは《Objeto Ativo(Active Object)》シリーズで、絵画の平面と立体の境界を再構成しました。細長い木製構造や立体的な面に複数の色を塗り分け、鑑賞者が周囲を歩くことで異なる構成が現れます。
MoMAは、これらの作品が鑑賞者に移動を促し、すべての視覚効果を経験するには一つの正面だけでは不十分であることを指摘しています。
作品そのものは物理的に動かなくても、鑑賞者が動くことで作品が変化して見える。ここでも、視覚は固定された一点からの観察ではなく、身体の運動と結びついています。
具体美術協会とは何が違うのか
日本語の「新具体主義」という名称は、直前の時期に日本で活動していた具体美術協会と混同しやすいものです。しかし、両者は別々の歴史から生まれています。
具体美術協会は1954年に関西で結成され、絵具、泥、紙、水、電気、身体行為、屋外展示などを通じて物質との直接的な関係を探りました。ネオ・コンクレティズムはブラジルのコンクリート・アート内部の議論から1959年に成立し、幾何学を身体的・時間的な経験へ変えることを中心課題としました。
両者には、固定された美術作品を越え、身体や参加を重視したという興味深い共通性があります。しかし、それを直接的な影響関係として結ぶのではなく、1950年代末の異なる地域で、近代美術の自律的な物体という考えがそれぞれ別の方法で揺らいでいたことを見る方が重要です。
ミニマリズムとの似ている点、異なる点
単純な幾何学形態と現実空間を重視する点で、ネオ・コンクレティズムは後のアメリカのミニマリズムと比較されることがあります。どちらも、作品を遠くから眺めるだけでなく、その周囲を歩く身体を重要にしました。
しかしミニマリズムでは、工業素材、反復、作者の手仕事の抑制、物体と展示空間との関係が強く重視されます。ネオ・コンクレティズムでは、幾何学がより有機的・感覚的な経験へ開かれ、触覚、操作、主観的な身体感覚が中心となります。
似た外形を持つ作品でも、その理論的背景は同じではありません。戦後美術を一つの中心から周辺へ広がる影響として見るのではなく、複数地域で幾何学と身体の問題が並行して展開したと捉える必要があります。
1961年頃の終息と、その後
ネオ・コンクレティズムの組織的活動は非常に短く、一般に1959年から1961年頃までとされています。1961年4月にはサンパウロ近代美術館で第2回全国ネオ・コンクリート展が開催されました。
しかし運動が終わったからといって、その問題が消えたわけではありません。クラークは《Bichos》からさらに身体感覚や共同的な体験へ進み、オイチシカは環境、色、ダンス、社会空間へ展開し、パペも映画、書物、身体的な共同作品へ活動を広げました。
むしろ、ネオ・コンクレティズムという短い集団活動は、それぞれの作家が従来の絵画や彫刻から離れるための転換点だったと考えることができます。
「見る美術」から「経験する美術」へ
ネオ・コンクレティズムの歴史的な重要性は、幾何学的抽象をより柔らかくしたことではありません。作品を完成した視覚構造から、鑑賞者とともに時間の中で成立する経験へ変えたことにあります。
クラークの《Bichos》では鑑賞者が形を変え、パペの《創造の書》ではページを操作しながら意味を作り、オイチシカでは色面の周囲を歩くことで作品が成立します。形、色、空間、身体、時間が分離できないものになりました。
この転換は、後のパフォーマンス・アートやインスタレーション・アート、参加型の現代美術と強い共鳴を持ちます。また、作品を物体より関係や経験として考える点ではコンセプチュアル・アート以後の問題とも接続します。ネオ・コンクレティズムは、ブラジルの幾何学的抽象から出発しながら、「芸術作品とは何か」「鑑賞者は何をする存在なのか」という問いそのものを大きく更新した運動だったのです。