Art Library

Metaphysical Painting

形而上絵画のアーティスト

時代:
1910s–1920s
地域:
イタリア

形而上絵画は第一次世界大戦前後のイタリアで、静止した都市空間、長い影、謎めいた物体を組み合わせ、不穏で夢のような場面を描いた潮流です。

Artists

2 ARTISTS

形而上絵画について

OVERVIEW

形而上絵画は、1910年代のイタリアでジョルジョ・デ・キリコを中心に展開した絵画の潮流です。静まり返った広場、長く伸びる影、古典建築、アーケード、彫像、マネキン、玩具、計測器具、果物など、一見すると互いに関係のない要素を不自然な空間に組み合わせ、現実の背後に潜む謎や不安を可視化しようとしました。デ・キリコのほか、カルロ・カッラ、ジョルジョ・モランディ、デ・キリコの弟アルベルト・サヴィニオらが重要な存在です。

MoMAは、デ・キリコが1911年から1917年頃に制作した作品群を「形而上的」時代として位置づけ、古典的な広場、歪んだ遠近法、長い影、不釣り合いな物体の組み合わせによって、外見の背後に隠れた現実を示そうとしたと説明しています。1917年、デ・キリコはフェラーラでカッラらとともにScuola Metafisica(形而上絵画派)を形成し、その考えをより明確にしました。

形而上絵画は、同時代の未来派とは対照的です。未来派が速度、機械、運動、騒音を称揚したのに対し、形而上絵画では時間が停止したような静けさ、空虚な都市、不可解な物の配置が重要になります。さらに、その異質な物体の組み合わせと夢のような空間は、1920年代のシュルレアリスムに大きな影響を与えました。

デ・キリコ以前の「形而上的」な感覚

形而上絵画の出発点は、1917年のグループ結成より早く、デ・キリコが1910年代初頭に制作した作品にあります。彼はギリシャで生まれ、ミュンヘンで美術を学び、ニーチェやショーペンハウアーなどの思想からも刺激を受けました。その後イタリア、そしてパリへ移り、古典建築と近代都市を奇妙に組み合わせた独自の画面を作り始めます。

MoMAが紹介するデ・キリコの1910年代作品では、古代を思わせるアーケードや彫像と、駅、煙突、列車といった近代的な要素が同じ画面に置かれます。しかし、それらは歴史的な都市景観として自然に統合されているわけではありません。複数の消失点や不自然な遠近法によって、場所の安定感そのものが崩されています。

重要なのは、奇妙なものを空想で描いたというより、日常的なものの配置を少しずらすことで、見慣れた世界を不気味なものへ変えたことです。形而上絵画では、現実から完全に離れた幻想世界より、「現実に見えるのに、どこかおかしい」という感覚が中心になります。

空虚な広場と長い影

デ・キリコの初期作品を特徴づけるのが、人の少ない都市広場です。古典的な建物、アーケード、塔、彫像などが配置され、強い斜光によって長い影が地面を横切ります。遠くに小さな人物や列車が見えることはあっても、都市は異様なほど静かです。

通常、都市景観は人の活動によって活気を持ちます。しかしデ・キリコは、その活動を取り除き、建築と影だけを残しました。その結果、広場は現実の場所であると同時に、記憶や夢の中の風景のように見えます。

影も重要です。画面に描かれた影の方向が必ずしも統一されていなかったり、画面外に存在するはずの人物や構造物の影だけが現れたりします。影は光学的に正しい現象ではなく、「ここには見えない何かが存在する」という不安を生み出す装置になります。

遠近法を使って、空間を不安定にする

形而上絵画では、一見するとルネサンス以来の遠近法が使われています。しかしよく見ると、道路、建築、床の線が異なる消失点へ向かい、一つの統一した空間として成立していない場合があります。

MoMAはデ・キリコの作品について、浅い空間と急激に奥へ伸びる空間、複数の消失点を一つの場面に組み合わせることで、最初は安定して見える空間が徐々に不自然さを露呈すると説明しています。

この方法は、キュビスムが対象を複数視点へ分解した方法とは異なります。キュビスムでは画面の平面性と構造が前面に出ますが、形而上絵画では遠近法を完全に捨てず、むしろ「正しそうに見える遠近法」をわずかに狂わせることで心理的な不安を作ります。

《愛の歌》 — 関係のないものを隣に置く

1914年のデ・キリコ《愛の歌》は、形而上絵画の考えをよく示す作品です。古典彫刻の頭部、巨大なゴム手袋、球体、建築の壁、遠くを走る列車など、通常は同じ場所に存在しないものが一つの画面に配置されています。

MoMAはこの作品について、互いに似ていない物体の予想外の出会いが、後にシュルレアリストにとって重要な方法となったことを指摘しています。しかしデ・キリコが求めたのは、単なる奇抜さではありません。日常の物体が本来の用途と文脈を失ったとき、そこに別の現実が現れると考えました。

手袋は身につけるものではなく巨大な像となり、古代彫刻は美術館から切り離され、球体は用途不明の物として置かれます。物の意味を安定させていた文脈が崩れることで、鑑賞者は「これは何を意味するのか」と問い続けることになります。

1917年のフェラーラ — デ・キリコとカッラ

第一次世界大戦中、デ・キリコとカルロ・カッラはイタリア軍に所属し、1917年にフェラーラで出会いました。MoMAによれば、この時期にデ・キリコはカッラ、弟のアルベルト・サヴィニオらとともにScuola Metafisicaを形成し、形而上絵画の考えを共有しました。

カッラはそれ以前、未来派の中心的な画家の一人でした。運動、速度、群衆を描いていた作家が、戦時中には静止した室内、マネキン、幾何学物体へ向かったことは、イタリア前衛の大きな変化を象徴しています。

フェラーラの軍病院や街の建築、店舗に並ぶ物品、地図や計測器具なども、彼らの作品に影響を与えました。戦争中の都市にありながら、爆発や戦闘そのものではなく、奇妙に静まり返った物の世界を描いたことが形而上絵画の特徴です。

マネキン — 人間が物体になる

1910年代後半の形而上絵画では、人間の代わりに頭部や顔のないマネキンが頻繁に登場します。デ・キリコやカッラの作品では、マネキンが室内や広場に座り、意味ありげな姿勢を取っています。

マネキンは人間の形をしていますが、表情も視線もありません。この「人間に似ているが人間ではない」存在は、都市の空虚さや、個人性の喪失、夢のような不安を強めます。

また、マネキンは画家にとって、身体を心理描写から解放し、純粋な形として扱う方法でもありました。球体、定規、箱、建築模型などと並べられることで、人間の身体も物体の一つとして画面の構造へ組み込まれていきます。

室内に外の世界を持ち込む

デ・キリコの《大いなる形而上的室内》のような作品では、部屋の中に定規、三角定規、箱、板、絵、地図のようなものが積み上げられます。通常なら机の上に置かれる小さな物が、巨大化して室内全体を占領します。

一方、室内に風景画や建築の像が置かれ、「本当の外部」と「描かれた外部」の区別も曖昧になります。絵の中の絵、模型、記号が重なることで、どこまでが現実の空間なのかわからなくなります。

こうした方法は、後のシュルレアリスムにおける「現実の内部に別の現実を作る」発想を先取りしています。物を幻想的に変形するのではなく、物同士の関係そのものを変えることで、不合理な世界を成立させました。

モランディ — 静物へ向かう形而上性

ジョルジョ・モランディも、1918年頃に短期間、形而上絵画に接近しました。瓶、箱、球体、マネキンの頭部などを、静かで閉ざされた空間に配置した作品を制作しています。

MoMAは、形而上的静物を、デ・キリコ、カッラ、モランディが1910年代に制作した、古典的モチーフと幾何学的構成、時間が停止したような空間を特徴とする作品群として説明しています。

モランディはその後、マネキンや奇妙な小道具から離れ、瓶や器だけを繰り返し描く独自の静物画へ進みました。しかし、限られた物体を静かな空間に配置し、日常的なものを不可思議な存在へ変える感覚には、形而上絵画期との連続性を見ることができます。

未来派との対照 — 速度ではなく停止

形而上絵画は、同時代の未来派と並べると特徴が明確になります。未来派は自動車、列車、群衆、電気、騒音、戦争を称揚し、形の反復によって速度と運動を表現しました。

これに対して形而上絵画では、列車が描かれていても、それは速度の象徴というより遠くを静かに通過する不可解な存在です。都市広場にも群衆はおらず、時間が停止したように見えます。

つまり両者は、同じ「近代都市」をまったく逆の感覚として捉えました。未来派が近代を加速する力として見たのに対し、デ・キリコは近代都市の中に孤独、記憶、不在、時間のずれを見いだしました。

第一次世界大戦と「不気味な静けさ」

デ・キリコの主要な形而上作品は第一次世界大戦前後に制作されています。作品が戦争そのものを直接描くことはほとんどありませんが、空虚な都市、切断された身体、マネキン、閉ざされた室内には、戦時期の不安と断絶を読み取ることができます。

MoMAは《愛の歌》などの形而上作品について、長い影、空虚な建築、奇妙な人型が、不安と憂鬱を伴う世界を形成していると説明しています。この感覚は、戦場を写実的に記録する方法とは異なります。

戦争の現実を直接描かなくても、「世界が意味を失った」という感覚を、物と空間の不合理な組み合わせによって示すことができる。形而上絵画は、この間接的な方法によって20世紀の不安を表現しました。

シュルレアリスムへの決定的な影響

1920年代、アンドレ・ブルトンを中心とするシュルレアリスムの作家たちは、デ・キリコの1910年代作品を非常に高く評価しました。MoMAは、異質な物体の組み合わせや不合理な空間が、シュルレアリストにとって重要な先例となったことを明確に指摘しています。

マックス・エルンストもデ・キリコの作品に強い衝撃を受け、ルネ・マグリットの静かで明晰な描写の中に不可解な物体を置く方法にも、形而上絵画との連続性を見ることができます。

ただし両者は同じではありません。シュルレアリスムはフロイトの精神分析、夢、無意識、自動記述などを理論的な中心に置きましたが、デ・キリコの形而上絵画はそれ以前に成立しており、古典哲学、記憶、謎、予感といった別の思想的背景を持っていました。

デ・キリコ自身はなぜ方向を変えたのか

興味深いことに、シュルレアリストが最も高く評価した1910年代の様式を、デ・キリコ自身はその後維持しませんでした。1920年代以降、彼は古典的な素描や伝統的な絵画技法への回帰を主張し、近代美術への批判も強めます。

そのため、ブルトンらシュルレアリストとの関係は悪化しました。彼らは初期デ・キリコを崇拝する一方、後期作品を否定的に評価しました。MoMAも、デ・キリコが後に前衛から離れたことと、シュルレアリストが彼の1910年代作品を特別視したことを紹介しています。

ここには、美術史における興味深いねじれがあります。作家自身が過去の様式を離れても、その作品が次世代によって別の文脈に置かれ、本人の意図を超えて大きな影響を持つ場合があるのです。

見慣れた現実を、知らない世界に変える

形而上絵画の歴史的な重要性は、幻想的な怪物や架空の世界を発明したことではありません。広場、建築、彫像、手袋、果物、定規、列車といった、ごく普通のものを少し不自然に配置することで、日常世界そのものを謎へ変えたことにあります。

その方法では、写実的な描写と非合理性が同時に存在します。物は何であるか明確に見えるのに、なぜそこにあるのかはわからない。この不一致が、形而上絵画特有の不安と静けさを生みます。

未来派が近代の速度を、キュビスムが視点と空間の構造を変えたのに対し、形而上絵画は「物の意味と文脈」を不安定にしました。この方法は後のシュルレアリスムに決定的な影響を与え、20世紀美術における夢、不合理、違和感の表現へ大きな道を開いたのです。

Related Art History

西洋美術史