Art Library

Orphism

オルフィスムのアーティスト

時代:
1910s
地域:
フランス

オルフィスムは1910年代のパリで、キュビスムの構造を受け継ぎながら、純粋な色彩とリズムによる抽象表現を展開した潮流です。

Artists

1 ARTISTS

オルフィスムについて

OVERVIEW
The Woman Who Painted Fashion: Sonia Delaunay’s Art Revolution (One Fashion Question)

オルフィスムは、1910年代初頭のパリで、キュビスムの形態分解を受け継ぎながら、純粋な色彩、光、リズムによって抽象へ進んだ絵画の潮流です。中心となったのはロベール・ドローネーとソニア・ドローネーで、フランティシェク・クプカなども同時期の色彩抽象との関係からオルフィスムの文脈で語られます。名称は詩人ギヨーム・アポリネールが用いたもので、ギリシャ神話の音楽家オルフェウスに由来します。

MoMAはオルフィスムを、1912年頃にロベール・ドローネー、ソニア・ドローネー、クプカらが展開した、キュビスムの影響を受けながら純粋な色と光の効果を探究する抽象絵画として説明しています。キュビスムが物体を複数の面へ分解し、視点と空間を再構成したのに対し、オルフィスムでは対象そのものより、隣り合う色が互いにどのように作用し、画面に光や運動を生み出すかが中心的な問題になりました。

その意味でオルフィスムは、具象から抽象へ移る20世紀初頭の重要な経路の一つです。対象を完全に捨てる以前のエッフェル塔や都市の風景から始まり、色の対比だけで画面を成立させる方向へ進みました。新印象派の色彩理論、キュビスムの構成、未来派の速度感が交差する地点に位置しています。

アポリネールが名づけた「オルフィスム」

「オルフィスム」という言葉は、詩人・批評家ギヨーム・アポリネールが1910年代初頭に用いた名称です。彼は当時のキュビスムから生まれつつあった新しい抽象的な傾向を、ギリシャ神話の音楽家オルフェウスになぞらえて呼びました。

Guggenheim Museumは、アポリネールがロベール・ドローネーの《窓》連作に関連してこの名称を用い、その絵画が音楽のように記述的な現実から自立していると考えたことを紹介しています。ここで音楽との比較が重要です。音楽は、木や人物や建物を描かなくても、音の関係だけで成立します。オルフィスムは、絵画もまた色と形の関係だけで成立できるのではないかと考えました。

ただし、「オルフィスム」という名称は、参加者が明確な組織を作って自称したグループ名ではありません。アポリネールが複数の作家の傾向を説明するために用いた批評的な分類であり、どの作家を含めるかは資料によって差があります。

ロベール・ドローネー — エッフェル塔から抽象へ

ロベール・ドローネーは、最初から完全な抽象画を描いていたわけではありません。初期にはエッフェル塔、サン=セヴラン教会、パリの都市景観など、近代都市を象徴するモチーフを繰り返し描きました。

エッフェル塔を描いた連作では、塔の形は複数の面へ分解され、周囲の建物や空間と入り混じります。この点ではキュビスムと共通しますが、ドローネーは次第に茶や灰色を中心とする分析的キュビスムから離れ、赤、青、緑、黄など鮮やかな色を画面の中心へ戻していきます。

都市の建築は、やがて具体的な対象を描くための主題というより、色面を分割し、光の変化を組織するためのきっかけになります。対象の構造から色の構造へ関心が移ることで、ドローネーの作品は急速に抽象へ接近しました。

《窓》連作 — 絵画を「世界への窓」から解放する

1912年にロベール・ドローネーは《窓》連作を制作しました。MoMAによれば、この連作は同年4月から12月にかけて制作された22点の作品群で、ドローネーは絵画を架空の世界を覗く「窓」として扱う伝統的な機能から離れ、見るという行為そのものを画面に記録しようとしました。

作品にはエッフェル塔など現実の形がかすかに残る場合もありますが、画面の主要な要素は透明な色面の重なりです。赤と緑、青と橙などが隣接し、色の違いによって前後関係や動きが生まれます。

ここでは光が物体を照らすものではなく、色の関係そのものとして画面を構成します。MoMAが紹介するドローネーの言葉では、色の対比が運動を生み、それ自体が絵画の現実となります。具象的な都市景観から出発しながら、見ることを色と光の関係へ還元していった点が《窓》連作の重要性です。

同時対比 — 色は隣の色によって変わる

ドローネー夫妻の色彩研究には、19世紀の化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールによる「色彩の同時対比」の理論が大きな背景としてあります。シュヴルールは、同じ色でも隣に置かれる色によって見え方が変化することを体系的に研究しました。

たとえば赤と緑のような補色を隣接させると、互いの色がより強く感じられます。ドローネーはこの関係を、対象の固有色を説明するためではなく、画面に光、振動、奥行き、運動を生み出すために利用しました。

この点では、新印象派のスーラやシニャックも色彩理論を重要視していました。しかし新印象派が小さな色点を視覚上で混合させる方法を追究したのに対し、ドローネーはより大きな色面を隣接・重複させ、色彩そのものを構成の中心へ置きました。

《同時対比:太陽と月》 — 色だけで動きをつくる

ロベール・ドローネーの《同時対比:太陽と月》では、円形の画面に赤、橙、青、緑などの色面が渦巻くように配置されます。太陽や月という題名は残っていますが、それらは自然界の天体として具体的に描写されていません。

MoMAは、この作品で隣接する色彩の相互作用が、自然界を参照しなくても深さと運動の感覚を生み出していると説明しています。円形の画面と回転する色彩によって、昼と夜、宇宙の循環、光の運動が示唆されます。

ここまで来ると、自然の対象は画面を作るための「口実」に近づきます。絵画は何かの外見を説明するのではなく、色彩関係そのものによって成立するようになりました。これは20世紀初頭の純粋抽象の形成における重要な一歩です。

ソニア・ドローネー — 色彩をキャンバスの外へ

ソニア・ドローネーは、ロベールと並ぶオルフィスム/シミュルタニスムの中心人物です。彼女の重要性は、抽象的な色彩構成を絵画だけに限定しなかった点にあります。衣服、布地、書籍、家具、舞台、広告など、日常生活のさまざまな領域へ色彩の同時対比を展開しました。

Centre Pompidouは、ソニアが1912年頃から息子のためのキルト、書籍装丁、ポスター案、衣服などに「同時的」な色彩構成を用いたことを紹介しています。ここでは絵画と応用芸術の間に明確な境界はありません。

色彩のリズムは、壁に掛かる一枚の絵だけでなく、身体が着る服、室内の布、街頭の広告にも存在できる。ソニアの活動は、オルフィスムを純粋な抽象絵画の歴史だけに閉じ込めず、20世紀のデザイン、ファッション、グラフィックへ接続する重要な展開でした。

《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌの散文詩》

1913年、ソニア・ドローネーは詩人ブレーズ・サンドラールと共同で《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌの散文詩》を制作しました。二人はこれを「最初の同時的な本」と呼びました。

作品は約2メートルの紙を蛇腹状に折りたたんだ形式で、一方にサンドラールの詩、もう一方にソニアの鮮やかな色彩構成が連続しています。Centre Pompidouは、この作品について、文字と色彩が互いを説明する挿絵関係ではなく、同時に知覚される構成として設計されたと説明しています。

読者は文章を上から下へ読むだけではなく、色、文字の大きさ、余白、ページ全体を一度に見ることになります。ここでは「本」という形式そのものが変化し、文学、絵画、タイポグラフィ、デザインが一つの作品へ統合されました。

シミュルタニスム — オルフィスムとの違い

「オルフィスム」と「シミュルタニスム」はしばしば近い意味で使われますが、完全に同じ言葉ではありません。オルフィスムは主にアポリネールが外部から与えた批評的な名称であるのに対し、ロベールとソニア・ドローネーは「同時性」「同時対比」という考えを自らの制作を説明する言葉として重視しました。

同時性とは、複数の色が同じ瞬間に知覚され、互いの見え方を変化させることです。またソニアの書籍や衣服では、視覚だけでなく文字、身体、移動、都市生活など複数の経験が同時に存在します。

そのため、ドローネー夫妻の活動をすべて「オルフィスム」という一つの様式名で固定すると、絵画からデザイン、生活、都市へ広がった実践が見えにくくなります。オルフィスムはその活動を美術史上位置づける便利な名称ですが、作家自身の「同時性」という考えも同時に見る必要があります。

クプカ — 別の経路から抽象へ

フランティシェク・クプカは、ロベール・ドローネーと同じ頃にパリで抽象絵画へ進んだ重要な作家です。MoMAはオルフィスムの説明の中で、ロベールとソニア・ドローネーとともにクプカを挙げています。

クプカの《二色のフーガ》などでは、円弧や垂直線、色彩の反復によって、具体的な対象に依存しない画面が作られています。音楽の「フーガ」という題名が示すように、色と形の反復や変化を音楽的な構造として考えていました。

ただし、クプカをドローネー夫妻の直接的な仲間として単純化するべきではありません。彼は独自に科学、光学、音楽、哲学へ関心を持ち、別の経路から非対象的な絵画へ進みました。20世紀初頭の抽象が一人の発明ではなく、複数の場所で同時的に生まれたことを示す重要な例です。

未来派との接点 — 光と速度

オルフィスムと未来派は、運動、都市、現代生活への関心を共有していました。未来派が車、列車、群衆の動きを形の反復によって表現したのに対し、ドローネー夫妻は色彩の対比そのものから視覚的な運動を作りました。

ソニアの「同時的な本」がシベリア横断鉄道の旅を扱い、ロベールがエッフェル塔や航空、都市の光を描いたことからも、彼らが現代生活から離れた純粋形式だけを追究していたわけではないことがわかります。

オルフィスムでは、近代都市の速度や光が色彩のリズムへ変換されます。具体的な機械を描かなくても、画面そのものが振動し動くことで「現代」を表現できると考えたのです。

キュビスムからの離脱

オルフィスムはキュビスムから多くを受け継ぎましたが、やがてその違いを明確にしていきます。キュビスムでは、物体の構造、複数視点、空間の分析が中心的な課題でした。分析的キュビスムの色彩は、形を読み取ることに集中するため茶や灰色に抑えられることが多くありました。

これに対してオルフィスムでは、色は構造を補助する要素ではなく、構造そのものになります。色同士の関係だけで奥行きと運動が生まれるなら、もはや瓶や人物や建物を描く必要はありません。

この転換によって、キュビスムが開いた「再現からの解放」は、さらに非対象的な絵画へ進みました。形を分解する段階から、対象そのものを必要としない段階への移行です。

抽象絵画は一つの場所から生まれたのではない

1910年代初頭には、ドローネー夫妻やクプカだけでなく、ミュンヘンのカンディンスキー、ロシアのマレーヴィチなど複数の作家が、互いに異なる理由から具象を離れ始めていました。

カンディンスキーは精神性と音楽、マレーヴィチは純粋感覚と幾何学、ドローネー夫妻は光と色彩の同時対比、クプカは色彩・音楽・宇宙的な運動から抽象へ進みます。形が似る場合があっても、その思想的な出発点は同じではありません。

この点は20世紀抽象美術を理解するうえで重要です。「最初の抽象画を誰が描いたか」という競争だけではなく、なぜ同じ時期に複数の作家が対象の再現を必要としなくなったのかを見る必要があります。オルフィスムはその複数の経路の一つでした。

色彩が作品そのものになる

オルフィスムの歴史的な重要性は、色を対象の表面から切り離し、絵画そのものを成立させる主要な構造へ変えたことにあります。赤はリンゴの赤、青は空の青である必要がなくなり、色は隣の色との関係によって光、深さ、速度、リズムを生み出すことができます。

新印象派が色彩理論を光の再現へ用い、キュビスムが形態と空間を分解し、オルフィスムはその成果を色彩による抽象構成へ進めました。そしてソニア・ドローネーは、その原理を衣服、書籍、舞台、デザインへ広げました。

活動期間も組織も限定的だったため、オルフィスムは20世紀の大規模な運動として長く続いたわけではありません。しかし、対象を描かなくても色と形だけで画面が成立するという認識を確立し、抽象絵画と近代デザインの双方に重要な道を開きました。