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Young British Artists

ヤング・ブリティッシュ・アーティストのアーティスト

時代:
1988–1990s
地域:
イギリス

ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)は1980年代末から1990年代のイギリスで注目された若手作家群で、強い視覚性と挑発的な主題で知られます。

Artists

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ヤング・ブリティッシュ・アーティストについて

OVERVIEW

ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(Young British Artists、YBA)は、1980年代末から1990年代のイギリスで国際的に注目された若い作家たちをまとめる呼称です。ダミアン・ハースト、サラ・ルーカス、トレイシー・エミン、レイチェル・ホワイトリード、ゲイリー・ヒューム、アンガス・フェアハースト、マット・コリショー、マイケル・ランディ、マーク・クイン、ジェイク&ディノス・チャップマン、ギリアン・ウェアリング、クリス・オフィリ、サム・テイラー=ジョンソンらが代表的に論じられます。

ただしYBAは、一つの宣言や統一様式を持つ芸術運動ではありません。動物標本、写真、映像、絵画、彫刻、既製品、自伝的インスタレーション、パフォーマンスなど作品形式は大きく異なります。共通していたのは、若手作家が自ら展覧会を組織し、既存の美術制度の外側から可視性を獲得したこと、強い視覚的インパクトを持つ作品を制作したこと、そしてギャラリー、コレクター、新聞、テレビ、美術賞といった制度を巻き込みながら急速に社会的な知名度を高めたことです。

1988年、ゴールドスミスの学生だったダミアン・ハーストがロンドンの倉庫で企画した「Freeze」は、YBAの象徴的な出発点とされています。その後、チャールズ・サーチによる収集と展覧会、1997年のRoyal Academy of Arts「Sensation」展などを通して、YBAは1990年代イギリス文化を代表する現象へ成長しました。ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャーに続く世代でありながら、コンセプチュアル・アート、レディメイド、インスタレーション・アート、アイデンティティ・ポリティクスなど、複数の戦後美術の成果を大胆に横断した点に特徴があります。

1988年「Freeze」— YBAの象徴的な出発点

YBAを語る際、最も頻繁に出発点として挙げられるのが1988年の展覧会「Freeze」です。

当時ゴールドスミスに在学していたダミアン・ハーストが中心となり、ロンドンのドックランズにある空き倉庫を使って若い作家たちの作品を展示しました。既成の美術館や商業ギャラリーに選ばれるのを待つのではなく、自分たちで場所を確保し、展覧会そのものを作ったことが重要でした。

「Freeze」は後から見れば伝説的な出来事ですが、開催当初から現在のような巨大な歴史的評価があったわけではありません。後に参加者が国際的に成功したことで、この展覧会がYBAの起点として再評価されていきました。

ゴールドスミスという環境

YBAの形成にはGoldsmiths, University of Londonの教育環境が大きな役割を果たしました。

当時のゴールドスミスでは、絵画、彫刻、写真などを厳密に分けるより、作品のアイデアに応じて複数の媒体を自由に使う教育が行われていました。マイケル・クレイグ=マーティンなどの教員も若い作家たちへ大きな影響を与えました。

その結果、YBAの作家たちに「共通するスタイル」はありません。共通していたのは、媒体よりアイデアを優先し、そのアイデアに最も適した物や展示方法を選ぶという姿勢でした。

若手が自分たちで展覧会を作る

「Freeze」以後、ロンドンでは若手作家自身による自主企画展が相次ぎました。1990年の「East Country Yard Show」「Modern Medicine」「Gambler」などは、この流れを象徴しています。

倉庫や旧工業施設を利用し、作家自身が会場交渉、設営、広報を行う。これは単にお金がなかったからではなく、「ギャラリーに発見されるまで待たない」という新しい作家像を作りました。

展覧会を企画する能力、ネットワークを作る能力、メディアに届く見せ方までが、制作活動と切り離せなくなっていきます。

「Young British Artists」という名前は誰が作ったのか

「Young British Artists」という名称も、作家たちが自ら正式に名乗ったグループ名ではありません。

1990年代初頭、チャールズ・サーチのSaatchi Galleryで「Young British Artists」と題した展覧会シリーズが開催され、若い英国作家たちを一つの世代として見せる枠組みが強く定着しました。

その後新聞や雑誌が「YBA」という略称を使用し、作家たちは個別の実践を持ちながら、ひとまとまりの文化現象として流通するようになります。名称そのものが市場とメディアによって形成された側面を持っています。

チャールズ・サーチ — コレクターが一世代を可視化する

広告業界で成功したコレクター、チャールズ・サーチは、YBAの国際的な知名度を高める上で決定的な役割を果たしました。

若い作家の作品を早い段階で大量に購入し、自身のSaatchi Galleryで展示することで、まだ美術史的評価が固まっていない世代を一つの「新しい英国美術」として提示しました。

ここではコレクターは作品を所有するだけではありません。何を買い、何を展示し、誰を次の重要作家として見せるかによって、美術史が形成される過程へ直接関与します。

ダミアン・ハースト — 死を展示する

ダミアン・ハーストはYBAを象徴する最も有名な作家の一人です。動物標本、薬品棚、医療器具を思わせる展示、スポット・ペインティングなどを通して、死、身体、科学、医療、信仰、価値を扱いました。

彼の作品では、鑑賞者が「美しい」と感じることより、「これは何なのか」と強い身体的反応を起こすことが多くあります。

死んだ動物を美術館に置くという行為は、ショックを与えるためだけではなく、普段は隠されている死を、保存・分類・展示する科学的な制度と美術館の制度を重ねる試みでもあります。

《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living》

1991年に制作された《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living》では、大型のサメが透明なタンク内の保存液に収められました。

サメは死んでいるにもかかわらず、泳いでいるような姿勢で鑑賞者と向き合います。死体でありながら、生きた捕食者の恐怖が視覚的には残っています。

作品タイトルが示すように、私たちは自分自身の死を概念として理解できても、実際に「死んでいる自分」を経験することはできません。標本、彫刻、展示物の境界を曖昧にしながら、死を目の前の現実へ変える作品です。

サメは誰の作品なのか

ハーストの動物標本は、作家自身がすべての物理的工程を一人で行っているわけではありません。専門家、技術者、スタジオスタッフの協力によって作品が制作・保存されます。

これは「芸術家が自分の手で作品を作るべきだ」という伝統的な作者像と衝突します。

しかし、デュシャン以後のレディメイドやコンセプチュアル・アートを踏まえれば、作品の構想、選択、制度設計そのものを作者の仕事と考えることができます。YBAはこのモデルを大規模な市場の中でさらに推し進めました。

《Mother and Child (Divided)》— 展示される身体

《Mother and Child (Divided)》では、牛と子牛の身体が縦方向に分割され、複数の透明タンクへ保存されています。

鑑賞者はタンクの間を歩き、通常なら見ることのできない身体内部を見ることができます。

生物を科学標本のように分解して見せる方法は、身体を知識の対象へ変える医学・博物学の歴史と、美術館で作品を見る行為を重ねます。

レイチェル・ホワイトリード — 空間の「空洞」を鋳造する

レイチェル・ホワイトリードは、椅子、部屋、家など、物体や建築の内部にある「空いている空間」を型取りして彫刻化しました。

通常は何もないと思われる空間が、石膏、樹脂、コンクリートなどの物質として現れます。

彼女の作品はYBAの中でも比較的静かですが、記憶、身体、建築、欠如を非常に強く扱っています。「ショック」だけではYBAを説明できないことを示す重要な作家です。

《House》— 一軒の家の内部を固体にする

1993年の《House》では、ロンドン東部に残っていたテラスハウス一軒の室内空間をコンクリートで鋳造しました。

壁や屋根が取り除かれると、本来は人が住んでいた「空間」が巨大な固体として残ります。

家は生活の記憶を守る場所である一方、再開発によって消えていく都市の歴史でもあります。《House》は彫刻、建築、都市計画、記憶を結びつけた作品でした。

サラ・ルーカス — 性を日用品で作る

サラ・ルーカスは、家具、食べ物、衣服、タバコ、新聞など身近な物を使い、身体、性、ジェンダーを扱いました。

《Two Fried Eggs and a Kebab》では食べ物を女性身体の記号として配置し、《Au Naturel》ではマットレスやバケツなどの既製品で男女の身体を暗示しました。

露骨な性的ジョークを使いながら、女性身体を性的対象として消費する視線そのものを反転させます。フェミニスト・アートとの重要な接点です。

下品なジョークは批評になり得るのか

ルーカスの作品では、性的なスラングや男性的なユーモアが意図的に使われます。

それは女性が「上品に」振る舞うことを期待される社会規範を壊すと同時に、男性中心のタブロイド文化が女性をどのように見るかを、女性作家自身が誇張して返す方法でもあります。

笑いと不快感が同時に生まれることで、鑑賞者が自分自身のジェンダー観を意識する構造になっています。

トレイシー・エミン — 私生活を作品にする

トレイシー・エミンは、自身の恋愛、性、家族、トラウマ、失敗、孤独を文章、刺繍、ネオン、写真、インスタレーションなどで扱ってきました。

彼女の作品では、自伝的な経験が隠されず、むしろ作品の中心になります。

しかし「私生活を暴露しただけ」と見ると不十分です。誰の個人的経験が美術として語る価値を持つのか、女性の性的経験や傷を誰が語る権利を持つのかという問題が含まれています。

《Everyone I Have Ever Slept With 1963–1995》

《Everyone I Have Ever Slept With 1963–1995》は、テントの内部に、エミンが文字通りあるいは比喩的な意味で「一緒に眠った」人々の名前を縫い付けた作品です。

「slept with」という表現は性的関係を連想させますが、家族や友人なども含まれ、親密さの意味が広がります。

私的な記憶を刺繍という手仕事とテントという身体的空間へ変換し、親密性を公開展示する作品でした。

《My Bed》— 生活の痕跡は作品になるのか

《My Bed》では、エミン自身が実際に使用したベッドと、その周囲に残された生活用品が展示されました。

1999年のターナー賞候補作として展示された際、大きな社会的論争を起こしました。鑑賞者から見れば「散らかったベッド」に見えるため、「これがなぜ美術なのか」という問いが直接生じます。

しかし、デュシャン以後のレディメイドや自伝的フェミニズムの歴史を踏まえると、重要なのは物の造形ではなく、非常に私的な生活空間を公共の美術館へ移す行為にあります。

ゲイリー・ヒューム — ドアを絵画にする

ゲイリー・ヒュームは、病院などで見られるドアを思わせる単純な画面を、高光沢のハウスペイントで描いた《Door Paintings》で注目されました。

一見するとミニマリズムの幾何学抽象のようですが、実際には具体的な建築物の表面を参照しています。

工業的で平滑な表面、反復可能な構造、装飾的な色彩を使い、抽象と具象、絵画とデザインの境界を曖昧にしました。

アンガス・フェアハースト — YBA内部の別の静けさ

アンガス・フェアハーストは、写真、コラージュ、彫刻、映像などを用い、自己像、失敗、反復、ゴリラのイメージなどを扱いました。

YBAはハーストやエミンの強いメディア性によって語られがちですが、フェアハーストのように内省的で不安定な自己像を扱う作家もいました。

このことからも、YBAを「挑発的で派手な作品」という一つの様式へ還元することはできません。

マット・コリショー — 美しい画像と暴力

マット・コリショーは写真、映像、インスタレーションを用い、美と暴力、欲望、視覚メディアの関係を扱ってきました。

画像は視覚的に魅力的である一方、その内容には傷、死、身体、残酷さが含まれる場合があります。

鑑賞者が「見ることを楽しむ」行為そのものに、倫理的な不安を生じさせる作品です。

マーク・クイン — 身体を素材にする

マーク・クインは、自分自身の血液を使ったセルフポートレート《Self》などで知られます。

冷凍された血液による頭部像は、伝統的な肖像彫刻の形式を使いながら、作品の維持に電力と冷凍設備を必要とします。

身体、生命、保存技術、肖像、物質の関係を一つの作品へ重ねる点で、YBAの身体への関心を象徴します。

ジェイク&ディノス・チャップマン — 美術史と暴力

ジェイク&ディノス・チャップマンは、戦争、暴力、性、グロテスクな身体、美術史の引用を使った彫刻やインスタレーションで知られます。

ゴヤの《戦争の惨禍》への介入や、複数の身体が異様に接続されたマネキン彫刻など、鑑賞者へ強い不快感を与える作品を制作しました。

ショックは単なる刺激ではなく、暴力画像を安全な美術館で鑑賞することの倫理や、美術史が暴力をどのように美的対象へ変えてきたかを問い返します。

ギリアン・ウェアリング — 普通の人が語る

ギリアン・ウェアリングは、写真や映像を使い、一般の人々の言葉、告白、演技、匿名性を扱いました。

街で出会った人に自分の考えていることを書いてもらい、その紙を持った姿を撮影する作品では、外見と内面の言葉に予想外のずれが生まれます。

メディアが「普通の人」を類型化する方法に対し、本人自身の声を介在させる点で、YBAの中でも社会的ドキュメンタリーに近い方向を持っています。

クリス・オフィリ — 装飾、人種、宗教

クリス・オフィリは、鮮やかな色彩、グリッター、コラージュ、象の糞など多様な素材を使った絵画で知られます。

黒人文化、音楽、宗教、装飾、美術史を複雑に組み合わせ、1998年にはターナー賞を受賞しました。

オフィリの作品はYBAの一部として紹介される一方、人種や宗教表象をめぐる独自の問題を持ち、単なる「ショック・アート」に還元できません。

ターナー賞とYBA

1990年代、Turner PrizeはYBAの知名度を高める重要な制度となりました。

レイチェル・ホワイトリードが1993年、ダミアン・ハーストが1995年、ダグラス・ゴードンが1996年、ギリアン・ウェアリングが1997年、クリス・オフィリが1998年に受賞し、トレイシー・エミンも1999年に候補となりました。

テレビや新聞が候補作を大きく報道することで、現代美術が専門家だけでなく一般社会の議論になる状況が生まれました。

1997年「Sensation」

1997年、Royal Academy of Artsで開催された「Sensation: Young British Artists from the Saatchi Collection」は、YBAを社会的現象として決定づけた展覧会です。

チャールズ・サーチのコレクションから多くの若手英国作家が紹介され、ハースト、ルーカス、ホワイトリード、チャップマン兄弟、マーカス・ハーヴェイ、クリス・オフィリらの作品が一堂に展示されました。

展覧会は大きな観客を集める一方、暴力、性、宗教、犯罪に関わる作品をめぐって激しい論争を起こしました。美術展が新聞の一面やテレビニュースになる時代を象徴する出来事です。

マーカス・ハーヴェイ《Myra》

「Sensation」で特に大きな論争を起こした作品の一つが、マーカス・ハーヴェイの《Myra》です。

英国の犯罪史で強い社会的嫌悪を伴う人物の顔を巨大な絵画として提示したため、「なぜこの人物を美術館で巨大化するのか」という抗議が起きました。

作品は、メディアによって反復され続ける犯罪者のイメージ、社会的記憶、見ることの倫理を問う一方、被害者への配慮を欠くという批判も受けました。

「Shock Art」という批判

YBAはしばしば「Shock Art」と呼ばれました。死体、性、血液、暴力、私生活など、鑑賞者を驚かせる主題を積極的に扱ったからです。

しかし、すべてのYBA作品をショックだけで説明することはできません。ホワイトリードの空間、ヒュームの絵画、ウェアリングの社会観察など、静かで分析的な作品も多くあります。

むしろ「ショック」という言葉がメディアにとってYBAを分かりやすく商品化するラベルとして機能した側面も考える必要があります。

タブロイド紙と現代美術

1990年代のイギリスでは、タブロイド紙がYBA作品を積極的に取り上げました。

「これは芸術なのか」という怒りや笑いを誘う見出しは、作品への批判であると同時に、結果的には作家の知名度をさらに高めました。

YBAは美術界と大衆メディアの対立によって消費されながら、その対立自体を利用して社会的な可視性を獲得した世代でもあります。

作品だけではなく「作家像」もメディア化される

YBAでは、作品だけでなく作家本人の生活、発言、服装、パーティー、スキャンダルまでメディアで報道されました。

作家が近代的な孤高の天才ではなく、音楽家やファッションデザイナーのような文化的セレブリティとして扱われるようになります。

この変化によって、作品と作家ブランド、美術市場とメディア露出がより直接的に結びつきました。

1990年代「Cool Britannia」との関係

YBAは、ブリットポップ、ファッション、デザインなどとともに、1990年代の「Cool Britannia」と呼ばれた英国文化の国際的なイメージと結びつけられました。

ロンドンが若く創造的な都市として宣伝され、美術もその文化的ブランドの一部になります。

ただしYBAを政府の文化政策だけで生まれた現象と見ることはできません。作家の自主企画、美術教育、市場、メディア、都市再開発など複数の要因が重なっています。

ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャーとの違い

YBAの前には、1980年代のニュー・ブリティッシュ・スカルプチャーが国際的に評価されていました。

トニー・クラッグ、リチャード・ディーコン、アニッシュ・カプーアらが彫刻の素材と空間を再構築したのに対し、YBAは特定の媒体に限定されず、映像、写真、既製品、インスタレーション、絵画、身体などを横断しました。

またYBAでは、自主企画展、コレクター、マスメディアとの関係が世代の形成により直接的な役割を果たした点も大きな違いです。

コンセプチュアル・アートとの関係

YBAの多くの作品は、コンセプチュアル・アートの成果を前提としています。

ハーストの動物標本も、エミンのベッドも、形を「美しく作る」ことだけでは成立しません。「なぜこれをこの場所へ置くのか」というアイデアと文脈が作品の中心です。

ただし1960〜70年代のコンセプチュアル・アートより、視覚的なインパクト、身体的な反応、メディアへの伝達力を強く持つ作品が多い点がYBAの特徴です。

レディメイド以後の既製品

YBAはレディメイドの歴史も大きく引き継ぎました。

ベッド、家具、動物、薬品棚、新聞、食品など、既存物がそのまま作品の一部になります。

しかしデュシャンの時代とは異なり、既製品を使うこと自体はもはや革命的ではありません。重要なのは、どの物をどの文脈に置き、そこからどの社会的・個人的問題を引き出すかへ移っています。

インスタレーションが主流になる

YBAの時代には、インスタレーション・アートはすでに現代美術の主要な形式の一つとなっていました。

作品は壁に掛かった単一の物体だけでなく、部屋全体、照明、床、ケース、観客の動線を含めて構成されます。

《My Bed》やハーストの展示ケース、ホワイトリードの建築的彫刻など、YBAの代表作には作品と展示空間を分離できないものが多くあります。

フェミニズムとYBA

トレイシー・エミン、サラ・ルーカス、ギリアン・ウェアリングらの作品は、フェミニスト・アート以後の問題と強く結びついています。

女性の性、身体、私生活、社会的役割を、男性の視線によって描かれる対象ではなく、女性作家自身がコントロールする作品として提示しました。

一方で、YBAの市場やメディア自体にもジェンダーによる評価差が存在し、女性作家が「告白的」「性的」と特定の枠組みで消費される問題もありました。

アイデンティティ・ポリティクスとの交差

1990年代はアイデンティティ・ポリティクスが国際的に大きく展開した時代でもあります。

クリス・オフィリの人種と宗教、ウェアリングの社会的アイデンティティ、エミンの性と個人史など、YBAの一部はこの問題と重なります。

ただしYBAというカテゴリーは「英国の若手」という世代・制度的分類であり、個々の作家の人種、ジェンダー、階級、出自の差を均質化してしまう危険もあります。

英国美術は本当に一つだったのか

「Young British Artists」という名称は、英国の若い作家を一つのブランドのようにまとめます。

しかし実際には、出身地、階級、人種、教育、作品内容は大きく異なります。クリス・オフィリとダミアン・ハースト、レイチェル・ホワイトリードとジェイク&ディノス・チャップマンを「英国らしいスタイル」でまとめることはできません。

YBAは美的な共通性より、「同時期のロンドンの美術教育・市場・メディアが作り出した世代的な現象」として理解する方が正確です。

市場が運動を作ったのか

YBAの急速な成功には、チャールズ・サーチ、美術市場、商業ギャラリーの力が大きく作用しました。

そのため、「市場がYBAという現象を人工的に作った」という批判もあります。

しかし、作家たちが市場に発見される前から自主企画展を組織し、独自の作品を制作していた事実も重要です。市場だけでも、作品だけでも説明できず、制作・展覧会・収集・報道が相互に増幅した現象として見る必要があります。

作品価格と「価値」の可視化

YBAは、美術作品の価格そのものがニュースになる時代を象徴しました。

動物標本、散らかったベッド、既製品が高額で売買されると、「なぜこれにそんな価値があるのか」という社会的反応が起きます。

その反応は、美術の価値が物の材料費だけではなく、作家名、展示歴、批評、コレクター、希少性、市場によって形成されることを逆に可視化します。

保存できない作品をどう保存するのか

YBAの作品には、動物、食品、血液、日用品、建築など、長期保存が難しい素材が多く含まれます。

ハーストのサメのように生物素材が劣化した場合、交換すれば同じ作品なのか。エミンの生活用品が劣化した場合、どこまで交換可能なのか。

これはインスタレーション・アート全体にも関わる問題ですが、作品の物質よりコンセプトを重視するYBAでは特に、「何を保存すれば作品の同一性が保たれるのか」が重要になります。

YBAは1990年代で終わったのか

YBAという名称は主に1980年代末から1990年代の歴史的現象を指し、2000年代以降の英国の若手作家を自動的にYBAと呼ぶことはありません。

しかし、自主企画展、作家主導のブランディング、インスタレーション、既製品、メディアへの高い適応力、コレクターと市場による急速なスター化など、YBA期に可視化された仕組みは現在の現代美術にも残っています。

その意味では、特定の世代名としては歴史化されても、作家が社会的に可視化される仕組みには大きな影響を残しました。

「作品」だけでなく、美術がスターを作る仕組みを見せた

YBAの歴史的な重要性は、衝撃的な作品を作ったことだけではありません。若手作家が自主企画から出発し、教育機関、倉庫展、コレクター、商業ギャラリー、ターナー賞、美術館、新聞、テレビ、市場へと接続され、一つの世代が国際的な現象になる過程を可視化したことにあります。

ハーストは死と展示制度を、ホワイトリードは空間と記憶を、ルーカスは性とジェンダーを、エミンは親密な個人史を、ヒュームは絵画と工業表面を、クインは身体と保存を、チャップマン兄弟は暴力と美術史を、ウェアリングは社会的な自己像を、オフィリは人種・宗教・装飾を、それぞれ異なる方法で作品化しました。

ニュー・ブリティッシュ・スカルプチャーの後に登場し、コンセプチュアル・アート、レディメイド、インスタレーション・アート、フェミニスト・アート、アイデンティティ・ポリティクスを横断したYBAは、作品だけでなく、「現代美術がどのように社会的事件になるのか」を示した1990年代美術の象徴的な現象だったのです。