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Gutai

具体美術協会のアーティスト

時代:
1954–1972
地域:
日本

具体美術協会は1954年に関西で結成され、物質、身体、行為、環境を用いた実験的な作品を展開した日本の前衛美術グループです。

Artists

3 ARTISTS

具体美術協会について

OVERVIEW

具体美術協会(Gutai Art Association)は、1954年に兵庫県芦屋を拠点として吉原治良を中心に結成され、1972年まで活動した日本の前衛美術グループです。絵画、身体行為、屋外展示、舞台、光、音、電気、自然現象などを横断し、作品を完成した物体としてだけでなく、行為、時間、空間、素材との関係として捉えました。白髪一雄、村上三郎、田中敦子、元永定正、嶋本昭三、山崎つる子、金山明らが重要な作家として知られています。

具体の活動を支えたのは、吉原治良が繰り返し示した「人のまねをするな」という姿勢です。過去の様式を上手に再現するのではなく、これまで存在しなかった表現を生み出すことが求められました。1956年に発表された「具体美術宣言」では、人間の精神が物質を一方的に支配するのではなく、物質の性質を尊重し、両者が出会うことで新しい表現が生まれるという考えが示されました。

具体は抽象表現主義やアンフォルメルと比較されてきましたが、それらの単純な日本版ではありません。1955年と1956年の芦屋公園での野外展、紙を身体で破る村上三郎、泥や絵具に身体で向き合う白髪一雄、電気回路を身体にまとった田中敦子など、絵画の枠を越える実験を非常に早い時期から展開しました。現在では、パフォーマンス・アートやインスタレーション・アートの歴史を考えるうえでも重要な国際的戦後前衛として再評価されています。

1954年・芦屋で結成される

具体美術協会は1954年、兵庫県芦屋を中心に活動していた吉原治良のもとに若い作家たちが集まり結成されました。吉原は戦前から抽象絵画を制作しており、若い世代に対して、既存の芸術を模倣せず、自分自身で新しい表現を作ることを強く求めました。

グループ名の「具体」は、抽象的な観念に対して、素材や行為を実際のものとして扱う姿勢を示す言葉でした。Guggenheim Museumは、具体の名称を「concreteness」と関連づけ、物質へ直接働きかける活動と結びつけて説明しています。

具体は18年間の活動期間に二世代、合計59名の作家が関わった大きな集団へ発展しました。初期の実験的な屋外作品から、後期の絵画やテクノロジーを用いた作品まで、活動内容も大きく変化しています。

『具体』誌 — 関西から世界へ情報を送る

具体は作品制作だけでなく、機関誌『具体』を国際的なコミュニケーションの手段として活用しました。第1号は1955年に発行され、作品写真、活動記録、文章などを掲載し、海外の美術家や批評家へ送付されました。

この雑誌は、当時の日本の前衛芸術にとって非常に重要なメディアでした。東京やパリを経由しなくても、関西から直接海外へ活動を伝えることができたからです。Guggenheimの資料によれば、『具体』誌はジャクソン・ポロックの蔵書にも入り、アラン・カプロー、ミシェル・タピエなど海外の作家・批評家が具体を知る契機にもなりました。

写真記録が多く掲載されたことも重要です。野外作品や舞台上の行為はその場限りで消えるものも多く、雑誌や写真がなければ後世にほとんど伝わりません。具体は早い段階から、作品だけでなく活動の記録と流通を意識していました。

1955年・真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展

1955年、芦屋川沿いの松林で「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」が開催されました。翌1956年にも「野外具体美術展」が行われ、具体の初期活動を象徴する重要な出来事となります。

美術館や画廊の白い壁ではなく、真夏の太陽、風、雨、木々、地面そのものが展示条件となりました。作品は自然環境から独立して存在するのではなく、光、風、時間によって変化します。

兵庫県立美術館の研究によれば、1956年の野外展では、元永定正が透明なビニールチューブに色水を入れて木々の間に吊るした《作品(水)》、山崎つる子の大規模な色彩作品、嶋本昭三の巨大なビニール作品などが公園全体に展開されました。ここでは展示空間そのものが作品の一部になっています。

元永定正 — 水、煙、光を作品にする

元永定正は、具体を代表する作家の一人です。初期には石や水、煙など、固定された形を持たない素材を使った作品を制作しました。1956年の《作品(水)》では、透明なビニールチューブに色水を入れ、木々の間へ吊るしました。

作品は太陽光を透過し、風によって揺れ、見る位置によって色の重なりが変化します。絵具で「水を描く」のではなく、本物の水と光を作品にした点が重要です。

その後、元永はキャンバス上の絵画へ活動の中心を移しますが、流れる絵具、重力、偶然性を生かした制作を続けました。初期の自然現象への関心が、後の抽象絵画にも異なる形で残っています。

白髪一雄 — 身体を絵筆にする

白髪一雄は、具体の身体的な制作を象徴する作家です。天井から吊ったロープにつかまり、床に置いたキャンバスの上で裸足を使って絵具を押し広げる「足による絵画」で知られています。

MoMAが紹介するように、白髪は絵具をキャンバスへ直接流し、ロープで身体を支えながら、足で滑り、引きずり、塗り広げました。絵具の粘度、身体の重さ、摩擦、速度が、そのまま画面の形になります。

この方法では、身体は単なる道具ではありません。絵具と身体がぶつかり合うことで、作者が完全には制御できない痕跡が生まれます。絵画を「目で見て手で描くもの」から、全身で素材と関係する行為へ拡張しました。

《泥に挑む》 — 絵画以前の身体と物質

白髪は1955年の第1回具体美術展で、《泥に挑む》と呼ばれる行為を行いました。大量の泥の中へ半裸の身体で入り、押し、滑り、掻き回しながら泥を変形させました。

ここにはキャンバスも筆もありません。完成した美しい形を作るより、人間の身体と泥が直接衝突する過程そのものが作品になります。

この実践は後のパフォーマンス・アートと比較されますが、白髪自身が当時その名称を使っていたわけではありません。現在のジャンル名をそのまま過去へ当てはめるのではなく、1950年代の具体が絵画と行為の境界を独自に探っていた事実を見ることが重要です。

村上三郎《通過》 — 紙を破って作品を成立させる

村上三郎は、張り重ねた大きな紙を身体で突き破る《通過》で知られています。1956年の第2回具体美術展などで行われ、紙が破れる瞬間の音、身体の衝撃、破れた後に残る裂け目のすべてが作品の一部となりました。

通常、紙は描画を受け止める支持体です。しかし村上は、その支持体を描くのではなく、身体で破壊しました。破れた紙は行為の痕跡として残ります。

ここでも重要なのは、単なる破壊ではありません。身体、物質、時間が一つの出来事として成立し、その結果が形として残ることです。Guggenheimはこうした作品を、具体が物質と身体の直接的な関係を探究した代表例として位置づけています。

田中敦子《電気服》 — 身体、電気、光

田中敦子は、具体の中でも電気、音、回路を積極的に取り込んだ作家です。1956年に発表した《電気服》は、色のついた多数の電球と電線を組み合わせ、それを身体に装着する作品でした。

電球は点滅し、色彩が変化し、身体全体が光る装置になります。MoMAやGuggenheimの資料では、この作品が1956年に制作され、1957年の「舞台を使用する具体美術」で実際に身につけられたことが紹介されています。

《電気服》では、衣服、彫刻、絵画、照明、パフォーマンスの境界がなくなります。また、電線と電球による回路の構造は、その後田中が描いた円と線の絵画へ発展しました。行為と絵画が別々ではなく、一つの視覚思想の異なる形としてつながっています。

音を空間へ広げる《ベル》

田中は視覚だけでなく音も作品化しました。《作品(ベル)》では複数の電気ベルを長い配線でつなぎ、順番に音が鳴るようにしました。

鑑賞者は一つの物体を見るのではなく、音が空間を移動するような経験をします。作品は固定された位置に存在する彫刻ではなく、時間の中で展開する出来事になります。

この実践は、具体が絵画や彫刻だけでなく、音、光、時間、電気といった非物質的な要素まで作品の素材として考えていたことを示しています。

「舞台を使用する具体美術」 — 展覧会から出来事へ

1957年、具体は大阪の産経会館で「舞台を使用する具体美術」を開催しました。舞台上で作家たちは光、音、身体、映像、巨大な造形物などを用い、通常の展覧会とは異なる時間的な作品を発表しました。

田中敦子は《電気服》を着用し、元永定正、白髪一雄、嶋本昭三らもそれぞれ舞台上の実験を行いました。Guggenheimは、具体がこうしたライブイベントを通じて、演劇、音楽、映画へ活動を拡張したことを指摘しています。

ここでは鑑賞者は静止した作品を好きな順番で見るのではなく、決められた時間の中で起こる出来事を経験します。作品の概念が、物体から時間的なイベントへ大きく拡張されました。

吉原治良「具体美術宣言」

1956年、吉原治良は『芸術新潮』に「具体美術宣言」を発表しました。そこでは、従来の美術が素材を人間の意図に従わせてきたことを批判し、物質そのものが持つ性質を生かすことが重視されました。

吉原にとって、物質は作者が自由に加工する受動的な材料ではありません。絵具、泥、紙、水、電気、木材など、それぞれが固有の性質を持ち、人間の行為と出会うことで新しい状態を作ります。

この思想によって、作品は作者の頭の中にある完成像を再現するものではなくなります。素材との接触から予測不能な結果が生まれ、それを受け入れることが創造になります。

ポロックとの関係 — 影響だけでは説明できない

具体はジャクソン・ポロックを重要な同時代作家として認識していました。MoMAによれば、具体はポロックの仕事を、自分たちが物質を生かし純粋な創造を目指すうえで重要な刺激として言及しています。

しかし、具体を「ポロックの影響を受けた日本のアクション・ペインティング」とだけ説明することはできません。白髪の足による絵画や嶋本の絵具を投げる制作には共通点がありますが、具体は屋外展、舞台、光、音、電気、観客参加など、より広い媒体へ活動を展開していました。

さらに、具体の初期実験の多くは、海外の戦後抽象が日本で体系的に紹介される以前から独自に進められていました。共通性と相互参照を認めながら、単純な「西洋から日本への影響」という一方向の図式を避ける必要があります。

ミシェル・タピエとアンフォルメル

1950年代後半、フランスの批評家ミシェル・タピエが具体と交流し、国際的なアンフォルメルの文脈でその活動を紹介しました。これは具体が海外へ知られる重要な契機となりました。

タピエは具体の絵画作品、とくに物質や身振りを強く感じさせる作品を高く評価しました。その結果、1950年代末以降の具体では、キャンバス上の抽象絵画が国際展や画廊でより多く紹介されるようになります。

一方、この関係によって、初期の屋外作品や行為的実践が「アンフォルメルの一種」として見えにくくなった時期もありました。現在の具体研究では、タピエとの交流を重要視しながら、それ以前から存在した具体独自の実験性を再評価しています。

1962年・グタイピナコテカ

1962年、具体は大阪に「グタイピナコテカ」を開設しました。倉庫を改装した展示施設で、具体の作家たちが作品を発表する拠点であると同時に、海外の美術関係者を迎える国際交流の場となりました。

兵庫県立美術館の資料にも、1962年に大阪に開設された「具体」の絵画館として記録されています。そこでは会員の個展やグループ展が行われ、具体の活動は初期の一時的な屋外イベントから、継続的な展示制度へ発展しました。

この変化は、具体が長期間活動した集団であったことを示します。初期の過激な行為だけでなく、自分たちの作品をどのように展示し、国内外へ発信するかという制度づくりにも取り組みました。

第二世代 — 1960年代の素材とテクノロジー

1960年代になると、具体には新しい世代の作家が加わり、作品の傾向も変化します。松谷武判、今中クミ子、名坂有子、菅野聖子、ヨシダミノルらは、合成樹脂、工業素材、蛍光色、機械、光など、戦後の新しい物質環境を反映した作品を制作しました。

初期具体の泥、紙、水、身体とは異なる素材が増え、より洗練された造形やテクノロジーを用いた作品も現れます。

この第二世代を含めることで、具体を1950年代半ばのパフォーマンスだけに限定せず、1970年代初頭まで続いた長期的な実験集団として理解できます。

1972年・吉原治良の死と解散

1972年、吉原治良が死去し、具体美術協会はその年に解散しました。結成から約18年間にわたり活動したことになります。

解散後、具体の評価はしばらく限定的でした。国際的な戦後美術史がニューヨークやパリを中心に記述される中で、日本の活動は周辺的に扱われることが多くありました。

しかし1980年代以降、展覧会や研究が進み、2013年のGuggenheim Museum「Gutai: Splendid Playground」などを通じて、具体は国際的な戦後前衛の重要な位置へ再び組み込まれています。

パフォーマンスやインスタレーションの「先駆」だけではない

具体は現在、パフォーマンス・アートやインスタレーション・アートを先取りした運動として紹介されることがあります。それは重要な評価ですが、「後の欧米美術を先取りしたから価値がある」という説明だけでは不十分です。

1950年代の関西で、具体の作家たちは自分たちの社会、素材、自然環境、身体、技術に対して独自の問題意識を持っていました。後世のジャンル名に一致することを目的として制作したわけではありません。

具体を見る際には、後の美術との類似だけでなく、その時代と場所で何が可能だったのか、作家たち自身が何を求めていたのかを同時に考える必要があります。

「作品」から「出来事」へ美術を広げた

具体美術協会の歴史的な重要性は、荒々しい絵画や奇抜なパフォーマンスを作ったことだけではありません。作品の範囲を、物体から行為、時間、空間、自然、光、音、電気、観客との関係へ大きく拡張したことにあります。

白髪一雄は身体と絵具を衝突させ、村上三郎は紙を破る一回の行為を作品にし、田中敦子は身体を電気回路へ接続し、元永定正は水と光を環境の中へ置きました。これらはすべて、素材を単に「使う」のではなく、素材がどのように振る舞うかを作品の中心にする実践でした。

抽象表現主義やアンフォルメルと同時代にありながら、具体は絵画を越えてパフォーマンスや環境的な表現へ独自に展開しました。戦後美術をニューヨークとパリだけで語ることを不可能にした、国際的な前衛の重要な中心の一つだったのです。

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