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School of London

スクール・オブ・ロンドンのアーティスト

時代:
1940s–1990s
地域:
イギリス

スクール・オブ・ロンドンは戦後ロンドンを拠点に、抽象美術が優勢な時代にも人体や身近な世界を強い絵画性で描き続けた作家群を指す呼称です。フランシス・ベーコンらが代表例です。

Artists

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スクール・オブ・ロンドンについて

OVERVIEW

スクール・オブ・ロンドンは、第二次世界大戦後のロンドンを拠点に、人物、身体、室内、都市風景などの具象的な主題を強い絵画性によって描き続けた作家たちをまとめる呼称です。フランシス・ベーコン、ルシアン・フロイド、フランク・アウアーバッハ、レオン・コゾフ、マイケル・アンドリュース、R.B.キタイらが代表的に挙げられます。ただし、彼らが共通の宣言を掲げて結成した正式なグループではありません。

「スクール・オブ・ロンドン」という名称は、画家R.B.キタイが1976年、ヘイワード・ギャラリーで企画した展覧会『The Human Clay』のカタログで用いたことで広まりました。キタイは、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートが国際的な注目を集める時代にも、人間の身体や目の前の世界を描くことに執着するロンドンの画家たちに共通する可能性を見いだしました。

重要なのは、スクール・オブ・ロンドンに統一された「画風」がないことです。ベーコンの歪んだ身体、フロイドの肉体の重量感、アウアーバッハの厚く重ねられた絵具、コゾフの都市風景は外見上大きく異なります。共通するのは、写真のように対象を正確に再現するのではなく、見る時間、身体の存在、絵具の物質性を通じて、具象絵画を20世紀後半に更新しようとした姿勢です。

「スクール」と呼ばれても、学校でも運動でもない

スクール・オブ・ロンドンという名称は、印象派やキュビスムのように作家自身が組織した運動名ではありません。National Portrait Galleryは、この言葉が1976年にR.B.キタイによって『The Human Clay』展のカタログで用いられ、当時のミニマリズムやコンセプチュアル・アートとは異なる新しい具象絵画の作家たちを説明するための呼称だったとしています。

キタイ自身も、これらの作家を明確な「運動」として固定したわけではありません。ベーコン、フロイド、アウアーバッハらは親しい関係を持つ一方、制作方法、主題、思想は大きく異なっていました。

したがって「スクール・オブ・ロンドン」は、共通様式を示す言葉というより、戦後ロンドンで具象絵画を継続・更新した複数の作家を後から結びつける批評的な枠組みとして理解する必要があります。

戦後美術の中で、なぜ具象を描き続けたのか

第二次世界大戦後、国際美術では抽象表現主義、その後のミニマル・アート、コンセプチュアル・アートなどが大きな影響力を持ちました。絵画の中から人物や風景を取り除き、色、形、ジェスチャー、物質、制度へ関心を移す動きが強まりました。

その中でスクール・オブ・ロンドンの作家たちは、身体、肖像、室内、都市という伝統的にも見える主題を手放しませんでした。しかし、それは19世紀の写実絵画へ戻ることではありません。

彼らにとって具象は、対象を似せて描くためではなく、見ることの不確かさや、身体の存在感、心理的な緊張、絵具そのものの物質性を検証する場でした。具象と抽象を単純な対立として捉えず、対象を描きながら絵画の構造そのものを問い直していたのです。

フランシス・ベーコン — 身体を破壊しながら残す

フランシス・ベーコンは、スクール・オブ・ロンドンを代表する画家です。人物は大きく歪み、顔や身体がねじれ、時に肉の塊のように変形します。しかし完全な抽象にはならず、人間の身体であることは最後まで残ります。

ベーコンは、ベラスケス、レンブラント、ゴッホなど過去の絵画だけでなく、新聞写真、映画の静止画、医学写真、エドワード・マイブリッジの連続写真などを大量に参照しました。直接モデルを観察するだけでなく、すでに複製されたイメージを通じて身体を描いた点が重要です。

その結果、ベーコンの人物像には「現実の人」と「写真や記憶を通した像」が重なります。身体は安定した肖像ではなく、見ることや記憶の中で崩れ続ける存在として表されます。

《三つの習作》と戦後の身体

1944年の《磔刑の基部にいる人物のための三つの習作》は、ベーコンの戦後の評価を決定づけた作品です。三つの奇妙な生物のような形態が橙色の背景に置かれ、叫び、苦痛、暴力を連想させます。

作品は戦争を直接描いた記録画ではありません。しかし、第二次世界大戦終盤のロンドンで発表されたことで、破壊と暴力を経験した時代の不安と強く結びついて受け取られました。

ベーコンの重要性は、身体を理想的に再現するのではなく、身体が傷つき、崩れ、叫ぶ状態そのものを絵画へ持ち込んだことにあります。具象絵画が美しい人体を保存する媒体ではなく、存在の不安定さを表す場へ変わりました。

ルシアン・フロイド — 肌を「見る時間」に変える

ルシアン・フロイドは、人物を長期間モデルの前で観察しながら描きました。家族、友人、恋人、芸術家、モデルなど、身近な人物を繰り返し描き、身体の重さ、皮膚の色、姿勢の緊張を非常に密度の高い絵具によって表現しました。

フロイドの裸体は、理想化された美しい身体ではありません。皮膚の斑点、たるみ、骨、脂肪、疲労まで含め、身体を一つの物質として見つめます。

しかし、それは単なる写実でもありません。一回の瞬間を写真のように記録するのではなく、何週間、何か月もの観察が一枚の画面に蓄積されています。そのため、作品には「その人がどのように見えるか」だけでなく、「長く見続けた結果として身体がどう見えてきたか」が残ります。

写真とフロイド — 似せることから距離を置く

20世紀後半には、写真が人物の外見を極めて正確に記録できるようになっていました。その状況で肖像画を描くことには、写真とは異なる理由が必要になります。

フロイドの絵画では、モデルとの距離、長時間のポーズ、描き直し、絵具の厚みが重要です。写真が一瞬を切り取るのに対し、絵画には異なる瞬間の観察が蓄積します。

この「時間の厚み」が、スクール・オブ・ロンドンの具象絵画を写真の代替物ではないものにしています。写真が存在するからこそ、絵画は「似ているか」以外の問題へ進む必要があったのです。

フランク・アウアーバッハ — 描いて削り、また描く

フランク・アウアーバッハは、肖像やロンドンの都市風景を繰り返し描きました。初期作品では絵具が極端に厚く塗り重ねられ、人物の顔や建物が絵具の塊から浮かび上がるように見えます。

彼の制作は単純な厚塗りではありません。長期間にわたって描き、うまくいかない部分を削り取り、再び描き直す行為を繰り返します。完成した表面には最終的な筆触しか残らなくても、その背後には多くの失敗と修正の時間があります。

アウアーバッハにとって重要なのは、対象の外見を固定することではなく、何度見ても変化して見える人物や場所に、その都度新しく応答することでした。絵画は完成像の再現ではなく、見る行為の反復そのものになります。

ロンドンの街を繰り返し描く

アウアーバッハはカムデン・タウン周辺、Mornington Crescent、Primrose Hillなど、自身の生活圏にある場所を何十年にもわたって繰り返し描きました。レオン・コゾフもロンドンの駅、建設現場、街路、学校などを長期間描き続けています。

ここで都市は、象徴的な「ロンドンらしさ」を示す風景ではありません。工事によって変わり、光や天候によって見え方が変化し、個人的な記憶が積み重なる場所です。

同じ場所を繰り返すことで、一枚の絵に固定された都市像ではなく、時間の中で変化し続ける場所との関係が作品になります。

レオン・コゾフ — 都市と身体を同じ密度で描く

レオン・コゾフは、人物とロンドンの都市風景の両方を強い筆触で描きました。駅、スイミングプール、建設現場、学校などが、人物肖像と同じように重い線と絵具で構成されています。

彼の画面では、建物は正確な建築図面のように描かれません。線は揺れ、空間は押しつぶされ、場所の密度や人の動きが画面全体へ広がります。

人物と都市を別のジャンルとして扱わず、どちらも「長く見続ける対象」として描く点が特徴です。スクール・オブ・ロンドンにおける具象とは、対象の種類ではなく、世界と持続的に関係する方法でもありました。

マイケル・アンドリュース — 人間関係と社会空間

マイケル・アンドリュースは、ベーコンやフロイドほど激しい絵具の物質性を前面に出さず、人物同士の関係や社会的な場面を扱いました。パーティー、レストラン、群衆、風景などを通じて、個人が集団の中でどのように存在するかを描きました。

彼の作品では、人物の心理を顔の表情だけで示すのではなく、身体の距離、配置、空間全体の雰囲気によって人間関係が表現されます。

この存在によって、スクール・オブ・ロンドンが「激しい厚塗りの人物画」だけではないことがわかります。具象絵画を通じて扱われた問題は、身体、記憶、都市、社会関係まで幅広くありました。

R.B.キタイ — 名称を与えた画家

アメリカ生まれのR.B.キタイは、ロンドンで長く活動し、1976年の『The Human Clay』展を通じて「スクール・オブ・ロンドン」という名称を広めました。彼自身も人物、文学、歴史、政治、ユダヤ文化などを複雑に引用する具象画家でした。

キタイは、戦後美術が抽象、ミニマル、コンセプチュアルへ進む中でも、人物を描く絵画にはまだ重要な可能性があると考えました。しかし、同じ様式を持つ集団を作ろうとしたのではありません。

「スクール」という言葉は、個性的な画家たちがロンドンという場所で互いの存在を意識しながら制作していた状況を示すための、意図的に緩やかな名称でした。

移民と亡命の都市としてのロンドン

スクール・オブ・ロンドンの主要作家の多くは、単純な「英国的伝統」だけでは説明できない背景を持っています。ベーコンはアイルランド生まれ、フロイドはベルリン生まれでナチス台頭後に家族とイギリスへ移住し、アウアーバッハもベルリンから子どもの時にイギリスへ渡りました。キタイはアメリカ出身です。

ロンドンは彼らにとって、一つの民族的・国家的様式を共有する場所というより、異なる出自を持つ作家が集まり、戦後の経験を持ち寄る都市でした。

この国際性を考えると、「スクール・オブ・ロンドン」を単純なイギリス美術の地域様式として見ることはできません。むしろ亡命、移住、戦争、都市文化が交差する場所としてのロンドンが重要でした。

ソーホーと画家たちのネットワーク

戦後ロンドンのソーホーは、芸術家、作家、俳優、モデルが集まる重要な社交空間でした。ベーコン、フロイド、アウアーバッハらはカフェやバーを通じて互いに交流し、作品だけでなく生活の場でも関係を持っていました。

こうしたネットワークは、正式な芸術運動の会合とは異なります。共通の理論を決めるためではなく、同じ都市で制作する画家たちが互いの作品や存在を意識する場でした。

スクール・オブ・ロンドンが「グループではないのに一つのまとまりとして語られる」理由の一つは、この人的・都市的なつながりにあります。

1987年の「A School of London」展

1987年には、ロイヤル・アカデミーで「A School of London: Six Figurative Painters」展が開催され、ベーコン、フロイド、アウアーバッハ、コゾフ、アンドリュース、キタイの六人が取り上げられました。

この展覧会によって、1976年にキタイが提案した名称は、戦後イギリス具象絵画を説明する美術史的な枠組みとしてさらに定着しました。

一方で、六人を一つの「学校」にまとめることへの批判もあります。各作家の制作方法はあまりに異なり、同じ理論や様式を共有していないからです。名称の有効性と限界を同時に意識する必要があります。

抽象表現主義との距離と接点

スクール・オブ・ロンドンはしばしば抽象表現主義と対照的に語られます。ニューヨークの抽象表現主義が巨大な画面、身体的な筆触、非具象へ進んだのに対し、ロンドンの画家たちは人物や場所を残しました。

しかし、両者が完全な対立関係にあったわけではありません。アウアーバッハやコゾフの激しい筆触や絵具の厚みは、抽象画の物質性と比較することができます。違いは、その筆触が最後まで特定の人物や場所との関係を失わないことです。

つまり、スクール・オブ・ロンドンは抽象絵画以前へ戻ったのではなく、抽象以後の絵画の自由を取り込みながら、具象を継続しました。

ポップ・アートと同時代に具象をどう描くか

1950年代末から1960年代には、イギリスとアメリカでポップ・アートが登場し、広告、漫画、商品、写真など大量消費社会のイメージを作品へ取り込みました。

ベーコンも写真を大量に使用しましたが、ポップ・アートのように複製画像そのものの流通や消費社会を主題にしたわけではありません。写真を出発点にしながら、そのイメージを変形し、身体の不安定さへ変えていきました。

同じ時代に「具象」を扱っていても、大衆イメージを扱うポップ・アートと、人間の身体や直接的な観察へ執着するスクール・オブ・ロンドンでは、絵画へ向かう理由が大きく異なっていました。

なぜ20世紀後半にも「絵画」でなければならなかったのか

写真、映画、テレビがすでに人間の外見を大量に記録していた20世紀後半に、人物を油絵で描くことは自明ではありませんでした。スクール・オブ・ロンドンの作家たちは、その条件の中で「絵画にしかできない身体表現」を探りました。

ベーコンでは像の破壊と変形、フロイドでは長時間の観察、アウアーバッハでは描き直しの蓄積、コゾフでは場所との持続的な関係が重要になります。どれも、一瞬を機械的に記録する写真とは異なる時間を画面に持ち込んでいます。

絵画は現実のコピーではなく、見る時間、記憶、身体的な筆触を物質として残す装置になる。その考えが、彼らの具象絵画を現代的なものにしました。

具象絵画は「終わっていない」と示した

スクール・オブ・ロンドンの歴史的な重要性は、具象絵画を一つの様式として守ったことではありません。抽象表現主義、ポップ、ミニマル、コンセプチュアル・アートが登場した後でも、人物や風景を描くことは、新しい問題を持ち得ると示したことにあります。

彼らは対象を正確に写すのではなく、身体を歪め、絵具を重ね、長く観察し、写真や記憶を介在させながら、具象という方法を更新しました。そのため「具象対抽象」という単純な二分では理解できません。

スクール・オブ・ロンドンは正式な運動ではなく、作家ごとの差も非常に大きい名称です。それでも、20世紀後半の美術史を「具象から抽象へ、さらに概念へ」という一方向の進歩として見ることを拒み、絵画が複数の方向へ同時に進んでいたことを示す重要な枠組みなのです。