MUSEUM MMK FÜR MODERNE KUNST(ミュンヘン・モダン・アート美術館 / 正式名称:Museum für Moderne Kunst, MMK)は、ドイツ・フランクフルト・アム・マインにある、世界的に有名な現代・コンテンポラリーアート美術館
エリオ・オイチシカは、色を画面の中から現実の空間へ解き放ち、見る人の身体と日常の経験に結びつけたブラジルのアーティストです。小さな幾何学的な絵画から、空間に吊るす色の面、素材を内包する箱、踊りながらまとう布、歩いて入れる環境へ制作を展開しました。1937年にリオデジャネイロで生まれ、1980年に同地で亡くなるまでの仕事には、絵画、立体、衣服、建築、映画という区分を横断する問いが続いています。色は形を飾るものではなく、身体がその場にいることを変える働きになります。
代表的な「パランゴレ」や《トロピカリア》は、写真では鮮やかな色と素材の組み合わせに見えます。しかし作品には、踊る、歩く、横になる、時間を過ごすという行為が含まれています。さらに、誰が美術館に入れるのか、どの文化が芸術として扱われるのかという社会的な問題もあります。本記事では、初期の抽象からネオ・コンクレティズム、マンゲイラとの交流、環境作品、映像の提案までをたどり、色の美しさと参加の条件を一緒に考えます。
CONTENTS
エリオ・オイチシカとは
オイチシカの制作を貫くのは、色、空間、時間、身体を切り離さない姿勢です。初期の絵画でも、四角形の配置は静止した模様というより、視線を動かすリズムを作ります。その後、色面は壁から離れ、物の内部へ入り、布となって人の動きに従い、最後には身体を包む環境へ広がりました。形式が変わっても、色を経験する条件を探る関心は続いています。絵画から環境へ進む制作を、以前の方法を順に捨てる物語ではなく、問いを別の規模で試す過程として見ることができます。
彼は作品とともに文章も書き、制作の考え方や新しい形式を記録しました。「メタエスケーマ」「ボリデ」「パランゴレ」「ペネトラーヴェル」などの名称は、単なる個々の題名にとどまりません。既存の絵画や彫刻の分類では説明しにくい仕事に、作家が与えた呼び方でもあります。作品名に含まれる番号も、同じシリーズの中の位置を示します。用語をすべて暗記するより、その形式が鑑賞者に何を求めるかを確かめると、名称の意味が理解しやすくなります。
リオの抽象美術と初期の絵画
オイチシカは1954年に、リオデジャネイロ近代美術館でイヴァン・セルパのもとに学び始めました。翌年にはグルーポ・フレンテに参加します。このグループでは、抽象的な形と色の関係が探究されました。《グルーポ・フレンテ、第73番》のようなカード紙にグアッシュで描いた仕事は、後の大きな環境作品とは規模が大きく異なります。しかし小さな画面でも、色を配置することで視線が動き、隣り合う形の関係が変わります。作品の大きさだけから、問いの重要さを判断できないことがわかります。
マレーヴィチ、モンドリアン、クレーらの幾何学的な抽象は、オイチシカにとって重要な参照点でした。ただし、その図形を借りて同じ構成を繰り返すだけではありません。四角形がわずかに傾き、間隔が変わり、地と形の関係が揺れます。近代絵画の語彙を使いながら、完全に安定した秩序を作ることより、見る行為の中で起こる変化が探られています。形の簡潔さは、動きの少なさを意味しません。
この出発点を理解すると、後年の踊りや環境作品が突然現れたものではないとわかります。画面では視線が動き、吊られた立体では鑑賞者が周囲を歩き、パランゴレでは身体が布を動かします。動くものは変わっても、色と動作を結びつける関心が続いています。初期作品を完成度の低い準備段階として扱わず、それ自体が作るリズムを読むことが、全体の制作史を見るための基礎になります。
メタエスケーマ―形と空白のリズム
1950年代後半の「メタエスケーマ」は、オイチシカの平面の実験を代表する連作です。《メタエスケーマ、第4066番》では、四角形の配置に規則性を感じながらも、完全な格子として読むことが難しくなります。形の傾きと間隔が、静かな面に揺れを生みます。一つの四角形だけを見ても、その動きは十分にはわかりません。隣の形と比べ、列やまとまりを追うことで、全体の関係が見えてきます。
ここで地の部分は、図形が置かれた無関係な背景ではありません。形のあいだにある空白も、大きさや向きを持つように感じられます。黒や赤の四角形を追ってから、逆にその周囲の空白を追うと、同じ画面が別の構成として見えてくることがあります。図と地の位置を固定しない見方は、後の空間作品にもつながります。板のあいだにできる隙間や、壁と壁のあいだの経路も、残余ではなく経験を作る部分になります。
小さなずれを「整っていない」とだけ評価すると、この連作の働きを見落とします。規則が感じられるからこそ、規則から離れる部分が動きを作ります。一方で、すべてが偶然に置かれているわけでもありません。秩序とずれがどの程度共存するかを見ていくと、形の簡潔さの中にある調整の細かさがわかります。平面の上ですでに、固定された形を一度で把握する見方とは異なる経験が生まれています。
単色から空間に存在する色へ
1959年前後の作品では、色そのものへの集中が強まります。《赤いモノクローム》では、色を何かの形に塗るという通常の見方を離れ、赤い面が物として存在することを考えられます。単色だから情報が少ないと決めつけず、表面、縁、厚み、光の違いを確かめたい作品です。《絵画9》では、画面を構成する面の関係を通して、色がどこまで広がり、どこで他の面に接するかという問題が続きます。色の働きは、描かれた物の説明に従属しなくなります。
同じ時期、オイチシカはネオ・コンクレティズムに参加しました。リジア・クラークやリジア・パペらとともに、幾何学的な抽象を、身体と時間を含む経験へ開いていきます。数学的な規則で作品を説明するだけでは、実際にその前に立つ人の経験を捉えきれません。見る位置が変わり、光が変わり、時間が経過することで、同じ物でも関係が変わります。幾何学を否定したのではなく、その構造が現実の経験に出会う条件を探った運動と考えられます。
《P58 空間レリーフ、赤》では、色のついた面が壁から離れて空間へ張り出します。正面から見るだけでは、重なりや隙間の関係を十分に捉えられません。周囲を移動すれば、一つの面が別の面を隠し、先ほど見えなかった部分が現れます。同じ赤も、光を受ける角度によって異なる明るさになります。ここでは色を経験するために身体の移動が必要になります。絵画の奥行きを目で想像することから、現実の奥行きの中で色を見ることへ、制作の条件が変わっています。
ボリデ―箱、顔料、日常の物質
1960年代の「ボリデ」は、色と物質の関係を別の方法で探る連作です。箱、容器、袋などの形式が使われ、顔料、土、石、ガラスといった素材が組み合わされます。作品の外側の輪郭だけでなく、内部に何があり、どう関わるかが重要になります。色は表面に塗るものとしてだけでなく、粉状の顔料という物として存在します。絵の具になる前の色に触れるような関心が、容器と内容物の関係へつながっています。
《B11 箱型ボリデ9》は、箱を開く、内部を確かめるといった日常の動作を考えさせます。箱の外観を正面から眺めることと、その内側に注意を向けることでは、見る順序が変わります。外と内をつなぐ部分、開口部、ガラスの透明さなどが、経験の条件になります。作品を触れる場合も、鑑賞者は素材の扱いを無制限に決められるわけではありません。作家が与えた構造が、可能な行為の範囲を作ります。
《B16 ボリデ、箱12「考古学的」》では、土や石などと、鏡、ガラス、蛍光灯が一つの構造に組み合わされます。自然の物質と人工的な光は、同じ性質を持ちません。題名の「考古学的」は、内部を探り、層や痕跡に目を向ける見方を誘いますが、考古学の標本を再現した作品という意味に限られません。異なる素材を順に見ていくことで、箱の全体が一つの像として閉じないことがわかります。
ボリデを、箱という共通の形式だけでまとめると、各作品の違いが薄れます。木を組んだもの、既存の容器を使うもの、物質を保持するものでは、関わり方が異なります。日常の物が芸術へ変わるのは、美術館に置かれたからだけではありません。開く、探る、触れるといった動作が、物の性質を別の形で意識させます。ここで参加とは、完成品へ付け加えられたサービスではなく、素材と構造を経験するための条件になります。
パランゴレ―踊る身体が色を開く
1964年、オイチシカはリオのマンゲイラの人々やサンバの文化との交流を深めました。この経験は、「パランゴレ」の制作に重要な意味を持ちます。ケープ、旗、布などの形式を持つ作品は、人が身につけたり動かしたりすることで色の層を開きます。布が掛けてあるときと、踊る身体に沿って揺れるときでは、現れる色も形も異なります。絵画の色が身体を包み、その動きと一緒に空間へ広がると考えることができます。
《P16 パランゴレ、ケープ12「逆境からわれわれは生きる」》には、布やジュート、プラスチックなどが用いられ、内側の要素に言葉も含まれます。見える色だけでなく、隠れている部分が動作によって現れることが重要です。一枚の写真は瞬間を切り取りますが、着用する時間のすべては示しません。形を静止した彫刻として測ることと、動きの中で経験することのあいだに差があります。掲載する寸法も、着用時の広がりすべてを表すわけではありません。
パランゴレの背景には、美術制度への問いもあります。作品を着用するマンゲイラの友人たちが、リオの近代美術館への入場を拒まれた出来事は、MoMAの作品解説でも取り上げられています。新しい芸術を歓迎する場が、その芸術を成立させる人々を排除する。この矛盾によって、何を作品として認めるかという問題は、誰を観客や参加者として認めるかという問題と結びつきます。色の美しさだけを見ると、この社会的な条件を取り落とします。
マンゲイラを、作家に刺激を与えた自由な異世界としてだけ描くことも避けたいところです。そこには生活する人々、文化、都市の格差があります。オイチシカの変化を理解するには、踊りを視覚的な素材として借りたという説明より、他者との交流が作家自身の身体と芸術の考え方を変えたことに注目する必要があります。参加者は作品を見せるためのモデルではなく、作品の色と動きを成立させる主体です。パランゴレは、形の発明と関係の変化を同時に含んでいます。
《トロピカリア》とブラジルの複雑な像
1967年の《トロピカリア》は、植物、砂、砂利、鳥、テレビと、中へ入れる構造を組み合わせた環境作品です。リオの「新しいブラジルの客観性」を掲げる展覧会で発表されました。観客は全体を遠くから見渡すだけでなく、素材のある場所を歩き、内部を進みます。足元の感触、通路の狭さ、植物と人工的な構造の関係が経験を作ります。色は独立した壁面にあるだけではなく、素材と移動の中で身体に関わります。
題名から、熱帯の楽園というわかりやすいイメージを思い浮かべるかもしれません。しかしこの作品は、ブラジルを一つの純粋な像へまとめることを揺さぶります。PN2の名称に含まれる「純粋さは神話である」という言葉も重要です。自然のように見える要素と、都市の建築を思わせる構造、テレビが同じ環境に存在します。外から与えられた異国情緒と、生活の現実のあいだにある緊張を考えたい作品です。装飾的な南国の演出として読み終えることはできません。
ソフィア王妃芸術センターの解説は、この作品を軍政下のブラジルや社会の矛盾と関係づけています。参加者が歩くことは、政治的な意味をすべて自動的に理解することとは違います。それでも、無関係な観客として外側に留まる立場は変わります。個人の感覚と集団の生活、自然と都市、身体とメディアが同じ場所で交差します。作品に入ることによって、その交差を自分の経験として考える条件が作られます。
「トロピカリア」は後に音楽や文化運動を語る名称としても知られますが、作品と文化全体を同一視する必要はありません。環境作品の具体的な構成を確認することで、名前の広がりだけでは見えない問いを読み取れます。砂の上を歩くこととテレビを見ることが、なぜ一つの経験に置かれるのか。ある素材を自然らしいと感じるのは、どのような習慣によるのか。こうした問いは、作品の国や時代を超えて、私たちのイメージの作り方にも関わります。
《エデン》―滞在するための環境
1969年、ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーで発表された《エデン》は、環境の中に滞在する経験を大きく展開しました。砂や砕いた煉瓦、葉、水、クッション、柔らかな素材などが組み合わされ、鑑賞者は異なる場所に入って時間を過ごします。通常の美術館では、作品の前に立ち、見終えたら次へ進む行動が一般的です。《エデン》は、その一定の姿勢と速度を変えます。休む、身体を預ける、留まることも、作品に関わる方法になります。
ここで「何を見ればよいか」という問いは、「どのようにここにいるか」という問いへ広がります。全体の配置を把握することにも意味がありますが、外からの一望は内部の経験と同じではありません。場所ごとの素材と身体の姿勢を比べると、環境が単なる巨大な彫刻ではないことがわかります。観客の移動や滞在は、あらかじめ決められた一つの物語を順に理解するためだけに使われているわけではありません。
題名の「エデン」から、完成した理想郷を想像することもできます。しかしその経験は、鑑賞者が現実に時間を使うことで生まれます。環境の写真を美しい室内のデザインとして見るより、どこで動作が変わるかに注意すると、作品の構造が読み取りやすくなります。立つ場所から座る場所へ、硬い足元から柔らかな場所へ移るとき、身体は違う条件に置かれます。見ることを生活の他の行為から切り離さない姿勢が、ここに明瞭に現れています。
ニューヨークと《コズモコカ》の映像経験
1970年代、オイチシカはニューヨークで生活し、制作を行いました。映像、音楽、文章、室内の環境を横断する仕事が展開されます。1973年にネヴィル・ダルメイダと構想した「コズモコカ」は、その重要な例です。この連作では、スライドの投影、音響、身体を置く条件が組み合わされます。作家一人の作品として説明して共同制作者を消さないことが、制作の理解にも必要です。
《コズモコカ/CC5「ヘンドリックス・ウォー」》では、ジミ・ヘンドリックスの音楽と複数方向への投影が、ハンモックを設けた環境に組み合わされます。通常の映画館では、観客が同じ方向を向き、席に座って一つの画面を追います。この提案では姿勢も視線の向きも変わり、映像は身体の周囲にあります。作品に接する時間は、筋のある物語を最後まで理解するためだけの時間ではありません。横になることと、映像や音を受け取ることが同じ経験になります。
画像には、アルバムなどの印刷された図像に介入した写真が使われます。見るべき対象は投影された画像だけでなく、その画像が部屋のどの面に現れ、身体がどのような位置にあるかです。音楽は映像の背景を飾るだけではなく、空間の時間を作ります。写真やスライドに残る情報と、実際の環境で広がる経験を分けることで、作品の複数の側面が見えてきます。
後年の美術館展示では、提案に基づいて空間が再構成されます。ホイットニー美術館の解説でも、現在の材料を使う設置と原資料の関係が説明されています。1973年という年記は、展示されている部屋のすべての部材がその年に作られたという意味ではありません。図像、指示、音響、実施の条件がどう引き継がれているかを確かめることが重要です。制作の年と実現の年を分ける視点は、オイチシカの環境作品全体に役立ちます。
マジック・スクエア―色のあいだを歩く
1977年に構想された《色の発明―侵入可能なマジック・スクエア第5番、デ・リュクス》は、イニョチンで没後に建設された屋外の作品です。「侵入可能」という訳語は、ここでは人が作品の内部へ入れることを示します。異なる色の大きな壁が空間を区切り、鑑賞者はそのあいだを移動します。色は小さな板に塗られたものではなく、身体の視野を占める面になります。空、光、影、砂利の足元も、その経験の条件です。
一枚の写真では、壁が整然と並ぶ幾何学的な構成として見えます。しかし実際に歩くと、ある色が別の色を隠し、遠い壁が近づき、通路が開閉するように感じられます。視点を変えれば、同じ壁の面積の見え方も変わります。メタエスケーマで形と空白のあいだに起こったリズムが、ここでは身体が通る空間の関係として現れると考えられます。平面と屋外の構造を比べることによって、色への関心の持続がよくわかります。
イニョチンの説明によれば、建設は作家の文章、図面、模型、色の資料などに基づいています。作家が亡くなった後に建てられた現物を、本人がこの場所で監督した建築と説明することはできません。その一方で、没後の実現だから構想と無関係というわけでもありません。資料を読み、現実の規模へ移す仕事が、その間をつないでいます。作品の保存は物を残すことだけではなく、実現できる条件を残すことでもあると、この例は示しています。
参加の自由と社会の条件
オイチシカの制作には、身体が自由に動き、既定の鑑賞習慣から離れる可能性があります。しかし、その自由を社会から切り離した抽象的な理想として語ることはできません。マンゲイラの友人たちが美術館への入場を拒まれた出来事は、参加する作品を作るだけでは、誰もが参加できる社会になるわけではないことを示します。作品が開く経験と、現実の制度が閉じる入口の両方を考える必要があります。
ブラジルの軍政という背景も、作品の位置を理解する上で重要です。色彩が明るいから政治とは無関係、あるいは政治的な背景があるから色の問題は二次的という見方は、どちらも制作を狭めます。日常の行為を美術に結びつけること、価値を認められにくい文化との交流、観客の位置を変えることには、社会の秩序を問い直す側面があります。その問いは、作品の外に後から付けられた説明ではなく、身体が何をできるかという具体的な条件に現れます。
参加を求める作品にも、作家が作った構造があります。どの素材を使うか、どこへ入れるか、どの音が流れるかは、すべて参加者が決めるわけではありません。与えられた条件と、その中で生じる行為の関係を読むことが重要です。自由を無制限と考えるより、どこに選択があり、どこに制約があるかを確かめると、作品の設計と参加者の働きの両方が見えます。オイチシカは、物を消してすべてを観客に任せたのではなく、経験を開く条件を作りました。
短い生涯と、実現され続ける構想
オイチシカは1980年、42歳で亡くなりました。没後には家族や関係者によって、作品と資料の保存・紹介が進められました。今日の展覧会では、初期の絵画や立体と、再制作された着用作品や環境が並ぶことがあります。ここでは、保存された原作、作家の指示に基づく再制作、写真や文章の記録を区別して理解することが重要です。すべてを一種類の「作品」として見るだけでは、その成立の仕方の違いが消えてしまいます。
2016年から2017年にかけてアメリカの美術館を巡回した「To Organize Delirium」は、絵画から環境、映像や文章へ広がる制作を紹介しました。こうした回顧展は、鮮やかな参加型作品だけを取り出す見方を補います。小さな紙の作品にある形の関係を見た後で、大きな環境の中を歩くと、異なる形式が同じ問いを共有していることに気づけます。制作の多様さは、関心が散らばっていたという意味ではありません。
オイチシカの重要性は、色を視覚だけの問題に閉じ込めず、身体が生きる空間に結びつけたことにあります。色を見る行為は、立つ位置、動く速度、まとう布、休む姿勢によって変わります。その経験はまた、他者や社会の条件から独立していません。幾何学的な明快さ、素材の身近さ、感覚の豊かさ、制度への問いが重なっているところに、彼の制作を繰り返し見る意味があります。
主要作品
1955–56年のグルーポ・フレンテの作品から、1977年に構想された《マジック・スクエア第5番》まで12件を紹介します。初期の平面、触覚に関わる箱、着用する作品、歩いたり滞在したりする環境を比較できます。
グルーポ・フレンテ、第73番
Grupo Frente No. 73 / 1955–1956 / カード紙にグアッシュ / 44.1 × 39 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
幾何学的な抽象に取り組んだ初期の仕事。後年の環境作品の出発点を、色と平面の関係からたどれます。題名は所属したグループと作品番号を示し、描かれた場面を説明するものではありません。色のまとまりと、そのあいだに残る地の働きを確かめてください。後の《メタエスケーマ》と並べると、形の配置から生まれる動きへの関心が見えてきます。
メタエスケーマ、第4066番
Metaesquema No. 4066 / 1958 / 切り込みを入れたボードにグアッシュ / 53.3 × 58.1 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
四角形の配置が規則を感じさせながら、その規則を完全には守らない作品。形の傾きと間隔によって、静かな面が動き始めるように見えます。個々の四角だけでなく、周囲の空白も一つの形として追ってください。後年に実際の身体の移動を求める作家が、ここでは見る行為の中に生じるリズムを扱っている、と考えられる一枚です。
赤いモノクローム
Red Monochrome / 1959 / ボードにアルキド塗料 / 29.8 × 29.8 × 2.9 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
単一の赤へ集中した小さな作品。色を何かの輪郭の内側に収めるという見方を離れ、赤が面と物の厚みをどのように持つかを確かめられます。均一な色だから見るものがないと決めず、表面、縁、光との関係に注目してください。色を壁から離し、空間の中へ展開する時期の前後関係を考えるためにも有効な一点です。
絵画9
Painting 9 / 1959 / カンヴァスに油彩 / 115.9 × 88.9 cm
ニューヨーク近代美術館(Patricia Phelps de Cisneros寄贈予定作品)
幾何学的な形を通して、画面の分割と色の広がりを考える作品。ネオ・コンクレティズムの時期に制作されました。細かな四角が浮かぶ《メタエスケーマ》と比べ、画面全体を構成する面の大きさに注目してください。形の名前を特定するだけでなく、縁まで届く色と、その隣の色の関係を見ると、物理的な空間へ展開する色の研究との連続が感じられます。
P58 空間レリーフ、赤
P58 Relevo espacial, vermelho / Spatial Relief, Red / 1960 / 合板、ポリ酢酸ビニル樹脂系塗料 / 62.5 × 148 × 15.3 cm
テート
赤く塗られた面が空間に張り出す作品。絵画を正面から眺める習慣を離れ、横から、下から、反対側からの見え方を考えられます。折れた面のあいだの空隙も構造の一部です。同じ赤であっても、光を受ける角度と見る位置によって明るさが変わります。ホイットニー美術館の2017年展作品資料に、テート所蔵作品として掲載されています。
B11 箱型ボリデ9
B11 Bólide caixa 9 / Box Bólide 9 / 1964 / 木・ガラスに油彩、ポリ酢酸ビニルエマルション、顔料 / 49.8 × 50 × 34 cm
テート
箱という日常的な形式を、色と素材を経験する場へ変えた作品。外側の形に加え、開口部、内部、容器と内容物の関係を見ることが重要です。色は表面に塗られるだけでなく、顔料という物でもあります。箱を開ける行為を想像すると、見る順序が固定されないことに気づきます。展示中の現物の操作については、その会場の案内に従ってください。
B16 ボリデ、箱12「考古学的」
B16 – Bolide – Box 12, “Archeological” / 1964–1965 / 木構造、塗料、土、ナイロン網、段ボール、鏡、ガラス、石、蛍光灯 / 37 × 131.2 × 52.1 cm
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
横長の箱に異なる物質と光を組み合わせた作品。「考古学的」という題名は、内部を探り、層や痕跡に目を向ける見方を誘います。土や石と、鏡や蛍光灯の違いを一度に見ようとせず、素材ごとの働きを順に確かめてください。ボリデが単なる彩色彫刻でも、同じ形式の箱の反復でもなく、物と経験の関係を個別に作る連作であることがわかります。
P16 パランゴレ、ケープ12「逆境からわれわれは生きる」
P16 Parangolé Cape 12 “From Adversity We Live” / 1965(1992年再制作) / ジュート、布、木くず、プラスチック / 114 × 27 × 22 cm(MoMA掲載値)
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
まとう人の動きによって、層になった布や色が現れる作品。内側には袋と、題名の言葉を記した旗が含まれます。掛けてある状態は、踊りの中で展開する経験のすべてを示しません。マンゲイラの人々との交流、美術館への入場をめぐる排除という背景も重要です。MoMAの所蔵品は1992年の再制作であり、1965年の実物と同一ではありません。
トロピカリア―PN2「純粋さは神話である」、PN3「イマジェチコ」
Tropicália, penetráveis PN2 “Pureza é um mito”, PN3 “Imagético” / 1967 / 木、布、プラスチック、砂、砂利、鳥、白黒テレビ、熱帯植物など / 可変
国立ソフィア王妃芸術センター
砂や植物、鳥、テレビと、中へ入れる構造を組み合わせた環境。ブラジルの熱帯的な外観を楽しむ装飾としてだけで読むと、都市の生活や文化の混成への問いを見落とします。足元の素材と映像の関係を考えてください。構成要素のPN2は1966年、PN3は1966–67年に位置づけられ、1967年の環境作品としてまとめられています。
エデン
Éden / Eden / 1969 / 砂、砕いた煉瓦、葉、水、クッション、発泡素材、書籍、マットなど / 可変(1969年設置の規模:約21 × 15 × 3.5 m)
César・Cláudio Oiticicaコレクション(2017年展資料)
ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーで発表した環境作品。見るために立つだけでなく、異なる素材の場所に入り、休み、時間を過ごすことが作品の条件になります。題名から理想郷を想像しても、全体を一枚の風景画として読む必要はありません。1969年の記録写真と後年の設置資料を比較すると、環境の再制作で継承される構想と、変化する現実の会場を区別できます。
コズモコカ/CC5「ヘンドリックス・ウォー」
Cosmococa / CC5 Hendrix-War / 1973(ネヴィル・ダルメイダとの共同作品) / スライド映写機5台、スライド、ハンモック、音響設備、ジミ・ヘンドリックスの音楽 / 可変
イニョチン
映像と音楽を一方向に鑑賞する映画館の条件を変えた共同作品。ハンモックに身を預ける人は、複数方向の投影と音に囲まれます。アルバムの図像に加えた介入を撮影した画像も、その環境の一部です。上映の筋を追うというより、身体の姿勢と映像の関係を考えてください。後年の展示空間は当初の提案を実現する再構成であり、1973年の部屋を保存したものではありません。
色の発明―侵入可能なマジック・スクエア第5番、デ・リュクス
Invenção da Cor, Penetrável Magic Square #5, De Luxe / 1977(構想/没後に建設) / 彩色したコンクリート・組積壁、金属、ガラス、金網、砂利 / 15 × 15 × 4.5 m
イニョチン
異なる色の大きな壁のあいだを歩ける屋外の構造。ここで「侵入可能」とは、鑑賞者が作品の中へ入れることを意味します。壁の色だけでなく、空の見え方、砂利の足元、影の移動も経験を作ります。1977年の図面や模型、指示などをもとに没後に建設された作品であり、作家がこの現物の工事を監督したという意味ではありません。
作品を見るための手がかり
図形と、そのあいだの空白を交互に見る
メタエスケーマでは、描かれた四角形を追った後、周囲の空白を追ってみてください。形の傾きや間隔がどの部分にリズムを作っているかがわかります。規則的か不規則かという二択で判断せず、規則が感じられる部分と、その規則が揺れる部分を比べることが大切です。同じ方法は、空間レリーフやマジック・スクエアの隙間を見るときにも使えます。
色を、面と素材の両方として見る
単色の板、彩色された木、粉状の顔料、布は、同じ赤や黄色でも異なる経験を作ります。色名だけでまとめず、反射、柔らかさ、厚み、光を受ける向きを確かめてください。平面の絵画と環境作品を並べると、色が図像から独立し、現実の身体に関わるようになる展開が読み取りやすくなります。
静止した展示と、動作の記録を比較する
掛けられたパランゴレと、着用して動く映像は違う情報を伝えます。どの色が内側に隠れ、動きによって現れるかを見てください。着用する人の動作を、作品のための付属的な演技と考えず、形を成立させる働きとして読むことが大切です。歴史的な参加者と現在の実施者を区別すると、再制作の条件も理解できます。
構想の年と現物の制作年を分ける
年記に二つの年がある場合は、原作や提案の時期と、再制作の時期を確認してください。屋外の大きな構造が没後に建てられた場合もあります。現在の会場での経験は、歴史的な実施と同じではありませんが、資料を介してつながっています。何が継承され、何が会場によって変わるかを考えることで、作品を年代のラベルだけで読むことを避けられます。
略年譜
- 1937
- ブラジルのリオデジャネイロに生まれる。
- 1954
- リオデジャネイロ近代美術館で、イヴァン・セルパのもとに学び始める。美術についての文章を書き始める。
- 1955–1956
- グルーポ・フレンテに参加し、幾何学的な形と色の関係を探る。
- 1950年代後半
- 「メタエスケーマ」を制作。形の傾き、配置、空白のリズムを探究。
- 1959
- ネオ・コンクレティズムに参加。単色の平面から、色を空間へ展開する制作へ進む。
- 1960年代前半
- 空間レリーフや「ボリデ」など、物質と身体の経験を扱う作品を展開。
- 1964以降
- マンゲイラの人々やサンバの文化との交流を深め、「パランゴレ」を制作。
- 1967
- リオの「Nova Objetividade Brasileira」展で《トロピカリア》を発表。
- 1969
- ロンドンのホワイトチャペル・ギャラリーで《エデン》を含む環境作品を発表。
- 1970年代
- ニューヨークで生活し、映像、音楽、文章、環境を横断する制作を行う。
- 1973
- ネヴィル・ダルメイダと「コズモコカ」を構想。
- 1977
- 《マジック・スクエア第5番》を構想。作家の没後、資料に基づいて実現される。
- 1980
- リオデジャネイロで死去。
- 2016–2017
- アメリカの美術館を巡回する回顧展「To Organize Delirium」で、多様な制作が紹介される。
参考資料・出典
生涯と制作史は美術館・研究機関の公開資料を参照し、作品の年記、技法、寸法、所蔵情報は各作品ページを基準にしました。作品の日本語題名には異訳があるため原題を併記しています。本文での画面構成や鑑賞についての記述には、これらの資料を踏まえた本記事の解釈も含みます。
- アイルランド近代美術館:Hélio Oiticica: Propositions、教育資料
- ホイットニー美術館:Hélio Oiticica: To Organize Delirium
- ホイットニー美術館:コズモコカの提案と再構成
- ホイットニー美術館:2017年展の主要作品
- 《グルーポ・フレンテ、第73番》:作品資料
- 《メタエスケーマ、第4066番》:作品資料
- 《赤いモノクローム》:作品資料
- 《絵画9》:作品資料
- 《B16 ボリデ、箱12「考古学的」》:作品資料
- 《P16 パランゴレ、ケープ12「逆境からわれわれは生きる」》:作品資料
- 《トロピカリア―PN2「純粋さは神話である」、PN3「イマジェチコ」》:作品資料
- 《エデン》:作品資料
- 《コズモコカ/CC5「ヘンドリックス・ウォー」》:作品資料
- 《色の発明―侵入可能なマジック・スクエア第5番、デ・リュクス》:作品資料
資料確認日:2026年10月3日 / ART LIBRARY