Art Library

Fluxus

フルクサスのアーティスト

時代:
1960s–1970s
地域:
アメリカ/ヨーロッパ/日本

フルクサスは1960年代に国際的に広がり、イベント、音、指示、日用品などを用いて芸術を日常的な行為へ開いたネットワーク型の前衛運動です。

Artists

3 ARTISTS

フルクサスについて

OVERVIEW

フルクサス(Fluxus)は、1960年代初頭からヨーロッパ、アメリカ、日本を横断して展開した国際的な前衛芸術のネットワークです。ジョージ・マチューナスを中心に、ナム・ジュン・パイク、ジョージ・ブレクト、アリソン・ノウルズ、ディック・ヒギンズ、オノ・ヨーコ、ベン・パターソン、ラ・モンテ・ヤング、ミエコ・シオミら多くの作家が関わりました。

フルクサスは、絵画や彫刻を完成した「作品」として鑑賞するより、短い行為、音、指示、偶然、日常動作、出版物、郵送、イベントなどを芸術として提示しました。コップの水を移す、ピアノの鍵盤を壊す、紙を切る、数秒間静かに待つといった単純な行為が、作品として成立します。

背景にはジョン・ケージの偶然性や日常音への関心、ネオ・ダダが開いた芸術と生活の境界の揺らぎがあります。また、デュシャンのレディメイド以後の「選択だけでも芸術になり得る」という問題を、物体から行為や指示へ広げました。フルクサスは、後のパフォーマンス・アート、コンセプチュアル・アート、メールアート、サウンドアートなどを考える上で重要な転換点です。

「フルクサス」という名前

「Fluxus」はラテン語に由来し、「流れる」「流動する」といった意味を持ちます。ジョージ・マチューナスは当初、この言葉を雑誌名として考えていましたが、やがて展覧会、コンサート、出版物、作家ネットワーク全体を示す名称として広がりました。

この名前は、固定されたスタイルを持たないフルクサスの性格によく合っています。参加者の作品は、音楽、詩、パフォーマンス、映像、印刷物、日用品、ゲームなど多岐にわたり、同じ見た目を共有していません。

フルクサスは「○○風の作品」を作る運動ではなく、芸術をどのように作り、流通させ、経験するかという方法そのものを問い直すネットワークでした。

ジョージ・マチューナス — 運動を編集した人物

リトアニア生まれのジョージ・マチューナスは、フルクサスの組織者、編集者、デザイナーとして中心的な役割を果たしました。彼は作家を集め、コンサートを企画し、ポスターや出版物をデザインし、FluxkitsやFluxboxesと呼ばれる小型作品集を制作・流通させました。

マチューナス自身がすべての作品を作ったわけではありません。むしろ、誰と誰を結びつけるか、どの作品をどの形式で出版するか、どのようなイベントとして見せるかを通じて、フルクサスという枠組みを作りました。

その意味で彼の役割は、芸術家、編集者、キュレーター、デザイナー、プロデューサーの境界を横断するものでした。

ジョン・ケージの影響

フルクサスの背景を理解する上で、作曲家ジョン・ケージの影響は非常に大きいものです。ケージは、作曲家がすべての音を支配するのではなく、偶然、沈黙、環境音、日常音を音楽へ取り込む方法を発展させました。

1950年代後半、ニューヨークのNew Schoolでケージが行った実験音楽のクラスには、ジョージ・ブレクト、アラン・カプロー、ディック・ヒギンズらが参加しました。そこで「作品は必ずしも完成された構成でなくてもよい」「日常の出来事そのものが芸術になり得る」という考えが共有されます。

ケージの思想は、フルクサスのイベント・スコアや短い行為作品へ直接つながりました。ただし、フルクサスはケージの弟子集団ではなく、そこからさらにユーモア、共同性、安価な出版、反制度的な態度を発展させました。

イベント・スコア — 一行の指示が作品になる

フルクサスを代表する形式の一つが「イベント・スコア」です。これは、数語から数行程度の短い文章によって、行為や状況を指示する作品です。

楽譜のように見えますが、必ずしも音楽家のためだけに書かれているわけではありません。誰でも実行できる単純な行為、あるいは頭の中で想像するだけでも成立する指示が多くあります。

ここでは作品の本体が物体ではなく「指示」になります。同じスコアを別の人が実行すれば、毎回異なる結果が生まれます。作者は完成した形を決めるのではなく、出来事が起こる条件だけを提示します。

ジョージ・ブレクト — 日常を作品として切り取る

ジョージ・ブレクトは、イベント・スコアを代表する作家です。1960年代初頭に《Water Yam》という小箱を制作し、そこに多数のイベント・カードを収めました。

カードには「Exit」「Three Chair Events」など、極端に短い指示が書かれています。何か特別な技術を必要とするのではなく、椅子に座る、部屋を出る、音を聞くといった日常的な行為が意識化されます。

ブレクトの作品では、芸術と日常の境界を消すというより、普段見過ごしている日常の一瞬を「作品」として切り取ることが重要でした。何も変わっていないのに、意識の向け方だけが変わります。

アリソン・ノウルズ — 食べることも作品になる

アリソン・ノウルズは、食事、日用品、印刷物、参加型の行為を作品へ取り込んだフルクサスの重要な作家です。《Make a Salad》では、観客の前で大量のサラダを作り、最後に参加者と一緒に食べます。

料理は通常、生活行為であり、完成後には消費されてなくなります。しかしノウルズは、その一連の準備、混ぜる動作、音、匂い、共同で食べる時間まで含めて作品にしました。

この実践は、芸術を鑑賞対象ではなく共同経験として考える方向を示しています。作品は保存される物体ではなく、その場で人々の関係を作る出来事になります。

ディック・ヒギンズ — 「インターメディア」

ディック・ヒギンズは、詩、音楽、パフォーマンス、出版を横断して活動し、1960年代半ばに「Intermedia(インターメディア)」という概念を提唱しました。

これは、絵画と詩、音楽と演劇、彫刻とパフォーマンスなど、既存ジャンルの「間」に生まれる表現を説明するための言葉です。

フルクサスの多くの作品は、まさにこの境界領域にあります。作品を絵画、彫刻、音楽のどれか一つへ分類することができず、複数のメディアが同時に働きます。ヒギンズの概念は、戦後美術におけるメディア横断を理解する上で重要な理論となりました。

ナム・ジュン・パイク — 音楽から電子メディアへ

ナム・ジュン・パイクは、当初は音楽を学び、ケージやフルクサスの影響を受けながらパフォーマンスを行いました。ピアノを壊したり、楽器を予想外の方法で使ったりすることで、伝統的な音楽演奏を解体しました。

その後、テレビ受像機、磁石、映像信号など電子メディアへ関心を広げ、1960年代以降のビデオ・アートを代表する存在となります。

パイクの活動は、フルクサスが単なる「小さなユーモラスな行為」に留まらず、新しい技術メディアへつながる可能性を持っていたことを示しています。

オノ・ヨーコ《Cut Piece》 — 観客が作品へ介入する

オノ・ヨーコは、フルクサスと強い関係を持つ作家です。1964年に京都や東京、ニューヨークなどで行われた《Cut Piece》では、オノが舞台上に座り、観客が順番に彼女の衣服をハサミで切り取っていきます。

作品は、観客がどこまで切るかによって毎回異なります。参加者は受動的な鑑賞者ではなく、作品に直接責任を持つ行為者になります。

同時に、女性の身体、視線、暴力、欲望、同意といった問題が作品の中に現れます。単純な参加型作品ではなく、観客自身の倫理的な判断を可視化する作品として後に広く再評価されました。

《Grapefruit》 — 想像の中だけで成立する作品

オノ・ヨーコは1964年に『Grapefruit』を刊行しました。そこには「Imagine the clouds dripping」「Listen to the sound of the earth turning」のような、短い指示文が多数収録されています。

これらの作品は、実際に物体を作ったり行為を実行したりしなくても、読む人が頭の中で想像するだけで成立します。

ここでは芸術作品が極端に非物質化され、言葉だけが残ります。この方向は後のコンセプチュアル・アートと非常に近い問題を持っています。

ミエコ・シオミ — 距離を越えるイベント

ミエコ・シオミ(塩見允枝子)は、日本からフルクサスに参加した重要な作家です。短い指示作品や、世界各地の参加者へ郵送で依頼する「Spatial Poem」シリーズを展開しました。

参加者はそれぞれの場所で決められた行為を行い、その結果をシオミへ送り返します。異なる都市、国、時間帯の行為が一つの作品として編集されます。

この方法によって、作品は一つの展示会場へ固定されません。郵便ネットワークと参加者の行為によって、地理的に分散した作品が成立します。

ベン・パターソン — 音と身体のユーモア

ベン・パターソンは、コントラバス奏者としての経験を持ちながら、実験音楽とパフォーマンスを横断しました。楽器を伝統的に演奏するのではなく、身体、物体、観客との関係を使って音を出来事へ変えました。

フルクサスでは、音楽は美しい演奏だけを意味しません。物を落とす音、紙を破る音、身体が動く音、沈黙も作品になります。

パターソンの活動は、音楽とパフォーマンスの境界を崩し、専門的な演奏技術に依存しない作品の可能性を広げました。

フルクサス・フェスティバル — 1962年ヴィースバーデン

1962年、ドイツのヴィースバーデンで開催された「Fluxus Internationale Festspiele Neuester Musik」は、フルクサスが国際的な運動として知られる重要な契機となりました。

複数日にわたり、短い音楽作品、イベント、破壊的な行為、ユーモラスなパフォーマンスが連続して上演されました。伝統的なコンサートのように一つの完成作品を静かに聴く形式とは大きく異なります。

フルクサスはこの後、コペンハーゲン、パリ、デュッセルドルフ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークなどへネットワークを広げていきます。

ピアノを壊す — 楽器への反抗か

フルクサスのイベントでは、ピアノや楽器が通常とは異なる方法で扱われることがありました。鍵盤を叩く、物を入れる、楽器を破壊するなど、伝統的な演奏方法が意図的に逸脱されます。

これは単純に楽器を嫌っていたという意味ではありません。ピアノが持つ「正しく演奏されるべき高級な文化装置」という制度的な意味をずらす行為です。

楽器が音を出す物体である以上、どのような方法で音を出してもよいのではないか。フルクサスは、芸術における正しい使用法や専門性そのものを問い直しました。

FluxkitとFluxbox — 安く、小さく、持ち運べる芸術

マチューナスは、複数の作家の小作品、カード、ゲーム、物体などを小箱にまとめたFluxkitやFluxboxを制作しました。

これらは美術館に展示される一点物の高価な作品とは異なり、小型で複製可能、持ち運びや郵送が容易でした。芸術を高価な希少品から解放し、より広く流通させようとする意図がありました。

しかし実際には、制作や流通は経済的に困難で、フルクサスの商品が大量市場で成功したわけではありません。それでも「作品の価値は希少性にある」という美術市場の原則へ別のモデルを提示しました。

ユーモアと失敗

フルクサスの多くの作品にはユーモアがあります。指示通りにやっても大したことが起きない、期待した音が出ない、くだらない行為が延々続くといった「失敗」が作品に含まれています。

これは、芸術が常に壮大で深刻でなければならないという価値観への批判でもあります。短く、軽く、ばかばかしい行為でも、見方を変えれば芸術として成立します。

ユーモアは作品を分かりやすくするための装飾ではなく、権威、専門性、作家の天才性を相対化する重要な方法でした。

政治とフルクサス

マチューナスはフルクサスに反ブルジョワ的、反商業的な政治性を与えようとし、芸術家の個人主義や美術市場を批判しました。彼は集団制作、匿名性、安価な複製物の流通を理想としました。

しかし、すべての参加作家が同じ政治思想を共有していたわけではありません。ジョージ・ブレクトの静かなイベント、オノ・ヨーコの指示作品、パイクの電子メディア実験など、関心は大きく異なっていました。

そのためフルクサスを一枚岩の政治運動として扱うことはできません。むしろ、マチューナスが求めた集団性と、各作家の個別性の緊張そのものが運動の特徴でした。

ネオ・ダダとの関係

ネオ・ダダとフルクサスは、日用品、偶然、ユーモア、作者の意図を弱める態度など多くの共通点を持ちます。ラウシェンバーグ、ケージ、カニングハムらが作った1950年代ニューヨークの環境は、フルクサスの重要な前史です。

しかしネオ・ダダが絵画やオブジェから出発したのに対し、フルクサスでは作品がさらに行為、指示、音、郵送、出版へ非物質化していきます。

作品を「物」から「出来事」へ移す速度と徹底性において、フルクサスは1960年代の新しい段階を示しました。

ダダとの違い

名称や態度の点で、フルクサスはダダともよく比較されます。反権威、ユーモア、偶然、日用品の利用、芸術制度への批判など確かに共通点があります。

ただし、ダダは第一次世界大戦の破局の中で政治的・文化的反抗として形成されました。フルクサスは冷戦下の1960年代に、芸術と生活をもっと直接結びつけ、専門家だけが作る高価な美術品への批判を強めました。

ダダの「反芸術」を継承しながら、フルクサスはそれを日常の小さな行為、出版、ゲーム、国際ネットワークへ分散させたと考えることができます。

パフォーマンス・アートとの違い

フルクサスはパフォーマンス・アートの歴史で頻繁に扱われますが、完全な同義ではありません。フルクサスのイベントは短く、再演可能で、作者本人でなくても実行できるものが多くあります。

一方、後のパフォーマンス・アートでは、作家自身の身体、持続時間、痛み、ジェンダー、政治的アイデンティティなどが作品の中心になる場合があります。

フルクサスでは、身体は「作者の個人的な身体」より、一つの行為を実行する媒体として扱われることが多い点に違いがあります。

コンセプチュアル・アートへの接続

イベント・スコアや『Grapefruit』のような指示作品では、実際の物体よりアイデアや文章が作品の中心になります。この点は、1960年代後半に展開するコンセプチュアル・アートと強くつながります。

「作品は実物として存在しなくても、指示だけで成立するのではないか」という発想は、美術作品の物質性を根本から揺さぶりました。

ただしフルクサスには、コンセプチュアル・アートより強い遊び、音、身体、共同性、ユーモアがあります。両者は連続しながらも、同じものではありません。

作品より「どう生き、どう関わるか」へ

フルクサスの歴史的な重要性は、奇妙なパフォーマンスや短い指示文を作ったことだけではありません。芸術を高価な完成品から解放し、日常の行為、音、言葉、共同体、郵便、出版、遊びへ広げたことにあります。

ブレクトは椅子や水をイベントにし、ノウルズはサラダを作り、オノは観客に衣服を切らせ、シオミは世界各地の参加者を郵便でつなぎ、パイクは音楽から電子メディアへ進みました。

レディメイド、ネオ・ダダ、ジョン・ケージの実験を背景に、フルクサスは「作品とは物体である」という前提を大きく崩しました。その成果はパフォーマンス・アート、コンセプチュアル・アート、ビデオ・アートなどへ広がり、1960年代以降の現代美術の方法を根本から変えたのです。

Related Art History

西洋美術史