Art Library

Postmodernism

ポストモダニズムのアーティスト

時代:
1970s–1990s
地域:
世界各地

ポストモダニズムは1970年代以降、モダニズムが重視した純粋性や進歩の物語を疑い、引用、複製、既存イメージ、複数の様式を組み合わせた広範な文化的状況を指します。

Artists

1 ARTISTS

ポストモダニズムについて

OVERVIEW

ポストモダニズム(Postmodernism)は、1970年代以降、美術、建築、デザイン、写真、文学、思想など複数の領域で広がった文化的・批評的な状況を指します。単一の様式や宣言を持つ運動ではなく、モダニズムが重視してきた純粋性、自律性、オリジナリティ、普遍性、進歩の物語を疑い、引用、複製、パロディ、混成、既存イメージの再利用などを通して、それらの前提を問い直した多様な実践の総称です。

美術では、ピクチャーズ・ジェネレーションやアプロプリエーション・アートが重要な位置を占めます。シンディ・シャーマン、シェリー・レヴィーン、リチャード・プリンス、バーバラ・クルーガーらは、映画、広告、雑誌、写真史、美術史など既存のイメージを引用し、「新しいイメージを生み出すこと」より、「すでにあるイメージがどのように意味を作っているか」を作品化しました。

一方で、ポストモダニズムは「何でもあり」という意味ではありません。むしろ、なぜある形式が高級芸術とされ、別の形式が大衆文化とされるのか、なぜある作品だけが「オリジナル」と評価されるのか、誰の歴史が普遍的な歴史として語られてきたのかという、美術の価値体系を批判的に検討する枠組みです。

「ポストモダン」とは何の「後」なのか

「ポストモダン」は直訳すれば「モダンの後」を意味します。しかし、モダニズムが完全に終わって、その次にポストモダニズムが始まったという単純な時代区分ではありません。

ポストモダニズムの作家や批評家たちは、モダニズムが築いた形式や制度の内部から、その前提を問い直しました。抽象絵画、写真、彫刻、建築など、既存の媒体を捨てるのではなく、それらがどのような価値観のもとで成立してきたのかを再検討します。

そのためポストモダニズムは、「モダニズムの反対」というより、モダニズムの自己批評が別の方向へ進んだ状態として理解した方が正確です。

モダニズムが信じた「純粋性」

20世紀のモダニズム美術では、それぞれの媒体に固有の性質を追求する考えが強い影響力を持ちました。絵画なら平面性、彫刻なら物体性、写真なら写真固有の記録性というように、他の媒体から借りない「純粋な形式」が評価されます。

とくにクレメント・グリーンバーグの批評では、絵画が文学的な物語やイリュージョンから離れ、自らの媒体条件を自覚することがモダニズムの進展として論じられました。

ポストモダニズムは、このような純粋性を疑います。写真に文字を重ねてもよい。絵画に広告や漫画を引用してもよい。彫刻と建築とデザインの境界が混ざってもよい。媒体の純粋性より、異なるコードが衝突することが重要になります。

「進歩の物語」への疑い

モダニズム美術史はしばしば、写実から抽象へ、装飾から純粋形式へ、伝統から前衛へと進歩していく物語として語られてきました。

しかし1970年代以降、この単線的な歴史観そのものが疑われます。過去の様式を乗り越えることだけが新しさなのか。過去を引用し直すことは後退なのか。複数の歴史を同時に使うことはできないのか。

ポストモダニズムでは、歴史は一本の線ではなく、引用可能な複数の断片として現れます。古典、モダニズム、広告、テレビ、漫画、写真など、異なる時代と階層のイメージが同じ作品の中で共存します。

ジャン=フランソワ・リオタール — 「大きな物語」への不信

哲学者ジャン=フランソワ・リオタールは、1979年の『ポストモダンの条件』で、ポストモダンを「大きな物語への不信」という言葉で特徴づけました。

ここでいう「大きな物語」とは、科学の進歩、人類の解放、歴史の必然的発展など、社会全体を一つの方向へ説明する包括的な物語です。

美術に置き換えれば、「芸術は必ず純粋化へ向かう」「前衛が歴史を前進させる」といった単線的な説明も疑われるようになります。複数の価値観や歴史が並存することが、ポストモダン的な状況として捉えられました。

建築で先に可視化されたポストモダニズム

ポストモダニズムという言葉は、建築の文脈でも早くから広く使われました。モダニズム建築の機能主義、単純な幾何学、装飾の排除に対して、歴史的様式や装飾、記号、地域性を再導入する動きが現れます。

ロバート・ヴェンチューリやデニス・スコット・ブラウンは、ラスベガスの看板や商業建築のような「低俗」と見なされてきた都市景観から学ぶことを提案しました。

ここでは、古典的な柱、ネオン看板、広告、ポップな色彩など、異なる様式を組み合わせることが肯定されます。高級文化と大衆文化の境界を崩すこの態度は、同時期の美術にも強く響きました。

高級芸術と大衆文化の境界を崩す

モダニズムではしばしば、美術と広告、純粋芸術と娯楽、前衛と大衆文化が区別されました。ポストモダニズムでは、その境界が積極的に混ぜ合わされます。

広告写真、テレビ、コミック、ファッション、商品デザイン、映画スチルなどが、そのまま美術作品の素材になります。

この点ではポップアートが重要な先駆です。ウォーホルやリキテンスタインはすでに1960年代に大衆文化のイメージを美術へ持ち込みました。ポストモダニズムは、その問題をさらに作者性、複製、制度、ジェンダー、メディア表象へ広げました。

オリジナルという価値を疑う

近代美術では、作家が他者にはない独自の表現を生み出すことが重要な価値とされてきました。「オリジナルであること」は、作家の評価と深く結びついています。

ポストモダニズムでは、この考えが疑われました。どんな作品も、過去の様式、既存の画像、言語、社会的コードから完全に独立して生まれることはできません。

それなら、最初から引用や複製を隠さず使い、「オリジナルとは何か」を作品のテーマにしてしまえばよい。この発想がアプロプリエーション・アートへつながります。

シェリー・レヴィーン — 複製を作品にする

シェリー・レヴィーンは、ウォーカー・エヴァンズなど写真史上の著名な作品を再撮影し、自分の作品として提示しました。

ほとんど同じ写真を再び見せることで、「この作品の作者は誰なのか」「オリジナルはどこにあるのか」という問いが生まれます。

写真はもともと複製可能な媒体です。それにもかかわらず、美術制度は作者名と特定のプリントに価値を与えます。レヴィーンはその仕組みを極端な形で露出させました。

リチャード・プリンス — 広告を再撮影する

リチャード・プリンスは雑誌広告や既存写真を再撮影し、元の文脈から切り離して作品として提示しました。

広告から商品名や説明文が失われると、残された写真に含まれていた男性性、自由、成功、階級、欲望といった文化的なコードが見えやすくなります。

プリンスの方法は、写真家が新しい被写体を撮影するという常識を崩し、「すでに流通している画像をどう選ぶか」を制作へ変えました。

シンディ・シャーマン — アイデンティティも引用できる

シンディ・シャーマンは《Untitled Film Stills》で、自らさまざまな女性像を演じ、映画の一場面のような写真を制作しました。

しかし、特定の映画を再現したわけではありません。鑑賞者が「見たことがある」と感じるのは、映画や広告の中で似た女性像を繰り返し見てきたからです。

シャーマンは、アイデンティティさえ純粋な内面から生まれるものではなく、衣服、化粧、ポーズ、物語、メディアによって構成される可能性を示しました。

バーバラ・クルーガー — 広告の命令形を逆用する

バーバラ・クルーガーは、既存の白黒写真に短い文章を重ね、広告やプロパガンダに似た強い画面を作りました。

「I」「YOU」「WE」などの代名詞を使うことで、鑑賞者は直接呼びかけられます。広告が商品への欲望を作るために使う視覚言語を、そのまま権力、ジェンダー、消費文化への批評へ転換しました。

ポストモダニズムでは、既存のメディア形式を拒否するのではなく、それを内部から反転させる方法が重要になります。

ピクチャーズ・ジェネレーション — 画像の時代を読む

ピクチャーズ・ジェネレーションは、ポストモダニズム美術を理解する上で中心的な動向です。

彼らは、現実よりも先に映画、広告、写真、テレビなどの画像が存在し、人々がその画像を通して現実を理解している状況を問題にしました。

「新しい像を作る」より、「すでにある像をどう読むか」が重要になる。この転換が、ポストモダニズムのイメージ観をよく示しています。

作者は本当に作品の意味を支配できるのか

作品の意味を最終的に決めるのは作者なのかという問題も、ポストモダニズムで重要になります。

一つの画像でも、鑑賞者の文化的背景、ジェンダー、時代、展示場所によって意味は変化します。作者が意図した意味だけが唯一の正解とは限りません。

この考えは、作品を作者の内面の表現として読む近代的なモデルを弱め、鑑賞者、文脈、制度をより重要な要素として浮上させました。

制度批評 — 美術館も意味を作る

制度批評も、ポストモダニズムの重要な文脈です。作品の意味は作品内部だけでなく、美術館、ギャラリー、コレクター、キュレーター、スポンサーなどによって作られます。

ハンス・ハーケやアンドレア・フレイザーらは、美術館が中立な展示場所ではなく、経済・政治・権力と結びついた制度であることを可視化しました。

「作品だけを見ればよい」というモダニズム的自律性に対し、制度批評は作品を取り囲む社会的条件まで含めて見る必要があると示しました。

フェミニスト・アート — 「普遍的な人間」は誰だったのか

フェミニスト・アートは、ポストモダニズムの価値観と強く交差します。美術史で「普遍的」とされてきた経験が、実際には男性中心の視点だったのではないかという問いを突きつけたからです。

さらに1980年代には、女性というカテゴリーそのものも均質ではないという議論が強まり、人種、階級、セクシュアリティなど複数の要素が重なって考えられるようになります。

「普遍的な主体」を疑い、複数の視点を認めることは、ポストモダニズムの重要な特徴の一つです。

アイデンティティ・ポリティクスへの展開

1980年代から1990年代にかけて、美術では人種、ジェンダー、セクシュアリティ、民族、移民、植民地主義などを扱うアイデンティティ・ポリティクスが前景化します。

そこでは、一つの文化や歴史を「普遍」とすることが疑われ、誰の立場から語られているのかが問題になります。

この方向はポストモダニズムの多元性と重なりますが、単なる「価値観は人それぞれ」という相対主義ではありません。歴史的に誰が発言権を持ち、誰が排除されてきたかという具体的な権力関係が問われます。

新表現主義 — 絵画は本当に終わったのか

1970年代にはコンセプチュアル・アートやミニマリズムが強い影響力を持ち、「絵画は終わった」と語られることもありました。しかし1980年代になると、大型で具象的、身振りの強い絵画が再び注目されます。

この動向は新表現主義と呼ばれ、ゲオルク・バゼリッツ、アンゼルム・キーファー、ジュリアン・シュナーベル、ジャン=ミシェル・バスキアらが国際的に注目されました。

ただし、これは単純なモダニズム絵画への回帰ではありません。過去の美術史、歴史、神話、大衆文化を引用しながら、絵画という古い媒体を再び使う点にポストモダン的な性格があります。

デヴィッド・サーレ — 異質な画像を同じ画面へ置く

デヴィッド・サーレは、広告、写真、美術史、ポルノグラフィ、ドローイングなど異なる出典のイメージを一枚の絵画に重ねました。

画像同士の関係は明確な物語として説明されず、断片のまま同じ画面へ共存します。

この「異質なコードの同居」は、絵画に統一的な意味やスタイルを求めないポストモダニズムの典型的な方法です。

シグマー・ポルケ — 絵画と印刷イメージの衝突

シグマー・ポルケは、新聞や雑誌の印刷網点、広告写真、写真資料、抽象的な絵具の効果などを同じ画面へ持ち込みました。

手描きと機械印刷、具象と抽象、高級絵画と大衆印刷物が混ざり、どれが「本当のスタイル」なのかを決めることができません。

一つの作家が一つの固有様式を持つべきだというモダニズム的期待を、意図的に裏切る実践でした。

クリストファー・ウール — 絵画を引用と反復の場にする

クリストファー・ウールは1980年代以降、ステンシル文字、ローラー模様、写真複製、消去などを使い、絵画を制作しました。

手描きの独創的な筆触より、既製パターン、反復、印刷的な処理が前面に出ます。

それでも作品はキャンバス上の絵画として存在します。絵画を否定するのではなく、「複製と引用の時代に絵画はどう成立するのか」を内部から問い直した点が重要です。

ネオ・ジオ — 幾何学も再利用できる

1980年代のネオ・ジオでは、ピーター・ハリー、アシュリー・ビッカートン、ジェフ・クーンズらが、幾何学、商品、工業的表面、ブランド的なイメージを用いました。

一見するとミニマリズムや抽象絵画のように見えても、それらの形式は「純粋な抽象」ではなく、商品、ロゴ、企業文化、消費社会と結びついています。

モダニズムの形式をそのまま信じるのではなく、すでに歴史化されたスタイルとして引用する態度がポストモダン的です。

ネオ・ポップ — ポップアートの再利用

ネオ・ポップでは、ジェフ・クーンズ、ハイム・スタインバック、後には村上隆らが、商品、キャラクター、玩具、広告、ブランド文化を作品へ取り込みました。

ここではポップアートそのものも、すでに引用可能な美術史上のスタイルになります。

過去の前衛をさらに引用するという二重構造は、ポストモダニズム以後の美術に特徴的な状況です。

フレドリック・ジェイムソン — 後期資本主義の文化

批評家フレドリック・ジェイムソンは、ポストモダニズムを「後期資本主義の文化的論理」として論じました。

彼が注目したのは、歴史的様式や文化イメージが商品や表面として自由に再利用され、過去が深い歴史的経験ではなく「スタイル」として消費される状況です。

美術における引用、レトロ、パスティーシュ、商品文化への接近は、単なる作家個人の好みではなく、資本主義社会全体の変化と結びつけて考えられました。

パロディとパスティーシュ

ポストモダニズムでは、過去の様式をそのまま引用するだけでなく、パロディやパスティーシュが多用されます。

パロディは引用元への批評的な距離や笑いを含むことが多いのに対し、パスティーシュは複数の様式を意味の一貫性なく組み合わせる方法として説明されます。

重要なのは、作品が「完全に新しい形式」を目指すのではなく、すでに存在する形式をどう再配置するかによって成立することです。

ジャン・ボードリヤール — シミュラークルという問題

ジャン・ボードリヤールの思想も、ポストモダニズム美術を論じる際によく参照されます。彼は、現代社会では記号やイメージが現実を単に表すだけでなく、現実そのものの経験を作るようになる状況を論じました。

広告写真、テレビ、ブランド、テーマパークなどでは、イメージが「現実のコピー」であるだけでなく、人々が現実を理解する基準になります。

シャーマンやプリンスの作品が示す「元の現実より、すでに流通しているイメージの方が強い」という感覚は、この議論と重なります。

「何でもあり」ではない

ポストモダニズムはしばしば、「ルールがなくなり、何でも作品になる時代」と誤解されます。しかし実際には、引用や複製を使えば自動的にポストモダンになるわけではありません。

重要なのは、その引用によって何が問い直されるかです。作者性なのか、制度なのか、ジェンダーなのか、消費社会なのか、歴史の書き方なのか。

形式の自由さの背後に、近代美術が作ってきた価値観への批評が存在することが、ポストモダニズムを理解する上で不可欠です。

ポストモダニズムは終わったのか

1990年代以降、「ポストモダニズム」という言葉そのものは以前ほど頻繁に使われなくなりました。しかし、引用、複製、ジャンル横断、作者性の相対化、アイデンティティの複数性といった問題は現代美術の標準的な条件として残っています。

デジタル画像、SNS、リミックス、ミーム、AI生成画像の時代には、「オリジナルとは何か」「誰が作者なのか」「どこから引用されたのか」という問題はむしろさらに重要になっています。

その意味で、ポストモダニズムは特定の時代様式として終わった部分があっても、その問いは現在の視覚文化の基盤に残り続けています。

「新しさ」から「関係の読み替え」へ

ポストモダニズムの歴史的な重要性は、過去の作品を引用したことや、複数の様式を混ぜたことだけではありません。芸術の価値を「誰も見たことのない新しい形式を発明すること」だけに置かず、既存のイメージ、制度、歴史、文化をどう読み替えるかへ広げたことにあります。

シャーマンは映画的な女性像を演じ、レヴィーンは写真史を複製し、プリンスは広告を再撮影し、クルーガーは広告言語を反転させ、ハーケやフレイザーは制度を、サーレやポルケは異なる視覚言語の混在を、ネオ・ジオやネオ・ポップは過去の前衛と消費文化の再利用を作品化しました。

ピクチャーズ・ジェネレーション、アプロプリエーション・アート、フェミニスト・アート、制度批評、新表現主義、ネオ・ジオなどを横断するポストモダニズムは、単一の様式ではなく、現代美術が自らの歴史と制度をどう扱うかという大きな転換でした。

Related Art History

西洋美術史