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Giorgio de Chirico

ジョルジョ・デ・キリコ

イタリア(ギリシア生まれ) / 1888–1978 / 形而上絵画・近代絵画・新形而上絵画

Giorgio de Chirico on Italian Television with English Translation
学芸員による作品解説|ジョルジョ・デ・キリコ作『船乗りの兵舎』(1914年)|ノートン美術館

長い影が伸びる広場、誰も出てこないアーケード、遠くの列車、顔のないマネキン。ジョルジョ・デ・キリコの絵では、建物や物の輪郭は読めるのに、その場所で何が起こっているのかを説明できません。目に見える対象を描くことと、見慣れた現実を示すことが、静かに切り離されています。派手な事件を描かず、物の位置や大きさ、光と影の関係を変えることで、世界が知らない場所に見え始めます。

形而上絵画という名称は難しく感じられますが、入口は身近です。いつもの街が、時間帯や人の少なさによって急に奇妙に見えることがあります。デ・キリコは、その違和感を建築、彫像、日用品、人物の関係へ組み込みました。本記事では初期の広場と室内から、古典絵画への関心、再制作、晩年の仕事までをたどり、「謎」を生む画面の仕組みを考えます。

生涯と制作の変遷

ギリシアで育ち、ミュンヘンで学ぶ

デ・キリコは1888年、ギリシアのヴォロスにイタリア人の両親のもとで生まれました。ギリシアでの少年期と、のちに暮らすイタリアの都市は、その作品に繰り返し現れる古典的な建築や神話を考える背景になります。しかし、絵の中の広場を実際の一つの場所へ対応させるだけでは、その空間の働きを説明できません。見た場所の記憶が、別の場所と組み合わされることもあります。

アテネで学んだ後、ミュンヘンの美術学校へ向かい、アルノルト・ベックリンやマックス・クリンガーの美術、ニーチェやショーペンハウアーの思想に関心を持ちました。弟アンドレアも、のちにアルベルト・サヴィニオという名で文化活動を行います。美術と文学、哲学、音楽が近い場所にある環境は、デ・キリコを、視覚表現だけで閉じる画家として捉えないための手がかりです。

フィレンツェからパリへ

1909年にミラノ、1910年にフィレンツェへ移り、1911年にはパリへ向かいます。形而上絵画の初期の試みは、この移動の中で育ちました。とくにフィレンツェの広場で経験した、日常の場所が突然別のものに見える感覚は、彼の制作を考える重要な出発点です。ただし、その経験を唯一の原因として、後のすべての作品を説明する必要はありません。

パリではサロンに出品し、アポリネールらの関心を集めました。キュビスムをはじめ新しい表現が展開していた都市で、デ・キリコは物の輪郭を消す方向ではなく、読める物同士の関係を不安定にする方向へ進みます。古典的な彫刻の頭部と日用品を並べること、広場の遠近をずらすことによって、具象絵画にも未知の経験を生む余地があることを示しました。

戦争下のフェラーラと、その後の長い制作

1915年にイタリアへ戻ったデ・キリコは、フェラーラで軍務に就きながら制作しました。広い広場だけでなく、物が密集する室内やマネキンの主題が重要になります。カルロ・カッラらとの接触は、形而上絵画が一人の私的な試みから、複数の画家に関わる問題へ広がったことを示します。一方、同じ名称で紹介される画家同士にも、画面の組み立てや関心の違いはあります。

1910年代の作品は後のシュルレアリスムへ強い刺激を与えましたが、デ・キリコ自身の制作はそこで終わりません。古典の技法、肖像、静物、神話、舞台、版画、彫刻へと仕事を広げました。1978年にローマで亡くなるまでの長い経歴を見ると、初期の傑作だけを正しいデ・キリコとする見方では、画家がその後に選んだ問題が見えなくなります。

形而上絵画とは、どのような絵か

物の向こうにあるものを、説明せずに感じさせる

「形而上」という言葉から、見えない精神世界を直接描く絵を想像するかもしれません。しかし、デ・キリコの画面にあるのは、建物、彫像、列車、球、手袋など、具体的な物です。その物がいつもの状況から外されることで、用途や名前だけでは説明できない存在感が生まれます。知らない物を発明するより、知っている物を知らない関係に置く方法と言えるでしょう。

そのため、形而上絵画を鑑賞するときは、象徴の答えを急いで探さないことが役立ちます。何が描かれているかを確かめた後、何と隣り合っているか、大きさが釣り合っているか、どの方向へ目が進むかを見てください。物の名前を理解できても、全体の状況が理解できないという経験そのものが、画面の中心にあります。

謎には、一つの正解があるとは限らない

題名に「謎」が含まれる作品は、何かの秘密を暗号化した絵のように見えることがあります。けれども、一つの隠された物語を言い当てれば、作品が終わるとは限りません。広場が空いていること、人物が遠すぎること、明暗が強く分かれることは、具体的に観察できます。それらがどのような感情を生むかには、鑑賞者の経験も関わります。

解説によって歴史や文学の背景を知ることと、画面の違和感を解消してしまうことは別です。物の組み合わせに複数の意味がある場合、その幅を保ったまま見ることもできます。デ・キリコの作品は、説明が足りない未完成の謎としてではなく、分かる部分と分からない部分が同時に存在する絵として受け止めると、長く見る余地が生まれます。

広場、建築、影――空間が不安をつくる

アーケードは、奥へ進む目を誘う

アーチの連なりは、視線を遠くへ向けます。繰り返す開口部が縮んでいくと、建物の奥行きを読めるように思えます。しかし、地面の傾きや別の建築との関係をたどると、画面全体を一つの安定した空間へまとめにくい場合があります。部分ごとには分かる遠近が、全体ではかみ合わないことがあるのです。

この違和感を、単に遠近法が間違っていると評価する必要はありません。見る人は、一度読み取った奥行きを別の部分で修正します。その繰り返しによって、静かな絵の中でも目が落ち着きません。建築の輪郭をなぞることと、広場全体を受け止めることを交互に行うと、不安が題材だけでなく構成から生まれていることが分かります。

長い影は、時間を示すと同時に止める

影は光の方向と時間帯を示す身近な手がかりです。デ・キリコの絵では、その影が長く強く伸び、広場を大きな明暗の面へ分けることがあります。人や物の姿に比べて影が大きくなると、存在そのものより、その存在が空間へ及ぼす作用に目が向きます。物が画面の外にあっても、影によってその気配を感じる場合があります。

影の長さから午後を想像できても、そこに流れる時間を具体的な出来事として説明できるとは限りません。列車や時計があるのに動きが感じられない画面では、時間を知らせる物と、時間が止まったような印象が共存します。その緊張が、都市の日常を見慣れない光景へ変えます。

小さな人物は、場所の尺度を変える

広場にいる人々が小さいと、建築や彫像はより大きく感じられます。人物がいない場所と、遠くに二人だけいる場所では、孤独の感触も変わります。人間の生活を示す痕跡が残っているからこそ、広すぎる空間や人の少なさに気づくことがあります。人を描かないことと、人を小さく描くことは同じではありません。

人物を探してから、その周囲の空きを見てみましょう。地面のどの部分が使われず、どの建物に入口が見えるか、人物同士の距離がどのくらいあるか。こうした具体的な配置を読むと、憂愁や不安を漠然とした雰囲気としてだけ語らず、絵が何をしているかを説明できます。

古代彫刻と日用品――《愛の歌》の出会い

物は読めるが、用途の関係が読めない

《愛の歌》には、彫刻の頭部、ゴム手袋、球が置かれています。それぞれの形は読めますが、一緒にある理由を日常の用途だけで説明することはできません。古典的な身体の一部と、現代的な日用品が、同じ画面で同じ重さを持ちます。古いものが背景で、新しいものが主役という関係へ簡単に整理できないことが重要です。

物の組み合わせを言葉で説明すると、奇抜さだけが目立つかもしれません。しかし、絵では色、輪郭、光、位置がそれらを一つの場面にしています。題材の違いを知った後、形がどのように釣り合うかを確認してみてください。無関係に見える物を、視覚的には関係のあるものとして経験するところに、この作品の不思議さがあります。

題名も、絵を見る条件になる

「愛の歌」という題名は、描かれた物の用途を説明しません。恋人の姿や楽器を期待すると、画面との距離が生まれます。その距離は題名の誤りではなく、作品を一つの読み方へ固定しない条件として働きます。物の名前を並べる題名とは違い、見る人の期待を別の方向へ導いています。

ただし、題名からどの解釈でも自由に作れるわけではありません。まず絵の中にある形と配置を確かめることが必要です。題名が呼び起こす連想と、画面が実際に見せる関係を往復すると、言葉だけにも画像だけにも還元できない経験が生まれます。デ・キリコにとって言葉は、絵を説明する補足だけでなく、謎を深めるものでもありました。

マネキン――顔のない身体が感情を持つ

人に似ているものを、人の代わりに置く

マネキンは人の形を持ちますが、生きた人間の表情を示しません。そのため、画面では身体の傾き、関節、距離、周囲の建物などが人物の関係を読む手がかりになります。顔を見れば感情が分かるという習慣が弱められ、見る人は姿勢と配置へ注意を向けます。無表情は、感情が存在しないことと同じではありません。

神話の人物をマネキンに近い姿で表す場合、遠い物語と人工的な身体が重なります。《ヘクトルとアンドロマケ》の主題なら、夫婦の別れを知ったうえで、二つの身体の近さや向きから関係を考えられます。写実的な表情を使わずとも、親密さや別離の感触を生むことができるという点に注目してください。

人間と物の境界を、安定させない

マネキンを人物として見ると、物のような表面が気になります。物として見ると、身体の姿勢や立ち方が人間を連想させます。どちらの見方も完全には定着しないため、絵は人と物の間を行き来させます。都市の彫像にも同じ問題がありますが、マネキンではそれがより身近な人工物として現れます。

この主題を、機械化した社会の人間という一つの意味だけで説明する必要はありません。古典的な人物像、舞台、日用品、人の不在など、複数の問題に接続できます。まず作品ごとに、身体が何と組み合わされているかを確認することが、広い象徴論へ進む前の確かな足場になります。

形而上的室内――絵の中に、別の絵がある

広場から、近くにある物へ

フェラーラ時代の室内の作品では、広い屋外と異なる密度があります。枠、板、図形、道具、別の画面などが近くに置かれ、目は区切られた小さな領域をたどります。広場で感じた人間の小ささとは違い、物に囲まれる感覚が生まれます。それでも、物の関係を一つの生活場面へ説明しにくいという問題は続いています。

《大きな形而上的室内》では、画面の中の画面が奥行きを複雑にします。何が部屋にある物で、何が描かれた別の景色なのかを見比べてみましょう。絵の枠を読む目と、その中の景色へ進む目は、違う場所を見ています。鑑賞者は、一つの画面の前に立ちながら、複数の見え方を切り替えることになります。

道具が、用途から離れて形になる

道具は通常、何かを測る、つくる、支えるためにあります。しかし、使う人が不在で、複数の物が特異な配置にあると、用途よりも輪郭や角度が前面に出ます。道具であることは失われませんが、道具としてだけ見ることもできなくなります。広場の彫像と同じく、知っている物が新しい存在感を得ます。

室内の作品を見た後で初期の広場へ戻ると、共通する構成にも気づけます。入口がありそうで進めないこと、別の空間が見えること、尺度が安定しないことなどです。デ・キリコの制作を、一種類の有名な光景の繰り返しではなく、異なる題材で見ることの不確かさを探る仕事として捉えられます。

主要作品

広場から物の組み合わせ、マネキン、室内、後年の同主題の制作まで、12点を紹介します。影、遠近、物の尺度、画面の中の画面を比べてみましょう。

無限の郷愁

The Nostalgia of the Infinite / 1912〜1913年?(画面には1911年の年記) / 油彩、カンヴァス / 135.2 × 64.8 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

大きな塔に対して、広場の人物は小さく描かれています。建築の重さと人間の小ささを比べると、空間の広がりと孤独が感じられます。長い影は明るい時間を示しながら、場面を静かな不安へ近づけます。画面の年記と美術館が推定する制作年に差があるため、1911年と断定せず、所蔵記録の不確実性を残しました。

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不安を与える旅

The Anxious Journey / 1913年春〜夏 / 油彩、カンヴァス / 74.3 × 106.7 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

アーチの連なりや建築の重なりが、奥へ進む視線を誘います。しかし、ひと続きの道として空間を把握しようとすると、別の面や遮られた部分にぶつかります。題名が与える不安と、実際に画面をたどる経験を比べてみましょう。旅の出来事を説明する絵というより、進もうとする目が安定した行き先を得られない構成として見られます。

所蔵館の作品情報 ↗

モンパルナス駅――出発の憂愁

Gare Montparnasse (The Melancholy of Departure) / 1914年初め / 油彩、カンヴァス / 140 × 184.5 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

駅を連想させる建築や時計と、前景のバナナが同じ画面に置かれます。近代の交通を示す場所なのに、人々が行き交う活気は弱く、時間が止まったように感じられます。物を一つずつ確かめた後、その大きさや距離の関係を見てください。日常的な題材が、いつもとは違う組み合わせと空間によって、奇妙な存在感を持ち始めます。

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ある日の謎

The Enigma of a Day / 1914年初め / 油彩、カンヴァス / 185.5 × 139.7 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

広場と建築、彫像、小さな人物が、強い明暗の中に配置されています。中央の彫像へ目を向けた後、奥の人物と周辺の建物を順に見ると、人の尺度が変わる感覚があります。謎を一つの物語へ解くより、人物と建築がどう離されているかを観察してみましょう。静止した対象ばかりでも、見る人の視線は不安定な空間を移動します。

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学者の静けさ

The Serenity of the Scholar / 1914年4〜5月 / 油彩・木炭、カンヴァス / 130.1 × 72.4 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

縦長の画面で、対象の輪郭と暗い部分が強い存在感を持ちます。題名が示す静けさを手がかりにしながら、視線を止める形と奥へ向ける形を比べてください。静けさは何も起こらないことだけでなく、物同士の関係が説明しきれないことからも生まれます。油彩のみの作品ではなく、木炭を併用した技法である点も、所蔵館の記録に基づいています。

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愛の歌

The Song of Love / 1914年6〜7月 / 油彩、カンヴァス / 73 × 59.1 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

古代彫刻を思わせる頭部、ゴム手袋、球が並びます。異なる用途と時代に属する物が、同じ場面で同じ程度の存在感を持つため、いつもの意味の結びつきが揺らぎます。題名から恋愛の場面を探すより、頭部と手袋の形や大きさを比較してみましょう。物を写実的に描くことが、必ずしも分かりやすい現実を示すことにはならないと分かる作品です。

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王の悪しき精霊

The Evil Genius of a King / 1914〜1915年 / 油彩、カンヴァス / 61 × 50.2 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

形の異なる物が、狭い画面で互いに接近しています。一つずつ何であるかを考えた後、それらをまとめる面や方向にも目を向けましょう。名前の分かる物が集まっても、全体の状況が説明できるとは限りません。題名が物の見え方を変えることと、実際の配置が生む違和感を分けて観察すると、形而上絵画の仕組みが見えます。

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春の二重の夢

The Double Dream of Spring / 1915年1〜5月 / 油彩、カンヴァス / 56.2 × 54.3 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

人物を思わせる形と建築的な空間が、複数の領域に分かれて現れます。一つの場面を一つの視点で見ていると考えるより、別々の見え方が組み合わされていると見ると理解しやすくなります。題名の「二重」を特定の象徴の答えに固定せず、画面にある重なりや分割を確認してみましょう。全体へ戻るたびに、部分同士の関係を組み直せる作品です。

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王子の遊び道具

Playthings of the Prince / 1915年秋 / 油彩、カンヴァス / 55.4 × 25.9 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

細い縦長の形式の中に、複数の形が集められています。物の用途を読む目と、輪郭や重なりを追う目を切り替えてみましょう。小さな物をまとめる構成にも、広場の絵とは別の閉じた空間の感触があります。同時期の大きな風景画と比べると、形而上絵画の不思議さが広い都市だけから生まれるわけではないことに気づけます。

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二人

The Duo / 1914〜1915年冬 / 油彩、カンヴァス / 81.9 × 59 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

二つの人物的な形の関係を、間隔、向き、周囲の空間から観察する作品です。表情を読むことが難しい場合にも、身体の方向や近さから関係を考えられます。人物の感情を顔だけで示さない方法は、デ・キリコのマネキンの主題につながります。題名を出発点にしつつ、具体的な登場人物を断定せず、画面にある形の関係を確かめてください。

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大きな形而上的室内

Great Metaphysical Interior / 1917年4〜8月 / 油彩、カンヴァス / 95.9 × 70.5 cm

ニューヨーク近代美術館(MoMA)

室内に置かれた物や枠、画面の中の別の画面が、複雑な奥行きをつくります。屋外の広場と違い、物が近く密集するため、目は小さな区切りを次々にたどります。何が現実の部屋で、何がその中の絵なのかを比べると、見る位置が揺らぐ感覚を得られます。フェラーラ時代の室内の主題を知る入口であり、題材と空間の組み方の両方が重要です。

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ヘクトルとアンドロマケ

Hector and Andromache / 1955年 / 油彩、カンヴァス / 60 × 50 cm

東京富士美術館

ギリシア神話の夫婦の別れを、マネキンのような人物の関係で扱います。顔の表情が説明しない感情を、身体の傾きと距離から考えてみましょう。主題が初めて現れた1917年の作品とは別の、1955年の油彩です。同題の1970年のリトグラフも区別しています。後年に主題を繰り返すことが、別の絵を生む仕事だったと考える手がかりになります。

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シュルレアリスムへの影響と、その後の距離

後の画家に、具象の新しい可能性を示した

デ・キリコの初期の作品は、シュルレアリスムの画家たちに強い刺激を与えました。マグリットやタンギーの経歴でも、その出会いが重要なものとして紹介されます。対象を読めるように描いても、物の関係を変えることで現実が不思議なものになるという方法は、具象絵画が取り得る方向を広げました。

ただし、デ・キリコの初期の形而上絵画は、1924年のシュルレアリスム宣言より前に成立しています。似た非現実的な光景があることと、同じ運動に所属することを区別する必要があります。後の運動から影響を遡って考えるときにも、最初の作品がどのような場所と思想から生まれたかを保っておくことが大切です。

評価されたものと、本人が続けたものは同じではない

シュルレアリスムの側は初期作品を高く評価する一方、デ・キリコが古典的な絵画へ向かうと、その新しい仕事に批判的になりました。ここには、画家が自分の制作をどこへ進めるかという判断と、周囲が何をその画家らしさと認めるかという判断の違いがあります。成功した表現を、作家が永久に続けるとは限らないのです。

この問題を、前衛を裏切った画家という単純な物語へまとめると、作品の具体的な変化が見えにくくなります。表面の描き方、人物の量感、古典への参照、光の変化を確かめたうえで、以前と何がつながり、何が変わったかを考えるほうが有益です。評価の歴史は大切ですが、それだけを作品を見る規則にしない余地があります。

古典絵画への回帰――技法も、制作の問題になる

古い巨匠から、何を学ぶか

1910年代末以降、デ・キリコは古い巨匠の絵と技法への関心を深めました。肖像、静物、裸像、神話などを制作し、模写や過去の様式を参照する仕事も重ねます。古典へ向かうことは、時代から目をそらすこととして批判される場合がありますが、本人にとっては絵をつくる技術と、その持続する可能性を問い直すことでもありました。

古典的な作品を見たときには、初期作品との違いを欠点として数える前に、絵の表面と身体の表し方を観察してみましょう。質感、明暗、色、筆触、衣服や肉体の扱いには、広場の作品とは別の判断が働きます。同じ画家の制作を比較するなら、表現が変わったという事実の先へ進み、何を重視するようになったかを読む必要があります。

神話、舞台、文学へ広がる

デ・キリコは舞台の装置や衣装、挿絵、文学的な著作にも関わりました。1929年には小説《エブドメロス》が刊行され、舞台の仕事も行っています。絵の中で物や空間の関係を揺らす関心は、言葉や実際の舞台へ広がる場合にも、別の方法を必要とします。媒体が変われば、見る時間と距離も変わります。

舞台美術を、油彩の幻想的な図像を大きく置いたものとしてだけ考えないことが大切です。演者の身体、照明、音楽、観客の位置が、絵とは異なる条件をつくります。文学でも、画像をそのまま説明するより、言葉の連なりによって空間と時間を生むことができます。画家という肩書きの中に、複数の制作の仕方が含まれていました。

同じ主題を描き直すことと、作品の年記

同じ図像が、同じ一枚を意味するわけではない

デ・キリコは初期の主題を後年にも繰り返し描きました。そのため、作品名と図像だけから一枚を特定することはできません。本記事の《ヘクトルとアンドロマケ》は1955年の油彩であり、1917年の最初期の作品や1970年のリトグラフとは別です。題名が同じでも、素材と制作年、寸法、所蔵先を組み合わせて確認する必要があります。

再制作は、以前の成功を繰り返す行為として批判されることもあります。しかし、作品を実際に比べれば、色、形、表面、尺度が変わることがあります。何が共通し、何が変わるかを確かめず、反復という言葉だけで価値を決めることはできません。一つの主題に長く戻る画家の仕事として読む余地もあります。

作者の年記と、美術館の推定年を区別する

《無限の郷愁》には1911年の年記がありますが、MoMAの現行記録は制作年を1912〜1913年頃とし、疑問符を付しています。画面に数字があるから、その数字だけで制作時点が確定するとは限りません。作品研究では、様式や制作史、記録、来歴などを合わせて検討します。

ここでは、疑問符を消して一つの年へ断定するより、分かっていることと確定していないことを併記しました。再制作、作者による年記、偽作の問題は関連しますが、同じ問題ではありません。不確かな年記がある作品を、直ちに偽物と呼ぶことも適切ではありません。個々の作品の記録を読むことが重要です。

晩年の新形而上絵画と、長い生涯の見方

過去の主題を、別の光で見る

1960年代末からの新形而上絵画では、広場、マネキン、考古学者、神話、室内などの主題が、再び組み合わされました。初期の不穏さだけでなく、明るい色や異なる空間の感触が現れます。以前の題材へ戻ることと、以前の作品を完全に同じ条件で繰り返すことを区別して見ると、晩年の制作が分かりやすくなります。

長い経歴を持つ作家には、初期の一時期が評価の中心になり、その後が補足のように扱われる場合があります。デ・キリコの制作は、その見方を考え直す手がかりです。後年の作品をすべて同じ程度に評価する必要はありませんが、本人が何を続けたかを知らずに経歴を閉じてしまうと、画家と美術史の間の緊張が失われます。

平面から、実際の空間へ

デ・キリコは彫刻も制作し、晩年にはミラノの《神秘的な水浴》の噴水など、公共空間へ関わる仕事も行いました。絵の中で見ていた人物や形が立体になると、実際の光と見る位置が作品の経験に入ります。平面の遠近の不安定さとは、別の条件で物と空間が関係します。

立体を油彩の図像の付録としてだけ見ず、厚み、表裏、周囲との距離を確認したいものです。実際に場所を移動する鑑賞者の身体は、絵の前で視線を動かす身体とは異なります。デ・キリコがつくった謎も、媒体によって働き方が変わります。

作品を見るための手がかり

最初に、入れそうな場所を探す

アーケードや扉、道など、画面の中へ進めそうな場所を一つ探してみましょう。そこから目で進むと、途中で遮られるのか、遠くへ抜けるのか、別の空間に移るのかを確認できます。人物や物の象徴を知らなくても、視線が動く経験から作品に近づけます。

次に、同じ場所を別の部分から見直してみてください。奥行きが先ほどと同じように読めるか、地面の向きと建築の向きが一致するかを比べます。空間を完全に解く必要はありません。目がどこで判断を変えるかに気づくことが、構成の具体的な働きを知る入口になります。

人物、物、影の尺度を比べる

最も大きな物、最も小さな人物、最も長い影を探すと、画面の力関係が分かります。題名で主役に思えたものが、面積では小さいこともあります。物語上の重要さと、視覚的な大きさが一致するとは限りません。その違いを確かめると、絵が何を前面に出しているかを考えられます。

さらに、明るい部分と暗い部分の割合を見てください。対象の名前を一度離れると、地面や壁、影が大きな形として見えます。具象の絵でも、形と色の構成を観察することは有効です。その後で人物や物を読むと、不思議な雰囲気がどの配置から生まれていたかが見えてきます。

略年譜

1888
7月10日、ギリシアのヴォロスにイタリア人の両親のもとで生まれる。
1900年代
アテネで学び、その後ミュンヘンの美術学校へ進む。
1909
ミラノへ移る。
1910
フィレンツェへ移り、初期の形而上絵画を制作する。
1911
パリへ移る。
1912–1914
パリのサロンで発表。アポリネールらの関心を集める。
1914
《愛の歌》《ある日の謎》《モンパルナス駅》などを制作。
1915
イタリアへ戻り、フェラーラで軍務と制作に関わる。
1917
カッラと接触。形而上的室内やマネキンの主題を深める。
1910年代末以降
古い巨匠の絵画と技法への関心を深める。
1925
再びパリを制作の拠点とする。
1929
小説《エブドメロス》を刊行。舞台の仕事も行う。
1936–1938
ニューヨークで活動する。
1944
ローマを生活と制作の拠点とする。
1955
本記事で紹介する東京富士美術館所蔵の《ヘクトルとアンドロマケ》を制作。
1960年代末以降
新形而上絵画を展開。彫刻にも取り組む。
1973
ミラノのセンピオーネ公園に《神秘的な水浴》の噴水を制作。
1978
11月20日、ローマで死去。

よくある疑問

形而上絵画とシュルレアリスムは、同じですか?

同じではありません。デ・キリコの初期の形而上絵画は、シュルレアリスムの運動が成立する前から制作され、後の画家たちに刺激を与えました。非現実的な場面という共通点はありますが、思想の背景、制作の時期、運動との関係は区別します。作品の似た印象だけで、所属を決めないことが大切です。

なぜ広場が、こんなに寂しく見えるのですか?

人が少ないことに加え、建築と人物の尺度、長い影、閉じた入口、不安定な遠近などが関わります。孤独という感情だけを題材として描いているとは限りません。人物がいる場所と、その周囲の空きを確かめると、寂しさがどのような構成から生まれているかを具体的に考えられます。

マネキンには、決まった意味がありますか?

一つの意味へ固定するより、作品ごとの配置と主題を確認するほうが有効です。人工的な物でありながら人の身体を思わせるため、人と物の境界が揺らぎます。神話的な題名がある場合には、その物語と表情のない身体がどう関わるかを考えられます。

同じ作品を、何度も描いたのですか?

同じ主題や図像を後年に再び扱った作品があります。ただし、同じ題名の絵がすべて同じ一枚という意味ではありません。制作年、素材、寸法、所蔵先を合わせて見る必要があります。初期の油彩と後年の油彩、さらに版画を比較すると、反復の中の変化にも気づけます。

初期だけを見れば、画家の全体が分かりますか?

初期作品は大きな影響を持ちましたが、長い生涯のすべてではありません。古典への回帰、舞台、文学、彫刻、晩年の再制作を知ると、本人が取り組んだ問題と、周囲が評価した問題の違いも見えてきます。初期への関心を出発点にしながら、後の仕事を別の条件で見てみると理解が広がります。

デ・キリコが開いた、具象絵画の可能性

デ・キリコは、現実の対象を描く絵にも、現実の関係を崩す力があることを示しました。建物や物が分かるのに、全体の世界は分からない。その経験は、物を見るときに私たちが頼っている用途、距離、尺度、時間の習慣を揺らします。絵の謎は、意味の隠された一つの物より、物同士の関係に生まれます。

作品の前では、すぐに夢や不安という言葉へまとめず、入口、影、小さな人物、形の違う物を順に見てみてください。理解できる部分が増えても、完全には説明できない関係が残ります。その余地を保ちながら見ることが、形而上絵画の持続する力に近づく方法です。

参考資料・出典

生涯と制作史は美術館・研究機関の公開資料を参照し、作品の年記、技法、寸法、所蔵情報は各作品ページを基準にしました。作品の日本語題名には異訳があるため原題を併記しています。本文での画面構成や鑑賞についての記述には、これらの資料を踏まえた本記事の解釈も含みます。

資料確認日:2026年10月3日 / ART LIBRARY