Q. シュルレアリスムは、なぜ「超現実」という名前なの?
「シュルレアリスム」は、フランス語で「超現実主義」と訳される言葉です。1924年、詩人アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表し、芸術や文学の新しい運動を明確にしました。目に見える日常の風景に加えて、夢や無意識の思考にも目を向け、普段は結びつかないものを関係づけることで、現実の捉え方を広げようとしたのです。
その背景には、第一次世界大戦で揺らいだ社会への不信感や、先行するダダの実験がありました。ブルトンたちにとって、常識や理屈だけで説明できる世界は、人間の経験の一部分でした。絵画、詩、写真、映画、立体作品などへ表現が広がったのも、その見えない部分を探りたかったからです。「超現実」という名前は、不思議なものを描く作風だけでなく、現実をより広く考えようとする姿勢を表しています。(参照:MoMA|Surrealism / MoMA|André Breton)
Q. シュルレアリスムの作家たちは、なぜ夢に夢中になったの?
眠っている間の夢には、見覚えのある場所が突然別の場所へ変わったり、ありえない出来事が自然に起きたりする場面があります。シュルレアリスムの作家たちは、こうした夢の展開に、普段は意識しにくい願望や記憶、感情が現れると考えました。精神分析を発展させたジークムント・フロイトの著作も、彼らに大きな刺激を与えました。
作家たちが求めたのは、夢の場面をそのまま絵に写すことだけではありません。言葉を思いつくままにつなぐ、突然浮かんだ形を描く、互いに無関係な物を並べるといった方法も試しました。整った物語を作ろうとすると見落としがちな連想から、新しいイメージが生まれると期待したのです。夢は、作品を作る手がかりであると同時に、人間の心を別の角度から考える入口でもありました。(参照:MoMA|Surrealism and Dreams)
Q. 夢のような絵なのに、なぜ本物そっくりに描くの?
ダリやマグリットの絵には、なめらかな空や精密に描かれた物が登場します。遠近法や陰影も使われ、ひとつひとつの物は現実にありそうです。ところが、時計が柔らかく垂れ下がったり、部屋の中にいるはずの人物の顔が布に覆われていたりして、全体を見ると奇妙な感覚が生まれます。見慣れた描き方と、ありえない出来事が同じ画面に置かれているのです。
細かく描かれているほど、鑑賞者はその場面を現実の風景として受け取りそうになります。その瞬間に常識が通用しないものを発見すると、違和感がいっそう強くなります。シュルレアリスムには、自由な線から形を探る作家も、精密な描写で不思議な場面を作る作家もいました。絵の上手さを競うためではなく、見る人の慣れた感覚を揺さぶるためにも、写実的な技法が使われたのです。(参照:MoMA|Surrealist Strategies / MoMA|René Magritte, The Lovers)
Q. ダリの絵では、なぜ時計が溶けているの?
サルバドール・ダリの《記憶の固執》(1931年)には、木の枝や台の上に柔らかく垂れ下がった時計が描かれています。時計は本来、正確に時間を示す硬い道具です。その形が崩れることで、時間を測るという普段の習慣まで頼りなく感じられます。画面の奥にはダリの故郷カタルーニャの海岸を思わせる風景が広がり、現実の場所と奇妙な出来事がひとつになっています。
ダリ自身はこの柔らかな時計を、熟しすぎたチーズや「時間のカマンベール」にたとえました。画面には蟻が群がる時計もあり、変化や朽ちていくことへの関心がうかがえます。作品を見ていると、夢の中では時間が急に飛んだり、長く伸びたりする感覚を思い出すかもしれません。ひとつの象徴に意味を固定するより、精密なのに説明できない風景そのものを楽しめる作品です。(参照:MoMA|Salvador Dalí, The Persistence of Memory)
Q. マグリットの「これはパイプではない」は、どういう意味なの?
ルネ・マグリットは1929年、パイプを丁寧に描いた絵の下に、フランス語で「これはパイプではない」と書きました。作品名は《イメージの裏切り》です。絵にあるのは確かにパイプの姿ですが、その紙やキャンバスを手に取って煙草を詰めることはできません。そこにあるのは、パイプという物そのものではなく、パイプを表した画像だからです。
私たちは絵や写真を見ると、そこに描かれた物の名前をすぐに思い浮かべます。マグリットは、ごく当たり前の反応に言葉をぶつけて、物と画像と言葉の関係を考えさせました。見た目は広告のように簡潔ですが、読んでから絵を見直すと、最初とは少し違って見えてきます。おかしな冗談を入口に、そもそも「見る」とは何かを問いかける、シュルレアリスムの代表的な作品です。(参照:ロサンゼルス郡立美術館|The Treachery of Images)
Q. マックス・エルンストは、なぜ床や木目をこすって絵を作ったの?
マックス・エルンストは1925年ごろから、木の板や葉、網などの上に紙を置き、鉛筆やクレヨンでこすって模様を写し取る方法を試しました。これは「フロッタージュ」と呼ばれます。子どものころ、硬貨の上に紙を載せてこすり出しをした経験があれば、仕組みはそれに近いものです。自分で線をすべて決める代わりに、素材の凹凸から予想外の形を受け取れることに面白さがありました。
エルンストは、写し取った木目やざらつきを手がかりに、森や生き物、奇妙な物体を思い浮かべました。1926年に刊行された作品集『博物誌』には、そうして生まれたイメージが収められています。表面の模様は偶然現れますが、それを何に見立て、どこへ手を加えるかには作家の選択が働きます。偶然と想像力が一緒になって絵を育てていく方法だったのです。(参照:MoMA|Max Ernst, Natural History)
Q. ミロの絵には、なぜ星や目のような形が浮かんでいるの?
ジョアン・ミロの絵には、星、目、鳥、人間の体を思わせる小さな記号が散らばっています。写実的な風景をそのまま描く代わりに、身近な生き物や自然の形を変形し、独自の絵画の言葉にしていったのです。彼はシュルレアリスムの詩人や画家たちと交流し、夢や自由な連想に刺激を受けました。見たことのある形なのに名前を決めにくいところが、ミロの絵の魅力です。
1940〜41年ごろの「星座」連作では、細い線の間に星や月、目のような印がつながり、画面全体が夜空を思わせる世界になります。第二次世界大戦の不安が広がる時期に制作されたこの連作には、音楽や自然、星への関心が重なっていました。ミロの絵を読むときは、記号を一つずつ答え合わせするより、形がどのようにつながり、画面にリズムを作っているかを眺めてみると楽しめます。(参照:メトロポリタン美術館|Constellation: Toward the Rainbow)
Q. 考えずに手を動かして描くと、本当に作品になるの?
シュルレアリスムには、完成形を最初に決めず、思いつくままに言葉を書いたり、線を引いたりする実験がありました。「オートマティスム(自動記述・自動描画)」と呼ばれる方法です。1924年のアンドレ・マッソンの《自動描画》では、素早く走らせたペンの線が複雑に絡まり、その中から人の体や物を思わせる形が浮かび上がっています。
もちろん、作家が完全に意識を失って描いていたわけではありません。マッソンも、偶然現れた形を見て、あとから線を加える場合がありました。大切だったのは、いつもの計画や判断から少し離れ、予想外のものを受け入れてみることです。落書きを眺めているうちに顔や動物に見えてくる体験も、この方法を理解する手がかりになります。(参照:MoMA|André Masson, Automatic Drawing / MoMA|Surrealism and Dreams)
Q. 友達とリレー方式で描いた絵も、美術作品になるの?
シュルレアリスムの作家たちは、何人かで紙を回しながら絵を完成させる遊びを好みました。「優美な屍骸(しかばね)」とも訳される「カダーヴル・エクスキ」という共同制作の方法です。最初の人が描いた部分を折って隠し、次の人が続きの形を描くので、完成するまで全体の姿がわかりません。頭と胴体と足が思いがけない組み合わせになることもあります。
1926〜27年には、イヴ・タンギー、ミロ、マックス・モリス、マン・レイが協力して、奇妙な人物像を描きました。普通の絵なら、構図を整えたり全体のつながりを考えたりします。この遊びでは、その役割を偶然と仲間に預けます。笑ってしまうような結果も、普段の想像力では出てこないイメージとして大切にされました。作品は一人で作るもの、という考えにも風穴を開いた実験です。(参照:MoMA|Cadavre Exquis, Nude / MoMA|Exquisite Corpse)
Q. なぜ毛皮で覆われたティーカップが美術館にあるの?
メレット・オッペンハイムの《オブジェ》(1936年)は、カップ、受け皿、スプーンを毛皮で覆った作品です。見た目にはふわふわして気持ちよさそうでも、実際にそのカップで飲み物を飲む場面を想像すると、妙な不快感が生まれます。物の形も用途もよく知っているはずなのに、素材が変わっただけで、触り心地や使い方への感覚が大きく揺さぶられるのです。
発想のきっかけには、パリのカフェでピカソや写真家ドラ・マールと交わした冗談がありました。シュルレアリスムの作家たちは、身の回りの物を予想外の組み合わせに変えることで、いつもの見方から抜け出そうとしました。オッペンハイムの作品は、奇妙な物を作る面白さに加えて、見ることと触れること、上品さと不快さが簡単に入れ替わる感覚を伝えています。(参照:MoMA|Meret Oppenheim, Object)
Q. シュルレアリスムでは、女性の作家たちも活躍していたの?
シュルレアリスムには、メレット・オッペンハイム、レオノーラ・キャリントン、レメディオス・バロ、ドラ・マールなど、多くの女性作家が関わりました。表現の方法もさまざまです。例えば、キャリントンの《緑茶》(1942年)には、不思議な衣装の人物や鎖につながれた白い馬が登場します。自身の体験や恐れ、記憶を、神話のような場面に組み替えた作品として読むことができます。
バロはのちにメキシコで独特の物語世界を深め、ドラ・マールは写真やフォトモンタージュなどでも活動しました。シュルレアリスムの歴史は、長くブルトンやダリなど男性の名前を中心に語られがちでした。作家たちの多様な作品を見比べると、夢や無意識という共通の関心から、それぞれが異なる世界を作っていたことが見えてきます。(参照:MoMA|Leonora Carrington, Green Tea / MoMA|Remedios Varo)
Q. 第二次世界大戦が始まると、シュルレアリスムはどうなったの?
1939年に第二次世界大戦が始まると、ヨーロッパで活動していた多くの作家たちは、迫害や戦火を避けて移動を余儀なくされました。ブルトンやエルンストらが渡ったニューヨークでは、亡命してきた芸術家が現地の作家たちと交流し、新しい表現を刺激しました。シュルレアリスムはパリを中心とする運動から、さらに広い地域へつながるネットワークになっていきます。
メキシコでは、キャリントンやバロらが制作を続け、異なる文化や土地の経験を取り入れて独自の表現を発展させました。ミロはヨーロッパにとどまり、戦時中に「星座」連作を制作しています。戦争によって活動の場や生活は大きく変わりましたが、夢や記憶、想像力を重視する考え方は各地へ広がりました。その後の絵画や写真、映画にも影響を残していきます。(参照:MoMA|Out of War / MoMA|Remedios Varo / メトロポリタン美術館|Constellation: Toward the Rainbow)