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Art Quiz

美術は、疑問から面白くなる。絵画の見方から、作家たちの不思議な行動まで。楽しく学べる1問1答。
気になった問いを入口に、美術の世界をめぐってみませんか?

1960–1980 | パフォーマンス・アートの美術史クイズ!

Q. パフォーマンス・アートは、なぜ人の行為そのものが作品になるの?

パフォーマンス・アートでは、歩く、立ち続ける、誰かと向き合うといった行為や、その場で起こる出来事が作品になります。作家自身が登場する場合もあれば、ほかの人が行為を担う場合もあります。とくに1960年代から70年代には、絵画や彫刻のように形の残る物に加え、身体や時間、観客との関係を表現の中心に据える実践が広がりました。作品は始まりから終わりまで、同じ場所にいる人々と時間を共有しながら変化していきます。

例えば同じ行為を繰り返しても、会場や観客、作家の身体の状態によって、そこで生まれる経験は違ってきます。写真や映像、道具、指示書が後に残ることもありますが、実際に行為が行われた時間には固有の重みがあります。こうした作品を通して、私たちは「作品を見る」とは何か、作家と鑑賞者の関係をどこまで変えられるのかを考えるようになります。パフォーマンス・アートという言葉は、幅広い方法をまとめて扱う名称です。(参照:MoMA|Media & Performance)

Q. ハプニングでは、なぜ観客まで移動させられたの?

1959年、アラン・カプローはニューヨークの画廊で《6つの部分からなる18のハプニング》を発表しました。会場は三つの区画に分けられ、そこで朗読、物を使った動作、音や光による出来事などが進行しました。観客にはあらかじめ指示を書いたカードが配られ、合図に従って座る場所を変えるよう求められました。客席に座って舞台を眺めるという普段の鑑賞方法が、作品を構成する動きへと変わったのです。

「ハプニング」という言葉から、気まぐれに起こる出来事を連想するかもしれません。この作品には細かい計画や進行の指示がありました。カプローが探ったのは、観客も含めて一つの出来事を作る可能性です。参加する場所や順番によって見えるものが変わり、誰も全体を同じようには体験できません。1950年代末のこうした実験は、1960年代以降のパフォーマンスや参加型の作品を考えるうえで重要な出発点となりました。(参照:メトロポリタン美術館|《18 Happenings in 6 Parts》関連作品)

Q. シュニーマンは、なぜ肉や絵の具を使って人々を動かしたの?

キャロリー・シュニーマンの《ミート・ジョイ》(1964年)では、複数の出演者が身体を寄せ合い、紙、絵の具、魚や肉などを使いながら動き続けました。きれいに整えられた舞踊の舞台とは違い、素材の重さや湿り気、身体の接触、予想外の動きが重なります。シュニーマンは絵画を学んだ作家で、自分の身体を作品の素材に含め、舞台全体を動く画面のように扱いました。彼女はこの方法を「キネティック・シアター」と呼んでいます。

身体や食べ物を大胆に使う表現は、当時の性や裸身をめぐる社会的な規範にも問いを投げかけました。身体は鑑賞の対象として眺められるだけでなく、実際に動き、感じ、他者と関わる存在として現れます。上演はパリとニューヨークで行われ、シュニーマン自身が映像を編集して一つの映画作品にもしました。現場で起きた出来事と、それを映像として再構成した作品の両方から、彼女の実験を知ることができます。(参照:MoMA|キャロリー・シュニーマン《Meat Joy》)

Q. ジョーン・ジョナスは、なぜ観客に向けて鏡を持たせたの?

ジョーン・ジョナスの《ミラー・ピース I》(1969年)では、出演者たちが鏡を持ち、決められた動きに沿って会場を移動しました。鏡の面が向きを変えるたびに、周囲の景色や出演者の姿、観客自身の姿が映り込みます。普段は舞台で何が起こっているのかを見つめる観客が、不意に自分の姿を見せられるのです。作品を見ている人も、鏡の反射を通して作品の光景の中に入り込みます。

ジョナスは鏡を、空間の見え方や人の立場を揺さぶる道具として使いました。自分が見ている相手からも見られているのではないかという意識が生まれ、観客と出演者の関係が変化します。この作品はその後の映像を使った実践にもつながりました。2024年にはMoMAが、当時の写真や記録に基づく《ミラー・ピース I・II》の再構成上演を実施しています。時間が過ぎた作品をどのように再び経験できるかという問題も含んでいます。(参照:MoMA|Joan Jonas: Mirror Piece I & II)

Q. アブラモヴィッチは、なぜ観客に72個の物を自由に使わせたの?

マリーナ・アブラモヴィッチは1974年、ナポリで《リズム0》を行いました。テーブルには水や蜂蜜、花のような物から、はさみや刃物、弾丸の入った銃まで、72種類の物が並べられました。作家は6時間、受け身の姿勢を保ち、観客がそれらの物を自分に対して自由に使う状況を作りました。はじめは穏やかな接触もありましたが、時間の経過とともに暴力的な行為も起こりました。作品は観客の選択によって大きく変化しました。

この作品で問われたのは、相手が抵抗しない状況で、人がどのように行動するのかということです。観客は作品の展開に関わり、その行為への責任を引き受ける立場にも置かれました。鑑賞者が参加すれば作品は楽しくなる、という単純な話には収まりません。アブラモヴィッチは身体を通して、他人との信頼、支配、暴力、集団の心理を可視化しました。現在は写真や記録が美術館に収蔵され、その出来事を考える手がかりになっています。(参照:アイルランド現代美術館|Marina Abramović《Rhythm 0》)

Q. クリス・バーデンは、なぜ自分の腕を撃たせる作品を行ったの?

1971年、ロサンゼルスでクリス・バーデンは《シュート》を行いました。友人に銃で自分の腕を撃たせるという、現実の危険を伴う行為でした。記録された映像はごく短く、観客が見た出来事のすべてを伝えるものではありません。バーデンは1970年代前半、自分の身体に強い負荷をかけたり、身動きの制限された状況に置いたりする作品を続けました。安全な距離から作品を見るという鑑賞の前提が、極端な形で揺さぶられたのです。

彼が探ったものには、危険が起こる前の緊張や、周囲の人が感じる不安、作家と観客のあいだの力関係があります。出来事の意味を、負傷という結果だけから捉えるのは難しいでしょう。バーデン自身は、苦痛を求めるための行為という説明を退けています。作品には危険性と倫理的な問題が伴い、今日も議論の対象です。ホイットニー美術館は《シュート》を含む1971〜75年の上演記録を映像作品として収蔵しています。(参照:ホイットニー美術館|Chris Burden《Documentation of Selected Works 1971–75》)

Q. ヴィト・アコンチは、なぜ街で知らない人の後をつけたの?

ヴィト・アコンチの《フォローイング・ピース》(1969年)では、ニューヨークの街で通行人を無作為に選び、その人が建物の中へ入るまで後をついて歩きました。行為は数分で終わることもあれば、何時間も続くこともあり、移動先も相手次第です。アコンチは自分で行き先を決める代わりに、見知らぬ人の動きに従うルールを設けました。道を歩くという日常の行動が、人との距離や自由をめぐる実験になったのです。

知らない人に追われる行為は、相手にとって不安や不快さを生む可能性があります。その問題を含めて、作品は公共空間で誰が誰の行動を左右できるのかを考えさせます。本人の意思で動いているように見える作家が、実際には他人に経路を委ねている点も興味深いところです。アコンチは行動の規則を記した文章や写真、移動経路の地図を残しました。現在MoMAでは、それらを行為の記録として見ることができます。(参照:MoMA|ヴィト・アコンチ《Following Piece》)

Q. アブラモヴィッチとウーライは、なぜ美術館の出入口に裸で立ったの?

1977年、マリーナ・アブラモヴィッチとウーライは、イタリアのボローニャで《インポンデラビリア》を発表しました。二人は狭い出入口の両側に裸で向かい合って立ち、美術館へ入る人がその間を通るようにしました。通行するには、どちらかの身体へ向きを寄せる必要があります。普段は気にも留めない「入口を通る」という行為が、自分の視線や身体の距離を強く意識する出来事へと変わりました。

観客は、相手の身体をどう見ているのか、他人とどこまで近づくことを許容するのかを、その場で判断します。二人は作品の舞台装置になると同時に、観客の行動によって影響を受ける存在でもありました。当初の上演は警察の介入によって途中で終わりました。2010年にはMoMAで別の出演者による再上演が行われています。人の身体を使う作品を再演するときには、出演者の安全や同意をどのように守るかも重要になります。(参照:MoMA|《Imponderabilia》アーティスト音声解説)

Q. ヨーゼフ・ボイスは、なぜコヨーテと同じ部屋で過ごしたの?

ヨーゼフ・ボイスは1974年、ニューヨークのルネ・ブロック画廊で《私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》を行いました。フェルトを身体に巻き、コヨーテと同じ空間で数日間過ごすという作品です。動物は作家の指示どおりには動きません。近づいたり離れたりする反応によって、二者の距離が少しずつ変化します。人間の計画だけで完結しない時間そのものが、作品を形作りました。

ボイスにとってコヨーテは、アメリカの土地や先住民文化、近代以前の自然観を象徴する存在でした。彼は動物との接触を通して、アメリカ社会の歴史や対立、和解の可能性を扱おうとしました。ここで動物は比喩として登場するだけではなく、生きた意思を持つ参加者でもあります。思いどおりにならない相手と同じ空間にいる経験が、作品の展開を左右しました。行為の様子は映像や写真によって記録されています。(参照:MoMA|When the Artwork Is Alive)

Q. エイドリアン・パイパーは、なぜ街で奇妙な格好をして歩いたの?

エイドリアン・パイパーは1970年から、ニューヨークの街や公共施設で《カタリシス》という一連の行為を行いました。ある作品では服に酢や卵などを染み込ませた状態で地下鉄に乗り、別の作品では服に白い絵の具を塗り、「ペンキ塗りたて」の札をつけて買い物に出かけました。周囲の人々は、それが美術作品だと知らずに彼女に出会います。日常の場で起こる視線や反応が、作品を成立させる要素になりました。

「カタリシス」は、変化を引き起こす触媒という意味に由来します。パイパーは自分の行動によって、見知らぬ相手への思い込みや、公共の場で何が普通とみなされるのかを揺さぶろうとしました。予告された展示を見に来る観客とは違い、街の人々は突然その状況に遭遇します。作品は目の前の他人に対する判断を意識させ、社会の中の視線や偏見を考えるきっかけを作りました。彼女のその後の人種や性別をめぐる作品にもつながる実践です。(参照:ジェネラリ財団|エイドリアン・パイパー《Catalysis IV》)

Q. ユケレスは、なぜ8,500人の清掃作業員と握手したの?

ミアリー・レイダーマン・ユケレスは1979〜80年、ニューヨーク市の清掃局で働く約8,500人の職員と、仕事の現場で握手する《タッチ・サニテーション》を行いました。一人ひとりに街の暮らしを支えていることへの感謝を伝え、市内59地区を約11か月かけて巡りました。ごみを集め、街を保つ仕事は、生活に欠かせない活動です。彼女はその労働へ直接向き合う行為を、長期間にわたる作品にしたのです。

ユケレスは1969年から、掃除や世話、修理など、暮らしを維持する仕事を「メンテナンス・アート」として考えていました。新しい物を作る仕事に比べ、繰り返される日常の労働は注目されにくいものです。握手という簡単な行為を何千回も重ねることで、普段は見過ごされがちな人々の存在が見えてきます。美術館の外で社会の仕組みに関わることも、パフォーマンスの重要な可能性でした。作品は写真、地図、音声などで伝えられています。(参照:クイーンズ美術館|Mierle Laderman Ukeles《Touch Sanitation》)

Q. 一度きりのパフォーマンスを、美術館はどうやって残すの?

パフォーマンスは上演が終わると、その場で起きた出来事としては過去のものになります。美術館には写真、映像、音声、指示書、作家のメモ、実際に使われた物などが残され、何が行われたのかを後から知る手がかりになります。例えばクリス・バーデンの1970年代の作品は本人の解説を含む記録映像として、アブラモヴィッチの《リズム0》は写真と文章を組み合わせた作品として収蔵されています。記録自体が鑑賞対象となることもあります。

もう一つの方法は再演です。2010年のMoMAのアブラモヴィッチ回顧展では、過去の上演作品を別の出演者が再び実行しました。実際に人が立ち、動くことで、その場にいる鑑賞者は作品を新たに体験できます。再演には、作家の意向に加え、当時と異なる社会環境や出演者の安全、観客との距離を検討する必要があります。過去の出来事を資料として残す方法と、現在の身体を通して伝える方法の両方が、パフォーマンス・アートの継承を支えています。(参照:MoMA|Marina Abramović: The Artist Is Present)

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