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Art Quiz

美術は、疑問から面白くなる。絵画の見方から、作家たちの不思議な行動まで。楽しく学べる1問1答。
気になった問いを入口に、美術の世界をめぐってみませんか?

1965–1980 | アルテ・ポーヴェラの美術史クイズ!

Q. 「アルテ・ポーヴェラ」の「貧しい」って、どういう意味なの?

「アルテ・ポーヴェラ」はイタリア語で「貧しい芸術」という意味です。1967年、美術評論家のジェルマーノ・チェラントが、当時のイタリアで新しい表現を試みていた作家たちを紹介するために使いました。彼らの作品には、石、土、木の枝、古布、鉄、ガラスなど、身の回りにある材料が登場します。高価な大理石やブロンズだけを彫刻の素材と考えていた人にとって、驚くような選択でした。

ここでいう「貧しさ」は、材料の値段を指す言葉にとどまりません。素材の性質をそのまま見せ、作る行為や時間の経過まで作品に取り込もうとした姿勢を表しています。画廊で売買される完成品としての美術を問い直し、日々の暮らしと芸術を近づけようとする試みでもありました。イタリアの各都市で活動していた作家たちは、それぞれ異なる方法でこの可能性を探りました。(参照:MoMA|Arte Povera / カステッロ・ディ・リヴォリ美術館|Arte Poveraの歴史)

Q. なぜ1960年代のイタリアで、アルテ・ポーヴェラが生まれたの?

第二次世界大戦後のイタリアは、工業化と経済成長によって暮らしが急速に変わっていきました。新しい商品や広告が街にあふれ、人々の消費生活も広がります。1960年代には学生運動や労働運動が活発になり、社会の仕組みそのものを問い直す空気が強まっていました。トリノ、ローマ、ミラノ、ジェノヴァなどで活動していた若い作家たちも、こうした時代の変化の中で新しい表現を模索していました。

1967年、チェラントはジェノヴァの画廊ラ・ベルテスカでの展覧会に関わり、「アルテ・ポーヴェラ」という名称を提示しました。彼は同年、作家たちの姿勢を社会への抵抗と結びつけて論じています。実際の作品は、自然の力を扱うもの、工業材料を使うもの、歴史や言葉を問い直すものなど実に多彩です。作家全員が同じ政治的主張を掲げていたわけではありません。時代を共有しながら別々の方法で創作した人々が、一つの名称のもとに紹介されたのです。(参照:グッゲンハイム・ビルバオ美術館|Jannis Kounellis / MoMA|Arte Povera / カステッロ・ディ・リヴォリ美術館|Arte Povera)

Q. 石や古布のような身近な材料が、美術作品になるのはなぜ?

美術館で石や古布を見ると、私たちはふだんとは違う目でその材料を眺めます。石には重さや冷たさがあり、布には柔らかさや使用された痕跡があります。木は乾燥し、金属は光を反射し、植物は成長したり枯れたりします。アルテ・ポーヴェラの作家たちは、こうした素材の性質や変化を作品の中で働かせました。材料を何かに見立てるだけでなく、実際に起こる現象が鑑賞体験を作っていきます。

例えばジョヴァンニ・アンセルモは、石の重さと野菜の水分が失われる過程を組み合わせました。マリオ・メルツは枝やガラスと電気の光を一つの構造に集め、ヤニス・クネリスは石炭などの素材が持つ歴史や存在感を展示空間に持ち込みました。同じ「身近な材料」でも、作家によって注目する性質はさまざまです。何でできているかに目を向けると、作品がその場所で何を起こしているのかが見えてきます。(参照:カステッロ・ディ・リヴォリ美術館|Arte Povera in the Collection / グッゲンハイム美術館|Mario Merz)

Q. ピストレットは、なぜ鏡に人物を描いたの?

ミケランジェロ・ピストレットは1962年ごろから、鏡のように磨いたステンレス板に等身大の人物像を組み合わせる「鏡絵画」を制作しました。初期の作品では、写真をもとにした人物像を薄い紙に描き、反射する金属の表面に貼り付けています。描かれた人物は画面の中に固定されていますが、鑑賞者や展示室の風景は鏡の上を絶えず動きます。作品の前に立った瞬間、自分自身も画面に現れるのです。

こうして一枚の絵の中に、描かれた過去の時間と、いま目の前で起きている出来事が重なります。鑑賞者が近づけば姿が大きく映り、場所を移動すれば背景も変わります。ピストレットは、鑑賞する人が加わることで成立する絵画の可能性を探りました。アルテ・ポーヴェラという名称が生まれる前から続いていたこの実験は、日常の空間や人の存在を作品に取り込む発想へとつながっています。(参照:ピストレット公式サイト|制作年譜 / ウォーカー・アート・センター|Michelangelo Pistoletto)

Q. ヴィーナス像は、なぜ古着の山に顔を向けているの?

ピストレットの《ぼろ布のヴィーナス》(1967年)では、古典的な女神像の複製が色とりどりの古着の山に向かって立っています。像は鑑賞者に背中を見せ、その先に積まれた衣類へと身を寄せています。古代から理想の美として受け継がれてきた女神の姿と、日々の暮らしの中で使われ、捨てられていく布が同じ場所に置かれているのです。

古着は次々と使われ、形や持ち主を変えていく日常の品物です。女神像には、長い歴史の中で繰り返し称賛されてきた美の規範が重なっています。ピストレットは二つを隣り合わせることで、美術館が大切にしてきた価値と現代の消費生活を同時に見せました。この作品で使われたぼろ布には、作家が鏡絵画の表面を拭くために使っていたものも含まれていました。制作の現場にあったものが、別の作品の主役になったのです。(参照:ピストレット公式サイト|Venus of the Rags / カステッロ・ディ・リヴォリ美術館|Venus of the Rags)

Q. クネリスは、なぜ画廊に本物の馬を連れてきたの?

ヤニス・クネリスは1969年、ローマの画廊ラッティコで、生きた馬を並べて展示しました。画廊という美術のための空間に、体温があり、呼吸し、音を立てる動物が現れたのです。馬は絵や彫刻の題材として古くから描かれてきましたが、この展示では生きている動物そのものが作品の一部になりました。鑑賞者は動物の大きさや動きだけでなく、においや気配も感じたはずです。

動物は展示の間ずっと同じ姿勢を取るわけではありません。生き物を迎え入れた瞬間、作品は思いどおりに固定できない出来事になります。クネリスはその前後にも、石炭、鉄、木、穀物などを用いて、物質の持つ重さや歴史を展示室に持ち込みました。馬の展示は、何かの形を鑑賞するという美術の経験を、現実の生命と空間に出会う体験へ広げた代表的な例です。(参照:グッゲンハイム・ビルバオ美術館|Jannis Kounellis / カステッロ・ディ・リヴォリ美術館|Arte Povera in the Collection)

Q. マリオ・メルツは、なぜイグルーの形を作ったの?

マリオ・メルツは1968年から、半球状の「イグルー」を繰り返し制作しました。金属の骨組みにガラス、枝、土、石、布などを組み合わせ、ときには光るネオン文字を取り付けています。イグルーは、人が身を守り、生活するための最小限の住まいを思わせる形です。作家はこの単純な半球の中に、人が世界の中でどこに居場所を作るのかという問いを重ねました。

材料も大きさも毎回変わり、作品が置かれる建物や周囲の空間によって見え方が変わります。透けるガラス越しに向こう側が見えることもあれば、枝や石が外側を覆うこともあります。屋内と屋外、自然と人工、個人と集団といったさまざまな関係を、一つの住まいの形から考えることができます。メルツにとってイグルーは、同じ形を何度も作り直しながら世界との関係を探るための重要な作品でした。(参照:グッゲンハイム美術館|Mario Merz / メルツ財団|Igloo di Mario Merz)

Q. マリオ・メルツの作品には、なぜ数字が光っているの?

マリオ・メルツの作品によく登場する「1、1、2、3、5、8、13……」という数字は、フィボナッチ数列です。前の二つの数を足すと次の数になるという規則を持っています。メルツは1970年ごろから、この数字をネオンで光らせたり、テーブルや建物の空間に並べたりしました。数字の増え方から、植物や生き物が成長して広がっていくようなイメージを引き出していたのです。

数字を光らせることで、数列は紙に書かれた計算から、目で見て身体で感じるものに変わります。壁を伝って増えていく数字や、暗がりに浮かぶネオンの列は、時間の流れや増殖する動きを連想させます。メルツは自然の成長と人間の暮らしを結びつけて考え、イグルーやテーブルと同じように数字も繰り返し作品に使いました。数式から始まる作品が、空間全体の見え方を変えていくところに面白さがあります。(参照:メルツ財団|Numbers are Prehistoric / グッゲンハイム美術館|Mario Merz)

Q. 石とレタスを組み合わせた彫刻は、どうして崩れずに立っているの?

ジョヴァンニ・アンセルモの《食べる構造》(1968年)は、大きな石の側面に小さな石を留め、その間に新鮮なレタスを挟んだ作品です。石同士は銅線で固定されていますが、その張りを保つにはレタスの厚みが必要です。レタスが乾燥して小さくなると、銅線が緩み、小さな石が落ちてしまいます。見た目は静かな彫刻でも、内部では水分の蒸発や重力といった力が働いています。

作品を保つためには、しおれたレタスを新しいものに取り替える必要があります。レタスが「食べ物」として作品を支え、交換する行為まで作品の存続に関わるのです。硬く長持ちする石と、短い時間で変化する野菜を組み合わせたことで、時間の経過が目に見える形になりました。美術館でこの作品に出会ったら、石の配置に加えて、いつかレタスがしおれてしまうという時間の感覚にも注目してみてください。(参照:ポンピドゥー・センター|Senza titolo(石・レタス・銅線) / グッゲンハイム・ビルバオ美術館|Giovanni Anselmo)

Q. ペノーネは、なぜ生きた木に自分の手の形を残したの?

ジュゼッペ・ペノーネは1968年ごろ、故郷に近いイタリア北西部の森で、木の成長に人間の身体を関わらせる作品を作り始めました。細い木の幹を手で握り、その位置に自分の手をかたどった金属を取り付ける。木は成長を続けますが、金属が触れた部分にはその影響が残ります。ペノーネはこうした行為を「アルピ・マリッティメ(海のアルプス)」という作品群に記録しました。

人間の手が幹に触れる時間は短くても、木の成長は何年も続きます。目の前でほとんど動いていないように見える植物が、長い時間の中では形を変えていることに気づかされます。ペノーネは木材を彫る作品も制作し、年輪や枝の成長の痕跡を見せました。身体と自然を結びつけるその仕事は、彫刻を作る行為そのものを、成長や時間の中で考え直す試みになっています。(参照:ジュゼッペ・ペノーネ公式サイト|Maritime Alps / ジュゼッペ・ペノーネ公式サイト|1968年の作品)

Q. マリサ・メルツは、なぜ編むような手仕事を美術に取り入れたの?

マリサ・メルツは、アルテ・ポーヴェラの中心的な作家として活動した女性です。1966年の《無題》では、金属の網に麻の繊維を結びつけ、身体ほどの高さがある不思議な立体を作りました。繊維は髪の毛のようにも見え、籠や容器を思わせる形からは人の気配が感じられます。ほかにも金属を編んだり、柔らかい素材を組み合わせたりしながら、手で作る行為を大切にしました。

編む、結ぶ、繰り返すといった作業は、家庭の中でも親しまれてきた手仕事です。メルツは、そうした行為を美術館で見る彫刻の制作と結びつけました。素材や形が持つ親密さは、大きく硬い記念碑のような彫刻とは異なる感覚を生みます。彼女は暮らしと制作を行き来しながら、身体、時間、空間の関係を探り続けました。その作品は、アルテ・ポーヴェラの表現が素材の選択だけでも、政治的な主張だけでも語り尽くせないことを示しています。(参照:MoMA|Marisa Merz, Untitled(1966) / MoMA|作品音声解説)

Q. ボエッティは、なぜ世界地図をほかの人に刺繍してもらったの?

アリギエロ・ボエッティは1971年、アフガニスタンを訪れ、現地の職人たちと協力して世界地図を刺繍する《マッパ》シリーズを始めました。国ごとの領域を、その国の旗の色や模様で埋めていく地図です。作家が大まかな構想を考え、実際の刺繍は現地の女性職人たちが手がけました。一点を作り終えるまでに長い時間がかかり、それぞれの作品に異なる色や細部が生まれました。

地図の国境や国旗は政治によって変わります。そのため完成した刺繍には、制作された時代の世界の姿が記録されます。刺繍する人の判断が仕上がりに入り込むことも、ボエッティが重視した点でした。彼は1960年代にアルテ・ポーヴェラの展覧会へ参加し、その後は規則や偶然、他者との協働に関心を広げています。《マッパ》は、誰が作品を作るのか、作者の決めた計画と他者の手仕事がどう結びつくのかを考えさせます。(参照:MAXXI収蔵品データ|Alighiero Boetti, Mappa / MoMA|Map of the World)

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