Art Library

Art Quiz

美術は、疑問から面白くなる。絵画の見方から、作家たちの不思議な行動まで。楽しく学べる1問1答。
気になった問いを入口に、美術の世界をめぐってみませんか?

1905–1910 | フォーヴィスムの美術史クイズ!

Q. フォーヴィスムの画家たちは、なぜ「野獣」と呼ばれたの?

「フォーヴィスム」は、フランス語の「野獣」を意味する「フォーヴ」に由来します。1905年、パリで開催されたサロン・ドートンヌに、アンリ・マティスやアンドレ・ドランらの作品が出品されました。緑色の顔、鮮烈な赤や青の風景、荒々しく見える筆づかい。写実的な絵画に親しんでいた観客には、その色彩が衝撃的に映りました。批評家ルイ・ヴォークセルが彼らを「野獣たち」と呼んだことが、運動の名前として広まったのです。

この呼び名は、最初から画家たちが考えた正式な団体名ではありません。画家たちは互いに交流しながら、絵画の色と形について異なる実験を続けていました。後に「野獣派」とも呼ばれるフォーヴィスムは、20世紀初頭の新しい絵画を象徴する存在になります。1905年の展覧会を想像すると、現在では親しみやすい鮮やかな色が、当時どれほど挑戦的だったかが見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|Fauvism)

Q. マティスは、なぜ女性の顔を緑や黄色で描いたの?

1905年の《帽子の女》に描かれているのは、マティスの妻アメリーです。顔には緑、黄、青、赤などが大胆に置かれ、帽子もさまざまな色の筆跡で組み立てられています。当時の肖像画には、肌の色や立体感を自然に描くことが広く求められていました。そのため、顔の真ん中に緑色が走るような表現は、観客に強い驚きを与えました。マティスは人物を識別できる形を残しながら、色の使い方を思い切って変えたのです。

色には、顔の明るい面と暗い面を分けたり、隣り合う色を際立たせたりする働きがあります。マティスは、自然の肌色を再現する代わりに、色同士の関係から人物の存在感を生み出そうとしました。同じ年の《マティス夫人の肖像(緑のすじ)》でも、顔の中央を縦に通る緑色が印象的です。二つの肖像を見比べると、肌の色についての常識を動かすことが、絵画全体を変える実験になっていたとわかります。(参照:サンフランシスコ近代美術館|《帽子の女》)

Q. マティスとドランは、なぜ南フランスの港町に集まったの?

1905年の夏、マティスは若い友人アンドレ・ドランを誘い、地中海に面した港町コリウールで制作しました。二人が過ごしたのは、およそ9週間です。強い日差しに照らされた海、色の濃い屋根や建物、港に並ぶ船、丘の木々が、目の前にありました。彼らは同じ場所を歩き、互いの絵を見せ合いながら、現実の風景をどんな色と筆づかいで表せるか試しました。港町は、二人にとって実験の場になったのです。

ドランの《コリウールの漁船》には、明るい色彩と短く勢いのある筆跡が見られます。マティスも油絵だけでなく、水彩や素描を重ねながら、新しい表現を探りました。二人が同じ景色を描いても、線の置き方や色の響きはそれぞれ違います。この夏に生まれた作品が秋のサロン・ドートンヌで発表され、フォーヴィスムが広く知られるきっかけになりました。一つの町で重ねた実験が、絵画の歴史を動かしたのです。(参照:メトロポリタン美術館|《コリウールの漁船》)

Q. マティスの《開いた窓》は、なぜ海までピンク色なの?

マティスの《開いた窓、コリウール》(1905年)には、室内から港を見下ろす風景が描かれています。窓の周囲は赤や緑、紫に彩られ、その向こうの海にはピンクや黄色の筆跡が置かれています。帆船の形も数本の線や色のかたまりで示されています。風景を詳しく説明するための描写を減らし、色を並べることで、開け放たれた窓から届く光や空気、眺めの鮮やかさを表そうとした作品です。

よく見ると、窓枠という比較的はっきりした形と、港の中で揺れるような短い筆跡が組み合わされています。建物と外の景色が、異なる色のまとまりとして響き合うように配置されているのです。当時、この絵の厚い筆づかいや強烈な色彩は過激に受け止められました。現在の目には軽やかに見える小さな作品にも、絵画が「見たままの色」に従う必要はないという、当時の大きな発見が詰まっています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《開いた窓、コリウール》)

Q. フォーヴィスムの絵は、なぜ筆の跡がはっきり残っているの?

フォーヴィスムの絵画では、短く切れた筆跡や、絵の具を厚く置いた跡が目に飛び込んできます。色を滑らかにぼかして人物や風景の表面を整えるよりも、絵の具を置く一回ごとの動きが、画面のリズムとして働いています。ドランのコリウールの風景では、木々や船や水面が、さまざまな向きの筆跡で組み立てられています。同じ青や赤でも、細く引くか、大きな面として置くかで、絵から受ける印象は変わります。

こうした筆づかいは、絵を描いた身体の動きも感じさせます。近づくと絵の具の厚みや塗り重ねが目立ち、少し離れると港や丘の風景としてまとまって見えてきます。作家たちは、色彩と筆の動きを一緒に考えながら、それぞれの絵画を作っていました。実際の作品を見る機会があれば、まず一つの色の筆跡を追ってみると、見慣れた風景を新鮮な絵画へ変える方法を体感できます。(参照:メトロポリタン美術館|Vertigo of Color 展覧会ガイド)

Q. フォーヴィスムは、印象派と何が違ったの?

印象派の画家たちは、移り変わる光や空気を捉えるために、明るい色彩や細かな筆づかいを工夫しました。フォーヴィスムも、そのような色彩の探究から大きな刺激を受けています。マティスやドランがさらに進めたのは、描く対象が実際に何色に見えるかという基準から、色をいっそう自由にすることでした。海をピンクに、木の幹を赤に描いても、画面全体で色が生きていれば、その風景は絵画として成立すると考えたのです。

印象派にも大胆な色の作品はあり、両者の間には連続した歴史があります。見比べると、フォーヴィスムでは色の一つひとつが、風景を形づくる独立した要素として強く感じられます。輪郭の省略や単純化も、画面の力を高めました。19世紀に進んだ色彩の実験が、20世紀の初めに新たな方向へ開かれたと考えると、その変化を理解しやすくなります。(参照:メトロポリタン美術館|Fauvism)

Q. ゴッホやスーラの絵は、フォーヴィスムとどうつながるの?

フォーヴィスムの色彩は、それ以前の画家たちの試みから育ちました。ゴッホの激しい筆づかい、ゴーギャンが使った平らで象徴的な色面、スーラやシニャックらが研究した色の組み合わせは、マティスたちに重要な手がかりを与えました。実際にマティスは1904年、シニャックとともに南仏サン=トロペで制作し、色を細かく分けて置く方法を使った《豪奢、静寂、逸楽》を描いています。この作品には、新印象派の影響がはっきり見られます。

1905年以降、マティスは決まった方法で点を並べる描き方から離れ、もっと大きな色の面や自由な筆づかいを試しました。ヴラマンクもゴッホの作品に強い刺激を受けています。同じ色彩への関心でも、先人の技法をそのまま続ける画家もいれば、自分の絵画に合わせて組み替える画家もいます。フォーヴィスムは、ポスト印象派とつながりながら、色を使う新たな可能性を開いた運動でした。(参照:メトロポリタン美術館|Henri Matisse (1869–1954))

Q. ドランは、なぜロンドンの橋をオレンジや青で描いたの?

アンドレ・ドランは1906年、ロンドンを訪れ、テムズ川や橋、街並みを題材にした絵を数多く制作しました。《チャリング・クロス橋、ロンドン》では、川沿いの建物がピンクやオレンジ、緑で描かれ、橋には濃い青と赤が使われています。水面にもさまざまな色が現れ、見慣れた都市風景が強い色彩の組み合わせによって新しい景色に変わっています。ドランは、都市の形を手がかりにしながら、色が生み出す明るさや動きを試していたのです。

ロンドンは霧の風景を描いたモネの作品でも知られています。ドランも同じ都市に向かい、フォーヴィスムらしい色の使い方で自分の風景を作りました。よく見ると、船や橋、川岸の輪郭には対象の特徴が残り、色の配置は大胆に変えられています。見えるものを保ちながら、色彩の働きで絵全体の印象を変える。そんな実験が、南仏の港町からロンドンの大都市へ広がっていったのです。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《チャリング・クロス橋、ロンドン》)

Q. ヴラマンクは、なぜ絵の具を勢いよく塗りつけたの?

モーリス・ド・ヴラマンクは、マティスやドランと並ぶフォーヴィスムの主要な画家です。1900年にはパリ郊外のシャトゥーでドランとアトリエを共有し、セーヌ川や近くの町を描いていました。1906年の《シャトゥーのセーヌ川》では、赤、青、白などの絵の具が厚く置かれ、水面や建物の形が大胆な筆跡で表されています。ヴラマンクは、色や形を丁寧に整えるより、描く瞬間の勢いを画面に残すことを大切にしました。

ヴラマンクはほぼ独学で絵を学び、ゴッホの表現からも刺激を受けました。絵の具をチューブから直接使うような鮮やかな色彩と、うねる筆づかいには、風景を前にした強い感覚が表れています。マティスの作品が色の関係を計画的に整えているように見える場面でも、ヴラマンクの絵は動きの激しさが目立ちます。同じフォーヴィスムに属する作家でも、絵画への向き合い方がそれぞれ違っていたのです。(参照:メトロポリタン美術館|《シャトゥーのセーヌ川》)

Q. マティスの《生きる喜び》では、なぜ人々が奇妙な色の森にいるの?

《生きる喜び》は、マティスが1905年から1906年にかけて制作した大きな絵画です。緑や黄、ピンクなどで彩られた風景の中に、横たわる人、音楽を奏でる人、踊る人などが配置されています。人物の身体は単純化され、現実の森とは違う色彩に包まれています。マティスは、実際に見た一場面を記録するよりも、人間が自然の中でくつろぎ、楽しむ様子を、色と形の関係によって画面全体に広げようとしました。

作品は1906年にパリで展示され、強い反応を呼びました。画面の奥には輪になって踊る人物たちが描かれ、後の《ダンス》を思わせるモチーフも見られます。風景の色が現実と違っていても、人物の配置や曲線を追うと、絵の中に独特の調和やリズムが感じられます。フォーヴィスムの色彩が、目の前の風景を描く実験から、想像上の大きな世界を組み立てる表現へ発展したことがよくわかる作品です。(参照:バーンズ財団|《生きる喜び》)

Q. フォーヴィスムの画家は、マティスとドランだけだったの?

フォーヴィスムには、マティスとドランのほかにも多くの画家が関わっていました。ヴラマンク、キース・ヴァン・ドンゲン、シャルル・カモワン、アルベール・マルケ、ラウル・デュフィ、ジョルジュ・ブラックなどです。画家たちは同じ展覧会に作品を出したり、旅先で一緒に制作したりしながら、新しい色彩の表現を共有していました。鮮やかな色が特徴として挙げられますが、人物を好む画家もいれば、海や港、街の風景に関心を向けた画家もいます。

それぞれの作風には違いがあり、活動の時期も重なり方が一定ではありません。ブラックは1906〜1907年に鮮やかな風景画を制作し、その後、形や空間の構成を重視する方向へ進みました。デュフィも独自の色彩表現を展開します。作品を並べて見ると、フォーヴィスムは一つの描き方を守る画家たちの集まりというより、色の可能性をめぐって多くの作家が交差した時期として見えてきます。(参照:メトロポリタン美術館|Fauvism)

Q. フォーヴィスムは、なぜ数年で終わったの?

フォーヴィスムがまとまった美術運動として注目された期間は、主に1905年から1908年ごろまでの数年間でした。マティスやドラン、ヴラマンクらは色彩の実験を重ねましたが、共通の規則に従って活動する団体を長く維持していたわけではありません。それぞれの画家が次の課題を見つけ、制作の方向を変えていったのです。特に1907年ごろからは、セザンヌの絵画が示した形や空間の構成に関心を向ける作家も増えました。

ブラックは1906〜1907年にフォーヴィスムの風景画を描き、その後はピカソとともにキュビスムを発展させます。マティスは色彩の探究を続け、模様や空間を大きな色面で組み立てる新しい絵画へ進みました。運動としての期間が短かったからこそ、参加した画家たちが次に何を試みたかを追うと、その影響の広さがわかります。フォーヴィスムで解き放たれた色彩は、20世紀の美術のさまざまな方向へ受け継がれていきました。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|《ラ・シオタの港》作品解説)

時代・美術運動から探す

代表的な作家