Q. キュビスムは、なぜ物をバラバラに描いたの?
キュビスムの絵を見ると、人の顔やギター、建物が幾何学的な断片に分かれ、互いに重なっていることがあります。20世紀初頭までの西洋絵画では、一つの視点から見た奥行きのある空間を描く方法が大切にされてきました。ピカソとブラックは、その約束事を問い直しました。物の外見を一つの角度から写す代わりに、形や面の関係を分解し、平らな画面の中で組み立て直したのです。
例えば、瓶の口、胴体、周囲のテーブルが細かな面になって入り交じっていても、曲線や輪郭の断片をたどると、何が置かれているか少しずつ見えてきます。彼らが注目したのは、物を見るときに得られるさまざまな情報を、絵画の中でどのように表せるかという問題でした。画面を断片に分ける実験から、従来とは異なる空間の描き方が生まれました。(参照:メトロポリタン美術館|Cubism)
Q. 「キュビスム」という名前は、どこから来たの?
名前のきっかけは、ジョルジュ・ブラックが1908年に描いた南フランスの風景画でした。ブラックはレスタックの木々や家々を、大きな角張った形で表しました。同年、パリの画商ダニエル=アンリ・カーンワイラーの画廊で開かれた個展をめぐり、批評家ルイ・ヴォークセルが、風景に見られる形を「立方体(キューブ)」になぞらえて論じました。この呼び方が、やがて「キュビスム」という名称として定着しました。
実際のキュビスムには、立方体だけが描かれているわけではありません。曲線や円筒形、細かな平面を重ねた作品もたくさんあります。ブラックの《レスタックの木々》(1908年)を見ると、遠近感のある風景の中で家や木の形が押し出され、絵全体がしっかりした構造を持っているように感じられます。後に広がる複雑な表現の出発点を、ここに見ることができます。(参照:メトロポリタン美術館|《レスタックの木々》)
Q. セザンヌの絵は、なぜピカソたちに重要だったの?
ポール・セザンヌの静物画をよく見ると、皿の楕円やテーブルの縁が、少し不思議な角度で描かれています。果物を上から見ているような部分と、横から見ているような部分が、同じ画面の中で共存していることもあります。セザンヌは対象をじっくり観察し、色の変化と筆づかいを重ねながら、独自の空間を作ろうとしました。その絵画はピカソやブラックに大きな刺激を与えました。
1906年にセザンヌが亡くなり、翌1907年にはパリで大規模な回顧展が開かれました。若い画家たちは、形を単純化し、対象同士の関係から画面を組み立てる方法に注目しました。セザンヌの《リンゴと洋梨のある静物》では、果物も皿も確かにそこにありながら、空間のつながりが少し揺らいで見えます。キュビスムは、こうした探究をさらに推し進め、形を分解して組み直す方向へ発展したのです。(参照:メトロポリタン美術館|《リンゴと洋梨のある静物》)
Q. 《アヴィニョンの娘たち》は、何がそれほど新しかったの?
ピカソが1907年に完成させた《アヴィニョンの娘たち》には、五人の裸婦が描かれています。身体は鋭い角度を持つ面に分かれ、奥行きの浅い空間に押し込まれたように見えます。右側の二人の顔は、アフリカの仮面を思わせる形をしています。ピカソはヨーロッパの絵画に加え、イベリア半島の古代彫刻や、当時フランスに持ち込まれていたアフリカやオセアニアの造形にも刺激を受け、人物の描き方を大胆に変えました。
これらの造形がフランスに集まった背景には、植民地主義の歴史もあります。MoMAも現在、ピカソが異なる文化の表現をどう取り入れたかを問い直しています。この絵はキュビスムの重要な先駆けとされますが、作品そのものをどの段階のキュビスムに位置づけるかは研究者の間でも議論があります。完成前の何百点もの習作を見れば、ピカソが一枚の絵の中で新しい人物表現を探し続けたことがわかります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《アヴィニョンの娘たち》)
Q. ピカソとブラックは、なぜ一緒にキュビスムを発展させたの?
ピカソとブラックが出会ったのは1907年です。二人はその後、互いの作品を頻繁に見せ合いながら、人物や静物を新しい方法で描く実験を重ねました。1910年代初頭の作品には、作者名を隠すと見分けるのが難しいほど近い表現もあります。瓶やギターを細かな面に分解し、画面全体を茶色や灰色にまとめる方法も、その密接な交流の中で深められました。
彼らは単に似た絵を描こうとしたのではなく、相手の試みから刺激を受け、自分の方法を更新していきました。1911年には両者が楽器を描いた作品を制作しており、線や面をどう組み合わせるかという問題意識がよく表れています。共同作業を通して生まれた表現は、1912年に紙を貼り込む技法が登場すると、さらに新しい段階に進みます。キュビスムの歴史は、二人の画家の緊密な対話から始まったともいえます。(参照:メトロポリタン美術館|《マール酒の瓶のある静物》)
Q. ピカソの絵では、なぜ顔がいくつもの方向を向いているの?
人の顔を見るとき、正面からは鼻の左右の幅がわかり、横からは鼻の突き出し方や額の形がわかります。キュビスムの画家たちは、こうした異なる角度からの情報を、一枚の平らな画面の中に組み合わせました。そのため、目は正面を向いているのに鼻は横顔のように見えるなど、日常の見え方とは違う人物像が現れます。
複数の視点を組み合わせる方法は、顔を奇妙に見せるための決まった手順だったわけではありません。対象の形や空間を分析し、絵画として再構成する中で、角度の異なる面が共存するようになりました。ブラックやピカソの絵を見るときは、まず鼻や額の輪郭、頬に当たる面を一つずつ探してみてください。別々に見える部分がつながった瞬間、そこに人物が立ち現れる感覚を味わえます。(参照:メトロポリタン美術館|ピカソ《座る裸婦》)
Q. キュビスムの絵は、なぜ茶色や灰色ばかりなの?
1910〜1912年頃、ピカソとブラックは茶色、灰色、黒、くすんだ緑などを使った絵を数多く制作しました。この時期は一般に「分析的キュビスム」と呼ばれます。鮮やかな色同士の効果を抑えることで、物の面を分解して組み直す操作や、線と形の関係に注意を集中しやすくなります。ギターや瓶を描いた作品では、対象と背景が似た色に溶け込み、細かな面が画面全体に広がっています。
同じ頃のフォーヴィスムが色彩の力を大胆に追究したのに対し、キュビスムのこの段階では形と空間の構造が中心的な問題になりました。色を絞ることは、画家たちが選んだ具体的な制作方法の一つでした。1912年以降、紙や印刷物を取り入れるようになると、鮮やかな色や文字も画面に現れます。キュビスム全体が地味な色の運動だったと考えるより、時期による変化を見ると面白くなります。(参照:メトロポリタン美術館|分析的キュビスムの作品解説)
Q. キュビスムには、なぜギターや瓶がよく登場するの?
キュビスムの静物画には、ギターやヴァイオリン、瓶、グラス、新聞などが繰り返し登場します。これらは20世紀初頭のパリのカフェやアトリエで身近に使われていた物です。楽器の曲線や穴、瓶の首、グラスの縁は、形を断片に分けても特徴が残りやすく、新しい絵画の実験に向いていました。形を大きく崩しても、一本の弦や丸い音孔からギターだと気づくことがあります。
ブラックが描いた楽器やメトロノームの静物画では、実際の物の形と絵の中の幾何学的な構造が重なり合います。ときには、物の輪郭よりも、その周囲の空間をつくる線が目立つこともあります。どこまで形を分解しても、見る人が対象を見つけられるのか。身近な物を何度も描くことは、その問いを試す方法にもなりました。見慣れた道具が、絵画の仕組みを考える材料になったのです。(参照:メトロポリタン美術館|ブラックとメトロノームの静物画)
Q. 「分析的キュビスム」と「総合的キュビスム」は、どう違うの?
キュビスムの歴史を調べると、「分析的」と「総合的」という二つの名前が登場します。分析的キュビスムが盛んだった1910〜1912年頃には、瓶や人物の形を細かな面に分け、重なった断片から対象を表そうとしました。見る人は、画面の中に散らばる輪郭や陰影の手がかりを集めて、もとの物を探すことになります。色彩も比較的抑えられていました。
1912年頃からの総合的キュビスムでは、色紙や新聞、木目を印刷した紙など、すでに形や模様を持った素材を組み合わせる方法が広がります。大きな色面や紙片が、瓶やテーブルの一部を示すこともあります。細かく分解していく方法から、素材や形を組み合わせて像を成立させる方法へ、制作の重点が移っていきました。この二つの呼称を知っておくと、作品の変化を年代順に追いやすくなります。(参照:メトロポリタン美術館|Cubism)
Q. 絵に新聞紙や壁紙を貼ることが、なぜ革命的だったの?
1912年、ブラックは木目を印刷した壁紙を切り取り、静物画の素描に貼り込みました。《果物皿とグラス》は、その初期の重要な例です。本物の木材を使わず、木に見える印刷物を貼ることで、絵の中の「描かれた物」と実際にそこにある「紙」との境界を揺さぶりました。ピカソもすぐにこの方法を取り入れ、新聞紙などを使った作品を制作します。
この紙を貼る技法はフランス語で「パピエ・コレ」と呼ばれます。ピカソはすでに1912年の《籐椅子のある静物》で、籐椅子の編み目を印刷した油布や縄を画面に使っていました。描く代わりに既成の素材を取り入れる実験は、絵画の材料や表現の範囲を広げていきます。新聞の活字は文字として読めると同時に、形や模様としても働きます。絵の中へ現実の紙が入り込んだことは、20世紀のコラージュや立体作品にも大きな影響を与えました。(参照:メトロポリタン美術館|ブラック《果物皿とグラス》)
Q. キュビスムを描いたのは、ピカソとブラックだけなの?
キュビスムはピカソとブラックの共同実験から出発しましたが、1910年代には多くの画家がその表現を発展させました。スペイン出身のフアン・グリスは、形を明快に組み立て、色彩や印刷物を緻密に配置した作品を制作しました。1914年の《カフェの男》では、新聞の断片を貼り合わせながら、帽子や人物の存在が感じられる画面を作っています。
フェルナン・レジェは円筒や円錐などの形を使い、力強い輪郭と鮮やかな色の対比へ関心を広げました。1914年の《村》には、家々や樹木が幾何学的な形に置き換えられています。ほかにもロベール・ドローネー、ソニア・ドローネー、ジャン・メッツァンジェらが、それぞれの方向へ実験を展開しました。キュビスムは少人数の秘密めいた研究から、ヨーロッパ各地に広がる豊かな表現へ発展していったのです。(参照:メトロポリタン美術館|グリス《カフェの男》)
Q. 第一次世界大戦で、キュビスムはどうなったの?
1914年に第一次世界大戦が始まると、パリで続いていた画家たちの交流は大きく変わりました。フランス人のブラックやレジェは軍務に就き、ピカソとブラックが緊密に進めていた共同制作も途切れます。キュビスムの最初の重要な展開を1907〜1914年と区切ることが多いのは、こうした歴史的な転換があったためです。美術の実験が戦争によって中断されるという、当時のヨーロッパの状況も見えてきます。
キュビスムで生まれた考え方や技法は、その後も引き継がれました。ピカソはさまざまな様式を行き来しながら制作を続け、グリスやレジェも独自の表現を深めていきます。幾何学的な形による空間の再構成や、紙片を組み合わせるコラージュは、のちの抽象絵画、デザイン、彫刻にも広がりました。1914年は一つの共同実験にとって大きな区切りとなり、その成果が別の場所で育っていく始まりにもなったのです。(参照:メトロポリタン美術館|レジェ《村》と第一次世界大戦)