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Art Quiz

美術は、疑問から面白くなる。絵画の見方から、作家たちの不思議な行動まで。楽しく学べる1問1答。
気になった問いを入口に、美術の世界をめぐってみませんか?

1965–1980 | コンセプチュアル・アートの美術史クイズ!

Q. コンセプチュアル・アートって、何が新しかったの?

1960年代後半、絵画や彫刻の完成した姿よりも、作品を生み出す考え方に重きを置く美術が大きく広がりました。それがコンセプチュアル・アートです。例えば、椅子を一脚置いて、その写真と辞書の説明を並べる。壁に何かを作るための指示を書く。毎日の日付を記録する。そこでは、色の美しさや形の巧みさとともに、「これを作品として見せると、何が起こるのか」という問いが重要になります。

背景には、ミニマル・アートが進めた形の単純化や、デュシャンが提示した美術の常識への問いかけがありました。ソル・ルウィットは1967年の文章で、作品として目に見える形にならなくても、アイデアそのものに意味があると論じています。言葉、写真、地図、記録、行為など、さまざまなものが美術表現の手段になりました。作品を前にしたとき、「どんな発想で、何を問いかけているのだろう」と考えてみることが鑑賞の入口になります。(参照:MoMA|Conceptual Art / MoMA|Alternatives to Institutional Settings)

Q. 完成した作品がなくても、アートになるの?

例えば、ある壁に一つの図形を描くための詳しい指示書があるとします。作家が考えたのは形と手順で、実際に壁へ描くのは別の人かもしれません。コンセプチュアル・アートでは、こうした指示や構想を作品の重要な部分として扱います。完成品の見た目が同じでも、それを生み出した規則や考え方を知ると、何を見ているのかが変わります。美術作品の中心が、目に見える物から発想や仕組みへと広がったのです。

ルウィットは1967年の「コンセプチュアル・アートについての段落」で、考え方が制作を進める原動力になると説明しました。実際に作られた物を見せる作品も、指示だけを示す作品もあります。言葉や記録を通して鑑賞者の頭の中に形が生まれる場合もあるでしょう。何かを想像する行為まで作品との関係に含まれると考えると、美術館で目の前の物を眺めるときとは別の楽しみ方が見えてきます。(参照:MoMA|Conceptual Art / MoMA|Language and Art)

Q. コスースは、なぜ椅子と写真と辞書を並べたの?

ジョセフ・コスースの《一つと三つの椅子》(1965年)には、木製の椅子、その椅子を撮影した写真、辞書から拡大した「椅子」という言葉の説明が並びます。目の前の椅子に座ることはできますが、写真の椅子には座れません。辞書の文章は椅子の意味を伝えます。同じ椅子を示しているのに、実物、画像、言葉では私たちが受け取る情報がそれぞれ違うのです。

コスースは、特別な形の椅子を作ったり、美しい写真を撮ったりすることで作品を成立させたわけではありません。ありふれた椅子と二つの表現を組み合わせ、物を理解する方法そのものを見せました。三つのうち、どれが本当の椅子なのでしょう。写真も辞書も椅子を示しているのに、なぜ実物とは違うのでしょう。作品の答えを一つに決めるより、この問いについて考える経験が重要になります。(参照:MoMA|Joseph Kosuth, One and Three Chairs / MoMA|One and Three Chairs(解説))

Q. ソル・ルウィットは、なぜ他の人に壁の絵を描いてもらったの?

ソル・ルウィットの「ウォール・ドローイング」では、作家が考えた図形や線の配置を、別の人が指示に従って壁へ描くことがあります。決められた場所に線を引く、一定の方法で線を重ねるといった手順が作品の基礎です。どんな形を生み出すのかという構想をルウィットが作り、実際に手を動かす人がそれを実現します。作曲家が楽譜を作り、演奏家が音を鳴らす関係に少し似ています。

この方法によって、同じ作品を異なる建物や壁で再び制作できます。壁の大きさや描く人の手の動きが変われば、見え方に違いが現れる場合もあります。それでも作品の核となるのは、作家が定めた指示とその考え方です。絵の前に立ったら、完成した線の美しさとともに、「どんなルールから、この模様が生まれたのだろう」と想像してみてください。作品を作る人と考える人の役割が変わる面白さが伝わってきます。(参照:MoMA|Sol LeWittと制作指示 / MoMA|Wall Drawing #1187)

Q. ローレンス・ウィナーは、なぜ文章を作品として発表したの?

ローレンス・ウィナーは1960年代後半から、物に加えられる変化や素材の状態を言葉で記した作品を発表しました。1968年の《36インチ四方の壁面を取り除くこと》は、壁の一部を取り除くという行為を文章で示した作品です。壁に実際の穴を開けてもよく、文字だけを読むこともできます。文章を読んだ人は、取り除かれた壁の形や、その奥にあるものを頭の中に思い浮かべることができます。

ウィナーは1968年にまとめた「意図の声明」で、作家が自分で作ることも、ほかの人が制作することも、実物を作らないことも認めました。作品が物質として実現するかどうかは、受け手に委ねられます。彼にとって言葉は、誰かに作品を説明するための付属物ではなく、それ自体が美術表現の重要な材料でした。壁に書かれた文章から、まだ目に見えない彫刻を想像する。そんな鑑賞体験が生まれるのです。(参照:MoMA|Lawrence Weiner(音声解説) / グッゲンハイム美術館|Lawrence Weiner)

Q. 河原温は、なぜ日付を描き続けたの?

河原温は1966年1月4日に「Today」シリーズを始め、制作した日の日付を一枚の絵画に描くことを長く続けました。色のついた単色の画面に、白い文字で日付が記されています。使われる日付の書き方は、その作品を制作した場所の習慣に合わせて変わります。例えば同じ一日を示す文字でも、国や言語によって並び方が違います。絵画として見えるのは数字や文字ですが、そこには「その日に制作した」という出来事も刻まれています。

河原は日付を丁寧に描き、真夜中までに完成できなかった作品は破棄しました。一日ごとに完成する絵は、その日を過ごしたという記録であり、時間が過ぎ去ったことを示す物でもあります。箱に新聞の切り抜きを添えた作品もあります。大きな出来事のあった日も、何事もなかったように見える日も、日付の姿はよく似ています。その絵を見ている自分の今日と、描かれた過去の一日を比べると、日々の時間が少し違って感じられます。(参照:グッゲンハイム美術館|On Kawara, Today Series)

Q. オノ・ヨーコは、なぜ作品の作り方を文章にしたの?

オノ・ヨーコは1960年代初頭から、短い言葉で行為や想像を促す作品を制作しました。1964年の著書『グレープフルーツ』には、絵画、音楽、詩、出来事などに関する多くの指示が収められています。すぐに試せるものもあれば、現実には実行しにくいものもあります。読む人は、書かれた行為を本当に行っても、頭の中でその場面を思い描いても構いません。文章を読むことが、そのまま作品との出会いにつながります。

この方法では、作家が完成品を見せることと同じくらい、読者が何を想像し、どう行動するかが重要になります。同じ指示を読んでも、人によって思い浮かべる景色や感覚は違うでしょう。オノが1960年代に発表した指示による作品は、後のコンセプチュアル・アートにも通じる先駆的な実践として評価されています。作品のページを開くと、鑑賞者がその中に参加する余地が残されているのです。(参照:MoMA|Yoko Ono / MoMA|Yoko Ono’s 22 Instructions for Paintings)

Q. オノ・ヨーコは、なぜ観客に服を切らせたの?

オノ・ヨーコの《カット・ピース》は、1964年に初演されたパフォーマンスです。演者は舞台に座り、観客が一人ずつ近づいて、はさみで衣服の一部を切り取ることができます。どこを切るか、どのくらい切るかによって、舞台上の様子は少しずつ変化します。作家がすべての動きを決めた演劇とは違い、観客の選択が作品の展開に直接関わります。そのため、毎回同じ結果にはなりません。

この作品については、与えることと受け取ること、他者の身体に触れる行為、見る人と見られる人の力関係など、さまざまな解釈がなされています。オノ自身は、相手が望むものを与える行為として説明したこともあります。観客は参加できる自由を与えられながら、自分がどこまで行動するのか判断を迫られます。完成した物を眺める代わりに、その場で起きる行為と緊張を通じて考える作品なのです。(参照:MoMA|Yoko Ono, Cut Piece(解説) / MoMA|Yoko Ono)

Q. ハンネ・ダルボーフェンは、なぜ数字を延々と書いたの?

ハンネ・ダルボーフェンは1960年代後半から、日付や数字を一定の規則に従って書き続ける作品を制作しました。例えば《三月》(1974年)は、透明感のある31枚の紙にインクで記された作品です。手作業で繰り返される数字の列は、帳簿や予定表のように見えます。彼女は日付を構成する数字を足すなど、暦をもとにした独自の手順を使いました。その仕組みが作品の構造を決めています。

数字は計算に使うものですが、ダルボーフェンにとっては時間を記録するための文字にもなりました。一日一日を積み重ねる作業と、出来上がった紙の膨大な量が結びつき、目に見えない時間の長さを感じさせます。数字をすべて解読しなくても、繰り返し書くという行為の重みは伝わります。河原温が一日を一枚の絵に刻んだのと同じ時代に、彼女は数と文字の連なりを通じて時間を考えていたのです。(参照:MoMA|Hanne Darboven, Month III (March) / ディア美術財団|Hanne Darboven)

Q. バルデッサリは、なぜ「退屈な美術は作らない」と何度も書いたの?

ジョン・バルデッサリは1971年、カナダのノヴァスコシア美術デザイン大学での展示に際し、学生たちに同じ英文を何度も壁へ書いてもらいました。内容は「私はもう退屈な美術を作りません」という宣言です。本人は現地を訪れず、学生に指示を送り、文章を書き続ける作業を任せました。学校の罰として同じ文を書き写す行為を思わせる、ユーモアのある作品です。

バルデッサリは、以前には風景画や抽象画を描いていましたが、1970年には過去の多くの絵を焼却し、写真や言葉を使った制作へ進みました。この作品では、「誰が実際に作ったのか」「学校で教わる美術の決まりは本当に必要なのか」といった問いが浮かびます。繰り返された文章は、決まり文句のようでもあり、従来の美術教育へのいたずらのようでもあります。見る人が思わず笑いながら、美術の習慣を考え直せるところが面白さです。(参照:MoMA|John Baldessari, I Will Not Make Any More Boring Art / MoMA|I Will Not Make Any More Boring Art(解説))

Q. ブロータースは、なぜ架空の美術館を作ったの?

ベルギーの作家マルセル・ブロータースは1968年、自分で館長を名乗り、「近代美術館・鷲部門」という架空の美術館を始めました。これは実際に運営される通常の美術館とは違い、看板、手紙、展示、印刷物などを組み合わせて展開する作品でした。1972年まで続いたこの計画には、美術館らしい名前や形式が登場します。作家は、美術館という制度そのものを作品の題材にしたのです。

美術館は、何を価値ある作品として紹介し、どのように説明するかを決める力を持っています。ブロータースは、その仕組みをまねてずらすことで、美術作品の価値や権威がどう作られるのかを問いかけました。彼が繰り返し使った鷲の図像も、国や権力の象徴を連想させます。展示されている物を見て「これはなぜ美術館にあるのだろう」と考えることまで、作品の一部になる。そんな仕掛けを持つ実践でした。(参照:MoMA|Marcel Broodthaers / MoMA|Department of Eagles)

Q. アイデアが作品なら、美術館は何を収蔵するの?

コンセプチュアル・アートの作品には、絵画や彫刻のように一つの完成品が残るものも、指示や文章をもとに繰り返し実現できるものもあります。美術館は、作品ごとの性質に合わせて、原稿、図面、写真、映像、制作の指示、展示に必要な条件などを収蔵・記録します。コスースの《一つと三つの椅子》では椅子、写真、辞書の文章が作品を構成し、ルウィットのウォール・ドローイングでは指示が再制作のよりどころになります。

ウィナーの作品のように、文章が作品として成立し、実物の制作が必須とされない場合もあります。こうした作品を展示するときには、何を同じ作品として受け継ぐのか、場所が変わっても何を守るべきかという判断が求められます。作品は一つの物として保存される場合も、指定された方法に従って新たに形になる場合もあるのです。美術館に行ったら、壁の説明や展示方法にも目を向けてみてください。作品の考え方が、意外なところに隠れているかもしれません。(参照:MoMA|Sol LeWittと制作指示 / グッゲンハイム美術館|Lawrence Weiner / MoMA|Joseph Kosuth, One and Three Chairs)

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