Q. フルクサスって、そもそも何をする集まりだったの?
フルクサスは、1960年代初めにヨーロッパやアメリカを中心に活動を広げた、国際的な芸術家たちのゆるやかなつながりです。画家や作曲家、詩人などが協力し、音楽会、短い指示文、手のひらに収まる小さな作品、印刷物などを発表しました。ときには身近な物を使い、食事や遊びに似た行為を作品にしました。美術館で絵を眺めるという習慣から、芸術を日々の生活の中へと広げようとしたのです。
中心人物のジョージ・マチューナスは企画や出版、作品の流通に力を注ぎました。オノ・ヨーコ、ジョージ・ブレクト、アリソン・ノウルズ、ナムジュン・パイクらの仕事は、形式も発想もさまざまです。彼らが共有したのは、芸術と生活の境目を揺さぶり、作品を作る人と楽しむ人の関係を変えようとする姿勢でした。小さく、軽く、誰かが実行できる作品も、フルクサスでは重要な位置を占めました。(参照:MoMA|Fluxus)
Q. 「フルクサス」という名前には、どんな意味があるの?
「フルクサス(Fluxus)」は、ラテン語に由来する「流れ」を連想させる言葉です。1960年代初め、リトアニア生まれのジョージ・マチューナスが、さまざまな国の作家の活動を結びつける名称として使い始めました。美術、音楽、詩、演劇といった分野を自由に行き来する動きに、この名前はよく似合いました。音や行為が生まれて消え、作品の形が変わり続けることも、重要な特徴でした。
マチューナスは1963年の宣言文で、美術の権威や古い価値観を揺さぶろうとしました。上品で高価なものだけが芸術だと考える社会への挑戦でもあります。フルクサスの作品に冗談や遊びが多いのは、単に人を笑わせるためではありません。何が作品として認められるのか、誰が芸術を楽しめるのか。そんな問いを、肩の力が抜けた方法で差し出したのです。(参照:ゲティ研究所|What Is Fluxus?)
Q. 1962年のフルクサスの音楽祭では、何が起こったの?
1962年9月、ドイツのヴィースバーデンで「フルクサス国際現代音楽祭」が開催されました。参加者にはジョージ・マチューナス、ディック・ヒギンズ、ベンジャミン・パターソン、アリソン・ノウルズ、ナムジュン・パイクらがいました。そこで披露されたのは、楽譜どおりに美しい旋律を演奏する音楽会とは大きく違う出来事でした。身近な物から音を出し、予想外の行為を繰り広げ、観客の常識を揺さぶる作品が上演されたのです。
この音楽祭は、フルクサスの名が広く知られるきっかけの一つになりました。美術家が音楽会に参加し、作曲家が物を扱い、演奏と演劇の境目が曖昧になる。そんな試みが、コンサートという形式の中で実現しました。当時の様子を記録した写真は現在MoMAにも収蔵されています。作品が生まれる瞬間の熱気と、分野を横断するフルクサスの姿勢を伝える貴重な記録です。(参照:MoMA|1962年ヴィースバーデンのフルクサス音楽祭)
Q. 音楽会でピアノを壊すことも、演奏になるの?
1962年のヴィースバーデンでは、作曲家フィリップ・コーナーの《ピアノ・アクティヴィティーズ》が上演されました。参加したのはマチューナスやヒギンズ、ノウルズらです。ピアノを普通に弾く代わりに、楽器そのものへさまざまな働きかけを行い、解体につながる激しい行為も展開されました。ピアノは旋律を奏でる道具であると同時に、叩けば音が鳴る物体でもあります。作品は、その当たり前の区別を揺さぶりました。
この上演を見ると「楽器がもったいない」と感じるかもしれません。そこには、演奏とは何か、何を音楽と呼ぶのかという挑発的な問いがあります。従来の音楽会で脇に置かれていた物音、身体の動き、観客の驚きが、作品の大切な要素になりました。フルクサスの活動にはこうした過激な上演もあり、日常の小さな行為を静かに見つめる作品と並んで、多彩な表現を生み出しています。(参照:MoMA|《ピアノ・アクティヴィティーズ》の記録)
Q. 短い指示を書いたカードだけで、美術作品になるの?
ジョージ・ブレクトの《ウォーター・ヤム》は、短い文章が印刷されたカードを箱に収めた作品です。1963年に刊行された版では、多数のカードにさまざまな出来事のための指示が記されていました。書かれた内容は、ごく簡単な動作や状況を思い浮かべるものです。読む人が実際に動いてみてもよく、頭の中で想像することもできます。作品は、一枚のカードとそれを受け取った人との間で始まります。
ブレクトは1950年代末、ジョン・ケージの実験音楽の授業に参加し、音楽のための指示や偶然を使った方法を探究しました。彼の「イベント・スコア」は、日常の小さな出来事に意識を向けさせます。紙の上の文字と実際に起きる行為、その両方が作品に関わっているのです。MoMAは《ウォーター・ヤム》を版画・出版物として収蔵しています。指示文自体が美術作品として残る点も興味深いところです。(参照:MoMA|ジョージ・ブレクト《ウォーター・ヤム》)
Q. 小さな作品を箱に詰めて販売したのは、なぜ?
フルクサスでは、印刷物やゲーム、小さな物体をまとめた《フルックスキット》が作られました。1960年代半ばには、アタッシェケースのような箱に、複数の作家による作品を入れたものも登場します。中には触れたり、読んだり、動かしたりして楽しむ物が収められていました。額に入れた一点物の絵画とは違い、持ち運びやすく、複数制作して人々に届けられる形を選んだのです。
企画や編集を担ったマチューナスは、作品を作家や美術館の中だけにとどめず、広く流通させようとしました。出版物や小さな複製作品を通して、離れた場所の人も同じ実験に参加できます。《フルックスキット》の販売価格には幅があり、制作には相応の費用もかかりました。大切なのは、複数の作家のアイデアを箱に集め、使う人の手元まで運ぶ仕組みそのものが作品の一部になっていたことです。(参照:MoMA|Fluxkit(フルックスキット))
Q. アイ・オーは、なぜ箱の穴に指を入れさせたの?
日本出身の作家アイ・オー(靉嘔)は、穴のあいた小さな箱に指を入れて体験する《フィンガー・ボックス》を制作しました。1960年代半ばにはフルクサスの出版作品としても発表されています。箱の中には外から見えない物が入っており、鑑賞者は指先の感触で何があるのか探ります。目で見て判断するという美術鑑賞の習慣が、触覚を使う体験へと変わる仕掛けです。
穴の向こうに何があるのかわからないため、指を差し入れる前には少し緊張するかもしれません。触れてみると、柔らかさや硬さ、意外な感触が立ち上がります。作品の面白さは、中身を当てることだけにあるわけではありません。自分の身体を使い、好奇心や不安を感じながら作品に関わるところにあります。フルクサスの小さな箱には、鑑賞者を受け身の立場から動かす工夫が詰まっていました。(参照:MoMA|アイ・オー《フィンガー・ボックス》)
Q. オノ・ヨーコは、なぜ箱の中に鏡を入れたの?
オノ・ヨーコの《ア・ボックス・オブ・スマイル》は、小さな箱を開けると内側に鏡がある作品です。1967年の構想から複数の版が作られ、MoMAにも収蔵されています。箱の題名は「笑顔の箱」。中に笑顔の写真や人形が入っていると想像する人もいるでしょう。実際に鏡に映るのは、箱をのぞいた鑑賞者自身の顔です。作品を見た人の表情が、その瞬間の作品の内容になります。
見る人が笑っていれば、その笑顔が箱の中に現れます。笑っていないときには、題名をきっかけに自分の顔や気持ちを意識することになるでしょう。オノ・ヨーコは、簡単な仕掛けから人の想像力や行動を引き出す作品を数多く制作しました。この箱でも、作者が用意した物と鑑賞者の参加が結びついています。大きな装置を使わずに、自分自身を作品の中へ招き入れる発想が魅力です。(参照:MoMA|オノ・ヨーコ《ア・ボックス・オブ・スマイル》)
Q. アリソン・ノウルズは、なぜ観客の前でサラダを作ったの?
アリソン・ノウルズの《メイク・ア・サラダ》は、文字どおり大勢の前で野菜を刻み、混ぜ、サラダを作る作品です。1962年にロンドンの現代美術協会(ICA)で初めて上演され、その後も各地で繰り返されてきました。料理をする音、野菜の手触り、食べる人たちの存在が、ひとつの出来事を形作ります。普段は台所で行う作業を、観客が集まる芸術の場に移したところに新鮮さがあります。
ノウルズは、こうした作品を「イベント・スコア」に基づく実践として捉えていました。何をするかという基本の手順は決まっていても、野菜の種類や会場、集まる人によって毎回違う時間が生まれます。作品に参加した人は、最後に同じサラダを分け合うこともできます。日常の行為が持つ音や動き、他者との関わりに注目すると、特別な道具がなくても新しい表現が生まれることがわかります。(参照:ウォーカー・アート・センター|The Evolution of a Salad)
Q. 塩見允枝子は、なぜ世界中の人へ手紙を送ったの?
日本の作家・塩見允枝子は、1965年に《スペイシャル・ポエム No.1》を始めました。世界各地の人に、言葉を書いたカードをどこかに置き、その言葉と場所を知らせてもらうよう依頼したのです。集まった返事をもとに、離れた土地で起きた小さな出来事が地図の上に示されました。参加者が同じ会場へ集まる必要はありません。郵便で交わされる手紙そのものが、作品を進める手段になっていました。
この作品では、作家がすべての結果を決めることはできません。どんな言葉を選び、どこへ置くかは参加者に委ねられています。離れた場所で実行された行為が、時間差で一つの作品につながるのです。塩見はこの方法をさらに発展させ、「スペイシャル・ポエム」を複数制作しました。インターネットが普及するずっと前から、国境を越えた共同制作の仕組みを芸術として実験していたことがわかります。(参照:MoMA|塩見允枝子《スペイシャル・ポエム No.1》)
Q. ナムジュン・パイクは、なぜ何も映らない映画を作ったの?
ナムジュン・パイクの《ゼン・フォー・フィルム》は、透明な16ミリフィルムを映写する作品です。1960年代半ばに発表されたこの映画には、物語も俳優の姿も映りません。映写機を通るフィルムに光が当たり、白い画面が現れます。ところが、映写を続けるうちに、フィルムに付いたほこりや傷が見えたり、観客の影が画面に重なったりします。何も撮影されていないように見える画面が、思いがけない変化を見せ始めるのです。
パイクは実験音楽やフルクサスの活動を通じ、いつもと違う方法で映像や音を体験する作品を作りました。《ゼン・フォー・フィルム》は、ジョン・ケージが沈黙の中の環境音に意識を向けさせた《4分33秒》とも比較されます。映画を見るという行為から物語を取り除くと、光、時間、映写機、観客の存在が前面に現れます。身近な仕組みを少し変えるだけで、見慣れた世界の別の側面に気づける作品です。(参照:SFMOMA|《ゼン・フォー・フィルム》解説)
Q. フルクサスとパフォーマンス・アートは、どう違うの?
フルクサスには、実際に人が行為を行う作品がたくさんあります。そのため、パフォーマンス・アートと重なる部分があります。違いを考えるときには、フルクサスが1960年代に形づくられた国際的な作家のネットワークであることが手がかりになります。活動には上演だけでなく、指示カード、出版物、箱入りの小作品、郵便を使った共同制作なども含まれていました。さまざまな表現を結びつける場として発展したのです。
パフォーマンス・アートは、作家や参加者の行為そのものを作品とする表現を広く指し、その歴史にはフルクサスに関わった作家も登場します。マリーナ・アブラモヴィッチやキャロリー・シュニーマンのように、身体と観客の関係を掘り下げた作家もいます。両者の歴史は部分的に交差しています。フルクサスを知ると、目立つ身体表現から、手元の小さなカードや物、日常生活の実験へと、美術を見る視点が広がります。(参照:MoMA|Fluxus)