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Art Quiz

美術は、疑問から面白くなる。絵画の見方から、作家たちの不思議な行動まで。楽しく学べる1問1答。
気になった問いを入口に、美術の世界をめぐってみませんか?

1965–1980 | ランドアート/アースワークの美術史クイズ!

Q. ランドアートは、なぜ美術館の外へ出ていったの?

1960年代後半、アーティストたちのなかに、絵画や彫刻を展示室に置くという従来の方法を大きく広げようとする動きが生まれました。山、砂漠、湖、草原を制作の場に選び、土や岩を動かしたり、そこに構造物を置いたり、歩いた痕跡を残したりする。そうした試みがランドアートとして知られるようになります。作品の大きさや場所によっては、美術館の展示室に運ぶこと自体ができません。鑑賞者は、作品の置かれた土地と向き合うことになります。

この動きは、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートが問い直していた「作品とは何か」という問題とも関係しています。作品の周囲の地形や空、光、そこへ到着するまでの距離までが体験に関わるためです。地面を大規模に掘り返す作家もいれば、草を踏んだ跡を写真に残す作家もいました。ランドアートの面白さは、自然の中で美しいものを作ることとともに、作品のある「場所」そのものを考えさせる点にあります。(参照:MoMA|Earthwork / メトロポリタン美術館|Land Marks)

Q. 「ランドアート」と「アースワーク」は、どう違うの?

どちらも1960年代後半から発展した、大地や自然環境を作品に取り込む美術を指す言葉です。「ランドアート」は自然の中で制作する幅広い活動を表し、「アースワーク」は地面そのものを掘ったり、盛り上げたり、岩や土で形を作ったりする作品を指すときによく使われます。実際の美術史では二つの言葉が重なり合って用いられ、同じ作品が両方の名前で紹介されることもあります。

例えばロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》は、岩と土を動かして湖に渦巻きを築いたアースワークの代表例です。リチャード・ロングのように、草地を歩く、石を並べるといった小さな行為も、広い意味でランドアートに含まれます。さらに、屋外で採集した石を室内に置き、地図や写真と組み合わせる作品もありました。名称の境界を厳密に引くより、作家が土地にどのような方法で関わったかを見ると、それぞれの違いがわかりやすくなります。(参照:MoMA|Earthwork / メトロポリタン美術館|Land Marks)

Q. スミッソンは、なぜ湖に巨大な渦巻きを作ったの?

ロバート・スミッソンは1970年、アメリカ・ユタ州のグレートソルト湖に《スパイラル・ジェティ》を制作しました。黒い玄武岩や土を運び、岸から湖へ約460メートルも続く渦巻き状の突堤を築いたのです。スミッソンが惹かれたのは、塩分の強い湖の赤みを帯びた水、岩石、結晶、そして長い時間をかけて変化する地形でした。人が作った幾何学的な渦巻きが、地質や水の作用と一緒に存在する作品になりました。

スミッソンは、物が時間の経過とともに変化し、崩れていく過程にも強い関心を持っていました。湖に置かれた岩は塩をまとい、水位や光の条件によって見え方が変わります。渦巻きの形は、上空から眺める写真でよく知られていますが、現地では足元の石や周囲の広さが視界に入ります。完成した瞬間の形だけを見せる彫刻とは違い、土地の時間とともに変わり続けることも、この作品の大切な特徴です。(参照:ディア美術財団|Spiral Jetty / ホルト/スミッソン財団|Spiral Jetty)

Q. 《スパイラル・ジェティ》は、湖に沈んでも作品なの?

《スパイラル・ジェティ》は、制作からわずか数年後の1972年に湖の水位が上がり、水中へ沈みました。その後も水位の変化によって姿を現したり、水面の下に隠れたりしてきました。私たちが写真で知っている渦巻きがいつでも地上から見えるとは限らないのです。それでも作品が失われたと考える必要はありません。スミッソンの制作には、環境の変化と時間の経過を作品に取り込む発想がありました。

湖水に含まれる塩が岩の表面で結晶になり、周囲の水が後退すると、制作時とは違う風景が現れます。所蔵・管理するディア美術財団は、定期的に写真を撮影して変化を記録しています。水位が下がった背景には長年の干ばつや取水の影響もあり、作品を見ることが湖の環境について考える機会にもなります。変化を受け入れる作品を、未来の人へどのように残していくのか。その難しさも作品の一部になっているのです。(参照:ディア美術財団|Spiral Jettyの変化 / ホルト/スミッソン財団|Changing Climate at Spiral Jetty)

Q. ハイザーは、なぜ砂漠に巨大な溝を掘ったの?

マイケル・ハイザーの《ダブル・ネガティブ》(1969年)は、ネバダ州のメサと呼ばれる平らな台地に掘られた二つの巨大な溝です。幅は約9メートル、深さは約15メートル。二つの溝は谷を挟んで向かい合い、途中に空間を残した一本の線のように見えます。約24万トンもの岩や土を取り除いて作られました。通常、彫刻は材料を積み上げたり削ったりして形を作りますが、ハイザーは地面から物質を取り去ることで作品を成立させました。

作品名の「ネガティブ」は、物が存在しない空間を意味しています。掘り取った部分と、谷を挟む何もない場所とがつながることで、私たちは目に見えない大きな形を感じます。近づけば崖の深さや足元の地形が迫り、遠くから眺めれば地面に引かれた巨大な直線に見えます。この作品は1985年にロサンゼルス現代美術館の収蔵品になりました。美術館が所有していても、実物は今も砂漠にあるという点も興味深いところです。(参照:ロサンゼルス現代美術館|Double Negative / ロサンゼルス現代美術館|作品データ)

Q. 《ライトニング・フィールド》は、雷が落ちないと完成しないの?

ウォルター・デ・マリアの《ライトニング・フィールド》(1977年)は、ニューメキシコ州の高原に400本のステンレス製の柱を整然と並べた作品です。設置範囲は東西約1マイル、南北約1キロメートルにも及びます。「稲妻の野原」という名前から、雷が落ちる瞬間を見る作品だと思うかもしれません。実際には、雷が発生しなくても作品を十分に体験できると、管理するディア美術財団は説明しています。

晴れた日でも、金属の柱は朝日や夕日を反射し、近くで見ると一本一本の高さや間隔が感じられます。時間帯と見る位置によって、無数の柱の並びは違う表情を見せます。ディア美術財団は、鑑賞者が長い時間をかけて作品を体験することを重視し、宿泊を伴う見学の仕組みを設けています。出来事の一瞬を待つというより、空の広がり、光の変化、自分の身体がいる場所に注意を向ける作品なのです。(参照:ディア美術財団|The Lightning Field / ディア美術財団|鑑賞案内)

Q. ナンシー・ホルトは、なぜ砂漠に巨大な筒を置いたの?

ナンシー・ホルトの《サン・トンネルズ》(1973〜1976年)は、ユタ州の砂漠に四つの巨大なコンクリート製の筒を置いた作品です。筒は長さ約5.5メートル、直径約2.7メートル。夏至と冬至の日の出と日没を、筒の向こうに見ることができるよう配置されています。筒の側面には小さな穴が開いていて、その並びは特定の星座に対応しています。穴から差し込む光は、時間とともに内側の壁や床を移動していきます。

広大な砂漠に立つと、地平線や空の大きさをつかみにくく感じることがあります。ホルトは筒という限られた空間を通して景色を切り取り、太陽の動きや季節の移り変わりに目を向けさせました。実際に中へ入り、周囲を歩くことで、遠い星や太陽の動きが身体の近くに感じられます。作家は光や時間、そして見るという行為そのものを作品に組み込んだのです。(参照:ディア美術財団|Sun Tunnels / ホルト/スミッソン財団|Sun Tunnels)

Q. リチャード・ロングは、なぜ歩いた跡を作品にしたの?

イギリスの作家リチャード・ロングは1967年、草地の同じ場所を何度も行き来して一本の線を作り、写真に収めました。《歩くことでできた線》として知られるこの作品では、絵の具も彫刻用の石も使っていません。人が歩くというごく普通の行為によって、地面に一時的な形が現れたのです。大規模な重機を使って土地を変える作品と比べると、その方法は驚くほどささやかです。

草についた線は、時間がたつと消えていきます。ロングは自然の中を移動すること、歩いた時間、足跡といった経験を作品の重要な要素にしました。そして写真が、その場で起きた行為を離れた場所へ伝えます。作品の中心にあるのは完成した大きな物体ではなく、ある場所で一人の人間が歩いたという出来事です。ランドアートには、こうした小さく、短い時間しか残らない表現も含まれています。(参照:リチャード・ロング公式サイト|A Line Made by Walking / テート|作品解説)

Q. クリストとジャンヌ=クロードは、なぜ山を越える布の柵を作ったの?

クリストとジャンヌ=クロードは1976年、カリフォルニア州の丘陵地帯から太平洋まで、白い布の柵を約39.4キロメートルにわたって設置しました。《ランニング・フェンス》という作品です。高さ約5.5メートルの布が丘を越え、谷を下り、遠くの海へと続きました。ふだんは一続きに意識しない広い土地が、白い線によって目の前に浮かび上がるように見えます。風に揺れる布や、空と丘との境界も作品の一部でした。

この作品は約2週間の展示後に撤去されました。実現までには牧場主たちとの協力、土地の使用許可、公聴会、環境影響に関する調査など、長い準備が必要でした。作家たちは完成後の景観だけでなく、その土地に暮らす人々との交渉や共同作業にも深く関わっています。大規模な一時的作品を作ることが、風景の見方を変えるだけでなく、人々と土地の関係を浮かび上がらせることにもつながりました。(参照:クリストとジャンヌ=クロード公式サイト|Running Fence / ワシントン・ナショナル・ギャラリー|Running Fence)

Q. アナ・メンディエタは、なぜ大地に人の形を残したの?

アナ・メンディエタは1973年から、「シルエタ」シリーズと呼ばれる作品を制作しました。土、砂、草、花、木の枝、ときには火などを使い、人間の身体を思わせる形を大地に残します。実際に自分の身体を地面に横たえて痕跡を作ることもありました。作品は雨や風によって変わり、やがて消えていきます。写真や映像に記録されているものが多く、私たちはその記録を通して作品に出会います。

キューバに生まれ、幼い頃にアメリカへ渡ったメンディエタにとって、身体と土地の関係には、故郷や帰属、自分がどこにいるのかという問題も重なっていました。大地に残した人の形は、身体がそこにあったことを示しながら、身体そのものが去ったあとの不在も感じさせます。同じランドアートでも、巨大な地形を作るスミッソンやハイザーとは違う方法で、場所と人間の結びつきを探っていたのです。(参照:グッゲンハイム美術館|Ana Mendieta, Silueta Series / メトロポリタン美術館|Land Marks)

Q. 大地にある作品を、美術館はどうやって展示するの?

遠くの砂漠や湖にあるランドアートの実物を、美術館の展示室へそのまま運ぶことは困難です。そのため、作家たちは写真、映像、地図、図面、文章などを通して作品を紹介してきました。例えばスミッソンは1968年から「ノンサイト」と呼ぶ作品を制作しています。ある土地で採集した岩石を箱に入れ、その土地を示す写真や地図と一緒に展示することで、室内と遠くの場所を結びつけました。

写真は現地での体験を伝える重要な手段であり、それ自体が作品の構成要素になる場合もあります。スミッソンの《スパイラル・ジェティ》には制作過程を扱った映像も残されています。美術館は屋外作品を収蔵・管理し、変化の記録や保存活動を続けることもあります。展示室の写真を見たあとで、実際にそこへ行くと何が違って感じられるのか。ランドアートは、作品の本体と記録の関係についても考えさせてくれます。(参照:ホルト/スミッソン財団|A Nonsite (Franklin, New Jersey) / メトロポリタン美術館|Land Marks / ディア美術財団|Spiral Jetty)

Q. 大地を使うアートは、自然を傷つけないの?

ランドアートと自然環境の関係は、今も考え続けられている問題です。ハイザーの《ダブル・ネガティブ》では約24万トンの岩や土が取り除かれました。スミッソンの《スパイラル・ジェティ》でも、大型機械を使って大量の石を湖岸へ運んでいます。作品によって土地への働きかけの大きさは違い、制作の影響を考えるには、周囲の地形や生態系、その後の管理方法まで見る必要があります。

スミッソンは採掘跡地の再生にも関心を向け、1970年代初めには鉱山跡を使う計画を提案していました。また《ランニング・フェンス》では環境影響の調査と地元住民との交渉が制作過程に含まれていました。今日では、水位が大きく変わったグレートソルト湖の環境問題も《スパイラル・ジェティ》の保存と結びついています。自然を作品の材料にすることは、その土地をどう扱い、誰と関わり、将来へ何を残すのかという問いにもつながります。(参照:ロサンゼルス現代美術館|Double Negative / ホルト/スミッソン財団|Smithson’s land ethic / クリストとジャンヌ=クロード公式サイト|Running Fence)

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