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Art History

紀元前3100–2650

古代エジプト初期王朝時代

王権の浮彫と王墓

紀元前4千年紀の終わり、ナイル川沿いの集落では、毎年の氾濫で潤う土地を利用して穀物を育て、牛や羊を飼い、川を船で行き来していました。上流の谷と下流のデルタには、それぞれ異なる地域社会が育っていました。墓には土器、石製容器、装身具が納められ、動物や人間を刻んだ小さな石板も作られています。こうした文化の中から、紀元前3100年頃、王を中心に広い地域を統治する仕組みが形を整えていきました。

初期王朝時代には、王の名前を囲んだ四角い標章、王が敵を打つ姿、鳥や蛇などの記号が、石板や石碑、象牙の小札に刻まれました。王の墓には日干し煉瓦で組んだ地下室が設けられ、広大な壁に囲まれた葬祭施設も築かれています。高さ64センチの《ナルメルのパレット》や、アビドスの王墓から出た碑は、後のエジプト美術にも繰り返し現れる王権の姿をすでに示しています。

残された作品からは、王の姿をどのような順序と大きさで見せたのか、彫刻と文字をどう組み合わせたのかを知ることができます。一方、《ナルメルのパレット》が実際の戦いを記録したのか、王の支配を象徴的に示したのかは、研究者によって見方が異なります。墓の規模や副葬品も詳しく調査されており、初期王朝の王権と死者の扱いについて新しい発見が続いています。

ナイル川沿いに成立した王権

上エジプトと下エジプトの文化が結びつく

ナイル川は南から北へ流れ、細長い谷を抜けて地中海に注ぎます。古代エジプトでは上流の谷を上エジプト、河口のデルタを下エジプトと呼びました。紀元前4千年紀には、上エジプトのアビドス、ナカダ、ヒエラコンポリスなどで大きな墓を持つ有力者が現れ、下流域との交流も広がっていました。

後世の王名表では、国土を統一した最初の王はメネスと伝えられます。一方、王名を記した当時の土器や印章にはナルメルとホル・アハの名が残り、ナルメルを第1王朝最初の王とする見解が有力です。メネスが誰を指すのか、国土がどのような過程で統合されたのかには未解明の点があります。(参照:ロンドン大学UCL|ナルメル王の出土記録、アシュモリアン博物館|エジプト文明の起源)

紀元前3100年頃という年代の根拠

初期王朝の年代は、王名の順序を記した遺物、各墓から出土した土器の型、炭化した植物などの年代測定を組み合わせて考えられています。同じ王の治世でも研究者によって年代に幅があるため、紀元前3100年頃という表記は特定の一年を指しません。

マイケル・ディーらは2013年、放射性炭素の測定結果と土器の年代順序を統計的に組み合わせ、第1王朝のホル・アハ王の即位を紀元前3111〜3045年の範囲に推定しました。これは可能性の高い範囲を示す結果で、即位年が確定したという意味ではありません。発掘資料の追加に応じて年代の研究も更新されています。(参照:Deeほか(2013)|放射性炭素年代による初期エジプトの王朝年代、ウィーン大学|アビドスB墓域の土器編年と王墓)

ナルメルのパレットに刻まれた二つの王冠

高さ64センチの石板と神殿での発見

《ナルメルのパレット》は、高さ64センチ、幅42センチの暗い色のシルト岩で作られています。化粧用の顔料をすりつぶす石板に由来する形式ですが、両面に多数の図像を刻んだ大型品で、日常の化粧道具として使うには不向きです。輪郭の外側まで精密に磨き、人物や動物を低い浮彫に仕上げています。

考古学者ジェームズ・キベルとフレデリック・グリーンは1897〜1898年に、ヒエラコンポリスのホルス神殿跡でこの石板を発見しました。神殿に奉納された品物の一つと考えられています。現在はカイロのエジプト博物館に収蔵されており、初期のヒエログリフと図像が一体になった作品として知られます。(参照:カイロ・エジプト博物館|ナルメルのパレット、エジプト観光・考古省|ナルメルのパレット)

白い王冠と敵を打とうとする王

石板の一方の面では、上エジプトを示す白い王冠をかぶったナルメル王が、片手で敵の髪をつかみ、もう一方の手に持った棍棒を振り上げています。王の身体は大きく、敵はひざまずいた小さな人物として表されました。王の後ろには王の履物を扱う従者、足元には倒れた敵がいます。

王の前方にはハヤブサの姿のホルス神が描かれ、紐で結ばれた人物の頭とパピルスの茎を組み合わせた図像に接しています。パピルスは下エジプトと結びつく植物です。人物の大きさを地位に応じて変え、複数の図像で王の優位を示す方法は、その後の王の戦勝表現でも繰り返されました。(参照:カイロ・エジプト博物館|ナルメルのパレット、Smarthistory|ナルメルのパレットの図像と解釈)

赤い王冠と首を交差させる二頭の動物

反対側ではナルメル王が下エジプトの赤い王冠をかぶり、旗を掲げる者と従者を伴って進みます。前方には首を切られた敵が並び、上方を向いた足の描き方も含めて、戦いの結末を示す場面と読まれています。王はここでも周囲の人物より大きく彫られています。

その下には、長い首を曲げて互いに交差させた二頭の架空の動物と、首輪を引く二人の人物が描かれています。曲がった首の内側が丸く囲まれ、石板のくぼみの位置にもなっています。この図像を上エジプトと下エジプトの結合の象徴と読む説がありますが、動物の意味や、場面同士の関係には複数の解釈が残っています。(参照:エジプト観光・考古省|ナルメルのパレット、Smarthistory|ナルメルのパレットの図像と解釈)

統一戦争の記録か、王権の象徴か

《ナルメルのパレット》は、王が上下エジプト両方の王冠を身につけることから、国土統一を記念した作品と説明されてきました。二つの王冠が一人の王に結びつけられていることは確かでも、描かれた敵が誰で、どの戦いがあったかを確定できる記録はありません。

美術史研究では、具体的な勝利を記念した図像とみる読み方に加え、王が秩序を守る支配者であることを神殿で示す象徴的な画像とみる解釈が提示されています。石板の発見場所が神殿であることも考慮されます。王の打撃場面を政治的な主張として読むことと、実際の戦争が起きたと断定することは区別されます。(参照:Smarthistory|ナルメルのパレットの図像と解釈、ロンドン大学UCL|ナルメル王の出土記録)

王名の標章と小さな浮彫

ハヤブサと宮殿の正面を組み合わせた王名

ナルメル王の名前は、上下に区切った長方形の枠の中に、ナマズと鑿のような記号を組み合わせて記されます。枠の下辺には凹凸のある宮殿正面の模様があり、上にはホルス神を表すハヤブサが載ります。この王名標章は「セレク」と呼ばれ、初期の王が自分を示す大切な図像でした。

セレクは石板の最上部だけでなく、封泥、容器の表面、墓碑にも現れます。同じ形式に異なる王の名を入れられるため、王の印と建築の姿を組み合わせた表示として機能していました。後のエジプトでよく知られる楕円形の王名枠とは形が異なります。(参照:ロンドン大学UCL|ナルメル王の出土記録、エジプト観光・考古省|ナルメルのパレット)

ジェト王の墓碑に刻まれた蛇とハヤブサ

ルーヴル美術館の《ジェト王の墓碑》(E11007)は、高さ143センチ、幅65.5センチ、厚さ25センチの石灰岩の碑です。上部は丸みを持ち、表面にはハヤブサ、蛇、宮殿正面形の枠という限られた要素が大きく彫られています。蛇はジェト王の名を表す記号で、セレクの内部に置かれています。

この墓碑はアビドスのジェト王墓から発見されたもので、周囲を飾る場面や長い文章を設けず、王名とホルスの結びつきを強調しています。ルーヴル美術館の収蔵記録は、石材を石灰岩、技法を浮彫としています。墓の標識に王の名と象徴が組み込まれている具体例です。(参照:ルーヴル美術館|ジェト王の墓碑E11007、ロンドン大学UCL|ジェト王の墓Z)

王墓の周囲に立てられた個人の碑

アビドスで王墓に付随する小墓からは、王族や役人、従者と考えられる人物の名前を刻んだ碑も見つかっています。ロンドン大学UCLが紹介する石灰岩碑UC14273には、カイネイトという女性の名と称号が刻まれ、デン王の墓の近くから出土しました。称号の読み方から王との関係が議論されています。

ジェト王墓の近くで見つかったアハネイトの碑UC14268も同じ墓域の出土品です。人物の全身像が彫られていなくても、名前、記号、石材を組み合わせた墓碑は、王墓の周辺に埋葬された人々を識別する造形として用いられました。(参照:ロンドン大学UCL|アビドスの第1王朝の墓碑)

アビドスの王墓と日干し煉瓦の建築

王の墓が並ぶウンム・エル=カアブ

上エジプトのアビドスには、王の墓が砂漠の縁にまとまって残るウンム・エル=カアブ墓域があります。ナルメルに帰属すると考えられるB17・B18墓、ホル・アハのB10・B15・B19墓、ジェル王のO墓、ジェト王のZ墓などが、時期を追って築かれました。埋葬室の木造部分は多くが失われ、現在は主に日干し煉瓦の地下構造が確認できます。

墓の帰属は王名を記した土器や封泥、出土品の組み合わせから検討されています。ウィーン大学のB墓域研究では、土器の型を再整理することによって、王墓の前後関係や初期国家形成の年代を検証しました。ナルメル墓の帰属についても「可能性が高い」という段階の部分があります。(参照:ロンドン大学UCL|アビドスの第1・第2王朝の王墓、ウィーン大学|アビドスB墓域の土器編年と王墓)

ジェト王墓とデン王墓の地下室

ジェト王のZ墓では、約19メートル×15メートルの主墓域に地下埋葬室が造られ、その周囲に小さな墓が設けられました。王の墓は日干し煉瓦を積み、木材で内側を組んだ構造でした。埋葬に必要な物を納める部屋と周辺の墓が一つの複合体を成しています。

デン王のT墓は、周辺の小墓を除いた中心部分が約25.5メートル×16.4メートルあります。階段で地下へ降りる構造や、石を用いた床の整備など、時期による建築の変化が知られています。墓の構造と副葬品は、王の死後に必要とされたものがどのように整えられたかを示します。(参照:ロンドン大学UCL|ジェト王の墓Z、ロンドン大学UCL|デン王の墓T)

サッカラとタルカンの宮殿正面形の墓

下エジプト側のメンフィス周辺やタルカンには、長方形の大きな墓の上部を日干し煉瓦で築いた例があります。アラビア語で「ベンチ」を意味するマスタバと呼ばれ、外壁には浅いくぼみと突き出した部分を交互に並べて、宮殿の正面のような外観を作りました。

タルカンの大型墓では、凹凸のある外壁が残り、壁面を彩色していた痕跡も確認されました。こうした大きな墓の被葬者を王自身とみる解釈もかつてありましたが、アビドスの王墓と比較して、高官などの墓と考える見方もあります。建物の外形が似ていても、被葬者の身分を一律に決めることはできません。(参照:ロンドン大学UCL|タルカンの宮殿正面形を持つ墓、ロンドン大学UCL|タルカン大型墓の壁面彩色と復元)

王の死後の儀礼を支えた大きな囲郭

王墓から離れた葬祭施設

アビドス北側の墓域には、王墓から離れた位置に、日干し煉瓦の高い壁で大きな空間を囲む建物が築かれました。これらは葬祭囲郭と呼ばれ、長方形の壁の一部に凹凸を付け、内部に広い中庭を確保しています。墓が遺体を埋葬する場所であるのに対し、囲郭では供物を捧げる行為や王を記念する儀礼が行われたと考えられています。

考古学者ローレル・ベストックは2008年の研究で、ホル・アハ王に帰属する囲郭が少なくとも三つあること、囲郭の造りや併設墓の形式が第1王朝を通じて変化したことを整理しました。囲郭は後世のピラミッドと似た目的を持つ葬祭建築の先行例ですが、当時の儀礼の具体的な内容は不明な部分が多くあります。(参照:Laurel Bestock(2008)|アビドス初期王朝の葬祭囲郭の調査、ロンドン大学UCL|アビドスの王墓と葬祭囲郭の配置)

舟と小墓が囲郭の周辺に置かれる

アビドスの囲郭の一つの近くでは、全長のある木製の舟を納めた複数の細長い墓が見つかっています。考古学調査では14隻分の舟の埋納が確認され、王の葬送や死後の儀礼と関係した可能性が検討されています。舟の埋納と人物の小墓は、囲郭が単なる外壁ではなく、複数の設備を組み合わせた施設だったことを示します。

第1王朝の王墓や囲郭には周辺の人々の墓が設けられました。そのため長い間、王の死に合わせて家臣を犠牲にしたという説が論じられてきました。一方、個々の墓が建てられた時期は一様ではない可能性があり、遺体が近くにあるという事実だけで全員が同時に死んだとは決められません。(参照:ペンシルヴェニア大学博物館|アビドスの船と初期王権の埋葬、Laurel Bestock(2008)|アビドス初期王朝の葬祭囲郭の調査)

メリトネイトの墓と女性の権力

王たちと同じ墓地に築かれた女性の大墓

第1王朝のメリトネイトは、アビドスの王墓域で独立した大型墓Yを持つ女性です。王たちの墓と並ぶ場所に埋葬されたことは、当時の政治的地位の高さを示唆しています。後世の王名表でどのように扱われたかも含め、彼女が王位についたのか、幼い王に代わって統治したのかについては研究者の見解が分かれています。

クリスティアナ・ケーラーらが進める2023年の再調査では、メリトネイトの中心墓室の周囲に41基の小墓があることが報告されました。主墓と周辺の小墓は日干し煉瓦、土、木で造られています。発掘では建造の時期に差があることも確認され、すべてを一斉に築いたとする説明は再検討されています。(参照:ドイツ考古学研究所(2023)|メリトネイト墓の再発掘、ロンドン大学UCL|アビドスのメリトネイト葬祭囲郭)

封じられた葡萄酒壺と財産の記録

メリトネイト墓の調査では、多数の大きな葡萄酒壺が見つかり、一部には封をした当時の状態が残っていました。壺の内部からは葡萄の種なども確認されています。液体の容器を墓に納める習慣が、王家の葬祭と深く関わっていたことが分かります。

ドイツ考古学研究所は2023年、メリトネイトの名と中央の財務を扱う組織を結びつける石製容器の銘文についても報告しています。これは彼女の権威を考える資料ですが、実際にどのような官職を担ったのかを確定するものではありません。個人の政治的な役割と、墓の副葬品の豊かさを区別して読み解く必要があります。(参照:ドイツ考古学研究所(2023)|メリトネイト墓の再発掘、ウィーン大学(2023)|メリトネイト王墓の葡萄酒壺)

象牙札と小さな工芸品に残る王の姿

デン王のサンダルに付けられた象牙札

大英博物館の《デン王のサンダル札》(EA55586)は、高さ4.5センチ、幅5.3センチ、厚さ0.3センチの象牙製品です。上部に紐を通す穴があり、裏側にはサンダルの絵が刻まれています。表面では王が敵を打とうとして大きく踏み込み、敵は身体を崩して倒れかけています。

王の名はハヤブサを載せたセレクに入り、右側にはジャッカル神ウェプワウェトの標章があります。銘文は「東方を打つ最初の機会」に当たる内容と解釈されます。制作年代はおおむね紀元前3000年頃です。ナルメルのパレットに見られる「敵を打つ王」の形式が、手のひらほどの札にも用いられていた例です。(参照:大英博物館|デン王のサンダル札 EA55586)

浮彫と文字は一緒に読まれていた

デン王の象牙札では、王名の文字と王の身体が同じ方向を向き、敵だけが反対を向きます。大英博物館の解説は、この向きの違いによって人物の優劣が示され、王が敵を打つ場面が銘文の意味を補うと説明しています。王の後ろ足のかかとを上げた描写は、強く踏み出す動きを明確にしています。

このような小札は、物の所有者や品目だけでなく、王の治世中の出来事を示すためにも使われました。一つの札には図像、初期の文字、製品の識別という複数の役割が重なっています。絵をただの飾りとみなすと、記録としての働きを見落とします。(参照:大英博物館|デン王のサンダル札 EA55586)

動物の脚をかたどる家具と小さな獅子

初期王朝の墓には、象牙を用いた家具の脚や木製寝台も納められました。メトロポリタン美術館のデン王墓出土品(01.4.91)は、高さ6.1センチ、幅3.9センチの象牙製の家具脚と考えられる遺物です。同館の別の寝台には、牛の前脚と後脚を区別して表した脚が付いています。家具の支えにも動物の姿が取り入れられていました。

同館にある長さ8.7センチの獅子形遊戯駒(03.4.13)は、アビドスの神殿跡から出土した象牙製品です。身を伏せた獅子の背と顔を丸みのある小さな塊に収めています。後の時代に描かれた盤上遊戯の場面との比較から、遊戯駒としての用途が考えられています。(参照:メトロポリタン美術館|デン王墓の象牙製家具脚 01.4.91、メトロポリタン美術館|動物の脚を持つ木製寝台、メトロポリタン美術館|獅子形の象牙製遊戯駒)

第2王朝の王像と巨大な囲郭

カセケム王の石灰岩坐像に刻まれた敵

第2王朝末のヒエラコンポリスでは、王冠をかぶって椅子に座るカセケム王の石灰岩像が見つかりました。現在オックスフォードのアシュモリアン博物館に収蔵され、王は上エジプトの白い王冠と長い衣を身につけています。腕を身体の前に置いた座像の足元には、王名を囲んだセレクが刻まれています。

台座の側面には倒れた敵を表した図像が刻まれています。後のエジプト彫刻で盛んに作られる、椅子に座る王の石像の初期例として注目されています。王名カセケムと後の名カセケムウィとの関係、敵の数を示す数字がどの出来事を指すかについては、複数の研究上の論点があります。(参照:マクナマラほか(2017)|カセケム王の石灰岩坐像、ヒエラコンポリス発掘隊|Nekhen News 第29号・カセケム像の研究)

高さのある日干し煉瓦壁と葬祭囲郭の変化

アビドスのシュネト・エル=ゼビブは、第2王朝最後の王カセケムウィの葬祭囲郭と考えられています。大規模な長方形の区画を厚い日干し煉瓦壁で囲み、外側には宮殿正面を思わせる凹凸を付けています。多くの初期王朝の囲郭が低い遺構として残るなか、この建物には高く立ち上がった壁が保存されています。

アビドス考古学プロジェクトでは、残る壁の記録と保存作業を続け、王墓や葬祭施設が後の大規模な石造建築にどうつながるかを調べています。第2王朝の終わり頃に大型の墓と囲郭が整えられたことは確認できますが、そこで行われた儀礼の順序や人々の役割についてはなお研究が続いています。(参照:アビドス考古学プロジェクト|カセケムウィの葬祭囲郭、Laurel Bestock(2008)|アビドス初期王朝の葬祭囲郭の調査)

略年表

  • 紀元前3100年頃|ナルメル王の時代。ヒエラコンポリスで《ナルメルのパレット》が神殿に奉納される。
  • 紀元前3100〜3000年頃|アビドスのB墓域でナルメルとホル・アハに帰属する墓が造られる。
  • 紀元前3000年頃|アビドスでジェル、ジェトらの王墓と周辺の小墓が築かれる。
  • 紀元前3000〜2900年頃|ジェト王の名とホルスを表した石碑が設けられる。
  • 紀元前3000〜2900年頃|メリトネイトの大型墓とデン王の墓が造られ、象牙製の札や家具類が納められる。
  • 紀元前2900〜2700年頃|第2王朝が続き、王名を刻んだ印章や大型の葬祭建築が作られる。
  • 紀元前2700年頃|ヒエラコンポリスのカセケム王坐像、アビドスのカセケムウィ葬祭囲郭が作られる。

まとめ

初期王朝時代のエジプトでは、石板の大きな人物像、王名を刻んだ碑、象牙の小札、日干し煉瓦の王墓と囲郭など、異なる大きさと素材の造形が作られました。《ナルメルのパレット》には王を大きく、敵を小さく描く方法や、王冠、動物、文字を一つの画面に組み合わせる方法が見られます。ジェト王の墓碑やデン王の象牙札にも、人物像と王名を結びつける同時代の表現が残っています。

アビドスの王墓の配置、煉瓦造りの地下室、葬祭囲郭、出土した壺や木製品は、死者のための設備がどのように築かれたかを具体的に伝えます。一方、ナルメルの図像が実際の征服を表したのか、王の権威を示す儀礼的な表現だったのかについては議論があります。メリトネイトの政治的地位や、王墓の周囲に埋葬された人々がどのように亡くなったのかも、再発掘によって見直されています。初期王朝の作品と遺構は現在も調査が続けられ、その制作目的と歴史的な背景について新しい解釈が検討されています。

参考資料・出典

  1. ロンドン大学UCL|ナルメル王の出土記録
  2. アシュモリアン博物館|エジプト文明の起源
  3. Deeほか(2013)|放射性炭素年代による初期エジプトの王朝年代
  4. ウィーン大学|アビドスB墓域の土器編年と王墓
  5. カイロ・エジプト博物館|ナルメルのパレット
  6. エジプト観光・考古省|ナルメルのパレット
  7. Smarthistory|ナルメルのパレットの図像と解釈
  8. ルーヴル美術館|ジェト王の墓碑E11007
  9. ロンドン大学UCL|ジェト王の墓Z
  10. ロンドン大学UCL|アビドスの第1王朝の墓碑
  11. ロンドン大学UCL|アビドスの第1・第2王朝の王墓
  12. ロンドン大学UCL|デン王の墓T
  13. ロンドン大学UCL|タルカンの宮殿正面形を持つ墓
  14. ロンドン大学UCL|タルカン大型墓の壁面彩色と復元
  15. Laurel Bestock(2008)|アビドス初期王朝の葬祭囲郭の調査
  16. ロンドン大学UCL|アビドスの王墓と葬祭囲郭の配置
  17. ペンシルヴェニア大学博物館|アビドスの船と初期王権の埋葬
  18. ドイツ考古学研究所(2023)|メリトネイト墓の再発掘
  19. ロンドン大学UCL|アビドスのメリトネイト葬祭囲郭
  20. ウィーン大学(2023)|メリトネイト王墓の葡萄酒壺
  21. 大英博物館|デン王のサンダル札 EA55586
  22. メトロポリタン美術館|デン王墓の象牙製家具脚 01.4.91
  23. メトロポリタン美術館|動物の脚を持つ木製寝台
  24. メトロポリタン美術館|獅子形の象牙製遊戯駒
  25. マクナマラほか(2017)|カセケム王の石灰岩坐像
  26. ヒエラコンポリス発掘隊|Nekhen News 第29号・カセケム像の研究
  27. アビドス考古学プロジェクト|カセケムウィの葬祭囲郭