紀元前2030–1640
古代エジプト中王国時代
王の彫像と葬祭建築
ナイル川の氾濫が運ぶ泥は、エジプトの耕地を潤すとともに、都市や神殿の周囲に農村を支えていました。古王国末期の王権が弱まった後、各地の有力者が独自の墓や記念碑を築く時代が続きます。紀元前21世紀頃、南部のテーベを拠点としたメンチュヘテプ2世が上下エジプトを再統一し、中王国と呼ばれる時代が始まりました。
再統一後の王たちは行政の拠点を整え、ナイル流域の農業・採石場・交易路を利用して建設事業を進めました。テーベ西岸の山裾には柱廊を重ねた葬祭殿が造られ、やがて北部のリシュトやダハシュールにも王のピラミッドが再び建設されます。カルナックの神殿では細密な浮彫を刻んだ石造礼拝堂が建てられ、地方の有力者は崖を掘り込んだ墓室に農耕や狩猟の絵を描かせました。
硬い石で作られた王像、金に宝石をはめ込んだ胸飾り、彩色された木の模型や棺には、それぞれ異なる制作技術が使われています。出土位置と碑文が明らかな作品をたどると、王権を表す造形と、人々が死後の生活のために用意した品々が、どのように作り分けられていたかが分かります。
CONTENTS
再統一の王メンチュヘテプ2世とテーベの葬祭殿
デイル・エル=バハリ|崖を背にした段状の神殿
メンチュヘテプ2世は、現在のルクソール西岸にあたるデイル・エル=バハリの崖の前に、自らの墓と祭祀のための施設を建てました。平地からの参道の先には柱廊を伴う上下のテラスが続き、中央の幅広い斜路を進むと上段へ達する構成でした。奥には岩山を掘り込んだ部分があり、石造施設と自然の崖が連続しています。王を供養する場所と、太陽神モントゥなどを祀る場所が同じ複合施設に置かれました。
上段の中央には大きな四角い構造物があり、その上に何が載っていたかは復元案が分かれます。メトロポリタン美術館の遺物解説は、原初の丘を思わせる中心部にピラミッドがあったという説と、それを疑問視する見解を紹介しています。遺跡には王族女性の小祠堂も設けられ、王の葬祭施設が複数の埋葬と祭祀を含んでいたことが発掘から確かめられています。(参照:メトロポリタン美術館|メンチュヘテプ2世葬祭殿の水鳥浮彫/メトロポリタン美術館|ヘンヘネト王妃の祠堂片)
黒い肌に赤冠をいただく王の座像
カイロのエジプト考古学博物館が所蔵するメンチュヘテプ2世の座像は、高さ138センチの彩色砂岩像です。低エジプトを示す赤い冠を着け、白い短衣をまとった王が立方体に近い玉座に腰掛けています。両腕は胸の前で交差し、手にはかつて王の杖と鞭を持っていたと考えられます。肌は黒く塗られ、死と再生に関わるオシリス神との結びつきが表現されています。
1900年、ハワード・カーターが葬祭殿の地下にある空間から発見しました。像は細い亜麻布で包まれた状態にあり、神殿に置かれたすべての王像と同じ使われ方をしていたとは考えられません。頭部の大きさや力強い脚の形、身体を包む衣服といった造形は、テーベの王権が再統一を果たした時期の像の特徴をよく伝えています。(参照:カイロ・エジプト考古学博物館|メンチュヘテプ2世座像)
ハトホル女神と向き合う彩色浮彫
葬祭殿の最奥に加えられた聖所からは、メンチュヘテプ2世とハトホル女神を表した石灰岩の浮彫が出土しています。メトロポリタン美術館所蔵の断片は高さ36センチ、幅98センチ、紀元前2010〜2000年頃の作とされます。王の輪郭線は整い、顔は細部の表情まで彫り分けられ、人体とヒエログリフが限られた石の面に配置されています。
この断片には制作後の歴史も刻まれています。女神ハトホルの像は、アテン神への信仰を推進した紀元前14世紀のアマルナ時代に削り取られ、その後の第19王朝初期に漆喰で補われました。色彩の一部にも後代の塗り直しが含まれる可能性があります。現存する彫面を読むときには、中王国の制作と後世の破壊・修復を分ける必要があります。(参照:メトロポリタン美術館|メンチュヘテプ2世とハトホル女神の浮彫(07.230.2))
第12王朝のピラミッドと神殿建築
リシュト|首都近郊に再建された王のピラミッド
第12王朝のアメンエムハト1世は、行政の中心を北へ移し、メンフィス南方のリシュトにピラミッドを建てました。息子センウセレト1世も南リシュトにピラミッドと葬祭神殿を造営します。古王国で確立した王墓の形式を引き継ぎながら、建造物の平面や内部の施工方法が調整されました。メトロポリタン美術館は20世紀初めからこの地域を発掘し、石材に残る作業印や浮彫断片から建築の順序を調べています。
センウセレト1世のピラミッドを囲む石壁には、宮殿の正面をかたどった浮彫付きの区画が繰り返されました。高さ約417センチ、幅約128センチに復元された王名パネルには、王のホルス名が彫られ、その上方には空を示す隼、下方には肥沃な土地の象徴が組み合わされています。断片を集めた復元品であることも、発掘時の図像の読み取りに関わる条件です。(参照:メトロポリタン美術館|センウセレト1世のピラミッド複合体・発掘出版/メトロポリタン美術館|センウセレト1世葬祭施設の王名浮彫(34.1.207))
参道に並んだセンウセレト1世の立像
センウセレト1世のピラミッドへ至る参道の両壁には、王の身体を布で包み、胸前で腕を交差させた「オシリス型」の彫像が並んでいました。南壁側では上エジプトを表す白い冠、北壁側では下エジプトを表す赤い冠が用いられています。メトロポリタン美術館の高さ180.4センチの石灰岩像は、南壁側に属する白冠の一例です。
布の下でも膝の屈曲が彫られ、身体は硬直した姿勢の中に動きの可能性を残しています。この形式がオシリス神だけを表すかどうかについて、同館はプタハ神などとの関連も含めて慎重に解説しています。参道を進む人が、遺体を整える場から再生を祈る場へ向かう過程と結びつける説があります。葬祭殿の聖所の壁面にも、供物として運ばれる鳥を高く浮き上がらせ、細かく彩色した奉納行列が刻まれました。(参照:メトロポリタン美術館|センウセレト1世のオシリス型立像(09.180.529)/メトロポリタン美術館|センウセレト1世葬祭神殿の奉納行列浮彫)
カルナックの《白い礼拝堂》|細密な王の祭礼浮彫
テーベ東岸のカルナック神殿では、センウセレト1世が石灰岩の小さな礼拝堂を建立しました。今日「白い礼拝堂」と呼ばれる建物は、約6.8×6.5メートルの基壇の上に四本の内柱と周囲の十二本の柱を立てた構造で、両側に階段状の斜路があります。柱の高さは約2.6メートルです。壁や柱には王の即位の周年祭に関わる浮彫が刻まれ、軒には黄色、柱や象形文字には赤・青・白の彩色痕が残っています。
基壇の側面にはナイル川、湖、各地の州を表す図像や記録が彫られています。新王国のアメンヘテプ3世は礼拝堂を解体し、第3塔門の内部に石材を転用しました。20世紀の調査で石材が再発見され、現在はカルナックの野外博物館に組み上げられています。カリフォルニア大学の研究資料によれば、当初の設置場所と祭礼時の具体的な機能には議論があり、後代に神の舟を休ませる施設へ転用された可能性も検討されています。(参照:カリフォルニア大学|Digital Karnak:センウセレト1世の白い礼拝堂/カルナック神殿仏埃共同研究センター|野外博物館と白い礼拝堂の再建資料)
ダハシュール|泥煉瓦の芯と石灰岩の外装
紀元前19世紀のセンウセレト3世は、ダハシュールに新しいピラミッド複合体を築きました。高さは完成時に約62メートルと推定され、現存するのは約21メートルの崩れた丘状の部分です。内部の芯には日干し煉瓦を用い、外側を石灰岩で覆っていました。外装石材が後世に持ち去られたことで芯材が風雨にさらされ、古王国の大きな石造ピラミッドとは異なる崩壊の姿になりました。
計画は造営途中で拡張され、当初のほぼ正方形の囲い地に南北の施設が加えられました。ピラミッドの周囲には王族女性のための小ピラミッド群が並び、南側には約47×76メートルの大型神殿が置かれます。アデラ・オッペンハイムが2004年に紹介した調査では、石材の再利用で壁が失われた小さな葬祭神殿から約1万3000点の浮彫片が回収され、神々の行列や王への供物の場面が復元されています。(参照:メトロポリタン美術館|ダハシュールのセンウセレト3世ピラミッド(D・アーノルド、2004年)/メトロポリタン美術館|ダハシュール葬祭神殿の発掘(A・オッペンハイム、2004年)/メトロポリタン美術館|ダハシュールの王妃・王女のピラミッド)
赤い花崗岩の石棺と、王の埋葬場所をめぐる問題
ダハシュールの地下埋葬室は白い石灰岩と赤色花崗岩で仕上げられています。王の石棺も赤色花崗岩製で、下部には宮殿の壁を模した凹凸の文様が彫られました。通路や前室を備える平面は古王国後期の王墓に由来しますが、入口が伝統的な北側から西側へ移されている点が異なります。
発掘では王の遺骨が確認されず、石棺の内側にも使用の痕跡が乏しい状態でした。建築研究者ディーター・アーノルドは2004年の解説で、センウセレト3世が別途整えたアビュドスの墓域に実際に葬られた可能性を挙げています。石棺の空白という観察事実と、アビュドスへの埋葬という推定は区別されます。ダハシュールの施設が王を記念する役割を果たしたことは、神殿と浮彫群の存在から確認できます。(参照:メトロポリタン美術館|ダハシュールのセンウセレト3世ピラミッド(D・アーノルド、2004年))
センウセレト3世の顔と王像の変化
重いまぶたと頬を持つ赤色珪岩の王顔
第12王朝後半の王像では、瞼が大きく下がった目、頬の起伏、口元に刻まれた線が繰り返し現れます。メトロポリタン美術館の《センウセレト3世の顔》は、赤色珪岩で彫られた高さ16.5センチの頭部断片です。幅のある頬の下に唇を引き結び、表面を滑らかに磨いた硬い石に、目元の深さが細かく刻まれています。元の全身像の大きさや設置場所は、この断片だけからは確定できません。
エジプトの王像は、王であることを示す冠や儀礼姿勢と、人物の顔の形を同時に表します。ドロテア・アーノルドは同館の音声解説で、赤色珪岩の顔を同じ王のスフィンクスと比較し、前者の表情はより穏やかで思索的に感じられると述べています。同一人物の表現にも石材や彫刻家の違いがあり、彫り方を年齢だけに結びつけることはできません。(参照:メトロポリタン美術館|センウセレト3世の顔の彫刻(26.7.1394)/メトロポリタン美術館|エジプト中王国時代(A・オッペンハイム、2019年))
片麻岩のスフィンクス|獅子の身体と王の頭部
センウセレト3世を表したメトロポリタン美術館のスフィンクスは、高さ42.5センチ、幅29.3センチ、長さ73センチです。片麻岩の縞模様を利用して伏せた獅子の胴体を彫り、頭部には王の布冠をかぶせています。胸の下方には王のホルス名と即位名が刻まれます。人間の顔と獅子の脚、しなやかな背から尾までが、一つの石塊につながっています。
この作品の出土地は長く不明でした。エジプト学者ラビーブ・ハバチが1986年に公表された研究で、カルナックに保管されていた同材質のスフィンクス断片と寸法・碑文・彫り方を比べ、対になる作品だったと論じています。カルナックに原設置されていた可能性は高いと考えられていますが、神殿内の具体的な位置については確実な平面資料がありません。(参照:メトロポリタン美術館|センウセレト3世のスフィンクス(17.9.2)/L・ハバチ(1986年)|センウセレト3世の片麻岩スフィンクスと対作品)
王の表情は肖像か、それとも王権の理念か
センウセレト3世とアメンエムハト3世の彫像に見られる年齢を感じさせる顔は、かつて王の苦労や個人的な憂いを直接表したものとして語られました。今日の研究では、政治的な責任を負い、民の声を聞く支配者という理念を造形した可能性も検討されています。メトロポリタン美術館の2019年の概説は、こうした顔の変化を王権観の転換と関係づけつつ、動機を明記した同時代の説明文は残っていないとしています。
個別の作品にも帰属の不確実さがあります。同館所蔵の座像上半身は、高さ19.7センチで、滑石または蛇紋岩と記録されています。垂れたまぶた、突出した口、耳の形からセンウセレト3世かアメンエムハト3世の像と考えられています。館の収蔵情報は王名を一人に決めていません。顔の特徴が似ていることと、特定の王に帰属できることは、別の研究上の判断です。(参照:メトロポリタン美術館|エジプト中王国時代(A・オッペンハイム、2019年)/メトロポリタン美術館|センウセレト3世またはアメンエムハト3世の座像片/メトロポリタン美術館|『変容する古代エジプト:中王国時代』展)
官僚ミンヘテプの小さなブロック像
中王国時代には高官のためにも新しい形式の像が作られました。しゃがんで膝を抱える姿勢を表すブロック像では、身体が角張ったまとまりとなり、頭部と手足がそこから現れます。メトロポリタン美術館の《ミンヘテプのブロック像》は閃緑岩製で、高さ17.8センチ、幅8.7センチ、奥行14.8センチ。磨いた石の量塊と、衣服に包まれた人物の姿が近い形にまとめられています。
この像は1913〜14年にリシュト北部、王のピラミッド付近の墓地の竪穴495号から出土しました。美術館は年代を第12王朝末〜第13王朝初期、紀元前1850〜1640年頃という広い範囲で示しています。出土場所の分かる小像は、王家の石彫技術や形式が有力者の墓にも取り込まれていたことを物的に伝えます。(参照:メトロポリタン美術館|ミンヘテプのブロック像(15.3.227))
地方の岩窟墓に描かれた仕事・動物・外国人
ベニ・ハサン|崖に掘られた州知事の墓
ナイル中流域のベニ・ハサンは、耕地を望む石灰岩の崖に墓が連なる場所です。エジプト観光・考古省によれば、上段には岩を横方向に掘った墓が39基あり、このうち12基の壁が彩色されています。入口の柱、奥の祭祀室、埋葬へ至る縦穴などが組み合わされ、壁面には耕作・製作作業・狩猟・競技・戦いが細長い帯を作って配されています。
岩盤に柱や天井の形を残す作業には、青銅製の刃を備えた鑿と木槌が用いられました。高い場所の墓が地域の統治者とその家族に属することは、碑文や墓の配置から分かっています。王墓の造形が一つの中心に集中するのに対し、地方の墓にはその土地の人々が重視した仕事や祭祀の場面が密に刻まれています。(参照:エジプト観光・考古省|ベニ・ハサンの岩窟墓群)
バケト3世の壁画|220組のレスリング
バケト3世の墓の東壁には、二人ずつ組み合う格闘者が220組描かれています。一方を赤褐色、他方を暗褐色に塗り分け、つかみ方や足の運びが重なる場面でも腕や胴の位置を判別しやすくしています。壁の別の場所には城塞を攻める人々や戦闘も描かれ、複数の身体の動きが連続する帯状の構成になっています。
北壁には理髪師、履物職人、金細工師、糸を紡ぐ人、布を織る人、納税の場面などが並びます。南壁では猫と鼠が向き合い、子を背負う猿やヒヒが表されています。描かれた動物・仕事の種類が多く、統治者の墓室が農耕と手工業の営み、狩猟や競技、儀礼的な勝利の場面をまとめて見せる場所だったことが分かります。(参照:エジプト観光・考古省|バケト3世の墓)
クヌムヘテプ2世の墓|装飾衣を着たアアム人の行列
クヌムヘテプ2世の墓の北壁には、西アジア方面から来たと記されるアアム人の行列があります。縞や幾何学文様のある衣服を着て、髭をたくわえた男性、女性、子どもがロバや動物を伴い、エジプト人の役人に案内される構図です。付随する碑文はセンウセレト2世の治世6年という時点と、一行の人数を37人と記します。壁に描かれたのは一行のうち代表的な人物たちです。
行列の先頭に記された名はアビシャで、異国の支配者を意味する肩書が添えられています。目に塗る黒色の化粧料を携えた訪問と説明されます。墓の柱廊は二本の溝付き柱で支えられ、内部の碑文は長く続き、釣りや水鳥狩りの場面も配置されています。墓内の行列は、外国人を観察して描いた衣装の違いと、墓主の地位を示す儀礼的な構成が同じ場面に重なっています。(参照:エジプト観光・考古省|クヌムヘテプ2世の墓/メトロポリタン美術館|1931年制作のアアム人行列の模写)
外国人行列の解釈|記録と儀礼の両面
エジプト学者ジャニス・カムリンは2009年の研究で、クヌムヘテプ2世の墓に描かれたアアム人の服装、持ち物、人物名、碑文を細かく再検討しました。彼らの出身地や訪問の目的については、交易、献上、移動など多様な解釈が提示されてきました。カムリンは、同じ場面が墓の中では「秩序あるエジプト世界の外から来た人々が統制下に置かれる」という象徴としても働いたと論じています。
この壁画の存在を根拠に、特定の聖書上の人物や集団を同定することはできません。確認できるのは、治世6年という碑文、人物の形や服装、エジプト人が用いたアアムという呼称です。原壁画は現地にあり、メトロポリタン美術館が公開する人物の模写はノーマン・デ・ガリス・デイヴィーズが1931年に制作した別の作品です。複製画像を利用する際にも、古代の制作と近代の記録を区別できます。(参照:J・カムリン(2009年)|ベニ・ハサンのアアム人行列に関する研究/メトロポリタン美術館|1931年制作のアアム人行列の模写)
墓室の木製模型とアビュドスの記念碑
メケトラーの隠し部屋|1920年の発見
テーベ西岸の高官メケトラーは、メンチュヘテプ2世に仕えた後、第12王朝初期まで職務を続けました。岩窟墓の外から入れる部屋は古代に盗掘を受けていました。1920年、メトロポリタン美術館の調査隊を率いたハーバート・ウィンロックが、墓の平面図を作るために通路の堆積物を除いたところ、脇に密閉された小室が見つかり、彩色木製模型24点がほぼ完全な状態で残っていました。
模型には舟、庭園、家畜小屋、工房などが含まれ、発見されたまとまりの半数が当時の発掘品分配制度に従ってカイロへ、半数がニューヨークへ移されました。模型の年代はアメンエムハト1世治世初期、紀元前1981〜1975年頃とされています。埋葬の場から一括して見つかったため、別々の模型がどのような組み合わせで用意されたかを考えられます。(参照:メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の牛舎模型)
穀倉の模型|穀物を担ぐ人と記録係
《穀物倉庫模型》では、倉庫と帳簿を付ける区画が同じ敷地の中に仕切られています。四隅の屋根は尖った形で、荷を担いで運び込む人物は6人、穀物の計量や記録に従事する人物は9人置かれました。袋を運ぶ人の手や働く人物の姿に加え、倉庫と管理室を分けた設計が、穀物の保管を行政的な仕事として描いています。
《牛舎模型》は長さ72.5センチ、幅57センチ、高さ28.5センチの木と漆喰による彩色作品です。奥の大きな囲いには4頭の牛が餌場に集まり、手前では世話係が別の2頭に餌を与えています。太りすぎて立てなくなった牛や、戸口近くで杖を持って座る監督者も作り込まれ、食料生産の一連の行為が一つの空間に収められました。(参照:メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の穀物倉庫模型/メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の牛舎模型)
製パン・醸造の工房と水を張った庭園
《パン工房と醸造所模型》は長さ約73センチ。木を削り、漆喰状の下地の上に顔料を塗り、細部には亜麻布も用いています。穀物を砕く、粉を挽く、パンを焼く、ビールを仕込むといった工程を、異なる人物の仕事として配置しました。こね粉で白くなった手の表現など、動作の区別に色が利用されています。
《庭園模型》には木材と彩色のほか銅も使われ、長さ84.4センチ、幅42.5センチ、高さ39.5センチあります。塀で囲まれた水面や植栽の配置は、邸宅の庭を小さな箱のような空間へ置き換えています。こうした模型は死後の世界で必要となる食物や儀礼の継続を祈って墓に納められました。実際の労働現場を撮影したような記録というより、食料の生産と供給を永続させるための葬送品です。(参照:メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土のパン工房と醸造所模型/メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の庭園模型/メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の穀物倉庫模型)
メンチュウォセルの石碑|名声と供物を文字に刻む
アビュドスでは、オシリス神に結びつく祭礼へ死後も参加できるよう、官僚や家族が記念碑を立てました。メトロポリタン美術館の《執事メンチュウォセルの石碑》は、高さ104.3センチ、幅47.9センチの彩色石灰岩製で、センウセレト1世の治世17年に制作されたことが碑文に記されています。上部には縦16列にわたる文字が並び、下部では墓主と父、息子、娘が供物の卓を囲んでいます。
碑文は仕事上の功績に加え、誠実さ、貧しい人への施しを語ります。王のための彫刻技術が高官の記念碑にも用いられ、文字の面積が人物浮彫より大きく設けられている点が特徴です。碑がもともと置かれた場所はアビュドスの奉納祠堂だったと推定されます。墓の中に納める品とは別に、聖地で儀礼に加わるための記念碑が作られていました。(参照:メトロポリタン美術館|執事メンチュウォセルの石碑(12.184))
王女の黄金装身具と死者の木棺
シトハトホルユネトの胸飾り|金と半貴石の象嵌
ラフーンのセンウセレト2世ピラミッド付近に葬られた王女シトハトホルユネトの墓から、1914年のイギリス隊発掘で宝飾品が見つかりました。その胸飾りは縦4.5センチ、横8.2センチの小さな金細工です。枠の中へカーネリアン、ラピスラズリ、トルコ石、ザクロ石などの小片を嵌め、左右に太陽円盤を戴く隼を配しています。金の区画で石片を分ける細工は、古代エジプトの象嵌技術をよく示しています。
中央にはセンウセレト2世の王名、生命を表すアンク、年月を表すヤシの枝、10万を表すオタマジャクシの印などが細かく組み合わされます。所蔵館は嵌め込まれた石の小片を375個と記録しています。装身具の文様は、王が長く統治するようにという願いを、身に着けられる大きさに凝縮したものです。作品は同館で首飾りとともに展示され、首飾りの全長は約82センチあります。(参照:メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの胸飾り(16.1.3))
腰飾り・腕輪・宝石箱|製作と出土品の復元
同じ墓にあった腰飾りは、子安貝をかたどった金の飾りを連ねた長さ84.3センチの作品です。貝形の内部には金属粒が入り、身に着けて動くと小さな音が生じる仕組みでした。獅子をかたどった腕輪、足首の輪飾り、アメンエムハト3世の名を刻んだ腕輪も見つかっています。色の組み合わせは近くても、製作の細部には違いがあり、宝飾品が年月をかけて集められた可能性があります。
発見時には木箱が朽ち、金具や宝石の部材がばらばらになっていました。メトロポリタン美術館は発掘者ガイ・ブラントンの記録を使い、黒檀、象牙、金、銀、青色ファイアンスなどを組み合わせた宝石箱を復元しています。展示される一式は、古代に完全な形で保存されていたものと、出土後に配置を組み直したものの両方を含んでいます。(参照:メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの腰飾りと腕輪/メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの宝石箱(16.1.1))
彩色木棺|偽扉とホルスの両眼
中王国時代の木棺は、長方形の箱形を基本とし、外側の側面に文字や建物の正面を模した文様を描く例があります。クヌムヘテプの木棺は、全長209センチ、シカモア材に彩色したものです。縦横の銘文帯で囲んだ内部に細い柱のような模様を並べ、東向きの面には大きな二つの眼を描きました。亡くなった人物を左側を下にして横たえ、外の世界と日の出の方向を望むという考えに対応する配置です。
紀元前1850〜1750年頃のクヌムナクトの木棺では、描かれた偽扉の上に眼の文様があり、頭側に女神の姿が描かれています。偽扉は二枚の木の扉と留め具を描いた形をとり、死者が外界へ出入りするための象徴として用いられました。オシリス神やアヌビス神に向けた祈りも銘文として組み込まれています。棺の装飾は埋葬位置、文字、儀礼の意味が関係するよう設計されていました。(参照:メトロポリタン美術館|クヌムヘテプの彩色木棺/メトロポリタン美術館|クヌムナクトの彩色木棺)
棺の内側へ広がる呪文と第13王朝の作例
ウクヘテプの木棺では、外側は黄色い眼のパネルと大きな文字帯を中心に簡潔に仕上げ、内側には供物の山や祭具の絵、『棺文書』と呼ばれる死後の生存のための呪文を数多く書き込んでいます。メトロポリタン美術館所蔵のこの棺は、箱の長さ約214センチ。針葉樹材が用いられ、メイール付近の埋葬に由来すると考えられています。
第13王朝、紀元前1802〜1640年頃とされるテーベの黒塗り木棺には、棺文書の文字帯、ホルスの眼、下部の偽扉、頭側と足側で両腕を上げる女性像が描かれます。後者はイシスとネフティスの二女神と推定されています。呪文の一部には棺の持ち主を表す名前の代わりに「誰であれ」という語があり、所有者を特定せずに用意した可能性が読み取れます。第13王朝に入っても彩色と銘文を組み合わせる木棺制作は続きました。(参照:メトロポリタン美術館|ウクヘテプの木棺と棺文書/メトロポリタン美術館|第13王朝の黒塗り木棺)
略年表
- 紀元前2030年頃|テーベのメンチュヘテプ2世による統一を経て中王国時代が始まる
- 紀元前2010〜2000年頃|メンチュヘテプ2世葬祭殿の最奥の聖所に王とハトホル女神の彩色浮彫が設けられる
- 紀元前1981〜1975年頃|高官メケトラーの埋葬用に木製の舟・倉庫・工房などの模型群が整えられる
- 紀元前1980年頃|第12王朝のアメンエムハト1世がリシュトに王墓を造営する
- 紀元前1961〜1917年頃|センウセレト1世のピラミッド参道の立像やカルナックの白い礼拝堂が作られる
- 紀元前1950年頃|センウセレト1世治世17年に執事メンチュウォセルの石碑が制作される
- 紀元前1887〜1878年頃|センウセレト2世の王名を組み込んだシトハトホルユネトの胸飾りが作られる
- 紀元前1880年頃|クヌムヘテプ2世の墓にアアム人の行列を含む彩色壁画が描かれる
- 紀元前1878〜1840年頃|センウセレト3世の王像とダハシュールのピラミッド複合体が作られる
- 紀元前1859〜1813年頃|アメンエムハト3世の治世。王像と王族用の宝飾品の制作が続く
- 紀元前1802〜1640年頃|第13王朝の墓に黒塗り木棺や棺文書を用いた葬送品が作られる
まとめ
中王国時代の王墓と彫刻には、古王国から受け継いだ形式が使われ、建築と彫刻の配置には新しい工夫が見られます。メンチュヘテプ2世の葬祭殿は崖と柱廊を一体に構成し、センウセレト1世の参道には二つの冠を着けた王の像が並びました。ダハシュールのピラミッドでは、泥煉瓦の芯、石灰岩の外装、小型化した葬祭神殿、後から加えられた南神殿など、工期や祭祀の変化が建築の痕跡から調べられています。
同時代の彫刻・壁画・装身具には、異なる規模と目的に合わせた技術があります。王の顔の細かな彫り、ベニ・ハサンの連続する人物群、メケトラーの木製模型、王女の胸飾りの小さな石の象嵌は、いずれも実物と出土記録から詳しく説明できます。センウセレト3世の顔がどのような王権観を担っていたのか、スフィンクスの正確な設置場所、ダハシュールとアビュドスのどちらに王が埋葬されたのかについては、碑文の読み直しや遺構・石材の調査が続いています。
参考資料・出典
- メトロポリタン美術館|エジプト中王国時代(A・オッペンハイム、2019年)
- メトロポリタン美術館|『変容する古代エジプト:中王国時代』展
- メトロポリタン美術館|メンチュヘテプ2世葬祭殿の水鳥浮彫
- カイロ・エジプト考古学博物館|メンチュヘテプ2世座像
- メトロポリタン美術館|メンチュヘテプ2世とハトホル女神の浮彫(07.230.2)
- メトロポリタン美術館|ヘンヘネト王妃の祠堂片
- メトロポリタン美術館|センウセレト1世のピラミッド複合体・発掘出版
- メトロポリタン美術館|センウセレト1世のオシリス型立像(09.180.529)
- メトロポリタン美術館|センウセレト1世葬祭施設の王名浮彫(34.1.207)
- メトロポリタン美術館|センウセレト1世葬祭神殿の奉納行列浮彫
- カリフォルニア大学|Digital Karnak:センウセレト1世の白い礼拝堂
- カルナック神殿仏埃共同研究センター|野外博物館と白い礼拝堂の再建資料
- メトロポリタン美術館|ダハシュールのセンウセレト3世ピラミッド(D・アーノルド、2004年)
- メトロポリタン美術館|ダハシュール葬祭神殿の発掘(A・オッペンハイム、2004年)
- メトロポリタン美術館|ダハシュールの王妃・王女のピラミッド
- メトロポリタン美術館|センウセレト3世の顔の彫刻(26.7.1394)
- メトロポリタン美術館|センウセレト3世のスフィンクス(17.9.2)
- L・ハバチ(1986年)|センウセレト3世の片麻岩スフィンクスと対作品
- メトロポリタン美術館|センウセレト3世またはアメンエムハト3世の座像片
- メトロポリタン美術館|ミンヘテプのブロック像(15.3.227)
- エジプト観光・考古省|ベニ・ハサンの岩窟墓群
- エジプト観光・考古省|バケト3世の墓
- エジプト観光・考古省|クヌムヘテプ2世の墓
- J・カムリン(2009年)|ベニ・ハサンのアアム人行列に関する研究
- メトロポリタン美術館|1931年制作のアアム人行列の模写
- メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の牛舎模型
- メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の穀物倉庫模型
- メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土のパン工房と醸造所模型
- メトロポリタン美術館|メケトラー墓出土の庭園模型
- メトロポリタン美術館|執事メンチュウォセルの石碑(12.184)
- メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの胸飾り(16.1.3)
- メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの腰飾りと腕輪
- メトロポリタン美術館|シトハトホルユネトの宝石箱(16.1.1)
- メトロポリタン美術館|クヌムヘテプの彩色木棺
- メトロポリタン美術館|ウクヘテプの木棺と棺文書
- メトロポリタン美術館|クヌムナクトの彩色木棺
- メトロポリタン美術館|第13王朝の黒塗り木棺