紀元前2500–800
青銅器時代のヨーロッパ
青銅器と黄金の装身具
紀元前2500年頃から紀元前800年頃にかけてのヨーロッパでは、農耕や牧畜を営む人々の間に金属加工が広がりました。地域によって気候や地形は異なり、アイルランドの草地、ブリテン島の丘陵地、中央ヨーロッパの河川流域、北欧の森林や湿地など、それぞれの土地で異なる金属器が作られました。銅や錫、金、琥珀などの材料が各地を行き来し、墓や集落、湿地に多くの遺物が残されています。
青銅の斧や剣は木や石の道具とは異なる形を可能にし、薄い金板は衣服や身体を覆う装飾になりました。アイルランドでは三日月形の金製首飾りが作られ、ウェールズでは胸と肩を覆う金製品が墓に納められました。ドイツのネブラでは金の天体をはめ込んだ青銅盤が見つかり、デンマークには馬が円盤を引く《太陽車》が残されています。
これらの金属器は作られた場所も年代もさまざまです。装身具の形、金属を薄く叩いた痕跡、剣や盾の出土状況をたどると、当時の技術や人々の活動が少しずつ見えてきます。装飾に込められた意味や、金属器を地中へ納めた理由については、現在も考古学的な研究が続いています。
CONTENTS
青銅器時代のヨーロッパと金属加工
銅と錫を混ぜる技術、地域ごとに異なる年代
紀元前3千年紀から紀元前1千年紀初めにかけ、ヨーロッパの各地で銅や金を加工する技術が広がりました。青銅は主に銅と錫を合わせた合金です。溶けた金属を型に流すと、石から削り出す場合とは異なる形の刃物や装身具を作ることができます。鋳造後に刃を叩いて整える作業や、表面を磨く作業も行われました。
青銅器時代の始まりと終わりは地域によって異なります。アイルランドでは紀元前2500年頃から銅・青銅と金の製品が増え、北ヨーロッパでは紀元前2千年紀に独特の金属工芸が発達しました。武器や装身具を中心に資料が残りますが、日常生活で用いられた木、布、革の多くは失われています。(参照:アイルランド国立博物館|青銅器時代の収蔵品)
石材や土器とともに出土する金属器
初期青銅器時代の金属品は、墓、副葬品の集まり、湿地への埋納など、場所によって発見され方が異なります。アイルランドの墓では土器とともに銅製・青銅製の刃物が見つかり、金の薄板を加工した小さな円盤も知られています。金属だけで生活全体を復元することはできず、同じ場所から出た土器や人骨、建物の痕跡を調べる必要があります。
中央ヨーロッパの有力者の墳丘墓では、金属製品を特別に集めて埋葬した例が知られています。一方、武器を何点も地中にまとめて置く行為は、墓とは異なる場所でも起きました。どの品が普段使いで、どの品が儀礼的な場面で使われたかは、摩耗の痕跡や出土状況を照らし合わせて判断されています。(参照:ハレ先史博物館|青銅器時代の交易と有力者の墓)
アイルランドの三日月形金製首飾り
薄い金板から作るルヌラ
アイルランドの初期青銅器時代には、三日月のように細長く弧を描く金製の首飾り「ルヌラ」が作られました。中央が幅広く、両端へ向かって細くなる輪郭を持ち、端の部分は身につけるための形に加工されています。紀元前2400〜1800年頃の金製品として知られ、アイルランド国立博物館には多数の作例が所蔵されています。
製作では金を繰り返し叩いて薄い板に広げ、外形を整えました。金は柔らかく、叩くことで厚みや曲線を変えられます。現代の宝飾品のように立体的な鋳型で全体を作るのではなく、金板そのものの広がりが装飾の中心になっています。(参照:アイルランド国立博物館|初期青銅器時代の金製品)
刻線と幾何学文様、身につけ方の問題
ルヌラの縁や先端には、三角形、斜線、細かな平行線を組み合わせた刻線が施される例があります。幅の広い中央部を比較的無地のまま残し、先端近くに模様を集中させるものもあります。装飾が衣服や身体に対してどのように見えるかは、実物の大きさや曲がり具合とともに検討されています。
首にかける飾りという呼び名が定着していますが、実際の装着方法や着用した人々の社会的な立場は、すべての作品で分かっているわけではありません。金製の円盤には衣服へ取り付けたとみられる穴があり、同じ時代の装身具にも複数の使い方が考えられます。(参照:アイルランド国立博物館|初期青銅器時代の金製品)
細い帯をねじった後期の首飾り
紀元前1200年頃になると、金属の棒や帯をねじる加工が広がり、首に巻くトルクと呼ばれる飾りが作られました。金を薄く延ばして表面を飾る初期の作品と比べ、ねじりの連続によって光が細かく反射する形になっています。
紀元前900年頃には、重厚な腕輪や衣服の留め具、大きな金板製の首飾りなどが知られます。同じ金という材料でも、時期によって好まれた形や作り方が変化していたことが、博物館の一連の収蔵品から確認できます。(参照:アイルランド国立博物館|アイルランドの黄金工芸展)
ブリテン島の金杯と金製肩飾り
リングルミアの金杯と、叩き出した横筋
イングランド南東部ケント州で2001年に発見された《リングルミアの金杯》は、紀元前1950〜1750年頃の作品です。高さ約11.2cm、重さ約184g。胴は下方へすぼまり、側面には横方向の細かな隆起が続きます。側面から口縁へ伸びる取っ手は、別に作った部材を留め付けたものです。
杯の胴は一つの金属塊を薄く叩き延ばして作られ、隆起する筋も金板を押し出すように成形しました。発見時には大きく潰れていました。研究者ニーダムら(2006)は、大陸側にも形の近い金杯が存在する点を論じ、ブリテン島と周辺地域の金工技術の関係を検討しています。(参照:大英博物館|《リングルミアの金杯》所蔵資料)
モールドの金製肩飾りと身体を覆う金板
ウェールズ北部モールドの墳丘墓から1833年に発見された金製の肩飾りは、紀元前1900〜1600年頃のものです。高さ約23.5cm、最大幅約28cm、重さ約560g。肩から胸の上部を包むような形で、表面には大小の盛り上がりと筋が密集し、何本もの首飾りや衣服のひだを重ねたように見えます。
主要部分は金属塊から叩き出した薄い金板で、上下の縁に小孔が並び、革などの裏地に固定した可能性があります。肩の動きを大きく制限するため、日常の衣服として用いたとは考えにくいと大英博物館は説明しています。墓にあった遺体は断片的で、誰が着用したのか、葬儀以外の場でも使われたかは確定していません。(参照:大英博物館|《モールドの金製肩飾り》所蔵資料)
ネブラの天文盤に刻まれた空
青銅の円盤と金の天体
ドイツ中部ネブラ近郊で1999年に発見された天文盤は、直径約32cmの青銅板に金の薄片をはめ込んだ作品です。円い金板、大きく曲がった三日月形、無数の小さな円が暗い地の上に並びます。小円は当初32個あったとされ、七つが密集する部分をプレアデス星団とみなす解釈があります。大きな円は満月または太陽と考えられています。
金の装飾は単に貼ったものではありません。青銅板に溝を作り、そこへ薄い金板の縁を入れ、周囲の青銅を叩いて固定しています。金の部分ごとに成分が異なるため、同じ時に一度で装飾を完成させたとは考えられていません。(参照:ハレ先史博物館|天文盤の製作技術)
後から加えられた弧と船形の図像
円盤の左右の縁には、後の段階で弧状の金板が取り付けられました。現在は一方しか残っておらず、取り付け時に一部の小円が隠されたことがX線画像から分かります。さらに別の段階では、細かな刻線の入った湾曲した金板が下部に加えられました。この部分は船を表すという見方があります。
後の使用段階では、縁に小穴が並べて開けられています。何かに固定した可能性がありますが、使い方を直接示す部材は残っていません。天空の観測を示すものか、季節を知る道具か、儀礼に用いる象徴かについては複数の解釈があり、金板の変化を順に追っても、すべての役割を確定できるわけではありません。(参照:ハレ先史博物館|ネブラ天文盤の改変段階)
埋納年代と2020年の年代論争
天文盤は、剣2本、斧2点、鑿、螺旋状の腕輪と一緒に地中へ納められていました。剣の柄に残った樺の樹皮の年代測定や金属器の形式などから、一括埋納は紀元前1600年頃と考えられています。天文盤そのものの製作は、それ以前の時期とみられます。
2020年、ルパート・ゲープハルトとリューディガー・クラウゼは、一括出土という状況に疑問を示し、円盤を鉄器時代に置く別説を発表しました。これに対しエルンスト・ペルニッカら(2020)は、発見地点の再調査、金属の成分、付着土壌、関連遺物を検討し、従来の青銅器時代説を支持しました。盗掘によって最初の発掘状況が損なわれた事情も、研究上の論点になっています。(参照:ペルニッカほか(2020)|ネブラ天文盤の青銅器時代年代を再検討した論文)
北ヨーロッパの太陽と馬の造形
トルンドホルムの太陽車
デンマークのシェラン島トルンドホルムで1902年に見つかった《太陽車》は、紀元前1400年頃の青銅製品です。車輪の付いた小さな馬と大きな円盤が組み合わされ、円盤の一面には金板が施されています。円盤には輪を重ねたような渦巻き文様が刻まれ、金のない反対面との違いがはっきりしています。
馬が太陽を運ぶという読み方は、北欧青銅器時代の図像と結びつけた研究上の解釈です。実物は小型の組み合わせ造形で、車輪が付いていることから動かす仕組みを持っていますが、実際にどのような儀礼で用いられたかを示す記録はありません。(参照:デンマーク国立博物館|《トルンドホルムの太陽車》)
エクトヴェズの女性の衣服と青銅の腰飾り
デンマークのエクトヴェズでは、紀元前1370年頃の木棺墓から若い女性の衣服や装身具が見つかりました。身につけていたのは短い上衣と紐を束ねたスカートで、腹部には渦巻き文様を持つ青銅製の円形の腰飾りが置かれていました。腕輪、耳輪、角製の櫛なども発見されています。
この墓は金属の飾りを衣服とともに見ることのできる貴重な例です。青銅の円盤の渦巻きを太陽の象徴とみる解釈もありますが、装飾の意味や女性の生前の役割は確定していません。保存された繊維によって、金属品が身体のどこに配置されたかが具体的に分かります。(参照:デンマーク国立博物館|エクトヴェズの少女の墓)
角付き兜と青銅製の管楽器
デンマークのヴェクソー近郊の湿地には、紀元前1000年頃、左右に角が伸びる二つの青銅製の兜が納められました。兜の上部には飾りを取り付けたと考えられる部分があり、羽根や馬の毛との関係が分析されています。発見場所は墓ではなく湿地で、戦闘用か儀礼用かを考えるうえで重要です。
同じ頃の北欧には、長く湾曲した青銅製の管楽器「ルール」も残されています。デンマークでは数十点が知られ、二本一組で湿地から見つかる例が多くあります。青銅を鋳造して大きな中空の形に仕上げる技術が、武器や装身具だけでなく音を出す道具にも用いられました。(参照:デンマーク国立博物館|青銅製の管楽器ルール)
剣と盾、金属器の埋納
葉形の青銅剣と刃の形
青銅器時代後期の剣には、刃の中央が幅広く、先端へ向かってすぼまる葉形のものがあります。スコットランドのターヴズから出土した紀元前1000〜850年頃の青銅剣は、全長約58.5cm。柄につながる部分に鋲穴があり、刃を持ち手に固定する構造が読み取れます。鋳造した後に刃先や表面を整え、実用上の強さと外形を調整していました。
同じ時期の武器でも、摩耗していたものと、ほとんど使われていないものがあります。形が武器に似ているという理由だけで、すべてが戦闘の場に持ち込まれたとは言えません。副葬、貯蔵、埋納など、見つかった場所に応じて使用の経緯が検討されています。(参照:大英博物館|ターヴズ出土の青銅剣)
湿地に立てられた薄い青銅の盾
北ヨーロッパでは紀元前1100〜700年頃の青銅製の盾が湿地から見つかっています。デンマークのソールプ湿地では、1920年に複数の盾が発見され、発見者の証言とその後の発掘から、盾が地中に立てられた状態だったことが記録されました。薄い金属板を円く成形した盾は、表面の隆起によって同心円状の模様を見せます。
薄板製の盾は実戦では損傷しやすく、デンマーク国立博物館は儀礼との関係を重視しています。岩絵には盾のような円形物を持つ人物も描かれます。一方、個々の盾がどの場面で使われ、なぜ湿地へ置かれたかは、遺物ごとに検討する必要があります。(参照:デンマーク国立博物館|ソールプ湿地の盾)
壊された金属器を地中に集める理由
イングランド東部ロンドン近郊のヘイヴァリングでは、大量の青銅製武器や工具を何か所にも分けて埋めた遺構が発見されました。剣や斧の多くは破損しており、破片を再び溶かして使うための金属材料だった可能性が指摘されています。
金属器をまとめて地中へ納める行為には、金属資源の保管、再利用のための収集、社会的な贈与や儀礼的な奉納など、複数の説明があります。武器の形や傷とともに、埋められた場所、破片の組み合わせ、周辺遺構を調べることで、可能な解釈が絞られていきます。(参照:ヒストリック・イングランド|ヘイヴァリングの青銅器埋納)
略年表
- 紀元前2500年頃|アイルランドで銅・青銅器と金の加工が広がる
- 紀元前2400〜1800年頃|アイルランドで三日月形の金製首飾りが作られる
- 紀元前1950〜1750年頃|イングランドの《リングルミアの金杯》が作られる
- 紀元前1900〜1600年頃|ウェールズの《モールドの金製肩飾り》が作られる
- 紀元前1750年頃|《ネブラの天文盤》の製作時期として提案される概年
- 紀元前1600年頃|《ネブラの天文盤》が剣や斧とともに埋められる
- 紀元前1400年頃|デンマークで《トルンドホルムの太陽車》が作られる
- 紀元前1370年頃|エクトヴェズの若い女性が衣服・青銅装身具とともに埋葬される
- 紀元前1200年頃|アイルランドで金製のねじり首飾りが広まる
- 紀元前1100〜800年頃|北ヨーロッパで薄板製の青銅盾が使われる
- 紀元前1000年頃|ヴェクソーの角付き兜や北欧の青銅製管楽器が作られる
- 紀元前1000〜850年頃|葉形の青銅剣が使われる
まとめ
青銅器時代のヨーロッパでは、溶かした金属を型に流して武器を作る技術と、金を薄く叩いて身体を飾る技術が発達しました。アイルランドの三日月形の首飾りやモールドの肩飾りには、金板の輪郭と表面の細かな装飾を工夫した跡が残っています。ネブラの天文盤には金板をはめ込む工程と後の改変が確認され、トルンドホルムの太陽車では馬と円盤を一つの立体に組み合わせています。
その一方で、金属器を誰が身につけたのか、天空を表す図像がどのように理解されていたのか、武器や盾を湿地や地中に納めた理由については、遺物だけでは確定できません。各地で発掘された金属器の傷や出土位置、材料の産地を調べる研究が続いており、作品の年代や使われ方も新しい発見によって検討されています。
参考資料・出典
- アイルランド国立博物館|初期青銅器時代の金製品
- アイルランド国立博物館|青銅器時代の収蔵品
- アイルランド国立博物館|アイルランドの黄金工芸展
- 大英博物館|《モールドの金製肩飾り》所蔵資料
- 大英博物館|《リングルミアの金杯》所蔵資料
- ハレ先史博物館|ネブラ天文盤の年代
- ハレ先史博物館|ネブラ天文盤の改変段階
- ハレ先史博物館|天文盤の製作技術
- ハレ先史博物館|ネブラの一括埋納品
- ペルニッカほか(2020)|ネブラ天文盤の青銅器時代年代を再検討した論文
- ハレ先史博物館|天文盤の天体表現をめぐる解釈
- ハレ先史博物館|青銅器時代の交易と有力者の墓
- デンマーク国立博物館|《トルンドホルムの太陽車》
- デンマーク国立博物館|エクトヴェズの少女の墓
- デンマーク国立博物館|ヴェクソーの角付き兜
- デンマーク国立博物館|青銅製の管楽器ルール
- デンマーク国立博物館|青銅器時代の盾
- デンマーク国立博物館|ソールプ湿地の盾
- 大英博物館|ターヴズ出土の青銅剣
- ヒストリック・イングランド|ヘイヴァリングの青銅器埋納