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紀元前800–1

鉄器時代のヨーロッパ

ケルト文化の武具と曲線装飾

紀元前8世紀頃、アルプス山脈の北側に広がる森と農耕地では、穀物の栽培、家畜の飼育、山地の資源を利用した手工業が営まれていました。河川と峠は塩、鉄、琥珀、毛織物や酒を運ぶ交通路となり、丘の上の集落と周囲の墓地に、地域ごとの富の集まり方が残されています。鉄を鍛えて刃物や武器に使う技術が普及しても、装身具や大きな容器には青銅や金が引き続き用いられました。

中央ヨーロッパの前期鉄器時代は、オーストリアの墓地に由来するハルシュタット文化の名で呼ばれます。紀元前5世紀頃からはスイスのラ・テーヌ遺跡に名を取る造形が広がり、渦巻き、曲がった葉、動物の頭を組み込んだ金属装飾が各地で作られました。南のギリシアやエトルリアの器、北の琥珀、東南ヨーロッパの金属工芸が、この変化に関わっています。

『ケルト』は古代の著述家が使用した呼称で、考古学では関連する言語、文化、装飾様式を考える際にも使われます。同じ装飾を持つ物が広い範囲に分布していても、それぞれの集落の暮らしや政治組織は異なります。鉄剣や盾、黄金の首輪、川や湿地に納められた容器を出土状況とともにたどると、地域ごとの制作技術と人や物の移動を具体的に確かめられます。

塩と鉄の時代|ハルシュタット文化の暮らし

アルプスの塩坑と交易|ハルシュタットという地名

オーストリアのハルシュタットは、アルプス山中の岩塩鉱床と大きな墓地で知られています。岩塩は食料の保存と家畜の飼養に使われ、内陸各地へ運ばれました。ウィーン自然史博物館の調査では、前期鉄器時代の鉱夫たちは横方向へ坑道を掘り、岩塩の層に沿って大きな採掘空間を広げていたことが分かっています。坑内から運び出した塩の量を直接記録する資料は残りませんが、深さ200メートル近くに及ぶ坑道が利用されていました。

高地の墓地には武器、留め具、容器、車の金具などが副葬されており、塩の生産と遠隔地の物資が集まる社会の関係を示します。ハルシュタット文化という名称は、こうした墓地の出土品の特徴から広がった考古学上の区分です。地域や品目によって変化の時期は異なり、北ヨーロッパやブリテン島まで同じ年代で鉄器化したわけではありません。(参照:ウィーン自然史博物館|ハルシュタット期の墓地と集落/ウィーン自然史博物館|ハルシュタットの塩坑と先史考古学/メトロポリタン美術館|西・中央ヨーロッパの紀元前1000年〜紀元後1年の編年)

塩鉱山に残る用具と布|金属製品を支えた仕事

塩坑の内部には木製の皿や柄、革靴、縄、織物の断片が保存されています。岩塩の多い環境が木や繊維の腐敗を抑えたためです。鉄が利用される時代にも、採掘に使われたつるはしの刃には錫を多く含む青銅が選ばれ、摩耗や破損の跡が残りました。金属製の刃部だけを切り離して考えると見落としやすい、木製の柄と職人の動作が資料に残っています。

織物には平織りや綾織りの布、色を使った模様があり、仕事着に使われた布も、使い古されて作業用品になった布も含まれます。坑内で発見された有機物と墓に残る金属装身具を合わせることで、衣服を留めるピンや金具がどのような素材と接していたかを考えられます。(参照:ウィーン自然史博物館|ハルシュタット期の採塩・用具・生活/ウィーン自然史博物館|ハルシュタット鉱山の織物資料)

馬を形にした留め具|紀元前7〜6世紀の青銅鋳造

前期鉄器時代の身支度には、衣服を留めるためのフィブラと呼ばれる金具が使われました。メトロポリタン美術館にある中央ヨーロッパ製の馬形留め具(1992.107)は、紀元前650〜550年頃の青銅製で、高さ3.3センチ、幅4.6センチです。小さな四脚の馬を立体的に表し、後ろ脚の内側に針のばねを隠し、前脚側へ針の先を掛ける仕組みになっています。

馬や鹿、山羊の姿をした留め具は、外から見える彫刻と衣服を固定する機構を一体化させた品です。馬は飼育や維持に大きな費用がかかり、車とともに社会的な地位に結び付いていました。留め具が護符として使われた可能性も論じられていますが、その持ち主の具体的な信仰を特定できる銘文はありません。(参照:メトロポリタン美術館|馬形青銅留め具(1992.107))

豪華な埋葬と遠方の器|ホーホドルフとヴィクス

ホーホドルフの無盗掘墓|紀元前530年頃

ドイツ南西部ホーホドルフでは1978年、ほぼ手つかずで残った紀元前530年頃の大きな墳丘墓が発見されました。木で組んだ埋葬室には成人男性の遺骸が置かれ、金の首飾りや腕輪、短剣、車の部品、大きな青銅製容器などが一緒に納められていました。石や土で墓を覆う工事まで含めて、多くの人手と材料を使った埋葬です。

遺体の下には細長い青銅製の寝台があり、脚部は車輪に乗る人物像などを組み合わせた構造でした。2021年にバーデン=ヴュルテンベルク州文化財局が公表した専門研究では、保存時の記録に加えてデジタル計測、金属組織、付着した織物を調べ、各部品の組み立て方を復元しています。イタリア半島やアルプス以南の家具との比較も行われ、豪華な埋葬品の制作技術が近隣の工房だけで完結していたかが検討されています。(参照:バーデン=ヴュルテンベルク州文化財局(2021年)|ホーホドルフ墓の青銅製寝台研究/ホーホドルフ・ケルト博物館|墓の発見と展示)

車と酒器のある墓室|宴席の道具の配置

ホーホドルフの埋葬室には四輪車が置かれ、車体の金具、飲用の角杯、大型の容器がまとまって出土しました。車輪は荷運びの実用品にも使える構造を持ち、墓室へ入れる際には車の置き方を調整する必要がありました。銅合金製の大型容器には酒などの飲料を納めた可能性があり、角杯の数や配置から集団での飲食が連想されます。

テキサス大学が公開する墓室の復元資料には、寝台、器、車が周囲の壁との位置関係を保って記録されています。飲食具を持った人物を墓に葬る慣行と、生前に行われた宴席の具体的な回数や内容とは別の問題です。遺物の配置からは、埋葬時にどの品を重んじたかを調べることができます。(参照:テキサス大学|ホーホドルフ墓室・副葬品の研究資料/ホーホドルフ・ケルト博物館|墓の発見と展示)

ヴィクスの巨大混酒器|ギリシア製青銅器の移動

フランス東部のヴィクスでは1953年、モン・ラソワの麓の墓室から、高さ1.64メートル、重量208.6キロ、容量約1100リットルの青銅製混酒器が発見されました。紀元前530年頃に南イタリアのギリシア系工房で作られたと考えられ、墓へ納められたのは紀元前5世紀前半です。器体を作る薄い青銅板は約1.2ミリの厚さで、胴と肩、首が一体になっています。

二つの把手には舌を出すメドゥーサと獅子が付き、首の周囲には盾を持つ兵士と四頭立ての戦車が小さな鋳造像で並びます。蓋の中央にも小像が立ち、把手や台座は取り外して運べる構造でした。金属板を打ち伸ばす技術と、蝋で原型を作って鋳型を壊しながら取り出す鋳造技術が、一つの容器に組み合わされています。(参照:シャティヨネ地方博物館|ヴィクスの墓と出土品の公式解説/シャティヨネ地方博物館|ヴィクス出土品の英語展示案内)

ヴィクスの女性と装身具|琥珀・珊瑚・鉄

ヴィクスの墓では女性の遺骸が四輪車の車台の上に置かれ、両腕には琥珀と褐炭の腕輪、胸元には琥珀や石の大粒の珠が並んでいました。鉄製と青銅製の衣服留め具、金の装身具、銀の浅鉢も出土しています。留め具の一部には地中海産とみられる珊瑚と、北方から運ばれた可能性のある琥珀が組み合わされていました。

発見当初は、武器がないことなど副葬品の種類から埋葬者を女性と判断する説明が行われました。1980年の骨格研究によって女性であることが確認され、性別を副葬品だけで決める方法の問題も論じられています。2019年には墓室を再調査し、以前の発掘で取り残された小さな車の部品や容器片、留め具が追加で発見されました。(参照:シャティヨネ地方博物館|ヴィクスの墓と出土品の公式解説)

ラ・テーヌ文化の発見と曲線文様

湖畔の地名が文化の名前に|ラ・テーヌ遺跡

スイスのヌーシャテル湖の北岸では1857年、水辺の木杭のそばから鉄剣や槍先が相次いで引き上げられました。ラ・テーヌと呼ばれる地点です。その後の発掘では、鉄の鞘、楯の金具、工具、装身具、木材、動物骨、人骨が見つかり、鉄器時代後半の工芸品を比べる代表的な出土地になりました。

現場にはかつて水路をまたぐ木製の橋が二つあったことも調べられています。品物が水辺に置かれた理由として、供物を納めた場所、橋の利用に結び付く集積、争いによる残留物などが考えられてきました。ラテニウム博物館は、武器の集まり方と人骨の存在を含めて複数の解釈を展示し、遺跡の用途の確定を急がない立場を示しています。(参照:ラテニウム考古学博物館|ラ・テーヌ遺跡の発見と解釈史/フランス国立考古学博物館|1857年のラ・テーヌ遺跡の発見)

バス=ユッツの注口容器|鳥と獣がつながる把手

フランス東部モーゼル川沿いのバス=ユッツからは、1927年の工事に際して青銅製の注口容器2点と地中海系の容器が見つかったと伝えられます。大英博物館は2点の年代を紀元前420〜360年頃としています。丸みのある胴から細い首と長い注ぎ口が伸び、把手は犬か狼に似た獣の身体をなぞる形に作られています。注口の先には小さな水鳥が乗っています。

口の下には葉を左右へ広げた飾り、肩には曲がった植物の線があり、獣の輪郭と渦が接する部分で連続した文様になります。飲料を注ぐ地中海の器形を取り入れながら、鳥と獣、植物文様を別の仕方で組み直した品です。発見時の細かな記録は乏しく、同時に発見された器がどのように並んでいたかは復元に限界があります。(参照:大英博物館|バス=ユッツ出土の注口容器2点(1929,0511.1–2)/大英博物館提供|バス=ユッツの青銅製注口容器)

グラウベルクの石造人物像|首輪と頭飾り

ドイツのグラウベルクでは1996年、墳丘近くの溝から高さ1.86メートル、重さ約230キロの砂岩製人物像が見つかりました。紀元前5世紀の武人を表す等身大の像で、胸には輪の両端が膨らんだ首飾り、胴には鎧、左手には盾を持つ姿が彫られています。頭の左右には葉のような曲線を二つ立てた大きな飾りがあり、金属工芸の形が石にも写されています。

近くの墳丘からは複数の有力者の墓が出土し、そのうちの首輪や衣服の装身具と、石像の表現がよく似ています。実在する一人の肖像か、社会的役割を象徴する人物像かは意見が分かれます。博物館は石像と実物の副葬品を並べ、制作された形と埋葬の資料との結び付きを示しています。(参照:グラウベルク州立考古学博物館|等身大の武人石像/グラウベルク州立考古学博物館|墳丘と石像の出土地点/グラウベルク州立考古学博物館|第5世紀の墓と出土品)

ヴァルトアルゲスハイムの車葬墓|曲がる葉の装飾

ライン川沿いのヴァルトアルゲスハイムでは1869年、女性の埋葬から金の首輪と腕輪、青銅製の注口容器、車の金具などが発見されました。紀元前4世紀の装飾には、茎が大きくうねり、葉の先が丸く巻き込まれる線が広がっています。面の端に沿って文様が進むだけでなく、枝が分かれ、空いた部分を再び葉で埋める構成です。

この出土品に由来する『ヴァルトアルゲスハイム様式』の名称は、パウル・ヤーコプスタールが1944年の『初期ケルト美術』などで広めた様式区分に結び付いています。ギリシアやエトルリアで用いられた植物装飾との関係を調べる際にも、葉が何本に分岐し、どの部分が動物の形へ移るのかが検討されています。(参照:ヴァルトアルゲスハイム町|装飾金具を伴う車葬墓の発見/ライン川観光局|ヴァルトアルゲスハイム墓の首飾りと青銅製注口容器/考古学専門誌『Études celtiques』(1973年)|ヤーコプスタールの様式区分の研究史)

銀と青銅の衣服留め具|文様を身に着ける

紀元前5世紀の北フランスで作られたメトロポリタン美術館所蔵の弓形留め具(17.191.112)は、銀と銅合金で作られた長さ約5.1センチの品です。湾曲した表面は小さな装身具の正面に当たり、裏側に針を通して衣服を固定しました。肩や首の近くに置かれる小品で、金属の色と表面の起伏が衣服の上に現れます。

留め具は、長い剣や大きな盾とは異なる近さで模様を見せる道具でした。墓に複数の留め具が置かれた例は、衣服の構造を考える資料になります。出土位置が記録された留め具は、骨の上でどの方向を向いていたかを確かめることができ、復元図に具体的な根拠を与えています。(参照:メトロポリタン美術館|北フランスの銀・銅合金製留め具(17.191.112)/シャティヨネ地方博物館|ヴィクスの墓と出土品の公式解説)

鉄剣と鞘|武器の形に入り込む動物と人物

長い鉄剣と装飾された鞘|武器を覆う金属の面

ラ・テーヌ期には、鉄を鍛えた長い剣と、鉄や青銅の薄板で補強した鞘が広がりました。剣身はまっすぐな両刃を基本とし、用途や地域によって長さと先端の形を変えました。鞘の外側には、線を刻む方法や金属板を打ち出す方法で、反転する渦、円弧、鳥の頭に見える輪郭が施されました。柄や鞘の留め金は、刃の機能と独立した装飾を付ける部分でした。

ラ・テーヌ遺跡の武器群には、形を保ったまま水中に入った鉄剣と、曲げられたり刃が損なわれたりした例が含まれます。ヌーシャテル大学の2018年の研究は実物の刃の使用痕と破損の位置を調べ、使用による損傷と意図的な変形を分けて検討しました。武器を水辺に置く前の扱いは一様ではなく、品物ごとの表面観察が欠かせません。(参照:ヌーシャテル大学(2018年)|ラ・テーヌ出土武器の使用痕と意図的な損傷/大英博物館|ラ・テーヌ期の鉄製剣・鞘)

人物の頭を柄にした剣|紀元前60年頃の小像

メトロポリタン美術館所蔵の紀元前60年頃の剣と鞘(1999.94a–d)は、全長約49.8センチ。刃は鉄、柄と鞘の金具は銅合金で作られています。柄の端が人物の頭になり、目は大きなアーモンド形、髪は額の上で丸く返るΩ字の線として表されます。小さな顔は鑑賞のために独立して置かれた彫像ではなく、武器を握ったときに手元から立ち上がる形です。

同館はこの人物像に持ち主の力を強める護符的な意味があった可能性を挙げています。顔の特徴には古典古代の人物造形との関係も考えられていますが、特定の神や英雄の名は分かっていません。刃と鞘は腐食によって一部が固着しており、現在の外見は古代の研磨面と長年の埋没による変化の両方を含みます。(参照:メトロポリタン美術館|人の頭を柄にした鉄剣と鞘(1999.94a–d))

イベリア半島の帯金具|銀を打ち込んだ渦巻き

ヨーロッパ西南部でも、渦巻きと金属象嵌を組み合わせた武人の装飾が作られました。メトロポリタン美術館の紀元前2世紀の帯金具(1990.62)は、縦6.5センチ、横13センチの左右一組。鉛を含む青銅の板に二つの渦を向かい合わせに彫り、その窪みへ薄い銀板を打ち込んで、鉄の鋲で革帯へ留めていました。

この金具はイベリア半島中央の平原部の形式で、アンダルシア方面の彫金表現とも関連付けられています。渦巻きは広域に通じる模様でありながら、技法は鋳物の表面に銀を象嵌する地域特有の組み合わせです。鉄、青銅、銀、革の役割を分けた構造から、完成品に複数の材料と加工工程が必要だったことが分かります。(参照:メトロポリタン美術館|イベリア半島の銀象嵌帯金具(1990.62))

ブリテン島の盾と兜|水中から見つかった青銅工芸

バタシーの盾|赤いガラスを27か所に埋め込む

1857年、ロンドンのテムズ川から引き上げられたバタシーの盾は、高さ約77.7センチの青銅製表面板です。大英博物館の製作年代は紀元前350〜50年頃。縦に三つ並ぶ円形の盛り上がりを中心に、S字の曲線が互いへ差し込む模様を広げ、大小27個の赤い不透明ガラス片を金属枠に納めています。現存するのは木製の盾本体を覆っていた薄い金属板です。

青銅板は裏から叩いて模様を盛り上げ、表から刻線や細かな点を加えています。ロンドン博物館は2025年の解説で、板金を作る人、文様を彫る人、ガラスを据える人など複数の専門的な仕事が関与したと紹介しました。ガラスの鮮紅色と研磨された青銅の明るい面を交互に見せる構成は、今の緑青を帯びた外見から想像するより、金属と色の差が明瞭だったと考えられます。(参照:大英博物館|バタシーの盾(1857,0715.1)/ロンドン博物館(2025年)|バタシーの盾の制作とテムズ川出土)

ウィザム川の盾|消えた猪の輪郭

イングランドのウィザム川から出土した盾も、もとは木や革の本体に青銅板を取り付けたものでした。中央の縦軸に沿って円形の盛り上がりが置かれ、その周辺に曲線、鳥や獣に見える線刻、珊瑚を用いた装飾が続きます。板を留めた鋲の穴と変色の痕跡から、かつて正面に脚の長い猪の輪郭が取り付けられていたと推定されています。

猪の姿そのものを作った有機質の材料は失われ、青銅の表面に残った痕跡と、発見時の図によって形が検討されています。出土品に現在残る模様と、失われた材料が担った図柄を区別することができます。猪はこの時代の武具に繰り返し現れる動物ですが、盾の持ち主や具体的な使用場面は不明です。(参照:大英博物館|ウィザム川出土の盾(1872,1213.1))

ウォータールーの角付き兜|儀礼用か実用品か

ロンドンのウォータールー橋付近のテムズ川では19世紀、左右に高い円錐状の角を付けた青銅製の兜が見つかりました。大英博物館は紀元前2〜1世紀頃の作品とし、両面の板金を打ち出した曲線と、赤いガラスを入れた円形の鋲飾りを記録しています。角の根元には小さな鋲が列をなし、頂部へ向けて細い金属帯が伸びます。

古代の表面は磨かれた青銅の色を帯び、現在の緑色は腐食によるものです。角の付いた鉄器時代の兜はヨーロッパでも異例で、視界や動作を妨げる大きな角から、行列や儀礼で使われた可能性が挙げられています。実際の着用者や、川に入った状況を決める資料は限られます。(参照:大英博物館|ウォータールー橋出土の角付き青銅兜)

トーズの馬面具|曲線と動物の顔を重ねる

スコットランド南西部トーズでは、旧湖沼地から薄い銅合金製の馬面具と長く曲がった二本の角飾りが見つかりました。面具は馬の額に当てる形で、目のための穴と鼻へ向かって細くなる面があります。表面には盛り上がった曲線が入り込み、曲線の先端が鳥の頭やくちばしのようにも見えます。現在はスコットランド国立博物館に所蔵されています。

発見当初から角の付く位置や用途が議論され、国立博物館は2016年に、発見地点の旧地形や周辺の泥炭層を再調査する計画を紹介しました。もともと馬の装飾に角を付けたのか、別の品物の部品を後に組み合わせたのかを考えるには、金属同士の固定と発見時の記録を調べる必要があります。現在の組み立てが制作当初と同じであったかという問題も残ります。(参照:スコットランド国立博物館|トーズの馬面具と角飾り/スコットランド国立博物館|鉄器時代の動物装飾とトーズの馬面具)

首輪と身に着ける曲線|黄金・銀・ガラス

スネティシャムの大型首輪|64本の金属線をねじる

イングランド東部ノーフォークのスネティシャムでは1950年、畑から重量約1084グラムの黄金首輪が見つかりました。金に銀と銅を混ぜた合金製で、外径は約19.9センチ。1.9ミリほどの線を8本ずつ撚り合わせて8束を作り、その8束をさらに互いにねじって太い輪にしています。両端には中空の鋳造金具を接合し、浮き上がる畝と籠編みのような細かな彫りを入れました。

大英博物館は制作時期を紀元前150〜50年頃、埋められた時期を紀元前50年頃としています。時期の判断には共伴した貨幣や他の首輪に残る木質部の放射性炭素年代を使っており、この一本の金属を直接年代測定した値ではありません。金具の内側には関連する小品が納められていました。首輪全体の重量だけでは、着用、贈与、供物のどれが中心的な用途だったかは決められません。(参照:大英博物館|スネティシャムの大型黄金首輪(1951,0402.2)/大英博物館|鉄器時代の金属首輪の着用と制作)

同じ場所に埋められた首輪群|重ねた金属の束

スネティシャムではその後も複数の埋納群が発見され、1990年には小さな穴に21点の首輪を重ねて置いたまとまりが発掘されました。その中の一つは、断面を多角形にした金合金の線8本をらせんに巻いて空洞の輪を作り、鋳造した端部金具で閉じています。最初に発見された大型首輪と比べると、線の本数や輪の太さ、端の造形が異なります。

これらの品物には金、銀、銅の割合の違いもあり、現在の色の差は合金の違いや埋没中の変化によって生じています。小さな穴に重ねて置かれた事実から、埋納は意図的に行われたと考えられます。長く使われた財産を保管したものか、儀礼のために戻せない形で納めたものかは、共伴品と埋納の順序から検討されています。(参照:大英博物館|スネティシャムで発掘された別の首輪群/大英博物館|スネティシャムの大型黄金首輪(1951,0402.2))

ブロイターの黄金首輪|鳥と馬の抽象文様

アイルランド北部のフォイル湾に近いブロイターでは1896年、耕作中に金の首輪、小舟、容器、鎖などがまとまって見つかりました。首輪は紀元前1世紀の制作とされる大きな中空の輪で、両端が膨らんだ金具を持ちます。表面には鳥と馬を図案化した浮彫があり、背景に細い同心円弧の線を刻むことで、盛り上がる動物の身体を浮き立たせています。

端部には突起を穴へ差し込んで固定する仕組みがあり、装飾と着脱の機能を兼ねています。アイルランド国立博物館は、首輪や小舟の同時出土と古い海岸線の位置から、水辺への奉納を考える余地を示し、後世の海神マナナン・マク・リルの伝承との関連にも言及しています。神の名を記した紀元前1世紀の出土銘文はないため、この結び付きは後世の文献を用いた解釈です。(参照:アイルランド国立博物館|ブロイターの黄金首輪/アイルランド国立博物館|ブロイター出土品と鉄器時代工芸の展示案内)

青いガラス腕輪|線を盛り付けた別素材の装飾

ラ・テーヌ文化圏の身装品には、金属と並んでガラスも使われました。メトロポリタン美術館の紀元前3世紀末〜2世紀の腕輪(17.194.332)は、コバルトによる半透明の青地に、不透明な黄色のガラスを細く盛り付けた品です。断面は平たい半円形で、外面に三本の周回する畝があり、黄色の線を折り返して鋸歯状の模様にしています。

一体の輪として成形された腕輪には、小さな気泡や表面のくぼみが残ります。破損後に修復された箇所もあり、黄色の線が失われた部分では下地の溝が見えます。こうした腕輪は中央ヨーロッパのラ・テーヌ文化の遺跡でも見つかり、渦や曲線を使う表現が金属の刻線以外の素材にも広がったことを示しています。(参照:メトロポリタン美術館|コバルト青色のガラス腕輪(17.194.332))

川・湖・湿地に置かれた武器と音の器

刃の損傷を調べる|ラ・テーヌ湖畔の堆積

ラ・テーヌ遺跡では鉄剣や槍が集中している場所があり、木製の橋の跡や人骨・動物骨と近接して発見されています。武器が刃先から折れたのか、側面へ曲げられたのか、使用時の衝撃で欠けたのかは、表面の割れ目と変形の方向によって調べられます。湖畔の湿った土は金属以外の木材を残しやすく、戦闘の道具が置かれた場の環境まで確認できます。

武器への意図的な損傷を儀礼と結び付ける説があり、ヌーシャテル大学の研究も、使用痕と損壊痕の詳細な分析から埋納前の扱いを検討しています。橋を使った人々の通行、武器の製作と消耗、死者と供物の関係を合わせて考える必要があり、同じ場所の品物すべてが単一の出来事で水中へ入ったかどうかは調査が続いています。(参照:ヌーシャテル大学(2018年)|ラ・テーヌ出土武器の使用痕と意図的な損傷/ラテニウム考古学博物館|ラ・テーヌ遺跡の発見と解釈史)

ラフナシェイドの青銅製角笛|板を継いだ楽器

アイルランドのアーマー県ラフナシェイドの湿地からは1794年、複数の青銅製角笛や人骨などが見つかったと記録されています。現存する角笛は紀元前1世紀頃の作で、薄い青銅板を打ち出し、二つの筒状の部分を輪でつなぎ、広がった先端へ円形の飾り板を取り付けています。筒の継ぎ目は鋲で固定され、修繕の当て板も残っています。

朝顔状に広がる先端の円板には、古典的な蓮のつぼみ文様から変化した曲線が四方向へ配置されています。線と面を裏から打ち出して浮彫にする方法が用いられました。吹奏楽器としての構造と、広い先端を飾る造形が同じ品物にあります。発見地は古代の重要な集落・儀礼複合遺跡エウァン・マハに近く、水辺での奉納品だった可能性が検討されています。(参照:アイルランド国立博物館|ラフナシェイドの青銅製角笛)

グンデストルプの銀製大釜|薄板に彫られた群像

デンマークのユトランド半島北部では1891年、グンデストルプ近くの泥炭地から、大型の銀製大釜の部材が見つかりました。重量は約9キロ。半球形の底と円い底板、外側の7枚、内側の5枚の装飾板、縁の部分を組み合わせた構造で、発見時には取り外された板が器の内側へ納められていました。板金を裏から叩いて人物や動物を盛り上げ、表面へ細かい点や線を加えています。

内側には鹿の角を持つ人物が鹿や獣に囲まれる場面、武人の列、牡牛を囲む場面などがあり、外側には神々とも解釈される半身像が続きます。大釜の一部には象、獅子、グリフォンなど北ヨーロッパの風景とは異なる動物が表されました。各図を何の物語に対応させるかは意見が分かれ、記録された図像の配置を先に確認する研究が進められています。(参照:デンマーク国立博物館|グンデストルプの銀製大釜と発見状況/デンマーク国立博物館|銀製大釜の図像と構造)

銀製大釜の製作地|東南ヨーロッパとの関係

デンマーク国立博物館は大釜の制作を紀元前150年頃から紀元前1年頃の範囲に置いています。銀板を立体的に打ち出す技術や衣装の細部には、現在のブルガリアやルーマニアに広がったトラキアの工芸との共通点があります。角笛カルニュクスを持つ武人など、ラ・テーヌ文化に関連する図像も含まれます。

同館は、ケルト系とトラキア系の人々が接する東南ヨーロッパで作られた可能性を示しています。現在のデンマークで発見されたことは、そこで製作された証拠にはなりません。贈答、交換、戦利品など移動の経路にはいくつかの仮説があり、金属板の技法と動物の造形を手掛かりに、東南ヨーロッパの銀器と比較する研究が続いています。(参照:デンマーク国立博物館|銀製大釜の製作年代とトラキアとの関係/デンマーク国立博物館|グンデストルプの銀製大釜と発見状況)

曲線装飾はどう作られ、どう研究されてきたか

打ち出し・線刻・鋳造|造形ごとに異なる工程

バタシーの盾は薄板を裏側から叩いて大きな渦を作り、表から細い線と赤いガラスの鋲を重ねて仕上げました。スネティシャムの首輪は細い金合金の線を束ねてねじり、中空の端部金具を鋳造して接合しています。ヴィクスの混酒器では広い器面を板金で作り、把手のメドゥーサや周囲の小像を蝋型鋳造で別に作りました。

同じ曲線の文様でも、金属の厚み、作業する面、工具の動く方向が異なります。青銅板に裏から打った線は表面の高さを変え、鉄の鞘への刻線は表面を削り、金の首輪に鋳出した盛り上がりは鋳型の形を反映します。実物に残る継ぎ目、鋲、彫りの方向は、どこにどの職人の工程が入ったかを推定する根拠です。(参照:ロンドン博物館(2025年)|バタシーの盾の制作とテムズ川出土/大英博物館|スネティシャムの大型黄金首輪(1951,0402.2)/シャティヨネ地方博物館|ヴィクスの墓と出土品の公式解説)

ヤーコプスタールの様式分類|1944年の研究

考古学者パウル・ヤーコプスタールは1944年の著書『初期ケルト美術』で、ラ・テーヌ文化の装飾を比較し、初期の様式、ヴァルトアルゲスハイム様式、立体的な彫塑の傾向、剣の装飾などを区別しました。植物の葉をどこまで崩して渦に変えるか、鳥や人の顔が曲線の間へどう組み込まれるかという形の差から、作品群を整理しようとした研究です。

この区分は長く研究の基礎として使われてきました。その後の発掘で、紀元前6世紀の南ドイツにも複数の円や線をつなぐ新しい造形が確認され、紀元前5世紀に突然完成された様式が現れたという説明は見直されています。ターニャ・ロマンキェヴィチは2021年の論文で、ギリシア・エトルリアからの植物図案だけでなく、青銅器時代以来の水鳥、東方の動物表現、地域の幾何学文様を含む複数の経路を整理しました。(参照:考古学専門誌『Études celtiques』(1973年)|ヤーコプスタールの様式区分の研究史/T・ロマンキェヴィチ(2021年)|ケルト美術の視覚表現と解釈研究)

見える顔と見えない顔|模様の解釈をめぐる研究

ラ・テーヌの曲線装飾には、丸い渦の間に二つの目のような点が現れ、葉の先が鳥の頭にも見える図柄があります。ヤーコプスタールは1941年に、渦や葉の中へ顔が現れる曖昧さに注目しました。以後、動物と人の姿を意図的に隠した表現、護符として働く図柄、見る角度によって形が変わる遊びとして研究されてきました。

ロマンキェヴィチ(2021年)は、現代の観察者が顔を見つけることと、制作した人が同じ顔を意図したことを区別し、知覚の研究を交えた新たな検証課題を提示しました。論文自身が初期的な仮説と位置付けており、特定の人の認知特性から古代の職人像を確定した研究ではありません。実物の線が重なる位置、作品を回すと現れる形、使うときの見え方が、今後の検討対象になっています。(参照:T・ロマンキェヴィチ(2021年)|ケルト美術の視覚表現と解釈研究)

『ケルト』と呼ばれる範囲|装飾と集団の違い

鉄器時代の渦巻き装飾はフランス東部、ドイツ、ボヘミア、ブリテン島、アイルランドなどで見られます。古代のギリシア・ローマの著述家が『ケルト』と呼んだ人々の地理的な範囲と、考古学でラ・テーヌ様式の品物を見つける地域とは、完全には重なりません。交流で物が移動する場合も、金工技術だけが伝わる場合もあります。

考古学者マヌエル・フェルナンデス=ゲッツは2016年、ジョン・コリスの2003年の著作や、1990年代から続く議論を整理し、古典古代の史料にはブリテン諸島の住民をケルト人と呼ぶ記述がないことを示しました。現在の民族的な呼称を紀元前の工芸品へ直接結び付ける説明には研究史上の議論があります。作品の技法、地域、出土状況を別々に記すことで、金属装飾そのものの分布を追うことができます。(参照:M・フェルナンデス=ゲッツ(2016年)|ケルトという呼称と美術・集団の同一視をめぐる議論/スコットランド国立博物館|『ケルト人:美術とアイデンティティ』展)

略年表

  • 紀元前800年頃|中央ヨーロッパで前期鉄器時代のハルシュタット文化が展開し、塩坑と墓地に金属工芸品が残る
  • 紀元前650〜550年頃|中央ヨーロッパで馬形の青銅製衣服留め具などが作られる
  • 紀元前530年頃|ホーホドルフの有力者の墓が築かれ、青銅製寝台などが納められる
  • 紀元前530年頃|南イタリアのギリシア系工房でヴィクス出土の大型青銅製混酒器が作られる
  • 紀元前5世紀前半|ヴィクスの墓へ混酒器・四輪車・装身具などが納められる
  • 紀元前450年頃|中央ヨーロッパ各地でラ・テーヌ文化の曲線的な装飾が展開する
  • 紀元前420〜360年頃|バス=ユッツの青銅製注口容器が制作される
  • 紀元前420〜400年頃|グラウベルクの石造武人像や墓の装身具が作られる
  • 紀元前4世紀頃|ヴァルトアルゲスハイムの車葬墓に曲線装飾の金属器が納められる
  • 紀元前3世紀頃|ブリテン島で装飾盾や馬面具などの金属工芸が展開する
  • 紀元前3世紀末〜2世紀|コバルト青色と黄色のガラス腕輪が中央ヨーロッパに広がる
  • 紀元前2〜1世紀頃|ウォータールー橋出土の角付き青銅兜が作られる
  • 紀元前150〜50年頃|スネティシャムの大型黄金首輪が制作される
  • 紀元前150〜1年頃|グンデストルプの銀製大釜が制作されたと考えられる
  • 紀元前1世紀|ブロイターの黄金首輪とラフナシェイドの青銅角笛が制作される
  • 紀元前60年頃|人物の頭を柄にした鉄剣と鞘が作られる
  • 紀元前50年頃|スネティシャムで黄金首輪が埋納されたと推定される

まとめ

ハルシュタットの塩坑に残る木製の柄と青銅の刃部、ヴィクスの薄い青銅板と別鋳造の人物像、スネティシャムで64本の金属線を撚った首輪は、同じ時代の工芸でも材料を加工する手順が大きく異なることを示しています。鉄剣の装飾面、盾の打ち出し、銀製大釜の人物浮彫には、金属の性質を利用して曲線や立体を作り出す方法が残されています。

中央ヨーロッパの墓からはギリシア系の大容器や珊瑚・琥珀が見つかり、ブリテン島やアイルランドには赤いガラスの盾、渦巻き模様の首輪が残ります。製作地と出土地を区別すると、交流を通じて運ばれた完成品と、各地域の工房が別の材料で作った品を分けて考えられます。ラ・テーヌ遺跡や河川の発見品には、使用痕、意図的な損傷、埋納の順序を調べられる例があります。

ラ・テーヌの渦巻きに顔や動物を読み取る研究、川や湿地に品物を納めた理由をめぐる研究には複数の考え方があります。グンデストルプの大釜がどこで作られたか、ブロイターの首輪がどのような儀礼で使われたかも、技法や出土環境から検討が続いています。金属に残った加工痕と、品物が置かれていた状況を一つずつ確かめる調査が、現在の解釈を支えています。(参照:T・ロマンキェヴィチ(2021年)|ケルト美術の視覚表現と解釈研究/ヌーシャテル大学(2018年)|ラ・テーヌ出土武器の使用痕と意図的な損傷/デンマーク国立博物館|銀製大釜の製作年代とトラキアとの関係)

参考資料・出典

  1. メトロポリタン美術館|西・中央ヨーロッパの紀元前1000年〜紀元後1年の編年
  2. ウィーン自然史博物館|ハルシュタットの塩坑と先史考古学
  3. ウィーン自然史博物館|ハルシュタット期の採塩・用具・生活
  4. ウィーン自然史博物館|ハルシュタット鉱山の織物資料
  5. ウィーン自然史博物館|ハルシュタット期の墓地と集落
  6. メトロポリタン美術館|馬形青銅留め具(1992.107)
  7. バーデン=ヴュルテンベルク州文化財局(2021年)|ホーホドルフ墓の青銅製寝台研究
  8. ホーホドルフ・ケルト博物館|墓の発見と展示
  9. テキサス大学|ホーホドルフ墓室・副葬品の研究資料
  10. シャティヨネ地方博物館|ヴィクスの墓と出土品の公式解説
  11. シャティヨネ地方博物館|ヴィクス出土品の英語展示案内
  12. ラテニウム考古学博物館|ラ・テーヌ遺跡の発見と解釈史
  13. フランス国立考古学博物館|1857年のラ・テーヌ遺跡の発見
  14. ヌーシャテル大学(2018年)|ラ・テーヌ出土武器の使用痕と意図的な損傷
  15. 大英博物館|バス=ユッツ出土の注口容器2点(1929,0511.1–2)
  16. 大英博物館提供|バス=ユッツの青銅製注口容器
  17. グラウベルク州立考古学博物館|第5世紀の墓と出土品
  18. グラウベルク州立考古学博物館|等身大の武人石像
  19. グラウベルク州立考古学博物館|墳丘と石像の出土地点
  20. ヴァルトアルゲスハイム町|装飾金具を伴う車葬墓の発見
  21. ライン川観光局|ヴァルトアルゲスハイム墓の首飾りと青銅製注口容器
  22. 考古学専門誌『Études celtiques』(1973年)|ヤーコプスタールの様式区分の研究史
  23. メトロポリタン美術館|北フランスの銀・銅合金製留め具(17.191.112)
  24. メトロポリタン美術館|人の頭を柄にした鉄剣と鞘(1999.94a–d)
  25. 大英博物館|ラ・テーヌ期の鉄製剣・鞘
  26. メトロポリタン美術館|イベリア半島の銀象嵌帯金具(1990.62)
  27. 大英博物館|バタシーの盾(1857,0715.1)
  28. ロンドン博物館(2025年)|バタシーの盾の制作とテムズ川出土
  29. 大英博物館|ウィザム川出土の盾(1872,1213.1)
  30. 大英博物館|ウォータールー橋出土の角付き青銅兜
  31. スコットランド国立博物館|トーズの馬面具と角飾り
  32. スコットランド国立博物館|鉄器時代の動物装飾とトーズの馬面具
  33. 大英博物館|スネティシャムの大型黄金首輪(1951,0402.2)
  34. 大英博物館|鉄器時代の金属首輪の着用と制作
  35. 大英博物館|スネティシャムで発掘された別の首輪群
  36. アイルランド国立博物館|ブロイターの黄金首輪
  37. アイルランド国立博物館|ブロイター出土品と鉄器時代工芸の展示案内
  38. アイルランド国立博物館|ラフナシェイドの青銅製角笛
  39. メトロポリタン美術館|コバルト青色のガラス腕輪(17.194.332)
  40. デンマーク国立博物館|グンデストルプの銀製大釜と発見状況
  41. デンマーク国立博物館|銀製大釜の図像と構造
  42. デンマーク国立博物館|銀製大釜の製作年代とトラキアとの関係
  43. T・ロマンキェヴィチ(2021年)|ケルト美術の視覚表現と解釈研究
  44. M・フェルナンデス=ゲッツ(2016年)|ケルトという呼称と美術・集団の同一視をめぐる議論
  45. スコットランド国立博物館|『ケルト人:美術とアイデンティティ』展