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紀元前2000–1450

青銅器時代のクレタ島

ミノア文明の宮殿と壁画

エーゲ海南部に横たわるクレタ島は、山々の間に広がる盆地や海沿いの平野を利用して、穀物、オリーブ、ブドウを育てられる土地でした。冬の雨に支えられた農業のほか、羊や山羊の飼育、沿岸での漁、島々を結ぶ航海が人々の暮らしを成り立たせていました。入り江の多い海岸には船が着き、島内の集落はエーゲ海の島々やエジプト、東地中海沿岸の人々と物を交換していました。

紀元前2000年頃までに集落の規模が大きくなり、紀元前1900年頃にはクノッソス、ファイストス、マリアなどで中庭を中心に部屋を連ねた建築群が造られました。今日「宮殿」と呼ぶこの施設には、物資の倉庫、工房、儀礼の場、記録を扱う部屋が集まっていました。紀元前1700年頃の破壊と改築を経て施設はさらに広がり、壁や床は色を塗った漆喰で飾られるようになります。

土器には白や赤の渦巻、海を泳ぐタコ、密生する葦が描かれ、石や象牙を彫った小像、金粒をつないだ装身具も作られました。これらの造形は各地の発掘品によって知られています。一方、クノッソスで目にする色鮮やかな壁画や建物には近代の復元部分が多く、現存する破片から確かめられる絵柄と、復元者が推定した姿とを分けて見る必要があります。

クレタ島の宮殿建築|最初の宮殿から新宮殿へ

紀元前1900年頃|複数の集落に建てられた宮殿

クレタ島の建築の大きな転換は紀元前1900年頃に起こりました。従来の住居が密集する集落の一角に、中庭、列柱のある空間、貯蔵室を備えた複合建築が現れます。クノッソスは島北部、ファイストスは南部のメサラ平野を見渡す丘、マリアは北海岸の平地に位置しています。これらの場所はそれぞれ農耕地と周辺集落を結ぶ拠点であり、ひとつの宮殿から全島が統治されたと判断できる文字史料はありません。この文化を「ミノア」と呼ぶ名称は、20世紀初頭の発掘者アーサー・エヴァンズが、後世の神話に登場するミノス王にちなんで付けたものです。

紀元前1900〜1700年頃の建物は「旧宮殿」と呼ばれます。紀元前1700年頃には主要施設で破壊や建て替えが起こり、同じ場所により大きな「新宮殿」が築かれました。メサラ平野のファイストスでは初期の建物の一部が後の広場や床の下に残り、クノッソスでも構築の段階が重なります。遺跡に残る石壁が一度に全部築かれたわけではなく、壁と床のつながりから改築の順序を調べています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|先史時代展示の案内/メトロポリタン美術館|ミノア文明のクレタ島(C・ヘミングウェイほか、2002年))

クノッソス|敷石の中庭と周囲の階層的な空間

クノッソスの宮殿はイラクリオン近くのケファラ丘にあり、広い中央中庭を軸に建物の各部が組み合わされます。西側に倉庫と儀礼に用いたとみられる部屋、東側には高低差を利用した複数階の部屋と階段、採光のための吹き抜けがありました。下段には排水路が巡り、柱や梁に用いた木材を石造の壁と組み合わせる建築でした。屋内の彩色漆喰と外の中庭が通路や階段で連続する平面は、採光と人の移動の両方を考慮した設計です。

壁の一部や敷石は発掘された遺構ですが、現在見られる赤い柱、上層の部屋、いくつかの屋根には20世紀の再建が含まれています。クノッソスでは1878年にミノス・カロケリノスが調査を始め、1900年からアーサー・エヴァンズが本格的な発掘を進めました。エヴァンズは遺構を見せるため鉄筋コンクリートを使って部屋を再構成しました。現地の立体的な姿を古代の建物がそのまま残ったものと受け取ることはできません。(参照:ギリシア政府観光局|クノッソス宮殿の建築・発掘史/メトロポリタン美術館|ギリエロン親子のクノッソス壁画復元を検証(S・ヘミングウェイ、2011年))

ファイストス・マリア・ザクロス|地域ごとに異なる建築

ファイストスでは丘の斜面に沿って広場、段状の観覧席に似た階段、中庭を配置し、その周囲に部屋群が広がりました。マリアの宮殿では中庭と細長い倉庫のほか、作業場や居住区が発掘されています。宮殿の西側にある「ミュー地区」からは金工の技術を示す短剣などが出土し、儀礼用の場所だけでなく、職人の仕事の場が宮殿の近くにあったことが分かります。

島東端のザクロスは、主に新宮殿時代後半に発展した海沿いの中心地です。宮殿の聖所に付属する納置室からは、硬い石をくりぬいた儀礼用の容器が見つかりました。2025年にはクノッソス、ファイストス、マリア、ザクロスのほか、ゾミントスとキドニアを含む六つの遺跡が「ミノア文明の宮殿群」として世界遺産に登録されました。六つの立地と建物の歴史は同一ではなく、それぞれの発掘記録を比べて建築の変化が研究されています。(参照:UNESCO世界遺産センター|ミノア文明の宮殿群(2025年登録)/ヘラクリオン考古学博物館|ザクロスの水晶製注酒器/ヘラクリオン考古学博物館|マリアの金装飾を施した青銅短剣)

宮殿の内部に残された倉庫・遊戯盤・都市の模型

アギア・トリアダの大甕|農産物を納める容器

宮殿や大きな邸宅では、オリーブ油や穀物、酒などを大量に保存するため、床に沿って大きな甕が並べられました。アギア・トリアダの建物の第5室で見つかった甕は、保存された部分を組み直すと高さ140センチ、口径53センチ。胴体には縄を巻いたような粘土の浮彫帯があり、持ち上げたり蓋を結び付けたりするための取っ手を備えます。器を使う建物と保管場所が分かるため、単独で出土した土器より用途を考えやすい資料です。

この甕には焼成前に線文字Aの銘文が二つ刻まれました。一つに含まれる語は、現在のクレタ島中部にあったシヴリタという地名を指す可能性が論じられています。線文字Aの言語そのものは解読されていないため、甕の中身や所有者を全文から確定することはできません。生産地や数量を容器に記したと考える解釈は、宮殿で出土したほかの記録と併せて検討されています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|線文字Aを刻んだ大甕(Π3915)/メトロポリタン美術館|ミノア文明のクレタ島(C・ヘミングウェイほか、2002年))

『都市のモザイク』|建物の正面を描く小さな板

1902年、エヴァンズはクノッソス宮殿東側の埋土から、色を付けたファイアンスの小板を多数発見しました。ファイアンスは石英質の材料を成形して釉を焼き付けたもので、ここでは高さ2.7〜5センチほどの小板に窓や扉が描かれています。細い梁で区切られた二階建て、三階建ての家の正面のほか、植物、人物、動物、海を表す小板もあります。紀元前1700〜1600年頃の遺物とされています。

エヴァンズはこれを『都市のモザイク』と名付け、城壁を攻める場面ではないかと推測しました。現在の所蔵館も、木箱や家具にはめ込まれた飾りだった可能性を挙げています。板同士がつながった状態で発見されたわけではなく、展示される町並みの順番や全体の情景は復元です。実際の小板に描かれた扉、四角い窓、積み石の線は、当時の住宅がどのように表現されたかを直接伝えています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|『都市のモザイク』(Υ1)/ヘラクリオン考古学博物館|ファイアンス製『都市のモザイク』)

水晶と金箔で飾った遊戯盤

クノッソス宮殿出土の遊戯盤は、復元寸法で長さ96.5センチ、幅55.3センチ。元の木製とみられる台は残っていません。象牙の枠には金箔をかぶせ、彫り込んだ花形の中心に水晶をはめました。盤面には青いガラス質の材料と銀箔の上に水晶板を載せ、象牙の細い区画を通して幾何学文様を組み上げています。盤の近くでは高さ7〜8.2センチの円錐形の象牙製品四点も見つかりました。

四つの製品は盤上の丸い区画と大きさが対応するため、駒だったと考えられています。エヴァンズは二人用の遊戯を想定しましたが、ルールを記した文書は残っていません。上質な素材を幾重にも重ねた盤が宮殿にあったという出土事実と、盤上の行為が単なる娯楽か儀礼にも関わったかという推測は区別されます。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|クノッソスの遊戯盤(Υ46ほか))

土器の色彩と文様|カマレス式から海洋文様へ

ファイストスのカマレス式土器|黒地に白と赤の渦巻

旧宮殿時代には、暗い地色の器面に白、赤、橙、紫などを重ねて描くカマレス式土器が作られました。ファイストス宮殿の出土品には、高い脚をもつ大形の混酒器や水差し、薄く成形した小杯があり、紀元前1750〜1700年頃のまとまった食器群として知られています。大型器の口縁に小さな輪を下げる突起を付けたり、粘土を高く盛って花びらを表したりする、立体的な飾りも特徴です。

黒く光る器面では、白い多弁の花、連続する渦巻、チェッカー状の模様が、器の曲面に沿って回ります。杯の一部は卵の殻を思わせる薄さで、器壁を均等に仕上げる成形技術が必要でした。模様の近い大形器が同じ発掘場所から見つかったことから、宮殿の宴席用に一組で作られた可能性があります。日常の粗い容器とは異なる制作の手間が、使う場面にも関わったと考えられます。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスのカマレス式『王の食器セット』)

パレカストロの海洋文様の瓶|器面いっぱいのタコ

新宮殿時代後半の紀元前1500〜1450年頃、島東部のパレカストロでは、胴の広い瓶に大きなタコを描いた陶器が作られました。頭を正面から見せる一方、長い脚は器面を斜めに横切り、曲面に巻き付くように広がります。脚の間にはウニ、巻貝、海藻、岩などが置かれ、海底の生き物が容器の周囲を覆っています。白く残した余白を埋める構成は、海の景色を一枚の平面に描く壁画とは異なる、器形に即した絵柄です。

所蔵館はこの作例を「海洋文様の画工」の制作と考え、グルニア出土の注口付き瓶にも近い筆致を認めています。同一の工房や画工という帰属は、図柄と線の比較による研究上の提案です。海洋文様の陶器はクレタ島外にも伝わり、海生動物の形を取り入れた装飾が交易品の表面にも載っていました。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|パレカストロの海洋文様の瓶)

葦を描く水差し|植物の筆致と金属器との関係

ファイストス出土の紀元前1500〜1450年頃の水差しでは、胴の下から伸びる葦の茎と細長い葉が器面を埋めます。波打つ線を地面または水際のように置き、植物がその線から成長する姿に構成されています。葉を二度の筆運びで描く特徴から、所蔵館は「葦の画工」と仮称する職人の作品とみています。植物が伸びる方向と注ぐための口・取っ手の位置が合うように図柄が調整されています。

この種の水差しは宴席や儀礼で液体を注ぐ容器と考えられます。器形には金属製容器との共通点があり、同じ時期の壁画でも葦や花が繰り返し描かれています。文様が好まれた背景を考えるときには、植物の象徴性だけでなく、陶器、金属器、壁面に共通する装飾技術の広がりも検討されます。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスの葦文様の水差し)

クノッソスの壁画|宮殿に集う人々と動物

『三分割神殿の壁画』|小さな人物の群衆表現

クノッソス宮殿の北西部、中央中庭へ向かう入口の上階にあった部屋から、人物を小さく描く壁画が出土しました。現在の復元品『三分割神殿の壁画』は高さ54センチ、幅124センチ。中央には三つの区画からなる建物があり、屋根には雄牛の角を抽象化した「聖なる角」が載ります。その左右では華やかな衣装と髪形の女性が腰掛け、さらに外側に柱や壇が並び、前景には細かい筆触で多数の観衆が表されています。

制作時期はおおむね紀元前1600〜1500年頃とされ、近くには『聖なる森と踊り』の壁画もあったと考えられています。後者は大勢の人が女性の踊りを囲む様子に復元されていますが、保存された原断片は少なく、現在の構図にはエヴァンズの補いが多く含まれます。ルツィエ・ヴァレンティノヴァは2022年の研究で、こうした細密壁画を一回の祭礼の記録と読む方法に疑問を呈し、見下ろしたような視点や地図に似た配置に注目しました。特定の出来事を描いたのか、宮殿と人々の関係を広く示した構成なのかが議論されています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|三分割神殿の細密壁画(Τ26)/ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|聖なる森と踊りの壁画(Τ25)/L・ヴァレンティノヴァ(2022年)|クノッソスの細密群衆壁画の構図研究)

『青い鳥の壁画』|花・流れ・猿が続く風景

宮殿西側の「壁画の家」では、紀元前1600〜1500年頃の壁画片が見つかりました。『青い鳥の壁画』の残存部分には、花のそばの岩に留まる青い鳥、小川、植物が描かれています。別の断片にある猿と鳥の姿を合わせて調べると、白百合、クロッカス、パピルス、ギンバイカ、葦などが続く、一室の壁全体に広がる風景だったことが検討されています。

初めの修復では三つの独立した絵として組まれました。その後、漆喰片と絵柄のつながりを調べ直した研究によって、角を回って続く一つの風景を構成していたとする見方が示されました。猿が鳥を追ったり卵を食べたりする場面も含まれ、室内に外の水辺や岩場を作り出すような絵画でした。動物の種類を描き分けることと、自然の風景に儀礼的な意味を見た可能性は、別の問いとして研究されています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|青い鳥の壁画)

イルカの壁画|発見場所と設置位置をめぐる説

『イルカの壁画』は、青みがかった水面の中に二頭のイルカを泳がせ、小さな青、黄、桃色の魚を散らした絵です。保存断片を組み合わせた作品の大きさは高さ127センチ、幅176センチ。淡青色の地には濃い青の網目状の線があり、水面の揺れを表現したとみられます。クノッソス宮殿東部の、エヴァンズが「女王の間」と名付けた区域の吹き抜けから断片が見つかりました。

エヴァンズは絵が入口の上の壁を飾ったと考え、現在の現地展示にもその推定が反映されています。考古学者ロバート・ケールは1986年、出土記録と赤みを帯びた石灰岩の縁飾りを再検討し、「宝庫」と呼ばれる空間の床面に海の絵があったという説を示しました。絵の制作時期についても所蔵館の紀元前1600〜1450年頃という編年より新しい時代に置く案を述べています。発見された絵柄と、元の設置位置・年代をめぐる推定は別々に検証されています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|イルカの壁画(Τ10)/R・B・ケール(1986年)|クノッソス宮殿の海洋風景の床画/メトロポリタン美術館|ギリエロン親子のクノッソス壁画復元を検証(S・ヘミングウェイ、2011年))

角を下げた雄牛の浮彫と、牛跳びの場面

クノッソス北入口付近には、首を低く伸ばした雄牛を漆喰の盛り上げと彩色で表す浮彫壁画がありました。紀元前1650〜1550年頃とされる破片には、前へ向いた耳、半開きの口、外へ出た舌が残っています。同じ絵の破片とみられるものには、人の手足、ほかの牛、オリーブの木、岩場もあり、牛を追う場面だった可能性があります。動物の頭だけで全体の情景を決めることはできません。

一方、上階の室内を飾った『牛跳びの壁画』は、雄牛の前方・背中・後方に三人を配し、一人が背に飛び乗る姿勢に復元されています。人物の肌には赤と白が使い分けられ、所蔵館はこの絵の制作時期を紀元前1450〜1400年頃とします。新宮殿時代の末から、クノッソスで宮殿の利用が続く次の段階にかかる年代です。牛跳びが実際の見世物だった可能性はほかの小像や印章からも考えられていますが、描かれた身体の運びを現実にそのまま再現できるかは研究が分かれます。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|雄牛の浮彫壁画断片/ヘラクリオン考古学博物館|牛跳びの壁画)

『百合の王子』|三つの断片から作られた人物像

『百合の王子』として知られるクノッソスの浮彫壁画は、紀元前1600〜1450年頃の断片三点を合わせた大きな人物像です。彩色した漆喰を盛り上げて作り、赤い地に腰布と帯を身に着けた身体を置き、頭には百合や羽根の飾りを加えています。三つの原断片は互いに接合せず、肩、腰、頭が一つの人物に属するかどうかは、発見時から復元の論点でした。

エヴァンズは1900年代初頭にこの像をクノッソスの支配者「祭司王」と解釈しました。その後、アスリートの姿とみる復元、頭の飾りは女性やスフィンクスのものではないかという説も提案されました。メトロポリタン美術館は2011年にギリエロン親子による制作過程を検討し、同じ断片から複数の組み合わせが成立しうることを紹介しています。現存する断片には王名や職名がなく、復元された容貌を個人肖像とみなす根拠はありません。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|『百合の王子』の壁画/メトロポリタン美術館|ギリエロン親子のクノッソス壁画復元を検証(S・ヘミングウェイ、2011年))

石・象牙・ファイアンスで作られた奉納像と容器

『蛇の女神』|神殿の納置坑に収められたファイアンス像

クノッソス宮殿の西側にあった中央聖所では、床下の納置坑からファイアンスの女性像と儀礼具が発見されました。二体の著名な像は、ひだの重なる長いスカートと前掛け、胸を開いた体に密着する上衣を表し、腕や頭の周囲に蛇を組み合わせています。別々の型で作った部分を針金でつないで組み立て、色を付けて焼いたものです。坑には同じ種類の像の断片、動植物や海の生物を描いた小板、輸入土器なども収められていました。

所蔵館は、聖所が紀元前1600年頃に壊れた後、祭具がまとめて納められ、改築後に坑が封じられたと説明しています。像の制作年代は所蔵資料によって幅があり、紀元前1650〜1500年頃の間に位置づけられます。像を地母神・冥界に関わる女神とみる解釈は広く知られますが、実際の人物が巫女であった可能性も論じられています。蛇の造形は確認できても、礼拝者が像をどう呼んでいたかを記す文字は残っていません。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|『蛇の女神』と神殿の納置坑)

雄牛の頭の注酒器|黒い石と水晶の眼

クノッソスの「小宮殿」からは、黒い滑石を彫った雄牛の頭形の容器が出土しています。現在見える顔の右半分や角には大きな復元部分があり、原品として残るのは頭の左側です。毛の向きは浅い線を刻んで示し、眼には水晶と赤い碧玉、鼻面には白い貝をはめ込んでいました。残った水晶の裏側をくぼませて瞳を大きく見せる加工も確認されています。

この種の器は、背側の穴から注いだ液体が口の穴へ抜ける「注酒器」として作られました。紀元前1600〜1450年頃の新宮殿時代に属し、雄牛の姿と液体を捧げる行為が結びつきます。失われた角は金箔を施した木製だった可能性がありますが、発掘で角そのものが回収されたわけではありません。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|雄牛の頭をかたどった石製注酒器)

象牙の牛跳び人物像|空中姿勢を組み立てた小彫刻

クノッソス宮殿出土の象牙製人物像は長さ28.7センチで、背中を反らせ、腕と脚を伸ばした宙返りのような姿勢を表します。筋肉の盛り上がりや爪の形が小さな面積に刻まれました。近くでは別の象牙製人物像の断片とファイアンス製の牛の頭も見つかり、複数の部材を組み合わせた牛跳びの立体場面だったと考えられています。

顕微鏡調査では人物の表面に赤い顔料の痕跡が認められ、頭部には金メッキした銅線で作った髪が取り付けられていました。近くの金箔も衣服の一部だった可能性があります。人像を空中に支えた台は残っておらず、発掘者は針金で吊した姿を想定しました。この小像は、身体の動作、異なる素材の接合、鑑賞時の支え方を一緒に考えなければ形が復元できない作品です。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|象牙製の牛跳び人物像(Ο-Ε3)/ヘラクリオン考古学博物館|象牙製の牛跳び人物像)

アギア・トリアダの『収穫者の壺』|行進する人々の浮彫

紀元前1500〜1450年頃の『収穫者の壺』は、アギア・トリアダの大きな邸宅で見つかった黒い滑石の容器です。上部の肩と首だけが残り、下半分は失われています。肩には鎌や穀物の処理に使う道具を担いだ人々が列を作り、顔を上に向けて歌うような人物や、振って音を鳴らすエジプト由来の楽器「シストラム」を持つ人物が浮彫にされています。行進の先頭には、ほかの人と異なる長い衣を着て杖を持つ人物がいます。

一人が後ろを向いて笑うなど、同じ方向へ進む群像の中に表情や動作の違いが彫り分けられています。題名は農作業の道具に由来しますが、収穫そのものの記録か、農耕に結びつく祭礼の行進かは解釈が分かれます。容器は上下の穴から液体を注ぐ注酒器だった可能性が高く、食物を運ぶ人々の像と祭祀で使う道具の機能が一つに組み合わされています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|『収穫者の壺』/メトロポリタン美術館|ギリエロン親子のクノッソス壁画復元を検証(S・ヘミングウェイ、2011年))

ザクロスの水晶製容器|小片から復元された薄い器壁

ザクロス宮殿の聖所に付属する納置室から、紀元前1500〜1450年頃の水晶製注酒器が見つかりました。透明な水晶の大きな塊から胴体を削り出し、首を別に作って接合した容器です。継ぎ目には金箔を施した象牙の円盤を並べ、湾曲する取っ手は十四個の水晶玉を銅線に通して作っています。固い石を薄い器壁になるまで掘り進め、異素材の接合で持ち手を作る加工が必要でした。

出土時、容器本体は数百の細片に割れており、現在の形はヘラクリオン考古学博物館の保存修復によって組み直されています。取っ手は水晶玉が銅線につながったまま見つかりました。完成品の外観からは見えにくい工作の順序が、割れ方や部材の接合状態に記録されています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|ザクロスの水晶製注酒器)

ティリソスの青銅人物像|祈りの姿勢を鋳造する

ティリソスから知られる紀元前1600〜1450年頃の青銅製男性像二体は、やせた若者と、よりがっしりした年長者のように作り分けられています。二体とも短い腰布をまとい、上体を反らせ、右手を額へ上げ、左腕を体側に下ろします。若者には首飾りと足首の輪も表されています。この姿勢は一般に「ミノア式の礼拝姿勢」と呼ばれ、祈願や神への呼びかけを表すと解釈されています。

二体は20世紀初頭、正式な発掘が始まる直前に地元の人から購入され、後の調査では同じ集落から類例が見つかりました。青銅製の奉納像は聖なる洞窟や山頂の祭祀場所で見つかる例が多い一方、この二体は集落との関係が示されます。銅合金の鋳造は土製の小像より材料を多く必要とし、奉納した人の社会的地位を示す可能性もあります。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|ティリソスの青銅製奉納人物像)

黄金細工・印章・文字|細部に刻まれた造形

マリアの蜂形ペンダントと金で飾った短剣

マリアのクリソラッコス墓地で発見された蜂形の黄金ペンダントは、紀元前1800年頃の制作とされます。左右の羽を開いた二匹の蜂が頭と尾の先を合わせ、中央の円盤を支えます。口元にある丸い粒は蜂蜜の一滴、中央の円盤は巣を表すという解釈があります。上部には小さな球を入れた透かし籠、下部には垂れ下がる丸い飾りが付きます。裏は金板で作られ、表には細い金線を並べる細線細工、金粒を付ける粒金細工、板を裏から打ち出す技法が併用されています。

同じマリアでも宮殿西側の「ミュー地区」からは、金装飾のある紀元前1800〜1700年頃の青銅製短剣が出土しました。木製の柄は失われていますが、かつて柄を覆った穴あき金板、留め具の金の輪、刃の中央に伸びる金箔の痕跡が残っています。穴には色の異なる素材がはめ込まれていたと考えられています。身分を示す豪華な道具という解釈は、実戦向きの実用品と異なる手間のかかった装飾に基づいています。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|マリアの黄金の蜂形ペンダント/ヘラクリオン考古学博物館|マリアの金装飾を施した青銅短剣)

黄金の印章指輪|小さな面に女性の儀礼を彫る

クノッソス近郊のイソパタで発見された黄金の指輪は直径約2.25センチで、楕円形の面に四人の女性を彫り込んでいます。左側の二人は手を頭上へ上げて体をやや反らせ、右側の一人は胸前に手を持ち、中央の人物はほかの女性より大きく表されます。背景には小さな浮遊する人影も刻まれました。衣服の幾重ものひだと髪をまとめた姿が、わずかな金の面に納まっています。

ファイストス近くのカリヴィア墓地第11墓出土の金印章では、木を揺する女性と楕円形の石を抱く男性、飛ぶ鳥が並びます。木や石に触れる仕草は神の出現を招く儀式と解釈され、「神顕現」の図像という呼び方もあります。指輪が実際に押印に用いられたのか、墓に入れるための装身具であったのかは個別の摩耗や出土状況を調べる必要があります。彫られた動作は確認できても、儀礼の名称は現在の研究者による説明です。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|イソパタの黄金の印章指輪(Χ-Α424)/ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|カリヴィア墓地の黄金の印章指輪(Χ-Α45))

ファイストスの円盤|押し型で刻まれた241の記号

1908年7月3日、イタリアの考古学者ルイージ・ペルニエはファイストスの建物の一室で、両面に記号を並べた粘土円盤を発見しました。直径は約15.8〜16.5センチで、紀元前1700〜1650年頃の遺物とされています。焼成前の柔らかい粘土に小さな押し型で記号を押し、合計241個の印影を両面に残しました。人物、鳥、植物、船などを思わせる形が渦巻状に並び、線で区切られた61の群れを成しています。

同じ時期のクレタ島には、絵を使うクレタ聖刻文字と、線状の記号で記録する線文字Aがありました。クノッソス近郊マヴロスペリオの墓出土の黄金指輪にも、線文字Aが外側から内側へ渦巻くように刻まれています。円盤の押し型による記号を線文字Aと同じ文字体系とみなせるかは不明で、文面の内容も解読されていません。反復する記号の群れから歌や祈願の文章とみる説がありますが、確定した訳文はありません。(参照:ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|ファイストスの円盤(Π-Ν1358)/ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスの円盤の発見と図像/ヘラクリオン考古学博物館|線文字Aをらせん状に刻んだ黄金の指輪)

交易でつながるエーゲ海と新宮殿時代の終わり

アギア・トリアダの銅塊|海の向こうから届いた金属

クレタ島には大規模な銅鉱床がなく、青銅器を作るための銅は島外から運び込まれました。アギア・トリアダの建物では、紀元前1500〜1450年頃の銅塊が十九枚、室内に積まれた状態で見つかっています。側面がくびれ、四隅が張り出すため、牛の皮を広げた形にたとえて「牛皮形インゴット」と呼ばれます。一枚の重さはおおむね30キロで、運搬と保管に適した規格化された形です。

ヘラクリオン考古学博物館の説明では、鉛同位体の分析から、銅の供給源にはキプロスと、まだ特定できない別の地域が含まれると考えられています。銅塊の一部には記号が刻まれていますが、その意味や、どの地点で付けられたものかは確定していません。石の容器に組み込まれた水晶・象牙や、金細工に用いられた金も、東地中海の原料流通と関わっていました。(参照:ヘラクリオン考古学博物館|アギア・トリアダの牛皮形銅インゴット/ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|銅インゴット(Χ721)/メトロポリタン美術館|ミノア文明のクレタ島(C・ヘミングウェイほか、2002年))

テラ島のアクロティリ|別の島に残った壁画

クレタ島の北にあるテラ島、現在のサントリーニ島では、アクロティリの集落が火山灰と軽石に覆われた状態で見つかりました。クレタ島と共通する土器や壁画技法が見られますが、アクロティリはテラ島に暮らした人々の町であり、クノッソス宮殿の一部ではありません。建物の壁には、漁獲物を両手に下げる若者、船団と港を細かく描く長い絵、岩場でサフランの花を集める人物などが描かれています。

テラ先史博物館は、西の家の複数の部屋から見つかった壁画群と、別の建物「クセステ3」の壁画群を分けて展示しています。前者では船団や人々の動きを小さな人物で描き、後者ではサフランを集める女性と崇拝を受ける人物の組み合わせが見られます。クレタ島の『三分割神殿の壁画』との共通点は、細密な人物群を部屋の周囲に連ねる手法にあります。各地の図像が同じ祭礼を記録したかどうかは断定できません。(参照:ギリシア文化省・キクラデス文化財局|先史時代のテラ博物館とアクロティリ壁画/ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|三分割神殿の細密壁画(Τ26))

テラ島の噴火|何を測った年代なのか

アクロティリの町を覆ったテラ島の噴火は、新宮殿時代のエーゲ海で起きた大きな災害です。その暦年代には長く議論がありました。フリードリヒらは2006年、噴火の堆積物に埋もれたオリーブ枝の放射性炭素年代を連続する年輪の順序と組み合わせ、紀元前1627〜1600年という範囲を報告しました。一方、ピアソンらは2018年、暦年が確定した樹木の年輪から炭素14濃度の変動を調べ、噴火が紀元前16世紀に入る可能性を指摘しました。枝の木質部分が最後の生育年をどこまで正確に示すかも検討課題です。

マニングの2022年の研究は、アクロティリの噴火前の層にあった短命な植物資料、噴火の堆積物と関係する木材、ほかの遺跡との上下関係を一緒に計算し、紀元前1609〜1560年を約95%の確率範囲として示しました。ピアソンらの2023年の研究は、テラシア島で火山堆積物に埋まった別のオリーブ低木を分析し、紀元前16世紀中頃に及ぶ可能性を論じています。さらにブリュインスらは2025年、エジプト第17〜18王朝の博物館資料を測定し、噴火がアフメス王の治世より前に起きたと結論しました。これらは測定した木・種子・エジプトの遺物が異なり、噴火の唯一の確定年を示した研究ではありません。(参照:フリードリヒら(2006年)|噴火堆積物に埋没したオリーブ枝の年代測定/C・ピアソンら(2018年)|年輪の炭素14濃度とテラ噴火年代/S・W・マニング(2022年)|テラ噴火の年代と考古学的層序の統合/C・ピアソンら(2023年)|テラシア島で埋没したオリーブ低木の年代/H・J・ブリュインス、J・ファン・デル・プリフト(2025年)|テラ噴火とエジプト王朝の年代比較)

紀元前1450年頃|各地の破壊とクノッソスの継続

紀元前1450年頃、クレタ島の各地の宮殿や集落では焼失や大規模な破壊が記録され、新宮殿時代のまとまった建築・工芸の生産が転換しました。海岸の中心地や宮殿に同じような痕跡が残る一方、各遺跡の破壊がすべて同じ年に起こったと確定しているわけではありません。テラ島の噴火が直接すべての宮殿を滅ぼしたという説明も、噴火と破壊の年代に隔たりがあるため支持しきれません。

クノッソスではその後も宮殿の利用が続き、ギリシア語を記録する線文字Bの粘土板が残りました。線文字Aの使用と区別すると、島の行政や住民の関係が変化していったことがうかがえます。紀元前1450年を越えて制作された作品もあるため、所蔵館が『牛跳びの壁画』を紀元前1450〜1400年頃とするように、個別の作品年代は建物の段階と照合して扱われています。(参照:メトロポリタン美術館|ミノア文明のクレタ島(C・ヘミングウェイほか、2002年)/ヘラクリオン考古学博物館|先史時代展示の案内/ヘラクリオン考古学博物館|牛跳びの壁画)

略年表

  • 紀元前1900年頃|クノッソス、ファイストス、マリアなどに旧宮殿と呼ばれる中庭中心の建築群が成立する
  • 紀元前1800年頃|マリアの墓地で出土した蜂形の黄金ペンダントが作られる
  • 紀元前1800〜1700年頃|マリアのミュー地区に金で飾った青銅短剣などの工芸品が残される
  • 紀元前1750〜1700年頃|ファイストスの宮殿で黒地に白・赤の文様を描いたカマレス式食器群が用いられる
  • 紀元前1700年頃|主要な旧宮殿の破壊・改築を経て新宮殿時代が始まる
  • 紀元前1700〜1650年頃|ファイストスの円盤に押し型で渦巻状の記号が刻まれる
  • 紀元前1700〜1600年頃|クノッソスで家々の正面を描いたファイアンス小板群が作られる
  • 紀元前1650〜1550年頃|クノッソスの北入口近くに雄牛を盛り上げた漆喰で描く壁画が作られる
  • 紀元前1600年頃|クノッソスの中央聖所の納置坑にファイアンス製の人物像や祭具が納められる
  • 紀元前1600年前後|テラ島の大噴火でアクロティリの町が覆われる。噴火の暦年には複数の推定範囲がある
  • 紀元前1600〜1500年頃|クノッソスの小人物群や自然景観の壁画、象牙製の牛跳び人物像などが作られる
  • 紀元前1500〜1450年頃|海洋文様の陶器、アギア・トリアダの石製注酒器、ザクロスの水晶器、牛皮形銅塊などが残される
  • 紀元前1450年頃|クレタ島各地の宮殿や集落で破壊が起こり、クノッソスは後の段階にも使われる

まとめ

紀元前1900年頃に現れたクレタ島の宮殿群では、敷石の中央中庭、複数階を結ぶ階段、貯蔵室、作業場などが組み合わされました。ファイストスのカマレス式土器には薄い器壁と立体的な装飾があり、新宮殿時代の海洋文様の陶器ではタコの脚や海底の生き物が器面の曲線に沿って描かれました。クノッソスの絵画には群衆を小さく描く手法、漆喰を盛り上げて雄牛の頭を作る手法、植物や水の流れを部屋の四方へ広げる手法が残っています。

象牙の牛跳び人物像では、銅線の髪や赤い彩色が確認され、水晶製の容器では別製の首、銅線を通した取っ手、金箔付きの象牙が組み合わされました。牛皮形の銅塊と金細工の出土状況からは、島外の素材を集めて加工する工房と、その品々を保存・使用した場所を具体的に調べられます。一方、『百合の王子』の断片の組み合わせ、蛇を伴う女性像の正体、牛跳びが行われた状況には異なる解釈があり、近代の復元に依存する部分も残っています。テラ島の噴火年代と紀元前1450年頃の破壊の関係も、埋没した植物、考古学的な層序、海を隔てた資料の分析を通して引き続き検討されています。

参考資料・出典

  1. メトロポリタン美術館|ミノア文明のクレタ島(C・ヘミングウェイほか、2002年)
  2. UNESCO世界遺産センター|ミノア文明の宮殿群(2025年登録)
  3. ヘラクリオン考古学博物館|先史時代展示の案内
  4. ギリシア政府観光局|クノッソス宮殿の建築・発掘史
  5. ヘラクリオン考古学博物館|ファイアンス製『都市のモザイク』
  6. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|『都市のモザイク』(Υ1)
  7. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|線文字Aを刻んだ大甕(Π3915)
  8. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|クノッソスの遊戯盤(Υ46ほか)
  9. ヘラクリオン考古学博物館|アギア・トリアダの牛皮形銅インゴット
  10. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|銅インゴット(Χ721)
  11. ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスのカマレス式『王の食器セット』
  12. ヘラクリオン考古学博物館|パレカストロの海洋文様の瓶
  13. ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスの葦文様の水差し
  14. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|三分割神殿の細密壁画(Τ26)
  15. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|聖なる森と踊りの壁画(Τ25)
  16. L・ヴァレンティノヴァ(2022年)|クノッソスの細密群衆壁画の構図研究
  17. ヘラクリオン考古学博物館|青い鳥の壁画
  18. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|イルカの壁画(Τ10)
  19. R・B・ケール(1986年)|クノッソス宮殿の海洋風景の床画
  20. ヘラクリオン考古学博物館|雄牛の浮彫壁画断片
  21. ヘラクリオン考古学博物館|牛跳びの壁画
  22. ヘラクリオン考古学博物館|『百合の王子』の壁画
  23. メトロポリタン美術館|ギリエロン親子のクノッソス壁画復元を検証(S・ヘミングウェイ、2011年)
  24. ヘラクリオン考古学博物館|『蛇の女神』と神殿の納置坑
  25. ヘラクリオン考古学博物館|雄牛の頭をかたどった石製注酒器
  26. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|象牙製の牛跳び人物像(Ο-Ε3)
  27. ヘラクリオン考古学博物館|象牙製の牛跳び人物像
  28. ヘラクリオン考古学博物館|『収穫者の壺』
  29. ヘラクリオン考古学博物館|ザクロスの水晶製注酒器
  30. ヘラクリオン考古学博物館|ティリソスの青銅製奉納人物像
  31. ヘラクリオン考古学博物館|マリアの黄金の蜂形ペンダント
  32. ヘラクリオン考古学博物館|マリアの金装飾を施した青銅短剣
  33. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|イソパタの黄金の印章指輪(Χ-Α424)
  34. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|カリヴィア墓地の黄金の印章指輪(Χ-Α45)
  35. ヘラクリオン考古学博物館|線文字Aをらせん状に刻んだ黄金の指輪
  36. ヘラクリオン考古学博物館収蔵記録|ファイストスの円盤(Π-Ν1358)
  37. ヘラクリオン考古学博物館|ファイストスの円盤の発見と図像
  38. ギリシア文化省・キクラデス文化財局|先史時代のテラ博物館とアクロティリ壁画
  39. フリードリヒら(2006年)|噴火堆積物に埋没したオリーブ枝の年代測定
  40. C・ピアソンら(2018年)|年輪の炭素14濃度とテラ噴火年代
  41. S・W・マニング(2022年)|テラ噴火の年代と考古学的層序の統合
  42. C・ピアソンら(2023年)|テラシア島で埋没したオリーブ低木の年代
  43. H・J・ブリュインス、J・ファン・デル・プリフト(2025年)|テラ噴火とエジプト王朝の年代比較