1900年代初頭
写真が普及したら、絵画は必要なくなる?
スマートフォンで写真を撮れば、目の前の人や景色をすぐに画像に残せます。では、カメラが広まった時代の人々は、こう考えなかったでしょうか。「そっくりに写せるのなら、わざわざ絵を描く必要はあるの?」
今から120年ほど前、写真は一部の専門家だけのものから、普通の人にも身近なものへと変わっていきました。その頃、画家たちは色や形を大胆に変えた絵を描き始めます。写真と絵画が、それぞれ何を表現できるのか。1900年代のカメラと作品を見ながら考えてみましょう。
写真が「特別な技術」ではなくなった
写真の技術が広く知られるようになったのは、19世紀の1839年です。初期の撮影には専門の道具や技術が必要でしたが、その後、フィルムやカメラが改良され、写真館で肖像を撮ってもらうだけでなく、自分で撮影する人も増えていきました。
大きな転機の一つが、アメリカのコダック社が1900年に発売した「ブローニー」というカメラです。箱形の簡単な仕組みで、価格は1ドル。当時としても比較的手頃な値段で売り出され、旅行先や家族との時間など、日常を写真に残す楽しみが広がりました。スコットランド国立博物館のカメラ紹介には、当時のブローニーの姿も掲載されています。(参照:スコットランド国立博物館|写真技術とブローニー・カメラ・コダック|写真の普及の歴史・メトロポリタン美術館|写真技術の誕生)
写真にも、撮る人の表現がある
写真には、見たものを記録する力があります。けれども、同じ場所に立っていても、どこにカメラを向けるか、いつシャッターを切るかで、出来上がる写真は変わります。20世紀の初めには、写真そのものを芸術として認めてもらおうとする人たちも活動していました。
その一人、アメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツが1907年に撮影した《三等船室》を見てみましょう。大きな船の上甲板と下甲板に人々が集まり、斜めに渡された通路や階段、手すりが画面を横切っています。人々の姿を記録した写真でありながら、太い斜線と細かな線が交わる、印象的な画面になっています。
まずはワシントン・ナショナル・ギャラリーの《三等船室》の作品ページで、画面を斜めに走る通路を探してみてください。写真家は、実際にあるものを選び取り、その配置によって独自の表現を作れます。写真も単なる機械的な複写ではなかったのです。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|スティーグリッツ《三等船室》・ニューヨーク近代美術館|写真を芸術として表現した人々)
マティスは、海をピンク色に描いた
同じ頃の絵画にも目を向けましょう。フランスの画家アンリ・マティスは1905年、海辺の町の窓から見える景色を《コリウールの開かれた窓》に描きました。開いた窓の向こうには、小舟の浮かぶ海が広がっています。
この絵では、海にピンク色が使われ、窓の周りには鮮やかな赤や青、緑が並びます。木々や船も、短い色の線や点で描かれています。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの作品ページで絵を見ると、写真的な細かさよりも、色の組み合わせや筆の動きが目に入るでしょう。
マティスは、見た景色の形や色を一つずつ正確に再現することよりも、強い日差しや海辺の明るさを、自分が選んだ色で表そうとしました。現実にない色を加えることで、絵を見たときの印象そのものを作れるのです。こうした試みは、写真の登場だけで生まれたものではありません。画家たちは19世紀から、光や色の描き方をさまざまに探っていました。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|マティス《コリウールの開かれた窓》・ワシントン・ナショナル・ギャラリー|大胆な色彩を使った画家たち)
ピカソは、体の形まで組み替えた
色だけでなく、形の描き方を変えた画家もいます。パブロ・ピカソが1907年に描いた《アヴィニョンの娘たち》では、五人の女性がこちらを向いています。ところが、顔は仮面のように角ばり、腕や胴体も鋭い線で分けられています。
ニューヨーク近代美術館の《アヴィニョンの娘たち》を見ると、左端の人物と右側の人物では、顔や体の描き方がかなり違うことに気づきます。人物の姿を美しく、自然に見せるための決まりから離れ、画面の中で形を組み立て直しているのです。
ピカソの試みには、それまでの絵画や彫刻、ヨーロッパ以外の地域の造形との出会いなど、いくつもの背景がありました。「カメラができたから、ピカソは形を崩した」と一つの理由で説明することはできません。写真が身近になった時代に、絵画には現実を写す以外にも多くの選択肢があることが、こうした作品から伝わってきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ピカソ《アヴィニョンの娘たち》(1907年))
写真と絵画は、互いに刺激を受けた
写真が普及すると画家たちが絵を描くのをやめ、写真家が記録だけを担当した、というわけではありません。画家はカメラを制作に利用し、写真家は絵画の構図や色の考え方から刺激を受けました。
スティーグリッツは1905年、ニューヨークに写真を紹介する展示場所を開き、やがてそこに新しいヨーロッパ絵画も展示しました。1911年にはピカソの作品を紹介しています。スティーグリッツ自身の写真も、絵画の新しい表現と比べながら考えられていました。
カメラで撮れるものが増えたからこそ、絵画と写真の違いを考える人が増えました。同時に、写真も撮影する人の選択によって新しい芸術表現を生み出していきます。二つは競争するだけでなく、互いに可能性を広げていたのです。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|スティーグリッツと近代絵画の交流)
まとめ
写真が広まっても、絵画は必要なくなりませんでした。1900年頃のカメラは、人々が自分の日常を記録する機会を広げました。一方、マティスは現実にはない色を組み合わせ、ピカソは人物の形を大胆に組み替えています。そしてスティーグリッツの写真は、現実の風景を撮ること自体にも、構図を選ぶ面白さがあると教えてくれます。
写真と絵画を分けるのは、「本物そっくりに写せるかどうか」だけではありません。どのような色や形を選び、何を人に伝えるのか。その問いは、カメラにも筆にも共通しています。写真の登場は絵画の終わりではなく、両方の表現を考え直すきっかけの一つになりました。
さらに知りたい方は、ART LIBRARYの「写真はどのように誕生し、普及したのか」、「写真は芸術になれるのか」、「なぜ西洋絵画は『本物らしく描く』だけではなくなったのか」へ進めます。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|写真と近代絵画の関係)