Art Library
Art Intro

1905年

自分の妻の鼻を緑色に? なぜ色を変えたのか?

超理論的な色の魔術師!元美術教員がマティス展をなぞりながら解説!ビジュラジオ#31 東京都美術館 アンリマティス 美術解説 フォービズム(美術解説するぞー ビジュラジオ)

人の顔を緑色で描いた絵があります。肌が緑色だったわけではありません。画家アンリ・マティスは、妻の顔の真ん中に、額からあごまで続く鮮やかな緑のすじを描きました。1905年の《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》です。

なぜマティスは、こんな色を選んだのでしょう。緑の線と周囲の肌色を確かめ、同じ年に描かれた別の肖像画や風景画にも目を向けると、絵の中で色が果たす役割が見えてきます。

顔の真ん中を走る、緑のすじ

Portrait of Madame Matisse. The Green Line

緑のすじのあるマティス夫人の肖像(仏: La Raie Verte、英: Portrait of Madame Matisse. The Green Line) (WIKIMEDIA COMMONS / PUBLIC DOMAIN)

1905年、フランスの画家アンリ・マティスは、妻アメリーの顔を描きました。《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》という絵です。ほぼ正面を向いた顔には、額から鼻筋、口元、あごへと続く緑色の線が通っています。緑は肌の一部に置かれているだけなのに、最初に目を引くほど強い色です。

絵の大きさは縦40.5センチ、横32.5センチ。顔の片側は黄色みが強く、もう片側はピンク色に近い色で描かれています。髪には青みを帯びた暗い色、背景にはオレンジ色と深い緑色。実物の人間の顔をそのまま写した色合いとは、ずいぶん違います。

まずデンマーク国立美術館の作品ページで絵を見てみてください。顔の中心にある緑のすじを目で追うと、左右の肌の色が変わる境目になっていることがわかります。顔だけでなく、背景の左右でも色が大きく切り替わっています。(参照:デンマーク国立美術館|マティス《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》)

どうして影まで緑色にしたの?

人の顔には、おでこや鼻、頬のふくらみがあり、光の当たる場所と影になる場所が生まれます。肌の色を自然に描くなら、明るい部分を薄い肌色に、影を茶色や灰色を混ぜた暗い色にする方法があります。

マティスは、顔の明るいところと暗いところの違いを、黄色、ピンク、緑といった色の組み合わせで表しました。鼻筋の緑は、顔を左右に分ける影のようにも見えます。同時に、緑をはさむことで、隣り合う黄色みのある肌と赤みのある肌が、いっそう鮮やかに感じられます。

背景にも目を移してみましょう。画面の左には暖かいオレンジ色、右には冷たい緑色が広がり、肌の色と響き合っています。つまりマティスは、顔の「正しい色」を選ぶことよりも、画面全体で色がどのように働くかを考えていたのです。色の違いが顔の形を作り、肖像画としての強さも生み出しています。(参照:デンマーク国立美術館|マティス《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》・メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

帽子をかぶった女性の顔も、緑や黄色

同じ1905年に描かれた《帽子の女》でも、モデルは妻のアメリーです。こちらは大きな帽子をかぶって腰掛け、少し横を向いた姿。帽子には青、橙、緑が重なり、顔にも緑色の線や黄色、ピンク、紫が見られます。服や背景も、大胆な色の塊と筆の跡でできています。

サンフランシスコ近代美術館の《帽子の女》を見ると、顔だけでなく帽子や衣服も自由な色で描かれていることがわかります。輪郭や筆の動きははっきり見えますが、女性の表情や身に着けているものは、きちんと読み取れます。

《帽子の女》は1905年秋、パリの展覧会「サロン・ドートンヌ」に出品されました。肌や衣服に自然とは違う色を使った絵は、当時の観客や批評家に強い驚きを与えます。人物の顔は、とりわけ「本物らしく描く」ことが期待されていた題材でした。そこに緑色や黄色の大胆な筆跡が現れたのです。(参照:サンフランシスコ近代美術館|マティス《帽子の女》・サンフランシスコ近代美術館|《帽子の女》と1905年の展覧会)

海や空まで、見たままと違う色に

マティスが自由な色を使ったのは、人物画だけではありません。1905年の《コリウールの開かれた窓》には、南フランスの海辺の町が描かれています。開いた窓の向こうに港の船が見えますが、海にはピンク色、船の帆柱にはオレンジ色、窓の周りにも鮮やかな赤や緑が使われています。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの《コリウールの開かれた窓》を見ると、太い筆跡や色の組み合わせだけで、窓、花鉢、海、船が浮かび上がる様子がわかります。マティスは1905年の夏、画家アンドレ・ドランとともにこの町で制作していました。二人は目の前の光や風景を出発点にしながら、実際に見える色に縛られず描いています。

同じ年のパリの展覧会では、マティスや仲間の強烈な色彩を見た批評家ルイ・ヴォークセルが、彼らをフランス語で「野獣」を意味する言葉で呼びました。ここから「フォーヴィスム(野獣派)」という名前が広まります。風景にも顔にも、実際の色とは違う鮮やかな色が使われ、その自由な描き方が当時の人々を驚かせたのです。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|マティス《コリウールの開かれた窓》・サンフランシスコ近代美術館|《帽子の女》と1905年の展覧会)

まとめ

マティスが顔に緑色を置いたのは、肌の色を間違えたからではありません。顔の左右にある明るさの違いを色で表し、周囲の黄色やピンク、オレンジ色と組み合わせることで、一人の女性の顔を描き出そうとしたのです。

《マティス夫人の肖像》をもう一度見ると、緑のすじは目立つ飾りであると同時に、顔を二つの色の領域へ分ける線でもあります。人物と背景を色どうしの関係で組み立てたところに、20世紀初頭の新しい絵画の考え方が現れています。色彩表現がその後どのように広がったのかは、ART LIBRARYの「20世紀前夜 — 色彩の解放へ」と「フォーヴィスム — 色彩が絵画を構築する」で詳しく知ることができます。(参照:デンマーク国立美術館|マティス《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》・メトロポリタン美術館|アンリ・マティスの生涯と作品)

参考資料・出典