1820年代
風景画の巨匠ターナーは、なぜ光や霧を描いたの?
港を描いた絵なのに、建物や船より、空いっぱいに広がるまぶしい光の方が目立つ。イギリスの画家ターナーの風景画には、そんな不思議な魅力があります。遠くの街は白っぽくかすみ、川面は夕日に染まり、雨の向こうから列車が現れます。どうしてターナーは、これほど光や霧にこだわったのでしょうか。
ターナーが活躍した19世紀前半、風景画は山や街の形を描くだけのものではなくなっていきました。彼の光への関心には、憧れた画家の存在やイタリア旅行、自然の壮大さを表そうとする考え方が深く関わっています。1820年代の港の風景を入口に、その理由を実際の絵からたどっていきます。
なぜ、光そのものを描こうとしたの?
ターナーが光を大切にした大きな理由は、光や天候によって、同じ風景でも姿がまったく違って見えることに関心を持っていたからです。晴れた日の港では船の帆がくっきり見えますが、強い日差しの向こうでは遠くの建物が白っぽくかすみます。雨が降れば輪郭はぼやけ、夕方には川の色まで変わります。ターナーは、そこにある物の形と同じくらい、そうした変化を描こうとしました。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851年)は、イギリスで活躍した風景画家です。港や海、山の姿を細かく観察し、旅先では何冊ものスケッチ帳に絵を残しました。風景画の巨匠と呼ばれるのは、正確に景色を写し取る技術を持ちながら、光と空気の表現を大きく発展させたからです。
光への関心は、本人の言葉にも表れています。1818年の講義で、ターナーは「光は、すなわち色である」と述べたと伝えられます。これは、目に映る景色の色を考えるうえで、光が欠かせないという彼の関心をよく示す言葉です。ターナーにとって太陽や霧は、背景を飾るものではなく、風景そのものの見え方を決める存在でした。(参照:カタルーニャ美術館|展覧会「ターナー:光は色である」)
光の描き方を教えてくれた、昔の画家
この考えを育てた大きな手がかりが、ターナーより150年ほど前に活動した画家クロード・ロランです。17世紀のフランス出身のクロードは、イタリアの風景や港を、柔らかな日の光に包まれた広い空間として描きました。建物や船を左右に配置し、その間から差し込む光を水面に反射させることで、目が自然に遠くへ向かう絵を作っています。
Seaport with the Embarkation of the Queen of Sheba / Claude Lorrain 1648 (WIKIMEDIA / PUBLIC DOMAIN)
例えば1648年の《シバの女王の船出》では、港の両側に大きな建物が立ち、中央の海の向こうに太陽が輝いています。人物や船は細かく描かれていますが、光が画面全体を一つの景色につなげています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーでクロードの絵を見ると、ターナーが惹かれた港と太陽の関係を確かめられます。
ターナーはクロードの作品を長年研究し、その光の表現を自分の絵画で発展させようとしました。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、2012年に二人の関係を主題とする展覧会を開いています。ターナーは亡くなった後にも自分の絵がクロードの絵と並べて展示されるよう、遺言で希望しました。光を描くことは、憧れた画家の表現を学び、さらにその先へ進もうとする挑戦でもあったのです。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーとクロード・ロランの関係・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|クロード・ロラン《シバの女王の船出》)
イタリアで見た光を、1820年代の港へ
ターナーの絵がいっそう明るくなった背景には、1819年のイタリア旅行があります。イタリアで出会った強い日差しや暖かな色調は、帰国後の風景画に影響を与えました。さらに、ターナーは1810年代から、新しく使えるようになった鮮やかな黄色やオレンジ色の絵の具も取り入れていました。旅で受けた印象と画材の工夫が、画面いっぱいの光を描くための助けになったのです。
その変化がよく分かるのが《ディエップ港》です。フランス北部の港町の様子を描いたこの大作は、1825年にロンドンの展覧会で発表され、後に画家自身によって1826年の日付が付けられました。左右には船や建物が並び、人々は荷物を運んだり、港で働いたりしています。画面の奥では太陽が輝き、水面が白や金色に染まっています。ターナーは現地で描いたスケッチに記憶や想像を重ね、ロンドンのアトリエでこの作品を仕上げました。フリック・コレクションで《ディエップ港》を見ると、太陽に近い場所ほど遠くの景色がかすんでいく様子がよく分かります。
この輝きは、当時の人々にも意外に映りました。実際、北フランスの港に地中海のような黄金色の光を描いたことを批判した人もいます。ターナーは港の建物を正確に記録することだけを目指さず、旅で知った光の美しさを使って、風景の印象を強めていたのです。
《Cologne, the Arrival of a Packet Boat in the Evening》 J.M.W. Turner / CC0 1.0 (WIKIMEDIA COMMONS)
1826年に発表した《ケルン、定期船の到着、夕暮れ》は、対照的な作品です。ドイツのライン川沿いの街を舞台に、手前には船、遠くには教会の塔が見え、空と水面には淡いピンクや紫が広がります。《ディエップ港》のまぶしい昼の光とは違い、夕暮れの柔らかな光が街を包んでいます。《ケルン、定期船の到着、夕暮れ》を見ると、ターナーが光の違いによって風景の表情を描き分けていたことが伝わってきます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーの《ディエップ港》と《ケルン》・フリック・コレクション|ターナー《ディエップ港》・フリック・コレクション|ターナー《ケルン、定期船の到着、夕暮れ》)
朝の霧は、物語をどう変えたの?
Ulysses deriding Polyphemus — J. M. W. Turner 1829 / Public Domain (WIKIMEDIA COMMONS)
光や霧は、物語を描くときにも力を発揮しました。1829年の《巨人ポリュフェモスをあざけるユリシーズ》は、古代ギリシャの物語をもとにした絵です。主人公ユリシーズは、一つ目の巨人から逃れ、船で島を離れようとしています。画面の左には帆船が進み、奥の岩山には巨人の姿が潜んでいます。
この絵で最も目を引くのは、船上の小さな人物よりも、海の向こうに昇る太陽です。朝のかすみを通って広がる光が、巨人の暗い岩山と船を包み、危険から抜け出す場面を劇的に見せています。ターナーは1828〜1829年にもイタリアを訪れ、そのとき描いた油彩の習作をもとにこの作品を制作しました。ナショナル・ギャラリーは、クロードが描いた日の出の風景に応答する作品でもあったと解説しています。
ここでは、霧は何かを見えにくくするだけのものではありません。太陽の明るさを際立たせ、遠くの岩山や船との距離を感じさせ、物語の緊張を生み出しています。つまり、ターナーが光や霧を描いた理由には、風景を通じて物語や感情を伝えようとする狙いもあったのです。《巨人ポリュフェモスをあざけるユリシーズ》を見ると、光の前で船や人間がどれほど小さく感じられるか確かめられます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《巨人ポリュフェモスをあざけるユリシーズ》)
嵐や煙を描いたのは、自然の力を伝えるため
ターナーが描いたのは、穏やかな朝日や夕暮れだけではありません。荒れる海、厚い雲、雨や煙にも目を向けました。風や波、雲の動きのように、人間には止められない大きな自然の力を絵にしたかったからです。当時の芸術には、美しいと感じるだけでなく、圧倒されるような驚きや恐れを自然の中に見いだす考え方がありました。この感覚は「崇高(すうこう)」と呼ばれます。
例えば1835年の《月光の下で石炭を積む船員たち》では、イギリスの川で働く人々を描きながら、画面の大部分を月明かりと雲、煙に使っています。暗い川面には月の白い光が広がり、船の近くでは石炭を積むための火が赤く燃えています。月、炎、煙が混じり合うことで、普段の労働風景が壮大な夜景に変わっています。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの作品解説を見ると、その対照的な光を確かめられます。
光や霧を描くことは、風景を美しく見せるためだけの工夫ではありませんでした。自然の大きさや天候の変化の中で、人間の姿がどれほど小さく見えるか。そうした感覚を届けることも、ターナーの目標の一つでした。絵に見える白いかすみも、いつも霧そのものとは限りません。日差しで霞んだ空気、雨、煙、蒸気など、異なる現象が画面の中で働いています。(参照:ワシントン・ナショナル・ギャラリー|ターナーが描いた光と自然の力・カタルーニャ美術館|展覧会「ターナー:光は色である」)
夕焼けと雨で、時代の変化まで描いた
The Fighting Temeraire — J. M. W. Turner / Public Domain (WIKIMEDIA COMMONS)
ターナーは光を使って、出来事の意味も伝えました。1839年の《戦艦テメレール号》には、かつて活躍した帆船の軍艦が、小さな蒸気船に引かれて解体場所へ向かう姿が描かれています。軍艦は白く淡い色で表され、右側の空では太陽が赤く沈んでいます。夕焼けが一日の終わりを告げるように、長く続いた帆船の時代が終わり、蒸気の時代へ移っていく様子を感じさせます。
この夕日は、目撃した場面を正確に記録したものではありません。ナショナル・ギャラリーによれば、船が進む向きから考えると太陽が沈む位置は現実と合わず、船も日没前に到着した可能性があります。ターナーは風景の地理的な正確さより、軍艦の最後の旅にふさわしい夕焼けを選んだと考えられます。《戦艦テメレール号》を見ると、消えゆく帆船と燃えるような空との対比が分かります。
1844年の《雨、蒸気、速度》では、鉄道橋を走る列車が雨の中からこちらへ迫ってきます。橋は奥へ鋭く伸び、周囲の川や木々は雨と光でぼやけています。列車の形だけをはっきり描くより、雨の中で突然現れるように見せることで、速さと迫力が伝わってきます。橋や列車のような新しい技術も、ターナーにとっては光と大気の変化を描く大切な題材でした。
ターナーが光や霧を描いた理由は、絵の輪郭をわざと曖昧にしたかったから、というだけでは説明できません。光や天候を変えることで、同じ船が懐かしい存在になり、列車が目の前に迫るような力を帯びます。風景の姿だけでなく、その場の出来事や感情まで絵にしたかったのです。《雨、蒸気、速度》を見ると、雨の中の列車の見え方を確かめられます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《戦艦テメレール号》・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《雨、蒸気、速度》)
まとめ
ターナーが光や霧を繰り返し描いたのは、光と天候が風景の見え方を変えることに強く惹かれ、その変化を絵画の中心に置こうとしたからです。クロード・ロランから光を取り入れた風景の描き方を学び、1819年のイタリア旅行では明るい日差しを体験しました。そうした経験が、1820年代の《ディエップ港》や《ケルン、定期船の到着、夕暮れ》の輝く色彩につながりました。
さらにターナーは、朝のかすみを使って神話の場面を盛り上げ、夕焼けによって軍艦の最後の旅を印象づけ、雨の中の列車で速度まで感じさせました。光と大気は、景色を照らす背景から、絵画の物語や感情を担う主役へと変わっていったのです。こうした表現の変化をコンスタブルと比較して深く知りたい場合は、ART LIBRARYの「イギリスの風景画 — コンスタブルとターナーはなぜ自然の見方を変えたのか」へ進めます。(参照:ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーとクロード・ロランの関係・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーの《ディエップ港》と《ケルン》・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《巨人ポリュフェモスをあざけるユリシーズ》・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《戦艦テメレール号》・ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《雨、蒸気、速度》)
参考資料・出典
- カタルーニャ美術館|展覧会「ターナー:光は色である」
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーとクロード・ロランの関係
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|クロード・ロラン《シバの女王の船出》
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナーの《ディエップ港》と《ケルン》
- フリック・コレクション|ターナー《ディエップ港》
- フリック・コレクション|ターナー《ケルン、定期船の到着、夕暮れ》
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《巨人ポリュフェモスをあざけるユリシーズ》
- ワシントン・ナショナル・ギャラリー|ターナーが描いた光と自然の力
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《戦艦テメレール号》
- ロンドン・ナショナル・ギャラリー|ターナー《雨、蒸気、速度》




