1839年
写真が生まれたとき、画家たちはどう思ったの?
1839年、フランスで「光を使って目の前の景色をそのまま記録できる」という技術が公開されました。それまでも画家は、街並みや人物の姿を絵に残してきました。ところが新しい技術では、筆で一本ずつ描かなくても、建物や顔の細部が写ります。もし自分が画家だったら、どう感じたでしょうか。
写真の登場を、画家たちがみな恐れたわけではありません。驚いて評価した人、仕事が変わることを心配した人、絵を描くための新しい道具として使った人がいました。当時の写真と画家たちの反応を、残された作品や記録から見ていきましょう。
1839年、描かなくても景色が写った
1839年、パリで新しい画像の作り方が大きな話題になりました。レンズを通して入ってきた光を、薬品で処理した金属の板に記録する方法です。建物の窓や屋根、細かな装飾まで、画家が一本ずつ線を引かなくても写し取れます。
この方法を発表したルイ・ダゲールは、もともと舞台の背景画や光の演出に携わっていた画家でした。写真がある日突然、絵画と無関係な人の手から現れたわけではありません。ダゲールは、光を利用して像を残す方法を研究していたニセフォール・ニエプスと協力した後、実用的な撮影法を完成させました。
1月にフランスの科学アカデミーで発明が紹介され、8月19日にはその方法が公開されます。「ダゲレオタイプ」と呼ばれた初期の写真は、磨いた銀めっきの銅板に像を残すもので、一枚ずつ違う原版ができました。今の写真のように手軽に何枚も印刷できる仕組みではありません。それでも細部まで鮮明に写ることが、人々を驚かせました。ゲティ美術館が紹介する1839〜1842年頃の石膏像の写真を見ると、彫刻の輪郭や表面の陰影まで細かく記録されていることがわかります。(参照:メトロポリタン美術館|ダゲールと写真の発明・ゲティ美術館|初期写真と静物画)
画家たちは、驚きと期待と不安を抱いた
写真を見た画家たちの反応は、一つではありませんでした。目の前の形を驚くほど正確に写せることに感心した人もいれば、自分たちが手で描いてきた仕事の一部を機械が担うことに不安を覚えた人もいました。新しい道具として使えると考えた画家もいます。
当時、人物の顔や街の様子を記録し、人に伝えるには、絵や版画が大きな役割を果たしていました。人物を本物らしく描くには、形を観察し、遠近感や光と影を表現する技術が必要です。カメラがそれを短い時間で記録できるようになれば、とりわけ肖像画や複製の仕事は変わるかもしれません。
それでも、1839年の写真には長い撮影時間が必要で、人が動く場面を簡単に写すことはできませんでした。ダゲレオタイプは色も記録せず、一枚の金属板から同じ写真を何枚も焼き増すこともできません。写真はすぐに絵画のすべてを置き換えたのではなく、それまでになかった可能性と不便さを同時に持っていたのです。(参照:メトロポリタン美術館|1839〜1855年のフランスの写真・ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館|初期の写真技法)
「今日から絵画は死んだ」は、本当に画家の言葉?
写真の歴史には、フランスの画家ポール・ドラローシュが「今日から絵画は死んだ」と叫んだ、という有名な話があります。写真が画家に与えた衝撃を、短い言葉で伝える逸話です。
ところが、この言葉をドラローシュ本人が1839年に発したと確かめられる同時代の記録は見つかっていません。美術史家スティーヴン・バンは、後の時代に広まったこの発言の帰属に疑問を示しています。本人が確かにそう言ったと断定するのは避けるべきでしょう。
一方、ドラローシュが1839年に写真の利点を評価した記録は残っています。科学者フランソワ・アラゴが紹介した彼の見解によれば、写真の正確な描写は、熟練した画家にとっても観察と研究の対象になると考えられていました。ドラローシュが写真をただ恐れた、と決めつけることはできません。画家が新しい技術に感じた可能性の大きさも、当時の反応の一部だったのです。(参照:ヨーク大学|スティーヴン・バンによる発言の検証・ボルドー・モンテーニュ大学の研究誌|ドラローシュと写真の関係)
写真が流行すると、どんな心配が生まれたの?
当時の期待と不安を、絵そのもので伝える資料も残っています。画家テオドール・モリセが1839年末から1840年頃に制作した風刺版画《ダゲレオタイプ狂》です。
版画には、写真を撮ってもらおうとする人々が長い列をつくり、写真機を売る店や、新しい技術を習おうとする人々がひしめいています。上空には大きなカメラをぶら下げた気球まで飛んでいます。写真が流行する世の中を、誇張したユーモラスな絵です。アメリカ議会図書館の所蔵画像で、群衆や看板を見てみてください。
画面の片隅には、版画家たちのための絞首台を貸し出すという、物騒な冗談の看板も描かれています。写真の登場によって、絵や版画を作る人の仕事がなくなるのではないかという心配を風刺しているのです。作者自身も版画を制作していた人でした。この作品からは、写真への熱狂と、それまでの画像を作る仕事への不安が同時に読み取れます。(参照:アメリカ議会図書館|モリセ《ダゲレオタイプ狂》・メトロポリタン美術館|写真の普及と画家の反応)
画家は、写真を下絵の代わりに使い始めた
写真を制作の助けとして使う画家も、早くから現れました。スコットランドの画家デイヴィッド・オクタヴィウス・ヒルは、1843年、大勢の人物を描く大きな歴史画のために、写真家ロバート・アダムソンと協力し始めます。
ヒルが描こうとしていたのは、スコットランドの教会で起きた大きな出来事です。集まった牧師たちの顔や姿を一人ずつ描くには、たくさんの準備が必要でした。そこで二人は人物を撮影し、写真を絵のための下絵や資料として使ったのです。二人が撮影した牧師トマス・チャーマーズの肖像写真には、顔の陰影や衣服の細部がはっきりと残されています。
人物を直接見ながら絵を描くことがなくなったわけではありません。写真があれば、その場を離れても顔や衣服の形を確かめられます。写真は画家の目や手に代わる敵であると同時に、制作を支える新しい道具にもなりました。(参照:メトロポリタン美術館|ヒルとアダムソンの共同制作・メトロポリタン美術館|《トマス・チャーマーズ牧師》の写真)
画家が撮った写真は、どんな作品になったの?
ヒルとアダムソンの協力は、絵画のための資料作りだけで終わりませんでした。二人はエディンバラ近郊の漁村を訪れ、そこで暮らす人々の姿も撮影するようになります。
1845年頃の写真《ニューヘイヴンの漁師の妻たち》では、女性たちが並んで立っています。厚手の服の重なりや、前掛けの縞模様がわかる一方、背景は暗く、人物の顔や手に視線が集まります。二人は、どこに人を立たせ、どんな光の中で撮るかを考え、写真の画面を作り上げました。
これは絵画のように筆で描いた画像ではありません。それでも、被写体を選び、立ち位置や明るさを工夫することで、撮影者の見方が作品に表れています。画家たちの中には、写真を参考資料として使うだけでなく、写真そのものを表現の場にした人もいたのです。(参照:メトロポリタン美術館|《ニューヘイヴンの漁師の妻たち》・メトロポリタン美術館|1840年代の写真表現)
写真が生まれると、絵画はどう変わっていったの?
写真の普及は、その後、画家の仕事や表現の選び方にも影響を与えました。人物の顔を手軽に残す写真館が広まり、絵を描くために写真を集める人も出てきます。その一方で、写真家の側も、絵画で親しまれていた肖像画や風景画の構図を参考にしました。写真と絵画は、互いを意識しながら発展していきます。
例えば19世紀半ばの画家ギュスターヴ・クールベは、人物を描くための資料として写真を所蔵していました。当時、写真のように細かく描かれた絵が批評家から「ダゲレオタイプみたいだ」と評されることもありました。写真は、写実的な絵画の代わりになるだけでなく、「本物らしく描く」とは何かを考える新しい比較相手にもなったのです。
やがて、絵の具ならではの色彩や筆づかいを追究する画家も増えていきます。しかし「写真が発明されたから、画家は写実をやめた」と単純に説明することはできません。写真を使いながら細密な絵を描く人も、写真とは違う表現を探す人もいました。1839年の発明は、画家たちに一つの答えを与えたのではなく、画像をどう作り、何を伝えるのかという選択肢を広げていったのです。(参照:メトロポリタン美術館|クールベと写真の関係・メトロポリタン美術館|写真と絵画の相互関係)
まとめ
1839年に写真が公表されたとき、画家たちは驚き、期待し、ときには仕事が変わってしまうことを心配しました。細部まで鮮明に写るダゲレオタイプは、それまで手で描いていた画像の役割を問い直す発明でした。一方、ドラローシュは写真を画家の研究に役立つものと評価し、ヒルは実際に写真を絵の準備に使いました。
モリセの風刺版画には新技術への熱狂と不安が、ヒルとアダムソンの人物写真には新しい表現の可能性が残っています。画家たちは同じように反応したのではありません。写真を使うか、写真と違うことを描くか、写真そのものを表現にするか。それぞれが新しい選択に向き合ったのです。
写真がどのように発明され、世界へ広まっていったのかは、Art Libraryの専門記事「写真はどのように誕生し、普及したのか — ダゲレオタイプ、カロタイプ、撮影技術の革新と19世紀ヨーロッパ」でも詳しく紹介しています。(参照:メトロポリタン美術館|写真の登場と画家の反応・メトロポリタン美術館|写真を活用した画家の実例)
参考資料・出典
- メトロポリタン美術館|ダゲールと写真の発明(Malcolm Daniel、2004年)
- メトロポリタン美術館|1839〜1855年のフランスの写真(Malcolm Daniel、2004年)
- ゲティ美術館|静物画と初期写真、石膏像のダゲレオタイプ
- ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館|ダゲレオタイプとカロタイプの技法
- ヨーク大学|スティーヴン・バン(2013年)、ドラローシュ発言の検証
- ボルドー・モンテーニュ大学の研究誌|フランソワ・ブリュネ(2019年)、写真と絵画の関係
- アメリカ議会図書館|テオドール・モリセ《ダゲレオタイプ狂》
- メトロポリタン美術館|ヒルとアダムソン(Malcolm Daniel、2004年)
- メトロポリタン美術館|《トマス・チャーマーズ牧師》、1843年頃
- メトロポリタン美術館|《ニューヘイヴンの漁師の妻たち》、1845年頃
- メトロポリタン美術館|クールベと写真の関係