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3世紀

十字架や羊飼いの絵には、どんな意味があったの?

教会の屋根や祭壇には、十字架が掲げられています。では、キリスト教が広まり始めた頃の絵にも、同じように十字架が描かれていたのでしょうか。約1800年前のローマの地下墓所を見ると、意外にもよく登場するのは、羊を肩に担いだ若者の姿です。

3世紀のキリスト教徒にとって、羊飼いは自分たちを守るイエスを表す大切な図像でした。十字架にもイエスの死と救いを示す意味がありましたが、現在のように広く目立つ姿になるには時間がかかりました。羊飼いの壁画と石棺を手がかりに、どんな意味が絵に込められたのかを見ていきましょう。

羊を肩にのせた若者は、誰?

ローマの地下墓所には、肩に羊をのせた若者の絵が残っています。ローマの北にあるプリシラのカタコンベでは、墓室の天井に円い枠が描かれ、その中に短い衣を着た若者が立っています。肩には一匹の羊を担ぎ、足元にはほかの羊が寄り添い、周囲には木や鳥の姿も見えます。若者には長いひげも王冠もなく、一見すると普通の牧羊風景のようです。

この若者は、キリスト教ではイエス・キリストを表す「よい羊飼い」として理解されてきました。現在の教会で見かける、十字架にかかったイエスや、立派な衣を着て光輪を背負うイエスとはずいぶん違います。プリシラの地下墓所は2世紀末から4世紀にかけて使われ、こうした羊飼いの図像は3世紀の初期キリスト教美術を知る手がかりです。プリシラの地下墓所の壁画を見ると、若者の姿を実際に確かめられます。(参照:スマートヒストリー|プリシラのカタコンベ)

なぜイエスを羊飼いの姿で描いたの?

羊飼いの仕事は、群れを導き、羊が危険に遭えば守り、迷った一匹を捜すことです。聖書の「ヨハネによる福音書」10章では、イエスが自分を「よい羊飼い」にたとえています。「ルカによる福音書」15章には、迷った羊を見つけて肩に担いで帰る話もあります。絵の中の羊は、イエスに導かれ、守られる人々に重ねて見ることができます。つまり羊を担いだ姿には、「自分たちは見捨てられず、救いへ導かれる」という信仰が込められていたのです。

ここでの「救い」は、危険から助けてもらうという日常的な意味だけではありません。キリスト教徒は、死によってすべてが終わるのではなく、神のもとで新しい命にあずかることを信じました。墓室に描かれた羊飼いは、亡くなった人にも神の守りが及ぶという希望を伝えています。ヴァチカンの考古学資料も、肩に羊をのせる図像が、迷った羊のたとえと結びついてキリストを表すようになったと説明しています。(参照:教皇庁キリスト教考古学委員会|キリスト教の地下墓所と「よい羊飼い」)

羊飼いの姿は、もともとキリスト教の絵だったの?

羊を担ぐ人物は、イエスを描くために初めて考え出された形ではありません。古代ギリシア・ローマには、羊を肩に担ぐ牧人の像があり、親切さや穏やかな田園の暮らしを思わせる図像として親しまれていました。キリスト教徒は、すでに見慣れていたその姿に、イエスが人々を守るという新しい意味を重ねたのです。

そのつながりがよく見えるのが、ローマで約260年に作られた《サラリア街道の石棺》です。石棺とは遺体を納める石の箱のことで、この作品の表面には羊を担ぐ牧人、祈る姿の人物、思索する人物などが浮彫にされています。ヴァチカン美術館は、この時期の図像がキリスト教だけのものとは限らず、石棺の持ち主の信仰も簡単には断定できないと説明しています。見慣れたローマの造形が、少しずつキリスト教の意味を帯びていった時代だったのです。ヴァチカン美術館で約260年の石棺を見ることもできます。(参照:ヴァチカン美術館|《サラリア街道の石棺》)

なぜ地下墓所や洗礼の部屋に描かれたの?

プリシラのような「カタコンベ」は、地中の柔らかい岩を掘って作った埋葬施設です。細い通路の壁には遺体を納めるくぼみが並び、一部には家族などのための小さな墓室がありました。そこに描かれた羊飼いや鳥の絵は、亡くなった人を悼み、その先にある救いを願う場所と結びついていました。地下墓所は、キリスト教徒がいつも身を隠して礼拝した秘密の教会だった、というわけではありません。まずは人々を葬るための場所です。

羊飼いの絵は墓だけにあったわけでもありません。現在のシリアに位置する古代都市ドゥラ・エウロポスでは、240年頃、一般の住宅がキリスト教徒の集会場所に改造されました。その一室には水を使って信仰に入る儀式である「洗礼」のための設備が設けられ、水槽の上には羊飼いの壁画が描かれていました。ほかの壁には、水の上を歩くイエスや病人を癒やす場面もあり、神に守られることや新しい命への希望が、部屋全体の主題になっています。イェール大学の発掘資料で礼拝室の壁画を見ると、羊飼いが洗礼槽のすぐ上に描かれていたことを確かめられます。(参照:イェール大学|ドゥラ・エウロポスのキリスト教集会所)

では、十字架は何を意味していたの?

今日、キリスト教の建物に十字架があるのはごく普通のことです。その形が指し示すのは、1世紀にイエスがローマ当局によって十字架刑に処された出来事です。十字架はもともと、ローマ世界で人を処刑する道具でした。キリスト教徒はイエスの死を、人々を救うための出来事として受け止め、さらにイエスが復活したと信じました。そのため十字架は、苦しみと死の記憶であると同時に、死を超える希望にも結びつきました。

では、3世紀の絵にも十字架にかかったイエスがたくさん描かれていたのでしょうか。実際には、そのような場面は初期のキリスト教美術では非常に珍しく、羊飼い、祈る人、聖書の救いの物語などが目立ちます。一方、十字の形そのものが4世紀に突然生まれたわけでもありません。ブルース・ロングネッカーは2015年の研究で、コンスタンティヌス帝の時代より前から、十字架を信仰の印として用いたキリスト教徒がいたことを遺物と文献から論じています。十字架への信仰上の意味と、磔刑場面が絵画や彫刻に広く現れる時期は、分けて考える必要があるのです。(参照:ブルース・ロングネッカー|『コンスタンティヌス以前の十字架』(2015年))

十字架が大きく描かれるようになったのはいつ?

4世紀に入ると、キリスト教の美術を取り巻く環境が大きく変わります。313年、ローマ帝国でキリスト教の礼拝が公認され、皇帝の支援による教会の建設も進みました。キリスト教の物語や象徴は、墓や小さな礼拝室を越えて、より広い場所で表されるようになります。

その変化を示す作品が、ヴァチカン美術館にある約350年の《キリストの受難を表した石棺》です。正面は柱で区切られ、イエスが捕らえられ、裁きを受ける場面などが並びます。中央には大きな十字架が浮彫にされ、その上にはギリシア語の「キリスト」の最初の二文字を重ねた印があります。ここでの十字架は、死に苦しむイエスの姿ではなく、復活と死への勝利を表す印として描かれています。約350年の石棺に彫られた十字架を見ると、3世紀の羊飼いとの表現の違いがよく分かります。(参照:ヴァチカン美術館|《キリストの受難を表した石棺》)

魚や鳥も、信仰の印だったの?

初期の墓の壁や墓石には、羊飼いのほかに魚、鳩、錨(いかり)などの小さな絵もあります。魚はキリストを指す印として、鳩は天上の平和や希望を、錨は信仰の確かさを思わせる形として用いられました。こうした図像は、長い文章を書かなくても、亡くなった人への願いや信仰を表すことができました。

魚や羊飼いは、古代ローマの暮らしや装飾にも登場しました。そのため、魚の絵があれば必ずキリスト教の印だと判断できるわけではありません。描かれた場所や周囲の文様、文字などと合わせて見ることで、その絵が持っていた意味が少しずつ分かります。(参照:教皇庁キリスト教考古学委員会|地下墓所に描かれた象徴)

まとめ

3世紀の羊飼いの絵は、羊を守る若者の姿に、イエスが人々を守り、救いへ導くという意味を重ねたものでした。地下墓所では死後の希望を、洗礼の部屋では新しい命へ進むという信仰を表しました。どちらも、すでにローマの人々が知っていた図像から生まれた表現です。

十字架はイエスの死と復活への信仰につながる印でしたが、3世紀の壁画や石棺では、のちの時代ほど大きく描かれていません。羊飼いを中心とする穏やかな救いの表現から、4世紀に十字架を掲げる表現へと、キリスト教美術で目立つ図像が変わっていきました。宗教の絵には、見たままの人物や動物の姿だけでなく、それを見た人々が信じた物語や希望が込められているのです。

イエス、十字架、聖母マリアなどの意味をさらに詳しく知りたい方は、ART LIBRARYの「キリスト教の神は誰なのか — イエス、十字架、聖母マリアから読み解く宗教美術の歴史」へ進めます。(参照:ヴァチカン美術館|よい羊飼いとヨナ)

参考資料・出典