1959–1966
観客の参加も芸術作品になる?
ニューヨークで始まった新しい芸術「ハプニング」
1959年、ニューヨークの小さな画廊で、来場者にカードが渡されました。カードには座る場所や移動するタイミングが示されています。ベルが鳴ると、部屋のあちこちで別々の出来事が始まり、観客は指示に従って場所を変えます。アラン・カプローによる《18 Happenings in 6 Parts》です。絵画を眺めるのとも、舞台上の俳優を静かに見るのとも違う経験が、ここで作品として構成されました。
それまでの美術館や画廊では、完成した絵画や彫刻が展示され、観客はそれを見る立場に置かれるのが一般的でした。ハプニングでは、人が歩き、声を出し、物を扱い、その場で時間が過ぎていくことが芸術の重要な部分になります。来場者の行動が、作品の状態や進行を変える場合もありました。
この実験は突然始まったものではありません。1950年代のニューヨークでは、ジャクソン・ポロックの絵画が制作する身体の痕跡を強く意識させ、ジョン・ケージの実験音楽は日常の音や偶然性へ関心を広げていました。カプロー自身も抽象絵画やコラージュの制作を経て、物や身体を取り込む空間表現を探っていました。
1960年代になると、レッド・グルームズ、ロバート・ホイットマン、ジム・ダイン、クレス・オルデンバーグらが小さな画廊や教会の施設で作品を発表します。廃タイヤを積んだ庭を歩く経験、街の廃材を使う上演、合板のシーソーに人が乗る動作など、日常の物と身体が結びつきました。ジャドソン・ダンス・シアターやキャロリー・シュニーマンの活動も、同じ時代の重要な広がりを示しています。
ハプニングには綿密に指示された構成もあれば、現場で生まれる変化を重視した上演もあります。作品を完成させるために参加することと、作者が行う身体表現を目撃することの間にも、さまざまな関係がありました。こうした違いを確認すると、「観客が参加する芸術」がどのような新しさを持っていたのかが、具体的に見えてきます。
本記事では1959年から1966年のニューヨークを中心に、ハプニングの成立、代表作、観客と作者の関係、音楽やダンスとの交流、写真や指示書による記録までをたどります。絵画や彫刻の形を持つ作品から、そこにいる人々の行為へと芸術の範囲が広がった過程を、美術史の中で考えていきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録、ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録)
CONTENTS
- 観客が参加することまで作品になる時代
- 抽象表現主義のニューヨークから生まれた変化
- 音楽と日常動作が美術へ入ってくる
- 1959年以前から準備されていた環境の芸術
- 1959年《18 Happenings in 6 Parts》の誕生
- 観客の席移動も作品の一部になる
- ハプニングは偶然に任せた即興だったのか
- リューベン・ギャラリーとジャドソンの実験
- レッド・グルームズとロバート・ホイットマン
- ジム・ダインとクレス・オルデンバーグの都市
- 1961年《Yard》で身体はどこへ入ったのか
- シモーヌ・フォルティと参加する身体
- 1962年、ジャドソン・ダンス・シアターが始まる
- キャロリー・シュニーマンが身体を作品へ広げる
- 観客の参加には力関係も生まれる
- フルクサスとパフォーマンス・アートへの接続
- 消えてしまう作品をどう残すか
- 1966年、ハプニングは何を残したのか
- 主要年表
- まとめ
- 参考資料・出典
観客が参加することまで作品になる時代
1959年のニューヨークでは、美術作品を鑑賞する人の振る舞いそのものが、作品の成立に関わり始めました。ハプニングの基本を、実際の経験から確かめます。
ハプニングとはどのような芸術なのか
展覧会場で絵を見る場合、作品は観客が到着する前から壁に掛かっています。ハプニングでは、決められた場所で人が動き、音を出し、物を扱い、時間が進むことによって作品が現れます。作品の中心が完成された物体から、実際に起こる出来事へ移った点に特徴があります。
1959年のアラン・カプロー《18 Happenings in 6 Parts》では、来場者が指定された席に座り、合図で移動しました。人がその場に居合わせて行動することが、作者の構想した作品の一部になります。「ハプニング」という言葉が持つ偶然の印象と、実際の作品の綿密な準備との関係は、この後の章で詳しく確認します。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録)
「参加する」とは何をすることなのか
参加といっても、観客が全員で即興の演技をするとは限りません。指定された場所へ移る、ある物に触れる、指示された動作を行う、ほかの人の行為が起こるまで待つ。小さな行動でも、その順序や位置が作品を構成する場合があります。通常は鑑賞の外側にある身体の動きが、芸術の条件として扱われるのです。
作品に参加する人が何を決められるかは、企画によって大きく異なりました。カプローが位置と時間を細かく指定する作品があるほか、参加者の判断に大きな余地を与える実践もありました。参加型芸術の歴史を考える際には、観客がどこまで行為を選び、何を作者が用意していたのかを区別すると理解が深まります。(参照:artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》、ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説)
1959–1966年という期間をどう読むか
1959年はカプローがニューヨークで《18 Happenings in 6 Parts》を行い、「ハプニング」という名称が広く知られる起点となった年です。1960年代前半にはレッド・グルームズ、ジム・ダイン、クレス・オルデンバーグ、ロバート・ホイットマンらが、それぞれ異なる場と方法で出来事としての作品を制作しました。
1966年にはカプローが《How to Make a Happening》というレコードを発表し、行為を作品として構成する考え方を言葉でも広めました。ハプニングの実践はその後も続きます。ここでは1959年の名称の定着から1966年までを、ひとつの歴史的なまとまりとして扱い、その前史と後世への影響も必要な範囲で紹介します。(参照:グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ、ニューヨーク近代美術館|《How to Make a Happening》(1966))
抽象表現主義のニューヨークから生まれた変化
ハプニングは、1950年代のニューヨーク絵画と関わりながら始まりました。作品を制作する身体が注目された時代に、次の世代はその身体を画面の外へ進めていきます。
ポロックが絵画制作の姿を変えた
ジャクソン・ポロックはキャンバスを床に置き、周囲を歩きながら絵の具を滴らせる方法を発展させました。完成した画面には、手首だけで描く筆触と違う身体の軌跡が刻まれます。制作の過程に注目が集まったことは、戦後アメリカの抽象表現主義における大きな変化でした。
観客の前にあるのは最終的な絵画ですが、そこには制作中の動作を想像させる要素があります。カプローはこの可能性をさらに進め、身体が実際に動く場所や、生活の中にある物体へ視野を広げました。ポロックの絵画からハプニングまでを一直線の発展と見るより、絵画を通じて生まれた新しい問題の一つとして捉えると自然です。(参照:ニューヨーク近代美術館|ポロックとカプローの批評)
1958年、カプローはポロックの遺産をどう考えたのか
カプローは1958年、『ARTnews』に「ジャクソン・ポロックの遺産」を発表しました。ポロックの制作を受けて、画家が日常生活の空間や物体に関心を向ける可能性を論じた文章です。そこで視野に入ったのは、キャンバスに収められた痕跡を越え、生活の中で経験する光、音、物、身体の動きでした。
この論考はハプニングの説明書として書かれたものではありません。絵画の形式が大きく変わった後、これから何が芸術になり得るのかを探る批評でした。完成した作品を眺める時間と、何かがその場で起きる時間との距離が、ここから縮まり始めます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ポロックとカプローの批評、ゲティ研究所|アラン・カプローの作家記録)
カプロー自身も絵画を描いていた
カプローははじめから行為だけを扱う作家だったわけではありません。ハンス・ホフマンのもとで絵画を学び、1950年代には力強い抽象絵画や、新聞紙、身近な材料を取り込んだ「アクション・コラージュ」を制作しました。絵画の表面に加わる物が増えるにつれ、画面と周囲の空間の関係も変わっていきます。
この出発点を知ると、ハプニングが突然思いつかれた奇抜な舞台芸術として見えにくくなります。絵画の制作行為に関心を持ち、画面へ実物を組み込み、さらに観客が入り込める環境を作るという試行の積み重ねがありました。ニューヨークの若い作家たちは、絵画を捨てるか残すかという選択以上に、絵画で発見した方法をどこまで広げられるかを考えていたのです。(参照:ハウザー&ワース|カプローの初期絵画とコラージュ、ゲティ研究所|アラン・カプローの作家記録)
音楽と日常動作が美術へ入ってくる
絵画の外側へ向かう動きには、実験音楽も深く関わっていました。音を聴くこと、出来事の順番を決めること、行為を指示することが新しい制作方法になります。
ジョン・ケージの実験がもたらした発想
作曲家ジョン・ケージは、伝統的な旋律や演奏技術だけに頼らず、偶然性や周囲の音を作曲の問題として扱いました。カプローがケージの授業に接した経験は、音楽を通して時間の構成を考えるきっかけになります。あらかじめ決めた音楽を再現することだけが、演奏の可能性ではなくなっていたのです。
音楽では、同じ楽譜でも演奏が行われる度に新たな音が生まれます。ハプニングも、指示された動作や物の配置を実行する人々によって、その都度異なる出来事として現れます。音と行為が時間の中で成立するという共通性が、絵画出身の作家に新しい構成方法を考えさせました。(参照:ゲティ研究所|アラン・カプローの作家記録、ゲティ研究所|実験音楽とフルクサス)
楽譜に似た「指示書」が作品を形づくる
ハプニングには、いつ、どこで、誰が、何をするかを書いた指示書が用いられることがあります。作者がすべての動きを一人で演じる代わりに、さまざまな人が決められた行動を行う仕組みです。絵画の下絵と完成画の関係に比べると、構想が複数の身体を通じて実現する点に特徴があります。
カプローが1959年に用いた指示には、ベルの合図や席の移動、場面ごとの区切りが含まれました。観客も上演の秩序の中へ組み込まれていたのです。こうした方法は後にフルクサスの短い出来事の指示とも比較されますが、両者には構成の規模や目指す経験に違いがあります。(参照:artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》、ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録)
ありふれた音や仕草が表現の素材になる
足音、紙をめくる音、物がこすれる響き、歩いて場所を変える動作。こうした日常の経験は、劇場の主役になるための特別な技術を必要としません。ハプニングが注目したのは、生活の中で見慣れた出来事を、作品として経験し直すことでした。物の使い方を変えるだけでも、その動きや音に意識が向かいます。
この発想はのちにジャドソン・ダンス・シアターへもつながり、歩く、座る、走るといった動作が振付の中心になります。ここでは日常生活が芸術の題材になったという以上に、普段は意識しない動作の時間や重さそのものが観察されました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ジャドソン・ダンス・シアター、ニューヨーク近代美術館|ジャドソンの作家たちの証言)
1959年以前から準備されていた環境の芸術
カプローの活動では、観客を取り囲む空間を作る試みが、ハプニングと並行して進みました。作品を置くための部屋そのものが、構成の対象になります。
コラージュが壁を越えると何が起きるか
紙片を貼るコラージュには、互いに異なる素材やイメージを一つの画面へ組み合わせる可能性があります。カプローは新聞紙や身近な材料を使う過程で、その発想を実際の空間へ押し広げました。壁に貼られた物が増え、床や天井にも作品の材料が広がると、鑑賞者は完成画像の前に立つだけでは済まなくなります。
素材の間を移動しながら見ると、どこに立つかによって視界や音の関係が変わります。観客の身体は展示空間の外側に置かれた尺度から、作品に直接関わる存在へと変わります。こうして「環境」と呼ばれる制作の可能性が見えてきました。(参照:ハウザー&ワース|カプローの初期絵画とコラージュ、ゲティ研究所|アラン・カプローの作家記録)
環境作品とハプニングの関係
環境作品は、部屋全体や特定の場所を構成して、そこに入る人の経験を変える方法です。ハプニングでは、そのような場所で定められた行為が起こり、時間の経過も作品の構造になります。カプローの初期の活動では、空間を作ることと、そこで人が何をするかを考えることが近接していました。
例えば、後の《Yard》では廃タイヤを積み上げた空間を来場者が歩き回れます。場所を変えるだけで作品の見え方が変わり、タイヤに触れる行為も経験に加わります。この作品は1961年の環境作品として発表されましたが、参加する身体を通じて作品を成立させるという点で、ハプニングとの結びつきを示します。(参照:ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史、ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録)
ニューヨークの展示空間が実験場になった
1950年代末のニューヨークでは、大規模な美術館以外にも、若い作家が実験を発表できる小規模な画廊や教会の施設がありました。リューベン・ギャラリーやジャドソン・ギャラリーは、新しい形式の上演や展示に関わった重要な場所です。伝統的な舞台装置を整えた劇場に限らず、日常の建築が会場になりました。
小さな空間では観客と演者の距離が近く、出入口や通路、壁の配置も作品の設計に影響します。作者は場所の制約を利用しながら、上演と展示の境界を探りました。美術史上の変化が、都市の具体的な会場や人間関係によって支えられていたことを見逃せません。(参照:ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録、グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ)
1959年《18 Happenings in 6 Parts》の誕生
ハプニングを理解するうえで中心となるのが、1959年10月にニューヨークのリューベン・ギャラリーで発表されたカプローの作品です。
1959年10月、リューベン・ギャラリーで何が起きたか
アラン・カプローは1959年10月、ニューヨークのリューベン・ギャラリーで《18 Happenings in 6 Parts》を発表しました。題名は「6つのパートからなる18のハプニング」という意味です。この作品が「ハプニング」という言葉を芸術の名称として広める重要なきっかけになりました。会場には複数の場が設けられ、異なる出来事が順番や同時進行の関係を持って展開しました。
当時の様子はフレッド・W・マクダラーによる写真にも残されています。後世の写真を見ると、参加者や演者が特別な衣装を身につけた場面もあります。けれども、一枚の写真だけから作品全体を理解することは難しく、空間の配置と時間の流れを合わせて読む必要があります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録、ゲティ研究所|1959年《18 Happenings》制作資料)
「6つのパート」と「18の出来事」の構造
作品は6つの部分に分けられ、それぞれの部分で3つの出来事が同時に進むように構成されました。合図としてベルが鳴り、場面が区切られます。来場者は一つの舞台を最初から最後まで見続けるというより、複数の行為が同じ時間を共有する状態を経験しました。
この構造によって、観客が見られる範囲には自然に限界が生まれます。同時に起きる出来事すべてを一人の視点から完全に把握することは難しいからです。作品は一つの中心場面へ集中する劇場の形式から離れ、時間と空間の組み合わせによって異なる経験を生み出しました。(参照:artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》、ゲティ研究所|《18 Happenings》会場構成資料)
資料が伝える作品の姿
ゲティ研究所には、《18 Happenings in 6 Parts》の制作資料や、部屋ごとの構成を示す記録が所蔵されています。MoMAには1959年の会場を撮影した写真資料がまとまっています。これらを照らし合わせることで、演者の姿に加えて、作品の準備や会場構成を具体的にたどることができます。
ハプニングは一度起きると元の形では残りにくい芸術です。そのため、写真を作品そのものと取り違えないことが大切になります。指示書、会場図、参加した人の経験、写真という複数の記録が組み合わさって、1959年の出来事を現在へ伝えています。(参照:ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録、ゲティ研究所|《18 Happenings》会場構成資料)
観客の席移動も作品の一部になる
1959年の作品の核心は、鑑賞者にも行動が割り当てられていたことです。来場者の身体を作品へ組み込む方法を具体的に見ていきます。
観客にはどんな指示が与えられたのか
《18 Happenings in 6 Parts》では来場者にカードが渡され、書かれた指示に従って指定の席へ移動するよう求められました。場面の始まりと終わりはベルで示され、途中でどのように振る舞うかもあらかじめ決められていました。会場に来た人が自分の意思で観覧場所を選ぶという通常の展覧会の習慣が、ここでは作品の一部として組み直されています。
席を移ること自体は日常の簡単な動作です。それが上演の順番やほかの参加者の位置と結びつくと、作品を成立させる行為になります。参加型芸術の初期の重要な発明は、特殊な演技の技術よりも、ありふれた振る舞いの意味を変えることにありました。(参照:artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》、ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説)
見る人の身体が構成に入り込む
通常の絵画鑑賞では、観客が数歩移動しても作品の成立条件は基本的に変わりません。カプローの会場では、来場者の移動が時間ごとの場の状態を変えました。座る人の人数や位置が変わり、次の出来事を見る視点が入れ替わります。鑑賞者の存在は、作者が事前に考えた空間構成の一部になったのです。
これは観客が作者の仕事をすべて引き受けたことを意味しません。どこへ移動するかを指定したのはカプローでした。あらかじめ設計された構造と、そこで実際に身体を動かす人々との間に作品が成立するという関係が重要です。(参照:ゲティ研究所|1959年《18 Happenings》制作資料、artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》)
観客が作品を完成させるという考え方
この形式では、指示書があっても誰も来場しなければ当初の出来事は実現しません。反対に、来場者がそれぞれ思い思いに動くだけでも、カプローの構想した作品とは別の出来事になります。作者の準備と人々の行動が合わさることで、一回のハプニングが成立します。
作品が完成品として残るかどうかより、その場で起きたことをどのように経験したかが大きな意味を持ちます。後に広がる参加型芸術を考えるうえで、この作者と参加者の役割分担は出発点の一つになりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ゲティ研究所|1959年《18 Happenings》制作資料)
ハプニングは偶然に任せた即興だったのか
「ハプニング」という言葉には突然の出来事という響きがあります。初期の実践を調べると、偶然性と綿密な構成が複雑に組み合わされていたことが分かります。
カプローの作品には細かな計画があった
カプローの1959年の作品には、場面の区切りやベルの合図、観客の席の移動、出来事の順番が設定されていました。思いつくままに観客が行動する形式ではありません。作品の印象が騒がしく不規則に見えても、その背後には作者が設計した時間の構造がありました。
計画が存在することは、芸術としての驚きを弱めません。参加者がどの程度正確に動くか、同時に起こる音がどのように混ざるかなど、現実の場には予測し切れないことが生まれます。構造を準備したうえで、人と物が実際に起こす変化を受け入れる点に作品の特徴があります。(参照:artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》、ゲティ研究所|《18 Happenings》会場構成資料)
グルームズの作品には別の自由さがあった
同じニューヨークのハプニングでも、レッド・グルームズの上演は、カプローの作品と異なる勢いを持っていました。1959年の《The Burning Building》では、登場人物の動きや衣装、場所の使い方が独特の劇場的な場面を作りました。作家によって即興的な要素の配分も、観客への見せ方も変わります。
ひとつの用語が広まると、多様な作品が同じ方法で作られていたように感じられます。実際のハプニングには、緻密な指示に従うもの、演者の身体の勢いを重視するもの、詩的な光景を作るものが含まれました。共通していたのは、作品を時間の中で起こる出来事として考えたことです。(参照:Artsy|1960年代ニューヨークのハプニング史、グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ)
偶然と指示の関係をどう考えるか
参加者に一定の行動を求めると、作者が想定した状況が生まれやすくなります。その場の反応を広く受け入れると、作者にも予想できなかった出来事が増えます。ハプニングの作品は、この両方の要素を組み合わせることで作られました。作者がどの部分を決め、どの部分を現場へ委ねるかが制作上の判断になります。
この考え方は、絵の具や石を加工して形を残す制作と比べると、異なる難しさを持っています。人間の身体と時間は繰り返し正確には制御できません。その不確かさを作品の欠陥として消すのではなく、出来事の豊かさとして扱おうとしたのです。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、Artsy|1960年代ニューヨークのハプニング史)
リューベン・ギャラリーとジャドソンの実験
ハプニングを支えたのは作家の構想と、ニューヨークの小さな発表拠点でした。画廊や教会の施設が作品の実験場になります。
リューベン・ギャラリーはどんな場所だったのか
リューベン・ギャラリーは、1950年代末のニューヨークで新しい展覧会や上演を支えた小規模な画廊でした。カプローの《18 Happenings in 6 Parts》はここで発表され、レッド・グルームズやロバート・ホイットマンらの作品とも関係する場所になりました。若い作家たちが既存の展覧会の形式にとらわれずに試す場として機能しました。
会場の大きさには限界があります。作品を展示するには、観客をどこへ通し、何人が入り、物をどう置くかを考えなければなりません。限られた条件が、かえって独特の緊張や近さを生み、作品の方法を形づくりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録、ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録)
ジャドソン・ギャラリーと教会の文化
グリニッジ・ヴィレッジのジャドソン記念教会は、1960年代初頭に実験的な美術やダンスが交差する場所になりました。地下の画廊や礼拝堂など、宗教施設の空間が上演や展示に使われました。ジム・ダインやクレス・オルデンバーグの初期の活動は、この環境と深く結びついています。
美術館の収蔵制度と直結しない場所だからこそ、一晩の上演、廃材を使った舞台、音や身体を中心にした実験が実施しやすくなります。後にジャドソン・ダンス・シアターが生まれる背景にも、さまざまな分野の人が空間を共有する文化がありました。(参照:グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ、ニューヨーク近代美術館|ジャドソン・ダンス・シアター)
分野を越えて作家が協働する
この時代の小さな会場では、画家が演者になり、音楽家が構成を考え、彫刻のための物が舞台装置として使われました。作品の記録を写真家が残すことも重要でした。特定の分野だけで作品を完成させるより、異なる技術と経験を組み合わせる実践が広がっていきます。
その協働は作品の見た目にも現れます。絵画に似た面が背景として立ち、身体がその前を横切り、日用品が音を立てる。観客は一つの完成した像を受け取るより、目の前で異なる要素が関係を結ぶ過程を経験しました。(参照:ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群、グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ)
レッド・グルームズとロバート・ホイットマン
1959年以降、ハプニングの表現はカプロー一人の方法から広がりました。劇場的な奇想と詩的な空間表現の違いを見ていきます。
1959年、グルームズ《The Burning Building》
レッド・グルームズは1959年に《The Burning Building》を発表しました。独特の登場人物、衣装、舞台の仕掛けが組み合わされた作品で、カプローの構成的な上演とは異なる騒がしさを持っていました。人物が出入りし、場面が急に変わる劇場的な展開は、観客に目の前の出来事を連続して経験させました。
ここでは風景を静かに描いた絵画を鑑賞する体験が、実際の人間が動き回る光景へ置き換わっています。登場人物の所作や物の配置が、ひとつの視覚的な構成になります。初期のハプニングが非常に多彩だったことを示す重要な例です。(参照:Artsy|1960年代ニューヨークのハプニング史)
ホイットマン《The American Moon》(1960)
ロバート・ホイットマンは1960年、リューベン・ギャラリーで《The American Moon》を発表しました。ゲティ研究所には、この作品を含む初期ハプニングの写真記録があります。ホイットマンの実践は、具体的な物語を語るより、光景の変化や空間の使い方を通じて観客の知覚に働きかける傾向がありました。
同じ「ハプニング」という呼び名でも、激しい身体の動きを見せる作品と、静かな詩的場面を重ねる作品とでは鑑賞経験が異なります。作家たちは共通の形式を採用しながら、個々の感覚や関心に合わせて作品を構成していました。(参照:ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録、Artsy|1960年代ニューヨークのハプニング史)
ハプニングは一つの様式になったのか
1960年前後のニューヨークの作家たちは互いの作品を知り、同じ発表場所を利用しながら制作していました。グルームズの劇場的な上演、ホイットマンの空間的な試み、カプローの時間構成を並べると、共通するのは完成作品の外観よりも、その場で出来事が起こるという条件です。
この共通性を考えると、ハプニングはひとつの絵画様式や造形技法として理解するより、芸術を成立させる方法を広げた実践として捉えられます。その広がりが、1960年代の美術に複数の道を開きました。(参照:グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群)
ジム・ダインとクレス・オルデンバーグの都市
身近な商品や廃材を使う作品には、後のポップアートにもつながる関心が見られます。物を展示することと、物がある場所で出来事を起こすことが重なります。
《Ray Gun Spex》(1960)とジャドソンの上演
1960年、ジム・ダインやクレス・オルデンバーグらは、ジャドソン・ギャラリー周辺で上演と環境を組み合わせた実験に参加しました。《Ray Gun Spex》はその重要な活動の一つです。作品に使う物を作り、それらを舞台となる環境へ配置し、人がその中で動くという方法が展開しました。
日用品や廃材は静かな彫刻の材料にもなり、演者が触れる小道具にもなりました。ひとつの物が、展示される状態と使われる状態を行き来します。完成した形と実際の行動を切り離しにくいところに、この実験の面白さがあります。(参照:グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ、ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録)
オルデンバーグ《The Street》の荒々しい素材
オルデンバーグの《The Street》は、都市の路上にあるような看板や物、人間の姿を粗い材料で構成した環境作品です。きれいに仕上げられた展示物よりも、街角の雑然とした感覚が前面に出ます。初期の上演にはこうした造形物が用いられ、作品の一部として身体が動きました。
観客が経験するのは、都市の景色を写し取った絵を読む時間とは違います。周囲を取り巻く材料や音、演者の振る舞いが重なり、会場全体が街のような場所になります。環境を作ることと、そこに出来事を起こすことの結びつきが明確です。(参照:ウォーカー・アートセンター|《Claes Oldenburg: The Sixties》、ウォーカー・アートセンター|オルデンバーグ初期作品展資料)
1961年《The Store》とポップアートへの接点
オルデンバーグは1961年末、ニューヨークの店舗空間に《The Store》を設けました。石膏を含ませた布などで食べ物や衣服、商品をかたどり、店のように並べて販売しました。商業施設を模した場所で作品を販売すること自体が、美術と日常の商行為との距離を変えています。
この実践はポップアートの歴史でも重要です。商品を造形の主題にすること、商品が売られる場所を作品の環境として作ること、作家や来場者がそこで行動することが重なりました。ハプニングとポップアートはこの時期のニューヨークで接点を持ちつつ、作品の中心に据えるものが異なっていました。(参照:ウォーカー・アートセンター|オルデンバーグ初期作品展資料、グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ)
1961年《Yard》で身体はどこへ入ったのか
廃タイヤで埋められた庭を歩く《Yard》は、観客の身体が作品の中へ入ることを非常にわかりやすく示します。
マーサ・ジャクソン・ギャラリーの庭が変わる
カプローは1961年、マーサ・ジャクソン・ギャラリーの中庭に大量の中古タイヤを積み上げ、《Yard》を制作しました。既存の彫刻を覆い、庭の景色を一変させたことも記録されています。整った彫刻庭園に、黒いゴムの山が現れたのです。作品の材料は工業製品として使われた後の身近な物でした。
廃タイヤには独特の弾力や匂い、重さがあります。見る位置によって重なり方が変わり、山の間を通ると身体の動きも制限されます。展示空間の経験は目だけで完結せず、足元の感触やバランスと結びつきます。(参照:ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史、ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録)
観客がタイヤの間を歩く意味
《Yard》では来場者がタイヤの山を歩き回り、よじ登ったり、物に触れたりできました。鑑賞者は作品を遠くから見る位置にとどまらず、作品の材料に身体を近づけます。歩きやすさや危うさ、どの道を選ぶかという判断まで経験の一部になります。
会場が単なる作品の置き場所であれば、そこを歩くことは移動手段にすぎません。《Yard》では歩くという行為そのものが、作品と関わる中心的な方法になります。カプローが模索した環境と参加の関係が、非常に具体的な形で現れた例です。(参照:ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群)
《Yard》の再制作が問い直したこと
《Yard》は後年、異なる場所や人の手によって再解釈されました。2009年には、もとの作品が生まれた場所で新たな展開が行われています。カプロー自身も作品を別の条件で作り直すことを重視し、過去の出来事を完全に固定したまま保存する発想から距離を取りました。
同じタイヤを集めても、都市の環境や観客の感覚は変化しています。再制作によって当時の構造を体験することはできますが、1961年の出来事とまったく同じ経験が再現されるわけではありません。この作品は、参加型芸術を保存し伝える難しさも示しています。(参照:ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史)
シモーヌ・フォルティと参加する身体
1960年、シモーヌ・フォルティは人と物が接触する動作を作品にしました。ハプニングの周辺で、日常の動作を組み合わせる新しいダンスの考え方が形成されます。
1960年《See Saw》と《Roller Boxes》
シモーヌ・フォルティは1960年12月、リューベン・ギャラリーで《See Saw》と《Roller Boxes》を発表しました。前者では板で作ったシーソーを用い、後者では車輪付きの箱とロープによって人の身体を移動させます。劇場で見慣れた舞踊の身振りとは異なる、重さや引っ張る力が作品の中心に現れました。
とりわけ《Roller Boxes》の初期の上演では、観客がロープを引く場面もありました。人が引く力によって箱に乗る人が移動し、参加者の行動が作品の状態を変えます。ハプニングと呼ばれた実験の周辺で、身体と簡単な装置を結びつける方法が広がっていました。(参照:ニューヨーク近代美術館|フォルティ《Dance Constructions》、ニューヨーク近代美術館|フォルティ《See Saw》(1960))
《Dance Constructions》は彫刻なのかダンスなのか
フォルティはこうした実践を《Dance Constructions》として展開しました。合板、ロープ、箱などの身近な材料で作られた構造物が、人の動作を引き出します。登る、寄りかかる、立つ、声を出すといった行為は、洗練された振付の技術によって置き換えられることなく、観察の対象になりました。
装置を眺めるだけでは作品の働きは十分に見えません。人がその構造を使い、重さを受け、他者と動きを調整することで、初めて関係が明らかになります。彫刻とダンスの境界を横断する作品として、現在のMoMAでも重要な位置を占めています。(参照:ニューヨーク近代美術館|フォルティの日常動作と構築、ニューヨーク近代美術館|フォルティ《Dance Constructions》)
参加者はどの程度自由だったのか
フォルティの構築されたダンスには、参加する人が動作を自分で調整する余地があります。ロープで箱を引く人と中に座る人の力関係は、瞬間ごとに変化します。制御された条件のもとで、身体の反応が一つの作品を構成するのです。
カプローのハプニングとフォルティの実践は、日常動作を芸術へ取り込む点で接近します。フォルティの場合は、とりわけ装置と身体の接触、重心の移動、複数の人が互いに力を与える関係が中心にあります。活動のつながりを押さえつつ、作品が何を経験させるかという違いも理解しておきたいところです。(参照:ニューヨーク近代美術館|フォルティの日常動作と構築、ニューヨーク近代美術館|フォルティ《Dance Constructions》)
1962年、ジャドソン・ダンス・シアターが始まる
1962年には、美術とダンスの協働が新たな段階へ進みました。歩く、座る、走るといった動作が振付として考え直されます。
ジャドソン記念教会に集まった人々
1962年、ニューヨークのジャドソン記念教会を拠点とするジャドソン・ダンス・シアターが活動を始めました。振付家、画家、音楽家、映画作家らがワークショップと公演を通じて協働した実験的な場です。従来の舞台芸術に求められた高度な技術や物語を離れ、日常生活の動作を新しい構成へ組み込みました。
会場となった教会では礼拝堂や地下室が使われ、上演のために椅子や設備を動かすこともありました。空間を柔軟に使える環境が、作家たちに多様な試みを可能にしました。ハプニングと同時代に、身体をめぐる別の探究が広がっていきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|ジャドソン・ダンス・シアター、ニューヨーク近代美術館|ジャドソンの作家たちの証言)
《Newspaper Event》(1963)と紙の動き
キャロリー・シュニーマンの《Newspaper Event》は、1963年1月29日にジャドソンで行われた公演の一部として記録されています。新聞紙という身近な材料が、演者の身体や動作と関係する作品です。紙は文字を読むための物であると同時に、触れると音を立て、破れ、動く素材でもあります。
このような作品は、日用品の機能を変えることから身体の経験を見直しました。ハプニングとジャドソンの活動は、身近な物を使い、上演の時間を作品へ取り込む点で共鳴しています。複数の作家が異なる関心を持って同じ場所に集まったことが、新しい表現の形成を支えました。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Newspaper Event》(1963)、ニューヨーク近代美術館|キャロリー・シュニーマン)
イヴォンヌ・レイナーは日常動作をどう扱ったか
イヴォンヌ・レイナーは、走る、歩く、身体を方向転換させるといった動作を振付の中心に据えました。1963年の《Terrain》には、指示や呼びかけによって複数の演者が空間を移動する構成が含まれます。日常的な動作の中にある速度やタイミング、他者との距離が、芸術の問題になったのです。
1966年の《Trio A》では、華やかな見せ場を作る代わりに、流れるような一連の身体の動きを構成しました。観客に何を見せるかを練り上げるダンスとして独自の道を進みつつ、生活の動作を作品へ持ち込むという時代の関心を共有しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|イヴォンヌ・レイナーの初期ダンス、ニューヨーク近代美術館|レイナー《Terrain》(1963))
キャロリー・シュニーマンが身体を作品へ広げる
絵画出身のキャロリー・シュニーマンは、身体と素材を直接結びつけました。1964年の《Meat Joy》では、観客と演者の関係を考える重要な論点が現れます。
画面を越えて身体で構成する
キャロリー・シュニーマンは絵画の制作を経て、身体の動きや物質を用いる表現を発展させました。本人は舞台を三次元へ広げたキャンバスのように考えていたと、MoMAの作家紹介は伝えています。画家が色や形を配置するのと同じように、身体、光、素材を空間の中へ組み合わせようとしたのです。
そこでは観客の視線だけでなく、作品の中にいる人の身体が表現の材料になります。色のついた物や生身の身体が互いに触れ合う様子は、画面上の構図として見ることもできます。同時に、実際の熱や重さ、触覚を伴う出来事として成立しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|キャロリー・シュニーマン、ニューヨーク近代美術館|《Meat Joy》収蔵資料)
1964年《Meat Joy》はどこで発表されたのか
《Meat Joy》は1964年5月にパリで初演され、同年6月にはロンドン、11月にはニューヨークのジャドソン記念教会で上演されました。ニューヨークの作品としてだけ説明すると、この国際的な移動が見えにくくなります。シュニーマン財団には各地の上演記録と参加した演者の情報が残されています。
作品では複数の演者が生の魚、鶏肉、ソーセージ、絵の具、紙、透明なプラスチックなどを用い、互いに接触しながら動きました。日用品や素材が身体と混ざり合うことで、完成された形よりも、変化し続ける状況が前面に出ます。(参照:キャロリー・シュニーマン財団|《Meat Joy》(1964)、キャロリー・シュニーマン財団|活動年譜)
身体と物質が触れ合うことの意味
《Meat Joy》には官能性や遊び、混乱の感覚が重なります。裸に近い身体や生の食材を使った上演は、当時の社会が身体や性について持っていた規範にも働きかけました。素材は単なる装飾や小道具として背景に置かれず、触れる、押す、絡まるという行為を直接生み出します。
ハプニングの広がりを考えるうえで重要なのは、この作品が演者による構成と即興の動きを組み合わせていたことです。観客全員が自由に参加した作品と説明するより、演者が身体を通じてどのような経験を作り、観客がそれをどう受け止めたかを見る方が正確です。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Meat Joy》収蔵資料、キャロリー・シュニーマン財団|《Meat Joy》(1964))
観客の参加には力関係も生まれる
参加型の作品では、人に行動を委ねることが新しい可能性を生みます。同時に、指示を出す側と受け取る側の関係や、他者の身体への接し方も作品の問題になります。
参加者が行為を決めると作品は変わる
作者が場所と条件を用意し、参加者が具体的な行動を選ぶ作品では、現場で何が起きるかが人によって変わります。誰かが近づくか、距離を取るか、指示に応じるかという選択にも意味が生まれます。参加型芸術では、作者が作品を構成する方法と、参加者がその条件を実行する方法が重なっています。
参加の自由が広いほど、思いがけない表現が生まれる可能性も増えます。そこで重要になるのは、どのような選択肢を参加者に渡し、どの行為を許容するかという作者の責任です。1950〜60年代の実験は、その後の参加型芸術が考え続ける問題の原点にもなりました。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ニューヨーク近代美術館|オノ・ヨーコ《Cut Piece》)
オノ・ヨーコ《Cut Piece》が示した別の参加
オノ・ヨーコは1964年に京都で《Cut Piece》を初演しました。舞台に座る作家へ観客が近づき、ハサミで衣服の一部を切り取る作品です。1965年にはニューヨークでも上演されました。参加者には行動を選ぶ自由がありますが、作家の身体や衣服への働きかけが生じるため、その選択には強い緊張が伴います。
《Cut Piece》はカプローのハプニングと同じ作品系列にそのまま収まるものではなく、オノの指示作品やフルクサス周辺の活動の中で考える必要があります。両者を比較すると、参加という方法が、空間の移動から他者への関与、権力や性別の問題まで、非常に異なる問いを生み出したことがわかります。(参照:ニューヨーク近代美術館|オノ・ヨーコ《Cut Piece》、ニューヨーク近代美術館|《Bag Piece》記録(1965))
観客が積極的に関わることの意味
観客の参加が作品になるとき、その行為がつねに楽しいとは限りません。席を移る行為には軽やかさがあり、タイヤの山を歩く行為には身体の感覚があり、他人の衣服を切る行為には倫理的な判断が伴います。作品によって参加の意味が変わるからこそ、具体的に何が求められているかを見なければなりません。
参加型芸術が開いたのは、鑑賞者に自由を与えるという単純な理想だけではありません。人が作品の成立に関わることで、誰が決定権を持ち、どのように他者と関わるのかが見えるようになりました。この視点は、その後のパフォーマンスや社会参加型の美術を考える際にも重要です。(参照:ニューヨーク近代美術館|オノ・ヨーコ《Cut Piece》、ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説)
フルクサスとパフォーマンス・アートへの接続
1960年代には、音楽や日常動作を作品化する実践が国際的に広がりました。ハプニングと近接する活動を比較し、どのような問題が引き継がれたのかを整理します。
フルクサスとハプニングの近さ
フルクサスでは、音楽、詩、視覚芸術、簡単な指示による出来事などが結びつきました。1962年にはドイツのヴィースバーデンで国際的な催しが開かれ、ジョージ・マチューナスらの活動が知られるようになります。日常的な行為を芸術へ取り込み、ジャンルの境界を横断する点で、ニューヨークのハプニングと共通しています。
作品の規模や実行の仕方には違いもあります。フルクサスでは短い指示を繰り返し実行できる作品も重視され、ハプニングには大きな環境や複数の場面を持つ上演もありました。どちらも1960年代の出来事としての芸術を考えるうえで重要な実践です。(参照:ゲティ研究所|実験音楽とフルクサス、ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説)
《Bag Piece》と参加の新しい形式
オノ・ヨーコの《Bag Piece》は1964年に始まり、1965年にはニューヨークでのフルクサス関連イベントでも上演されました。人が大きな袋へ入り、外から見える姿を変えることで、人物を性別や外見によって判断する習慣へ働きかける作品です。MoMAには1965年の記録写真が収蔵されています。
袋の中の人と外側から見る人では、経験する世界が異なります。布を通して見えるもの、見えないもの、身体の輪郭が消える感覚が、作品の中心になります。ハプニングの参加という視点から周辺の活動を見ると、人間同士の関係そのものが新しい表現の材料になっていたことがわかります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《Bag Piece》記録(1965)、ゲティ研究所|実験音楽とフルクサス)
のちのパフォーマンス・アートとの関係
1960年代後半から1970年代にかけて、作家自身の身体や行為を中心に据えるパフォーマンス・アートがさらに広がりました。ハプニングはその重要な前史に位置づけられています。作家や観客の動きが作品を成立させるという考え方が、異なる方法へ受け継がれていきます。
後のパフォーマンスでは、作者の身体に注目が集まる形式も増えます。初期ハプニングに見られた観客の参加、環境の構成、複数の演者の共同作業といった特徴は、すべてが同じ強さで継承されたわけではありません。美術史上のつながりを考える際には、何が引き継がれ、何が変わったのかを具体的に見ることが大切です。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ニューヨーク近代美術館|キャロリー・シュニーマン)
消えてしまう作品をどう残すか
一度限りの行為や上演は、絵画や彫刻のように同じ物体として残せません。ハプニングの歴史は、作品の保存と記録について新しい問題を生みました。
マクダラーとマッケルロイの写真
1959年のカプロー《18 Happenings in 6 Parts》には、フレッド・W・マクダラーが撮影した写真が残されています。1960年代初頭のハプニングは、ロバート・マッケルロイも数多く撮影しました。作家だけでなく、記録者の視点が今日の美術史の理解を形づくっています。
マッケルロイの資料群には700点を超えるヴィンテージ・プリントと、多数のネガが含まれます。会場の全体像や演者の動き、準備の過程を伝える画像は、作品が一度きりの出来事だったからこそ重要な資料になります。(参照:ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群)
写真だけで出来事を伝えられるのか
一枚の写真は、ある瞬間を鮮明に記録します。光や音が変わった順番、部屋を移動した時の感覚、ほかの参加者の声など、時間の中で起こる出来事のすべてを一枚へ収めることはできません。映像や録音があっても、現場の人が経験した状況を完全に再現することは難しいでしょう。
資料を見る際には、写真が示す一瞬と、作品全体の時間構成を分けて考える必要があります。ハプニングの研究では、作家の指示書や会場図、写真、参加した人の証言を組み合わせることで、当時何が行われたかを検証します。(参照:ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録、ゲティ研究所|1959年《18 Happenings》制作資料)
再演することは同じ作品を作ることなのか
ハプニングの作品を後年に上演し直すとき、もとの指示をどこまで守り、現代の場所や参加者に合わせて何を変えるかという問題が生まれます。カプローは作品を「再発明」するという考え方を示し、再制作による変化そのものを重視しました。
1961年の《Yard》が後年に異なる姿で作り直された事実は、作品をひとつの固定した物として保存する方法の限界を示しています。過去の行為をそのまま取り戻すことより、どの条件を引き継いで新しい経験を作るかが重要になります。(参照:ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群)
1966年、ハプニングは何を残したのか
1966年までに、ハプニングはひとつの流行語を越え、現代美術の方法を変える実践になっていました。参加することの意味を整理し、次の美術史へつなぎます。
1966年《How to Make a Happening》
カプローは1966年、《How to Make a Happening》というレコードを発表しました。MoMAには12インチのレコードとして所蔵されています。1959年の作品で「ハプニング」という名称を広めた作家が、数年後には、その作り方や考え方を人々へ伝える媒体を選んだことになります。
レコードは上演の時間と異なる場所で再生できます。聞き手はその内容を自分の環境で考えることができます。芸術の方法が美術館の壁に掛かる物体から、行為の構想や、それを伝える情報へも広がっていく様子が見えてきます。(参照:ニューヨーク近代美術館|《How to Make a Happening》(1966)、ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説)
ニューヨークで始まった実験の広がり
1959年のリューベン・ギャラリーから1960年代半ばまでの活動をたどると、作品を成立させる場所と人間の役割が大きく変化したことがわかります。席の移動を指示するカプロー、都市の物を舞台へ持ち込むオルデンバーグ、身体を素材と結びつけるシュニーマン。それぞれが異なる方法で、美術の外側にあった行為へ目を向けました。
これらの活動は、ニューヨークの小さな画廊や教会を基盤としながら、パリやロンドンを含む国際的な交流とも結びつきました。世界各地にあった具体美術協会やフルクサス、実験的なダンスと比較することで、一つの都市だけでは説明しきれない時代の変化が見えてきます。(参照:グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ、キャロリー・シュニーマン財団|《Meat Joy》(1964))
鑑賞者は芸術の中で何ができるようになったのか
ハプニングが示した最大の変化は、作品を経験する人の行動が芸術の構造に入り込んだことです。観客は席を移り、物に触れ、場所を歩き、作者が用意した条件の中で自分の身体を使いました。作品は一つの完成した物体に収まらず、人間がいる場所と時間の中で形づくられます。
その方法は、観客がどこまで自由に動けるのか、作者は何を決定するのか、出来事をどのように記録するのかという新しい問いも生みました。1959年から1966年のニューヨークで行われた実験は、現代の参加型芸術やインスタレーション、パフォーマンスを理解するうえで重要な出発点となっています。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群、ニューヨーク近代美術館|《How to Make a Happening》(1966))
主要年表
- 1956年|ジャクソン・ポロックが死去。制作行為の可能性をめぐる議論が続く。
- 1958年|アラン・カプローが「ジャクソン・ポロックの遺産」を発表。
- 1959年10月|カプローがリューベン・ギャラリーで《18 Happenings in 6 Parts》を発表。
- 1959年|レッド・グルームズが《The Burning Building》を発表。
- 1960年|ロバート・ホイットマンが《The American Moon》を発表。
- 1960年|ジム・ダインやクレス・オルデンバーグらが《Ray Gun Spex》に参加。
- 1960年12月|シモーヌ・フォルティが《See Saw》《Roller Boxes》を発表。
- 1961年|カプローが《Yard》、オルデンバーグが《The Store》を発表。
- 1962年|カプロー《Words》。ジャドソン・ダンス・シアターが活動を始める。
- 1963年|シュニーマン《Newspaper Event》、レイナー《Terrain》などが上演される。
- 1964年|オノ・ヨーコが京都で《Cut Piece》を初演。シュニーマン《Meat Joy》がパリ、ロンドン、ニューヨークで上演される。
- 1965年|オノ・ヨーコ《Cut Piece》がニューヨークで上演され、《Bag Piece》の記録も残る。
- 1966年|カプローがレコード《How to Make a Happening》を発表。イヴォンヌ・レイナー《Trio A》。
まとめ
1959年の《18 Happenings in 6 Parts》では、観客が席を移るという身近な行為まで作品へ組み込まれました。その後、若い芸術家たちは画廊や教会の空間を利用し、人の身体、街の廃材、商品、音や時間を作品として扱う方法を探ります。ハプニングの特徴は、完成した美術品から、そこで起こる出来事へと芸術の関心が広がったことにあります。
カプローの構成的な上演、オルデンバーグの都市的な環境、フォルティの身体と装置、シュニーマンの素材と身体の関係は、それぞれ別の方法を示しました。フルクサスやジャドソン・ダンス・シアターとの交流を通じて、参加すること、動作を構成すること、出来事を記録することが現代美術の重要な問題になりました。1966年のカプロー《How to Make a Happening》は、その方法が作品の上演場所を越えて共有され始めたことを象徴しています。(参照:ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説、ニューヨーク近代美術館|《How to Make a Happening》(1966)、ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群)
参考資料・出典
主にニューヨーク近代美術館、ゲティ研究所、グッゲンハイム美術館、ウォーカー・アートセンター、キャロリー・シュニーマン財団の作品・展覧会・資料記録を参照した。出来事の記録写真、作家の制作資料、後年の研究を区別し、1959〜1966年に成立した各作品の性格と年代を確認した。
- ニューヨーク近代美術館|ハプニングの解説
- ニューヨーク近代美術館|《18 Happenings in 6 Parts》の記録
- ゲティ研究所|1959年《18 Happenings》制作資料
- ゲティ研究所|《18 Happenings》会場構成資料
- artscape|《6つのパートからなる18のハプニング》
- ニューヨーク近代美術館|ポロックとカプローの批評
- ゲティ研究所|アラン・カプローの作家記録
- ハウザー&ワース|カプローの初期絵画とコラージュ
- ハウザー&ワース|カプロー《Yard》の歴史
- ゲティ研究所|マッケルロイ撮影のハプニング記録
- ゲティ研究所|ロバート・マッケルロイ写真資料群
- ゲティ研究所|《Household》の制作資料
- グッゲンハイム美術館|ジム・ダインとクレス・オルデンバーグ
- ウォーカー・アートセンター|《Claes Oldenburg: The Sixties》
- ウォーカー・アートセンター|オルデンバーグ初期作品展資料
- ニューヨーク近代美術館|フォルティ《Dance Constructions》
- ニューヨーク近代美術館|フォルティの日常動作と構築
- ニューヨーク近代美術館|フォルティ《See Saw》(1960)
- ニューヨーク近代美術館|ジャドソン・ダンス・シアター
- ニューヨーク近代美術館|ジャドソンの作家たちの証言
- ニューヨーク近代美術館|《Newspaper Event》(1963)
- ニューヨーク近代美術館|イヴォンヌ・レイナーの初期ダンス
- ニューヨーク近代美術館|レイナー《Terrain》(1963)
- ニューヨーク近代美術館|キャロリー・シュニーマン
- キャロリー・シュニーマン財団|《Meat Joy》(1964)
- キャロリー・シュニーマン財団|活動年譜
- ニューヨーク近代美術館|《Meat Joy》収蔵資料
- ニューヨーク近代美術館|オノ・ヨーコ《Cut Piece》
- ニューヨーク近代美術館|《Bag Piece》記録(1965)
- ゲティ研究所|実験音楽とフルクサス
- ニューヨーク近代美術館|《How to Make a Happening》(1966)
- Artsy|1960年代ニューヨークのハプニング史
資料確認日:2026年10月14日 / ART LIBRARY